第百三十九章 アフリカの星
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アフリカの内陸部、およそ文明とは切り離された場所。そこに突然街が出来て幾度日を越えたか。暦を問わず毎日が夏、平均気温は二十度と少しだが、平均という言葉を信用してはいけない。
難民が山のように集まり、居住区を形成しているのはあちこちで見られる光景だ。ここフォートスター市でも住み付いている奴らはその殆どが難民、或いは不法入国者に括られる。事前に区画割をされているおかげで、衛生状態は最悪を回避していた。これらはブッフバルト少佐とオッフェンバッハ総裁、つまりは夫妻の功績が大だろう。
フォートスター軍管区が一つの行政区、軍政を敷く場所として扱われていた。その実、住民らの推挙で市長が任命され実務の殆ど全てを委任されている。中央政府からの予算を与えられない代わりに、自由都市かのような権限があり、徴税も、市政も、防衛も、治安維持も、全てを自力で行う特別区域。
街の端にある要塞、元はと言えばアレこそがフォートスターであった。そこに街が付随して出来たというのに、規模が逆転して市民の間で「城」と呼ばれている。何があろうと殆ど手も口も出さずに、ただそこに在るだけ。街が出来てからたった一度だけ、市民の手に余る武装集団を殲滅する為に出動したことがあった。
黒い装備で統一された軍隊が現れると、極めて速やかに武装集団を鎮圧して城へと戻って行った。城の主は君臨すれども統治せずの姿勢を貫いている。だとしても、市長や議会は主の意思をくみ取って自発的にこの地をまとめていた。
ある日、城の領域内にある空港に多数の航空機が着陸してきた。傷を負った軍兵が帰還すると、城へと戻っていくのを見ることが出来た。何があったかを知る者は一人もいない、ただ城には軍兵が存在しているという事実のみが伝わる。
ルワンダの中だけでなく、ここフォートスターの治安は世界でも上位に入る程に安定していた。その最たる理由は取り締まる者達が腐敗をしていないから、そして裁く者もまた公正であろうとしていたから。賄賂も汚職もなりを潜めている、それも全て城の主を恐れ敬っているからに他ならない。生ける神として崇拝されているのだ。
その神だが、城の一室でコーヒーを傾けて世界中から取り寄せた新聞を片手に暇を持て余していた。
「ロシアがリビアのハリファ・ハフタル司令官のところへ、偽装処理を施した戦闘機を増援した。アフガニスタンで爆弾攻撃、タリバンが犯行声明。ヒマラヤでインド軍と中国軍が衝突。アメリカがイランの武装勢力に空爆、イランが猛抗議と警告。イエメンではフーシ派が連合軍機を撃墜か、か。何ともまあ世界は今日も忙しいな」
他人ごとのようでもあり、そうでもないこともある。明日の今頃は渦中真っただ中ということがいくらでも考えられた。そんな独り言に対して「勝手にやらせとけ」暖かい言葉を放った妻は、娘と遊ぶことで忙しかった。長いことロサ=マリアを預けていたせいで、戻ってからはひと時も離れずにいる。島はその姿を見て嬉しそうに微笑んだ。
黙ってリリアンと共に旅行にでも出かけた風を装い、いつのまにかYPJで功績をあげて司令官にまでなっていたのはつい数か月前のことだ。民兵会議の場で顔を見た時にはつい天を仰ぎそうになったのを覚えている。足を止めて一瞬動揺したのも仕方ないだろう。
「中共ウィルスとかいうのが随分と広がっているようだな。このあたりでもそうなんだろうか?」
そんなものを検査する設備も無ければ道具も無い。風邪の伝染病のようなものと最初は聞いていたが、それにしてはあまりにも世界中で警戒している。一応ドクターシーリネンに対応を任せるとだけ割り振っていた。
「知るか。効きそうな薬でも適当に輸入させとけ」
何せアフリカではそれどころではない致死性のウィルスやら何やらで溢れている、それらと同列以下の数字ならば気にしないで済まされてしまった。元々病気に掛かったら最後という者が圧倒的多数なのだ。医療の後進地域は逆説的にこういった正体不明の病気に強い。
何とも勇気づけられるような態度に苦笑して、テレビをつける。AFP通信の特設放送局があるので、アフリカとフランスの放送が受信できた。その他にも各種衛星放送、インターネットも完備されている。それでも市民のメインはラジオだ、キャトルエトワール放送局は大人気を誇っている。
「夜はキガリにでも食いに行くか?」
わかっていることだが、レティシアは料理をしない。家事一切をしないわけではないが、しない。島は別にそれを咎めることもないし、することが良いことだとも思ってない。暮らすことが出来ればそれで良いし、自分で出来るかどうかの判断さえつけば良いと考えていた。
「ああそうだね、肉料理の店だよ」
「だな」
とある一件があり、武器商人から高速ヘリを購入していた。おかげでキガリまで気軽に食事しに行くことが出来る、ざっと三十分ほどで。車で行こうとしたら四時間か五時間は最低でもかかるだろう。スマホを手にして「サルミエ、キガリのレストランをとってくれ、晩飯を食いに行く」副官に私用を言いつける。
「ウィ ボス」
何一つ文句も言わずに、速やかに処理すると信じてそれだけで通話を終えてしまう。間違いなく即座に親衛隊に通知が飛んで、レストラン周辺で武装待機するんだろうなと想像してしまった。
「そういやエスコーラは問題なかったのか?」
レティシアは暫く連絡が取れない上に、島の方でも立て込んでいたので代わりになれていなかった。もし異常があったら不都合も多かっただろうと気にする。
「ラズロウが上手くやったさ。その位出来ずに大きなツラするような奴じゃない」
ブラジル、コロンビア、マルカ、日本、イタリア、フィリピン、パラグアイそしてルワンダにコンゴ。世界中に拠点を持っているギャングスターであるエスコーラ、放っておいてもこれといった心配はないらしい。これまた他人ごとのようで、島は組織のナンバーツーとして組み込まれている、コンソルテとして。
小一時間してサルミエが自宅として使っている要塞の一部屋の扉をノックした。
「ボス、準備が整いました」
「そうか。レティア行くぞ」
そういうとロサ=マリアを抱いて立ち上がる。要塞の中庭のような場所に、ローターが二重についている十五メートルサイズのチョッパーが待機していた。シコルスキー社の試作型デファイアント01、試作型と言っても固定武装が施されていない本体のみとの意味であって、未完成のものではない。
アメリカ陸軍が近いうちに制式化するだろうものを、どうやってか買い付けて来た凄腕の武器商人がいただけの話。それに乗り込むとふわりと浮き上がり、進路を南西へ向けた。外を見るとAH-1W スーパーコブラが一機護衛に付いている。
――全くいつもやりすぎなんだよ。
キガリまでの航路を先行してCOIN機のアークエンジェルが警戒をしているのも耳にしていた。前者はアメリカから、後者はフィリピンから持ってきたそうだ。暫しの空中散歩を経て、キガリ市街の幹線道路を親衛隊が一時封鎖して着陸を行う。
「毎回思うんだが、いつか訴えられるぞ」
そう呟くもローターの爆音のせいで誰にも聞こえない。現地警察は見て見ぬふり、ニャンザが現場の頂点であり、文句を言うはずもない。二機がキガリにある陸軍基地へ向かう、そこで給油して帰りを待つ為に。通りを何食わぬ顔で歩いてレストランアフリカの星へ向かうと、途中で花を売っている少女を見掛ける。
もう夕方だというのに左手のバスケットには結構な量が残っていた。島は小さくうなづくと少女に歩み寄ろうとする。それまで影のように黙って控えていたエーン大佐が初めて言葉を発した。
「閣下、偽装テロの可能性があります」
イスラム過激派が良く行う手口。まさかと思うような子供に爆弾を持たせて標的に接近させる一手を示唆していた。これで命を落とした要人が幾人も居る。チラッとエーン大佐を見てから島は少女の隣へとやって来る。
「あ、あの……」
少し後ずさりながら警戒されてしまう。難癖付けて殴られることなど日常茶飯事で、僅かな売り上げを巻き上げられることもやはりいつものことだった。裸足で地面を擦って建物の壁を背にする。
「花を貰えるかな」
アラビア語で丁寧に問いかける。スワヒリ語が少しか話せなくても充分通じるように、二度表現を変えて。
「い、一本一フランです」
少し金額を直すために計算してみた、ドルにして円にすると一円にすらならない。それでも一日中こうやって花を売るしか少女には生きる術がないのだ。ポケットに手を入れると、クォーターダラーコインと十ドル札が見つかった。それを差し出して「これで全部売ってくれ」驚かせる。
「そ、そんなに!」
触れたことなど無いだろう大金に映っているだろう札、公用通貨ではなくてもそれがどこの店でも使えることをしっかりと知っていた。むしろルワンダフランよりも喜ばれる。
「いいんだ、娘の前で恰好をつけさせてくれ」
そう言って無理矢理に握らせると、カゴごと花を渡して少女は何度もお礼を言って走って行った。手にした花カゴをサルミエ少佐に持たせると「偽善者でしかないな」苦笑した。レティシアはフンと反応しただけで花を一瞥して終わる。
アフリカの星に入ると客が一人としていない、何のことはない店ごと貸し切りだ。予約は全てキャンセルさせた、無表情のエーン大佐から当然だと言わんばかりのオーラを感じ取る。若干の前菜が出てきた後にポンドステーキが並べられる、コース料理とは。
離れて後ろで立っているサルミエ少佐に一本の電話がかかって来る。短いやり取りをすると傍にやって来て「ボス、大統領閣下です」と言われて、はて誰かなと一瞬でも悩むほどの面々が浮かんだことに小さく笑ってしまった。
「代わりました、イーリヤです」
「やあイーリヤ君。キガリに来ていると小耳に挟んでね、後でちょっと官邸によっては貰えないだろうか」
「はい閣下、一時間程後に伺わせて頂きます」
「食事の邪魔をして悪かったね、ゆっくりで構わないよ」
どうしてそんなことが解ったかなどは考えないようにした、手掛かりが多すぎるので。料理が冷めないうちに美味しく頂くと、ようやく電話について触れる。
「用事が出来た、レティアは先に帰ってくれ。ロサ=マリアも眠たそうだしな」
うつらうつらしている娘を見て微笑む、これが平和なんだなと。
「いいかい、どうせろくでもないことを言われるはずだ、机ぶったたいて直ぐに戻ってこい」
目で殺されるかと思えるほど鋭い視線を向けられてしまう、何が起こるかはわからないがおおよそレティシアが危惧しているような未来になって行くんだろうなと感じてはいた。何せ今の今までが常にそうだったから。
「なに、危ない真似はしないさ。俺は今の暮らしに満足しているんだ」
「そう言っていつもいつも死に目に会いやがって!」
「それについては返す言葉も無いな」立ち上がるとすぐ隣に行きロサ=マリアを抱いたレティシアごと抱き寄せ「だが一度も後悔したことはない。これまでも、これからもだ」
「…………あいつは、お前が厳しい時に手助けをしたことがある数少ない奴だ。だからって無理を聞いてやる必要はない、いいね」
「ああ、わかってる。心配するな」
「クソッ、いつもそうやって騙せると思うなよ! 行くよゴメス!」
エーン大佐の隣で黙って立っていたエスコーラの護衛である、ボス・ゴメスを連れてレストランを出ていく。帰りは陸軍基地までリムジンで乗り込んで、そこから空路フォートスターへ帰宅。正門で敬礼を受けてルワンダ軍の基地に堂々と侵入するのが常になっていた。
「さて、一体なんの用事だと思う?」
腹心である二人、エーン大佐とサルミエ少佐に漠然とし過ぎた何かを問いかける。答えなど知っているはずもないのに。黙っている二人を前にして「ま、行けばわかるか」簡単な答えを自分で用意した。将官座乗の旗を指した、装甲兵員輸送車に乗り込んで官邸へと向かう。
警察による交通規制、親衛隊の護衛に、ルワンダ軍の先導。息苦しさは半端ではないが、これらは全てエーン大佐に一任しているのでどう思っても文句は言わない。まるで戦争でも始まったのかと錯覚させるような物々しさで官邸へと入った。
サルミエ少佐が用意させていた将官の軍服に車内で着替えてから下車する。二人は常にいつもの軍服なので問題はない、島だけが私服が多くなっていた。略綬略章を多数縫い付けてある軍服に、儀礼用の外套、軍帽を被り大統領執務室へ向かう。
中ではデスクへ向かって書類整理をしている黒い肌の姿があった。
「イーリヤ中将参上致しました」
「わざわざすまないね、そこへ掛けてくれ」
島だけがソファに腰を下ろして、二人は後ろに起立したまま。半歩だけ姿勢をずらして互いの死角を無くすような場所を占める、大統領はそれを見ても何も言わなかった。目の前に場所を移して両手を腿の上に置いた。
「コーヒーで良いかね」
「お構いなく、食事を済ませて来たばかりですので」
秘書に一人分だけを持ってくるように指示して少し待つ。コーヒーを置いて秘書が出ていくとそれを一口だけ飲んで前を向いた。
「どうぞ気兼ねなく何なりとお申し付けください閣下」
言いづらそうなので島の方からそう切り出した。すると大統領は弱弱しく微笑んで肩の力を抜いた。
「君はいつでもそうだったね。こちらがそうであって欲しいと願う以上を返してくれる」
「やりたいようにわがままを通してきただけです」
背筋を伸ばして即答した。実際誰かに強要されて嫌々何かをこなしたことなどなく、全ては自らの意志であるとの自負を持っていた。
「ルワンダは君のお陰でようやく国が上向いてきた、礼を言わせて貰う」
「国家を導いてきたのは大統領閣下です」
「だとしても、私は君に感謝している。今この国は、ここ二十年来で一番の状況になってきている」
アフリカの奇跡と呼ばれたルワンダ、大統領を得て二十年もの長期間任期を務めてきて支持率も高く、更に十五年もの長き先を約束されていた。世間ではこれを独裁ということがあるが、多少のひずみはあっても前進を感じている国民は彼を認めていた。
「アメリカとロシア、そしてフランスから支援を行うと打診があったよ」
島はピクリとして眉を寄せて直ぐに戻す。異常が手を繋いでやって来たと同義だ。
「代わりに治安維持の為の軍を派遣して欲しいと言われている」
なるほどこれが代価であり、自分への用事なのだと知る。島に直接言ってこなかったのは断らせないため、いらだちはあったがそれを表情に出す程若くはなかった。
「自分は正規リスト外とはいえルワンダ軍の司令官を拝命しています。大統領閣下のご命令があればどこへでも行きましょう」
島龍之介も、ルンオスキエ・イーリヤもルワンダ軍には存在していない。それなのにフォートスター軍管区司令官にはイーリヤ中将の名前があった。その矛盾をつくことはルワンダでは許されていない。それにしたってアメリカとロシアが共に求めるなど珍しいを越えて皆無とすらいえた。シリアの件では現地での都合が大きかったが、今回は政府を通しての事なのでもしかすると初めてではないかとすら思える。
「君はアルメニアを知っているかな」
「旧ソヴィエトの構成国で、コーカサスにある国でしょうか」
黒海とカスピ海に挟まれた地域を指し、フランス程の広さに沢山の国と民族が暮らしているうちの一つ。クァトロにはアルメニア人は存在しない。旧ソヴィエト人と言えば存在しているが。
「そこと隣国のアゼルバイジャンで度々紛争が起こっている。SVRロシア対外情報局やCIAアメリカ中央情報局では近く大規模な紛争があると予測している。これは回避し得ない事象になるだろう」
「すると仲介への助力ではない?」
不均衡な勢力を押さえるにはより巨大な力が働くしかない。長続きはしないだろうが、やらないよりはマシ。
「軍事衝突が起こるのは避けられないだろう。そこでルワンダに現地で守って貰いたい場所があると。代価として経済支援、技術支援、人材支援を行うと提示してきた。ルワンダにとって喉から手が出るほど欲しい様々な案件だよ」
魅力的な提示をするのは当然として、それが破格なんだろうことが伝わって来る。是が非でも成立させたい、その為に必要なパーツとして指名されている。断るつもりはないが、妻にしこたま文句を言われるだろう未来が見えてしまい自嘲する。つい先ほど約束をしたばかりだというのに。
「それは一体?」
「BTCパイプラインとメツァモール原子力発電所だよ」
一気に緊張感が高まった。アゼルバイジャンの首都バクーからグルジア、最近ではジョージアを呼称している国を経由してトルコへ延びているパイプラインはヨーロッパへ原油を供給している。これはアメリカとフランスが求める理由の一つだろう。一方で原発については知らなかったが、ロシアが建設した代物らしい。
「お互い考える頭があるでしょうから、流石にそこへは手出ししないのでは?」
大損害どころか、死の大地になる可能性すらある場所に攻撃をするのは狂っているとしか言いようがない。元首だけでなく、議会も軍もそれを認めないだろう。
「アゼルバイジャンにイスラム原理主義組織の武装傭兵団が混ざり込んでいるらしい。幸いパイプラインは地中に埋めてあるのでアゼルバイジャン軍が守る。だが原発はそうはいかない、ロケット攻撃一発でお終いだよ」
「閣下、どうぞ自分へ派遣をご命令下さい」
テロリストを相手にするならば本望だ。頼まれずともそれを知れば現地へ介入していたかもしれない。真剣な面持ちでじっと見つめた。
「うむ。ルワンダ大統領として、イーリヤ中将へ命じる。アルメニアへ行き、原発を防衛せよ。これは国家の正当な命令であり、貴官はルワンダ軍人として現時点よりあらゆる権利と義務を得ることになる」
「ダコール モン・プレジデント!」
立ち上がると敬礼する。大統領も立ち上がって敬礼を返した。
「とはいえ既に義務は背負っているから、権利を得ただけと解釈すると良い。ルワンダ国籍を用意しよう、中央の司令官、貴官が望むならば総司令官に据えても良いが」
恐ろしい提案をしてくるが、頭を左右に振る。一度断った時から意思は変わっていない。
「自分はなすべきことをするだけです。準備が整い次第速やかに向かいます!」
踵を返すと外套を翻して執務室を去る。頭の中は既に目まぐるしく動き回っているのであった。




