第百四十六章 反転攻勢
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山と山の間を伸びている道路、トレーラーがギリギリ片方の車線を走ることが出来る幅で、大きく曲がった場所では優先を得られなければ通行が無理な場所もある。灰色っぽい壁に赤い屋根、お馴染みの実用性一点張りの建物がぽつりぽつりとある場所にやって来ていた。
ラチン回廊はアルメニアと飛び地のナゴルノカラバフを結ぶアゼルバイジャンの領土に設置された平和の道と定義されている。国土としてはアゼルバイジャンであり、必要としているのはアルメニアとナゴルノカラバフ、つまりはアルツァフ共和国を称する集団。
いがみ合うことがある両国ではまとまる話も流れてしまう、そこで双方と話が出来るロシアが間に入り、通行権を管理する為に軍を駐屯させていた。周辺への警備はロシア国境警備軍が、通行管理はロシア連邦保安庁が、治安維持はロシア陸軍が担当している。それらを統括管理する統合司令部はロシア軍が設置していた。
アメリカ軍からの供与で手元にあったハンヴィーM1151という軍用四輪駆動車、ベースに装甲と機銃を追加したものに将官座乗の旗を括りつけて二両で回廊へと侵入した。前を走っているのはブッフバルト少佐とレバノンガーディアンズの通訳、それに下士官と兵等で八人。後ろはロマノフスキー准将とオビエト先任上級曹長、それにドレコフ少将から借りている通訳可能な大尉と兵でやはり八人。
検問で差し止められると車両が停止する。前の車にロシアの連邦保安官がAK74カラシニコフと呼ばれている小銃を手に近づいてくる。連邦保安官とは言っても、要はロシアの軍人だ。
「軍の通過は聞いていないが」
運転手は当然二等兵で最下級なので、助手席に座っている伍長相手に高圧的に喋る。相手は上級軍曹、不審者を見る目つきだ。ロシア語なので唯一理解可能なのは通訳のみ。後部座席に座っているブッフバルト少佐が通訳に真四角の窓を開けさせた。破砕防止加工がされているので金網はついていない。
「俺はルワンダ軍派遣軍のブッフバルト少佐だ。ドレコフ少将閣下の了解を得て視察を行っている、通行の許可を」
窓から奥を覗き込み敬礼をするも、連絡などしていないので当然「確認いたしますので少々お待ちください」となる。後ろから前哨所長である大尉がやって来た。見覚えのないハンヴィーを目を細めて睨み付ける。
「連邦保安局キレネースキー大尉です。少佐殿、ギュムリの派遣司令部からは連絡がありませんが、担当はどなたでしょうか」
前哨所から異常を察知して兵が出てくると左右に散った。その数は十二人、直ぐに他所からも応援が来るだろう。後方の車両から非武装の兵が降りて後部座席の扉を開ける。立派な体躯の男――ロマノフスキー准将が通訳大尉を引き連れてキレネースキー大尉の前に立つ。
枯れ葉と緑の迷彩模様の連邦保安官に対して真っ黒の戦闘服、見上げる目線が襟元の一つ星を見付ける。それとくすんだ緑のハーフコートタイプの軍服のロシア軍大尉、司令部に行った時に見覚えがあった。
「ロマノフスキー将軍だ。ドレコフ少将に協力を約束されているが、足止めをするとはどういう了見だ?」
「いえ、そのような連絡は頂いておりません」
しゃくし定規のような反応、これはこれで何一つ悪くない。むしろ階級に押されて道を明け渡す方が難ありだ。
「そうか、なら確認したらいい」
煙草を取り出して火をつける。物欲しそうな視線が集中した、胸ポケットにしまうではなく目の前の大尉にくれてやった。通信兵が本部と連絡を取ると、してもいない話の確認が取れたと大尉に伝える。
「も、申し訳ございません、こちらの連絡ミスでした!」
「わかればいいんだ、貴官は真面目に職務をこなしていただけだからな。まあ丁度いい、少し話を聞かせて欲しいがいいか?」
「はい将軍閣下! どうぞ哨戒所へお入りください!」
通訳なしでロシア語を喋る、風貌も自分達となんら変わらない人種。本部が確認をしているのだから疑う方がどうかしている。
「オビエト、あの箱をこっちに」
「スィン」
スペイン語で指示を出し後方に積ませていたアタッシェケースを二つ持ってこさせる。
「大尉、貴官の仕事ぶりは立派だ。こいつをやろう、皆で分けると良い」
上級軍曹に持たせてオビエトに開かせる。そこにはウォッカの酒瓶が詰め込まれているのと、ピョートルと描かれたタバコだ。兵らが顔を輝かせるのが目の端に映る。
「ありがとうございます閣下!」
構うなと手をひらひらさせて建物へと歩いていく。中に入るとドカっと大尉の席だろう椅子に勝手に座るが、嫌な顔一つせずに目の前に立った。
「まあ大尉も座れ」
椅子を持ってこさせて机越しに座る、これではどちらが所長なのかわからないが、全くもって不思議な光景でも何でもない。兵らの休憩所では早速室内が真っ白になる位に煙草をふかし始めた。オビエトだけを傍に置いて他はハンヴィーで待たせる。
「回廊内にアゼル軍は入って来るのか?」
「はい。ですが少数です。回廊沿いに部隊を置くことがありますが」
ラチン回廊は飛び地の通行解消のための場所だ、その距離はアルツァフ共和国の主都ステパナケルトまで六十キロある。首都と呼んでよいかは若干微妙な点はある。
「では他の軍は」
少しその言い回しを考えてからキレネースキー大尉は返事をする。
「アルメニア軍が通行することがあります。その際は事前に通知があります」
「他は」
残るはアルツァフ共和国だったが、それをなんと呼ぶかで心持ちが伝わる部分があった。そんな些細なことを知りたいわけではないが。
「ナゴルノカラバフの軍が」
「他は」
ロマノフスキーは表情を変えずに大尉をじっと見ている。知っている軍と呼んで差し支えない集団を上げ続ければいずれ質問も終わるだろうと応える。正式名称や通称、軍か自警団か不明のものまで順番に。暫く上げ続けついに「イスラム運動評議会」なる名称が飛び出す。
「大尉はその目でイスラム運動評議会の構成員を見たことがあるか」
「あります。三日前に哨戒所付近をうろついていたので捕縛しようとしたところ取り逃がしてしまいました。回廊外へは直ぐの場所ですので」
落ち度はない、そう言いたかったのだろう。敢えてここに踏み込むなど危険があるだけ、それでも調べる必要があったので忍び込む。ならば相応の理由は何か。
「拘束中の者は存在しない?」
「一人居ますが沈黙を貫いております」
「面会したいがどうだ」
干渉しすぎで判断が別れるところではあるが、ドレコフ少将が協力をするように言ったと確認が取れている、ならばそれを拒否する方が面倒ごとがあるだろうと許可した。
「取り調べ室を準備しますので少々お待ちください」
十五分ほどで直ぐに場が設けられた、茶褐色に髭、三十代半ば位で短髪、一般人のような目つきではない気がした。十日前に回廊内を一人でうろついていたのを拘束したが、何も喋らないので取り敢えず牢に入れてあるらしい。
キレネースキー大尉がロシア語で「お前の名は」「どうして拘束されているかわかるか」など質問するが一切反応がない。
「いいかげんに喋らないと殺すぞ」
顔を険しくして怒鳴るものの、なんら反応を示さない。だが机をたたいた時はビクっとした。
――感情が無いわけでも聞こえないわけでもないか。一つの可能性として確かめておくとしよう。
大尉が喋っている隣で英語を使い「お前の名は」と尋ねる、次いでスペイン語、フランス語、アラビア語と続けると眉がピクリとした。
「大尉、俺が尋問する」ロシア語でそう言ってからアラビア語に切り替えて「もう一度聞く、お前の名は」
「サリーム」
大尉がロマノフスキーを見る。サリームとは無傷という意味合いだ、某物語の大賢者サルマンと同義だがそちらは欠陥一つないというところだろうか。
「ふむ、サリームよく聞け。俺はたまたまここにやって来た軍人だ、ここの職務に何の興味もない。お前はここで死ぬまで拘束されているつもりか?」
「解放されるべきだと信じている。俺にはやるべきことがある」
「それは何だ」
「答えられない」
「なら一生牢獄暮らしだぞ、お前のやるべきことはそれで出来るのか?」
にやりとしてロマノフスキーは少し前のめりになる、大尉は一切邪魔をしようとせずに推移を見守った。
「……俺はどうしたらいい?」
「運よく俺が知りたいことを喋ればここから出してやる」
何を知りたいかを明かさずに、興味本位だと告げる。今までのことからここにはアラビア語を喋るものが居ないのは解っているので、目の前の大尉も理解していない。サリームは岐路に立たされる。
「アッラーの思し召しに従い、全ての異教徒を浄化しなければならない」
「それで?」
イスラム過激派のうち九分九厘が同じことを言うだろう、なんの参考にもならない。過激派だと解ったが。
「より多くの異教徒を浄化することこそがジハッドに繋がる」
イスラム教の聖戦。神の為に異教徒と戦うことを意味するお馴染みの言葉だ。
「世界は異教徒で溢れているな」
面白がって意地悪な言葉を投げつける、それら全てを転向あるいは排除することが神の是だなどというのは狂っているとしか表しようがない。
「キリスト教徒の精神的象徴を破壊することで、神へのジハッドとする」
「ならエルサレムにでも行くべきだったな」
「エレバンは最古のキリスト教の宗教都市だ。これを破壊してムスリムの自己認識を高める」
聞けば聞くほど普通の狂人だった、今までも山ほど見て来た狂信者の類。得られるものはなさそうだと辞めにしようとしたところで違和感を感じ取る。
「大イスラーム主義の元で全ての者は平等な社会を目指すべきだ」
イスラム主義を求めるのは良い、スンニ派ならば一応筋も通るが、だが全ての異教徒を浄化して排除するならば、大イスラム主義はシーア派であるべきだ、それらはイマームと呼ばれる指導者が統治を行うとしている。
「どうやってエレバンを壊すつもりだ、蹴っても殴ってもさして影響はないぞ。ここにイランの軍はやって来ない」
アゼルバイジャンとイランにはある特殊な背景が存在している、それは世界でも珍しいシーア派が多数派の地域ということだ。
「イラン軍など必要ない。胸を射抜く神の矢があればそれで充分だ」
「一本、二本程度の矢では届かんよ」
――イランの手先ではないのか? あの狂信者はどうやって原理主義社会を取り戻すつもりなんだ?
ロマノフスキーは言葉のやりとりから、根底にある何かを突き止めようと記憶を精査してより状況に当てはまる何かを見つけ出そうとする。自身がイスラム教徒でもないのに詳しいのは今にはじまったことではない。
「あまたの矢がその心臓を貫く、さすればコーラニストが世を救うだろう」
初めての単語が飛び出した、コーラニスト。恐らくはコーラン至上主義者の事だろうと推測して話をまとめる。
「エレバンはアルメ軍がきっちりと防衛している。お前の思うような結果にはならんよ、どうしてそんな強気になれるのやら」
――こいつは共産革命人民解放戦線だ! 唯一コーランのみより世界は存在するようになる、なるほどこれなら無理なお題を公約出来る。
「直ぐにわかる、鉄槌は振り下ろされ、人はその歩みをはるか昔にまで戻すべきなのだ」
高笑いをしてしまい、これ以上喋るつもりもなさそうだ。それはそれとして充分に確信を持てる内容を耳に出来たことに満足する。
「キレネースキー大尉、こいつをここに置いておくと不都合があるかも知れんぞ。ギュムリに護送した方が良い」
「はい閣下。こいつは?」
助言は受け入れる、それはそれとして何なんだという疑問をそのままにもしておきたくない気持ちがあった。
「筋金入りの過激派原理主義者だよ。お仲間に哨戒所ごと爆破されたくなければ手放した方が良いぞ」
「ファンダメンタリスト! これからでも護送してしまいます」
「それがいい」
ただの原理主義者なら仙人のようなものでしかないが、過激派で他者にそれを強要するとなれば話は別だ。一切混じわることが無いならば、衝突するのが結果になる。
「さて、俺はステパナケルトまで行かにゃならん、これで休憩は終わりにしよう」
「お見送り致します!」
爆弾のような奴を牢に置いていたと思と背筋が寒くなって仕方なかった。大尉は兵らを後ろに並べて捧げ筒で一行を見送ることになった。
「オビエト、ボスのところに連絡を入れておけ。共産革命人民解放戦線が多数の砲撃なりで攻撃の計画ありだと」
「ヴァヤ。戻らなくても良いのですか?」
「おっぱじまるまではまだ時間があるだろ、もう少し散歩を楽しもうじゃないか」
余裕を持ったその態度に、今までが今までなので「そうですね」などと相槌を打つ。思えば戦争の真っ只中に居る日常を、もう何年も続けてきていた。




