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白と黒  作者: 不易
第一幕
3/30

02 震山

この物語はフィクションです。


飲酒表現等が含まれています。

――日暮れが近づいている。


 

 ランは街道を足早に駆けていた。

 巨大な荷物をものともせずに休むことなく、ひた走る。その軽快な足取りは鼻歌でも歌っていそうなほどだ。

 帰りの道中、人とすれ違う度にランの異様な風体を見てぎょっとされるが、本人は全く意に介していない。


 世間一般の感覚とは大きくずれるが、()()()()()()田園風景の広がる街道から外れ、震山シンザンと呼ばれる山々のふもとから登山道へと入った。 道は既に桟道さんどうへと変わっている。

 道といっても、がけに木の棒がさっているだけの簡素かんそな作りだ。


 崖には手摺てすり代わりの錆びた太いくさりが張りめぐらされている。


 ランはここも大荷物を背負っていることを感じさせないほど、器用に軽やかに桟道を駆けていく。

 手摺なぞ不要とばかりに両手は肩紐かたひもをがっちりつかみ、荷物がずれないようにしている。


 一歩踏み外せば真っ逆さまの状況だが、ランの顔に恐怖の色はない。



「そろそろいいかな?」



 くるくると見回し、周囲に人影が無いことを確認すると一気に加速する。

 これまでの駆け足は彼女にとって駆けているうちに入らない。


――そして、()()はもう、既に道ですらない。



「だっしゅだっしゅ!」



 近道と称して、岩から岩へ悠々と飛び、数少ない足場を使って斜面を()()()()()



「なんとか暗くなる前には帰れそう」



 猛然たる勢いで山の中腹ちゅうふくを過ぎた頃。


 細い道の周りを鬱蒼うっそうとした木々がしげる森の中、ランの前に立ちふさがるように現れたのは――


 二頭の大きな黒い虎だ。


 一頭は片耳が完全に欠けており、もう一頭は顔に大きな引っき傷のついた隻眼せきがんである。


 二頭は周辺の虎の中でも別格であることは、見るからに強靭きょうじんな肉体と全身に刻まれた傷の多さからも判る。



「グルル……。」



 突然目の前に現れ、うなりを上げて猛獣が近付いて来る様は、並みの人間であればとうに腰を抜かしていただろう。



「おお?」



 ランが頓狂とんきょうな声を上げると、虎達は猛然と飛び掛かる――!





「なんだなんだー? さびしかったのかー?」



 巨躯きょく――それも二頭分。その質量を荷物を背負った小さな体でがっちりと受け止める。



「わはは!」



 ランは虎達に顔をめ回される。



繊月センゲツー! 暁星ギョウセイー! でかいくせに甘えん坊なんだから~」


「かわええのう、かわええのう」


「よーしよし! ぐっぼーい!」



 虎達はランに手荒くでられ、のどをゴロゴロと鳴らしている。

 ランは、街で用意しておいた燻製肉くんせいにくを取り出して二頭に与えた。



「黒ちゃまが待ってるから、また今度ね!」



 肉を頬張ほおばる二頭に手を振って立ち去る。


 山道は再び桟道に戻る。

 ランは山頂を目指して一気に駆ける。

 ここまで来れば、後は一息だ。



「とうちゃーく!」



 両手を上げて声を上げたランの呼吸に、乱れは一切無い。

 この小さな体の、どこにその様な体力が潜んでいるのだろうか。


――霧深い山頂。


 足下しか見えない程の霧の中を、迷わずにすたすたと突き進む。


 霧の中に入って然程(さほど)も時間がかからずに到着したのは、ひっそりと建つ二棟ふたむねの家。

 その家の周囲だけが霧におおわれず、岩ばかりの景観の中、平地が不自然に切り開かれていた。


 家の周辺には清浄な空気が満ちている。

 山の反対側、崖の方からは雲海に包まれた震山連峰の山々が見える絶景である。

 家の側を流れる美しい小川の水は清く澄み、水草は小さな白い花を咲かせている。家の裏手には畑もある。


 そこは険しい奇岩きがんや巨石の中から、まるで別世界に迷い混んだかのような静謐せいひつさに包まれていた。


 ランは家の裏手にある薬草畑の方にまわると、そこにいるであろう人物を長椅子ながいすの上に見つける。



クロちゃまー、たっだいま!」



 元気に帰宅の報告をした相手は、黒と呼ばれた美丈夫イケメン

 年の頃は二十代前半だろうか。


 『違和感』があることをのぞけば、その浮世離うきよばなれした顔立ちは絶世の美女であっても一目で恋に落ちてしまうだろう。

 違和感の正体は雑然としたたたずまいだ。

 長い髪は艶があるものの、手入れがされずボサボサで、派手に寝癖がついている。

 引き締まった肉体を包む黒っぽい服も、よれよれで色落ちしてくたびれている。

 そして、だらしなく長椅子にぐったりと寝転んでおり、顔だけを少し動かして、そのまま返事をした。



「おかえり、"シロ"。随分と遅かったな?」



 ランは黒にだけ"シロ"と呼ばれることを許している。


――李白蘭リ・ビャクラン。それが彼女の世俗における名前だ。



 "シロ"は荷物を、どすんと下ろす。



「マオちゃんと遊んでた!」


「ふーん、そうかい」



 黒は上半身を起こし、欠伸あくびをして、伸びをする。


――李黒雲リ・コクウン。それが彼の世俗における名前だ。


 建前上、彼等は兄妹ということになっている。

 だが、彼等の間に血の繋がりは一切無い。



「ねね! 早速飲もうよ!」



 シロは待ちきれないといった様子で、期待に満ちた目をしている。



「ああ、そうだな。ツマミはあるのか?」



 黒は腹の辺りを軽く掻きながらたずねた。



「ばっちり! 女将さんがくれたんだ!」



 シロは親指を立てて片目をつむる。



「良し。じゃあ水をんでくるか……」



 黒が腰を上げようとするのをシロが片手を上げて制する。

 シロの身に付けている金属製の腕輪が重なり、んだ音をかなでた。



「ボクが行って来る!」



 シロは土間に飛び込むと、置いてあった大きめの空瓶あきびんを両手で抱えて駆け出す。


 目指すのは家の近くの小川の上流だ。


 ほどなくたどり着いたそこには、山から張り出した大岩の裂け目からこんこんと水がき出していた。

 流れ落ちた水で出来た大きな泉は透明度が高く、深い底まではっきりと見えるほど透き通っている。

 山頂にほど近いこの場所で出る水の量としては明らかに不自然なのだが、長年利用しているシロは特に疑問に思ったことはない。


――震山の霊水れいすい


 かつて黒がここに居を構える際に、岩の裂け目に霊水が湧き出るという宝珠ほうじゅを埋め込んだ時から、一度として涸れることなく霊水を出し続けている。

 周辺が常に清浄な空気に満たされているのも、この霊水が原因の一端である。


 震山の麓の田園地帯が不作知らずであることにも関係しているのだが、彼ら二人の生活の為だけに用意された影響とは、麓の住人達が知るよしもない。


 年期の入った木製の足場に立って、空瓶に霊水を注ぐと、あっという間に満杯になる。



「よっ! ほっ!」



 シロは元来た道を、行きと変わらぬ速さで駆ける。

 かなりの勢いで駆けているにも関わらず、満杯の水が一滴たりと落ちることはなかった。

 シロにとって、この程度は朝飯前である。


 家に戻ると庭先に出されたたくと椅子、卓の上には少量のさかなはし、いくつかのびん柄杓ひしゃく、そして酒瓶さかびんと丸い湯呑ゆのみが白黒二色ひとつずつ用意されていた。


 黒は荷物からほどいた特大の酒甕さかがめの厳重に閉じられたふたを開封する。

 そして軽くけた柄杓から酒を一滴、手の甲に垂らして味と香りを確認する。

 黒はこの酒がどういうものか十分理解しているので、あの年かさの酔客すいかくのような無茶な味見はしない。



「良し。いい出来だ」


「いえーい!」



 黒がうなずくと、シロが両手を突き上げて喜んだ。


 黒は柄杓で酒甕から酒瓶に酒を極少量移し替えると、手早く酒甕の蓋を閉じる。

 今度は別の瓶の蓋を開けると、周囲にたちまち桃の甘い香りが満ちた。


 シロはうっとりとした顔で香りを楽しんでいる。


 桃の香りのする瓶から白くにごった液体を柄杓ですくい、酒瓶へと移していく。



「はい、どうぞ!」


「ん」



 シロが待ってましたと、黒に霊水の入った瓶を差し出す。

 黒が瓶を受け取ると、酒瓶に霊水を注ぎ始めた。


 煮沸しゃふつをしない生水を飲むなど、世間の人間からすれば正気の沙汰ではないが、それだけ清浄な水なのである。

 酒瓶には極少量の酒しか入ってなかったせいで、じゃぶじゃぶと音を立てて結構な量の霊水で満たされていく。


――やがて酒瓶が満杯になると、黒はおもむろに手を瓶にかざし目を閉じ、気をめる。そして一呼吸程で手を引いた。



「では、いただこうか」


「ひゃっほー!」



 シロは酒瓶を持つと黒の黒い湯呑みになみなみと注いだあと、自分の白い湯呑みにも同じくらい注いだ 。

 そして互いに目を合わせ、黒は湯呑みを軽く、シロは高々とかかげる。



乾杯かんぱい


「かんぱーい!」



 二人はさかずきを交わすとそれぞれのペースで飲み始めた。


 シロは迷わず、ぐびぐびと飲み干す。



「くぅーっ! でりしゃす!」



 シロは幼い見た目らしからぬ豪快な飲み方を見せる。



うまいな」



 対して黒は――こぼれそうな酒をなめるようにちびりと飲むと、舌で転がすように香りと余韻よいんを楽しむ。


 あの年かさの酔客が飲みきれずき出した酒は、確かにそのままで飲めるようには出来ていない。

 秘蔵の熟成された『桃』の果汁と震山の霊水を特定の配合比率で混ぜ合わせ、黒が『気』を籠めた時に初めて極上の霊酒れいしゅとなる。


 桃と薬草の香りが清涼感と共に鼻腔びこうをくすぐる。


 シロは既に一杯目を飲み干して、二杯目をぎ直している。



「かんぱい! かんぱーい!」


「ふふ、乾杯」



 一気に上機嫌になったシロに付き合い、黒は笑みを浮かべ再び杯を交わす。


 二人は女将からもらった飴色あめいろになった野菜の漬物を肴にしながら話を始めた。



「何か変わったことはあったか?」



 漬物をぽりぽりと音を立てて食べていたシロは質問に答えるため、強引に漬物を飲み込む。



「――あのね!」


「薬店のおっちゃんが、お薬の買い取り量を増やしたいって! お金も上乗せするって!」



 シロの話に黒は片眉かたまゆり上げる。



「いつもの増量依頼か。面倒だから無理。金はどうでもいいしな」


「だと思って断った!」


「良し良し」



 黒は酒を一口含むと目を伏せて悪い笑みを浮かべた。


 シロが薬店の依頼を断った理由が「忙しいから」だったことを黒は知らない。

 シロから見れば、黒が日がな一日、長椅子に寝転び酒を飲むことが忙しいように映るらしい。


 シロがにんまりとして頭を突き出して来るのを見て、黒は表情を変えることなくぽんぽんと軽く撫でた。



「それから~……」


みやこで結構な騒ぎがあったって! 皇帝が側妃そくひに殺されかけたとかって噂だよ!」



 椅子に戻ったシロが、身振り手振りを交えて再び説明する。


 シロの説明に、黒は全く興味が無い様子で酒に口をつける。



「連中ならそういうこともあるだろう。興味ないな。どのみち無縁な話だろう」


「だよね!」



 シロは、やっぱり! という反応を返す。



「あ! あとなんかねー、飯店の近くの街道があるでしょ? あの近くの山にー……えーと、ババアが出るんだって!」


「……ババア? へえ」



 黒は一瞬だけ気を引かれ、箸を止めたが、直ぐに興味を失っていた。



「女将さんに行っちゃダメって言われたから、明日行ってきてもいい?」



 シロは興味を押さえきれないという様子だ。



「ん? いいんじゃないか?」



 黒はシロの興味を止めるようなことをしない。


――それは黒が決めた、たった一つの誓いだから。



 黒はその後もシロの要領を得ない説明にも相槌あいづちを打ち続けた。


 酒を飲み、とりとめもない話をし、二人の酒盛さかもりは夜更よふけまで続くのだった。

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