06 丸薬
この物語はフィクションです。
飲酒・グロテスクな表現等が含まれています。
注意:お食事中の方はお控えください。
注釈は劇中における解釈です。
※奇縁――不思議な縁
※濁気――よどんだマナ
※地脈――大地を走る気の流れ
――夜も更けた震山の山奥。霧の壁に囲まれた古びた家には、珍しく灯りが点いていた。
灯りの傍には机の上に広げられた薬草や薬研、乳鉢等がある。
黒は一人で調薬をしていた。
その横で、途中まで作業を見ていたシロは、既に寝息を立てている。
黒はシロに上着を掛けてやると、調薬を続けた。
「――こんな物だろう」
黒の手元には二種類の丸薬があった。
木箱に収められた黒光りする丸薬と、作ったばかりの小さな丸薬。
出来に満足した黒は、出来上がった小さな丸薬を紙に包んだ。
机の上の薬草や道具類を片付けると、シロを簡素な寝台へと運ぶ。
「むにゃむにゃ……黒ちゃま……ババアは……お姫様なんだよ」
黒はシロの寝言に頭を働かせる。
華やかで愛らしい衣。煌びやかな簪などの装飾品で豪華に着飾り、鉈を持った老婆を想像してしまった黒は、笑いをこらえようと肩を震わせた。
「…………どういう夢だ」
黒は、寝台で寝息を立てるシロの頭を撫でる。
灯りを消した後、一人で畑の方へと向かい、長椅子で横になりながら、寝酒をあおり始めた。
震山の夜空には、大きな月が煌々と輝いていた。
―― 玉麗 ――
二人が再び洞窟を訪れたのは翌日の早朝だった。
「ババアおはよ!」
「さっさと済ませるぞ」
こんな朝早くからここまで来られるということは、二人の家は近くにあるのだろうか?
黒と呼ばれる男は今日も編笠を被っている。
どうせなら顔を見せてくれたらいいのに。
「何だ? じろじろと見て」
私は視線を覚られたことに動揺して、思わずそっぽを向いた。
黒は怪訝な顔をし、ランはそんな二人の様子を見比べて不思議そうにしている。
「まずはこれを飲め」
そう言って黒が差し出してきたのは一つの小さな丸薬。
……さすがに何も言わずに飲めとだけ言われても抵抗がある。
「黒ちゃま、これは?」
躊躇っているのを見て取ったのか、ランが代わりに質問してくれた。ありがたい。
「虫下しだ」
虫下し?
私が不思議そうな顔をしていたせいか、黒が説明を始めた。
「まず、お前の体内にはお前を妖にした元凶の虫がいる。それを体から出さないことには何も始まらない」
虫が……体内に……。
私は言い様の無い不安と嫌悪感に身震いする。
「因みに虫下しと言ったが、出るのは口からだ」
口から……虫を……。
そんなことを言われては、余計に躊躇してしまう。
私が丸薬を持ったまま、飲めずに固まっていると……黒が「さっさと飲め」と言って強引に口に押し込んだ。
そして勢いそのままに飲み込んでしまった。
ひ、酷い。
噎せている私に、二人は同情してくれる様子はない。
「何が出て来るのかな!?」
ランは好奇心に目を輝かせている。
「腸に住み着く虫は大層長いそうだぞ? 楽しみだな」
黒は他人の不幸を楽しんでいる。
恨みがましい視線を送ろうとした時、強烈な腹痛と吐き気を覚える。
「お? 出て来るようだぞ」
「わくわく!」
私は何か蠢く大きな物が腹の方から上がって来る感覚と共に嘔吐した。
ここしばらく何も口にしていない為、腹から出てきたのはその虫だけだ。
肘から手の先位の大きさの虫。
肌色の百足のような体に不気味な人面が付いている。
その顔は――私と同じ老婆だ。
私は何も出ては来ないが、堪らずまた嘔吐した。
「うわー! ババアからババアが!」
ランは気持ち悪そうに言うものの、顔は笑っている。
虫は仰向けでバタバタと暴れ、キイキイと耳障りな声で鳴いていたが、突然体勢を直すと素早く蛇行するように逃げ出し始めた。
「シロ、潰せ」
「らじゃ」
黒の指示に躊躇うことなくランは虫の頭を踏み潰す。
虫は、ぐしゃりという水っぽい音を立てて、あっけなく潰れた。
潰された虫は一瞬だけ体を身震いさせたが、直ぐに動かなくなった。
私は嫌悪感を覚えつつも、潰れた虫を見つめる。
終わった……これでようやく人間として死ねる……。
妖の姿の間、自我を取り戻しても何故か自決だけは出来なかった。
恐らくはあの虫が妨げていたのだろう。
この醜い姿で終えるのは残念ではあるが、魂だけは取り戻せた気がする。
二人には感謝している。
これこそ奇縁という物だろう。
「あ……あり……がとう……」
私は必死に絞り出すようにしてお礼の言葉をなんとか告げた。
「ババアがしゃべった!」
ランは嬉しそうだが、お礼に対してではなさそうだ。
「そこそこ回復してきたようだな」
黒は冷静に分析している。
「これ……で、人として……死ね……ます」
私は自分の素直な気持ちを吐露する。
「死んじゃダメ!」
ランは即座に止めてきた。
「お前はそれでいいのか?」
黒が私に問い掛ける。
「それは……どういう?」
「俺は『虫を出さないと何も始まらない』と言っただろう」
「ま……さか……」
「ババアになる前の姿に戻れる方法がある」
――まさか。
まさかだ。胸の高鳴りが収まらない。
「びふぉあババア!」
ランの言葉はちょっと意味がわからない。
「但し、命がけだ」
黒は表情も変えず、冷徹に言い放つ。
もちろん私の答えは決まっている。
「やり……ます」
「いいのか? 死ぬほどの苦痛だ。受け止めきれなければ文字通り死ぬだろう」
「やらせて……下さい。何でも……します」
「――わかった」
黒は、懐から小さな木箱に収められた小ぶりの梅の実ほどの大きさの黒光りする飴玉のような丸薬を取り出して見せた。
「今度は、この丸薬を飲んでもらう」
「はい」
「これを飲むことで、呪術で無理矢理組み換えられた肉体を破壊して再生する。つまり換骨奪胎を行う」
「!?」
私は息を飲む。
換骨奪胎が出来る薬なんて、おとぎ話の中でしか聞いたことがない。
もしあるとすれば国の宝物と言ってもいいぐらいだ。
だが、この小さな丸薬からは何かとてつもない力を確かに感じる……。
「まさか……霊薬?」
「さあな?」
私はただの薬とは思えない、綺麗な丸薬をまじまじと見つめる。
「もう一度確認だ。成功すれば元の姿に戻れる。だが――妖でも無ければ人間でも無い存在になる。人間の世界で生きていくことも出来なくなるだろう」
「そ、それは……」
妖ではないが人間でもなく、加えて人間として生きてはいけないという。
では一体、私は何になるというのか。
「その姿で死ぬか、元の姿で別の生き方をするか。選べ」
「…………」
希望の光が見えただけに未練や執着が頭をよぎるが、続けて出た黒の言葉に断ち切られる。
「猶予は無いぞ。妖としての力が残っているうちに決めろ」
「……飲みます」
そうだ、今更ではないか。
元より、一度は死んだも同然の身。
人間にも戻れた。
そして以前の姿にも戻れるという。
迷う必要はない。
これで死んでも悔いはない。
覚悟を決めた私は、今度は躊躇うことなく丸薬を一気に飲み込んだ。
「…………!!!」
体の奥底から何かが噴き上がってくる。
全身に強い力が駆け巡る。
体が激流に――飲み込まれる!
「ここからは手助けは出来ない。己の力のみで切り抜けろ」
―― 黒 ――
覚悟を決めて丸薬を飲み込んだババアは、途端に苦しみ始めた。
地面についた手は、爪が剥がれ落ちている。
バキバキと異様な音が洞窟内に響き渡っている。
骨が折れて砕ける音だ。
所々で骨が皮膚を突き破っている。
体中から滲み出した血は、どす黒い。
想像を遥かに越える激痛のはずだ。
大声を上げて発狂してもおかしくないが、ババアは必死に耐えている。
大したものだ。元は武人か何かだったのだろうか?
ババアの換骨奪胎の流れは――
一、虫を体外に排出。
二、妖の力が残っている間に黒龍神丹を飲ませる。
三、神丹の効果で換骨奪胎が始まる。
四、体内の濁気・毒物・老廃物が強制代謝により体外に排出される。
五、強制代謝により爪・毛髪等が抜け、皮膚が剥がれ落ちる。
六、骨格が粉砕・再生。最適化する。
七、皮膚や毛髪が再生。換骨奪胎が完了する。
今回使った黒龍神丹は、本来の用途からは大きく外れている。
そもそも人間が使うような物ではない。
普通に使えば、薬が秘めている力に内側から破壊されてしまうだろう。
ババアは妖の力を残していたために換骨奪胎が可能だった。
――それでも成功率は高くはないが。
神丹は作ったはいいものの、正直持て余していた。
何せ、捨てようにも地脈に与える影響が甚大なのだ。
大地に捨てれば周辺の土地がおかしくなるだろうし、空中で破壊すれば風に乗ってどこに影響があるかわかった物ではない。
――かといって、迂闊に誰かに与えられる物でもない。
いくつかある不良在庫を一つ処分出来ると考えれば、ババアはいい感じに無駄遣いをしてくれている。
もしこれが効率よく取り込まれていれば、新しい化け物が誕生していたことだろう。
――やがて骨の砕ける音が止まった。
破壊の後は再生。
激痛は無いが、体力と精神力を多大に消費する。
ここからが本番だ。
ここを乗り切れ無ければ死ぬか廃人になることになる。
うずくまるババアの、荒い息だけが続いている。
俺もシロも言葉を発することなく、その様子を見守っている。
換骨奪胎が行われている間は無防備だ。よほど安全な場所か、護衛が必要だ。
シロはババアの側でじっとババアを見ている。
その顔に心配の色は無い。
俺は退屈で欠伸をしていた。
ババアの姿は既に老婆ではない。
若い人間の女のようだ。
十代後半ぐらいか? 二十代前半だろうか……? 見分けるのは苦手だ。
経験上、恐らく世間では美しいと評される部類だろう。多分。
俺は、どうもその辺の美的感覚がよくわからない。
しかし、なるほど。道理で老婆の姿で死ぬことを拒否する訳だ。
――更に長い時間が経過した。
早朝に始めたが、既に陽は大きく傾き――夕方に差し掛かりつつある。
ババアの換骨奪胎は無事に終了した。
そのまま気を失ったババアは、今は安らかな寝息を立てている。
いつ見ても不思議な光景だ。
体格が完全に変わっている。
妖よりは、いくらかマシになったな。
俺はババアの首筋に手を当てて脈を診る。
脈は静かに、それでいて力強く安定している。
「良し。もう大丈夫だろう」
「よかったよかった」
シロはうんうんと頷いている。
確かに良かった。化け物を処理せずに済んだ。
不良在庫も一つ、減った。
「今日はもう目覚めないだろう。帰るぞ」
「らじゃ!」
うつ伏せで轢かれた蛙のように、大の字になってぐったりしているババアを放って、俺達は震山に帰宅した。