第十三章 決戦テロリスト
「B中隊、東へ奴らを押し出すんだ!」
サイダ空軍基地に臨時司令部を置いた独立特殊大隊、実働の三個機械化歩兵中隊はカナ市に展開している。
カナはヒズボラの潜伏地であり、イスラエルへの攻撃拠点として使われたことが数度に渡る侵攻対象にされたことで証明されている。
現地の守備軍はイスラエル軍が侵攻してくるとレバノン国民の保護を掲げて防戦を行い、ヒズボラには一切攻撃を加えないことから、要注意人物としてその部隊の指揮官の名前がリストアップされている。
街の西側はレバノン南軍管区所属の師団がラインを固め、北側は国境守備師団が同じように戦線を構築している。
南側はイスラエルに接しているためにヒズボラが撤退先に選べばより苛烈な攻撃にさらされるため、多くは東側へと脱出経路を求めていた。
司令部で中佐が展開図を見てどっしりと構えている。
実質的な指揮は島大尉が執っており、その意を受けてプレトリアス曹長が無線で三つの中隊の指揮車両へと指示を出している。
その際に使われるのはアフリカーンズであり、ヒズボラでこれを解する人物が指揮官の周辺に居ないために一方的に戦況が推移している。
司令部には他に派遣将校がずらりと居並んでいた。
総司令部からの観戦武官として今後の軍の運用を占う意味から特殊大隊にやってきたのだが、司令である中佐が一言も命令を発さないことに戸惑いを覚えていた。
たかが尉官である人物が一つの戦区を取り仕切っている、そのことが信じられないとの表情が伝わってくる。
中佐ならば軍を動かすことが出来るのでは? そんな期待の雰囲気すら感じられる。
「こちらB中隊、九時の方角と十二時の方角より十字砲火あり。一角を打ち破られたし」
地図を見るとマーケットらしき場所が九時側の拠点になっている。
「司令部了解。A中隊、東へ一キロ地点から三時方向に見えるマーケットがテロリストの拠点だ、吹き飛ばせ!」
プレトリアス曹長がすぐさま通訳して伝える。
C中隊は市街地南側ギリギリから退路を断つために東へ進んでゆく。
「C中隊、ヒズボラの無線傍受。市街地東に集結中、反撃を準備している模様」
無線の先で七、六二㎜の発砲音が聞こえるがそれより口径が小さな音は漏れてこない、敵との距離が五百メートル以上開いているのだろう。
「司令部、C中隊は急行して集結を妨害せよ」
五分程でA中隊がマーケットにRPG7を発射したと報告が入る。
遠くで爆音が鳴るのが二カ所の無線から確認された。
「B中隊、九時方向沈黙。我、十二時方向へ移動再開す」
「司令部、B中隊直進してC中隊の左手に現れて支援攻撃を」
そのまま暫く推移を見守る、様々な通信がもたらされるが劇的な変化は報告されない。
下手に均衡を崩して無理をさせずに現状維持で進めさせる。
「C中隊、阻止線に遭遇。抵抗多大につき進軍停止」
「B中隊、反撃苛烈。現地にて交戦継続」
足早な快進撃が止まる、敵の防衛ラインに接触したのだろう。
「司令部、A中隊はどうか」
呼び掛けても応答が無い。数回呼び掛けけるとようやく返事が返ってきた。
「A中隊、指揮車両破壊。現在指揮所を移転。東部より攻撃を被っている」
「司令部、了解。各部隊現状維持せよ」
派遣将校らがここまでかと息を吐く。
しかし島は全く動じることなく展開図を見詰める。
突如すくっと立ち上がると中佐の隣へ向かう。
「中佐、これより自分は前線に出て指揮を行います。出撃のご許可を」
黙っていたハウプトマン中佐が初めて口を開く。
「良かろう。貴官の合図で総攻撃を仕掛ける、健闘を期待する」
島は敬礼をしてくるりと振り返る。
「ロマノフスキー中尉、ヘリボーン中隊を出撃させる命令を出せ。曹長ガゼルへと指揮所を移すぞ。出撃は三百秒後だ!」
駐機場に並べられているUHー1改イロコイに兵が乗り込む、レバノン空軍では十二、七㎜機銃手がクルーチーフになる。
武装を減らして兵員収容能力を増やした機体が重そうに離陸する。
SA342ガゼルがそれを追うように離陸、渡されたヘッドホンを着けて幕僚が機械化歩兵中隊の現状を常に把握するよう注意を傾けた。
芳しくない報告が時折寄せられるが押し戻される程の反撃でも無いのか少しするとまた現状が知らされる。
「こちら前線司令部、これより市街地東のテロリストより更に東一キロ地点に部隊を降下させる。退路を遮断し敵が浮き足立ったら攻撃を仕掛ける、それまで現状を維持せよ」
敢えてヒズボラにも傍受可能なフランス語で呼び掛ける、これにより逃げ場を失うとの恐れが広がればよいと考えた。
曹長にガゼル戦隊の出撃準備を要請させる、必要になればいつでも攻撃に参加出来るように手配が済んでいた。
イロコイが着陸を開始し次々と兵士を吐き出すと素早く戦域を離脱していった。
分隊ごとに間隔を保ち武装をセットすると西へと向かい移動を始める。
その姿を島はガゼルから見詰めている、あと三百メートルほどでRPG7の射程圏に集団を捉えるだろう。
手頃な遮蔽物を見つけるとそこに塹壕を大慌てで掘り始める、ものの数分で簡易陣地が設置された。
そこからロケット弾が次々に発射されるとテロリストの真ん中で破裂し、前方四十五度の角度を扇状にと薙ぎ倒した。
東西から挟まれた敵は状況を打開するために、後方の数少ない兵を蹴散らそうと繰り出してきた。
「前線司令部、A中隊は装甲車を押し出し東へ突出、ヘリボーン中隊との間にクロスファイアポイントを作り出せ!」
「A中隊、了解」
上空から戦況を眺めて敵の薄い場所を突破させる。
テロリストの北側にAMX13軽戦車が現れ百五㎜りゅう弾砲を遮蔽物に叩き付け、隠れている者ごと吹き飛ばした。
それを追い越すようにVBA装甲車が狂ったように七、六二㎜弾をばらまいて面を制圧する。
反撃を行えないまま制圧射撃が収まるのを待っている間に、装甲車から歩兵が吐き出される。
身軽になった装甲車は更に北東へと進み、ヘリボーン中隊からみて二時方向二キロ地点あたりに陣取る。
そこから十二、七㎜を東へ移動するテロリストの側面へと向けて乱射した。
ガゼル戦隊の出撃を要請するとサイダ司令部へと繋ぐ。
「前線司令部より司令部、十五分後に総攻撃を要請する」
島がドイツ語で中佐に呼び掛ける、日本語よりは多く解する者がいるだろうがやはり極めて数は少ないだろう。
曹長から総攻撃準備をするよう先触れが出される。
長いようで短い十五分が流れる、優勢を保つ側にとっての感覚だ。
東周りで南西へと進路をとったガゼル戦隊が戦域北東に姿を現した。
それにあわせて中佐が通信機を手にとり告げる。
「独立特殊大隊員に命ずる、これよりテロリストの殲滅を行う。アングリフ!」
ドイツ語で突撃! と命令を締めくくる、島からも「始めろ!」と命令を繰り返した。
ガゼルが上空から遮蔽物に隠れているヒズボラ兵を二十㎜機関砲で容赦なくなぎ払う。
四連装のミサイルポッドから煙の尾を残して発射されたロケット弾はコンクリートブロックを粉々に砕いて恐怖を撒き散らす。
ヘリボーン中隊からは迫撃砲で二秒に一発の速さで速射を行い、支援火器の十二、七㎜で逃げ惑うテロリストを狙う。
市街地南部を進むC中隊はハンヴィーやランドローバーDFといった野戦武装ジープで移動しながら遠巻きに銃撃を加え、不運な者を片っ端からその場にねじ伏せた。
西側中部からはサラディン装甲車やVAB装甲車を押し出し七、六二㎜弾を発射しながら歩兵が随伴する。
カンカンと乾いた音が装甲にあたり跳ね返る度に響く。
袋の口を絞るかのようにA中隊も徐々に足を進める。
隠れる場所もなく逃げ場も失ったヒズボラ兵は「アッラーアクバル!」と唱えてついに身を棄てての攻撃にと転じた。
「前線司令部、各員その場にて防御に切り替えろ。捨て身の攻撃が沈静化するまで待つんだ」
現場で状況を見ていた島が速やかに命令を切り替える。
指揮官は前線近くにいるべきだとの外人部隊の本領を発揮した。
足を止めて遮蔽物にと身を隠すとそこへ銃を乱射しながらヒズボラ兵が突っ込んでくる。
弾丸が胸を貫通したがそれでも二、三歩進みその場に倒れて動かなくなる。
三十分ほど待機するともう突撃してくる者は居なくなった。
「前線司令部、各員前進再開」
脅威が去ったとして包囲網を縮小させる。
反撃が散発的になり一発射撃してくるとそこへ砲弾がお返しされるようになってきた。
戦意を失った男たちが小グループでまとまり降伏を示す白旗を掲げて座り込む。
「前線司令部、掃討開始」
四人が一組になり敵地深くへと兵が食い込んでいく。
降伏した者は地面に伏せるように命令されて銃を突きつけられる。
この頃にはガゼル戦隊もお役ご免とばかりにサイダへと引き返していった。
島も戦闘が終了したと判断し司令部へ帰投すると命令を下した。
LAFレバノン軍総司令部で、軍事相にとそのポストを鞍替えしたファード・ハラウィ中将に中佐が報告する。
「我が軍死者及び重傷者十三名、指揮車両一、軽車両二破壊。ヒズボラ死者及び重傷者六十八名、逮捕者百三十五名。以上が機械化歩兵団とヘリボーン部隊による特殊大隊の試験運用結果であります閣下」
事前にある程度は聞かされてはいたが、こうもはっきりと数字を並べられるとまた興奮してきた。
「うむ! 素晴らしい戦果だよ、ここ暫くヒズボラに対してこれほどの結果を出したことは無かった」
思わず立ち上がって握手を求めるのではとすら思ってしまった。
テレビニュースではフランス放送局が取材中に突如起きた戦闘を撮影に成功したとして繰り返し放送している。
それを素知らぬ顔で大尉は感心して見ていたそうな。
「事後処理がありますので詳細は改めて報告させていただきます」
中佐が敬礼するのに従い随員がそれに習った。
中将が答礼し上機嫌で見送った。
大戦果であっても味方に負傷者もいれば死人もでている、手放しで喜べるわけではない。
「中佐、戦死者の家族には自分から連絡を出しておきます」
ハラウィ中尉がリストを確認して申し出る。
「いや中尉私が行こう、責任者として任せきりには出来ん」
現実的に中佐だけでは難しかろうと中尉が同行することで落ち着く。
これについては島から言うことは何もない。
理想的な戦闘を組み立てることが出来たためほっとしていた。
何せ今までは中隊しか指揮をしたことがなかった、それも大尉の命令を中継して発していただけである。
一番緊張していたのは自分だったのではないかと島は思っていた。
作戦を成功させたことで部隊員からは今までと違い信頼の目で見られるようになった。
派閥を越えて戦士と認めた扱いで接してきたのだ。
毎日のように報道される中でベアトリスに依頼していた捏造発言も一人歩きを始めた。
そう遠くない未来に次の一手が打たれるだろう。
イスラエル北方司令部。
テレビニュースにヒズボラが次々と倒されてゆく戦闘シーンが流される。
もう幾度となく繰り返して見た光景である。
レバノン人ニュースキャスターがキリスト教徒でもイスラム教徒でもない、レバノンの軍人が指揮した戦闘であると強調している。
シーア派の反発がマロン派に向かない為との配慮だろうか。
ネタニヤフ少佐は手にした資料を読み返す、都合三度目になる。
表題は南レバノンにおける対ヒズボラ戦闘の分析、である。
モサッドからの報告が二十枚の文書とそれに倍する写真を添付してまとめられている。
やはり気になるのは三人の軍事顧問らが担った部分になる。
どこをどう調べてきたのかサイダの司令部で戦闘指揮をしていたのが島大尉であったことまでが詳細に示されている。
――フランスでは軍曹で除隊となっていたが偽装ではないか?
あまりに見事な評価ばかりが目に付いたので少佐が疑問を持つ。
何とか鍵になるような記述が無いかを繰り返し読んで探していたがその資料から見つけ出すことは出来なかった。
ため息をつきコーヒーカップを傾ける。
番組は切り替わり対談形式のニュース番組が報道されている。
今まで一度も見たことがないフランス人女性が登場した。
一般的なレバノン情勢についてやり取りしているのでテレビを消そうとする。
だが少佐はその手を止めてボリュームを大きくする。
「――でも彼はレバノンの将来の為にはアメリカを後ろ盾にしてイスラエルと国交を正常化するのが必要だろうと考えているようでした」
「ではシリアについては?」
「テロリストを支援するような国は付き合いを無くすべきだと。その為にも国内のテロリストを一掃する――」
リモコンを握る手に力が入った。
――これだ! 軍事顧問の大尉はイスラエル寄りに違いないぞ。
名を伏せているためモサッドからの資料がないと意味が通らないが、全てを知ると与えられたパズルのピースが一つにまとまる。
少佐は資料を手にして大佐のオフィスへと足早に向かった。
オフィスには大佐のほかに副官のバルフム大尉が居た。
モサッドからの報告が上がってきたと資料を差し出す、それに目を通して理解しないうちに大尉へと渡す。
「今回の治安維持活動結果報告書です」
「ヒズボラが随分とやられたようだね、いい気味だよ。この数字だとカナ地区の組織は壊滅ではないか?」
地方の所属員数を覚えていたようでそのように指摘する。
「暫くは組織的な活動にかなりの制限を受けるでしょう。七枚目の文書をご覧ください。独立特殊大隊の実質的な指揮官はその大尉のようです」
大佐が資料を再度デスクに置くように副官に示す。日本人の大尉が指揮をしたと確かに書かれていた。
「ふむ、中佐は総攻撃命令のみしか発していないとあるな」
その場に居ない限り決してわからないような情報まで書かれている、レバノン軍将校に漏らした人物がいるのは明らかである。
「それも訓練指導や作戦企画の段階から全てです。当然中佐にはより以上の実力があって然るべきでしょう」
我が軍と違って、との言葉を飲み込んで続けた。
何事かを考えるフリを暫し続けて大佐が口を開く。
「上層部からの指示だがね、レバノンにおけるイスラエルの影響力を増大させよとのことだ。少佐の考えを聞こう」
だいぶ前に副官から漏れ聞いていた内容の一端を今更吐き出してくる。
これまでずっと暖めてきたのだとしたら早急に取り掛かる必要性に迫られてしまう。
「軍事力による影響を直接的に与えるのは上層部の意図するところではないでしょう。調略により裏からの影響力を保持する線はいかがでしょうか大佐」
ふむ。そう言ってまた考え込むがどうして良いか浮かばずに資料を捲る、だがそこに模範解答は書き込まれてはいない。
「具体的にはどうするつもりかね」
予め決められていたかのようにいつもの流れを踏襲し、少佐へと丸なげの態勢をとろうとする。
「軍事顧問の大尉を我が方に引き寄せます。彼に発言力を持たせてヒズボラを苦しめましょう」
「共食いをさせると? そんなことが可能なのだろうか」
それを可能にさせるのが仕事だろうと胸のうちでぼやく。
「大尉は親イスラエル、親アメリカ的な態度を漏らしています。接触を試みる余地はあります」
バラケ大佐が副官に資料に記載があったかを問うような視線をむける、しかし大尉は首を左右に振って否定する。
「ネタニヤフ少佐、君独自の研究で計画を進めてみたまえ」
自分では正否の判断がつかずにそのように命令する。
失敗したら少佐の責任だと保証を要求するのもいつものことである。
「了解です大佐。早速専従の計画班を立ち上げて実行致します」
ゆったりとした仕草で敬礼して部屋を出る。
――アメリカ大使館の駐在武官筋から接触させるか。
廊下を歩きながらレバノン内での手段の検討を始める。
こうまで命令の遅滞が頻繁だとそろそろ大佐には最前線から退いてもらう時期かも知れないと、イスラエル北方軍の在り方にも考えを及ぼし始めていた。
独立特殊大隊の隊員全員にレバノン三級戦功勲章が授与された。
将校のそれはレバノン杉が銀色になった二級が贈られている。
ヤセル駐屯地へと戻ると日常訓練へと切替られ、軍事ツアーに参加した日本人への教練が始められる。
素人に教えること自体が理解度を深める手段となるのでこれも有効な訓練となり得た。
大隊の兵員を直接増員せずに駐屯地内から人数を集め、指導をさせて視野を広げる努力へと移行する。
直接軍事顧問から訓練指導を受けた者が教官となり各地に散ってゆく下準備は着々と進んでいた。
「大尉、ハラウィ大臣からまた会食のお誘いがきています」
作戦の成功やツアーの好調ぶり、そしてなりより娘の交際相手になっている島を中将は殊更気に入って最近頻繁に誘ってきていた。
「もちろんお受けしますと連絡しておいてくれ」
好意は素直に受け取ることにして一度たりとも断らず参加しているが、気になっていることが一つ解決していない。
あの盗聴器は未だに誰がどんな目的で設置したかわからずにいた。
意を決して一度罠を仕掛けることにした。
副官のロマノフスキーにすら一言も漏らしていない話を意図的に部屋で呟いてみた。
誰がボロを出して知るはずもない内容を口走るか気を張っていたが、結局誰も引っかかりはしなかった。
慎重な者なのか、それとも自身が直接関わっていない者の仕業なのか……
スラヤに真っ向問い詰めるとの手もあったが、彼女が完全に自分の側である自信がまだなかった。
職務は順調に推移している、そのため側面を固める作業に力を入れ始めていた。
来るべき時のために南レバノンの将校らと繋がりを持ったり、緊急時の切り札を増やしたりと。
そんな折にミリタリーアタッシェのエバンス空軍中佐から、任期延長を受けたとしてハウプトマン中佐と一緒に会食をしようと誘われた。
大使館付の仕事は殆どが何かしらのパーティーや会食の類で、今回もご多分に漏れずホテルの会場が予定されていた。
「外交官の腹が出てる理由がわかってきたよ」
苦笑しながらスケジュールを確認する。
エバンス中佐はレバノン外と繋がる数少ない人脈のため大切にしたい、そんな思いが島の中にあった。
丁度その日は部内の定期検査が行われるので立ち会いをする予定になっている。
「一日早めて抜き打ち検査の形にしよう。検査官には早めに連絡し、部隊には当日の朝に通告しよう」
「了解です。部隊の責任者が当日不在にならないように何か仕事を割り振っておきます」
この駐在武官という仕事、後進の国々では純粋に大使館員の護衛が職務であったりするが、それなりの規模の国では護衛以外に諜報や戦略的見地からの判断補助を担ったりしている。
政治的な色が濃く出るために人選も慎重に行われた。
第二次世界大戦ではヨーロッパに派遣されていた駐在武官の発言により、ドイツと手を結んだと後に評されるほどに時と場所によっては本国に多大な影響力を及ぼす。
レバノンはその点どうかと尋ねられたら、中間にあたるだろうか。
中東での足掛かりの拠点にはなってもレバノンそのものが重要とまではいかない。
本来ならば一介の傭兵大尉ごときが指名で招かれるような間柄ではない。
つまるところ尉官などは戦いの際に動く駒、或いは業務内の実務処理者でしかなく、替えがきく存在なのだ。
大尉とは一般的な兵士や士官学校卒業者が辿り着く典型的な終着点で、ここから少佐になれる者となれない者ははっきりと扱いが異なる。
尉官が被雇用者ならば佐官からは経営者と理解しておけば大きな誤りはない。
「ところで中尉はいかないのかい?」
「そう立て続けに顧問官がこぞって不在ともいかんでしょう。華やかな舞台は大尉にお譲りいたします」
ウズベク人の性に合わないらしく居残りを志願する。
兵がハラウィ中尉が迎えに来たと伝えにやってくる。
後を頼むぞと指揮所を出るとハンヴィーではなくセダンでの登場だった。
「戦闘用車両はあれから不足してまして」
中尉が処置なしと肩をすくめて後部座席の扉を開ける。
機械化などというのは簡単に出来るものではない、予算もかかれば時間もかかるものである。
陸軍では大戦果を受けて車両の奪い合いになっていた。
独立特殊大隊は優先配備されてはいても予備が削られたりと影響は少なくない。
「国軍強化意識が芽生えたことを尊重しよう」
問題ないと中尉に移動を促す。
レストランはワーヒドなので十五分程のことでしかない。
定番の位置と化したテーブルを安全のためと突如場所を変えるのを忘れない。
決められた行動はテロの対象になりやすいからだ。
出来るならば店そのものを替えたかったが、中将のお気に入りなので次善の選択で収めることにした。
長テーブルで島の隣にはスラヤが座る。
「何事も順調で結構なことだ。南部では渋々シーア派も協力するようになってきた」
流れというものは確実に存在する、南軍司令官が突然入院して次席のスンニ派が司令官代行をしている。
暗殺や妨害工作と当初は疑われたが、なんと急性盲腸炎での緊急手術であった。
そのため解任など後任人事は求められず、暫し次席が職務代行とあいなったのだ。
食後のワインを飲み干して中将がおもむろに問い掛ける。
「大尉、娘をどう思うかな?」
危うくむせかえりそうになり何とか踏みとどまる。
付き合いをしている相手に父親としてはいつかは聞かねばならない一言をついに持ち出してきた。
スラヤも落ち着かないようでそわそわしている。
ナプキンで口を拭いて一度息を吐き出す。
「閣下、自分から彼女にアプローチはしているのですが中々おめがねに適わないようで」
思ってもいないことを言われてスラヤは更に驚き頬に朱が走る。
「スラヤは大尉では不満か?」
その瞬間は一人の父親がする表情を浮かべた。
「私は……その……もし大尉がよろしければ……」
顔を真っ赤にして消え入りそうな声で答える。
断りやすいようにと気を利かせたのだが、島は予想外の反応をされてまじまじと彼女を見てしまった。
「うむ! そうか、そうか」
勝手に納得して中将はご機嫌になる。
どうしてよいのか咄嗟に切り返せずにいるのは人生経験の違いだろうか。
「本当に俺でいいのかスラヤ。財産も無ければ一族の後ろ盾もない、そんな一匹狼に嫁いでも苦労ばかりだぞ」
外国に体一つで乗り込んできた男と結婚しても明るい未来は想像出来はしない。
それに加えて軍の戦闘指揮官では明日には未亡人となっている可能性もある。
「あなたが祖国の為に命をかけて働いた事実にかわりはありません。私はそれを誇りに思います」
――……それも悪くはないか……
いささか強引な展開ではあるがこんなことは誰かの後押しがなければ踏み切れないものと割り切って考えることにした。
「わかった二人の気持ちは私が認める、諸々全て任せなさい。大尉、娘のことを頼むぞ」
そう言って頭を下げる。
「か、閣下! 頭をあげてください、自分などを選んでいただき光栄です。これからもご指導よろしくお願いします」
テーブルに額をこすりつけて謝意を表す。
「ソムリエール! ラ・クロワゼの二十年、いや二十五年物を!」
中尉が自分からの御祝いですよと逸品を注文する。
「内祝だよ大尉、私に注がせて欲しい」
開封したボトルを中将が手にして島のグラスへと注いで、スラヤにも注ぐ。
この時だけは周りの煩わしい何もかもを忘れて祝福に酔いしれることにした……。
コンコンコンと部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
「……ん?」
夢から覚めて目をあけるとそこは宿舎の自室だった。
「大尉、入りますよ?」
いつもなら時間前に必ず出てくる島が現れないことを変に思いロマノフスキーが扉を開ける。
「ああ君か、済まない寝込んでいてしまった」
ベッドに上半身を起こして具合悪そうな表情をする。
「お加減が悪そうですが水をお持ちしましょうか?」
「ああ頼む」
渡された水を一気に飲み干してコップをサイドテーブルへ置く。
大きく深呼吸をして体に酸素を行き渡らせる。
「何か悪いことでもありましたか?」
いつもこんな状態になるまで深酒はしない島を心配そうに尋ねる。
「逆だよ中尉」
「逆?」
意味がわからないと疑問を露わにする。
「スラヤと、彼女と婚約した。それで中将と中尉から祝福責めにあった」
なるほどと納得し笑みを浮かべる。
「おめでとうございます。その理由では仕方ありませんね。指揮所にはどうぞ盛大に遅刻してらして結構です」
それでは、と部屋を出て行ってしまった。
体調がぱっとしないために少し熱めのシャワーを浴びる、次いで冷たくし、また熱くと何度か交互に繰り返し刺激してゆく。
――なるようになっちまったな!
島とてスラヤのことは可愛らしいと思っている、結婚だってよいと。だが彼女にとっては良いことばかりではないのが気になる。
一生をレバノンで過ごすつもりはない、国を出るときには彼女もついてはくるだろうが、果たしてそれが幸せに繋がるかは自信がなかった。
胃に何か詰め込もうと食堂へと足を運ぶ。
置いてあったパンを適当に手にして牛乳で流し込む。
時計は既に一〇〇〇をまわっていた。
アルコールを抜くには汗だとばかりに宿舎を出ると走り出す、そしていつものように駐屯地へ向かった。
駆け込んできた島を見て水を用意して出迎える。
「お早いお着きで」
中尉が差し出した水を飲み干す、ようやく調子が出て来たようだ。
「済まない、俺にとっても驚きだったものでな」
「まあ一生のうち数回はそんなことがあるでしょう」
笑いながら昨日のことを想像して頷く。
一応報告書を差し出すが緊急のものは無いので明日でも構いませんと付け加える。
「甘えてばかりはいられんからな、今日中に決裁する」
そう答えると紙を手に執務室へと消えていった。
外部からの電話が入ったと通信士から大尉宛と言われる。
「私が代わろう」
回線をまわさせて自分のデスクで繋ぐ。
「今すぐに国から出ていけ、これは警告だ、次はない――」
切り替わってすぐにそう一方的に告げて回線が切れた。
「通信士、今の回線どこからのものかわかるか?」
「はい……総司令部からの電話回線でした」
悪戯にしては場所が渋いなと呟いて仕方なく大尉の執務室に報告しにいくことにした、ほんの少しの配慮として二時間遅れで。
「俺宛の警告か、心当たりが多すぎてわからんな」
濃いめのコーヒーを口にして正直なところを答える。
「国を出ていけということはレバノン国民の誰かなのでしょう、それも総司令部勤務の」
それだけでは該当者が多すぎて全くわからない。
わかったところで別の問題が湧いて出るだろうが。
「有名税だと思って注意だけはしておこう」
決裁した書類を中尉に渡す。
戦闘車両が不足気味になっているのを確認した、何か別のものを考える必要がありそうだ。
騎兵というのは場所によっては未だに現役である、似たような理由で駱駝兵もだ。
東南アジアでは自転車も利用されている、ところかわれば品も変わる。
「戦闘には耐えられないが移動だけなら曳航車はどうだろう?」
「輸送には使えるのではないでしょうか、悪路は厳しそうですが」
早速前例を調べるようにと指示をして自らは他の手段をと考えを巡らせる。
――しかし警告とは一体なんだ?
タイミング的に腑に落ちない何かを感じる。
日時を照会したら使用箇所がわかるのでは? そう閃いた島はすぐに受話器を取り通信士に受信記録を運ばせる。
記録を片手に総司令部の通信部へと問い合わせる、該当の使用記録は三件で内一件は市外にかけており、二件が市内宛だ。
通話時間が短い一件は高級将校が居並ぶ棟の上階ブロックが発信元だと説明される。
――中将の執務室じゃないか!?
該当する人物の心当たりはそれくらいしか居ない。
だがシーア派の将校も同じブロックにいるために確信には至らなかった。
中尉が資料を集めて部屋に戻ってきた。
「曳航車ですが作業用車両や輸送車両に実用が確認されました。エンジンに粘りが必要なためディーゼル車が運用に適しているようです」
「わかった。では運用想定をまとめて明日提出してくれ」
多少は改善されるだろうと間に合わせを考案してるうちに、根本的な解決をどのようにするかを一人考えてみた。
マジェスティック・ホテル。世界中に構えられている老舗ホテルである。
今夜はここでエバンス中佐の留任祝いが行われている。
基本的には交流し易いように立食形式が採用されている。
国際的にも目的が目的のためにこのスタイルが殆どだ。
主賓が少し遅れて現れるのも常で、それ以前も以後も忙しそうに挨拶合戦が繰り広げられている。
「大尉、ついに結婚らしいな」
ハウプトマン中佐が祝を述べてくれる。
ハラウィ中尉から聞いたのだろう、まあ妥当な線である。
「ありがとうございます。式は少し先になると思いますが」
いつになるかは全く知らされていないのだが、スラヤを宙ぶらりんにして長くはおくまいと考えている。
会場前方で拍手が起こる、エバンス中佐が登場したようだ。
特に知り合いもいないため食事を楽しんでいるとエバンス中佐が一人伴ってやってきた。
「やあ来てくれて嬉しいよ大尉。紹介しよう、駐レバノンのアメリカ駐在武官パットン空軍大佐だ」
「レバノン陸軍島大尉です」
紹介されたので自ら名乗る、敬礼ではなく握手でもって返された。
「大尉の噂は聞いているよ、ヒズボラ相手に大活躍らしいね」
小柄な大佐は人懐っこい笑顔で話しかけてきた。
大国アメリカがレバノンに置いた武官は左遷人事に近い、何故ならアメリカは中東の中心にイスラエルを想定しているからだ。
「噂ほど勝手なものはありません。自分はただ助言しただけで、戦いで勝ったのはレバノン陸軍の者達です」
相手の意図がわからないために身を引いて応える。
エバンス中佐が別の客に挨拶があるため失礼と消えてしまったが、パットンと名乗る第二次世界大戦で活躍したアメリカの将軍と同じ姓の男は相変わらず目の前にいた。
「大尉は今後のレバノンがどうしていけば良いと考えているだろうか?」
――わかったぞ、こいつはイスラエルの使徒だ!
全ての筋書きが一本の芯を得て繋がった。
いまこれから喋ることはそっくり向こうの司令官に伝言されるだろうとまで。
ようやくベアトリスを使った仕込みが活きてきたのだ。
「政治基盤を安定させる為に何等かの思い切った処置が必要でしょう。そのためには貴国のような大国の手助けが欠かせないと考えます。たかが大尉の戯れ言と笑い飛ばしてください」
事前に人物をチェックしてからの質問なのはお互いが承知である、それを踏まえての答えに一歩踏み込む。
「思い切った処置。大尉ならばどのような手法をとるかお聞かせ願えますか」
これを聞くためにわざわざ今回のパーティーを開いたようなものだろう。
他国の人事に口出しをしたりと、やることに金が掛かるもイスラエルはアメリカからの莫大な援助が約束されているため予算に事欠かないようだ。
「南レバノンを一旦独立させて、ヒズボラを徹底的に叩いてしまう位はしないと。下手にレバノンだとするから様々不都合が見られるわけです」
左遷人事でとばされた大佐では思いも寄らないような手法をサラッと述べる。
「貴官は奇抜な発想をしておられる」
「いえ二番煎じでして。少し前になりますが南レバノン軍というのがやってのけました」
駐在武官がその国の歴史を全く学習していないのが明らかになり不快さを感じたが、目の前にいるのはヴォイスレコーダーだと考えて話を続ける。
「そうやってイスラム教徒の数が減ったところでレバノンの法律改正を通過させてしまえば未来が拓けるでしょう。問題は誰がそれをするかですよ大佐殿」
つまりは誰ならばアメリカはそれを認めるのか、そう言外に含めている。
レバノン人であるのは絶対条件だろう、その上でシーア派以外を。
なんと答えて良いものかと必死に考えているようだが間延びしてしまう。
今後の連絡先と考え更に続ける。
「迷惑でなければ大佐殿と改めてお話をさせていただきたく思います。宜しければ訪問をお許しください」
ぱっと表情が輝き鷹揚に頷く。
「私も大尉に興味をもった、いつでも歓迎だよ」
散々繰り返し使い古された社交辞令で話を打ち切る。
――近いうちにアプローチがあるだろう。
冬が終わり春を迎えて暫し季節が巡ると中規模な人事異動が行われた。
独立特殊大隊が解散され所属員が全国各地に教官として赴任していったのだ。
島は特にプレトリアス曹長と通信士三名、兵二人を自身の軍事顧問付に残して貰うようにと申請して受理された。
軍事ツアーは軍事相の直轄事業へと系統が切り替わり、普段は曹長が担当することになる。
島等三名はレバノン軍全体の軍事顧問として軍事相付に配属されることとなり、中期的な作戦計画に従事することになった。独立計画である。
その第一段階が国軍強化で種は蒔かれた。
第二段階は南レバノンの切り離し策であり、不穏な会議がまさに今行われている。
部屋には中将、中佐、大尉、二人の中尉がおり擁立すべき人物の選定を検討している。
一国の未来を左右させる話の割にはあまりに若い面々である。
「南レバノンを経営する必要はありません、大切なのは強引に独立させるだけの求心力でしょう」
一旦離れてしまえばアメリカやイスラエルが支援してくれるからと補足する。
アメリカの駐在武官は島が接触しているため、細かいニュアンスは彼次第であった。
「あちらからの注文人物は?」
中将が確認する。これを間違えるわけにはいかない。
「ハリーリー元首相」
父親もレバノンの元首相であったサラブレッドである。
アメリカが考えるシナリオはこうだ。ハリーリー元首相はスンニ派であり、彼はイスラム教徒でありながらシーア派のヒズボラに地位を追われ復権を画策している。
南レバノンでそのキャリアを生かし独立を行い、ヒズボラを一掃して、親米の南レバノン国代表に返り咲くこんなところだろう。
「彼ならば適任者だな。そのための手法が今までは揃わなかったと言うべきだろうか」
南レバノンで実力行使をして成功させる見込みがなかった、中将はそう打ち明ける。
「そこで我等軍事顧問なわけですな。高額な契約金を無駄にしたと言われないよう結果を出してご覧にいれましょう」
中佐が気を吐く。島にしても出来ませんでは済まないので同調する。
司令官だけではなく尉官までのシーア派将校を一時的に麻痺させる何かが求められる。
一旦傾けばあとは水が低いところに流れるようにと進んでゆく。
政治力、宗教力、暴力に金とあらゆる手段で状況を作り出す為の案が求められた。
「独立までも困難ではありますが、ハリーリー氏がその後の統合をしてくれるかは自分共では判断がつきかねます。よって政治決着は閣下に委ねてよろしいですかな?」
明らかな守備範囲外のことがらを総責任者に確認する。
「任せたまえ。独立や統合などの扱いや、戦闘以外の部分は私が担当する。君たちはヒズボラを抑え込むのに必要な部分だけを考えてくれ」
みなが納得する回答を得る。ゆくゆくはこの人物が大統領になるのでは? そんな空気を発していた。
二人の間のやり取りが大筋終えたのを見計らって島が質問する。
「この件は軍事相付である我らが関わった形跡を残すわけには行きません。少なくともヒズボラやシーア派に見破られてはいけないでしょう。決行当日は閣下や軍事顧問団は指揮が出来ないことを強調する為に偽装でスケジュールを入れてみては?」
ハリーリーが独力と手勢で勝ち取るのと、国防軍が関わるのとでは成功率にかなりの差が出るとみられる。
「中佐の考えはどうか?」
自らの決定を下す前に確認を挟む、組織運営に長けているあらわれだ。
「偽装ではなく事実休暇にして国外へ旅行にしても良いでしょう。下手に誤魔化すよりは確実です」
実行グループに直線指示を出すわけにはいかないため、確かに待機している必要はない。
ならば割り切って旅行も良いだろう。
「ふむ。では当日は休暇、しかしながら我らが一同に会することが出来るようにしよう。国内に居ながらに疑われない方法が一つある」
この場の誰もが考えたがそんな都合の良い設定を思いつけなかった。
「閣下、その方法をご教授願えますか?」
中佐が代表してそのココロを尋ねる。
「なに、結婚式に妻の父と兄、夫の上官と副官が参列しても不思議はなかろう」
声を出して笑い皆を見回す、島だけが苦笑しているが他はそれもそうだとつられて笑う。
「しかも海上、船での式にしよう。もちろんヘリは搭載するよ」
一大事があれば直ぐにでも駆け付けることもできると付け加える。
どうして中々名案で、このメンバー以外では無理な切り札が輝いていた。
「我々の当日のことは決まったとして、実行グループについて検討しよう」
中佐が落ち着いて要所を押さえにかかる。
「ハリーリー氏の手勢はどの筋でしょうか?」
基本的な部分を中将の口から確認する。
「神の党党首として党員を、国防軍スンニ派から慎重に人選して五百人から六百人は使えるだろうな」
――するとめぼしい動きが出来るのは百人程度で残りは手下か。
「レバノン南軍管区司令部、ナアコルス市警察署、南レバノン県政庁、ナアコルス市役所、発電所分務室、ラジオ局、テレビ局これらを抑えて声明を出せば勝ちでしょう」
「シーア派のモスクは押さえない?」
中将が敵の拠点になりそうな場所があがらなかったのを訝しむ。
「送電を停止してしまえば司令部機能は果たさないでしょう。むしろそこに集まってきたら監視の手間が省けます」
病院や司令部以外には滅多に予備電源を備えていない、ましてや西欧文化を排除しようと考える集団では持ってはいないだろう。
「予備電源が無いのを確認しておくんだ」
「了解です中佐」
中将の顔を立てるために要求を加えた、メモに必要事項を書き込む。
こうしておいて予備電源が無ければ枝を消去し、あった場合は破壊するのか制圧するのか等の枝をのばしてゆく。
「司令部の見取り図などを取り寄せておきましょう。指揮官は実際に司令部を訪れた者に限定を」
重要部分を赤で記す、司令部内を知る者があまりに少ないならば理由をつけて内部を一度下見出来るようにと黒で付け足す。
「内務省から功労者への勲章授与などで首都へ署長らを引き離したりは可能でしょうか?」
職務多忙であっても勲章授与式を断ることはない。
恩給の類や何より名誉を欲する者がその地位にあるからだ。
「私の方で要請しておこう。レセプションの打合せだ、パーティーだと前日からもう不在になるようにな」
次席(副署長)がスンニ派のため抵抗が少なくなる公算が大である。
問題はあの盲腸になった司令官だ。
唸る大尉を横目にハラウィ中尉が軽く言う。
「盲腸炎は二回なりませんからね」
ふと壁を見るとカレンダーがかけられていて、曜日ごとに数字がならんでいる、いつもながらの風景である。
「イスラム教徒は金曜日が安息日だな、決行は金曜日にしよう」
行き詰まった為に司令官の問題を後回しにして他を固める。
「ついでに日の礼拝が五回あるのでその時間帯を利用出来そうですね」
皆が見守る中、一人島だけがあれこれと案を出してゆく、それに付随する発想があるとロマノフスキーのように思い付きを口にする。
礼拝と聞いて中佐が疑問を投げかけた。
「イスラム教では大規模なイベントのようなものはないのかね? クリスマスのようなやつだが」
重要人物が出席する必要がある何かがあれば自然と不在になるだろうと確認する。
「ラマダンとイード・アルフィトル、ハリラヤ・プアサでしょうか。ラマダンは期間が長すぎて使えないでしょうが、イード・アルフィトルは……この週の三日間です」
カレンダーに視線が集まる、ハラウィ中尉が指した場所は木曜日から土曜日の三日間で、十月の末だった。
「具体的にはどのような変化が?」
「昼間は商店や企業が早めに閉まり、各家庭で交流が頻繁になります。イスラム教徒は家父長制度のためこの日ばかりは司令官も家路につくのが早くなるでしょう」
宗教対立が長期に渡るために双方の慣習にも詳しくなるのは必然のようだ。
「その週の金曜日、マグレブ(日没)の礼拝が狙い目なわけか。いかがでしょう閣下」
現地での感覚が乏しいために問い掛ける。
「上手くいくだろう。一つ不満があるとしたら、娘の晴れの日が奴らの祭りの日と一緒なところだね」
茶目っ気たっぷりで計画を認める。
イスラム教徒の兵の大半が当直任務から外れる三日間、まさに望んだ状況である。
そう考えてからイラクでアメリカを始めとする多国籍軍が作戦したのもラマダン月であったのを思い出した。
「幾人か残されるシーア派の将校とキリスト教徒があちらの備えとなるわけか」
島が熟考に入る。
――向こうにだって気が利く奴がいて厳重に警戒する日程として割りだしているだろう。その時に何を優先するか、まずは不在の幹部に連絡をつけようとして、防衛の為に遅延工作を行うのは間違いない。
次に周辺の部隊に命令して排除させる……これか!
「司令部を死守しようと防御を固めた後には周辺部隊を呼びつけて増援させるでしょう。付け入る隙はここで、スンニ派のアスカリを増援と偽って司令部に乱入させては?」
司令官が不在で交通整理が咄嗟に出来ず、味方を名乗るイスラム教徒の部隊が来たら疑いもしまい。
ロマノフスキーがふとチャドでの戦闘を思い出し付け加える。
「イスラエルが攻めてきたぞ! などと叫ばせたりしては?」
何度か事実があるだけに信用される率は高い。
「ヘブライ語で何件か無線傍受させれば信じるかも知れんな!」
賛同の声があがったためにメモに赤字で書き込む。
「シオニスト共の名前を借りなければ戦も出来んのかと言われたら言葉も返せませんが、何せ成功しないことには話になりませんからね」
中尉が仕方ないとばかりに言う。
これは大統領選でネガティヴキャンペーンの切り返しに有効な文句の一つである。
「好きに言わせておけばいいさ。負ければ大半は従うか土の中だ」
反対者を許さないと言外に含める。
中将もやるなら徹底的にすべきだと頷く。
「実行グループの指揮官と一度顔合わせして細かい指示を話し合うべきだろう。国内では目立つフランス語圏で自由が利くといえばパリか。そこに集まり計画の摺り合わせだ」
「全員では目立ちますな。閣下と大尉でならば一日や二日の不在も隠し通せるのでは?」
中将がいなければ回答不能な内容が混ざってくるのでこれは絶対、実行部隊への説明はブランクがあり最前線から離れて時間がある中佐より、現役で続く大尉が適当だと判断した。
「良いだろう、その不在の間は集中会議とでも銘打って閉じこもりを装うとしよう」
方針が決まると手段についての案を出す。
「閣下は一旦空路イタリア行きの機に乗り、列車でパリ入りしてください。直接目的地に向かわないようにです」
「なるほど、注意は必要だろう。して大尉は?」
素直に進言を受け入れて考えを修正する。
「自分は日本人のツアー客と共に日本旅券で国外に出ます。その後にベルギーあたりにフランスの身分証片手に向かいましょう」
出入国の帳尻が合わなくなるが年単位での未来に不都合があるかも知れない程度の為気にしなかった。
「定期的に出入国している日本人の団体があるわけだから怪しまれ辛いな!」
中将が賛意を示す。ずっと自国のみで暮らしている者にはわからないが、複数の身分証ほど便利なものはない。
決行までのスケジュールが出来上がり各自席をたつ。
緊急時以外はこの話題に触れることを禁止して時が過ぎるのを待った。
パリのシャンゼリゼ通りは今日も賑わっていた。
流行の先端ファッションに身を包んだ若者が行き来している。
かと思えば振り返るとそこには老紳士や老婦人が鳩に餌をやっていたりと、年代に拘らない層の広さが感じられた。
「やあお待たせしたね」
いつもの制服ではなく軽やかなジェントリーで中将が現れる。
「伯父上よくお似合いですよ」
閣下と呼んで注意を引かないようにとそのように呼び掛ける。
あと数ヶ月後には義父上になる相手だ。
「うむ、では行こうかね」
ハリーリーと幹部が一人、そして事後の速やかな支援を頼むためにアメリカのエージェントが一人やってくることになっている。
中将がホストとして会場を確保していたため、一足先に入り準備を整える。
夕暮れによって壁が朱色に染まり街並みが映える通りの先に人だかりが出来ていた。
「なんだあれは?」
近付いてみるとレストランに車が頭から突っ込み大惨事になっていた。
こいつは残念と眺めていて、ふと隣を見ると渋い顔をしている。
「伯父上まさか、ここでしたか?」
雰囲気を察して問い掛ける。
頷いてから野次馬を押しのけて従業員に予約はどうなるか聞くが、店を指してこの有り様では無理ですと断られてしまった。
「すぐに他をあたらねば!」
レストランやホテルに次々と電話を入れるも満席であったり当日ではコース料理を用意出来ないと断られた。
「いかん全て駄目だ。下手な店で顔合わせでは甘く見られて支障が出るぞ!」
進退極まり島を見るが時間は刻々と過ぎて行く。
――そうだあの店ならば!
「心当たりが一件、電話をお借りします」
番号案内から店の連絡先を確認してボタンを押す。
一回のコールですぐに繋がる。
「――レストラン・ル=グランジェです」
「島です、支配人を頼みたい」
承知しましたと暫し待たされて電話の主が変わる。
「お待たせ致しました。支配人のペタンです」
聞いたことがない声の主が出て島は失敗を悟った。
だが空席があるかも知れない為予約をしてみる。
「これから一時間後に五名で予約を入れたい、ロイヤルのコースだが」
「申し訳ございませんが本日は満席です。お客様のご希望には沿えません。三日後ならばお受け出来ますが――」
そう言われた受話器越しに別の声が聞こえた。
少々お待ちくださいと電話の主が再び代わる。
「お待たせしました。総支配人のネイで御座います」
――この声は! 総支配人に昇格していたのか。
「お久しぶりです島です。突然なんですが困っていて、何とかロイヤルのコースで五名を受けていただける店をご紹介願えませんか?」
ル=グランジェは無理でも紹介先があればとすがる。
「四年前にいらしたレジオンの島伍長、いや今なら軍曹でしょうか。私がそのご予約受けさせていただきます」
「しかし満席なのでは?」
覚えていてくれたことに感謝しつつも疑問は疑問として確認する。
「一席時間を遅らせていただきましょう。約束は果たさせて戴きます」
「ありがとうございます。それではこれから伺います」
電話を切って中将に向けて親指を立てて成功だと伝える。
「まるで魔法の引き出しがあるみたいじゃないか!」
「偶然昔に縁がありまして。たまたま電話の傍にいてくれたりと幸運でした」
何か一つでも歯車がかみ合わなければ上手くいかなかったことを強調する。
「必要なときにその幸運が発揮されるのが一番大切なんだよ」
運も実力のうちだと褒め称える。
ル=グランジェに行くとすぐに個室へと案内される。
少し離れてネイと島が小声で会話をした。
「本日のお客様はどのような?」
「彼はレバノン国の軍事相、自分は大尉です。連れはレバノン国の元首相と幹部、アメリカ大使館員が一人です」
無理を承知で受け入れてくれた総支配人に事実を隠さず打ち明ける。
「そ、それは返って私共がお礼を言わなければならないようなお方をお連れしていただけて嬉しい限りです」
一瞬驚いてから自身の判断が間違っていなかったことに納得しているのがわかった。
部屋に入ってから念の為盗聴器の類がないかをチェックする。
「立派な店だなここで一食したらレバノンの兵士一人を一年雇えそうだ」
「妥当なところでしょうアルコール次第では二人になるかも」
勘定は公費負担で使途不明の軍事予算と計上される。
機密費というやつだ。
テーブル席で荒っぽく酒を飲んでいる集団があった。
店の雰囲気に似つかわしくない三人組である。
「なあさっきの男、前ここで争った日本人に似てなかったか?」
その昔に頭から観葉植物に突っ込んだ男が呟く。
「まさかそんな偶然はそうそうないさ。違う奴だろう」
そう仲間に返されて納得いかない顔で更に酒を煽る。
入り口から二人組がやってきて黒服に「シーマ」と予約名を告げるのが聞こえた。
「おい今の奴シーマと言って奥にいったぞ、確か奴の名前はレジオンのシーマじゃなかったか?」
まさかと言って否定しているうちにアメリカ人らしき男が同じく「シーマ、ジャパニーズ」と奥へ案内されていった。
「間違いないあいつだ!」
今度ははっきりと三人ともが声を聞いた。
顔を近寄せて「やるか」と好からぬ相談を始める。
一人が席をたって武器になるような物を探しに外へと出掛けていった。
打ち合わせを順調に終えて握手を交わしているところに総支配人がコーヒーを持って現れた。
わざわざ責任者自らが給仕とはおかしいと思った、その矢先に耳元で「トラブル三人組があなたを狙っています」と告げて退出していった。
「どうかしたかね大尉」
自己紹介をしているため甥っ子としてではなく階級で呼ぶ。
「皆様には申し訳ありませんが自分を狙うごろつきの類が三匹うろついていると注意を受けました」
そうかとコーヒーを口に運んで皆が落ち着いている。
不意打ちならば危うげなところもあるが、事前にわかっていたなら遅れをとることもないだろう。
「少々食後の運動をしてきますので失礼」
島はテーブルから小瓶を握り席を立つ、さり気なくハリーリーの幹部も続いた、実力の程を見ておこうとのことだろう。
レジがあるあたり、少しスペースが開けた場所に出ると挑発するような笑みを男達に向け外へ出る。
馬鹿にされたと席を蹴り三人が連れ立って外へ向かう。
前もって総支配人から指示を受けていた従業員は声をかけることもなかった。
「お前達は余程俺の人生に関わりたいらしいな」
路地で待ち受ける島は片手にテーブルから拝借した胡椒を握っている。
ごろつきが囲むように距離を保ちながらじりじりと動く。
「まさか同じ場所で会うとはな! だが次はない」
すっと手品のようにナイフが現れた、それも三人ともである。
陰で潜む幹部が懐に手をあててもしもの時の援護をしようと構えた。
「珍しく意見があった、確かに次はない」
いうが早いか正面の男に向けて足を踏み出す。
ナイフを突き出してくる腕を小脇に抱えて関節とは反対に引き絞る。
ゴギっと鈍い音をたて腕が明後日の方向を向く、その男は一秒ほどしてから異変を理解して泡を吐いて気を失った。
後ろから二人が同時にナイフを突き出す、気絶した奴を盾にして攻撃を回避する。
手近な方を殴るふりをして胡椒を目に投げつけた、男は両手を目にあてて苦痛に悶えそのばにしゃがみ込む。
前回同様一番の手練が残る、だが全く負ける気がしなかった。
繰り出す突きは引き戻しが早く腕を捉えることが出来ない、尻ポケットに手をやりレバノンポンド硬貨を何枚か握りそれを顔に投げつける。
かわすために一瞬気がそれた、その時大胆に距離を詰めて拳を振り上げて気合いの声を発する。
だが実際には島は男のスネを強か蹴りつけた、折れた手応えがある、苦痛に顔をしかめる男は足を抱えてナイフだけを向けた。
「お前らとの勝負は既についていた、次付きまとうようなら容赦なく殺す」
冷たく言い放ち目を押さえている男の脇を思い切り蹴りつける。
肋骨が数本折れた感触が伝わる。
「一人だけ無傷じゃバツが悪いだろうサービスだ」
そう吐き捨てて店へと戻ってゆく。
幹部の男が「鮮やかなものですな」と声をかけて一緒に部屋と向かった。
服装の乱れを直して小用でも足したかのような顔で席に戻る。
ハリーリーが部下に目で問い掛けるが全く問題なしと返す。
「レバノンの未来に乾杯」
中将がそう音頭をとりグラスを傾け、三者の同盟が成立した。
――人生とはわからないものだ。船で一国の大臣の令嬢と俺が今まさに結婚式を挙げている。
客船に飾りを付けて洋上結婚式の真っ最中である。
パナマ船籍の客船を一日だけ借り上げて会場としている。
現代のパナマを攻撃するのはアメリカを敵にまわすのと同義であり、そのために政治的に安全が保証されている。
列席者の殆どが新婦側の招待客であり、新郎側のテーブルには僅か数名しかいなかった。
豪華絢爛な宴の費用は全て中将が捻出した。ずっと娘の姿に見ほれていて、さすがにこの時ばかりは父親になる。
南レバノンでクーデターが起きることなどすっかり忘れたかのように何度も娘を見ては頷く。
制服の将校が副官に何か耳打ちして紙切れを手渡す。
それをチラリと読んで中将のところへと進む。
「閣下、南レバノンで大規模な軍事行動があったようです」
表情を引き締めて「わかった」と答えて席を立つ。
制服将校のところで詳しく報告を受けると驚いたような仕草をする、内心は全て既定路線で進んでいるとほっとしているが。
ややあってお色直しと新婦が去ってゆくと中将は息子を伴って新郎のところへビール片手に近づく。
「始まったようだよ」
それだけ言ってコップにビールを注いだ。
それを飲み干すと新郎も席を離れて舞台裏へと姿を消した。
ロマノフスキーが進捗状況を確認して報告してきた。
「大尉、概ね予定通りなのですが気になる報告が混ざっていました」
「何があった?」
物事は予定通りに運ばないと百も承知である。
「レバノン南軍管区司令部周辺で機械化歩兵の演習が予定されていると」
大隊が解散させられてからも機械化歩兵中隊は所属を替えて存続していた。
しかし大統領直轄であり軍事相が指揮権を握っているはずだ。
中佐の方をみると疑問を肯定する。
「閣下に確認をしましょう」
すぐさま中将を捕まえて問題の部隊について問い質す。
「私はそんな命令は出していないし承認もしていないが?」
不思議そうな顔で答える、嘘をついている雰囲気もない。
ふと向こうの角からスラヤが足早にやってくる。
「あなた」
「スラヤどうしたんだい急いで?」
何か話しづらそうなので肩に手をかけて中将らから少し離れて聞いてみる。
「あの……大尉が私に結婚をとりやめて自分と一緒になれって……」
「大尉? どの大尉だい」
すると中将の副官ラフード大尉だと答える。
前々からアプローチをかけてきていたようだが断り続けていたそうだ。
中将の副官だけに無碍にも出来ずにやんわりと拒否していたと。
――あいつか。……待てよ、奴なら中将の代わりに部隊に命令も出来るし、執務室の電話も使える。盗聴器も奴の仕業じゃないか?
「スラヤ、君はずっと前に俺に監視されてると教えてくれたね。あの意味を教えてくれるかい」
ゆっくりと喋り落ち着かせようとする。
「あれは父があなたを監視しようとしたの。でもあの後に私があなたのことを好きと告げたら取り止めになったわ。なぜ今それを?」
「理由は後で話す。閣下、すぐに副官の大尉を呼び出して下さい!」
中将に駆け寄り開口一番そう告げる。
質問を発することなく携帯無線で呼び掛けてみるが反応がない。
「はて出んな、さっきまでは近くにいたがどこにいったやら」
「中将何も考えずに素直にお答え下さい。大尉に計画についてお話になっておりますか?」
軽く頷く、当然だろうと堂々と。
「自分の監視の為に盗聴器を仕掛けるのを中止する命令はされましたか?」
「――! なぜ君がそれを……いや余計な反応はいらないのだったな、もちろん中止させた」
――やつがやったのは明らかだ、ならばその最終目的は何だ! 考えろ答えはわりだせるはずだ。
俺を遠ざけてスラヤと一緒になりたい、さぞかし俺が失敗するのを待って責任追求して追放したいだろう。
ではどんな失敗がある? 今進行しているクーデター計画しかない!
これが没ならば結婚式も取り止めになりレバノンから指名手配されてもおかしくはないからな。
大尉が演習命令を出したのはこれの妨害の為では?
暫くぶつぶつと独り言を交えて推理を行う。
「閣下、ティールに駐屯しているはずの機械化歩兵中隊がナアコルスで演習と命令が出されています。大尉が閣下の名前で動かしたに違いありません。すぐに命令の撤回を! きっとハリーリーの増援を装った部隊を攻撃させるつもりです」
「何だって!? 何故彼がそんなことを?」
流石の中将も自身の副官が真っ向敵対するとの話には納得いかなかったようだ。
「それで計画が失敗したら全て外国人軍事顧問の責任にして謀殺するつもりなのですよ。そうしたらスラヤは未亡人になり奴は喜ぶでしょう、自分の目が出来たと」
「なんと馬鹿なことを……」
中将は心当たりがあったようでガッカリと肩を落とした。
出力の高い長距離無線を使うために皆が艦橋へと足を運ぶ。
司令部の使う周波数に合わせてみるが全く反応がない。
「故障させられている!」
突然スラヤが悲鳴をあげる。通信機に意識が向いていた瞬間にこちらの様子を窺っていたのだろうか、大尉が拳銃片手にスラヤの首に腕を巻いて「全員動くな!」と声をあげる。
「ラフード大尉、何を血迷ったか。スラヤを放して銃を置くんだ」
中将が諭すように呼び掛ける。
「閣下もう遅すぎます。遅すぎるのです。自分には生きる希望もありません、せめて島大尉を道連れにしたく思います」
島はチラリと見て操作盤の室内スピーカーのボリュームを最大にする。
「俺を殺したいだけならスラヤは解放してやれ。ほら胸をよく狙え、この距離で外したら笑い物だぞ!」
ここだと胸に手のひらを当てて挑発する。
拳銃を向けて引き金を引く瞬間に日本語で「伏せろ!」と怒鳴りスピーカーのスイッチをオンにする。
途端に機械音のノイズのような不快な音が室内に最大ボリュームで響く。
驚きで初弾を外してしまった。スラヤがすっと真下に腕から抜けて伏せると、猛ダッシュで島が飛びかかった。
態勢を崩して床に転がり揉み合い、ややあって島が大尉の喉に膝を置いて思い切り体重を乗せると頸椎が折れて即死する。
手から拳銃が落ちて暴発した。
拳銃を拾ってあたりを見渡すと血の跡が、自らの体を点検するが撃たれてはいない。
「スラヤ!」
中将が叫んで駆け寄ると脇腹に被弾している、暴発した時のものだ。
「なにっ、スラヤ! ロマノフスキー中尉、船内に医者がいないか呼び掛けてくれ。ハラウィ中尉、君は機械化歩兵中隊への帰還命令を何としてでもだすんだ! 俺はヘリコプターの離陸準備をする」
咄嗟に思い付いた内容を指示する。
「いや大尉は彼女の隣に。私がヘリコプターの準備をしよう」
中佐がもしもの時のことを考えて役割を引き受ける。
スラヤが虚ろな目で左右を見て手で何かを探す。島がその手を握る。
「すまん、もっと早く気付いてやるべきだった」
後悔先に立たずと言わんばかりに悔しがる。
力無く笑みを浮かべてから浅く呼吸を続ける、致命傷ではあるがまだ助かる見込みがある。
呆然とスラヤを抱きかかえる中将を見て自分がやらねばと島が思い立つ。
「閣下、軍事相として首都にクーデターの飛び火がないように警戒命令と対策本部を立ち上げる手配を」
「う、うむ。っ……」
副官にそう命令するようにと伝えようとして目の前で絶命していたのを思い出す。
「緊急事態につき島大尉から軍事相付として司令部に発令するように」
今の精神状態では適切な対応が出来ないと判断して委任する。
予備回路を利用してハラウィ中尉がようやく通信に成功する。
本来の指揮系統者ではないが、ハラウィ中将の息子が代理で緊急命令と言うものだから承諾したようである。
すぐに島が首都の司令部へと繋ぎ、情報の統合先としての対策本部を設置するようにと中将の命令を伝える。
長は誰にするかと問われ淀みなく情報部長と独断で回答した。
回線が情報部長の大佐へと回される。
「大佐殿、軍事相付の軍事顧問島大尉であります。たった今から大佐殿はレバノン南でのクーデター対策班を立ち上げ、首都に飛び火をしないように警戒する対策本部長に任じられました。軍事相が戻られるまでに可能な限りの善処を期待します」
機関命令だと一方的にまくし立てる。
「了解した。大尉、閣下はいつ頃お戻りになるかね」
副官が出ないのを怪訝に思いながらも事実を無視出来ないため承知する。
「ヘリの準備が整い次第すぐに戻ります。ですがまず病院に着陸してからになりますので、レバノン中央病院に医者を待機させてください最優先です」
気がついた為にまた独断で命令を出す。
「わかった手配しよう」
軍事相がクーデター対策より優先する人物が怪我をしたのだろうと解釈し余計な質問をせずに通信を終わらせた。
ロマノフスキーが客の中から医者を探して駆け戻ってきた。
沸騰した湯を冷ましてすぐに沢山持ってくるようにと医者に言われまた飛び出してゆく。
銃創部分の衣服を剥ぎ取りアルコールで消毒する。
弾丸は貫通しておらず体内に残っていると診断された。
「設備が整った病院で手術の必要があります」
そう結果を述べたところで中佐が離陸準備が整ったのを知らせに戻る。
「閣下、事後承諾で申し訳ありませんが、レバノン中央病院のヘリポートに医者を待機させてあります」
「よくやった、すぐに向かうぞ!」
二人が上着を脱いで簡易担架を作ると四人掛かりで持ち上げ甲板へと運ぶ。
スラヤに中将、島、医者が乗り込むと満員となったために船の後始末を中佐に頼むと一秒が惜しいと離陸した。
ぬるま湯を浸した布で傷口を何度か拭ってやる。
途中で首都防空司令部から予定にない航路をとるヘリコプターとして進路変更を命じる通信がはいる。
操縦士からヘッドフォンを受け取り中将がそれに答える。
「職務ご苦労、軍事相ハラウィ中将だ。当機は緊急航行を行っている、許可は首都司令部のクーデター対策本部に確認したまえ」
管制官はまさかの相手が出て来たためにすぐに返答出来ずにいた。
軍部の総司令官ではあるが命令系統を遵守するために司令部に確認させるあたり、ようやく冷静さを取り戻してきたのだろう。
「首都防空司令部、緊急航行を確認しました。そのままどうぞ」
ヘッドフォンを機長に返して後部に戻る。
ローターの爆音の為に殆ど会話は出来ないが、トラブルが解決出来たのはすぐに理解した。
病院の屋上にHマークが描かれている。
そこに着陸すると看護師が駆け付け怪我人を運び出す。
医者に一緒に残るようにとスラヤを頼むと、島らは司令部に向けて再度ヘリを飛ばす。
足早に廊下を抜けて通信機が並ぶ部屋へと二人が入る。
部員が起立し中将に敬礼した。
隣に付き従うのがいつもの副官大尉ではなく、軍事顧問大尉であるのに気付くが誰もそれについて指摘することはなかった。
「報告します。本日夕刻にレバノン南部ナアコルスにて大規模な軍事行動が発生しました。スンニ派の兵が多く神の党党員が動員されているのでハリーリー氏が主犯かと思われます」
情報部長が確認事項を申し送りする。
「戦況は?」
中将が短く先を促す、全て手のひらの上とも知らずに対策本部には緊張感が張り詰めている。
「ナアコルスにある軍司令部が交戦中通信途絶、警察署、県庁舎、市役所、発電所、ラジオ局、テレビ局などが占拠されました。恐ろしいくらいに先手を打ってきたようで、現地の守備隊は苦戦しています」
それだけ占拠されて苦戦との表現は身内びいきし過ぎだろう。
これからどうしたらよいかを中将が大尉に尋ねる。
「ティールにいる機械化歩兵中隊を南軍管区から退避させておきましょう。他にも機甲部隊が奪取されないように引き揚げを」
「大尉は味方を見捨てるつもりなのか!?」
大佐が思わず大声を出して立ち上がってしまった。
「見捨てるのではなく補充がきかない戦力の温存です大佐殿」
「それは詭弁だ!」
二人が爆発しそうになったので中将が割ってはいる。
「大佐、機械化歩兵中隊と機甲部隊とは連絡がつくかね?」
やってみますと部下に命令させると機甲部隊は通信が出来なかった。
「閣下、機械化歩兵中隊だけでも脱出させるべきです」
大佐は渋い顔をしたがここでこちらまで通信が切れたらと思うと反対出来なかった。
「そうしよう。一旦ベイルートまで移動するよう命令するんだ」
ご丁寧にSS指令でだ、と付け加える。
これはABC指令の最優先命令で、所属司令官のS指令をも拒否する、最高司令官命令として利用される。
部員が命令を伝えたところで通信が途絶した。
それから暫くレバノン南部からの通信は一切が止まっていたが、ベイルート軍管区南からの中継で機械化歩兵中隊が脱出したのを知らされた。
南軍管区司令部から引き留められたがそれを却下して移動をしたと付け加えられる。
レバノン南での通信が一部繋がった。
それは向こうがテレビ局で発信しているもののみではあったが。
政庁の広報室前で演説を始めようとするハリーリー氏が映し出されている。
『レバノンにおける政治の有り様は複雑怪奇を極めて非常に危うげな面を持っている。その中でも多数に押さえ込まれている南部地域は憂慮すべき状態に陥っている。そこで私はレバノン南部一帯を以て独立し、南レバノン共和国を樹立し、暫定政府の首班となることをここに宣言する』
テレビを見ていた者の大半がどう解釈したらよいかと戸惑う。
――始まったか、ここより先は俺にも読めん。
当然ベイルートでは大統領による独立を認めないとした会見が行われた。
それとほぼ時を同じくして、アメリカを始めとしてそれに類する小国家がこぞって暫定政府を承認すると声明を発表した。
緊急閣僚会議が催されて中将はそれに出席するために対策本部から離れる。
島も退室しレバノン中央病院へと向かった。
手術中であると部屋の外で待たされたが一向に終わる気配がない。
ロマノフスキーが島の姿を認めてやってくる。
「演説を見ました、これからどうなるのでしょうね」
こうなることを知ってはいても、その先を口にするわけには行かない。
いずれ規定路線に従い大統領と内閣は総辞職し、新大統領のもとでハリーリーが首相に指名されて統合になる。
むろん大統領は中将がなる予定だ。
手術中のランプが消えた、中から医者が出てくる。
神妙そうな顔で島が夫だと名乗り結果を尋ねる。
一瞬夫と言われて不思議な顔をしたが、東洋人との結婚式直後の惨事だと聞いたのを思い出した。
「結婚したばかりだと聞きましたが、非常に残念です。手は尽くしました」
「何だって!? そんな難しい傷じゃなかったろう!」
医者に食ってかかるがロマノフスキーによって止められる。
「気持ちはお察します。通常弾頭ならばまだなんとか……ですがこちらを」
銀の四角い入れ物に転がっている何かは綺麗に花開いて置かれていた。
「ダ、ダムダム弾だと?」
普通の弾丸は鉛の上が鋼鉄で覆われているが、それを削りとったものがダムダム弾と呼ばれる。
貫通力が低くなり体内に弾丸を残すための手法で、何かに衝突すると鉛が潰れて弾頭が広がり致命傷を与えるものだ。
現代では使用を国際法で禁じられている人道上よろしくない武器である。
「そこまで俺が憎かったなら真っ向掛かってくればよかったろう……」
誰も何も言葉をかけることは出来なかった。
病院から中将にと連絡すると、中将もまた言葉を失い黙ってしまった。
ひとまず遺体を安置所に移し家族が集まるのを待った、中尉は司令部で待機しますと残して病院を後にした。
再びまみえた中将は一気に老け込んだように見えた、昼間までの笑顔はもちろん、昨日までの覇気すら嘘だったかのような力の抜け具合である。
お互いに何を言えばよいかわからずに並んで椅子に座った。
ハラウィ中尉も病院に駆け付けると二人の沈み具合を見て同じ気分を共有した。
「大尉は、大尉はこの後どうするおつもりですか?」
――どうする? どうするだって?
どうしたらよいか即答出来ずに口を開け閉めしてしまう。
「もし君が良ければこのまま軍務について補佐してもらいたい」
中将がそう選択肢を与える。
計画は中途であり島の出番があるかもしれないし、ないかもしれない。
残りは政治的決着の為、軍事顧問が表立つことは少ないのが現実である。
「――今の自分では適切な助言は難しいでしょう。それにこれから先に暫くは純軍事的な問題も発生しないはずです」
何とか声を絞り出してそう答え最後に、それに中佐がいますからと繋げた。
「わかった。君には休む時間が必要だ。いつでも辞表は受け取ろう、それと……ハラウィの名を使っても構わんよ、君はスラヤが居なくなっても娘が選んだ夫なのだからな」
散々戦場で死人を見てきているのにいざ伴侶を失ったら途端に気落ちしてしまった。
情けなくも思い、反面でスラヤへの気持ちは自分でも気付かないうちに大きなものになっているのを今初めて知った。
船上で結婚式に参列した人物はそっくりそのまま葬儀にも参列することになった。
遺体を焼いて骨ばかりにするとその灰をひとつまみして口にする者がいた。
隣の女性がぎょっとしたがそれをやったのが夫で、いつまでも一緒だと呟くのを耳にすると咎めることはなかった。
すべてを終えると島は辞表を提出してその場で受理される。
そんな義理はないのにロマノフスキーも同時に退役を申請した。
中佐に挨拶をしてレバノンを立ち去ることを告げる。
「非常に残念だ。しかし貴官の行動に一切の誤りがなかったのはこの私が知っている」
そうはっきりと断言して強く生きるようにと励ましてくれた。
「自分も残念です。中佐の下で働けたことを誇りに思います」
背筋を伸ばして敬礼し、更に握手を交わして司令部を出た。
空港でフランス行きの便を待って二人で雑談をしていると突如後ろから話し掛けられた。
「島さんとロマノフスキーさんじゃありませんか?」
綺麗なフランス語で喋るのはアラビア語を教えてくれた、マフート・スレイマンだった。
「おおスレイマン先生じゃありませんか」
「ははっ、レバノンではスレイマンはスライマーンと発声しなければいけませんよ」
表現を注意されてしまい苦笑してしまった。
「帰郷でしょうか?」
語学の師であるため島が遜って話し掛ける。
「はい。ソルボンヌ大学での履修を終えて帰国中です。お二人は?」
どう説明したらよいかやや迷い、ロマノフスキーが島にと任せる。
「フランスに帰るところです。短いようで長い旅でした」
哀愁を漂わせて答える島の何かを感じたのか深くは聞いてはこなかった。
「もしレバノンにまた来ることがあったら是非とも私を訪ねてきてください。マフート・スライマーンはいるか、と」
笑顔でそう言う彼の爽やかさにつられて必ずそうしますよと答える。
出発のアナウンスが始まり通路の先へ進む。ふと気付いた島がゲート越しに「どこに訪ねていったら?」と聞く。すると
「大統領府!」
そう元気よく答えた彼は視界から消えていってしまった。
「レバノン大統領の名前は確か……」
「……ミシェル・スライマーンでしたね」
二人は狐につままれたような表情をして笑ってしまった。
レバノンでは子弟に語学を学ばせる為に留学させる慣習がある、それを思い出したからである。
――中将の対抗馬は手強いぞ!
どちらが次期大統領になってもレバノンを訪れようと密かに誓った島であった。