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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第百三十三章 シリア東部同盟結成


 早朝のアイン=ラサは想像もしない猛攻に晒されていた。イスラム国の駐留部隊は警戒網を抜けられ、街に攻撃をされたと同時に爆発音で目を覚ました有様だった。


 千五百メートル四方程度の小さな市街地、そこに五カ所の目標拠点がある。グロック准将の事前調査で東部にある役場、中央にあるモスクと薬局、北部公道沿いの倉庫、西部の農場がアイン=ラサ軍の施設だと判明していた。


 ブッフバルト少佐は、本部である装甲戦闘車両中隊とバスター大尉の対戦車中隊で、役場を破壊して前線指揮所を据える。奇襲でもあったので然したる反撃もないまま、役場はあっという間に炎上した。


 付近の住民が驚きで家から飛び出し、いち早く郊外へと逃げていく。


「バスター大尉、北の倉庫へ砲撃を行え」


 公道側に在る倉庫、カマボコ型をしたものが数棟置かれていて、軍の戦略物資や兵の寝泊りに利用されている。役場の駐車場に停まっている八両、そのうちの一両にだけ迫撃砲が装備されていた。


「ダコール。迫撃砲の準備、天蓋開け、GPSによる目標位置設定、榴弾装填!」


 ストライカーMC、主武装である大型の兵器を取り外し、兵員の輸送を諦め、空いた空間に何と百二十ミリ迫撃砲を搭載した。


 車両後部に据え付けられているそれを使用するために、両開きの天蓋が開け放たれる。本来は車両で牽引する重迫撃砲、まるごと箱に詰め込んだのが機動迫撃砲車であるMC、つまりはモーターキャリアー。


 八輪の大型車両、機銃が一つだけ付けられていて今は虚しく空を向いていた。


 車内から炎の矢が舞い上がる。放物線を描いて遠くの場所へと飛んでいくと、すぐさま次弾を装填、砲撃を繰り返す。十五秒に一射、大火力の砲撃が倉庫を襲う。


 ハマダ大尉と、マリー中佐の中隊は西部の農場へ向かっていた。先頭を行くのは中隊長の代理、ビダ先任上級曹長である。下士官が将校の代理とは滅多にないことだがクァトロならではの光景。


 ビダ先任上級曹長はランドローヴァーに乗り、まばらな反撃を蹴散らしているところ。


「モスクの状況を報告させろ」


「ウィ」


 本部中隊はフィル先任上級曹長と共に役場の駐車場から更に東へ離れた場所にあった。長い通信用アンテナが風に揺れる。


 中央のモスクと薬局へはドゥリー大尉を長として、ゴンザレス、レオポルドの中隊が割り当てられている。全て武装ジープ中隊。


 名称はこれでも装備している車両は違う。VBL装甲ジープやプーマ軽装甲車、大型ランドローヴァーを一両に、P4プジョーやM151ケネディジープなどの非装甲車両で構成されていた。


 統一性が無いのは民兵団という背景がある以上仕方なかった、あるもので充足させるのが大前提。だとしてもこれだけ軍用車両を揃えていることが異常過ぎる。


 そもそも軍用車は退役して払い下げでもされなければ購入することすら出来ない、だというのにフランスやアメリカ、イタリア軍の装備をこれだけ集めて来ることが出来たのは、島とクァトロの存在が際立つ。


「こちらドゥリー大尉、薬局は完全に倒壊、モスクは大破炎上中。現在抵抗する敵兵を掃討中」


 無線通信の後方で機関銃の発砲音が絶え間なく聞こえてきた。拠点を失い民家や瓦礫に拠って戦う歩兵を排除するのにそこまで時間が掛かるとは思えない。


 ましてや下車しての戦闘はクァトロの本領を発揮するところだ。


 真っ先に司令部機能を失ったイスラム国兵、脳震盪を起こしているうちに滅多打ちにされてしまっている。戦いは段取りが八割、準備段階で趨勢は概ね決してしまう。


 残るストーン中尉、装甲偵察中隊は街の中を巡回して戦闘集団を探して回っていた。存在しているはずの敵機動車両部隊、使わずに終えるならば離脱を計るだろうし、反撃して来るならばこちらの司令部を狙ってくるはずだ。


 先頭車両はM1129ストライカーRV。本来アメリカ軍ストライカー旅団が装備しているはずの装甲車、外観を少しだけ偽装してあるが気づく者も居るだろう。


 圧倒的な長距離偵察能力、光学測距、熱力学、聴音、暗視機能、レーザー誘導、なにせ装備も人も運用可能となる部隊の目。


 タイムキーパーでもあるフィル先任上級曹長が、ダイルアッザウルへの攻撃開始がいつ頃になるかの感覚的報告も定期的に行う。


「ストーン中尉より司令部へ。北側倉庫は完全に機能を喪失、残っている敵兵も掃討中」


 見かけたのでついでになぎ倒す、そう報告が上がっていた。どこの拠点にも武装車両は存在しなかった、一体どこに隠れているのか。


 少し距離を開けて警戒している本部の歩兵。無線を通して「所属不明の車両が七両急接近してくる!」南側から警告があがった。同時に役場付近から散発的ではあるが銃撃が行われる。


「バスター大尉はここの掃討を。フィル、俺達は南へ向かうぞ」


「ダコール!」


 タイヤを鳴らしてプーマ軽装甲車四両で、フィル先任上級曹長が阻止に先行する。周囲に散っている警戒兵を引き戻し、ブッフバルト少佐も続いた。


 市街の主要道路を使い、民家を盾にして役場の南にある広場へ向けて射撃してくる。主武器は七・六二ミリの小銃、プーマからも据え付け機銃で反撃しながら左右に展開、物陰の武装車両を牽制した。


 双方攻撃が簡単に当たるはずもなく、弾丸をあちこちへとばらまいて終始する。


「角度が悪い、二両で南東から回り込め!」


 フィル先任上級曹長が圧力を一手に受けることを覚悟し、撃破を目指す。二両が一時的に戦線を離脱、集中される射撃が残るプーマに降り注いだ。


 軽装甲車というのは防弾力があるわけではない、砲撃で飛散する瓦礫などから防護出来るだけの意味合いだ。穴だらけにされては一大事なので、後退してなんとか勢いを殺そうとする。


 相手が下がればその分前進して来る、至極普通の理由でイスラム国の武装車両が民家の影から姿を見せた。


 突如幹線道路に白い煙が充満しだす。ブレーキを踏んで射撃を中断した、目標が見えなければ弾の浪費になるからと。


 轟音が響いた。武装車両がいきなり爆発して飛散したからだ。


「全車狩り取れ、装甲戦闘車アングリフ!」


 視界ゼロの煙の中へ一両が突っ込んでいく。M1128ストライカーMGS。


 センサーを駆使してデジタル画像を利用すると敵に接近、主砲の百五ミリ砲を直射して木っ端微塵にうち砕いていく。


 無遠慮に距離を詰め、二両目を撃破。煙のせいで何が起きているか理解出来ない内に更に一両を失い混乱するイスラム国武装車両隊。


 その場を何とか離れて残る四両で逃げ出そうと煙から脱出。転回して南へ頭を向けようとしてまた一両吹き飛ぶ。


 煙を割って黒い八輪装甲車が姿を見せる。七・六二ミリの小銃で反撃を加えるも、全てを装甲で弾き飛ばした。置き場所が悪くても仕方ない、積んであった十二・七ミリで装甲車を狙う。


 鉄と鉄がぶつかり鈍く空気が震える。開いた口が塞がらなかった、必殺の兵器と信じていた大口径が弾かれて。


 返礼で主砲と共に、車載の重機関銃が火を吹いた。七両全てが殲滅されるまでに僅か百秒そこそこ、迂回してきたプーマの乗員がつい口笛を吹く。


「司令代理より全軍、アイン=ラサのイスラム国軍を壊滅させた。速やかに次の行動に移れ」


 戦闘団に戦闘の終了を告げると、掃討を中止、速やかに戦域を離脱して南東へと走り去っていった。


 あまりにも鮮やかな手並みに、生き残ったアイン=ラサの兵は「黒い暴風がやって来た」と遅れてきた増援に語ることになる。



 昼食時、島はダマスカスにやって来ていた。市街地東部にあるアゼム宮殿傍のショッピングモールに。


 アイスクリーム屋の前にある簡単なイスとテーブル、二人の男が差し向かいで座り、双方後ろに一人ずつ男が立っている。


 場所柄不自然であるように見えなくもないが、テーブルにあるのがアラビアンコーヒーのカップだけということで、そこまで浮いても居ない。何せ男性社会だ、集まればおよそ仕事だと解釈されてしまう。


 それに実際仕事のような内容の話をしにやってきていた。


「それで、アル=イフワーン・アルーヌジュームのアルジャジーラ、今日はなぜここに呼んだ」

 

 人生を楽しんでいるような表情をすることがあるのかどうか疑問になってしまうほど険しい、アルハジャジは冷たい態度をとる。


 テーブルに余計な者が近づかないように、周囲の全てを身内で固めて近寄らせない。半数はタリハール・アル=シャームで、半数はクァトロだ。


「まずはアイン=ラサの状況を知っているかな」

 ――ブッフバルトが派手にやってくれたようだ。そろそろ耳にしているだろう。


 面白くなさそうな表情のアルハジャジは、控えている側近に何かあったのかを確認させる。すぐにメモを用意して、大まか情報を書き出して来る。


 まゆを寄せて大規模戦闘があった事実を知った、情報が遅いのを腹立たしく思いながらも、しっかりと把握している旨を返答する。


「イスラム国の拠点が襲撃に遭った。黒の部隊に攻められたと騒いでいるようだ、仲間割れでもしているのではないか」


 言わずと知れた黒の部隊、ここではイスラム国の兵が代表的だ。あれだけの巨大組織に正面から襲い掛かれる黒い部隊、確かに仲間割れが一番納得しやすい。


「いずれにせよ、彼の地の司令部機能はガタガタのようだ。ラッカから増援が出て復旧と処理で手一杯だろうな」


 手すきの人員が近所の拠点に駆け付ける、普通と言えば普通の行動。それが何を引き起こすことになるかなど、この段階で予測できる者などいない。


 一種の陽動攻撃の類で、本来は壊滅させるどころか全滅させる必要すらない。


 クァトロ戦闘団はアイン=ラサの機動戦力を全て、歩兵戦力の五割ほどに大損害を与えた。凡その計上でしかないが、三割の戦闘力に被害を受けた時点で全滅と捉えるのが軍事的な常識で、五割の被害は壊滅と表現される。


 もう半日あれば殲滅することも出来ただろう。意味はもちろん全員死傷だ。


「数日で統率を得るだろうし、一か月と掛からず代替機能がすえられるはずだ。死傷者の補充は時間がかかるだろうがな」


 それが巨大組織の巨大組織たるゆえん、控えは順番待ちをしていて途絶えることが無い。質が同じかと言うと決してそうではないが、戦は数がモノを言う。


 或いは組織の新陳代謝が行われたと好意的に見ることすら出来た。


「そうかも知れないな。ところでダイルアッザウル東の拠点だが、あの約束は忘れていないだろうな」


 随分と昔のことだったようにすら思えているが、日数にしたらそこまで遠くない。濃密な時間を過ごしてきたことで敏感になっている。


 口約束なので覚えていようがいまいが実行する強制力などないが。


「国境の検問所か、まだ攻め落とされずに維持出来ているのを褒めて欲しいのか?」


 交渉のひとつなのだろうか、挑発的な台詞が口をついて出て来た。そうすることで島がどう反応するかを知る、有効な手段だ。ただし、冷静になれずに反応をしたら、の話。


 クァトロの留守部隊が維持だけをしているが、戦闘が起こればマーカッド司令部に撤退するように命じてあった。


「交換する前に大掃除するように言ってあるさ。あそこは良い場所だ、たいして攻められないからな」


 戦闘はあった、恐らく普通なら駆逐されていただろう勢いの。それを何事も無かったかのように受け流してしまうので、これといった収穫が無いまま挑発が終わる。


 暇ではないのだ、アルハジャジはいい加減本題に入れと言わんばかりに急かして来る。


「コーヒーを飲みに誘うような友人も居ないのか」


 一切手を付けずに冷めてしまったカップからは、もう湯気の一筋も登っていない。一方で島の手元の物は少し減っていた。


 本物はいつでもどこでも最高だと信じているが、物資の流通不全が起きて久しいダマスカスでは、品質が少し落ちる豆が殆どのようで口をつける程度だけ味わった。


「そう焦るな、そろそろ始まったはずだ。そうだな、二日と掛からんだろう」

 ――アイン=ラサを出てもうすぐで四時間になる、真っ最中だろうな。


 秘書官エーン大佐が後ろに控えている、度々メールで情報を得ていたが島の判断を必要とするような重大な事態に陥っていない。


 優勢にことが運んでいれば特にこれといった情報など入ってこない、逆に劣勢ならば情報量は増えるもの。


 情報通の側面を見せてやろうとのことだろうか、いくつかメモを差し入れて来る。島が手に取って目で文字を追った。


「デリゾール県のファールーク作戦司令室が活動をしているようだ。複数の部隊を県の北側に展開中とのことだよ」

 ――ふむ、兄弟が総指揮をするときたか。では失敗は無い、こちらでやるべきは外野の嫌がらせを防ぐことか。


 本来ならば島自身がやらなければバラバラになるはずの烏合の衆、それを代わりにまとめる為に動いた。


 島の代わりを務められる人物は殆ど居ない、数少ない人物がロマノフスキー准将。


「ふん、ユーフラテス同盟と諍いでも起こすつもりか」


 緩い集合体が二つ、それらが交われば自然と勃発するだろう見込み。アルハジャジの見立ては正しい、これらが本当に別の集合体ならば。


 実際にユーフラテス同盟でも警戒待機状態に入っている組織が出てきているのは事実。


「どうだろうな、他にも幾つか稼働中らしいぞ」


 他人ごとのように言っているが、まさに今が決戦の最中。自分を信じて仲間を信じる、そうやって今まで生きてきた。


 ここで再度エーン大佐がメモを入れる。


「ダイルアッザウルで戦闘が起きている、政府軍に対する攻撃と言う意味だ」


 ようやく会談の意味を明かした。アルハジャジが目を細くして島をじっと見る、意図がどこにあるのかを。ここで増援を要請するつもりではないのか、そんな考えが過る。


 ダマスカスに来る前に待機を掛けては来ていた、何せ不在中に大事が起きてから追って呼び集めるわけにはいかない。得てして不都合は目が届かないところで発生するものだ。


 アルハジャジの側近が本拠地に連絡を取り、状況確認を行った。数分で現状をメモにまとめて手渡す、ニ三言葉で補いながら。


「市の南に件の部隊が展開しているようだな。攻め込みはしない態度のようだが」


 ユーフラテス同盟については拠点を動かずに警戒するだけ、これではダイルアッザウルは陥落しない。


 政府軍の在地兵は守備兵だけで千は居る、これを押し出すにはかなりの兵力が必要だ。


「エルジサアウ大隊と二つの河の間を守る部隊が市街戦をしている、それと黒の部隊が」

 ――少し足らないだろうな、頼むぞ兄弟。


 やけにはっきりとした名称が島の口から飛び出す、そこまでの詳細はアルハジャジも掴んでいなかった。


 悔しいが諜報戦では島に一日の長があるのを認めざるを得ない。だが大切なのはその情報をどのように生かすか。


「黒の部隊……だがそれらでは兵力不足だろう。いずれ政府軍は増援を得る」


 周辺に機動部隊の宿営地がある、そこから一直線駆け付ければさして時間はかからない。


 そうなれば確かに兵力不足を起こす、そこでこの会談で助力を乞うつもりなら値段を高く吊り上げようと考えるのは当たり前だ。


「俺の予想では一部の民兵団が攻勢に出る」


「根拠は」


 言うだけなら簡単なものだが、どうしてそう考えたかは今後の糧になる。食いついてくれたことに感謝しながら、慎重に言葉を選んで応じた。


「司令官と呼ばれる者は戦略眼を求められるものだ。ここで政府軍を排除するのに相乗りして、何を得られるかを想定し、より大きな成果を得るのが運用というものだと思っていてね」


 地方の小競り合いではない、視野を広く持って起こっている何かに対応する。得られる何かは恐らくそう大きくない、名声を窺うならば悪くはないが。


「アル=イフワーン・アル=ヌジューム、緑に星一つの部隊はダイルアッザウルにいないようだが」


 どこかの誰かが攻め落としても、決して島の功績にはならない。そして、主軍であるべきのアル=イフワーン・アル=ヌジュームがいないのにタリハール・アル=シャームが増援に出ることなどありえない。


 側近がメモを差し入れる、アルハジャジの顔色が少しばかり変わった。


「シリアサハラ大隊が市街地南西部に侵入を始めている、デリゾール県のファールーク作戦司令室はダイルアッザウルに参戦した」


 見立て通りに戦況が動いている、まだ信じられない。アルハジャジは拠点に戻り最前線で自身が指揮をすべきではないのかと考えを巡らせる。


 こんな場所でコーヒーを目の前にして座っている場合ではない。


 ――兄弟が望んでいる支援は何だ。民兵の動きは概ね統制可能だ、戦闘団の動向も見える。声を発せない部分、そこを俺が受け持つか。


 泥沼の戦に誰も正義など求めはしない、欲しいのは平和な時間だけ。


「名分は政府軍の心無い支配からの解放、参加は有志一同というのはどうだ」


「何を言っている?」


 思考を中断されたうえに意味の分からないことを言われて、少々言葉に棘が出てしまった。そんな対応をされるのはいつものこと、島は平気な顔で続ける。


「発起人はアル=イフワーン・アル=ヌジューム、事後はユーフラテス同盟のレバノン勢力に任せて政府の反撃をかわす。一方でこちらは一気に有名に、こんな筋書きになれば面白いとは思わんか」


 夢物語、そんな都合よく物事が進むなら戦争など起こるはずがない。皆が不満を募らせていくから争いは起こるし、決して世界から無くならないのだ。


 突っ込みどころが多すぎて何も言えない、代わりに笑いが漏れてしまう。


「お前は狂人の類か? それとも神にでもなったつもりか?」


 これ以上話すことは無い、席を立とうとするアルハジャジを見詰める。


「どちらでもない。俺は出来ると信じて前を向き、常に歩み続けている。エーン、部隊へ命令だ、緑に星一つの軍旗を掲げるようにさせろ」


「ヤ」


 アルハジャジは今一度椅子に座り顛末を見届けようとする。戦場に部隊が現れるならまだ見込みはあるだろうと。


 だが数十分経って後、彼の側近は想定外の情報を耳打ちした。


「なに、黒の部隊が緑に星一つの軍旗を掲げただと!」


 何も言わずに島はじとアルハジャジを見詰めたまま、無言の数瞬が流れる。ショッピングモールのテレビがニュース速報を行う。


「ダマスカス通信より緊急速報です。本日早朝イスラム国の支配域にあるアイン=ラサで大規模な戦闘が勃発した模様です。イスラム国と黒の部隊が激しく交戦、軍事拠点が多数炎上して機能を失っています。それに引き続きシリア政府軍が駐屯しているダイルアッザウルでも戦闘が発生、現在交戦中です。現地の武装勢力より声明も出されています」


 情報は生物だ、つい一時間前までは価値があっても今は大暴落している。放送局に情報を流したのが誰かの想像は容易い。


 映像が切り替わり、動画投稿サイトからのものが映し出される。くすんだ白のローブを頭から被り、髭を蓄えた壮年男性が十幾つかの軍旗を背景にして現れた。


 ――あれはアフマドか! あいつも歳をとったものだな。


 島が見て気づいたように、世界中でも顔を見たことがある奴が気づくだろう。多少の変装はいずれバレるものだ。その頃にはもう役目を終えてシリアをさっていることにはなるだろうが。


「デリゾール県のファールーク作戦司令室は、同県に駐屯しているシリア政府軍の撤退を求める。住民への弾圧は極めて非道、これを除くのは我等の是。過日、檄を受け取った事実をここに明かすものとする。発せし者はアル=イフワーン・アル=ヌジューム、我等は檄文に同調しこれを支援すると宣言する」


 開いた口が塞がらない、ニュースの内容を耳にしてまじまじと島を見た。なるほど実績は充分、今が鉄火場、だというのに一言も手伝えとは言ってこない。


 ここで参加を逃せば今度はアルハジャジの指揮に疑問が持たれてしまう、タリハール・アル=シャームの運営に問題が産まれる。


 待っているのに島は増援の件を口に出すつもりはないらしく、じっと座っているのみ。事件というのは現場以外でも結構頻発しているものなのだ。


 しびれを切らして口を開いたのはアルハジャジ、このまま立ち去るわけにはいかなくなってしまった。


「我等もダイルアッザウルに参戦しよう。だが何故俺には檄文を寄越さなかった」


 小さな勢力ではない、それなりに名も売れている、だというのに無視するというのは解せない。


 ――そんなこと言われてもな、今さっきここでそういう流れになったから急きょあったことにしただけだよ。さて、どうしたものか。


 エーン大佐の機転、言葉はなくともどうしたらよいかを自身で考え大急ぎで手配した。お陰で司令官ではなく、アミールのアフマドが独断で声明を出すことになってしまった。きっと今頃大事になっているだろう。


「アルハジャジとは、こうやって直接会って話をするつもりだったからだ。近隣に拠点がある、それで充分間に合うと踏んだが無理か?」


 軽い煽りを行うとともに特別扱いをちらつかせておく、島のいつもの距離感がここでも発揮された。彼らの拠点は戦闘の現場からほど近い、一時間と掛からずに参戦可能だ。


 戻って指揮を執りたい気持ちを抑えて、冷え切ったコーヒーを一口含む。


「作戦司令室のやつらの取り分が一切なしでは争いになるのではないか」


 質問には答えずに疑問になっている部分を指摘する。手を借りておいて見返り無しでは喧嘩になる、表現が正しいかは別として。


 占領した都市の分割統治を求めて来るくらいはするだろう。アレッポのように虫食いの勢力図になれば住民は落ち着かないはずだ。


「かも知れんな。だがこちらが譲るつもりは無い」


 きっぱりと言い放つ。それでは相手を変えて争いを続けるだけになってしまう。


「そんなことで収まるはずがない。奴らとて負担がある、黙って退けば統率に問題が起こるぞ」


 大富豪がオーナーで隊員に満足いく報酬を出せるならば大人しくなることもあるだろうが、有志の民兵団がそのような背景を持っているとは思えない。


 世界の常識は島の非常識、その逆もまた然り。多くが無理だと言うことを成し遂げ、当たり前を常に打破してきた。


「住民は誰を支配者にと求めるだろうか。それは政府軍でも、作戦司令室でも、ユーフラテス同盟でも、ましてやアル=イフワーン・アル=ヌジュームでもない」


 当然タリハール・アル=シャームでも無いだろう。では一体誰が適切なのか、アルハジャジは島の言葉の続きを待つ。


「ダイルアッザウルの支配者はダイルアッザウルの民だ。レバノン軍の後援を得て、住民が自ら決める代表者に自治を委ねる。自警団を創設して自身の身を守れるようになるまでの限定付きでな」

 ――この手の工作はコンゴでもルワンダでもやって来た、もう慣れっこだ。


 選挙による代表の決定と自衛、住民の意志と能力があるのならば、不満は少ないと頷ける。政府軍を武力で駆逐し、各種の民兵団の干渉をはねつけ、外国の軍隊の後援を得て、住民の自治を促す。


 それでは命がけで戦う者達は一体何を得られるのか。


「アルジャジーラが得るのは名声だけ、それで満足とでもいうか?」


 自己満足をするつもりなら多くを巻き込むことはない、一人でやれば良い。幾ばくか腹立たしさが表に出ているが、それでも席を立って帰ろうとまではしない。


 何が正解か、アルハジャジもはっきりと解っていないのだ。引っ掛かる部分があるが言葉では説明できない、けれども何かを感じている。


「俺が目指しているのはこんな小さな戦いの勝者ではない。より先にある山の頂を踏む為には、ここでこうする必要がある。満足などするものか!」

 ――若い奴らが命がけで戦果を得て来る、最大限に生かす為の手段で妥協などせんぞ!


 多くの者が失われる、それだけは間違いない。島は皆に死ねと命令した、道を誤ることは当然として、迂回も許されないと知っている。


 ここで増援を得て、噛み合わない歯車を組み合わせる。一つの体制を作り上げ、大きなうねりを呼び起こすのだ。


「……それがお前の信念か、言動がまるでテロリストだぞ。まあ、生きていると実感できる言い様ではあったがな。検問所の物資は置いていけ、それがこちらの条件だ」


「引っ越し荷物が減って留守番が喜ぶな。次に会うときはもっと大勢いる場になるだろう、こいつは予言だ」

 

 立ち上がると互いが振り向くことなく、反対方向へと歩む。側近がいそいそと関係各所へと連絡を取る間、島もアルハジャジも戦闘後のことを夢想していた。



 同時刻、ダイルアッザウル市街地中央北部、ユーフラテス河に沿って流れているユーフレーツ河傍のメインストリート。セントラルパーク北二百メートル付近をストーン中尉の装甲偵察中隊が走っていた。


 間にある中州、サカ島に渡る橋が全て封鎖されてしまっているのを本部へ報告する。


「こちらストーン中尉、ハッサン通りの橋も封鎖されています。市道7号にまで前進します」


 南東へと警戒しながら進路をとる。左手に見えてきた橋もまた封鎖されている、残るはアル=ナアー通りの橋のみ。


 先頭を走っているプーマから「橋の上に人影が見えます。あれは……工兵隊の模様!」封鎖作業中との一報がもたらされた。


「中隊長より各位、封鎖前にこれを突破する。プーマ、プジョー各車は橋の周囲四百メートルを警戒、VABは橋手前で停車、歩兵を展開。ストライカーは正面で機銃掃射だ!」


 非武装のP4プジョー四両が民家のある右手側の路地に侵入した。乗員が小銃を手にして四方に目を配る。


 四輪装甲車VABが急停車すると鉄の扉が開いて武装兵が次々と降車、二人一組になり橋の上に牽制射撃をしながら接近する。都合十人が吐き出される間も、車載十二・七ミリ機銃を派手に撃ち出して援護していた。


 工兵隊が作業を中断、防御に切り替える。少し待っていれば増援がやって来るだろう見込み。


 橋上詳細を確認するためにモニターを食い入るように見る。ストライカーRVにつけられている目、光学画像を拡大すると重量物はまだ連結されていないように見えた。


 十二・七ミリ弾が当たるとブロックのようなものが少しだけズレた。重火器がないので反撃はさほど脅威ではない。


「増援が来る前に強行突破を掛ける。ストライカーで橋を直進だ!」


 八輪装甲車が三百五十馬力のディーゼルターボを目一杯ふかして障害物に体当たりを掛けた。十七トンの巨体が置かれた物を力づくで押しのける。


 物陰で反撃していたシリア政府兵は慌てて河に飛び込んで即死を逃れた。


 市街地から走って来た増援を見つけると、プジョーの班が移動しながら攻撃を加える。後続も合流して二十人程の兵力になったシリア政府軍だが、橋が既に制圧されているのを確認すると後退していく。


「ストーン中尉より司令部、アル=ナアー通りの橋を確保しました」


「司令部より装甲偵察中隊へ。交代を送るので橋の確保を継続、その後はサカ島南東にある河港を占領せよ」


「司令部了解」


 路地から部隊を引き上げて橋を渡らせてしまう。VABからも歩兵が下車すると、簡単な防護柵を設置して防衛態勢に移った。


 二十分としないうちにM151ケネディジープの集団が駆けつけてきた。緑の一つ星の軍旗に25を刺繍した武装ジープ中隊。


「ゴンザレス中尉到着! ここはこちらに任せて行ってくれ!」


 橋の手前に停車すると全車から歩兵が降りて警戒ラインを拡げた。一両だけ混ざっているプーマは装甲偵察中隊の二両とは別の形、六輪の重装備タイプ。


「頼むぞ中尉。中隊総員乗車!」


 橋上の防御から離れる、ストライカーとVBAに乗り込むと八両は建物が殆ど建っていないサカ島の東部へ車を走らせる。


 道路はあるが不整地を一直線で向かう、想定外の動きをみせることこそが戦場では肝要。


 東の突端、ユーフラテス河とユーフレーツ河の交わるところに港はある。数十人の兵が防御を固めて待ち受ける。


 本来は島に敵の上陸をさせない前提での陣地構築、裏側から攻められてしまい防御効果はやや薄くなっていた。


「あの程度の砦で守り切れると思われては心外だ。ブロック塀相手に直射もいまいちだな、距離千五百に迫撃砲を設置。ストライカーは西から、VABは南から長距離射撃を行え!」


 プーマが二両荒れ地のど真ん中に停まると、後部から六十ミリ迫撃砲を下ろす。プジョーはそれらより五百メートル先に陣取り待機。


 足を止めずにストライカーRVがいち早く射撃位置に就くと、十二・七ミリを撃ち始めた。ブローニング重機関銃、第二次世界大戦の頃より主力であり続けて久しい名銃の誉れ高い品。


 弾着が土煙を起こす。遅れて到着したVABからも十二・七ミリが放たれる。手持ちの銃では射程が全く違い反撃も出来ない、そのうち迫撃砲弾まで降って来ることになると戦意をあっさりと喪失してしまう。


 ユーフレーツ河の川幅は二十メートルと無い、我先に対岸へ逃れようと武器を捨てて背を向ける。それを確認すると「総員距離を詰めろ! 白兵戦用意!」砦のすぐ隣まで装甲車を進め、七・六二ミリも使い制圧を掛ける。


 逃げ遅れた守備兵が両手を上げて降伏を申し入れて来ると、それを受け入れた。


「ストーン中尉より司令部へ報告します、河港の占領に成功しました」


 先ほどのように裏口から攻められると厳しいが、対岸からの攻撃ならばかなり耐えられる造り。素早く状況を認めると、車両の掩蔽を速やかに行うように命令を下す。


「司令代理より装甲偵察中隊へ。河港を堅守し、病院船の受け入れ態勢を整えろ。何が有ろうと吊り橋を失うことが無いように最大限の注意せよ」


「ダコール」


 ユーフレーツ河を跨ぐことができる吊り橋、これを喪失すると西からぐるっと回り込んでこなければならい。これから負傷者が運びこまれてくる場所だ、遠回りは絶対に避けたい。


 遅れて迫撃砲を回収したプーマもやって来た。


「砦に迫撃砲設置、南東距離三千に目盛り切っておけ。車両の重火器で西を、東には二十ミリを置くぞ。河向こうに十二人で防衛線を敷く、M72を装備させ車両に対抗させる。急げ、敵は待ってくれんぞ!」


 渡ればまず塹壕を掘らせる、一定距離に目印を置かせ、時にリモート爆弾を仕掛けてりもさせた。重要拠点を喪失するわけにはいかない。


 太陽はまだ高い位置にあり、政府軍の守備隊も数が残っている。気温は肌を焼くほど高く、四十度を超えていた。



 デルゾール空港の管制塔、ロマノフスキー准将の第五司令部が武力であっという間に占拠してしまっていた。お陰で予定の全発着便は運航停止。


 各所のモニターを集めてきて可能な限り状況の把握に努める。


「エルジサアウとクァトロで市街地の二割を占領、シリアサハラ大隊が一角に攻撃をしているな。女性陣はユーフラテス河の橋を通せんぼか」


 ダイルアッザウルはユーフラテス河を挟んだ北東にも街が広がっていて、そこを繋ぐ橋は一本しかない。河を上下するのが優先なので、橋は可動式のもので通行する者が居る時だけかけられる。


 作動のメイン制御装置は西岸にある為、ここを制圧されると河の東からは侵入が出来なくなってしまう。


 数が少ない女性部隊、ましてや戦闘力は期待できないので時間稼ぎを割り当てられていた。恐らくは全ての中で一番危険度が低い役目、グロック准将が交渉で引っ張ってきた以上、過酷な任務は適切とは言えない。


「河港を確保したのでマヤーディーンより船が出ます」


 グレゴリー中尉が広域情報に触れる。河を遡上してゆっくりと移動しても、日没前には到着する。道のりにしても三十キロから四十キロ、十ノットでとろとろ走らせても二時間しかかからない。


 現地の敵は支配者だけではない、存在を宣言している民兵だけでもない、強盗の類だって山ほどいて機会を窺っているだろう。


「護衛がつけられているはずです」


 裸で寄越すことがないようにと、危険性を強調してあった。言われずともそうしただろうが、ハラウィ中佐の人となりを知らないのでそこは仕方ない。


「確認しておけ」

 ――もし数が少ないようならこちらで手助けする必要がある。市街地へ攻め込んでいるのが足らん、もう二個大隊は勢いが欲しいが。


 直接的に投入させるのは難しい、何せアフマドが報道局に勝手に声明をだしたことで内部が荒れてしまった。欲しい側面援護であったので、不足はこちらで補わなければならない。


 切り札を使うにはまだ早すぎる、かといってこのままではクァトロの被害だけが増えてしまう。


 周波数を手動でいじって無線を拾っていたトスカーナ少尉が「あれ、これは……タリハール・アル=シャームが北東のアル=ハッサニーヤから参戦していますよ」首を捻りながら前後の周波数も確認する。


「ようやっとお出ましか。橋を下ろしてやらんとならんな」

 ――奴らが自発的に動くはずがない、ということは誰かの仕業だ。このタイミングでこちらが有利になるような工作、やるのはボスかグロック准将くらいなものだ。


 功績に水をあけられている、嫉妬や焦りではなく情けなさがこみ上げて来た。配された人員を考えればそれが順当だというのに。


 上手いこと推移したとしても不都合は必ず起きる。通信兵がオビエト上級曹長へ状況を報告した、メモを片手にロマノフスキー准将の前で読み上げる。


「作戦司令室で動きが。先の動画投稿サイトでの宣言、承認も無しで行ったとしてアミールを解職するとの騒ぎが起きています」


 事前の準備も無く勝手にあんなことをしたのだ、反発があって然り。だが今ここで空中分解されては困る。


「マルディニ司令官にとっちゃ大問題だろうからな」

 ――アフマドを支援する必要がある。説得しようったって無理な話だ、一時的にまとまるように誘導することは出来るが、この任務を中尉らで仕切れるか?


 ここにブッフバルト少佐が居れば命令を下しただろうが、グレゴリー中尉とワイナイナ中尉では荷が重すぎる。時間は不利を拡大させる、判断は速やかかつ慎重に、行動は大胆にだ。


 無理を乗り越えねば成長などしない、いつかは挑戦するものだ。


「ワイナイナ中尉、メナファ大隊を率いてラスタン殉教者大隊に攻撃を仕掛けろ。作戦司令室の外敵を作り分裂を阻止する為の捨て石だ。だが決してメナファ大隊を喪失するな、あれは今後の工作の核になる集団でもある」


 制限付きの戦闘、低い経験での単独行動、馴染みが無い部隊の直卒、地理不案内、いくつでも失敗の懸念はあった、だがそれでも代わりは居ない。


「自分がこの場に在る意味を証明出来るよう、全力を尽くします!」


 敬礼をすると管制室を出て行く。下士官の一人も補佐につけてやりたかったが、これ以上人員は居ない。


 ブッフバルト少佐とはいわず、せめてゴンザレス中尉でも居ればと思ったが、ロマノフスキー准将は首を振る。


 ――俺は俺がすべきことをするのみだ。これだけでは足らん、だからこそワイナイナ中尉に一団を預けた。


 各大隊の位置関係を再度視覚的に確かめてグレゴリー中尉を眼前に呼ぶ。彼は背筋を伸ばして上官の命令を待った。


「グレゴリー中尉、シャムワッハの半数を率いてシリア・ファールーク大隊に攻撃を仕掛けろ。多勢に無勢だ、距離を置いて戦闘状態を継続するのを目標にしろ」


「イエス ブリゲードジェネラル!」


 小隊が一つと半分、これでどこまで出来るか。戦闘の適性は高いとは言えない、だから三日月島に配属になっていた経緯がある。


 ロマノフスキー准将は部屋を去って行く中尉の背をじっと見つめていた。


 これで残るはトスカーナ少尉とオビエト上級曹長に、シャムワッハの半数の兵力。空港を取り返そうと守備隊が戻って来ても、どこかの武装勢力が気まぐれに押し寄せてもどうにもならない。


「北部から東部への警戒を最大にしろ」


 市街地との隣接点、それと河にそったラインを特に注意するように命じる。数十人だけの兵力でどこまで抗することが出来るか。


 装備レベルは充分、重火器はやや少ないがあっても使いこなせるかはわからない。指揮官は一般下士官の軍曹が二人、これでは失敗したとしても文句も言えない。


 ――流石にこいつは厳しいぞ。トスカーナでも、オビエトでも並以下の防戦が関の山だ。


 西と南が荒れ地になって無人のなのがせめてもの救い。滑走路が失われても今回は問題ないのがありがたいくらいでしかないが。


 ピリピリとした時間が流れる、次々と通信が入って来るが一進一退の情報が殆ど。戦力が足りない、勝つだけなら民兵大隊を可能な限り突っ込めば良いが、それでは今後の計画が失われてしまう。


 ――隠し玉はある。だがその出番はここではない!


 腕組をしてじっとモニターを睨んだまま、ロマノフスキー准将は押し黙ったままだ。事務的なやり取りと報告のみ、固い空気が立ち込めている。 


「准将、管制塔に着陸許可の申請です」


 通信兵がそう報告したのは一時間以上も経ったころだ、情勢は未だ流動的で予断を許さない。


「どこのどいつだ」


 ここはデリゾール空港の管制室、航空機が近くを飛んでいれば着陸の為に連絡を取って来るのは当たり前。専門の人員ではないが、素知らぬ顔で受け答えをしている。


「レバノン第六特殊独立大隊のバビナ少佐です。増援を申し出ています」


「着陸を許可するんだ」

 ――やれやれ、俺が支援を受けてどうするんだ。だが助かる、これで司令部の自衛くらいは出来るようになる。


 管制塔からの許可を受けてヘリ部隊がデリゾール空港のエプロンに次々と着陸する。ヘリから緑の迷彩戦闘服姿の歩兵が二十人前後降りて来ると、ヘリは離陸して南へと去って行った。


 整列すると二列縦隊で管制塔へと駆け足でやって来る、警備のシャムワッハは捧げ筒で挨拶を交わす。


 建物の扉が開くと、黒の戦闘服に准将の階級章を付けたロマノフスキーが進み出る。


「レバノン軍ラフード少佐であります。大隊長命令で増援に参りました!」


 空輸を航空隊長のバビナ少佐が行い、よりによって第一隊長である少佐を送り込んでくる、ハラウィ中佐がどれだけ心配しているのかが伝わってくるようだった。


 中佐もアフマドの顔は知っている、それどころかクァトロの多くを。だからだろう、今が危険水域に足を踏み入れている最中だと感じたのだ。


「着任を承認する。早速だが少佐、俺の直卒しているシャムワッハの残りをすべて預ける。空港の防衛指揮を任せるぞ」

 ――こいつになら任せても良いだろう、ドクトリンは近いはずだ、何せ俺が訓練したんだからな。


 レバノンで訓練教官をしていた頃を思い出す。あの頃は棘があったうえに未熟だったが、今は顔つきが違う、経緯が違う。


 志願して部隊に在り、ハラウィ中佐の意志を知っている。それらを全て認めたうえで、少佐になる実力を持っているのだ。


「承知致しました、指揮を預かります!」


 寄せ集めの極み、一本筋が通るような部分は少ない。管制室に戻ると状況把握に努める。


 市街戦は継続している、タリハール・アル=シャームが攻勢に参加、市街地北東部が連合軍の支配域にとなっていた。


 南西部が少しと北西部が少し、侵食する部隊は勢いを徐々に失い中央を囲むように広がっていく。防衛拠点の中枢、これを抜くには今しばらく時間が掛かりそうだ。


 時間が流れるに従いダイルアッザウルの戦いを多くのものが知るようになる。それはもちろんそれぞれの敵も味方もという意味で、混乱は始まったばかりと言えた。


 夜のとばりがおりるが戦闘は継続されている。市街地は予想外に明るい、いくつもの照明弾が上げられているのが原因だ。地理不案内で攻撃を続けるからには必須の道具。


「病院船があと一時間で河港に入ると連絡がありました」


 河を遡上してくる病院船。船とは名ばかりで壁と屋根がある筏を連結したようなものだ。


「河港の状況を再度報告しろ」


「はっ。サカ島南東の河港は現在ストーン中尉の装甲偵察中隊が防衛、本土と繋がる吊り橋が下げられ負傷者を収容中です」


 何度も攻撃を受けてはいるが、全てを跳ね返して拠点の維持を継続している。


 船を遡上させるにあたり空荷で動かす程間抜けではない、武器弾薬が積載されていてそれらはクァトロの装備と共用出来る。だが例によってこれも逆で、クァトロからマヤーディーンに補給されたものが積まれているだけのこと。


 戦いとは別のところで混乱は起こっていた。負傷者が運び込まれるのだが、所属の如何を問わずに受け入れるものだから困る。慣れない医療のトリアージにストーン中尉も気を揉んでいた。


「敵も味方も民間人もごちゃ混ぜだ、素早く隔離せんと中尉が参るぞ」

 ――もう少し早くに病院船を入れることは出来なかったものかね。


 暗くなった空を窓から見詰める、文句を言っても今さらだ。口に出しても仕方ないので黙って飲み込むと小さく息を吐く。


 戦場に出て先頭で切った張ったしている時の方がどれだけ気分爽快だったか。


 何事もなく推移し時間が進む。暫く席を離れていたトスカーナ少尉が戻って来る、手にはトレイを持っていた。


 カップに香り高い飲み物を注ぎ、目の前の机に置く。ふんわりとした泡には一つ星が描かれている。


「ラテアートですよ」


 にこやかに言うと飲むように勧めて来る、ロマノフスキー准将はそれを手にして一口だけ傾けた。


「准将がそんな怖い顔をしていては、上手くいくものもいかなくなります。みな精一杯やっていますよ、心配いりませんて」


 まさかそんなことを言われるとは思っても居なかった准将は、一度二度瞬きをしてから笑顔のトスカーナ少尉をまじまじと見つめる。


「そうか。そうだな。柄でも無く真面目になりすぎたようだ」

 ――心に余裕を持てニコライ!


 香りを楽しみもう一度コーヒーを口に含む。一気に波風が立っていた心が静まっていく。


 通信兵がヘッドフォンを手で押さえてじっと聞き入る。メモをとりやり取りを終えると、椅子をくるりとまわして報告する。


「河港に病院船団が入港しました。物資の荷下ろしと医師団が上陸中です」


「ようやく到着か、これで中尉の負担も減るな」


 一つ安心して何か出来ることは無いかと考えを巡らせようとする。


「ダイルアッザウル全域に放送があるのでスピーカーに繋ぎます」


 ロマノフスキー准将が広域放送に怪訝な顔をする。何が起こるか注視しなければならない。


「私はアフリカからやって来たキャトルエトワールのシーリネンだ。今よりサカ島に野外病院を開設する、所属の如何を問わず全ての傷病人を受け入れるとここに宣言する」


「ドクターシーリネン!」

 ――病院船が遅れていたのはドクターの到着を待ってのことだったのか。


 知る人ぞ知るアフリカの神の一人、ドクターシーリネン。コンゴ、ルワンダでは彼に害意を向けるのは百万の民を敵に回すことと同義だ。


 無償で医療を提供してくれるかけがえのない人物、国境なき医師団とは違う実行力。


 管制室に居ては解らないが、現場ではきっと急速に秩序が構築されているだろうこと間違いない。


 極めて少数にしか知られていないが、シーリネンはクァトロの中佐待遇でもある。


「河港に医師五人、看護師三十人、警護隊百人が入りました。指揮官はマスカントリンク大尉」


「マサ大尉か、するとフォートスター民兵団を抜いてきたな」

 ――これで河港は堅固な拠点になるぞ。ハラウィ中佐、随分と成長したものだ。


 外に居るからこそ出来ることがある、見えることがある。マリー中佐がクァトロの島の代理権限を持つとしたら、ハラウィ中佐は島龍之介そのものの代理が出来る人物。


「フォン=ハウプトマン大佐より入電、ユーフラテス河を下るイスラム国の船を阻害中とのことです」


 一隻でも通せば河港だけでなく、ダイルアッザウルの攻防戦にも影響が出て来る。だがこの一報には別の価値がある。


 ――イスラム国のやつらが単独で行動するとは考えづらい。近隣の部隊もこちらに向かってきているぞ。


 ユーフラテス川の東がより影響力が高い、河を越えさせないように橋を守るのが急所の一つ。これによりプラスの効果もあるのを忘れてはいけない。


「ワイナイナ中尉とグレゴリー中尉を空港に戻すんだ」


 これでもう外敵を作らずとも済む、ほっといても妨害しても、きっとイスラム国は参戦して来る。ラフード少佐にも味方が帰還すると一報を入れるのを忘れないようにする。


 夜が明ける前に合流可能だろうが、その後をどうするか。


 ――遊兵を作るわけにはいかん、どこに突っ込むのが有効だ。政府の機動部隊はどこをほっつき歩いている?


 もう現れても良いだろうはずが発見情報が上がってこない。暗くなってから慌てて駆けつけてもどこまで戦いになるのか。


 出てこないに越したことは無いが、もしそうなら指揮官は更迭されてしまうだろう。自分の身が可愛いならここ一番で仕掛けてこないはずがないのだ。


「報告します! 西部砂漠地帯で政府軍とイスラム国が交戦中です!」


 ロマノフスキー准将の眉がピクリと動いた。それが何を意味するかを素早く感じ取ったからだ。


 ――不確定要素が二つ消えた! その接触は政府軍機動部隊が勝つだろう、そうなればそいつらは無理して参戦しなくてもいいわけが出来る。


 少なくとも機動部隊には装甲部隊があり、車両が複数装備されている。イスラム国はトラックで歩兵を輸送するのが精一杯だろう、何せ僻地の支隊でしかない。


 作戦司令室がどうするかも含めて、暫く武力が向けられる先が決められた。


「全部隊の状況報告を」


 解っている状態を全て読み上げて情報の再確認を行う。一進一退を繰り返しダイルアッザウルは陥落にまだ時間が掛かるだろう見通し。


 手数も無ければ連携も無い。これをどうにかするのがロマノフスキー准将の役目だ。


「第五司令部を動かす。最前線に赴き俺が全軍を直接指揮するぞ!」


 管制室を引き払うと、外部の防衛についている部隊にも移動命令を下す。思いがけない出番がラフード少佐にもやって来ると、貴重な経験が積める機会に息を飲む。


 指揮所を装甲バスから、一両だけある四輪のプーマに居場所を変えてだ。


 比較的近く、それでいて全員乗車していたグレゴリー中尉のシャムワッハが先に帰還する、移動の準備をしているのを見て情勢が動いたことを悟った。



 深夜のダイルアッザウル市街地、VAB装甲車から指揮をしているブッフバルト少佐にイスラム国の情報が入る。


「ユーフラテス河の吊り橋に敵多数出現。二つの河の間を守る部隊が苦戦を強いられています!」


 橋は簡単に上げ下げできるものではない。何よりも意図的に今は下げられている、理由は上流からイスラム国の船が来ても通過できないようにする為。


 狭隘地になるので少数でも充分防衛可能、そう踏んでいたが想定外の大軍が湧いて出た。放置していては彼女らが全滅してしまう。


「ビダ先任上級曹長、中隊を率いて増援しろ」


「ヴァヤ!」


 ランドローヴァーの後列座席左、分厚い胸板のニカラグア人が左手の平で車体の横を叩いて「吊り橋に急行だ!」マリー中隊に命じる。


 主が不在の軽装甲機動中隊、主力はコンゴ仕様のカスカベルCだ。ランドローヴァー三両とをビダ先任上級曹長が指揮し、P4プジョー四両をガルシア曹長が指揮していた。


 今回は本部護衛分隊がブッフバルト少佐の中隊に同道している、といっても二両だけだが。


「河港の状況は」


 猛スピードで姿を小さくしていく部隊を目の橋で捉え、フィル先任上級曹長に問う。ビダ先任上級曹長は部隊先任をしているより、突撃隊を率いているほうが似合っている。


 恐らくこの感想は、クァトロ全軍の共通認識だろう。


「現在要塞化が行われています。マサ大尉による防衛網の構築が進められています」


 大事にしているわけではない。穴を掘って出て来た土を後方に盛り、その山に石を積み上げているだけ。それでも充分防御効果は産まれる、直射の銃撃は無効化できるし、車両の進入も阻止できる。


 移動用に通路を作るがこれも腰辺りまで地面を掘り返すところから始められる。こうすることで射撃を受けずに移動が可能になる、第一次世界大戦時には大いに活用されたものだ。


 負傷者の所属を問わずに収容した、その為に砦に掲げられている軍旗は多種多様。政府の物もあり、無いのはイスラム国の黒い旗ぐらい。それとていつかは翻るだろう、何せドクターシーリネンは患者を選ばないから。


「ストーン中尉に橋の防衛指揮を執るように命じろ、負傷者の後送も行え」


「ダコール」


 指揮系統の交通整理も同時に行われる、河港は完全に任せてしまい吊り橋に主軸を置いた。ストーン中尉なら上手く出来ると信じて別の方面に意識を向けた。


 ハッサン・アル=アザリ・モスク、アブ・アベド・モスク、セントラルパーク、アル=ハダー・モスク、シャハダ・モスク、この五つが隣接している市街地中央部が政府軍の最強固地点。


 セントラルパークを囲むように置かれているモスクが邪魔で、本部へ切り込めないでいた。


「ドゥリー大尉とハマダ大尉からの連絡は」


 前者がゴンザレス中尉、後者がレオポルド中尉を指揮下に入れて反対方向から攻撃を加えているが攻め切れていない。


 全員集合して攻めたとしても被害が大きくなりすぎる、何せ市街地なので同時に展開できる数が制限されていた。


「鋭意攻撃中としかありません」


 ブッフバルト少佐は小さく唸る。親友の代理で指揮しているが、代理だから劣るとは言わせるつもりなど無い。


 大火力をぶつける、それが可能な装備は一つだけあった。


 モスクそのものを倒壊させる、そうやって防御を抜こうと決める。ではどこを破壊するかと言う話になると、セントラルパーク南東にほぼ隣接しているアル=ハダー・モスクだと判断した。


 コムタックでクァトロチャットを開き「バスター大尉、アル=ハダー・モスクを砲撃だ。倒壊させて進撃路を切り開くぞ」直接命令を下す。


「ダコール モン・アージェンスコンバットコマンダン!」


 セントラルパーク北で、サカ島との橋南に位置しているブッフバルト少佐の装甲戦闘車中隊、その更に北側にバスター大尉は陣取っていた。


 橋の防衛をついでに行う形で位置し、サカ島の西から政府軍がやって来ないかの監視もしている。


 ストライカーMCの天井が開かれて、百二十ミリ迫撃砲がうっすらと光りに浮かび上がった。十八・六キロの迫撃砲弾がセットされると、妙に軽い音と共に夜空へ舞い上がる。


 少し時間が経った後に遠くで弾着の被害が巻き起こされる、残念ながらモスクではない場所に落下したようだ。


 兵が汗だくで次弾を装填、十数秒の後に同じ弾道で再度空を飛んだ。次も目標を外す、元よりバラつきが出るように作られているわけだが、散布界がやや広い。夜間の上、さほど訓練期間が与えられなかったのが原因だろう。


 三度、四度目になりようやくモスクの一部を破壊する。こうなると政府軍も放置は出来ない、発射元へ急行し砲を排除しようとする。


 防御一辺倒だったのが反撃に繰り出して来る、それでも守りは充分な兵力があった。


「本部で応戦だ、バスター大尉のところへ行かせるな」


 こうやって出血を強いるような戦い方しかできないのが不満だった。だが失敗を減らすためには仕方ない、何が有ろうとここで負けるわけにはいかないのだ。


 距離を置いての交戦、本来の形ではない戦い、洗面器に顔を突っ込み耐えるかのような勝負にうんざりする。


「司令代理、特定回線での通信です」


 特定回線、そう耳にした時これから起こることが多々感じられた。こうなる前に出来れば陥落させたかったが、時間切れだ。


「第五司令部司令官エホネより全軍、これより俺が直接指揮を執る。夜が明けるまでにダイルアッザウルを落とすぞ」


 この通信を耳にしているのは三十以上の部隊指揮所、それが何かを知るのは半分以下だ。わざと多くに傍受できるような周波数で呼びかけ、回線を一つ捨てる。


 大きな潮流の変化、最初に指名されたのは市街地南西で足を止めていた部隊。


「シリア・サハラ大隊はセントラルパーク西三百にあるアル=ラーダット・モスクを攻め落とせ。エルジサアウ大隊はアブドゥールマン・ガーデンを確保だ」


 そこから先は矢継ぎ早に個別の命令が発せられた、動かせる全てを可能な限り組み合わせ、相互の連携を産み出す。


 ロマノフスキー准将が誇る特技の一つ、部隊を駒に見立てて戦場を支配する指揮。たった一つの喪失もせずに、全てを組み上げる神業。


 受ける被害は一方向だが、攻める箇所は二方向あり、敵は常に複数から攻めを受ける位置に追い込まれていく。


 撤退した先でまとめて空間範囲攻撃を受けて大被害を発生、かといって強固に守り抜こうとすると全く攻撃を受けずに味方の陣地が食い荒らされていく恐怖。


 現場を具に知り、最前線で空気を感じ取り、全てを己の意のままに動かし、駒も全てがそれを受け入れた時、初めて威力を発揮する。


「アフ=サーファ・モスク陥落!」

「サカ島西の増援を撃退!」

「吊り橋を確保中、増援の要無し」

「アブドゥールマン・ガーデンを占拠、敵が撤退します」


 皆が戦果を挙げているというのに、ブッフバルト少佐にだけは声が掛からない。座席脇にあるポールを握る手に力が入る。


「こちらブッフバルト少佐、戦闘準備完了しています、ご命令を!」


 攻めろとの命令を催促する。元々攻めッ気が強いので、こうやって待機しているのは性に合わないのだ。


「対戦車中隊、セントラルパークに照明弾を撃ちあげろ」


 榴弾に替えて照明弾を装填し、数発立て続けに発射する。周辺がまるで昼間のような明るさになる。


「焦るな、ここからがお前の出番だ。南東部に回り込んで、アブドゥールマン・ガーデンの敗残兵に接近してセントラルパークへ切り込め」


「ダコール! 装甲戦闘車中隊、進め!」


 VAB装甲車を前面に押し出し遂に役目を得る。市街地で何が起きているのか、タリハール・アル=シャームなどは全容が掴めずに市街地の一角で夜が明けるのを待っている始末。


 作戦司令室の偽装民兵に一部の防衛を肩代わりさせ二つの部隊を抜きだす。


「ドゥリー大尉、ストーン中尉、二列目に入りセントラルパークで政府軍の中枢を叩き潰すんだ!」


 三つの機械化部隊がだだっ広い公園内の陣地に射撃を加えて回る。プーマやP4プジョーなどならば良いが、VABやストライカーを相手にすると一切の射撃が無効になる。とてもじゃないが勝負にならなかった。


 司令部の陣幕を発見すると装甲車で体当たりをして蹂躙する。


「残敵を掃討するぞ! 各車歩兵は降車、白兵戦だ!」


 これでもかと言わんばかりに機銃掃射を行い、後部扉から歩兵が吐き出される。及び腰になった政府軍はどこから逃げれば良いかを探し始めた。


 どこを見ても阿鼻叫喚の地獄絵図、一刻も早くこの場を離れたいと思うのは自然なこと。


「ハッサン・アル=アザリ・モスクとアブ・アベド・モスクへの攻撃を中止、即座に後方へ二百退け」


 戦機を感じ取ったロマノフスキー准将が、セントラルパーク北西にある二つのモスクを攻めている部隊に退くように命じる。


 急に攻められなくなったのが直ぐに政府軍にも伝播し、セントラルパーク内の兵が我先に逃げ込もうと乱れる。


「掃討戦開始、総員突撃!」


 一気呵成に攻めかかる、声が合わさると思っていたよりも大きく聞こえるものだ。これが切っ掛けで頑張って守っていた政府軍の守備兵が心折れて持ち場を捨てて逃げ出す。


 戦場で敵に背中を見せたが最後、数秒の内に命を失う。セントラルパークを占拠して勝鬨を上げると広域通信で「第五司令部よりダイルアッザウル攻撃に参加している全軍へ通達。政府軍の司令部は消失、街の支配権を失った、我等の勝利だ」早々に勝利宣言してしまう。


 それが事実でなかったとしても、対抗する声明を出せなかった時点で事実になってしまうものだ。政府軍は夜陰に乗じて街を後にする。


 東の空に太陽が姿を見せる、その頃にはクァトロ戦闘団も第五司令部も街を離れていた。



 夜明けをダマスカスで迎える、それも駐シリアロシア大使館でだ。アメリカやフランスなど、複数国がシリアから大使を召還してしまっているが、ロシアはその限りではない。


 何故島がそのようなところに居るか、複雑に絡みあった糸が、あたかも蜘蛛の巣かのように足場を作り出している。本来ならば入館どころか、見つかった時点で殺意を向けられてもおかしくはない関係。


「ダイルアッザウルが陥落し、政府軍が撤退。市で共同宣言が出されました」


 エーン大佐が最新情報を披露する。一睡もせずに推移を見守り、今後を占う為の糧に。


 陥落するのは解っていた、それがいつかも概ね予測は出来ていた。島が知りたいのはその先にあるだろう、各国のうねり。シリア政府軍が地歩を失い、イスラム国も勢力を削られ、一つの地方都市が自治を宣言しレバノンの後援を得て独り立ちした。


 これをどう捉えるか、今のままとはいかない。だからと認めることもなく、反対もせず。虎視眈々とつけ入るすきを探し続け、一気呵成に攻め立てる。


「アフマドが苦しい立場だろう、ユーフラテス同盟とダイルアッザウル、そしてデリゾール県の作戦司令室で話し合う場に指名しておけ」

 ――アフマドに価値があれば切り捨てることは出来なくなる、理由は後付けで構わんさ。


 応接室のソファーに腰かけてロシアンティーを傾ける。心はここに在らず、世界がどう動くかを想像した。敵の敵は味方とは言うが、敵の敵は敵ばかりであり、不戦の取り決めをしている敵といかにして共通の敵を見定めるかが重要だ。


 ――世界共通の敵は今のところイスラム国ということになっている、アレッポを失い残る重要拠点は首都宣言をだしているラッカのみ。いよいよここを攻める算段に入るだろう。


 アレッポ東、ダイルアッザウルの北西、グルド人居住地ハサカから西、トルコからすぐ南にある古くからの都市。規模はそこまで大きくはない、人口など精々ニ十万前後。


 旧市街を完全に軍事拠点に据えていることもあり、簡単には攻略できない要塞都市に変貌を遂げた。奇襲するとはいかない、兵力を集めて包囲殲滅をする必要がある。


 足音が聞こえて来る。島はソファーから立ち上がり、出入り口を注視した。エーン大佐はいつでも間に割り込める位置へと居場所を移して控える。


 扉が開くとスーツ姿の老年男がやってきた。島が敬礼する。


「ボードルコフスキー大使閣下、お忙しいところありがとう御座います」


「上からの指示だ。君がオーストラフ中将?」


 明らかに東洋人の顔であり、この歳で陸軍中将なのが不思議で堪らない。その上、ロシアの軍服でも無ければ、黒人を連れている。不審者極まりないが、モスクワからの指示に疑念を抱いていてはロシアでは生きていけない。


 ロシア風の偽名を使い大使館にやってきている、二世とか三世と言っておけば血の説明などどうとでもついた。


「はい、閣下。自分は現在特命作戦を実行中であります。一つ重要な情報を確認しておきたく参りました」


 電話で済ませられず、追加の情報が得られる可能性もある為そうしている。それとこの地の責任者と面識を得ておくこと自体も目的のひとつ。


 代理では用が足りない、これこそが島が動く最大の理由だ。


「貴官に協力するように言われている。なんだろうか」


 ボードルコフスキー大使は、どうしてこんなやつがモスクワに顔が利くのが納得いかなかった。事情を知らされずに協力しろということは、大使が駒扱いされている証拠に他ならない。


 気分が悪いからと言って下手な真似をするわけにもいかないが、多少の意地悪位は考えていた。


「ラッカの件です。いつ頃の攻勢になるか」

 ――これを知りえずに動きは出来んぞ。ロシア単独で攻め込むわけではない、幾つもの勢力が時期はずれるにしても一斉にだ。どこか一つの都合だけで多くを無視して中止や延期は出来まい。


 前置きも探りもなしで、一番知りたい部分を突き出す。ねじ曲がった解釈をしてやろうと構えていた大使も、小さくうなって受け止め方は変えられないと諦める。


 軍事作戦自体は大使も知りえないが、その大まかな時期は聞かされていた。それをいかに歪めて表現してやろうかと思案する。


「暑い時期になるだろう」


 ピクリと島の眉が動く。何かしらの意志を感じ取ったのだ、大使がどこを向いているかを一瞬で察知する。


 ――やれやれ、頭を押さえられてご機嫌斜めか。


 両目を閉じて数瞬、直ぐに目を開けて大使の瞳を覗き込む。表情を一切変えずに見返してくるあたり、海千山千の男なのだろう。


「極東シベリアに比してここはいつも暑いですからね。すると七月頃でしょうか?」


 戦いが始まって慌てて準備をするようでは話にならない。逆にあまりに早くに備えては注目を浴びてしまい不都合を生じてしまう。待機が出来ないわけではない、適切な線が存在しているということだ。


「そういう向きもある」


 明言したくないらしいことがはっきりとした。外交官を言葉で翻弄することはまずできないだろう、駆け出しの青二才ではなく、舌先で生き抜いてきた大使ならなおさら。


「自分はシリアだけでなく、イラクとイスラエルでの活動も視野に入れた作戦をしています。ロシアの利益かアメリカの損失を求めて。七月との向きはそのどちらでしょうか?」

 ――まず前後するだろうな。俺が出せるものは少ない、今回はムチで行くとするか。


 言葉一つで国が揺れることを指摘する。そんなことくらいで顔を蒼くするようなことはないが、忌々し気な視線を送って来た。


 だんまりを決め込むわけにはいかず、祖国に損失を出すわけにもいかずだ。どう答えてやろうものか思案し「イスラム国が勢力を弱めることが祖国の益と確信している」曖昧な言葉を返す。


 ――ふむ、全くこれだから政治屋と外交官って生き物は。


 質問の内容とは違う答えを口にして煙に巻こうとすることが多い。論点をすり替えて、不都合は闇の中。


「シリア民主軍の攻勢能力を喪失させるのが自分の特務の一つ。時期の特定は結果への極めて重要な要因であります。大使閣下の助言如何で未来は変わるでしょう」


 即ち、誤った情報を垂れ流すならば、責任は大使にあると遠回しに抗議しているわけだ。自身で七月とは一言も出していないが、特務の失敗は連帯責任を問われる恐れがある。疑わしきは罰せよとはいったものだ。


 一人で自滅する分には知ったことではないが、共倒れをさせられてはたまらない。ここで失点をつけられてもつまらないので「初夏の攻勢になるだろうな」ようやく欲しかった部分を吐き出した。


 初夏と言っても幾らか前後する。だが夏と言わずに、初夏と限定したところで島も引き下がった。何も喧嘩をしに来たわけではない。


「ありがとう御座います閣下。以後は情勢を注視下さい」


 エーン大佐に目配せをすると部屋を退出する。扉を閉める前に、もう一度敬礼して廊下を歩く。


 ――初夏か、このあたりは四月か五月がそれにあたるんだろうな。四月の半ばまでに準備を済ませればよいか。四月頭に動きがあったとしても、半月以内で全てが終わることもあるまい。


 遊びを持たせることが可能だと判断して一つの目安を策定する。時は四月中旬、場所はラッカ、目的はイスラム国の駆逐。


 部隊が、多くの勢力が何をすべきかを示すのが島の役割である。それを聞いた皆が行動を合わせ、いずれ真の目的を達する。


 舞台はあと二幕を残し終演を迎える。無限の可能性の中から、島にははっきりと未来が見えていた。エーン大佐はそんな主が誇らしく、いつかさらなる高みに至って欲しいと願うのであった。



 アレッポの廃墟、市街地の北地区にマリーは居た。イスラム国を撃退した後にも警戒は続いていた、周辺に政府軍を始めとして様々な軍が駐留しているから。


 表面上の平和が訪れているが、いつ終わりを告げるかわかったものではない。ここに軍が在る限り諍いの種はついえない。だからこそ残っているというのも皮肉でしかないが。


「大尉、本日も五名の入隊者が」


 中隊の先任下士官のドラミニ上級曹長が報告を上げる。エルドアン大尉のトルコ国籍中隊と数を同じくするのにまであと少し、雑多な国籍を全て集めての話だ。


 マリー中隊には隊が幾つかあり、トランプ中尉の英語圏隊の他に、アラビア語隊、スペイン語隊、そしてフランス語隊がある。


 フランス語隊はドラミニ上級曹長が、アラビア語隊は時を同じくして昇進したムーア曹長が束ねていた。スペイン語隊はマリーが直卒している。


「ニュースを知ってるか」


 何の、という主語を抜いて話をするも、ドラミニ上級曹長は頷いた。アレッポにあっても重要な動きはきっちりと把握するように努めていた。


「アイン=ラサとダイルアッザウル、見事なものです」


 想像するだけで激戦だったことが浮かんでくる、二人ともどれだけ参戦したかったか。危険はどこに居てもさほど変わりはない、だがそんなことを気にしているわけではなかった。


「本来は俺が引き受けるべき役目だった、こんなところでチンタラやっているから大事な時に力になれない。笑ってくれよ、能無しだと」


 クァトロ戦闘団の司令はマリー中佐だ。彼が育て、彼が率い、彼が注いだ全てを不在のうちに発揮する、やるせない感情が渦巻く。


 生きて作戦を終えたことを喜ばしいとは思っている。自分抜きでも戦い切ったことに、存在意義の何たるかを噛みしめさせられていた。


「あなたにはあなたにしか出来ない役目があります。今ここに立っているのがその証拠。それはあの人も認めているのではないですか」


 慰めでも驕りでも何でもない、これは確認事項でしかない。舞っている埃っぽい砂が口内を不愉快にした。汗と血の匂いがいつまで経っても漂っていて、戦場に居ることを嫌でも思い出させる。


「目の前にはいつも高い壁があるものだな、上級曹長」


 肩をすくめて苦笑する。越えても越えても出て来るより高い壁に、いい加減諦めもついてきた。それが苦痛だと感じたことは無いが、溜息の一つくらいは出て来た。


「茨の道なんてそんなものです。大尉、定例会議に本部の偉いさんが参加するらしいですよ」


 毎日行われる連絡会議、ここで各実戦部隊の長が顔を会わせて情報を共有する。ILBからはエルドアン大尉とマリーが参加していた。


 居るからと発言権があるわけでも無いが、YPGの佐官の後ろに立っているのが仕事だった。


 ――戦いが終わったらさっさと消えたYPJ、今ごろ別の戦場にでもいるんだろうな。


 戦っている方が気が楽だと最近思えているマリーだが、案外そう感じている将兵は多いのかもしれない。


「情勢を動かすわけだな。となると今度はラッカの攻撃でフィニッシュか」


 シリア国内での重要拠点はラッカしか残っていない。デリゾール県のイスラム国は、ユーフラテス同盟やデリゾール県のファールーク作戦司令室と競り合っていて、思うように行動出来ていない。


 それが誰の仕業かは解っていた。決戦時にはラッカに紛れ込んで来ることまで。


「そうだとしたら、流石に数日でお終いとはいかないでしょう」


 何せ旧市街の要塞化と住民の人質がある。全員巻き込んでよいなら、ラッカにミサイルでも撃ち込めば綺麗な平地が出来上がるだろう。或いは盛大に穴でもあくか。


 ――兵站を整え、各軍の守備範囲を決めてか。直ぐにとはいかんぞ、数か月は準備にかかる。


 戦争を始めるのには非常に面倒な準備が山のようにある。集めようと注文した物資がちゃんと規定通り届けば問題もないが、上手くいくなど夢物語だ。


 敵の妨害だけではなく、味方からも色々な横やりが入る。原因は様々あるが、その多くは天災ではなく人災。


「上手くいっても丸々一か月、恐らくは決戦まで二か月はかかる。あまり暑い時期が来る前にしてもらいたいものだよ」

 ――実際のところ、七月に始めるようでは前線で参るな。そこまで延びることはあるだろうが、出来るだけ早い段階で仕掛けたいが。


 アフリカでもニカラグアでも雪など降ることは無い。祖国であるベルギーでは今頃真っ白の雪景色かも知れないが。年が明けてややたつ、春の終わりに始められたら最高だと希望を抱く。


 二月のラッカは平均気温が十度もいかないが、八月には最高気温が四十度を超えて来る。体調を崩す者が頻発するだろう。


「我等の取るべき道は」


 声を低くしてドラミニ上級曹長が周囲の気配を探りながら問う。結果のみを示されていて、途中経過の指示は何一つないのだ。


 これを決めるのは現地指揮官であるマリーだ。


「ILB内で最高の戦果を得ること。俺がトップになれるよう一直線尽力する、それだけだ」


 単純明快な目標、ナジャフィー少佐が栄転でもして部隊を離れれば部内昇格も見えて来る。状況はどうあれあと一息で階級は並ぶ、対抗馬はエルドアン大尉だ。


 互いは敵ではない、そこが争いをし辛くする。相手を蹴落とせば容易に勝てるだろうが、マリーはそれを良しとしない。


 相対的に勝てばよいなどと考えたら最後、己の終わりが見えると信じているからだ。


「どれだけ時間があるかは解りませんが、訓練を重ねましょう。装備の方は本部で用意してくれるそうですからね」


 本部、ナジャフィー少佐がイラク軍から都合をつけて来るのは少数だ。誰が調達して来るかと言えば、トゥヴェー特務曹長が外部から引いてきている。


 ヨーロッパのヒンデンブルグ商会が地中海沿いのラタキア港におろして、シリア内の仲介業者を二つ経由して、程度の良い中古品だとほぼほぼ新品を格安でILBに融通していた。


 少佐は異常を感じながらも、交換条件として戦争の終了後に割の良い仕事、つまりは廃棄する兵器の処分を依頼してくれるようにと求めてきていることで納得していた。奪った装備をそっくり引き上げることで大儲けを狙っている、その為にはILBへ取り入って勝ってもらわねばならない。


 これならば双方にとってWIN-WINの関係だ。共倒れするか大儲けをするか。飲める交換条件、それを満たすためにはナジャフィー少佐もILBという実戦部隊の司令であり続けるわけには行かなかった。


 このあたりにトゥヴェー特務曹長の思惑が見え隠れしている。コロラド先任上級曹長の行動を見よう見まねでやっているだけで、どう転ぶかは解っていない。


「部隊のことは任せる」

 ――前に俺自身が言ったように、切り札や隠し玉の一つでも用意するのが役目だ。現地に色々と仕込みをすべきだな。


 どこか遠くを見ているマリー、先人が歩んだ道を追いかけていた。どこまで進めば背中が見えて来るのかわからずに、ずっとずっと。



 ダイルアッザウルは上へ下への大騒ぎが起きている。支配者が入れ替わったと思えば、ごく少数を残してどこかへ消え去ってしまった。


 隣町から外国の軍隊が入って来て、自分達で統治をしろと言われて代表者の選定すらままならず、取り敢えず地区ごとの行政責任者が集まっている。何をどうしたら良いのか、別室には軍関係や他の代表でごった返していた。


「リュカ先任上級曹長、ここの舵取り一つで右にも左にも曲がる。間違いは許されん」

 ――義兄上は俺を信頼して預けてくれている、無様な真似は出来ん!


 気合充分で扉の取っ手を握り、振り向かずに語り掛けた。それは後ろに控えている自身の付下士官に向けているようであり、己に言い聞かせるようでもあった。


 シリアで功績を上げて祖国へ帰還する、その為に便宜を図ってくれている。いつまでたってもおんぶにだっこでは情けなくて言葉が出ない、何とか役に立てるようにと肩に力が入る。


「どこへ進むかはダイルアッザウルの民次第、自ら歩めるようにするのが中佐の役目です。結果がどうなろうと、きっとあの方は全てを受け入れるでしょう」


 前のめりになりすぎている上官をやんわりと、しかしはっきりと諫めた。視野狭窄になって良いことなど何もない、それでも足元の石ころでつまづかないように気を付けるのは常。そんな役割がリュカ先任上級曹長は大好きだった。


「そうだな。行くぞリュカ」


「ウィ」


 騒がしい大会議室に二人のレバノン軍服が入場する。多大な注目を集めた。


 円卓ではなく、長テーブルが幾つも用意され、奥にはホワイトボードと演壇が置かれている。ハラウィ中佐は演壇の手前まで行き、一度立ち止まると胸のレバノン国旗に手を添えてから壇上に登った。


 ――疑念に敵意、すがるような思いに、ただただ不安を覚えている面々。まずは一歩だ。


 端から一人一人の目を覗いて行き、全員と目を合わせてから口を開く。


「私はレバノン国の軍人でハラウィ中佐と申します。ユーフラテス同盟に連なる、レバノン第六独立特殊大隊の長」


 自身が何者であるかの大枠を明らかにする。知っている者も、知らない者もその宣言を耳にして一度頷いた。簡単に言えばダイルアッザウルの部外者であるとの認識だ。


「先の政府軍と各民兵団の戦闘で、ここダイルアッザウルは混乱をきたしています。これを掌握せねば、治安は乱れ、イスラム国の流入を招きかねません」


 共通の敵であるイスラム国をやり玉に挙げる。これに反対する者はいない、あれは所属している兵士や一部の基幹となる人員以外は皆が恐怖と不利益を被るような組織なのだから。


「近隣のユーフラテス同盟としては、速やかに自治を行い、自衛能力を得て貰うのが最善と判断しました。よって私が無関係の人物として合同会議の議事を進行すべくここに来ています。呼ばれもしていないのに大きな顔をしていると思われる方が殆どでしょうが、隣の火事はいずれ飛び火します。ダイルアッザウルの大事は、ユーフラテス同盟の大事。これはご理解いただきたい」


 部外者がと睨んでいた者が、考えをハラウィ中佐が認めたので取り敢えずは留飲を下げる。それに誰かがこの都市を治めなければならないのは事実だった。


 隣に座る者らでなにをどうしたものかと相談が始まり、大会議室が一気に騒がしくなる。一人の壮年が手を上げた。ハラウィ中佐は手のひらを前にだして発言を促す。


「民兵の代表者は別に集まっているようだが、彼らの要求は街の支配ではない?」


 もっともな質問であり、本来ならば答えようも無い内容であった。だがハラウィ中佐は堂々と「違います」否を断言した。大きな背景を知りえるものだからこその、裏付けある発言が妙に馴染む。


「では何を目的に軍を投入したんだ?」


 それはそうだ、得るモノは無く死傷者を多数出してまで、一体何を求めて動いたのか。聖人君子の集団だと言うならばそれでも良いが。


「民兵の多くはシリア人、それとシリアに住んでいる移民です。それらの全てが求めているのが家族と平和に暮らせること、違うでしょうか?」


 そう言われては反論も出来ないが、弱い根拠であることは明白だ。それだけで一旦言葉を区切りはしたが続ける。


「自治区の設立、利益の確保、国防上の理由、外交的な支援、住民の保護、信者の保護、他にも理由など兵の数ほどあるでしょうが、多くが介入を是とした結果が今です。即ちこれこそが大いなる意志とでもいえるでしょうか」


 誰かがやると言っても実行されるはずがない、ところが皆が動いたのだから不思議な力が働いたとしか言えなくなってしまう。一番強い言葉は現実だ、実際にこのようになっているのだからそれは否定できない。


「我等にどうしろと?」


 それを決める為に集っているのは承知だ。どうして欲しいかは解っているが、その為の手順が重要になる。


「ここに集まって頂いている方々は、それぞれが地区の代表者です。ここから相互の繋がりが深い地域を絞り、七人の代表を出して頂きたく思います。それらの七人から互選で総代表と、副代表の選出も」


 他人が口出しするのではなく、自分達で決めろと言うならば軋轢は少ない。七の数にある意味は様々あるが、ポスト数の都合からそのあたりの人数が適切という実務からの逆算。


 いきなり決めろと言われても困る、だがここで退いていては統率など取れようはずもない。既定路線の代表選出が粛々と行われ、都市の代表者、つまりは暫定自治会メンバーが発足した。


 会長は都市部代表者で、激しい戦闘時に実戦を具に見ていたりもしている。この中の最年長者でもあった。


「それでは次は民兵団の代表者らとの会談に移ります。場所を変えるので案内したします。リュカ」


 リュカ先任上級曹長に連れられて七人が大会議室を出る。ハラウィ中佐は留まり「皆さん、会議が終わるまでこちらでお待ちいただいていれば結果をお伝えします。食事や飲み物を用意しますので、ご休憩下さい」帰っても良いが、誰一人この場を去るような者はいなかった。


 心持を新たにし、今度は別室のホールへと移る。部屋の外ではラフード少佐が待っていた。


「中佐殿、各代表が揃っております」


 年長であるマロン派の少佐、彼にしてもここで上官がより先に足を踏み出すことが出来れば、自身の肯定にもつながる。だが今はこの事態がどのように収束するのか、そこに興味が湧いてきている。


 複雑怪奇な現象はレバノンで幾らでも見ていて、多くが同意することなどありえないと思ってすらいる。中佐の瞳が遠くを見据えているのを感じると、返事を待たずに両開きの扉を開けて中へと進んだ。


 机も椅子も無い多目的ホール、数人ずつのグループに分かれて、二十以上の勢力の代表者が集っている。人数の面で一番多いのはデリゾール県のファールーク作戦司令室。


 ――アフマドも参加しているが顔色が今一つだな。話では無茶を通したらしいから、ここで俺が支援する必要がある。


 目つきが鋭い中年、タリハール・アル=シャームのアルハジャジ。これが参戦してこなければ兵力不足に陥っていたとの見立てがあった。マヤーディーンやアブー・カマールからもやってきている、その多くは顔を見知った者達。


 ――ドクターシーリネン! 彼は潜在的な助言社として使える、あの名声は桁違いだ。クァトロからは姿が無い、俺が意志を代行するがな。


 女性の少数グループ、二つの河の間を守る部隊。同じキリスト教徒部隊として関係は近い、そういった背景で席次の一つも与えられるだろうとハラウィ中佐が歩み続ける。注目を浴びている、雑多な集団の中で政治的な影響力を持ち合わせている人物として。


 人の熱気で部屋は暑くなり息苦しい。そんなことでいちいち文句を言う奴はいないが、汗ばむ不快さはあった。空調などとうの昔に壊れてそのままだ。


 シリアでは技術者が不足している。それなりの腕と外国へ渡るだけの手持ち資金があれば、多くが逃げて行ったからだ。責めることはできない、誰しも自分が一番可愛いから。


 演台も何もない場所で立ち止まりぐるりと全員を見回す。


 ――ここは紛れも無く戦場だな。弾丸が飛んでくるほうが遥かに気楽だよ。


 バビナ少佐、カラミ少佐、リュカ先任上級曹長が側にやって来て四方を囲んで外側を向く。


「シリアの未来を憂う皆が集まってくれたことに感謝しています。私はレバノン軍のハラウィ中佐、以後お見知りおきを」


 直接会ったことがある者は少ないが、どこかしらで顔を見たりしたことがある者は多かった。テレビニュースに出たりするからに他ならない。クァトロでは表面に出られないが、彼は違う。一人陽の当たる道を歩める人物なのだ。


 主導権を握られる人物は皆無、それぞれが手探りで進めるしかない。そんな中、どうしてかまとめ役のような発言をした。


「俺はタリハール・アル=シャームのアルハジャジだ。貴官は戦闘に参加していないはずだが、どうして大きな顔をしている」


 いきなりのご挨拶に動揺することも無く、そうだそうだと感じている者達の顔を確認するように見渡す。


 ――デリゾール県のファールーク作戦司令室マルディニ司令官が急先鋒か。これを逆手に取るぞ。


 マルディニのすぐ傍に居るアフマドと目を合わせておく。何かをするぞという合図だ、どこまで理解してくれるかは解らないが、通じはした。


「確かに私は直接の戦闘行動を行っていない。それでは逆に問いたい、誰が取りまとめ役に適任かを」


 自分がと言えないように雰囲気を持っていく。何せアルハジャジも途中参加の部類で、戦闘からの流れでは不利なのだ。アルハジャジが誰かを探すが部屋には居ないらしく、小さく唸りながら息を吐いた。


「幾つかの部隊が主導して戦端を開いた。その中にデリゾール県のファールーク作戦司令室所属の隊があった」


 注目がマルディニに向けられた。なるほどそれは皆が聞き及んでいる、彼を無視しては語れないだろう。


 ここぞとばかりにマルディニが軽く手を上げて一歩進む。


「俺がマルディニ司令官だ。シリアサハラ大隊がいち早く参戦したのは事実だ」


 後ろに居たシリア人が進み出る。彼が大隊の長。


「我が大隊はアミールの指導を得て、司令官の指揮でダイルアッザウルに参戦した」


 マルディニ司令官が一瞬だけピクリとしたのを見逃さない。素早く損得を考え、発言を否定しないことにしたらしい。


「なるほど、マルディニ司令官ならばまとめ役に適任だと」


 ここでアフマドにもう一度短く視線を送っておく。目を細めて意図を見抜こうと考えを巡らせている。


「それは皆が考えることだ。一人この場に居るべき人物が見当たらないが」


 アルハジャジが変だなと見回すが、どこを見ても居るはずがない。道化の名演者になれるかも知れない活躍ぶりだ。ハラウィ中佐は心中でにやりとする。


「それはもしかしてあの部隊の?」


 アルハジャジの口から言わせようと誘いをかける。自分こそが一番近いと信じているアルハジャジは得意げに頷いた。


「アル=イフワーン・アル=ヌジューム、緑に星一つの黒い部隊。その司令官であるアルジャジーラにも権利はあるだろう」


 会場がざわつく、ダイルアッザウルだけでなく、アイン=ラサでも猛威を振るったという黒い部隊。その司令官がアルジャジーラという名前だと知って。


「そのアルジャジーラ氏は欠席している。次は無いのでここに居る中からまとめ役を決めたいと考えますが」


 それは即ち次点であるマルディニ司令官が優位に立てる可能性が高い。内心ほくそ笑む。


 ここでアフマドが進み出る。


「アルジャジーラ氏から檄文を受け取り参戦を決めた次第。私はその実行力からもマルディニ司令官を推薦します」


 少しだけ首を横に向けて目の端でアフマドを見るマルディニ司令官。ここでアフマドを否定しては自身にも良くない、内部が割れては統率に問題ありと見られてしまう。


 アミール解任の件を人質にして、ここまで服従をさせることが出来たなら良いだろうと認めた。


「檄を知り俺が命令した。戦闘の勝利にそれなりに寄与している物と自負している」


 我が物顔で功績を誇る。事実はあるが全てではない。そこでダイルアッザウル自治会長が疑問を呈する。


「戦闘中に全軍を指揮すると第五司令部のエホネなる人物が現れましたが、この中に?」


 参戦していた部隊は聞き及びがあった。頭を押さえられて不愉快ではあったが、幾つかの部隊が従っていた事実もある。


 それぞれが左右を見て誰かを問いかけたが答えを知る者はいなかった。もしかしてアルジャジーラがエホネなのではとの憶測すら出て来る。


「残念なことにエホネ氏も欠席です」


「ハラウィ中佐はアルジャジーラ氏もエホネ氏もご存知で?」


 自治会長が欠席をどうやって知ったか、それ以前にどうやって会議を報せたのかを不思議に思う。


「ユーフラテス同盟に連絡があったもので。ところでマルディニ司令官は随分と沢山の部隊を指揮しているご様子」


 急に部隊規模の話が出て来たので怪訝に思ったが、この中で最大の兵力だと言うのをアピール出来る良い機会なので乗って来た。


「十数の大隊を抱えている、兵力は五千を下らん」


 どうだと言わんばかりに通る声で喧伝した。小さな兵力しかない勢力の長らは発言権が己には無いと納得して推移を見守ることにしたようだ。


 ――連れてきている大隊長は十三人か。ここが転機だ、頼むぞアフマド。


 ハラウィ中佐は六人の大隊長の目を見る。何かを求めるような視線だ。


「では聞こう。そこな大隊長らはマルディニ司令官がダイルアッザウルを含めた全体の指導者に相応しいと考えているかを」


 あまりにも突拍子もない中佐の発言に会場が息を飲む。これで意志を固めろと言うことならばそれはそれで手順の一つとして認められるだろう。だが。


「私はそれを望まない。司令官はデリゾール県のファールーク作戦司令室にのみ集中するべきだ」


 ハルワラ大隊の長がそのような発言をし、マルディニ司令官を驚かせる。次々とそれに同調し、六つの大隊長が否との反応を見せた。


 獅子身中の虫がここ一番で組織を蝕む。面目は丸つぶれ、だがアフマドに文句も言えず。何故なら彼からは指導権利を奪い、凍結しているところだからだ。


「マルディニ司令官は全体の軍事委員として役目を得て頂きたいのですがいかがでしょう」


 どうすべきかを素早く判断し、一番傷が浅い道を選択した。


「皆がそう求めるならば引き受けよう」


 返答も短く目を閉じる。この後にまた一波乱あるだろうことは想像に難くない。


「アルハジャジ氏にも軍事委員をお願いしたいですが、いかがでしょうか」


 不満を持たれては面倒だと、アメリカにテロ組織を指定されている彼にも席次を求めた。


「良いだろう」


 少し会場を探して女性の目の前に行き「二つの河の間を守る部隊にはキリスト教徒の保護に関する委員をお願いできますか?」


 たったの数十人しか居ない勢力にも席次を与える発言をして「私で宜しいならば是非」快諾を得た。


「自治会長には政治委員を。良いでしょうか」


「もちろんですとも」


 マヤーディーンやアブー・カマールの会長らにも政治委員を求めて名を連ねて貰った。


 そして今度は白衣を纏った人物の前に行くと「ドクターシーリネン。あなたには是非とも衛生委員を引き受けて頂きたく思います。お願い出来るでしょうか」老人の前で頭を下げた。


 あれがかの有名なドクターシーリネンかと視線が集中する。


「アフリカから駆け付けたばかりの私には過分の役目。ですが願われたのならばお引き受けいたしましょう」


 独断でいくつもの委員を指名していき、多くの承認を得た。するべきことを終えると声が上がる。


「ハラウィ委員長、団体の名前は?」


 委員長と呼ばれて暫し目を丸くするが今さらだった。異論は上がってこない。


「私は今ここで、シリア東部同盟の結成を宣言します。目的は周辺地域の治安維持と政治経済の連携。主たる拠点はデリゾール県。至らぬ若僧ですが、諸先輩方のご指導をよろしくお願いいたします!」


 拍手が響き渡る。アルハジャジとマルディニは納得いって無かったようで、無表情で緩慢に手を叩いていた。


 民間団体の集まり、その延長である大きな同盟が産まれた直後、シリアを始めとしてニュースが駆け抜けるのであった。

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