御室戸齋部の秋田
名づけのために、御室戸斎部の秋田を呼ぶ日が来た。
秋田は祭司。神主みたいなもんか。
対面前に菊を思いっきり可愛く着飾らせたいのに、追いかけ回す私をいつもの鬼ごっこと思ったのか、菊は屋敷中をきゃっきゃと逃げ回る。
「ちょっと、菊、待ちなさいよ!! 遊びじゃないのよ!」
真剣に怒ってはいるけれど、反面嬉しくもある。
菊と初めてあった時は、こんなに菊が明るく笑えるようになるとは思わなかった。
菊は、都の祈祷師や薬師に何人も診てもらったけれど、結局喋れない原因はわからなかった。
仕方なく、家で私と銀玉を丸めたり、おにごっこしたり、お絵かきしたり、川に入って遊んだり、で、びしょびしょになっておばあちゃんに怒られたり……と、とにかく、ろくでもない日々を過ごしていたら、なぜだか笑顔が少しずつ増えてきた。
何が効を奏したのかはわからないけれど、菊は少しずつ明るい気持ちを取り戻しつつある。
この様子ならば、かぐや姫として大人になる頃には、ちゃんと会話もできるようになるのではないか。
そういえば、本家・伝説竹取物語では、かぐや姫は3カ月で成長したと書いてあった。3カ月は言い過ぎだけれど、菊の発達ぶりは目を瞠るものがある。
こうしてみると、間違いない。経過が語る。やっぱり菊がかぐや姫だったのだ。
「……あ!こら!待ちなさいってば!!」
考え事をしている隙に菊が縁側の下に入り込んでしまった。
「もう……!御室戸斎部の秋田様がもうすぐ来るっていうのに……!!」
私は着物の袖をまくりあげ、裳を腰までたくし上げながら手探りで縁側の下に手を伸ばした。
なかなか出てこない菊に焦りながら、パンツ丸出しで地面に這いつくばっていると、背後で
「わたしをお待ちでしたか」
と、穏やかな声が聞こえた。
振り返ると
――――粋に被った頭巾からのぞく銀髪が眩しい、朝服姿のイケメンが立っていた。誰だ、この若者。
「えっと……失礼しましたケド。今、なんと?」
急いで立ちあがり、着物に着いた砂を慌てて払いながら尋ねると、銀髪マンはくすりと笑って目を細めた。
菊も縁側の下から顔を出す。
「私が名付けを依頼された斎部の秋田です。秋田と呼んで下さい」
にっこり笑う斎部・秋田は、私の想像していた名付けおじいちゃんとは大分容貌が違っていた。斎部にしては年若く――そして、不必要に美形だった。
イケメンニパンツマルダシミラレテシボウ……。
☆★☆
私はお茶を出しながら、もう一度丁寧に挨拶する。
「先ほどは……お恥ずかしい所をお見せして失礼致しました」
教育ママを気取って、おほほほほ、と上品に笑ってみる。
成金と嫌われて、名づけを断られたら大変だ。
部屋の隅では私に厳命され、なんとか大人しく座っている菊が草紙に落書きをしている。高級品じゃないにしろ紙もこの世界では貴重なので、普段なら「地面にでも描いておれ!」と庭につまみ出す所だが、今日はそんな下品な振る舞いは慎まなくてはならない。
私は菊がわんぱくしないかハラハラしながら、御室戸斎部の秋田の前で正座した。
目の前で優雅にお茶をすする秋田という青年は、ここら一帯の……まあ、神主さんみたいな役割をしている。
細長く切れた目と、これまた細長い指が優美だが、どこか色っぽく、浮世離れした雰囲気を醸し出している。なんだか神秘的なナゾキャラというか。
斎部という神々しく得体の知れない仕事柄のせいなのだろうか。もしくは、この国では珍しい銀髪のせいかもしれない。
「私の銀髪が珍しいでしょうか」
じっと見ているのがばれたらしい。不躾だった。
「も、申し訳ございません」
「いいのですよ。神力通す媒介であるこの身。何にも偏らないまっさらな身体の象徴です」
なんか良くわからないけど、無色透明な水みたいな人だな。電気通します、みたいな。
「神事は集中と準備を要すのですが……不思議です。すでに、お与えしようとした名前が頭に浮かんでいます」
「え?!もう??」
困るんですけど?!爺さん、ちゃんとかぐやにしてくれるよう、頼んだのかな?
「うちの翁からは名前について何か、あの……聞いておりますでしょうか」
「御玉串料は頂いております。しかし、まだお話は詳しくしておりません。けれども、きっと貴女も気に入る名前となるでしょう」
私が気に入ろうが、気に入るまいがどうでもいい!
とにかく菊が金持ちのイケメンと縁がある名前=かぐや、にしてもらいたいのだ。じじい、ちゃんと話通しとけよー!!
「あの、待って下さい、あの、」
「輝く様なまばゆい美しさ。姫の名は『なよ竹のかぐや』。そう名付けましょう」
私は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
「なよ竹……の、か、かぐや……」
「そうです。かぐや姫です。気に入ってもらえましたか」
にっこりとほほ笑む秋田さんに、私は驚きと嬉しさの余り言葉を失った。
……これは……もう運命だっ……!!
菊版・かぐや姫の逆ハーレム生活、ここに始まる!!
すごい!!すごいよ!!菊が本当にセレブなモテ子になれる!!!
すっごく嬉しい。
一緒に生活しているうちに、菊は私の大事な妹になっていた。目の中に入れても痛くない我が子と言ってもいい。そんな菊が幸せのエスカレーターに今まさに、乗ろうとしているのだ。
「素敵!!素晴らしい名前をありがとうございます!!本当になんとお礼をしたら良いか――」
私が興奮気味に話すと、秋田さんは部屋の隅で遊ぶ菊を見ながら、言いずらそうに切り出した。
「その、お礼はもらっているのですが……」
足りなかったのだろうか?金の話を子供の前でする訳にはいかない。
「ちょっと出ていなさい」と、菊を外に追い出し、私はホクホク顔で秋田さんの隣に座った。
「あの、これ、市で買ってきたばかりの果物なんですけれども、召し上がってください! いやあ、それにしてもいい名前を付けてもらえて良かったです!お礼は弾みます!いか程ご用意すれば?」
私がニコニコしながら尋ねると、秋田さんも穏やかに笑って、
「お礼はすでに受け取ったと言ったでしょう」
と、首を傾げた。何そのかわいい仕草。イケメン、何やっても素敵!!
「いえ、それくらいでは気持ちが済みません。何か欲しいものがあれば遠慮せず言って下さい!!」
テンションが上がった私は秋田さんに詰め寄った。
すると、秋田さんはすくっと立ちあがり、
「そこまでおっしゃるなら」
と、入口に移動し、ぴしゃりと格子戸を閉めた。
そして、こちらをゆっくり振り向く。
あれ?
「そうですね。ぬくもりが……人肌恋しい季節になってきましたね」
そう艶然と呟いて、秋田はゆるりと笑った。