菊とおばあちゃん
闇夜に不気味に浮かぶ顔――。
それは血まみれのおかっぱ頭の少女だった。
「「ぎゃーーーーーーー!!!!」」
私とお爺さんは同時に絶叫した。
お爺さんが痴漢だったことも忘れ、私は力いっぱい抱きついた。そしてその場にへたり込む。
「…………」
少女はこちらをじっと見据え、無表情のまま立ち尽くしている。
冷たい眼差しと頬に飛び散る鮮血。黒髪のおかっぱ頭はよく見ると乱れており、かなり異様な光景だ。
震える私たちを少女は死んだような目で眺め、ただただ黙っている。
「何? あんた何なの?!」
「……」
声を掛けても何の反応もない。
人形のようにこちらをじっと見つめ、微動だにしない。
「もしかして、口がきけないのかのう……」
爺さんがおずおず私に聞いてきた。知らんがな!
「ど、……どうしたのぉ~?お嬢ちゃん。お母さんはど、……どこかな~?」
おどろおどろしい空気をぶち壊すため、思いっきり笑顔を作って聞いてみる。
すると、その少女は無表情のまま一筋の涙を流した。
涙は頬の血の上を伝ったので赤く色づき、さながら血の涙を流す菊人形状態になっている。
そういえばこの子も日本人形のような赤い着物を着ている。
「…………」
もうだめ。怖いの極地。
気を失わない自分を褒めてやりたい。いっそ夢であってくれ。悪い夢よ、早く覚めろ!
「い、行こうかの……ナニモミテナイ、ナニモ……」
お爺さんも真っ青になり、現実逃避するよう血まみれ菊人形から目を逸らしている。
私も時々やるやつだ。赤点をとった時とか。『必殺なかったこと作戦』をとるつもりなのだ。
「お爺さん、残念ながら現実だと思うよ」
「いや、何も見とらん。何も……」
ぶつぶつ言い合う私たちの前に、いつの間にか菊人形ちゃんが接近していた。
「「ぎゃ!」」
「…………」
菊人形ちゃんはぎゅっと強く私のホットパンツの裾を握った。
どうやら一緒にくるつもりらしい。
「カンベンマジカンベンマジカンベン……」
「ナムアミダブツナムアミダブツ……」
私とお爺さんはしばらくその場から離れられず、意味不明な呪文を唱えたり、お約束チックに頬をつねったり、とにかく無我夢中で菊人形ちゃんを祓う方法を考えた。しかし、どうあがいても、菊人形ちゃんはパンツの裾を離さなかった。
結局、私たちは一緒にお爺さんちに向かう事になった。
道すがら、女の子があまりに全身血まみれなので恐る恐る怪我の有無を確かめたが、彼女は無傷だった。
じゃあ……じゃあ、なんでこんなに血だらけなの?!
「…………」
菊人形ちゃんは何を聞いても何を言っても無反応だった。
時々こちらをみるけれど、すぐに視線は空を彷徨い、心ここにあらずだ。
そんな菊人形を連れてひとしきり歩くと、お爺さんの家が見えてきた。
暗いながらもわかるが今時珍しい茅葺屋根だ。
「お邪魔します!」
入ると、見渡す限りの土間。奥に小さな板の間があるが、家具類もほとんどない。原始人のお家みたいだ。……質素。質素過ぎるな……。
「お爺さん、仕事何しているの?」
「竹取り」
私も貧乏だし、貧乏馬鹿にするわけじゃないけど、貧乏過ぎる!!貧乏超えてる!!民生委員まわってきてるのかな?!てか、電気止められてるんじゃない?!
「……ごめん、電話なんてないよね」
「だから、デンワとはなんじゃ」
ナニソレ、オイシイノ?と、続く勢いで首をかしげる。
ホンマモンだ。ホンマモンのナチュラリストがここにいた。
「何か主義主張があってこういう生活しているんだよね。それも今の日本では自由だと思う」
「なんだかわからんが、ここはニホンじゃなくて倭国だがの」
お爺さんがうす暗い土間に背負い籠を置くと、奥から人影が現れた。
何せ暗くてわからなかった。
それは腰の曲がったおばあさんだった。
「あの、おばあさん、こんばんは。夜分遅くにすみません。車で事故にあってしまいまして……。今晩ここに泊めてもらえませんか?」
私は挨拶もそこそこに、初対面のおばあちゃんに宿泊を申し込んだ。
ここは痴漢の家だけど、そんなことはどうでもいい。どうしてもここに泊めてもらいたい。
もう嫌なんだ、外を歩くのは。今夜は怖すぎる思いを一生分した。
言ってないし視界に入れないようにしているけど、菊人形は背後霊のように私の背中にぴったりとくっついている。
「あんれ、まあ、なんだがお困りの事で!どうぞ、こげなむさくるしい家だけんど、泊まっていってちょうだい」
おばあちゃんは明るく、でも本当に私を心配しているような表情で、藁の円座をすすめてくれた。
お爺ちゃんはともかく、このおばあちゃんは良い人みたい。
私は「すみません、すみません」と何度も繰り返し、板の間に上がった。
一息ついて後ろを振り向くと、菊人形が黙って突っ立っている。
……しかたないなあ。
「あの、おばあちゃん、もう一人いいですか?小さいし邪魔にはならないから」
「どんぞ、どんぞ」
私は菊(以下省略)の腕をとり、板の間に座らせた。やはり全身血と泥で汚れていて、ただならぬ様相を呈している。
「おばあちゃん、拭くもの借りていいですか? 子供の着替えなんて……ないよね」
「あんれ、この童かえ?! かわいそうに、何があっただか。着替えはあるよ! ちょっと待ってな」
おばあちゃんは竹の大きな籠の中からピンクの着物を出してきた。それを濡れ手ぬぐいとともに、菊(仮)に渡した。
「これで拭いて、これを着ればええ」
優しくほほ笑む。けれど、なんで子供の着物なんて持っているんだろう。
見たところ、この質素な小屋に住むのはお爺さんとおばあちゃん二人だけのようだが。
「ああ、これかい?」
私の疑問が伝わったのか。おばあちゃんが少し寂しそうな笑顔で微笑んだ。
「古い着物じゃ。うちの死んだ娘のな、形見じゃ」
私は何も言えず、そのままおばあちゃんの次の言葉を待った。
愛娘を思い出しているであろうおばあちゃんの表情には、悲しいような、懐かしいような、判別しがたい切なさがあった。
「ずーっと昔の話じゃ。流行り病でぽっくりとな。親より先に逝くとはなんとも悪い娘じゃ」
そう呟くおばあちゃんは無理に笑顔を作っている気がして、私はやっぱり何とも言えなかった。
お爺さんは板の間の端でむこう側を向いて、横になっている。聞こえているとは思う。
「一人娘でな。この子くらいの年じゃった。二人暮らしは寂しいものでの。久しぶりのお客さんに胸が高鳴るわい」
そう言っておばあちゃんは菊の着替えを手伝った。
菊はすっかりきれいにしてもらって、ピンクの着物で板の間の端に体育座りをした。
「あんたも休みなさい。竹林から歩いたのなら疲れたじゃろう」
そう優しく目をほそめるおばあちゃんの姿が、自分が空想していた理想のおばあちゃん像と重なった。お父さんがいなくなっても優しいおばあちゃんがいてくれたら少しは楽になるのかな。存在しないエアおばあちゃんを妄想するほど、私の寂みしさはヤバイ域に達しているのかもしれない。とにかく今はこの状況でまともな人に会えて安心する。
私は遠慮なく板の間に横になった。
緊張していて今まで気付かなかったけれど、サンダルで歩いた足が痛い。心身共にクタクタだ。
人形のように無表情で固まる菊も同じ気持ちなのかもしれない。私は菊をそっと抱きしめた。
菊の体は強張っているけれど温かい。
確かな現実を懐の体温に感じながら、私は深い眠りについたのだった。