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白と黒  作者: 不易
第一幕
8/30

07 襤褸

この物語はフィクションです。


――翌日、俺達は再び早朝からババアの洞窟へと向かう。


 ババアは昨日と同じ姿勢のまま寝ているようだ。



「シロ、起こしてやれ」


「らじゃ!」



 シロは、胸いっぱいに息を吸い込んでいる。

 俺は、次に起こる()()に備えて、両耳を手でふさいだ。



「ババアアアアア!!! おおおはよおおおおおお!!!」



 洞窟のみならず、周囲一帯に響き渡った大音声だいおんじょうに、驚いた鳥達が一斉に飛び立ったのが目に入った。


 至近距離でそれを聴かされたババアは、痙攣けいれんを起こしているようだ。

 シロは、満足気な様子で胸を張っている。


 良し。

 今日もシロは朝から元気いっぱいだ。

 俺は生暖かい笑顔のままで、ピクピクしているババアの点穴をいて気脈を整え、気付けをしてやる。



「はうあ!」



 無事に生き返ったらしい。

 短期間に何度も同じ相手に点穴を衝くのは初めてかもしれない。



「ババアおはよ」


「おはよう」


「え? ……おはよう……ございます?」



 ババアは混乱している。



「今、何か物凄い衝撃を受けたような……?」


「気のせいだ」


「でも、耳がジンジンして耳鳴りが……」


「気のせいだ」


「――それより、体の具合はどうだ?」



 俺は強引に話題を変える。



「――体? とても元気で……ハッ!」



 ババアは己の手を見て気付いたようだ。



「元がどうなのかは俺達は知らないが、少なくとも老婆ではなくなった」


「手が……体が……戻って……ぅぅ」



 ババアは感極まって泣いている。



「シロ、鏡持ってたか?」


「なっしーんぐ」


「……川に行ってみます」



 ババアは涙をぬぐうと立ち上がった。





――俺達はババアがよく行っていたという川のほとりに来た。


 ババアは川をのぞき込み、己の顔を見て再び泣いていた。



「あっ! ババアがいつも川を見てたのって、お顔を見てたんだ!」



 シロが納得の顔をしている。



「潜在的に残っていた意識が、そうさせたのかもな」



 俺は仮説を口にした。


――しばらくして落ち着いた様子のババアは、急に俺達に向き直って平伏へいふくし、深々と頭を下げた。



「私は関玉麗カン・ギョクレイと申します。この度は、お二人とも誠にありがとうございました……この御恩は一生かかっても、とても……返しきれる物ではございません」



 ババアは震える声を抑え、息を吸い込む。



「私に出来ることでしたら、何でも致します」



 玉麗と名乗ったババアはりんとして、決意を述べた。



「そうか。特に必要な物も困っていることも無い」



 俺はシロの顔を見る。



「ない! いらない!」



 だよな。



「で、ですが! あの様な薬は国中探しても見つかるような物ではないはずです!」



 感心した。若いわりによく知っている。


 だが正直な所、見返りが欲しくてやったことではないというのは事実だ。

 シロの要求に対して俺が応えたに過ぎない。


 シロはシロで、特に何も考えていないだろう。

 お気に入りが元気になってよかった――と、思っているに違いない。



「ただの在庫処分だ。運がよかったな」


「ババアらっきー!」



 玉麗は唖然あぜんとしている。



「……私は、これからどうしたら?」


「知らん」



 俺は玉麗に向き直る。



「……昨日も言ったが、お前はもうあやかしではない。そして、人間でもない」


「――好きに生きればいい」



 俺が冷たく言い放つと、玉麗は顔をくもらせた。



「……私は、恥ずかしながら狭い世界で生きておりました。一人で生きていくすべを持っていません。事情もあり、身内も頼れぬ有り様です」



 玉麗は何か覚悟を決めた様子で顔を上げた。



「お助け頂いた命なれど、元の姿を再び取り戻せただけで十分に御座います。どうか、この哀れな女に死をたまわりたく存じます」



 シロを見ると、玉麗と対照的にこれ以上無いという位に渋い顔をしていた。


 まあ、シロはそうなるよな。

 俺はため息をく。



「……はあ。わかった。わかったよ」



 面倒なことになったな。


 俺は頭をいた。



「取り敢えず、落ち着くまでは俺達の所に来い」


「ッ! あ、ありがとうございます!」



 玉麗は、また深々と頭を下げた。



「ババアがお家に来るー!」



 シロは喜びのあまり、手足をバタバタさせている。

 不本意だが、シロの機嫌が直ったので良しとしよう。


――俺は洞窟を引き払うために玉麗に準備させる。


 すると玉麗は、突然はっとなって体を両手で隠した。



「み、見ないでください!」



 ああ、これは所謂(いわゆる)恥じらいという奴か?

 若い女なら当然のことだな。欠片(かけら)も興味は無いが。


 見れば、老婆の時に着ていた襤褸ぼろの服はたけが足りておらず、襤褸だけに肌があちこちあらわになっている。

 見るなと言われているし、興味が無い物をわざわざ凝視ぎょうしする必要も無いだろう。


 俺が視線をらすと、何故か玉麗の機嫌が少し悪くなったようだった。


 視線を外すのが遅れたか?

 気を付けないとな。

 羞恥心しゅうちしん皆無かいむなシロと暮らしているせいで、かなりにぶくなっている自覚はある。


 シロは俺達二人を意味がわからないながらも、楽しそうにながめていた。





―― 玉麗 ――


 私は換骨奪胎かんこつだったいで気を失っていたらしい。


 あれほどの苦行であれば仕方ないと思う。

 黒殿が介抱してくれて事情も教えてくれた。


――でも、この耳鳴りと耳がしびれているのは何故だろう?


 黒殿が体の調子を聞いてきた時に、私の腕や足が目に入った。


 ああ、本当に自分の体を取り戻せるなんて!


 二人は気を使って鏡を用意しようとしてくれたけど、無い物は仕方ない。

 あの川で確めるしかない。


 私は川に着くなり、恐る恐る川面かわもを覗いた。


 何度も覗いた川面。

 何度見ても老婆だけが映っていた川面。

 今はあのみにくい老婆ではない。私の、私の顔だ。


……私の……顔だ……。


 私は、また泣いた。


 二人は私が泣き続ける間もそばでずっと待ってくれていた。

 私はどうにか落ち着きを取り戻すと、礼を失していたことに気付き、冷や汗をかく。

 名前を告げ、感謝の言葉と恩返しの意志を示した。


 だが、彼等にとっては取るに足らぬことという。


 そんなはずは無い。

 あの薬一つで国が動くと言っても過言ではない。

 それでも彼等は固辞する。

 返しきれぬ恩を不要と言われる。

 そして――好きに生きろ、と。


 私は貴族として生まれ、何不自由無く育ち、見初みそめられて後宮入りをした。

 好きに生きろと言われた所で、生き方なんて知らない。

 実家にも多大な迷惑をかけた。戻ることは論外だ。

 私はしばらく考えていたが、たどり着いた答えは一つしかなかった。


 いただいた命をゆるしをうことだ。


 大恩たいおんある身なれど、返さなくていいと言われると、私にはこれ以上はどうすることも出来ない。

 俗世ぞくせいはあれど、既に未練は無い。

 私は綺麗な体で幕引きが出来るのなら幸せだと考えた。

 そして私はその事を二人に告げた。


 当初から、私を救うことに腐心ふしんしてくれていた"ラン"殿は苦い顔をしている。

 当たり前だ。恩をあだで返すに等しいのだから。

 黒殿は顔色一つ変えない(といっても編笠でほとんど見えていない)が、ラン殿の様子を見ているようだ。

 すると、ため息混じりで渋々という様子ではあったが、しばらくは二人の家で面倒を見てくれるという。


 ああ、私はなんという幸せ者なのだろうか。


 彼らは聖人君子せいじんくんしではないとはいえ、私を絶望から救い出し、更には一人で立ち上がって歩けるよう計らってくれる。

 このような地面にひたいをつける程度の謝礼では、真に申し訳なく思う。


 ラン殿は純粋に喜んでいるようだ。


――自己紹介をしたのに、未だにババア呼びなのは少しだけ気になるが。


 いや、大恩人が私をどう呼ぼうと構うものか。

 気にしない。そう、気にしないでおこう。


 黒殿が洞窟を引き払うので準備をするように、私をうながした。


 とはいえ、元々ここには何も無い。

 私の所持品といえば、何故か手に馴染なじ無骨ぶこつなたと襤褸の服だけだ。


――襤褸の――服――?


 私は改めて自分の姿を見る。

 老婆であった頃は体格も違ったし、色々見えていても問題はなかった。妖だから。


 でも今は違う!!!

 色々と見えてはいけないものが見えてしまっている!!!

 それも、とびきりの美丈夫イケメンの前で!!!


 私は慌てて、手で隠せるだけ隠して黒殿に見ないように嘆願たんがんした。

 耳まで真っ赤になって、体温が急上昇するのを感じる。


 すると黒殿は特に動揺することもなく「ああ、言われてみれば」といった様子で、ぷいとそっぽを向いてしまった。


――私は自分で言うのも何だが、これでも都では美姫びきとして多少なりとも有名だったのだが?

 少しくらいは照れてくれてもいいのだが?


――いけない、いけない。

 不埒ふらちな暴走をしてしまう所だった。


 ラン殿の純粋な笑顔が、私の心に突き刺さる……。

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