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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第百三十二章 黒い暴風始動


 夕暮れから夜に変わろうとしている時分、拠点として宛がわれた廃墟にマリーは居た。屋根は無い、とうの昔に爆撃や砲撃で崩れ落ちている。


 それでも遮蔽になる壁があるだけマシで、兵は皆思い思いの場所で座って毛布にくるまっていた。生暖かい風が肌にまとわりつく。


「生きていれば腹も減るし、眠たくもなる、か」

 ――苦しい苦しいと愚痴をこぼしているうちはまだマシだな。もっともILBにそんな文句を言うようなやつはいない。


 味方の支配地域であったとしても、不寝番を置いて警戒を怠りはしない。その責任者は当然下士官、それも長ということになる。


 小銃を抱きかかえるようにして瓦礫に腰を下ろし、過去に扉があったあたりの空間を視界に収める。注意だけしていれば何かが動いた時に、瞬時に対応出来るものだ。


 もし奇襲攻撃を仕掛けて来るなら、到着して間もない部隊を狙うのは道理。


「エルドアン大尉が、マリー曹長のことを褒めていたよ」


 ウィリアムズ曹長が両手にコップを持ってやって来た。香ばしいコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。部隊への補給の他に、各自が自前で購入した物資も結構出回っていた。


 微笑を浮かべて片手を差し出してきたので、マリーもありがたく受け取った。コーヒーよりビールの方が好みではあったが、気持ちがとても嬉しい。


「褒められるようなことはしていないさ。俺はもっと適切な行動をとれる男を知っている」


 誰かのことを思い浮かべて、自身の行動を振り返り首を横に動かす。上を見て歩むべきなのはウィリアムズ曹長も解っていたが、それでも称賛すべきは称賛すべきと言う。


 実際ILBの中では突出した功績を叩き出していた。マリー分隊は既に平均をはるかに超えた、それどころか次点に二倍以上の戦績をつけての独走をしている。


「そう謙遜しなくてもいいさ。素直に褒められておくのも職務だよ」


 ちょっと意外な表情になり、マリーは下士官の守備範囲の広さを再認識する。様々な考えがあるものだと。思えば上官の機嫌取りなど殆どしてこなかった、何せ必要がないから。


「かもな。あの時もっと良い選択が出来たんじゃないか、こうしたらどうだったか、思わずにはいられないがね」


 後悔ではない反省だ。己のしたことに誤りがあるとは思っていない、だが最善は別にあっただろうと模索を続ける、それを人は努力と表す。歩みを止めた時、生物は成長を終える。


「生きるか死ぬかの瀬戸際で、更にと目指すのは流石だと思うよ」


 ついにウィリアムズ曹長が折れてしまう。どちらであっても悪くはない、沈んでいるマリーを気遣ってのこと。


 彼は真に大人なのだ、周囲の人物を支え、己に正面から向き合える人物。


「……生きるか死ぬか、か……」


「そう。生き残り明日にまた結果を出す、それが鉄則だね」


 ある種の確信をもって言っている、それはマリーにも理解出来た。理解は出来たが、求める先はそのようなことではないことも既に気づいている。


 マリーはクァトロの中佐で、司令官の代理権限を持つ島中将の側近で友人でもある。遥か昔、といっても十年も前ではないあの頃、確かにマリーも生きることが全てだと信じていた、だが今は違う。


 外人部隊で志を継ぐことが大切だと知り、その後は志を残す側へと移り変わった。そして敬愛する人物は、志を産み出す域に達している。


「――生きるか死ぬか、それだけでは済まない夢の先。俺はもっともっと遠くを目指している人の役に立ちたいと思ってるし、少しでも支えることが出来ると信じている。その為に今ここに在るんだ」


 コップを片手に空を見上げる。決して覚めて欲しくない夢のような現実、いくら努力しても追いつくことが出来ない背中。いっそこうまでくると届かないのが心地好くすら思えていた。


 それが誰かとは敢えて聞かずに、強い信念だけを認めてウィリアムズ曹長は去って行く。


 コーヒーを一口傾ける。通りの先の廃屋、その屋根で何かが光ったような気がした。コップを傍に置いて伏せると外に注意を向ける。


 息を殺して地面に耳を付けて音に集中した。少し遠くでだがコンクリートが転がるような鈍い音があったような気がする。


「分隊起きろ、お客さんが来るぞ」


 視線を遠くに向けたまま戦闘準備をするように呼び掛けた。するとドラミニ軍曹が瞬時に目を覚まして、兵士を全員叩き起こす。


 誰一人文句は言わない、何せまだ死にたくはないから。寝ているすぐとなりに小銃を置いて、戦闘服のまま、覚醒さえしてしまえば即座に戦闘が可能だ。


「曹長、どの方向から?」


 ドラミニ軍曹がマリーとは反対側を警戒しつつ問う。見つけたのが一カ所だけとは限らないし、死角は消しておくべきだ。


 幸いずっと目を閉じていたせいで暗闇でも随分とはっきりと見えていた。


「北側の廃屋あたりだ。屋根で何か光って、瓦礫が転がるような音がした」


「律儀に待っていてやることもありませんね。自分が捜索に出ます」


 そう宣言すると、兵士を三人引き連れて裏口があった場所から出て行ってしまう。他の部隊への報告はまだ控えておく、いたずらに反応を大きくしては逆に混乱を招いてしまう恐れがあった。


 ――襲撃ではなく偵察だな、ならば軍曹だけで充分だ。俺は不慮の事態に備えて視界を広く保つぞ。


 目に見える範囲だけという意味ではない、将校としての務めも同時に果たせるように思考回路を繋げておくということだ。指揮者とは物事が上手いこと進んでいる時には要らない存在とすらいえる、不都合が起きた時にどうするか、それこそが役目。


 五分もたったあたりで、廃屋の方角からどさりと何かが落ちる音が聞こえた。固いものではない、だが重さがあり水分を含んだ何か。


 じっと待機して全周囲の警戒を怠らず、やや暫くするとドラミニ軍曹が人間を二つ持ち帰って来た。荷物のように抱えていたので、最初なんだろうとじっとみてしまう兵がいた。


「下手くそな斥候でした。気絶しているだけです」


「そうか、ご苦労だ。縛って転がしておけ、朝になったらお話をしようじゃないか」


 冗談めかしてそう指示を下し、配管にロープで括り付けておく。偵察に出てきているのが二人とは思えないが、狭い地域に複数派遣するとも思えない。手加減せずにがっちりと縛ると、身をよじることも出来ない位に固定される。うっ血は間違いないだろう。


 案の定、夜が明けると別の地域でも同じような二人組が現れ、その殆どが射殺された。逃げられた者もいたそうで、早晩こちらの装備や状態が知られるだろう見込みとなった。


 唯一生かして捕えたマリー曹長に、また注目が集まったのは言うまでもない。こうしてまた一つ戦功が加えられる。


 攻勢の為に集合を掛けたのだ、いつまでも待機ともいかない。一両日中に全軍で攻撃を掛けるとのうわさが流れる。


 はっきりと将校から告げられたわけではない、そういうことは直前に通知されるのが常。それでも雰囲気で何と無くは伝わるもので、落ち着きを欠く兵士も散見された。


「政府軍も攻撃をするらしいが、こちらが助攻ではなく囮にならない様に注意はすべきだろうな」


 始まってしまえば約束が違うとも、話が違うとも言えない。そんなことは全てが終わった後で聞く、そうなってしまう。


 上手い事擦り合わせて行こうとしても、必ず齟齬は出る。だと言うのにだますつもりで、あるいは未必の故意で敵を仕向けられては目も当てられない。


「我等の右翼は噂のYPJですが、どちらがより危険なものでしょうか」


 ドラミニ軍曹が笑いを誘う。音に聞こえた獰猛な女性軍、実績は目を見張るものがある。何せ各地の戦線で突如現れては敵を撃破し、ここへも一番で着陣している。


 ILBよりも戦果の面では上と言えるだろう、規模が大きいのを脇に避けるとしたらの比較ではあるが。


「有能な味方は幾らいても構わんがね。別に俺達が先頭で全ての功を誇る必要もない」

 ――ある程度は求めてはいるが、今のところ目立ちすぎていると言われちまいそうだ。


 次は何をやらかしてくれるかと、十二人の分隊に過度の注目を引き寄せていた。英雄が揃う部隊、悪くははいが軋轢を産み出すのは暫し先にとの思いもあった。


 トランプ中尉が率いる部隊だとみられていれば良いが、そうではない場合は不都合を伴ってしまう。


「イスラム国ですが、イラクで反攻を行いその後は徐々に支配域を北へ移しているそうですね」


 どこかで聞きつけてきた情報を渡して来る。概ね国際ニュースで流れているが、逐一変わるので何が事実かは誰にもわかっていない。


 目の前の敵と同じ勢力、何かしらヒントがあればと結び付けてみようとするが、これといって新しい発想は見られなかった。


「アメリカとロシアが対立して、より効果的な戦略運用が制限されている。出来るのは地道な戦闘だけでは、犠牲者に申し訳が立たない」


 そうはいっても、これまた誰にもどうすることも出来ない。絶対的な権力者である双方の大統領が仲良くしたいと思っていても、これまでの国家の歴史や伝統が邪魔立てしてしまうものなのだ。


 くだらないと解っていても、それでも踏襲べき様々な何かは受け継がれていってしまう。昨日今日できた関係性ではない。半世紀以上もかけて醸成されたものだ、今に生きる者達の責任は半分以下と思って良い。


「今の自分たちは、分隊を生かすことが最大の任務だと解釈しています」


「ああ、軍曹はそれで良い」

 ――だが俺はそれだけではダメだ。他の何かを手繰り寄せる、そうすることでボスの手助けになれる。


 唐突にトランプ中尉が姿を現す。それに合わせて軍兵に招集が掛けられた。整列する部隊を前にして、前置きも無しに重大事項を通告する。


「これより三十分後に全面攻勢を仕掛ける。部隊は戦闘準備を行え!」


 いくらなんでもそれでは準備する時間が短すぎる、とはいえ文句を言っても猶予が与えられる可能性は皆無だ。何せトランプ中尉も上から告げられただけだろうから。


 いつでも行動可能なように、準備だけはさせてあった。それを実行させる命令を下士官が下す、こうして無理矢理に戦闘位置に就くことが出来た。


「こちらが急なように、あちらも突然で準備が不足するはずだ」


 いつ攻めてくるか、それがわかった時には銃弾が飛び交っている。互いに不足があれば、練度が高い方がより有利。そういうことならいきなりといった選択も悪くない。


 むしろ普段から常在戦場の意識があるクァトロ、その先鋒でもある戦闘団司令としては望むところすら言えた。


「戦術的な目標としては南北二千メートル、幅三千メートルの地域を占拠するということですね」


 これはクルド人支配地域が南北に流れている河から、東の大通りの間に位置していることからの地形的な見立てだ。北側の市街地の外縁でもある、敵を追い出せば拠る場所はかなり先まで皆無といえる。


 河川敷は防御が無く、その両脇にある住宅地が拠点になっている。河からの攻撃は守りやすく、敵は正面が殆ど。


 右翼のYPJは二正面がイスラム国で、より厳しい地理的条件を抱えてしまう。先着した隊が好きな位置を占めるものだが、敢えての右翼。真意はYPJ司令官ギラヴジンしか解らない。


「前進の後に右手側面を攻撃、しかる後に包囲するように連携出来ればってとこだな」


 そんな上手くはいかないだろうし、するつもりがどこまであるかも読めない。一介の下士官が出来ることは精々住宅の区画を死守することだけ。


 武装の補給を再点検、誰かに頼むわけにはいかない、全て自分達で用意しなければならない。YPGの友軍は友軍であって、仲間という意識がどこまであるか。


「遅参したせいでYPGが河沿いに布陣せざるを得なくなったわけですが、この分だとまだ何か起きそうですね」


 驚きを希望とドラミニ軍曹が笑う。どんな動きをするか、実際にYPJが戦っているのを見たわけでは無いので、マリーとしても苦笑を返すことしかできなかった。


 ――東区画の北東にはモスクがある、そこが敵の指揮所になるんだろうな。一方でこちらは公道交差点の南西角あたりになるか。


 地図からそのあたりが有力候補だと予測をする。見通しが得られるならば高い建物でも良かっただろうが、何せ殆どが倒壊してしまっていて利用は困難を極める。市街地を攻める時には準備砲撃で遮蔽物を破壊してから踏み込むのが普通だ。


 かといって交差点ど真ん中では、攻撃して下さいといってるようなもので上手くない。防御が可能で見通しが良く、味方の勢力圏に近い場所。


 河から二百メートルにある交差点のサークルはYPGの前線指揮所、一キロちょっとにあるのがYPJ指揮所。


 前線を押し上げた後に、後方指揮所に転用出来れば無駄も少ない。何せ道路と交差点を支配下に置かねば戦いづらくてかなわない。


「敵は正面だけに居るわけじゃない、警戒を怠るなよ」


 深い意味を含んでいる。ドラミニ軍曹は一瞬だけ真剣な瞳を覗かせて神妙に頷く。彼らはILBの所属ではあっても、身を置く理由が別にあるからだ。


 左右の部隊も戦闘配置に就く、いよいよカウントダウン。流石のマリーでも始まる瞬間だけは未だに少しばかり鼓動が速まる。


「突出する必要は無いぞ、地歩を固めるのが目的だからな」


 面で押していき安全圏を拡大させる、これといって速度が求められもしない。そもそも電撃戦のようなことを民兵に求めるのは間違っている。


 一刻を争うような戦いは、選抜された特殊部隊が担うことがらなのだ。


 空を見上げる、薄い雲が漂っているだけで雨が降りそうな気配はなかった。微風が頬を撫でる、埃っぽい空気が漂っていた。


 ヒューン。風切り音が聞こえると、北側の廃墟に爆発が起こる。あちこちで連続した音が聞こえるようになり、小銃の発砲が続いた。


「二秒以上姿を晒すなよ!」


 勢い込んで撃っても仕方がない、小刻みに狙いを付けずに射撃するようにと命じる。


 街角徴募でやって来た兵士は、腰が引けた姿勢で一応言われた通りの動きをみせていた。マリーは微笑を洩らして視線を切り替える。


 左手のYPG本隊、いつもと違い戦意がやや高めに思えた。陰に隠れて応戦しているだけと思いきや、前進を始めたではないか。


「同胞の声援を受けて高揚しているんでしょう」


 居住区域のクルド人が、期待の眼差しでクルド人部隊を見詰めていたのは昨日の今日。大歓声で受け入れられた増援、市民に諸手を上げて歓迎された軍兵。


 これでイスラム国の圧迫から救われると涙した者も多数居た。そんな想いを受けて今さら退くことなど出来ない。勇気を振り絞り足を踏み出す、その心は認められるべきだ。


「俺達が支援するがわに回る。側面を守るぞ!」

 ――守るべき者が居る。守るべき国がある。守るべきことがある。それが素晴らしく恵まれているのに気づけたのは、実はそんなに昔じゃない。


 強さを求めて振り返った時、何も残されていない虚しさ。自身にそんな時が来たら耐えられるだろうかと背筋を凍らせる。クァトロも、家族も失ったとしたら、マリーは一体何のために戦うのか。


 小銃を連射して二丁先の物陰に潜んでいた黒頭巾を撃ち抜いた。ドラミニ軍曹に「三階建てのビルを占拠するぞ!」付近で一番背が高い建物を確保するように命令を下す。


「ダコール!」


 ついフランス語で応じる。四人で前進する、残る八人は制圧射撃を仕掛けて移動を援護した。


 空になった弾倉をポケットにしまい新しいものと交換する。次の弾倉が空っぽになったところで、ドラミニ軍曹の班がビルに到達した。


 内部の確認と制圧に数分掛かったが、無事に高所を手に入れることが出来た。


「俺達も前進するぞ!」


 二人ずつ交互に居場所を進め、ビルの傍までやって来ると次々と中へと吸い込まれていく。一階に四人を残し、ムーア上等兵に防衛を一任する。


 階段を登り三階に出ると床を這って窓のあるところまで来た。無論天井はとうの昔に崩れ落ちている。


 手鏡を取り出して周囲の様子を窺う。道具は使い様だ、もし撃ち抜かれても額と手鏡では残念さの度合いが違う。


「すぐそこの交差点に二人、北側の民家にも二人だ。もっと潜んでいるだろうな」


 横からでは見えずとも、上からならば見つけられる。また下を見ることは出来ても、正面と上を同時に警戒することは困難だ。


 四方に分散し瓦礫の隙間からそれぞれが敵を確認する、二つの目より四つ、四つより八つのほうが見つけやすいのは道理だろう。


「かくれんぼが下手な奴らです。文句はありませんがね」


 目標を割り振ってマリーの号令を待つ。一度見付けたら視線を切らずに追跡を行う、そうすることで完全に姿を見失ってもまた近くで見つけることが出来た。


「各位射撃用意、カウントファイブ、フォー……ファイア!」


 複数の発砲が同時に起こる。ビルからの射程内に居たイスラム国兵士はその殆どが同時にこの世を去った。


「一人取り逃がしました!」


 兵士が声を上げる。どうやらタイミング悪く完全遮蔽になったらしい。声を上げた後もじっと目で追うがついに射線は通らないまま。


「構うな、各自周辺警戒、敵を発見次第狙撃せよ」

 ――さて、これで隣の部隊の脇腹は守れるが、全体はどうなっているやら。


 小隊の曹長が知る必要がない全体情報、そんなものに触れる余地はない。かといって外をいくら眺めても戦況が解るはずもなかった。


 出来ることをしよう、そう決めて支援を継続。一時間、二時間と時が流れ、半分の地点まで前進することに成功した。


 昼飯時、無線を拾いながら携帯型のテレビをつけてみる。地元の放送局が戦闘が起きていることを大々的に報道している。ローカル放送、それも海賊放送も山のようにあるので規制を行う側もお手上げだ。


「アラビア語の放送じゃ何を言っているか全く理解出来ん」


 リポーターが現地で早口のアラビア語をまくしたてている。首を振って視覚だけで情報を集めようとした。


 アレッポ市内のどこか、激しい交戦が繰り広げられている場所。今現在これほどの戦闘が起きているのは市内北側のいずれか。自分達でなければ、政府軍かYPJだ。


 ――うーん、これは女だな。YPJの戦闘か?


 どうしてこんな接近して戦闘の映像が撮れているのか、答えは簡単だ、YPJに従軍しているから。即ち指揮官に許可を得て同道しているわけだ。その見返りは中立的な報道、或いは贔屓をしてとのことだろう。


 クァトロでは従軍記者は殆ど随伴させることは無い。任意の内容を報道してくれる放送局が複数あったから、というのが理由。


 ――政治的な背景にまで気を回してるってわけか。それでいて実戦も充分、装備もYPGより重武装な感じがするぞ。


 軍隊経営が行き届いている、マリーはそう感じてしまった。見習うべきところはきっちりを評価する、それこそが自身の為だと信じて疑わない。


「曹長、YPGですがこの線で防備を固める腹積もりのようです」


「何だって?」


 あと半分進んで完全分断するのが作戦だったはずだが、僅かな幅を残してイスラム国の支配地域を残した。


 兵力の移動を行える空間、わざと残したのかどうかまでマリーには解らない。相手に有利になると知っていてそのままにする、利敵行為で反逆を疑われてもおかしくないレベル。


 通りの先を見渡せる場所に移ると遠くを見た。バリケードの設置をしているクルド人兵が多数居た。完全に防衛の構えだということがわかる、さもなくば指揮官が発狂でもしたのだろう。


「これ以上進出しないつもりだな……」

 ――追い詰めすぎると手痛い反撃を受けるものだが、これでは中途半端すぎるぞ。


 西地区を唸りながら見つめるがどうにもならない。一方で東地区、YPJは快進撃を続けているようだった。


 区画のどこと言うわけではないが、あちこちで黒い煙が立ち上っている。開始の線より北側、進行を続けている証拠だ。


「本部から通達です、現在地で待機警戒せよ」


「解った。軍曹、任せる」


 壁に背中を預けて携帯テレビを再度つけて生放送を観察する。世界放送は出来ないような、凄惨な映像が垂れ流され続ける。動画の共有サイトなどにアップロードされても数分で削除されるだろう内容だ。


 北側市街地区画端が映っていた、そこまで進出すれば敵を遠くへと駆逐できるラインが。


「凄いな、もうそこまで進出したか!」


 話には聞いていたが、こうまで手際が良いとは驚きだった。半分までしか進んでいないYPGと比較して、完全に格上を認めざるを得ないと小さく口笛を吹く。


 ――決して兵力が多いわけではない、運用指揮が上手いんだ、それもどちらかというと才能よりも経験を積んでの動かし方だ。それにしても適切な装備と部隊、女は怖いね。


 そこに情は無かった。機械的に隊を進め、場所を占領すると陣を構築する。まるで殺人機械の様に黒頭巾を地獄に叩き落していく。


 反撃を受ければ死傷者も出る、それらを後送して補充を送り込む。一連の事象を流れるように処理していく、物事のお手本のように見えた。


 ――歴年の頭脳が動かしているぞ、ギラヴジンは一流の指揮官だ。


 命令とは言えここで足を止めているのが恥ずかしくなってしまう。もしYPJが全てを支配下におさめてしまえば、YPGが戦線を膠着させたという意味が一切ない。


 両軍の司令官で話し合いが上手く出来ていない可能性が垣間見えた、えてしてそういうことが起きた後は仲たがいが発生する。


「政府軍の動きは何かわかりましたか?」


 目は外を見ながらドラミニ軍曹が話しかけて来る。注意力を分割できるようになれば熟練兵だ。


 チャンネルを何度かかえてみるものの、これといった情報は見つからない。色々と映りはするが欲しいものが流れていない。


「いや、わからん。本部でなら何かしら掴んでるだろうな」


 情報源が携帯テレビではどうにもならない。戦場で視野狭窄にならないように気を付けるのも限界があった。


 これでは目の前の戦闘にだけ縛り付けられてしまう。分隊を率いる下士官だ、それで充分ではあるのだが。


「あれを!」


 兵士が一人、西の空を指さす。幾つもの黒煙が立ち上り、激しい砲撃が起きているのを物語っていた。手が届くような近間ではない、目を細めて距離をはかるような場所。


「河の向こう側だな。政府軍もどうやら本気らしい」

 ――ではどうしてこちらは攻め込まない。カユラン少佐が指揮で劣るとは思えんが。


 参謀少佐であり、本部中隊の指揮官でもある、あの鋭い目つきの人物を思い起こす。訓示を述べていた時の表情、何と無くの気分で命令を下すようなタイプではない。


 戦力で劣らず、戦略で劣らず、時機を捉え、それで作戦を実行しない理由。待機状態でマリーは思考に没頭する。


 ――あの少佐だ、土壇場で怖気づくなど絶対にない。作戦を急きょ変更したのは予定外のことが起きたから、そういうことだろう。

 何が想定外か……俺はYPJの快進撃がそうだと感じた。少佐もそうだとしたら何を考える?


 小銃を下に向けて壁に寄りかかったまま黙りこくる。そんなマリーを見てドラミニ軍曹は逆に周囲を具に警戒した。


 ――戦後、あるいは近い将来のクルド人部隊の状態を良好に保つだろうな。目下戦力の低下を抑えるか。


 どうすれば被害を少なく、敵を排除できるのかと候補を頭の中で浮かび上がらせる。しっくりとくるのはたった一つだった。


「もしそうなら、俺はあの少佐を尊敬できないな」


 ボソッと漏らす一言、兵は聞こえないふりをして無反応。時間が流れ、やがて夕暮れになる。


 交戦の音は絶えないが、隣のYPG部隊は戦線を構築して動きをみせない。腰を据えて撃ち合っているといえば聞こえは良いが、完全に他力本願の構えだ。


 無線を耳の側に持ってきてドラミニ軍曹が小さく頷いている。


「小隊本部からです。北東部をYPJの攻撃部隊が西へ向けて行軍中」


 自分たちの担当区域を制圧して、残るYPGの守備範囲に側面攻撃を仕掛けてきた。本来は逆、多数である側がしなければならない支援。


「クソッタレが、あの少佐、YPJを囮に使う気だ!」

 ――このままじゃ大きな被害を受けちまうぞ!


 高所に登り暗くなっていく空を見る。市街地で発砲のフラッシュが連続していた。


 一方で西側に居る部隊は動く気配を見せていない。司令部からの命令も一切発されないまま。


「軍曹、本部に命令の確認を行え」


「ダコール!」


 素早く視線を走らせ隣の分隊を見る、通りの先に居る者達は夕飯の最中らしい。反対側も特に動きは無かった。


 夜間戦闘は防御する側に圧倒的な優位がある、味方には動くなと命じて置けば動く姿は全て敵となるからだ。識別の必要が無いのは大きなプラスになる。


「曹長、待機を継続せよとのことです」


 無線を片手に報告を上げて来る。ツカツカと歩み寄るとドラミニ軍曹から無線を受け取り応じる。


「こちらマリー曹長です。トランプ中尉、傍で友軍が交戦中です、支援の命令を」


 いささか早口で小隊本部であるトランプ中尉に意見具申を行った。


「マリー曹長、YPG本部の命令は待機警戒だ」


 いら立った感じできっと同じ言葉を繰り返す。彼にしても上級司令部の命令を覆すわけにはいかないのだ。


 軍隊は縦の組織。いかに納得いかずとも命令には服従する義務がある。


「YPJは寡兵でイスラム国へ攻撃を行っています。YPG本部への攻撃参加具申をお願いします」


 クァトロでは進言が却下されることは殆ど無かった。ここでは違うとわかっていても、それでも言わずにはいられない。


「却下する。いいか、命令は待機警戒だ、覚えて置け」


 それだけ言うと一方的に通信を終了させてしまう。雑音すら聞こえなくなった無線機をドラミニ軍曹へ返すと舌打ちする。


 戦火はほんの少し北へ行った場所へと移り変わっている。目と鼻の先、昼間なら狙撃が可能かもしれない位の距離で味方が命をかけて戦っている。


「……俺は……」

 ――ここで暴発してボスを支える約束を破るわけにはいかん。だが!


 拳を握りしめて震わせる。悔しくて、情けなくて、もどかしくて。心情が手に取るように解ったドラミニ軍曹が肩に手を添えて首をゆっくりと横に振った。


「ここはまだ貴方の出番ではありません」


 それはマリー曹長へ向けた言葉ではなく、マリー中佐へのものだと解った。より大きな目的を満たすために、屈辱とも言える状況を甘受しなければならない。


「俺は……努力すれば叶うと信じてきた。挑めば勝てると行動してきた。前を向いて歩んできた。それなのに……なんなんだこの現実は!」


 拳を壁に叩きつける。振動で瓦礫が転がり落ちて小さく土煙を上げた。


 いつも冷静で勇敢なマリー曹長が激昂している、兵士が珍しい光景にあっけにとられてしまう。


 三十歳を出たばかりとは言え、理想と現実の差が大きいことなどとうの昔に知っていた。世の中は理不尽で出来ている。頑張れば報われるなどというのは稀なことだと理解していた。


 それを是正したい、努力が報われる世界を作りたいと島が願うので支えている。こんなことが日常だというのが大前提。


「マリー曹長……」


 ドラミニ軍曹とて待機は不満だ。外人部隊ではいつも囮になる側ではあったが、それでも逆の立場より遥かにマシだと知る。


「ふん、改めて確信したよ、ボスは正しいってな」

 ――俺が目指す世界もボスと同じだ!


 己の目標を再確認する。皮肉なものでこうならなければ真実が見えてこない。


 苛立ちを隠すことも出来ないまま時間が過ぎていく。順調だったYPJの攻撃も次第に圧迫を受けて戦線を押し戻されていくではないか。


 じっと待つこと数時間、眠ることもせずにいつでも出撃可能な状態を保ち続ける。携帯テレビでは不定期に戦闘状況が報道されていた。


 ――北東地域にまで押し戻されてきたぞ。これは……モスクか、籠城戦もやむなしだな。


 防御拠点になるだろう市街地外縁のモスク、だがそこを背にすると南へと下がっていく。チラッと映像に出て来たのは、集落で防衛を担っていた外国人集団。


 ――なに! 何故あいつらがモスクにいるんだ!


 じっと画面を見つめる、稀に手がぶれて映る画像ではモスクを防衛しているように見えた。ところがYPJはそこへ逃げ込むことはせず、かといって交戦もしない。


 ――中立勢力? あいつらは一体何者なんだ。


 モスクの南側、通りを二つ挟んで少し先でようやく後退が止まる。防衛部隊の陣地に到達したのだろう。


 戦線の膠着、結局は攻撃前のところにまで戻ってきた。もしYPGが同時に攻撃に出ていればこんな結果にはならなかった。


「曹長、そろそろお休み下さい。戦いは明日も続きます」


 感覚的なものであって、時計はとっくの昔に天辺を越えている。ドラミニ軍曹の言葉は正しく、ここで寝不足を助長する意味はない。


「二時間で交代する」


 言うが早いか目を閉じて眠りについてしまう。兵にも休息を命じて朝を迎えた。


 外を見る、もうすっかり明るくなっている。簡単な朝食を済ませる、腹半分だけで終わらせる。マリーの心がここに無い事は兵にも感じられた。


「本部からの命令はまだありません」


 機先を制してドラミニ軍曹が報告を上げた。携帯テレビは相変わらずで、不定期に戦場を無修正で報道している。


「ん、なんだ?」


 ニュースに切り替わったので視線を外そうとしたが、ブレる動画が映し出されている。ライヴ映像、隅っこにそんな文字があった。


 黒頭巾の男達がお馴染みのイスラム国の黒い軍旗を背にして並んでいる。


 足元には茶色の軍服が二つ転がされていて、腕章を良く見るとYPJの兵士だったことがわかる。


 背後を具に見る、遠くにモスクらしき尖った何かが見えて、影が左奥へと伸びていた。


 ――ここから北東か、五百メートルと離れていないだろうな。


 わずかな情報から多くを手繰り寄せると、音量を大きくする。


「我々に楯突いた愚かな不信心者は、死してなお罪を贖えずにいる。よってここに裁きを下すものとする」


 抑揚のない口調で宣告すると、手にしていた大型ナイフで足元の女性兵士の死体に刃を突き立てた。


「あいつ!」


 何度も、何度も、やがて画面は真っ黒になり切断される。見るに堪えないし、モザイクなしで垂れ流すにはあまりにも過激すぎた。


 今まで散発的だった銃声が一気に多くなる、東側でだ。


「YPJが再度攻勢に出たようです」


 ドラミニ軍曹が事実のみを告げる。なぜまた攻めだしたかは明らかだ、言うまでもない。


「軍曹、本部へ通信を繋げ」


「ウィ」


 このところ英語での会話に大分フランス語が混ざるようになってきていた。兵は気にしていなかったが、心境の変化だと軍曹は捉えていた。


「マリー曹長です。ニュースをご覧になられましたか?」


 知らなければ教えてやるつもりで急いた口調になり確認する。情報の収集を怠っていなければ、恐らくは多くが知っているだろう。


「ああ。ふざけた野郎だ」


 トランプ中尉でもアレはこたえたようで幾ばくか棘が抜けた反応をしてきた。少しだけ間を開けたが新しい命令が下らなかったので催促する。


「支援攻撃命令を要求します」


 それはもうストレートに求めた、中尉もしばらく閉口する位の勢いだ。命令を寄越せとは恐れ入る。


「本部の命令は待機警戒のままだ」


「我等は戦う為に戦場にいるのではないのですか?」


 ついに真っ向意見をぶつける。あのようなものを見せつけられて黙っていることなど出来ない、出来るはずがない。


 感情に流されてはいけない、そんなことは知っている。だが自身の気持ちに嘘をつくかのようなことはしたくなかった。


「そうだ。勝利をつかみ取る為にここに在る」


「ではご命令を、敵を倒せと一言」


 声量を抑えて努めて冷静に言葉を交わす。兵らはハラハラしていた、明らかに言い過ぎている。確実に掣肘を受けるだろう、それぐらい逸脱しているのだ。


「勝手な真似は許さんぞ。これ以上言うようなら、分隊を解散して、指揮権を返上させる」


 将校としては非常に真っ当な警告だろう、どなりちらすことで対応しなかったのはトランプ中尉にしては上出来だ。


「それが、ILBの意志なのでしょうか」


 相手がゆっくりと警告を発してきたのでマリーも同じように、ゆっくりと言葉を区切る。


「俺の意志はILBの思想を体現している。もう一度言う、これ以上は職務を解任するぞ」


 最後通牒とはこれだ、従うしかない、そうすることが下士官の務めであるのだから。指揮を乱すような真似をしてはいけない、重々理解している。


「そうですか、了解しました」


 安堵の空気が流れる、事なきを得たと。多少のわがままは許容すべきだ、それだけの戦果を得ているのだから。


「解ればそれで宜し――」


 トランプ中尉もほっとしてなだめるような口調に変わったが、それを遮りマリーが続ける。


「ILBはもっとマシな組織だと信じていましたが失望しました。もう結構、私はこれで失礼します、短い間でしたがありがとう御座いました」


「おいマリー曹長、何を言って――」


 今度はマリーの方で一方的に通信を切ってしまう。そのまま通信機を足元に捨てると小銃を胸の前に構えた。


「中尉にしては珍しく、快く意見を採り上げて頂いた御様子ですね曹長」


 物別れに終わった交信、若干顔を蒼くしている兵を脇目に、余裕綽々でドラミニ軍曹がおどける。彼もどちらが正しいかなど解っている、解っているが正しいことが全てではないことも知っているのだ。


「なに、ドラミニ軍曹……」にやりと笑みを浮かべて彼も小銃を構えるのを見て「お前も大概物好きだな」


 二人の上官の表情を見て我に返ると、兵士らも揃って立ち上がり銃を手にする。彼らも戦う為に志願してきたのだ、傍若無人な振舞を見せつけられてこれ以上黙ってなどいられない。


「さあ曹長、ご命令を!」


「俺達が信じる道を目指して戦うぞ! 続け!」


 くすんだ緑に青ラインの軍服十二人がYPGの防衛陣地から離れていく。その事実は直ぐにILBの大隊本部にも通報された。


 異常があれば報せる義務がある、部下の監督不行き届きであってもYPG本部にも知らせなければならない。だがカユラン少佐への報告は、エルドアン大尉の一存で暫しの保留となる。


 二人一組の斥候を二組出す、班長はドラミニ軍曹だ。映像にあった場所まで一直線、潜んでいる敵を見付けては排除して分隊を進める。


 途中でドラミニ軍曹は衛星携帯を取り出し「報告します、マリー中佐がILBを離脱してイスラム国への攻撃を開始。分隊はそれに従い交戦中」どこかへと連絡を行った。


 言うだけ言うと直ぐにしまいこんで戦闘を再開する。今までにない激戦地真っ只中、この先は少しも気を抜くことが出来ないだろう。


「このあたりのはずだ、周辺警戒!」

 ――モスクをあの角度に見て……居た!


 通りの角から先を見ると黒頭巾の集団が寄ってたかって死体に暴行を加えているではないか。半ば狂気じみた行為、新兵への度胸付けに使っているのかも知れない。


 遠目ではあるが、若い顔つきの兵士が多く混ざっていた。黒頭巾は煽ってはいるが、若いモノへ注意を傾けているのが見て取れた。


「俺が突っ込む、援護しろ!」


 言うが早いか物陰からマリーが飛び出す。ドラミニ軍曹の命令で制圧射撃が行われた。兵士が三人マリーに従い共に走る、あてずっぽうに射撃しながら集団の居た場所にだ。


 激しい反撃に体のあちこちに熱を感じる、だが怯むことなく距離を詰めると一連射して弾倉を素早く交換した。


 真っすぐに数秒走ることが出来ればたどり着ける位のはずなのに遠いこと。右に左に位置を変え、幾度も弾丸の雨を潜り抜ける。


 ――くそっ、たったこれだけがなぜ進めん! ビダならばもう辿り着いているぞ!


 全神経を尖らせイスラム国兵の動きを感じとる。居場所、弾倉の交換、それどころか呼吸をも見極めようと。


 僅かな瞬間、一秒を下回る隙をついて進み出る。急所を突いて残る距離を一気に詰めた。


 ようやくやってくるとその場に片膝をついて、痛めつけられた女性兵士の死体をみて顔をしかめる。


「惨いことを。YPJの陣地まで連れて行くぞ!」


 一人を肩に担ぐとすっくと立ち上がる。体から大量の血が流れ出てしまったのか妙に軽かった。


 軍服は血にまみれて見るも無残になっているが、ここに放置することなど出来ない。もう一人も兵が担いで脇道へと移動する。その間もドラミニ軍曹らが必死に牽制射撃を加え続ける。


 弾薬は無限にあるわけではない、このペースで撃ち続けていたらあっという間にからっぽになる。ではどうするか、答えは戦場で補給しながら戦うだ。


 歯を食いしばり全力で走る、軽くなったとはいえ人を担いで走るのは難儀する。マリーが脇道に逃げ込んだ後に、後続のドラミニ軍曹らが死体から武器をはぎ取り合流した。


「曹長、どうします。ちょいとばかり敵が多いですが」


 ざっと数えて百倍くらいだろうとおどける。それは正確ではないだろうが、バツにするには勿体ない位に状況を示していた。


 十二人が敵の完全支配地域に潜り込んだ、どうなるかの想像は難しくない。普通ならばよくて全滅だ。


「通りに沿って東に進むぞ。モスクを目指す」

 ――あいつらが何者であったとしても、死人を安置することに文句はないだろうさ!


 何せモスクがどのような施設であるかを考えれば見えてくる。問題はそこまで無事にたどり着けるかだ。


 激しい、あまりにも激しい射撃が雨あられと飛び交っている。物陰を出ればあっという間にハチの巣になりかねない。


 暫く身動きが取れないほどにうち据えられる。物量の差、こうなることは解り切っていた。


「さすがにこいつは苦しいか……」


 いつまでも縮こまっているわけにはいかないし、ILBは助けてはくれない。あれだけの台詞を吐き捨てて泣きつくことも出来ないが。


 自力で脱出する、その為には犠牲者を出さねばならない。死を織り込んでたてる作戦は作戦ではない。退路を考えないそれはすべて却下、クァトロでも外人部隊でも変わらない鉄則。


 ――俺はここで終るつもりはない、考えろ、策を捻り出せ!


 どこを攻めて、どこを通れば居場所を変えることが出来るか。数秒に一度想定しては別案を練る。


 キューン。どこかで空気を切り裂くような音が響いた、直後二つ先の区画のビル跡が爆発を起こす。


 それに続いて通り北面沿いの建物が順次爆発をする。支柱がしっかりと生き残っていなかった民家などは、いともあっさりと崩壊した。


「モーターによる支援砲撃です!」

 

 口径が何かは音を聞いて判断する、六十ミリだろうことはマリーを始めとした殆どの者がわかった。


 あちこちに着弾する割には近くには決して落ちてこない。


「こちらの位置を把握しているようだな。行くぞ、軍曹!」

 ――良い観測砲撃だ、誤爆を受けないように適切な距離を保っていてくれてるぞ。


 小銃は首からスリングでぶら下げて、死体を担いで歩む。血まみれの姿になった自身の姿など気にすることなく、東へと進み続ける。


 後ろにも多数の黒い敵、部下が被弾して生気を失っていくのに臍を噛む。拙い指揮のせいで苦労をかけ続けた、だがやめるわけにはいかない。


「曹長、モスクが見えてきました!」


 すぐ傍の瓦礫に弾着して焦げ臭い煙を産み出す。残り少ない銃弾の数を思い浮かべながら左右を見た。


 ――右手前方に敵の防衛線、その先にまで行けばYPJの陣地だってのに通行止めだな!


 ほんの少しだけ、あと数秒、これこそが戦場で生死をわける瞬間。微かな希望に賭けて右手へ進むのを良しとせず、左手前方のモスクを再度見る。


 ――奴らは交戦してない、こちらから仕掛けない限り攻撃はしないつもりだ。


 大胆な仮説を立てる。集落を防衛していた集団、それでいて恐らくは村人を護送してきて、今はモスクを防衛しているのだろうと考えを繋げていく。


 ――アレは傭兵の類だ、方針をその場で変えられる程柔軟じゃない。


 多くを敵にまわしているイスラム国、だというのにモスクを奪還しようとしていないのは何故か。精強な傭兵とモスク。散らばるパズルを組み合わせると声を上げる。


「左の瓦礫を盾にモスクへ突っ込むぞ。守ってる兵には絶対に攻撃するな!」


 分隊が銃を乱射して道を切り開く。左手のイスラム国兵は何とかなったが、背中から攻撃されると警戒した右手の兵が振り向きざまに攻撃を加えて来る。


 ビシビシと瓦礫に銃弾があたり、幾つかが抜けてきて体を掠っていく。


 マリーは脇腹に手を当てた、すると担いでいる死体のものではない、暖かなぬめりを感じた。


「曹長、YPJの援護射撃です!」


 多数の銃撃が集中してモスクとYPJ陣地の間に陣取るイスラム国兵に向けられた。体を小さくして嵐が過ぎ去るのを待つ。


「今だ、突っ切るぞ!」


 自らが先頭になり残りの距離を駆ける。傭兵が銃口を向けて「止まれ!」警告をしてくるが無視した。


 相手が英語を喋るのを確認すると「そこの教会に用事だ!」大声で叫ぶ。傭兵はしかめっ面をするが撃って来ることはせず、ただ駆け込んでくる奴らを睨んでいた。


 肩で息をして床に四つん這いになる、流石にイスラム国兵もここにまでは攻撃を仕掛けては来ない。


 数秒で呼吸を無理矢理に整えて顔を上げる、逃げ込めば終わりではない、今度はここが新たな戦場になる。


 ――あの時の奴だ! この顔、忘れはしないぞ!


 マンピジュ市街地で言葉を交わした男、向こうも気付いたらしい。かといってお互いそれには触れなかった。


「信徒の亡骸を安置しに来た、俺達は客だよ」


 強引な物言い、そいつは一言も反応しない。或いは出来ないのかもしれない。刺すような視線だけを向けて来た。


 状況の変化は驚くほど速くに訪れた、イスラム国がモスクにも攻撃を仕掛けてきたのだ。


 ――読み違えたか!


 屋内に押し込められたら、最早逃げ場はない。まゆをひそめた、手持ちの兵器では追い返すことはまず無理と経験から知っているからだ。


「モスクが攻撃を受けている、反撃するぞ」


 傭兵がはっきりと皆に聞こえるように宣言する。五十人はいるだろう兵士が持ち場に就くや否や一斉に反撃を加えた。


 突如参戦してきた戦力にイスラム国兵が距離を置く。


「なんだ、助けてくれるのか?」


「違う。我等はモスクを守護するのが務めだ」


 一瞬も迷わずに断言されてしまう。何はともあれ中央の大広間で止血テープを取り出して互いに応急手当を行う。


 慣れたもので一時的な処置を数分で終えてしまった。あまりにも被弾が多くて今さら驚いていた。


「さて、これからどうしたものかな」

 ――ここに居れば多少は安全って気はするが、すぐにでも追い出されそうだ。それにしても、こいつらも手練れだな……あの腰につけているのはグルカナイフだぞ!


 それを装備している傭兵、即ちこの集団がグルカ傭兵だと確信する。契約は絶対、全滅しようと違約はしない。


 どこの誰がモスクの守護を契約したのか、まったく想像できなかった。中東のマハラジャが気まぐれで派遣してきただろうとしか。


 後方で指揮を執る中年の男に歩み寄る、顔だけを少し向けて来た。


「俺はILBのマリー曹長、取引をしないか」


 そいつはじっと睨むだけで一言も発さない。それはそうだ、恐らくは契約の遂行中、ここで取引など出来るわけがない。


 だが無言が肯定でもあるのは世界の常識だ。


「このモスクを守るのがそちらの役目なんだろ、どれだけ武装してるか分からんが、いずれ不足するはずだ。俺が補給を入れる、だから通り二つ先のYPJの陣地まで支援攻撃を頼みたい」


 マリーも視線を逸らさずじっと男の瞳を覗き込んだ。激戦地に補給を入れる、たかが曹長の分際で大きく出たと思われているのだろう。


 交戦は続いている、武器弾薬は言うように無限ではない。一時休戦状態にでもなれば輸送も出来るだろうが、こんな状態ではどうにもならない。


「……何の担保がある」


 ついにそいつはマリーに正面を向けて交渉のテーブルについた。望みを満たせばイエスと言うならば、半ば扉は開いたようなもの。


「俺は組織に属している、そこの頂点は約束を決して違えない。ここで交渉が成立したなら絶対に履行される」

 ――クァトロは決して約束を違えない、それがいかに困難でも、一方的な不利でもだ!


 自信満々でそんなことを言っても信じられるわけが無い。無用な危険を背負って口約束が無効では浅慮だとあざ笑われるだけ。


 契約を神聖な行為と信じて長年生きてきたグルカ傭兵、相手が嘘を言っているかどうかを見抜くだけの目利きの経験は人一倍あった。


「この場で連絡を取れるか」


「ああ、そちらが望むなら」


 自身の衛星携帯を取り出すと番号を思い出しながら押す。こんなところで他人の手を借りねば危機を脱することも出来ないと悔しさを抑えながら。


 ――感情に振り回されILBを抜け出し、一人で脱出も出来ずに上官を頼るか。何が中佐だ、小僧が経験不足で多くに迷惑を掛ける。


 一度、二度とコールして三度目の途中、懐かしい声が聞こえる。


「俺だ」


「ボス、マリーです。現在アレッポ北東のモスクでイスラム国兵に包囲されています。現地勢力の助勢を受けてYPJ陣地へ脱出を試みるところ。助力の代償に現地勢力に補給を行っていただきたく思います」


 言いたくはないが言うべき全てを吐露する。自分は無能だと公言しているようなものなのだ。


「解った、マリーの思うようにするんだ」


 意見が上がってくれば多くを受け入れ承認してくれる。いつもの島の態度が心に刺さる。


 何があったかの詰問をしてくれた方が、情けない奴だと叱責してくれた方がどれだけ楽か。


「ありがとう御座います! 代表者に代わります」


 わざと分かるように英語で話をしていた、マリーは手にしていた衛星携帯を男に渡す。傭兵隊長は手元を一瞬だけ見るが、ずっとマリーの瞳を見据える。


「……ラームだ、そちらは」


 訝し気に電話の先の人物に語り掛ける。何者であっても声から真意を、本気の度合いを聞き出すつもりで真剣に。


 人は嘘をつくときに声が高くなる、緊張して咽が狭まるから。微かな変化に気づけるか、注意力の差は戦う力の差だ。


「ん、ラームだって? 私はイーリヤ中将だが」


 どこかで聞いたことがある声、そして心当たりがある名乗り。目が泳ぐ、識別には自信があった、間違いなく先日出会った雇用主だ。それがどれだけ不審であっても、現実からかけ離れた結果であっても、ラームは己を信じた。


「サー! マスターエンプロイヤー、サー!」

 

 今度は傍らのマリーが驚く、単語の意味を理解していれば呼びかけが異常だと直ぐに気付く。


「するとラーム隊長か!」


「サーイエスサー!」


 見えているはずもないのに背筋を伸ばして。


「事情は良くわからんが、そこに居るマリー中佐は俺の代理権限を持つ男だ。先の契約目標を現時点で破棄する、即座にマリー中佐の指揮に従え」


「アンダスタン!」


 衛星携帯をマリーに返すと、胸を張って気を付けの姿勢をとり微動だにしなくなる。


「ボス、どういうことでしょう?」


「グルカ兵五十とラーム隊長だ。いつぞやのことだが、優秀な後輩に奥の手の一つでも増やせと言われたことがあってね。グルカ兵をマリーの指揮下に入れる、好きに使え」


 パラグアイでだったか、そんな台詞を口にしたことを思い出す。マリーは自身の居場所がどこなのかを強く思い知らされる言葉に再度心を刺された。


「申し訳ありません、兵をお借りします」

 ――まさかマハラジャがボスだったとはな!


 ラーム隊長だけではない、微かな声の変化に気づける注意力を持てるかは経験だ。


「マリー、お前の判断は俺の判断でもある。何があろうと生き残り、前へ進め」


 長い付き合いだ、マリーが沈んでいることを見抜くと顔を上げるようにと激励する。遠く別のところにいても、心は常に隣り合っている。


「はい、先輩!」


 通信を切断すると目を閉じる。兵は何が起きているのか一切解らずにポカンとしていた。一つ深呼吸をすると気持ちを入れ替える。


「俺はマリー曹長だ。ラーム隊長、支援攻撃をするんだ」


「サー! エンプロイヤーズエージェント、サー!」


 雇用主代理人、島が代理権限があると言っていたのを受けての呼称。


「次の命令があるまでは、今まで通りモスクを守護しろ」


 くるりと振り返ると分隊の者を見る。一人一人の瞳を覗き込み多くを語らず。


「YPJの支配地まで撤退するぞ、立ち上がれ!」


 床に寝かせていた女性の死体、事情が変わったので再度肩に担ぐ。名も知れぬ兵士、それでも捨ててはおけない。


「これがアフリカの巨人の奇跡ってやつですか」


 ドラミニ軍曹が狂信的な目でマリーを見る。噂には聞いているだろう島の伝説の数々、きっとこの先にまた一つ加えられるのだろう。


「奇跡なんかじゃないさ、うちのボスは努力を認める天才なんだよ」


 心が一気に軽くなり、視野が物凄く広くなる。幾つものシナリオが頭の中に浮かんできた、今までいっぱいいっぱいだったのが嘘のようにだ。


 傭兵隊が南側に偏重配備される、支援態勢が整ったのを確認すると分隊に号令をかける。


「残り僅かな距離だがここが道半ばだと心して掛かれ! 分隊、俺に続け!」


 制圧射撃が加えられるとイスラム国兵は頭を下げられるだけさげて数秒を凌ぐ。モスクから死体を担いだマリーを先頭にして、十二人が飛び出す。


 通りの南側からもYPJが制圧射撃を加える。前後から猛攻撃を受けて、遮蔽物の下でじっとしているしかないやつを目の端に収め、ひた走った。


 YPJの応戦部隊が構築しているバリケードが一部取り払われる。全員が逃げ込むと再度封鎖された。


 肩から女性の死体を下ろすとYPJの歓声が上がる。仲間が凌辱されていた、それを救ってくれた者が居たと。


「ILBの色男、あたしを抱いて!」


「籠って出てこないYPGのインポ野郎はこいつを見習え!」


「司令官に報告をあげな!」


 ドラミニ軍曹と目を合わせて肩を竦める。何ともコメントしづらい声が多いこと。


 陣地の奥からギラヴジン司令官とジンビラ副官が出て来ると、マリーはつい「あ……」なさけない声を漏らしてしまった。


 後日、それもニ十四時間でモスクに空輸で補給が行われたのは言うまでもない。その際には、フランスの輸送機にアメリカ軍の護衛戦闘機が寄り添い上空を通過する。


 驚くべきことは、ロシア軍からの誰何が一切なかったことだった。



 撃墜されて司令部に戻った後数日、執務室にグロック准将が姿を現す。手には数枚の書類を携え、黒の軍服を着ている身のこなしは、齢五十を目前にしているとは思えなかった。


 島が不在の際には司令官席に腰を下ろし、アル=イフワーン・アル=ヌジュームだけでなく、クァトロ全軍の指揮を執る。共に並んでいればどちらが主将か間違える者も多いだろうことは、島が認めていた。


 軍靴を鳴らして眼前で立ち止まると手のひらを外側にして敬礼する。外人部隊を出て後このスタイルを変えたことは無いし、そんなことを考えたこともない。


「報告いたします。アレッポでの戦闘が収束、政府軍並びにクルド人勢力の勝利で推移しております」


 出張とほぼ同時に起こった大事。現在進行形で戦争が行われていたが、各軍の奮戦で組織的な戦闘は終わりを告げたようだ。


 市街地北西部が新たに政府軍の占領を受け、統治を回復した。占領ではなく奪還というのが正しいだろうか。


 市内の中央を流れる河の北東、YPGとYPJの軍がイスラム国兵を駆逐した。ひと悶着あったのも聞き及んでいる、YPJを囮にして戦闘をしたというのを。


「残党の動きは」


「東部ラッカ方面へ撤退中です」


 固まって動いているわけではない、少数グループで百数十キロを移動している。シリアにおける重要拠点のうちの一つが陥落、残る拠点へ退くのが普通だから断言しているだけだ。


 ラセルハルマムイマームのすぐ南にデアーハファイアがある、いわゆる競合地域。もしここを強固に防衛できるならかなりの残兵を刈り取ることが出来るだろう。


 壁に貼ってある地図、島は立ち上がるとゆっくりと側へと歩み覗き込む。


 ――そこに阻止線があるわけじゃない、太陽だって沈む、大多数はラッカへと逃れるだろうな。


 歩いて向かうにはやや遠いが、それでも十日と掛からずにたどり着ける。ゴールが見えれば人はやる気を出す、ましてや武器を抱えたまま動いている、邪魔をして被害を被るのをデアーハファイアの指揮官はどう考えるか。


「一件はどうなった?」


 島が尋ねているのはYPGとYPJの軋轢だ。アレッポ攻撃部隊の司令官が読みを誤った、囮にされたYPJが何とイスラム国の攻勢を独力で耐えきってしまったのだ。


 攻撃計画を途中で放棄し待機警戒に移ったYPG、そのまま攻撃を続けたYPJ。その後に押し返されてしまい圧迫を受けたが、激しい戦闘を凌ぎきりついに全体が勝利を収めた。


 救援要請を受けてYPGが助けに出ることで、囮の件をうやむやにするのが参謀だったカユラン少佐の計画。ところがYPJは厳しい防衛を現地勢力の誘致含みで乗り切る、猛抗議を行うのは目に見えていた。


「YPJは正式にロジャヴァのクルド民主統一党執行部へ抗議を行いました。YPGは現場判断ということで組織自体への非難を回避しています」


「トカゲの尻尾切りか。何の不思議もないがね」


 攻撃部隊司令官らの更迭、ゆえにカユラン少佐も参謀だったと表されている。それでも面目丸つぶれを免れる材料もあった。


 YPJと行動を共にして奮戦した部隊。戦場に取り残された女性兵の遺体を、たったの一個分隊という少数で奪還した勇敢な兵士たち。


 YPGは憎いが、ILBは英雄視された。大隊長代理であったエルドアン大尉、YPGへの報告を握りつぶしていたことが功を奏して、分隊を派遣した体をとったのだ。


 そうすることでYPGも事後承諾で行為を認めるしかなく、ILBの尽力もありYPJは陣地を守り切ったという筋書き。


 その英雄、指揮官であったマリー曹長は一気に大尉に昇進、ドラミニ軍曹も上級曹長になり多大な注目を集めている。


 もちろん大反対した人物も居た、原隊での上官であるトランプ中尉らだ。しかし国際自由大隊長ナジャフィー少佐の決裁で全ては強引に、かつ速やかに執行された。


 ILBまでもがここで共に沈んでしまうのは許されない、小を殺して大をとる。少佐の判断は概ね正しいと多くの者が納得する。


「ILBに新たな中隊が産まれました。エルドアン大尉の率いるトルコ系の第一中隊と、その他の全てをまとめた第二中隊です」


 数は第一中隊の方が多い、とは言えそもそも中隊と名乗る程の数は居ない。こうも上手い事運んでいるのは偶然ではない。


 ドラミニ上級曹長の通報を受け、トゥヴェー特務曹長が裏工作を実施した。最悪を歩まないためにどうすればよいか、身近な者の意見を聞きナジャフィー少佐が判断したのが事実。島がトゥヴェー特務曹長に命じた唯一の工作がここで効果を発揮した。


 YPGはこれを拒否するとみられていたが、PYDクルド民主統一党の主力議員連合が女性地位向上を党是としていたせいもあり、多数の支援意見を集めて執行部が折れた。


 上部組織に当たるPYDの命令で、YPGは不満を飲み込んで結果を受け入れることにした。その代わり更迭を受けるのは、責任者である二人のみ。


「マリー大尉か。あいつなら直ぐに頂点になるって解っているさ」

 ――何せマリーだからな。そこいらの将校と比べて、劣る部分など見当たらんよ。


 後輩の顔を思い出し微笑を浮かべる。グルカ兵と遭遇した前後に多少沈んでいたことはあったが、このように納得いく結果を打ち出したことに何の文句もない。


 三階級昇進、政治的な決着というもので異常は承知の上。普通ならば役者が不足してしまうところだが、中隊長程度の役目でマリーがあたふたするようなことなど考えられなかった。


「そちらは中佐に任せておけば問題ないでしょう」


 グロック准将もはっきりとそう言い切る。島の後輩であるなら、グロックの後輩でもある。能力を正確に把握できるか否か、長年の経験では未だ島も及ばない。


「で、本題は別にあるわけだ」

 ――こういったやり取りがしっくりきすぎるな。


 耳に入れておくべき前置きを他所に、グロックが手にしている書類の意味を推察する。情勢などは頭に入っている、ならば詳細な数字であったり、雑多な名詞が並んでいる何か。


 一枚はきっと地図の類だろうなと、再度壁に貼っているものを見た。小さな町までは書かれていないが、重要な街と地形が読み取れる。


「先の地対空攻撃、実施したイスラム国地方司令部、アイン=ラサの攻撃を進言いたします」


 まさかの撃墜、どうやってか情報を手に入れて見事にやってのけた。やられたらやりかえす、それも数倍にしてというのが外人部隊の掟。


 どこの誰が実行犯かを調べ、作戦を立案し、恐らくは兵も手配可能な状態にしてある。ここまでたったの数日、神速作業にもほどがある。


「詳細を」


 体の正面をグロック准将へ向けて瞳を覗き込む。書類を持ってきているのに、一切視線をやらずにすらすらと述べ始める。


「情報の漏洩、YPGの方面司令部の中に問題があります。クァトロで訪問を知りえたのは、自分とサルミエ少佐、それにエーン大佐のみ」


「なるほどな。ならばYPG側だろう」

 ――こいつらが漏らすはずがない。親衛隊もだ、あいつらは脅迫されても絶対に従うことが無いぞ。


 世界最高峰の統制力、封建主義社会のような上下関係。現代軍ではありえない構図。


 島の為に命を投げ出す奴が三ケタ単位でうじゃうじゃしているのだ。


「対空攻撃は功績になりえます、高価な情報を他の司令部に渡すことは無いでしょう。黒幕はアイン=ラサ司令官のダクニシュ戦争大臣補佐官」


 イスラム国は国家の体を為しているので、高官は政府の官職を履いている。年に三度も戦争大臣が死亡で繰り上がりをしたりはあるが、それでも頂点を目指す人物は絶えない。


 人は他人に認められたいと願い、その為に様々な努力をする。何ら不思議なことではない、誰しもがそう思っているのだ。


 極めて数少ない例外の島をグロック准将はじっと見つめている。


 ――戦争大臣補佐官、確か五人ほどいた気がする。将官の目安といったところだろうか。


 イスラム国の兵力ははっきりとしていない。それでも凡その目星はついていた。総兵力は三万人前後、シリア、イラク周辺に駐屯しているのが二万五千ほどで、残りは各地で別の活動に就いていると言われている。


 実際の戦闘兵力は一万人を少し出た位しか居ないとも目されていた。排除するために一万五千人の兵力が必要、ホワイトハウスが出した声明にあったのが根拠。


 上空援護、最新の武装、敵を上回る兵力、超長距離兵器、無人攻撃兵器、これらを駆使してようやくはじき出した実数だ。


「同地の武装兵力は千人、武装強度は軽歩兵、装甲兵器は車両が十両未満。ダクニシュ司令官の所在は確認済みです」


 攻撃を仕掛けるのに必要な情報は充分収集してある、準備に手落ちは無いぞと表情が語っていた。


 ――アイン=ラサを攻めるだけで終るつもりはないんだろうな。何をしたら相乗効果が望めるか、敵でも味方でもないやつに力を示してやるってならアレか。


 地図上の距離を確かめた、道路を真っすぐ行って凡そ百六十キロ。車両で三時間の行動距離だ。


「アルハジャジに約束を守らせるには二カ所同時に炎上させる位はせんとな」


 くるりと振り返り挑戦的な視線を送る。報復を行うのは良い、だがその行動の価値を最大限に引き上げるのは作戦を練る上での必須事項でもある。


 クァトロばかりを酷使するわけにも行かない、いよいよ民兵団の出番がやって来ることになるだろう。


 目を細めてグロック准将は間合いを計る、求めている回答を探り当てると素早く骨子を組み上げた。元より幾つも策は抱えていた、あとは選ぶだけ。


「ルワンダで東へ西へと走り回った奴らです、不足はありません。街に追い込む番犬の役割、ユーフラテス同盟では不適切です。此度はデリゾール県のファールーク作戦司令室に担当させましょう」


 アフマド統括事務官がアミールを名乗り、デリゾール県のファールーク作戦司令室で指導者の一人として数えられていた。


 彼の指導に従うのはメナファ大隊、エルジーラーノ大隊、サディコン大隊、シリア・サハラ大隊、ハルワラ大隊の五つ。元ハズム運動のシリア・ファルーク大隊が、ラスタン殉教者大隊や殉教者アブドゥルガッファール・ハーミーシュ大隊を誘致して建てた組織。


 現在十余の組織が所属し、シリア・ファルーク大隊のスーラン・マルディニを司令官に据えて活動中だ。大雑把に言えば、デリゾール県から外敵を排除するのが目的。


 組織の半数を握っているアフマドだが、実際に指揮する大隊長は別に存在している。最後の最後まで正体を明かすつもりはないので、助言者の域を出ない立ち位置を固守。その甲斐ありマルディニ司令官に睨まれることも無く、アミールの地位を認められていた。


 アミールとはイスラム教関係の司令官や指導者、要は上位の立場の者と解釈して大きく違わない。


 まさかマルディニ司令官も、半分が偽装民兵だとは考えもしていないだろう。ロマノフスキー准将の指揮下にあるそれら、グロック准将が囲い込みに使うと指名した。


「主力がクァトロなのは解ったが、駐屯するのに適切なシリア人部隊が必要になるな」

 ――街を支配するのは現地人でなければならん、これは絶対だ。


 それが解っていないはずがない。誰が防衛に名乗りを上げるのか、知っておかなければならない。


 少数のクァトロ戦闘団で、実戦は勝てると信じて疑わないのがどうかの部分は置いておく。占領後の措置、実力だけではなく実績も必要になってくる。


「二つの川の間の土地を守る女性防衛部隊、そこに功績を上げさせます」


 全てを明かさずに小出しにしてくる。グロック准将の常套手段で、教育を兼てのことだと気づく。


 ――二つの川の間の土地を守る女性防衛部隊ときたか。イスラム教徒ではなくキリスト教徒の女性兵で固めた民兵団だな、数は多くないはずだ。とても維持できないだろう。それを指名したということは……だ。


 イスラム社会にあってキリスト勢力を持ってきた理由、答えは近くにある。


「ご近所のキリスト教徒部隊といえば第六だな。まあ順当なところだろう、ユーフラテス同盟とを繋ぐハブとして地位を強固にしてくれれば嬉しいね」


 満足いく提案を受けて表情を崩す。どれだけトラブルが出て来るかはわからないが、もうすぐ峠の検問所は引き払うことになるだろう。


 マーカッド司令部もそれにつれて畳むことになるかも知れない。様々な展開が頭に浮かんでくる、どれもこれも困難が山のようについてくるが文句はない。


「閣下、参謀長より作戦案を提出いたします」


 手にしていた書類を差し出して来る。受け取りチラッと目を通すと、そこにはアイン=ラサ攻撃と、ダイルアッザウル攻略の案件がまとめられていた。


「作戦を受理する。全ての準備が整い次第実行だ」


「ダコール モン・ジェネラル」


 踵を鳴らして敬礼すると部屋を出て行く。この時、流石の島もその日のうちに再度やって来ることまでは予測できなかった。


 可及的速やかに行え。有言実行とはこれだと痛感させられることになる。



 朝もやに陽が差し込み一気に夜が明けて昼間に移り変わった。山間の林、これといった利用価値は皆無。アル=イフワーン・アル=ヌジューム、星の団は緑に星一つの軍旗を仰いでいる。


 偽装集団の中身はクァトロ戦闘団、今回は司令のマリー中佐を欠いている。車両は全てエンジンが掛けられ、銃には実弾が籠められていた。


 いつでも戦いを始められる態勢、武装待機に入っている。


 群れの統率者、部隊先任下士官はビダ先任上級曹長、更にはフィル先任上級曹長まで直前に着任していた。共に三十代前半、戦歴もほぼ同等で世界屈指の経験を持っている。


 自信に満ち溢れるその姿、兵らの勇気を震わせる要因にもなっていた。彼らの指示に従っていれば間違いは無い、生きて帰る為には命令に疑問を持たず遂行する、それだけで良い。


 司令であるマリーの代理は、彼の親友であり次席将校でもある少佐が指名されていた。二十八歳と年少のブッフバルト少佐。だが彼は二人の下士官と同じだけの戦闘経験を持っている、まさに前線将校のエッセンスと言える人物。


 島、そしてマリー中佐に引き続き、世界水準を越えた昇進スピード。大尉と少佐の差は大きい、一段違った役割を求められているからだ。


 高度技術兵器の使用を制限されていたが、イスラム国だけを相手にするつもりなので一定の解放を許可されている。交渉や連携に何の関係もなく、情報が西側陣営に漏れる心配もない。


 戦闘団は手製の戦闘装甲車であるカスカベルCと、鉄板を貼り付けて機銃を設置した軽装甲機動車、迫撃砲や重機関銃などの火力兵器、そして何より通信機器の利用を認められていた。


「少佐殿、戦闘団準備完了しております」


 ドゥリー大尉が現在の次席将校、副長として報告を行う。編制されている将校は全部で七人、全員が機械化歩兵中隊長という独特な立ち位置。


 戦闘団司令部には将校が存在していない、頂点が欠けるとバラバラになってしまう恐れがある。あまりにも危うい運用法、それでもクァトロはそうやって戦歴を重ねてきた。


 組織としては脆弱な体制、反面意志の統制にかけてはこれ以上ない。何せ司令一人がやるといえば実行されるからだ。


 これが合議を主にした集団であれば、動きは鈍いが誤りは少なく、一人二人が欠けても組織はびくともしない。一長一短あるだけでどちららが正しいものでもない。


 装甲戦闘車両中隊、装甲偵察中隊、対戦車中隊、軽装甲機動部隊、武装ジープ中隊が複数。七十両ほどの車両に三百人弱の兵力を抱えている。


 塗装こそ変更されているが、中には新品の装甲戦闘車が混ざっていた。ストライカー装甲車、その指揮車両、迫撃砲搭載車、それにアメリカ軍がイラク駐留軍に配備しているとの言われている機動砲車が何故かある。


 ヌル少佐が救援の代わりに受けた武装供与の一つ。三両で四億円からの装備を無頼に渡したことが本国に知れたら、野党の支援者から激しい突き上げをくらうことは間違いない。税金の無駄遣いをしたと。


 八両で中隊一つになる。総数と計算がずれているのは将校七人で中隊が八個あるからに他ならない。マリー中佐が不在でも彼の中隊は稼働しているからだ。


 大規模戦闘の際にはこの八両がそれぞれ一個小隊を率いる、八個小隊での中隊編制になるのがクァトロの大きな特徴と言えるだろう。


 訓練に訓練を重ね、実戦経験を積んできたクァトロ兵、彼らは兵士一人一人が分隊長を務められるように厳しく鍛えられていた。マリー中佐だけでなく、ブッフバルト少佐でも短期的にならば師団を指揮出来るだけの経験を持っているのだ。


 島も、ロマノフスキー准将も惜しげも無く機会を提供し続けていた、それが今に至っている。


 コムタックを通してブッフバルト少佐が部隊に訓示を行う。


「アイン=ラサでダクニシュ司令官を仕留めて後に、ダイルアッザウルを落とせとの命令が下った。アイン=ラサの司令官には大きな借りがある、奇襲にもなるのでこれを徹底的に叩きのめすぞ」


 クァトロ司令官の座乗機を撃墜された、許されることでない。敵司令部を炎上させて一切の能力を喪失させるまで攻撃を継続すると宣言した。


 過剰な攻撃は純軍事的には無駄で、戦略的に見れば物資の垂れ流しでしかない。だとしても今回は作戦の立案者、グロック准将の方針で派手にぶち壊して来いとの言を得ている。


「ダイルアッザウルの戦いでは、現地勢力としてエルジサアウ大隊も参戦する。キリスト教徒女性部隊も戦いに加わるが、制圧後は速やかに撤退することを忘れるな」


 連戦するだけでも恐ろしい一件だというのに、休むことも無く消えてなくなれとは報われないこと甚だしい。誰に向かって功を誇ればよいのか、不満があっても何もおかしくない。


 だが誰一人文句を言うような者はいない。島が皆に求めた事、それは精強さではなく統制力。


 エルジサウア大隊もご多分に漏れず偽装民兵で、アラビア語の防衛を意味している。始めからどこかの拠点を守るために用意された集団。


 今まで一切の関りを持ってこなかった、キリスト教徒女性部隊。実はわずか五十人前後しか居ない、極めて小さな部隊でしかない。どこかの都市で市街地の一部、それも支配者に許可を得てようやく活動が認められるような存在でしかない。


 そもそもが名を知らない者が殆どで、今回作戦に参加するようにと打診があった時には耳を疑っただろう。


 誘いをかけて来たのも聞いたことが無いアル=イフワーン・アル=ヌジューム、さぞや断るようにと部隊内でも声が強かったはずだ。それをどうにかしてグロック准将は頷かせた。


「俺達はクァトロだ、そうである限り勝手な振る舞いは許されない。だが、閣下は常に皆を見ておられる、必ず働きに報いて下さる。為すべきことが何かを思案し前へ進め! クァトロ戦闘団、アヴァンス!」


「ウィ モン・アージェンスコンバットコマンダンテ!」


 まばらな木々の山影から偵察装甲中隊が突出する。索敵機器と通信機器を多めに積んだ装甲車が不整地を土煙を上げながら疾走した。


 相互の車間距離を大きめに取り、全滅を避けるような位置取り。どのような不慮の被害を受けようとも、本部への報告が絶対に出来るように細心の注意を払っている。


 七・六二ミリ機関銃を装備しているだけで火力は低いが、生存能力を向上させている。妙に冷静で目端が利くと定評があるストーン中尉が部隊を預けられた。


 中尉の中で唯一装甲部隊を指揮している、彼は次代の戦闘団司令候補でもある。


 グロック准将は、主力中隊になり得る人事に一切関知せず、ふんと軽く鼻を鳴らすだけで沈黙を保ち続けている。能力に見合った任命をしただけ、島もそれ以上は何も語ることはない。



 同時刻、デリゾール県の中央にある砂漠で、装甲バスに乗っているロマノフスキー准将がヘッドフォン片手に「始まったか」周囲に解るように大きめの声でつぶやく。


 傍にはグレゴリー中尉に、ワイナイナ中尉、そしてトスカーナ少尉が参謀と言うことで席次を占めていた。下士官はオビエト上級曹長のみ、フィル先任上級曹長を戦闘団へ派遣し、ブッフバルト少佐の先任下士官としての役目を果たすように送り出した。


 通信兵の中から通訳を置くことで不都合を解決する。アラビア語の出来る通信兵、エーン大佐の地元、レバノンから充分な数が就役しているので短期間ならば問題ない。


 何せニュアンスやら背景が関わって来ると、感じ取れる情報が変わって来る。フィル先任上級曹長が耳にして解釈するものとは若干違ってくるのだが、そこは仕方ないと割り切ることにしたようだ。


 バスの見た目と反して内部には結構な通信機器が詰め込まれていた。幾つものモニターに様々な情報が表示されている、戦闘団の行動状況もここで確認することができる。


「俺達のやるべきことはそう難しくない」

 

 簡易テーブルに置かれている地図と様々な駒。アナログすぎて笑えないが、民兵や都市のミニチュアを模していた。


 ダイルアッザウルは白い枠。中の政府軍は赤、エネミーカラーとでもいうのだろうか、一段と目立つ駒が割り当てられている。


 エルジサアウ大隊は水色、キリスト教徒女性部隊は青で、今回の作戦の正規軍とされている。一方でデリゾール県のファールーク作戦司令室に参加している勢力は薄い緑、友軍扱い。だがアフマドが指導していないそれらは黄色、どう動くかはっきりとしない不明確な駒だ。


 クァトロ戦闘団は定番の黒、ユーフラテス同盟は薄い紫色。だがレバノンの第六特殊大隊は灰色、半ばクァトロとして色分けされている。


「混ぜるな危険だ。薄い駒はこちらの意図に沿って動く部隊だが、それ以外はふたを開けてみるまでどうなるかわからん」

 ――青を失わず、黄色をなるべく他に接触させずに赤を排除か、なんのパズルだこりゃ。


 赤と黄色をぶつけるのは良いのだが、他に黄色が触るといわゆる同士討ち状態になる。かといって何の接触もさせずに終わらせるわけにもいかない。


 そしてここに配置されている以外にも幾つか色付きの駒があった。漏れなく濃い色、想定しているのは近隣のイスラム国、それとシリア政府軍の機動部隊だ。その他にも民兵が動くこともあるだろう。


 なにせイレギュラーは起こる、その前提で常に余裕を持って状況を見守っていく必要があった。


 ロマノフスキー准将がここで少し間を置く、自発的に意見を上げて来るのを待って。だが声が上がらない、能力の不足か、それとも経験の不足か、或いは提言するのを躊躇っているのか。


 ――雰囲気が硬くて声を上げづらいならばそれは俺の責任だ。


 クァトロ司令部では島が作り上げた相互の信頼が元になり、各自が意見を積極的に上げて来る。急きょ呼び寄せた将校ばかり、同じことを望むのはいささか厳しい。


「実戦に関しては戦闘団に任せておけば心配ない。状況が荒れないように誘導するのが役割になる、各位の意見を聞きたい」


 口に出して直ぐに回答するように迫りはしない。数分の猶予を与える、その間ロマノフスキー准将は腕を組んで目を閉じていた。


 ――横やりを入れられたとして、それを止める手段は何がある。直接的な武力ではない何か、俺にはそれを準備する時間も手段も与えられていた、今になり何一つ出来ませんでしたとは言えん。


 己が用意した幾つかの手段を脳内で再確認し、そろそろだと目を開ける。参謀の中でも一番階級が低いオビエト上級曹長に目を向ける。


「曹長、気になることがあったら言うんだ」


 下士官には気づいた何かだけを求めた。将校と違い命じられた内容を遂行することが役割だからだ。


 だがそこはこの中で一番ロマノフスキー准将と付き合いが長い、オビエト上級曹長は自身の可能な範囲で提案をする。


「実戦に際して民間人の死傷者も必ず出るでしょう。その時犯人探しになる可能性は少なからずあります」


「ふむ、通常は負けて逃げて行った奴らの責任になるな」


 敗軍は全ての不利を押し付けられても何も出来ない。勝てば官軍、不都合は消えてなくなるのは千年以上前から変わらぬ真理だ。


 それを再度思い起こすように口にしたのならば、それはそれでオビエト上級曹長の言葉は有効だ。全員が理解するまで何度でも繰り返し注意する、これは非常に大切なことなのだ。


「それです。戦場を具に撮影しておくことで、政府軍以外の犯人を作り上げる材料としてはいかがでしょうか?」


 ロマノフスキー准将は目を細める、撮影はオビエト上級曹長の得意分野、意識がそこへ向けられたのは道理。


 ――大同小異どころか、一時的に肩を寄せているだけの烏合の衆だ、いつ空中分解するかわからんからな。他の奴らの弱みを握っておけと言うわけか、これは防御にも使えるし、敵に使われればクァトロが不利になる。


 何も戦っている最中だけが全てではない、無論戦いに勝つのが最低条件ではあるが、戦はここで終らない。不慮の報道攻撃があった場合、速やかな反対報道を行うことが出来れば与論操作で優位に立てる。


「有効と認めその案を採用する。オビエト上級曹長は撮影班を編成し、ダイルアッザウルへ送り込め。フランス放送局のベアトリス女史、それと設楽女史との連絡も確保しておけ」


「スィン ホノラビレ・ジェネラル」


 まずは一つ守備範囲を拡げられて何よりと頷く。しくじっても失うのは撮影班だけならば、奇貨となる可能性を拾った方が良いと判断した。


 間違いなくベアトリスには感付かれるだろうが、彼女が敵対することはないと踏んでいる。その確信がどこから出て来るか、言葉では説明できない何かとしか表せない。


「トスカーナ少尉の意見を」


 万年司厨長のパスタ少尉には荷が重い。解ってはいても四人しか相手が居ないので形式上尋ねておく。


 三十代前半の少尉、もうかれこれ十年以上もその階級を温め続けている。昇進することも降格することも恐らくはないだろう。


 皆の視線が集まるが緊張はしていないように見える。イタリア人のトスカーナ少尉は、滅多に着ない戦闘服の着心地が悪いのか身をよじることが多い。


「戦闘団はこちらに参戦する前に、どこかで補給を受けますよね」


 それがどこかということまで考えるつもりは一切無いらしい。とは言え話題に出ているのに曖昧にしてくのもどうかと「ダイルアッザウルから北西に十五キロのディアエルゾルで補給する」確保してある場所を明かす。


 近すぎても遠すぎても良くない、それと規模が大きすぎる街もまた良くない。村程度の大きさで、給油だけ行えればそれで充分。


 先に給油所を見付けて置かなかければ往生することがある。ガソリンスタンドがこうも沢山あるのは日本という国の特性でしかないのだ。


「そこの人員は誰なのでしょう?」


「買収した民間人とこちらのエージェントだ」


 急に顔触れが変わると何かが起きるといっているようなもの、出来るだけ同じ人物が担当できるように調整してきた。実務的な操作は難しいことなど何もないが。


「ここの手勢からだしては?」


「裏切ることはない……いや、そうだな。トスカーナ少尉、十人選抜して給油所に送り込め、先ぶれは要らん」

 ――信用出来る者を用いる、だったな。ここはより確度を増す選択をすべきだ、不審に思われてもあと数時間、それでは対処も出来まい。


 総予備として控えているのはこのような時の為、人手を割いて対処を行う。全ての判断を自身で行えることを良しとして、ロマノフスキー准将は波及するだろう何かに対して意識を拡げていく。


「それと腹も減るでしょう、こちらで軽食も提供します。現地のものは水一滴とて口にしないように」


 最前線で戦う者が戦闘に集中できるように整えるのが後方支援者。食い物など携行食糧と水だけで良いと慮外にあったが、考えを改め飲食の補給も同時に行うのを承認する。


 兵器の補給と違い軽視されがちではあるが、ここにもきっちりと志が感じられた。


「少尉、シリアの一件が終わったらルワンダに引く。ちょっと閃いた」


「厨房があるならどこでも行きますよ」


 心の余裕があるのは良いことだ、より遠く、より広くに注意を向けられる。閃いたことが何かは脇に避けてしまい、ワイナイナ中尉に顔を向けた。


「ワイナイナ中尉の考えを」


 先に発言した二人より劣るようでは階級が不釣り合いと判断されてしまう。いくら借りている将校であっても、適切な能力を示さねばならない。軍人は常に試されているのだ。


「河川の警戒はどのように対処の予定でしょうか」


 ダイルアッザウルの市街地東端にはユーフラテス川が流れている。川下にはマヤーディーンがあり、その更に先はイラクにまで延びていた。


 文明が興った大河川、川幅は広く緩やかに流れていて、先だっても補給船団が活躍を見せた。ノーガードとはいかない、こちらが使わずとも誰かが利用することなど明白とすらいえる。


「現時点でダイルアッザウルとマヤーディーン間に目ぼしい船は存在していない。マヤーディーンより南からの船舶は差し止めることになっている」


 一方で上流にはラッカがある。イスラム国の本拠地である場所と移動距離時間で四時間、ここから増援が出て来る可能性は非常に高い。


 ましてや遡上するわけでは無いので、速度も割増しになる。そこを野放しにしては、ザルで水をすくうようなもの。


「上流は?」


「マーカッドより西に五十キロ地点、かなり急に河が折れ曲がった箇所がある。中州がある上に左右の幅が百メートル、そこを機雷封鎖するために部隊が派遣されている」

 ――負傷しているとはいえ、あのフォン=ハウプトマン大佐が陣頭指揮するんだ、何の懸念もない。


 きっとどれだけ激しい攻撃が加えられようと、目的を果たして耐えきると断言しても良かった。そこまでは明かさずに心配がないとの事実だけを返答した。


「ではその河川を利用します。戦闘規模によらず一定の死傷者は必ず出ます、後送の要在りの者をマヤーディーンに輸送するために赤十字の病院船をでっちあげるのはいかがでしょうか」


「病院船だって?」

 ――陸路を搬送するのは正直厳しい、市街地の病院施設に詰め込むのは構わんが、各勢力からのを分けて収めるのは苦労するからな。こちらでまとめても融通が利くように、マヤーディーンへ運ぶか。


 船と言っても小型のエンジンが付いたものに筏を曳かせるだけで充分運べるので、道具が揃うかどうかの問題はあまりない。途中で攻撃を受けたりもするだろうが、赤十字船を敢えて狙うより戦闘最中の味方を増援する方を選ぶのが正常だろう。


 ハラウィ中佐に預けておけば万事都合よく処理してくれるはずで、民兵は元より、シリア政府もとやかくは言えない。軍事的にも政治的にも庇護が得られて、なおかつ雑多な出どころの民兵だろうとクァトロだろうと一手に面倒を見られるのは彼のみ。


「よし、そいつも採用だ。ワイナイナ中尉が手配を、通信兵も一人専属で使って構わん。マヤーディーンには俺から連絡を入れておく」


「お任せを」


 自分以外の頭脳は色々と考えだすものだとロマノフスキー准将が頷く。でてきても二つまでと思っていたので、既に合格ラインを越えたのが嬉しかった。


 若者が成長するのは心地よい、教師然とした感想は結構前から持ってはいたが、ここ一番で成果を得るとひとしお。


 最後にグレゴリー中尉へ「どうだ」短く問う。フォートスターの事務を取仕切る前は、三日月島でやはり事務を担当していた、実戦への適性は高いとは言えない。


「作戦司令室所属の民兵団、そこへ来てユーフラテス同盟所属の者、政府軍やその他の集団、これらが乱戦に陥るようなことがあれば収拾がつかなくなります」


 都合二十以上の独立兵力が散らばることになる、間違いなく大混乱するだろう。むしろこれらが整然と行動出来る状況があるのかを問いたいくらいだ。


「だろうな。だが始まれば個々に動いていずれ乱れる」


 予言ではないが相互の動きが見えないことと、歩調を合わせるつもりが元よりないのだか当然といえた。事前に決められた行動に沿ったとしても、始まれば想定外のことばかりになってしまう。


「今までの勢力ではそうだったでしょう。ですがルワンダで見せたキャトルエトワールの動き、あれを思い出していただきたい」


 ウガンダやケニアからの民兵団や軍兵、そこにきてコンゴからの増援に国軍、敵はテロリストに反乱軍、他国からの侵略者と様々。よくぞ騒乱を乗り切ったものだ。


「戦えばきっと勝つのでしょう、ですがここで不満が残る結果しか出せなければ次はありません。ロマノフスキー准将、閣下が総指揮をお取りください」


 グレゴリー中尉の提言、これまたロマノフスキー准将が考えていた外側の意見だった。存在をひた隠しにする、それは手段の一つであって目的ではない。


 大一番を前にして、姿を現すことへの是非を問う。


 ――確かにここでしくじれば次は無い。俺が任されたのは偽装民兵団の統括だ、今こそ口出しが必要な時じゃないのか?


 正体を勘ぐられても出て来るのはロマノフスキー准将のこと、島が俎上にあがるのは今少し先になる。失敗して全てを組みなおすのと、情報漏れを防ぐのとどちらがより適しているのか。


「ハラショー。人は歩み続ける限り無限の可能性を秘めている。グレゴリー中尉」


「はっ」


「このバスでは少々手狭になる、そうだな、デリゾール空港に司令部を置くぞ」


 ダイルアッザウル南東四キロにある地方空港、滑走路も千五百メートル級が二本あるだけ。戦場に近く、比較的堅固な構造をした建物、遠くまで見通せる地形。


 一時的に利用するには適しているので決めてしまう。


「司令部の名称はいかがいたしましょう」


 臨時副官として機関名を尋ねる。対外的に使われる名称、民兵団が困惑しないようにと考えなければならない。


「頭になにもつけん第五司令部だ。司令官はエホネってことにしておくとしよう」


 アラビア語で兄弟を意味する単語を持ってきて自称する、クァトロならば誰もがわかる呼称だ。知りえた部外者が居たとしても、これだけでは存在を突き止めることも出来ない。


 通信兵が軍議中に失礼しますと割り込むと「報告します、ラッカよりアイン=ラサへ大規模な増援が向かう模様です」その数凡そ一千人と、敵が倍増する情報を挿し込んできた。


「徒歩が殆どだろう、辿り着いた頃には終わっている。一応ブッフバルトのところに注意だけは伝えておけ」


 何せ攻撃を受けてラッカで後れをとったら最悪、首都の防備を弱めるような真似はしない。ならば二線級の歩兵を一応送る姿勢を見せただけでお茶を濁すだろう。


 何せ航空機撃墜で功を誇っただろうダクニシュ司令官を助けてやる、そんな度量が広い奴がどれだけいるか。多少は痛い目をみたら良い位思っているかもしれない。

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