第百四十八章 原発防衛戦
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◇
戦闘が続いていたが、両国の外務大臣がモスクワへ出向いて停戦交渉にあたることになった。捕虜の交換や遺体の返還をするためについに合意がなされたと発表される。十月十日の正午、停戦が発効する。これで一息つけるだろうと、多くの者が考えていたが、十二時五分に停戦は破られた。実に五分間だけの停戦だ。
双方とも他者が約束を破り攻撃をしてきたと非難し、自身を守るために反撃をした。翌日にはミサイルや砲弾が飛び交うことになってしまう。全くの成果なしではないものの、合意は破られ戦闘は再開されてしまう。
「それにしても、五分とはまた気が短いことだな」
マリー中佐がデスクに足を放り投げてテレビを眺めている。アルメニアテレビジョンでは聞いても言葉がわからないし、テロップも読めないので、AFP通信のニュースを衛星から受信している。
「この際、合意したぞって事実があっただけヨシなんでしょう?」
休憩時間に防衛司令部にやって来ていたレオポルド中尉が、マリー中佐の独り言に応じる。軽い感じの性格と喋りは何年たっても変わらない、かといって不真面目なわけではないが。
「一応話し合う余地はあるって示しちゃいるんだろうが、こんな状態じゃ終われないってことだな」
係争地は双方の勢力が入り乱れていて、どちらが支配しているかが不透明。中途半端ではお互い納得いく結論など出せるはずもなく、ほどなく物別れになる。
「まーたアルメニアが報道で押し負けてますね、都市部に砲撃をしただの、水力発電所にミサイルぶちこんだだの」
当初からそういうプロパガンダは圧倒的にアゼルバイジャンが強い、これはもう体制の違いとしか言えない程の差が出来ていた。いくら現場で兵が頑張っても、世論形成で負けてしまえば悪者でしかない。
「勝手に殴り合えって状況だな。そろそろ俺達の出番だということだ」
国の注意も世界の注目も、全てナゴルノカラバフでの戦いに向いてしまっている。未だにアゼルバイジャンのシリア傭兵の噂は聞こえてこない。陸戦に参加しているだろうことは解っていても、それ以外の動きがあまりにも静かすぎる。
「あちらでは准将がお楽しみらしいですが」
足音が聞こえてきて、唐突に会話に参加する。
「おう、ストーン中尉か、お疲れさん」
無人航空機を統括しているストーン中尉が、ステパナケルトへ飛ばした予備機のその後について触れる。原発周辺では現在のところ異常は起こっていない。ここがアルメニア本土であることが大きな要因だ。
「何事も無さすぎると確かに疲れます。司令もそうでは?」
もっと刺激をと笑いかける。
「知らなかったのか、俺は平和をこよなく愛する男だぞ」
ストーン中尉はレオポルド中尉と目を合わせて「自分は平和の意味を今まで間違って解釈していたようです」冷蔵庫からビールを一本取り出す。
「ま、どっちもどっちってことで。ここにはたったの一人しか常識人が居なかったというのでは?」
「そいつは少なくともレオポルドじゃないぞ。まあ俺でもストーンでもなさそうだが」
声を合わせて笑う。これぞ島が長年培ってきた、戦友の居場所という奴だ。笑顔が絶えないアットホームな職場、ほぼほぼイコールブラックというのは世界共通の要注意事項といえる。
「自分なら見通しが効く東の山中と、だだっぴろい南を疾走してロケットで一撃を狙いますが」
唐突にストーン中尉が攻撃の方法を示す。ふむ、と目を閉じてそれがどれくらいの効果を発揮するかを想像する。
「んじゃ、北の山地と真東、真南からモーターの追加で」
両立可能、二人の中尉が示した方法で一瞬の隙を衝いてくると仮定する。
「そこにUAVだのドローンだのが増えて、トラックの荷台から突如重砲が火を噴いて、ついでにアッラーアクバルと狂信者が突撃をしてくるわけか。賑やかなパーティだな」
それらが同時多発に押し寄せて来た時、全てを完璧に防ぐことが出来るだろうか。出来ないとは言わないが、一カ所だけでも不幸が重なり攻撃を通してしまう可能性は充分にあった。
「一つずつ確実に対処すりゃいいさ。でも子供がロケットを担いで接近してきたら、撃てるかはわからねぇな」
テロリストが少年兵を使うことは予測できる。アルジェリアでもイエメンでも、アフリカではむしろ当然のように子供が争いに利用されている。強敵が相手ならば幾らでも戦えるが、そういったのが実際に目の前に現れると、躊躇なく対処できるかは微妙だ。それを弱さというならばそれまでだが、指揮官として心を決めておかなければならない。
「その時は俺が命令するさ」
――戦うことしかできない武装集団だというのに、それすら出来ないということにはならんぞ!
コンゴのゴマで二級市民を相手にした時に怖じ気付いてしまったことを思い出す。あの時はエスコーラが居たから代わりになってくれたが、彼らはここにいない。いたとしてもその役目を代わってもらうわけにはいかない。
戦争で人を殺すことはある、あるが基本マリー中佐は善良だ。良心の呵責に耐えきれないだろう事態に遭遇した時、自身の心を殺してでも任務を全うさせるだろう。その後は身を引いてしまうかも知れないが。
相手を殺さなければ自分が殺される、わかってはいても子供を……と割り切ることが出来る気がしない。
「現場の事は、担当の指揮官に任せてくれれば結構です。南部は自分の守備範囲ですからね」
ストーン中尉が引き受けると公言する。彼とて何の逡巡も無いわけではない、だが誰か一人に負わせることでもないと言い切った。情けないとは解っていても、マリー中佐はそれ以上何も言うことが出来なかった。
それから七日、二度目の停戦合意がなされた。人道的な停戦合意という名目を大きく主張して、アメリカとロシア、それにヨーロッパからはフランスが代表して間を取り持った。十月十七日に布告され、十八日午前零時に発効すると。
緊張した停戦時間、真夜中なのでこれで安心して眠ることが出来ると、目を閉じた兵士は一人もいなかった。開戦時に大進撃があった北部方面で、アゼルバイジャン軍がロケット攻撃を行ったと声をあげる。攻撃を受けたなら反撃をする、至極当たり前の結果になりアルメニアからもまた砲弾が飛んでいく。
朝焼けと共に沈静化するかと思いきや、攻撃機が出撃して地上攻撃を行う。一方ではそのスホーイを撃墜したと発表し、他方ではそれを否定する。アメリカもロシアもうんざりしてしまうような泥沼。なお今回は零時四分に停戦合意が破られたとのことで、記録を更新した。
アルメニア本土から離れている地域で双方激しく交戦して、一進一退を繰り返す。今回の限定戦争では動きを見せなかったアゼルバイジャンの飛び地、ナヒチェヴァン自治共和国でアルメニアの無人航空機を領内で撃墜したと発表があった。だがそれも直ぐに否定されてしまう。
「中佐、戦火が近づいてきました」
ドゥリー大尉が最前線からはかなり離れた原発にも、戦いの気配が近づいていると指摘する。実際に音が聞こえたり姿が見えたりしているわけではない。
「市街地であまり人が出歩かなくなったな」
明瞭な返答をせずにあった変化について少しだけ触れておく。劣勢が伝えられるばかりの戦争が自国で起きている、気分良く外出するようなことは少なくなるだろう。
「警察中隊が前線付近に移動させられています。動員兵が地元の警備に増員されているようですが」
準軍事組織である警察は、戦争が始まれば軍の麾下に組み込まれる。組織的運用が可能で統率が取れているので、第二線と呼ばれる、前線を臨める地域で背中を守る役目に充てられることが多い。
そうなると引き抜かれた地域の治安が悪化する、今度はそこへ予備兵として動員された部隊を送り込む。留守番の警察官が、予備兵を指揮してパトロールを行う。ようは人員のスライドを行うのだ。
「ま、こちらが良い顔をされてないことは知ってるさ」
得体の知れない外国人勢力、それが我が物顔で重要な場所を占めている。戦時になり親戚知人が危険と隣り合わせになれば、部外者を見付ければ警戒をする。ましてやそれが武力を持っているならば真っ先に目をつけるだろう。
「大尉、キラク上級曹長より通信です」
防衛司令部の通信兵がドゥリー大尉の先任下士官から連絡があると告げる。現在待機中なので司令部に詰めているが、キラク上級曹長は自発的に司令部警備に参加していた。
「俺だ、どうしたキラク」
「大尉殿、大通りの検問にアルメニア軍がやって来ていて、司令と面会をしたいと言ってきています。殴り合い希望の聞き間違いじゃないかと思う雰囲気ですが」
漏れ聞こえてくる話に、ドゥリー大尉はどうするかと視線でマリー中佐に問いかける。
「無視も出来んだろ、ここに案内するんだ」
即座に承知されたので「キラク、防衛司令部に連れて来い。ただしゆっくりとだ」一言添えておくのを忘れない。何事にも準備する時間は必要だ、それも出来れば相手は少なく自分達は多くの差が。
「ストーン中尉に近隣の状況を偵察させろ、バスター大尉は防衛司令部で待機、まさかを警戒しておけよ。ビダ、ついてこい」
「スィン!」
いつも気合十分のお気に入りに声をかける、ドゥリー大尉にもついてくるように言うと指揮所を出る。応接室という名の小部屋に場所を移すと、特に戦闘力が高い兵を選んでビダ先任上級曹長が護衛に就く。恐ろしいのは敵ではない、味方のふりをしているやつらだ。
バリケードがあるなどなんだのと、適当なことを言いながら時間をかけてキラク上級曹長がアルメニア軍を防衛司令部へと招いき入れる。軍用車両を停めた後に気づくが、クァトロの装甲戦闘車両の一部が正面入り口をいつでも射撃可能な位置に待機している。
それもアルメニア軍の主力戦車T-72や、虎の子のT-80を撃破可能なストライカーM-SHORAD機動型近距離防空装甲戦闘車が。対地ミサイルでヘルファイア二連装を、対空でスティンガー四連装を、装甲が薄ければ中央の三十ミリ砲が威力を発揮する。
そんな最新兵器があるとは思っていなかったようで、あちこちをキョロキョロと盗み見ようとする。通りの先にもLAV-300六輪軽装甲車がちらりと姿を現す。どれもこれもアメリカ軍仕様でルワンダ国旗が塗装されていた。特徴的なのはどの車両にも必ず一つは対空装備をしていることで、作戦目的に沿った改造がされていることだった。
キラク上級曹長に先導されて応接室へとやって来る。隊長だろう将校に副官らしきやつ、警察の制服の指揮官が一人に、その副官、軍の下士官が一人という五人が入室した。
襟章を見る、大佐に中尉、警察大尉に警察少尉補、曹長だ。マリー中佐が先に敬礼する。
「当部隊の司令でマリー中佐です」
ロシア語が不明なので英語で申告した。高級将校の常で、英語を理解していた大佐が応じる。
「アルメニア軍アララト地区司令官サルキシャン大佐だ。随分と物々しいようだが」
サルキシャンといえば兄弟そろって西暦二千年前後に首相になった名門の姓で、ここアララト地区の政治家を輩出している政党の党首とも同じ。何らかの背景を持っている軍人だということにマリー中佐は即座に気づけた、予習のお陰だ。
「現在アルメニアが紛争真っ最中ですので、厳戒態勢を敷いております」
誰の為だと言わんばかりのことではあるが、感情を表に出さずにそう返答した。地元で大きな顔をされて面白くない、きっとそんなところだろうと見ている。
「外国人が何の目的で来たか知らんが、お前達のせいで市民が迷惑をしている。ここから立ち去れ」
思っていたよりもストレートにヘイトを向けて来たので、それはそれでやりやすいと心中でだけ笑う。
「任務中ですので出来ません。エレバンの司令部からの命令が無い限り、我々はこの地を防衛します」
教える義理はないが、隠しているわけでもないのでエレバンに司令部があることを明かしてしまう。こういうやからの相手は上でやってくれと。
「この地区の司令官は俺だ」
「自分は大佐殿の指揮下にありません」
真っ向否定するとサルキシャンが一歩前に出てマリー中佐を睨みつける。お互い手を出すことはない。
「ムクルチアン警察大尉です。市民から黒い服装の男から強盗を受けたと通報がありました。調査をさせていただきたいのですが」
普通ならば兵がそういうことをしたかも知れないと一瞬でも考えるはずだ、だがマリー中佐は即答した。
「断る。部隊にはそのような将兵は一人もいない」
階級をかさにして強気で断言する、ロシアではよくあること。しかしこの場ではサルキシャン大佐こそが最高階級だ。
「中佐、確実なことではないのに言い切るとはどういう了見だ」
「お言葉ですが大佐、何度でもいわせていただきます、誰一人そのようなことをする者はいません。もしそのような者が居れば自分が責任を取ります」
部下に責任を取らせるならば銃殺でも何でもさせることがあるが、中佐が責任を取るなど想定外も良いところだった。その論法で行けばもし誰も該当者がいなければ、大佐が責任を取ることになってしまう。少し逡巡すると「目星がつき次第犯人は引き渡して貰う。大尉、戻るぞ」ことを有耶無耶にして応接室を出て行ってしまう。尻尾を巻いて逃げたとはこれだろう。
来る時とは違い、建物の上に狙撃兵、上空にはドローン、路地には軽車両、交差点には装甲車が位置していて緊張しながら中心街へと走って行った。決してトリガーに指など掛けないようにと厳命されながら。
防衛司令部では、やれやれと腰に手を当ててため息をつく。アゼルバイジャン相手に上手く行かないものだから、不安が募っていたのだろう。いずれにしてもあまり良い流れではないとマリー中佐はあれこれと考えを巡らせていた。
◆
アララト地区の南部、丁度アララト山とトルコの接しているあたり、国境としてはアラス河が目印になっている。ここは緩衝地帯のひとつで細長くトルコ領が伸びていて、ナヒチェヴァン自治共和国と接触してる、アルメニアと直接イランが地続きにならないようにトルコが割って入っている立地。
トルコの領土の幅はわずか二キロメートルしかないので、抜けようと思えば地上でも上空でもあっという間だ。そんな国境近くの入り組んだ場所に住んでいるのは、国土の中央に暮らすことが出来ないような少数民族だと相場が決まっている。
官憲の手も入りづらく、これといった価値もない土地だ、いわゆる見捨てられた地とほど近い。農場がありアラス河から水を引いて畑を作り暮らしている者達が居た。造成された畑は四角く区切られていて、ある時ここを開発したというのが分かる。
「余計な気を起こすなよ、人質がどうなるかはお前達次第だ」
四十代のひげ面の男が、茶褐色の肌の農夫らに高圧的に言いつける。ひげ面は黒っぽい上下の服を着ていて、肩から小銃を提げていた。目が淀んでいるように見える、まるで薬物依存症のように。
「いつまでこんなことを続ける気だ?」
老人がひげ面に向かって詰問口調で抗議をする、この農場の代表者でデミルシュ。不当な扱いを受けるのは今に始まったことではないが、明らかな犯罪者に強要されるのは流石にこれが初めてだった。ひげ面は数十人規模で突然現れて、集落の全ての家に押し入り住民を一カ所に集めると取り囲んでしまった。
男は隔離して、女子供を人質にして手駒のように使っている。対応はデミルシュに預けて、男衆は黙って従っている。
「この世が正常化されるその日までだ。逆らいたければ逆らえばいい、だが救われることはない」
「世の正常化とはなんだ」
目的がわからなければどうにもならない、どうにもアゼルバイジャンの兵士ではなさそうだくらいしか想像がつかない。収穫物を入れて置く倉庫に、随分と荷物を運びこんでいるが中身は不明の木箱ばかり。
「クァルーンの下での平等な世界だ。世界には人が増えすぎたとは思わないか?」
その一言で狂信者だと確信する、デミルシュは最早逃れられない泥沼に巻き込まれたことを知った。正常化の際には間違いなく集落全体も無事では済まないことになっている。
「……次はどうしたらいい」
「種類は何でもいい、手段も問わん、車を集めて来い。百台だ、一台足りないごとに一人殺す。期限は今夜二十四時だ」
「無理だ! いくら買い集めてもそれ以上の時間が掛かる!」
金については後払いとしておけばどうにか出来るかも知れないが、手続きや突然多数の注文をしたら引き渡しを警戒されてしまう。ひげ面は歪んだ笑みを浮かべる。
「手に入れる方法は他にもあるだろう、俺を失望させるなよ」
盗んで来い、或いは奪って来いと示唆している。デミルシュはこいつらが数十人だと見ていたが、百台求めるならばそれ以上いるのだろうと考えを改めた。隙を衝いて蜂起すれば打倒は出来ないまでも、女子供を逃がす位は出来るかも知れないと思っていたのに。
「……やるしかない、ということか」
「そうだ、アッラーは見ておられる。この世に平等な世界が創造されることを待っておられる! アッラーアクバル!」
心地よさそうに大声で笑う、男衆が農場の一画に集まりどうすべきか額を寄せた。一様に顔色が悪く絶望を感じてしまっているのが見えた。
「長老、一体どうしたら?」
若い男が最愛の妻を奪われて、膝をつく。こんなことならば戦争が始まった時に逃げてしまえば良かったと呟きながら。
「今は言われたことをするしか無かろう……」
「けど百台もどうやって! 盗むにしても直ぐに捕まっちまいますよ!」
戦時下であっても警察は働いている。むしろ平時よりも必死になってあちこちを見まわていた、制服警官と軍服組が混合で。もし抵抗でもしようものなら発砲される可能性が大きい、何せ統制が取れているかも怪しい予備兵が動員されているのだから。
誰一人声が出ない、しかし時間は刻一刻と流れていく。
「いずれ破綻するのは目に見えている。長老、あの方に助力を願ってみては?」
三十歳前後の男が進み出ると提案を持ち出す。眉を寄せてデミルシュ長老は唸る。
「なあアヤーブ、あの方って誰だ?」
長老の目は余計なことを喋るなだった、だがアヤーブはその目をじっと見つめ返して「ルワンダ軍のイーリヤ将軍だ。クルド語を理解して、シリアのクルド人を助けた男だ」島が語っていたことをここで知らせる。
「クルド系ルワンダ人なのか?」
「いや違う、あれは東洋人に見えた。シリアに住んでいる又従兄弟に聞いたが、シリア民兵会議ってのが出来上がって、随分と活躍したらしい。その一員だったんだろう」
クルド人のネットワークはユダヤ人同様に強固で世界中に張り巡らされている、華僑のようにわざと親類で別々の場所に居所を散らすなどをしているのだ。同族意識が強い、国家を持たない最大の民族と言われているだけのことはある。
「アヤーブ、勝手な想像で皆を危険に陥れてしまうのは避けるべきだ」
「もう充分危険です! あいつら脅しじゃなく、本当に人質を……家族を殺すつもりですよ!」
それこそ、そんなことはしないと言い返すことが出来ない。優しく微笑んで許したり、謝罪して立ち去るような姿が全く想像出来なかった。
「長老!」
その話を聞いた皆がデミルシュへ迫る、要求を飲んだとしてもきっと未来はひらけない。目を閉じてどうすべきかを思案する、決めなければならない、多くの者の未来を背負って。
「……アヤーブ、イーリヤ将軍に協力を仰ぎに直ぐに向かえ」
「わかった!」
「半数はエレバンへ出てレンタカーなりを手にしてくるんだ。残りは夜に戦えるように、あちこちに武器を潜ませる準備をするぞ。もし助力を得られずとも女子供は必ず生かす、我等の命ぐらいくれてやる!」
既に時計は十五時を過ぎている、元から達成できるはずもない無理難題を吹っ掛けられているような気がしてならなかった。散っていく男衆の中で一人、唇を震わせておどおどしながら走っていく者がいる。そいつは自分の家ではなく、あのひげ面が居る家へと向かっていた。
◇
時は少し遡る。倉庫からナイルホテルへと戻って来る。今度は二階も三階も含めて全てを借り上げてしまうと、ブカニャン上級大将らと合同して居座った。支配人が上級大将を見て驚く、ここステパナケルトでは顔が効くらしい。より直接的に、支配人が兵役についていた時に、ナゴルノカラバフの司令官だったのが当時のブカニャン大将だったそうだ。
生活の心配は一切せずに、速成講座で老兵にドローンなどの操作方法を日夜仕込んでいく。孫も同様の年齢の特技兵の話を、真面目な顔で頷いて聞く姿は真剣そのもの。整備や調整の方法はレクチャー不要で、飛行することと、攻撃することだけを繰り返し教え込む。
ブカニャン上級大将の顔利きで、市内のマンションの屋上二か所にレーダーを設置させて貰えることになった。これがなければホテルの防空能力が低くなってしまう。最悪ホテル屋上一カ所だけでも良かったが、最高の備えをすることが出来た。
増設用の資材は、防衛司令部からヘキサドローンを使って運ばせることにしたら、一日で機材が揃ってしまう。山頂だろうとどこだろうと、速やかに物資を補給できるのは心強いことだ。青空駐車場の外側に雑多なフェンスを作り、そこにシートを張り巡らせて外から見えないようにする。その際にはクリーム色を使うことで、建物の外壁かのような偽装を行う。
駐車場では近隣に迷惑承知で、一日中エンジンをかけっぱなしで二台のハンヴィーM1151が対空機銃に給電を行いながら、レーダーリンクを実施している。市街地への砲撃で一瞬でも停電が起こると情報にズレが生じてしまう、それが命取りになりかねない。なにせここは戦場だ。近隣住民は文句ひとつ言わずに、夜間の騒音を許容してくれた。二十ミリ対空機銃とスティンガーで備えている。
「目標は補給部隊ですので、これらのいずれかになります」
クァトロの上等兵が英語で退役軍曹らに丁寧な言葉づかいで方針を説明する。それを聞いて、退役大尉がアルメニア語に翻訳して言い聞かせた。理解に齟齬が出ないように、ロシア軍の通訳大尉が、それに続いてロシア語にする。時間は余計にかかるが、嫌な顔一つせずにその都度頷いては知識を受け取ろうとした。
「日中では目視されるので、暗夜攻撃となりますが、不都合が幾つか。特に重大な問題が、カメラで地上が把握しづらく、飛行位置を失うことです」
赤外線を使えば探知されてしまうので、直前でしか使用できない。真っ暗というわけではないが、視界不良で慣れない画面、操作をしながら居場所を常に把握しろというのは酷なことだろう。退役軍曹が挙手して発言する。
「北と東への高速道路沿いならば、赤外線なしの真っ暗闇でも距離を間違えはせんよ。なにせここで暮らして六十年だ」
「俺も周辺の軍が駐屯できるだけの平地なら頭の中に地図がある、見失いなどせん」
地元の利を最大限に発揮できる見込みに上等兵が感心した。攻撃直前まで迷子にならず、敵に察知されもしないならばステルス機能搭載と表現しても良い位だ。ほんの一秒以下だけでも光が見えれば、何処にいるか感覚を戻せるとも言っていたので、大いに利用しようと頷く。
「目的は物資の破壊ですが、小型のミサイルならば車両も破壊できるでしょう。体当たりの場合は爆発炎上する薬剤も搭載します」
最大積載量ギリギリまで、薬剤もつむことで威力を求めた。その分運動性や航続距離が犠牲になるが、片道なうえ暗夜の奇襲ならば気にならない。
「GAZ-66とウラル-4320以外の車は狙うな。物資の堆積所は絶対に破壊するぞ」
アゼルバイジャン軍の輸送トラック、シルエットだけでも判別可能だとやるべきことをきっちりと理解していることを言葉にした。大戦果が欲しくて戦闘車を目標にする若い兵が多いが、彼らはしっかりと戦争というものを知っているようだった。
退役した将兵ら、体力こそ失ってしまっているが、その集中力は年齢が進むとともに研ぎ澄まされているようだ。そんなやり取りをチラッと見てから、ロマノフスキー准将は別室のブカニャン上級大将のところへ向かう。
「閣下、もうすぐ実戦ということになりそうです」
兵器の提供と技術の供与、環境を整えるのがクァトロの役目だと決め一線を引いている。異常なことだと知りつつ、ブカニャン上級大将もそれを指摘しない。
「老兵の使い道があって良かったと思っているよ。貴官の上官にはいずれ会って感謝を述べたいと思っている」
矍鑠とした態度、今までのどこの将官よりも威厳が感じられた。それは同じ軍人だからだろうか、どこかウズベク軍の司令官と重なる雰囲気を見て取る。
「ボスはきっと喜んで会ってくれるはずです」
下級の者がそのように上位の者の意思を勝手に返答してしまう、叱責されてしかるべき行為だ。だというのに何の迷いもなく即答した、ブカニャンは信頼関係が築けているのだなと理解した。
「ふむ。実戦を行うにあたり交戦権を得るべきと考える。我等アルメニア軍退役者は、これよりステパナケルトの盾を名乗ることにする。これは市を防衛する自発的な民間武装勢力の一つで、準軍事組織として臨時でアルメニア国防省の機関的麾下に加えられる存在と定義する」
いつもの民兵団、今まではクァトロでそういった組織編制の手助けをしてきていたが、ブカニャンはそれら全てを自身の手で行った。電話を使ってだろう、承認を得ていることも明らかにする。
「最近の盾は守るだけではないことを知らしめてやりましょう。戦術ドローンに対空小型ミサイルを装備させ、制空機としての役割を与えました。それとは別にUAVには爆薬を、対地攻撃用ドローン群にも誘導ミサイルを搭載済です。編隊航行アプリによるギャザリングで、一人が一個飛行小隊を運用可能です」
クルーガー博士の開発したギャザリングアプリ、これにより消耗量は果てしなく大きくなってしまうが、多数のドローンを同時に運用することが出来るようになった。一つずつ切り離して操作することも可能で、その間は残りの機体が周遊飛行し、回避行動を群れで行う。いずれにしても操作は音声でも切り替え可能になっている。
「戦争の形態は常々変化をしているが、本質的に他者を害するという部分に変わりはないな。それは国境も同じだ、そこに相いれない存在があるから、大昔からそこに国境が引かれている」
良い得て妙な表現だとつい同意してしまう。熟練した司令官とは、その思考が政治家のそれと軸を同じくしていくというのは本当らしい。
「これは自分の妄執なのです。守るべき故郷を仲間を失ったことがある、その過去が忘れられずにいることへの」
島相手にすらこうまで心情を言葉にしたことが無い、だというのに今は聞いて貰いたい気持ちが強くなっていた。ブカニャンは一人の年長者として表情を和らげて応えてやる。
「たどり着ける答えが無かったとしても、いつまでも想いを抱いてられるのはある種の幸運といえるよ。悪は際限なく振りまかれ、その迷いを一つの出来事にさせてしまうものだ」
老人は言う、最悪はいつしか更なる最悪によって塗り替えられていくと。それがなされていないのはひとえに幸運だ、悟りなどせずとも良い。ブカニャンは子弟に接するかのように説いた。ロマノフスキーはじっとその目を見つめ続ける、なるほどより悪い事態は常に回避し続けてきていたと納得する。
「夜間の作戦行動前にお迎えに上がります!」
敬礼すると部屋を出ていく。これからも誰かの最悪を防ぎ続けることが出来るだろうか、と自問しながら。
11
◇
太陽が傾いて斜めに光が差し込んで来る。大昔と表すにはそこまで時間が経っていないが、八時五時という表現があったのを思い出す。
「今日の仕事はこの位にしておくか」
島は書類をデスクの脇に寄せると、飲みかけのコーヒーに手を運んだ。実はブラックはあまり好きではない、甘みは無くても良いがミルクはたっぷりのものがより良いと信じている。異論があれば大いに認めるところだろうが。
「お疲れ様でした。本日最後の報告ですがよろしいでしょうか?」
サルミエ少佐が伝えても伝えなくてもどちらでも良いと判断して後回しになっていた何か、それを今聞いても後にしてもこれといって良くも悪くも変わらない。それでいてそのうち報告する必要はある、それが何かを軽く考えてみて、これといった想像も出来ずに「なんだ」結果聞いてみることにした。
「ロマノフスキー准将からの戦果報告です」
「ほう、戦果ときたか。あいつは随分と楽しんでいるようだな」
――問題のナゴルノカラバフど真ん中、本当にあいつに相応しい場所だと思うよ。
かといって直接戦うのを禁止したので自力戦果ではない、現地の軍を指導したのか、それともまた民兵団でも立ちあげたのか。全部かも知れないと小さく口の端を吊り上げる。
「武装民兵団ステパナケルトの盾。准将は兵器の供与と助言を行っているとのことです。団長はブカニャン退役上級大将です」
「上級大将だって? ふむ、許容範囲での行動で大変結構だ」
「こちらが確認戦果です、どうぞ」
いつものように紙で島に手渡す。どこまできても電子化された物よりも紙が馴染むらしく、ずっとそうやってきた。効率化はしても節約をするつもりはないらしく、従来のままという部分が沢山見受けられた。
――GAZ-66が四両大破、ウラル-4320が七両中破、同車両に積載の物資を破壊。物資堆積所二カ所を攻撃、戦闘物資を七日分程度は使い物にならなくした、か。精鋭の特殊潜入部隊なら祝杯ものだな。一気にそれだけ物資を失えば、前線部隊は補給に不安を持って後続が入るまで二日や三日は待機するだろう。
島は何が起こり得るかを考えた。アゼルバイジャンにとって今回の争いはいわゆる勝ち戦だ、一部の前線地帯でだけ大きな危険を引き受けることなどない、安全を担保するべきだと指揮官が判断する可能性が極めて高い。名称から主都防衛部隊なのだろうから、突然の制圧を二日遅らせたというのは褒められて良い戦果になる。
「武装民兵団だけの作戦ではないんだろ?」
「こちらはドローンによる遠隔攻撃の戦果です。操作をしたのはステパナケルトの盾に所属する、退役軍人らの十六名。もっともそれで全員のようですが」
「そ、そうか」
何とも言えない事実を突きつけられてしまい、それ以上言葉を発せなかった。ドローンが鍵になるとか言っていたのは自分だというのに、いざこうだと示されるとやはり甘く見ていたんだなと反省する。使い方次第でどうとでも化けるし、普段から警戒していないといきなり現れてドカンなんてことになりかねない。部屋の片隅でエーン大佐が耳をピクピクさせて聞き入っていた。
「防衛司令部から予備機体を補充し、再度攻撃を仕掛ける予定のようです。何か命令を出しますか?」
「そうだな、予備機体ってのが減るのは良いが、マリーのところで使う時に足りないではあまりにお粗末だ。適当に積み増しをしてやれ」
「畏まりました、七十二時間以内に補給を完了させます」
他所から買い付けて、アルメニアに輸入して、それを届けるまでが七十二時間は短い。だがサルミエ少佐がそう言ったからには何とか出来るのだろうと聞き流す。
さて、と島が席を立とうとした時にエーン大佐が部屋の端から歩み寄って来る。ドローンについての話かともう一度座って前を向く。
「どうした」
「閣下、ホテルのロビーにアヤーブと名乗る者がやってきております。デミルシュと共に居た男が」
「あいつか、俺に話があるんだろ、ここに通せ」
「ヤ」
襟元につけているマイクで部下に命令をする、程なくして軍曹に付き添われてスイートルームへと上がって来た。落ち着きがない男ではなかったのに、何かそういった雰囲気が伝わってくる。
「今日は一人か?」
牽制とばかりに島が話しかけた。個人的な志願をしに来たわけではないのは直ぐに感じ取れた、どうせ切羽詰まっているんだろうと話を促す。
「アヤーブと言います。長老の指示でイーリヤ将軍にお願いをしに来ました」
真剣だ、それを茶化すつもりはない。
「聞こう」
「我々はアララト山脈の麓で農耕をして生活をしています。そこへ侵略者が現れました、アッラーを信奉するもコーラン至上主義の過激派でした。女子供を人質にとり、今日中に車を百台調達して来いと脅されてしまい危険を感じこうして――」
言いづらそうにやや早口でロシア語を喋る。何せ以前のことがある、助力を拒否したのは自分たちなのにこんな都合の良いことを。
「そいつらのことをもう少し詳しく教えてくれ」
「四十人位で集落に入って来て、黒っぽい服装、小銃で武装していてひげ面、目は焦点があってないように曇っていて『クァルーンの下での平等な世界』を求めると口にしていたりも」
その台詞を耳にするとピンときた。そしてそんな少人数ではない、他にも隠れているだろうとまで推察する。
「あいつらか。今日中とは具体的には」
「本日一杯、つまり二十四時です。集落では戦う準備をしているはずですが、我々だけでは敵わないでしょう。助けてはいただけないでしょうか、お願いします!」
その場で膝をつくと両手を伸ばしてメッカへ向かうかのようにして拝礼した。サルミエ少佐はそれを冷淡に見据えている、きっと腹立たしいやつ位に捉えているだろう。
「サルミエ、マリーに戦闘前待機を命じろ」
「ウィ モンジェネラル!」
すぐさま通信機を手にして防衛司令部と連絡を取り始める。アヤーブが顔をあげた、その表情は懐疑的だ。
「あのような無礼な態度をとったのに、どうして?」
「私はもう、自分が信じた正義を曲げないと決めているからだ。平穏を乱すテロリストに好き勝手などさせん」
確固たる意志を知らしめる。他者がどうなどという理由は必要ない、島がそうだと信じればそれが全て。誰かの責任になどしない、己の判断一つで全てを失おうと恨み言を吐くつもりもない。アヤーブは助けてくれと頼みにきたのに、いざ了承されると何も言葉が出なかった。
「エーン、アメリカ軍から当該地の衛星情報を引いておけ。本部の将校にも待機を発令だ」
「ヴェルスタァン ミェステァ!」
来るべき時が来た、エーン大佐は自身の部屋へと速足で戻る。すると出たと同時に代わりにオルダ大尉がやって来て、警備を引き継ぐ。南アフリカからやって来て、プレトリアス族の親衛隊を指揮する若者は未だに二十一歳。多くの部族兵の命を預かることが出来るのは、その出自に他ならない。
「アヤーブ、アルメニアのロビーで協力してくれそうなやつはいないか?」
「保健衛生大臣の側近に一人居ます、大臣もクルド人寄りなので話は聞いてくれるはずです」
閣僚へのアクセスが出来るならば、後はロシアとアメリカの国務省がどうとでも後押ししてくれる、今だけを加速してくれたら充分だ。
「今すぐに庁舎へ向かう」
立ち上がると掛けてあった軍帽を被る。常で部屋を出る前に六十秒ほど空白を作る、すると廊下で親衛隊が整列していた。あまりさっさと出てしまうと、エーン大佐の訓示で親衛隊の自由が厳しく制限されてしまうから。
◇
エレバン西部にある防衛司令部で警報が鳴り響く。休憩中の者も、非番だった兵も全てが招集させられて各部隊の先任下士官に点呼を受けた。倉庫にしまわれている車両もその全てを駐機場に出して、ガソリンや銃弾の補給チェックをする。
防衛司令部指揮所にマリー中佐を始めとした、主要な者が集まる。現場の指揮官を全てとはいかないので、各レーダー基地に居るマスカントリンク大尉たち、フォートスター組の三大尉はそのままだ。原発防衛の現場指揮官としてハマダ大尉もその場に残るようにさせている。
「司令、総員待機を実施。武装チェック完了です!」
防衛司令部の三席であるドゥリー大尉が、不在の次席であるブッフバルト少佐に代わって報告をあげる。防衛司令部イコール戦闘団司令部なので、指揮権はマリー中佐、ブッフバルト少佐、ドゥリー大尉、そしてストーン中尉のラインが構築されていた。
ハマダ大尉やバスター大尉は司令として部隊を指揮する将来を求められていない。当人らもそれは承知で在籍している、自分に出来ることを精一杯しようと。
「喜べ、ボスから戦闘前待機命令が下った。何が起こるかはわからんがひと騒動あるのだけは間違いない」
既に戦争は起こっていて、これ以上どうなるのかはわからない。それでも無意味に待機命令を出すはずもないので、準備は全て終わらせている。訓練だと言われてもそれはそれでいいが、きっとそうはならないと直感が告げていた。
「せっかくここまでやって来て、手ぶらで帰るのは寂しいですからね」
おどけてレオポルド中尉が茶化す、それを叱責する者は居なかった。やることさえやっていれば、その位のことは笑って受け流すだけのこと。
「何か動きがあるかも知れないと、ブナ=マキマ大尉に周辺の偵察を強化するようにさせてきた」
「トゥツァ少佐に防空範囲外のことは一任する」
レーダー基地の防衛責任者、本丸と言える原発周辺の防御はクァトロ直属が、周辺はトゥツァ少佐の民兵団が引き受けている。やはりトゥツァ少佐も戦闘団司令部に所属していないので、指揮権の継承からは外されていた。
「AH-6キラーエッグ、UH-60ブラックホークは共にIRセンサーや高性能電磁波センサーを搭載しているので、夜間でもジャングルでも捜索可能になっています」
モネ大尉とトリスタン大尉が操縦する機体について申告した。空中機動歩兵用のヘリは別に運用しているが、こちらは攻撃能力有りの戦闘用。
「ドローンが邪魔にならないように、位置関係について再度確認をしておけ」
今回の新しい要素について、余計な失敗をしないように慎重に扱うように釘をさしておく。事前に友軍シグナルと、有人航空機優先の設定はしてあるが、やってみないことには何とも確信が持てない。訓練ではうまく行っていたが、妨害電波や爆発が相次ぐ中では乱れが出ないかどうか。
通信兵が短くやり取りをするとマリー中佐に「イーリヤ司令官からです」ヘッドフォンを差し出して来る。
「マリーです」
「俺だ。ルワンダ派遣軍は本日二十二時より、国防大臣からアララト地区における治安維持行動におる執行権限を付与される。ただしメツァモール原発防衛以外の優先権は軍管区司令部だ」
「ということは司法警察員としての権限も有していると?」
「そうだ。ルワンダ派遣軍はアララト地区のクルド人村落代表デミルシュの治安維持要請を受理した。マリー司令は本日二十四時を執行開始期限とし、当該地の治安を回復せよ。住民のアヤーブを案内役としてそちらに送った。敵は共産革命人民解放戦線のムジャヒディンだ、一人残らずアッラーの元へ送ってやれ」
チラッと時計を見ると、既に二十一時も半ば過ぎを指している。場所にもよるがアララト地区の端から端までは百キロそこそこだったはずと頭をよぎった。
「なんともそそられる内容の命令で心が躍ります」
「だがお前の本来任務は原発の防衛だということを忘れるな。横やりが入らないように、俺はエレバンで後方支援を行う。そちらは任せるぞマリー」
「ダコール コマンダンテアルメデクペディション!」
――ここを守っているだけでは話にならんということだ。村落ということは歩兵戦になる可能性が大、距離があれば足が遅い車両は外すべきだ。
見えるはずもないのに、マリー中佐は派遣軍司令官へ敬礼してヘッドフォンを返す。瞬時にどの部隊を使うべきかを組み立ててしまう。指揮所の中に、サイード中尉とアサド先任上級曹長が見知らぬ男を連れたやって来た。車を飛ばして来たら十分ほどでたどり着ける、妥当なところだろうか。
「アヤーブ氏を連れてきました」
「ご苦労。それでサイード中尉らは?」
「急に手勢が減ったら守りが薄くなるだろうと、ボスがこちらで司令の護衛に就けと。直ぐに部隊も到着します」
その代わり総司令部の守りが薄くなるが、今回に限れば首都のホテルや政府庁舎を攻撃してくるはずもないので親衛隊が居れば問題ない。何かあったとしてもエーン大佐が防ぐだろう。アヤーブから村落の状況を聴取して方針を決める。
「序列を定める。村落の治安維持をドゥリー大尉に命じる。ストーン中尉、ゴンザレス中尉を連れていけ!」
「ダコール コマンダンテラディフェンス!」
三人が一歩前へ出て敬礼する、アヤーブは皆が何を喋っているかわからなかったが、通訳が付きっきりで間を取り持ち続ける。直ぐに部屋を出ていくと村落へ向けて移動を開始することになる、移動経路は後方支援でナビがついた。
「俺とハマダ大尉、バスター大尉の三個中隊が中部東部で主たる防空、対空任務を行う。レオポルド中尉は北と西の山側の防備を。サイード中尉は南部、ブッフバルト少佐の部隊を代わりに指揮してもらう、フィル先任上級曹長が統括しているので使え。アサド先任上級曹長はここの守りを」
クァトロの編制は特殊だ。中尉以上が皆一人一個中隊を指揮している、現状八個中隊で一個戦闘団を形成していた。そして中隊は八個分隊で出来ていて、かなりの独自性を持っている。つまるところ、車両一つが一個分隊という計算でやっているだけではあるが、いざ兵士を増員するときにはその車両が小隊長に早変わりするわけだ。
各国の制度で前後はあるが、機甲と考えれば大隊以上で連隊未満、そんなサイズになっている。借り物の兵器ばかりなので整備も何も他人任せが心苦しい。それぞれが持ち場へと散っていく、それを見てマリーが小さく独り言を漏らす。
「俺は六年前のあの人に近づけているんだろうか?」
チュニジアで議会工作をしていたあの頃、マリーは少尉で島は中佐だった。既に独自の配下を抱えていて、個人の人脈もあり、より大きな問題に挑んでいた。それと比べるとどうだろうか、マリーの胸が締め付けられる。敵うはずもないと解っているのに、どうしてもそうしてしまった。
少しばかり時間が流れ、マリーはその居場所をM-ATV/EXT伏撃防護指揮車両へと移す。四輪の装甲車両で地雷原を走っても大丈夫なだけの防御力で守られている。また通信、捜索、監視、管制能力が増加されていて、重機関銃やグレネードを装備した前線移動指揮所のような車だ。
「ドゥリー大尉よりストーン中尉、公道八号を先行し公道十一号との交差点を確保し、周辺の偵察を行え」
聞きなれたフランス語で治安維持部隊のやり取りが入って来た。歩兵支援中隊を率いるドゥリー大尉が中衛、高機動車両中隊のゴンザレス中尉は後衛、装甲偵察中隊はストーン中尉が指揮している。
「ダコール! ハンヴィーM707は時速百キロに上げ移動を行う、LSV分隊は時速百三十キロ限界で先行しろ!」
ロマノフスキー准将や、部隊の多くが使用しているハンヴィーM1151と違い、M707は増加装甲を施し、カメラやレーザーレンジファインダーが装備されている強行偵察用になっている。
一方でLSVは装甲が無い、それどころか車体はシャーシとフレームだけのスケルトンタイプで、ウォーバギーと呼ばれることもあった。軽快な運動性と最低限の火力、高速道路を走ることだって出来る速度、軽量ゆえの渡橋能力と空輸可能限界の低さ、四人乗りを一席減らせばロケットを装備させることも出来る軽攻撃車両。
これらを指揮するストーン中尉は六輪の装甲車に乗っていた。M93フォックス装甲偵察指揮車、機動力と防御力、火力、輸送力を全て持っている。
公道を爆走する一団を見た市民が通報を行う、だがパトカーが駆け付けた頃にはもうそこに居るはずもない。何より通報から出動までに三十分近くかかっていたので、治安維持部隊は目的地に到着してしまっていた。
「アヤーブ、先導を」
八十キロも離れていたというのに、時計はまだ二十三時を十分ちょっとすぎているだけ。そのせいで公道周辺は大騒ぎになっていた。
村落へ向けて幹線道路を外れて低速で進むと、小高い丘の手前で車を停めさせた。
「この先にある農場がそうです、灯りがついているのが長老の家で、隣の倉庫に人質が集められています」
目で見ても解るはずもない、だが科学の進歩は凄まじい。一キロ以上先にある光源に向けて、M707でサーマルカメラを起動させた、すると人間と解るような熱源がかなり固まっているのが映る。軍用がどこまでかは知らないが、二十キロ先でも感知できるような代物は普通に存在しているそうだ。
「開始限界まであと三十七分か。敵味方の判別をしながらでは反撃を受ける恐れがある、アヤーブ何か良い連絡手段はあるだろうか?」
ドゥリー大尉が到着するまでに出来ることはしておくべきだと、手筈の模索を行う。公道交差点までにはきているらしいから、あと五分ほどで合流だろう。
「俺が戻って、長老から全員が集まるように言わせることは出来るはずだ」
味方を一カ所に集めてしまえば残りは敵になる。人質だけを真っ先に確保してしまえば、動く者は全て敵、それならば解りやすい。鍵となるのは人質の安全、それをどうやって確保するかが問題になる。
「そうして欲しい。始まったら人質は全て伏せて動かないようにさせたい、出来るか?」
「……俺が伏せた瞬間、近くで立っている奴をやれるだろうか?」
暗夜、姿の区別も不明でそれが出来るか、そんなものの答えは決まっている。
「それがたとえ仲間であっても、その瞬間伏せていなければ撃つ。百を助ける為に十を殺すことになっても、アヤーブは後悔しないか」
パニックになって立ち上がる者だっているだろう、だがそれを確認する術はない。間違えることだってある。全てを飲み込んで結果を求めることが出来るかどうか、ストーン中尉はマリー中佐とのやりとりを思い出してしまう。
「より多くを助けることを望む。時間がない俺は行く、後は頼みます」
駆け足で真っ暗闇を家に向かって行く、それから少しして中衛と後衛が合流して来る。かいつまんで状況を説明した。
「中尉の言う内容で作戦する。俺のM-ATV/EXTでアヤーブを熱源追跡し、十二・七ミリで射撃管制を行い壁越しに狙撃を行う。二人以上居た場合は時間差が出きる、接近して排除するしかないだろう」
一人でも排除出来るのは福音だ、三台配備された伏撃防護指揮車両だからこその利用法だ。上位三人の指揮官に与えられた特別な車両が役目を得る。
「村落の男手は南に固まって伏せる手筈ですので、自分は東部から歩兵戦を指揮します」
「うむ、ストーン中尉は東から、ゴンザレス中尉は西から接近し敵を撃滅しろ」
半数が下車して、射手と運転手だけを残して兵が駆けていく。位置について開始の合図を待つ、時計は二十三時五十五分を指している、そろそろだ。熱源を監視している兵が「南部に多数の熱源あり」「アヤーブが人質に接近します」別々に時を同じくして申告する。
十二・七ミリの銃手が人質周辺に居る大きな熱源にエイムする。二つ居るので、それらを敵設定しておく。一つが突如地べたに倒れて、人質が同じように地面にへばりつく映像が映し出される。といっても赤や緑の熱量でだけだが。
ドン、ドン、ドン。三度連射された音が響く。敵設定した熱源が大きく欠けて倒れた。
「突入!」
ドゥリー大尉がマイクに向かってそう命じた。装甲がある車両が遠巻きに接近して、凡そ距離四百あたりを保って歩兵の背を守る位置につく。十秒ほど息をするのも緊張するような時間があってから、あちこちから奇妙な報告が上がって来る。
「大尉、建物にも外にも敵が居ません!」
「敵が居ないだと?」
ゴンザレス中尉が焦りながら喋る、周囲を捜索しても何処にもいない。長老の家に踏み込んで一人は確保したらしい、ひげ面の四十がらみの男を。
「人質を監視していた三人だけしか居ません、もぬけの殻です!」
「……まさか陽動? いかん、直ぐに防衛司令部に帰投するするぞ!」
各位が乗車を急ぐ、だがここをそのままにしておくわけにもいかない。
「ゴンザレス中尉、村落に時限爆弾があるかも知れません。それに近くに隠れている可能性も」
ドラミニ上級曹長にそう耳打ちされる。目的は治安維持のはず、多数いたはずの敵が不在なのは何かしらの作戦行動をしているから、その目標がどこかまでは解らないが、どうにもタイミングが良すぎるのは中尉にも感じられた。
「ドゥリー大尉、自分がこの場に残り治安維持を遂行します。どうかご許可を」
「あとから襲撃されたでは閣下にあわせる顔が無い、ゴンザレス中尉、ここを預ける」
「ヴァヤ!」
全てが乗車して公道へと引き返していくのを見送ることも無く、まずは長老と話をすべきだと向かう。その間にドラミニ上級曹長が「ランドロヴァーは河沿い西と北を、ハンヴィーは東を警戒しろ!」伍長に怒声とも取れるような勢いで命令を下す。
その後、村落の住民に調べさせると本当に爆弾が見つかったものだから、なるほど警戒心というのはあってしかるべきだと肝を冷やす。気を抜かず夜が明けるまでは臨戦態勢を解かずに、警備を続けさせると宣言することにした。頼りになる先任下士官を得たことに感謝し、朝を迎えることになる。
◇
エレバンにある政府庁舎、二十四時を回ったというのに島はそこに居た。お客さん扱いのルワンダ軍中将が何をしているのかと否定的な視線が向けられる。サルミエ少佐からメモを渡されると二回りは歳上だろう男の傍に歩み寄る。
「ハクビニャン国防大臣閣下、自分の部下がアララト地区で治安維持要請を受け、これを確保しました」
木製の艶が良い机の前で立っている島を見る。つい数時間前に保健衛生大臣の知己ということで話し合いの場を持ったばかりで、原発防衛で必要だからと権限を一時的に認めたばかり。それなのに既に要請を受けた上に解決したなどと言うのは、あまりにも都合がよすぎる流れだ。
このところ大臣執務室に詰めっぱなしで家にも帰ることが出来ていない、だがそれも仕方がない情勢だと納得していた。アゼルバイジャンがどこに落としどころを見ているのかが判然としないから。
「随分と手回しが良いことだな中将」
厄介ごとばかりが時間単位で積み重なって来る、今さら一つ二つ出てきた位では最早驚きもしない。バクビニャン国防大臣は敬虔なクリスチャンであり、アルメニアの右翼を自認する国粋主義者だ。ナゴルノカラバフはアルメニアと一体であり、不可分であると信じている。
「メツァモール原子力発電所を守り抜くために、部隊は常にどのような戦いでもすぐさま行えるようにしてありますので」
微かにすら笑いもせずに言葉を返す。他国の軍が自分の国で動いているのが気に入らないはずがない、それは島にも理解出来た。
「アゼルバイジャン軍は原発を攻撃する可能性があると言っている。それが本心かどうかは関係ない、我々は確実に守り抜く義務がある」
国民へのプロパガンダなのは解っているが、だからと気を抜くわけには行かない。だが精鋭は最前線へ送る必要がある、装備の多くも前線へ偏重させなければ対抗も出来ない。万が一にでも攻撃を許しては国家が傾いてしまう、だから強い不満はあってもロシアの助言を受け入れた。
「ルワンダ派遣軍は原発を必ず防衛するでしょう」
アフリカの彼方からやって来た後進の軍隊、そういうものだったはずが、いざやって来てみるとアメリカ軍の最新兵器を装備して、ロシア軍の協力を得て駐屯を始めた。しかもどうやら戦闘教義はフランスのものだという報告すらある。なのに何故司令官が東洋人なのか、ハクビニャン国防大臣は疑念で溺れてしまいそうになる。
「……アゼルバイジャンがラチン地区で攻勢に出ている。三度目の停戦交渉がなされていて私は忙しい」
出来ればさっさと消え去ってくれ、そう遠回しに言っている。はいわかりましたと消えるわけには行かない、これからどうなるかがはっきりとするまでは。マリー中佐からの速報で、原発外縁で正体不明の小集団が多数動き回っていると聞かされている。
「原発へ攻撃を仕掛けようとする輩がうごめいていると警告が入っております。アメリカ軍の衛星情報によれば、アラガツォトゥン地区ウジャンの山中に、不審な牽引トレーラーが展開しているとのこと」
エレバンと原発の等距離にある、アルメニア国内の山岳地帯にある盆地。ここからならば首都も原発も重砲の射程内、二十キロ地点であることは大臣も直ぐに感付く。
「それは確かかね」
「アメリカ軍が冗談で情報を差し込んで来るでしょうか? 仮にそうだっとしても、自分ならば速やかに調査を行います」
じっと島を睨むと秘書を呼び出し「アラガツォトゥン地区司令官に、ウジャン盆地の捜索命令を出せ。今すぐにだ」これで良いかと顔が表している。
「権限範囲外での出来事でしたので閣下のお手を煩わせました。自分は暫く庁舎におりますので、ご用の際にはお呼びください」
敬礼をすると踵を返して執務室を出る。貸し与えられている小会議室へ向かうと「ロマノフスキーは何か言ってきているか」サルミエ少佐に確認を行う。ラチン攻勢は知っていたが、これといって連絡が無かったので気になっている。
「指導中、異常なし、です。アララトの村落ですが、情報が漏れていたとみて間違いないでしょう」
問題はいつどのようにして漏れたか。接近を知って逃げ出したというのが順当ではあるが、それなら三人残っていたのがおかしい。これが陽動だとしたらデミルシュらが裏切ったとも考えられるが、どうやらそうでもなさそうだ。
「原発を狙ってはいるが、俺もってところか」
――イスラム原理主義者のブラックリスト上位の俺としては、こうやって公的に動いたが最後、行動が筒抜けと考えるべきなんだろうな。ならば陽動よりは罠と表した方がほど近い。




