第百四十七章 アルメニアの軍人
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ステパナケルトへ到着した時には既に暗くなりかけていた。ロマノフスキーらは街の南にある三階建のナイリホテルの二階部分を借り上げて泊まることにした。車両それぞれに二人の兵を残し泥棒対策をする、軍用車両という物騒なものであっても窃盗を試みようとする輩がいないとも限らない。こんな心配は南スーダンでの活動以来だと、小さく笑う。
窓から外を見ると、古い集合住宅が整列していてソ連の面影を思い出すことが出来た。エレバンに比べると夜の気温の下がりが急激で、少し肌寒い感がする。さして人口が多いわけではない、このあたりで最大の都市であっても五万人そこそこしか住んでいない。
何の気なしにテレビをつけてはみるが、辛気臭いニュースといつ収録したかわからないような再放送番組しか流れていなかった。たまにウィルスがどうのとかが流れている。
――近いうちにおっ始まるだろうが、あっちはボスやマリーに任せておけばいい、俺が真にすべきことを見付けるんだ。
クァトロの副司令官、ロマノフスキー准将の役職はそうなっている。司令官が居れば必要はない、ゆえに同じ場所に居てもなんら役目が産まれてこない。常に違うところで別のことをしているからこそ価値がある。
テロリストは水が低いところに流れるように、活動が成功しやすいところに集まって来る。アルメニアの本土から離れた場所であるここナゴルノカラバフ、いざ始まればいくらでもテロを起こせるだろう。被害を被るのはキリスト教徒が主のアルメニア人だ。
たまに警察官なのか軍なのか、銃を持った者が乗っている車が走っているのが見られた。哨戒所で話をしていたように、アルメニア軍がここにも存在している。本土から派遣されている正規軍が。
紛争が見込まれる地域特有で、総人口が十五万前後しか居ないというのに、軍兵が二万人も存在する。適正数は数千人、それも半ばより下。からくりとして一万人以上がアルメニアからの兵ということだ。
だとしても防衛には全く足らない、そこでアゼルバイジャンと接している東部全般には多数の地雷を埋め込んで通行を不能にしているオハニャンラインという物騒極まりない場所が幅広く存在している。これは国防大臣であったオハニャン大将の名前を借りての事だ。
主都を囲む四カ所と、周辺地域の八カ所に要塞化をした地区がありそれらが連結されている。各所に対戦車兵器を設置し、四カ所に戦車や装甲車を潜ませていた。僅か二機だけではあるが、主都の空港に戦闘機スホーイが待機していたり、ミル戦闘ヘリが少数あったりもした。
比較すると防空兵器はそれなりに装備している、両手の指では少し足らない位に。
これだけ異常な軍事偏重をしているので、国防費用は国民総生産の二割を超えてしまっている。成人男性の五人に一人が兵士であり、予備役を含めたら五人に三人が戦いをすることになる。紛争の現実はこうも厳しい。
「まあいいさ、俺のやりたいようにやる」
ベッドに転がり目を閉じる。左右の部屋はブッフバルト少佐とオビエト先任上級曹長と兵、廊下も二人の兵が交代で夜警をしているので不意の襲撃は可能性が低い。何より殺気を感じればコンマ一秒以下で目が覚めるのが身についてしまっている。
外は朝日が差していて明るい、とはいえまだ時計の短針が下を指している。軽い揺れと共に爆発音が聞こえた。ロマノフスキー准将はぱっと目を開けると身だしなみを整えて、チラッと窓から外を見る。
――土煙と火災だと?
角度を変えて幾らか外を見てみると、複数個所から煙が立ち上っているではないか。テレビをつけてもまだニュースにはなっていない。ドアがノックされ「閣下、異常発生です」廊下へ出ると宿泊していた者が全員廊下に集まっていた。それもしっかりと軍服を着てだ。
「ホールで警戒待機、車両の確保に伍長を送っておけ」
――こいつはビダの狂気じみた訓練のたまものだな。かくいう俺も、ファッキンサージとどれだけにらみ合ったことやら。
ナイルホテル自体はまだ建築して二十年程度、簡単に崩落もしない。ならば上階よりも地階の方が安心できる。ロビーホールに降りると夜番の受付男性が狼狽していた。客を避難させようにも外で火災が起こっているから。
「どうやら空爆が行われているようです」
通信機を手にして兵が直接ロマノフスキー准将へ進言する。受信先はもちろんアルメニア軍の通信帯、アルツァフ国防軍はアルメニア国防軍とかなりの度合いで統合された組織なので、将校下士官の異動すらしていた。当然のように無線も共用だ。
「ということはアゼル軍がついに動いたということだ。もし俺が司令官なら次は砲撃で、三十分後に機甲を突入させる」
「ならばもう少し掛かるでしょう。アゼルバイジャン軍にロマノフスキー副司令官は居ないので」
あのブッフバルト少佐が軽口を挟んできた、長いこと一緒にいたおかげ、或いはそのせいで性格が上向いてきている。既にエレバンの司令部には通報しているようなので、自分達の身の振り方を決めるべきだった。
「では朝食でも食べながら考えるとするか」
にやりとして小さめのホテルレストランへと向かう。厨房も混乱していたが、落ち着き払った軍兵が朝飯を寄越せと座ったものだから仕方なく作り始める。レストランに置いてあるテレビにようやく速報が流れた。
「アルメニアテレビジョンより緊急速報をお伝えします。本日早朝、アゼルバイジャンによりナゴルノカラバフへ空爆が行われました! 政府の緊急発表が見込まれます、全国民はテレビ親日ラジオを傾聴してください!」
アルメニア語で放送されて、画面にはロシア語のテロップが映し出されている。通訳大尉もほぼ同じことを口にしたが、顔色が優れない。それはそうだろう、面倒なことに巻き込まれているという自覚があるはずだから。
食べている間にホテルの支配人が大慌てで駆け込んできた。だがこれといった混乱をしてないのできょとんとしている。
「やあ支配人、良い目覚めでしたかな」
「おぉガスパジーン……大変なことに」
支配人が喋っている最中にラジオから異様な警告音が聞こえてきて「アルツァフ共和国大統領より緊急声明があります、全国民は耳を傾けて下さい」という注意が出される。通訳大尉がヘッドフォンを渡されてそれを耳にあてる。
「一時間程前に、我が国の複数個所へアゼルバイジャン軍より攻撃が加えられた。大統領権限を以て今現在より戒厳令を発令する、一般市民は自宅より出ることを禁じる。同時に予備兵への動員令を発令する、該当者は最寄りの軍部隊へ出頭せよ。これは戦争だ、武器を取り敵を阻め! 兵士諸君は、その背に無力な市民が居ることを再認識せよ!」
冗談でも訓練でも何でもない、真実戦争が起こった。二十一世紀になって十年、二十年が過ぎても平和な世の中で世界が優しさで包まれることなど無い。食事を終えて暫くすると、ロケット弾や榴弾が市街地にも降って来た。それらは軍事施設を狙ってはいるようだったが、民家へも容赦なく降り注ぐ。
「下手くそが、出来もしないのに精密砲撃のつもりか?」
いらだちからつい口をついて出てしまう。関係各所からの情報を整理すると、南部と北部、山が低い場所を狙って進軍してきているらしい。主都は多重の防衛区画に守られているので、地上軍は迫ってきていない。
「アルメニアの国防省発表です。アゼルバイジャン軍の攻撃を確認、戦車、航空機、兵員、そして無人航空機で直接的な攻撃をしていると国際社会に非道を訴えています」
「それで、アゼル側はどうだ」
「朝方にアルメニア軍がアゼルバイジャン、及び軍陣への砲撃を行ったのでその反撃をしているだけだと」
「くそったれが!」
――こんなのは水掛け論だ、きっちり進軍してきているアゼルが仕掛けたってのは小学生でもわかるだろうよ。ここの防備は解らんが、堅い守りをしているところよりもそうでないところを攻めるに違いない。
午前十時を過ぎた頃、テレビでもラジオでもインターネットでも様々な情報が大氾濫しだす。銃弾が飛んでくることはないが、たまに砲弾が市街地に落ちることはあった。恐らくは街の四方に置いている要塞を狙ったのが、大誤算で飛び込んできているものだ。
ぽろぽろと男が通りに現れては北側へと走っていくのが目に付く、動員を掛けられた予備兵が司令部へ向かっている最中だ。若いのも居れば中年も居る、たまに老人のような奴も出歩いていた。テレビに今日何度目になるかの緊急放送が割り込みで映し出される。アゼルバイジャン大統領の演説らしい。
「アルメニア軍の突然の攻撃に対して反撃を行っている、市民は混乱しないように自制を求める。ことは軍が解決する。戒厳令を発令、二十一時以降の夜間は外出を禁止するが翌朝六時より外出を許可する。これは指定の都市及び、アルメニアとの国境付近への措置に留めるものとする」
アゼルバイジャン語で比較的落ち着いた内容の命令が出された。事前に色々と準備していたのだろう、アルメニア側とは大分違いがみられた。
――ふむ、結構わかる単語があるものだな。ウズベク語と従姉妹のようなものとは思っていたが、敢えて簡単な言葉を選んで演説したせいだなきっと。
状況を伺い行動を起こさないロマノフスキー准将、それをせっつくような者は居ない。ただ警戒し、ホテルの平穏を保っているだけ。初日からテロリストが同時に動き出すとは考えていない、だからこそ動くという奴もいるかも知れないが。
「持久戦か、まあいいさ」
情報収集を命じてロビーにあるソファで足を組んでじっとしている姿を見て、ブッフバルト少佐が「半数警戒、半数休息を行え。夜警は今のうちに寝ておけ」皆の状態を保てるように命令を下す。イスラム国相手の時と比べどうかと考えるが、これといった結論を出そうとはしなかった。
◇
ホテルの部屋、島は次々に入って来る情報に触れながら推移を見守っていた。外信でも昼過ぎにはニュースが流れるようになり、ルワンダの当局からも確認があった。
「ボス、アゼルバイジャン国防省から六つの村落の占領を行たっと報道がありました。その他に戦略地である高地、アグダラの高速道路を確保したとのことです」
「そうか」
――奇襲状態だな、それでなくてもアルメニア軍では荷が重いだろう。限定戦争であってもあちこち破壊もされれば死人も出る。
イランへの越境誤射も発表されていたが、弾着したから気をつけろ程度でしかなかった。これが日本ならば半狂乱で自国の政府へ猛抗議する輩が湧いて出るだろう。それでいて相手には直接何も言わないのが。
「原発の防衛司令部からは異常なしが届いています」
マリー中佐が厳戒態勢に切り替えて、二十四時間の通常警備を命じている。これにより昼と夜の区別や曜日の別がなくなり、兵らの休暇も全て部隊内での休憩のみになる。
「あちらはマリーに任せておけばいい。アルメニア政府からは何か言ってこないか?」
腐っても他国の外交官でもある、一大事が起きて何もせずにほったらかしには出来ない。武力を持っているので、もしかしたら危険視されている可能性も考慮しなければならない。
「マルキアン少将のところで直通回線を開けないかと打診がありますが、政府からはこれといってありません」
軍部との繋がりを持つのも良いが、はいともいいえとも答えてはいけない時もある、今は受信だけしておき無回答でいるのが正解だというのは島にしても同感だった。マリー中佐のところで現場同士の連絡は取れるはずなので、大きな穴があく心配は要らない。
「セヴァン湖北の武器庫がUAVで攻撃を受けて爆発を起こしたようです」
アルメニアの中央部にある大きな湖がセヴァン湖で、首都であるエレバンはその西側に隠れているような形だ。その大きさたるや琵琶湖の凡そ二倍と巨大で、世界で一番の高地にある大型湖として知られている。観光でやってきたら高山病に注意だ。
「UAVか、これからの戦場は頭上注意どころの話ではないな。映像が手に入るようなら取り寄せておいてくれ」
「畏まりました」
夜中になるがこれといって大きな報告も無いので睡眠をとることにする、皆が交代で休むので情報を取りこぼすこともない。だからと寝付けるかは別の問題で、暫く色々なことが脳裏をよぎっていた。戦場であっても寝ることが出来るのが良い兵だと言われてから十数年、その教えは今日も守られた。
朝になりパッと目が覚めると、軍服を纏って寝室から隣室へと入る。椅子に座っているのが仕事だが、まずはテレビに視線を流す。速報がまた流れていた。アゼルバイジャン国防省の発表で、アルメニア軍の襲撃を非難するもので、アルメニア兵がアゼルバイジャンの軍用車両と堆積物資を攻撃して破壊している映像だった。
――これならいくらでもねつ造可能だが、いちいち検証しても彼方へ押し流されるだけなんだろうな。結局全て終わった後でどこかの誰かが声をあげても、いまさらどうなるってな。
報道発表はどれを見てもアゼルバイジャンの方が有利な使い方をしていた、優秀なスタッフが情報支援を行っているのが見て取れる。様々な映像は上空からものもが混ざっていて、平面からだけのものよりも説得力がある。
「アゼルバイジャン国防省からの発表ですが、タタールへの攻撃を受けたため治安を維持する為に反撃に出たとのことです」
「タタール?」
地図上を場所を指し示すと、ナゴルノカラバフの右上とでもいえばわかりが良い。アルメニアが実効支配している場所で、ナゴルノカラバフの本来の指定区域よりもはみ出ていた。意図は単純で、アゼルバイジャンが盗まれた土地を奪い返したということだろう。
何も守っているばかりが防衛ではない、攻め返す部分があれば兵力をそちらに割かなければならない、そうなれば攻勢が減って結果防衛に寄与することにだってなる。
「アルメニア軍はT-72やT-80が主力の戦車です、それらがタタールを攻撃し、アゼルバイジャン軍がT-72やT-90で応戦したようですが、アルメニア軍の戦車が撃破されて撤退した模様です」
同じ装備をしているのは国家の成り立ちや立地があるのでうなづけるが、整備がなされているかどうかは経済力によるところが大きい。腕前が同等ならば良い装備を、良い整備状態で運用できる方が勝つのは当たり前だ。
「見分けがつくように注意しないとならんな」
スホーイの誤射事件もある、塗装や国籍表示を良く確認させるのを徹底しなければならない。世界的にも珍しい、黒軍装のクァトロは殆ど見間違えられることはないが、迷彩効果が得られず不利になってしまう。
その後も黙ってテレビをつけっぱなしにしていたが、何度も両国の国防省が発表を行い、その度にアルメニアの不利が伝えられる。三度に一回はプロパガンダだろう、アルメニア軍の非道映像が差し込まれる。それが事実であろうとなかろうと、そういった報道がされれば一定の人数が信じるものだ。
――落ち着かんだろうな、アルメニア政府はどう対抗するつもりだ?
他人ごとであるが、他人ごとだと忘れるわけにもいかない。気を抜けば自らに不都合が降りかかって来るかも知れない、何せ色々となすりつけるには便利な存在なのだ。朝食を部屋でとり、書類を処理しているとアルツァフの大統領が画面に現れた。
「親愛なる国民諸君、今朝我が軍は不埒にも侵略してきたアゼルバイジャン軍を、北部タリシュ方面で撃破し、不意打ちを受けた開戦前まで領有していた線まで押し返すことに成功した。恐れることはない、正義は我等にある!」
一部有利に戦うことが出来た戦域での勝利を発表したようだった。地図を見る限りは山岳地帯、主力軍が防衛側にほど近い地域ならばこその戦果だろう。ところがそのすぐ後に、アゼルバイジャン国防省から対抗報道がされる。
「アゼルバイジャン軍はタリシュ近郊の戦略重要拠点を占拠した。アルメニア軍は大損害を被り、僅かな地歩を得たにすぎず、それもアルメニア系シリア人傭兵の力によって手にしたに過ぎない。程なくして追い落とされ、己の無力を知ることになるだろう」
傭兵を軍に置いているとの発表を行った。それが事実であろうが無かろうが、正規軍ではない存在を使っているのは世界からの評価が落ちてしまう。義勇軍だと真っ向存在をアピールしているならば話は別だが、存在を隠してこそこそと戦っているのはいただけない。島はつい苦笑してしまったが、傭兵とはそういうものなのだ。
――ま、戦争がある場所には必ず存在してるものだ。それにしてもまたシリアからか、宗教問題というのは本当に根が深い。
アゼルバイジャンにだっているはずのシリア人傭兵については一切触れない。悪かったのは、その傭兵らしきやつの死体がある、そう言っていたからだ。島も何度も部員に言ったり、或いは自身に言い聞かせたことがある。傭兵は死ぬのも捕虜になるのも許されない、と。
◇
十日程の時間が流れるも、ロマノフスキー准将はナイルホテルから動こうとはしなかった。入って来る情報は、その殆どがアゼルバイジャン優勢のものばかりで、特に補給路への攻撃が厳しく行われていた。わずかな平野部はその全てが占領されてしまい、今は南部の山岳地帯を切り取られていている。
今までの戦争とは違い、映像が多数公開されていて、世界中の多くの者がリアルタイムで現実をすることになる。
「また報道が行われております。アルメニア軍がインフラを破壊するために攻撃をしているとのことです」
「確かインフラを攻撃はしないと昨日だったか一昨日に言っていたな」
「一昨日の夜中です。BTCラインへの攻撃を撃退したと映像が」
どこまでが事実で、どこからがねつ造なのか。或いは全てが事実かも知れないし、全て誤りかも知れない。確かなことはホテル付近への砲撃がたまに来ることで、重砲の射程内に軍が居るということだ。ブッフバルト少佐の報告を聞いて、いよいよアルメニア軍も押し込まれてきていると実感した。
「閣下、お知らせしたいことが」
「どうしたオビエト、美味い飯を出す店でも見つけたか」
軽口をたたく、ずっとホテルのレストランばかりで飽き飽きしていたから。暖かい食事が出るだけマシなのだが、そこは現場の雰囲気造りといったところ。
「そちらの報告は後程。ホテル近郊の映像ですがこれを」
カラー映像のプリント、ドローンからのものだ。見るとアルメニア軍服の男が数人映っていた。といってもアルツァフ共和国軍の軍服もデザインは一緒だが。
「こいつがどうしたんだ」
珍しくも何ともない、何千人も主都付近で防衛をしているのだから。とはいえわざわざ報告を上げて来たのだ、理由があるのだろう。
「肩の階級章をよくご覧ください」
滅多に使わないルーペを持ってこさせると、写真をじっと睨む。ロマノフスキーの顔に険しさが浮かび上がる。
「四つ星というと上級大将か。なんでまたこんなところに……ん、おかしいな?」
「はい、アルツァフ共和国の軍制では大将までしかありません」
ついブッフバルト少佐と目を合わせてしまう。アルツァフ共和国では大将が最高階級なので三つ星までしか存在していない、それが国防大臣だとしてもだ。ならばアルメニア軍の軍人なのだろう、ではその重要人物がどうしてこのあたりをうろうろしているのか。
「アルメニア軍上級大将のリストを持ってこい」
「用意してきました」
そうなるだろうことを予測してオビエト先任上級曹長が一枚の紙を手渡す。ソ連を独立してから今現在まで、その全てをピックアップしてある。そこから存命の人物のみを残し、役職を解かれて大将に差し戻された者を弾き、現在議員になっている者を外し、国防省に滞在しているはずの現役を消すと数人が残った。
「正確な場所は」
「三号道路の区画です、ここから三キロほどで」
「いきなり行って会ってくれるかはわからんが、俺は興味が湧いた。総員移動の準備だ」
「ヴァヤ スコマンダンテ!」
待機ばかりが続いていたが、突然の移動命令が下る。兵らに速やかに全てを引き払うように命じると、オビエトは市内にドローンを飛ばす。アルメニア軍と友軍認識コードを設定しているので、見つかっても撃ち落されることは無かった。
三号道路をルワンダ軍旗を掲げて移動を行う、市民が何だあれはと首を捻って凝視してくるが、時速三十キロの低速で二十メートル間を空けて進む。写真の地形と合致する場所にやって来ると、兵を降車させて展開した。周辺の目ぼしい建物に訪問させると、倉庫のようなところだけが人が出てこないと報告される。
「大尉、悪いが貴官が声をかけてみてくれ」
「ダー」
通訳大尉を派遣して倉庫にアルメニア語で話しかけさせると、中から返事が得られた。幾度かやり取りをすると大尉が戻って来る。
「面会を許可されました。閣下と副官のみとの条件ですが」
「わかった、大尉は?」
「通訳なので同道致します」
「オビエト、部隊の指揮を預ける。ブッフバルトは俺についてこい」
倉庫の前に立つと内側から扉が開けられる、年配の軍曹が敬礼すると道を譲る。中に入ると細い通路があり、事務所のような部屋に案内された。事実事務所なのだろう。そこに居たのは白髪の老人たち、若い者でも六十歳前後だろうか。古びた軍服にはしっかりと階級章が取り付けられている。
まっすぐ進むと奥に座っている男に視線を向ける。踵を慣らすと姿勢を正して敬礼をした。
「ルワンダ派遣軍ロマノフスキー准将であります!」
ロシア語でそう申告すると、その老人はゆっくりと立ち上がり返礼をする。
「アルメニア軍退役上級大将ブカニャンだ」
半世紀以上前から軍人として活躍し続けて来たであろう男、そういった雰囲気が伝わって来る。左右に位置している将校らも退役組だろうか。
「自分はメツァモール原子力発電所防衛の為に特別派遣されたルワンダ軍の副司令官であります。ステパナケルト視察の為に市中にあり、上級大将閣下をお見掛けいたしましたのでご挨拶に伺いました」
珍しい、ロマノフスキーがこのような態度をとったのはニカラグアの時以来だろう。役目だからそうしたというのが殆どだが、今回は何かが違う。
「はるばる祖国への助力をしにきてもらい、アルメニアの民を代表して謝辞を述べさせてもらう。今は国家も軍も代表してはいないのでね」
数代前の総参謀長、政治の世界へ行くことも無く、国防省で官職を得ることも無く、ただ軍人としての人生を全うした人物。ゆえに、上級大将のままで軍を引退した。国防省へ移るならば大将に降格し、それなりの官職を得て禄を食むことが出来るのに。
ただならぬ緊張感に、双方の側近が息を飲む。どうしてこうして二人が話をしているのか、彼らを含めて誰にもわかってなどいない。
「不躾に申し訳ございません。上級大将閣下がこの地にある真意をお聞かせいただけないでしょうか」
側近将校が無礼者と叱責をしそうになったが、ブカニャン上級大将が軽く左手を肘くらいまで上げて制する。
「私はソヴィエト連邦の時代から、アルメニアの為に尽くしてきた。ナゴルノカラバフに駐屯していた時期も十年以上ある。このような事態に陥り、国への恩を返したくてこの地に在る」
真っすぐにロマノフスキーの目を覗き込み、聞き取りやすいロシア語で語った。恐らくはこの場の者達皆がそうなのだろうことが想像出来た。
「骨を埋めるならば最後まで国へ奉仕をしたい、その想いでステパナケルトの防衛を自主的にしている。とはいえ最早引退した身だ、自由になる兵など微々たる数でしかない」
この倉庫に居る十六人だけ、そう自嘲気味に笑う。老人ばかりが集まっている、予備役の動員にも、後備役の待機にも引っ掛からないような者達ばかりだ。装備を見ても自前で用意しただろう旧式のものばかりが目に付く。
「アゼルバイジャン軍はいずれここにも攻勢を仕掛けてくるでしょう」
「ナゴルノカラバフは国際的にはアゼルバイジャン領として認知されている。我等とてそれは解っているのだ。だからと今まで何百年と祖先が暮らしてきた地を捨てろと言われて、はいそうですかとはならん」
アルツァフ王国が建国されて以来、大国に支配されてきたことはあったが、それでもずっとこの地に住み続けて来た。ソヴィエト連邦もとある日、ここはアルメニア領だと認めたことだってある。その直後、翌日に宣言をひっくり返されてしまったが。
思えばその頃からずっとだ、アルメニアが国際社会に粘り強い外交をしてこなかったのは。ナゴルノカラバフを実効支配してそのまま。常に多くの理解を得るために活動してきていれば、今このように争いになっていたかどうか。明らかに外交的怠慢がある。
「日に日にアゼルバイジャン軍は失われた地を回復していますが」
「祖国がこうなっているのに黙っているわけにはいかん、だが…………軍服をまといながら国民を守れずにいるのが悔しい!」
何も出来ない自分が情けない、ブカニャン上級大将が声を強くする。側近将校らも拳を握りしめると視線を床に落とす。彼らがどう感じようと、現実は変わらない。かつてロマノフスキー少尉は、ウズベクという祖国を守ることかなわずに戦死したことがある、悔しさが強く理解出来た。
「人が従うのは地位でも名誉でもありません、その行動です。閣下、自分が戦うための装備を供与致します。ルワンダ軍は直接戦うことを禁じられていますので」
そんなことをしてしまえば国際問題になってしまうことは、この場の誰もが知っていた。
「貴官の申し出を嬉しく思う。だが見ての通り老骨は武器を手にして走ることすら出来ん有様だ」
なぜ倉庫に集まっているか、前線で戦うだけの体力が無いから。足手まといになるならば、ここに敵が押し寄せて来る時に盾になろうと通りの傍で待っていた。
「覚悟はおありですか?」
「無論だ!」
「でしたら充分です。操作に多少の知識と慣れは必要ですが、部屋で座ったまま戦える世の中になったんですよ。無人航空機攻撃でやり返しましょう。補給物資が届かなければ進軍も出来なくなるでしょう。小官からの贈り物です、どうぞお受け取り下さい」
テレビニュースでそういうものが使われているのは知っていたが、実物を見たことすらなかった。だがそれを多数提供すると言われ、もしかしたらと思えた。
「喜ばしい! 我等にもまだ戦えるだけの価値があったとは。全ての責任は私が取る、ルワンダにも貴官にも何一つ迷惑をかけないと誓おう」
老人たちの瞳に意思が宿った、ロマノフスキーはその瞬間をきっと忘れはしないだろう。防衛司令部から予備の機体が夜陰に紛れて空を舞う、ハンヴィーM1151目指して真っすぐに。




