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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第十六章 偽装訓練教官


 フラットにエアメールが届いていた、差出人を見てみると島龍太郎とあった。


 ――親父から? 何かあったんだろうか。


 そう思いながらも急用ならば電話があるわけだから違うとわかりながら封を切る。

 便箋数枚に渡り健康についてであったり結婚はどうだとあったり綴られていた。


 ――あれから顔見せに行ってないしな……


 たまに帰ってこいと最後に締めくくられていた。

 携帯電話の番号が別にあり、もし飛行機代がなくて帰れないならば一報しなさいとまで書かれていた。


「幾つになっても子供は子供か……」


 親のありがたみを思い出してしまった。

 少ししてからまた読み返してみる、何か長期の仕事を始めてしまえば機会を喪いかねないと気持ちを決める。


 椅子を立って隣の部屋の前に行きノックする。


「俺だ、今いいか?」


 どうぞと部屋に招き入れると読んでいた本を閉じる。


「改まってどうかしたんですか大尉?」


 相変わらず昔のまま階級で呼んでくるロマノフスキーを前にして手紙がきたことを話す。


「親父がたまに帰国しろってさ、もう七年も会ってないからな」


 そう言ってからロマノフスキーは連絡すら取れてないかもと気付く。


「自分は死んだことにしてくれとお別れしてきましたから」


 はっとした顔を見てだろう先回りしてきた。

 顔色一つで互いに何を考えているかわかるほどに長い付き合いになっている。


「どうだろう日本旅行にでも行くか?」


 一緒に行動する義務も義理もありはしないのをわかっているが黙って帰るのは何か違うなと声を掛ける。


「実は一度行ってみたいとは思っていたんですよ、是非お供させてください」


 にこやかに手を差しだしてくるとそれを迎える。


「よしチケットは俺が手配しておこう」


 管理人の婆さんに暫く日本旅行だと伝えて残りの借り上げ日程を放棄すると言うと、いつ取り止めになるかわからないからきっちり確保しておくわ、と返答される。


 財産はプラスチックカード一枚に入っており、他もスーツケース一つに収まる位しか持ち合わせていない。

 軍人とは多くがそのような状態での生活になるようだ、とロマノフスキーを見て自身と大差なかったために納得する。


 パリと東京の間でドバイに一旦着陸する、給油作業の為に三時間の待機がアナウンスされた。

 これは規定のものでありドバイ政府の法律で、観光客を足止めして国を見物していって欲しいとの考えから適用されているものであった。

 実際の給油作業ならば一時間ほどで充分なのだ。


 折角なのでドバイ空港を散策してみる。

 世界のハブ空港を目指して作られただけあって大型機が沢山駐機出来るように相応の規模を誇っている。


 居ない人種は無いと言えるほどに様々な肌の色や服装をした者が行き交っている。


「これは圧巻だな空港アナウンスだけでも十カ国語位は繰り返してるんじゃないか?」


 主要な言語で足りない場合はあちこちに受話器がありコールセンターへ繋がるように出来ていた。


「誰もが大尉のように数カ国語を理解するわけじゃありませんからね」


 そう笑いながらスペイン語を勉強中ですと例の本を指す。

 どうやらロマノフスキーも語学に力を入れてみる気になったようだ。


「あとは中国語だろうな、何十億といるわけだから出番も多いだろう。広東語やら北京語やらと幾つもあるがな」


 漢字圏だけに読み書きは苦労が少なそうな気はしている。


「中国での仕事はパスさせてください、他ならどこでも良いですけどね」


 全くだと同意して軽食店に足を踏み入れる。

 やたらと沢山ある銘柄のアルコールに目移りしてしまう。


「こいつは一時間や二時間どころでは制覇出来んな」


 おどけてドバイプレミアムと書かれている何かを注文する。

 ビールのような黄金色の液体で乾杯してグイッと大きく一口。


「なるほど軽い口当たりなのに今までに無い旨さですね」


 旅先の気軽さのせいなのか本当に旨いのか、ついつい杯を重ねてしまった。


 東京に到着してすぐに実家とも気持ちが乗らずホテルに一泊する。

 郊外の戸建てがそうなのだが何となく帰りづらいような気持ちも無いわけではなかった。


 ラウンジでゆっくりとビールを飲んでテレビを見る。暫く居ない間に実に下らない番組が増えたものだと不愉快になった。


 少し離れた場所ではアメリカ人が酒を飲んでいる、ぱっとみてわかるような軍人スタイルである。

 短髪の筋肉質で背筋が延びていて動作がいちいち堅いのだ。


 余計なことには関わらずに夜景を眺めることにした。


 前に日本へ着たときには札幌へ行きとんぼ帰りだった、それすらも何年前だったやら。

 風の噂だが由香はそこそこ名が売れてきたらしい、戦場ジャーナリストとして活躍している間は常に死と隣り合わせである。


 ――他人のことは言えないがな。


 一人で飲んでも盛り上がらない為に早めに部屋に戻ると少しトレーニングしてからベッドへと潜り込んだ。


 実家へと足を向ける、大学へと通うようになってからは近くのアパートを利用していたが突然居なくなった為に迷惑を掛けたのを思い出した。

 レジオンとの遭遇は人生を一変してくれたものだ。


 懐かしい家は今も変わらずにそこにあった。

 何となくチャイムを押すのを躊躇っていると隣から声を掛けられた。


「あれ龍之介君じゃない久しぶり」


 隣の小母さんが珍しいものを見たとばかりに驚いている。

 挨拶を交わしてチャイムを押すとインターフォンではなく玄関が開いて中から母親が出てきた。


「龍之介! 良かった無事だったのね」


「ただいま母さん随分と久しぶりになってすまない」


 あらあらあらと何度も意味不明の言葉を喋り頷く。


「そちらの方は?」


「俺の親友でロマノフスキーだ、日本旅行に連れてきた」


 日本語以外は通じないよと苦笑いして彼に通訳してやる。


 立ち話も何だから中に早く入りなさいと促されて七年ぶりの実家へと戻る。

 どれもこれも懐かしくて昔を思い出してしまう。


「龍之介戻ったか」


 座っている父は心なしか小さく見えた。学生時代に同じく陸上をしていたので未だに体型はスポーツマンといえる。


「永らく留守にしました。大学の中退の件申し訳ありません」


 事情がどうあれ事実を変えることは出来ないので謝罪する。


「終わったことだ。そこの彼は友人か?」


「親友のロマノフスキーです。何度彼に助けられたことか」


 すると父はすっと立ち上がりロマノフスキーに頭を垂れる。


「息子が世話になった、礼を言わせてもらう、ロマノフスキー君ありがとう」


 慌てるロマノフスキーもつられて礼をしてしまう。


「大尉どうなってるんですか」


「親父も俺と同じで君にありがとうと言ってくれた」


 多少面食らったがそういうこととわかり改めてロマノフスキーも礼をした、助けられたのは自分だと。


 今までどうしていたなどの小言は一切なく、無事であったのを確認してそれで満足してくれたようだ。


「龍之介これクラス会の案内が着ているわ、明日みたいだけれど」


 渡された葉書には久しぶりのクラス会をすると日時や場所と連絡先が書かれていた。


「行ってみるよ」


「どの位いるつもりなんだ」


 父が興味なさそうに聞いてくるが言外に暫く居なさいと含んでるような気がした。


「次の仕事まで時間があるから少しゆっくりするよ」


「母さん、部屋を二つ用意しておきなさい」


 ロマノフスキーの分も決まっていたかのように確保する、通訳してやるとお言葉に甘えてと承知してくれた。



 夕食の席で言わねばと意を決して切り出す。


「実は去年結婚したんだ」


 ほんの一瞬だが空気が変わるのが感じられた。


「あの写真の娘さんかしら?」


 由香のことだが違うと頭を振る。


「レバノン人でスラヤ・ハラウィ・島だったよ。……結婚式の直後に事故で死別した」


 母の箸が止まる。父は茶をすすり一言尋ねる。


「短くても幸せだったか」

「はい」


「そうか」


 結局暫くはそのまま誰も言葉を発しなかった。

 ロマノフスキーもスラヤの名前が聞こえ悟ったようで部屋にと消えていく。


 しかし彼はすぐに戻ってきた、手にガラス瓶を抱えて。


「大尉、一杯やりましょう」


 心遣いに言葉の壁は存在しなかった、父がグラスを用意して迎え入れる。

 三人の酒盛りはただただ無言で過ぎていった。



 疲れていても場所がかわっても戦いの最中でも自然と同じ時間に目が覚める。

 ランニングをしてから家に戻ると当たり前のように朝食が並んでいた。


「日本食は素晴らしいですね、こんなバランスがとれた食事は初めてです」


 いつもビタミン剤で調整しながら栄養補給していたのだがそれの出番がなかった。

 確かにそうだと感心しながら味わう。


「ところで今夜はクラス会……同級生との宴会があるんだが、ロマノフスキーは街に出てみるか?」


「適当にぶらついてみますよ。ご心配なく」


 連絡先をまとめてメモして渡しておく、もし喪失したなら警察署に行けば良いと教えておいた。


「子供じゃありませんよ、ですが気持ちは受け取らせていただきましょう」


 そりゃそうだと笑って心配をやめる。戦場で迷子になるのとは危険の度合いが違うと納得する。


 みんなそれなりな格好をしてくるだろうけど自分は適当な服を持ち合わせていないことに気付く。

 昼間のうちにデパートをまわり多少はマシな姿へとかわった。


 ホテルの宴会場での立食スタイルが用意されていた。

 集まりやすくあちこち話をしながらにはうってつけである。


 開始時間前についてしまい少しロビーをうろついているとフロントで困っている人物を見つけた、アラビア語が通じなくて往生しているようだ。


「どうなされました」


 通訳してやろうと話し掛ける。


「おおあなたはアラビア語がわかる、助かります」


 チェックインを補助してやるとレバノンの旅券を持っていて驚いた。


「レバノンからでしたか、実は私も一年ほどですが昨年レバノンに住んでいたのですよ。その他の宗教としてですが」


 宗教により付き合いが変わると考えそう付け加える。


「そうなんですかそれは奇遇ですね、私もアルメニア正教でして。ヤーン・スレイマンと申します」


 ――おいスレイマンだって?


「島龍之介です、シーマで結構。大統領の親戚の方で?」


 そう指摘されて満更でもない表情を浮かべる。


「いえ無関係ですよ何代か前はわかりませんが」


 フロントマネージャーからも感謝を述べられる。

 時計をみると丁度よい時間になっていたので会場へと入っていった。


 既にかなりの人数が居りパーティーが始まっていた。

 堅苦しい開始の挨拶はこれからのようである。


「おい島じゃないか?」


 振り返ると高校時代に悪ふざけしていた悪友がいた、流石にかわりはしたがすぐに誰かとわかるくらいに。


「御子柴か!」


「出席の返事がないから来ないかと思ったよ」


 どうやら幹事を務めているのは奴のようだ。


「昨日帰国したばかりでね。しかし懐かしいものだ」


「帰国だって? どこに遊びにいっていたんだよ。ほらみんなに声掛けてこいよ」


 急かされてぐるりと一回りする。

 誰だかわからない女性が何人もいて困ってしまった、女はこんなにも変わるものかと頭を掻いてしまう。


 そして懐かしの彼女にも出会った。


「冴子か?」


「龍之介さん、お久しぶりね」


 高校時代に付き合っていたのだが、今は可愛いというよりは美人に成長していた。


「美しくなったものだ……」


 つい口から言葉が漏れてしまう。


「あらお世辞でも嬉しいわ」


 如才なく返してくる当たりが経験を積んだ証だろう。

 肩までのセミロングは淡い茶色が光を反射していて、女性らしいボディラインが素晴らしい。


 少し話をしてみると彼女は結婚していたようだが旦那が死別して家を切り盛りしているらしい。

 かなり歳が離れた夫婦だったようで義理の息子がもう社会人とのことだ。


 壇上に御子柴が登り挨拶を始めた、昔からは想像も出来ない堂々とした態度に驚いてしまう。


「御子柴君は自衛隊で幹部やっているんですって」


 冴子が近況を教えてくれる。


 ――アイツがね。自分も似たようなものだが。


「ねぇ龍之介さんは今何してるのかしら?」


 自然の流れで尋ねてくる、答えづらいがありのままを話す。


「休業中だよ。少しゆっくりとしようかと思ってね」


 そう、とあまり深くは追求してこない、人付き合いがわかっているようだ。


 それでも御子柴を含めて三人は昔話に花が咲いた。

 時の共有が長かったもの同士は間にいくら時間が挟まってもすぐに元の付き合いに戻れるようだ。


 瞬く間に二時間が過ぎて二次会へとわかれることになる。

 当然のように三人は同じグループで居酒屋へと移る。


「しかし島、お前働かなきゃいかんぞ。いい歳してプーじゃ格好つかんだろ」


「まさかお前にそんな小言を受けるとはな、十年前は嘘だったのかと疑うよ」


 笑いながら杯を重ねる。

 十数人がテーブルを二つ使い歓談している、かなりの人数が店に入っている。


 東京はドバイほどではないにしても外国人が多い街である。

 店内でも平気で数カ国が飛び交っているように思えた。


 酒が入り人が集まれば揉め事が起きるのは必然的なものか。

 近くのテーブルで外国人同士の別グループが言い争いになっている。


 ブラジリアのようで随分と激しく怒っている。


「このテーブルまで被害が無ければいいけどな、あいつらすぐに殴り合いになりかねんぞ」


 島が皆に注意するように促し冴子を奴らから遠い席にと移した。


「確かに一触即発の雰囲気だな、困ったもんだ」


 荒事にはなれているのだろう御子柴は酒を飲みながら模様眺めをしている。


 ついに一人が手を出す、派手に倒れ込みテーブル上の食器をバラバラに散らかしてしまう。


「こいつは一大事」


 始まったと知らせるまでもなく注目が集まる。

 早口のポルトガル語で罵り合いながらの乱闘となる。


「ちょっと見てないで止めてあげなさいよ!」


 同級生の女が無茶ぶりしてくる。


「だってよ御子柴、ほら止めてこいよ」


 そうけしかけてからかってみる。


「おい悪友、喜びは分かち合おうって約束したじゃないか」


 そう言って島の腕を引っ張る。

 嫌いじゃないからなと席を立ち上がり野次馬に参加する。


 二対二の殴り合いで頭にきた男がテーブルにあったナイフを握ると雰囲気が張り詰める。


「お前は左の二人を止めろ、俺は右だ」


 御子柴がそう割り振ってくる、ナイフ野郎が右に含まれている。


「いいだろう、俺が一喝するから合図だ」


 頷くと上着を脱いで冴子に渡す。


「貴様等大人しくしろ逮捕する!」


 スペイン語で突然大声を張り上げて駆け出す。スペイン語とポルトガル語は八割九割が同じ為にブラジル人にも充分通じる。

 逮捕の単語に驚いた奴らは動きが一瞬止まる。

 すぐに服を引っ張り床へと組み伏せて拘束してしまう。

 一方の御子柴もナイフを叩き落として二人をホールドアップさせている。


「やるじゃないか流石御子柴二尉様だ」


 大仰に賞賛してやる。



「お前の方こそさっきのは英語じゃなかったな」


「スペイン語だよ。こいつら頭が冷えたなら解放してやるか」


 すっかり顔を青くしているが支払いと弁償したら許してやると店長が言ってると通訳してやると金を置いてそそくさと逃げ出していった。


 テーブルに戻ると二人は英雄にと祭り上げられていた。


「悪い気分じゃないな」


「いやまったくだ。だが頻繁にはごめん被るよ」


 やれやれと席について喉を潤す。

 はいと上着を渡される、艶やかな瞳がじっと何かいいたげに島を見詰める。


 周りには聞こえないくらいの小さな声で語りかけてくる。


「龍之介さん、仕事してないって嘘じゃないかしら?」


 別に答えを求めてくるわけではないが指摘してくる。


 ――参ったな昔から鋭いところがあったよ冴子には。


「そんなような風にも言えるし、プーとも言えるな」


 曖昧な返事をしてつまみに箸をつける。

 だが暫く彼女は視線を外さずに観察していた。


やがて二次会も終わり皆が散っていく。

 どうしたものかと立っていたら冴子が寄ってくる。


「まだいいわよね」


 質問ではなく確認のような口調である。


「ああもちろんだよ」


 二つ返事でネオンに向けて歩き出す。

 人が羨むような色気を感じる。


「結婚してたりする?」


「ああしているよだが今は独身だ、妻が死別してね」


 相手も同じだとわかったため下手に遠まわしにせずに簡潔に答える。

 その方が互いに気を使わずに助かる。


「あたしはこれからも独身決定よ。再婚しちゃったら財産権を失うの」


 旦那が残したものを自由にしてよいが他の男に妻をとられるのだけは嫌だったようで遺言にそんな条件をつけたらしい。

 しかし若い身空でこの先一生と考えると暗くもなってしまう。


「結婚しなければセーフ?」


「そ、いい顔はしないでしょうけどそれは勘弁してもらうわ」


 そう言うと腕に絡み付いてくる。


 もう十年も前にこうやって歩いたのが想い出される、恋人だった頃の感覚が蘇った。


≪削除記録F≫


≪削除記録G≫


 そのうちどうでも良くなって眠りについてしまう。


 一瞬だと感じたけれど目を醒ますと外が明るくなっていた。

 彼女が目覚めたことに気付きおはようと声をかける。


「夢じゃなかったのね」


「ああそうだよ、後悔した?」


 少し意地悪な質問を浴びせてやる。


「まさか現実がこんなに素晴らしいとは思わなかったわ!」


 世間でいうブランチの時間になっていた。


 ホテルを出てからレストランに入ると一角を占める、例のごとく出入り口が見えて背が壁の場所に陣取る。


「凄く鍛えられた身体だったけれど、本当は今なにしてるの?」


 何度目かの問いにようやく真実を告げる。


「実は本当に無職さ、それまでは暫く軍人をしていたが」


「軍人ですって!? ……だから昨日の酒場でも」


 ようやく得心したようですっきりとした顔つきになる。


「褒められたものじゃないがね」


 今までの仕事が他人の命を奪うものばかりであったのを顧みる。


「男は闘う位の意気地があって然るべきよ、あたしはそう思うわ」


 考えてみれば昔からそんなのが好みだったかもしれない。

 どうやら旦那とはあまり良い縁組みではなかったのが窺える。


「長い人生いろいろあるものさ」


 そう締めくくると大きめのステーキにと食らいつく。

 体が資本なのは彼女にも理解できたが、そのサイズの大きさに逆に食欲を失ってしまった。



 その一方でロマノフスキーはちょっとした仕事の話を拾っていた。

 夜の街に飲みに出掛けるとやはり酔っ払いが暴れていた、だがそれはアメリカ海兵隊の兵士らで誰も手をつけることができなかった。


 好き放題暴れる三人を一人でノックアウトして涼しくウォッカを飲んでいると駆け付けた憲兵に事情聴取を受けたのだ。

 憲兵曹長は高圧的であったが相手がロマノフスキー退役中尉だと名乗ると態度を改め丁寧な言葉遣いで質問をした。


 簡単に説明し店主にも証言をとると三人を連行して消えていった。

 ところが暫くすると海兵隊大尉がやってきて挨拶もそこそこに部隊の格闘訓練教官をやらないかと誘いを受けたのだ。


 もちろん中尉待遇で迎えると付け加えられたがロマノフスキーはすぐには答えを出さなかった。


「上官の許可を得てから返答させてもらいます」


 退役しているのに上官と仰ぐ人物がこの三十歳少しの中尉にいるのにも驚いたが、その上官がこの近くにいて退役大尉だと聞くと海兵隊大尉は是非とも会いたいと乞う。

 伝えておきますと色ない返答をして島宅へと帰宅したのだった。


 朝帰りどころか昼になりようやく島が帰ると居間でグリーンティーを飲んでいる中尉を見つける。


「やあ待たせてすまなかった」


 二人にはその一言以外必要なかった。

 大福餅と茶を出されて付き合いでそれを口にする。


「大尉、アメリカ海兵隊大尉があなたに会いたいと申し出ています。私たちを格闘訓練教官として雇いたいと言っていました」


 徐にそう説明されて俄かに意味がわからなかったが、中尉が昨夜海兵隊兵を叩きのめした経緯を聞いて納得した。


「中尉のおまけで俺も雇って貰えるって話だな」


 そうおどけて了解する。事実殴り合えば勝てないだろう。


「それでは今晩会食しながらにしましょう」


 大福の中にイチゴを見付けて目を丸くしているのが面白かった。



 身軽な格好で夜の街に繰り出す、指定先は落ち着いた雰囲気のレストランであった。

 招待する側が既にテーブルで待っていた、それをロマノフスキーが指差して教える。


 特に知る人物でもないためテーブルへと近づく。


 ロマノフスキーを見付けた海兵隊大尉が席を立ち上がり迎えるが隣にいる年少の日本人を見て不思議がる。


「ロマノフスキー中尉、大尉は都合がつかなかったのかね?」


 友人か誰かを仕方なく連れてきたのだと解釈した。


「紹介します、自分の上官で島大尉です」


 まだ三十歳にもなっていないどころか二十代半ば位に見えるこの日本人が何故との視線が痛いほどよくわかる。


「初めましてスミス海兵隊大尉、島退役大尉です」


 何はともあれ席にどうぞと勧める。


 スミス海兵隊大尉は下士官から持ち上がりした大尉のようでもう直ぐ四十歳になろうかと言うあたりだろう。

 鍛えた肉体は年齢的な衰えを差し引いても強健である。


「これは驚きましたな若い上に日本人とは! 失礼ですが戦歴は?」


 何かしらの特殊事情からの任官かもと確認する。

 答えたくないならば拒否してもよいが中尉の話が主軸のため話につきあう。


「アルジェリアで反政府組織と、エリトリアでエチオピア軍と、チャドでチャド軍や反政府組織と、コートジボワールで政府軍と、レバノンではヒズボラと実戦を経験しました」


「ワンダフル! すると中尉も同じような戦歴を?」


 もし実戦経験を積んだ二人の将校がフリーならば獲得すべきと力を込める。


「エリトリアからは常に共にありました。それ以前は某地でロシア軍と少々」


「うむ!」


 現代軍将校にもっとも不足しているのが実戦経験である。

 スミス大尉は海兵隊の格闘訓練教官だけでは勿体無いと考えたが、まずは獲得を優先すべきと判断した。

 口だけなのか事実能力が伴うのかも見極めてからの上申となる。


「もしよろしければお二人に海兵隊教官として契約して頂きたい」


 島はロマノフスキーの顔をちらっと見るが全く動きはしない。


「良いでしょう、詳細をお聞かせ願えますか」


 反対がないと解釈し進める。


「島大尉待遇とロマノフスキー中尉待遇としてアメリカ海兵隊に所属してもらいます。年俸は本軍規定に従い日数割を、必要なもの全てを支給いたします。宿舎も割り当てますが外泊は自由です」


 将校士官は基本的に自由なのだ、条件に全く異存なかった。


「宜しいでしょう、本契約の準備が出来次第お願いします」


 堅苦しい話を終えて会食を行う。


「しかし何故退役を?」


 年齢的なものではないし五体満足でやめるとなると不手際だろうかと邪推する。


「軍事顧問として雇用されていたのですが目的を達成しましてね、継続も許されましたが刺激が欲しくて飛び出してきました」


 軽く笑いながら説明する。

 軍事顧問との響きに大物を釣り上げたのをスミスは確信した。


「ほうどのような目的だったかを教えていただけますかな、喋られる範囲内で結構です」


 守秘するものがあるならば沈黙しても構わないと理解を示す。


「レバノン国の反イスラエル勢力追放と南レバノン国の分離独立です」


 思わずスミスはフォークを落としてしまった。

 レバノンでヒズボラが駆逐されて勢力を弱めたのはニュースでちらっと見たような気がする、確かキリスト教でもイスラム教でもない軍人が指揮したとか。

 その後に南レバノンが独立したのも報道で知っている、それをこの大尉が画策して成立させた……と?

 かの地の駐在武官に確認させてみようと結論を先送りする。


「なるほどああなれば数年は落ち着いてしまいそうですからな」


 それ以上は特に突っ込んだ質問をせずに専ら社交辞令に終始した。

 大尉の言葉がどうあれ中尉の格闘能力さえ手に入れば充分だと考えたからでもあった。


 和やかなままにその場を解散して結果は後日と踵を返した。


 翌日本契約の為にと呼び出されるとそこには駐日本アメリカ海兵隊基地司令ブラック中佐が待っていた。

 姓はブラックだが白人である。


「島大尉、これからよろしく頼むよ」


 柔和な感じを受けるがしっかりと荒くれ者を統括しているようでスミス大尉が敬意を払っているのがわかる。


「ブラック中佐殿、こちらこそよろしくお願いします。微力を尽くす所存です」


 大尉とは呼ばれたが実際の書類上の地位は軍格闘術指導教官で大尉待遇である。

 なにが違うかと言われたら大尉待遇は将校ではないので指揮権限を持たないのだ。

 医者であったり経理や法務、特殊技術者が相当の地位につく必要があるときに宛てられのがこのような待遇である。


 指揮権とは機関命令を出すことが出来うる重要な部分であり、将校である少尉が隊長を代理や代行しているときには中佐待遇がいても指揮に従わなくてはならないものなのである。


「基地の海兵隊の統括はスミス大尉に任せてある、助力して欲しい」


 外部からの協力者のような形のために中佐が丁寧な対応を心がける。

 一方でスミス大尉は昨日とはまた違った視線を島へ送ってきた。


 その理由は単純明快で駐レバノン武官補に島大尉とロマノフスキー中尉についての情報を求め、満足いく回答を得たためであった。

 その内容はレバノン陸軍を強化させてテロリスト相手に勝利を齎した参謀でもあり、戦いでは最前線にまで乗り込み指揮をした指揮官である、と。

 追伸でレバノン軍事大臣の義理の息子でもあると知らされた時には驚きを隠せなかった。

 また前歴がフランス外人部隊の下士官であったとまで説明された時には日本人の評価そのものを改める必要があるとすら感じさせた。


「島大尉、是非とも我が部隊を厳しく指導していただきたい」


「もちろんです大尉、伝えることが出来る全てを伝えさせてもらいます」


 フランス式の敬礼をしてしまいどうしたものかと一瞬困惑するが、中佐がそれで構わないとしたために了解する。


 早速軍服に階級章を与えられ装備を整える、日本という場所柄火器を携帯するのは限定的な条件のみとなる。

 勲章替わりに略綬を付けるが随分と左胸が賑やかになったものだ。


「これで俺もグリンゴの一員か」


 グリンゴとはアメリカ兵のことで東側がそう呼ぶ地域が存在する、本来はやや違うが。


 訓練所に兵が集められ整列している、基地内に駐屯している陸戦中隊である。

 レザーネックとも呼ばれる彼らは揚陸廷や艦船に待機する白兵要員であり、海軍でありながら陸軍のような職務を主要担当していた。

 致命傷になりやすい首を守るために革の首あてをつけていたのが由来である。


 兵と対面にスミス大尉と副長の中尉が並び、その列に島とロマノフスキーが加わる。

 二人を見る目つきが冷ややかで、あちこちで私語が交わされる。


「静かにせんか。お前たちを鍛えてくれる軍事教官を紹介する。島大尉とロマノフスキー中尉だ」


 様々な人種が入り乱れているようで私語もバラエティーに富んでいる。

 一様に蔑むような態度が感じられ、中には口に出して卑下する兵が居た。

 島はそいつらを一瞥し誰が何を言っていたかを記憶して一歩前に出る。


「左端から二番で三列目のやつ、それと右端の軍曹前へ出ろ」


 ガラの悪い二人を招いて官姓名を申告させる。


「お前たちが俺を嫌うのは自由だがスミス大尉が静かにしろと言ったのを守れんのはけしからん、この場で腕立て伏せ百を行え」


 従うかどうかを試すような態度で接する。

 赤銅色のインディオ兵らしき男がスペイン語で言い捨てる。


「了解だ糞野郎」


 わからないだろうとの発言だが瞬間島が英語で叱責する。


「上官侮辱とは良い度胸だ、ロマノフスキー中尉最初に指導するのはこいつだ!」


 そう命じるのを聞いていた軍曹がアラビア語で呟く。


「てめぇで指導してみろよ」


「良いだろう、軍曹の指導は俺が行おう」


 そう切り返したのでスミス大尉が目を丸くする。


「島大尉はスペイン語もアラビア語も理解するのか!?」


「スミス大尉、他にも数カ国把握してます」


 この時のやりとりで島の部隊内でのあだ名が決まった、ドクターである。語学博士との意味なのはすぐに理解出来た。


 二百人以上の隊員が見つめる中での格闘術指導は数秒で勝敗がついた。

 ロマノフスキーは殴りかかってくるインディオ兵の拳を無視して思い切り殴り返して一発でノックアウト。

 島は警戒する軍曹の足を踏みつけ上半身を押し態勢が崩れたところをそのまま投げ落としてしまう。喉に拳を当てて一睨みする。


「自己紹介が遅れたな島大尉だ。貴様等を強くするのが唯一の仕事で在隊する、レジオンの戦い方を伝授してやる」


 フランス外人部隊が出身と聞いて兵等の顔が引き締まった、銃剣格闘術にかけては世界最高との誉れ高い生きた見本が目の前にいるのだ。

 強さを証明した二人の教官は荒くれ者からの敬意を自力で獲得するのに成功した。


「マオ先任曹長が日常訓練の責任者だ、島大尉は自由に内容を変更して指導してもらって構わない」


「了解しました大尉」


 中国系アメリカ人の曹長を確認して紹介を終了し解散させる。


「マオ先任曹長は俺と来てくれ、訓練内容を知りたい」


「サーイエッサ」


 彼もどのような訓練が有効になりえるのか興味があるようで素直に従う。


 ロマノフスキーを含めて三人で割り当てられた執務室にと向かう。


 早速スケジュールを確認する。書類があるわけではないため先任曹長が口頭で説明した。

 一般的なメニューに格闘訓練が追加されたようなものと判断出来た。


「うむわかった。決定的に足りないメニューが一つあるな」


 島がそう口にすると中尉も頷いた、だが先任曹長はそれが何か思いつかなかった。


「大尉殿、どのような内容が不足しているのでありましょうか?」


「それはだ……武装長距離走、つまり過重負担を与えて二十キロを走らせる」


 海兵隊ではランニング五キロのみが通常訓練として組み込まれていた。

 自身の常識に比べあまりにハードな為に顔をしかめる。


「過重はいかほどでしょうか」


「三十キロは最低持たせるんだ。分隊火器担当や通信兵は戦時にもっと負担が増えるぞ」


 部隊から苦情が出ると先任曹長が抗議をする。


「問題ない。俺達も同じように走る、それで文句を言うようならケツを蹴り飛ばしてやれ!」


 かくて翌日からの早朝訓練に長距離走が追加された。

 マオ先任曹長が命令すると兵から当然のように抗議があがった、だが島が先任曹長を制して前に出る。


「楽な訓練が良いなら海兵隊を除隊して仲良しクラブにでも入れ、俺も同じように走る文句があるやつはいるか!」


 そう怒鳴られて敢えて逆らう者は居なかった。

 砂が詰まった背嚢と小銃を手に基地内の敷地一杯外周を走る。


 常々走っている島らはペースを守り淡々と進むが落伍者が目立ってきた。


「マオ先任曹長、落伍者は班ごとに助け合わせて走らせるんだ。後ろから四班までは体力不足と見做して追加で走らせろ」


 マオから小隊付軍曹にと命令が伝えられる。

 それでなくても参っているところに追い討ちを掛けられて絶望的な表情をする。


 二人の教官は順調に二十キロを走り終えマオもなんとか伴走を終える、海兵隊で満足に最後までついてきたのは数名しか居なかった。


「マオ先任曹長、それでこそ中隊付だ。君が根性を見せたことで今後の命令がしやすくなるな」


 汗だくになり肩で息をしながら何とか謝意を述べる、二人の教官はもう呼吸が落ち着いているのに驚き長距離走の必要さを強く感じるのであった。


 軍人達が集うバーは日本にも多々あった。

 駐屯地にほど近く騒乱があれば憲兵が駆け込むほど近くにだ。


 外泊の為に私服で入るとアメリカ兵軍曹に睨まれ日本人がくる場所じゃないと凄まれた、どうやら海軍兵ではあっても海兵隊ではないようで島らを知らなかった。


「まあ軍曹そういきり立つな俺も海兵隊だ、教官で大尉待遇だがね」


 そう告げると背筋を伸ばして敬礼し「失礼しました、サー!」と声を張る。


「私服だから仕方ないさ、それより軍曹一杯どうだ俺が奢るよ」


 北米系の軍曹は海軍第七艦隊に所属する船乗りのひとりだった。

 陸上勤務ではなく待機になったために駐留している部員とのことで、一旦港を離れたら数ヶ月から年単位で勤務になるという。

 実はそれだけに海軍の給与支給は加算されている、これは大概の国で共通する事実である。


「しかし海軍はまさに世界が相手の軍だな!」


 打ち解けた為にマクウェル軍曹をマークと呼んではやしたてる、海軍は自分の性に合わないのも再認識した。


「いえキャプテンほどではありません。テロリスト共を葬り去った数に見合う称賛を受けるべきでしょう」


 中隊つまりは戦闘集団を率いる指揮官はキャプテン(大尉)と呼ばれる。これは海軍の船一隻取り仕切る船長がキャプテンだったことに発する。

 船団を率いるコモドアと呼ばれるのがコマンダーで中佐相当、艦隊を率いるアドミラルが将軍相当で海軍の将軍が提督と呼称されるわけである。


「今度機会があれば是非上官と会っていただきたいものです」


「願ってもないね、海の男の話を聞いてみたいものだ」


 純粋にそう思った陸軍とはまた違った魂が感じられたからである。


 こうしてアルバイトをしているかのように二人は実家へと帰宅するのである。

 両親は何をしているか全く知らないが活き活きとしているために心配はしていなかった。


 ベトナム戦争の時のアメリカ兵のような勤務のようだと気付いて苦笑してしまう。

 今はこれでよい、そう割り切って日々を過ごすことにした。


 徒手格闘術でロマノフスキーに勝てる隊員は居なかった、だが引き分けになるような者は十人程度存在した。

 そこで次に銃剣を装備して白兵戦をさせてみると誰一人として中尉にかなわなかった、これには島も舌を巻く。


「いや強いとは知っていたが無敵とまでは知らなかったよ」


「そんな自分でも銃弾一発ですよ大尉」


 そう遜ってはいるが銃弾があたって平気な者などいるわけがないので評価は全く変わらない。



 実力を認めたスミス大尉がブラック中佐へと島の経歴を報告したのはこの頃になってからであった。

 冷静柔和な中佐が大尉にわかるような驚きを見せるのは珍しい。


 デスクから資料を取り出すと内容を再確認する、今まで悩みの種であり上級司令部でも未解決の物がありそれが解消されるかも知れないと想いを馳せる。

 わかった、と申告を受け大尉を下がらせると受話器に手を伸ばした。


「ブラック中佐だ、閣下はいらっしゃるかね――」


 日々新しい技術を伝授しているうちに仲良しになるかと言われたらそうではない。

 教官とは憎まれ役になり反骨精神を引き出す立場でもあるのだ。

 それゆえ訓練が終わりになるまでは決して甘い顔をみせることはない、それが兵の為でもある。


 基礎体力はそのうち上がるだろうと次は精神的な部分に目をやる。


 始めに紹介されたとき大尉の言葉を聞かなかったり、先任曹長の訓練に抗議をしたりとアメリカ兵は従順とは言えない。

 勤務規定で超過勤務をさせてはならないとか無理を強いてはいけないなど首を傾げる部分が多々ある。


 戦いになり敵が攻めてきた時に退勤時間になれば継続勤務の意志を確認しなければならないなど、決めた奴がいたら殴り倒してから正気かどうかを問いたいものすらあった。


 この手の内容は民族や国家の方針や慣習に左右されるため、最低限上官の命令には黙って従うように躾るところから始めた。


 ――ここは幼稚園かどこかなのか!


 心中でぼやきながら簡単に意味を説明してからあとは反復行動をとらせて刷り込み作業を行う。


 兵には伍長から、伍長には軍曹から、軍曹には曹長から単純な命令を繰り返させるのだ。

 例えば右向け、休め、走れなどのことである。

 それを拷問だと訴える兵士が居たが嫌なら辞めたらよいと取り合わずに延々と続けさせた。


 そのうちに命令で反射的に動くようになっていく者が増えていった、戦場では考えてから動いては遅い場合があると何度も言い含めるがそれでも反抗的な者は居た。


 満足行くような仕上がりではなかったがスミス大尉は島の手をとり握手して、よくやってくれたと喜んでくれる。

 アメリカ軍将校として指導範囲に限界があるようで大いに助かるとのことだった。


 訓練が一カ月過ぎた頃に酒場で例によって飲んでから帰ろうとするとコートを着た中年とスーツ姿の二人組が入ってきた。

 昔ながらの刑事スタイルとでも言おうか、名乗ったわけでもないのに警察だとすぐにわかった。


 店内を見渡すと島のところへと一直線で向かってくる、隣に立つと警察手帳を提示して一方的に口火を切る。


「警視庁の田沢だ。島龍之介だな、暴行傷害事件で容疑がかかっている任意同行いいか?」


 そう一気に言われるが聞こえないふりをして構わずにビールをあおる。


「従わないならフダ(逮捕状)とってやろうか? 一カ月前にブラジル人に居酒屋で暴力を振るっただろう」


 ――あいつ等かどうしよもない奴らだ。


「そのブラジル人の父親が政府のお偉いさんらしくお怒りだ、事情聴取だけでもさせてもらえんか」


 押してダメなら引いてみろとばかりに優しく接してみる、なかなかに年季が入った刑事である。

 だが島は日本語がわからないとばかりに英語で返答する。


「何を言ってるかわからん英語で喋ってくれ」


 刑事が首を振って肩に手をかける。


「面倒をかけんでくれ、しらばっくれてもお前が島龍之介なのはわかってるんだ」


 腕をとり無理矢理に立ち上がらせようとする。


 すると違うテーブルで飲んでいたマクウェル軍曹がそれに気付いて立ち上がる。


「キャプテン!」


 ずかずかと近付いて刑事の腕を払いのけると「貴様、大尉殿に何ををするか!」と英語でまくしたてる。

 日本語がわかる兵士が通訳に入る。


「こちらは海兵隊のハラウィ大尉です」


 面倒ごとが起きているために滅多に使わないハラウィ姓を利用する、レバノンの法律で夫婦の姓は双方が名乗ってよいことになっている。

 仮にそれがなくともファード(ハラウィ軍事大臣)が良いと言うのだからありがたく使わせてもらう。


「何だってハラウィ大尉だ? 冗談も休み休み言うんだ」


 そう声を上げると田沢が顔をしかめる。

 マクウェルを押しのけて島に迫ろうとすると軍曹が声を張り上げる。


「やるつもりか!」


 気にはしながらも黙って酒を飲んでいた酒場の兵士が一斉に立ち上がり刑事らを取り巻くようにとゆっくり近寄る、一触即発の雰囲気が立ちこめる。


「田沢さん、一旦立ち退きましょう」


 若手の刑事が怖じ気づいて田沢に引き下がるようにせがむ。

 流石の田沢も海兵隊に囲まれて身の危険を感じた、本当に人違いではと頭を過ぎる。


「行くぞ邪魔したな」

 そう言い残すとその場をそそくさと退去していった。


「騒がせてすまんな全員にビール一杯進呈だマスター」


 そう宣言すると一気に盛り上がり雰囲気が変わる。


 ――仕方ない基地に戻るか。


「中尉、今夜は駐屯地の宿舎に戻ろう」


 仕方ないと納得してロマノフスキーも一緒に行くことにする。


「大尉、蝿がたからないように自分も同行します」


 マクウェルがそう申し出てくれたために島は快く承諾する。


「軍曹のエスコートに感謝するよ」


 同じテーブルで飲んでいた部下の兵が同じ様に酒場を出る。

 外では先ほどの刑事が遠くから見張っていた。


 ――やれやれ暫くは基地に居るとするか。


「そうだマークの上官は基地にいるだろうか?」


「はい恐らくはいらっしゃいます。お会いいただけますか?」


「今日のお礼も兼ねて一度場を持っていただきたいものだ」


 そうなると話は簡単である、マクウェルから紹介の形で話が伝わる。

 無用な人物を紹介するような軍曹を部下に持たないとの心があるならば二つ返事で了承するもので、マクウェルの申し出もすぐに承諾された。



 海軍のフリースペースで待っていると均整が取れた体躯で三十代後半あたりの海軍少佐がやってきた。


「島大尉とロマノフスキー中尉です」


 下の者が先に申告して相手の出方を待つ。


「マッカーサー少佐だ、いやかの有名人とは無関係だがね」


 にこやかに軽口を発して敬礼を返す。


「過日マクウェル軍曹に助力いただき困難を避けられました、彼とマッカーサー少佐に感謝致します」


「なに礼には及ばんよ、我等は仲間だ助け合うのは当たり前だからな。そう堅くならずにこちらで一杯やろう、陸上で待機していては出番がなくてな」


 笑いながら場所を移動する。


 少佐はミューズと愛称される軽巡洋艦の船長を務めているらしい。

 軽巡洋艦とは駆逐艦より大きく巡洋艦よりも小さな艦艇であり主に高速な空母に随伴する快速巡航艦艇の種類に括られる、ピケット艦を指揮する警戒偵察船団の司令も兼ねている。

 つまるところ陸軍でいう偵察大隊長に相当する。


「ほう、すると大尉は海兵隊の教官としてこの地で採用されたと? いやはや珍しい人材も居たものだ」


 誰かの紹介でもないのに海兵隊が外部から突然教官を招くなど聞いたことがないと話す。


 ――確かに一本釣りは少ない事例かも知れんな。


「気紛れであっても職にありつけてありがたい限りです」


「随分と低姿勢なものだな。海兵隊の奴らも大尉を見習うべきだ、丁度教官なのだから謙虚な精神を指導してやってくれ」


「それは無理です少佐、何せ海兵隊ですからね」


 そりゃそうだと笑って前言を撤回する。

 温厚で謙虚な海兵隊などというのは短気で粗野な学者位に珍しい。


 場がお開きとなると実家へと電話をかける。

 仕事で暫くは帰れないことを告げて心配ないロマノフスキーも一緒だと説明する。

 突然なため少し気にはしていたが、もう大人だと納得してくれた。


 初めて宿舎を利用するがきっちりと整備されている。

 アメリカ軍駐屯地の多くに民間整備会社が入っており、その会社がサービス全般を担当するためにホテル並みの待遇が得られる。

 サービス当番など稀にしか存在しない、これまたアメリカナイズされた考えである。


 部屋に戻るもやることがなく今までの人生を振り返ってみた。


 何だかんだとイベント盛りだくさんだったような気がする。

 少なくとも大学を卒業して普通に会社に就職していたら今頃通勤電車で居眠りでもしているに違いない。

 ならば幸せかと言えば不幸ではないが妻を失いこれといった目標も無い日々がどうなのか。


「レバノンに居たときは楽しかったな、張り合いもあった……」


 これから教官として勤務していても数年で体力の限界となりお払い箱なのは分かり切っている。

 その後に一般社会に戻れるものだろうか?


 悩んでも仕方ないことで少し落ち込んでしまった。


 数日基地内で過ごして汗を流すと気持ちが落ち着いてきた。

 そろそろ刑事も諦めたかと思い実家に電話してみる。


「母さんかい?」


「龍之介、お前何かしたのかい? 警察がうちにきて帰ってきたら知らせるようにって」


 どうやらあきらめるどころか勢いを増しているらしい。


「誰に恥じることもしたことはないよ。まだ仕事が忙しくて帰れそうにないけどまた連絡する」


 電話を一方的に切ると溜め息をつく。

 良からぬ方向に動いているようだと認めざるを得ない。


 どうしたものかと思っているとブラック中佐がオフィスで待っているから中尉と共に出頭するようにと伝えられる。


 オフィスに赴くとスミス大尉もそこに居り軽く目礼してきた。


「島大尉出頭しました」


「うむご苦労だ。君に幾つか尋ねたいことがある、楽にしたまえ」


 変に前置きをしてから着席を勧めてくる。


「なんでしょうか、自分に答えられることならば何でもどうぞ」


 スミス大尉の様子が少しおかしいのが気になるが、中佐からは妙な雰囲気が感じられる、何か急いているような期待と不安のような。


「大尉は語学が堪能らしいが、理解する言語を教えては貰えないだろうか、中尉もだ」


 二人は顔を見合わせて不思議がる。


「はっ、英語、フランス語、日本語、ドイツ語、アラビア語、スペイン語、ロシア語、少しですがベトナム語を理解します」


「うむっ!」


 少し間を開けてロマノフスキーも申告する。


「英語、フランス語、ロシア語、ウズベク語、アラビア語、ドイツ語、スペイン語を理解します」


 どうやらあれからスペイン語を習得したようである。

 兵士達が呼ぶように五カ国語以上を理解するならばドクターと限定的に認められやすい。


「なんと中尉もか!」


 中佐がやけに驚きをみせる、どうやら何らかの条件面の確認だと二人は気付く。


「二人に聞いてもらいたい。アメリカ軍司令部は政府の意向でとある地域での反政府運動を支援強化することにした。だがそれには条件がありアメリカ人が直接介入出来ない、国籍変更可能か外国人である必要がある」


 それはつまりアメリカからの保護が受けられない非合法活動なことを意味する。

 失敗したら野垂れ死ぬだけなのだ。

 少し間を置いて二人の反応を見るが微動だにだにしない。


「その地域での指揮統率力が必須であり将校経験者であるべきだ。そしてその地域ではスペイン語、フランス語、英語、ドイツ語、ミスキート語などが利用されているため幅広い語学力が求められる」


 ヒントを与えられて考えるがそのような言語が使われている地域が思い当たらない。

 わからないということはアフリカやヨーロッパではない、中国語やらタガログ語があるならばその付近なのだろうが、はたまたアメリカ大陸なのかと思案を巡らせる。


「大尉はこの先を続けて聞くつもりはあるか?」


 これを踏み越えたら後戻りは出来ないとのラインを示す。


「聞かせていただきましょう」


 間髪いれずに即答する、選抜されることが名誉なことなのだ。


「中尉はどうだ?」


「大尉と同じです」


 海兵隊にくる前から変わらない態度を示す、上官に常に従うとの姿勢に中佐は快いイメージを持った。


「よろしい。活動地域はニカラグア、中米でコロンビアのすぐ北側の小さなところだ。この国でサンディニスタ政権を転覆させるのが目的だ」


 そこまで明かすと詳細資料を取り出して読むようにと渡す。

 概要から始まりあれこれと調べ上げた内容が事細かに並べられている、物凄く精度が高い情報資料に仕上がっている、流石アメリカと感心してしまった。


「現地の親アメリカ勢力に資金的支援を第三国を経由して行う、その勢力の伸張と政権打倒が君達の任務だ」


 大任であるこのような国家プロジェクトを臨時採用の大尉に任すものなのだろうか、島は訝しげに感じた。


「中佐、失礼ですが縁が浅い我らに重要な計画を任せる根拠を示していただけますか?」


 捨て駒として指名されるならばそれはそれで良いとも考えているが、計画をみる限りは成功させようとの努力が全面に押し出されている。


「議員が、ユダヤ系の議員複数が君のことを後押ししているからだ」


「え、何故自分を?」


 想定外の話についつい情け無い声を出してしまう。


「イスラエルのネタニヤフ首相が議員らに君のことを勇敢で大胆しかし繊細な知略を持っていると評価したからだよ」


 ――ネタニヤフ首相? ネタニヤフといえばイスラエルの北方軍管の奴か!


 巡り巡った糸がここに繋がって合点がいった。

 まさかの援護射撃ではあるがアメリカにとっての利益があるからとの大前提は変わらないので計画に深い興味を持つ。


「承知しました。では我等は始めにどうしたら良いでしょう?」


 気持ちが前にと進むのを自身で感じ取る。


「指導者が大尉では心許ないと言われてしまうからな、まずは海兵隊を除隊してもらい次にサウジアラビア軍に入隊してもらう。王室の近衛中佐としてな」


 サウジアラビアは親米で有名な国である、そこへ偽装のために赴けとの命令がブラック中佐の最後の言葉であった。


 決まると行動は早かった。翌日に軍用機でサウジアラビアへと飛ぶことになる、リヤド近くのアメリカ中央第3軍基地に着陸するとその地で除隊証明書を発行される。

 基地から一歩でるとサウジアラビア国家警備隊が出迎えにきていた。


 ――おいおい何なんだこれは。


 二人はその車に乗り込むと運転手がアラビア語で入国を歓迎する。


 どのような触れ込みになっているかわからないために余計な事を喋らずに胸を張り座る。

 どこかの政庁らしき場所に入っていくのだが、警備兵が王子の私邸だと説明する。


 サウジアラビアは国王が絶対の君主国家であり、国の名前からしてアラビアの君主サウド家となる。

 その何十人か居る王子らの一人が偽装に協力してくれる手はずとなっている。


 王室警備隊の中佐として招かれた体で振る舞う。

 数日のみ滞在とも行かず数ヶ月は暮らすことになるだろう、部屋を割り当てられるが王侯貴族とはこんな暮らしをしているものなんだと思い知らされる。


 今回は公務としての入国査証が手渡されているが、無宗教では入国禁止らしいので、仏教と記した。

 

 特に何かを言い渡されるわけでもなく一晩が過ぎると、王室警備将校の中尉がやってきて徐にこちらですと案内をする。ついてゆくとプライベートジェットが用意されており、これでジザン空港まで飛ぶとのことだ。


 首都のリヤドからジザンまで一時間半で到達する、紅海に接しているサウジアラビア南西の州はイエメンと国境を接している海岸線の小さな州で自然が多く残されている。

 空港から車に乗り換えて更に海岸へ向けて走る。途中ガゼルが優雅に走っている姿が見えた。


「あそこはガゼルの保護区で王子の私有地です」


 簡単に説明するが保護区の面積はジザン州のうち一割近くを占めているらしい、何事も驚きの連発である。


 パパイヤやマンゴーの農園が多く目に付く、このあたりは農業が盛んな地域で石油の収入が主なサウジアラビアの中では異質な地域といってよいだろう。


 ようやく目に入る巨大な邸宅はやはり私邸だと説明される、敷地だけならばリヤドのそれよりも遥かに広いだろう。


「着きました、こちらです」


 感情を込めずに先導する中尉に二人は黙ってついてゆく。案内された部屋で豪奢な軍服を支給される、王室警備兵とは一昔前の近衛兵だと考えれば不思議でもない。


「ロマノフスキーには派手すぎるな」


 苦笑いしながら同意する彼は近衛大尉の階級章が襟元に輝いていた、島は中佐だけでなく参謀肩章まであしらわれている。


 ――偽装もここまでやればそう見えて来るものだな!


 上を見ようとすると首が痛くなりそうな程の広間にと通される。そこには同じような格好をした近衛兵が十人ほど詰めており、中央にはサウジの民族衣装を身にまとった男が座っていた。


「島中佐ただいま着任いたしました」


 王子らしき人物に敬礼し申告する。


「トゥルーム・イブン・ビン・アブドゥラー・アール・サウードである。島中佐の着任を歓迎する。一緒に散歩でもしよう、近う」


 なんとも穏やかな感じで話しかけてくる、サウードと言うからには王族なのは間違いないがどのサウードなのかまではわからない。

 この国には一万人ほども王族がいるからである、人口は二千七百万余なのでかなりの高い比率である。


 ぞろぞろと兵をひきつれて散歩を楽しむ、といっても結構な距離をあけてだが。


「私は国王の兄の孫の子、つまりは第五世代の者で祖父がジザンのアミール(知事)をやっている。この先の為に中佐らはゆっくりと過ごすとよい」


 自身の出自を示して州内での自由を約束してくれる。その申し出はありがたいが甘やかされるつもりもなかった。


「殿下、我等は近衛将校であるので何なりとご命令下さい。兵の訓練ならば多少の覚えがあります」


 客人扱いはアメリカからの要望であるのだろうがそのような目で見られていては何とも歯がゆい、軍人であるのを再確認させるべく申し出る。


「優秀な者と聞いておる、そうあわてなくとも機会があればその腕を見せてもらおう」


 ゆったりと構えて決して驕ることなく返答する。生まれながらにして貴族の親を持つと子もそうなる典型といえるだろう。

 覇気を感じられない為にそれ以上は深くかかわらない方が良いと判断して黙って随伴する。


 後は好きにしてよいと言い残して消えていったイブンを見送り広間へと戻る。


 近衛を見渡すも将校が見当たらない、どうやらその地位も王族が占めているらしく一般人は下士官より下にしかなれないらしい。


「軍曹、話が聞きたいので部屋まできてくれ」


「アセーフ(申し訳ない)、ここに立っているようにとの命を殿下より受けておりますので」


 大尉と目を合わせてどうにもならないと肩を竦める。軍曹でなくても良いと考えたがどうやらここに居るものは全てが同じそうなので二人で館を出ることにした。


「大尉、どうしたものかな」


「街でニカラグアの情報を調べておきましょう、館には居なくても問題ないでしょう」


 互いの格好を見てどうするか悩んだが私服とはいかないのでそのままで行動することにした。


 門衛に街まで車を出すように頼むと豪華なリムジンでの送迎となってしまった、もっと目立たないのでと頼むとするとこれが一番小さなものと断られてしまう。

 仕方なく近郊までと運転をしてもらい下車する。


 観光旅行の場所でもあるらしく外国人がちらほらと見かけられる、国家警備隊の姿を見つけたので電子機器が利用できる場所がどこかを尋ねた。


「図書館かどこかでインターネットを使いたいのだがどこが都合よいだろうか?」


 東洋人とスラヴ人の組み合わせがなぜか近衛将校の姿をしているので訝しく思ったが、中佐と大尉というあまりにも自身よりも上の地位にある者なので警備隊員は丁寧にその場まで案内すると申し出てくれた。


 行ったさきはコンチネンタル・ジザン・ホテルで外国人の居留場所にも指定されている老舗ホテルであった。

 ご苦労と声をかけてやり中へと入る、そこは見慣れた現代の風景が広がっていた。


 フロントでカードを差し出し現地通貨を少し調達しておく、やや為替レートは不利になるが便利このうえないため利用する。

 ノートパソコンの貸し出しを依頼して喫茶スペースを使い調べ物をする、頼む物はアラビアンコーヒーで小さなカップに濃い目の液体が注がれている。


「この格好の上に何か羽織りたいが暑くてかなわんだろうな」


 流石にこの場は涼しいがずっとここに居るわけでもないので考えてしまう。


「ホテルの一角にショップがあるでしょうから後で見ておきましょう」


 この際何でもいいと頷く、それほどまでに派手な衣装なのだ。


 ニカラグアの地理は大雑把に言ってパナマやコスタリカの上でメキシコやホンジュラスの下でアメリカ大陸で細い部分の丁度中心部である。

 それでも中米では大きな国で五百万人以上が暮らしているのだ。


 混血や白人、黒人、現地人に東洋人、まさになんでもありの多種多様な人種が存在しており、ブラック中佐が示したとおりかなりの言語が飛び交う国であった。

 現オルテガ政権はロシア寄りの人物が大統領であり、自身はキューバで軍事訓練を受けるなどした経歴がある明らかな東側志向で大統領の弟が長年軍司令官を勤めている。


 キリスト教徒が多くを占めて宗教的には安定しているがアメリカとの紛争で経済が逼迫しており、国連ではニカラグアの主張が正しいと決議が採択されるほどにその圧力が不当と評価されていた。

 その国際的なアメリカ反対のなかでそれに同調する国が極めてわずかだが存在していた、それがエルサルバドルとイスラエルである。


 なるほどとネタニヤフとユダヤ議員が計画を推した意味の裏づけを得て納得する。

 隣のホンジュラスにニカラグアが攻め込めばアメリカがホンジュラスに援軍をだし防衛する。コスタリカが攻められればそこにも援助をすると、あからさまに対ニカラグアを進めるアメリカだが一時期は協調もしていたそうだ。


 何はともあれ現状外交に失敗したために政権転覆を行おうとするのは戦争を仕掛けるようなもので、確かに第三国人が望ましいがよくわかる。


 汚いやり口と批判するものは多くいるだろうが、ニカラグアの国民は貧困からの脱却が東側では無理だと認識したのか政府には冷たい態度をとり始めているのもまた事実のようで、オルテガ政権は得票支持率が下がっている。


 悠長にまた五年、また五年と待つわけにも行かないとの判断がCIAで出されたものなのだろう。

 一昔前にコントラという勢力が作り出されて反政府活動を繰り広げていたのでそれを踏襲する形が望まれていると考えた。


「政権の反対側の誰か、それもソモサ家以外の民主的な人物を担ぎ出していくしかないだろうな」


 ソモサ家とは近代のニカラグアの独裁政権を行っていた人物のことで、これを担いで失敗したために同じ轍を踏むわけにはいかない。


「野党自由連合は親米派で元大統領が党の最高顧問のようです、これを差し置いての候補はいないでしょう」


 その元大統領のチャモロ女史はもう御年八十を越えてしまっているので後見は出来てもこれからの旗印にするには厳しかろう。

 その彼女が後継者にと認めたアントニオ・オヤングレンが適当と思えた、この人物はチャモロの娘婿でもある。


「フルマークされているだろうけどそれしかあるまい、それをどうやって勝利に導くかが今回の任務なわけだ。自分で言っておきながら随分と恐ろしいことをしようとしているのかがわかるよ」


 恐ろしいことの代償として与えられた軍資金が胸のカードに詰まっている。

 初期資金として五百万ドルが振り込まれていて首尾よく現地での活動が認められれば追加される手はずになっていた。


 ニカラグアの一般的な家庭の収入はニ万円もあれば一カ月暮らせる程度であり、武装を買い付けたとしても一万人規模の組織を一年は運営出来る金額になっている。

 たかが一万人されど一万人である。


 何をするにも手下は必要になる、その為にも基幹となる親衛隊を雇用しなければならなかった。

 中米ニカラグアにいておかしくない人種を再検討する、殆どが混血でヨーロッパから中東の構成が望ましい。


「外人部隊退役者から下士官と将校候補を拾ってこれませんか」

「レバノン陸軍から引き抜けんか?」


 同時に要員についての案が出てきた為に思わず笑ってしまった。


「わかったフランスは大尉に任せるよ、この一カ月を要員準備に宛てるとしよう」


「彼らとはホンジュラスで合流の予定で?」


「そうしよう契約がまとまり次第待機に移らせるんだ集合は追って知らせるってな」


 サウジアラビアにきたばかりなのに早速外国に気が向いてしまう、軍からの身分証は既に胸ポケットの内側に納められている。


 黙って出掛けるわけにもいかないためにイブン殿下に国外へと任務で出掛ける必要があるため許可をと申し出る。


「中佐の好きなようにすると良い。それもアッラーの思し召しであろう」


 そう鷹揚に構えてすぐに許しを得た。


 ――この殿下は随分とアメリカから握らされてるようだな!


 もしかしたら未来の大臣席でも得たのではないかと思わせるくらいに。


 ホテルのショップで買ってきた服に着替えるとジザン空港へと向かう、ここからレバノンまでは四時間かからない程度だろう。


 空港でロマノフスキーと別れを告げる、半月もあれば再会の手はずではあるがここ数年そんな長期に渡り別々になったことがなかったために不思議な気分だった。


「フランスで旨い酒を土産に買ってきますよ」


「じゃあ俺はつまみでも抱えてくるか」


 軽口を交わしてゲートを通る、通関の職員は近衛旅券を見て「アッラーアクバル」と言葉を添えて返す、「ショクラン」と感謝を示して通過した。


 ベイルート空港は賑わいを見せていた、南レバノンがヒズボラの拠点である為にイスラエルの空爆がベイルートに向けられなくなった、様子を見ていた各国外務省が渡航注意の警戒を引き下げ観光客が右肩上がりなのだ。


 正面にある乗り場でタクシーを捕まえる。


「あれ驚いた大尉じゃありませんか!」


「アーメド君か、会社の役員になったんじゃなかったのか?」


 軍事ツアーの観光取り仕切りの功績で上にいったはずなのだ。


「そうなんですがやはり車に乗らないと落ち着かなくて、LAF司令部ですか?」


「ああそうしてくれ」


 前に居たときと変わらない街並みが何だか嬉しかった、司令部も変わらない佇みである。


「会社にいるんでいつでも呼んでください飛んできますよ!」


「ありがとうそうさせてもらうよ」


 多目に代金を支払い差額はいらないよと握らせて階段を登る。

 不審な外国人が来たために門衛の一等兵が口を開く。


「観光ならこっちじゃないぞ」


 少し笑いそうになり堪える、そりゃいつまでも同じ人物が門衛なわけがない。


「島サウジアラビア軍近衛中佐だ。ハラウィ軍事大臣に面会を求めたいので取次を」


 軍証明書を提示して門衛に申請する。


「どのようなご用件でしょう?」


「義息子がきていると伝えてくれ」


 馬鹿にされていると思った門衛が警備室に通報する。

 ビルから兵士を引き連れた下士官がやってくる。


「中佐殿、ここは遊び場ではありませんお引き取りを」


 言葉だけは丁寧に軍曹が退去を要求する。


「参ったな副官でも良いんだが伝えてはくれないか?」


 取次を拒否されてしまい困ってしまった、アポを入れておくべきだったと後悔する。

 驚かせてみたかったとの気持ちがあったために黙ってやってきたのだ。


「おい何をやっている?」


 後ろから聞き覚えがある声がする。


「はっ、こいつがハラウィ閣下に会わせろと」


 振り返ると大尉の階級章をつけたワリーフ・ハラウィが書類片手に見上げていた。


「ハラウィ中尉、いや大尉か久しぶりだ」


「に、義兄さん!?」


 その瞬間一等兵の顔が蒼くなる、不審者がいると通報したのに本当に大臣の義息子だったなんて。

 軍曹に睨まれて更に顔色が悪くなりどうしたらよいかと狼狽する。


「ハラウィ大尉、閣下に面会許可をとってもらえないか用事が出来てな」


「それなら一緒にいきましょう、丁度今書類を届けに行くところでした」


 意を決して一等兵が声を張り上げる。


「中佐殿、誤認申し訳ありませんでした!」


「なに構わんよ、君は門衛として職務を全うしただけだ」


 中佐と呼ばれて答えたのでハラウィ大尉がおっ、といった顔をする。


「島中佐ですか、今はどちらの軍で?」


「サウジアラビア王室警備隊!」


 渡り廊下を越えて階段を登る、エレベーターは使った事がないなと今更ながら思い起こす。


 司令官オフィスへと大尉が入るのについてゆく。

 気配が複数のためにハラウィ大臣がちらりと視線を送り二度見してしまう。


「島大尉!?」


「お久しぶりです閣下、黙ってやってきて驚かせたく無礼を働かせていただきました」


 つい執務を中断してイスから立ち上がり近づく。

 副官が何者だと疑いのまなざしを向ける。


「驚いたよ私の息子よ。元気で何よりだ!」


「義父上、龍之介はサウジアラビア王室警備隊中佐を拝命してやって参りました」


 大臣が息子と呼び東洋人が父と返し、しかも中佐と名乗ったので副官が遅れながら敬礼する。


「うむそうか、ここではなんだワーヒドにでもいこうじゃないか。大尉、私は上がるから事後処理をやっておけ」


 副官にそう仕事を丸投げするとハラウィ大尉から受け取った書類もそのまま手渡してしまう。


 正面口にハンヴィーを回させて乗り込もうとすると猛ダッシュで一等兵がドアを開けにきた。

 大尉と二人で苦笑して礼を述べ乗り込む。


「家族の絆に乾杯」


 ファードの音頭に唱和する、気を利かせて周りのテーブルには客が入らないようにしてくれている。


「して島中佐、何を求めてレバノンへきたのかね」


 どうせまた予想外のことだろうと少し身構え期待しながら尋ねてくる。


「いえね次の任務の為に親衛隊と要員を雇いにまわろうかと思いまして。プレトリアス曹長を貰えませんか?」


 身の回りの護衛や例の通信担当として四人まとめて引き受けたいと相談する。


「本人が承諾するなら除隊させるのも構わんが、サウジアラビアで軍事行動が?」


 少し不思議そうな表情をのぞかせる。


「中米ニカラグアで政府を転覆させるのが任務でして」


 二人が口にしたビールを吐き出しそうになる。


「するとサウジアラビア中佐というのは偽装ですか?」


 身分証を偽造したのかと疑うが何故サウジアラビアなのかの回答にたどり着かなかったようだ。


「これは本物だよイブン殿下の近衛だ。だが偽装なのも間違いではない」


 目を細めてファードが考えを巡らせる、サウジアラビアが主体的に中米に手を出すはずがない、アメリカとロシア何れかが背景にあるのがわかる。そして現政権は反米だったとの記憶から転覆となればアメリカが黒幕だと判断出来た。


「勝算の程はどうだろうか?」


 真剣な表情で問い掛ける。


「正直何とも判断付きませんが、全く無理だとは感じませんね」


 どこか余裕を感じさせる態度を示す、事実わかりはしないがやってみる価値はあると思っていた。


「ワリーフ、私は常々可愛い息子には旅をさせるつもりであった。どうだ一つ勲章を増やしてみないか?」


「義兄上の力になりたいと思います。自分も連れて行って貰えませんか?」


 兵士を雇いにきただけなのに一人残る息子を危険に晒させるとファードが言うではないか。


「閣下、危険すぎます無事に終わる保証はありませんよ」


「自分も軍人です、常に死と隣り合わせなのは承知の上です。大きな経験を積む必要があります」


 将来は軍の高官が約束されているために今しか転出の機会はないかも知れない、それはわかっていても娘を自分のせいで失ってしまったファードに息子まで亡くす危険を背負わせるのは気が重かった。


「いやしかし……」


「龍之介よく聞きなさい、私はワリーフも龍之介も変わりなく息子だと思っている。片方が苦難に挑むにあたり助力させるのは当然のことだ、最早一人たりとも失うつもりはない」


 毅然と言い放つファードの瞳は真剣そのものである。


「自分が間違っていました。ワリーフ、手伝ってくれるかい」


「もちろんです!」


 二人が握手をするのをファードが嬉しそうに頷いて見守る。


「よし決まりだ、ワリーフ明日は随伴させる兵を一緒に探しなさい、本人が望むなら除隊を承認する」


「ニカラグアはスペイン語が公用語です、英語も通用しますが何せ前者が必要となります」


 兵すべてが理解する必要はないが選ぶ際のポイントを指摘する。


「ならば自分にぴったりですね」


 島にスペイン語を教えた師匠がアピールする、確かに将校は全員理解していて貰いたいものであった。


 ジザン空港へと機が着陸する。出たとき同様に顔を見たときには不満そうでも査証を見るとアッラーアクバルである。

 イブンの私邸へと戻るとロマノフスキーが先に戻っていたようで声をかけてくる。


「よい旅行だったようでなによりです中佐」


 顔色一つですべて筒抜けとは困ったものだがそれはさておき結果報告をするために街に出てホテルで成果を確かめ合う。


「ハラウィ大尉とプレトリアス曹長、幾ばくかの兵を雇えたよ」


 ハラウィ大尉との名前に驚きを見せたが同時に納得する。


「自分は退役曹長一人に退役伍長二人、退役兵士を数名です。全て外人部隊出身ですよ」


 そうにやにやしながら話す大尉に何となく不気味さを感じた。


「もしかして退役曹長ってのは……」

「よくわかりましたね、そのもしかしてです。体力的にはもう最前線は厳しいでしょうが軍務についてはまさにうってつけです」


 そう言われたらその通りと溜め息をついてしまう、ファッキンマスターサージ、島をこの道に嵌めた人物である。


「それはそうと暫く髭をそらない方が良いかも知れませんね」


「なぜだ?」


「中佐にしては若すぎて軽くみられてしまいます、せめて髭を生やして雰囲気作りを」


 言われて気付くがまだ三十にすらならない身で中佐は確かに異常である。

 良くても大尉、三十過ぎてようやく少佐といったところが妥当だろう。


「東洋人は若く見えるだけじゃ辛いな」


 苦笑いして真面目に付け髭まで考えてしまった、まだファッキンマスターサージを中佐だと偽った方がらしくみえる。

 なるべく人前には出ないにしても見た目は重要なポイントであるのは間違いない。

 悩んだあげくに本当に付け髭をするとは本人も予測出来ない結末であった。


 あっという間にサウジアラビアでの待機が過ぎ去りホンジュラスへと渡航する日がやってきた。

 除隊証明書を貰い私服で空港へと向かう、日本の旅券を提示して出国し着いた先でホンジュラス公務査証を添付し通過する。


 アメリカ様はあちこちの外国を自由に操作出来るようだ。


 熱帯地域特有の刺さるような日差しが二人を責め立てる、砂漠での暑さとはまた違う感覚が伝わってくる。自身を頂点とした島の新たな挑戦がこれから始まるのであった。

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