第百四十三章 ナゴルノカラバフ戦争勃発!
5
◇
アルメニアの首都エレバン。島とロマノフスキー准将が揃って行動するのは昨今極めて稀になっているが、国防省へやってきている。随行者はそれぞれ副官一人だけ、サルミエ少佐とブッフバルト少佐だ。左腕の部分にルワンダの国旗を刺繍した黒の制服に、軍帽と外套をつけての行動。
廊下を先導する案内の中尉は緊張しているのか動きがぎこちなかった。赤い屋根の七階建て、市の中心部からやや北東にあるのが国防省だ、隣にあるのはエレバンの州庁舎で、渡り廊下で続いている。デザイン性は皆無で、長方形の箱型、外装もクリーム色で一切の飾り気がない。
ソヴィエト連邦の置き土産は実用性の一点張り、島は嫌いではなかった。
「こちらです、お入りください」
外国からの人物なので英語を使い招き入れる、アルメニア語というわけには行かない。建物の外見と同じで、部屋の中も質素で味気ない風景だった。そこに居るたのは二人、薄い緑色の制服を着た五十代の恰幅が良い男性だ。
「初めまして、私は陸軍参謀長ラビヤン中将。こっちがマルキアン少将だ」
二つ星を肩につけているラビヤン中将がアルメニア陸軍のトップで、マルキアン少将はIT防衛部門の責任者。しかし少将の方が若干の年上のように見えた。左胸には六つのメダルを着けている、中将は四つだけ。内容に違いがあるのは解るが、そのうち三つが同じものだから軍歴の違いだろうか。
「私はルワンダ派遣軍司令官イーリヤ中将、こちらが副司令官のロマノフスキー准将だ」
互いに敬礼を交わす。英語を使ってくれているのでそれで対応した、意思の疎通には障害が無い。
「遥々アフリカより我が国を助けるためにやって来て頂き感謝する」
ダビヤン中将が謝意を述べた……かのように見えるが、どうにも目の奥では笑っているように思えた。ルワンダなど後進国家が何しにやって来たといった具合だろう。それについては解らなくも無かった、仮にガボンから来たと言われたら島だって邪魔をするなよと思ったかもしれない。空挺演習の件が未だに忘れられない。
「大統領閣下に謁見し、件の防衛任務の了承は貰っている。本隊が到着次第引継ぎを行いたい」
既に大統領府では首相らとも面会し、アルメニア内での自由行動許可を得ている。主軸は原発の防衛ではあるが、それに付随する周辺地域での軍事活動も包括的に。
「メツァモール原子力発電所か、わざわざご苦労なことだが頼む」
あざ笑うような態度、ロマノフスキー准将は無表情で黙っている。ここで二つの確認事項があった、ルワンダ軍は乞われてやってきている、それとアルメニア軍では准将が存在しないで、上級大将が存在している。即ちラビヤン中将は国際基準のOF7階級であり、島はOF8階級であるということ。三ツ星中将とは上から二つ目に位置しているのだ。コロンビアなどでは逆に三ツ星少将が存在したりもする。
今回はなれ合う必要などない、いずれ起こるだろう大事件を防ぐことだけに集中する。それを妨害するのはアルメニアという国にとって大損害をもたらすのは間違いない、ならばとるべき態度も見えてくる。それなのにラビヤン中将はルワンダ軍を下に見た。
「しつけがなっていないな」
「イーリヤ中将、今なんと?」
英語に慣れていなくて言い間違えたのかと聞き返す。それはそうだろう、まさかそんな言葉が出てくるとは夢にも思っていない。
「しつけがなっていないと言ったんだ。冗談も大概にしろよ、二つ星中将が何様のつもりだ?」
左手で外套を払って多数の勲章を誇示してやる。王族でもない限り、勲一等の大メダルなど授与されるのは一生に一度あるかないかでお終いだというのに、三つもつけていた。ロマノフスキー准将も一つだがニカラグアのそれをつけている。
高圧的になることなど珍しい、滅多にないことなので随伴している二人が驚くほどだった。
「そ、それは……」
「答えろ! 貴官はアルメニアの何ものだ? 返答次第ではアメリカもロシアも距離を置くことになるぞ。俺は双方から支援を受けこの場に在る、いいか、良く考えて返事をしろ」
目を細めて迫る。まさかいきなりそんな逆鱗に触れてしまうとは考えていなかったらしく、ラビヤン中将が生唾を飲んで硬直してしまう。
「イーリヤ中将閣下、申し訳ございません。ラビヤン中将はてんかんを持っていまして、極度の心的ストレスに陥ると自我を失ってしまうことが多く」副官に別室で休ませるようにと指示して向き直ると「大変失礼いたしました、お見苦しいところをお見せしてしまい」
「貴官ならば多少は話せそうだな」
――あれで開き直られたらとこっちもドキドキだったんだがね。というかてんかんで自我を失うやつが、軍を指揮したらいかんだろうに。
そういう人物が軍に居ないわけではない、前線指揮官ではないだけで後方には居る。参謀長なのだから良いのか、などと頭の中で変に納得してしまう。
「アルメニアは援助を申し出て頂いたルワンダに対し、感謝こそあれ他意はございません」
「そうか。良いだろう。話を戻す、引継ぎの件だが今月中に俺の部隊が到着する」
世界中で西暦が使われているので、日付に関しては特に迷うことなく通じて助かる。なんでも世界統一基準があれば良いが、様々差異があるのが現実だ。特に言語は恐ろしい位に種類が存在している。
「自分に連絡いただければ、適宜応じさせていただきます。必要なことがあれば何なりとお申し付けください」
丁寧によりはやや遜る感じで返事をしてきた。軍では階級に一つでも差があればこれが普通になる、暦同様こちらも世界共通だろう。
「実務は後日諮ることにする。少将、目指すところは同じなはずだ、宜しく頼むぞ」
「こちらこそ、閣下のお力添えにすがる思いです。会食の用意が御座います、明晩場所を変え少々お付き合いいただけないでしょうか」
「構わん、副官へ知らせてくれ。ではまた会おう」
外套を翻して部屋を出る、マルキアン少将は姿が見えなくなるまで敬礼をして見送る。一旦市の中央環状通りの中にあるラディソルホテルエレバンへと戻った。本隊がやって来るまではここを仮の居場所に据えている。物価の都合で四ドルで宿泊できてしまうホテルが幾つもある中、島は当然のように一番高い部屋をフロアごと借り切ってしまっていた。それでもオーストリアで借りたペントハウスよりも遥かに安い、七千ドルでしかない。
アルメニアの平均的な成人男性の年収が七千ドルなので、感覚として捉えやすい。それを連日で借り切っているのだから、ホテルのシニアマネージャーがつきっきりで世話を焼いてくれるのも頷けた。支払いはルワンダ政府宛になっているので、本国の経理が見たら腰を抜かすような請求になっているだろう。それを全て後からアメリカが支払うわけだが。
スイートルームに戻ると上着をかけて楽にする。
「招かれざる客だってのは知っていたがね」
ラビヤン中将の態度が恐らくは一般的なアルメニア軍、いやアルメニア政府の態度だろう。歓迎されると考えている方が間違っている。他国の軍を領土に入れるなど屈辱でしかない。
「男前でしたよボス」
声をあげて笑うロマノフスキー、意外な側面を見ることが出来て上機嫌だ。島とて別に好きでそしているわけではないが、ルワンダ軍を貶められてただ帰ってくるわけにはいかなかっただけのこと。
「どう思われても構わんが、それをこちらにわかるように口に出されちゃな。ギュムリの基地は大丈夫なんだろうな?」
ギュムリとはエレバンから北西に行ったところにあるアルメニアの都市。そこに一つの軍事基地があり、ロシア軍が駐屯している。もう一つそこそこの集団が駐屯していると言えば、今回の騒動の渦中に在るナゴルノカラバフとアルメニア本土を繋ぐラチン回廊と呼ばれている特別区にロシア軍がいた。
「さてどうでしょうな。他所に島流しにされてしまうような高級将校がどう感じるかでしょうな」
国内の総司令部勤務と、国内要所の司令部勤務、そして精鋭野戦軍司令部勤務、第一級の栄誉ある所属がこれなのは世界共通だろう。次点でも国内、そして大国の武官勤務。左遷先として多いのが地名すら聞いたことが無い外国の軍事基地、つまりはギュムリ基地のようなところだ。
「ロシアも支援すると言ってはいるが、現場はまた別物だろうな」
政府レベルでは今回のアルメニアを支える防衛作戦を擁護すると裏で話が決まっていた。いつもならアメリカの手先など邪魔してなんぼではあるが、不都合を見て見ぬふりをすると約束してくれている。その上で原発を守るために現地部隊に協力をさせるとまで言って来た。やはり隣で核爆発されて困るのはロシアでも同じらしい。
「それを言えばエチオピアのドメシス少将と似たような境遇でしょう」
「というと?」
「金ですよ金。ボスはご存知ですか、現場の兵が月にいくら俸給を貰っているか」
軽い感じでそんな質問をしてきた。島は少し考えてクァトロのではなく徴兵される国の初任給よりも少し下を口にしてみた。
「確か徴兵制アジアでは四百ドル、志願兵のアメリカでは二千五百ドルくらいだったな。軍事予算が苦しいロシアなら三百ドルくらいか?」
「おしいですなぁ、残念。その百分の一ほどですよ」
「すると三ドル?」
「ええ、それすらも遅配するありさまです。ルワンダの兵士と変わりはしないんですよ。そんな奴らが本国からの目が届かない場所でやることといえば不正ですよ」
さも実際に見て来たかのような自信に満ち溢れた表情。実際に部下の年上の下士官に聞いた話らしい。将軍クラスでも千ドル出る位で、不遇ならばその半分しか支給されないそうだ。なるほど物資の備蓄倉庫がよく爆発もする。
「何をさせるかにもよるでしょうが、上には金を握らせ、下にはメシと小遣いを渡せば概ね真面目に従うでしょうな」
「ふむ、目安があるだけ良しとしよう。そいつらの中で英語かフランス語が分かるやつがいたら使えないか?」
エーン大佐に用意させるのは司令部要員の補填であって、一般部隊に配属させるつもりはなかった。クァトロナンバーズにはつけるかも知れないが。
「一定の割合でフランス系もイギリス系も混ざっているでしょう、十人ずつくらいはいるんじゃ?」
「じゃあそれを確かめにギュムリに行くか!」
今夜顔合わせをすると取り決めしてあったので、ヘリでギュムリへ行く準備をさせる。そのつもりだった。
「ロシア風にするならば、下のものをここに呼びつけるんですよ。ボスの気が変わったからお前がホテルに来いってね」
笑いながら常識ですよなどと吹き込んで来る。どこの世界でも大抵そうらしいことに気づいてはいたが、お願い事をすることが多かったので島は自身が赴いたことが多かった。強気に臨むよりもそちらのほうが性に合っていたわけでが。
「まあそれもいいか。だが予定まであと少ししかないが、どうなんだ?」
「それこそロシア風でいいでしょうな。無理を押し付けて遅刻でもしたらそれを責める、うん、まさにロシアですよ」
どうして嬉しそうに頷いているのか島にはさっぱりわからなかったが、そうすべきだというならばそうしようと受け入れてしまう。基地に連絡を入れてここで待つことにした、今頃基地では大慌てだろう。
予定時刻より三十分ほど遅れてラディソルホテルへ現れたロシア軍服の男は、バツが悪そうに部屋に入って来た。副官大尉が一人ついてきている。やって来るなり声を大きくして申告する。
「ロシア軍ギュムリ軍事基地司令官ドレコフ少将であります! 閣下、定刻より遅参し申し訳ございません!」
ロシア軍に准将はないので、ロマノフスキーと同格で一つ星の少将ということになる。なお大尉は大尉であるが少尉の下に少尉補がある上に、上級准尉と准尉があるのでそのあたりが壮絶にややこしい。少尉がルテナンなので、少尉補がその下に刺さり込み、上級准尉が先任上級曹長と同格、准尉は上級曹長といったところだろうか。
「俺がルワンダ派遣軍の司令官オーストラフ中将だ」
英語で申告してきたがロシア語を使って自己紹介をしてやった。おや? といった感じでドレコフ少将は再度ロシア語で申告をやり直す。
「道路が渋滞でもしていたかね」
ヘリなら間に合っても車ではとてもではないが無理だ、それと解っていて敢えて尋ねる。これは完全にロマノフスキーの入れ知恵だった。
「ダニエット――」
はい、いや、いいえ、と言葉を濁す。どちらを選んでも言い訳にしかならないことに気づいたからだ。外国の上官にここまで恐れ入るとは本国から訓示が来ている証拠だろうと判断した。
「ドレコフ少将、そこまで気にする必要はないぞ。俺はこうやって話が出来ればそれでいいからな」
柔和な笑みで不安を解消してやると、ドレコフ少将もほっとして作り笑いをした。
「そうですか。このあたりは山がちで、移動にも時間が掛かって。総司令部から通達があり、ルワンダ軍に便宜を図れと聞いています。なんでも言ってください」
「ふむ、少将の差配に期待するとしよう。酒とたばこはコンテナで輸入してある、帰りに持って行くといい」
いつものようにそれらは目一杯持ち込んできていた、余っても引き取り手がいくらでもいるし、不足すると不満が出てしまう類のものだ。なんの規制もないのだから正規の輸入をするなり現地買い付けするなりで事足りるが、クァトロ恒例になってしまっている。
「おおそれは嬉しい、皆喜びますよ。こんな地に飛ばされて気落ちしてる兵が多くて」
ニコニコしていた島が急に表情を引き締め「少し優しくしたからとつけあがるな! 俺はお前の友人でもなんでもないぞ! 不愉快だ、ロマノフスキーあとはお前が勝手にやっておけ!」わざと語気を荒げて部屋を出て行ってしまう。当然ドレコフ少将は顔を蒼くしてしまった。
目を大きく開いて狼狽する男に「私は副司令官のロマノフスキー准将だ」それまで脇で黙って立っていたが話しかける。
「ロマノフスキー准将! ど、どうすれば?」
演技指導をした側としてはここで笑ってタネ明かしをするわけには行かない。わざと難しい顔をして心の中で舌をだす。
「少将、ルワンダ軍に便宜を図れとのことだが、他に何か聞いてはいない?」
動揺している今ならば余計なことを喋るかもと軽い探りを入れてみる。そもそも誰がそのような命令を出したかも知っておきたかった。
「他に…………決して原発を破壊されるなというのと、間違ってもアゼルバイジャン軍と直接交戦するなと」
方向性としては一致する、アゼルバイジャン軍と戦うなというのも納得だった。現時点で不都合は特になさそうだと頷いた。
「我等はその為に派遣されてきた。原発防衛の為に情報などがあれば、閣下も納得されると思うが」
そのあたりなんでも良いのだが、もっともらしいことを言っておいて協力するのが義務であり、島がこの地の司令官であるという認識を焼き付けるのに一芝居打つのに夢中になる。任務には楽しみが無ければというのがロマノフスキーの信念だ。おかげでドレコフ少将は迷惑だろうが。
「それはもちろん用意してある。なんとかとりなしをして欲しい」
「無論だ、我等とてロシア軍なくしてうまく行くとは思っていない。心配するな」
ようやく肩の力を抜くようにと雰囲気を和らげる。ロシア人は国家としては別として、個人はとても気の良い奴らが多い。
「そういってくれるとありがたい」
「閣下は有能だ、あの若さで軍功を上げ続け今や頂点まであと一歩、あの方は絶対に失敗しない。ドレコフ少将もここで功績をあげて本国に凱旋帰国することになるさ」
言われてみると確かに異常な若さだったなと今頃気づく。ルワンダが王国で、島が王子ならば解らなくもないが決してそうではないのくらいドレコフ少将も知っている。
「私はどうしたらいいだろう」
「ルワンダは英語とフランス語の話者ばかりでね、そちらでバイリンガルがいたら貸して欲しい」
ここで一つの要求を出す。元々出せるのは人員だけだったので、それくらいならば望むところだった。
「通訳はどのくらいいたら?」
「ありったけ。こちらから兵一人に一日五ドル、下士官ならば十ドル、将校にはそれ相応を受領サインなしで出す。食事もこちらで提供しよう。少将には全額の五割を現金で渡そう、出来るか」
「やる! それだが他の言語ではまずいだろうか」
小金を稼ぎに食いついてくる、少し考えて「スペイン語でも構わんが、それは補助程度の数が好ましい。そうそうアルメイア語といずれかの言語が出来るなら別途使い道がある、そいつには更に上乗せしよう」何だかんだと古参はスペイン語が主軸だったなと追加を許可した。
「直ぐに調査して一報をあげる。一両日でエレバンに出頭出来るように準備する、連絡はロマノフスキー准将で?」
「ああ、そうしてくれ。帰りは送らせよう、ヘリでなら直ぐだよ」
笑顔でさっさと仕事をしろとの思いを込めて二人を空輸する約束をする。運転手は酒とタバコを抱かせてお前達だけで山道を走れというと「スパシーバ!」気楽な帰路を楽しむと大喜びで走って行った。




