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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第十五部 第百二十五章 終わらぬ旅路


 ンタカンダ大将がハーグに身柄を送られた。送り届けたのはウガンダで、ルワンダは現在CPI――国際刑事裁判所に加盟申請中なので代わりにそうしている。


 カガメ大統領の申し出をムセベニ大統領は二つ返事で請け負ってくれた。


 コンゴ民主共和国が興味深々で経緯を見守っている。


 ルワンダの治安は一時期最低ラインを割ったかのように見えたが、反政府派の一斉摘発により組織だった抵抗が減り最近は安定へ傾いてきていた。


 居なくなって解ったが、かなりの部分でンタカンダ大将が糸をひいていたようで、警察や軍の取締情報が漏れることが減っていた。


 首都警察副署長にニャンザ警視長が抜擢されると、内部の綱紀粛正が一気に進んだのも原因している。


 あまり仲が良くない軍と警察だが、軍総司令官ブニェニェジ中将との関係は良好だ。


 理由を知っている人物は少なくないが、ニャンザの後ろに居るのがルワンダ救国の士、イーリヤ中将だからに他ならない。


 アフリカの巨人、ニカラグアの英雄……今や二つ名を幾つも持っているという状態に本人は苦笑している。


 フォートスターは市域を拡大し続け、東部州で最大の規模になる。発展度合いは別の話として、難民を際限なく受け入れているうちに人口が十万人を超えた。


 桁違いのキガリは別だが、ギセニやギタラマを抜いて国内第二位の大都市ということになる。


 狭い国土ではあるが、その中でも辺境は存在している。それが軍政指定都市フォートスターだ。


 市長は存在している、市民が選挙によって選出する民主的な方法で。


 だが市長の上に軍管区司令官が置かれており、命令権限を合法的に握っていた。大統領令による根拠であり、永続的なものではない。


 ところが今までのところ出された命令はたった一つ「市長の裁量で適宜行政事務を行え」これだけだった。


 ルワンダ軍の将軍として正式に任官しているイーリヤ中将、彼の独立将軍府は一切他軍との訓練や人材交流を行わずに閉じこもっている。


 あたかも自治領が出現したかのような扱いで、行政権、警察権、徴税権、対人権、防衛権が与えられていた。


 無いのは外交権位なもので、国際連合難民高等弁務官事務所の第三国定住プログラムでリストアップされている難民を物凄い勢いで承認している。


 そうなれば当然玉石混交でならず者もやって来る。厳しい締め付けがあれば市民も嫌気するだろうが、今の今まで生きるための場所すら与えられなかった者達は、支配者に感謝こそしても批判的感情を持たなかった。


 この一時の幸せを壊そうとするならず者が現れると、即座に自警団に通報する。


 もしそれで対応出来なければ、数少ない市警へと報告が上がる。武装供与を受けている警察官が鎮圧に出れば大抵は解決した。


 一度だけテロリストの支援を受けた集団が偽装難民としてやって来たことがある。


 市警では対抗不能と判断し、クァトロへと治安維持要請がなされた。


 するとどうだろうか、その要請から僅か三時間で偽装難民は殲滅。クァトロ戦闘団は粛々と要塞へと引き上げていった。


 以来、これといった襲撃も無く今に至っている。


 最も平和な都市は、最も武力が高い軍が支配していた。その軍を指揮している人物は、私利私欲が少ないという奇跡があり成り立っている。


 暦の上での冬も終わり、兵らの傷が癒え、束の間の休息も終わりを迎えようとしていた。



「ボス、これが活動資料です」


 サルミエ少佐が椅子に腰かけている島中将へと報告書を手渡す。


 電子記録が当たり前の昨今ではあるが、島が好んで紙を使っている為印刷していた。


「おう」

 ――まだ十年と経たずにか、どこで転機があったんだ。


 まずは資料に目を通す。サルミエ少佐はその間デスクの前に立って無言で姿勢を正している。


 島が中将に昇進した時に、副官であるサルミエも昇進した。二十七歳。アメリカの軍制ならば三十三歳あたりで最速という話だが、私軍に於いてはその限りではない。


 この手の異常は島が階級を駆け上ってしまっているので、最早誰も驚きもしないわけだが。


 その三十代中将が真面目な顔で文字を目で追っている。


 どこかの産まれながらの将軍様や、専制君主国家のご子息様でもなければ考えられない地位。


 目の前に生きる伝説が居ることに慣れてはいけないと、自らを律して職務に臨んでいた。


「シリア情勢は複雑怪奇だ。根があまりにも深い」


 味方と言っても様々な種類が居て、Aとの戦いでは味方だが、Bとならば敵になる。


 条件を守れば協力するが、過失であろうとそれが達成されなければ即座に敵対するなど、非常にシビアだ。


「一番大きな部分はやはりアメリカとロシアの推す勢力が違うことでしょう。同じにしないといいますか」


 冷戦の彼方よりの発想が今の今まで繋がっている。


 表面化させないだけで、支援国同士で争うような状態の戦地も見え隠れしていた。


「政府に民族、宗教に地域、そこにきて大国のご意見か。レバノンの混乱とどっこい俺には解決の糸口が見えん」

 ――とは言えジョンソン中将が苦労している、無視は出来んぞ。


 今まで多大な支援をしてくれてきている盟友、ジョンソン中将の現在の赴任先は中東。


 フォートスター司令官室の壁に貼ってある世界地図、地中海の東に在るトルコ、シリア、イラクが話題の中心部分にあたる。


「イスラム国の活動範囲は広大です。最早一つの国と言えるほどの広さになっています」


 支配地域内の住民は概算で八百万人。どこまでが支持者かは流石に不明だが、そこに暮らす以上は表面的にでも協力しなければひどい目にあってしまう。


「ふむ。イラク、バグダットでのザルカウィ師の爆死以降か。イラクのイスラム国の宣言、バグダディ師の指導者就任、各国テロ組織が支持を表明か」


 数年の間、かなりの数のテロが発生し、世界中で警戒が呼びかけられた。


 イラクから北西へと活動地域の中心が移動し、組織名もイラク・レバントのイスラム国になり、ついにはカリフ制を目指すイスラム国と包括的な名称になった。


「ナイジェリアのボコ・ハラム、フィリピンのアブ・サヤフ、パキスタン・ターリバーン運動、エジプトのエルサレム支援者、リビアのイスラム青年シューラー会議、東トルキスタンイスラム運動、ヨルダンのタウヒードの息子たち、レバノンでは自由スンニのパールベック大隊、インドネシアのファクシ、あまりにも多くの組織が忠誠を誓っております」


 シリア、イラクのあたりのものは割愛してもこれだけの同調者がいるのだ。


 特にエジプトではイスラム国シナイ州、リビアではイスラム国キレナイカ州と組織名を変更して、完全に染まっている。


 これらの名称は、かつてのイスラム世界での呼び名を復活させたもので、現代の国や地域の呼び方よりはるかに長い間使われていたものだ。


「これがインターネットを使ったプロパガンダってやつか、情報戦が身近にあるわけだ」


 少し前は誰でも情報を取り出すことが出来たが、今は誰でも発信することまで出来るようになった。


 ラジオの海賊放送をするなど必要がなくなっている。誰もがどこにいてもリアルタイムで情報に触れることが出来る世界に変わった。


 何の皮肉か、原理主義者がその主義を通す為に最先端技術を活用して勢力を伸長している。


「アフリカはマグレブとボコハラム、今のところ他には活動が見えません」


 同様にアジアやアメリカ大陸の勢力も少ない。やはり主軸はオスマン帝国があったあたりなのだ。


 ――枝葉の組織を潰したところで解決にならんだろうな。師を排除しても次席が繰り上がるだけではどうだ。


 個人の組織であるクァトロ、もし島が死ねば解散の憂き目にあうだろう。


 それとは違い、成熟した組織というのは個人が無くとも繋がるものだ。


 ではどうするか、その主義思想を砕くか分割して叶えることで規模を縮小するしかない。


 ――穏健派が降りればかなり弱まるが、宗教戦争に譲歩は無い。ならば民族や地域に譲歩させるしかないだろうな。


 近年起きたテロを時系列に並べてある資料に目をやる。


 どれもこれも日常の中の出来事で、普通に暮らしていても突如巻き込まれるようなものだった。


 ――ひどいな、少女の体に爆弾を巻き付けて群衆に飛び込ませる。これが崇高な行為だと言い聞かせてだ。


 ニュースで聞いてはいたがこうやって事実を抜き出して詳細を集められると怒りがわき起こって来る。


 心を落ち着かせてイスラム国の構成員の種別を確かめる。


「当初戦闘員の多くはチュニジア人か」


「四人に一人がチュニジア、次いでサウジアラビア、モロッコ、ロシア、フランスと続きます。昨今はシリア人がかなり流入しているようです」


 現地ゆえに参加しやすい、そして現地ゆえに強制徴兵されやすいのだろう。


「何も皆が戦う為に参加してるわけじゃないだろう」


 多角的な視野で物事を捉えてみようと努力する。


 構成員には当然イスラムの修道者だっていれば、生活基盤を支える職人、政治家や様々な人材が居る。


 その中から代表として兵士になっているのも混ざっているはずだ。


「イスラム主義に染まったものだけではなく、冒険心に駆られてというのもいるでしょう」


 島の言葉に同調し、他にも給与に惹かれた者などもと追加した。


「少数だろうが、在地の弱者を救済するために志願したり、正義感を確信したようなのもな」

 ――奴らの善が俺達の善であれば戦争など起きん。


 資料をデスクに置いて目を閉じる。皆にそれぞれの事情がある、それは一つの真実であるが、人の数だけの事実と現実が絡み合っているのだ。


 ――イスラムの教えに詳しい参謀が必要だ。信頼出来る者で、戦闘地域に在って耐えうる者が。


 司令部要員の増強はそれだけではない。


 ――駐シリアロシア軍が居るな。フメイミム空軍基地との連絡を出来る人材が欲しい。シリア政府やイラク軍とのパイプもか。


 考えれば考える程パーツの不足に頭が痛くなってくる。


「無い物ねだりをしても仕方ない。サルミエ、連絡を取って欲しい先がある」


「ウィ モン・ジェネラル」


 最大の問題が一つある。島自身がどうするか、国際指名手配は未だ消えていないのだ。



 ノックもせずに部屋に勝手に入って来る者が居た。特段気を悪くもせずに島もそれを受け入れる。


「よぉ」


 真っ赤なインナーに黒のジャケットを羽織った女性、扉の傍、壁に背を預けて腕を組む。


「今度は何をするつもりなんだい」


 挨拶もそこそこに人を凍り付かせるような冷たい視線を突き刺してくる。


 姿こそ見せないものの、外にはゴメスが控えているに違いない。


「別に、俺の日常だよ。平和をゆっくり味わえないのは性分だ」


 怖じることも卑屈になることもなく、決めたことだと言外に含む。


「お前はもう充分過ぎる程に働いた、違うか」


 レティシアの言っていることも理解できたが、これといった返答をせずに島は彼女を見詰める。


 妻が心配している、それは事実であり危険に足を踏み入れる理由など彼女にとってみれば些細なことだった。


「ブラヴァでお前が危機に陥った時、一握りの者以外は全員が裏切った。そんな奴らの為にどうして動こうとする」


 ソマリアで虜囚となった際に力を貸してくれたのは、クァトロの仲間とマルカのシャティガドゥド、そしてルワンダのカガメだ。


 二度も国を救われたニカラグアは手を貸そうとはせず、レバノンも大統領選挙があったせいで動きをみせなかった。アメリカも然り。


「イスラム国だか何だか知らんが、お前が手を貸してやる必要なんてこれっぽちも無い!」


 目を細めて半ば脅迫とも取れそうな剣幕で声を荒げる。


 島は目を閉じて一呼吸挟む。


 ――レティアを悲しませるようなことはしたくはないな。


 ゆっくりとした動作で立ち上がり傍へと歩む。視線を逸らさずじっと見つめて。


「いつでも、どんな状況でも常に俺を支えてくれた。俺はレティアに感謝している」


 背丈の違いからやや見下ろすような形ではあるが、背筋を伸ばしたまま続ける。


「これまでそうであったように、きっとこれからもそうだろうと信じている。見捨てられても文句は言えんがね」


 レティシアの肩に手をやり抱き寄せる。


「誰かに頼まれたわけじゃない、これは俺がやりたいからやる、それだけだ。欲しいものは手に入れたし、もう何も要らない。だが――手放したくもないんだ」

 

 そう言うと抱きしめる腕に力を込めた。


 ロサ=マリアの写真が入っているロケットが島の軍服のボタンに触れて金属音をたてる。


「あまりにも大切なものが増え過ぎた、けれども一つも喪いたくない。どれだけ世間から後ろ指さされようと、守りたいんだ全てを」


 暫く続く沈黙、そしてレティシアが身をよじる。


「お前が――決めたらてこでも動かないような頑固者だってのは知ってる」


 見上げるとすぐ傍で真剣な眼差しで瞳を覗き込んできていた。


「きっと死ぬまで変わらないよ」


 微笑みながら、変わったら俺じゃないしなと呟いてやる。


「許してやる。けど条件がある――」


「飲むよ」


 内容を聞く前、喋っている最中に快諾してしまう。一度信じたら全てを委ねる、それもまた変わらない姿勢だ。


「ふん、聞き分けが良いのか悪いのかはっきりしとけ」


「俺はレティアに叱られるのが好きなんだよ」


 表情を崩すと互いの背に腕を回して口づけを交わす。レティシアが島の胸に顔をうずめると「男は馬鹿だ」小さく毒づく。


 どのくらいだろうか、二人はずっと抱き合っていた。



 過去情報の資料で溺れそうになるくらい沢山の書類に囲まれて各種の報告を受ける。


「しかし意外だったな、レティアがサルミエを連れて行くとは」


 副官の位置にはエーン大佐が立って補佐している。どちらかと言えば彼が居る方が長かったような気はするが。


「奥方はほぼ正しい人選をしました、自分はそう考えます」


 結婚して以来、エーンはレティシアを奥方と呼び忠誠を捧げている。島とレティシア、そしてもう一人が彼の忠誠対象だ。


 ロサ=マリア、二人の娘もまた命を捧げて守ることになんら疑いが無い。


 ブッフバルト夫人――クリスティーヌ・オッフェンバッハ・ブッフバルト、彼女が母親に代わりロサ=マリアの面倒を見てくれている。


 世界広しと言えどもあのレティシアが頭を下げるのはクリスティーヌ位だ。他に島の両親がいるが。


「ほぼ? じゃあ一番正しいのは誰だって言うんだ」


 少し悩んでみてロマノフスキーじゃなさそうだと顔を思い浮かべる。


 出国すると姿を消してどこへ行ったのかは不明だ。


 数名が勝手にルワンダを出ている、別に拘束するつもりも無いのだが一言も無しに。


「お答えする前に、奥方がどちらへ向かったかはお分かりになられますか?」


 用事があるから出かけたのは解る。ブラジルならばサルミエ少佐を連れて行く理由が今一つだが、他は色々と思い当たる節があった。


「さしずめ世界一周でもするつもりじゃないのか」


 もう止められないし、止める権利もありゃしないと天井を仰ぐ。


 今頃どこで誰に脅迫を行っているのやらと息を吐く。


「お、解ったぞ答えが」


 レティシアの行き先ではなく、ほぼの意味がだとエーン大佐に向き直る。


「そうですか、では折角なのでお聞かせ願えますでしょうか」


 黒い顔に白い歯を見せて会話を楽しむ。


 こうやって他愛もないやり取りをするのがこの上なく幸せなのだ。


「そいつはだ」


 それ以上は言わずにエーン大佐をじっと見てやる。すると少しして「その通りです」頷いた。


「自分ならば閣下の御為に最大限の要求を並べます」


 島は両腕を頭の後ろにやって椅子にもたれ掛かる。


「世の中正しい答えばかりが全てじゃないってことだな」


 二人で声をあげて笑った、後で一緒に驚こうと言って。



 フォートスター要塞の周辺は緩衝地帯があり、その外側に人がごった返していた。


 広大な荒れ地は見渡す限り畑になっている。収穫量は少ないが、この先改善の余地は大幅に見込めた。


 勝手に灌漑用水を引き込む奴らが多かったので、市長の指導の元で簡易用水路が設置されることになる。


 大きな整備計画はブッフバルト少佐が総責任者だ。都市責任者という役職は、今や島の権限から派生した正式なものになっている。


「しかしブッフバルトのやつは相変わらずだな」


 用水路の航空写真が手元に届けられると小さく笑う。


 エーン大佐に写真を手渡す、彼はにやりともせずに頷いていたが。


 焼き土で一応の形を作り、溝を掘った場所にはめ込んでいる。


 経年劣化でいずれボロボロになるだろうが、その頃までに正式な工事を行えば良い。


 二度手間を嫌うよりも、無秩序を嫌った。


 島が何を笑ったかというと、用水路が直線で交差は直角ということだ。きっちりとした性格がそこに焼き付いている。


「軍の測量訓練を兼ねているようです」


 エーン大佐が野戦築城訓練の一環でもあったのだと補足した。


「そうか。人口が密集しすぎる前に市街地の拡張もしていたが、功を奏しているな」


 先手先手を取って都市経営をするドイツ顧問団、要はブッフバルト夫人のグループの活躍が大きい。


 もし彼女らが居なければ四苦八苦していただろうことは火を見るよりも明らかだ。


「顧問らも自由に進めることが出来て面白いと喜んでおりました」


 島は金は出しても滅多に口を出さないスポンサーで、現場の者達には人気が高かった。


 本人は、解らないことには口出ししないだけ、などと言ってはいるが実際はどうだろうか。


「司令官だのなんだのはそこに居るだけで良いもんさ。執行者がのびのび働ける環境を作るのと、失敗時の責任を被るのが役目だよ」


 君臨して最終責任を引き受ける、社長業の果てとでも言えそうなことを信じて疑わない。


 ノックをして司令官室に下士官がやって来ると、エーン大佐にメモを渡して耳打ちする。


「閣下、アメリカ軍がシリアのシャイラート空軍基地等へ向けて巡航ミサイルを発射しました」


「なんだって!」


 間違えようのない事実のみを端的に報告すると、次いで速報を読み上げた。


「滑走路、格納庫、燃料庫、爆撃機に被害が出ております」


 実際の被害などさしたる問題ではない。この一報で最大の箇所は、アメリカ軍が直接シリア政府が支配している空港へ攻撃を仕掛けたという点だ。


 ――アメリカは政権の化学兵器使用を非難していたが、イラクの時同様に片足を突っ込んだか!


 無論各国が驚愕して政府コメントを発表している。


 毎度のことながら不運というか何と言うか、一番に夜明けが来る日本政府が世界で最初の公式コメントを発表しなければならなかった。

 外務省なりの職員らが頭を抱えて、慎重に言葉を選んで総理大臣に草書を渡す姿が浮かぶ。


「状況が動くぞ」


 今の今までアメリカは空爆が限界で介入をしていたが、この先はどこまで突き進むのか予想がつかない。


 とは言えアフガニスタン派兵の際に国民の猛批判を浴びていた、簡単に陸兵を乗り込ませはしないだろう。


「これを一番喜ぶのはイスラム国でしょう」


 舵を切った先、それはシリア政権の転覆を優先した証だ。


 島は難しい表情で壁を見詰める。もう後戻りは出来ない。



 サルミエ少佐を伴ったレティシアがようやくルワンダに戻って来た。


 ゴメスがいつものように従っているが、その更に後ろに見慣れない女性が居る。


「大人しくしてたようだね」


 心なしか機嫌が良い妻に応じる。


「俺は待てても世界はそうはいかなさそうだ」


 アメリカの所業を彼女も当然耳にしていたようで「ダマスカスに直接ぶちこみゃいいんだよ」などと笑っているではないか。


 この二人の会話に割り込める人物は居ない。皆が押し黙り時を待つ。


「ま、丁度良かったよ。トマホーク様様だ」


 何がどう丁度良かったのか、島は聞きたいと思えなかった。


「ところでそっちの彼女は?」


 レティシアが目をやる。二十代だろう褐色の肌、どこか日本人のように見えなくもない。背筋が伸びていてギャングスターというには毛並みが良い。


 一歩前に出ると自己紹介する。


「ゴメスファミリー・カーポ、ゼラドーラ・ボス、結城・メンデス・千尋です。コンソルテ、どうぞお見知りおきを」


 日系のブラジル人だという。きっと軍隊経験があるのだろうと看破した。


「そうか、俺はルンオスキエ・イーリヤだ。宜しく頼むよ」


 特別な立場であるコンソルテ、それから見た部下のそのまた部下である年少者、だとしても島は尊大な態度を取らなかった。


 英語で話をしているが、ポルトガル語も日本語も理解するらしい。


 ――エスコーラは本当にマルチリンガルが多いな。


 クァトロも同じなのだがそちらはどうしてか島の中で常識になっているようで引っ掛かりもしなくなっていた。


「暫くあたしの護衛に使う。ところでギカランは?」


「さあ、どこかに行ったきりだよ。心配はしてない、必要になればひょっこり戻って来るさ」


「地の果てで行き倒れてたってあたしゃ構わないけどね」


 コンゴで島に刃を向けたことを一生根に持つつもりなのだろう、生かしていることだけでも有難く思えと何度呟いたか。


 優し気な視線をレティシアに向ける、それに気づいた彼女は言葉が無くとも何かが通じたようで顔をそむけてしまった。


「ふん。ゴメス」


「はっ、コンソルテこちらを」


 恭しく何かを差し出してくる。


「ん、なんだこれは?」


 手にした小箱を開けてみる。そこには幾何学的な造形の銀の指輪が収まっていた。


「いいから黙って嵌めとけ」


「ああ、ありがとうレティア」


 どういうことか解らないが、無意味なことなどしないだろうと言われた通りにしておく。


 左手の中指に嵌めるとサイズもぴったりでしっくりと来た。


 これといって高価なものではなさそうだが、特注品なのは間違いない。


 ――レティアは金より銀製品が好みだからな。


 衣服の装飾もそうだが、前に島が買ってやったイヤリングも銀が良いと普段から身に着けている。


「で、どうするか決めたのかい」


 行動を起こすかどうかではない、どこで何をするつもりなのかを聞いている。


「フォートスターは任せて俺は現地へ入る」


 どうやって行くかは未定だと肩を竦めた。


 レティシアが軽く顎を振ると、それまで気を付けで待っていたサルミエ少佐が口を開く。


「ボス、ベイルートへはいつでも移れます」


 レバノンへの入国許可、並びに経路の領空通行許可は得ていると報告を上げて来る。


「うむ、ご苦労だ」

 ――どこでどうやって取り付けて来たかは恐ろしくて聞けんぞ。


 この分だと経路も知らないほうが良さそうだと触れずに置く。


「で、どいつを居残りさせるつもりだい」


 フォートスターを空っぽにするわけにはいかない、留守を任せるにしてもある程度の階級は必要になって来る。


「要塞はシュトラウス中佐、都市はオッフェンバッハ総裁に頼むさ」


「ロサ=アリアも置いていく、彼女が残るのは助かるね」


 完全に信頼しきっている、人を見る目は確かな二人だ、間違いはないだろう。


「レティアもレバノンに?」


「そうだ、文句は言わせないよ」


 条件は全て飲むと約束してしまっている、この先もこういうことが多々おきそうな予感がした。


「街の守りが不安になるな……」


「ゴメスを置いてく、心配は要らないよ」


 専属の護衛であるボスを残らせると宣言した。何故メンデスを連れてきたか、ここでようやく合点がいった。


「コンソルテ、ご息女の安全はこのゴメスが命に代えても必ずや」


 エーン大佐も認める忠誠心に溢れた男。


「ボス・ゴメス、娘と皆を頼む。俺が戻るまで、クァトロへの命令権限を付与する」


 シュトラウス中佐に次ぐと付け加えた。


 ギャングスターではあっても、彼ならきっと望むような結果を目指してくれるだろうと信じて。


「お言葉の通りに」


 島がエーン大佐にも視線を向ける。


「ボス・ゴメス、独立親衛隊とプレトリアス族への指揮権も預けたい、引き受けてくれるだろうか」


 未来の主君たるロサ=マリアを守る為の特別部隊と、フォートスターに移住した一族への命令権も託そうとする。


「預かる。メンデスを指導してやって欲しい」


「不足があれば補わせてもらう」


 忠誠の絆が互いの役割を補完する。機関に属している者ならばこうはいかないが、個人、それも特別な二人を頂点に戴いているからこその手だ。


「ボス、いつ向かいますか」


 サルミエ少佐がなんならすぐにでも行けると言い出しそうな雰囲気を醸し出していた。


「三日後の朝に出発する、こっちは良くても急にこられては周りが迷惑するからな」


 今夜は旨い物でも皆で食おう、三日じゃ何も変わらんと笑顔で締めくくった。



 タンザニア、ケニアからアラビア海を行き、クェート、イラク、ヨルダン、イスラエル領空を通過しレバノンへと入った。


 この一件だけでもかなりの迷惑を掛けているのを痛感する。


 そんなことはお構いなしにベイルート空港へと着陸、別口で税関を抜けると一組の男女が待っていた。


「義兄さん!」


 軍服姿のワリーフが右手を振って呼びかけて来る。二人の少し後ろにはリュカ先任上級曹長の顔もあった。


「ワリーフ、それにリリアンか!」


 物凄く久しぶりに感じられた。結婚の祝いだけはしたが、式にも出られずにルワンダに閉じこもっていたからだ。


「私も義兄さまと呼んでも良いのかしらね」


 笑顔でワリーフに寄りそう彼女はとても美しく成長していた。女性として艶やかさが増したという印象が近い。


「こんな俺でもそう思って貰えるならな」


 歩み寄ると二人と手を取り合い再会を祝う。


 ――本当ならルワンダで一生を終えると覚悟していたが、またベイルートの地を踏めるとはな。


 空港警備員が出入りを制限しているようで他に利用客は皆無だ。


「辛気臭い喋りしてんじゃないよ、ったく」


 レティシアが島の背中を平手で打って一つ息を吐く。


「義姉さま、良くいらしてくれました」


「ああ、邪魔するよ」


 血の繋がりが無いばかりか、最早姻戚関係ですら無いのだがそう呼んだ。


 ワリーフの記章を一瞥して小さく島が頷く。


「レバノン第一旅団副旅団長ハラウィ中佐か。首都の精鋭だな」


 再編制されたレバノン軍は、四つの軍管区に十の旅団が置かれていた。


 分離独立を宣言している南レバノンにあった軍管区と三つの旅団が外れた形になる。


「自分なんて大したことはありません。義兄さんなんて独立将軍府を構えている中将じゃありませんか」


 全く話にならないで、差が開く一方だと首を振る。


「俺は日陰者だ、だがワリーフお前は違う。堂々と胸を張り表舞台で腕を振るうんだ」


 じっと瞳を覗き込み遜る必要が無いことを断言する。


「はい! さあ軍司令部へ案内します、要らないかも知れませんがそうさせてください」


「頼むよワリーフ」


 表情を崩してそうお願いする。義弟の顔が輝いているのが島はとても嬉しかった。


 

 懐かしのLAF、レバノン軍総司令官はアル=ホス中将の退役に伴いハラウィ中将が就任して以来そのままだ。


 スライマーン大統領の要請もあり、軍事大臣と兼務をしている。


 前大統領の甥っ子で、島とロマノフスキーのアラビア語の教師でもあったヤーン・スレイマン、彼を補佐して欲しいと言われて。


 数々の借りを返しきれず、ついにハラウィ中将は対抗馬に降った、家族の将来の為に。


 ――俺のわがままのせいで義父には随分と損な役回りをさせてしまった。


 ビルを見上げて過去を振り返る。ニカラグア内戦だけでなく、外交ルートを通じて様々迷惑を掛けさせていた。


「ロサ=マリアの件は感謝してる、けどあいつがお前を裏切った事実は忘れるんじゃないよ」


 すぐ隣にやって来ると、辛うじて聞こえるような声量で耳打ちする。


 ――これも全て俺を心配してのことだ、言い分は無い。


 目を閉じて少し下を向く。聞こえたとの仕草なのを理解したレティシアはそれ以上何も言わなかった。


 門衛の兵が敬礼して一行を迎え入れる。今日は珍しく奥のエレベーターを使うことになった、婦人が同道しているからだろう。


 司令部ビルの一番奥、三司令官室の更に先、総司令官室があり扉の前にやって来る。


「掃除は済んでいるのでご安心を」


 リュカ先任上級曹長が、盗聴器の類を除去してあると報告する。色々とあるのだろう。


 代わりに扉を開けてやり道を譲る。ワリーフを先頭にして皆が部屋に入った。


 黒檀のデスク、カーテンが掛かった窓の前にちょっと老けたファードが座っている。


 島は踵を鳴らして進み出ると姿勢を正して敬礼した。


「長らく顔も見せずに申し訳ありませんでした」


 立ち上がるとファードも返礼する。


「 数え切れない苦難を乗り越えよくぞ生きて戻ってきてくれた。私はそれだけで嬉しいよ」


 デスクを横切り歩み寄ると抱擁を交わす。


 ――少し痩せたかな。苦労を掛けた。


 レティシアは裏切ったというが、島は微塵もそうは思っていない。


「また騒ぎを起こしに来ました、お叱りは幾らでもお受けします」


「なに、賑やかになって良いじゃないか。ここではなんだ、ワーヒドを貸し切りにしてある、食事をしながら話そう」


 これまた懐かしい名前が出てきたと、島はゆっくりと頷いた。


 

 貸し切り。それは確かに正しかったが、レストランの周囲に軍兵が置かれていて、現在の情勢が垣間見えた。


 ――ベイルートですらこれか、考えていた以上に深刻だぞ。


 ここから先は側近のみの同行とされる。ハラウィ一家と島夫婦、そしてそれぞれ一人の部下を連れて店へ入る。


「こうなったのはつい先月の話だよ」


 ファードが顔色を見ぬいてか切り出した。


「原因はなんでしょう?」


 色々とありすぎてどれが引き金か全く感じ取れない。


「これだというのがあればこちらが教えて欲しいものだ。絡み合った要因が一気に追い上げてきた、そういったところだろう、答えになっていないがね」


 現地にやって来ると解ることが多い、最大限に気を張り情報を握っていても見えない闇の方が大きいと。


「何者が妨害を?」


「さてな、それまた心当たりが多すぎてね。ヒズボラか、シリア政府か、イスラム国の連中か、はたまた同国の敵対者か」


 ざくっとかいつまんで推測をするだけでも片手では全く足らないと首を横に振った。


 逆に味方を探すのは簡単に終わってしまうと、力なく微笑む。


「そこまで悪化を……」

 ――ここで治安維持を手伝ってやりたいが、それでは根本的な解決にはならん。


「あんたが死んでも軍の総司令官はキリスト教徒がなるんだろ、だったら怪我はさせても殺しまではしないだろ」


 食前酒をあおってレティシアが際どい台詞を突きつける。


 全て事情を知っている者ばかりなので叱責は無い。


「制度上そうなっているからな。確かに然したる能力も無い私を外すよりは、判断力を鈍らせて生かしていた方が都合が良かろう」


 ファードは大人だ、義娘の心無い言葉にも怒りではなく微笑で返してしまう。


 無能は言い過ぎでも、穏健派のファードを殺害して反テロ強硬派が補任されでもしては逆効果になる。


「ワリーフ、義父上の警護はどうなっているんだい」


「軍事大臣付の独立護衛隊と、総司令官付の護衛部隊が別に居ます。軍の護衛を優先して警護につけてます」


 両方とも能力的に差は無いようだが、軍の部隊の方が長年連れ添っている面々なので信用面で安心できるようだ。


 ――並列させるよりは遥かに良いな。だが二種類を抱えるのは隙間を狙われやすくもなる。


 島が何を考えているか、ファードにはお見通しだ。


「軍の護衛部隊はシュヴァリエ大佐が指揮している。他方は警察出身者が主で、情報面で働いてもらっているよ」


「そうでしたか」


 守備範囲を明確にし、高級将校が権限を握っていれば隙間は産まれづらい。


 何よりあの騎士という姓を持った男なら安心できると頷いた。


「私のことより龍之介、どうするつもりか聞かせてもらえるかな」


 その為にここに来たのだろうと尋ねる。


 旧交を温める為にレバノンに来たのではない。勿論会いたい想いはあった、あったがそれはついででしかない。


「中東の混迷を少しでも収めようと考えやって来ました」


 随分と大きく出たものだと自分でも驚いている。


 個人が何をどうしようと、世の中はこれっぽちも変わらない、それが世界の常識だ。


 だが今までいくつもの国を変えてきた過去がある、この場の誰一人として笑わなかった。


「私に出来る手助けがあれば言ってもらいたい」


 ファードだけでなく、ワリーフもじっと島を見詰める。


 ――いつも頼り切ってしまい迷惑を掛けてきた。今回はそれは出来ない。皆もう精一杯力を使い切っている。


 膝の上で拳を握ると心を落ち着かせる。


「レバノンの治安維持と、何より自身の安全を確保していてください。自分が必ず転機をもたらしてみせます」


 出来るか出来ないかではない、やるのだと己に言い聞かせる。


 荒唐無稽な絵空事だと笑われた、邪魔になるから迷惑だと疎まれた、どうせ口だけだろうと蔑まれた、だがついにはやり遂げてきた事実がそこにある。


「――馬鹿者が、一人で背負い込み過ぎだ。いいかよく聞くんだ龍之介」


「……はい」


 テーブルを囲んでいる皆がそれぞれに目を合わせると最後に島を見る。


「私達は生涯を龍之介に賭けている、一生付き合っていくつもりだ。もっと私達を頼って欲しい、そして信じる心を抱かせていて欲しい」


「義父上…………非才なる身の全力を以て尽力させて頂きます」

 ――まただ、こうやって自分を甘やかし皆を巻き込む。


 真一文字に口を結び己の業の深さに呆れかえる。


 次の言葉が出てこないのだ。


「お前はお前がやりたいようにすりゃいいんだよ。周りのことはあたしらに任せな」


「レティア――」


 様々な折衝を代わりにしてきてくれた、ベイルートに来られたのもそのおかげなのを思い出す。


「そうですよ義兄さま。私達は感謝していますわ、多くの友人知人、同国人に希望を抱かせてくれたことに」


「リリアンまで」


 ニカラグアでのことは切っ掛けこそアメリカの計画だったが、最後は自身の気持ちが入っていたのは事実だ。


「義兄さん、今度はもう足を引っ張りません。自分も戦力として考えてください」


「ワリーフ」


 遠いどこかの国ではなく、地元でならば文字通り本領発揮出来ると意気込む。


「ありがとう皆、でも優先順位は自分自身、俺のことは次で良い。それだけは絶対だ」

 ――誰かを犠牲にしてことを成しても何にもならんぞ!


「龍之介、勝つというのは負けた者を背負うということだ。だがそれを背負うのは一人ではない、皆が共にだ」


「はい、義父上」


「よし、では食事を楽しむとしよう。この日の為に良いものを仕入れさせてある」


 その笑顔は家族への感謝に溢れていた。




 翌朝、インターコンチネル・ベイルートホテル、レストランの席にレティシアと二人で着くと、予想外の顔が側に在り心底驚いた。


「おいおい……」


「おや閣下、そう驚かれずとも良いではありませんか。少し想像すれば可能性は浮かびそうなものですが」


 素知らぬ顔で朝食を続けるレティシアを見て、犯人が誰かを知る。


「ニカラグアの軍務総監職はどうしたんだ」


「御心配には及びません、それでしたら長期休暇を頂いております、大統領の承認で。旅行中にばったりというやつです」


 何が旅行中だとぼやこうとすると、もう一つ懐かしい顔が現れた。


「閣下、ご無沙汰しております」


「これはハウプトマン大佐、お久しぶりです」


 ヴァルター・フォン=ハウプトマン退役大佐。島を将校に引き上げて、人生の方向を決めた人物だ。


 戦友の二人が旧交を温める為にかベイルートで再会、ばったり会ったのが本当かもと信じそうにすらなる。


「軍事顧問職を解職されてしまってからもレバノンで暮らしていました。友人に誘われまして」


 ハウプトマンがグロックを見る。


「ヴァルター、お前が中東で過ごした年月は十五年位だったか」


「そうだな、アンリも片手では足りんはずだ」


 これは罠だ。誘導に引っ掛かるまで決して終わらないタイプの。


 ――飲めってことだよな、確かにこの二人に力を借りられたら心強い。


 戦いを始める前からレティシアには負けていることを認めざるを得なかった。


「良ければご一緒に食事をいかがでしょうか」


「ほう、食事だけか」


 にやにやして先を促す、答えが解ってはいてもケジメをつける意味から島は立ち上がり向き直る。


「これから作戦する、出来れば二人に手伝って貰いたい、頼めるだろうか」


 二人は真面目な表情になり踵を鳴らしてその場で一歩足踏みする。


「アンリ・グロック准将、イーリヤ中将の指揮下に入ります」


「ヴァルター・フォン=ハウプトマン退役大佐、イーリヤ中将の指揮下に入ります」


「二名の着任を承認する。グロック准将には参謀長を、ハウプトマン大佐には副参謀長を任せる」


 あるべき場所にあるべき人物が戻って来た。空席だったクァトロ参謀長の席次にグロックが復帰する、豪華な片腕を伴って。


「ったく、メシが冷えるだろ、さっさと喰え」


 全く興味なしと言わんばかりの一言にグロックが声をだして笑う。


「その通りだ、誰だって旨い方が好きだろう」


「小難しいことは年寄に任せておけ、俺はこの日が来るのを心待ちにすらしていたよ」


 同じテーブルにつくと一転島を無視して勝手に食事を始めてしまう。


 ――オンオフが激しい面々だ、気を使われるよりどれだけいいかってところはあるがね。


 最大の目的を果たしたのだ、後は腹を満たすだけ。


「そういえばレティアはハウプトマン大佐と面識なかったよな?」


 紹介しなければならないと気づくが、左手のフォークを軽く振って不要だと意思表示をする。


「そいつとも顔つなぎはしてる、お前は気にしなくてもいい」


 非常に気になる一言だった。


 ――そいつともって、こりゃまだ何度かありそうだぞ。


 随分と手回しが良いことだと諦める。何せレティシアが伴ったサルミエ少佐は、島の関係先ほぼ全てと繋がっているのだから。


 気にするなと言われても、妙に考えてしまう島であった。



「さて、遥々やって来たが何から始めたものかね」


 インターコンチネル・ベイルートホテルを仮の司令部として使うことにしたは良いが未整備状態で手をつけるべきことが多すぎた。


「ボス、コロラド先任上級曹長が報告があると」


「来たな、通してくれ」


 サルミエ少佐が自身のデスクにある電話で連絡をすると、十数秒で貧相な恰好の男がやって来た。


「へっへっへ、見てきやしたぜ」


 浮浪者にしか見えないホンジュラス人、五十歳を超えて一般軍務すらそろそろきついはずだが、諜報という特殊技能は未だに誰にも負けていない。


 継承は不能。独自に情報を収集してくる内容は、今までも島の方針決定に大いに役立ってきた。


「何の前情報も無しだ。お前の所見を聞かせてくれ」


 肌で感じた生の情報、これがどれだけ大切か身に染みてわかっている。


 アフリカでもそうだったが、中東でも言葉は通じずどうやって調べてきているやら。


「俺はホンジュラスで人間扱いされなかったってのはいいやしたが、犬猫の類のような扱いでさぁ」


 畜生と同等、とても腹立たしく悲しいことだ。


 言葉を挟まずに真っすぐにコロラドを見る。彼は話を続ける。


「けど、奴らはもっとひでぇす。ヤズデイ教徒を捕まえて男は殺し、女はモノ扱いでさぁ」


「奴隷制度の復活を宣言していたな」

 ――だが実際は奴隷以下というわけか、反吐が出る話だ。


 イスラムでは奴隷は悪では無かった。そういう過去があるが、当然そこにもきまりはある。


 奴隷から自由人にと身分を改めることが出来た。何より奴隷とは戦争で敗北した兵らが捕虜から奴隷にされるのが始まりだ。


 戦って敵を殺すつもりで、負ければ死か奴隷ならば自身の責任でもある。


 単なる襲撃、略奪で奴隷を得ることはイスラム教は許していない。


「奴らの奴隷ってのは人の形をした道具って意味でさぁ」


「コロラドはどうしたら良いと思う?」


 助けることが出来たらそれが良いのは解っている、彼が何を感じどうしたいかを知りたかった。


「ヤズデイ教徒は山中に閉じ込めておくのがお互いのためでさぁ」


「そうか」

 ――他者の助けを求めず、他者を受け入れることもせず、ただ命と教えを繋ぐ。それも一つの道だ。


 きっとコロラドの言っていることが一番ヤズデイ教徒の望んでいる未来に近いのだろうと、漠然とした感覚を得る。


「何せあちこちに勢力が乱立してて、大はペシュメルガやイスラム国、小はシャーム運動やシリア社会民族党民兵なんてのまで。一つや二つ違うのが出てきても誰も何とも思わねぇでしょ」


 旗揚げだけでなく、分裂統合に改称が行われ、最早正しくとらえることが出来る者の方が少数派だ。


 島が目を閉じて長考に入る。コロラドはこの瞬間が大好きで、いつも見入ってしまう。


 ――欧米やシリア、ロシアあたりの国家を前面に出すようでは上手くない。民族にしてもそうだ。宗教はより困難になる。

 地域的、思想的な部分で求心力を得て、それを背景に既存の集団と共同歩調を探る。

 目的は軸となる勢力の派閥切り離しによる弱体化、イスラム国の穏健派が有るようならそれだ。

 アメリカはテロ集団の鎮圧よりも、シリア現政府を転覆させるほうにより軸足を持ってきている、その側面支援が絡むように助力をするぞ。

 親アメリカ勢力は選択から外し、イスラム国やターリバーン、アルカイダのような原理主義者も外す、親シリア政府も外してか。


 一体どんな勢力があるやらと内心呆れてしまう。だがここであきらめてはいけない。


 ――何もすべての条件を満たしている必要は無い。その都度ついたり離れたりで構わない、綱渡りは俺の得意分野だったはずだ。

 武力で鎮圧されてちゃたまらん、まずは対イスラム国の武装勢力とお近づきになれるようにだな。

 少しでもこちらの話を聞く可能性がある、またはそう誘導できるだけの影響力を持っている人物なりを選定しなければならん。

 

 曖昧で雲を掴むかのような結論に苦笑しそうになる。


「コロラド」


「へい!」


 呼びかけると同時に目を開き、コロラドを見た。爛々と輝いている表情をよそに落ち着き払った声で命じる。


「イスラム国と対立している、反アメリカの武装勢力を調べ連絡をつけられるようにするんだ」


「スィン! 任せてくだせぃ、必ず渡りをつけてきまさぁ!」


「お前にしか出来ないことだ、頼む」


 憧れであり、上司でもあり、畏敬の念を抱かせる人物でもある島が自分を頼ってくれた。その一点がとても嬉しく、誇らしく、感激だった。


 仮司令部を弾けるように飛び出し、どこかへと消えて行ってしまった。


 クァトロの面々が殆どだが、やけに人の出入りが多くなった。そこでようやく異変に気付く。


「そういえばレティアのやつ、顔を見ないな?」


 数日前に朝食を共にしてからというもの、全然姿を見かけなかった。


 どうだと尋ねられ、サルミエ少佐が書類を整理しながら言う。


「お出かけになりました」


「どこへだ?」


 またブラジルにでも飛んでいるのかと考えたが、例によって口出しする権限は無い。


「そこまでは聞いておりませんが、オズワルド女史と共にお出かけになったようです」


「リリアンとだって、そうか」


 珍しい組み合わせのような気がした。少し何もせずに黙っていたが気になりついに受話器を手に取る。


「俺だ」

「義兄さん、どうしました」

「ああ、うちのがリリアンと出かけたって聞いてね。どこに行ったか聞いてるか?」

「暫くレバノンを離れるって言ってました。旅行にでも行っていた方が今は安全でしょうね」

「そりゃそうだな、エスコーラの勢力圏に居てくれると安心出来る。邪魔をした」

「いえ、いつでもどうぞ。では」


 受話器を置くと椅子にもたれ掛かる。


 ――気を利かせて避難させてくれたってことかな、家族のうちで一番の弱点になるのはリリアンだ。


 もしかしたらニカラグアのオズワルド家に向かったのかもと考えた。いずれにしても戦乱のレバノンよりはマシだろうと悩むのを止める。


 開け放たれている司令官室の扉、それをコンコンコンと叩いて若者がやって来る。


「先輩、座りごこちはどうです?」


「悪くはないよ、実務は丸投げして久しいものでね」


 軽口を切り返してマリー中佐を近くに招く。


「クァトロの武装は完了しています。現地改造のテクニカルと軽装甲車両程度ですが」


 ソマリアあたりでの装備と大差が無いと大枠だけを説明する。


 島が現場たたき上げなので、そのあたりの言葉は少なくても充分通じた。


「一大作戦を行うわけじゃない、自衛戦力があれば今はいい。だが塗装は変更しておいてくれよ」


「ついでに軍旗も新調しましょうか」


 クァトロの象徴である黒ベタに四つ星、これを掲げて居ればどこの誰かすぐにばれてしまう。


「そうだな……名はアル=イフワーン・アル=ヌジューム、軍旗は緑に一つ星でいこうか」


 アラビア語を理解しないマリー中佐が首を捻る。


「なんですそれは」


「星の団ってとこだ、別案も歓迎するよ」


 色と名称はアラビア系の何かが漂う感じでかなり漠然としていた。それが狙いなのだが。


「ドゥリー大尉に相談してみます。何か他にご注文はありますか」


「ダミー組織を立ち上げる予定だ、統括の為の準備をしておけ」


「ダコール」


 手のひらを外側にして敬礼すると、マリー中佐は笑顔で退場する。


 もう詳細命令を下す必要が無い程に成長した、世界中のどこの軍でも戦闘指揮ならばトップクラスでこなせるだろうが、これからは別の部分を伸ばしていくことになる。


 ――何か合間の時間で出来ることは無いものか。


 小さく唸っているとエーン大佐が見慣れない男を連れてやって来る。


「そろそろかと思いまして連れて参りました」


「誰だそいつは?」


「クルド語の教師です」


 そう、エーン大佐は秘書官。島を公私に渡り補佐をするのが役目だ。


「やっぱりエーンはエーンだな」


 黒い顔に白い歯を輝かせ、主の笑顔を世界で一番喜んでいた。



 準備に時間が掛かるのは当然のこと、ここ数日動きが無かった。そこへグロック准将がハウプトマン大佐を伴いやって来た。


「閣下、候補地の選定を行いました」


 何も指示していないが、自発的に調査を行い報告を持ってくる。参謀長として正当な行為なのだろうが、懐かしいという感覚が一番強かった。


「まずは聞かせて貰おう」


 書類をデスクの上に広げて指をさして説明を始める。


「アブー・カマール、シリア東で川沿いの小都市。イラクとの国境付近で現在はイスラム国の支配下にあります」


 写真も数枚添えられていて、背の低い石造りの建物が映っている。


 ――国境付近で川沿いか、前進基地としての要件だな。人口数万程度ならば然したる守備隊も居ないだろ。


 最悪はイラク領内へ撤退することが出来るが、イスラム国は国境など無視して行動するだろう。


 とはいえ保険はかけても最初から撤退含みで作戦するとは思えなかった。


 裏に隠されている何かに気づこうと思考を深める。


 ――アメリカもこのあたりを攻めようとして失敗していたはずだ、ではどうして失敗した。


 イスラム国は少数で、精強な部隊も配されていないだろう僻地。逆に言えば直接介入を非難されるようなリスクを犯してまでアメリカが本腰を入れるような場所でもない。


 おざなりに支援した現地組織を攻撃に使い、押し切れなかったというのが真相ではないだろうかと読む。


「そんなところでも現地兵の五十や百は必要になるだろうな」


 間をいくつかすっ飛ばしてグロック准将へと投げかける。


 彼はニヤッとして教え子の成長に頷く。


「空輸条件が揃わない可能性があります、ファルージャに後方基地を置く準備が出来ています」


 突然イラクの都市、ファルージャという名前が飛び出した。イスラム国の支配から昨今イラク軍が奪還した報があったばかりで、未だに戦闘状態が度々起きている。


 ――イラク軍も攻撃に協力的ということか。国境付近のパトロールを一時的強化する位のことはしてくれそうだな。

 補給が出来ないとあっという間に干からびることになる、河上輸送も視野に入れておくとしよう。


 頭数が解決するなら戦闘力に関してはクァトロを使えばどうとでもなると読んだ。


「偽装民兵の募集は済んでるか」


「レバノン人で代用しておきます。すぐにでも中隊を編成出来る位は集まるでしょう」


 集まらなければあるところから奪ってでも数は揃えると請け負った。


「心強いお言葉だな。大佐は何かあるか」


 求められない限り上官同士の会話に割って入ることが無いだろうハウプトマン大佐にも声を掛ける。


「こういう仕掛けは同時多発が効果的です」


 小都市一つで満足という線は確かに随分とハードルが低い。


 ――グロックが二人居るようなもんだなこりゃ、楽そうに見えて楽はさせてくれないってことか。


 現在の人員、装備を鑑みて限界を想像する。あてにしてはいけない外部組織、そこが敵対した時のことまで想定してだ。


 ――新規勢力の俺達が空爆支援なんて受けられないからな、かといって兵数は変わらない。ではどうする?


 混戦模様が激しい中東だ、今までとは違う思考回路を開いておく必要が認められた。


「では一つ命令を出すとしよう。ハウプトマン大佐は現地周辺の反イスラム国武装勢力に同時期に攻勢に出るよう誘導工作を行うんだ」


 詳細は一任すると預ける。


「ダコール」


 手持ちがないならばある物を利用すればよい。それが味方かどうかは問わない、敵が一時的に対応力を弱めればそれで満足だ。


「グロック准将はアメリカ軍が適度に空爆をするよう背を押せ。そのうえで日時を掴み、こちらの作戦を相乗りさせるぞ」


 少しの間黙っていたが、及第点を貰えたようで口元を緩める。


「……大分司令官というものが解って来たようだな、任せておけ」


「お褒め頂き恐悦至極に存じますってな」


 おどけて島もそう返答する。二人は来た時同様に揃って部屋を出て行った。


 廊下を出て分岐路まで来るとハウプトマン大佐が隣を歩いているグロック准将に語り掛ける。


「アンリの希望の種はこうも大きく花開いたか」


「ふん、ヴァルターのでもある。俺はニカラグア内戦で危うくあいつを失いかけた、今度はそんなヘマをするものか」


 かつて既存の軍隊に疑問をもったことがある、理想を追い求め見つけられず退こうとした時、ついに現れた希望が島だ。


「ああ、そんなことはさせん。全力で支えてみせる」


 二度とないだろう素材が自分たちを使いこなすまでに成長した。命を張り代わりに死すことになろうと、一切の躊躇は無い。互いに大きく頷くと別々の方向に足を踏み出した。


「ふぅ、机に向かってばかりは体が痛くなるな」


 首を左右に傾けコリをほぐす。立ち上がり室内を歩き回るがどうにもストレスが発散しきれない。


「おい誰か居ないか」


 声を出すが皆作業中なのか返事が無い。扉を開けて廊下に出てみても護衛すら居なかった。


「何かあったのか?」


 貸し切りになっているフロアだ、島は開いている扉を見つけたので中を覗いてみる。


「ここはヌルの部屋だったか」


「どうなされました?」


 珍しい来客だなとヌル少佐は執務を中断し島の目の前にまで行く。


「体がなまっててね、ちょっと散歩でも行くから付き合え」


「宜しいのですか、また叱られますよ」


 苦笑しながらも止めるつもりは無いようで一緒に歩き出す。


「エーンに叱られる時はお前も一緒だ、こいつは命令だからな」


 含み笑いをしながらヌル少佐の肩に腕を回す。


「承知致しました、上着は?」


「こんな良い天気だ、暑くて参るだろ、そのままで良いさ」


 半袖のワイシャツ一枚で、これでは観光客のように見えてしまう。或いはその方が安全かもしれないが。


 エレベーターで一階まで降りてフロント前を通り過ぎる。一般客はその多くが外国人でこれといって目立たずにそのまま通過した。


 ホテルを出てからアルジェリア通りを東へ歩く、南北を走る大通りにあたる公道51号を跨いで左手を見ると、ムスリムの共同墓地がある。


「街のど真ん中にだ、ここにあるならいつでも会いに来られるもんな」


 辺境に埋葬されるのが悪いわけでは無いが、墓地が身近にあるとやはり足を向けやすいものだ。


「戦死した友人らと会えるのが夢の中だけでは寂しいですからね」


 長いこと戦ってきて身近な人物を多く失ってきた。各地に埋葬してきたが、ヌル少佐の言う通り夢でしか再会出来ない。


「俺が死んだらニムやスラヤと一緒にしてくれってエーンに頼んである。お前は誰かそういうやつは居るか?」


 考えてみるとヌル少佐の私生活を全く知らないので試みに訊ねてみる。


「自分は特には。ですがいずれはボスの傍に眠らせて頂きたく思います」


 暫く墓に入る予定は無いので、と笑顔を誘うことも忘れない。


 ――本当に変わったよなヌルは。やって来た当時はどうなるかと思ったが。


 共同墓地から出て来る男、壮年と中年の二人組が目の前を歩いている。


「あのカフェで一服していこう」


 赤い屋根の軽食屋を指す。墓参りをしていただろうムスリムもそこへ入った。


 席が半分位埋まっていて、まあまあの入りと言ったところだろうか。


 貫頭衣の男性店員がやって来て「お決まりですか?」アラビア語で話しかけて来る。


「フランス語は出来ますか?」


「はい」


 ヌル少佐がアラビア語を解さないので言語の切り替えを求めた。ムスリムの多くはアラビアンということでまずはといった感じだったのだろう。


 コーヒーを注文する。


 ややすると銀のポットに小さめのカップがトレーに載って現れた。豆の香り以外にもスパイスが入っているようで複雑かつ芳醇な香りが漂う。


 注いでみると色は薄かった。どれどれと一口。


「ほぅ、マイルドで鼻腔をくすぐる香りが良いな」


 苦みは殆ど無い、これがアラビアンコーヒーだ。


「若いの、これを飲むのは初めてかね」


 隣に座っている客――先ほどの墓参りの二人のうち、年配の男が話しかけて来る。年の頃は還暦手前位だろうか。


 先ほどの店員とのやり取りで気を使ってかフランス語でだ。


「はい。世界各地で色々なモノを飲んできましたが、香りの面ではこれが一番ですね」


 お世辞ではない、風味に特化しているのが島には良く分かった。


「それは嬉しいですな。ここの豆は希少なイエメン産で、特に良いものを使っている。解ってくれる人物に飲んでもらえて豆も喜んでいるだろうさ」


 人懐っこい笑みを浮かべて自らも一口傾ける。


「モカでもやはり最高の味わいでした、何でも本物は良いものです」


 世界制覇まであとわずか、そうレティシアと話をしていたのを思い出してしまった。


「旅行ですか」


「だったら良いのですが、ビジネスです。もっとも利益を上げるような類ではなく、そうですねコンサルタント業務のようなものです」


 言葉を選んで曖昧に答えておく。島自身、どのような仕事かと考えてみても近いのはそれだろうと信じている。


「そちらの彼は仕事仲間ということですか。私達は友人の墓参りです」


 連れの男は何も喋らずに背筋を伸ばしたままだ。


 ――お付きの者って感じか、歳も一回り以上離れてるだろうな。


 フランス語が解らないわけでも無いだろうが全然反応を見せないのだ。


「仕事仲間というより、私は友人だと思っています。当の本人がどう思っているかは知りませんが」


 肩を竦めてヌル少佐を見る。壮年の男も髭をしごきながら笑っている。


「お若いのはどう思っているのか、良ければお聞かせ願えますかな」


 他人と話をするのが心底楽しいという雰囲気が伝わって来る。


「私はこの方を生涯の主と決め、女王陛下と等しく忠誠を誓っています」


 明るい表情でサラッとそんなことを言う。想像外の答えだったようで、男は髭をしごいて小さく唸っているばかりだ。


「ふーむ……そなた名は何と?」


 島の方を向いて訊ねる、興味を持ったようだ。


「アイランドです。ルンオスキエ・アイランド。女王陛下と並べられるなんて相手が悪い」


 小者で申し訳ないと小さく笑った。


「私はモンスール・イサ・シェイク、やはり若いのと話をすると楽しい。供がこんなでな、話が弾まんのじゃ」


 仏頂面で黙ったままだ。普通は話題に出てきたら何かしら自分のことを喋るものだが。


 店内の時計を見る、初めて供の男が口を開く。


「モンスール様、御時間が迫っております」


 それはアラビア語だった、モンスールはやはりどうにもとの表情を浮かべる。


「やれやれ忙しないことじゃな。済まないが失礼させてもらうよ、アイランド君」


 君達はゆっくりしていってくれたまえ、そう残して二人は行ってしまった。


「何だか先生といった感じの方でしたね」


 ヌル少佐が端的な感想を漏らす。


「そうだな、教導者なのは確かだろう。それよりヌル、俺はただの一般人だ、女王と同列に祭り上げるのは勘弁してくれ」


 プレトリアス郷では神と崇められるし、こいうった内容はこりごりだとうなだれる。


「それは申し訳御座いませんでした。以後は胸の内にしまっておきます」


 コーヒーを一口飲み何事も無かったかのようにしている。


 ――強くなったもんだよ、まあ悪いことじゃないさ。


 残っているのを一気に飲み干すと出入り口に目を向ける。


「あ」


 島がつい腑抜けた声を出してしまう。


「ご命令は必ずや」


 ヌル少佐が笑みを浮かべる。二人の瞳にはエーン大佐が無表情で近づいてくる姿が映っていた。


「義兄さん、少し時間をいただけますか」


 司令部代わりのスイートルームへ不意にハラウィ中佐がやって来た。サルミエ少佐を見る、一報を受けていたようで頷いていた。


「ああ、どうした」


「実は配置替がありまして、自分は第六特殊独立大隊長に任命されました」


「第六というと……」

 ――俺が初めて任官したのが確かそうだったな。


 当時のハウプトマン中佐がその後どうしたかまでは知らないが、臨時のものだったはずだ。


 それが再度設置されたということは、何かしらの特命が下ったということになる。


「はい、再編制された部隊です」


「第一旅団の席次を蹴ってまでやることというわけか」


 喋っていて若干嫌な予感はしていた。それはすぐに現実のものとなる。


「自分の自由裁量での行動を許可されています、人員はさほど無いですが。紹介したい将校を連れてきました。会っていただけるでしょうか」


「勿論だ」


 笑顔で快諾する。三人の男がすぐに執務室へと入って来た。


 横一列に並ぶと胸を張り敬礼する、島も立ち上がると答礼した。


「第一戦闘部隊長アーザール・ラフード少佐です!」


「航空部隊長セリーム・バビナ少佐であります!」


「第二戦闘部隊長エリアス・カラミ少佐です!」


 それぞれが自己紹介をした、島が記憶の糸を手繰り寄せようとする。


「……かつての中隊長らか、久しぶりだな島中将だ」


 十年前に大尉だった三人が少佐で足踏みをしている。一方で中尉だったハラウィは今や中佐で階級が逆転した。


 背後に控えている人物の差はあるだろうが、当時の精鋭が据え置きは納得いかない。


「大隊設立に際して各所より引き抜きました」


 島が目で理由を問う。


「南レバノン独立騒ぎがあって以来、三名は主流派から外され僻地勤務をしていました。宗教の派閥を越えた協力を叫んだからです」


 視線をハラウィ中佐から三人へ戻した。


 ――俺のせいというわけか。レバノンで大変動でも起きん限り、派閥に手を入れようとするのは厳禁。それと知って尽力した結果がこの様というわけだ。


 特務部隊に再度引き抜かれ、更に崖っぷちに追い込まれたとも言える。


「ハラウィ中佐、大隊の任務は」


 他に人物が居るので呼び方を改めてそう話しかける。


「対シリア紛争、そう定めました」


 じっと島を見詰める、戦功を上げさせろと言っているのが伝わって来る。


 ――航空部隊、ヘリの数機も装備か。レバノン人部隊、越境は戦争を招くが。


 とは言え何事もプラスを打ち出せば不問というのが世界の常識でもあった。


「シリア国内へ入れるよう準備をするんだ。シリア政府と敵対する武装勢力から居留レバノン人を保護するという名目あたりが良いだろうな」


 時には政府軍そのものから守ることもあるだろうが、敢えてそのように強調することで駆け引きを産み出す。


「余剰装備は現地で処分も可能です。では自分はこれで」


 ハラウィ中佐が敬礼するのに倣って三人も同じ動きをした。


 黙って頷いて彼らを見送る。


 ――何とか報いてやりたいが、俺は外様だ。譲ってやれる戦果があればそうしてやろう。


 望まぬとも戦闘は必ず起きる。功績を奪い合うのでなく譲るというならば、諍いも無く上手く行くはずだ。



「装備が必要になるな」


 ぼそっと島が呟いた。レバノン軍から融通させてはいけない、そうなれば正規軍がその分弱体化するから。


 買い付けるにしても国内に勝手に運び込むわけにも行かない、どうしたものかと悩んでいるとサルミエ少佐が内線で誰かを呼び出していた。


 少しするとハウプトマン大佐がやって来る。


「閣下、お呼びとのことで参上致しました」


 何で大佐を呼んだのかとサルミエ少佐に視線をやる。


「ボス、装備品の調達についてならば大佐が担当だと、グロック准将が」


「そうか、そうだったな」

 ――初耳だよ。


 今さらそんなことで一々何とも思わなくなっていた。上手い事やるだろうと既定路線の一つ扱いする。


「今後想定されるシリア内での中強度紛争で使用する装備品の用意を行うんだ」


 大枠のみを示し相手の反応を伺う。


「想定規模兵数はいかほどに設定致しましょう」


 過不足幅を小さくする、決めるのは司令官の役目だ。


「兵は千、武装強度は軽歩兵、対人を重視し、現地整備負担は大きくても構わん。汎用性は低くても良いが、不能を発生させるな」


 やや細かいことにまで口出しした感はあるが、ハウプトマン大佐がどのような手筈を整えるかはっきりしないので様子を見る。


「畏まりました。既にその線で幾つかプランを準備して御座います」


 手にしていた薄いケースからクリップされた書類を差し出してくる。


 受け取ると簡単に内容を見る。


 ――規模に応じて数量を掛け算か、そんなところまで既に用意しているとはな。


 どれを選んでも納得いくセットになっていて、予算に応じた指定が可能な状態にまとめられている。


「結構だ。戦闘団長マリー中佐と諮り任意の装備を入手しろ」


「ヤー。ベイルート港での引き渡しが可能です」


 国内へ持ち込みが出来ると断言した。それはどういうことかと目を細めてハウプトマン大佐を見る。


「ヒンデンブルグを覚えておいででしょうか」


 南アフリカに武器を送るように注文を入れたのを覚えていた。彼の武器商人がハウプトマン大佐の紹介だったのも。


「ああ、世話になったからな」


「そこに用意させます。リスト内の装備ならばすぐに揃えられますし、地中海沿いならばどこへでも入港可能です」


 まるで自分の事のようにはっきりと言い切る。どこかで深く繋がっている証だろう。


「そうか。予算の概算はどうだ」


「千人規模であれば千二百五十万ユーロあたりかと」


 どこにも値段は書かれていなかったが即答してきた。


「千四百万ユーロだ、マリー中佐が必要とする装備を追加して納品させろ。それとベルでもMDでも構わん、別口で四機買い入れるんだ」

 ――南アでは採算がとれるかどうかの仕事をしてもらった、今回は儲けさせよう。


「承知致しました」


 サルミエ少佐がプラスチックカードを島に二枚差し出す、一瞥してハウプトマン大佐の目の前に押しだした。


「装備代金とは別に大佐に軍資金を与える。表に出る経費とは無関係で好きに使って構わん」


 中には百万米ドル入っていると言葉を添えた。当座資金としては破格の金額で大佐も流石に驚く。


「有り難く使わせて頂きます」


 大佐が神妙な顔つきでカードを受け取る、それはそれで構わないが重い空気は意思疎通の齟齬を産み出しかねない。


「因みに領収書は不要だからな」


 島は意識的に笑顔を作り冗談を口にする。やるべきことは終えたから。


「まずはクローネンブルグのコンテナ買いでも致しましょう」


「そいつは名案だ」


 雰囲気を作るのは上司の務め。トントン拍子で進む状況に島は余裕すら感じてしまっていた。


 副官デスクの内線が呼び出しを告げる。二人のやり取りを横目にサルミエ少佐が応対した。


「ボス、面会者があります。ド=ラ=クロワ大佐の紹介状を持っているようですが別室に待たせましょうか?」


 何かを指示する前にハウプトマン大佐が島の右後ろに居場所を移した。


「構わん、通してくれ」


 許可を与えるとサルミエ少佐も島の左隣へと立った。


 程なくして出入り口に褐色の肌の軍人が現れ、三人の目の前にまで進み出る。


「イエメン軍テロリスト対策副本部長ウマル中佐であります!」


 モカ港の喫茶店で顔を会わせていたのを思い出す。


「こんなところまで良く来てくれた中佐」


 ウマル中佐が眉を寄せて島を見る。あの偽装入国者が今度はレバノンのホテルで中将の階級章をつけて目の前にいる。


 あれから数年だ、将軍になっているのは不自然とも言えないが、それにしたって違和感はあった。


「いえ。ド=ラ=クロワ大佐より中東の安定に力を貸して欲しいと要請されました」


 イエメンが紛争真っただ中でテロリストと争っている、こんな場所に居るような暇はないはずだが。


「フーシ派の排除に忙しいのでは?」


 アルカイダ系のテロリスト集団、フーシ派はイランが支援していると言われている。


 一方で暫定政府はサウジアラビアが支援をしていて、代理戦争の構図が浮かんだ。


「イスラム国が活発だとイエメンにも影響が大きく、こちらを鎮圧出来れば効果が出ます。何より複数のテロ集団と戦う経験になるので」


 指令元であったり、供給元である部分を絞れば確かに現地勢力だけではやせ細る一方だ。


「そうか、中佐の望むような結果になるとは限らないが、俺に協力してくれるだろうか?」


 ウマルを直接的に知らない二人は顔色から様々読み取ろうとしている。


「一つお聞かせ頂きたい。閣下は一体誰の為に戦うおつもりでしょう」


 それは単純ではあるがとても難しい一言でもある。


 ――誰、か。俺の為じゃないが、シリアの民の為というわけでもなさそうだ。


 即答は出来なかった。答えが無いわけでは無いが、どのように表現するかを考えて。


「努力では何ともならず理不尽を強要される民、己が正義だと信じる道を歩む者、社会を保とうとあらん限りの力を注ぐ人々、人種も宗教も国籍も関係なく、俺はそういう存在に希望を与える為に戦いたいと考えている」


 衝撃の言葉にハウプトマン大佐が大きく息を吸い込み己を落ち着かせている。


 長年探し求めていた志がまさに今ここに在ると知った。


 夢なら覚めてくれるなと高鳴る鼓動を自ら感じながら島を熱い視線で見つめる。


「…………自分はそこまで高みにのぼることは出来かねますが、その想いに力を添える努力をしたいと考えます。閣下、どうぞ自分をお使い下さい」


「ありがとう中佐。貴官の助言に期待している。サルミエ少佐、部屋を用意して各種の手続きを行え」


「ウィ モン・ジェネラル」


 二人が連れだって部屋を出ていく。


 ――ん、どうしたんだ大佐は?


 様子がおかしいが敢えて気づかないふりをする。ボーっとしているのを指摘しては気負ってしまうかも知れないとの気遣いで。


「装備購入打ち合わせの為にフランス入りしてきます。その際に一つ閣下の御許可を頂きたく――」


「大佐が自身の判断で是とするなら、それが俺の判断でもある」


 被せ気味に返答した。一度信じると決めた以上、全てを信じ預ける。


 それはグロック准将がハウプトマン大佐と共に外人部隊で受け継いだ姿勢でもある。


「はっ、直ぐに出立いたします」


 可及的速やかに行う。


 島はあまりにも思い当たる節が多く、小さく微笑んでしまった。



 イラン北西部、ファルージャから二百キロ圏内。アブー・カマール周辺を偵察中にコーバジェップという小さな町を横切る。


 湿気が殆ど無い乾いた土地。


 岩と小石と細かい粒子の砂、あるのはそれだけ。どうやって人が生きていけるのか、想像できないようなところにも町はあった。


「偵察部隊より本部、イスラム国らしき集団を発見」


「詳細を探れ」


「ダコール」


 軽車両が四台だけ離れ町が見える場所へと移る。ストーン中尉が双眼鏡を使い豆粒のような人を確認した。


「ストーン中尉より本部、歩兵が集落に攻撃中。反撃は微弱」


 守備隊が居るわけでもなければ、反対勢力が囲っている町でもないようで一方的に攻め込まれているようだ。


 向こうが偵察部隊に気づいている可能性は薄いだろう、見張りも立てていない。


 人は優位に立つと途端に警戒心が薄れるからだ。


「マリー中佐だ、歩兵の数は」


「凡そ二十、小銃で武装しています」


 逆に言うならば小銃を持っている程度で他に報告すべき内容が見当たらない。


 これ以上ない位の軽装だった、ここは戦場ではないのでそれが当然なのかも知れないが。


「監視を続けろ」


「ダコール」


 攻め滅ぼされる町をそのまま見ている、気持ちが良いものではない。


 発砲音が暫く続いたがそ、そのうち戦闘は終わる。


 両手を頭の後ろに組まされた者が銃を突き付けられ歩かされているのが見えた。


 ストーン中尉は黙ってそれを見詰め、事の一部始終を受け入れる。


 やがて歩兵集団は戦利品を獲てその場を去っていった。


「戦闘は終了、町は全滅です」


 聞こえているはずだが少しだけ空白の時間があり「現場を確認するんだ」やや抑えられた低い声で指示が出される。


 四台が距離を取って町に近づく。それぞれ二人ずつ下車すると、車は外周に散って警戒の任に就く。


「敵に注意しつつ捜索を行え」


 ストーン中尉が死体の傍で膝をついて命令を下す。二人が建物の方へと進んでいった。


 目の前の死体、傷口から血が流れ出ている。


「銃創……七・六二ミリ、即死だろうな」


 胸と腹に複数貰っていて、恐らくはショック死状態。防弾ベストでも着て居たら苦しんでから死ぬことになっていただろうと考えてしまった。


 転がっている死体を見て回る、その間は兵が周囲の警戒を肩代わりした。


 どれもこれも過剰なまでに銃弾が撃ち込まれていて酷い有様で、撃った側の精神状態がうかがい知れない。


「生存者一確認!」


 兵が声を上げた。ストーン中尉が現場に向かう。


 そこには気を失っている少女が倒れていて、兵に傷の有無を確かめられていた。


 年の頃は十歳そこそこ、放っておけばきっと命を落とすだろうことは明らかだ。


「中尉、いかがいたしましょう?」


 どうしたものかと兵が尋ねる。いっそ死体だったら面倒もないのだが。


「車に乗せろ、撤収するぞ」


 誰に訊ねることもなく判断を下す。これが襲撃や誘拐のそしりを受けるような原因になりかねないのは承知の上で。


 兵の一人が肩に抱えるといともあっさりと運ぶ。


「偵察部隊、町の全滅を確認、これより帰還する」

 

 四台は砂塵を上げてその場を離れる。岩陰から走り去っていく車を見る者がいたが、誰一人それには気づけなかった。


 生きる為に全てを売る。その行為を誰が責められるだろうか。



「閣下、攻撃情報をキャッチしました」


 グロック准将が挨拶もそこそこに執務室にやって来るなり報告する。


 どの筋から仕入れたかは関係ない、そう言った以上信用するに足るものなのだろう。


「聞かせて貰おう」


 チラッと時計を見る、夜の七時過ぎだ。


 そろそろ部屋をでて夕食にでも思っていたところだが、後回しにせずに促す。


「空爆開始時刻は〇六〇〇です」


 ギリギリになってようやく情報を漏らした、そういうことなのだろう。


「マリーには報せてあるな」


「待機に入らせました」


 それが一般的な軍でいう参謀長権限から外れていることなどクァトロでは関係ない。


 足音が廊下から響く。無遠慮にそれは開けっ放しになっている扉から中へとやって来る。


「オヤジ、編成の一報が揃ったぜ」


「アロヨ大尉、なんだお前もレバノンに来てたのか」


 居るか居ないかで言えば多分居るだろうとは思っていたが、今の今まで姿が無かったので不思議だった。


「おいおいご挨拶だな。ほら」


 グロック准将に書類を手渡すとデスクに腰かける。司令官のデスクに、だ。


 一瞥して把握すると今度は島へと提示した。


「空爆の編成か。施設破壊が目的にしちゃ軽い爆弾が多目だな」


 少なからず人間相手に空爆するつもりがあることが透けて見える。


「シリア東部のこれらに空爆を行う見込みです」


 地図に直接赤い丸を書き込み、目標地点を明らかにしていく。


 軍事施設よりも倉庫であったり、連絡所のような場所が狙いだと口頭でも説明した。


 ――混乱を誘い反攻を押さえる、形を違えたこちらの作戦支援に近いな。


 では見返りは何を求めているだろうかと考える。答えは一つだ。


「偽装民兵の声明準備は出来てるな」


「捻っても仕方ないので、カマール大隊が解放したとでもするつもりです」


 都市の名前をそのまま利用する、自衛の為にと住民からの入隊が有れば有り難い。


「月の大隊だな。他の武装勢力はどうだ」


「空爆情報をリークしました、大慌てで今頃準備中でしょうな」


 そういうこともあって直前まで漏らしてこなかった、或いは本当に今決められた可能性もある。


 決まってなければ備えようも無いので、有効な手段と言える。


「だな。そこでもう一手と行きたいがどうだ」

 ――混乱をさせるためだけに空爆を眺めていては宝の持ち腐れになる。


 或いはすでにグロック准将が何かを用意しているかも知れない。無くても今から可能な限り策を練らせるつもりで煽る。


「もし、空爆前にアブー・カマールを制圧出来たとしたら先が望めるかも知れません」


 即ちクァトロ戦闘団を二度働かせることが出来たなら、と。


 ――混乱を待たずに正面から敵を撃ち破った上で更に進めと命じろってわけか。押し負ければ性急な命令を出した俺に非難が集まるわけだ。


 それ自体は別にどうというわけでも無かった。失敗はきっちりと責任を負うべきなのだから。


「サルミエ、マリーと通信を繋げ」


「ウィ」


 無線ではなく衛星電話で、今頃いつ連絡が入るかと待ち構えているだろう。


 戦機がいつか、それくらいは遠く離れていても同じように感じられる位の時間を共に過ごしてきた。


 島は目を瞑り腕を組んで黙って待つ。何であれ判断を下さねばならない、それが自らが望んでこの地位にある義務であり責任だ。


「ボス、どうぞ」


 手渡された電話を耳に当てる。


「俺だ、準備は良いな」

「はい、何なりと!」

「機会はそう何度も訪れはしない。だが俺が無茶を押し付けるようなら拒否して構わん」

「今さらですよ。何せずっと無茶を押し通して来ましたからね」

「ふっ、そうだな。……クァトロ戦闘団に命じる、空爆が始まる前にアブー・カマールを制圧しろ。その後は他の反政府武装勢力の戦闘地域に介入する」

「心躍る命令を頂き嬉しく思います」

「制圧後守備をカマール大隊に任せ、イスラム国相手に戦っている者に増援しろ」

「アル=イフワーン・アル=ヌジュームとしてですね。お任せください」

「死ぬことも捕虜になることも許されない、俺も、お前達もだ」

「では生きて勝利する一択ということで」

「そうだ、委細任せる」

「ウィ モン・コマンダンテクァトロ!」


 サルミエ少佐に衛星電話を渡してグロック准将に向き直る。


「これから先、レバノン人で代用とはいかんぞ」


 厳しい目つきになり一線を越えたことをはっきりと宣告した。


「あらゆる手段を以て、シリア人兵を集めてご覧に入れます」


 ついに紛争に本格介入する、舞台の幕は切って落とされた。



 ホテルの司令部に主要な部員が集まる、ロマノフスキー准将だけが未だに行方不明だ。


「戦闘団より攻撃開始の報が上がりました」


 サルミエ少佐が淡々と現状を口にする。映像があるわけでは無いし、通信機を耳に当てているわけでも無い。


 沈黙を保ったまま皆が目を閉じて待つ。


 ――不測の事態を想定だ。大損害で救援が必要になった場合、その時点で俺の介入は終わったも同然になる。


 十年だ。島が戦争に触れ、主導を行ってからそれだけの年月が経過している。


 相手を狙った邪魔らしい邪魔が無い序盤、そこで大打撃を被るようではその先など望むべくもない。


 安全な場所で結果のみを手にするのが未だに慣れない。だが賽は投げられた。


「在アブー・カマールイスラム国が反撃に出て来たようです。ほぼ歩兵で火力が高い兵器は未確認」


 一方でクァトロ戦闘団も火力が高いとは言えない、故あって軽装に制限してあるからだ。 


 小銃での撃ち合い、原始的な戦いだけに一瞬で勝負がつくことは無かった。


 ――報告が上がって来るうちは優勢だ、戦闘指揮で手一杯になったら危険だがな。


 戦闘団の司令はマリー中佐だ、次席指揮官はドゥリー大尉、三席はストーン中尉が名を連ねている。


 ブッフバルト少佐は副官としてロマノフスキー准将に同行しているので参加していなかった。


 ――ハマダ大尉もバスター大尉も中隊長が限界だろう、ゴンザレス中尉やレオポルド中尉も。


 ならば適切な地位につければ良い、それだけだと理解している。


 年功序列を否定はしないが、現場では能力が優先されて然るべきだ。


 前線勤務が困難になるようなら育成部門に配置替えをしよう、そう考えている。


「カマール大隊も戦闘に参加します」


 少数のシリア人兵にレバノン人を混ぜて水増しした部隊が増援として参戦した。


 どこから湧いて出たか解らない部隊であっても、現実にそこに存在していれば声を出すことは出来る。


「グロック、カマール大隊の頂点は?」


「マロン派のシリア系レバノン人、ハラウィ中将の手駒を借りております」


 シャローム大尉という四十代の将校だと簡単な補足を行う。


 ――守備隊の将校になら使えるだろう。情報を与えておけば上手い事やってくれるはずだ。


 そもそも無能な者を派遣してくるはずもないので一定の期待をしても良いだろうと基準を定める。


「トゥヴェー特務曹長、周辺情報の提供と、防諜の手助けをしてやるんだ」


「ヤ!」


 制圧した後の事について特に指示を行う。黙っていてもグロック准将が全て手配するだろうが、気づいた者が気づいた時点で一つずつ処理していくと手落ちも少なくなる。


「戦闘団が市街地に突入します」


 夜間の市街戦を行う、地の利が無い側にとって圧倒的な不利だ。


 とはいえ一等地に拠点を置いているイスラム国兵を排除する為には越えなければならない戦いと言い切れる。


「ハウプトマン大佐、近隣武装組織に動きは」


「まだ動いたという報は入っておりません」


 空爆待ちをしているようで攻撃には至っていない。それぞれの拠点で待機をしているので凡その数だけは口頭で報告した。


 ――今のところ割り込まれる心配はなさそうだ。


 敵と味方に別れるならどうにか対応も可能だが、敵とも味方とも解らない勢力が出現すると厄介だった。味方を装う敵というのが最悪と言える。

 

 無言が続く。サルミエ少佐が打つキーボードの音だけがやけに大きく響いた。


 ――マリーすまん、今まだ支援は出来ん。何とか独力で勝ってくれ。


 可能な限りどこの勢力かを隠して行動範囲を広げる必要がある。強力な火器使用や航空支援は避けたい。


「訓練を視察致しました。クァトロ戦闘団は、外人部隊の最精鋭に優るとも劣らない動きをしております」


 ハウプトマン大佐が一切の世辞なし、事実のみを評価してのことだと唐突に口にする。


「確か大佐は」


「ヤー。2e REPの偵察戦闘支援中隊を指揮しておりました、空挺コマンドを直卒してです」


 第2外人落下傘連隊の特殊部隊。外人部隊全ての中でも精強で誉れ高いコマンドー部隊だ。


 遮蔽物が得られる山岳や市街地でならば一個中隊で師団を防ぐことが出来るとすら言われているが、あながち間違いでもない。


 攻撃力、火力が際限なく増大した現代では、一人が百人を倒すことは不思議でも何でもないからだ。


「余裕が無い上司で悪かった」

 ――不安が外に出るようではまだまだだな。


 島とてこのような形の作戦は初めてで確信が持てなかった。もし自分が現場にいるならば心配も無かったが、己の命令で若者を死地に送ったのではないかとの疑念は決して尽きることが無い。


「前にも言ったろ、お前はそこに座って居ろ。俺が必ず勝たせてやる」


 グロック准将がニカラグア内戦での愚を繰り返すまいと早めに釘を刺してくる。


「解っている、今は俺が出る幕じゃない。解っているんだ」

 ――せめて装甲車位は持たせてやりたかった。あの装備じゃ裸同然だ。


 肘掛けに両腕を預けて腰を深くして椅子にもたれ掛かる。騒いでも嘆いても今さらどうにもならない、信じて待つのみ。


 ハウプトマン大佐が腕時計を見る。


「推定敵戦力からしてそろそろ制圧の報が届くころでしょう」


 戦闘団が偵察戦闘支援中隊と同等の力を持っているならば、そう言葉を添える。


 彼我の力を正確に読み取る能力、戦術的な視野はこの場の誰よりも鋭い。島よりも、グロックよりもだ。


「戦闘団より報告、イスラム国を排除、拠点をカーマル大隊が占拠しました」


 続く被害報告が届くまで緊張は解けない。


「軽傷二、車両一の損失です。イスラム国は死者十五、負傷多数の見込み。戦闘団は作戦を継続します」


「解った」

 

 期待以上の大戦果に司令部の空気が一気に軽くなる。


 奇襲を行ったにしてもあまりにも一方的な数字に驚きだった。空爆で数名の死者が出ることはニュースでも報道されるが、二桁になると扱いが大きくなるものだ。


「閣下、爆撃機が離陸準備を始めました」


 連絡員を配しているのだろう、グロック准将がリアルタイムで差し込んでくる。


「情報を取りこぼすなよ、窮地に陥るのは若い奴らだ」


「ダコール」


 ともすれば手探りで情報を得る為に命を棄てさせるような命令が出される。


 戦争では当たり前とすら言える強要、島は決してそのような命令は出さなかった。


 命を捨てるのは最後の最後、訓練につぐ訓練で技術を磨き、努力を怠らずに精神を研ぎ澄ませることで糸口を掴む。


 水は低いところへと際限なく流れ落ちていくが、逆にそれを遡るか如きの動きを求める。


 それらは全て外人部隊で得たもので、当然二人の参謀も同じ想いだった。



「さて、どこでお呼びがかかるやら」


 郊外で戦闘態勢を整えると空爆が始まるのを待つ。孤立無援、周りは敵だらけだろう状態だというのに妙に落ち着いていた。


「南米でも、アフリカでも、中東でもやることは変わらないようです」


 ビダ先任上級曹長が応急手当も給弾も完了したと報告する。


 今回は戦闘服も緑、星も一つで軍旗も別物だ。


「ああ、空が綺麗だよ。俺もああやって輝けるだろうか」


 見詰めているのは空の星であっても、マリー中佐の瞳に映っているのは違う誰か。


 この世界に足を踏み入れ数多の冒険をしてきたが、いつまで経っても背中に手が届きそうにない。


「兵らの憧れの的が何を仰います」


「憧れだって?」


 軽車両の後部座席に座っていたが、つい傍に立っているビダ先任上級曹長を見てしまう。


 この勇猛果敢な下士官はいつから冗談を言うようになったのだと。


「兵らは今日まで司令の背を見て戦ってきました、その姿はニカラグアの英雄よりほど近いものです」


 雲上人が伝説や噂だけというのに比べ、マリー中佐は目で見て声を聴くことが出来た。

 怒りもすれば笑いもする、身近な上司が眩しく思えるのは普通のことだろう。


「俺がそう見えるのはボスの残光を反射してるからだ。あの人は別格なんだ、世界を駆けまわったってどこにも居るものじゃない」


 確かに膨大な戦闘経験どころか、戦争経験を積んできた司令官など殆ど居ない。


 だがそれを言うなら隊を支え、常に最前線で戦い続けてきた指揮官もマリー中佐しか居ない。


「おっと、始まったようです」


 夜が明けて地平線に光が差す。それが合図でアメリカ軍による空爆が行われる。


 本気で軍施設を破壊するつもりの箇所は誘導ミサイルで夜が明けきらないうちに一発撃ち込まれていた。


「勤務の再開だ。暫く休みは無いぞ」


 戦っているうちは時間の経過が早い、それだけ充実しているのか別の感覚が鋭くなっているのか。


「戦闘団武装待機に切り替えだ!」


 先任下士官であるビダ先任上級曹長が準備命令を下した。


 安全装置を解除し、車両のエンジンをかける、通信兵がヘッドフォンを据えなおしことが起きるのを待つ。


「司令、どうぞご命令を!」


 自身も下士官時代に同じよう部隊を動かしていた。マリ―中佐は一呼吸置くと命じる。


「ドゥリー大尉、レオポルド中尉は西へ、ハマダ大尉、ゴンザレス中尉は北へ偵察へ出ろ」


 残りはここで待機、部隊を三つに分けて延長作戦を継続する。


 デジタル中距離無線しか装備していないのであまり遠くの索敵は行えない。


 建築物が無い平地で二十キロちょっとが交信範囲だ。


 マリー中佐の指揮車両には出力が高い無線が搭載されていて、一方的に発信するならもっと遠距離までが可能になっている。


「イスラム国の末端はもっと不便でしょう」


 いつものように衛星通信でグループチャットが可能なインカムは持ってきていない。


 装備を揃えられなかったのではなく、現地レベルに合わせた結果だ。


 最新機器で固めた部隊が居ると目立つ、そして嫌悪されるからというのが理由になっている。


「無ければ無いでそれが普通になる。便利さに慣れた者が失ったショックは大きいだろうな」


 そういう意味では使わないと心づもりをしてきているのでまだマシだった。


 未舗装の荒れ地を車で移動する時には精々時速二十キロ程度しか出せない。


 ちょうど一時間も経った頃、本部に無線連絡が入る。


「ハマダ大尉より司令部、何者かがイスラム国の旗を掲げた集団と交戦しているのを確認」


「詳細報告を」


「アルジャラー南部、空爆を受けたイスラム国守備隊百から二百を、茶色の軍装百弱が攻撃中の模様。双方軽歩兵。イスラム国が公道4号の民家を拠点に展開」


 市街地中心部から外れた宿舎なりを空爆したのだろうか、多数が守り一辺倒というのもおかしな話だ。


 仮に市街地に空爆したというなら別の問題が起きるが。


 マリー中佐が隣に視線を送る。


「あの周辺で茶色と言うと、シリアユーフラテス運動の可能性が高いでしょう」


 ユーフラテス川沿いの治安を維持し、地域共同体が繁栄するのが目的。地域団体の一つが武装したものだ。


 通信士から無線を受け取ると直接交信する。


「俺だ。茶色の部隊を支援しろ、占拠にまで手を貸す必要は無い」


「イエッサー」


 これで一つの目的を達成できるだろうと次を見据える。


 周辺には居ても小規模な集団だろうと想定している、何せ人が住めるような場所ではない荒れ地なのだ。


 少しの間ハマダ大尉の部隊の様子を伺っていたが、特に反撃が苛烈になることも無かったようで順調に推移していた。


「何とも呆気ないとは思わんか?」


 マリー中佐がいつもなら大変な目に会うのにと、まるで求めているかのようにビダ先任上級曹長に語り掛ける。


「寄ってたかって中東紛争が解決していない理由がすぐに体験できるでしょう」


 心配せずとも必ず問題は仲良く手を繋いでやって来ると断言してきた。


 まるでそれを聞いていたかのように衛星電話が着信する、二人で目を合わせて微笑するとビダ先任上級曹長が耳に当てる。


 二度三度応答し、頷くと通信を切った。


「アロヨ大尉からの朗報です」


「ほぅ、あの癖っ気がお強い参謀長の子飼いが朗報ねぇ」


 マリー中佐はあの態度が嫌いではなかった。やることをやっていればそのあたりは個性でしかないと捉えてすら居る。


「イラク北西部キム市から昨晩遅くにイスラム国の輸送部隊が動いたそうです」


 キム市はユーフラテス川沿いのイラク最後の都市だ。昨晩がいつ頃を指すかは解らないが、夜が明けた今よりは前で、アブー・カマールを攻めるよりも後なことは確かだろう。


 戦闘中に遭遇したなら増援したはずだ。


「ビダ、進路の街が敵に占拠されていたらお前ならどうする?」


 こいつなら攻め込むと言いそうな気がしたが、一応確認の為に訊ねてみた。


「輸送が任務ならば迂回します。東が川ならば西周りで迂回するでしょう」


 軍人ならば任務を優先する、正解だ。


 ではイスラム国のその輸送部隊は軍隊なのかということになる。


「慎重な隊長がイラクに引き返したとしても俺はその判断を認めるよ。だがイスラム国の指導者が刻限を守らなかった奴をどうするかな」


 無能者の烙印を押されればそこで全てが終わる、無理をしてでも輸送を行うだろう。


 勢いと恐怖と厳格さで秩序を保っているなら、アッラーに祈り突破を目指す者の方がきっと多数派だ。


「ドゥリー大尉より戦闘団本部、南部で車列の砂塵が上がっている。詳細を確認する」


 タイミングの良さに二度目の笑顔。報告の結果を待つまでもなくマリー中佐は判断を下す。


「本部を西へ移動させるぞ」


「各位乗車だ! 進め!」


 ハマダ大尉には衛星電話で連絡を入れて置き、本部をドゥリー大尉の隊に向けて走らせる。


 五分も経った頃に「イスラム国の自動車部隊発見、トラック多数。戦闘員四百から五百」驚きの無線が入る。


「大部隊だな! そんなに貴重な何かを輸送しているのか」


 大事になりそうな予感がヒシヒシとした。だがこれを見逃していてはどうにも上手くない。


 とは言え手勢は数十のみ。ハマダ大尉の隊を糾合しても百に届かないのだ。


 味方らしい味方も皆無で、指を咥えて見ているしかないのかと眉を顰める。


「装備さえあれば……」


 いつもの戦闘車に大火力兵器があればその位の差で躊躇もしない。


 夜襲するにしても朝になったばかりでかなり先になってしまうので適切とは言い難かった。


「諦めるな、考えるんだ。そもそも何故モスルに向かわない、最前線を退く理由は何だ」


 イラク国内の拠点はもう数少なくなっている、それを支援するための物資ではない。


 では逆にイラクからシリアへと引き下げるための何か。戦闘物資でないなら財産の類だろう。


 マリー中佐は更に考えを進める。


「奴らが略奪する財宝…………もしかして」気になったので自ら無線機を手にして「マリー中佐だ、大尉、兵力の再確認を行え。トラックを抜きにして報告を」


 了解を耳にして数十秒「百五十乃至二百」回答が得られる。


 トラックに武装兵を満載していたとして二百から三百、では財宝は貴金属だろうか? 否だ。


「大尉、二方向から挟撃するぞ。合図があるまで兵を伏せておくんだ」


「ダコール!」


「フランス語は解される恐れがある、今からスペイン語に切り替えろ」


「スィン!」


 これが間違いならば全滅の恐れもあるが、マリー中佐は決断した。


「ビダ、輸送部隊を全滅させるぞ」


「ヴァヤ、コマンダン!」


 ハマダ大尉を待つことなく仕掛けると言うマリー中佐の命令に疑問の欠片も持たずに皆が従う。


 徐々に太陽が高くなってくる、乾いた空気が吹き抜けると焼け焦げたような匂いがした。


 近くの農場が燃え落ちた跡。空爆の対象になっていたのか、はたまたミサイルでも叩き込まれたのか。


 西へ向けて走ること三十分、ついに件の砂塵を発見した。


「戦闘団司令マリー中佐だ。クァトロ戦闘団へ告げる、これよりイスラム国輸送部隊を強襲する。目標は軽車両の戦闘員全滅、トラックには攻撃を仕掛けるな。目の前の戦いがシリア戦全体の最初の転機だと知るんだ!」


「スィン コンバットコマンダン!」


 車列の先頭がワジ(水無川)に沿って進む。上流で雨が降ると鉄砲水が起こることがあるが、そうでなければ安定した足場なので道路として使われることが多い。


 川幅も五十メートル見当あり結構な広さで、左右が堤防のようにせり上がっていた。


 ドゥリー大尉とレオポルド中尉の隊が西側から、マリー中佐とバスター大尉、ストーン中尉の隊が東側から迫る。


 双眼鏡を手にしてマリー中佐が車列を観察した。


「……やはりな。巻き込んでしまうかも知れないが、この先を思うならそれでも納得してくれるだろう」


 無線を担いだ兵を招き寄せて通信機を手にすると「カンプグルペ アタクエ!」攻撃命令を下した。


 薄く広く広がった四つの部隊が喚声を上げることも無く襲い掛かる。


 初撃で多くが撃ち抜かれるまで全くの無警戒で襲撃を受ける。あちこちで急ブレーキをかけてしまい衝突事故が多発した。


 こういった場合は止まらずにアクセルを踏み込むべきだというのに。


「アラードゥイ!」


 敵襲を大声で報せるが遅い。左右から銃弾の雨が降る、軽車両から黒い貫頭衣の男たちが降りて来ると、車を盾にして小銃を撃ち返す。


 まばらな反撃が徐々に加速して来ると、黒のパンツに防弾ベストを装備した奴らが砂地を登り始める。


「士気はそこそこ高いようだな。だがこんなところで手こずってなど居られんぞ。ビダ、あの隊を蹴散らせ!」


「ヴァヤ!」


 直下の分隊を連れて褐色の肌のニカラグア人が腰を低くして駆ける。


 視界が切れているギリギリを見切って移動すると、小銃の先に銃剣を装備する。


「ドゥリー大尉、俺の合図で南西のベストを装備した隊に牽制で射撃を集めろ」


「スィン」


 出のタイミングを窺っているビダ先任上級曹長に文字通り援護射撃を行う。


「今だ!」


 声に合わせて猛烈な射撃が砂地の中腹あたりに居る隊に向けられた。


 砂に銃弾が突き刺さると波が起きて埋まる。くぐもった音がやけに低い唸りに聞こえるので注意が削がれた。


 そこへ斜め上から緑の軍装の兵が腰だめに銃を構えて、狙わずに撃ちながら迫って来る。


 慌てて向き直って撃ち返そうとするも銃剣が防弾ベストを貫いた。


 耐用年数が過ぎたのをそのまま使い続けていたのだろう、末端の輸送部隊に最新式がある方がおかしいと言えばおかしい。


「周りは全て敵だらけだ、撃て撃て!」


 動く相手に次々と発砲を繰り返す。


「全軍制圧射撃だ! ビダ退け!」


 マリー中佐が戦況を見てそう指令を下すと、まるで部隊が一つの生き物かのように動く。


 耳が痛くなるような全自動射撃が数秒続き、イスラム国兵が身を伏せてやり過ごす。


 それに合わせてビダ分隊が砂地を駆けあがると反対斜面へと転がり込んだ。


「ストーン中尉、レオポルド中尉、南部から車両で迂回して攻撃だ、敵を追い落とすぞ」


 二人にはスペイン語が通じないのでフランス語で命じる。


 一時的に攻撃が弱まるが、これといった対策が出来ないようでそれぞれが小銃による反撃をすることで精一杯だった。


 タイヤで激しく砂を巻き上げて軽車両がエンジンを唸らせながらワジを進む。


 車載の機銃が遠くに見える黒服の戦闘員をなぎ倒す。なるほど今回に限っては黒のクァトロ戦闘服でなくて良かったかも知れない。


「全軍総攻撃だ!」


 戦機を感じ取ったマリー中佐が全力攻撃を下命。


 左右の陰からも車両が姿を現して機銃手がようやくの出番に弾丸を大放出した。


 三方から攻撃を受け、精鋭が力尽きているイスラム国兵は、北側に敵がいないと見るとついに一人、また一人と北へ逃げ出していく。


「抵抗する敵だけを狙え!」


 目的は敵の全滅であって殲滅ではない、戦闘力を奪えばそれでよい。士気を喪失した者は対象外だ。


「アッラーアクバル!」


 神を讃えて死を覚悟した特攻を仕掛けて来る者が続出する。


「無理に交戦するな、守備重視でやり過ごせ!」


 決死の攻撃と真面目にやり合う必要はどこにも無い。


 指揮官が最前線にいるからこそ素早い対応が命令される。


 自殺志願者があらかた居なくなったところで「敵を掃討しろ!」新たな命令が下った。


 無線を切って大きく息を吐く。


「何とか勝てた、方々に迷惑を掛けずに済んだか……」


 きっと島も通ったであろう道を、マリーも今通過した。

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