町の郷土資料館
町の古びた郷土資料館。
窓が少ない室内はどこか薄暗くひんやりしている。
私は大きなガラスケースの前でお父さんの説明を聞いていた。
「それでな、この木簡は1300年以上前のものなんだ。あ、木簡て木の板のこと。昔のメモ帳」
「へー」
私は話を聞き流しながらお父さんの横顔を眺めた。
正直あんまり内容は頭に入ってこない。
それどころではない、と言ったら正しいかもしれない。
こうしている間もお父さんと私の時間は刻々と削られている。
あとどれくらいお父さんのこの優しい声を聞いていられるのだろう、と考えると胸が苦しくなる。
お父さんは薄い生え際に汗しながら、張り切って展示物について解説する。
老朽化したこの施設はエアコンが壊れているらしい。
長袖のYシャツにスラックスのお父さんはいかにも暑そう……と、ホットパンツ&キャミの私は人ごとながら気の毒に思う。
お父さんはこの小さな資料館の学芸員をしている。
歴史が好きな父は、夢をかなえたこの職業を天職だと喜んでいた。
お給料はたぶん少ないのだろうけど、好きなことができてよかったじゃんって私は思っている。
なにせお父さんに残された時間は少ない。とにかく今は好きなことを悔いなくやって貴重な時間を過ごしてほしい。
「時代で言ったら古墳時代後期、飛鳥奈良時代くらいかな。その時の生活の様子が書かれているんだよ」
「へー」
さっきから私は「へー」しか言っていない訳だが、まったく興味がない……わけじゃない。お父さんが大好きな歴史を今更ながら真剣に勉強しようとしている。
私はこれまで学校の授業なんてろくに聞かなかった高校3年生だ。
今は卒業を控え、勉学自体がすでに過去の遺物になりつつある。しかし、あんなに嫌いだった勉強だが、もう少し頑張ってみても良かったのでは? とちょっぴり後悔する気持ちもある。お父さんが生涯を捧げた歴史という分野。少しでもその知識があれば、お父さんがいなくなってもお父さんの想いというか、思考の断片でも感じとれるのかもしれない。本当に手遅れだけどそう思う。
もっと早くからたくさん話をすればよかった。
そう、もっと早くから。
悔やんだって仕方がないけど、最初にお医者さんに病状を告げられた時はたただただ衝撃的だった。なんにも考えられなくてなんにもできず、だいぶ時間が経った今でも本質的な問題は深く心に突き刺さったままだ。
お父さんは脳に腫瘍があるという。悪性で余命半年か一年らしい。
そんなことを言われても当時は実感がなかった。
お父さんはこうして元気に働いている。そりゃ時々は治療に病院へ通うけれど、少なくとも娘の私に辛い姿を見せたことはない。
私達は父子ふたりは今までごく普通に暮らしてきた。
いつも穏やかで優しすぎる父。私は甘えて乱暴な口をきいたり、夜中まで遊びまわったり、割とやんちゃな高校生活を送ってきた。派手めな友達も多くて父には心配をかける日々だったと思う。父は一人娘が立派なギャルに育ってしまった……と頭を抱えていたが、ギャルなどという呼称は絶滅危惧種だ。自分では自身のことを、ただの陽キャ、というかちょっとパリピ成分の入った明るい女子高生と自覚している。
我が家は父子家庭なので、私が明るいお母さん役になろう、と。そんな風に振舞っていた結果、社交性モンスターののびのび少女に育っただけだ。
しかし、身寄りのない二人暮らし。
突然ひとりになる可能性もまぁあるかもしれない。そんな緊急事態は日々なんとなく覚悟はしていたものの……実際にその状況を突き付けられると、まぁ筆舌しがたい辛さだ。この感情をうまく説明できないのは私がバカだからってわけではない。単純にすごく悲しい。それ以外ないから。
私はこれから……大好きなお父さんと別れて、たった一人で生きていかなくてはならないのだ。
暗い気持ちが顔に現れてしまったらしい。
お父さんは申し訳なさそうに私に謝る。歴史の話がつまらないと誤解したようだ。
「ごめん。女子高生のルナは大昔の生活なんて興味ないかな」
「ううん。そんな事ないよ」
私は即座に否定した。
実際、聞いてみると結構面白い。
「私ずっとこの町に住んでいるでしょ。だけどあんまりこの町の歴史を知らなかったから、なんていうか新鮮」
素直に感想を述べると、お父さんはほっとした表情で笑った。
私が住むこの田舎は取り立てて何といった名物もない、どこにでもある小さな町だ。
アピールポイントと言えば『かぐや姫発祥の地』を謳っていることくらいか。
かぐや姫――竹取物語はご存知の通り、日本初のフィクションSF小説だ。
竹取物語の時代(つまり1300年くらい前)の生活がわかる資料を、この郷土資料館では展示している。貴重な品かもしれないが、正直地味だ。
実は全国でかぐや姫・縁の地に名乗りを上げている市町村はいくつもあり(本家はどこだか不明)、この町も多聞に漏れずその中の一つだ。だから、いまいちオンリーワン感が出せずにいる。
小さな古墳があって広い竹林があって……って、それ以外特筆すべきところは何もない寂れた町。
まぁ私が父と暮らした思い出深い地であることに変わりはないんだけど。
「幼稚園の頃、遠足で小さい丘に行ったよ。あれ古墳でしょ。そんなに大昔のものだとは思わなかった」
「幼稚園児じゃ古墳がどういったものなのかはわからなかっただろうな。あの古墳は王族の墓と言われている。けれど、はっきりした事はわかっていないんだ。町の予算不足で発掘調査が進んでいなくてね。一見地味な小規模円形墳なんだけれど、時代で言ったら平仮名が出来る前、つまり平安時代以前のものだ。ちょうどかぐや姫伝説があった頃だね。文字で明らかにされていない時代だからこそ、出土する品は貴重だ。当時の文化を知るために重要なキーになるすごい遺跡なんだけどなぁ」
お父さんが鼻息荒く悔しがる。
正直、歴史の面白さなんて完全にはわかりかねる。だけど、熱く語るお父さんを眺めているだけでなんだか幸せだ。私が今更ながら歴史話を真面目に聞いているのは、そこにお父さんを感じられるから。教わった歴史うんちくを思い出すたび、私はお父さんを思い出すのかもしれない。これからは。
「大昔って、まるで異世界みたいだね。私、行ってみたいかも」
「ルナみたいにかわいくて元気な子なら、どこに行ったって大人気だよ。特にかぐや姫伝説があったこの時代は女性の容姿が重視されたしね。王家に仕える条件に『容姿端正』とあったくらいだ。それに女性は意外にも活発に活動していた時代なんだよ」
「そうなの?かぐや姫って、重い十二単で引きこもりかと思ってた」
「それはイメージなんだ。この時代は唐の影響でスカートみたいな着物を着てたからとても動きやすかったろうね。わりあい公の場にも女性は出ていたとも言われている。積極的な性格も好まれたし、ルナがこの時代に行ったらモテまくるだろうな。まちがいなく姫扱いだよ」
「お姫様……か」
お姫様のような左うちわの生活が出来たらどんなに幸せか。
幸せとは言い難いわが半生を振り返り、暗澹たる気分に陥る。
――母は私が幼い頃に家を出た。理由は父がつまらない人間だったからだ、と父自身から聞いた。確かに父は歴史バカでその他のことに興味が持てない。趣味もなければ女の人を喜ばせられるタイプでもない。けれども生意気な私をいつもニコニコ大らかに育ててくれた。決して怒らない温厚な父に育てられた私は、まあ大きく道を踏み外すことも無く(マイルドにはグレたが)なんとか女子高生生活を終えようとしている。
今まで苦労をかけた分、これからいっぱい親孝行をしよう。そう、考えていた矢先だった。
お父さんの病気がわかったのは。
「……ひとりにしちゃってごめんな」
私の表情の陰りを察したのか、お父さんが申し訳なさそうに呟く。
お父さんは時々ものすごくするどい。いつもは鈍いのに。
すごくいい人。ハゲだけど。
「大丈夫だよ! 私は能天気バカだし、逞しく生きていくよ。お父さんは自分の治療のことだけ考えていて」
平気な振りをするしかない。一緒に悲しんでもお父さんが辛いだけだ。
泣くのは最後って決めている。
お父さんが安心して療養できるように、私はいつもの元気キャラでいこうって決めている。
そう思えるまで何度も布団の中で号泣したけれど、頑張れると思う、私。
「でもさ、世の中やっぱりお金だよね」
そう。保険がいくらかおりると言っても、私立病院の費用は結構な金額だ。
お父さんは大丈夫って言うけれど、今まで家計を預かってきたきた主婦兼女子高生はやっぱりお金のことが気になる。
それにこれからは自分で稼いでいかなければならない。
そんな余計な不安もあるって言えばある。
そういえば私はまともにバイトをしたことがない。以前、読者モデルとして雑誌に出ていたことはある。女にしては身長が高い私は割と街で目立つらしく、時々スカウトの人に声を掛けられた。雑誌の端っこに載るだけで少ないながらもお給料をもらったことがある。
けれども、それくらいの収入じゃこれからひとりで生きていくには到底足りない。
実は最近、あらゆるバイトをやり始めている。
コンビニ、ファミレス、居酒屋、ラーメン屋……
頑張ってみるものの、どうも長続きしない。
ドジでおっちょこちょいという以外にも生来のガサツさ、自分勝手な性格、空まわるヤル気、そもそも勉強が苦手で物覚えが悪い等、あらゆるダメ要素が詰まっている私だ。働き始めると数日でその正体が露見し、雇い主から「すまないがうちでは縁がなかったということで……」と必ず肩を叩かれる。
最初はクビになる原因さえわからなかった。
「なぜーー???」と悶える日々を過ごしている中、親友が端的に答えを教えてくれた。パーフェクトヒューマンで学級委員長の茜だ。
「ルナって無駄にヤル気と根性はあるけど協調性ゼロだからね……」。
何て言うか、私は社会性に欠けるらしい。思った事をそのまま口にする毒舌も酷いと。
彼女曰く、私は『まっすぐなガサツバカ残念美人』だ、と。呼称に美人以外プラス要素が見られない辺り、堂々ディスられていると理解してよいのだろうか。
また、それを指摘されるまで自ら気づかなかったのも性質が悪い。真剣に反省しなければこの先ひとりで社会を渡っていくことは難しいだろう。
自由でちょっとやんちゃなパリピ女子高生としての生活には終止符を打つ。これからは真面目に生きていくのだ。
真剣に自分の愚かさと向き合う私を見て、お父さんが優しく肩を叩く。
「ルナの明るい性格ならどこでもやっていけるよ」
「ありがとお父さん。好きだよ、ハゲてるけど」
「……思ったことを全て口にする癖、気を付けるんだよ……」
私は再び目の前の木簡に視線を戻した。歴史的に貴重な品かもしれないけれど、私からしたらただのぼろい木札だ。
こんな木の欠片から時代の向こうを感じるなんて、まぁなんだ。言われてみれば結構なロマンだ。想像力が乏しい私は実際その世界に行ってみないといまいち理解しきれないけど。
1300年前の世界、どんだけアメージングなんだろう。
「1300年前か……」
「ルナ、歴史に興味を持ってくれたのは嬉しいけど、そろそろ家に帰りなさい。暗くなる」
お父さんが窓の外を気にしている。もうすぐ日が暮れる。しかも、なんだか雲行きが怪しい。
「今日は車で来たから大丈夫」
「免許は取ったばかりだろう。夕暮れ時の運転は危ないぞ」
確かに三日前に免許を取り、昨日中古車が納車されたばかりだ。初めてのマイカーはちょっとギャルっぽい黒の軽自動車。
高校生最後の年は進学も考えず、自動車免許取得に勤しんだ。
それと言うのも、お父さんのところに毎日通うためだ。新しい病院は峠の上にある。
実は病院の近くにアパートを見つけて引っ越しもした。
整わない気持ちとは裏腹に、現実では着々と最期を迎える準備が進んでいる。
「お父さん、これから新しいアパートに行ってくるね。荷物を置きにいきたいの。引っ越しやさんに頼まなかった細々とした物を車に積んで行ってくる」
「一人で引っ越し準備か? 夜道は危ない。明日お父さんが手伝うよ」
「まだ夕方じゃん。暗くならないうちに行く!」
私は心配するお父さんを残して郷土資料館を後にした。
引っ越しは本当に大丈夫。大した事はない。もう大きな荷物はほとんど運びこんである。あとは雑貨類を詰めた段ボールを持って行くだけ。
アパートは『おばけ峠』の先にある。割と急な山道だ。暗くならないうちに出発したほうがいいだろう。
☆お話が佳境に入るまでどんどん更新します!良かったら最後までお付き合い下さい☆