第百三十一章 イタリアの使者
◇
時は少しだけ遡る、サルカの街に数十の親衛隊と共に島はやって来ていた。ラッカ北にあるこの街、クルド人の前線基地と見て取れた。
この先からラッカまでの農村地帯は競合地域、距離九十キロのうちクルド人が優勢なのは二十キロ圏内まで。
市街地中心には大型のスーパーマーケットがあるが、他は個人の商店がぽつぽつあるだけで、二階建てが殆どの小型の造りばかり。
特産品のひまわりで作られた製品が多く並べられている。
「閣下、こちらでお待ちください」
中程度の部屋、窓にはカーテンがしてあり外からは様子が伺えない。窓際には親衛隊員が二人警戒し立っている。
島は椅子に腰かけると腕組をして目を閉じた。
どのくらい待っただろうか、精神を集中していたので早かったような気もする。
三本線の記章を肩につけた中年の男が、部下を引き連れて室内へとやって来た。
島はゆっくりと椅子を立ってその男の目を覗き込むと敬礼する。
「民兵団指導者アイランド将軍です」
「YPGアイン=アル=アラブ方面司令官オスマンだ」
誰かと言うのをぼかして名乗る。オスマン司令官も本当のことを言ってもどうせ最初は信じようとしないので、これといって指摘もしてこない。
どちらからともなく座ると正面を向いた。
「ユーフラテス同盟のスポンサーだと聞いているが、YPGにも支援を?」
そうであれとわざわざ時間を割いたのを前面に出して来る。ここは日本ではない、主義主張や要望はしっかりと口に出すのだ。
「お望みならば。YPGはイスラム国の放逐を望み、アサド政権を承認する?」
――政治的方向性は簡単に替えられない、本題はその先だよ。
上層部同士の会話は一言ひとことが戦いだ。失言は多くに迷惑が掛かってしまう。
「クルド人の生存権を確立する。イスラム国が我等の居住地を脅かしている限りは、武器を手にして戦うだろう」
ここではないどこかへ行ってしまえばあとは知らない、そうともとれる。彼らは集団であって国ではない、他所へ行ってまで戦うような責務を誰かに負ってなどいない。
戦う為の武器はアメリカ国防総省が支援している。だがアメリカは別の組織にも支援を与えていて、その反政府軍とYPGが戦うことがあった。
おかしな話で、どこか遠くの他人が干渉している現状が恨めしい。
「クルド人国家が建てられないのは歴史の犠牲者だから。そう思っていますか?」
イギリスや欧米国家の横暴な線引きで、クルド人は多くの人口を抱えて居ながら国を持たない最大の民族になってしまっている。
パレスチナ人よりも遥かに、それは桁が違う程に多いのだ。
一度独立を叫べば途中で止まれなくなる、失敗は許されない。イラクのクルディスタンは事実独立しているようでもあり、軋轢を軽減させるために自治であるとしているのも考えがあってのこと。
トルコやシリアのクルド人を糾合し、一つの国を建てるためには武力による背景と大国の承認を取り付けておく必要がある。その為に彼らはイスラム国を相手に戦っているとも言えた。
「我々は犠牲者などではない。今現在も民族として行くべき道を歩んでいる」
直接的な返答を期待していなかったが、どうやら回りくどい表現はそんなに好きではないらしい。
――オスマン司令官は軍人寄りってことか。だが今回は単刀直入用件を押し出すだけってわけにはいかん。
卑屈になり、被害者として国際社会の援助を受け入れるのをよしとしない。もう長いこと待った、この先あと何十年か待つくらいはするだろう。
「クルディスタン、ペシュメルガはシリアクルド人の危機に手を貸すことは無いでしょう。YPGは独力でいばらの道を切り開いていく必要があります」
同族ならば手を貸すべきだと考える者は多い。だが隣国の武装勢力が干渉することは政治的な足かせを得てしまう危惧も孕んでいる。
トルコのクルド人労働党が顕著な例だ。いまのところという前提がつくが、トルコの南東に追いやられているクルド人は国民としての権利を制限されてしまっているのだ。
原因はイラクのクルド人との関係性。
「我々YPGは自らの手で故郷を守る、その為に存在している」
オスマン司令官は強く断言した。巨大な宗教組織に攻撃を受けようとも、国家に見捨てられようとも、国際社会が助けることがなくても、土地を守り通す。
それは当たり前のことでありながらも、非常に困難を伴うものだった。
島はオスマンの顔をじっと見つめて言葉を交わす。二人とも真剣そのもの、互いが互いに益をもたらすことが出来るのかを見極めようとしている。
「ロジャヴァにはクルド人以外の居住者がいますが」
国籍がどうこうとの意味ではなく、少数民族の類を指している。シリアの現大統領はその点では認められている、少数であろうと迫害や差別を受けない様に心を砕いていた。
「住まう者それぞれが認められると確信している」
「シャリーアによる統治を望む集団が存在しています」
イスラム国が大量に流れ込んできている、この地が主戦場になってもう数年。勢力の拡大は中東では落ち着き、強固な組織へと変貌した。
アフリカやアジアに飛び地が出来、世界中の現地勢力から忠誠を誓われている。
「力による変更は許されない。民族の安寧が訪れる日まで、決して折れずに戦うだろう」
相容れない存在に対して戦うと宣言したのを以て方向性の確認を終える。
「YPGは多数の兵員を持っていますが、その性質から攻勢には向かない様子」
――二千を超えない兵力、局地戦では充分過ぎるが戦争を遂行するには足りないだろうな。
中米でも、アフリカでも散々戦争をしてきた島には感覚が宿っている。守る相手を駆逐するには衝撃力が絶対にいると。
政治力や物量で攻めることができるのは大国だけ。そうでないなら戦闘で勝利を収めることが条件だ。
「シリアクルド人武装勢力には充分な兵力が備わっている。高火力の兵器がやや欠けているが、性能が高い携帯兵器はアメリカの支援でかなり充足していると言える」
アメリカからの支援、兵器を渡すから何とかイスラム国を倒すように動いて欲しい、交換条件が出されていた。
一方でその武器で政権軍とも戦い、ロジャヴァの支配権を得る。イスラム国と敵対する他の民間武装勢力にもアメリカは武器を供与している。
だがこの勢力とYPGは敵対していて、アメリカが渡した武器で殺し合う。死の商人は取引先が多いものだが、あまりにも矛盾が大きい。
――小競り合いなら小火器で良いが、複数の国に跨っているような広大な戦場、重火器の数が不足しては致命傷を受けかねんぞ!
YPGが何を欲しているかは理解出来た、それを用意出来るかの算段に思考を進める。
直接彼等へ渡すのは許されない。間にクッションを一つ二つ挟んでおかねば後々大問題に発展しかねない。
「私は百二十ミリ砲や地対空ミサイル、誘導砲等を第三者へ譲渡出来るだろう集団に交渉を持ちかけることが可能です」
アイランドがYPGへ渡すのではない、そこを承知するならば先に進めとの投げかけ。兵を危険にさらさず多大な破壊力を産み出せる兵器は喉から手が出るほど欲しい、装備を増やせるならば代価を支払うこともやぶさかではなかった。
「……その第三者は何を代わりに求めるだろうか」
オスマン司令官が出せる何かは決して多くない、彼は一地方の司令官でしかない。本部である総司令官が全てを握っているわけではない、だからこそ個人の裁量で動かせることが少ない。
――横の繋がりにも影響が出る、専決権限は準軍事的な部分のみと考えるべきだな。武力を求めればそこまで、終盤への手をここで打つべきだ。
権限が無い、それでも彼が方面司令官である事実はある。
「来る合同会議での支持を」
「合同会議?」
予想外の言葉に眉をひそめる、それはそうだろう意味不明過ぎる。中間の説明を端折り過ぎるのは島のクセだ。
「そう遠くない未来に提唱されるであろう民兵会議。そこでオスマン司令官が想う道を、柵を捨てて支持して頂きたいです」
――ここ一番で彼が想う未来は、決して混沌と悲観ではないと信じている。
まるで占い師でも見るような視線で島を見た。自分の知らないなにかを知っている、ではそれが何かを想像する。
外国人がシリアにやって来て一介の地方司令官に投げかける台詞を何度も反芻した。
「私が想う道か。それでは私の一存で第三者は何一つ得るモノがないことがあるが」
島はほんの少しだけ顎を引いて息を吸い込む。ゆっくりと吐き出すと微笑を浮かべて、ずっとずっと前から変わらぬ答えを口にする。
「得るモノは少なく、失うときは全てでも、それでも前へ進みます。今という時代を作れるのは、今を生きる者のみ。ですが道は次の時代を生きる者への贈り物、たとえ志半ばで全てを失っても道が残ります」
どこの馬の骨かもわからない年下の男に指導者の威厳を感じてしまう。オスマンは暫し黙って見詰めてしまった。
不意に正気に戻るも何と言葉を返したら良いのか、唇を噛んで数秒目を閉じる。
「大国は己の利益を求め、人々は保身を望み、姿かたちが違えばいがみ合う。アイランド将軍は皆をどこへ導くつもりだろうか?」
語りたければ自らの思想など幾らでも勝手に主張するものだ。だというのにオスマンは尋ねた、知りたかったのだ目の前の男がどうしたいのかを。
――導くか。別に俺がこういう形を実現したいとかいうわけじゃない。
幾度も聞かれた、どうしたいかと。思い描く先は変わらずとも、答えは違うことがある。
「それぞれが望む未来へ歩めるよう、己の努力で実現できる環境を。この広い世界の極々一部でも良いので、その努力が必ず報われる世を。別にどうということはない普通のことが普通と言える、そんな姿が見たくてもがいています」
すっきりとした笑み、欲求が自身を越えた何かなことにオスマンが驚く。
人は生きる欲求があり、安定を求め、自尊心を満たし、己の持つ可能性を実現しようと努力する。マズローの欲求段階に詳しいが、島の言はそのどこにも当たらなかった。
即ち社会への欲求、実現したところで自身はどうしたいわけでも無い、そんな不思議な求め。
歴史上の偉人のうち幾らかがこれにあたる、国家指導者、宗教指導者、その種別は様々であるが。
「……民兵会議に私が参加するかどうかの面があるはずだが」
「必ず招待されます。オスマン司令官だけでなく、シリアに立つ多くの指導者が」
占い師の次は預言者、こいつは何者なのかと強い興味を抱く。
近年まれにみるシリアの惨状、どこまで先が見えているのか知りたくなってしまった。
「その招待が来るまで、不覚をとらない様に最大限の注意を払うことにしよう」
二人は立ち上がるとテーブルの脇に進みより、右手を差し出し握る。それ以上は言葉を交わさずに部屋を出た。
島は表に待たせてある車両に乗り込むと腕を組んで目を閉じた。
――今少しの成果が必要だな、あと二度は大きな戦いを収めなければならんぞ。
帰りはヘリではなく軽飛行機の駐機場へと連れて行かれる。
「閣下、分乗して帰還します。自分は先頭の機に」
「わかった、エーンに任せる」
サルミエ少佐は島と共に小型の機に乗る。一時間も飛行したらまた司令部で作戦の吟味となる。
田舎町にヘリを幾つも置いておくと余計な関心を寄せてしまうといったところだろうか。
オーストラリアの郡部では隣町に行くために個人で軽飛行機を運転する、ここでもそれに似たような感覚があるようだ。
お馴染みの加速度を感じると、いともあっさりと離陸する。日本と違い気流が乱れるような気圧になることが少ない、何せ湿度が低い内陸。
何事もなく過ぎ去るはずの時、予兆すら訪れずに悲劇はもたらされた。
強い衝撃を感じる、シートベルトのおかげで激しく上下に揺れるだけで済んだ。
「何だ!」
サルミエ少佐が島の代わりに操縦席へ向けて大声を出す。物凄い揺れが継続している。
「地対空砲で攻撃を受けました!」
「攻撃だって!」
少佐が窓から外を見ると、右の翼から黒い煙を吐いている。素人目にも無事で飛び続けることは出来ないと直感出来た。
――空飛ぶ何かに必ず攻撃するわけでも無い、オスマン司令官の面会者と知って叩きにきたか! それとも俺の行動が読まれていたか? まあ今はそんな詮索をしている場合じゃないか。
どのような状況でも冷静さを失わない様に務める。わずか数十秒先には墜落していたとしてもだ。
脱出装置などは存在しない、下は山岳地帯で高度が無かった。河があればそこに突っ込むことも出来るが、生憎それも見つからない。
「一か八か山の斜面に強行着陸を試みます。対衝撃を!」
百度試みても成功は一度あるかないか、死を覚悟する。初めての航路で地上に何があるかも朧げ。
いよいよ機の振動が大きくなり、島の側の窓から山肌が見えるようになった。
――俺の悪運もここまでか!
思い返せば激動の人生だったな、などと過ってしまう。
「山道がある! 面舵だ!」
舵が利かないのか何なのか、苦労して左へ機首を向ける。左手が山頂、右手が尾根だ。
木々の間にある僅かな隙間に、一車線の道路が浮かび上がる。直線部分は非常に短い、それでも山林に突っ込むよりは一万倍マシだと真っすぐ進んだ。
落下するかのような無重力があり、急に機首があがると物凄い衝撃が走る。道路に叩きつけられ車輪が折れたのか、時速百数十キロで斜めになり道路脇の木々に直撃した。
左手が高かったせいで左車輪が折れ、左へ傾いた。即ち右前から木に当たり大きく回転、右翼がもげて左回転する。
後ろ向きで道路にこすりつけられ火花を散らし左翼が折れる。半分だけしか残らない左主翼を下に、数十メートル滑ると道路のカーブに並んでいる木々に胴体がぶつかりようやく止まった。
「…………」
――なんだ、まだ生きてるのか?
緊張しすぎて喉がこわばっているので咄嗟に声が出なかった。隣のサルミエ少佐は気絶している、前を見ると操縦席が完全に潰れてしまっているではないか。
「痛たたた、全身くまなく打撲か。だがそれで済んだならアッラアクバルだな」
がっちり固定してくれていたベルトに感謝しながら解除。自由を取り戻したら、サルミエ少佐の頬を叩いてやる。
「おいサルミエしっかりしろ、おい!」
「……ぅぅ」
唸るだけで意識を取り戻すことが無い。少なくとも死んではいないようで一安心する。
ところが真っ黒い煙がモクモクと出ていることにようやく気付く。
「まずいぞこれは!」
隣のベルトも解除して左のドアを蹴飛ばすと、情けない金属音を響かせて扉ごと地面に転がった。
左の肩帯をむんずと掴むと、自身の体重を乗せてグイっと引っ張り出す。どこかに体を打ち付けていたらごめんなさいだ。
地上に降りると自身の体の痛みを無視してサルミエ少佐の腕を肩に回すと、半ば持ち上げるようにして抱えて軽飛行機から急いで離れる。
木の陰に隠れながら少しでも遠くへと。すると間もなく航空燃料に引火したようで爆発を起こす。
サルミエを下にして地面に伏せる、まだ気絶したままだった。
「間一髪だな、九死に一生とはいうが、短時間に三度四度それを繰り返した気分だよ」
どこに墜落したのか解らないが、まずは自分たちの安全確保をすべきだと視界を広く持とうとする。
――エーンが救援に来るはずだ、色々と無視して生き残ることだけ集中するぞ!
攻撃を受けたとしても全機墜落とはならない、仮にエーン大佐も撃墜されていたとしても、残った機がクァトロ司令部に通報したらグロック准将が絶対に動く。
――こちらは気絶した戦友と腰の拳銃のみだ。ラッカの北東山岳か、イスラム国の勢力圏だろうな。必ず捜索隊が出て来る、救援とどちらが早いかと言えば、間違いなくあちらだろうな。
山道もきっとイスラム国の使っているものだろうと考えると、道の側に居たらすぐに見つかってしまう。
山林のサバイバル戦、そう心づもりを決めると上と下どちらへ向かうべきかを決める。
「食糧はともかく水が無ければ直ぐに参る。下へ行くべきだ」
引きずると跡が残る、ベルトを掴むと少佐をぐいっと持ち上げる。左肩の上に腹を乗せるとぐったりしたまま担いで木々の間を歩く。
「ちょっとした荷重負担行軍だ、重機関銃を担がされるのに比べたら軽いもんだ」
何度ブローニングを担いで歩かされたか。かつての訓練は何一つ無駄にならない、訓練は自分を裏切らない。
前方だけでなく、四方全てと上空にまで意識を振り分け歩む。足元だって注意せねば何があるか分からない。
「体力より先に神経が参るそこいつは」
小さく愚痴を漏らしながら黒煙が登る場所を離れる。ほぼ丸腰、こんなところでイスラム国に遭遇したら最後、拳銃は自決用と割り切るしかない。
普段の運動不足が祟ってか、あっという間に汗だくになる。
「まったく、レティアの苦言は正しいもんだ」
太り過ぎは寿命を縮めるとイタリアでさんざん言われてから、体重を落とすように心がけてきたつもりだった。努力が足りなかったのか足が重く感じてしまう。
大分先の山肌に小屋のような何かが見えた。
「あれは山荘か、それとも警備小屋か? 野垂れ死ぬよりはマシか」
目標をそこに定めて歩くことにした。住人がいるなら食糧を分けて貰うように交渉するし、敵がいるなら奪うつもりで。
幸いアラビア語もクルド語も何とかなる、連絡さえつけられれば窮地を脱することも出来るだろうと進む。
喉が渇くが水は持ち歩いていない。小川があったとしてもそこの水を沸かさずに飲むわけにはいかない、何があるかわかったものではないのだ。
二時間も歩いただろうか、すっかり日が傾いて影が長くなってしまっていた。
「まだサルミエは気が付かんか。医者にみせてやる必要があるのかもしれんぞ」
寝ているだけなら良いが、打ちどころが悪かったなら精密検査を受けさせてやらねばとチラッと表情を見る。
山にある家が大分近くに見えるところまでやって来た。サルミエ少佐を木陰に寝かせると、近くの枝を折って偽装しておく。
腰の拳銃を確認した。
「グロックの弾倉一つが全てだ。さて、何が出て来るやら」
気配を消して姿勢も低く家の裏手にまわる。窓があるのでそこから中を盗み見る。
――髭面で若い男の二人暮らしか、こいつはハズレだな。
兄弟が住んでいる可能性は捨てられないが、より現実的には兵士がここに滞在していると考えるべきだ。
――二人だけで他に居ない保証はない。無辜の住民だったらどうするかってことだよな。
国際犯罪者の軍人ではあっても、無法者でありたいとは思っていない。どこかで確証を得ないと奇襲で射殺するのも気が引けた。
――夜まで待つか。サルミエも気が付くかもしれんしな。
何か罠が無いかと警戒しながら戻る、枝を払ってやるとサルミエ少佐はまだ気絶したままだった。
家を監視できる場所に移り、そこでもう一度サルミエ少佐を寝かせて枝を乗せる。今度は自身にも偽装を施しじっと時がたつのを待つ。
――脱水症状に注意か。給水したいがどうにもならん。
陽が落ちて灯りがつけられた、それでも誰も戻って来ない。腕時計を見ると20時が過ぎようとしている。
――この時間まで戻らないってことは他に住人は居ないか。あとはあいつらが何者かの一端を掴むことだ。
日中ずっといた木陰を出ると、家の窓側にまで素早く身を移す。話し声が聞こえないかと耳をそばだてる。
「俺達でも妻を貰えたのはこうやって兵士をしてるからだよな」
「だな。こうでもしないと身請金なんて揃えられんし、一生独り身だったよ。イスラム国様様だ、メシだってちゃんと当たる」
アラビア語で雑談をかわしながら食事の最中のようで、注意は目の前の皿に注がれている。
――なるほど、相手が二人だけなら拳銃でも勝負になるぞ!
二階は無い。寝室に別の奴が居る可能性はあるが、食事を共にしていないと言うなら時間を違えて寝ているはずだ。
ドアノブが回るかと左手でゆっくりと回してみると、鍵など掛けられていなかった。
拳銃の安全装置が解除されているかを再確認しておく。
――ドアから十歩以内、まずは奥の奴を一撃だ。それで背を向けている手前のを倒して、残りの部屋を捜索する。飛び起きた奴が居たとしても、寝ぼけているうちに始末するぞ。
急襲するイメージを固めると息を吸う。扉を開けてすっと屋内へと入り込んだ。
「ムハンマド?」
呼びかけに答えずグロックを奥の男に向けると額を撃ち抜いた。体を捻ってこちらを向いている手前の男は首筋を一撃。
戦果を確かめずに隣の部屋の扉を開ける。暗くて良く見えないが、人の気配は感じられない。
手探りで電灯のスイッチを探るが壁際に無い。居間の灯りを見る、紐がぶら下がっていた。
――そういうことか。
部屋の中央に進んでぶら下がっている紐を引くと灯りがつく。部屋には誰も居ない、簡易寝台が二人分あるだけ。元通り電気を消して居間に戻り、二人の呼吸を確認する。
――息をしていないな。
部屋の中を見回す、小銃が二つ壁に立てかけてあった。探せばもう少し使えるものもありそうだ。
「まずはこいつを頂くとしよう」
3
拳銃を腰に戻してくすんだ感じの黒い塊、ストック部分は木製の小銃を手に取る。
「随分と年代物だな?」
弾倉を抜いてみる、七・九二×三三ミリ、馴染みがない大きさに少し首をかしげてしまう。
「……こいつはもしかしてStG44じゃないか? だとしたら半世紀前の小銃だぞ」
どのくらい昔かと言うと、ナチスドイツが量産していた銃だ。外人部隊の訓練で、一度だけ触ったことがあるのを思い出した。
どうして思い出したかと言うとその弾薬にある。バトルライフルとピストルの中間にあたるサイズ、始まりのアサルトライフルだと説明を受けたことがあった。
使えるならそれで良いと割り切ると、テーブルにあるコップの水を飲み干す。
「まさか自分の飲み物に毒も入れんだろう」
もう一丁の小銃を背負ってサルミエ少佐を回収しに戻った。無事に息をしているのを確かめると、再度肩に担いで家に運ぶ。
簡易寝台に乗せて毛布を掛けてやると家の中を捜索する。武器も通信機も他に見当たらない、あったのは少しだけの食糧。
「ムハンマドってのが現れる可能性があるな。遅かれ早かれここも見つかる、持てるだけ持って離れた方が良さそうだな」
武器と食糧を手に入れられただけで満足すべきと考える。問題はどこへ向かうかだ。
器に乗っている食事を代わりに口にして先を見据える。
――離陸して直ぐだ、恐らく四十キロ位しかサルカから離れていない。なら北へ向かう方が良いだろうな。公道4号が東西に抜けている、そこへたどり着けば選択肢が産まれる。
そうと決めたならまず最初にテーブルの細い足を蹴って折った。薄っぺらい天板に二カ所穴をあけると紐を通す。
簡易寝台にある毛布にも穴をあけて括り付けると、一体にしてしまう。小銃のスリングを活用し、天板を引けるようにした。
一丁は紐で天板に固定しておき、一丁だけ自分の首にぶら下げる。食糧を布で雑にくるむと口をしばり、スリングに引っ掛けておく。
外へ天板を持っていき地面に転がした。簡易寝台からサルミエ少佐を抱えて来るとその上に寝かせる。ずりおちないようにスリングと肩帯を紐で結んだ。
調理台から包丁を失敬し、電気を消して扉に鍵をかけると窓から出て来る。
スリングを持ち上げて肩を通して具合を確かめた。
「引きずる跡が残るが長距離移動だ目を瞑るとしよう」
試しにサルミエ少佐を乗せた天板を曳いて少し歩いてみる。重みの半分が天板の端に掛かるので、かなり楽に人間を運ぶことが出来た。
時速三キロで夜通し歩けば二十キロは北上できる計算になる。明るくなれば今度は抱えて歩くようにすれば見つかる可能性も低くなるだろう。
「行くとするか」
見捨てて単身駆ければ二時間で安全圏に逃げられる、だが島はそんなことは一瞬も考えなかった。
一歩一歩確実に踏みしめて不整地を進んでいく。北といっても大雑把にしか方向感覚は無い。
昼間に太陽が沈んだ先を覚えているだけ。一時間進むと五分休憩する、それを繰り返して日付が変わったあたりで大休止する。
無言で奪った食糧を口にして体力を回復させた。
――三日月か、これでは捜索していたとしても簡単には見つけられんだろうな。
時間が来たと立ち上がるとスリングを引っ掛けて歩く。こうなればもう自分との戦いになる、ただ黙々と歩き続け、ついに東の空に燃えるような朝焼けを見た。
「このあたりで道を変えるとするか」
食糧と予備の小銃、そしてサルミエ少佐を担いで林の中へと姿をくらます。
百キロ近い荷重負担、決して緩くはないが出来ないことも無い。徐々にあたりが明るくなり、山間に居ることが分かって来た。
二時間程歩いていると何者かの気配を感じる。
――いよいよここまでか。
大き目の岩がせり出している場所、一方は樹木があるのでそこへ身を隠す。陰から先を窺うと、黒い頭巾をかぶった男達がうろついている。
「近くにいるはずだ探せ!」
アラビア語でそんな指示を出している、誰かを探しているようだ。
――俺以外の誰を探しているって話だよな。
十人以上は居る、固まって撃たれるのを待つのでない限り、一人で倒しきることなど出来ない。
どこか隠れようにも洞窟があるわけでも無いので、反対側からは丸見え。いずれ長いことはないだろうと覚悟を決める。
――指揮官を最初に倒す、後は間抜けな奴が真っ先にだろうな。
不意打ちで一人でも多く差を詰めることを優先すると決めた。左手は岩、正面に樹木、後ろは林で右手はなだらかな盆地といったところ。
左後ろから左前にかけて山が幾つもあり、中腹辺りに身を置いている。
――銃声は反対の中腹に響くが、盆地には届かん。手早く倒せば増援が来るまで時間がかかるはずだ。
無線機があるかどうかだが、小屋に一つの連絡手段も無かった以上は、二つに一つも持ってはいない。運悪くあったとしてもグループに一つ、誰が抱えているかと言えば指揮官か副官だろう。
総数を確認する、十一居た。現在地を把握し、指揮官に銃口を向ける。ゆっくりと息を吐くと同時に引き金を引いた。
一秒後に着弾して指揮官が背中から倒れる。それを傍で見ている奴の頭も打ち抜く。
――もう一人も!
銃声にきょろきょろしている新兵らしきやつの胸を貫く。そいつは横向きに転がって倒れた。
「て、敵襲だ!」
その場に伏せて息を殺し周囲を警戒しだした。
――最初の銃声が聞こえた時点で伏せるべきだったな、訓練不足だよ。
手練れを先に消してしまえば残りは脳震盪を起こしたかのように鈍い動きになるか、或いは動きを止めてしまうか。事実半数はどこかに隠れて推移を見守るだけ。
――山へ向けて逃げ込むにしてもサルミエを担いでになる、もう少し減らさないと共倒れだ。
後方に気配が無いのを再確認すると打って出ることにする。わざと場所を移る時に姿をほんの少しだけ見せることで、戦意を持っている敵をあぶりだした。
小銃の発砲があり、戦うつもりなのが三人いると判明する。
――いいだろう、勝負だ! 情報不足はお互い様だからな、ブラフでも噛ませるか。
何ならば怖れるだろうかと短く思案し、近づくのをためらうような理由をでっち上げる。
「俺は化学兵器を運んでいる、生き残れないと思ったら全員巻き添えにしてやるからな!」
アラビア語を使い大声で報せてやる。何を教えられているかはわからないが、島が重い何かを必死に運んでいるのくらいは聞いているだろう。
誰だって死ぬのは怖いし、回避できるならそうする。ましてや口うるさいことを言う上司が居ないならば、手下はどうするか。
発砲があった木陰が別の角度から狙える位置にこっそりと這って移動する。
――挙動不審か、同僚の告げ口が不安なんだろうな。
周囲を警戒確認して小銃を肩付けすると、軽く引き金を二度引いた。胸と腹を貫かれた髭もじゃの男がくぐもった声を残してその場に倒れる。
「すぐにここに増援がやって来る。俺が死んでいようとも関係ない、ブツを回収しに多数で来るぞ!」
滞在していられるタイムリミットを擦り込んでやると、残りの二人がどこに居るかを神経をすり減らして探した。
――縮こまってる兵が居る。あいつは至近弾で脅してやればいいか。
わざと狙いを外して隣の木の幹に当てる。すると驚いて腰を抜かしたのか、四つん這いになって逃げだしていく。
――武器を回収したいが、直ぐには無理だ。どうにかして数を減らさないと。
ガザガザと音がする、先ほどまで島が居た場所に回り込もうとしている奴が居るらしい。
――そっちには行かせんぞ!
サルミエ少佐が無防備で寝ている、後方への移動を許すわけにはいかない。肘を立てて小銃を捧げた状態で持ち上げて匍匐前進する。被弾面積が少ない、反面苦労と微速での動きにしかならなかった。
不意に互いの姿を見ることになる。
――遭遇した!
お互いがコンマ一秒を争い感覚で発砲する。イスラム国兵の銃弾が島の左後ろの地面に刺さるとほぼ同時、島の撃った銃弾が兵の脇腹を貫く。
回転して倒れると激痛で悲鳴を上げた。狙ってもう一発送り込むと直ぐに静かになる。
――あと一人倒せば!
既にどこに兵が潜んでいるか全くわからなくなってしまっている。見当をつけて太い気の幹に一発当ててみた、特に反応は得られない。
――サルミエを曳いて少し離れてみるか?
残弾数を脳内で確認して咄嗟の判断の備えにする。這って元居た場所まで戻ると少佐の無事を確認した。
膝たちになり、腰のベルトを引っ張り岩場の茂みから出してやると周囲の気配を探る。
――近くには居ない、遮蔽物は、風向きは、上空も注意する必要があるぞ。
単身で全てをこなす必要がある、寝不足などどこ吹く風で緊張状態を継続した。
小銃を右手に、腰ベルトを左手にしてずるずると後退していく。視界が通らない位の大きな茂みに回り込むと、左肩にサルミエ少佐を担いで立ち上がり、歩いて戦場を離脱する。
――山の上の方に見張りを走らせなかったのは指揮官が最初に沈んだからだな。
目が別に一人だけでもあれば、簡単に離脱することも出来ない。残った奴らのうち、最上位の男が今後をどう判断するかにかかっている。
戦意を持った奴が最上位でないことを祈りながら、少しでも遠ざかろうと歩む。
――さて、山狩りをされると追い込まれるな。孤立無援で籠っても仕方ない、何とか北の公道まで突破するぞ。
窪地にサルミエ少佐を座らせて地形を読む。何をどうしても一度は低い場所を通過しなければならない、間違いなくそこは警戒地域にされているだろう。
――もう一晩過ごすと包囲網が狭くなって、抜け出せなくなる。行くなら今しかない。
今いる山の頂点付近を見る、位置を占めているような人影は見当たらない。向こうの山はどうかと言うと、怪しいが確認不能。
警備の指揮官次第、無能を望むのはむしが良すぎる。せめていくつかある狙撃位置のうち、射線が通らない経路を行く。
――豊富な兵力を常に抱えているはずがない、お互い余裕は無しでの運用だ。ならば読み合いだな。
もし自分が警備の指揮官ならどこに狙撃手を配置するか。相手の立場になって考えを進めてみる。
そもそもが通過されても追えるならば、必須の場所ではない。崖沿いなど、追うのに苦労するような場所はいかせまいと阻止する。
状況を素早く整理し、三本のルートで待ち伏せをで仕掛けるだろうことを予測する。
――残る二本で兵力を半々置くのは愚策の極みだ、必ず偏らせるはず。
指揮官が居る場所に多めに兵力を残す、予備兵の意味を兼ねてだ。ならばどこに指揮所を置くのが便利であるか、答えは決まった。
――七割方狙撃無し、少数警備のルートだ。
戦いは常に博打だ。運が悪ければ命を落とすだけだし、その逆ならば練度によっては望みが叶う。
水分と塩分を補給し、一口だけ食糧を胃袋へ収めておく。小休止を終えてサルミエ少佐を再度担ぐと斜め下へと進路を取った。
少しだけ高い位置から尾根を見ると、黒い旗をちらつかせている検問所らしきものがある。
――四人ってところだな、距離が少し遠い、こいつじゃ精度に問題ありか?
遥か昔の小銃を撫でて距離を詰める方法を思案する。林が途切れるところで三百メートルあたり、一人でも死角に入っていれば増援がすぐにやって来るだろう。
定時連絡というのもある。欲を言えば連絡直後に殲滅したら、追っ手は一時間先まで動かないなどと想像していた。
予備の小銃から弾倉だけ拝借して、半端を詰めなおして残りはポケットに入れてある。
――倒すのが優先だ!
四人の動きを見定める、態度でどれが指揮官かを見極めるのに時間は掛からなかった。
一度指揮官がほたって小屋に入り、数分で出て来る。タバコを口にして吹かすと空を眺めた。
――ここだ!
一発目をよく狙って指揮官の胸に当てつつ、セミオートの連射で残る奴らを掃討する。だが素早く伏せた奴が居たので一人うち漏らした。
反撃して来るのを承知で斜めに移動して発砲しながら転がると伏せる。
不意に反撃の銃撃音が切れた、弾倉交換だろう。その瞬間を見逃さない、立ち上がると真っすぐに距離を詰めて連射した。
互いの顔がはっきりと見えるあたりまで来ると、兵士の小銃に一発あたり跳ね飛ばす。だがそこで島の銃も弾切れになった。
弾倉を交換しようとするも、ナタを手にした兵士がすぐ目の前にまで迫っている。
「くそっ、勝負だ!」
銃剣無しの小銃を構えると格闘を行う。ナタの切っ先を目で追いながら、銃床で反撃。敵もさるもの、かなりの手練れだ。
――こいつは強いぞ!
濃密な十秒、攻防に全神経を使う。横薙ぎのフェイントで、ナタを垂直に落としてきた。
――ここだ!
手にしていた小銃を離すと、左足を斜め前に出す、ナタを持つ兵士の右手首を左手で掴むと引っ張って体勢を崩させる。そのまま左肩で兵士の右肩を斜め前に押し出してやり、連れだって倒れ込む。
右手を伸ばしてうつ伏せに倒れた兵士、島は左肩を下に横向き。右腕の関節をきめて捻り上げてやると、苦痛の呻きを漏らす。
容赦なく右腕を折る。立ち上がると、戦意を失い転がる兵士の顎を思い切り蹴り飛ばした。動かなくなったのを認めると、落ちている敵の小銃を二つ回収する。
「カラシニコフか、こっちの方が威力もあるし使い易いな」
弾倉だけ余分に拾い集めて、二丁肩に掛けるとサルミエ少佐を担ぎに戻る。やや急いで尾根を横切り、左手に見える山に視線を送った。
――気のせいか、見られているような気がしたが。
だとしたら喜んで狙撃してきているはずだ。首を小さく横に振り、北へ向けて歩む。程なく追手が掛かるのは間違いない。
無理をしているせいで発汗が激しい。肩で息をして気配を探る。三十分ほどたつと後方から何かが近づいてくるのが肌で感じられた。
――ついにきたか、公道まではあとどのくらいだ?
土地勘が無い。ずっと先かも知れないし、茂みのすぐ先がそうかも知れない。先を急いでいると、少し広い平地に出てしまった。
――この先に敵が居たら一巻のお終いか。だが足を止めても大差はない。
疲労も結構な限界に来ていた、迎撃するにしても平地を抜けないことには無理だ。意を決して島は歩んだ。前へ、より前へ。
サルミエ少佐の体重が両足に圧し掛かる。走るに走れないので、競歩のような感じで平地を抜けて中央に転がっている比較的大きめの岩の隣にまで来ると銃声が聞こえて来る。
咄嗟に岩の裏側に倒れ込む。
「見つけたぞ! 囲むんだ!」
中年男の声、兵士が左右に分かれて無遠慮に距離を詰めてきた。
「くそっ、あと少しだってのに追いつかれた!」
移動を阻害するようにAK47で走り回る兵士を撃つ。だが足が止まらない、指揮官が怒声を発して進めと監督しているからだ。
――今度こそしまいか!
みるみる弾丸が減っていくが、展開した敵が一斉に平地に躍り出る。その時だった、セミオートの銃声が立て続けに耳に入ったのは。
――エーンか!
姿を晒している兵士がバタバタと倒れて、あたり一帯が血の海に早変わりした。クァトロの姿はない、同士討ちでも無いだろう。
「ノンモァベルティ!」
野太い男の声が響く、山の上の方から聞こえてきた。
――なんだ今のは? ……どこかの民兵が展開してる?
林からイスラム国兵が出て来ると、その直後に狙撃されて血の花を咲かせた。
「ヤーズッカーだ!」
誰かがそう叫んだ、ぴたりと追っ手の足が止まる。
――おっと、こんなところでユニークな奴と出会うことになるとはね。正体不明の狙撃手、アラビア語は出来ないって話だったか。身の丈二メートルで大型狙撃銃を軽々と扱うらしい。
その割には先ほどの発砲音が七・六二ミリのものだったのをいぶかしげに思う。岩場を動けばイスラム国兵に攻撃されるが、場所を移ろうとしたらヤーズッカーに狙撃される。
妙な沈黙で膠着してしまう。
――アラビア語でないなら、さっきの言葉はなんだ? ノンモァベルティ……うーん。
様々な言語を操る島であっても、いや、そうであるからこそ思うところが沢山あり過ぎて気づくことが出来ない。
「イーグルプ シ スティアモ ディリージェインド! ノ イズラム!」
再度太い声が響いた。何を言っているのか理解出来たのは島のみ。何者かの集団が近づいてきているらしい、イスラム国以外の。
――こいつはイタリア語だ! どこだ、どこから狙撃している?
射線が通っている場所を探す。倒れている兵士の受けた傷口の向きが答えを指示している。
「セイウナニーコ!?」
――どうだ、俺の敵か味方か。
久しく使っていなかったイタリア語、まさかシリアの山奥で使うことになるとは思いもしなかった。
「ネッスゥァディドゥ」
敵の目の前で話が出来て相手に理解されないのは極めて有り難い。だが返事は敵でもなければ味方でも無いだった。
「イズラム イルネミィコディ!」
「エオラ!」
一つの方針が確立された。島の敵でも味方でも無い、だが今はイスラム国と敵対しているとの返答。
――それで結構! だが何だか妙だな、声が木霊しているせいか?
違和感を得ているが確かめようもない。遠回りして回り込まれる前に何とかここを離脱する必要が出て来た。
「うぅ……」
傍らのサルミエ少佐が呻きをもらしながらついに目を覚ました。
「よう、素敵な目覚めか」
「ボス? ここは?」
屋外、見たことのない場所で転がっていた。隣では島が汗だくになりカラシニコフを構えて緊張している。
首だけを動かして視線を変えてみると、イスラム国兵の死体があちこちに転がっていた。
はっとなって身を起こそうとして全身の打撲に顔をしかめる。
「まだ地獄の一歩手前だよ。最高のタイミングで起きてくれた」
ほらと銃を一丁手渡す。わけもわからず受け取ると弾倉の確認を行った。状況不明でも島と反対を警戒し、何があったかを思い出そうとする。
「……強行着陸!」
直前の記憶、最後がそれだった。間が飛んでいるので想像でしかないが、何と無くおかれている状況が見えて来たらしい。
「ああ、そして色々あって防戦最中だ。イスラム国ではない何かの集団がこちらをめざしているそうだよ」
「クァトロでしょうか?」
ぼーっとする意識の靄を取り払う為に、何度か頭を振る。次第に心と体がすり合っていくのを感じた。
「さあな。だがそろそろエーンの奴が来る頃だろうとは思うよ、墜落から二十四時間以上経っているからな」
すらっと重大な情報を口にする。ということはサルミエ少佐はずっと気を失ったまま、足手まといになっていたと。
「ボス、申し訳ございません」
「お前が謝ることは何一つない。無事で居てくれて良かった」
何とも言えない感情がサルミエ少佐の中で湧き上がった。アルゼンチン軍に居たら、それどころか世界のどこを探してもこんな上官など見つからないだろうと知っているからだ。
「……しかし、なぜあいつらは攻めてこないんです?」
死体の山が凄まじい。これらを全て島がやったというならば鬼神も真っ青な戦果だ。
「狙撃手が居るんだ。ヤーズッカーがあの山から狙っている」
「あの狙撃手が! ですがいつの間に連絡を?」
こんなところで奥の手を発揮出来るなど、深謀遠慮も神の域に達している。事実はそうではないが、今のサルミエ少佐なら冗談でも鵜呑みにするだろう。
「実は声しか知らん。だが折角だから会いに行ってみるか。ここに釘付けにされていても窮するのは時間の問題だ、山へ向けて脱出するぞ!」
――サルミエが自力で動けるなら離脱可能だ!
「ダコール!」
銃の作動を確認、カウントダウンで一斉射撃、後に連射しながら場所を移す。この間二秒でこなすだけだ。
当てるつもりで銃を構えて狙いをつける、引き金を引くまでに普通の兵士なら二秒では間に合わない。それは島でも同じで、ましてや距離があるなら命中弾など一万発に一発あるかないか。
狙撃手が当てられるのは、訓練の賜物、射撃に集中できる環境あってこそだ。
「……ゴー!」
全自動射撃、引き金を絞っている限り、一分間で六百発もの連射が可能だ。弾倉にはわずか三十発、三秒で撃ち尽くす計算になる。
その一瞬を有利にするためだけに弾倉を二本空にして、二人は岩陰から近くの木陰へと居場所を移す。残る弾倉はそれぞれ一本だけ。
「あっちだ、行くぞ」
――真っすぐついてきたら狙撃の的だ、これなら引き離せる!
姿勢を低く保ち小走りで進む。慌てて追いかけて来るものの、山からの狙撃であっという間に五人が死体に早変わりした。
「物凄い腕前だな! しかし、音が軽い」
どうして十二・七ミリの発砲音がしないのか不思議だった。巨漢が大型の狙撃銃を使っていると報告が上がっていたからだが。
「グラッチェ! ありがとう!」
――味方でなくても助けてくれたのは事実だからな。
イタリア語だけでなく、つい日本語でも発してしまった。こんなところで誰が聞いて解るものでもないのに、気が緩んだ結果だ。
茂みに入り山を駆け上る。狙撃ポイントがある場所のすぐ傍にまで来る。
山岳迷彩ネットを頭からかぶった大男が、対物ライフルであるバレットM82を手に持って立っているではないか。
「助かった、礼を言わせてもらう。ありがとう」
――こいつはデカイな!
そしてすぐに重大な部分に気づいた。彼が手にしているのがバレットというところに。
すぐ後ろには同じく迷彩ネットを被った小柄な人物、こちらは手にM16型の小銃を持っていた。それもドラム型の特殊弾倉を装備している。
「お前は日本語を?」
大男がイタリア語でそう指摘してきた。まさか解しているとは思わずに、珍しく島が表情に出してしまった。
「何だ日本語がわかる? そちらこそイタリア語?」
「俺はイタリア人だからな。お前は日本人か?」
無骨な感じで敵意をみせずに話をする、何とも奇妙な感じがする。山の下の方で今までにない銃声が聞こえ始めた。
「ああ、俺は島。いや、発音しづらいらしいからなシーマだ。あなたがヤーズッカー?」
――命の恩人くらいには名乗ってもいいよな。
追っ手は途絶えた、相手にしなければならないやつが別に出て来たからだろう。
「それはあっちだ。俺はガンビーノ」
親指を小柄な男に向ける。解ってはいたがどうにも飲み込めない。何せバレットは一度も発砲されてない、撃ったのは全てM16だ。
肩越しに声をかける。
「助かった、ありがとうヤーズッカー」
ゴーグルにマスクをしているので表情は一切解らない。だが見られているのは感じられた。
左手でマスクを少し下げると、口元が覗く。線が細い。
「島さんですか。私は柚子香、またどこかで会いましょうね?」
そういうと口の端をほのかに吊り上げて背を向けて行ってしまう。島もサルミエ少佐も、ここ最近で一番の驚きで固まってしまった。
ガンビーノもくるりと踵を返して行ってしまう。
「うーん、世界は広いし、事実は小説より奇なりだな」
「はい、ボス。まさかヤーズッカーが女だったとは……」
二人で目を合わせてから、先ほどまで彼女が居た場所に視線を移す。
「こちらオルダ大尉、目標を発見しました!」
山の下から黒服の兵が駆けのぼって来ると、島とサルミエ少佐を囲んで外側を向く。エーン大佐の直下にある、プレトリアス親衛隊だ。
猛スピードで眼前までやって来ると「閣下、よくぞご無事で!」黒い顔に白い歯を見せて安堵の表情を浮かべる。
「オルダ大尉ご苦労だ。流石に俺も少し疲れた、さっさと帰るとしよう」
「ヤ!」
尾根には武装車両の一団があり、エーン大佐が待っていた。
「お前なら来てくれると思ってたよ」
「遅くなり申し訳ございませんでした」
「なに、収穫もあったからな。なあサルミエ」
島が投げかけると「はい」短くそれだけ答える。詮索するのは後回しにし、エーン大佐は乗車を促し一刻も早くこの場を離れるようにと部隊を動かした。
――しかし、ユズカか。こいつは口外厳禁だな、どうして日本人がこんなところでスナイパーやってるのやら。まあ、それを言っちゃ俺も同じか。
腕組をして後部座席に座るとじっと動かず黙る。幾つもの状況を考えてみたものの、納得いく答えはついに浮かぶことが無かった。




