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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第百三十六章 マリーの猛攻


 ラッカでの戦闘は続いた。南西部は連合軍の一部が切り崩して、市街地の三割を奪取していいる。その場にいたイスラム国兵は中心部へと撤退していき、多くが生きて逃げて行ってしまう。


 南部の橋はシリア東部同盟が確保し、橋頭保を護る部隊はレバノン第六特殊大隊が請け負っていた。ラフード少佐の第一中隊、それに民兵が増員されて防御陣地を構築している。


 北部のYPGは一進一退を繰り返して、いびつな戦線を築いている。数の割に成果が上がっていない、司令部は躍起になって結果を催促して来る状態。


 残る東部はシリア政府軍が場所を占め、少しではあるが包囲を狭めていた。動きが小さいので、何か別の目的を有しているのではないかとの疑念すら産まれてしまう。


 一方でイスラム国も黙って耐えているわけではない。反撃を計画しては逆撃して戦果を挙げている、一度はYPGの野戦司令部に接近して肝を冷やした者が居たほどだ。


 戦術的にはそのように押したり引いたりしているが、ラッカの外での動きも見られた。採掘した原油を闇で売りさばき莫大な資金を得ている、その使い道に注目が集まる。


 国家を動かすには僅少ではあるが、発言力がある個人を買収するにはありあまる金額ということだ。反政府の扇動家や、大統領や軍の上層部のスキャンダルを追っているジャーナリストの軍資金につぎ込まれると、強硬的な意見が引っ込んだりする。


 戦争とはあらゆる力を競い合う、総合力の戦い。個人が金を得るために足並みを乱して「我等はこの地から撤退する」などと宣言しようものなら包囲の崩壊は早い。


「シリアに於いて、アメリカが支援する対イスラム国の民兵組織を攻撃するものは、アメリカの敵として捉えることがある」


 国務次官補が声明を発表する、名指しこそしないがロシアに対する牽制なのはあきらかだ。あるいはトルコに対する恫喝ともとれるが。


 北東部に空爆を行ったロシア軍、相も変わらずそこにテロリストがいたから爆撃したと言い張っていた。抗議など素知らぬ顔で受け流しておしまい。これだけ言われても反応は無い。


 共通の敵がイスラム国なだけ、それ以外は同じ部分を探すのが難しい程の並列した勢力。いずれ今日の友は明日の敵になりかねない。


 戦場で一つの観測が取りざたされていた、それは今回も黒い暴風が現れるのではないか、ということだ。


 アイン=ラサで猛威を振るった後、ダイルアッザウルで激戦を繰り広げた謎の部隊。溶けてなくなったのでなければ、これだけの大戦に参加しないはずがないと。そして、シリア軍はじっと復讐の機会を窺っているのではないかとも。


 多くが考えるように、アル=イフワーン・アル=ヌジュームの皮をかぶったクァトロはラッカ近郊に伏せていた。司令代理はブッフバルト少佐、命令があればいつでも参戦できる構えで南西の砂漠地帯で空を見上げている。


 祖国の防衛の為でもないのに、彼らは命を懸けることを厭わない。たった一人の意志を尊重するだけ、多くの現代人には理解不能だろうが関係なかった。


「少佐、出撃命令はまだでしょうか」


 胸板が妙に厚く、背は百六十センチもない南米生まれのビダ先任上級曹長が催促した。すぐ傍で激戦が繰り広げられ、己の上官であるマリー中佐が戦っているのに、自分は待機というのが落ち付かない。


 まだだと言われるのは承知で、一種の雑談である。各種の戦闘車両は満載補給状態でいつでも戦うことができる、それも七十二時間は。数字にも理由はある、事態をききつけて緊急展開軍がやってくるまでは四十八時間という線があるから。


 独力では無理だと判断して後、二日戦闘を継続できるだけの物資があれば、世界中どこに居ても援軍が見込める。アメリカ基準ではそういうことになっていた。


「命令は無い、待機だ」


 面白みを求めるわけではないが、マリー中佐に比べると口数も少なく事務的。軍隊だ、それは称賛されることかもしれない。


 ラ米育ちで馴染まない部分はあるが、ビダ先任上級曹長もそれは理解していた。


「フィル、もう一度想定をすりあわせよう」


 今度は隣に侍っているもう一人の先任上級曹長に話しかける。二人の部隊先任、戦闘団を動かすための頭脳が司令だとするならば、こちらは神経といったところ。


「はい。南西部、タリハール・アル=シャームのそばを通り市街地中央を目指す。分隊は河の南部を迂回して、橋を渡って中央を」


 狭い市街地を集団で走るのは利点より欠点が目立つ。半数に別れても攻撃力に遜色は見られないことからも、異なった場所から攻める戦略性を拾うことにした。


 主軍は当然ブッフバルト少佐率いるA軍で、B軍はドゥリー大尉率いる側面攻撃隊。とある事情でクァトロは通過する二カ所の勢力の友軍として見られるだろう話だ。それが良いのか悪いのかは分からないが、戦場ど真ん中まではさほど時間が掛からない。


「四月七日公園、そこに司令部が設置されているはずだ。そちらは西のシリア国際病院側から、こちらはシリア国際イスラム銀行がある南側から進んで挟撃する」


 ブッフバルト少佐の先任下士官であるフィル先任上級曹長は西側から、一方で戦闘団先任下士官ではあるが今回はドゥリー大尉の先任下士官としてビダ先任上級曹長が補佐に入る。


 命令系統が入れ替わったので繰り下げの形になってしまっているが、彼等にはなんの恨みも妬みもない。最善を目指すことを是とする精神のみだ。


「公園周辺の五つのモスクが例によって敵の防御拠点でしょうね」


 人が集まって何かをすることに丁度良い施設でもあり、士気高揚の一助にもなる。モスクが戦場になるのは実際のところどうかと思うが、彼らにしてみれば聖戦なのだ本望なのだろう。


 一方で北東にキリスト教の修道院も一つだけ存在していた。恐らくは閉鎖状態になっているだろうが、神父だけはそこに暮らしている可能性が高い。


「四百メートル四方の区画だ、高さがあればかなりの優位を築ける。その意味でも国際病院を使いたいが、そんな命令は下らんだろうな」


 司令が誰であってもきっとそうしろとは言わない、何故なら彼らがクァトロだからだ。司令官の島が良しとするとは思えない。


「シリア国際イスラム銀行とシリア中央銀行の間にある、元地方政府庁舎が次点でしょうか。幹線道路の集合地帯のど真ん中でもあり、四月七日公園を攻めるのにはやや位置が不向きではありますが、その後の地域制圧では重要拠点になります」


 市街地を制圧する予定など無い、主力を駆逐することだけを目指している。余計な被害を受けてしまうのはどうかと思うが、恐らくは攻略命令が出される。


 下士官以上の者はラッカの地図が頭に入っている、調べればわかることでも咄嗟の戦闘指揮に影響する可能性があるからだ。ランドマークがあれば夜間にはぐれたとしても、何とか離脱できるだけの見通しがつく。


「だろうな、そいつもシリア東部同盟の功績にくれてやればいいさ」


 後続にレバノン軍がやって来るならば拠点を明け渡す、保持する気が無いので痛くもかゆくもない。たったの数時間だけ使うことが出来ればそれで良い。


「司令代理、ラッカ内各所で乱戦が顕著です。区画ごとに支配者が違い、時には建物の階層で勢力が変わるほどに」


 通信担当下士官が混乱が広がっていると注意をしてきた。アレッポの戦いの再来、遥か昔はスターリングラードでもこのような状況だったらしい。住民は今を生き延びるために必死で、皮肉にも神に祈ることだろう。


「待ってください、これは……」


 ヘッドフォンを押さえて真剣に内容を聞き取ろうとしている、現地語で早口なのか目を閉じて集中している。


「四月七日公園付近で戦闘が始まっています! YPJのギラヴジン隊が攻撃を仕掛けました!」


 勇猛果敢で名が知れている、クルド人部隊でも最強をうたわれているギラヴジン隊。西の端に居たはずなのに何故か中央部を攻めているらしい。とは言え数はそこまで多くない、いずれ息切れするのは目に見えている。


「戦闘団に移動命令だ。我等もこれより参戦する」


 司令部からの指示はない、だというのにブッフバルト少佐は決断した。未確認情報でしかないたった一本の報告で。


「各隊に命令だ、武装を再度確認しろ!」


 司令代理の判断に否は無い、やると言われたらそれを支えるのが下士官の務め。軍曹らが兵の装備を点検し、全員が問題無しを報告してきた。


「レオポルド中尉が先頭だ、行くぞ」


 ブッフバルト少佐の指名で武装ジープ中隊が一足先に出発する、本部である戦闘装甲車中隊、対戦車中隊、そしてハマダ大尉の武装ジープ中隊が続いた。


「こちらも出るぞ、ストーン中尉が先頭だ」


「ダコール」


 装甲偵察中隊が東へと進路をとる、ドゥリー大尉の中隊、そしてビダ先任上級曹長が指揮するマリー中佐の軽装甲機動中隊、最後尾はゴンザレス中尉の武装ジープ中隊が周囲への注意を怠らずに進んだ。


 黒い軍装の部隊、今回は黒地に白の四つ星を掲げている。部隊はこの時の為に存在を隠してきたが、決戦を前にして正体を現した。


 マガッラ橋南部を防衛しているのはカマール大隊、そこから抽出してきた中隊がメインだ。周辺の地方警備から十人単位で兵を引っ張って来て、何とか三百人の部隊を形成している。


 半分は素人に毛が生えたような新兵、それゆえ後方に回されていた。目が良い男が「西から黒い敵が攻めてきます! イスラム国の機動隊だ!」指をさして大声を上げた。すぐに指揮所に報告が上がると防御命令が下される。


「よりによってこちらに来たか! じっとこもって戦えば増援が来る、耐えるんだ!」


 シャローム大尉は己の不運を嘆くところだった、そのようなことをしても無意味どころか虚しいだけなのに。双眼鏡で接近して来る車両を凝視した。


「む……あれは……」


 アラビア語の綴られたイスラム軍旗が翻っていると思ったが、そのようなものは見えなかった。代わりに星が描かれている旗が見えるではないか。


 守備兵が勝手に発砲を始めてしまうと、釣られて多くが撃ち始める。だが反撃はなかった。


「やめろ撃つな!」


 大声で命じるも声が耳に入らない程に興奮してしまって伝わらない。指揮所要員を走らせて肩を叩いて回るとようやく落ち着きを取り戻す。


 攻撃停止命令を聞いてぎょっとしている兵が多いが、黒い部隊から攻撃をしてこないのを変に思い、ややしてから敵ではないと納得する。


 通信機ではなく拡声器を使って肉声が届けられる、双方の顔が見えるような距離まで接近してきてのことだ。


「橋の通行を求める!」


 どこの誰とも名乗らずに、ただ要求を突き付けた。兵らだけでなく、指揮所要員の多くもこいつらは何を言っているんだと不快になり、同時に首を傾げた。ところが。


「カマール大隊のシャローム大尉だ、通行を許可する。速やかに渡橋されたし」


 同じく拡声器を使って返答する。黒の部隊は徐行で防御陣のど真ん中を通り抜けていくではないか。


「大尉、あれは一体?」


 現地で増員した中尉があまりに不審な部隊に対して言及してくる。大尉の裏切りすら想定してだ。


「神が遣わした現世の奇跡だよ。戦況が大きく動くぞ、部隊間の連絡を密に行え」


 動揺することも無くそう返答した。少なくともシリア東部同盟を裏切ったわけではないだろうと感じられたので「了解しました」言われた通りにすることにする。


 橋を渡ると北側の陣地に駐屯している、レバノン第六特殊大隊のすぐ傍を通り抜け無傷で市街地へ消えて行った。中尉は首を傾げると起こったことを再度考えることにした。



 同時刻、デリゾールの砂漠で装甲バスから武装ジープへと乗り換えているロマノフスキー准将。中央での戦闘開始を耳にして「おっと先を越されたか、まあいい」不敵な笑みを浮かべて、参った参ったと繰り返していた。


 戦機を感じ乗り換えをしていたが、まさかの報告。その上で今度は「戦闘団が進軍しました!」通信担当が鋭く言い放つ。


「そうか」

 ――いよいよ俺も後手を踏むようになってきたわけだ。嬉しい反面で悔しさもあるな、相反する感覚があるうちはまだまともだと思っておくとするか。


 これが嫉妬や不快さばかりになると老害とよばれるものになる、自覚があれば救いはまだありそうだ。ジープの隣にグレゴリー中尉が小走りにやって来る。


「準備完了しました」


 砂漠で潜んでいるのも終わり、不要な物は砂の中に埋めてしまい隠した。座標を記録し動いてしまえばもう誰にも掘り起こされることは無い。


 数は少ないが供回りも武装し、ラッカに参戦する腹づもり。


「良し、行くぞ。オビエトは偵察情報を視覚化して差し込んでやれ」


「ヴァヤ」


 小型のドローンを動力不足の墜落覚悟で市街地へと向けて飛ばしていた。陸上航空偵察分隊、その長に据えられる。陸兵がどうしてと思うのもいまだけで、近い将来はそういった名前もしっくりと来るようになるはずだ。


 勢いよく高度をあげて飛ばした最初のドローンからの映像が切り取られて、各所の交戦状況にテロップを載せた。後方司令部があればもう少しまともに編集も可能だったが、今は移動しながらなのでこれが精一杯。


 ロマノフスキー准将の思い描く未来に、電子戦部門の設立も出て来た。ドローンを始めとした特殊装備開発部門に、野戦食の開発部門。


 元政府庁舎付近でクァトロ戦闘団が交戦中の文字が浮かび上がる。


「上空偵察してやれ」


「スィン」


 オビエト上級曹長は操作をしている兵士に指示をして、特に周囲を詳しく偵察させた。生動画をそのまま流してやり、知りたい先がある様ならばそこへドローンを飛ばす。


 四月七日公園付近でもズームする、激しい交戦が映像からも伝わってきた。


「YPJギラヴジン隊か、昨今の戦功はずば抜けているな」

 ――方面軍とは別個に、攻撃軍としての地位を確立したそうだからな。指揮系統の一本化は無理でも、出来るだけの増員を果たした。


 突如映像がブラックアウトした。どうしたのかとオビエト上級曹長の方を振り返った。


「ドローンが撃墜されたようです。銃弾一発で破壊されてしまいますので」


 装甲を施すようなものでもないし、壊れたら壊れたで次を投入するだけ。狙って当てるのも難しいので、きっと流れ弾にでも当たったのだろう。軽くそう終わらせようとしてから、地上からの角度でそれはないと改めた。


「見られたくないやつが気づいたらしい。複数送ってやれ、替わりは幾らでもあるからな」


 ヘキサドローンを持ち込む時に、コンテナ一杯のドローンも仕入れておいた。目一杯買ってもヘキサドローン一機よりも安かったわけだが。


 全体画像で中央西にもクァトロ戦闘団のテロップが載っている、部隊を二つに分けた内容を想像する。


 ――重装甲は西で、機動力が南か。敵司令部の挟撃、それで元政府庁舎の奪取を企図しているわけだ。庁舎東に敵のまとまった部隊が居ると困るだろうな。


 視線をそちらに移すと、正体不明の兵が存在しているとだけあった。アンノウン、敵か味方か不明。だがそこに味方がいるはずが無いので、どんな敵が潜んでいるかという話でしかない。


「オビエト、ここの奴らを識別するんだ」


「直ぐにやらせます」


 戦場外縁の河南にまで到達すると、戦の音も聞こえてきた。最前線に来ると言葉では形容しがたい気のようなものが感じられる。


 右手に橋の防衛部隊、即ちカマール大隊が見えた。警戒をしているようで指さしている兵士もいる。ここに留まればイスラム国との交戦はまずないだろが、シリア東部同盟を始めとした、どこかの民兵と衝突する危険性があった。


「軍旗を掲げろ」


 今まで不明集団だったが、ここにきて初めてクァトロ軍旗を挙げた。それもナンバリングされた『5』のモノを。自身でも一目見上げて微笑する。


 微速前進してカマール大隊に接近すると、武装ジープだけが一両進み出る。無論ロマノフスキー准将の軍旗が上がっているものがだ。


 守備隊からもシャローム大尉が出てきて真意を問う。


「こちらはシリア東部同盟所属カマール大隊のシャローム大尉だ、貴軍は?」


 黒い軍装ではあるが、車両はそうではない。黒地に四つ星の部隊は先ほど通り抜けたばかりで、偽装部隊の可能性が高いと偽物を警戒する。


「俺は第五司令部のエホネだ。ちょっと用事があってやって来た、少数なものでね、護衛を要請する」


 丁寧なアラビア語で返されてシャローム大尉は眉をぴくりとさせた。第五司令部のエホネといえば、もしかするとユーフラテス同盟の委員長になっていたかもしれない人物だ。


「司令部に確認する、そこでお待ちいただきたい」


 即座にハラウィ中佐に直接聞こうと電話を掛けた。ファード・ハラウィ中将の手駒であるシャローム大尉だ、ハラウィ中佐の決定に従うつもりで。


 三度コールすると聞きなれた声が聞こえて来る。


「俺だ、どうした」


「中佐、今こちらに第五司令部のエホネなる人物が少数の部隊を連れて護衛をするよう要請してきています。いかがいたしましょう」


「要請を受け入れエホネを死守するんだ。これはレバノン軍としての最優先命令だと理解しろ」


「ダコール モン・リュートナンコロネル!」


 即答からのまさかの死守、レバノン軍の命令というではないか。何故などと言う質問は軍人にはない。


「要請を受諾する、こちらに参られよ!」


 徐行で陣営にやって来る武装ジープに装甲バス、徒歩はいない。シャローム大尉の眼前にジープから降りてきた黒い軍服の将校がやって来る。


 襟に見える記章は星が一つのみ。明らかにスラヴ系の人種で、アラビア人とは思えない。


「俺がエホネだ、要請の受諾に感謝する」


 何故か気品ある喋りのアラビア語は、耳で覚えただけのものとは思えない。副官だろうか、中尉が二人と少尉が一人すぐ後ろに付き従っている。


「エホネ准将閣下、自分がシャローム大尉であります!」


 正体はともあれ階級に敬意を表する。いずれ真相を知ることになると、今は全ての疑問を河に流して特務を遂行することにした。


「済まんがここに仮司令部を置くことにする、防衛を任せるぞ」


「了解です」


 市街地に響く戦闘の音、そして黒煙。風向き次第で生臭い血の匂いすら届いてくる、思ったほど長引くことは無いと多くを知る者達は考えていた。



 警察署に身を置いているマリー中佐、暫くしてもドラミニ上級曹長が合流しないので捜索隊を出すことにした。遠くにいるはずがないのだ、それなのに連絡の一つも寄越せない事態が何なのか。


 戦うには少なすぎる十二人という数、捜索をするだけならば充分。ムーア曹長を分隊長にして出かけて行った。


 ――何かの罠にはまっている可能性があるな。それにしたって余程のことだぞ。


 妨害電波の一つでもあれば近くと言えども遮断されてしまう、ここは戦場だ、そういったものがあっても何もおかしくはない。報告が上がるまでは治療に補給をして待機警戒をしておくしかない。


「なああんた、随分と名前が聞こえて来るけど死にたがりなのかい?」


 タバコをくわえて一休みしているYPJの将校が壁に背を預けて話しかけて来る。警察署を目指していたがILBに先を越されたので間借りしている。


 茶色い髪を派手に逆立たせたパンクな少佐だ。肌の色は深い茶色で、シリア南部の生まれらしい。


「まだ死ぬ予定はないよ、それに今まで一度も死んだことが無い」


 軽口を返して小さく笑う。余裕がある証拠だと少佐もにやりとする。


「あたしもだ。しかし、随分と敵地を突っ切るのが好きなんだな、趣味は選んだ方がいいよ」


 アレッポでのことは当然のように知っているらしく、褒めているのか皮肉っているのか指摘してきた。悪意はない、無謀さをつついているだけ。


「そいつは趣味の一つだが本命は別さ」

 ――俺はもっと先に行きたいんだ、あの人の背中を追いかけるだけではなく隣に並びたい!


 心の奥底では無理だと解っている、だが諦めるのは違うと常に前を向く。そう教えてくれた先輩が居るから。


「言っとけ。で、どうするんだい?」


 ドラミニ上級曹長と合流するのが先決ではあるが、次はどうするかを決めておく必要はあった。ヒスバを排除しただけでも充分な功績だが、ここで終えるつもりなど無い。


「ラッカの総司令部がどこにあるか知ってるか?」


「呆れたな、まだやるつもりかい。あんたら負傷者が結構いるだろ」


 クァトロから情報を引っ張れば判明するだろうが、現場での情報交換はより有用だと目の前の女性に尋ねる。腕組をしてマリー中佐を見詰めるが、考えを変えそうにないので髪を掻きむしってため息を一つ。


「四月七日公園だよ、今頃うちの本隊が攻めてるところだ」


 西部からの増援を差し止める意味から、地域司令部を破壊するのが目的だったと明かす。


「そうか。なら次はそこに決まりだ」

 ――YPJギラヴジン隊か、流石というか何と言うか。ここでスルーしてちゃ申し訳がたたんからな。


 通信担当がやって来て「ムーア曹長より報告です、ドラミニ上級曹長の隊を発見、これを援護し交戦中。敵は二百から三百の歩兵、中程度の装備、包囲攻撃の最中。付近にテレビ局があり、通信状態極めて悪し」仲間が危機に晒されていると知る。


「解った。少佐、ILBはこれから出撃する、警察署はプレゼントするよ」


 言うが早いか立ち上がり部屋を出ようとする。


「ったくせっかちだね。どうせこれからこっちも四月七日公園だ、行きがけの駄賃に戦ってやる」


 少佐が呆れ顔で申し出て来る。分隊とは言っても三百人は居るのでILBよりも兵力が大きい。


「増援に感謝する。俺は直ぐに出るから、そちらは準備が出来たら来てほしい」


 軽く敬礼すると足早に出て行ってしまう。一階に降りると「大隊出撃だ、直ぐに準備しろ!」二人の下士官が不在なので自身が声を張り上げた。


 エルドアン大尉が移動の準備を命じてからマリー中佐の傍へとやって来る。


「部隊の被害が大きいです、後方へ退き補給と休養をする必要を具申します」


 第二中隊の準備をウィリアムズ曹長に任せてトランプ大尉も近づいてきた。


「ドラミニ上級曹長と合流する。その後はラッカ軍司令部がある四月七日公園を攻撃する」


 聞こえなかったわけではないが、エルドアン大尉の意見を無視しての発言だ。


「冗談じゃ無い、そんな無茶をしたら全滅するぞ!」


 上官相手にぞんざいな言葉づかいではあるが、今はそんなことを気にする者はいない。何よりもトランプ大尉の言葉は概ね正しい。これがアメリカ軍ならば命令拒否も致し方なしといったところなのかも知れない。


「楽な戦場などありはしないさ、違うか」


 そう言われては返す言葉もないが、それにしたって要求がオーバー気味なのははっきりとしていた。


「ドラミニ隊と合流後、一旦態勢を立て直しての進軍の線はいかがでしょうか」


 全てを満たして全滅を避ける為に折衷案を提示する、常識的な内容とはこれだ。マリー中佐はトランプ大尉からエルドアン大尉に視線を移す。


 ゆっくりと頭を横に振る。


「ここで遅参するようなら俺は必要ではない男になる。全てを得るか、全てを失うか、それだけだ。嫌というなら無理強いはしない、ここで引き返さばいい、撤退を許可する」


 じっと瞳を覗き込む。決して死にに行くつもりでなく、勝算が無いわけでも無い。兵力は少なくても司令部への強襲ならば或いは成功するかもしれない。


 互いに視線を逸らさずに十秒程が経つ。


「自分はシリアに親戚も友人も多く居ます、だからILBに志願しました。マリー少佐は何故ここに?」


 決意の程がどこにあるのかを問う。トルコ人であったり、イランあるいはレバノンが出身ならば解らなくもない。だがマリー中佐は西欧の生まれ、ベルギー人だ。


 妻の祖国であるならばとも思ったが、そのようなことはない。全く関係性が見えてこない。


「俺はな――」目を閉じて今までにあったことを思い出し、ここで退いたら永遠に追いつけないと考え目を見開くと「及ばないと解っていても、その影を踏みたくて駆けた。目の当たりにした奇跡が勇気の先にあったと知っている。己の信念を貫き、仲間を信じてここに在る」


 闘気が迸るような感覚を受けたエルドアン大尉が半歩後ずさってしまう。もしかしたら出来るかも知れない、そう思えるような勢いがあった。


「……兵に志願を募ります、どれだけ集まるかは解りませんよ」


 視線をトランプ大尉に移すと「くそっ、どうなっても知らんぞ。志願者無しでも俺は驚かん」ベイリー中尉に志願を確認するように吐き捨てるように命令した。


 わずか数分後、第一中隊では五十人、第二中隊では百人を超える志願者が集まる。トランプ大尉は中隊の殆どが志願したのに、中隊長である自身が撤退するわけにも行かずに渋々志願した。


 反対にエルドアン大尉は参戦に前向きになったと言うのに、撤退を指揮することになってしまう。


「大尉、残りの者を任せる」


「兵を頼みます、ご武運を」


 敬礼を交わして別れる。エルドアン大尉にはマリー中佐の背が随分と大きく見えた、志の如何で人はこうまで強くなれると触れて。


 テレビ局は東に三百メートルと少し、後方に車両を置いて徒歩で瓦礫が転がる入り組んだ市街地を進んだ。


 ――視界が悪い、これでは待ち伏せにあったら被害が大きい。


 トゥヴェー特務曹長が側にやって来て、ハンドディスプレイを指さした。そこには上空からの映像が表示されていて、敵味方が識別できるテロップまでついている。


「第五司令部からの情報です」


「出来る上司は違うね、ズルをしたのは後で謝るとするさ。トランプ大尉に危険個所を通報しておけ」


 居場所がバレている伏兵などどれほどの意味があるのか。異様に正確な通報を連続で受け続け、あっという間にムーア曹長の分隊と接触。


 包囲を受けているドラミニ分隊を視認した。


「一角を切り崩してそこから範囲を拡げる、第一中隊が左、第二中隊は右だ。三十秒で進むぞ」


 リロードと命令の浸透に秒単位だけ与えて、廃屋に身を隠しているイスラム兵に切り込んでいった。戦意が高い部隊が押してきたと敵も少しだけ交戦してすぐに気づく。


 五分も撃ち合うと後ろから集団がやって来てど真ん中を突っ切っていった。


「アマゾネスは曲がったことが嫌いらしいな! 俺達も突撃するぞ!」


 YPJ部隊に合わせて一気に進む、少数で不利になってしまったイスラム国兵が東へと撤退していく。包囲が解けたのでドラミニ分隊が合流した。


「申し訳ありません、思わぬ足止めを受けました」


 開口一番謝罪する、これだけの差があっても全滅を避けられたのを誇ってよ言うくらいだというのに。


「生きていたらそれで結構。これから敵の本部に攻撃を掛ける」


「それは楽しみです」


 後方から車両を呼び寄せて乗車、その間に応急手当を施した。分隊は全員が攻撃作戦に志願する。


 左翼にギラヴジン分隊を置いて、通りの一本右、即ち南を進む。上空からの情報をチラチラと確かめながらランドマークでもある病院を目指した。


 煙が立ち昇っているのがきっと目当ての場所だろうとアテをつける、案の定画像でも煙が見えた。どこから撮影しているのかと目を凝らすと、空の上に何かが飛んでいる。


「偵察ドローンか、道具は使い様だな」


 この視点があると随分と戦い易いものだと頷いた。包囲が狭くなり、敵司令部が随分と押し込まれているように見えた。


 ――イスラム国司令部はこんなものか?


 思っていたほどの反撃が無い、それだけYPJの攻撃が苛烈なのだろうか。目の前の少数の敵を駆逐しては先へと進む。


「急に静かに?」


 イスラム国の攻撃が止んで姿が見えなくなる、逃げたわけではなく隠れたような感じだ。それでもYPJの射撃は途切れずに行われている。


 一気に距離を詰めて周囲の建物を占拠する、ところが敵兵の姿が見えない、先ほどまで居たと言うのに。まばらな発砲音に様子を窺う者達。


「奴らの姿が無い、どうなってるんだ」


 兵が各所を捜索するも一人も居ない。どんな手品を使ったのか暴く前に突如轟音が響き、目の前が真っ白になった。


 咄嗟に身を庇う姿勢をとる、視界が奪われて皆が混乱状態に陥った。


「トラップだ! その場に伏せて譲許を把握しろ!」

 ――こいつは囮だ、おびき寄せられたぞ!


 消えた敵は地下道を使って逃げた、押し込んできた奴らは爆弾でひとまとめに処分。様子がおかしいと思った時に引き下がり、少数で捜索をさせなかったのは落ち度でしかない。


 当然罠が発動したら追い打ちをかけて来るはずだ。キューンと音がすると煙の中に迫撃砲弾が降り注ぐ。


「モーター!」


 あちこちで迫撃砲に注意するように多くが叫ぶ。不運にも傍に弾着したら最後。


「くそ、どこから撃ってるかわからん!」

 ――こいつはまずいぞ。どうする。


 手近な屋根付きの場所に逃げ込んで一時的に難を逃れる、土煙が舞っていてまだ視界は失われたまま。悲鳴が響く、一方的に被害を受け続けてしまえば回復困難な状態に陥る。


「司令、広域通信です!」


 地域特有の共通通信帯、ラジオ放送のようなもののようでもあり、緊急通信帯のようでもある。警察無線や消防無線が近いだろうか。


「第五司令部エホネだ、これよりラッカに参戦する。ILBならびにYPJギラヴジン隊は南へ三百移りその場を離脱しろ」


 突然現れて指揮系統が違う部隊に不躾な命令を下す。返事があるはずもないが、第五司令部から立て続けにあちこちへと指示が繰り返された。


 不愉快でもあり、疑問だらけ、素直に従う義理も義務もない。




7

「ILBはこの場を離脱する、南へ移動だ!」

 ――ロマノフスキー准将の指揮に従えば間違いないさ。


 直ぐに無線を使いトランプ大尉から抗議を受ける。


「少佐、あんな怪しげな指令に従うつもりか。罠に決まっている、西へ撤退しよう」


 来た道を引き返すならばそこまで強力な敵は居ないだろう、それは順当であり納得できるだけの材料を伴っていた。


 戦いとは常識を覆す行動こそが肝要だ、それを忘れているわけでもないだろが、ここに来て冒険をするほど大尉も大胆ではなかった、ただそれだけ。


「大尉は俺に何者だと聞いたな」


 前に尋ねられたことがある、はっきりとは応えなかったが。


「今はそんなことを言ってる暇はない!」


 正論だ、そんなことは安全な場所でゆっくりと聞く。だがマリー中佐はやめることはなかった。


「俺はな、神の手足だ。またそうであろうと努めてもいる。気まぐれで無茶をすることが多い、危なっかしい神のな。戦況が大きく動くぞ、こいつは予言だ」


 全くの意味不明の言。何かを隠しているのは解ったが、それだけ。轟音が鳴り響く、近くの建物が砲撃で倒壊した。


 大隊が南へとじりじり移動する、不満はあってもこの場に留まるよりはマシだとトランプ大尉も撤退した。だが中ほどまで行ったところで不意に通信が入る。


「司令、YPJで混乱が。司令官が負傷したようです!」


「なんだって!」


 足を止めて通信兵を睨むように見る、来た道を振り返ると声を張る。


「命令変更、ILBは四月七日公園へ戻るぞ!」


 先ほどは撤退すると言ったのに、百数十メートル動いただけでまた戻る。朝令暮改は軍の日常とは言え納得がいかないものも多いだろう。通りの先にいたトランプ大尉が今度は駆けてきて眼前で止まった。


「おい、ふざけるなよ、なんだってんだ!」


 とても上官に対する口の利き方ではない。だがマリー中佐は表情を崩さずにじっと彼を見ただけ。


「今戻ったところでどうにもならん、さっさと離脱するべきだ!」


 ILBのことを考えるならばそれは正しい。負傷者を引き下げて補給を整える、そうすれば戦力が上がりまた戦うことができるから。


 双方の要員が表情を硬くして二人を見詰めた。


「事情が変わった、これよりYPJを救援に向かう」


 目を細めて方針を下す。大尉の意見を真っ向否定する、それも多くの将校らの前でだ。顔を真っ赤にしてトランプ大尉は歯を食いしばる。


「不必要に部隊を危険に晒している。YPG司令部に訴えるぞ!」


 上級司令部の査察なりが入れば状況が変わるかも知れない。そんな脅迫にもマリー中佐は一切動じなかった。


「そうしたければすると良い。俺は引き返す、行くぞ」


 第一中隊だけがマリー中佐に続く。ベイリー中尉がどうしたらよいかとトランプ大尉を見る。大きく息を吸いこみ兵らをぐるりと見回す。


「えーいくそっ! 公園へ戻れ、敵を攻撃するぞ!」


 手にしていた無線機を地面に叩きつけると肩を怒らせて北へと取って返す。下士官らは命令に従い来た道をまた警戒して移動した。


 今まで自分たちがいた場所にイスラム国兵が湧いて出ていた、地下から這い出て来たのだ。


 公園の北側にもうもうと煙が上がる場所がある、YPJの本部があるのだろう。マリー中佐は自身も小銃を手にして号令する。


「敵兵を駆逐し、YPJを離脱させるぞ! 俺に続け!」


 力押しをする時には部隊の指揮官など不要。己も一個の兵力になり、包囲をしているイスラム兵を一人、また一人と排除する。


 じり貧になっていたギラヴジン隊が救援を確認して息を吹き返した。


「まったく惚れちまうだろ、あんたたち、あいつが挟み撃ちをしてる間に退くよ!」


 四十代手前だろう将校が北西へ撤退先を定めて包囲を破っていく。だがその歩みは遅く、第二線にいる敵に足止めを受けてしまった。


 一度勢いを失うと部隊というのは妙に緩慢な動きになる、精神的な部分が色濃く表れてしまうものなのだ。


 ――司令官の負傷で士気が下がっている? いや、敵の数が多すぎるんだ。周辺から増援が随分と寄って来ているぞこれは。


 偽装だったとは言え敵の軍司令部だ、増援のために駆け付ける部隊が少ないはずがない。ILBも疲労が祟って来た、破壊される車両も多く弾薬も減っている。


 一人を倒せば二人が後方から現れ、包囲網も二線から三線へと増加した。


「イスラム軍旗を集めて火をつけろ、罵声を浴びせてこちらに注意をひくんだ!」

 ――俺達が囮になって何とか撤退させねば!


 直ぐに転がっている軍旗が複数集められる。端から順次火をつけると、英語で、アラビア語でイスラム国を罵倒した。こんな子供だましの手であっても、戦闘で興奮している兵を引き付けるには充分。


「クティラ! クティラ! アッラーアクバル!」


 眉を寄せて怒りの形相で殺せ、殺せと繰り返し敵が群がって来る。瓦礫を盾にして円陣を組むと、全方位の敵と交戦。そのうちYPJが包囲を抜けていく。


 見渡す限り黒いイスラム国兵にイスラム軍旗。敵意と悪意、そして殺意が立ち込めた。


「おい少佐、どうするんだよ!」


 無数の切り傷や打撲を受けて、頬に血筋を付けたトランプ大尉が怒りをぶちまけた。

 

 ILBの兵も不安そうにマリー中佐を見る。


「この程度では諦めんぞ、俺はここに居る! 幾らでもかかってこい!」


 大声で叫んだ。ある者は死を悟り、ある者は呆れ、ある者は勇気を湧き興した。群がるイスラム国兵の後ろ、西から瓦礫を押しのける鈍い音がした。徐々に近づいてくると、六輪の軽装甲車が姿を現す。


 黒い軍装の兵が射手の位置に就き、十二・七ミリと七・六二ミリの機銃に手を置いて。通りの左右に展開し後続を待つこと数秒、主砲を備えた装甲戦闘車両が道の中央を進み出る。車両に『9』の四つ星軍旗を翻していた。


「スラフクッペン・アングリフ!」


 車外スピーカーでドイツ語が響いた。何故との疑問がわくよりも早く、百五ミリの主砲が真正面にむけられてすべてを爆砕する。敵の撃つ全ての弾丸を跳ね返し、悪夢のような機銃掃射を続けた。


 VAB装甲車三両がそれに続き、プーマが四両で幅を広げて死をまき散らす。


「な、なんだあれは! ストライカーMGSだと? アメリカ軍……は、こんなところにいるはずがない」


 謎の集団の攻撃はILBに一切向けられない。イスラム国兵にばかりだ、敵の敵は味方と言うならばわからなくもないが。


 九死に一生を得たが安全を確保したとは言い難い。


「離脱する、南へ走れ!」

 ――ブッフバルトのやつ、最高のタイミングで出てきてくれたな!


 大混乱する激戦区から脱兎のごとく逃げ出す。それを支援するかのように戦闘車両集団――クァトロ戦闘団A軍が制圧射撃を行った。山と積んできた弾丸を惜しげも無く撃ちだす。五百人のイスラム国兵の銃撃のまさに八十倍の弾数、質量にすれば数百倍の圧倒的破壊力に頭を低くして耐えるしかなかった。


 息を切らせて走ること数十秒、指定の場所にまで移動を終える。膝をついて呼吸を整えていると、シリア東部同盟のサディコン大隊が防衛を肩代わりしてくれる。


「ったく、どうなってやがる……」


 トランプ大尉が不機嫌そのものの表情で民兵を睨む。事前になんの打ち合わせもしていないのは確かだ。


 ――ロマノフスキー准将の采配だな、助かる。


 膝をついて呼吸を整える、トゥヴェー特務曹長に近くに寄るように仕草で示して通信状況を確認させた。幾つもの言語が容赦なく浴びせられ、訛りも含めると全てを理解出来る者など皆無。


「黒い暴風が二つ猛威を振るっている居るようです。それと、第五司令部がマガッラ橋付近に仮司令部を設置しました。カマール大隊が防衛に協力しているとのこと」


 意味不明の内容であっても、聞く者が聞けば通じる、その典型のような事態にマリー中佐は右手を顎の下に置いて考えを巡らせた。


 ILBの被害状況を見てとる、とてもではないがここで無理をすべきではないのがありありと感じられた。


 ――ロマノフスキー准将の指揮を待つか、ここで治療と補給だ。


 近くの友軍であるサディコン大隊の指揮官に連絡をつけると、トランプ大尉と共に交渉に出る。


「シリア東部同盟の部隊から補給を受けるだって? 少佐、あんたどうかしてるぞ」


 少なくとも争うつもりなら防衛の肩代わりなどしないはずと、謝辞を伝える為にも同道する。トゥヴェー特務曹長もアラビア語担当として後ろをついてきた。


 ILBには応急手当をさせて待機を命じた、撤退するにしてもここで一休みする必要があるから。一方で将校に休みなど無い。


「ダメ元だ、どういう方針を持っているかは知らんが、物資を与えたらイスラム国と戦うってなら出してくれるかもな」


「おい、まだ戦いを続けるつもりかよ!」


 最早上官と思っているのかどうか、マリー中佐も気にしていないので口調が常態化してきた。命からがら離脱してきたと言うのに、また戦場真っ只中に行くなど、どうかしている。トランプ大尉の表現がドンピシャだ。


 答えるよりも早く、大隊指揮所から大隊長がやってきた。階級章は少佐、シリア人らしい顔つきをしている。


「ILBのマリー少佐だ。貴軍の協力に感謝する」


 名乗って後に謝辞を述べた、トランプ大尉も敬礼して背筋を伸ばす。そこは元アメリカ軍の将校だ、どこに出しても恥ずかしくはない教育を受けてきている。


「サディコン大隊のムスリム少佐だ。貴軍の奮戦に敬意を表する」


 にやりともせずに真顔で感情も無く賛辞を贈った。通りの先からYPJを救援に戻った事実を見ていたのだろう、その勇気を讃えた。


 お世辞ではない、それほどの危険を買って出たのだ。トランプ大尉もそこは悪い気がしなかったらしく、鼻息も収まっている。


「連戦で戦闘物資が心もとない、供与を受けられないだろうか?」


 前置きも無く要求を真っ正面突きつける、初対面の人間にタダで大切なものを寄越せと言っているのだ、争いになってもなにも不思議はない。


 実際にムスリム少佐の副官らしき中尉はむっとした顔になり、マリー中佐を睨んでいる。


「大隊に余剰物資は無い。それに貴軍は疲弊しているのでは」


 当然の返答にマリー中佐も指摘を認めた。危険水準を上回っているのは誰が見ても明らかだ。


「休養と再編成を必要としていると考えている」


 意外や意外、素直に言葉を飲み込んできた。どういうつもりだろうとトランプ大尉がマリー中佐を見る。


「ならば―ー」


「だが、この鉄火場で引き下がり指を咥えて見ているつもりは無い。俺達は世界各国から集まった志願者だ、シリアに平穏をもたらす最大の場に居合わせ戦わないなどと言う選択肢など無い」


 ムスリム少佐の言葉を遮って力強く自らの意志を述べる。国際自由大隊の所属者は全員が志願者であって、無理に参加させられている者はいない。傭兵も居なければ、意志薄弱者も居ないことになっている。


 不満はあってもトランプ大尉は口を挟めない、今は対外的な交渉をしている最中だから。


「全滅するぞ」


「俺が怖いのは死ぬことではなく、志を為せずに朽ちていくことだ。ただ生き延びたいだけならばシリアくんだりまで来はしない、違うだろうか」


 沈黙が続く、ムスリム少佐は相変わらず表情を変えない。視線だけがマリー中佐とトランプ大尉、そして後方のILBに移る。


「我等サディコン大隊は、シリアの友人の為に組織された。貴軍の思想を認める、可能な限り武装を供与しよう。中尉、手配を行え」


 意外な返答に驚くも、命令ならば否は無い。トランプ大尉もまさかの事態にまゆを寄せてムスリム少佐をまじまじと見つめてしまう。


「感謝する。供与を受け次第戦場に戻る準備だ、行くぞ大尉」


 武器の管理は下士官が担当なので、双方の担当者が内容を擦り合わせて実務を処理した。その間、ようやく将校らも身体だけ休めることが出来た。


 ――どうやら少佐だけが真実の欠片を掴んでいるらしい、負傷されたらやっかいだな。


 他人の心配よりも自分の心配をすべきだと自嘲する。まだ暫く補給が続く見込みだが、市街地ではずっと戦闘の音が響いていた。


 建物が倒壊する轟音も混ざる、大火力が炸裂しているのが伝わる。


 ――ブッフバルトのやつ派手にやってくれてるな!


 気づくと戦闘を始めてから暫く、何も口にしていなかったので、意識して塩の錠剤と水を口に含んだ。不足してから補うようでは体調不良を起こしてしまう。


「少佐、ヘッドセットをどうぞ」


 トゥヴェー特務曹長がクァトロの装備を手にやって来る。これが必要になる場面が近づいているとの意味だろう。


「……俺はボスの役に立てているだろうか?」


 渡されたものを首に引っ掛けてシリアルバーを一口。妙に濃い味付けで、いまいちの出来栄え。栄養さえ取れればそれで構わないが。


「閣下ならばきっと笑顔で認めてくれるでしょう」


 確かに何度想像してもそればかりが浮かんできた。仮にしくじったとしても認めてくれるだろう、だからこそマリー中佐は全力を出して結果を引き寄せたかった。


「くだらんことを言った、済まん。一応YPGにも大まかな報告をあげて置いてくれ、詳細は要らんぞ」


 黒い顔に白い歯を覗かせて、トゥヴェー特務曹長が請け負う。通りの先に迫撃砲弾が落ちても涼しい顔で視線をやるだけ、覚悟を決めている者にとって大切なことが何であるか、いつか多くに伝えられるようそれぞれが命がけで努力をしていた。



 マガッラ橋南岸のそばに在る第五司令部、情報が氾濫するのを承知で多数の通信機をフル稼働させて交信状態を保ち続けた。


 司令部要員はその殆どが通信機の前に座って何かしらの作業をしていて、守りは完全にカマール大隊に任せてしまっている。異様な光景にシャローム大尉も唖然としていた。


 交通整理に情報収集、士官が忙しそうなので声をかけられずにいる。すると唯一何もしていないロマノフスキー准将に声をかけられた。


「大尉、こちらへ」


「はい」


 周囲をカマール大隊で囲んでいるので、必然的に中央に四つ星の部隊とカマール大隊の指揮所が寄り添うように置かれている。新旧装備が混在していることは良くあることだが、不思議だったのは自分達と系統を同じくしていることだった。


 レバノン第六特殊大隊の正規軍装備を別にして、ユーフラテス同盟の装備は皆が同じ供給源のものを使っている。使用率が半数を下回ることは無い。


 シャローム大尉は出元が一緒だということなど夢想だにしていないだろう。


「防御を任せられて助かるよ。よく訓練が行き届いている」


 退役軍人を一定数含んでいるので、他の民兵団よりは規律がある。訓練度が高いのは大尉の腕前ではないが、統制がとれているのは間違いなくこの大尉の能力。


「ありがとう御座います。ところで今後の予定は?」


 どこからやって来て、何を目指しているのか、知っておきたいと思うのは指揮官の務めでもある。今のところ橋の前衛として機能を保持しているが、もし第五司令部が移動するならばどうすべきかも考えておきたかった。


 レバノン軍の命令は第五司令部の死守。だとしたら同道することになるが、この場をどうするかも決めておかねばならない。


 どこかに引き継ぐならば、事前にその旨を連絡しておくべきだ。ではどこにと言うと、シリア東部同盟の司令部ということになる。


「イスラム国の首脳がラッカに籠もるならここで指揮を執ることになるが、どこかに逃げ出すならば追いかけるさ」


 これは戦争だ、相手があってのことなので不明もうなずける。そもそもこの大連合軍はラッカをどうするつもりなのか、そこがはっきりとしていない。


 奪還するのは最優先の目的だが、誰が統治するかは決められていなかった。イスラム国軍が撤退するまで戦うのか、それとも追撃してでも殲滅させるのかは決まっていないのだ。


 何せラッカを留守にしたら取り分が減るのは自明の理。大連合が空中分解するのは目に見えている、第五司令部の意識が向いている先を知りたいのは当然のこと。


 追撃するというならラッカへの直接的な影響力は低くなる、或いは取り分が全くなしとの線すら見えて来る。


「追うにしても占領軍は参加をしないでしょう。むしろラッカを放置して戦う軍などあるのでしょうか?」


 地域の防衛を目指している者達は、現地から敵が消え去ればそれだけで良い。そういった事情から、ここに集まっている軍はその殆どが逃げるなら無視するだろう。


 シリア政府軍が国内内陸へ逃げるなら追撃する可能性があるが、地方の軍は支配地を固める方が優先との考えも大きい。何せこのあたりの政府軍支配地域が少ないのだ。


 北東方面の大都市となると、ここをガッチリと押さえるのが優先する。クルド人の支配地域からは追い出され、近くに拠点となる場所が無いせいだ。


 海沿いの首都方面に兵力を寄せた弊害と言える、何せ東の内陸部から浸透してきたから。


「あるさ。どいつもこいつもが利益だけを求めているわけじゃないからな」


 サラッとそんなことを言うが根拠は示されない。レバノン軍が利益を求めているわけではないのが理解の一助になっている、損失を防ぐ意味なのが利益に置き換わりはするが。


 第六特殊大隊の指揮官たち、少佐三人組がその際たる者。彼らはここで結果を残すことで、未来の不遇を回避できると信じて志願してきている。


 橋の南側陣地に翻るレバノン軍旗、シャローム大尉もあの旗の下に集い何度も戦ってきた。


「シリアの混迷が収まれば、次はレバノンが狙われる。そうは思いませんか?」


 影を落とした表情にロマノフスキー准将が心情を察する。中東の紛争が長引くのはそのあたりに原因があるのだ。


 イスラム国が幅を利かせるのは困るが、他国に手出しを出来る程に安定されても行けない。これに関して言えば、世界中で共通。貧困と幾ばくかの危機感をあおる隣国を必要としている国家の多いこと。


「そうかも知れんな。だからとこの状況を放置して良いことにはならん」


 正論である、シャローム大尉もそれは解っていた。だからと懸念が消え去るわけでも無い。


 彼にとってレバノンとはたった一つの祖国であり、家族が、近しい人達が暮らす場所だから。


「はい……」


 やるせない感情を押し込んで任務に集中しようと気持ちを切り替えようとした。個人の感情に左右されるようでは部隊の長を務めることなどあぶなかしくて出来ない。


 ロマノフスキー准将は、直接の部下ではないこの数歳下の大尉の心持ちが手に取るように感じられた。


「貴官は以前のシリア軍との交戦を経験したかね、レバノン北部国境での戦いを」


 モザイクパターン、宗教戦争の一環。最後はハーネメ師が宗教戦争ではないと宣言して引き下がったが。国境防衛の部隊が満身創痍で撤退してきたあの戦だ。


「第二線ではありましたが、地方の小隊を指揮しておりました」


 将校として勤務して数年のことだろう、中尉だったころのことだと語る。守備隊があわや全滅の恐れがあった、最悪の紛争。いや戦争だ。


 その時の敵と、今は同じ方向を向いて戦っている。複雑な気持ちがあるが、任務だと割り切って考えないことにしていた。


「そうか。最前線で中央の防衛を最後まで行い、救援が来るまで守り抜いた部隊がある。大隊長を失い、兵の殆どが死傷した」


 殿の部隊は損耗率が極めて高くなる。取り残されても明るい未来はやって来ない、かといって生きているのも地獄だ。


 心のよりどころである隊長を失い、それでも踏みとどまったのは奇跡的なこと。兵は勝手に戦うことは無い、指揮官がいなければ逃げることがルールに定められてすらいる。


「生き残り全員にレバノン杉勲章が授与されたと聞いております」


 年金の増額もあるが、最たるはその勇気を讃えられること。軍事顧問として参加した者には授与されていないが、当時の将校らは功績を心に刻んでいた。


「副大隊長だったハラウィ中佐、当時のハラウィ大尉が志願してシリアに介入している理由を俺は知っている」


 語りはしないが無関係の人物ではないと明かした。その真相は本人から聞くようにすべきとシャローム大尉も頷く。


 状況が刻一刻と動き続け、橋を通したサディコン大隊の動きも聞こえてきた。ラフード少佐の第一中隊の北西に位置して、ハウィ・アル=ハワ地区と中央の間に待機していると。


「中佐はこれからのレバノン軍を導いてくれると確信しております。ある日を境に大きく変わった、そうハラウィ中将が呟やいたとか」


 ある日の心当たりがいくつもありロマノフスキー准将が微笑する。いつか自身を追い抜いていくのだろうとの想いもあった。


 正規の道順で国家に連なる現役ではない、昇進も打ち止め。島に引っ張られてのことも無いだろう、何せ当の島が中将でこれより上が通常ではありえないから。


 国軍の中枢、総司令官や参謀総長、作戦本部長などの役職が就くときにのみ昇進の話が出て来る。


 グレゴリー中尉がロマノフスキー准将に何かを耳打ちすると「ここへ」短く指示を出した。


「噂をすれば何とやらだよ」


 にこやかに腕組をして顎で指す先には、野戦服姿の中佐が歩いている。振り向いたシャローム大尉が敬礼した。


「シリア東部同盟委員長・レバノン第六特殊大隊長ハラウィ中佐です!」


 含み笑いをしながら申告した。その態度を不審に思いながらもシャローム大尉は一歩引いて沈黙する。


 立ち上がるとロマノフスキー准将も軽く敬礼する。


「第五司令部のエホネだ。面倒ごとを押し付けてしまってすまんが、結果でお返しということでどうだ」


 数秒の後に握手を交わして笑った。


「閣下、もう両手いっぱいの贈り物を受け取っています」


「閣下はよせよ。シャローム大尉はどうなんだ」


 曖昧な質問、意図はきっちりと伝わっている。この場にいてネタばらしをしてよいのかどうか。


 ハラウィ中将の手駒の一人なのだ、信用しないわけが無いが、そこはハラウィ中佐の判断に任せた。


「改めて紹介する、俺の先輩で元上司で、幾つもの恩があるロマノフスキー准将だ。レバノン銀杉勲章に、パラグアイ・コマンドゥール勲章、ニカラグア・最高勲章、ルワンダ、勲二等ナイトクロスコマンダー他を履く偉人だよ」


 上位勲章を受けているだけでも凄いと言うのに、複数の国家の勲章を得ているのに心底驚いた。異常を絵にかいたような経歴、納得の貫録とはこれだろう。


 そのような人物が少数で戦場をうろつくはずがない。だが見える範囲には不明の部隊など居ないのが疑問ではあった。


「終わったことよりこれからのことだ。早晩イスラム国は逃げ出す、それも北東へ向けてだ」


 南と南西には河が流れているので地形的に不可能。南東から東はシリア政府軍が陣取っている。北にYPG本隊、北西から西にはユーフラテスの火山やYPJなどが。


 空爆もあり、ILBや革命家軍が居た北東が手薄になっているのは間違いない。何よりイランに逃げ込めば安全圏と言えるからだ。


「すると山越えになりますね。追撃も待ち伏せを警戒して厳しくなるでしょう」


 隠れる場所や狭隘地があり、攻める側も守る側も不安定。先行移動する側が場所を選べる有利を得るならば、追うのは不利になる。


 上空からの捜索が有効ではあるが、相手が対空ロケットを装備していたら最後、チョッパーなどあっという間にスクラップにされてしまう。


「FIM-92Cを装備している可能性が高い、人の目に頼ることになるだろうな」


 FIM-92Cとはスティンガーと呼ばれる地対空ミサイルの旧型のことだ。だとしても大型旅客機を撃墜できるだけの性能を持っている、低空のチョッパーでは回避不能。


 湾岸戦争時に一部が散逸したのをどこからか入手したのだろうとの見立てが有力。かなりの年数が経過しているので、実際にどこまで稼働するのかは撃ってみないとわからないが、撃たせるわけには行かない事実がある。


「兵力不足に陥るのではありませんか?」


 イスラム国兵が全て集団で逃亡出来るわkではない。せいぜい連隊規模がまとまって動く程度にしかならない、そう読んでいた。


 隣接地を行けば前後左右のうち三つと連携がとれるとしたら、確かにクァトロ戦闘団だけでは兵力が足りなくなってしまう。


「戦闘車だけでは厳しいだろうな」


 戦えば負けない自信と装備は持っている、だが戦いを回避して罠に集中するようならば疲弊してしまうのが道理。


 警戒行動には集中力が必要で、戦力が極めて高いクァトロであっても兵力が求められると弱い。


「では自分のところの兵を――」


「シリア東部同盟はラッカの治安を確保するんだ。シリア政府軍や反動の勢力に牛耳られては市民が迷惑を被る」


 せっかく解放したと言うのにまた圧政を受けては元の木阿弥。シリア東部同盟ならば良いのかという部分は、ロマノフスキー准将にとっては愚問。一般市民にしてみたらどれもこれも不安で仕方ないだろうが。


 少なくともレバノン正規軍が割り込んでおけば、今のところは大事には出来ない。政治的な部分からの牽制にはなる。


「そう仰るならばラッカに駐留を。ですがそちらは?」


 足りないものを埋めるのは一朝一夕では不能だ、アメリカ軍が直接介入できるならば元からここまで困りはしていない。


8

 国外からクァトロの関連兵を引き寄せるにしても問題が山積してしまう。何より時間的に間に合わないのが目に見えていた。


「なぁに、何とかするさ。俺が誰だか知っているだろう」


 含みを持った笑み。誇示しているわけではない、心配をするなと言っているだけだ。しかし、枠外の兵力はシリア東部同盟に全振りしてしまっている。


 副司令官の肩書は伊達じゃない、隠し玉の一つや二つは持っていて当然。


「……山越えに際しては航空隊を出します、ここは譲れません」


 ダメと言われても支援をするつもりでの発言、ロマノフスキー准将もやれやれと頭を横に振った。


「中佐の思うようにすると良い。だがラッカの確保は絶対だ」


 少しきつめに言葉にした、命令できるような関係ではないと言うのに。ハラウィ中佐も従う義務など無い、けれども背筋を伸ばすと敬礼する。


「後方はお任せ下さい、ご武運を」


 返礼されるとシャローム大尉の方に向き直り「レバノン軍はラッカを保持するので手一杯になる。第五司令部の守護を頼むぞ、大尉」真剣に任務を言い渡す。


「全力でことにあたります!」


 肩に軽く手をやってハラウィ中佐は司令部を去って行った。状況が動いた箇所の整理をして、可視化された戦況を持って、グレゴリー中尉がロマノフスキー准将の隣へとやって来る。


 陽が傾きかけてきた、夜をどこで迎えるかで危険の度合いが随分と違ってきてしまう。


「どれ、安全地帯と最前線の設定をしておくとするか」


 コムタックを装着すると、回線の切り替え装置に手をやってメモを覗き込む。ラッカの包囲戦も後半に移り変わろうとしていた。



 YPG司令部の意図しないところで戦況が目まぐるしく変化していた。当初の計画では北と東から進出して、敵を河に追い込んでいく予定だった。


 ところが、シリア政府軍は南側へ位置を動いただけで進軍せず、YPGは逆撃を受けて戦線が乱れる始末。


 左翼に居たはずのILBと右翼のYPJは、敵地に深く切り込んでどこに居るのか報告がない。それでも時折戦闘報告はあるので、全滅してはいないとだけは解っていた。


 橋を奪い進出してきたシリア東部同盟が意外だった、市街地に重砲撃を行ったのも含めて。数が多いユーフラテスの火山作戦司令室など、小競り合いのみで位置が変わっていない。


 どこまでも烏合の衆といった感覚が抜けない、緩い連合体。戦後のことを考えてか動きが怪しい。


 陽が暮れるとクァトロ戦闘団が市街地から姿を消した。ラフード少佐の陣地を抜けて渡橋、南のカマール大隊を素通りして砂漠へと戻って行ってしまう。


 経戦能力が低いわけではない、戦意が低いわけでもない、それが第五司令部からの命令だったからだ。暗夜に能力を発揮出る素地が無い、それゆえの温存。彼らは機動戦力であって防御剥きではない。


 戦場であっても地上電場のテレビ放送は生きている。あちこちで小型テレビを持ち出して、地元のニュースを確認した。


 ラッカでの戦闘内容の報道は、世界にも報じられている。詳細は不明なので一部の映像が繰り返し流されて、専門家のコメントをぶつけ合うスタイルで。


 瓦礫に背を預けてシリアルをコーヒーで流し込んでいるマリー中佐。いつの間にか銃弾が掠っていたようで、応急処置をして真四角の絆創膏を張り付けた箇所がむず痒い。


 足音が聞こえて来たので意識を集中する、振り向かずに自ら声をかけた。


「どうした大尉」


 言わずと知れた事、大尉はトランプ大尉しか今は居ない。歩き方の癖を聞き分ける位はわけない。


 昼間とは違った不満顔でマリー中佐を睨み付けている。


「明日もまた自殺志願者並みの動きをするつもりか」


 コーヒーカップを傍らに置いて息を吐いた。彼が言わなければ誰も意見できないのだ、この点についてはトランプ大尉に非は無いだろう。


 顔を横に向けて姿を確認する、肩には短機関銃を吊っていた。使うことは無いと信じられていた将校の武器、ところが幾度となく発砲する日が今日だった。


 戦闘の渦中に埋没しなければならない、それは指揮能力の放棄と同義。自身も戦力にならなければならないほどに切迫した状況下に置かれ続けた一日。


「そうだと言ったらどうするつもりだ」


 肩の短機関銃を一連射すればたった一人の犠牲でILBの多くが無事に撤退できることは想像に難くない。そうするならばそうしても構わない、マリー中佐は意見を変えるつもりなどなかった。


 姿も気配も無いがドラミニ上級曹長が近くで護衛しているのを信じて。


「何故だ。前に聞いたような答えはもういらんぞ」


 戦うことに理由が欲しい。本能の赴くままに争う戦闘狂でなければ、どこかに信念を持っているはずだ。その志があるならば当然理由を持っている。


 ――ボスもあちこちで聞かれてたよな、何故かって。


 同じ様に問われたのが少しだけ嬉しくて微笑する、ようやく背の見える場所にやってこられてかと。遠くに在り過ぎて手を延ばすどころか、見えずにいた先輩の背が。


「大尉は戦争をしたことがあるか?」


 シリア以外でのことを聞いてくる。世界中で紛争は起きているのだ、米軍に居たならば志願次第でそういった可能性は十二分にあった。


 ましてやこうやってILBに入隊したのなら、経験が無かった方がおかしい。答える必要などない、部外秘というやつだ。だがトランプ大尉は己の戦歴を誇示するかのように口にする。


「アフガニスタン、ダルフール、エジプトで作戦したことがある。それがどうした」


 どれもこれも現在でも続いている長期の紛争であり、多様な作戦が実施されている場所でもあった。経験不足の現代軍将校にあって、トランプ大尉は異質な存在。


 もし彼がどこかの軍に招かれることがあれば、堂々と軍事経験を誇って顧問を務めあげられる位の戦歴だ。


「どこの戦いでも誰もが必死だった、違うか」


 それぞれの主張がぶつかる、己が正義だと叫ぶ、だから争いが起きる。原因など簡単なことだが解決させるのは極めて困難。


 人は恐怖すると生き延びたいと強く願う、それが生存本能という奴だ。現場では生き残るために誰もが必死になる、それが普通のこと。


「だからと無謀なことをするのとはわけが違う。あんたの行動は危険すぎる」


 これが一般的な軍ならば拒否されることすら視野に入る。ここがILBという志願兵のみで構成されている部隊だとしても、賛同する数は本来ならばこんなには居ないはずだった。


 指摘の通りに無謀と括られても仕方ない、それほどに他人の目には厳しく映っている。それはマリー中佐だって解っている、客観的に見るだけの余裕は常に持つようにしているから。


「俺にとっては無謀じゃない、無理をしているのは認めるがね」


 その違いは努力でどうにか出来るかどうか、極論すれば可能か不能かでわけられる。ただし、全ての犠牲を払って可能になるというのは一般的には不能と捉えられるが。


 経験豊富なトランプ大尉にすら理解出来ない基準、頭を小さく左右に振る。


「死んだら全てお終いだ。そんなのは作戦でも何でもない」


 確かに生き残ることを考えない一方通行で退路の無い作戦は作戦と呼ばない。それはレジオンでも徹底的に教え込まれたものだ。


 テロリストのテロリストたるゆえんも、そのあたりで線引きされていると言ってよいかもしれない。


「大尉の言っていることは理解しているさ」


「いいや解ってない」


 食い気味に言葉を被せてきた。あの行動のどこに理解があるのか、一対一だからこそ言えることがある。


 たったままじっとマリー中佐を睨み続ける、これ以上はぐらかすようなことを言うようなら或いはもう一歩踏み込むつもりで。


「ニカラグア、日本、アルジェリア、チュニジア、イエメン、パラグアイ、ソマリア、ルワンダ、コンゴ、ウガンダ、フィリピン、ザンビア、ベルギー、レバノン、南スーダン」


 幾つもの国名を続けて言い放つとトランプ大尉に視線をやる。


「何だそれは?」


 共通点は無いように思える羅列。また意味のないことを言って煙にまくつもりかと眉をひそめる。


 月明かりが差し込んで来る廃墟に風が吹き込んできた。遮る壁は崩壊して、風は埃っぽい。


 昼間は暑かったのに、夜になると少し肌寒い気がしてくる。


「俺が作戦した国だよ。戦争に身を置かない年など一度も無かった。俺のボスは働き者でね」


「んなっ……」


 そんな馬鹿な話があるわけが無い、今の今まで自分こそが戦闘経験トップクラスと信じて生きて来たのに、桁違いの戦歴を持っているなど信じられなかった。


「全て銃弾が飛び交う最前線でのこと。未だ死んだことが無いものでね、今日の動きは無理ではあっても無謀ではない、そう確信している」


 驚きで言葉が出てこない。これが事実だとしたら、目の前の少佐の正体は一体何なのか。


 不可解な背景に、謎の事情通、他の部隊との関係性も闇の中。僅かな情報からでもトランプ大尉は態度を決めなければならない、将校の端くれとして。


「……ILBでイスラム国に勝てると?」


 うんと言うなら銃を撃つつもりで問いかける。ただの狂人だと割り切って、或いは口だけが大きい輩だと。


「それは出来ない、戦力も兵力も比較にならん。だが今回の作戦、イスラム国に勝ち目はない」


 俄かに興味が出て来る、勝てないのに無理と通し続けるその意味に。肩の銃、位置を変えて話を聞く態勢になる。


 ILBがイスラム国に勝てないのに何故戦おうとするのか。マリー中佐が破滅主義ではないのはここに居ることで解る、その瞳には狂気が映っていないからだ。


 多様な勢力が戦場に混在している、それらが駆逐すると考えているのだろうか。微風が頬を撫でる、生暖かい空気、少しだが湿り気を帯びていた。


「イスラム国は世界の圧力を受けて早晩退くだろうさ、だがそれは今日明日じゃない」


 負けが決まっている、ならば敵対するILB側から見れば勝ち戦といえなくもない。放置していてもいずれ消えゆく、それなのに命を懸けて戦闘の真っ只中に在り続けようとする。


 大きな機会が目の前に来ているのはトランプ大尉も感じていた。だがここで一旦態勢を立て直して再度挑めばより確実に、より大きな打撃が与えられる。


「俺もそう思うよ。いつの日か誰かの努力でイスラム国は薄れていく」


 アメリカという大国を始めとして、幾つもの国が兵士を派遣してきている。武装集団でしかないイスラム国では対抗できないのは道理。なによりアメリカ一国だけでも充分対抗出来るだけの力を持ち合わせている、それを最前線に投入していないだけで。


 シリア南東から浸透してきて補給線が伸び切った、アレッポを失い押し返され始めてから勢いは陰りを見せている。維持できる地域を絞り、連合勢力の結束を崩し、テロ行為を世界中で行い戦争の形態を変質させることで生き残りを図っているのだ。


「ならここで無理をしなくても――」


「目の前で無力な命がただただ失われていく。何かをしても助けることが出来ない、そんな儚い存在がとめどなく消え続ける」


 戦争による暴力が原因、政治による怠慢が原因、災害や風習、時には事故や自分自身が人を消してゆく。人は産まれては死に行く定め。有史以来、産まれた人間が死なないことなど無かった、あのキリストでさえもそうだ。それこそが大いなる流れ。


「だが中には俺が戦うことで助かる命もあった」


 世界各地を転戦して回り、確かに自身の手ですくった命があった。状況を覆したことがあった。感触を自ら得た行為があった。


 マリー中佐は右手で何もない空間を掴むようなしぐさをして言葉を続ける。


「小さくても良い、努力が報われる世界を作りたい。俺のボスが目指しているのは大それた野望でも何でもない。ただ普通で当たり前の日常がそこにある、そんな願いだ」


 けれども世界はそれを許さない。怨嗟は鎖のように繋がれ、日常は脅かされ、理不尽が幅を利かせている。


 空を見上げた、三日月が遠くに浮かんでいてうっすらと地上を照らしていた。先が見えないのは自身の目のせいなのか、それとも見ようとすることが間違っているのか。


「俺は力を残して退くことなど出来ないし、ここで立ち止まることすら許せない。前進か死か、常にそうやって生きてきた」

 ――ボスは凄い、俺なんかより遥かに厳しい道を駆け抜けて来たんだ。この程度で逃げ帰るようでは恥ずかしくて顔をあげられんぞ!


 遥か先にある存在、マリー中佐が見ているのは絶望的な戦いではなく、一つの夢であることを知った。信じられないがこの男が言うボスというのは、輪をかけてクレイジーな人物だということになる。


 日頃あった違和感の正体が一つ背景にあった、それでも闇の中になってしまっていることがらは多々ある。全てを暴く必要はないが、興味をもった部分を尋ねてみたくなってしまう。


「少佐のボスとはいったい?」


 じっとマリー中佐を見詰めて、夢の先にある人物を想像する。歴史に残るような偉人、或いはそのものかも知れない。


 生唾を飲み込んで身を固くして答えを待つ。知ってしまうと後戻りできない、そんな恐怖とも期待とも判別できないような、複雑な感情が湧く。


「そう遠くないうちに知ることになるさ。きっとこの戦いを勝ち抜いて、シリアに一つの道を示してくれる。少なくとも俺や、ボスに連なる者はそう信じている」


 息を吸いこみ目を細める。トランプ大尉は軽く敬礼すると背を向けて去って行った、明日の戦闘に備えて少しでも体力を回復させようと。



 深夜の内に戦況が動いた。星空が曇る程の雲量は無い、夜目が効けばそれなりに行動可能な微妙な状態。


 先に陣取っている土地勘がある奴らがやや有利、場所になれる前に逆襲攻撃が行われた。


 じわじわと南下してきていたYPGを一気に押し返して、また最前線がギザギザに乱れる。取り残された部隊が退くに退けずに各所で籠もった。


 北西部へも数千人規模での攻撃が行われ、包囲をしている側があわや崩壊の危機に陥る。


 兵というのは湧いて出るわけではない、どこかで増えればどこかで減る。北部に部隊を動かして攻勢に出るには南部から引き抜くしかない。


 ユーフラテス河周辺に潜んでいたイスラム国兵は少数を残して、反撃作戦に寄せられていた。そうだったはずだが、当時に解っていなければどうにもならない。


 北部は緩い包囲を維持するだけで精一杯、これを抜けられてしまえば反転しての挟撃を許してしまう。


「くそっ、シリア政府軍は何をしているんだ!」


 連合軍の各所から不満の声が上がる。布陣して以来全く砲火を交わしていない、市街地の南東方面に位置して戦況を眺めているだけ。


 居場所に関しては裏事情があるが、攻撃をしていないことについては政府軍のハッサン大佐の思惑が全て。漁夫の利を狙ってのボイコット、嫌われようとどうしようと一切気にしない。


 何せハッサン大佐は結果を求められている、ここで見合った内容を出せねば馘首は逃れられない。汚れ仕事だろうと何だろうと進んでする。


 不和を見て取ってイスラム国軍も戦線を押し上げた、だがそちらはそちらで並列する各軍司令官の功名争いがあって連携はそこまで良くも無かった。


 戦争というのは思い通りに行かない、様々な思惑が絡み合い、どうしようもない失策が連発するものなのだ。失点の争い、減点法、言いようはいくつかあるが考えた通りに軍を運用できるのは極めてまれ。


 それが少数ならば話は別だが、数千を超えたあたりで急激に困難になる。


「YPG司令部より連合各軍に要請する。北部に増援を、防衛の協力を求む!」


 耐えきれなくなりついに音を上げたYPGが助けを求めた。包囲を中断して防御に回れとの求め、これが容れられると次はショックを受ければ敗走するしかなくなってしまう。


 包囲する連合軍に動揺が走る、最大兵力のYPGが戦闘を継続しがたいと言う事実に。増援する位ならば逃げ出した方が被害が少ない、身の振り方を勘案する各軍の司令官のところに別の通信が入って来る。


 前回は急だったので広域通信だったが、今度は司令部宛の通常交信で。


「第五司令部エホネより、国際自由大隊へ。大通りを北東へ向けて進み、イスラム国の司令部を攻撃せよ」


 隣に居たドラミニ上級曹長に視線をやるマリー中佐。いよいよ来るべき命令が来たと頷く。


 だが無線を聞いていたトランプ大尉が駆け込んで来ると、一直線マリー中佐の眼前に立つ。


「少佐、他の司令部にも不躾な指示が出ている。まさかとは思うがまた?」


 嫌な予感しかしない、大尉の端的な心情だ。エホネというのがシリア東部同盟の委員長になるかも知れなかった人物というのは耳にしたことがあった、だがそれとこれとは無関係。


 ILBはYPGの傘下であって、そのような言に従う義務はこれっぽちもない。直前とは違い退避場所を示してくれたわけではないのだ。


「そのまさかだ。第五司令部の指揮に間違いはない、俺は従うつもりだ」


 今の今まで確かに間違ったことは無かった。だからと次も正しいかというと確証は何一つない、そもそも絶対などこの世にあり得ない。


 悪びれることなく即答するマリー中佐に、最早何度目になるか分からない反対を突き付ける。


「俺は軍人だが疑問があれば問いただす。何故だ! 捨て駒扱い同然の指示にどうして従う? 奇襲ではなく警戒している司令部への攻撃など、この少数では自殺行為でしかないぞ!」


 最前線に出ている司令部があれば普通は精鋭の護衛部隊を傍に置いている。これは国家の中枢であれば第一師団が直下にあるように、権力の集まるところを守る常識と言えた。


 心臓を守るのは一番分厚い防御であり、手足は切り落とされても即死しないのと一線を画している。最高の兵員に最高の装備、情報にも敏感で士気も高い。


 同数で交戦して負けるようなやつらは精鋭とは呼ばれない、一部の後進国を除外してだが。


「大尉が少数では無理と考えるならば、多数になるように指揮を執っているはずだ。敵が千いるならば、それ以上でこちらが攻めれば自殺行為とは言うまいよ」

 

 ヘッドセットからクァトロへの進軍命令も出ているのをキャッチしていたので、それだけでも充分行けると判断していた。実際には民兵大隊にも同様の命令が出されているが。


 鬼気迫る表情でトランプ大尉が「憶測でモノを語るな! 俺は認めんぞ!」今度ばかりは大声で全否定する。マリー中佐は目を細めて「トゥヴェー上級曹長、こちらへ」振り向かずに命じる。


「はい、少佐」


 ヘッドセットを着けたまま応じる、普段はドラミニ上級曹長と違い距離を置いているので、トランプ大尉も先任下士官程度にしか思っていない。


 黒人への差別的意識が多少あったとしても、今はそんなことを考えもしていないようだった。


「第五司令部へ敵司令部への参戦戦力を問い合わせろ、俺の名前でだ」


「ダコール モン・コマンダン」


 通信兵に席を除けるように言うと、自ら手にして操作した。彼は元通信兵、旧式の装備程よりお手の物で一切の迷いなく連絡をつけてしまう。


「国際自由大隊マリー少佐より、第五司令部へ。今次の司令部攻撃への参加戦力を明示されたし」


 若干の雑音が入るのは本体の不調であって、妨害や防諜の類ではない。二度繰り返すと返答を待つ。


「第五司令部より国際自由大隊へ。サディコン大隊、シリアサハラ大隊、アル=イフワーン・アル=ヌジューム、並びにアンサール・シャーム大隊が参加すると返答があった」


 対外的な呼称はアル=イフワーン・アル=ヌジューム、実際はクァトロ戦闘団だ。耳慣れない大隊が一つ、アンサール・シャーム大隊は全く記憶になかった。


 どこかの資料で名前だけ見たことがあったような朧げな響き。


「同数にはなるだろうな、これでもまだ出来んというか?」


 本当に参加して来るかどうかはまだわからない、だがサディコン大隊の方を見ると移動の準備をしているので信ぴょう性は高そうだ。


 言葉を返せないでいると「マガッラ橋南よりシリア東部同盟のカマール大隊が前進してきます! 橋北部のレバノン軍が川沿いに移動を始めました!」通信兵の一人が声をあげた。側面からレバノンの正規軍が攻撃に出た、シリア東部同盟全体が動きをみせているかのような流れ。


「……くそが! この狂人共め! 第二中隊も戦闘準備だ!」


 トランプ大尉の快い賛同を得て第一中隊も進軍の準備を始める。据え置きの通信機などを全て撤去して背負ったりしてだ。


 ――さて、多数の一人として戦うべきかどうかだな。そんな楽をさせてもらえるとは思えんが。


 微笑して近い未来予想をしていると、トゥヴェー特務曹長がハンドディスプレイを持って来る。装備するように差し出して来るのでそれを腕に嵌めた。


 早速位置情報を始めとした各種の表示が幾つも映し出される、同時にヘッドセットに聞きなれた声が流れてきた。


「よう後輩、部隊はこっちで用意した、全域に目を配る必要があるから急ぎならそっちで指揮するんだ」


「悪鬼と恐れられたお方が見守ってくれていると思うと心が軽くなりますね」


「銃を手にして敵とドンパチする愉快な役目は譲るよ。良いか、北東へ追い立てろ兵は残して構わんが司令部は追い出せ」


「鋭意努力します。ああ、一つ特記情報がありますのでそちらに送っておきます、参考にどうぞ」


 手短にやり取りを終えてメールを送信しておく。知らなければ知らないでも問題ないし、解ったからとどうにか出来るわけでも無い。


 ――こちらはクァトロ込みで千五百弱か、ラフード少佐の部隊はシリア政府軍対策ってところか。あいつらは爆弾のようなものだ、遠くで爆発するなら構わんが、そばでそうなったらたまったものじゃないからな。


 戦闘が目的ではない、牽制するためにレバノン旗を見せに動いた、そういうわけだ。潜伏中だったので様々情報は遮断していたが、今急速に報告を受け続けている。


 この先は全てを知った上でILBの司令として動く、物語の終幕が近づいてきている証拠だ。


 俄かに銃声が増えて喧騒が広がって来る。司令部との交戦が始まったのだろうか。


「司令のマリー少佐だ。ILBに告げる、これよりイスラム国の司令部を攻撃し、ラッカより排除する。既に他の部隊は交戦を開始している、遅れずに俺について来い。行くぞ!」


 隣にいるドラミニ上級曹長に進むように仕草で示す。すると第一中隊の尖兵が前進を始めた、ムーア曹長が指揮官だ。


 チラッとハンドディスプレイを確認すると、二つの大隊がイスラム国司令部の近隣に張り付いている。橋の南には青の点滅、クァトロ戦闘団が待機しているのが見て取れた。


 最前線まで戦闘車両なら数分で到着する、渋滞しているところに突入するのは適切とは言えない。


「ヒスバの残党が合流しているようです」


 前線からの報告が上がって来る、溶けてなくなるわけではない、ならば司令部にいるのは頷けた。


 補給さえ潤っているならば要警戒の敵、一晩経てばどこからか物資を引っ張っても来るはずだ。


「ロケットの類を最優先で排除させろ。兵は残っていても構わん、最大火力を削ぐんだ」


 数十人に一人いる対戦車兵を狙って攻撃を集中させる。あれさえいなければ装甲車は反撃を受けない、戦線は一気に崩壊するだろう。


 見つけ出すのはそう難しくない。重量がある対戦車兵器を扱うので、武器は軽いものを装備しているからだ。短機関銃を持っていたり、オプション無しの突撃銃を持って居たり。


 数十分推移を見守る、そのうち「概ね排除完了!」報告が上がる。何でも十全とはいかない、七割遂行出来たらそれで良しとして先に進めてしまう。


「マリーだ、対戦車兵を除いた、防衛線を食い破れ!」


「ヤー!」


 ヘッドセットから聞こえてくるのは親友の返答、他へ指示は漏れていない。ハンドディスプレイの青い点滅が急速に近づいてくる。


「ILBは後方に警戒しろ! 後続が来たら道を譲れ!」


 言うが早いか埃を舞い上げながら何かがやって来る。兵が振り向くと、黒い塗装の装甲偵察車が大通りを走って来るではないか。


 黒の四つ星と緑に星一つの軍旗を両方翻していた。ILBには目もくれずにイスラム国司令部へと食い込んでいく、バリケードがあっても強引に体当たりをして道を拓く。


「友軍だ! 支援するんだ、対戦車ロケットを撃たせるな!」


 ドラミニ上級曹長が大声で部隊に命令を浸透させる。もちろん随伴歩兵が居ないわけではない、黒い戦闘服の男達がライフルを手に小走りで寄り添っている。


 遠目になると敵と取り違えてしまいそうになる、昼間ならまだ識別がギリギリ可能だが、夕暮れ辺りはかなり怪しいだろう。


 切り開いた道を突っ切って、六輪の装甲車を先頭にした八両の部隊が右斜め前に突撃していく。ランドローヴァーには褐色の肌の、妙に胸板が厚い男が乗っていて、鬼の形相で指さしながら命令を飛ばしていた。


 ――ビダだな! いいぞ、そのまま引っ掻き回すんだ!


 装甲車は対抗出来ないので目を瞑り、P4やランドローヴァーを食い止めようと雨のような銃撃が加えられる。だが一切怖じずに撃ち返し、路地を縫って行った。


「司令、砲車です!」


 護衛が後方を指さす、その先にはストライカーMGSが居て、射界に収めるなり主砲を発射した。


 直後、司令部にされていたコンビニ位の建物がはじけ飛んだ。二度、三度と主砲弾を撃ち込むと倒壊し灰色の煙を巻き上げる。


「グレネードだ、目見当で構わん榴弾をばらまけ!」


 司令部から脱出しているだろう奴らとその護衛部隊が居るだろう範囲に向けて砲撃を行う。近づきすぎた味方がいるかも知れないが、この期を逃すわけには行かない。


 一分間にいくつ着弾したか、煙がもうもうと上がっていて、範囲にいたなら無事ではないことが伺える。


 ――全体はロマノフスキー准将がみてくれている、俺は狭い範囲だけに集中だ!

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