第百二十六章 友軍救出作戦
◇
「閣下、戦闘団より速報が御座います」
グロック准将がメモを片手に報告を上げる。どうしてか副官より素早く知り得ていた。
――合流して以来無為に過ごしていなかったというのは認めるよ。
表情こそ変えないが、サルミエ少佐が情報収集の順路を見直そうと思考しているのが伝わって来る。
それがグロック准将の得意な手口だと島は理解していた。
「アルジャラー市を攻撃するシリアユーフラテス運動を支援し、同市からイスラム国駐留隊を排除しました」
ユーフラテス川の東西を占領してシリア北東部へと勢力を広げていったイスラム国の尻尾を切り取った形になる。
「そうか、まずは半歩多めに進むことが出来たわけだ」
二回行動にしてはやや少ないが、あの軽装では仕方ないことだと頷く。
が、そこで異変に感付く。
――まてよ、これはグロックの罠だ。
今までの経験が警鐘を鳴らした、久しぶりのこの感覚につい両の目が大きく開かれる。
「サルミエ少佐、アルジャラー支援を行った部隊詳細を上げろ」
名誉挽回の機会を与えつつ己への罠を回避した。
「ハマダ大尉、ゴンザレス中尉の二個部隊です」
じっとグロック准将を見詰めて報告の続きを促す。
「アブー・カマール西数十キロで、イラクよりシリアへ向かうイスラム国の輸送部隊を発見、これを攻撃し撃破しました」
「規模は」
「トラック多数、戦闘員四百から五百という一報があったようです」
情報を小出しにして教育の一環として場を利用する。二つ目の罠を置いているのは明白だ。
――後方に居ようと戦闘の感を鈍らせるなとの、有り難いお心遣いが透けてみえるよ。輸送部隊がトラックを伴っているのは理解できる。イラクから物資を運ぶなら、イラク北部の部隊へだろうがそうではなかった。つまりは……。
答えを出すのに時間制限があるのは戦場では常識だ、マリー中佐に遅れていては引退を考えなければならなくなるだろう。
「トラックで奴隷を運んでいたわけか。マリー中佐から扱いをどうするかの上申は」
島に言われる前に答えに辿り着けていたのはハウプトマン大佐だけ、正解を知ってから問題の意味を理解出来れば今は充分だ。
「解放して良いか、と」
元々捕虜ではなく略奪により捕えられた女性だろう、それを拘束する意味などクァトロには無い。
問題はどのように解放するかだ。
「これは一つの分岐になり得る。意見を聞きたい」
――はいどうぞと自由にしてすむ話ではないぞ。
マリー中佐も解っていて上申してきている、その証拠に島に直接報告をしなかった。
重大な選択肢になり得る素材を命を懸けて手にした戦闘団に感謝をしなければならない。
「ハディーサ市、キム市とファルージャ市の丁度中間にある川沿いの街が、先日イスラム国の襲撃を受けました。多数の行方不明者を出しております」
そこが出どころだろうとグロック准将が過去情報をあててきた。
――今後無関係な出ではないわけだ。それに誰が取り返したかも問題になる。
あっさりとクァトロの介入を世間に広められては大事だ。
しかし人の口に戸板は立てられぬ、生かして返せば必ず噂が広がるもの。
「シリア南東はシリア民主軍が多く居ります、それにイスラム戦線が。双方合わせると五十やそこらの司令部があるはずです」
ハウプトマン大佐も別方向の情報を差して来る。
――結局は自分で考えろというわけか、嬉しくて涙が出るね。
二人の教官が島を立派な司令官にするためにと次々と問題を出して来るではないか。
――第三勢力を持ち出すよりは信憑性があるか、命名は苦手だ。
アラビア語で何と言ったかを思い出すのに少しだけ時間が掛かった。
「シャームのオアシスで、シャムワッハがその手柄を誇るというのはどうだ」
シャームよりシャムのほうが耳に馴染むが、タイのシャムではなくアラビア語で幅広いシリア周辺の地域を差している。
首都であるダマスカスの別名でもあるが、曖昧な部分をこそ利用価値ありと見ていた。
「エーン大佐、アラビア語を解してシリアまたは周辺国籍、集団を指導可能な人物を抱えているか?」
人材バンクであるエーン大佐に直接グロック准将が尋ねる。逆に言えばその手駒が無いのを意味していた。
「中隊、または村程度までなら指導可能な者が複数名有ります」
その場に在って一言も発さなかったが、指名され初めて喋った。
期待していた回答は充分な内容で、また彼に頼らねばならない事実が圧し掛かる。
「エーン、済まんがまた頼めるだろうか」
控えめに島がエーン大佐にお願いをする。
ニカラグア内戦を始める時からずっと、コンゴでもソマリアでもルワンダでも、いつも必ずなので心苦しい。
「勿論です閣下、お任せください。ですが一つだけ自分からもお願いが御座います」
「なんだろう」
エーン大佐がお願いとは珍しい、出来ることなら叶えてやりたいと真剣に耳を傾ける。
「かつてのロマノフスキー少佐が仰いました『ボスは頼むものではなく命令するものです』と、どうぞ人を揃えろとご命令下さい!」
島がイエメンに単身乗り込んだ際に胸に突き刺さった言葉を思い出す。
ウマル中佐もその場に居合わせていたものだ。
――ああそうだった、こいつらは皆そういう奴らだった。だからこそ命令なんてしたくないんだが、そう求められるのならそうしよう。
椅子から立ってエーン大佐だけを見る。
「命令だ、エーン、介入に必要なあらゆる人材を用意しろ!」
「ヤ! セニャール!」
自分を頼ってくれて嬉しい、それがエーン大佐の率直な今の心境である。
声を出す準備はこれで整うだろう、大切なのはもう一つある。
司令官の椅子に座りなおして今度はデスクの前に立っている参謀長に顔を向けた。
「俺達はアメリカが直接支援しない相手と近しくなるのが望ましい。状況が許すならば敵対する勢力ほどな」
今度こそは参謀らに仕事を割り振る心づもりで方針を示す。
イラク政府はアメリカを完全に受け入れている。前政権を転覆させて据えた集団だ、それは当たり前ということになっている、少なくとも今や近い未来までは。
「イスラム戦線の穏健派に交渉を持ちかけてみましょう。女性の解放ならば話に乗るかも知れません」
言葉は悪いかもしれないが、彼女らを話の切っ掛けにして接触を図る。
結果として数日家に戻るのは遅れるだろうが、そこは我慢して貰いたいものだ。
「ハズム運動を構成していた、イラク・ファールーク大隊は遊撃自警団として活動をしております」
ぱっと名前が出て来るのは滞在が長いからだろう、ハウプトマン大佐の進言を採る。
「参謀長に命じる、作戦案を提出しろ」
「ダコール」
「二時間後に集合だ、解散」
サルミエ少佐にはマリー中佐への回答期限をつけて保留、現状維持を命令させた。
◇
――ひとつやるべきことはやった。
グロック准将の作戦案を承認し、そのまま実行するよう命令を下した。
足元を固めるのは皆に任せ、今度は島自身がやるべきことへと意識を向ける。
「サルミエ、ヘリを用意しろ」
「ウィ」
インターコンチネル・ベイルートホテルの屋上、ヘリポートに中型の汎用ヘリが待機する。
クァトロの正装軍服に着替えるとヘリへと乗り込む。
操縦士はモネ大尉、島中将を迎えて敬礼した。
「またタクシー代わりで悪い」
「お気になさらずに。閣下と共に在れて光栄に思います!」
クァトロという集団に雇われてから時が流れ、少なからずいくつかの国の歴史に影響を与えてきた。
当時はそんなことなど想像すらしなかったが、今は違う。きっとまた大きなことを為しに行くのだろうと感じている。
離陸すると首都の軍管制へ「クァトロ、クァトロ」それだけを発信した。
演習、はたまた慣熟飛行訓練の名目でレバノン軍からガゼル戦闘ヘリが二機飛来すると前後を守るように位置する。
三機は西へと飛び続け、やがて海上へと出た。
洋上を行くと小型の巡視艇が遠くに見えた。星条旗を掲げている。
飛び続けると前部甲板が平らで広い艦艇、ヘリ搭載型の強襲揚陸艦が姿を現す。
「こちらクァトロ所属、モネ大尉、着艦の許可を求める」
アメリカ軍第六艦隊に所属している軍艦、警戒を厳として「着艦を許可する。誘導に従い着艦せよ」何故か要請を承諾した。
誘導管制に従うと、ヘリの離発着マークにぴったりと合わせて降り立つ。
ローターが徐々にゆっくりとなり停止する。下士官が外から扉を開けて乗員が降りるのを待った。
黒の将官服を纏った島を見て微かに首を傾げた。黄色人種の中将、一体何者だろうと不審に思ったのが丸わかりだ。
――お邪魔するよ、ここは地中海のアメリカだな。
サルミエ少佐を伴い甲板上で少し空を見上げる。
艦橋から将校が歩んでくるのが見えた。
「閣下! ご無沙汰しております、アンダーソン中佐であります!」
ピザの配達でお馴染み、乗りの良い側近が出迎えてくれる。
「呼ばれもしてないのにノコノコとやって来た。迷惑を掛ける」
対シリア・イスラム国の統括者であるアメリカ軍司令官の高級副官であるアンダーソン中佐と懇意にしている人物、何者かと伺う者が多い。
「何を仰いますか、うちのボスがお待ちです。どうぞこちらへ!」
案内します、こちらですと手をひきそうな勢いに苦笑しつつ島は艦上を歩んだ。
歩くたびにガチャガチャと鳴る大メダルが煩わしかった。こんなことなら略式の物にしてきたら良かったと思うが、サルミエ少佐は敢えてこちらを用意した。
艦長室とは別、より大きな部屋が司令官室として宛てられている。
「中東でもピエロは健在です。イーリヤ中将、罷りこしました」
眼前の人物に敬礼する。
――こうやって対面して話すのはどのくらいぶりだったろうか。
いかつい顔で盛り上がった筋肉、司令官などよりも野戦部隊を率いていたほうが遥かに似合っている印象は変わっていない。
「見ないうちに何と立派になったことか!」
敬礼を返すと直ぐに歩み寄り互いを抱き合う。
「ベイルート入りに際してご迷惑をお掛け致しました」
かなり世話になっているのだろうと考え早速頭を下げる。
「俺はお前が真に困難に遭っていた時、手を差し伸べることが出来なかった。こんなことでは何の返礼にもなりはしない」
ソマリアでの出来事をさしているのだろう、表情が曇る。
――レティアに大分刺されたようだな、逆に申し訳なくなる。
サルミエ少佐は表情を変えない、ここのところポーカーフェイスが板についてきた。
「今こうやって再会出来ていることだけで充分です」
座れ座れと椅子を勧められる。副官は後ろで起立したまま、二人の中将が腰かけた。
「シリアへの橋頭保を得たようで何よりだ」
アブー・カマール市の件、アメリカが支援した民兵団はあっさりと撃退されたと頭を横に振る。
「うちの若いのが命を張った結果です、自分の功績ではありません」
「マリー中佐だったな、あれは良い指揮官だ。海兵遠征隊を任せられると信じている。もっとも中将になら俺の後をそっくり任せられるがな」
相も変わらず島を引き抜こうという気は変わらないらしい。
――そうやって買いかぶられてもガッカリされるのがオチだよ。
佐官ならば上申でどうにかなったろうが、将官となると議会が何というか解らない。
「これからイスラム国の主力が居るシリア北東部へ進もうと考えております」
敢えて振られた話題を無視して先を進める、ジョンソン中将も気を悪くなどしない。
「クルド人自治区は行動が困難だぞ」
「承知しております、いえ、解っているつもりです。なので一つお願いがあってここへ」
「何でも言うんだ、俺は支援を惜しまん」
その言葉は真実だ、常に島に友好的に接してきてくれていた。今だって独断で外国の将官を軍艦に招き入れてしまっている。
「アルビールの高官を紹介いただけないでしょうか」
クルディスタン自治政府の主要人物、今回の紛争で大きな鍵を握っている勢力の一つだ。
国を違えるとテロ指定集団でもあり、イラク、シリア、トルコの一部でもあり、独立国家とも言えた。
外交権限は持っていない、それなのでアメリカが外交ルートを使ってとは簡単に出来ない。
「一気に本丸に切り込むつもりか」
それが吉と出るか凶と出るかは誰にもわからない。
「個々の方針は解りかねますが、アメリカがシリア政府を転覆させるつもりならば、シリア民主軍をいくら押しても効果は薄いでしょう」
アメリカが大支援を行っているシリア民主軍、中規模の司令部が多数ありそれぞれが自称しているに過ぎないとの見方もあった。
島が言っている根拠は、シリア民主軍がシリア政権を認めていることにある。
イスラム国に対抗するクルド人勢力が主力で、政権よりも地域の防衛に主眼を置いているのだ。
占領地域も政府軍と仕切りをして争わないように協定を結んでいる地区まで見受けられた。
「イスラム国の勢力を押しとどめる為にも必要なのだ。シリア政府に対する効果が薄いのは認めるがな」
代わりにアル=ヌスラ戦線に支援を切り替えてはみたものの、確かに政府軍を攻めたが彼らの主張は望んでいるものではなかった。
結果、アルカイダのザワヒリに忠誠を誓い、タリハール・アルシャームと改名。アメリカからテロ集団指定を受けている。
「そして今度は自由シリア軍を支援ですが、やはり上手くない」
事実だけに反論出来なかった。ジョンソン中将だけの責任ではないが。
自由シリア軍はアメリカやサウジアラビア、トルコから支援を集めている。政府を転覆させるのが目的なのは良いが、クルド人への攻撃も激しい。
イスラム国へも、アルカイダへもだ。ついでにロシアへも。
問題は二つ、司令部が百以上も乱立して統制を欠くことと、主力兵の供出元がムスリム同胞団と言われていて、やはりテロ指定集団なのだ。
一長一短ありすべてが噛み合わない、泥沼に足を踏み入れた結果があまりにも複雑で気が遠くなる。
「アメリカはアルビールを紹介出来ない。だがアメリカ軍がペシュメルガを紹介することは出来るだろう」
ペシュメルガ、クルド語で死に立ち向かう者を意味する。クルディスタン自治政府の事実上の軍隊だ。
アメリカ軍が武装供与を行い力を持った結果、イラクから半独立してしまった。イラクの肩を持たねばならないアメリカ政府は口利きなどして刺激をしてはならないが、アメリカ軍の言葉ならペシュメルガも比較的耳を貸しやすい。
「イーリヤが話をしたがっているとお伝えを」
「ふん、お前も大概無茶が好きだな。どうしてアメリカに産まれなかったのか……」
「来世にご期待下さい」
冗談を残し島は艦を去る。より困難に立ち向かう、一度でも失敗すると全てが終わると知りつつ安全策を容れない。
「前へ、より前へか」
外人部隊での言葉が脳裏を過った。
◇
「閣下、第一便が到着致しました」
ハウプトマン大佐が装備を積んだ船がベイルート港に入港したと報告を上げて来た。
第一便とわざわざ言っているのだ、他にも届くのだろう。
「そうか。まだ使うのは少し先か」
戦闘団に補給するのは見送る、カマール大隊も今はまだ充足率が高いので不要だ。
倉庫にでも積んでおけと指示しようとする前に、サルミエ少佐が割り込んで報告をする。
「ルワンダ並びにドイツより、亡命シリア人がレバノン入しています。現在待機中」
「ドイツから?」
ルワンダはまだわからなくもないが、どうしてドイツなのかと問う。
「オッフェンバッハ総裁の要請で、ベッケンバウアー議員が志願を募ったものです」
ベッケンバウアー議員とはブッフバルト少佐の義父だ。
ドイツは第二次世界大戦以後、難民の一大流入地になっている。
夫が支持するクァトロを妻も支持し、親もまた支持した。
「戦闘部隊として使うことが可能か」
「半数は前線を志願しています」
残る半数は信頼度そのものが懐疑的だと注意を促す。
「ハウプトマン大佐、選抜しておけ」
「確固たる意志を持つ者のみを抽出し、武装させておきます」
信用出来る者のみを採用する、言わずとも理解している。
「あぶれた者はエーンが面倒をみておけ」
「ヤ」
折角紛争地域から避難していたのを連れて来たのだ、保護だけはしてやらなければならない。
プレトリアス郷なら安全で目も届くのでお互いに助かる。
世界中でテロが起きるたびにイスラム国が疑われ、事実半分以上は声明が出された。
たまにアルカイダが犯行声明を出すが、知名度はここ数年で逆転してしまっていた。
なにせビン=ラディンがスポンサーで資金面で優遇されていたという話は過去のものになっている。
銀行を襲撃したり、原油を売り捌いたり、徴税を大っぴらにしているイスラム国は文字通り桁が違う。
その意味では島も少額ではあるが税金を集める側になっている。
レバノンからの支援は、ハラウィ中佐の独立部隊と、島が国内に滞在していることに目を瞑っていることだ。
――独自の収入源に支配地域を得て拠点を整備か。いつものようにはいかんな、既存の勢力が多過ぎる。
足音が聞こえてくる、癖で誰かが直ぐにわかった。
「ボス、渡りを付けてきやしたぜ!」
挨拶も無ければ前置きもなし、伝えたい内容をいち早く口にした。
「コロラド、詳しく聞かせてくれ」
サルミエ少佐にビールを持って来いと言い付け先を促す。
「タリハール・アルシャームでさぁ、元のアル=ヌスラ戦線」
アルカイダ系の武装勢力、シリア政府を転覆させようとし、アメリカもイスラエルも敵とし、更にはイスラム国をも敵とする。島が指定した内容に極めて忠実に合致していた。
ところがヨーロッパ勢には攻撃を行おうとしないのだ。
いつものことながら何をどうしてきたのやらと思いながらも感心が前に出る。
「そうか、あいつらか。俺を目の敵にしたいだろうに」
イエメンで姉妹組織に当たるだろうムジャヒディーアを、フィリピンでアブ・サヤフ、ソマリアではアルシャバブ、アルジェリアでイスラミーヤ、レバノンでヒズボラ、ウズベキスタンでターリバーンとあまりにも多くと衝突してきた。
「利用出来るならば利用する、それがシリアの現実ってことで」
「そういうことなら価値があると思わせるよう努力しよう」
――暗殺するのもまた魅力というのを忘れてはいかんな。
きっちりと関係性を把握して置けばコロラドの言う通りなのだ。
「シリア北東部のクルド人自治区ロジャヴァ、そこに少数宗教、少数民族の連合がありやす」
後援は無し、装備は貧弱でいつイスラム国に攻め込まれるか不安に苛まれているそうだ。
何故存続出来ているかというと、たった一つの爆弾が命を繋いでいた。
「爆弾一つで?」
核でも持っているならわかるが、精々橋を落とす程度の威力しかない。
「山間の集落、何もない土地でさぁ。でも唯一、パイプラインが通ってまさぁ」
「なるほどな」
――自爆されては色々と面倒で、征服する優先度が低いわけか。
途中で原油を抜き取る訳でもなく、ただパイプラインが集落を走っているだけ。
イラン・シリア経由でヨーロッパへ抜けるモノの先行事業であり、今後の可否に大きくかかわる代物でもある。
「良くやったコロラド、ほら一杯飲め」
――これを奇貨にする、俺の知恵次第というわけだ。
島手ずから酌をしてやる、壊すことで誰が一番困るか、野蛮な想像を飛躍させながら。
◇
「なあグロック、俺が思うにシリアが沈静化しないのがアメリカの望みというか、結構な中東諸国の望みな感じがするんだが」
ホテルの執務室でポツリと島が漏らす。
部屋には副官と秘書官、参謀長にその付参謀しか居ない。
「何故そう思う?」
クァトロナンバーズのみなこともあり、グロック准将が上官相手ではなく教え子相手をするような口調で応じた。
皆が作業を止めて司令官の考えを知ろうと耳を傾けた。
「言動に一致性が……いや、ゴタついていた方が自分たちが安全だって感じか」
上手い表現ではないが、対岸の火事といったところだと付け加えた。
「ふむ、お前はどうだ」
もう一人の教え子、アロヨ大尉にも感想を募った。
ソファで足を組んでハイネケンを傾けていたが、向き直りもせずに答える。
「紛争は金になる、軍需産業はそいつがメシの種だからな」
アメリカを筆頭に、兵器なりの売り上げが減ると大不況になってしまう国が幾つもあるのだ。
「サルミエ少佐はどう考える」
普段は尋ねることもないが、今回は試みに話を振る。
「それがアメリカとロシアの狙いでもあるからでしょう」
シリア政府の味方であるはずのロシアが出てきた。グロック准将がにやりと口元を吊り上げる。
「ほう、どんな狙いだ」
意外なところに伏兵が居たと喜ぶ、人材育成が面白くて仕方がない気持ちはずっと変わっていないようだ。
「イランの経済的排除が狙いです」
またしも想定外の国名が出て来る。島も少しばかり身を乗り出しサルミエ少佐を見た。
――イランの排除が両大国の狙いだ?
敢えて考える時間を挟んでそれぞれがどう受け止めるかを試す。
エーン大佐を別としてこれは後方担当者が共有すべき根幹となる思想の部分、じっくりと整理してやらねばと手順を練る。
「イランは経済制裁が解かれてようやく社会復帰した状態にある」
アメリカを始めとした諸外国、多国籍企業が協力し、国連安保理決議を実行していた。
金融制裁が中心で、貸付、投資、開発、研究の分野で多くが凍結され、貿易でイラン通貨の決済を認めないなど燦々たる内容が押し付けられていたものだ。
目でサルミエ少佐に先を促す。注目を集めた彼が続きを口にした。
「イランはエネルギー大国です。ここからイラク、シリア、トルコを通過しヨーロッパに供給する、そうすることで長期に安定的な経済活動が保証され、ヨーロッパ諸国の支援も受けられます」
「アメリカの狙いは」
まるで講義をしている教師のような感じがした、それもそのはず新人学校の校長をしていた時期が数年あったからだ。
「同盟国であるサウジアラビア、カタールの石油を紅海、エジプト経由でヨーロッパに供給し、イランを排除することです」
つまりアメリカ的にはシリアもトルコも泣けというわけだ。
トルコがテロ指定しているクルド政党と繋がりがある、シリア民兵に武器を供与するというのも紛争の長期化狙いを後押しする効果が見込める。
トルコがクルド人独立勢力に手を焼いていれば、まとまる話も流れるなど思うつぼだ。
「ロシアの狙いは」
アメリカが笑えばロシアが泣く、冷戦構造の継承は現実にある。
ロシアの盟友であるシリア政府、それを助けるのは頷けるがその腹の底はどうだろうか。
「仮にイラン、イラク、シリア、トルコのパイプラインが通るとしたらですが、ヨーロッパはロシアからの不安定な供給に頭を悩ませることも無くなるでしょう。ロシアのエネルギー経済はガタガタになり、深刻な低迷が見られるはずです。その為、操作可能な現シリア政権を支持し、アメリカの主導で実現しないよう画策しています」
「なるほど、地中海を通すより陸を送る方がパイプライン整備に初期投資が少なくて済むから、ヨーロッパも踏み切れないわけか」
――それは納得の背景だ、世の中そのように出来ていたか。
島が見解に大いに納得した。
ガス供給を止められたりして大騒ぎになったのはウクライナ事件があった頃だったろうか。
昨今カスピ海で更なる資源が発見され、アゼルバイジャンからの輸送ルートを兼ねるとしたら、やはりヨーロッパとしてはサウジアラビアルートよりトルコルートを取りたくなるのが理解できた。
「そういうこともあり、ドイツを始めとした諸国がガンになるイスラム国に対抗するために、イスラム戦線や自由シリア軍に支援をするわけだ」
その位知っておけと目が語っていた。
――シリア政権を承認しているクルド人勢力のシリア民主軍を支援するということは、アメリカもイスラム国相手に結構苦労しているわけだ。
ジョンソン中将が本気で参っているというのが少しだけ理解できた気がした。島がそんな感想を抱いていた時に「あんたはシリア政府をどうしたいんだ?」アロヨ大尉が相変わらずのあんた呼ばわりで尋ねる。
「そうだな、俺は別にどうなろうと構わんよ。独裁がどうのと言われているのは解るが、少なくとも少数宗教も少数民族も容認してきていたんだ、そこは認めるべきだろ」
シリア大統領が悪だというのはヨーロッパやアメリカが貼ったレッテルかも知れない。どうしてそうしたかは、先ほどの見解が答えだ。
何せ気性が穏健であり、夫人も英明なのが証明されている。
化学兵器を使用したと難癖つけたアメリカがトマホークを撃ち込んだ、前に大量破壊兵器の件でイランに因縁をつけたのと同じ香りがするのは気のせいだろうか。
「へぇ、んじゃあんたは既存のどの勢力とも被っちゃいないな」
アロヨ大尉はサラッとそんなことを言う。大方の勢力のことが頭に入っている証拠だ。
「どうかな。多くの者たちの言い分に、見るべきところは必ずあるもんさ」
イスラム過激主義、テロリストたちの行動にも一理あるかもしれない。
ねじ曲がった思想があるにしても、先人の教えを守っていこうと言う姿勢は頷ける。
「思想が違うと言う事は、それだけ味方が少ないと言う事でもある」
グロック准将が事実を指摘する。
ではそこいらに完全に意見が一致する勢力がそんなにもあるだろうかと見回してみればわかるが、そんなのはごく一部でしかない。
多くの人間がいれば、自然とその考えが違ってくる。十人十色とは言ったもので、妥協できる部分とできない部分で大枠を決めて我慢して生きているのだ。
「あんたのゆずれない部分は?」
最も重要な部分、頂点である島が一体何を信念の底に抱えているのか。
今までもそうだった、ずっと変わらない想いを再確認する。
「俺は努力をしてるやつを見捨てはしない。俺を頼るものないがしろにもしない。別に未来永劫の平和を求めているわけでもないが、せめて今この瞬間を守ってやりたいんだ」
甘やかしているわけではない。自身の力だけではどうにもならないことが世の中にはあまりにも多すぎる。
遥か彼方、後にあるスタートライン、それを少しだけ中央に寄せることができればそれだけで良いと考えていた。
「やっぱりあんたはわがままで欲張りだな」
両腕を頭の後ろで組んだアロヨ大尉が微笑を浮かべて天井を見上げる。
底辺を中央に持ってきたら新たな底辺が生まれる、すなわち終わりがないと言うことになってしまう。
いくらこなしても終わりがなく、それでいて困難が次々と待ち受けているのだ。
「すまんな、こういう生き方しか出来ないんでね」
肩を竦めて自嘲した。
「苦難が恋人とは立派になったな。ハードルを上げてやろう」
手のひらサイズの小さな四角い紙を差し出す。
「カレンダー?」
「もうすぐラマダン月だ、期間中はイスラム教徒の士気が上がる」
イスラムの教えにおける月、その間は断食を始めとした様々な信仰を強める行いがなされる。
結果、連帯が強まり自己犠牲の精神が高まるのだ。
「閣下、報告が御座います」
エーン大佐が珍しく割り込んで来る。
「なんだ」
「ラマダン月は警護を強化致します。自爆テロへの対策を鑑み、警戒範囲を拡げますのでご容赦を」
「俺の命はお前に預けている、思うようにやってくれ」
「ヤ!」
自爆テロ、まさかと思うような人物が爆弾を体に巻いて対象に近寄る。
世界中で子供が犠牲にと報告が上がる度に、腹に据えかねる怒りがこみ上げていた。
「ん、そういや小耳に挟んだんだけどな、ロジャヴァに凄腕のスナイパーが居るって」
ヤーズッカーとか言う奴だ。思い出したことをさして考えずに口にする、アロヨ大尉はその一言で何が起こるかを理解していない。
エーン大佐はまゆをピクリとさせて何かを考え始める。
「狙撃は精々千メートル前後まで、市街地でこそ脅威になる。平原では有効性は低い」
大尉の言葉を半ば否定してグロック准将が、特段対策は要らないと切り捨てる。
――俺なんて七百も当てられんよ。
下士官がノックをして部屋に入って来るとグロック准将へとメモを手渡し退室する。
「ティクリートからイラク軍が撤退しました」
すぐにまた何かが起こる、会話を中断し情報収集に集中することにした。
◇
ホテルにハラウィ中佐がやって来た。島の私室、スイートルームに一人で。
「義兄さん、シリア入国の許可が出ました」
極秘中の極秘情報をあっさりと漏らす。
「そうか、どうするつもりだ」
レバノン人の保護、どこに行っても少数だが存在しているはずで、事実上の自由行動権限を得たことになる。
シリア政府が直接支配下に置いている地は除外することになるので、ダマスカス近隣での駐屯は無い。
「マヤーディーン市を解放します」
目標都市を明示した。マヤーディーン市は世界報道でも何度か名前が出てきた地で、注目度はまあまあ高い。
連合軍の空爆も数回行われている、つまりはイスラム国が占拠している。
「ユーフラテス川とハブール川の合流点、戦略拠点か」
――ここを押さえれば北東部への足掛かりになる。
そっくりそのままクァトロへの支援にもなり、西側諸国への功績アピールにもなる。
当然イスラム国の戦力も厚めに配備されていて、一筋縄ではいかない。
「戦闘を始めればマヤーディーンの鷹も呼応する可能性があります」
以前イスラム国の幹部を襲撃し殺害に成功した武装集団だ。
その増援を期待しているわけでは無く、対イスラム国という名目で交渉が可能かも知れないと示唆しているのだ。
――いずれにせよそこは奪取する必要がある、ワリーフを支援する。
その方法については選択の余地が少ない。クァトロ戦闘団で実戦を担う、それと奇手が一つ。
「第六の編制は?」
三人の将校は陸兵と航空と言っていたが、戦力の程を知りたかった。
「戦闘装甲車一両、偵察装甲車一両、軽装甲車二両、その他、兵力百二十。SA 330 ピューマ一機、ミル-8 ヒップ一機です」
火器は軽歩兵に毛が生えた程度、機械化歩兵なだけマシだと大真面目に説明する。
「民間用で悪いが、ベル二機とMD二機をプレゼントするよ受け取ってくれ」
ヒンデンブルグに発注していたヘリが到着していた。
ベルを軍用設計したらピューマ、MDを同じく軍用設計したらカイユース、フライイングエッグの愛称でお馴染みの丸っこいヘリだ。
すでに統一塗装してあると付け加える。
「クァトロが欲する装備を引き受けるわけには――」
「お前にしか出来ないことをするために必要な物だ。今はまだ戦闘団は航空戦力を使うわけにはいかない」
正規軍が運用するならば人々も認める、そういうことだと諭すように言葉を添える。
「操縦士をもう少し揃えなければなりませんね」
肩の力を抜いて島の言葉を受け入れた。
「特殊大隊は独自の予算運用を認められていたよな」
昔と同じ制度かは解らないが、上長が認める限り可能なのは様々な軍隊、それに多くの企業で同じだ。
「一応そういうことになっています」
「レバノンの現地採用、退役軍人なら形式も整うと思わんか?」
既に考えがあると悪そうな笑みを浮かべる。
「プレトリアス郷からのですか?」
「あいつが持ってる民間軍事会社、そこにヘリパイが居る」
逆説的にモネ大尉やトリスタン大尉を所属させると種明かしした。
「歴戦の操縦士が二人も!」
軍人はそもそも平均年齢が低い、その中で二千時間も飛行経験時間があればベテランの枠に入る。
だがクァトロに参加して以来、自由に飛行可能な環境を与えられている二人、何と六千時間を超える経験を積んでいた。
「ドゥリー大尉、フィル先任上級曹長もだ。マヤーディーン攻撃では戦闘団を連携させる」
レバノン軍に二度所属し、二度除隊した経験があるスーパーサブのドゥリー大尉、こちらは特段問題はないだろう。
「有難うございます義兄上」
「重火器も供与する、民兵団を引き入れることが出来るようなら幾らでも養えるだけの補給を入れる。そこがシリアの奥地だろうと必ずだ」
孤立など絶対にさせない、断言するだけの実力と経験が島にはある。それを発揮したが最後、潜行しての動きが終わるが。
「あまりズルをするとリリアンに叱られます」
冗談を口にして場を和ませた。
「いいじゃないか、俺はレティアに叱られるのが趣味なんだがな」
実際耳が痛いことを言われるのがそれなりに嬉しかった、変な趣味であるのは否定しない。
「ユーフラテス川を輸送ルートに使えたら、クルディスタンと連絡が出来ます」
きっちりと未来が見えているようで要所を押さえてくる。
「俺達の始まりだ、仕事は楽しくやるものさ」
パズルを組み合わせるのはもう慣れたものだった。
◇
「――パリでもシャンゼリゼ通りでテロがあり、百二十人の死者を。昨今で最大の人数になっています」
サルミエ少佐が最近起こったテロ事件の報告をまとめた。
あまりにも多くの者が唐突に命を落としてしまっている。
「殆どが一般市民か、狙うなら軍だろうに……」
憎いのは異国の民間人ではなく、命令を下す為政者か現場の軍人のはずだ。
それなのに無力な市民を巻き込んでのテロ、激しい苛立ちを覚える。
「ウマル中佐、出頭致しました!」
執務室に黄色に近い褐色の肌のイエメン人がやって来た。
「うむ。早速だが中佐に聞きたいことがある」
「何なりとお尋ね下さい」
レバノンにやって来たは良いが、今のところこれといった役目を果たしていないことに、一抹の居心地の悪さを感じていたので丁度良い。
「イスラム過激派がテロをする理由はなんだと思う?」
あまりにもざっくりとした質問に一瞬面食らう。
ウマル中佐は、島中将が何を意図して尋ねているのかを慎重に見極める為に、確認を挟んでから回答することにした。
「イスラム教徒の自爆テロについてで宜しいでしょうか?」
「そうだ」
事件報告の資料を手渡されて流れを掴む、確かにこれは自分の領分だろうと納得した。
「まず誤解をして頂きたくないので特に主張させて頂きますが、イスラム教は慈悲と友愛の教義を持つ宗教です。過激派と呼ばれているイスラム教徒は、極めて一部の少数派であると捉えて頂きたく思います」
それは他の多くの宗教、それに過激派と括られている何かに共通している考えだ。
ニュース報道ではあたかも殆どのイスラム教徒があのような思想を持っているとしているが、誤報や歪曲も良いところだと抗議をする。
「そうだな、例外でも声高に叫べば世界に響くといったあたりか」
言ったもの勝ちともとれる。それについてはひとまず脇に置いて先を続ける。
「今まではスンニ派がシーア派を排除するにあたり急進派が存在していたものです。信仰により感化、教化しようとしたのが穏健派としましょう」
スンニ派は日々の慣習を大切にしようという派閥で、その指導者も適切な人物がなれば良いという考えだ。
一方でシーア派はカリフ・アリーの子孫である血筋のみが指導者となれるとの考えを持つ集団という括りになっている。
アリーの子孫が全て宗教指導者として素晴らしく卓越していたら、こうまでも分派しなかっただろうが、そこは人であったということだ。
つまり派閥で過激派が産まれたわけでは無いと疑問がある部分の一つを埋める。
「好戦的、強硬的な者が過激派である。宗派は関係ないとお考えを」
或いはそうであれと指導する者が過激派を作っている。
「そうなるな。俺だって過激派の一つってことなんだろうさ」
――武力で物事を解決したことの多いこと。
「閣下のそれは武装蜂起の類であり、決してテロリストと同義では御座いません」
エーン大佐が部屋の隅から異論を発した。
「過激派には動物愛護過激派などもありますので、本質は別です。話を戻させて頂きます。集団の指導者が左右させる、そこに最初の分岐が御座います」
ウマル中佐の考えを知りたかったので、あまり無駄なことに時間を割かずに頷く。
「イスラム世界では聖戦を発動させられる人物に条件が御座います」
聖戦、即ち宗教を守る崇高な戦い。
信徒ならば皆がこれに協力して信仰を守るために戦えというわけだ。
「何だか師とか呼ばれる偉い宗派の指導者だよな」
一般的な感覚であり、正解の一つでもある。聖戦、ジハッドの正確な意味は努力だ。
自身が信仰を護る為に努力する、それがジハッド。
外部から信仰を守る努力をするジハッドがあり、そちらばかりが有名になってしまっていた。
「宗教指導者、領主、そして軍司令官が聖戦を発動できる条件であります」
だから武装集団が軍を呼称したり、地域の指導者である領主を称したりする。
そのような意味合いがあったとは全然気づかなかった、島は納得して首を縦に振っていた。
「派閥の争いではなく、異教徒から信仰を護る為の戦いを指導します。聖都エルサレムが異教徒に占拠されている、退去をさせるためにイスラエル、そしてアメリカを攻撃します」
「確かに聖地を他人が占拠していたら許せんだろうな」
――なんだってユダヤ教までもがエルサレムなんだか。三か所にわかれていたら世界紛争の半分は消えるぞ。
詮無き感想を抱いたが口にはしない。大元が同じで年月を経て別れて行った、自然なことなのだ本来は。
「アメリカは巨大です。これを正面から打倒することは極めて非現実的です。そこで争っても良いことが無いと思わせる為に、被害を知らしめる手段を取ります」
「そいつがテロか」
どうしよもなく短絡的な思考だが、有効であるのも確かだ。
厭戦気分が高まれば、宗教戦争になど手を染めろとは言わなくなる。
話して解決するなら多くがその道を選ぶだろう。
「退路無き作戦を可とすると手は膨大になります。自爆テロが実施出来るならば、敵に多大な負担と被害が見込めるものです」
島でなくともそれはハッキリと理解できた、片道の作戦など作戦ではない。
「それでか、宗教は自殺を禁じているな」
今度はウマル中佐が頷く。
「自殺を行うことは禁じられていますが、それが異教徒との戦いジハッドであれば自爆は戦死として考えられるのです。聖戦で戦死すると殉教者は必ず天国へ行けるとコーランに記されております」
イスラム教徒にとってコーランが全てだ。そこに書かれているならば、意味など求めない。
根拠はコーランにある、それだけで良いのだから。
「自爆テロをする経緯が何と無くだが解ったよ、ウマル中佐ありがとう」
「参考になったならば嬉しく思います」
中佐は敬礼して執務室を去っていった。
――信仰を護る為にか。不信心者の極みである俺には理解しがたいが、人生を捧げる者が多数いるんだ、現実はそこにある。
目の端でエーン大佐を見る。
――あいつだって俺に何かあれば無茶をするだろうし、誰かがそれを悪だと言ってもあいつはあいつの正義を貫くしな。
宗教に妥協はない。
教えは守られなければならないし、この先神が降臨でもしなければ教えが変わることもそうそう無い。
「エーン、俺はお前が幸せな老後を過ごすのを祈ってるよ」
「自分の幸せは閣下の幸せです」
予想してはいたが、やはりな答えを即答してきた。
「もっと幅広い幸福を探しておくんだ、こいつは命令だぞ?」
「ご命令とあらば従います。ですがこの世では見つけられそうにありません」
万が一の際には死するつもりだと言外に含めて来る始末だ。
「俺には妻も子も居る。俺の幸せは彼女らが健やかに暮らせることだよ」
「肝に銘じておきます」
殉死だけは思いとどまるように、今できる予防をしておくのが精一杯だった。
◇
「ボス、緊急報告です」
「どうした」
午後の執務を終えて後、コーヒーブレイクをしているところへサルミエ少佐が速報を携えて戻って来る。
「アメリカ軍のヘリがエンジントラブルでグリジスへ不時着しました」
シリア首都ダマスカスと、ヨルダン首都アンマンの中間地点だと大まかな場所を捕捉する。
そこはシリア領内であり、米軍は直接踏み入れることが出来ない。
「詳細を」
「アレッポへの攻撃任務で対空射撃を受け、帰路に急激に高度を喪いヨルダン領内まで飛行できず不時着したようです。領内まであと二十キロで飛行を諦め大破着陸、救難信号が発せられたことで搭乗員の生存確率が高いです」
とは言えあのあたりは武装勢力の巣窟で、そのすぐ北はアメリカと仲が悪くなっているシリア政府軍が配備されている。
国境付近はやはり正規軍の国境警備師団が警戒しているのでおいそれと越境も出来ない。
シリア東部へまわり砂漠地帯を越えるならば何とかなるだろうが。
「ベイルートに居るクァトロに招集を掛けろ」
「ウィ モン・コマンダンテ!」
郷へ戻って民間軍事会社の指揮を執っていたトゥヴェー特務曹長を除いた全員が三十分とかからずに執務室に集まる。
「閣下、グロック准将他八名参りました」
ハウプトマン大佐、エーン大佐、ヌル少佐、サルミエ少佐、アロヨ大尉、サイード中尉、リンゼイ中尉、アサド先任上級曹長が序列に従い眼前に並んだ。
「先ほど米軍の攻撃ヘリがシリア南西部グリジスに不時着した。搭乗員四名は生存の可能性が大。クルーチーフはゴールドバーグ少佐、周辺は武装勢力が多数だ。俺達でいち早く救出を行うぞ!」
既に決断はなされた、ならば皆が司令官の判断をいかに速やかに実行するかに全てを注ぐ。
「畏まりました。ハウプトマン大佐、シリア国内の動向調査を行え。アロヨ大尉を補佐に使うんだ」
「ダコール セクレタリジェネラル!」
島に代わりグロック准将が矢継ぎ早に命令を下す。
「エーン大佐、四十八人の下士官兵と装備を揃えろ」
「ヤ」
「サルミエ少佐、アメリカ軍との連絡を密に行え」
「イエッサー」
「ヌル少佐、現地での作戦指揮を命じる。サイード中尉、リンゼイ中尉、アサド先任上級曹長を連れていけ」
「アンダスタン。諸君、時間は貴重だ、直ぐに準備を」
ヌルは今や中堅将校、常に双肩に負った責任を果たさねばならなかった。
各自が己の職務を全うするために動き始める。島もデスクに向かい一呼吸置くと受話器を手にした。
一度、二度コールする。
「私だ」
「義父上、またご迷惑をお掛けすることになります」
「米軍のヘリだな。国境警備師団長には話を通しておく、いつでも好きな時に通過するんだ」
「申し訳御座いません」
「お前がやりたいようにやるんだ、私はそれを支える。ダマスカスの駐在武官からだが、首都の特務部隊に招集が掛けられているそうだ」
「こちらは現場まで百キロ、あちらは六十キロ、出撃までの時間を短縮して間に合わせます」
「経路を示せば警察に交通規制を掛けさせる」
「有り難うございます。必ずやり遂げてみせます」
「国内のことは任せるんだ」
電話を終えてその言葉の続きをきっちりを想像する。
――ワリーフのことを頼む、だろうな。言われずとも絶対に喪いはしない。
席を立つと仮設通信室へと居場所を変える。
島の入室に気づいた通信兵が立ち上がり敬礼した。
「仕事に集中してくれ」
司令官席に腰かけると、サイドテーブルに置いてあるコムタックを頭にのせた。
部屋にグロック准将もやって来る、そこに必要との意味だろう。彼もまたコムタックをつけていた。
「こんなこと前にもあったな」
「幾つもある普通の事件です、焦る必要は御座いません」
兵が居るので決して崩した態度を取らずに島の右隣を占める。
複数のディスプレイには何かしらの映像が映し出されていた。
「シリア南西部は自由シリア軍、シリア民主軍、イスラム戦線の競合地域だったな」
点が散在している、どこが誰の勢力地なのかは当人らにしか解らず、集落一つから別の支配者というのが当たり前になっていた。
隣人が敵か味方か不明、一旦陽が落ちれば最早安全地帯は自宅の地下以外に見当たらない程に。
「一つ確かなことは、どの勢力であれ米兵を捕虜にしたら大問題ということです」
米国はシリアに直接介入してはいけない、その禁を犯すとアフガニスタンの二の舞になる。
一人の戦死者も出してはならず、捕虜も認められない。
今頃アメリカ議会は大論争の最中だろう。墜落したヘリに向けてトマホークを撃ち込む案でも出ているかも知れない。
「……装備の充足は」
「エーン大佐の報告では戦闘団用の戦闘装甲車や装甲偵察車、装甲兵員輸送車が稼働可能とのことです」
何とかルワンダから輸送してこられたようで、再武装も完了していたそうだ。
武装させたまま持ち込むわけにはいかず、色々苦労していたようで報告を急かさなかったので島も今まで知らなかった。
「兵は上手い事選ぶな。アメリカ軍の意向は」
「少佐が全面的な協力を約束させました」
やや不穏な言い回しには敢えて気づかないようにして何が出来るかを考える。
――ヨルダン国境に張り付いて貰うのは良いとして、医者もドクターヘリと一緒にか。ある程度国境線にいけば、いつものように誤爆でシリア正規軍でも攻撃するんだろうな。
今までも何度か誤爆で政府軍に死者を出している。今回も武装勢力が多数居る地域なので誤認する努力を怠らないに違いない。
「レバノン国内の移動経路をLAFに報せるんだ、警察の交通規制が入る」
「ダコール」
国境警備もフリーパスだと教えておく。あとは現地入りしてみないとどうにも解らない。
「閣下、こちらヌル少佐、準備完了しました」
コムタックに報告が流れて来る、島が装着していることなど知るはずも無いのにだ。
「俺だ、直ぐに移動を始めろ。状況は逐次報せる」
「イエス マイロード」
発信をオフにしたままグロック准将が島にだけ聞こえる小さな声で「あれもようやく自分の道を見つけたか」満足の一言を漏らした。
――俺としてはもっと気楽な道を選んでもらった方が良いが、そのうち目が覚めるだろうさ。
島がすべきことは概ねここまでだ。方針を決め、自身にしか出来ない手配をし、始めの命令を与える。後は部下がどこまで行えるか。
マイクの電源を入れてグロック准将が指揮を執る。
「ヌル少佐、公道30号を進みマスナア市で南に折れレイチェイヤ通りを行け。ダル=エル=アルマー市で東へ曲がり山道を抜ければシリアへ出る」
「イエス お言葉の通りに」
「貴官の健闘に期待する」
やり取りはそれだけ、現場の指揮官が混乱を切り抜けられれば、結果の処理など幾らでも引き受けることが出来る。
――準備不足でどこまで出来るか、ヌルの実力を確かめる機会でもあるな。
「閣下、シリア政府軍が首都より特務部隊を発しました。指令強度はS、国内最優先行動権限を保持しています」
通信が舞い込んでくる。ハウプトマン大佐は別室で情報収集の真っ最中で、速報の形で概要を伝えてきた。
「これ便利な道具だよな。情報屋が居るんだ、一万ドルで奴らの装備から隊長の愛人の名前までゲロってくれたぜ」
コムタックを指ではじきながらアロヨ大尉がより実務的な部分で情報の厚みを積んでくる、どうしてやることが早い。
クァトロナンバーズチャットを使っているので相変わらずの態度だ。
「ボス、偵察衛星で件の部隊を追跡します。ヌル部隊との目標までの時間的相対距離で五分先んじています」
出発地点が近い分有利で、国内移動もやはり有利。アクセルを踏み込めば解決する差ではない。
――こちらを急がせることが出来ない以上、あちらを遅くさせるしか無いな。
映し出されている地図を睨む。間違いなく公道7号を一直線進むだろう。
ヘリでも乗り入れて直接攻撃出来たらどれだけ良いか。なるほどアメリカ軍の気持ちが少しだけ理解出来てしまう。
「トゥヴェー特務曹長です。ダマスカスに入れてある連絡員を郊外に待機させてあります、交通事故を装い高速道路と公道7号高架道路手前で自動車を炎上させます」
驚きの報告から数分、画面上に赤いポイントが発生する。
「米軍より入電、特務部隊が公道を迂回中。時間差が逆転してヌル部隊が先着出来る見込みです」
「トゥヴェーよくやった、連絡員が不利を被らないようケアをするんだ。全責任は俺が引き受ける」
「ヤ!」
ここぞというときに動かせる手駒があったこと、それに躊躇せずに行動させたこと、島が常日頃各自に判断をさせていた結果が報われた瞬間だ。
だが一難去ってまた一難、シリア国境ギリギリに駐屯していたシリア社会民族党民兵が不時着現場に向かっているのが確認されたと一報が入る。
シリア民族の為の活動を錦の旗にしている地域集団で、外国の介入に反対し、イスラム国の活動にも反対し、イスラムの教えを守りたい集団。
シリア政府を認めていて、国境のシリア軍との関係は良好、地域との関係も良い民兵団だ。
ここでアメリカ軍兵を捕虜に出来れば、かなりの見返りがあるだろうと飛び出したのが伺える。
「アメリカ軍より連絡、搭乗員のうち一名が重傷、速やかな治療が求められています」
事態が切迫していることをクァトロナンバーズが認識する。
焦ってはいけない、かといって無視も出来ない。
――ここで一手が欲しい。俺が泥を被ればそれで済む、強硬策でも構わん!
椅子のひじ掛けに乗せている手に力が入る。拳を握りしめるのをグロック准将が見逃さなかった。
「まだ潜伏を解くのは早すぎます」
冷静な一言、参謀長として嫌でも助言をする。どれだけ一緒になって無茶を通せば気持ちが良いか。
「解っている」
青のポイントが徐々に緑のポイント――ヘリ搭乗員に近づく。赤のポイントも同じようにだ。南からは橙色が緑に近づいていた。
「ヌル少佐より司令部、アメリカ軍に目標地点の二十キロ四方の座標計算を要請して頂きたく思います」
「俺だ、サルミエ少佐要請しろ。以後通信を経由処理するんだ」
「サーイエスサー」
十秒かそこらで了解の返答があり、それから更に二十秒で準備完了の報告がなされる。
「ハンドディスプレイに表示させるので、確認を」
通信兵がおかれているハンドディスプレイを島に差し出す。
そこにはマス目が引かれた地図が映っていて、ご丁寧に相対距離までリアルタイムで示されていた。
橙色のポイントがまず最初にそのマス目に侵入した、この分では最初に到達するのはきっと民兵団になる。
遅れて入った青のポイントが二つに分かれる、一つはそのまま緑に向かい動き続けもう一つは止まった。
二十秒程すると橙色の動きがおかしくなる、急にぶれ始めて速度が鈍る。
「二点の相対距離一万、戦闘装甲車に搭載している榴弾での砲撃でしょう」
グロック准将が看破する、停車して最大射程で牽制を行えば当たらずとも進路の妨害は可能だとの判断だった。
「そうか」
――すると停車しているのはリンゼイ中尉の隊だな、ヌルが連れて来たやつが最高の場面で存在を示したわけだ。有るもの勝負は戦場の鉄則、よくやったと褒めてやりたい。
このままいけば青のポイントが最初に接触できる見込みになったが、敵中に孤立している事実にさほど変わりは無い。
下手に詳細が目に、耳に入るものだから心が揺さぶられる。
ついにポイントが重なり停止する。直後にリンゼイ中尉のものらしきポイントが移動を再開した。
「各位司令部に報告を上げろ」
グロック准将が一旦情報の統合を図る意味合いで命令を下す。
本来スタッフであるはずの参謀長だが、クァトロではきっちりと命令権限を与えられていた。
機関を優先させるスタイル、グロック准将は第七司令部としてクァトロ司令部の直下に連なっている。
命令を出しているのは島が指揮するクァトロ司令部、権限を代理してる形だ。
「シリア軍総司令部より国境線の警備強化が発令されております」
「ヨルダン北部に病院部隊が待機、空軍機が滞空中」
「搭乗員と合流致しました。APCに乗車完了、応急処置を始めます」
「民兵団が墜落ヘリの情報をオールレンジで発信してるってよ、誰でもいいから仕留めろってわけだな」
ゴールまでは二十キロちょっとだ。グリジスから公道を行くことが出来ればわずか二十分足らずでヨルダンに逃げ込める。
――未確認の土地だ、目見当で走らせるわけにはいかんぞ!
ヌル少佐は今必死に部隊を生還させようと現場で指揮を執っている、これを支援するのが司令部の役割だ。
「サルミエ少佐、主幹公道ではなく地方公道を行かせろ、衛星の目を使いナビをするんだ」
「ウィ コマンダンテ」
「ハウプトマン大佐、国境警備師団に攪乱情報を与え、わずかでも良いから隙を作らせろ」
「ダコール」
青のポイントが南東へ向けて移動を始める、ディスプレイ上では解るが南西へ行った方が距離は短い。
主幹公道が南東に伸びているのでそれに沿った形で動いていたが、司令部よりの誘導で南西へ修正される。
「シリア軍が射程に入ります」
グロック准将が目を細めて攻撃が始まると告知した。まずは威嚇程度に機関銃を放ってくるだろう。
「政府軍と交戦を始めます。サイード中尉、後衛についてください」
相互の距離を取って本部を離脱させる。敵を加速させないために牽制で先頭の車両を上手く押さえているようで現状維持がしばらく続く。
――サイードのやつ、中々防戦が板についているじゃなか!
司令部護衛部隊の指揮官としていつも手元に置いていたが、その適性を証明した。
追跡して来る政府軍の機動部隊を、更に後方からリンゼイ中尉の装甲戦闘車が攻撃し始める。
――あと十キロ、問題は国境警備師団だな!
特務部隊と連携をとって壁を作られたら最後、少数では決して突破など出来ない。
民兵団の一部が軍旗を翻して混戦の輪に加わる。この戦いでは政府軍に味方し、アメリカ軍兵を助ける不明の勢力を共に攻撃した。
機銃の通常弾ならば距離さえあれば装甲が防いでくれた、その距離が詰まりつつある。
先頭を行くヌル少佐の部隊が遠くに検問を見たからだ。
「ハウプトマン大佐!」
「申し訳御座いません、集合を遅らせるので精一杯です」
多方の越境を警戒すべきとの情報を挿し、各方面より兵力を集中するのを差し止められたのは大きい。だがそれでは足りない。
「サルミエ少佐」
「一歩でも国境を越えれば確実に保護することが可能ですが、それ以上は出来ません」
解ってはいたがそれがアメリカが国として定めた限界だった。
「グロック准将」
傍に立っている参謀長の顔を見る。返答をせずに何かを思考しているのが伺えた。
「一度しか使えない手、それを米軍兵の救出の段階で実行しますか?」
詳細を語らず、時間も無く差し迫った中で判断を仰ぐ。
スペシャルがあるのは解った、使わなくても切り抜けられる可能性はある、現場の頑張り次第で。
――多くを口にしないのは方々に迷惑が掛かるからだ、それを今使わせて良いか。
指揮官は判断をするのが役目だ、いかに情報が少なく材料が見当たらずとも。
――俺は……自分を信じて仲間を信じる、そう誓った!
こんなところで諦めている場合ではない。
「ヌル少佐、西へ変針しろ」
「イエス マイロード」
態度でグロック准将に提案の却下を示す。
「サルミエ少佐、イスラエルとの国境付近、米軍にイスラエル側の配備状況を調査させろ」
「アンダスタン」
何をさせようとしているのか、司令部は入って来る通信以外の音が無くなる程の緊張で静まり返る。
ハンドディスプレイに詳細の配備状況が映し出された。
「ハウプトマン大佐、シリア軍にシオニストの攻撃だと報せてやれ」
「ヤー」
ここにきてようやく島の画策している内容を理解する。三国国境線付近だ、後は受け止め方次第。
「ヌル少佐、イスラエル軍へ砲撃だ、ただし当てるなよ」
「ご命令とあらば必ずや」
移動しながらの砲撃、困難が予測される。それも地方の道路を走行しながらの不利な修正付で。
複雑な計算を脳内で処理、機を見て命令を下す。
「……ナウ シュート!」
合図で事前に設定されていた射角で射撃、弧を描いて砲弾がイスラエル領内へと着弾する。
その直後、通信量が爆発的に増加した。
――さあ食いつけ!
イスラエル軍がどのような警戒体制を敷いているのかは島も知らない。だがシリアから砲撃を受けて黙っているような国ではないだろう。
わずか数分だ。たったのそれだけで国境付近の砲兵陣地から報復の砲撃が行われた。
立て続けに威嚇の砲弾が無人の荒野に投げ込まれ、地震とも感じられるような揺れを発生させる。
政府の特務部隊は追撃の足を鈍らせると、ついにはハンドルを切って国境から遠ざかって行った。
だが今度は別の問題が発生する。イスラエル軍の警備師団だ、やってくる装甲部隊に向かい停車するよう命令した。
ディスプレイ上の青いポイントが完全に停止する。
「サルミエ、米軍に状況報告を」
「既に通知しています」
通信妨害をされているようで、司令部では何が起きているのか把握できない。解るのはアメリカの偵察衛星からの現在位置情報のみ。
五分、十分と経過するが情報が更新されない。
各自がしきりに様々な部署と交信しているが杳として結果が判明しなかった。
――拘束されたかも知れんな。
それでもシリア軍に捕まるよりはマシだろうと交渉ルートの想定をする。
「こちらヌル少佐、国境を越えました」
「詳細を」
不意の報告にグロック准将が即座に応じて教え子の言葉を待つ。
「イスラエル領内に侵入と共に全員が拘束されました。その後、テルアビブよりアメリカ大使館の武官と国務省職員がヘリで駆け付け、軍管区司令官と交渉、全員の解放と国外退去の線で話をつけました。これよりヨルダンへと出国致します」
そうは言っても数分車を走らせたらヨルダン側国境を抜ける、つまりは作戦成功だ。
「ヨルダン入国後に報告をしろ」
司令部にほっとした空気が流れる、それほどの一大事だったというのは後に皆が知ることとなった。
◇
ヨルダンに入国したヌル少佐の一行、駐屯していたアメリカ軍数百名が大歓迎を示した。
「ゴールドバーグ少佐以下四名、ヌル少佐等に最大の敬意を表します!」
どこの軍なのか一切を語らない多国籍の顔つき、そんな事は全く気にせずに敬礼して感謝を伝える。
正体を隠す必要があるヌル少佐ではあったが、ジョンソン中将が手を回してテルアビブの人員を動かした手前、アメリカ軍には正直に明かした。
「クァトロ所属ヌル少佐です。ご無事ならそれだけで結構、私は行かせて頂きます」
とは言っても装甲車を抱えて空を飛ぶわけにも行かないのでレバノンにはすぐ戻れない。
シリアのどこかを通るしかなく、それは追ってグロック准将から指示がある。
「待ちたまえ、当駐屯地司令の海兵隊クックフォード中佐だ。何者かは知らないが、一晩歓待させてもらいたい」
仲間を救ってくれたお礼をしたいと司令が申し出てくれる。
「中佐殿、お気持ちだけ有り難く頂きます。自分はボスの元へ最短で帰還する責任が御座いますので、申し訳御座いません」
丁寧にだが提案を直ぐに断ってしまう。面白くない奴だと思われてもこれでは仕方がない。
「急ぐ気持ちも解らないでもないが、折角だから少しくらい。補給は提供する、もし長距離移動ならば必要だろう?」
どこで補給できるか解らない以上ここでそうしてくれるならば受け入れるべきだとヌル少佐も判断した。
「有難う御座います。お言葉に甘えて補給を受けさせて頂きます、お代はお支払いしますので請求をお願いします」
にこやかに、だが心底真面目にそう応じる。それがイギリス紳士のたしなみだとでも言うように。
「いや流石に請求はしないよ。しかしクァトロなんて聞いたことないが、どこの軍?」
作業を命じたヌル少佐はクックフォード中佐と肩を並べて歩き、テントへと入る。
「我々クァトロは私兵なのです」
真っ黒の軍服を着てはいるが見たところイスラム教徒ではなさそうで、シリアの民兵という顔付でもない。
「サウジあたりに居る王子様の私兵とか?」
ちょっと想像出来ないなと首を傾げる。相手の素性を詮索するのはご法度かも知れないが、ヌル少佐が返事をするのでやり取りを続けた。
「我が主君はクァトロのイーリヤ中将です。軍の外へはどうぞお漏らしにならないようお願いいたします」
そう言っておけば絶対に口外しない、それが将校というものだ。少なくともヌル少佐はそう信じていた。
「ほぅ、主君と来たか。イーリヤと言えば昔に某地で作戦した時の主任参謀がイーリヤ中佐だった。その副長のロマノフスキー大尉というのが凄腕の指揮官でね、俺じゃ一生掛かってもたどり着けないよ」
現場の指揮官としてあれ程最適な人物も以来出会って居ないと懐かしむと同時に海兵隊将校の質に不満があるのを愚痴る。
「おや、アルジェリアでのお話ですか」
「なに、どうして知っている?」
クックフォード中佐が急に警戒を強めた。
「自分はチュニスで作戦しておりましたので。ロマノフスキー准将は確かに凄腕と呼ばれて然るべきお方です」
「なに、准将だって? するとイーリヤ中将というのも?」
「あのお方はクァトロの生ける伝説です。生涯を懸けて忠誠を捧げるに相応しい」
あれから七年しか経っていないので激しく計算が合わない、だが名前を聞いてアルジェリアが出てきた以上過去を知っていると認めるしかない。
「済まない少佐、少し眼前で失礼するよ」
無線を手にして中東の司令部と連絡を取る、何度かやり取りをして通信を切った。
数秒の間言葉が出ずに机を見詰めてしまう、ようやくヌル少佐に向き直るとその瞳を覗き込んだ。
「ヌル少佐、閣下からの指示がある」
「はい、なんでしょうか」
どこの閣下なのか何と無くだが想像できた、だからと多くは語らない。
「補給と治療が終わり次第、我が海兵隊が地中海艦隊まで部隊を空輸する。そこから貴官があるべき場所へ戻ると良い」
「そのお話を拒否するのは失礼にあたるでしょうね。謹んでお願い致します」
これはアメリカ軍がクァトロに対して申し出てきたことであって、ゴールドバーグ少佐を助けたどこかの部隊への提案ではないと受け入れた。
「広い世界で邂逅出来た奇跡、神に感謝を」
胸の前で十字を切る。
「自分の信じる神はたった一人なので、我が主君に感謝を」
妙な言動ではあるが、きっと真実そう信じているのだろうことがクックフォード中佐には感じ取れた。




