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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第百三十四章 スリーパーエージェント


 太陽の光が入ってこない地下の一室、昼なのか夜なのかすら感じられない。籠った空気が乾燥しているはずの地域なのに湿り気を帯びていた。


 白熱灯の灯りのみの小さな部屋に、複数の髭もじゃの男達が集まっている。皆が皆、同じようなたっぷりの髭を綺麗に整えてぶら下げていた。


 ゆったりとした布の服は、イスラム教徒のアラブ人が好んでまとうもので、特に聖職者らが正装とするものだ。細かい色や模様は違うが、これまた似たような服装。


「アレッポに続いてまた大きな戦闘が起こった。事態は加速していると言えるだろう」


 皺皺の顔の老人が右手を動かしながら、主張をした。この中では恐らく最年長、だが隣を気にしながら発言している。


 厳めしい面構えの男ばかり、上手く物事が運んでいないのが雰囲気でありありと解った。


「ダイルアッザウルでの大規模戦闘、政府軍が逃げ出したそうではないか」


 別の男が最近のビッグニュースに触れる。シリアを駆け巡った大事件、政府軍がガッチリと支配していた都市が陥落した。問題はそれがイスラム国の攻勢によるものではないことだ。


 政府軍に対抗出来るのはクルド人の大集団と自分達だけしか居ないと信じていたのに、細かい勢力の奴らが大連合とは首を捻りたくもなる。


「報告でも報道でもアイン=ラサを攻めていたのは黒い部隊。ではダイルアッザウルを攻めたのがどこの部隊かの情報はないのか?」


 都市を攻められる程の大兵力を有しているならば、何かしら情報があって然り。それなのに大幹部のこの場の面々が知らないのが異様で仕方ない。


 ひとつ気になっていることを結び付けて、やや控えめに発言する。


「イラクとの国境にある検問所、そこの勢力を攻めた時に、想定外の反撃を受け撤退したと現地司令官が報告してきたが……」


 シリア国内に居るならば、アメリカの軍隊ではない。そんな姿が見つかってはアメリカ議会でベトナム戦争の二の舞だと叩かれて、次の選挙で大敗の恐れがあるからだ。


 どこか強国の特殊兵なのかと考えてみるが、イラクとの国境近くに陣取る意味が今一つ見えてこない。


「そこだが、最近になりタリハール・アル=シャームが詰めていると聞く」


 余計に訳が分からなくなってしまった。そいつらが多大な兵力を抱えているとしたら、どこから調達してきたのか。何せシリア内では老舗と言って差し支えない組織が根にあるが、最近は後進のテロリストの育成に忙しくしていると聞いていた。


 無論実戦部隊でも高い訓練度を誇っているのだが、そういった教官になれる人材は戦闘には出すことが少ない。そんな貴重な者を、政府軍が支配している都市を正面から攻めさせるのは決して得にならないから。


「するとアルカイダ系の組織がムジャヒディンを送り込んできた?」


 世界に散らばるイスラム過激派組織の先達。今でこそイスラム国がより大きく有名になったが、それまではアルカイダが象徴とされていた事実がある。


 シリアで唯一のアルカイダ系組織であるアル=ヌスラ戦線。そう宣言されて久しいので、現地入りして従うならば納得いく筋書きと言える。


「最近出来たシリア東部同盟、そこの軍事委員に名を連ねたそうだ。他にはデリゾール県のファールーク作戦司令室からも軍事委員が。恐らくタリハール・アル=シャームの兵力など千を超えん」


 そんな奴らが都市戦闘を起こせるわけが無い。否定的な発言がどちらかというと支持を得ている雰囲気だ。男達の中で比較的若い――それでも中年の者が「アイン=ラサを攻撃してそのままダイルアッザウルで連戦したとしたら?」可能性を口にする。


 話があちこちに飛び迷走してしまっている。自由な討議にありがちではあるが、それにしても随分とハチャメチャだ。


「タリハール・アル=シャームではなく、アイン=ラサを攻めて後にダイルアッザウルで連戦を行え、更に我等の情報網に掛からない組織?」


 そんな練度が高く、隠密性も高い集団がどこに存在しているのかと、半ば馬鹿にしたような笑いをする。人とはそこに存在しているだけで目立つものなのだ。


 ずっと目を閉じて黙っていた銀縁眼鏡の中年がついに顔を上げて皆を見る。


「ユーフラテス河を下った部隊が、何者かに阻止された。少数で極めて高い戦闘力を有していたと報告が上がっている。黒い部隊が全てそのような者ならば、砂漠で息をひそめて待機するくらいするだろう」


 もしかしてが事実である可能性を採った発言。誰も異論は唱えない、彼がそう言えば皆が従う。


 バグダディ師は絶対的頂点。自分たちの様に耐えている敵がいてもおかしくはない、すぐにそう思えてきた。


「以後は情報収集と、ラッカの防御の強化の線で宜しいでしょうか?」


 最長老が黒い部隊についての調査を行う旨を進言する。近隣に迫ってきた敵の数も増えて来たので、軍事を増強するのも既定路線。


「アッラーの思し召しのままに」



 天気の良い昼間、島はダマスカスで空を見上げていた。激動の合間、やるべきことが山積している時だからこそ、最高司令官は自由にしている。


 朝のうちはやや肌寒い感があると言うのに、昼間は暖かい。カフェテラスでゆっくりとコーヒーを傾けていると、声を掛けられる。


「おや、君は確か……アイランド君だったかな」


 声がした方を振り向くと、若い書生のような者を連れた老人がにこやかに近づいてくる。


「モンスール先生、お久しぶりです」


 隣に座っているヌル少佐も笑顔で会釈をした。以前のお付きの者とは違うが、やはり仏頂面で挨拶もしてこない。


「同席しても構わんかね? 理由は前と同じでな」


 やれやれと後ろを歩いている者を見るしぐさをする。笑ってはいけないが苦笑し「もちろんです、どうぞ」席を勧めた。


 男性の店員がオーダーを取りに来て、同じくコーヒーを注文する。乾いた風が通り抜ける、アフリカ程土の匂いはしなかった。


「ところで何故先生なのかね」


 別に話題は何でも良かったのだろう、話をすることが楽しいと思えるような口調だった。


「いえ、前にヌルと話をしていたんですよ、モンスールさんは何か教師のような感じがすると。だから先生とお呼びしました」


 理由も単純でそんな気がしたから、それだけだ。髭を扱いて、そうかそうかと頷いている。コーヒーが出されて一口。


「教えを伝えるのを生業としておる。先生と呼ばれたのは初めてじゃがな、ははははは」


 それが嬉しいわけでも無いだろうが、機嫌よく声に出して笑う。こう見ると好々爺といった雰囲気が色濃い。


 広い世界で不意に再開する、それが意図的でなければ奇跡的と言えるだろうか。


「気分転換でホテルから出てきました」


 にこやかにそう告げる。今少しダマスカスに滞在しなければならない理由が島にはあった、時間を持て余している事実を脇に置く。


「何をするにしても心持ち一つ。それも大切なこと」


 散歩が大切とは何とも緩い肯定を貰い微笑む。一秒を争うような戦いをすることもあれば、流れる雲を眺めているような日もある。


「ところで先生はまたお墓参りですか?」


 何度来たって不思議でも何でもない。それこそ日課として参じることだってあるだろう。


「それはまた別の機会にな。簡単に言えば兄の代理でな、度々ここを離れるのでその都度留守番じゃよ」


 この歳になっても兄弟は兄弟だと笑う。一人っ子である島には半分解らず、半分は理解出来た。


 ――幾つになってもロマノフスキーはロマノフスキーだ、それと同じようなものだろうきっと。


 孫が小遣いをせびるような歳になったとしても、きっと関係は変わらない。どちらかが困れば手助けをする、たとえそれまで遠くに居てもだ。


「先生の兄上は何をなさっておられる方でしょう?」


 詳細を知りたいわけではない、モンスールの人となりと似ているんだろうと勝手に思っての発言でしかない。


「皆の生活を良くしたいと今も昔も駆け回ったり、上手くいかずに肩を落としてはやる気を取り戻したり。忙しい人生を過ごしている兄じゃよ」


 笑みを見せ目を閉じる、きっと兄の顔を思い浮かべているのだろう。


「目指す終着点は同じでも、道を違えた兄弟がいました。どちらの考えにも一理あり、時に道が交わることも。敵味方に分かれ争うことだって。けれども二人が兄弟であることも、共に時間を過ごしたことも変わりません」

 ――オルテガ兄弟もな。どこかに正解があるなら、いつか知りたいものだよ。


 愁いを帯びた表情、経験なしには語れない味わい。モンスールは少し意表を突かれ、後にゆっくりと頷く。


 しばし無言の時が流れる、平和とはこういう時間なのだろうか。


「アイランド君は知っているかな、シリア東部同盟という団体が立ち上がったことを。あれのお陰で兄も道が見えてきたと喜んでいたよ。時代を作るのは若者であれと自分などは思うがね」


 何かの探りかとも思ったが、モンスールがそれだけ言って別のことに意識を持っていったので無関係だと判断する。


「年長者の務めですね。若者が自身で生きやすい世界を作れるように導き、整備し、背を押し、支える」

 ――偉そうなことを言ってしまったな。マリーのやつは今頃どうしているだろうか。


 底に残っているコーヒーをぐいっと飲み干すとモンスールはゆっくりとカップを置いた。


「世の全てがアイランド君のようであればと思うのは、己の不明を悔いていない証拠だろう。楽しい時間を過ごせたことをアッラーに感謝します」


 アッラーアクバルと何度か繰り返して席を立つ。島とヌル少佐も立ち上がった。


「また会えると嬉しいよ」


「こちらこそ、感じ入るお話ありがとうございました。もしよければこちらにご連絡を、今は結構時間がありますので」


 ヌル少佐が島の言葉に合わせてすっと名刺を差し出した。


「……環境コンサルタント会社のヌル課長?」


 偽装用の名刺にはそう書かれていた。少佐が課長クラスだろうとの見立てで、適当に当てはめているだけ。連絡先も転送で足がつくことは無い。


「あまりに幅広い環境の名前にうんざりしていますけどね。ヌルのところへ連絡いただければ私にすぐ伝わります」


 護衛として常に侍っているのだから、直接話す機会も多い。彼は砲兵隊だけでなく、護衛部隊の司令でもある。


「なるほど。では連絡させてもらおう、ダマスカスに出てきてもあまり知り合いも居ないので難儀していたからの」


 足取りも軽くモンスールは去って行く。お付きの若者は最後まで会釈すらすることがなかった。


「連絡来るでしょうか?」


 ヌル少佐がどちらでも構わないが、何と無く気になったようで口にする。


「さあな。でもあの爺さんは随分と人懐っこい、その割にお付きのが無愛想を絵にかいたようなやつだった。なんでだろうな?」


 質問する相手が悪いとばかりに肩をすくめて終わりにした。ホテルに戻ればまた報告が溜っているだろうと、二人もカフェテラスを後にする。


 戻り次第執務室に入るが、サルミエ少佐が順番を前後させて重要案件を先に報せてきた。このあたりのさじ加減は副官の職権なのだ。


「ボス、タリハール・アルシャームのアルハジャジより連絡が御座います」


 民兵会議をする時までもう話をするつもりも機会もないだろうと思っていたが、島は随分と意外な奴が連絡を取って来たものだと小さくうなずいた。


「あちらからお茶しようってか」

 ――どうしたんやら。だが自発的に動いてくれたのは方向性の確認に非常に有効だな。


 何せ物事には順序だけでなく、熱意や慣性が存在している。やりたくてやっていること、やらされていること、やり続けていること、時に知らずにやっていることがある。


 アルハジャジがどうしたいかを知れば、それをこっそり支援して勢いづかせてやめられなくなるよう仕向けることすら出来るだろう。


「シリア東部同盟について、話がしたいと。いかがいたしましょう」


 話をするかしないかではなく、いつどこで面会しようという感覚での確認だった。島はそんなこと咎めもしなければ気にもしなかったが。


 ――軍事委員とやらになったんだったな、それが不満だったのか。それとも今度はどこかを攻めようってお誘いでもしてくるか。


 同盟内のことを一度聞いておく必要があるだろうなと内心で呟いて後に「三日後のダマスカスで、場所はサルミエに任せる」成り行きでどこへ仕向けること出来るかを思案する。


「ウィ モン・ジェネラル」


 執務室を出てゆくと部屋には親衛隊の下士官一人のみが、部屋の片隅に立っているだけ。最早風景の一つとすら言える。


 ――あいつもプレトリアス郷の一族なんだろうな。まあいい、まずはワリーフに電話をしてみるとしよう。


 目を閉じて番号を思い浮かべる。直接的な数字ではなく、修正前の偽装した番号を。そこから定数を引いたり足したりして、デスクの上に空いてある固定回線を手に取った。


 数字をそのまま覚えていると自白剤なりを使われた時に関係各所に迷惑が掛かる為、こうして偽装数字を頭の中に置いておくという寸法だ。そこまで警戒する必要があるかどうかは不明だが、某鬼教官の教えがそうだから仕方ない。


 いつもなら妙に遠くでコール音が聞こえてくるのだが、今回限りは国内回線で繋がるのではっきりと音が響く。二度なった後に懐かしの声が聞こえてきた。


「はい」


 誰と名乗るわけでなく、声色も平坦で味気ない。それでも島には笑顔のハラウィ中佐の姿が浮かんできた。


「よぉ、元気にやってるようだな」


 最初冗談で何か言おうとしたがやめてしまった。言葉を交わすことが待ちきれずに。


「義兄上! 国内に居るんですね」


 あちらも回線の具合で細かいことに気づいたようで、真っ先に指摘して来る。こういうのがわからなくするために、海外を転送で繋いで使うという小技もあったりはする。


「ああ、ダマスカスでちょっとね。少し聞きたいんだがいいかな」


 さらっと居場所を漏らしてしまう。注意力の低下ではなく、ハラウィ中佐の判断の一助になるようにとの配慮だ。


「何でもどうぞ」


 昔を懐かしむ為に連絡をしてきたわけではないことなど百も承知だ。電話先で背筋を伸ばしているだろうことが雰囲気だけで伝わってきた。


「タリハール・アルシャームのアルハジャジだが、そちらで何かあったのか」


 異常を確認したとの情報提供でもあった。ハラウィ中佐は素早く関連の情報を脳内から引き出しに掛かる。


「合同会議の席上で、軍事委員に指名しました。結果に満足いっていなかったようで、表情はあまり見えませんでしたが」


 その場に居なければ感じられないことを言葉にする。生の情報という奴だ。


「ではどういう結果が好みだったかはわかるか?」


 まさか頂点でなければ嫌だとは言わないだろうが、軍事委員という立場がいやだったのかどうか。


「委員長がでしょう。マルディニ司令官が同盟の委員長に推されるところで、デリゾール県の作戦司令室の大隊長らが割れて軍事委員に格下げされました。どうにもアルジャジーラ氏を探していたようですが」


 笑いを押さえ込みながらそんなことを明かす。エホネ氏でも同様などと言ってくるあたり、若干言葉が出なかった。まさかあの手合いが自分を推して来るとはと、数秒の無言。


「うーん、そういうことか。それはこちらで何とかしておく」


 何をどうするのかまでは省略するが、島がそういったならばどうにかするのだろうと快諾した。


「ではお願いしましょう。ラッカ攻勢までにはこちらの態勢を固められるように尽力します」


 己の役目が何かを再確認して、どちらからというわけでなく電話を切った。皆がそれぞれやるべきことをやっている。


 ――大隊の増設でマルディニ司令官をさらに蝕むのが兄弟の一手だろうな。指揮官も補給も不足する、これを手当てしてやるとするか。


 一旦置いた受話器を持ち上げて、隣室のエーン大佐の内線を使う。一度目で直ぐに通じて「閣下、直ぐに伺います」と声があり十秒そこそこで扉が開くと姿を現す。


「エーン、一つ頼まれてくれ」


 控えめにお願いするが、いつものように「何なりとご命令を」畏まった態度で返されてしまう。


「デリゾールの砂漠のどこかに居るロマノフスキーに補給を入れて欲しい。偽装大隊を指揮可能な人員六名と武装を」


 大雑把な方向性のみを明かす、詳細など必要ないと信じて。預けられる部分が大きければ大きい程にエーン大佐はその信頼を感じ、忠誠を刺激された。


「ヤ! 速やかに補給を実行致します」


 それだけ言うと敬礼してきびきびと執務室を出て行く。他にも指示を出しておかなければならないことを思い出して、今度はフォン=ハウプトマン大佐に連絡を取る。


 彼はダマスカスには居ない。ダイルアッザウル東の旧タリハール・アルシャームの拠点。現在のアルイフワーン・アルヌジュームの拠点だ。クァトロ司令部も重ねて置いてある。


 一度目のコールが響き終わると直ぐに「はい閣下」鋭く返事をする。


「親イスラエル司令部をねつ造して、エルジラーノ大隊を主軸にして戦後にイスラエルとの交渉窓口にする。北方方面責任者のネタニヤフ准将は、国家への貢献を優先する男だ。細かいことよりもイスラエルのへ利益が大きければ目を瞑る。準備を任せる、決して大佐が表面に出るな」


 かつてのネタニヤフ准将のことを思い出して性格の一つを伝える。ロシアの利益でもあれば肯定的な雰囲気に持っていけるが、そのあたりは国際感覚に優れたフォン=ハウプトマン大佐だ、任せておけば問題ない。


「ヤボール ヘア・ゲネラール」


 クァトロ司令部にはグロック准将が居る、大佐を別のことで稼働状態にしても全くそん色はない。不都合がある様ならやはり自力で解決するだろう。



 待機を始めてから暫く、ようやく上級司令部から撤収が命じられた。マリーらはアレッポを引き払ってマンピジュにあるILB駐屯地に戻る。来る時とは違い何とも順調なことに苦笑する。


 大手の公道交差点を見て「まだ爆破の跡があるな」瓦礫を吹き飛ばしてそのまま、掃除をする奴など居ない。生々しい戦いの傷跡はいつでも見返すことが出来た。


 さすがに死体だけは片付けられて、身元不明者は街外れの共同墓地に納められた。どこの兵士として戦ったか分かった者は幸運で、巻き込まれた住民、或いは浮浪者は確認も取れずに墓場へと連れて行かれる。


 最後までクルド人居住区の者達に引き留められたが、攻勢部隊がいつまでもここに居るわけにもいかないので、交代の守備隊がやってくると告げて立ち去った。


 実際はそんなのが来るかは不明。居なければ自身で守るしかない、手助け位は流石にするだろう見込み。


「マンピジュではラッカまで少し距離がありますね」


 ドラミニ上級曹長が今後について触れて来る。ボロいオープンジープには運転手以外に二人、マリーとドラミニしか乗っていない。しかもフランス語で会話するものだから、運転手に聞かれても理解出来ない。


 部屋で会話するより秘密は守られやすいはず。


「そうだな。4号公道の橋を確保しておく意味だろう。アイン=ラサを獲れば最高の前進基地になるんだが、戦力を温存するってことでもやらないだろうな」


 二カ所を同時に攻めるのと、二度に別けて攻めるでは被害の度合いが違ってくる。精兵が複数回戦う、それも一本指揮の通った状態でというと分かり易いだろうか。


 混乱の最中、枝の部隊が守る地域を同時に攻められたら効率も良くなる。


 橋というのはマンピジュとアイン=ラサを繋ぐユーフラテス河に掛かっているものだ。これを破壊でもされてしまえば、ラッカを北西部から攻めることが出来なくなり、面倒が増えてしまう。


 河を使えばまた話は変わるが、まとめて撃沈されると計算が狂うので陸からの進軍が好ましいのだ、少なくともこの地域では。


「迫撃砲の射程を防衛ラインに据えます。東岸のクェレクァクは精々五十戸、その東にある集落にキャンプを」


 丁度東西南北に道路が交差するところにサリックという集落があり、そこがポイントになる。当然それは双方に言えることなので警戒すべき場所でもあった。


「そこでの調略を先行させよう。基地に戻ったら先行部隊を乗り込ませる、ドラミニが指揮を執れ」


「ダコール」


 マリーの中隊には不思議と物資がある。現地での供与を受けたとか、入隊者が抱えて来たものを寄贈したとか、理由は細かく分かれていることになっている。


 その実はクァトロからの補給であるが、きっちりと迂回手順を踏んでいるのでそうそう判明する事態にはならない。何せ調査をする側の司令部にも人員が紛れ込んでいるのだから。


 敵よりも味方にいる裏切り者の方が遥かに面倒で危険、これはそういうことなのだ。それでも目的がILBの活躍なのでこれとった弊害は出ていない。


 一人割をくっているトランプ中尉だけは不満大爆発手前で精神衛生上良くない日々を送っている。ベイリー少尉はトランプ中尉と共に隙を伺っている感があった。


 ――攻めに注意を傾けすぎて、足元を見失うのは素人のやることだ。獅子身中の虫というが、俺の中隊にも混ざっていると考えるべきだな。


 アメリカ人グループが不気味に思えて来る。ウィリアムズ曹長は性格的にも思想的も信用できる、ムーア曹長は共に死線を潜り抜けて仲間と認められた。


「某中尉の動きには警戒しておけ。大人しく引っ込んでいるとは思えん」


 ドラミニ上級曹長は真剣な眼差しで頷く。彼もこのまま終わるとは思っていない口だ。


 直接的に手出しをしてくる可能性は平時は低い、それでは己に正統性が産まれないから。戦場で背中に気を付けるのは当然、問題は日常でどういう手回しをしてくるか。


 ――毒の類は警戒しておけばかなりまで防げる、手が届かないところでの嫌がらせがどうなるか。筆殺しと言うが、YPGからのお達しで不利を被るのを回避する必要はあるぞ。


 ILBの親元であるYPG、さらにその根元にあるPYDがアメリカの支援を受けているあたりが不気味だ。そこを動かせる力がトランプ中尉にあるかどうか、見極めは出来ない。


「もし大尉に危険がある様ならば、自分は迷わず撃ちます」


 懸念していることを見抜いてか過激な宣言を行った。それを推奨することはしないが、止めるようなこともしない。実行するならば全てを認めるつもりで。


 丸々一日を移動に費やしてマンピジュに帰還。エルドアン大尉が作戦の終了を報告し、入れ替わりでマリーが執務室に呼ばれた。


「マリー大尉入ります」


 部屋の奥、机の先にはナジャフィー少佐の姿があり、左にはトゥヴェー特務曹長が立っていた。くすんだ緑に青色の線が入った軍服には汚れが無く、安全な後方で椅子に座っていたのがありありと解る。


「ご苦労だ。報告は受けている、少し大尉と話をしておきたくてな」


 実際会話をする機会が少なかったのは事実で、互いの考えを知る為の時間は重要だった。YPGからのお達しがあり、一挙に昇進した新人を今一度じっくりと見詰める。


 不思議なもので大尉と呼んだら元から大尉のような風格があるように見えてしまう。


「なんなりと」


「うむ。随分と功績をあげてきたようでなによりだ。ベルギーでも相当に治安が悪い地域に居た?」


 書類には詳しいことが書かれていない、元から詳細を尋ねたり調査したわけではないから当たり前だが。面と向かって尋ねた方が早いしより正確なもの。


「警察隊程度では賊に対抗出来ないような地域でした。軍隊を招いてようやく郷を守れたものです」

 ――俺の裏付けを取るつもりか。あまりヒントを与えるのもよくないだろうな。


 実際に情勢不安になったので帰郷したいきさつがある、あの時は本当に危なかった。徒党を組む賊は手加減もしなければ、勢いに乗りやすい。半面で限度を知らずに自滅もし易いものだ。


「ヨーロッパはそこまで危険なイメージはないが、地域によるんだな」


 所得が多い地域は反比例で武力での事案が少なくなる、知能犯の比率が高いわけだ。ベルギーは文化圏内でも高い水準の収入を誇っている、余程の田舎でも無ければ犯罪者はより効率の良い手段を選ぶだろう。


「一口にヨーロッパと言っても広いですから。家族を、地域を守るために命を張るのに迷いはありませんでした。ですが賊が命がけで強盗をするかといえばそうではありません。ただそれだけの話です」


 気合の差だとサラッと答えてしまう。戦場に出たことがある軍人ならば、土壇場でモノを言うのが腕力ではなく精神力というのは納得できた。


 普段威張り散らしているやつが、戦場では小さくなって震えているのを、ナジャフィー少佐も山ほど見てきている。


 人を見る目はあるつもりだった少佐だが、どうにもマリーを計りかねる。隣のトゥヴェーを見ても何も助けになるようなことはしてくれなかった。


「そうかね。部隊も随分と増えたようだ、ようやく大隊らしくなってきたものだ」


 二百と少し、まだまだ中隊の域を出ないが、機械化出来るならば話は別だ。いつまでも徒歩とはいかないが、車両が簡単に揃えられる程補給は充実していない。


 やろうと思えばいくらでも引っ張っては来れるが、怪しさがぬぐえない程物資を動かすのは正解とはいえないだろうと自粛している。


 ――なければ奪えばいい。一つ仕掛けてみるか。


 即席で作戦を練ってみる、運が良ければそういうこともあるだろう程度で。


「上申します。第二中隊で近隣のイスラム国の駐屯地を襲撃し、車両を奪取したく思います」


 待っているだけでは好転などしない、戦うならば攻めた方が有利に事が運べる。戦う場所と時間と相手を選べるのはかなりのハンデを埋めることができた。


 つまりは対応不能な時間に、撤退しやすい場所で、警備兵のみを相手にしたら良い。リスクはある、偶然訓練をしている部隊が敵に居れば少数なのが仇になり全滅の憂き目にあいかねない。


 ナジャフィー少佐はアレッポでの抜きんでた功績と、現在のイスラム国の状態を思い出し、成否の程を想定した。


「想定外の事態が起きたら即座に撤退し、支援を要請するのを条件とする」


「ラジャ」


 含みが無い返答に満足すると頷く。作戦案の提出はするようにとの台詞を最後に部屋をあとにした。


 ――さて自由を得られるわけだが、どこで仕掛けたものかな。


 周辺情報は多いとは言えない、調査が必要になって来る。新しく宛がわれた中隊長室に入ると腕を組んで地図を見詰めた。


 するとドアをノックする音が耳に入った。空いているのにそうやって来訪を報せて来たのはトゥヴェー特務曹長。


「入れ」


 ドアを閉めて入室する。素早く周囲を見て仲間以外がいないことを確認するとデスクのすぐ前に進み出た。


「イスラム国の近隣拠点の配備をご説明します」


 にこりともせずに欲しい情報があることを明かす。紙とペンを取り出すと、マンピジュ周辺の簡単な地図を描き出す。


 ユーフラテス河西、マンピジュの南南東にあるアル=ヤラールについての詳細を口にする。


「ここには二百人規模のイスラム国兵が駐屯しています。他と違うのは、アル=アクラ、アイン=ラサ、ラッカとほぼ等距離なので機動部隊が拠点として使っていることです」


 コンパスが無いので指で軽くなぞってみると、確かに殆どが同じ円内に収まった。どこかの都市に待機させておくと襲撃を受けた際に、まとめて被害を受ける危険があるので切り離したのだろう。


「アル=ヤラールとやらは周りに何もない地域だ、橋はここにもあるようだが」

 ――主要な経路ではない、確保が無理なら破壊することも厭わないだろうな。日中に近づく者があればすぐに気づける。


 独立拠点としては使い易い条件が揃っていた。機動部隊を構成するような練度があるならば、マイナス箇所は殆どない。


「援軍に出すことはあっても、ここを救援する部隊は少数でしょう」


「一気に叩ける戦力があればやれるわけだ」

 ――大火力で暗夜に襲撃、敵の増援が来る前に車両を奪取して離脱。いうは易しだが、練度が相手より上ならばやれるぞ!


 二倍程度の兵力差はあってないようなもので、先制攻撃出来るならば気にはならなかった。情報戦の部分が大きい、配置や警邏がどうなっているかを見抜けば後は実行するのみ。


「重歩兵装備はこちらで用意出来ます。使用後は持ち帰らずに処分願います」


 こっそりと融通すると耳打ちした。出どころは当然ヒンデンブルグ商会だ。


 ――これをトランプ中尉らに知られるわけには行かんな。サリックに駐屯を開始して、そこに貼り付けて後の実施だ。


 どうにかして邪魔者を他所において行動するかを思案する。そこに多少なりとも兵力を割く必要もあるので、手持ちの兵力は六十前後にせざるをえない計算になる。


 これはクァトロのスリーパーエージェントで固められる数字でもあった。


「チートをするならここだ。トゥヴェー特務曹長、飛躍をするために仕掛けるぞ」


「ヤー コンバットコマンダン」


 ILBのトゥヴェー曹長ではなく、クァトロのトゥヴェー特務曹長に対しての言葉。現状の装備で行える作戦を提出する為の宿題は、マリーが一人で仕上げることとなった。


 それから数日、サリックにILBの第二中隊が進出。トランプ中尉を頂点とした前哨監視拠点が設置される。


 ――地域に縛り付けておいて一晩で決行するぞ。俺達なら出来る、その為に今の今まで努力してきたんだ!



 ダマスカスの公共広場で今日もコーヒーを傾けていた。開けた場所ではあるが、要所要所に妙に目つきが鋭い男達が立っている。今日はちょっと抜け出してきたわけではなく、予定された会談だからだった。


 ――親衛隊が出張ってるな、まあエーンに一任してある好きにしたらいいさ。


 プレトリアス郷から引いてきている青年らが、いつでも身代わりを引き受ける気概を持って任務に就いている。個人の命など任務の内容の比較にならない。


 神の一柱と本気で信じられている島を守る為、最高に名誉な役目と疑うことすらないのだ。


「ボス、やって来ました」


 サルミエ少佐が椅子の左後ろで小さく注意を発する。確かに視界の端にそれらしい数人の男達が見えた。


 ――ふむ、視力が低下してきたか。矯正するまでではないが、歳なのかもな。


 屋外を走り回っていた頃と違い、デスクワークが主体になって来ていた、身体の各所が弱っているのは当然だろう。


 五人組がすぐ傍にやって来ると島は立ち上がり目を合わせる。


「久しぶり、というにはあまり間が空いてないな」


 座ったらよいと勧めると、アルハジャジだけが着席した。老人が一人で、あとは三十代の前半だろう戦士。護衛を兼ての人選だろう。


 その一人が店員にコーヒーを一つだけ注文する。これだけの数が居て一つ、店側としてはたまらないだろうが文句は言わずに引き返していった。


「そんなことは良い。何故来なかった」


 性急な喋り口、どうにも焦っていると言うよりはいら立っているように見える。


「この前の会議のことかな?」

 ――随分と感情的になっているな、まずは話を聞いてやるとするか。


 果物をひとかけら口へ運んで様子を窺う。お互いに思うところなければ会談など成立しない、ここに居る以上は話し合う気がある。


「そうだ。あの戦で一番の功績を上げたのはお前だろう。それは出した被害とも正比例するはずだ」


 アルハジャジの言っていることは真理だ。どれだけ力を傾けたかで成果を得られるかが変わり、投入した力に比例して様々な不都合を抱えて来る。


 リターンが大きい時にはリスクもまた大きい。これらが前後することはあっても、不在で大戦果を挙げることはまず出来ない。


 クァトロの負傷者は三ケタ、使用不能になった車両も多く、装備の損耗は数知れずだ。


「まあな。とはいっても出たところで俺が何をどうするわけでもない」

 ――何せワリーフが全て代弁してくれるからな。俺が頂点にされたらそちらの方が困るんだよ。


 軍事委員への就任を祝っておく。微塵も嬉しそうな顔などしないが、それに対する反論もなかった。


「お前がいれば少なくとも後方に居た奴が委員長にはならなかった。命がけで戦ったのは俺らだぞ!」


 眉を寄せて声を荒げる。芝居なのかそれとも本心からなのか、島は出来るだけ慎重に伺う。


 随伴の男達は感情を表に出そうとはしない、視線は周囲に注がれていた。


「いざとなれば誰が頼りになるかは皆が知っている。武器を持ち敵と戦う者がそうだってね」


 目の前の男が自身を肯定したので少し落ち着いたのか、側近が差し出したコーヒーを半分程飲む。味などどうでも良いとばかりの煽り方が性格を表している。


「マルディニ司令官も軍事委員だ。あいつも不満を持っている」


 デリゾール県の作戦司令室司令官、近隣では最大の軍事組織だというのにその他と同列。数十人の集まりの小娘とも一緒だと言うのが非常に気に入らないそうだ。


 解らなくも無いだろうが、集団は大きくなればなるほどそう言うのが混ざって来るものなのだ。逆にそのような存在を抱えられる余裕が無いと組織は大きくなれない。


「そうらしい。で、どうしたいんだ?」


 話次第では一口乗っても良い姿勢で食いつくふりをする。無警戒ではないが、これといった駆け引きも無しで前に出て来たことを意外に思ったのか、アルハジャジが一歩だけ退く。


 自らの勢いをそぐために、もう一度コーヒーに口をつけた。今度はうっすらと唇が塗れる程度に。


「軍事部門の要求ということで難題をふっかけてやるつもりだ。装備の補給をな」


 島は目を細めた。もしシリア東部同盟が一体でことにあたるつもりならば、侵略があれば連帯して守るのは当然だ。


 素手で戦うことなど出来ないし、使った分を補充するだけなら初期投資はリスクのみでうまみが無い。ここで装備を要求することは変な話でも何でもない。


 もし武器を渡したらテロリストへ譲渡ということで、国際社会から批判を受けてしまうが。


 ――渡しても渡さなくてもアウトか。タリハール・アル=シャームが外されていれば構わんわけだが、それでは解決せん。模範解答が欲しいところだ。


 小さく頷いて賛同を示してやる。やり方次第で味方の強化につながるならば、ここで拒否してより面倒な話を持ち出さないようにしておく方が無難だと。


「因みに何を要求するつもりだ。戦車や戦闘機じゃ維持費がきつい」


 そもそも飛行場を持っていないと運用できないし、ミサイルをどうやって手に入れるかの苦労が別に生まれる。そんなものを要求しないことは解っているが、場の雰囲気を軽くするためのジョークとして言い放つ。


「重砲をどこからか引っ張って来いって言うさ。あるとないでは戦略の幅が違ってくる」


 遥か数十キロの彼方から攻撃できる現代の火力は戦術ではなく戦略兵器に区分される。おいそれと使うことも出来ないし、一度使えば位置がばれて排除の最優先にされるが。


 ――それなら報道の仕方で何とかなるな。ついでに発信機でも仕込めればいいが、バレたら色々面倒だ。


 守るべき固定の拠点がある側が一方的に不利になる、攻勢兵器と呼ばれる所以だ。


「なるほどな。そいつはラッカ攻撃でかなり役に立つぞ」


 素知らぬ顔で重大情報を漏洩しておく。島も随分とこなれて来たもので、全く意識していない表情を作っているのを見抜かれることは無かった。


 無視して次の話題に行こうとしたところをアルハジャジに止められる。


「ラッカ攻撃だって? 詳しく知っているのか?」


 先日のダイルアッザウルでのピエロよろしく、ここでも盛大に食いついてきた。実は性根は案外素直なのかもしれない。


 姿勢として一旦サルミエ少佐に耳打ちをするようにしてから、再度正面を向く。


「ああ、そう遠くないうちに攻勢を仕掛けるそうだ。こいつは噂だがね」

 ――ソースは俺だよ。情勢が読める奴が居れば、次はラッカに攻め入るってわかるだろうさ。ここでモスルを先に落とす効果は薄いからな。


 イスラム国の残る重要拠点は首都であるラッカと、世界に宣言を出したモスルの二つ。影響力は圧倒的にラッカの方が大きい。


 アレッポを残すつもりだったなら、モスルを先に攻めてからラッカの線もあったが。


「要塞都市を攻めるのに火砲が少ないと事だな。あんなところ攻められるのはシリア政府軍とグルド人勢力ぐらいなものだが」


 大兵力を真正面から攻めることが出来るのは、公的な組織だけ。クァトロだって単独ではどうにもできない。


 減ったと言っても万単位の兵士が残っている。相打ち覚悟で戦うのでなければ、やはり二倍以上は兵力を寄せたいと思うのが人情だ。


 無人攻撃機や遠隔兵器での攻撃が出来なければ、攻め手の負担があまりにも大きすぎた。ここで押し切れなければ負けただけでは済まない、世界に散らばるイスラム国の支部や支援者が息を吹き返す可能性が高い。


 やらない方がマシだと言われたら、死んだ者もうかばれない。


「ならそいつらが攻めるってことだろう。情報は必ず漏れて来る、それだけじゃない」


 何を言いたいのかとアルハジャジが前のめりになる。


「そういう話を聞いた奴らが遠回しでも良いから協力してこないかって、漏らしている可能性もあるってことだよ」

 ――例えば今のようにだ。まったく俺は何をしているんだか。


 アルハジャジの顔色がすっと消える。冷静を取り戻し思考が高速化しているのだ。島の台詞と状況を繋ぎ合わせて、どうすることが自身の組織を繁栄させることが出来るかを。


 嘘か真か、それでもいずれはそういう風にはなる。信じたいものが多くなれば実現するかもしれない。何とも意地悪な情報だと鼻で笑った。


「敵の敵は味方ってことか。かのアメリカ様もイスラム国を潰すのを優先して、シリア政府は後回しってか」


 どちらがより悪かと言えば、政府組織でもないテロリスト集団がそうだろうなと、どんぐりの背比べを読む。返す刀で政権を転覆させられればどれだけ嬉しいか。


 世界共通の敵を先に退場させることで、より良い計画を立てることが出来るようにする。中東の紛争が長引くのは多くが喜ぶが、イスラム国がのさばるのはそれよりも喜ぶものが少ない。


 思想の根が笑えるほど浅いが、戦争の理由など昔からその程度のことでしかない。


「ま、俺の理想は今のところこの流れと同じだ。攻めるってなら相乗りするのもやぶさかではない」

 ――ということにしておいて、一応の意志表明にしよう。シリアの一大武装勢力を排除出来れば民兵会議に王手が掛かる、ここが俺の天王山だ。


 オリーブを摘んでひょいと口に入れる。美味しいとは思えない、だからこそ食べた。あまりうまい物を食べるなと妻に言われているから。


 アルハジャジは、もしアル=イフワーン・アル=ヌジュームやクルド人、そして政府軍が一斉にラッカを攻めたらどうなるかを想定した。


 守り切ることはできない、かといって何を得られるかは灰色。この前の様に参戦した事実を喧伝することが目的でなければ、バックが不安定で小さくなりすぎる。


 ではどうして島がそんなものに参加するつもりなのか、何を理想としているのかを思い起こす。どうにも底が見えないやつだ、辿り着いた答えがそれ。


「待っているばかりでは面白くない。政府軍の駐屯地を襲えば自力で得られるぞ」


 シリア内で重砲を装備しているのは政府軍のみ。イスラム国が持っているとの未確認情報もあったが、探し出して奪うのはより難しい。


 あると解っているところから奪う方が計画もし易かった。


 ――ダマスカスの防衛軍は装備しているだろうな。これを攻め取るのは容易ではない、機甲部隊が待機している、これは精鋭だ。


 どこの国でも首脳が直接指揮下に置いている首都の防衛部隊。虎の子の機甲や精鋭は装備が一回りも二回りも良い。そこから奪うのは至難の業で、破壊するのより遥かに難しい。


「もし奪うとしてもだ」一息呼吸をして間を置いて「首都にあるうちにすべきではなく、地方へ輸送する段階のものを失敬するべきだな」


 具体的な指摘を行う。使用する場所へ運ぶための部隊は精鋭が使われることは少ない、だが到着した先で受領する部隊はその地域の精鋭。


 砂漠のどこかで襲撃して輸送隊を蹴散らして奪い去る。その為には正確な輸送ルートと時間を入手しなければならない。


 ここで一つ注意しておくべきことがある。それはクァトロでも重砲は持っていないことで、もし入手可能ならば島も手に入れたいと考えていることだった。


 さすがのヒンデンブルグもそこまでは運び込めてなく、時間が掛かるのか機会が訪れないのか。


「もう一つ手段がある。シリアに兵器ブローカーが入り込んでいて、そいつが仲介するって話を聞いたことはあるか?」


「ブローカー?」

 ――ヒンデンブルグ商会ではなさそうだが。きな臭い場所で密売をする死の商人か、シリアならば絶好の買い手が見つかるだろうさ。


 紛争の裏には必ず姿をちらつかせる。兵器製造業者がそのまま売ることもあれば、資産家が販売に一枚かんだりもする。


「ああ、シリア出身のアル=カッサーラというブローカーの跡をどうやってか引き継いだ奴がいるそうだ。そいつならば重砲でも対空ミサイルでも都合をつけて来るらしい。噂では潜水艦だって金を積めば用意するそうだ」


 対空ミサイルは世界の空が危険になると、大国が血眼になり散逸を阻害している現実がある。それなのに販売可能とは恐ろしい。


 潜水艦は国家が所有するのが常で、最新鋭の装備と、極秘の技術が多用されている。そんなものを売ることが本当に可能なのかは疑問だ。


「どこかで聞いたことがあるような気がするが」

 ――アル=カッサーラ? どこだったか。


 サルミエ少佐に視線を向けるが表情を曇らせるだけで首を横に振る。黙っていたエーン大佐が「一つ宜しいでしょうか」自発的に声を掛ける。


 仕草でそれを許すと耳を傾けた。


「アル=カッサーラとはニカラグア戦争でコントラに装備を流していた商人の名前と一致します」


「そいつか!」

 ――ということはパストラ閣下なら何かを知っているはずだ。


 珍しく反応を大っぴらに見せたので、アルハジャジが具に観察する。与えた情報が役になっているならば、見返りを求めて来ることもあるだろう。


「済まんが少し席を外す」


 一方的に言い放つと勝手に席を立つ。声が聞こえない位の距離を置いて、衛星携帯を取り出した。


 相手が今どこにいるかは知らないし、連絡をつけられて迷惑ではないかとの部分もいまだけは目を瞑る。転機が訪れるかも知れないからだ。


 遠くでコールする音が聞こえて、二度、三度となり続けた。やがて箱の奥底で響くような声が通話機を通して聞こえて来る。


「閣下、不躾に申し訳ございません」


「君か。構わんよ、急ぎの要件なんだろう。聞こう」


 この回線を使うと言うこと自体が事情がある、そうだと信じて前置きを省いた。


「アル=カッサーラについて知っていたら教えて頂きたく思います」


「ふむ、これまた懐かしい名前だな。そいつはシリア人の武器商人だ。時にアメリカの手先、時に反米を口にする。誰でも良いんじゃよ兵器を買う者が居ればな」


 敵同士である相手にでも双方へ武器を売る、見境が無いと言うのは事実だ。そんなこともあって同じ武器を使って戦闘を行う紛争地域があった。レバノンも例外ではない。


「シリアにその後継者が兵器ブローカーとして入っていると噂を聞きました。可能性がある人物をご存知でしょうか?」


「後継者か。あいつはスペインで拘束されたはずじゃが、最後の贔屓はアフガニスタンやソマリアあたりだった。出どころはイタリアとの噂じゃったが」


 どうにもアメリカとイタリアでいがみ合った時に、イタリアを客に選んだらしく、そのせいあってスペインでアメリカの圧力に屈した当局に逮捕された経緯があるらしい。


 親イタリア反アメリカが軸で活動を停止。暫く唸ってから、何かを思い出したようで続ける。


「そうじゃ、確か極めて兵器に精通している商人がイタリア軍に出入りしていると聞いたことがある。軍でもロシア軍並の流出で悩みの種と愚痴っていた奴がいたな」


 それ以上は関係がありそうなことが思い出せないという。


「ありがとう御座います。参考にさせていただきます」


「イスラム国や政府軍を攻撃した黒い部隊がいるそうだが、あまり無茶をするでないぞ。貴官が帰るべき場所ならここにもあるでな」


 限界と感じたらいつでも苦笑して戻ってこいとパストラが道を示す。


「自分はまだ前へ進み続けなければなりません。それが散って行ったものへのせめてもの報いと確信しております」


「ふん、頑固者が。いつでも儂を頼れ、時も場所も気にすることはないぞ」


 そういうと通信を切断する。胸に残る感情が静まるまで数秒、島は目を閉じて己を強く抑えつける。


 心を新たにして席へ戻った。


「悪いな、終わったよ」


「ブローカーの正体が判明でもしたか」


 そんなはずはないと高をくくっている、何より解ってもここで喋るはずがないのを知っていた。相手の態度をみて様子から何かを窺おうと考えた次第だ。


「全くだ。だがヒントは貰えたよ」

 ――そいつをどうやって探るかは全くの未知だがね。


 余裕のある表情から希望はあるだろうと判断した。それを鏡に映したかのように考え、己にも機会があると知る。


「どこかに存在するってならこちらでも探してみよう。何せ買い手がイスラム国だろうと支払いがあれば売るってのが兵器商人だ」


 それを自身で買えるなら差し引き二倍の戦力差が詰まる。金で済むならそうした方が良い可能性は高いのだ。


「なあアルハジャジ」


「なんだ」


 席を立とうとしていたのを呼び止めて彼を見あげる。


「シリア東部同盟が方向を変えるというなら、お前はどうする?」


 今さらでもうどうにもならない。詮無き言葉ではあったが、少しだけ考えてから「さっさと脱退して元のように単独で活動する」利害関係の内側に入らないような立ち位置になると宣言した。


「そうか。思っていたより楽しい話が出来た」


 台詞に特に反応せずに、アルハジャジらは来た方向とは別へ向かって去って行く。残っている冷えたコーヒーを口にして、島はこの先を想像するのであった。



 深夜二時過ぎ、砂漠の真ん中にあるユーフラテス河沿いの街アル=ヤラールの北に彼らはいた。肌寒い風が頬を撫でる、放射冷却現象で昼間の世界とは似ても似つかない温度。


 星がこうも綺麗に見えるのは街の灯りが少ないからで、都会に暮らしていたらきっと見ることが無い空だ。田舎といわれるような街でも灯りはある、これらが一切なくなると初めて星が瞳に映る。


 古代の人々が夜空を見上げて色々と知ろうとしたのが納得いくような、ハッキリとした光。遮るものが何もない砂漠ではあるが、砂丘の類でうねりはあちこちにあった。


「ドラミニ上級曹長、準備はいいな」


 六十人余の緑地に青線の集団。白い息を吐いてじっと身を潜めている。車両のエンジンは掛けられているが、砂丘の裏側とその向こうでは別世界で音が響かない。


 暗闇で見えはしないが、男達の肌の色はバラバラだ。軍兵の類なので年齢は比較的若いが、時折中年層も混ざっている。


 YPGの国際自由大隊ILBのマリー中隊。トランプ小隊をサリック防衛に割いての夜間独立行動。


「分隊、いつでも動けます」


 十二人で一個分隊、本部にだけ余剰を寄せての編制。少数で行動する際に一番応用が利くのが十二という人数であり、今までもこのようにして運用してきた経験からの数字でもある。


 ドラミニ上級曹長とムーア軍曹が二個分隊ずつを指揮して、後方でマリーの本部分隊が全体を動かす。アレッポでの戦い以降、ムーア軍曹はドラミニ上級曹長に熱心に付き従っていた。


 トランプ中尉の下では黒人ということで無用の中傷を受けることが多かったようで、偏見が一切ない部隊に好感を持っていた。何よりも勇敢で有能な上官、若者が憧れないわけが無い。


「ムーア軍曹はどうか」


 純真で前向きな下士官をマリーも好んで使った。ムーア軍曹も白人の将校はこうだというような威圧感を一切感じさせず、それでいて中隊の多くから尊敬を集めている八歳上の大尉を信頼して疑わない。


 実戦を共に生き抜いた絆は太く、今後も覆ることは無いだろう。戦友、それは特別な関係。


「準備完了。敵駐屯地に異常なし」


 これから異常が起こるわけだから、変に騒ぎが無い方がありがたい。短距離無線を傍受されている可能性を鑑みて、通信は短く行われる。


 マリー自身も砂の丘に寝そべって、頂点から双眼鏡でアル=ヤーラルを観察した。本部は街から北西部分、ムーア軍曹は西、ドラミニ上級曹長は北側に伏せている。


 ――ユーフラテス河の西岸、大通りを挟んで南北に市街地が別れている。上流側、つまりは北側がやつらの拠点だ。いわゆる人間の盾のような住人も残してはいるようだが、防諜の観点からほぼイスラム国兵の住居になっている。


 作戦ではムーア軍曹の分隊で西側から攻撃を行い混乱を誘う。そこへドラミニ上級曹長の分隊が進出して車両を奪取という流れ。


 当然暗夜に敵地に侵入する部隊にかかる負担が大きい、それを指揮するのが上級者であるのは納得だろう。幾人か混ざっているエーン大佐の親衛隊員がグループの長で、ムーア分隊にも同じように配置されていた。


 これらは高級兵器の扱いにも慣れていて、トゥヴェー特務曹長の引いてきた大火力歩兵兵器の運用も問題ない。なにせプレトリアス郷では実弾試射が認められていたから。


 世界の軍隊でも兵士は演習などの限られた訓練でなければ、予算が掛かる実弾は使わせて貰えない。緊縮、減額の圧力が強いからだ。


 クァトロの流れを汲む基地は違う、経験こそ全てだと惜しげも無く訓練費用を出した。それに輪をかけてプレトリアス郷でも訓練は行われている。予算の一部はレバノン陸軍から出ているとの専らの噂ではあったが。



4


 これは軍との密約で、有事には戦闘民兵団として防衛協力をするとの取り決めから、機密費で支出されているとかいないとか。一種の傭兵契約で、似たような内容がレバノンのタクシー会社とも交わされていた。


 こちらは大っぴらな約束で、戦時にタクシーやバスを使って最前線に兵士を送り届けるものだ。死地に踏み込む代わりに、このタクシー会社では退役軍人を優先して雇用している。


 軍でも死亡時保証を認めていて、合同訓練すらやってのけていた。代表はラフード会長、自らもタクシー運転手として空港と市街地を行ったり来たりしている。


「良し、始めろ」


 最高指揮官が現場に居る為、時間ではなく状況で行動を開始させた。上級司令部が後方にあるならば、規定時刻と共に開始されるのが多い。


 利点は臨機応変に行動が可能というところ、欠点は死傷時に混乱を収拾できないところだ。


 ムーア軍曹の分隊が四人ずつのグループに分かれて接近。分隊一つに軽機関銃を一丁装備して、短機関銃も一つ。残りの奴らはライフル銃で威力を重視していた。


 砂地を進む時にはつま先を捻るようにすると歩きやすい。シリアに居ればそんなことは直ぐに身体が覚えてしまう。


 発砲はギリギリまで控え、家屋がある二百メートル西にまで近づくと伏せる。ライフルの有効射程限界一杯、これで攻撃する意味はない。


 ではどうするか、グループで各一人がロケットを取り出し装填する。電子機器が接続を行い、赤いランプが緑に変わるまで十秒前後。退避勧告など行われない、ここはイスラム国が支配宣言している軍事拠点だからだ。


「撃て!」


 ムーア軍曹の号令で六発のロケットが目標を違えて放たれた。十メートルまで進むとそこからブーストを始め、弾着までは二秒。家屋にぶつかると大爆発を起こし火災が発生する。


 寝ていた者が全員轟音で飛び起きるまでタイムラグは殆どないだろう。コソ泥よろしく車両を数台盗むだけならこうはしない。良し悪しはあるが、強奪が目的だからだ。


 部隊の実戦訓練でもあり、マリーがエージェントの練度を体感する為の場でもある。


 炎で姿が浮かび上がる、慌てて黒い布を身に着けずに出てくる奴らがいて敵味方の識別に混乱をきたした。街の西側から攻撃を受けているのは被害ヵ所を見れば明らか、まずは駆けつけろとの声が繰り返される。


 銃を持って来ると無暗に発砲をしたが、伏せている者達の被害はほぼ皆無。銃で反撃してこないのが良くわからないが、一方的に暗闇に撃ち続けた。十分程慌ただしい無秩序な反撃が行われ、次第に統制がとられていく。


 指揮官が状況把握に努めているのだろう、これを待ってドラミニ上級曹長が進軍を開始した。


「敵の頭脳を排除して後に車両を奪うぞ」


 街の中心部北側、西向きに警戒しているだろう人だまり。居場所の推定がし易い状態になるまで黙っていた甲斐があり、それらしき集団が直ぐに見つかった。何せ街の規模などたかが知れている。


 一緒くたに吹き飛ばしてしまおうと、ドラミニ上級曹長自らロケットを肩に担いだその時だ。傍の建物が爆発し火災を巻き起こした、東側でだ。


「誰だ馬鹿者が!」


 手榴弾や油での火災ではなく、明らかに火薬でのものだったので、部下が勝手に砲撃したものだと思い叱責をする。ところが誰一人発射したものはいなかった。


 ムーア分隊からの流れ弾でもない、曲射しなければこのような場所に到達するわけがないから。


 もう一度爆発があり物陰に身を隠す。射撃を控えて不審な攻撃がどこから行われているかを探った。イスラム国の奴らの動揺は芝居などではなく、武器庫の爆発などでもない、


「上級曹長、河の東側に発砲光あり!」


 昼間なら噴き上げる砂煙、夜ならブースターの炎が出す光で発射位置がすぐにわかる。それだけに自殺兵器と揶揄されているRPG7だが、安価で高性能、汎用も効くので軍隊だけでなく民兵にもテロリストにも重宝されていた。


「指揮所だ、報告を」


 マリーが予定と違う何かが起きているのを見て報告を求めてきた。それを咎めようと言うわけではない、把握する為だ。


「河向こうからのロケット攻撃を受けています。しかし、攻撃しているのはイスラム国ではなく、目標も我等ではありません。即時撤退の許可を」


 不都合が起きればすぐさま撤退するのが最上策、ドラミニ上級曹長の判断は正しい。


「許可する。ムーア軍曹も速やかに撤退するんだ」


「ダコール」


 練りに練った計画を即座に放棄、戦果はほぼ得られず何しに来たのかわからない結果になる。少しずつ街を離れ、小銃の射程外になったあたりで双眼鏡で様子を窺う。


 大通りを武装車両が猛スピードで爆走し、東側へとタイヤを鳴らして走っていくのが見えた。イスラム国の反撃部隊だろうか、ある程度の数が出て行った後にまた続く。


 それが爆発した。ロケットの攻撃でだろうことは見てわかったが、ムーア軍曹は高速機動する武装車両にこうも易々と命中させたのが驚きだった。


 砂丘を右袖にして影を本部へ向けて走る、さほど時間が掛からずに合流ことが出来た。警戒を伍長らに任せ、マリー、ドラミニ、ムーアの三人が額を寄せ合う。


「何が起きている」


 知りたいのは解るが答えを知る者はこの中には居ない。見聞きした内容だけをそれぞれが端的に報告した。未だに街が厳戒態勢なのは当然だろうが、周辺に偵察すら出してこないのは何故だろうか。


「別の勢力が河東から攻撃を仕掛けてきたわけだ。そして車両を奪っていき、追跡隊はロケットで撃破。俺たち以外も同じことを同じ日に計画していた?」

 ――そんな偶然があるはずがないだろ、どこからか情報が洩れているぞこれは! とはいえこちらの部隊は全てクァトロのエージェントだ、他に計画を知っているのはあいつだけ。


 何とも腑に落ちないが、現実は動かしようも無い。利用されたのか、それとも出し抜かれただけなのか。


 この場に待機していても事態は好転しないだろう、速やかに拠点に帰還するのが最善策。いつもならばマリーは迷いもせずにそうしていた、だが何かが引っ掛かる。


「ムーア、先に出て行った車両に乗っていた奴らの顔を見たか?」


 姿を見たのは彼だけ、少しでも情報を得ようと質問する。あまり自信なさそうにだが答える。


「白っぽい布を巻いて口元を隠してました。火災の灯りだけなので断言はできませんが、このあたりの人種より白い肌をしていたよう見えました」


 シリア人の多くは茶色を濃くしたような顔をしている、日差しのせいで焼けたようになっている理由も含みで。一方で白人などはそもそもが日焼けしても赤くなりはしても、茶色や黒ということにはならない。


 クルド人はどうかといと、やはり茶色に近い肌をしている。距離があったので不正確だろうが、何かしらのヒントがあるような気がした。


「どこかの民兵か、それとも傭兵? いずれにしても俺達の情報網外のやつらが近くにいるのは確かだ」

 ――クァトロの外側のな。それにしても射撃の腕前は一級品か。


 火災が鎮火していき落ち着きを取り戻し始めたのでマンピジュへと引き上げることにした。不都合については取り敢えず今は気づかないふりをして。


1


 ダマスカスのホテル、仮の執務室にあいつがやってきた。世界中どこででも必要な時に必要な情報を抱えて。


 よれて煤けたボロに身を包み、開け放たれた扉を潜る。にやけた表情の裏には何が隠されているのか。


「よぉ、元気そうでなによりだ」


 軽く挨拶をすると、破顔してところどころ抜けた歯を晒す。こうやって親しく話しかけてくれる人物など極々わずかでしかない。中でも敬意を払って相対してくれる人物は島のみ。


「へへへ、幾つか報告がありまさぁ」


 出入り自由、軍資金も自由、いつでも好きな国に行って気になる情報を見付けてこいとだけ言われている。多くを預けてくれ、そのうえきっちりと話を聞いてくれる、コロラド先任上級曹長はいつ死んで来いと言われても喜んで従うつもりでいた。


「一杯やりながら聞くとしよう」


 緑色の小びんを二本取り出して手渡す。アル・マーザ、レバノン産のビールだ。なぜシリアでレバノン産を飲むかというと理由は単純だ、シリアのバラダと飲み比べたら、殆どの者はレバノン万歳と叫ぶだろう。


「すいやせん」


 恭しくビールを受け取ると口をつける。味などどうでも良い、こうやって共に飲めることが嬉しくてたまらないのだ。


 ソファに腰かけて一休みする。報告を急かすことをせずに、時折びんをてにして傾けるだけ。天井を眺めて心を落ち着かせた。


「イラクでひと悶着ありそうで。イラク政府がグルディスタン政府にキルクークの放棄を要求していまさぁ」


 キルクークはイラク油田地帯で、クルド人が多く住んでいる地方だ。そこの利権は莫大で、いつまでもクルド人に実効支配されているわけにも行かない。


 ――そいつはきな臭いな。アルビールが干上がればこちらにも影響が出て来る、圧力を受ける前にクルド人擁護の機運を高める方向を見なければならんかもな。


 何がどうなるかは先のことなので誰にもわからない。事実を拾い集めてきたことが重要なのだ。


「大人しく引き渡したくは無いだろうが、争うわけにも行かん。強行してきたらクルディスタンは退くしかないな」


 政治対立を越えて軍事力をぶつけ合うようになったら最後、政府と独立自治区では話にならない。戦ってはいけない、だからと弱気で退くわけにもいかない。難しいかじ取りを迫られている。


「時間の問題ってとこでしょう、末端ではどうにも。シリア南西部ゴラン高原あたりに居る避難民集団が圧迫されてますが、イスラエルでどうにもちょっかい掛けるって計画があるようでさぁ」


「イスラエルで? どういうことだ」


 ゴラン高原といえばイスラエル軍がシリアと係争中の地域だ。ここにイスラエル軍が進駐し実効支配、それでも住んでいる住民にはイスラエルへの市民権が与えられていた。


 そんな地域に避難してきているシリア人がどういう扱いをシリア政府から受けるかは想像に難くない。


「反政府勢力が活動してる地域に残されてる避難民をゴラン高原へ移送して、そこからヨルダンに出国させるって話でさぁ。そうすることで係争地の領有を知らしめる、それでいて人道支援を前面に出してシリア政府への締め付けをってことで」


 世界は人道支援、人権の保護というのが大好きだ。真実がどうであれ叫んだ者が全てで、違うから放っておけというのは間違い。反論がなければ認めたも同然。


「詳細を」


 目を細めて真剣に思考モードに入る島を、期待の眼差しで見つめて続ける。


「シリア南西部はイスラエル機関からの支援を受けている反政府勢力の拠点でもありまさぁ。そこで活動してる救護団体ホワイトヘルメッツ、そいつらと家族を救出するってのが骨子で、事実上の反政府活動集団を引き上げる作戦と言えまさぁ」


 アレッポで活躍したのも居る以上、完全に単なる反政府活動集団とは言い切れない。比率を別にしたらの話でしかないが。


 ――民間の避難民を第三国に、か。これを利用すべきだろうな、エルジラーノ大隊を動かすか。


 一つイスラエル軍と直接的な接触を持たせておこうと決める。


「その報告をフォン=ハウプトマン大佐にも伝えておくんだ」


「へい」


 そうするだけで意図を汲んでくれると信じて細部には触れない。本当に不明ならば向こうから確かめて来るだろうと、この件はこれでおしまいにする。


「それにしても随分といつも情報を仕入れて来る、大したもんだ」


「へへへへ」


 後頭部をかきながら照れる。こうやって褒めてくれると嬉しくて仕方がない、もう五十歳になたっというのに年下の上司に言われることがだ。


「実は俺も一つ重大情報を持っているんだ」


 いたずらっぽい笑みで何を話題にしようかと考える。目を輝かせてコロラド先任上級曹長は何が飛び出して来るかを待った。


「伝説的狙撃手ヤーズッカーの正体を俺は知っているぞ」

 ――とてもチャーミングな女の子だ。言っても誰も信じはしないだろうがね。


 シリア内でイスラム国兵を多数狙撃している凄腕の大男。これが世間一般的なイメージで、半分は当たっている、ガンビーノを目撃したのだろうから。


「さすがボスでさぁ、俺じゃ知らないホットなモノを」


 歩き回っているコロラド先任上級曹長ではあるが、それについては全く情報が出てこなかった。探すつもりで歩いていなかったというのが本当のところだが、そんなことはドブにながしてしまい忘れる。


「お前ももったいぶらずに何かないのか」


 冗談含みでおかわりを要求する。少し首を捻ってから「これは未確認情報なんで後回しにしていたんですがね」はっきり最後まで解らないことを前置きして来る。


「お前の推測でも、オチ無しの話でも構わんよ」


 ビールを煽って先を促す。今の今まで誤報など皆無だった、たまにそういうのも良いだろうと急かした。


「うーん……シリアに死の商人が四組入っているって話で」


「四組か。一つはアメリカ、一つはロシアだな」

 ――ヒンデンブルグに例のアレか。


 いわずと知れた死の商人、一番有名なのはアメリカだ。これはゆるぎない事実で、世界中のどこでもアメリカ製の兵器が見かけられるのが証拠であり現実だ。


 戦争のない日本ですら当然のように使われている。


 ロシアの兵器もこれまた多い、時にソヴィエトのものも。国家ぐるみで鋼鉄を技術で以て金に換える現代の錬金術。


「へい。ヨーロッパからはヒンデンブルグ商会。そして最後はイタリアからの女武器商人でさぁ」


「女?」


 性別までは知らなかった、てっきり男だとばかり思っていたのは何故だろうか。それにはっきりとイタリアといったあたり気になる。


 身を乗り出して食いついてきたのでコロラド先任上級曹長が続ける。


「兵器ブローカーとしてイタリア製の品を輸出してる、武器に精通した女。どうにも年若いらしいですが、アジア人って話も。そいつがシリアに入ってるって専らの噂で」


 解ってるのはここまで、表手を拡げて限界を露呈する。


 ――アジア人の若い女でイタリア、そいつは最近出会ったのと随分と合致するじゃないか。こいつは偶然か? ヤーズッカーがイスラム国兵ばかりを狙撃している、それはイスラム国に対抗しているからだ。もし同一人物ならば兵器を対立する勢力に渡すんじゃないか?


 急に黙り込んで何かを考える島の邪魔をせずにじっと待つ。コロラド先任上級曹長の最も好きな瞬間、これが終わるといつも驚かせられる。


 ――どうやって渡りをつけることができる。イタリア軍ならば伝手があるな、そいつがブローカーと繋がりを持っているかは不明だが。別の切り口を探せ。こちらが探しても見つからないならば、あちらから見つけて貰えばいい。


 諜報についての逆転の発想。相手が情報を求めているならば、必ず気づいてこちらに辿り着く。


「コロラド、ヤーズッカーに聞こえるように、アル=イフワーン・アル=ヌジュームのイゾラが兵器を欲しがっていると情報を流せるか」


 ことさらイタリア語を混ぜて確認する。名前の部分だけならば言語が不明でも通じるとばかりに。


「ヤーズッカーに宛てればいいんすね、あいつがブローカーと関係があるってこって?」


 目を覗き込み少しばかり間を置いて「実はそれは同一人物だと俺は思ってる」衝撃の一言。ぽかんとして口を半開きにする。


「でも……」


「ヤーズッカーに会ったんだ。あれは日本人の小柄な女性で、スナイパー顔負けの凄腕だ。イタリア語を解して、イタリア人の大男を連れてる。使っていた小銃は特殊なものだった」


 ここだけの話を明かす。まだ誰にも打ち明けていない事実をコロラド先任上級曹長にだけ。どうだと言わんばかりのネタについに彼は笑った。


「ひゃひゃひゃひゃひゃ! ボス、最高ですぜ! そうか、それなら色々と辻褄があいまさぁ。任せてくだせぇ、絶対に繋いでみせまさぁ!」


 手放しで称賛して何度も頷いている。


「もし会ったら、島が感謝していると伝えてくれ」


 隣の部屋からサルミエ少佐がやって来てどうしたのかと小首を傾げた。


「ボス、次の会合のお時間です」


「そうか。まあそんなわけで頼んだぞコロラド」


 肩に手を置いて島が部屋を出て行く、サルミエ少佐もそれに付き従った。少佐はいつも思っている、あのような浮浪者じみた奴などクァトロから放逐したら良いと。



 デリゾールの砂漠に補給が入った。ロマノフスキーはそれを見詰めている、実務処理はグレゴリー中尉とワイナイワ中尉、トスカーナ少尉らに丸投げしたからだ。


 失敗してもやり直しができる部分は積極的に放置を決め込み成長を期待した。それが彼らの目にどう映るかは考えようとしない。呆れられるならそれでも良いし、真意に気づいてくれとは思っても居ない。


 やってきた将校、大隊を指揮可能な者が六人、軍事階級を得ているならば少佐相当ということになる。それなのに中尉らに指示を仰いで荷下ろし作業に従事していた。


 エーン大佐の抱える人材はあまりに豊富だ。どこから見つけて来るのか、満足いく才能と見上げた忠誠を兼ね備えている。これがアフリカ発祥の部族の結束、決して他の部族に馴染まないコミュニティ単位の存在。


 一致団結して全てを整合させることはできない、たった一つを除いて。どれだけ強く大きな指導者が居ても、部族はいがみ合う。それはイギリスその他の支配で植民地化された時に幾度も証明されてきた。


 では何故クァトロとして多くが団結できているか、納得の理由がある。唯一無二の理由、それは島だ。彼は部族の上位支配者ではない、アフリカとレバノンで共に崇められている神の一柱。現世の生神と本気で信じられている。


 多くの奇跡を起こし続け、数多の民を救い導いてきた。従うことで確実に部族が規模を大きくし安定してきた事実は覆しようが無い。


 神の使徒であるクァトロナンバーズにも敬意を示す、天使か悪魔かわかりはしないが。


「ホムスのヒム・シンシャルとダマスカス近郊バルゼに米軍の空爆か、だが化学施設ってのはどこにでも建てられるもんだ」


 かつて南スーダンで作戦したことを思い出して、想定外の結末というのを一つ考えてみることにした。目に見える施設はすべて完全破壊、地形が変わる位なので地下にあっても使い物にはならないだろう。


 ということは別の場所にあるという例外を思い浮かべる。ではどこにあれがあるだろうかと考えてみた。


 政府の支配地域は沿岸部から首都ダマスカスにかけての地域、ヨルダン国境まで南北にのびていて、一部がアレッポへと繋がっていた。途中は反政府勢力が入り込み虫食い状態、南西部はイスラエルやヒズボラが支配している地域すらある。


 国中央にあるパルミラ遺跡、そのあたりまでは到底支配が及んでいない。北部東部のグルド人居住区然りだ。


 ここで一つ大きな疑問が生まれて来る、どうして飛び地になっているのにダイルアッザウルとその周辺一部だけを無理矢理に維持していたのかという部分だ。他地域から補給も出来ず、周囲はイスラム国の勢力ばかり、昨今シリア東部同盟、前身のユーフラテス同盟が出来たあたりからならばわからなくもないが。


 装甲バスの後ろで机に脚を投げ出して外を見ながら思案する。


 ――砂漠のどこかに研究施設があるといっても俺は驚かんぞ。風が吹けば砂丘の形が変わる、地下に作るならそれこそ気づかれまい。政府の部隊はどこへ撤退していった?


 ダイルアッザウルから姿を消した政府軍、まさか泡のように弾けて消えたわけでも無い。どこかに集団で避難したか、解散して各都市で待機しているか。いずれにしても装備を持っているわけにも行かないので、どこかに拠点があるのは明白だった。


 そのどこかを探し出すのが難しい、最重要機密という奴だ。どこかの誰かが知ってはいるが、その人物が誰かが解らない。聞いたところで答えるわけもないが。


 ――こういうのはアレが役に立つ。レシオンで散々その手の調略に引っ掛かったからな。


 詮無き自嘲をしてどこが有効かを選定するが、そこはやはりダイルアッザウルだろうと判断した。今までの遍歴をたどれば伝手は幾らでもあったし、全てを直接呼び寄せても捌けるだけの自信を有していた。さすがに隠れているのでそれは出来なかったが。


 電話を手にして転送を繰り返すとどこかへ繋がる。


「アロー、俺だが覚えてるかい」


 妙に軽い感じで語り掛ける。半年ぶりあたりと、かつてベッドを共にした女性にだ。


「ニコライじゃない! あたしが恋しくなったのかしら?」


 艶っぽい声、少し遠めの電話先でも伝わって来る。出来るならすぐにデートしに出かけたかったが、ここを離れるわけには行かない、例え何も仕事をしてもしなくても。


「ああ、直ぐにでも飛んでいきたいが生憎手が離せない仕事中でね」


「いつもそう、朝には姿を消してるんですもの」


 怒ったような口調もまた可愛らしかった。相好を崩して「夜だけじゃ不満かい」激しい行為を思い出させる。


「そんなことないわ……それでどうしたのかしら、あたしに頼みごとがあるんでしょう?」


 賢い娘のようで引き際を得てきっちりと線引きをする。誰でも良いわけではない、相手を選んで一夜を共にしているのだ。彼女に限って言えばそれなりに長い付き合いで、もう五年になる。


 定期的に口座に振り込まれているお金は、彼女の子の為。誰の子供かは不明、そうなってはいるが。


「シリアのダイルアッザウルにアラビア語が解る娼婦を一ダース、聞き出して欲しい内容と相手がいてね。これはビジネスだ、報酬は先払いするよ」


「アラビア語ね、人種はどう?」


 手持ちの駒に充分な数が居るようで反応は早かった。信用出来ない人間を送っては来ないだろうと「アラビアン半分、後は白人黒人黄色人種取り揃えで頼む」幅広い受けに期待。


 男の側の好みは存在するが、荒れ果てた心と体を癒すのはそれほど難しいことはない。肌を合わせればそれだけで構わないのが大多数。美人であればそれだけで良いのが殆ど。


「解ったわ。でも報酬について条件があるの」


「なんだい」


 その先の台詞が何かは解っているし、拒否するつもりもない。駆け引きという奴だ。


「あたしはあなたが欲しいの、仕事が終わってからで良いから……待っているわ」


 決して今すぐと無茶は言わない、そういうところがロマノフスキーも長年付き合う程に気に入っていた。ならば傍に置けばよいと言われるだろうが、迷惑が掛かるだろう自身の立場を鑑みてこういうスタイルを選んでいた。


 戦いの渦中に身を身を置いている以上、明日は土の中でもおかしくない。いつの間にか死んでいた、それならば悲しませることも無いだろうと。


「約束しよう、全て終わればまた特別休暇だ。行きたい旅行先を調べておいてくれよ」


 そう言って通話を切った。妙にレベルが高い娼婦の一団がダイルアッザウルに入って来たのは五日後の夕方だった。彼女らが商売をするにあたり、地元の顔役が因縁をつけてくると思いきや、どうしてか後見を受けることになってすらいた。



 マンピジュにあるILBの本部、中隊長室で密談をかわす。部屋にはマリー中佐とトゥヴェー特務曹長のみが居て、外ではドラミニ上級曹長が警備を行っていた。後に会話の内容を伝えはするが、安全性を優先しての配置。


 室内の電子機器掃除、要は盗聴器の類を除去して後に額を寄せて。


「作戦が漏洩していた。どこかの勢力が横取りしていったよ」


 別にイスラム国から奪わずとも都合は付けられる、どうして手に入ったか説明もつけられず怪しまれるが。問題は不調に終わったことではない、そんなのは付随した何かでしかないのだ。


 事の重大さに眉を寄せて眉間に皺を作った。どこかで情報を抜かれたならば非常に危険な状態に身を置いていることになる。漏らした者が居るのと別の部分で困ってしまう。


「エージェントは全て信用出来るものしか引いていません」


 レバノンの警備会社で厳しい選別と訓練を施し、年単位で吟味した者達ばかりを運用している。それも複数の監査役を使ってだ。うっかり断片を漏らしてしまい、それらが繋ぎ合わされた可能性までは否定できない。


 だとしてもあそこまで時と場所を合致させて来るまでは難しいはずだ。一人や二人での行動ではない、組織の運用なのだから中途半端な確信では動かない。動かせないはずだ。


「俺もそこは心配してない。となると流出元は一カ所しか無いわけだが、お前はどう思う?」


 はっきりと言うことが憚られた。そこを疑い出すと全てが闇の中に迷い込んでしまう。しかし幾度繰り返して考えてみても答えが辿り着くのはそこしかなかった、ゆえにトゥヴェー特務曹長に考えを聞くためにここに居る。


 内容があまりにも危険すぎるので、ドラミニ上級曹長が厳戒態勢をとって警備を担当して居る次第だ。


「同じ考えです」


 短く、それいてはっきりと意志を示す。何がどう同じなのか、それは互いに解っていると信じていた。齟齬をきたすようなら思考に誤りがあることになる。


「そうか」


 小さく息を吐いてマリー中佐は目を閉じる。そうだろうとは思っていたが、肯定されるとやはり若干の重みがある。


 ここが行動の分岐点、どちらに進むかは現地指揮官であるマリー中佐に一任されている。間違いは認められない、かといってこれだという正解が必ずあるとは限らない。いつものことではあるが。


 どうするのかと急かすことはせず、黙って待つ。


 ――まだ一歩、いや半歩早い。ここで勇み足をすることは上手いとは言えんぞ。三つだ、懸念を除く必要があるな。これしきの命題を解けんようじゃジャン・マリーに何の価値もないぞ!


 たっぷりと五分は無言で目を閉じて考えた、そして目を開く。


「他人の足を引っ張ってまで、ことをなそうとは考えたことは無かった。己を研鑽し、前へ進むことでしか顔をあげることが出来ないと信じていた。先人の背中を追いかけることが最善と捉えていた」


 正々堂々と功を誇り、誰に後ろ指さされることもなく、上官の影を追い続ける。なるほどそれはそれで良いことだろう、だがその先にある大きな壁はこれだけでは乗り越えられない。


 いつかは己の道を切り開き、怨嗟を一身に受けることも認めなければならないことを知る。大きな光に隠れて過ごせる時期はここまで、一人で歩まねばならないことに気づく。


「俺はクァトロのマリー、ボスを支えることが何よりも優る。こんなところでまごついている時間は無い! トゥヴェー、FSAの急進派に情報を流せ、ILBの戦闘部隊が留守にする瞬間をだ」

 ――目には目を、歯には歯を、俺はもう躊躇せんぞ!


 太古の昔にあったハンムラビ法典、対等な力を持つ者同士はやられたらやり返す権利を与えられていた。これは報復を認めるものではあったが、真実は同じだけの反撃で終らせろとの戒めでもあった。


 何よりも正義が弱者に与えられるようにとの結びがある、そちらはあまり知られてはいないが。


「ダコール。工作に百二十時間いただきます」


 はっきりと時間を区切った、トゥヴェー特務曹長には何かが見えている。マリー中佐もそれまでには準備を終えて居なければならない。結末の全てを一身に受ける覚悟も含めて。



 クェレクァクの第二中隊指揮所、深夜の二時、本部要員と夜間立哨を残して全てが就寝している。サリックの警戒所でも四人の見張りだけが起床していて、他は後方に下がっていた。


 その指揮所に緊急通信が舞い込んで来る。通信兵がヘッドフォンを押さえて内容に集中する「こちらILB本部、夜襲を受けている、大至急増援を求む!」慌てふためいた悲鳴が聞こえてきた。


 直ぐにマリー中佐へ報告が上がり、五分とせずに指揮者に戦闘服姿で現れる。


「本部が夜襲を受けているだって?」

 ――そいつは一大事。


 落ち着き払った態度をみて若干訝し気に思いはしたものの、それ以上は感情を挟まずに椅子へ戻る。ドラミニ上級曹長もこれといって進言をしない。


 突然本部が襲撃された理由はいくつかある、主力である第一中隊が通報があった地域に急行して手薄になったから。そして第二中隊が定期でクェレクァクの駐屯を交代する日で戦闘力が急激に下がっていたから。


 何よりも重要なのはそういった情報が敵に漏れていたから。やられっぱなしだった地方勢力の一つがここぞとばかりに報復に出て来た、そして近隣に駐屯している第二中隊――つまりはマリー中佐が救援要請を聞き流しているからに他ならない。


「大尉、本部へ急行しなくても良いのですか?」


 ムーア軍曹が顔を蒼くして質問してきた。彼は現地採用した人物で背後関係を一切知らない、マリー中佐の判断が疑問なのだ。


 指揮所内は落ち着いている、それが状況にそぐわないのも妙に感じていた。


「最近そういった偽情報が多くてね。一応警戒で指揮所に詰めているが、ナジャフィー少佐の命令があれば動くさ。けど無いだろ?」


 いわれてみればどこの兵士か解らない者がひっきりなしに応答を求めて来るだけで、司令の声は聞こえてこない。これも策略のうちなのかと首を傾げる。


 実際のところは平気な顔をして通信兵の一人がボリュームをしぼっているのだが。


「一応偵察を出してみてはいかがでしょうか?」


 不安が先走ってか食い下がる、これまで却下してはあからさますぎるので「そうだな。ドラミニ上級曹長、見てこい」軽く命令する。


「ダコール。では暫しお待ちを」


 少数で突っ込みかねないムーア軍曹は本部に留め置いて、全てを知るドラミニ上級曹長を派遣する。連れて行く兵も全てクァトロ、たっぷり三十分も経ったあたりでようやく報告がもたらされる。


「こちら偵察隊ドラミニ上級曹長。大隊本部が不明の勢力と交戦中、自分も増援します」


「なんだって! こちらもすぐに向かう」

 ――驚くふりも難しいものだな。この大根役者と言われても文句は言えんぞ。


 必死に表情を作り「総員起こせ、戦闘準備だ!」サリックの警戒所にも命令して戦闘状態を整える。念入りに装備状況を確認させて、普段よりも時間をかけて出撃した。


 大隊本部に到着すると、少しだけ前から参戦した偵察隊が報告の為に駆け寄って来る。手抜きも甚だしいがそうだと知る者は工作員ばかり。


「本部が炎上中、敵が多数です!」


 暗夜に揺らめく炎が人影を照らす。一般市民はとうの昔に避難していて、小銃を持った者同士が交戦していた。第一中隊ははるか先に居て間に合わず、第二中隊がのろのろと駆け付ける。


「ふむ、練度はそう高くなさそうだ。蹴散らすぞ!」


 くすんだ緑に青いラインの戦闘服、夜中では見分けがつきにくい。照明弾を撃ちあげて識別を可能なようにして分隊ごとに戦闘に参加する。


 戦いをするまでは遅延を繰り返し、いざ交戦すると素早い動きをみせた。劣勢だったILBがみるみる優勢になり、ついには敵が撤退を始める。


「深追いは不要だ、警戒態勢を敷け」


 出された命令は待機。燃え盛る本部から負傷した兵らが出て来る、その中にナジャフィー少佐とトゥヴェー特務曹長がまざっていた。少佐は腕に銃創があり、包帯を巻いている。


 マリー中佐は歩み寄ると傷を一瞥して敬礼した。


「マリー大尉、随分と遅かったではないか」


 しかめっ面をして開口一番不満を口にする。不安からでた言葉だろうが、ナジャフィー少佐は想定していた反応が得られないことに大いに驚くことになる。今までならば素直に遅参を謝罪してきただろうに。


「行くかどうか迷っていたものでして」


 無表情でそんなことを言い放つ。何を言っているのか意味が解らないと、少しの間無言になってしまった。


「何を迷うと言うのだ」


 幾度も救援要請をしていたのに無反応、選択肢など一つしかないのに。ところがマリー中佐は相変わらずの無表情でじっとナジャフィー少佐を見詰める。


「理由をお聞きになりますか?」


「当然だ」


 怒りを感じてか言葉が乱暴になる。そうですか、と小さく呟いてマリー中佐は目を細めた。


「情報漏れによる罠かどうかを見極めようとしましてね。少佐もどうぞお気を付けください」


「っむ!」


 ナジャフィー少佐の心臓が早鐘の様に脈打つ、何を言っているのかを理解した証拠だ。言葉こそ丁寧だが、これは仕返しだと宣言しているのだ。


 新顔で有能な部下だと思っていたが、読めない部分があった。得体の知れない何かを感じることもあったが、正体を知ることが出来ない。ところが今になり踏み込んではいけない闇に触れた感じがしてしまう。


 この若者は一体何者なのか、自分はどうするべきなのか、不安が恐怖にすり替わる。


「貴官はいったい……」


 視線が泳ぐ、一方でマリー中佐は心の奥底を見透かすかのような視線を送った。レティシアが部下に向けるようなソレを。


「警告はしました。第二中隊、戻るぞ!」


 来た時とは正反対、これ以上ない位素早い動きでハヤテのごとく去って行く。残された本部の兵らは呆然とする司令を見て何を思ったか。

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