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へっぽこ勇者の現代冒険譚  作者: 結城ケイスケ
4/6

修行開始

「起きんか、こら、起きんか。」

遠くから誰かの声が聞こえる気がする。

なんだよ。今いいところなんだ。ちょっとほっといてくれ。

「起きろー!」

突然顔面に冷たい水が降りかかった。


「がはっ。」

驚き慌てて飛び上がる。

「なんだ、なんだよ!?」

まだ寝ぼけて覚醒しない頭で必死に状況を把握しようと周囲を見回す。いつもと変わらない自分の部屋だ。

自分の頭がびしょぬれになっているのを除けば。


「ふん、ようやく起きたか。」

身体の下の方から声が聞こえて自分の足元を見下ろすと、そこに小さな生き物がちょこんと座っていた。

「う、うわっ!」

「何を驚いておる。もうすでに昨日散々驚いておったろうに。」


足元のハムスターは流暢に日本語を操っている。ありえない状況を前にして昨日の記憶がありありと思いかえってきた。

そういえば、昨日なんか魔法使いが家に召喚されたんだっけ・・・。


「ほら、とっとと起きんか。勇者のくせにいつまで寝とるつもりじゃ。」

「いつまでって。今何時ですか?」

「5時じゃ。」

「いや、早すぎでしょ!?」


自慢じゃないが僕は普段8時まで寝ている。なんせ家から学校まで5分しかかからないのだ。8時まで寝ていてもそのまま家を飛び出せば十分間に合うのだ。

「何をいっとる。昔から何かを成す人間は朝の時間を大切にしたものじゃ。それ、走りに行くぞ。」


そういうとハムスターは見る見るうちに老年に差し掛かった厳しい顔つきの老人に変わった。服は簡素な麻の半そでをきている。正直今の時代にはそぐわなすぎて違和感バリバリだ。

大魔法使いフリード。老人は昨日そう名乗っていた。なんでも王国一の魔法使いだといわれているそうだ。


昨日勇者としての訓練をお願いしてから、早速トレーニングが始まっていた。

まずは基礎筋力トレーニングから。

腕立て伏せ10回もできない貧弱な筋力を見せつけると、フリードは引きつった笑いを浮かべていた。

想像以上の貧弱さだったらしい。


だがそれでも、気合と根性で何とか腕立て伏せ100回を達成した。最後の方は一回一回地面に倒れ伏し、喘ぎ喘ぎではあったのだが。

それでも、始めたころははるかに遠く不可能に思えた腕立て伏せ100回を達成できたことに、自分の中で満足感を感じていた。


肩を軽く回してみる。胸や腕の筋肉がギシギシと悲鳴を上げている。昨日の達成感を思い出し、にやにやしながら自分の腕をさすってみた。

ここ何年も経験することなかった筋肉痛が心地よい痛みを伝えてくる。


「何をにやけとるんじゃ。さっさと準備せい。」

フリードはせかすように屈伸運動など準備体操をしている。

僕は慌ててジャージに着替えた。


人気のない朝の道路を、老人と並んで走り始める。最初はゆっくり、ジョギングくらいのペースから。

早朝の空気は冷たく澄んでおり、全身を切る風が心地よい。

こわばっていた体が徐々にほぐれていき、内側から生きているという喜びがあふれ出る。

走るのって気持ちいいんだな。

だがそんなことを思っていられたのも最初の5分だけだった。


「ちょ、ちょっと。いつまで走るんですか!」

ぜえ、ぜえ。息が苦しく言葉も途切れ途切れになる。肺が必死に空気を求めて、口をパクパクさせる。

フリードはそれには答えずどんどん先に行ってしまう。

「ま、待ってください、せめてペース落として!!」

悲鳴のような声にもお構いなしだ。

最初は軽いジョギングくらいのゆったりとしたペースで始まったランニングだったが、今や自転車で普通に走るのと同じくらいのペースまで上がっていた。

僕にとっては全力疾走並みのペースだ。


徐々にフリードとの距離が開き始める。

途端に自分の中に甘い誘惑が忍び込んでくる。

もういいじゃないか。どうせおいていかれるんだ。もう限界だろ。休んでしまえ。目的地だってわからないし。十分頑張ったじゃないか。

そんな誘惑が頭の中を駆け巡る。


以前の僕だったらいともあっさりとその誘惑に乗ってしまっていただろう。

しかし、今日の僕には昨日の達成感がまだ残っていた。もう無理だと思いつつ、1回を積み重ねることで到達した100回。何度もあきらめ、やめようとしながらも達成したときの誇らしさ。


肺も、足も、悲鳴を上げ限界を告げている。意志に反して、ペースはどんどん落ち続けている。

それでも僕は決して止まらなかった。止まりたくなかった。

意志の力で体を前に進め続ける。


どれくらい走っただろうか?時間の感覚もなくなり、酸欠で頭も朦朧とする中、前方の公園の木陰に立っている魔法使いを見つけた。

なんとか、あそこまで。

僕は最後の気力を振り絞った。


「ずいぶんと遅かったな。」

ゼイゼイと喘ぎながら倒れ伏した僕に皮肉げな声が降りかかってくる。

だが僕には反論する余裕すらない。

「じゃが、正直ここまで来れると思わんかった。途中であきらめるじゃろうと思っておったわい。そなたは能力こそ低いが、立派な根性を持っておるな。」

そういうと老人は僕の瞼をそっと閉じ、その上に手のひらをかざした。そこからじんわりと暖かいものが体に流れ込んでくる。

褒められてことがうれしかった。根性があるなんて今まで言われたことなかった。

むしろ、今まで頑張れない自分を散々責めて生きてきたんだ。


なぜ頑張れたのだろう。昨日の腕立て伏せ、今日のランニング。

いつもだったら簡単に挫けてしまう意志が、誘惑に負けなかった。打ち勝ったのだ。

きっとそれは、フリードが勇者として扱ってくれるからだ。期待してくれているからだ。僕はそれに応えたいのだ。弱い自分を変えたいのだ。


身体の内側からも熱い思いが噴き出してきた。変わりたい。強い自分になりたい。勇者になりたい。

目からまた涙があふれてくる。

そんな僕を優しく見守るかのように、そよ風がそっと葉を揺らしていた。

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