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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第百二十七章 アル=イフワーン・アル=ヌジューム


 ヌル少佐一行が思ったよりも早めに帰還した。


 一泊二日の小旅行、物凄く色々なことが起こった濃密な時間であったが、見事に部隊司令の役目を果たして戻る。


「ヌル、よくやってくれた、有難う」


 島が笑顔でヌル少佐に感謝の言葉を向けた。


「自分に出来ることであればいついかなる時も喜んで」


 冷静な対処、丁寧で紳士的な態度、勇敢で兵の模範となる行動、将校として必要な部分の多くを示したことに何の疑いもない。


「一つ飛ばしで司令に据えたのが間違いで無かったと自ら証明してのけたな」


 ルワンダでの騒ぎでは中尉だったが、島の一存で部員で唯一階級を特進していたのがヌルだ。


 砲兵部隊に司令をおきたかったというのもあるが、島はヌルならば少佐を務められるだけの能力があると見ていた。


 大尉でストップしている将校が存在している中で不満もあったかも知れないが、誰一人として異論を挟むことは無かった。


「主君に恥をかかせる訳には参りませんので」


 部下を見舞う予定があると、敬礼して執務室を去ってゆく。


 ――立派になったな。


 人は前へ進むことで成長出来ると痛感した。


 難民を多数見て来たが、やはりその中でも頭角を示すものは現れたもので、無差別の抑圧や否定を無くせば輝ける者は存在する。


 ――俺も負けてられん、日々努力を忘れてはいかんぞ!


 もう一手が足らない、切り札を増やす為に少し力を入れようと留意する。


「サルミエ少佐、報告を」


「はっ、シリア内ではイスラエルの特殊部隊がアメリカ軍兵を救出したとの見方を強めているようですが、アメリカ軍もイスラエル軍もコメントを控えています」


 誤った見解をしているようならそのままにしておけとのことだろう。


「隊の損害は」


「軽傷者三、中破の軽装甲車両三、小破の戦闘装甲車一。新たに米軍より供与された装備はこちらに」


 リストアップされた紙を渡されたのでそれを見る。


 ――おっとレバノンに持ち込めなかった物を積んできたか、しかし出撃前より装備を増やすとは恐れ入るね。


 ルワンダでは輸入出来なかった品がいくつもあった。こういう機会でも無ければ、島が諸手を上げて受け入れることがないというのをジョンソン中将が知っているからだろう。


 事件はこうして事なきを得たが、情勢はなんら変わっていない。相変わらずイスラム国は暴力で多くの地を制圧していた。


「そういえばロマノフスキーから何か連絡はあったか?」


 あまりにも長いこと連絡がない。逆に言うならば音信不通だからこそ心配は無いのだが。


「いえ、御座いません。こちらから確認しましょうか?」


 不測の事態で連絡が出来ないのならば、消息を追って援護しなければならない。


「しないでいいさ、あいつ一人じゃない、ブッフバルトも一緒だからな」

 ――逆にあの二人を一度に倒せる奴が居たら教えて貰いたい位だ。


 まさに今が精神も肉体も研ぎ澄まされてる戦闘能力の結晶といえる者達、美女の大軍が相手なら降伏するかも知れないと微笑する。


「ボス、ド=ラ=クロワ大佐からお電話です」


 三日月島司令官の大佐は、完全にフォートスターとは別系統で活動している。


 海事一切を預け、海兵を鍛えて欲しいとの言葉を墨守し日々過ごしていた。


 アロヨ警視監の身辺警護にも一役買っている事実も見え隠れしている。


「俺だ」

「閣下、ド=ラ=クロワ大佐であります」

「久しぶりだな、どうした大佐」

「はっ、ストロー中佐を頂点とした河川輸送部隊を編制致しました。ご命令あり次第、三日でファルージャへ到着可能です」

「そうか、ご苦労だ」


 用件だけ伝えると早々に電話を切ってしまった、時間にして一分と掛かっていない。


 ――命じてもないのに良くやってくれる。


 この先クルド人自治区へ進軍する際にはそれが必要になってくる、遠く離れたフィリピンの大佐にもそろそろだろうとの戦機が感じ取れたということだ。


「サルミエ、ハラウィ中佐へ連絡だ、こちらはいつでも構わんとな」


「ウィ」


 近日中にマヤーディーンへの攻撃が行われるだろう。


 ――さて、奥の手を用意するんだったな。切った張ったしている間に色々と手配をしておくとしよう。


 不敵な笑みを浮かべる島、一度視野が広がると様々なことが浮かんできた。


 幾つ実現できるか楽しみになる。


 デスクの電話を手にして番号を思い出す、連絡先は全て頭の中で記録など取っていない。


「グーテンターク、イーリヤです」

「これはイーリヤ様、シュタッフガルドで御座います」

「シュタッフガルドさん、イスラム国関連についてですがどのような不安定要素があるでしょう?」

「シリア、イラクの経済はかなり左右され、都市部の拠点が制圧される度に株式は一喜一憂します。先日ですが、アメリカ軍ヘリが墜落したとの一報でダウが落ち込みました、ですがその後無事だと発表されると回復を」

「そうですか。これからシリア東部の都市を幾つかイスラム国が手放すことになるでしょう」

「有志連合でしょうか?」

「耳慣れない民兵が湧いて出るかも知れません、そしてそれはアメリカの統制を受けません」

「承知致しました。私は恩義を決して忘れはしません」

「いえ、そんなのは今すぐ忘却していただいて結構です。では」


 作戦すると情報を漏らす、司令官としてあるまじき行為だ。もし島がシュタッフガルド総支配人を信用していないならばだが。


 彼を通して情報が拡散するようならば、身を捧げて償っても構わないと考えていた。


 ――インサイダー取引みたいなものだが、負けたら大損、大迷惑を掛ける以上は丁半博打の方が近いだろうな。


 国軍とは違い島は皆を養う義務がある、その為には資金が必要だ。


 綺麗ごとだけでは戦争を行えない、それは戦闘力に直結し死傷者への補償の額を左右する。


 いつだってそうだった、一度でも敗北するようなら全てを喪う、それでも戦い続けた。

 

 ――米軍からの供与で戦闘団の装備は充足する。千の民兵では説得力が薄い、これを強化だ。ヒンデンブルグ氏にはあまり負担を掛けられんな。


 ハウプトマン大佐が手配している品、どうにも予算と実物が合わない。持ち出しが結構ありそうだと感付いていた。


「エーン、ちょっとこっちへ」


「ヤ」


 デスクの前ではなく椅子のすぐ隣に来るようにと招く。


 仕草で耳を近づけるようにする、エーン大佐は何だろうと傍に身を寄せた。


「お前にちょっと頼みたいことがある。これは思い付きでね、だから命令じゃない」


「何なりと仰ってください」


「実はな……」


 小声で囁くとエーン大佐が小刻みに頷く。


「五十ですか?」


「ああ、別に多くても構わんがね」


「やってみましょう。ではすぐに」


 笑顔で了承すると執務室を出て行く、その後数日に渡りエーン大佐は姿を消すことになるのだった。



 某日早朝。マヤーディーン南部にレバノン杉の軍旗を掲げた部隊が姿を現す。


 ハラウィ中佐を頂点としたレバノン正規軍、第六特殊独立大隊の初陣だ。


 アブー・カマールで一泊して後に深夜に出撃、道を外れて荒れ地を北上してきている。


「第一目標はモスク、第二目標はコマーシャル銀行だ」


 それぞれ市の中心部にあり、距離はさほど離れていない。精々二百メートル程度だろう。


「カラミ少佐は銀行、ラフード少佐はモスクを制圧するんだ」


 シーア派のカラミ少佐にモスクを攻撃させるのを避け、マロン派のラフード少佐に任せる。


 ハラウィ中佐は中央後方でどちらへも即応出来るように予備にと回る。


 一方でマリー中佐率いる戦闘団は市街地に散ってイスラム国兵の掃討を引き受けていた。


 土地勘が無い侵攻戦、それも市街地で個別行動する役目は最も危険がついてまわる。


 最初申し出を躊躇したハラウィ中佐だが「クァトロであり続ける為、常に困難と誇りと共に戦う」そう笑顔で言われ認めてしまった。


 戦闘開始の直前だが、未だに気持ちを引きずっている。


「中佐、好意を素直に受け取ることになんら恥じるところはありませんよ」


 リュカ先任上級曹長がハラウィ中佐の晴れない顔色を見て言葉を掛ける。


「俺に義兄上の十分の一でも能力があればと自身を呪いたい気分だよ」


 歴戦の操縦士を二人も借り、その上で戦闘指揮官を更に二人補充して貰っているのだ。


 本部中隊はドゥリー大尉、そしてフィル先任上級曹長が兵を動かしている。


「人にはそれぞれ役割があります、ハラウィ中佐には中佐のやるべきことが」


 長年付き添っているので心境が手に取るように感じられている。


 頂点の心を鎮めるのはリュカ先任上級曹長の役割だ。


「ああ解っているさ、へこむのは後でにしておく。済まんなリュカ」


「いえ、自分は望んで傍にあります。お気遣いなく」


 気づけばいつもそこに居てくれた、必ず肯定してくれた。


 全く頭が上がらないなと一つ息を吐く。


「始めるぞ、全軍作戦開始だ」


「ウィ 第六特殊独立大隊に下命、作戦を開始せよ」


 司令の命令を復唱し各指揮官に伝達、戦闘部隊が歩みを進めだした。



「始まりました」


 ビダ先任上級曹長が別個所からのエンジン音を耳にしてマリー中佐に報告を上げる。


 裸も同然のオープンジープと機関銃を据え付けただけのピックアップ、平のトラックが中心のクァトロ戦闘団も数カ所に散って待機していた。


「イスラム国の兵を倒すのは当然だが、絶対にハラウィ中佐の本部に攻撃を許すな」


 それがボスの意志だと全員に浸透させる。


 もし攻撃があっても必ずドゥリー大尉が防ぐ、その間に敵を殲滅するのが最優先と確認した。


「俺達も始めるぞ」


 ジープの後部座席に座ったままマリー中佐が宣言する。


「戦闘団も作戦を開始するぞ!」


 ビダも小銃を手にして別のジープの後部座席にどかっと乗り込む、あまりにも堂々としていてとても下士官には見えなかった。


「行け!」


 いつもの様にビダ先任上級曹長は真っ先に車を走らせる、クァトロの先陣は彼をおいて他に無い。


 すぐ後ろにテクニカルが続いた、まるでソマリアにでも迷い込んだかのような錯覚を覚える。


「ガルシア曹長、本部小隊の指揮はお前に任せる」


「ヴァヤ!」

 

 司令として全体の指揮を執る、眼前の戦いに構っている暇はない。


「中央公園の占拠状況を」


 まずは拠点に使われそうな場所の確認を行う。モスクとコマーシャル銀行の間にあるので、本部が乗り込むだろう見込みだ。


「レバノン軍の迫撃砲小隊が先行しているようです」


 通信兵が本部護衛であるドゥリー大尉を通じて報告する。


「バイパスがある公道4号の東西線は」


 南北に市を抜ける公道が、市街地では複線になっている。一本が中央公園沿いを、主要のもう一本は市の西側を沿って北へと抜けていた。


「東線をラフード少佐が封鎖しました」


 西はレバノン軍が使用しない地区になっている、ストーン中尉が自発的に向かったと追って報告が上がる。


「そうか。北東の川向こうにも兵を伏せる必要があるな、中州は無視するとして、真北の対岸からはコマーシャル銀行が狙える」


 市街地戦の戦力をあまり割くことは出来ない、重要度を考え誰が適切かを思案する。


「モスクへ攻撃が始まりました。立てこもっている敵が居るようで反撃を受けている模様」


 イスラム教徒は早起きだ。日の出前に礼拝する義務を怠る不信人者は、イスラム国の支配地には滅多に居ない。


「橋の確保と対岸の制圧はハマダ大尉に任せろ」


 ゴンザレス中尉を送ろうとしたが独立行動させるには少し荷が重い気がしたので上位者を指名する。


 直ぐに命令が伝えられると、一つの機動集団が南東から反時計周りで戦場を抜け出した。


 落ち付いたものでマリー中佐は不利を感じると直ぐに増援を送るか、その場を棄てるかを命じ受ける被害を最小限にする。


「コマーシャル銀行を制圧したようです」


「そこには兵を配備してなかったか。まあいい、封印して金を奪われんようにさえ出来ればな」


 そこから強奪されると厄介だ、支配下の銀行だから襲わないだけで、もし街を棄てて逃げるならばきっと回収に走るだろうことは明らかだ。


 守るだけなら小隊一つで充分になる、余剰が出来ればモスクの攻撃に回すだろう。


「市街地の敵兵はどうだ」


「各所で散発的に戦闘中。大規模な部隊は見られません」


 最初から居ないのか、どこかに隠れているのか。それとも単に対応しきれていないのか。


 居ないことはない、重要な地勢を占めている都市なので。


 急襲したので追いついていない可能性はあるが。


「一番問題になるのは隠れている場合だな」


 時機を窺っているなら敵が何を意図しているかを読まなければならない。


 援軍を待っているのか、攻撃目標を探っているのか。


 近隣の街からのを待っているならば十分かそこらで到着するはずだ。しかし小規模な街なので、同格の人口は一時間は待たねばたどり着けない。


 それでは他力本願過ぎる、仮にそれで撃退出来たとしても責任者は降格させられてしまうだろう。


 残る最悪は司令部を狙っての行動に絞っているとのものだ。


 地図を確認する、街の東側に学校と電波塔なのか監視塔なのかがある。


「レオポルド中尉に市街地東部、学校付近の索敵をするよう命じろ」


 そこに敵が居なければ住宅に分散しているだろうとみて間違いない。


 モスクの抵抗は頑強のようで未だに一進一退を繰り広げている。


 戦闘開始から時間が流れて、公道4号に近隣からの増援が現れたとストーン中尉から報告が上がって来た。


 充分対抗出来るだろうと簡単な返事だけでそのままにしておく。


「橋でも交戦が始まりました」


 川向うの敵が寄って来たらしい。


「ということはやはり本部はこちら側というわけだ」


 そうでなければわざわざ渡ろうとはしない。そこにハマダ大尉の部隊が展開しているのだから。


 そうこうしている間に「レオポルド中尉より司令部、学校に大勢様です」何百かは不明と面白がっているかのような口調で伝えてきた。


「ストーン中尉、銀行付近まで後退して戦え。ビダ、残りを学校に集合させろ」


「ヴァヤ!」


 交戦を中断し、戦闘団先任下士官としての役目を優先する。


 包囲するように道順を決めて交通整理をしながら部隊を集結させた。


 マリー中佐の本部も塔と学校の間に移動する。


 ガルシア曹長が塔の上に班を急行させる、狙撃兵が居ないことを認めるとそこを占拠したままにさせておく。


「司令、準備完了しております!」


「本当なら学校丸ごと焼き討ちにでもしたら良いが、今はレバノン軍への影響を考え控えめにやるぞ。降伏勧告からの通常攻撃で陥落させろ」


 ただ勝つだけで良いなら手段は幾らでも浮かんだ。それだけの戦闘経験をマリー中佐は積んできている。

 アル=イフワーン・アル=ヌジューム名でイスラム国に降伏するよう呼びかけれらた。当然応じる訳もなく銃撃で返答してきた。


「遊んでいる暇はない、手短に敵を全滅させろ」


 実戦指揮をバスター大尉に一任し、自身はジープの後部座席から動かない。


 いずれ順当に陥落するだろうが、これで終わるとも思っていなかった。


 やや暫く交戦を観察していると「西部方面より多数の不明戦力出現」ストーン中尉から報告が上がる。


「来たな。ハラウィ中佐はどうしている」


「モスクの敵が予想外に頑強で未だに攻防戦の最中です」


 最初から引き付ける目的で配備していたわけでは無いだろうが、信仰の深さが強さとでも言うかのように粘り強く戦っているらしい。


「警告を出しておけよ。ハマダ大尉に撤収命令を、橋を破壊して学校へ合流だ」


 簡単な橋なので復旧もすぐに出来る、今だけの為に落としてもどうにでもなる。


「不明集団の正体判明、シリア革命防衛隊二百」


 親イスラム国、対アルカイダ、対非イスラム国家勢力といったところだろうか。シリア国内のみで活動する目的で結成されているが、イスラム国の支部と言えるかも知れない。


「司令、塔の狙撃班から報告、市内各所で武装兵が出現しています」


 ガルシア曹長が一斉に呼応したと警告を発する。


「戦いはこうじゃないとな」


 大変なことが起きているというのに泰然自若としている。


 落ち着き払っているマリー中佐をみて兵らは安心していた。


「こちらレバノン軍ハラウィ中佐、航空援護を命令した」


 通信兵に目配せして通信機を手に取ると応じる。


「アル=イフワーン・アル=ヌジューム司令、その部隊をちょっと借りるが良いかな」


 借りるも何も六機中四機はクァトロが供与したもので、操縦士も同じく四人が部外者だ。


「許可する。こちらからも兵力を出す」


「そのまま攻撃に集中して貰っていて構わんよ。これ位の数で増援を受けているようでは後進にデカい顔が出来なくなる」


 ハマダ大尉が合流したと報告が上がる。


 航空支援まではざっと十分前後だろうと素早く計算した。


「バスター大尉、レオポルド中尉は学校の包囲を続けろ」


「ウィ コンバットコマンダン」


 マリー中佐は座席前のポールに手を置いて意気を発する。


「喜べ、ようやくまともな戦いが出来るぞ。ストーン中尉、俺の指揮下に戻れ前衛だ、航空支援要請権限を委譲する。敵のど真ん中をぶち抜くぞ」


「ダコール」


 集団の中央突破からの反転包囲殲滅。前時代的な戦い方ではあるが、戦意が高いならば極めて有効な戦術になりえた。


 テクニカル中心の火力中隊を先頭に集中させる。


「ゴンザレス中尉は中衛、ストーン中尉が開けた穴を拡げるぞ」


「ヴァヤ!」


 武装ジープ中隊をマリー中佐の本部前に展開し命令を待つ。


「ハマダ大尉、指揮を喪った敵を掃討しろ」


「サーイエッサー!」


 平トラックに歩兵を乗車させいつでも下車戦が出来るよう備える。


 大まかな役割を指示していつもと違う軍旗を見上げた。


 一つ星の緑、なんともしっくり来ないが今は仕方ない。


「やらなければならないことをやるだけだ。ビダ、行くぞ!」


「ヴァヤ! 本部中隊、銃剣取れー! 着剣!」


 ビダ先任上級曹長が直卒する部隊、激戦時には必ず着剣をする。


 士気が高揚し兵の目つきが鋭くなる。


「戦闘団、突入!」


 前衛が幹線道路三本に別れて進む。遠くに見える黒を基調とした歩兵に向け、機銃を散発的に撃ち始める。


 すると歩兵がその場で足を止めて一斉に撃ち返してきた。


 朝日を背にして東の空からヘリが飛来する、六機編成の二列縦隊。


「レバノン軍第六特殊独立大隊航空部隊バビナ少佐参陣、これより地上支援を行う」


「アル=イフワーン・アル=ヌジューム前衛ストーン中尉、緑は味方、黒の敵歩兵のうち緑煙から赤煙の延長百メートル先を攻撃されたし」


「了解」


 テクニカルから射出式の赤煙弾が通りの先に複数撃ち出される。


 三本の幹線道路の左右、手前に一つ緑煙手榴弾を転がし目印を作った。


 ヘリが先行し、左右に別れて二列で道路沿いに機銃掃射を行う。


 射手が射撃しやすいように機体を傾けての飛行を先頭の二機が披露した。


 曲芸飛行とも呼べそうな奇跡の腕前に後続が目を見開く、とても真似出来るものではない。


 激しい地上攻撃に歩兵が怯むとそこへストーン中尉の火力中隊が切り込む。


 敵を取りこぼそうと関係なく道を切り開くことに集中した。


 行かすまいと通り過ぎる前衛部隊の背を狙おうとする敵をゴンザレス中尉の武装ジープが狙い撃った。


「前衛の背を守るんだ!」


 声を張り出して必死に指揮を執り続ける。一度は通り過ぎたヘリが大きく戦場を迂回して再度掃射の態勢を取った。


「くたばれアッラー!」


 ビダ先任上級曹長が罵声を浴びせながら小集団を見つけると突撃して散らす。


 いつもの武装勢力相手とは勝手が違うと気づいた頃にはもう遅かった。


「ストーン中尉は左、ゴンザレス中尉は右に展開、ビダ、俺達は中央だ!」


 中央突破した三個中隊が反転して置き去りにした敵を半包囲する形で展開する。


 幹線道路の後ろからはハマダ大尉の歩兵集団が袋の口を閉じるかのように迫った。


 押し込まれるように丸くなり防御を固めようとする敵に上空からの攻撃が突き刺さる。


「トリスタン大尉!」


「おう、モネ大尉やるぞ!」


 一旦高度を取ると六機のヘリが円陣を組み螺旋状に降下しながら射撃を行う。


 それだけでなく、搭載している最大時限設定の手榴弾を次々と地上へと落とし始めたのだ。


 あまりに原始的なやり口ではあるが、拠って守ろうとした者達は逃げ惑った。


「蹂躙しろ! 続け!」


 ビダ先任上級曹長が下車すると怒声を上げて黒い集団に突っ込んだ。


 大乱戦が勃発するとヘリは南へと飛び去ってしまう。


 士気絶頂で格闘戦を始めた側が一気に畳みかける。


「捕虜は要らん、殲滅だ!」


 マリー中佐の心労を肩代わりすべく、将校らがそう叫んで一人も生かして残すなと命じた。


 元より降伏などしない、全てがこと切れるまで数分、マリー中佐は目を逸らすことなく全てを見届ける。


「戦闘停止」


「戦闘を止めろ! 周囲を警戒するんだ!」


 命令が下るや否や中隊ごとに集まると距離を置いて他に危険が無いかを警戒した。


「ゴンザレス中尉、この場を任せる。ストーン中尉は市街地の掃討を」


 自由自在に戦力を離散集合させる、理想的な運用がいつの頃からか確立されていた。


「バスター大尉、そちらの状況は」


 旧式の無線機ではあるが機嫌よく働いてくれていた。


「反撃は散発的、押さえ込みに問題なしです」


 備蓄が少なかったのだろう、数の割には攻撃は大したものではないと応答があった。


「アル=イフワーン・アル=ヌジューム司令より大隊司令部、新規客は殲滅した。航空部隊に感謝を伝えて欲しい」


 戦闘中だったのでねぎらいの言葉をかけそこなったと言う。


「こちらはモスク一つ落とせないと言うのに……航空部隊には必ず伝える、少し休んでいてくれ」


 機器越しではあるがハラウィ中佐の落胆ぶりがありありと解ってしまう。


「モスクが最強固拠点ということだ、主力を釘付けにしてくれていたので我々は自由に戦えた、それだけだよ中佐」


 それは事実だ。もしモスクの精鋭が学校の兵力を率いれば大変な接戦になっていただろうし、そこへ増援が来ていたら結果はどうなっていたか。


 休めと言われて休むつもりはない。


 学校の包囲に戻ると攻撃を強める、ロケットを何度か撃ち込んで抵抗を一気に排除した。


 小一時間攻囲を続けると反撃が殆ど無くなる、弾切れを起こしたのだろう。


「全市民に告げる、私はレバノン正規軍ハラウィ中佐だ。現時点を以てマヤーディーン市はイスラム国の支配から解放された。私は同胞の保護の為にこの地に留まるだろう。もう一度言う、マヤーディーンは解放された」


 勝利宣言。これでクルディスタンへの連絡通路が確保されたのだった。




 速報を受け取り数時間後、テレビニュースでマヤーディーン解放の報が世界を駆け巡った。


 民兵団ではなく、レバノン正規軍が地上侵攻で在留国人を保護する目的でだ。


 昨今イラク国内での攻防や、民兵とイスラム国、はたまはシリア政府軍との話が多く、利害関係が複雑で取り扱いがマチマチだったがこれは違う。


「ワリーフ、良くやった。世界がお前を認めている」


 画面に向かって呟く。行動の殆どを秘密にしなければならない自身とは住む世界が違う。


 未だに国際指名手配犯。ルワンダでは大統領と軍管区司令官が首都で治安について会談したと報道がなされている、島の不在を否定しているのだ。


 ――俺など、死体も残らず戦闘中行方不明になれば、沢山の者が胸をなでおろすんだろうな。


 厄介者が居なくなれば少しは世界も平和になるだろうと自嘲する。


「あともう一歩だ。グロック准将を呼べ」


「ウィ」


 きっと黙っていても程なくやって来るだろうが、考えは固まっているので今すぐを選択する。


 呼ばれて数分、やはり近くに居たようですぐに顔を見せた。


「閣下、参りました。マーカッドの件でしょうか」


 マーカッドはシリアクルド人居住地区最大の都市ハサカとマヤーディーンの中間にあたる街だ。


 それだけでなくイラクからの山道シリア側出口、ユーフラテスの支流バブール沿い、東西南北の公道交差地点でもある。


 イスラム国の勢力範囲でもあって、山道には検問もおかれていると聞いていた。


「そこに俺の司令部を移すつもりだがどうだ」


 レバノンを離れてついにシリア入するとの宣言。だが一言の中に多くがこめられている。


 グロック准将は制圧するだけでなくクァトロの司令部を置く意味を考える。


「三十キロ北部にアルシャブワ市があり、地勢も規模もより好位でありますが」


 更に内陸深くにある都市を何故狙わないのか、島の真意を探ろうとする。


「ダイルアッザウルを含めた南東地区を連合させる。アルシャブワをクルド人から奪うのは忍びなくてね」

 

 県都とアブー・カマール、マーカッドを結ぶ三角を一つの地域として切り取るつもりだと示す。


 なるほどそれならば奥地へ行き過ぎは良くない。良くはないが、グロック准将もそこまでは計画していなかった。


「アメリカの意図に反するようですが」


 うっすらと見えてきたが、どうにも不明な部分があるのですっと飲み込みはしない。


 なにせ出来るかどうかでいけば可能だとグロック准将も計算している。


「そうだな。だがそれがどうした」


 喧嘩をするわけではない、先刻もアメリカ軍の操縦士を助ける為に危険をおかしたばかりだ。


 目的を再確認し、言葉を反芻する。


「俺の司令部と仰いましたが、アイランドの司令部でしょうか」


「今回はアルジャジーラってことで考えてるよ」


 喫茶店でアイランドを名乗っていたのでそれかとも思ったが、当たらずとも遠からずといったところらしい。


 クァトロ司令部ではなく、不明の武装集団の司令部を設置する。


 だがそこには島が入るわけだ。


 その違いが何かを素早く思考し、補足できる部分が無いかを点検した。


「最近は映像から骨格で人を識別可能だ、つけ髭程度では誤魔化せんぞ」


 声紋については音声装置の利用で何とかしておくと付け加えた。


「特殊メイクまでやるとは考えてなかった」


「知るか、それがお前の望みなのだろう。後は任せておけ」


 そういってさっさと部屋を出て行ってしまった。



 いつも部屋の隅に起立しているエーン大佐だが、部下から呼び出されて中座している。


 戻って来るとやや表情が違っていることに気づく。


「どうかしたかエーン」


 長年一緒にいるので悪い知らせでは無いのは解るが、朗報というわけでもなさそうだった。


 自身で判断しかねる部分が大きいようで、そのまま島のデスクにやって来て事情を話し始める。


「松濤特別区を警備している一ノ瀬所長からの報告を受け、佐伯学長が閣下に連絡を取りたがっております」


「冴子が?」


 あまりにも突飛な部署からの話なので少し沈黙してしまった。


 島の心の平穏を保つために置かれている実家の警護部署。帝国第四警備保障、筆頭株主はオッフェンバッハ財閥だ。


 社長はベッケンバウアー家から出て居るが、取締役には現地――日本の投資家、星川財閥からも入っている。


 何か両親に危険が及んでいるのだろうかと心配したが、まずは話を聞いてみようと連絡を繋げるように指示した。


 ――あいつから言い出して来るなんて余程の事だぞこいつは!


 電話がつながるまでの十数秒がこうも長く感じられたことなど久しぶりだった。


「閣下、どうぞ」


 エーン大佐に渡されて携帯電話を一瞥し耳へと運ぶ。


「もしもし」


 女性の声が聞こえてきた、あまりにも懐かしい声だ。 


「俺だ、冴子か?」


 日本が急に恋しくなってしまうような感覚、いつまでたっても生まれ育った場所というのは変わらない。


「良かった、龍之介君なのね」


 今や龍之介君などと呼ぶのは彼女位で、やはり特別なのだと感じさせる。


「ああ、色々あって直接話すのは久しぶりだな」

 ――詳しくは話せんが、冴子なら解ってくれる。


「……そうね、無事なら好いわ」


 どこに居て何をしているのか、ここで聞けたらどれだけすっきりと出来て安心するか。だが言葉を飲み込んだ。


「重要な話があるみたいだけど」


 エーン大佐が判断を仰ぎに来るような何かが。きっと島ですら想像出来ないような大変な何かが起きている。


「ええ、一ノ瀬君に聞いて確認してきたわ。だから間違えじゃない」


 松濤第二学園の警備を専属契約している、そんな名目もあって佐伯冴子が学長をしている島の母校に、クァトロの出先機関である帝国第四警備保障が出入りしていた。


「なにがあったんだ」


 島の顔色を見ているエーン大佐だが日本語で通話しているので内容までは理解できていない。


「警備会社に自衛隊の退官者が就職面接に来たのよ」


「え? 就職面接?」


 拍子抜けした、そんなのは勝手にやっておけばいいだろうと思うが、それだけで連絡などして来るはずがない事実がすぐに思い出された。


「そう。海上自衛隊中途退官者、御子柴元三佐よ」


 冴子が含み笑いで何とか台詞を言い切った。けれどもついに耐えきれずに笑ってしまう。


「おいおい……」

 ――御子柴はこっちのことは一切知らないはずだ、偶然にしちゃ出来すぎてるぞ。


 エーン大佐を見るが余計なことは一切していないと首を横に振る。


 オッフェンバッハ総裁は御子柴の存在を知らないし、一ノ瀬所長が勧誘するような真似もしない。


「仕事辞めて近所の警備会社に就職ってことか?」


 自衛隊での冷や飯が耐えられずに退官したが、実家に戻ってニートしているような奴でもない。


「そうみたい。まだ結果は保留って連絡待ちさせてるみたいだけど、どうしたらいいかしら?」


 これは流石に現地では処理しきれないだろうし、エーン大佐を貫通して島のところにまで案件が上がって来たのが理解できた。


 近すぎる人物を採用しては困ることもある、だからと偶然を逃すにはあまりにも惜しい。


 島ですら俄かに決めることが出来なった。


 ――あいつまで巻き込むことになりかねない、それにこういうのは卑怯なやりかただ。だが……どうしたらいいんだ?


 返答出来ずに時間が流れる、急かしたりはしない冴子は黙って待っている。


「閣下。閣下はどうなれば嬉しいでしょうか」


 返答に詰まる島を見てエーン大佐が割って入った。


「どうって……そりゃ……何事もなく皆が暮らしてくれたらそれが一番だ」


「では、採用なさいませ」


「だが……」


 珍しく歯切れが悪い。後ろめたい気持ちがあるからだ。


「次は御座いません。機会を逃しては手が届かないどこかへ去って行ってしまうでしょう」


 自身がそうであったように、人の巡りあわせに次などと思っていては最悪を招いてしまうと強く提言した。


「しかしだな――」


「閣下が連絡をする時は全てを話す時、それまでは心の片隅に置いておく。そう定め贖罪なさい、それで帳消しです」


「出過ぎるなよエーン」


 低い声で態度を窘める、初めてだったその場の怒りでエーン大佐にそんなことを言うのは。


 いついかなる時でも常に島の事を考えて行動してくれている彼に対してだ。


 この一件で心が乱れているのがありありと解る、だからこそ重要だと島に報告を上げてきている。


「何と言われようと勧めを変えるつもりは御座いません。お気に召さなければどうぞお撃ち下さい」


 腰に履いていた拳銃をデスクに置く。金属の塊が重い音をたてた。


 進退をかけた言葉だ、それほどまでにエーン大佐は本気なのだ。


 つい銃を見詰め、そして視線をあげる。そこで知る、迷いが何をもたらしているかを。


「…………くそっ! この愚か者が!」

 ――あれだけ迷いを見せるなと言い聞かせているというのに、なんて無様なんだ!


 拳をデスクに思い切り叩き付け自らの言動を悔いる。


 腹心中の腹心にそこまで言わせている己が情けなくて怒りが爆発する。


 こうまで弱点になり得る人物が、もし事件で喪われでもしたら迷惑するのは現場だ。


「我がセニャールのお言葉です、前を向いて歩けと」


 いつか迎える希望ある未来の為に。


 エーン大佐は拳銃を手に取り部屋の片隅の定位置へと居場所を戻す。


「冴子、待たせて済まん」


「いいのよ」


「御子柴だが採用するよう言っておく。俺のことは伏せておいてくれ、いつか俺自身から打ち明けたい。話しが出来るようになるその日まで、頼む」


 その言葉は同時に冴子にも向けられていた。


 涙が出そうになってしまったがぐっと堪える。


「待ってる、私ずっと待ってるから。私からも話したいことあるの、でもそれは会った時にするわ」


 どちらからともなくまたねと通話を切った。


 ――次は無い、その通りだ。俺は迷うわけにはいかない、道を定め進むしかないんだ!


 どうにも組み合わさらないパズルが一つあったが、強引にでも押し進めようと決める。


「サルミエ少佐、コロラド先任上級曹長に命令だ、早急に会談を設定しろと」


「畏まりました」


 言えば解るのだろうがサルミエ少佐も己の役割をどれだけ理解できているか不安になり「タリハール・アルシャームの件で宜しいでしょうか」確認する。


「そうだ」


 シリアでの活動も中盤に差し掛かることになる。



「シリア北東部、ロジャヴァ中央、トルコとの国境付近にあるエジジイェで、分割統治中のSAA・シリア政府軍とYPG・クルド人民防衛隊が交戦をし、YPGのオスマン方面司令官が勝利を宣言しました。彼はまたYPJ・クルド女性防衛部隊の活躍が顕著だったとコメントしております」


 トルコ、アナトリア通信が世界に発信した。もちろんそのような行為は違法でありYPGの行動は正されるべきだと繋げた。


 シリア国内のクルディスタン軍とも言える、クルド人民防衛隊は数万の兵力を抱えている。


 大まかにいえばシリア民主軍を構成する一つの勢力で、アメリカ軍が支援している武装勢力でもあった。


 シリア政府軍を追い払った部分は爽快だっただろうが、クルド人に力を持たせるのはシリアだけでなくトルコもイラクも良い顔をしない。


 複数国に跨っているクルド人居住区、それらが一致団結し独立を叫べば困るからだ。


 アメリカ政府が望んでいる部分がどこまかは極めて少数しか知りえないが、その過程でシリア政府が転覆してくれるように工作をしているのは世界中が知っていた。

 詳報を聞いているうちに気になる単語を拾う。


「国際自由大隊?」


 司令官の疑問を速やかに解決するために尽力するのは副官の務めだ。


「クルド人民防衛隊の中にある部隊の一つで、義勇兵集団のようです。スペインの国際旅団を真似たもののようですが、人数は少数の様子。もっとも明らかにされていない部分の方が多いようです」


 ネット検索で解るのは概要のみ。ただ響きが気になった。


 ――クルド人組織にあって非クルド人を集めたわけだ。一定の扱いを受けている理由は、YPG内の政治的理由か?


 自身でも少しパソコンを操作して掘り下げていくと、募兵ページが見つかる。


 ――公にしている以上は抹殺するつもりは無いわけだ。まさか大勢が志願するとも思っていないのか、それとも……。


 ちょっと無茶な内容かも知れないが、戦い以外でも能力を伸ばして貰いたい後輩の顔が浮かぶ。


「トゥヴェーをここに」


 指名で出頭するようにと言われたトゥヴェー特務曹長は、プレトリアス郷から大至急で車を走らせてホテルへと駆けこんだ。

「閣下、トゥヴェー特務曹長出頭致しました!」


 部屋に居る従兄に一目もくれず島の前に進み出て申告する。


「ご苦労だ。特命を与える、ロジャヴァに赴きYPGの国際自由大隊の現状を探れ」


「ヤ」


 命令に否はない。むしろよくぞ自分を選んでくれたと感激で胸がいっぱいだった。


「存在さえあれば行動実態は無くても構わん。YPGが大隊を切り捨てられないよう工作も行え」


「工作が有効な期間設定は御座いますか?」


 永続的にそう求めているのか、それとも何かをするためにかと分岐点を問う。


「大隊がYPGを切り捨てるその時までだ」


 トゥヴェー特務曹長の眉がピクリと反応する、確かにこれは特命で困難だと。


「お任せ下さい閣下。入隊するまでに三週間程時間を頂きます」


 移動や準備の時間ではないのだけは島にも解った。


「委細任せる。サルミエ」


 いつもの様にプラスティックカードを持ってくると、島から差し出す。


「不足があれば言え、連絡を受け次第速やかに充足させる」


「承知したしました。ですがこの任務、資金ではなく知恵が肝要」


「頼りにしてる」


「ヤ!」


 その一言があれば命を投げ出しても惜しくない、彼の決意が伝わって来た。



 本当ならばもう少し休ませてやりたかったがそうも言っていられない、島はマリー中佐に連絡を取った。


「俺だ、連戦で疲労しているだろうが済まない」


 これが軍隊ならばこれから長期休暇が割り当てられるだろう働きを既にしている。


「いいえ、まだ若いんで。次はアルシャバワでしょうか?」


 大方の予想ではそうなるだろうなとあたりをつけてきた。グロック准将ですらそう考えたのだ、中佐が読みを外しても何の問題もない。


「手前のマーカッドだ」


「自分たちの疲労度は戦闘遂行に支障ありませんが」


 もし体力面で侵攻を遅らせているのならば再考するようにと強めに申告する。


 実際隊員の士気も高く、これといってまとまった休息も不要だ。


「そういうわけじゃないさ。マーカッドの占領と、イラクとの国境、山岳道路の検問を奪うのが次の目標だ」


 今現在どこの誰が支配しているのかマリー中佐も知らない。


 調べたらすぐ判明するだろうが、来週まだ同じ勢力が維持しているかは不明だ。


「それでもアルシャバワを落とすよりは楽そうに思えます」


 もっと困難をとおかわり要求をするにまで成長してきた後輩を島は頼もしく思った。


「実はその後マリーには別行動をとってもらう予定だ。戦闘団はドゥリーに任せてな」


「別行動ですって?」


 作戦中に司令任務を放り出して一体何をさせるつもりなのか。マリー中佐は真剣にあらゆる可能性を模索する。


「民兵団の新規設立ですか?」


 だとしたらちょっと難しいなと感じながらも、命令ならばどうにかしようと気持ちを持つ。


「今回はちょっと毛色が違う。クルド人民防衛軍内の国際自由大隊、それに潜入してもらうつもりだ」


 トゥヴェー特務曹長に調査させているところだと進行中案件なのを明かす。


 結果次第で中止になることもあるが、随分と先まで見込んでいる様子なのを鑑みると、きっと実行されるだろう。


「解りましたよ、既存民兵団の乗っ取りですね」


 それは設立するより高いハードルを持ってきたなと頭に手をやり唸る。


 何せ現地語であるアラビア語を理解せず、人種も宗教も違う完全なる外様なのだ。


 だがそこで国際自由大隊という名称を思い出した。


「そうだ。俺が欲しいのはYPGからの離反者、その一点だ」


 何を意味することになるか、現時点ではそこまではっきりしていない。


 島の直感でしかないが、いずれ重要な位置を占めると読んでいた。


「自分が大隊長になっていれば絶対にボスに応じます」


 適任者がいるとしたら、エーン大佐かマリー中佐だろうが、それならば危険を背負うのは下位者であるべきだと指示の正しさに納得を示す。


 エーン大佐ならばより困難な別の任務をこなせる、幅広い対応力を残すのがより良い選択だ。


「無関係を装い部下を送り込む、お前なら直ぐに指揮官に上がれる、俺が保証するよ」


 余程の無能者が隊長でない限り、使える人材を引き上げるのは当然のことだ。


 逆に能力を見抜けないような人物ならば、マリー中佐が取って代わるのが早まるというもの。


「買いかぶりが激しいようで。ですが全力を尽くします」


「俺は何も与えてやることは出来ないが、認めてやるお前の全てを」


 働きを一生記憶する、外人部隊出身の者にとって最高の栄誉だ。


 まずは前菜とばかりに、戦闘団が検問所まで占領したのはそれから二十日と掛からない頃になるのであった。



「サルミエ少佐、行くぞ」


「ウィ」


 僅かな供回りのみを伴ってベイルートを出る。レバノン、シリア国境付近の村で場を持つことに成功した。


 ハリウッド映画の特殊メイク担当者を雇用して、島に施す。顔の輪郭が少し変わり立派な髭を蓄えた壮年男性にと化ける。


 軍服もいつものものではなく、星を取り外した無地に白と銀糸、金色の装飾が入ったものに着替えた。


「エーンが副官を、サルミエは外で待機していろ」


 アラビア語での交渉になると共に、肌の色で拒絶反応を持たれない様にとの判断だ。


 その場のみなので少佐が不要なわけではない、悔しいが指示に従う。


 付け焼刃での副官では見抜かれる恐れもあるが、エーン大佐ならそのような心配は一切ない。


 数台に分乗しモスクへと入る。イスラム教徒を演じはしないが、禁忌を知っておくなどの努力はしている。


 アサド先任上級曹長を筆頭に、親衛隊から選抜された者が護衛に就く。


 モスクは解放的な造りだったが、礼拝の時間では無いので中に居る人は少ない。


「こちらです」


 老年男性が一行を部屋へと案内する。


 個室には険しい目つきをした、触れば切れそうな男たちが待ち構えていた。


 ――ただ者ではないのがビシビシ来るよ。


 誰が頭なのか身にまとう雰囲気だけで見当をつける。一人と目があった。


 島は一歩進み出ると「アル=イフワーン・アル=ヌジュームの司令官アルジャジーラだ」そう名乗る。


 視線を切らずにずっと見詰めていた男がにこりともせず進み出た。


「タリハール・アルシャームの指導者アルハジャジだ」


 互いを値踏みするような時間が十秒程続く。誰一人席につこうとしない。


「良く来てくれた礼を言わせてもらう。交渉のテーブルに上げる対象はこれだ」


 立ったまま話を進めようと島がいきなり案件を切り出す。


 エーン大佐が大きめの写真を数カット側近に手渡す。


 流石にそれだけではどこのものかが解らないので補足する。


「シリア東部アルシャバワ東、イラクとの山道がある検問所。つい先日我々が占領した」


 アルハジャジが側近に情報の確認を取る。確かにSAA・シリア政府軍が支配していたのを何者かが襲ったと報を得ていた。

 答えを聞いてから遠景が映る一枚を再度見る。アルシャバワの街だろうと思える背景がある、角度と距離から検問所の位置が想像できた。


 そこの政府軍に撮影するからどいてくれと言っても従うわけが無いので、奪ったというのも恐らく事実だろうと判断する。


「そのようだな」


 認めるが意図を読めないので言葉は少ない。


 ――少なくとも話は聞く姿勢はあるか。


 問答無用で立ち去ったり、敵意をむき出しにしてくるわけではない感触を得る。


「我々は民を蔑ろにするシリア政府、並びにイスラム国を敵視している」


 ある程度同じ立場に居ると主張した。政府軍を追い出したのだ、共通の敵が居るのは納得する。


「何を求めるつもりだ」


 出すもの次第で話に乗るとの姿勢、ただし信用はしない。そこはお互い様でもあるが。


「ダイルアッザウル東の7号公道、そこにあるそちらの拠点と交換してもらいたい」


 ダイルアッザウルとマーカッドを繋ぐ公道にある拠点、将来的に挟み込む形になり諍いが起こる可能性が高い。


 とは言え今のところはこれといった損得は無かった。


「何故そこを?」


 情報があるなら追加で差し出せとの態度だ。はいわかりましたと認めていてはテロリストはやっていられない。


「いずれ一帯をまとめてシリア政府から離れるつもりだ」


 独立国家を建てるわけでは無く、地域住民の結束と中央統制を制限するのが目的だと考えを明らかにする。


 アル=イフワーン・アル=ヌジュームなどという組織、殆ど耳にしたことがない。


 どこから湧いて出たか解らないモノは、大抵外国の支援を得た偽装民兵というのが答えになる。


「アメリカもロシアも容認しない。背後組織はどこだ」


 冷たい視線が突き刺さる。殺意でも敵意でもないが、最大警戒を向けてきている。


「我々はアメリカの統制もロシアの統制も受け付けない。ユダヤも信じてなどいない。シリア政府も、イスラム国も、イラクも、トルコも、イランも、サウジもだ」


 自由シリア軍ではない、さりとてシリア民主軍でもなければアンサール・スンナ軍にも見えないし、イスラム戦線のようでもなかった。


 だがそうなって来ると戦力規模が問題になる。弱小勢力と真面目に交渉するなど笑いぐさだ。


 それでも検問所を奪った事実はある。解せない。


「実績がない組織と交渉は行えない」


 完全に突っぱねているわけではない口調なことに気づく。


「では実績を示すだけだ。ダイルアッザウルを占拠したら納得してくれるかね」


 いずれ支配下に置くことになる、交換はその時になってからで充分だ。


 それまで検問所を維持する苦労が産まれて来るが、そこはドゥリー大尉に預けておけば上手い事やるだろうと割り切る。


「政府軍がそれなりの規模駐屯しているが」


 忠誠心豊かかは別として、攻撃されれば反撃位はしてくる。


 数百の兵力だけではまず勝ち目はない、かなり難しいのではと疑いの表情だ。


「我々の敵が政府軍の味方とは限らない。最後に立っていた者が勝者だ」


 十の勢力があれば味方など一か二しか居ない。


 並列する戦力が幾つあろうと、そんなものは脅威ではないと見ている。


「機会があれば参戦しよう」


 攻勢の報が聞こえてくれば動くかも知れないと言葉を残して場を後にする。


 返答は保留、上々な結果と島は内心で満足していた。



 トゥヴェー特務曹長からの報告が上がって来た。中隊規模の実態しかないが、実戦も担っていると国際自由大隊の実情が明らかにされる。


 ――そうか、それなら力を示すのにさして時間もかかるまい。


 デスクの受話器を手にしてマリー中佐の衛星携帯電話を鳴らす。


「アロー、出張指示でしょうか」


 相変わらずご機嫌な台詞で島の心労を軽くしてくれた。


「ああ、あちらでお前の実力がどのレベルにあるのか実感してきたらいい。きっと驚くぞ」


 戦闘能力も指揮能力もきっと頂点だろうと、お世辞抜きで断言してやる。


 もし上が居るようなら是非とも師事してこいと背を押す。


「それも楽しみということで。部隊ですがドゥリー大尉にとのことでしたが」


 変更がなければその通りにすると指示を残していくと先回りする。


「ああ――」


 そうだと肯定しようとする島の耳に足音が聞こえてきたので口を閉ざした。


 出入り口を注視していると久しく見なかった二人が姿を現す。


「変更だ、そっちはブッフバルトに引き継げ、これから送る」


「ダコール」


 受話器を置いて「よぉ」声を掛ける。


「いやぁ、大遅刻で申し訳ありません」


 はっはっはと声を上げて笑うロマノフスキー准将、いつもの調子で安心する。


「閣下、ただ今戻りました」


「おう。早速で悪いがブッフバルト少佐はマーカッドに飛んで、マリー中佐の任務を引き継げ。臨時戦闘団長に任じる」


「ヤボール ヘア・ゲネラール!」


 大真面目に敬礼すると九十度に右に向きなおり、サルミエ少佐に諸注意を尋ねるため歩み寄る。


 それを一瞥し、島はロマノフスキー准将を招き寄せる。


「特殊メイク装備、どうだ」


「自分に次ぐ男前と評価しておきましょう。ちょっと野暮用で時間が掛かりました」


 二人がかりで数か月、随分な野暮用だが詳細を尋ねたりはしない。


「そうか。マリーに準備させてある、偽装民兵の統括を兄弟に任せたい」


 幾つ下地があるかまでは聞いていないが、来て急に全てを掌握しろとは結構な無茶を投げかけている。


「ご所望の通りに致しましょう。ファッキンサージと顔を突き合わせていると肩が凝るので丁度良いです」


 司令部にグロック准将が入ったのをきっちりと解っているようで、情報の調整もある程度済んでいると解釈した。


「綺麗事ばかりを言うつもりは無い。死んだ子の齢を数えるより、生きている者の今日を、だ」


「個人で国やテロリストに喧嘩を売ると決めましたからなぁ。些末なことはコミコミということで」


 千人を見捨てても一万人を生かす。


 戦争の最も唾棄すべき現実がそこにある。


 弱者を切り捨てたと猛烈な非難を受けようと、犠牲の上に成り立った結果だと掣肘されようと、与えられる希望の数を優先すると決めた。


 より多くを救う為に、クァトロはまだ倒れることを受け入れるわけにはいかない。


 それゆえに心無い言葉を向けられることなど承知の上で進み続ける。


「ああ、国でもテロリストでも利用して目的を達する。行くはいばらの道だ」


「地獄の果てでも喜んで、リストの一番には是非とも自分を」


「兄弟には悪いが俺もそのつもりだ。文句があれば落ちた先でいくらでも聞くよ」


 互いに満足した笑みを浮かべると一つ頷き別れる。


 別の場所に居るからこそ二人は最大の力を発揮できるのだ。




 各自に任務を割り振り自身は固定された職務も少ない。


 ――次の仕込みだな。あれから何年だ……感傷に浸っている場合ではないか。


 順不同とはいかない、島の正体が明かされるのは可能な限り遅い方が良い。


「そろそろ迎えが来るって話だな」


「洋上で乗り換え、アルビールへと向かいます」


 実務はサルミエ少佐が取仕切っている。時間が来たら後をついて歩いていくだけだ。


 軍服はこの前と同じものだが、様々な略章を縫い付けて存在をアピールしておく。


 ――派手になったものだ、色々とあったからな。


 空の移動をしている間、腕組をして目を閉じ過去を振り返る。


 おっかなびっくりで部隊を指揮した頃のこと、革命を目指し走り回っていたこと、頭を悩ませ議会工作をしたこと、力の限り戦いすれすれで勝利したこと……そしてこれからのこと。


 全てを味方になど出来ないし、戦いを恐れもしない。


 それでもいつまでもシリアに居るわけでも無いので、どうにかして秩序を作り出さねばならない。


 全て終わればまたルワンダの片隅に戻る、決して称賛されないまま。

 空の上からイラク・アルビールの街並みが見える。


 旧市街は円形の城塞があり、そこから放射状に街並みが広がっていた。


 幹線道路が新市街に伸びていて、旧市街との間には検問所が見える。


 市の北西にあるアルビール国際空港、その奥に併設されている軍用空港に着陸した。


 アメリカ軍が出来るのはここまで、島一行はタラップをゆっくりと降りる。


 外気温は四十度近くもあり、日差しが強い。緑は濃く、自然が多く残って居る土地だと感じられた。


「ボス、連邦庁舎まで十分程です」


 新市街西にある半円形のアブドゥールマン公園、東側の60番通りを挟んだ向かいにクルディスタン自治政府庁舎がある。


 同じ区画のすぐ南、そこにペシュメルガの本部が置かれていた。


 車がノーチェックで本部前にまでやって来る、アメリカ軍の専用車から人種不明の将軍が降りたつ。


 ――これが兵力十数万と言われるペシュメルガの中枢か。


 もっとごつくて厳めしいものを想像していたが、至って普通のビルにしかみえない。


 見ていても仕方ないので階段を登り始める。


 ロビーにまで勝手に進むと、受付の女性がやって来る。


「お名前をお聞かせいただけますでしょうか」


「ジェネラルイーリヤの副官、サルミエ少佐だ」


 島は黙ってやり取りを見ている。周囲は護衛が張り付き、尋常ではない人物がやってきたと言うのが伝わる。


「聞いております、こちらへどうぞ」


 エーン大佐が神経を張り詰めている、いつ何が起ころうと脱出するだけの策が複数打ち出せるように頭の中はフル回転している。


 逆に島はあらゆる情報を受け入れようと意識的に考えをしないよう努めた。


 中程度の会議室のようなところに通されると、人数分の椅子を用意される。


 グロック准将を奥に座らせ、島は中央、左にエーン大佐を置く。


 残りは全員起立だ。


 ――これじゃグロックが首座に見えるだろうな。


 わざと略章の多くが隠れるように儀礼用外套を深めに被せる。これも交渉ごとの一つだと割り切って。


 やや待つと反対側の扉が開き、十人程が入室して来る。


 三人が立ち上がりやって来るクルド人の顔を順番に見まわす、どれもこれも現役を感じさせる鋭さが光る目つきをしている。


 ――無駄か、目は確かなようだ。


 何も言わずに島に視線が集まった。クァトロも一人の男に視線を注ぐ。


「アメリカ軍の紹介で推参したイーリヤ中将です」


「ペシュメルガ最高司令官オルハン大将だ」


 双方が動きを揃えて敬礼する。


 とても民兵の動きとは思えない、お互いがそう感じているだろう。


「我々はアメリカ軍に借りがある。多少の無理ならばきこう」


 軍人特有のすっきりとした物言い、駆け引きも無く真っ先に切り出してきた。


 各自の表情を具に観察する。


 アラビア語、随員のうち半数は理解していない。


「アメリカ軍は場を作るまで、この先は自分とサシの交渉とお考えを」


 そうであれば対等などではない、どこの馬の骨とも知れない野良勢力でしかないのだ。


「貴官はどこの誰だね」


 ゆっくりと言葉を紡ぐ。無関係と言われてもそれは言葉だけ、そうでなければわざわざアメリカ軍が力を貸した説明がつかない。


「今の自分はシリアに展開する一介の民兵の司令官です」


 千を超えない小さな部隊を掌握しているだけの。


 オルハン大将は従えている面々をじっくりと見る。


 どれもこれも一角の将校下士官で、能力充分だと感じ取った。


「団の名は」


「アル=イフワーン・アル=ヌジューム」


 正直に明かす、耳慣れない集団だと目を細める。取り巻きの一人が耳打ちした。


 峠の検問所を奪った勢力ではないかと指摘したのだ。


「ふむ、シリア政府の転覆が目的?」


 それならばアメリカ軍が後援するという説明がつく。


「ナゥ 我らの目的は地域に住む者の安全と安定です。今のシリア政府ではそれが担保出来ない、倒れるならそれでも良いでしょうが、手を貸しもしなければ手をくだしもしない」


 検問所については一定の勢力範囲を築く為の過程でしかないと説明を加える。


 全て島一人が話、他は誰も言葉を発さない。


 オルハン大将らは丁寧なアラビア語を喋る人物だと捉えているが、知識階層とも少し違うと気づいていた。


「ペシュメルガに何を求めに来たんだね」


 あくまでペシュメルガはイラクの国内勢力であって、シリアには介入していない。


 何より周囲のイスラム国相手に戦いを続けている真っ最中だ。


 聞くだけ聞こうとの姿勢になってくれた。


「ロジャヴァの住民が自衛能力を持ち、自治を行う後押しを」


 それは言葉にこそしないがアルビールの連邦自治政府も望む筋書きである。


 シリア政府が許しはしないし、トルコもイラクもクルド人が結束するのをよしとはしない。


 考えてはいても実行するわけにはいかない案件。


「イーリヤ中将は何故そのようなことを望むのだね。根拠を聞かねば納得しかねるが」


 返答次第では即刻追い出されても文句は言えない。


 危険分子と関りを持つと、クルディスタンに迷惑を掛けてしまう。


「エゥ――」何故なら、そこで島はクルド語に切り替え「自分がそうしたいから。少数民族だからと多数に押し込まれ、俯きただ耐える者が居ました。信じる神が違うからと疎まれ、社会から遠ざけられる者が居ました。肌の色のせいで理由もなく暴言を向けられ、差別を強要される者が居ました。自分はそういう者達に前を向いて生きていけるよう希望を与えたいと考えています。見返りなど求めない、ただそう在ると決めたから」


 あまりに予想外の言葉でオルハン大将もすぐには反応出来なかった。


 拙いクルド語、子供が喋るかのような不確かな言い回しだったが、この場にあって真剣にことに当たっているのが深く感じられた。


 バカバカしい夢物語でしかない、好意を持ったにしてもそんな内容で軍の影響力を発揮させるわけにはいかない。


「イーリヤ中将の思想は貴重だと考える。だがペシュメルガはロジャヴァに干渉は出来ない」


 それは政治が司る部分であり、軍の司令官であるオルハン大将の管轄ではないのだ。


 少なくともそう回答するのが精一杯、島も重々承知している。


「軍は間違いだと解っていても国境を越えることは出来ない」


 急に話題を切り替えてそんなことを口走る。


 オルハン大将は何なんだと島を見詰めた。


「シリア内でイスラム国と戦えば、時にイラク領内へ踏みこむ事もあるでしょう。私兵である我々ならば追撃も可能です」


 政府に関連したり、民族を柱にしていなければあとは領土上の入国管理問題しか残らない。


「その時、ペシュメルガは敵の敵に目を瞑るだろう」


「ありがとう御座います」


 一定の理解を得られたことで島一行がアルビールを退去する。


 去っていく背を見ながらオルハン大将の側近が懸念を口にした。


「宜しいのですか、ろくに身元も解らないような者を帰して」


 全員拘束して調査したとしても誰も文句は言わない。


「構いはせんよ。言葉の通り動くなら我らのプラスになり、そうでなければ程なく離散するだろう。それに――」


「それに?」


 言いかけて途中で口をつぐんだ大将に先を問う。


「ここまでやって来た者達で、わざわざクルド語を学んでから交渉に臨んだ高官は今まで居たかね」


 国を問わずに誰一人として居なかった。


「それはそうですが……」


「もし貴官がフィリピンに交渉に行くならば、タガログ語を修得してから行こうとするかね」


「いいえ、英語を選択します」


 まず間違いなく英語を選択する、この場の皆も世界の多くの者もそうだろう。


 それだけ本気が見て取れる、オルハン大将は一点だけだが評価した。


「情報収集をしておけ」


 そう指示を残すと彼も部屋を出る。連邦自治政府庁舎へと向かう為に。

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