第八十六章 混迷の政権、第八十七章 北部同盟、第八十八章 山岳猟兵、第八十九章 オルテガ大統領の躍動
チナンデガ市の州庁舎、司令官室に人が集まっていた。クァトロの面々である。マリー大尉が島に、ヌル・アリ中尉の復帰を告げた。
「イギリスはどうだったヌル」
「成熟された文化が隅々に行き渡っているのを感じました。素晴らしい経験を得られたと自負しております」
――これがあのヌルか、グロックがどうして育成に病み付きになったか少し解ったような気がするぞ。
体格は多少筋肉がついた位しか違わないが、表情には穏やかさがあり、瞳には落ち着きがあった。中尉に昇進していたこともあり、模範的な勤務をしてきていることも窺えた。
「そうか。こんな状況だが本人の意思を尊重する、クァトロの将校として働いてくれ」
「イエス、マイロード」
マイロード――我が君と彼は言った。イギリス軍人にとっての主君は女王であり、島はただの雇い主でしかないのに。
「俺はしがない准将でしかないよ」
「あの日、あの時から、貴方は私の主です。取り巻く世界が変わろうと、誓いは決して変わることはありません」
女王陛下も等しく尊敬しております、配慮を忘れることも無い。エーン大尉が真面目な顔で小さく何度も頷いていた、どうやら側近として認めたらしい。
日本にある島の実家、四人が交わした誓いは固く守られていた。島も彼らに対し恥じる真似は決してしまいと生きてきている。
「うむ。まあ皆座ってくれ、色んなことが山積みだ」
ヒノテガは援軍が得られないばかりか、マナグアが揺れたことで籠城虚しく陥落した。直接的な戦闘での死傷者は包囲をしていた部隊が一番少ない結果となっていた。ロメロ大佐は何も語らずにノリエガ中佐に連行され、今はチナンデガに拘留されている。
「しかし、義勇軍とは参りましたな。エーン大尉の案だとか?」
ロマノフスキーが何時から仕込んでいたんだ、と詰め寄る。
「自分はハラウィ大臣に進言しただけです。手配は閣下の判断です」
ハラウィ少佐はヒノテガに駐留しているため、事実がどうなのかは解らなかった。エーン大尉が多くを語るとも思えない。
「レオン軍司令官を捕縛したのはマリー大尉の手柄だな、よくやった」
「いやボス、あのまま殲滅されなかったのは、中佐の支援とヌル中尉の指揮のお陰です。それに最大の功績はフーガ大尉でしょう」
ロマノフスキーから報告があった、有能な現場指揮官の名前をマリーからも耳にした。
「そうか。車両の鹵獲もあったそうだな、ブッフバルト中尉」
エンジンが焼けついていたのと、装甲を焦がしたのを直せば使用可能だと技術者から所見があった。修理可能ならばそれは大幅な戦力向上を約束されたも同然である。
「後方司令の手配と消防中隊の活躍がなければガラクタのままでした」
誰も彼もが自身の功績を誇らず、他人の手柄を誉めた。島はそれを微笑を浮かべ聞き続ける。
「消防司令から現場の護衛に感謝する、と来ていたな。本当皆良くやってくれた」
「すべて准将閣下のご人徳の賜物でしょう。長官も驚いておられましたよ」
オズワルト中佐が平然と赤面しそうな台詞を口にする。
――これだけやって、まだスタートラインに立てていないんだから、前途多難だな。
「長官にもお礼を言いに行ってくるさ。こけたら最後なのによくぞ我々に付き合ってくれた、とね」
「閣下、そろそろお時間です」
サルミエ中尉がタイムキーパーの役目を果たす。これから北部軍と北部地区の合同会議が予定されているのだ。主たる議題はもちろん大統領についてになる。
大会議室に島を主座としてチナンデガ、エステリ、ヒノテガの長官が行政側に席を得る。コステロ総領事もこちらに座った。軍部側としてラサロ大佐、ロマノフスキー中佐、ノリエガ中佐、オズワルト中佐、エステリとヒノテガの連隊長代理中佐が出席している。ヒノテガはロメロ大佐を更迭しての代理だが、エステリは規模が小さい為に元より中佐が地区を管轄していた。
――人数を絞ったのに結構な頭数だな。
それぞれに副官や秘書が従っていて、島だけは秘書官と副官を従えている。利害が反目する組織の代表が集まれば、会議は確かに踊りそうだと思ってしまった。
「皆様、お集まり頂きありがとうございます。既にお聞きでしょうが、過日オヤングレン大統領の無事が北京で確認されました」
わかってはいるが改めて口にされると渋い顔になる者が多かった。コステロが真っ先に意見することを求める。進行をエーン大尉に一任して、島は聞き役に徹することにした。
「駐ホンジュラスニカラグア総領事コステロです。現在北部軍専属の対外交渉を引き受けております」
外務省が機能していないから、一応の理由を付け足しておく。
「我々は岐路に立たされています。何処に向かい歩むべきか、それを決めねばなりません。西側――いえ、アメリカは共産勢力を拒絶するでしょう」
即ちオヤングレン、オルテガ、どちらを向いても見放されると警告する。ノリエガ中佐が手をあげた。
「軍は政治に口を出さないだろう。だがキューバのような地の利はニカラグアに無いと知っていて貰いたい」
アメリカの喉元に突き付ける短刀の役割があるので、キューバは共産圏から優遇されていると示唆する。それに比べ、ニカラグアは幾つかある共産国家の一つにしかなり得ない。
「大統領は民主的に選ばれた正統な国家の代表、それも間違いはないが」
ヒノテガ州長官メンブラードが建前か本心か、際どい部分を衝いてくる。北部の根拠である政府は、首相が臨時で運営している暫定の代物でしかない。
「我々は判断すべきだよ。何せ非常事態だ、州民を護るための最善を選ぶ義務と責任がある」
チナンデガのサンチェス長官が二人の長官に視線をやった。事実望んで出席しているのだから、何であれ決めずに済ますことなど出来ない。
「ホンジュラスは難民を受け入れる余裕がないと言っている。どこでもそうだが。外国人ならば限定で承認するだろう」
政治難民が流入しては国力に影響を及ぼしてしまう。ニカラグアは比較的人口が多いので、そのあたりの懸念が向こうにあったらしい。外交官に漏らしてきたのは、いざとなって申し込み拒否されてからでは大変なので配慮してくれたわけだ。
「パストラ首相はどのようにお考えなのでしょう?」
場違いなほど貧相なエステリ・ガルツォーネ長官が、国内に居る最高官の意思を知りたいと発した。皆の視線が島に刺さる。
――迂闊なことは言えないな、だからと知らんと切り捨てるのも芸がない。
「連絡は途絶しています。コスタリカならばパストラ首相の動向を掴んでいる可能性があります。それを漏らすとは思えませんが」
直に政情を左右させかねない内容である。知っていても知らないことを装うのがコスタリカの利益にもなる。オズワルト中佐が手をあげる。
「いずれにしても、生活をやめるわけには行きません。北部は自主的に現在を維持しなければならないでしょう」
「マナグアより物資の流入が止まるならば、ホンジュラスから補うことが出来るでしょう」
共同管理港を抱えているチナンデガを干上がらせることは、物理的には不可能である。だが経済的、政治的には容易い。
「軍人への給与が保証されるならば、我々は現状に不満はない」
これは中佐らのことではなく、下士官以下の一般兵士についてである。彼らとて金がなければ生きては行けないのだ。
「恥ずかしながらエステリは、中央からの補助金無しでは支払い能力がありません」
「ヒノテガも長くは払えません。三分の一位ならば何とか」
チナンデガは何とかやってみると請け負ってくれた、ラサロ大佐も黙って頷く。二人の中佐が面白くなさそうな顔になってしまう。
――パストラ首相が面倒をみると約束してくれても、政府自体が怪しくなっては信頼が弱いな。発想を逆転させろ、起死回生の手を閃け!
その時、エーン大尉がサルミエ中尉に資料を要求した。手早く必要箇所を抜き取り眼前に並べて行く。
「俺を手品師にでもさせたいのか」
「稀代の投資家とでも申しましょうか」
――俺が金の都合をつければ済む話ではないがね。こういうのをブラックマネーと呼ぶんじゃなかったのか。
「オズワルト中佐、こちらに」
島が招き寄せて資料を指差して一言「どうだ」丸投げの姿勢をとる。彼はちょっと失礼、とポケットから大陽電池の電卓を取り出し叩く。メモ帳に三種類のプランをまとめて質問があるかを尋ねた。
「中佐のお勧めは?」
「最初のプランです、閣下」
「解った。ではそうしよう」
着座するように求めてメモを傍らに、何事もなかったかのような顔をする。左右でバラバラの発言がある中、サルミエ中尉に命じて一枚の書類を超特急で作成させた。
自由な討議が続く、概ね内容が煮詰まってきた。三長官が大筋合意し、地方で補いながら様子を見守ることにしたらしい。行政官ではあるが島は方針に口出しはしなかった、これは彼等が決めるべきことなのだ。
「閣下、我々は州の境界を維持して政情不安が過ぎ去るのを待ちます」
チナンデガ長官が規模の上から代表して結論を述べた。エステリとヒノテガの中佐は不満がありそうだが、まずは頷いておく。
「わかりました。引き続きリバスに連絡する努力を続けます。大統領からもあちらにコンタクトしてきているでしょう」
サルミエ中尉がまだ会議中なのを見て、少しばかりほっとする。書類を手渡し一歩下がる。島がロマノフスキー中佐に視線を流す、それに気付いた彼は何の合図かを考えた。
「戦争は金がかかる。負けたら全てを喪うこともある。何とかなりませんかね」
漠然とした発言に視線が集まった。ノリエガ中佐は何が始まるのか興味津々である。
「エステリ軍としては、境界に強固な軍が現れても戦えとは言いがたい」
「我らヒノテガ軍もオルテガ政権の影響が小さくはありません」
軍部が反発を見せる切っ掛けを欲していた二人は、ロマノフスキー中佐がどう考えているかを懸念していたらしい。無償奉仕で命を懸けろとは言えるわけがない。
「チナンデガ軍も、北部軍もタダ働きでは小官も強くは言えませんなあ、将軍閣下」
相変わらず意思を発しないチナンデガ連隊長ラサロ大佐を脇に見て、茶番劇も良いところである。オズワルトなど笑いを堪えるので必死だ。反対に長官らは身の安全が無くなる瀬戸際に立たされていると受け止めた。
「給与ならば三ヶ月は担保可能だが……」
サンチェス長官が三州の人数で大まかに頭割りし、予算があることを示す。だがエステリ軍は死傷者への保障を衝いてくる。ヒノテガ軍も街が被害を受けて大変だと、苦情を発した。長官らはそれ以上反論出来なかった。
「貴官らは」少しだけ声を張って注目を寄せる「軍人だと記憶しているが」
「その通りです、閣下」
何のことだと簡単に認める。それ以外に見えるのかと小馬鹿にしそうな雰囲気すらあった。
「そうか。……ならば恥を知れ! 貴官らは市民を守るために軍人になったはずだ、国家に誓った言葉を思い出せ。長官らの心が軋む音が痛く胸に響きはしないのか?」
いつ如何なる時も、国家と国民のために身を捧げ、忠誠を誓う。全ての国の公人は必ず宣誓している。
「……」
「やりもしないうちから駄々を捏ねて何の解決案も提示しない、それが責任者たる者の態度か!」
無論双方とも言い分があるのは理解している。だが対案なしに意見だけ通そうとするのは怠慢でしかない。
「イーリヤ准将、我々地方官の職員の給与を三割削減すれば、何とか支払えるはずです」
文官が我慢すれば収まるならばと長官が歩み寄る。公務を減らせば何とかなるだろうと。
「休職者を募り、有事にのみ即応可能な部隊を検討してみます」
エステリ軍中佐が折れた、だがヒノテガのは島をじっと睨むだけで言葉を発しようとはしない。
――俺にも案を出せと言うことだな。良かろう望むところだ。
「北部軍は規模を拡大させる準備がある。州軍からの出向者があるならば給与と装備を引き受ける」
「ロメロ大佐殿はオルテガ大統領に乗せられ失敗しました。自分は部下にこれ以上苦行を強いる真似は出来ません。将軍閣下、北部軍の資金根拠をご教授願いたい」
――叩き上げか、政治色に染まらず部下との調整役を担っているわけだ。ならば右にも左にも向くぞ。
「北部軍は北部軍行政官府より支援を受ける。その行政官府は北部州地方政府により構成されている」
「その地方政府が悩んでいますが」
「北部行政官府はニカラグア有志より資金を調達する。先程後方司令に計算させた、二千万アメリカドルあれば一年は余裕で養ってやれる」
冗談ではないぞとサルミエ中尉が中佐に一枚の書類を渡す。
「な、二千万アメリカドルが!」
「良く見ろ中佐、一つ桁が違う。最大二億ドルの貸付契約だ、無利子無期限無担保のな。くれたのではなく借りだぞ」
――これだけゼロが多くなると全く実感がない。シュタッフガルド支配人も、よくもまあ頷いたものだな。迂回に使う名前も事後承諾とは、詐欺師も同然だよ。
震える手で書類を返却する。それをそのまま三長官の前に持って行き確認させる。まずはゼロを数えるところから始めた。
「……リリアン・オズワルト?」
長官が代表氏名を数人読み上げると、オズワルト中佐に視線が飛んだ。全くの予想外だったようで鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる。
「オズワルト中佐の娘だ」後方司令が大富豪なのかと見る目が変わる。あたふたしているところで「稼業は譲ってしまったようだがね」
それだけの手腕があるのだと刷り込んでおく。こんな手でも後方勤務がスムースに進むような効果はある。人なんてものはもしかしたら、そんな皮算用が楽しくて仕方ない生き物なのだ。
ノリエガ中佐の視線が痛い、エーン大尉の無表情すら笑い顔に見えてくる。島はやれやれと内心ため息をつくと話を進める。
「州長官、各州の治安維持を行い、市民の生活を守って頂きたい」
「畏まりました」
サンチェス長官が二人に向かい頷き返答する。
「北部軍は機動的な戦力とし、州軍の増援として機能させる。これに伴い志願兵部隊だったクァトロを正規軍に昇格させる。北部軍直属だ」
「閣下、ヒノテガは三個中隊を北部軍に出向させます」
残りで守れば増援が来るまで充分だと数を読む。
「エステリ軍からも三個中隊を」
こちらは殆んど残らないが、重要拠点が一ヶ所しか無いのでそれで良かった。兵を養う負担に目がいってしまうのも仕方ない。
「クァトロに義勇軍、野戦警察、憲兵を合計したら十五個中隊あたりですな、司令官」
ロマノフスキー中佐がにやにやしている。アロヨ警視監の言葉を思い出した。
「近く北部軍の序列を定める、中佐らは明日部隊の概要をファイルにまとめて持ってこい。間に合わんとは言わせんぞ」
退路を絶ってから返答を求める、島もまた成長をしているのであった。
場を解散させ、続けて長官らと今後を占う。真っ先に貸付契約の真偽を問われた。
「イーリヤ行政官、あの貸付はいつの間に?」
サンチェス長官は存在自体を疑って掛かる。鵜呑みにする方が異常ではあるが。
「つい先程ですよ。もっとも、金よりも大変な話が残っていますが」
島としてはパストラが北京やモスクワに迎合すると言うならば、人も資金も引き揚げて見守るつもりである。国民が何を望むのかは知らない、それはニカラグアに生きる者が考えることなのだ。
「また暗い時代を招くことはしたくはありません。大統領もそうですが、我々は北部地域を一体にすることが必要ではないでしょうか?」
「他の州とも協力出来れば……ですね」
三長官は態度を決めかねている長官を説得に掛かろうと相談を始めた。中立でも構わないが敵対されては困ってしまう。それに地域一丸となったほうが、中央への発言力も強くなるものだ。
「行政官、会談の場にいらしていただけるでしょうか」
「私の肩書きが必要ならば、出席させていただきます」
理念や見通しを求められても門外漢だと予め断っておく。
「彼らも不安なはずです。北部地域を合同して北部同盟を作れたらと思います」
――北部同盟か。そうなれば行政官が剥奪されても、北部軍が解散しても根拠になりえるな。
「私もその考えを支持します」
政治的な参謀が必要になる、そう感じ始めた。中国がどうしてオヤングレン大統領を取り込めたのかも疑問が尽きない。いくら危なくなったからと、はいどうぞとは行かないものがある。
「各地で志願者を募集したいのですが、よろしいでしょうか」
北部軍として規模を拡大し、傘下に民兵を連ねると構想を述べる。
「戦いが激しくなると見ておいででしょうか?」
「抑止力の部分は共通しています。ですが人そのものを集める、それが目的です」
「と、言いますと?」
三長官は意味が解らず先を促す。それは仕方がない、たった一人を求めて陽動をするのだから。
「募集は全土からです。人が多く動けば全体に負担が増加し、一部の監視が綻びる」
――何とかして切っ掛けを作れば、あとは自分でやってくれる。その位の苦労はものともしないだろうさ。
方針会議を終えて司令官室に戻る。誰から呼んでやろうかと考えていると、サルミエ中尉が早速面会を求めている人物がいると伝えてきた。
「一番乗りは誰だ」
含み笑いしながら会議に出た面子ではないだろうと予測をする。
「コロラド先任上級曹長です」
「よし、連れてこい」
――まずはマナグアでの工作をやらせるとしよう。
よれよれのつなぎを着た中年がやってくる。将軍の眼前に出るわりには緊張が見られない。
「どうも、いよいよ本格的にで?」
「ああ、様子見になるがね。やってもらいたいことがある」
前置きなどなしで役目を口にする。コロラドもそのつもりで島が執務室に戻るのを待っていた。
「マナグアに行き北部軍が兵を募集していると広めてくれ」
「徴兵ではなく?」
「ああ、志願者を募っている。待遇は正規軍人に準じるとしておけ」
それはつまりまともな給料を充てられると同義であり、つまらない仕事をしているようなら見切りをつけてやってくる可能性を孕んでいる。そのあたりコロラドは体験者なので詳しく説明はいらない。
「チナンデガに人が溢れるでしょう。敵の間者が混ざるのは良いとして、一つ提案が」
「なんだ、言ってみろ」
悪だくみをするのが楽しいのは、より良い結果が得られそうな案が浮かんだときに他ならない。実行より計画が重要なのだ。
「海路にも不定期便を手配です。陸に限らせる必要はありゃしませんぜ」
へっへっへと笑みを浮かべた。島はそれが先にまだ続きが残されているのを知っていた。コロラドは台詞を皆まで言わなかったと。
「では東西の二線を動かすんだ。カリブ海まわりまで警戒するのはさぞかし骨が折れるだろう」
本命を偽装する為には多数のハズレを用意する。しかもその気になれば使えそうなハズレをだ。
各国通貨を自由に支払い出来るクレジット機能がついたカードを渡す。持ち逃げしてしまえば好きなように遊んで暮らすだけの現金も引き出せる。
「公共事業みたいなものでさぁ」
空発注からのキャンセル待ちにしてしまえば、乗る側も乗せる側もギリギリで交渉が出来る。金額の割りには乗船率が低く怪しいが、そんなものは貨物の数字をいじれば解決した。
次に来たのは二人組である。サルミエ中尉にはビールを用意させた。
「部下が優秀でやることがありません」
ロマノフスキー中佐はブッフバルト中尉が事務を処理しているので問題なしとやってきたらしい。何でもやらせておけば、いざという時に経験が役に立つ。
「奇遇だな、俺もだ。正直こんな具合で良かったのかさっぱりだ」
国の行く末自体をどうこうする、手に余るにきまっていると肩を竦める。
「ダメだったらごめんなさいと手を上げたら良いんですよ。三日月島の奴等、呼び寄せましょうか」
枠が固まり手駒の選別も出来たなら、一気に基礎を磐石にすべきだと進言する。
「受け皿は義勇軍か、将校・下士官だけホンジュラスに寄せておけ。兵は三日以内に召集可能な待機を」
国籍者が一人だけでも構わないだろうが、やはり将校、下士官、兵のセットにすべきだと指示する。
「で、マリー大尉は俺達とは違い忙しいはずだろ」
理由は簡単だ、クァトロには将校が配されていないので、マリーが自分でやらねばならないのだ。それで顔を出してきたのに繋がるとも言えるが。
「一晩徹夜すれば終わりますよ。昇進させたい奴がいまして」
「ほう、どいつだ」
島が身を乗り出す。どんな功績があったか、聞くのは楽しいものである。
「ゴンザレス軍曹です。マナグア占拠にもいた奴で、真っ先に敵陣に突入し、最後に離脱。常に笑顔を忘れない青年」
部隊先任にしたいのですが、彼が伺いを立てる。そうなればビダ先任上級曹長が宙に浮いてしまう。
「なあマリー、今北部軍は極めて将校が不足している状態だ」
「彼ならば充分務めを果たせるはずです」
曹長にするつもりならばわざわざやっては来ない。島はマリーの意向を汲み取り、許可を与える。
「では決まりだ、ゴンザレスを少尉に任官させる。副官として使うんだ」
「ありがとうございます」
「礼には及ばんよ、相応の待遇には相応の仕事がついて回る。マリー大尉は少佐に昇格させる、クァトロを八百人規模にまでするんだ」
第四コマンド部隊の名を当てる、瞳を正面から見て告げた。戦闘団のようなもので、大尉か少佐が率いる部隊単位を編成する都合からと説明を加えた。
「自分はまだ三十そこそこの若輩ですよ」
「なに気にするな、俺もまだ三十代で准将だ。それにな、マリーは見合うだけの働きをしてきた」
ロマノフスキーもそうだそうだと頷く。五年たてば丁度良くなる、島にも似たようなことを言った記憶が微かにあった。
「この稼業から足を洗うのを諦めましたよ。一生ついていきます」
「結構。少佐と言えばコマンダンだ、約束通りクァトロ軍旗を譲ろう」
こんな早くにとは思わなかった、島が内心呟くがマリーならば資格充分と相反した感情もある。
「ボス、すると他のコマンドは」
少佐か大尉が、そう括った以上は複数の部隊が出来上がるはずだ。
「フーガ大尉を少佐に昇進させて、第一コマンドにする。第二と第三は検討中だよ」
機甲コマンドが第一で、機械化コマンドが第四、他は明日提出される資料次第である。少なくとも八個中隊は正規軍が所属するわけだから、漏れた中隊を束ねる司令も必要になる。車両はいくらあっても足りないはずだ。機動力を確保せねば成り立たない、しかも航空部分はなしなのだから尚更時間が貴重になる。
予告を受けて二人が去った。次の面会が来る前にエーンに一言。
「秘書官の働きもまた素晴らしい。なあエーン」
お前も少佐だ。一方的にそう決めてしまい、敢えて詳しくは述べない。エーンも「ヤ」短く返事をして業務を続ける。
――乱発しているわけではない、ニカラグア軍を見て確信しただけだ。こいつらならばそれだけの職務を遂行出来る。
「ボス、ノリエガ中佐が来ております」
すぐに通すようにさせる。ヒノテガの件でも解るように、有能な現地の部下なのだ。
「閣下、お時間いただき恐縮です」
「誰が来るか待っていたところだ、吉報を期待して良いかな」
良かれ悪かれノリエガ中佐の責任ではない、彼も解って微笑する。
「どうでしょうか。ロメロ大佐が閣下に面会を要求しております」
「今さら何の用事だろうな」
今までいくらでも機会はあった、時機をここにした理由を探る。拘留しているからと情勢を知らないとは限らない。調べる方法や察知するポイントはあるものだ。彼もニカラグアの高級軍人なのだから。
「大佐はヒノテガの有力者でもあります。いずれ街からも解放するようにと持ち上がる見通しが」
――殺すのはまずいし、解き放つのはもっとまずいか。どうしたものかね。
無視しても構わないのだが、いずれ解決しなければならない。もし逃げられでもしたら余計面倒が大きくなる懸念もある。
「エーン大尉、どこかで予定に入れておいてくれ」
「はい、閣下」
と言うことだ。中佐に視線を戻す。まだ何かありそうなので間をあける。
「野戦警察中隊ですが、エステリから一個、ヒノテガから二個派遣の見込みです」
過剰な警察官をどうするつもりか、方針を決めて欲しいと要望が出される。正規軍とは違い日々を訓練で過ごさせる、そんなわけにはいかなかった。
「内戦だ。暗殺も視野に入れなければならなくなる。要人警護に二個中隊を使うんだ、中佐の指揮下に」
「自宅の門番に制服組がいるだけでも効果はあるでしょう」
憲兵中隊と野戦警察中隊二個をノリエガ中佐が束ねる。自然とタランティーノ警視正が三個を纏める役目を割り振られた。こちらは進駐先の治安維持と、憲兵の手先のような立ち位置になる。
「警護についてだが、先方の了解を得てからにしてくれ。監視ととられては心外だからな」
「畏まりました」
受けとる側次第とは言ったもので、警護を首輪か何かだと思われては不都合が生じる。その意味でやはり公表して実施の経緯を知らしめる手配も平行させた。
――まだ誰か来るだろうか? それともこちらが行くのを待っているかもな。
机上の仕事を軽く挟んで様子を窺う。するとサルミエ中尉が来客を告げた。アロハシャツとでも言うのだろうか、場違い甚だしい姿だ。
「空軍のダラス大尉です」
――向こうから来たか。
「北部軍管区司令官兼北部行政官イーリヤ准将だ。待っていたよ大尉」
どっちつかずにいた空軍、その中の北ニカラグア空軍基地。ダラス大尉は基地司令官の副官であった。コンタクトが露見しては困るので、島よろしくピエロ姿に興じている。
「お言葉頂きありがとうございます。閣下のご高名はかねがね」
――なんの悪名かわかったものではないがな。
副官がやって来るあたり、北部軍の実態がどうなのか探りを入れるつもりなのが感じられた。
「色々と取り巻く情勢が忙しく変わるが、お互い目指すのはニカラグアの平和なのは違わないと思うよ」
どうしたらそれに近付くのかは暗中模索の最中だがね。島は軽口を織り交ぜ真意をはかる。
「空軍は過日、アメリカ空軍機の飛来を確認しました。閣下はいかがお考えでしょうか」
「サルミエ中尉、そんなことがあったかな」
とぼけるわけではないが、複数の事例があっては混同してしまうので確かめる。
「チナンデガ上空を二機が滞空、二発のミサイルを荒れ地に発射して引き揚げた件が御座います」
「大尉、この件だろうか?」
「はい、閣下。領空を他国軍機が侵犯しました」
今までだって山とあった、問題はそこではなく島が、北部軍がどう考えるかだ。話題は政治的な領域に踏み込んでいる。
「軍人として述べるならば、甚だ遺憾であるね。司令官としてはそうさせる様々な要因は把握しなければならない義務がある。行政官としては街に爆弾を降らせるのでなければ、特段騒ぐ必要を感じない」
「では一人の軍人として尋ねたく思います。今後ニカラグア空軍がいずれかの対象と戦うならば、閣下はどのようになされるでしょうか」
明言できない制約は自ずから理解できる。大尉には限界があるのだ。だがしかし、島が答えを濁すとしたらどうなるだろうか。
――現段階では満足いく答えにはなるまい。だからとはぐらかすつもりはないぞ。
「北部地域に暮らす者を守るために、全力で支持するだろう。もしニカラグア軍の一部が市民を苦しめるならば、私はそれを許しはしない」
ヒノテガでの行為を参考にするだろうと、断固とした意思を表明する。アメリカ空軍との関係についての答えにはなっていない。しかし前提となる判断根拠を示したことで、大尉の溜飲を下げることには役立ったようだ。
「空軍司令官に伝えさせて頂きます。貴重なお時間ありがとうございます」
敬礼して踵を返す。去り際に島が声を掛ける。
「次に用がある時は、ここにいるエーン大尉かサルミエ中尉を指名すると良い。直接声が届く」
「必ずそうさせて頂きます。失礼致します」
もう一度向き直り敬礼し執務室を出ていった。軍の未来がご大層なものだと思い込んでいる、そんな横顔だった。
――俺が不感症になったか? 始まりが始まりだけに、真面目に戦争するつもりなんかこれっぽっちも無いがね。
「さて、やらねばならないことがあるが、俺がここを離れて良いのか解らん」
誰に向かい喋っているわけでもない、独り言でもない複雑な状況である。そんな島を穏やかな気持ちでエーンが見詰める。
「リバスは近いようで遠いわけですか。では近くにする手をお考えになってはいかかでしょうか」
――近くにする手立てか。通信などではいかんな、やはり直接顔を合わせなければならん。用があるのはリバスではなくパストラ閣下だ、ならばちょっとばかり出張してもらうとしよう。その為の使いはあちらに顔が知れてなければならんな。
皆が皆役割を抱えていて仕事を割り振ることができない、ならば誰かが皺寄せを引き受けるだけである。この手の犠牲が常に責任者なのは道理であった。
「サルミエ中尉」
「はっ、何でしょうか」
脇にある机でしていた事務処理を中断して島の前に立つ。
「妹とリバスに行ってくれないか、パストラ首相に待ち合わせの場所を伝えて貰いたい」
「畏まりました。コスタリカの米軍基地でよろしいでしょうか」
「ああ、そうしてくれ」
◇
「北部軍の序列を定める。副司令官ロマノフスキー中佐、後方司令オズワルト中佐、軍務監ノリエガ憲兵中佐。以下は各部に通達する」
将校を集めて司令部で役職を与えられる。ロマノフスキー中佐は部隊司令から北部軍全体の副司令官に昇格した、島が不在の際には彼が統括を行う。同格の中佐からは抵抗があったが、北部軍という正規軍の外枠にはみ出た集団と定義されたことにより、かなりが口を閉ざした。
オズワルト中佐は変わらずに後方司令であるが、規模が爆発的に増大したので扱う業務も比例している。が、こちらは全くの無風であった。パストラ首相の部下であったり、ニカラグア軍人なことと、何より資金の融資元が自前という噂があったらだ。
「嘘も方便とは言ったものです」
オズワルトは元より、誰に訊ねようとも真相を口にする者は居なかった。ノリエガ中佐は軍内の綱紀を改めると共に、市民との調整役、そして部隊での金の管理を監察する責務を与えられた。政務は三長官が、軍務は三司令が分担し司る形をとることになる。島はそれらの上に君臨はするが、直接下に命令することは殆んど無い。
「書類上は嘘でもないがね。こんなに借りたら返すことが難しい、なるべくそうしないようにやりくりするさ」
辞令を手渡しながら小声で話す。形だけのやりとりなど慣れたものだ。実動部隊であるコマンドはフーガ少佐とマリー少佐が任命された、残る席次は未定で複数の大尉らによる経過監察とした。何のことはない競争させるつもりでわざと選ばなかったのだ。
義勇軍、民兵、支援兵や特殊な部門を司令部管理として名ばかりだった北部軍が正式に発足した。吹けば飛びそうな脆弱な基盤ではあるが、それでも無くては始まらない。
「数日でしたら留守にしても、小官が何とか誤魔化しておきましょう」
副司令官では締まらない部分が幾つか出るだろう予測である。ついでに参謀長が空席なのも衝いてくる。
「自分好みの職場でだけ働こうとはいきませんからな。苦労を分かち合って頂きましょう」
「そのうちな。おまけが付いてきてくれるのを期待しているよ」
規模を拡大するにあたり、ただでさえ少ない士官が更に不足する見込みなのだ。無ければ無いで下士官を増やして充てるしかないが。
「市民が我々を支持しなくなればあっさりと崩壊する。些細な問題もきっちりと解決していって欲しい」
ノリエガ中佐には真面目に方針を授ける。地元の人気が全てを左右する、逆に外国に頼るでは良くするにもすぐに限界が来てしまうと言えた。
「生活についてはタランティーノ警視正が親身にやるでしょう。軍人の規律は自分が引き締めます」
鞭は引き受けるので飴をお願いしますと返してきた。厳しいだけでは人はついてこない。
「際立った働きには確りと報いるさ、俺は目が曇る位ならいっそ見えない方が良いと考えている」
将校任命式を終らせ、駐屯地に場所を移す。そこには近隣の当直警備以外が集まってきていた。部隊ごとに整列し、指揮官と部隊付下士官が二人で纏めている。指揮官が下士官の部隊がちらほらと在った。
「注目せよ!」
駐屯司令官が声を張った。チナンデガ軍の大佐である、今の今まで黙って島に協力し口を挟まずにやってきていた。それも単にチナンデガという地域を守護するのが唯一最大の目的だからだ。
――物言わぬ大佐が功労者やも知れんな。別口で謝辞を伝えねばならん。
「北部軍管区司令官イーリヤ准将である。過日我が軍はレオンからの攻撃を退けた。私は勇敢な者を称賛する、そして誠実に対することを約束する。フーガ少佐、マリー少佐、前へ」
「スィ!」
軍勢の前へ二人の青年が進み出る。身体から気迫がみなぎるような感覚を受けた。後ろ姿を見詰める兵士も思わず唾を飲み込む。
「フーガ少佐。実戦にあたり不利を承知で率先し敵に挑み、よくぞこれを撃破した。貴官を第一コマンドの司令に任じ、二等十字勲章を授与する」
エーン少佐から勲章を受けとり、島がフーガ少佐の左胸に自ら取り付けてやる。
「閣下、ありがたく受領致します!」
笑顔で頷いて敬礼を返してやる。彼の人生で一番の晴れ舞台なのは間違いない。
「マリー少佐。志願兵を率い敵陣深く突入、砲兵陣地だけでなく司令部まで撃滅し、尚且つ司令官を捕らえた功績は多大だ。貴官を第四コマンドの司令に任じ、二等十字勲章を授与する。同時に麾下の志願兵部隊を正規軍に昇格させる」
同じく勲章を胸に取り付けてやる。マリーには負傷者勲章も授与された。
「ありがとうございます、閣下!」
「部下には貴官らから授与してやりたまえ」
二人が壇上から降りるのを確認して島が続ける。
「北部軍は北部地域に暮らす市民を助ける為に存在する。ニカラグア軍であると共に、諸君らは北部の守護者でもある。誰に恥じることもなく、胸を張って勤務していけるよう心掛けて欲しい。私は諸君らを見届けるだろう」
「全軍、司令官に敬礼!」
目で合図するとロマノフスキーが大佐に負けないくらいの声を出す。脇で見ているエーンが天にも昇りそうな気持ちになった、夢にまで見た軍勢への演説をついに目にしたと。
島と三司令が退場すると、実務者である少佐と大尉らが軸になって部隊の顔合わせが行われる。車に乗るとエーンが「最高でした」満面の笑みで感想を述べた。
「奴等にしてみればお前は誰だって感じだったろうがね。いつでも交替して構わんよ、俺は」
適切なニカラグア軍人が居たら司令官職を譲る、背景を考えたら誰もが納得する形である。それにより方向性が怪しくなったとしても、それは彼らが選んだ道なのだ。
――俺は支えたくとも神輿がない、そんな民へのリリーフでしかない。こんな真似をするのは一度限りだ、にしても役者不足ではあるがね。
オヤングレン大統領から島のところには直接連絡は無かった。そこに居ると知りつつ、現在を認めるとも認めないとも言ってこない。
「閣下、ハラウィ少佐ですが、あのままで?」
義勇軍としてヒノテガ外国人居留地に入ったまま、他の役割を与えられていなかった。充分結果を出しはしたのだが、エーンとしてはそれではハラウィ大臣に申し訳無く思えてしまったのだ。
「外国人居留地は正規軍を信用していない。これを悪化させてはならないからな」
「それですが、外注してはいかがでしょうか?」
民間軍事会社にです、彼ははっきりとそう言った。無論自らの経営する会社を想定している。
――待てよ、決して裏切らない会社があったな。あれならば中立的な依頼先になるぞ。
「戦争で赤の他人を雇うのは気が引けるが、手抜きを出来る状況ではない。傭兵を呼ぼう」
「では自分が――」
エーン少佐が手配しようとするのを差し止める。
「発注先はスイス民間軍事会社、クリスタルディフェンダーズだ」
聞いたことが無い名前であったが、島がそう言うならば黙って従う。司令官室に戻ってから連絡先を調べると応じた。
「机の引き出しに名刺をしまいこんでいるよ。あちらが頷くかまでは知らんがね」
――数十人規模で三ヶ月、一千万スイスフラン位は言われるだろうな。危険手当て別で。
一応時計を見はするが、商用なので多少時間外なのに目を瞑りコールさせる。受付嬢が責任者不在を伝えるが、補佐が話を聞くとのことで回された。
「クリスタルディフェンダーズ・アジア地区担当補佐のレオポルドです」
「ニカラグア北部行政官府秘書官エーン少佐ですが――」
「おや、少佐殿になられましたか。おめでとうございます」
「なに、するとレオポルド曹長か?」
「はい。今は民間軍事会社の社員で、ビーチの平和を守っています」
繋がりが良くわからないが連絡がついたので島に代わる。
「やあレオポルド、調子はどうだい」
「ボス、絶好調ですよ。デュナンさんは会議で不在です、連絡させますが」
「では頼もうか。ビジネスだよ、そちらに警備を依頼したくてね」
「なるほど、本業でしたか。丁度本社の会議なので割り込みで伝えておきます」
「悪いね。百人未満の地域警備だ、危険は少ないが信頼度が必要になる」
「お任せください。クリスタルディフェンダーズは依頼人のご要望にお応え出来るでしょう」
「期待してるよ」
と、言うことだ。島が視線を投げ掛ける。エーン少佐は自身の会社の部隊がより困難にあてられる、つまりは信頼度が高いものだと受け止めた。
「正直高額でしょうが、外国人居留地への姿勢としては良好なものだと考えます」
「支払は確約する、スイス銀行当座に預け入れしてな。俺がダメだと言っても契約は必ず履行される」
それがスイス銀行であり、スイス人の精神構造でもあった。一人の裏切りが国家の歴史を踏みにじる、彼らがそれを望むことは無いだろう。
さして長くは待たずに連絡が入った、エーンが島に取り次ぐ。
「クリスタルディフェンダーズのデュナン、アジア地区責任者です」
「連絡ありがとうございます。ニカラグア北部行政官兼北部軍管区司令官イーリヤ准将です」
「それが貴方の正体でしたか。いやはや驚きを禁じ得ませんな」
「恩義がありましてね。早速ですが概要を、外国人居留地警備をお願いしたい」
「行政官が仰るわけだからヒノテガでしょうか」
マナグアなら別の依頼人が話を持ちかけてくるだろうと先回りする。調べはこの短い間にやってしまったようだ。
「ご明察。居留地は信頼を求めています」
「我が社の得意とするところ。六十人で渡航経費別、一日七万スイスフラン」
「結構です。スイス銀行シュタッフガルド支配人に契約を任せますがよろしいでしょうか」
「彼ならば喜んで」
「現地への展開はいつに?」
「契約が発効して百二十時間以内に」
「宜しくお願いします」
「こちらこそ、ご用命ありがとうございます」
電話で済ませられたのは一度確りと話をしたことがあったからに他ならない。
百聞は一見にしかず。デュナンが誠実な人物なのは疑いようもない。
「コスタリカ行きには特別仕立ての足が必要になるな」
「リベラ中佐に相談します」
アメリカの駐屯地に入るにはこの上なく自然な足である。あとは島がいかにこっそりと姿をくらませることが出来るか、その一点に掛かっていた。
――不在は構わなくなったが、不在の理由は簡単に推察されてはいかん。車を乗り回せば必ず見付かる、ならばどうする? 地の利を生かさない手はないな。
「顔料を塗りたくってこそこそ出掛けるとは、小者らしくてしっくりくるよ」
エーンが言葉を反芻する。何を考えいかにして不都合を回避するのか、答えに行き着くまで数瞬を経た。
「いずれにせよワイルドカードですね」
「だな。一切を任せる、頼りにしてるよアミーゴ」
何気ない一言、だがそれがエーンの忠誠心を満たしてくれた。多くの人間が報酬の最足るものが金銭や権力だと言う。それは間違いではない、しかしそうではない何かを大切にする者も、少ないが確実に存在しているのだ。
北部同盟なるものがいともあっさりと成った。多数派に付き従うしかない人口の少ない州、それも内陸で自治州と外国、他に北部同盟しか接していない地域は話が早かった。そうしておけば武力による攻めは心配が薄くなる。逆に政治的な締め付けは厳しくなるだろうが、耐えることには皆が無理矢理なれさせられていた。
「後は南東のマタガルパ州か。あそこには守備隊を置かねばならんな」
チナンデガからではやや遠く、山間の地域で自治州とも隣接し、何よりマナグアから近い。守るべき箇所でもあり、攻めに出られる場所でもあった。
――足が確保出来ていないコマンドを一つ張り付けておくか。機甲が幅を利かせるが重砲の戦場ではない、山岳歩兵の領分だ。得意とする丁度よい奴が居るじゃないか! 一つ功績が要るな、前哨戦が。
「ニカラグアの戦車はソ連の置き土産が主力です。RPG7やM72でも効果が期待できます」
世代が一つ、二つ前のもので造りは単純頑丈安価である。かといって性能は地域に合致しており、充分に破壊と死を振り撒く。対抗できないわけではないが犠牲は覚悟する必要があった。
――武装を供与してやればやるはずだ。根拠が無ければ弱い、地域を調査せねば。
そうしてから島は頭を振った。違うと。
――これは戦争だ。それ自体が根拠を求めていない、結果への最短距離を走れば良い。文句があれば俺が引き受ける。
「エーン少佐、対戦車装備と輸送トラック、それと伝言を届けろ」どことは言わない、感覚が違って来るようならば側近は辞退すべきなのだ「一つ寄り道して俺のところへ来いとな」
「ウィ モン・ジェネラル」
場が整うまで島は執務室の椅子に黙って座っていた。毒にも薬にもならない書類の決裁を幾つか済ませる。副官業務を山分けした結果の責任でもあった。
「閣下、サルミエ中尉より電文が」
アサド先任上級曹長が分担に一枚噛んで、小さな紙切れを運んできた。そこには簡潔に、十一の十二、それだけが書かれていた。
――マイナスの約束は一、二、三だ。十日の十時に密会と洒落こもうか。
「アサド、明日の夜中に散歩に出るぞ。エーンにも知らせてやってくれ」
「畏まりました、お供致します」
◇
一般のセダン車に乗った三人の黒人が港にやって来る。月明かりしかない真夜中、埠頭に降り立つとすっと近付く影があった。招かれて電動モーターのボートに乗り込む。代わりに黒人三人がどこからか現れセダン車に乗り街に向かっていった。
ボートは音もなく海面を滑るように進み、岸を離れて中型の船に拾い上げられた。船はゆっくりと港を出て行き、小一時間ほど沖に向かったところでヘリを発進させる。
「逢瀬を楽しむやつの気持ちが少しばかり理解できそうだ」
ドキドキするじゃないか、島は真っ黒く塗った顔から白い歯を覗かせた。
「すぐに着艦します、長距離には向きませんので」
「ありがとう、大尉」
「どういたしまして」
アメリカ海軍の航空隊大尉に礼を述べて、小型の艦艇に移る。そこには空軍のヘリがあり、不格好な増槽を足に抱えて客を待っていた。
「コスタリカまでノンストップです、閣下」
「毎度我が儘を言って悪いね。今度将校クラブに基金を積ませて貰うよ」
「お構い無く。我々はステイツの為に働いているだけです、たまに浮気もしますがね」
笑顔で迎え入れる。島に友好的な人物を配してくれたのはリベラ中佐の仕切りだろう。ニカラグアを太平洋側から迂回して縦断する、ほんの二時間ばかりの旅路である。
辺りに何もない場所に明滅するランプが上空からはっきりと見える。それすらも友軍の識別を確認した機体に、指向性が強い光を照射しているにすぎない。別の角度からは簡単には発見できないよう制御されている。
――アメリカ様にはハードでは絶対に敵わない。ムジャヒディンやテロリストがいかに頭を使っているか、認める箇所は素直に認めなければならない。
ヘリポートに着陸すると自動開閉式の屋根が閉まった。熱帯地域だからと言うだけではないだろうが、呆れるくらいに軍事予算が充てられている。
「イーリヤ閣下、早朝勤務お疲れ様です!」
にこやかに現れ敬礼する。懐かしの顔に出会うのは何時でも嬉しいものだ。
「アンダーソン少佐か。メイクアップを落としての挨拶にはならんが、よろしく頼むよ」
黒いままの顔は部屋に入るまでそのままにしているつもりだ。何処に誰の目があるかわかりはしない。
「しかし、あの時の彼らに階級で追い付かれましたか。どれだけ死線を越えてきたやら、尊敬するよ少佐」
エーンが少佐の階級章をつけているのを見て、嫉妬ではなく激しい戦いを潜り抜けて来ただろう過去を敬う。
「階級など些細なことです、自分は閣下の役に立てるなら兵卒になろうと気にはしません」
「そうだな、俺もそう思うよ。お互い幸せな今を噛み締めようじゃないか。ではご案内」
――性格は変わらんな、他人のことは言えんが。
特別区画に連れられて行き、ようやくシャワーで顔料を洗い流す。帰りにはやはりまた偽装せねばならない。
戦闘服からアサドがトランクに抱えていた制服に着替える。約束の時間まではもう少しあるが、気を引き締める意味からきっちりと着込んだ。
「……なあエーン、もしパストラ閣下がオヤングレン大統領に従うと言ったとき、俺はどんな顔をしたら良いんだ」
ぽつりと溢す。そんなことはない、そんな人ではないと信じている。だが現実は厳しく、公人とは自らの意思を抑えねばならない時が存在するものなのだ。
「イーリヤ閣下。あなたは決断なされました、北部地域のためにことをなすと。パストラ首相はニカラグア全土に責任がありますが、貴方は違う。道は別れてもいつか必ず交わるでしょう」
そして自分やクァトロ、北部の者は貴方に付き従います。そうはっきりと述べた。外様が何を言うと罵られるかも知れない、心無い言葉を多々ぶつけられることもあるだろう。だがしかし閣下は決断を下した、と。
「いつからお前は」微笑を浮かべ「占い師になったんだ」
「自分は占ったわけではなく、ただ知っているのです」
彼もまた笑みを浮かべ、会議の準備をするからと部屋を出ていった。こうまで迷いがないのが島には羨ましく思えてしまう。
目を瞑り心を落ち着かせる。一旦全てを脇に置いて、自らの人生を思い返す。
――俺が軍人としての道を歩みだしたのは、始まりは勢いだった。だがどうだ、十余年駆けに駆けた今、そこに信念が生まれているはずだ。パストラ閣下の言葉がどうあれそれは変わらない。
俺は既に、退くどころか、立ち止まることすら許されない!
会議室にアメリカ、リバス、チナンデガの主要な官が集まった。ホストはジョンソン少将で、彼は直接ステイツの利益を左右しかねない決断に関与する権限を与えられていた。パストラは側近にスレイマンを連れてきていた、甥っ子のヤーンではなくクーファンである。
「合衆国のジョンソン少将です、中米地域の安定を主任務にしております。他の方々は見知っておるでしょうから省きましょう」
珍しく威圧を兼ねた発言で話を始めた。策があるのだろう、三人が三人ともに失敗は許されない。
「まずは儂らの不甲斐なさからこのような事態を招いたことを詫びさせてもらう。力不足申し訳無い」
クーデターを防げなかったこと、その後に速やかな反撃が出来なかったこと、そしてオヤングレン大統領のこと。政権が倒れる理由には充分だった。
「北部地域は自主的に北部同盟を発足させました。州長官の合議組織です」
「耳にしているよ准将。北部同盟と北部軍、北部行政官府は全て別物というわけだ」
一本の柱にすがるようでは戦う前から弱点を明らかにするだけで良くない。そうと知って放置するのは無能の証である。
「ワシントンは、モスクワとも北京とも同じ水は飲めない。だが泥水を啜ることは検討に値するだろう」
回りくどい駆け引きは大幅に切り捨ててくる、少将は軍人であり外交官ではないのだ。本人の性格がもっとも色濃く出ているのは言うまでもない。
「リバスは暫定的な政権であり、首班の儂も首相でしかない。何よりリバスの一部をギリギリ確保しているにすぎない体たらくじゃよ」
圧力で空中分解寸前なのを支えているのは、アメリカの支援があるからに他ならない。
「パストラ閣下は、これからどうするおつもりでしょう?」
島が問う。どうしたいかと聞けば無限に選択肢が拡がるが、どうするかと言われたらそれは極めて狭くなる。
「オヤングレン大統領が無事な以上、その指示を仰ぐことになるだろうな」
「北京が」ジョンソン少将が話を遮り「ニカラグアに介入した事実は確認されていない。オヤングレン大統領はどのような意図でそうしているのだろうか」
島にとっても疑問である部分がそれだった。政治的に何ら繋がりが無かったのに何故か。
ロシアと正面切って争う、そうなれば結果がどうなっても赤字を免れない。そうまでして北京が求めたものと、オヤングレンが合意した何かとは。
「……王家の魔に魅せられた、そうとしか思えん」
――独裁国家か! 北朝鮮のような形を北京の影響下で中米に置けるなら話が違ってくるぞ。
ロシアとの政治思想の差とでも言うのだろうか、間接支配のノウハウは遥かに中国が勝っている。赤字を年数で薄めるつもりならば、北京が手を出した理由は説明がつく。
「オヤングレン大統領がそんなあからさまな手に乗るような人物には見えなかったが」
ジョンソンが言うまでもなく、自由のない王国で王になっても彼が満たされるとは考えづらい。
――だが解せん。パストラ閣下は何かを隠しているような気がする。オヤングレン大統領もだ。
漠然とした感覚が残るが理由が思い付かない。ジョンソンがちらっと島を見るが口を開かなかった。
「自由連合もサンディニスタ解放戦線も、ニカラグアを治めるのには失敗した。ただそれだけじゃよ」
リバスに残留した閣僚の少なさがそれを裏打ちしているように思えた。
「話は戻るが、リバス政府の方針を聞かせて貰いたい」
これが最後だと言いそうな雰囲気が漂う。アメリカに見限られたら壊滅するのは時間の問題である。
「ニカラグアは法治国家だ、大統領が国家を主導する権利と義務を有している。政府はそれに従うまで」
今のところは何の指示も無い、そう付け加えた。
「准将、貴官はどうするんだね」
「自分はリバス政府より任官されており、その命令に従います」それが官を履く者の義務であり責任である。だが「ですが北部軍並びに北部同盟は地域の市民の意向を最大限に汲み、自ら道を定めるでしょう」
その宣言にパストラが驚き立ち上がりかけ腰を浮かせてしまった。
「貴官は国を裏切るつもりかね」
「国とは民です、閣下。自分は民がそうすべきだと道を自ら決めるのを支持します。国の為に民が居るのではなく、民が求めるから国が成り立つのです」
「それは詭弁だ、国を割るつもりか准将」
「ニカラグアは一つであるべきです。もし皆が昔に戻りたいと願うならば、自分はそれを受け入れます」
二人のやり取りを聞いてジョンソンはどうすべきなのかを判断する。材料が足らなくても決めねばならないのだ。
「合衆国は当該国家の意思を尊重する。それが誤りならば正すよう努力することを忘れはしない。コスタリカもホンジュラスも、要人の通過を厳しく監視するだろう」
オヤングレンのニカラグア入りを阻止すると宣言した。船を使うならば洋上で捕捉するのは容易いものだ。
「笑ってくれればよいさ。儂らの国はもう何十年も前から迷走中じゃからな」
「笑いはしません。首相閣下も大統領も、自らの意思で今を生きておられる。如何なる決断であろうとそれをなじるような真似は致しません。帰りは送らせます」
早々に立ち去って欲しいと要求をした。パストラが立ち上がると島が彼に敬礼する。
「パストラ閣下、自分は貴方を尊敬しております。最期まで意思を貫き通して下さることを望みます」
「貴官は正しいよ。灯火を消さぬよう努力して欲しい、時代は若い者が創るべきじゃよ」
パストラは頭を下げるではなく敬礼で返す。その瞳はパストラ首相ではなく、コマンダンテゼロその人に見えた。
「行ってしまったな。どうしてお前はいつも貧乏くじを好んで引きたがるんだ」
やれやれと脱力してジョンソンがコーヒーを運ばせる。コスタリカ産で一杯。
「戦士の宿命らしいですよ。うちの占い師が昔に言ってました」
なんだそりゃ、鼻で笑いながらも納得したらしい。様々思い当たるふしがあったようだ。
「正味のところお前さんの方はやっていけそうなのか?」
「とある優秀な銀行家が金主を引っ張ってくれているうちは。明日倒れろと言われたら、倒れる自信ならあります」
アメリカ政府銀行の関係者に皮肉を言う。上手く行かせるかどうかはジョンソン次第なのだ。出されたコーヒーに唇をつける、あまりに苦くて驚いた。
――目はとっくに醒めてるよ、だが苦い位で今は丁度良い。
「中古兵器を流すくらいは出来るが、本質的なところでは全く役に立てん」
アメリカはどこまでいこうとアメリカでしかないのだ。事態を悪化させる方法なら幾らでも思い付くがな、コーヒーにしかめ面をしながらうそぶく。島とて外国人であるのは変わりないが、国家に所属しているか否かの足枷がジョンソンより遥かに緩い、ただそれだけである。
「パストラ首相は何かを隠しているような気がしましたが……」
何かがわからないので強くは言えない。だがジョンソンも違和感があったようで頷く。
「俺もあの爺さんが簡単に手を上げるとは思えない。これだけ国を揺らしてどうしたいやら」
――国を揺らす、か。沈没船になる前にネズミは逃げ出すとは言うな。かつてパストラ夫人は大義を成さねば去ると言い切った、それなのに傍を離れない。鍵は他にもあるだろう。
「北部同盟が北京やモスクワを選択したら、自分はニカラグアを去ります」
それはアメリカも敗北が決定した結果なのでジョンソンも小さく頷いた。
「どうするつもりだ」
「生活を守るだけで精一杯です。劇的な方策はありませんよ、自分は政治家ではなく軍人ですから」
「違いない。港に南アフリカやオーストラリアの船を入れておく、それならば奴等にも止められはしない」
ロシアや中国と経済的な繋がりが強い国で、政治的な圧力をかけようとしても内部で意見が割れやすくなり執行に時間が掛かる。一時的な避難先や供給源には役立つだろう。
「おんぶにだっこで情けない限りです」
「勘違いするな、これは俺の仕事だ。それにな、お前と同じことをやれと言われて出来る奴は他に手駒にいない。きっちりステイツに手間賃を請求してやれば良い」
その唯一の手駒すら善意で働いてもらっているのだから、今ならばかなりの無茶も認められるだろう。戦争で金勘定を気にしたら上手くいくものもいなくなる。そんなのは財務官僚に押し付けてしまえと断言した。
「エルサルバドルで大量のランドローバーなりが中古車屋に溢れたら楽になります」
「任せろ、ソ連製のトラックも軍の保管倉庫から流出させる。他には」
AT3対戦車砲もホンジュラスから垂れ流すと呟いた。一昔前、ソ連は鉄と兵器を共産国に援助し続けた、結果飢餓で兵が戦意を失った。BTRだのM35だのと詳細ももらしてくる。
「食糧を。食っていけると知れば人も集まります」
「なるほどな、飽食の環境に慣れていた自分が迂闊だった」
――その先は俺がすべきことだ。手足は足りても頭が足らない、他力本願とは哀れな小僧だ。
死を覚悟して闘えば結果に繋がる、そのラインをとっく越えてしまった自分に溜め息をつく島であった。
◇
ヒノテガ外国人居留地、会館にスイス人傭兵の代表がやって来た。クリスタルディフェンダーズ社の南米地区担当部署である。
「クリスタルディフェンダーズは只今より契約に基づき警備を開始致します」
「お話は伺っております。よろしくお願いします」
北部軍司令部より提案がもたらされていた。義勇軍に守らせるよりも、スイス傭兵に任せた方がニカラグアの様々な勢力が手を出しづらくなると。説明に納得した代表は提案を受け入れた、一方的な通告でなかったのが彼等の面子を立てたというのもある。
「レバノン人義勇軍指揮官ハラウィ少佐です」
「警備指揮官シュターデンです」
元スイス陸軍大尉だと名乗り、警備任務の移譲宣言を行った。スペイン語があまりに上手いハラウィ少佐に驚く。
「外国語で履修してね。要注意はロメロ大佐のシンパだ」
何かしらの材料に利用するため狙ってくる可能性があると、経緯を説明した。一般的な強盗や、正規の軍隊も気を許せない国だとも注意を促す。
「了解です、少佐殿」
階級の差を認めて素直に注意を受け入れる。
「スイスと言えば山岳地帯だが、この国も山がちだな。あの陰から敵が現れたらどうする?」
中部だけではあるが、ヒノテガについては言葉の通りだ。ハラウィ少佐もシュターデン大尉も山岳育ちなので、地形に対する優位な気持ちを持っている。
「傭兵である我々は、例え依頼主の側である者でも、この地を害そうとするなら排除します」敵味方の識別を行為で判断することがあると応える。「手前の岩場、あそこに来るまでに警告を発し不審者は跳ねます」
そこから先には平地が広がっていて、展開されると面倒になる。逆にそこまでは遮蔽のせいで攻撃には不向きだ。結論からすれば納得いくポイントを大尉は示したわけだ。
「我らは義勇軍だ。さしたる装備は無いが不足があれば供与したい」
ハラウィ少佐が持ち込みが困難だったものもあるだろうと、便宜をはかる。シュターデン大尉は小さく驚き感謝を口にした。
「予算内で勝手にやれと言われると思っていました」
「俺の望みは外国人の保護だ、上手く行く見込みがあるならそうするさ。違うかな大尉」
「いや違いません、少佐殿。あちこちの責任者が皆そうだったら良いんですがね」
そんなわけないのが現実です、大尉が肩を竦める。特に余所者相手になると、どこでも大なり小なり嫌がらせを受ける。
「少なくとも――俺達の司令官はそうはしない」
「行政官兼北部軍司令官イーリヤ准将閣下ですか」
どんな人物かを全く聞かされていないので訝しげに名を上げる。資料ではオヤングレン大統領派の将軍としか書かれていない。
「ああそうだ。俺はあの人の為なら地獄にだって付いていく」
「ハラウィ少佐はレバノン義勇軍の将校なのにですか?」
「国や所属なんて関係ないさ。そう言わせるだけの何かを持っている、そういうことだ」
側にいる黒人将校も頷いてる。シュターデン大尉はよくわからないが、どのような人物か興味を抱いた。地域のことがらを調べて損は無いだろうと、最初の仕事をそれにしようと決めた。
「重火器の一部が不足しています、そんな出番はないと信じていますが」
ハラウィ少佐はよかろうと微笑でシュターデン大尉の要求を飲むのであった。
引き継ぎを終わらせ一息つく。リュカ曹長がサルミエ中尉の伝言を披露した。ドゥリー中尉が黙って周辺地図を開いて机に載せる。
「さて、寄り道か。自由を得られて最初の役目がまたハードで嬉しいね、中尉」
「閣下の信頼をひしひしと感じます。装備の受領は必要でしょう、街中でとは行きませんが」
何の目印もない荒野でも問題はない。むしろ受け取った後にうろうろ持ち歩く方が不都合だろう。
「車両が不足します。山中で快速を求めるわけではありませんけどね」
リュカ曹長が部隊装備を確認しながら、トラックを追加すべきと指摘する。ホテルに寝泊まりするわけではなく、野営が基本になりそうだと読んでいた。
「閣下は何かしらの成果を求めている。我らが出せる最大の成果を」
「義勇軍である枷を見失ってはいけません。その上で他者に誇れる何かを」
三人が唸る。何せ今までは命令を遂行するのが仕事で、根本から考えるような役目ではなかったのだ。いつまでもヒノテガに居るわけにはいかないし、あらぬ方向に動くのも厳禁である。
「俺達は野盗ではないし、正規の軍でもない。遊撃を仕掛けるわけにいかんとなると、戦う相手は少ないな」
一般の住民すら助ける義理はない。義勇軍だからと自国民だけ助けるわけでもないが、北部軍司令部からの直接命令が無ければ行動の根拠で躓く。
「どうでしょうか、逆を考えてみては」
「逆? リュカ曹長、説明を」
三人いたら三種の考えが出るだろうと、詳しい思想を尋ねる。
「ロメロ大佐の部下がそうであったように、こちらが戦うつもりでなければすぐには戦闘になりません。そこを衝いてみては?」
――つまり北部軍にきっちり名を連ねていないうちに、首都周辺を探ってくるわけか。監視はつくだろうが大人しくしていれば確かに戦いにはならんな。
マナグアにも外国人は当然存在する。オヤングレン大統領もパストラ首相も、オルテガ大統領ですらすぐに単純な敵とは扱わないはずだ。何故ならば交渉次第で敵対しなくて済むようになる可能性があるからだ。政権は常に外国人を腫れ物と同義と考える、それは戦時でも平和な世の中でも大した変わりはない。
「毒にはなれんが行き掛けの駄賃は拾えそうだ」
ハラウィ少佐がその方向で考えを進めてみようと頷く。搦め手で行くには現地の協力者が絶対に必要になってくる。
「フルマークされているでしょうが、オズワルト商会が最有力の協力者です」
リリアンとミランダならばハラウィ少佐も記憶にあった。確かにオルテガ大統領からは厳しい監視が向けられているだろう。
「俺達がチナンデガに行けば彼女らに迷惑が掛かるが」
「はい。ですからマナグアを離れる際には逃がさねばなりません」
――俺にそんな器用な真似が出来るだろうか。それに彼女らを嫌々巻き込むのはいかんぞ。考えろ道は幾らでもあるはずだ!
レバノン人である特徴を生かせば、ニカラグアならば意外と数が多い。移民が沢山出る国は誉められたものではないが、世界にコミュニティを持っている、それを利用すべきなのだ。
「マイアミの人脈を引くぞ、彼等は反共産主義の有力者ばかりだ、必ずマナグアでも力を持っている」
「敵味方の識別が簡単なだけでも有効な手立てですな、少佐殿」
無論飛ぶのはハラウィ少佐でなければならない。義勇軍を放置してはいけないので、ドゥリー中尉が預かることになる。その間に問題を起こしてはならないが、遊ばせておくつもりもない。
「中尉、マナグアからヒノテガに侵攻をしてくるならば進路は少ない。俺が戻るまでに陣地構築を行うんだ」
「ウィ。この国道と他に二本、主力を通すならば三ヶ所でしょうか」
地図上の道路を指差し戦略拠点を特定しようとする。あまりに細い道は奇襲にならば使えるが、攻略部隊――占領目的の部隊としては選択肢から外れる。ハラウィ少佐は真剣な顔で地図を睨む。
――整備された道路は必須だ、それがなければ補給が滞り戦力が維持できない。だが現地で物資を差し出す奴が居ないとは限らん。手勢の限度もある、何でもかんでもとはいかないぞ。
「山道二ヶ所は爆破で通行止めに出来たらそれで構わん。国道はそうはいかんから、主要な陣地を構築しろ。間道を使う可能性がある、そこには通過を察知する仕掛けを用意するんだ」
仕事の総量を減らして防御から時間稼ぎと警告にレベルを下げる。
「ダコール。この辺りの斜面を破壊するだけならば、ダイナマイトでもやれます」
鉄筋コンクリートの橋を壊すのとは違い、補強しただけの道路を壊すなど造作ない。つまりは相手にいかに被害を与え、追加で苦労を引き受けさせるかが勝負どころなのだ。場所や手法だけでなく、タイミングやその実行犯選定すら関わってくる。
「リュカ曹長を連れていくが、中尉一人でやれるな」
荷が勝ちすぎるならば調整するとほのめかす。だがドゥリー中尉は「やります」即答した。
「結構だ」
ハウプトマンや島のように、ハラウィ少佐もまたこの言葉を使うようになった。ドゥリー中尉も返答を聞いて微笑を浮かべる。
「部下から使える奴を見付けておきます」
この先にも指揮官が不足する恐れは多々あると承知で発した。
「戦いだけならば一人前の戦士ばかりだ。もう一歩踏み出す道を示してやって欲しい」
自身もそうやって歩み始めた頃を思い出す。ニカラグアの地にはハラウィ少佐の転機が刻まれている、そしてこれから次の機会がやって来ると信じていた。
北部軍司令部。庁舎の一部に司令官室分室が置かれ、近くにあるホテルの階を二つ借りきり司令部を設置していた。部隊駐屯地は南東部に敷地を確保し、ライフラインを引き込んでいる。
「閣下、志願者が多く指導が行き渡りません」
ノリエガ憲兵中佐が規律が緩くなってきたのを危惧して申告してきた。憲兵中隊一個では対応に限界が出てきた。また兵ばかりが増加し将校が充てられないのが原因の一つであった。
「現在の兵員はどのくらいだったかな?」
隣に控えているサルミエ中尉に数を報告させる。無論解っていて尋ねているのだが。
「十七個中隊二千五百名と訓練兵千二百名です」
「将校、下士官の数は」
「将校六十五名、下士官八十名」
戦時では将軍が四千人に一人、将校は六十人に一人、下士官は将校の三倍程度が目安にされる。どこの国でも比率は違うが、当然将校や下士官が多い方が技術や知識のレベルが高くなる。
立場がら脱走してしまったり、負傷で療養中であったり、減りはするが簡単に増えたりはしない。ましてや北部軍自体、腰が引けてしまう存在と言えよう。
「解決する方法は三つある、一つは今いる奴を上役勤務に就けるだ」
「ある程度は可能な者もいるはずですが、絶対数が足りません。他に二つも手段があるとは、是非とも知りたいものです」
今日明日でどうにかなるはずもなく、解決を目指してからも月単位で時間が必要になるだろう。
「航路が開かれた、全土に募集もかけた。騒ぎに乗じてやって来るさ」
「自発的に来る者も幾人かは居るでしょう。ですがそれが解決策?」
違うとは解っていても答えが何かまでは思い付かない。ノリエガ中佐が悪いわけではないのだが。
「ああ、それは時間が解決してくれるさ。もう一つは外部から引っ張って来るだ。用が済んだらお引き取りしてくれるようなね」
「民間軍事会社のコントラクターにでも外注しますか?」
既にヒノテガに入っているクリスタルディフェンダーズを増加させる、彼はそう考えた。副官を見ても反応はない、秘書官も答えようとはしなかった。
「そいつも良かろう。だが指導力を発揮できるような面子ばかりを纏めて連れてこいと言っても、すぐには無理だろう」
それに予算からヒノテガの三倍、千五百万フランは支払わなければならなくなる。契約が切れて後に、オルテガ大統領に雇われないとも限らない。
「費用はどこの誰にしても絶対に掛かります。要点は裏切らず、能力を持ち、素早くやってこられ、数が揃うことでしょう」
世間ではこれを無茶と呼ぶ。泰然自若とした司令官の真意が全く読めずに顔が曇る。
「意地悪はこのくらいにしておくとしようか。エーン少佐、ロマノフスキー中佐にクァトロを司令部に集めるよう命じろ」
「ヤ。それはもちろん」
「バスター大尉らのグループだ」
ここにきて耳にしたことがない大尉の名を知る。響きからニカラグア人ではなさそうだと判断した。
「第二の解決策までの繋ぎでしょうか」
「そうだ。外国人の手は少ない方が良いに決まっているからな。中佐、英語は理解しているか?」
「はい。不自由は御座いません」
「そいつらの共通語は英語だ。通訳を準備しておいてくれ」
スペイン語を教えるより今回はそうすべきだと任せる。
「畏まりました、して何時までに?」
「可及的速やかに、だ」
島はまた過去を思い出し、笑いそうになってしまった。
翌日早朝、司令部のホテル広間に五十人程の男が集まってきた。姿は一様に黒い戦闘服である。島と側近、そしてノリエガ中佐が司令部から出席していた。
「閣下、彼等は?」
当然すぎる疑問が中佐から発せられた。まだノリエガは島との付き合いがさほど長いとは言えない。
「アテンション! ボスに敬礼!」
サルミエ中尉が三日月島からホンジュラスにやってきていた部員らに号令を掛ける。それにはバスター大尉らも従った。大尉らも驚いていた、何故ニカラグアのホテルで召集かと。
「ノリエガ中佐に紹介しよう、俺の私的な武装集団であるクァトロのメンバーだよ」
「クァトロ!」
所属を表すような記章は一切つけていないが、将校と下士官の集団であるのは階級章からうかがえる。つまりは部隊のエッセンスがここに揃っているのだ。
フィリピンでテロリストと戦い、思う通りに結果を残せた大尉は組織に非常に満足していた。そこへきて緊急事態だと呼び出され、ついには中米にまでやってきたが彼の常識からは最早状況が理解できないでいた。何故ボスが将軍の制服を着てホテルで他国の憲兵中佐を従えているのか。
「かいつまんで説明する。俺は今、ニカラグア北部行政官兼北部軍司令官イーリヤ准将だ。北部軍の将校・下士官が足らんので貴官らを呼んだ。兵の訓練を行ってもらう」
得意なものだろう、島が笑顔を向ける。得意どころかそれ以外に才能も経験もなく、社会から弾かれた者である。
「准将閣下、我々はすぐにでも軍務を遂行可能です」
半ば反射的にバスター大尉は答えた、軍人は否と簡単に口にしないものなのだ。無理だと確固たる理由がありでもしない限りは。
「近いうちに外国人義勇軍が来る、最終的にはそこに配するが今は一時的にエーン少佐預けにする」
バスター大尉らは見たことがない顔の黒人が上官になると言われ多少不安を感じた。だがそれはすぐに払拭される。
「閣下の秘書官エーン少佐だ。十年来の部下でもある、貴官らを預からせてもらう」
「よろしくお願いします、少佐殿」
側近であり別行動をしていたのだと勝手に解釈した。間違いではないが当たりでもない、しかしその一言の効果は絶大であった。
「さてノリエガ中佐、ずるをして数を増やした。揉め事が起きないように専属で担当を配してくれ」
「はい、閣下」
言いたいことは幾つもあるだろうが、中佐はそれ以外には喋らなかった。話すにしても大勢の前ですべきことではないのをきっちりと理解しているのだ。
「軍籍証明書を用意してあります」
サルミエ中尉が分厚い封書を島に差し出す。
――おっと手配を忘れていた、よくぞ準備した中尉。
平然としてそれを受け取りエーン少佐に渡す。少佐もまた封書をバスター大尉に渡した。確りと命令系統を辿っている。
「少佐、後は任せた」
島は中佐らを引き連れ広間から司令官室に去っていく。除隊して数年、また軍で働けるとは思ってもいない集団は、軽い興奮を覚えているように見えた。
「閣下、あなたは一体何者なんです? 随分と隠し玉が飛び出すようですが」
サルミエ中尉が扉を閉めると真っ先に口にした。一介のニカラグア士官でないのはわかってはいたが、軍人等とは程遠い動きを軽々と見せてくるではないか。
「別にただの牢人だよ。部下を呼びはしたが、それで情勢が解決するわけでもない」
政治的な問題に影響がないわけでもないが、主たる要因には決してなり得ない。
「一本軸に頼るのは極めて不安定です。それが太く長いほどに」
「忠告は真摯に受け止めるよ。本来俺は無いはずのパーツだ、早晩仕事をあちこちに振り分ける。だから中佐、リベラルな人物をリストアップしてくれないだろうか」
手にした権力ほど放したくは無くなる、それが世の中の常識的な線である。国が違ってもそのあたりの精神構造は変わらないらしい。なのにだ、私財を撒き散らして自らの命まで的にし、見返りをどこに求めているのか。
「一つお聞かせいただきたい。閣下は何を求めておいでなのでしょうか?」
世界を飛び回りあちこちで幾度となく問われてきた、明確な答えは既に持っている。それを信じるか、認めるかは各自に委ねるしかない。
「俺はな中佐、自分自身がどうしたいかを考え、努力に見あった結果を出せるような当たり前の社会を欲している。何も特別ではない普通すぎる話ではあるが、世界のどこにいっても理想郷はなかった」
だからあちこちにその種を植えて、苗を見守りたい。失笑を買いそうな台詞を述べた、ノリエガも信じられないような顔をしている。
「きょうびの大統領候補ですらそのようなことは言わないでしょう。それを真面目に仰るのだから、閣下には裏表がない。リストアップの件お受けいたします、ですが該当者なしもご覚悟ください」
陰謀渦巻く宮廷勢力とは正反対、最も軍人らしくない軍人だとノリエガは感じた。こんな人物は白いカラス並みに長生き出来ないのが戦場なのだ。
「あまりずるをさせないように気張って頼むよ。これは革命じゃない、ただの政争だ」
国民が望んだ騒ぎではないと強調する。誰かが折れれば革命は成るが、誰もが折れねば争いは終わらない。島はいつでもそう出来ると明かしておく。
「ノ、悲しいかなこれは戦争です。二つの柱を折らねばこちらも折れるわけには参りません」
争いが一部では活力をもたらす、そのような事実も見逃せませんが。ノリエガ中佐は精々事態を楽しみながら働きましょうと出ていった。
「アサド先任上級曹長、特別班を編成するんだ」
「目的と規模をお決めください」
「そうだな、ヒヨコの出迎えだ。ちょっとしたサポートだ少数で良いよ」
居なければ居ないで上手いことやるだろうから、そう呟く。
「指揮官はいかがいたしましょう」
「君とはいかんな。現地に長けていて、か」
――戦いをするわけではなく騙しあいだ、それも現場で常に状況は変わる。これをしくじるわけにはいかない、最高の手駒を使わねば。
「コロラド先任上級曹長を充てる。補佐、護衛、そして成長が見込める奴を派遣しろ」
「ヴァヤ」
――時期が解ればもう一枚陽動を噛ませるが、連絡はとれん。ならばこちらから発信してやるか。あちらで拾ってくれることを祈ってな。
アサド先任上級曹長が出ていくのを見送ってから、一人残ったサルミエ中尉に相談する。
「なあ中尉、マナグアに居る人物に接触せずに漠然としたことを知らせる方法はないだろうか」
「また難題を吹っ掛けてきましたね。何せ気付かれなければ無意味です、話題性が必須でしょう」
「例えばどのような?」
若者が考える話題性が何かを尋ねる。名案が飛び出ればそのまま採用するつもりで。
「今ならば政権の話題ならば確実に見聞きするでしょう」
陣営の東西に関係なく、また年齢や性別も関係ない。ニカラグアに居する者ならば多くが自然と。
――確かにそうだな。マナグアではオルテガ大統領擁護の放送しか出来ん、そこを一工夫か。俺達にしか解らない符丁を混ぜて、それを見事に拾い上げろってわけだ。無茶もここまで来ると笑いになるな。
「手法はコロラドに任せるとして、名台詞は持たせてやらねばならんか」
「媒介者等が意図せず誤りを挟まないような、簡単で短いもの。スペイン語でなければ伝播のしようもありません」
島が考えを整理しやすいように条件を当てて行く、逆に島はコロラドが自由に出来るよう、制限をかわしていった。
――こんなときは話し相手がいるとやりやすいものだな。奴の専門分野だ、これは追加の要素として添えるだけで構わん。
「サルミエ中尉、何とか考えがまとまったよ。ありがとう」
「いえ、自分の仕事をしただけです」
軽く頭を掻いて照れ笑いする。そこはまだまだ二十代の若者なのだ。足場が固まり舞台は次の場面に切り替わろうと蠢いているのであった。
◇
「定期報告です。副司令官より、新兵訓練を開始し守備中隊一個、警備中隊一個が運用可能になったようです」
守備部隊や警備部隊とは兵の訓練度を表している。未編成の訓練兵はそのままでは任務を遂行することを期待できず、パトロールや輸送を行える程度になったのを警備部隊と呼んだ。以降、守備・攻勢・特殊とハードルが上がって行く。
現段階でいきなり守備中隊が組めたのは、退役軍人や警察官などの団体職員をまとめたものだと想定できる。
「まだそれを使うわけにはいかんな。訓練継続を指示しておけ」
彼らに後進を訓練させる手段が考えられる為そうした。下士官としての訓練にもなるだろう。
「後方司令より、融資の一部が振り込まれました。まずは輸入物資の決済に充てるとのことです」
「承認する。オズワルト中佐の判断に従おう」
先払いを求められることもあるようだが、渋れば二級品を混ぜられかねない。信用とは失うのは一瞬だが積み重ねは時間がかかる。そのあたりは人生で酸いも甘いも噛み締めてきた年長者の働きに任せるのが賢い。
「軍務監より、徴発と称した略奪を行った兵士五名を拘束。軍事法廷により銃殺を執行したいと上申が御座います」
農家の鶏と酒を奪ったと詳細が添えられていた。軍規では許可の無い略奪行為は銃殺と規定されている。
「五名の兵士の指揮官はどうした」
「マテライル軍曹、五名のうちの一人です。上官は一気に中隊長の大尉になっています。大尉は略奪命令を出しておりません」
軍曹の主導であるのが確認されている、証言ファイルのコピーが添付されていた。
――馬鹿なことをしやがった! これを許しては身内に甘いと非難される、かといってその程度で銃殺していたら士気が著しく減少するぞ。
指で机を軽くトントンと打ちながら考える。中佐がわざわざ執行承認を求めてきたのはそうしたくないからだ。非は兵にあるのは間違いない、被害者がどう受け止めるかで変わってくるだろう。
「被害者へ市価の五百倍で損害を補填したら被害届けを取り下げるか確認しろ」
「はっ。もし認めたら?」
「五名を二等兵に降格の上で重営倉入、三ヶ月無給で訓練部隊に送り込め。支払はこちらで引き受けろ」
「承知いたしました」
銃殺を望むならそれもやむ無し。娘を犯された等ならば許しはしないだろうが、経済的な損失だけならば恐らくは溜飲を下げるはずだ。
「北部同盟連絡会議より、首都圏からの生活物資が滞りインフレがおきかけていると指摘があります」
「ホンジュラス回りの品はどうした?」
アメリカからの援助で予めそうならないよう手配はしていた。今になって足りないとは何事だろうか。
「東海岸のアトランティコ自治区、そこへの供給が止まり北部へ買い付けにきているのが原因のようです」
「ミスキート族か。マナグアはより酷い状態になっているだろうな」
――貨物コンテナが入港するのを止めるわけには行かないが、反対者を養うつもりは無いだろう。陸揚げしてから政権が抜き取りをしているわけか。自治は認めても生活までは保証しない、そんなスタンスなわけだ。
「州境を封鎖させますか?」
北部の支持を失うわけには行かない、それならば自治区には勝手にやってもらうしかなくなる。どちらを選んでも不都合が生じるものだ。
――流通が停滞しているわけだ。公道があの有り様では滑らかにとはいかんな。道路工事まではやれんぞ。いや待て、何かおかしいぞ。
「自治区のデータを持ってきてくれ」
すぐに隣室から関係書類を運んでくる。電子検索と平行して知りたい内容を抜き出して行く。
――南北アトランティコを通過できればリバスと連絡回廊が通る、やたらと遠回りなのは仕方無いがな。その為の戦略物資が現在の供給量を四割近く圧迫してくるわけだ。
地図と資料をいったり来たりしながら把握に努める。地域的なメリットは特に無い、だだっ広い土地を抱えて過疎地があるだけで使い途は思い当たらなかった。
――通路の為にそこまで費用を出せんな。反発承知でお断りするのも選択肢か。
「連絡会議の意向は?」
「融和に善処すると共に、北部同盟への負担を軽減するよう努力する。つまりは黙って見ていると」
下手に刺激せずに現状を維持する、それもまた有効な手段と言える。仕方がないと共同歩調をとることを認めた、北部地域からも外れているしそれが妥当なのだろう。
「クリスタルディフェンダーズは異常なし、契約を継続中です」
「ハラウィ少佐は?」
「補給要請があり受け渡しを完了。以後は連絡ありません」
――ふむ。寄り道の意味を解ってくれたようで良かった。無茶をする必要はないから一つことを成してきて欲しい。
名ばかり義勇軍の汚名はハラウィ軍事大臣が丸かぶりしてくれている。望みはワリーフ――ハラウィ少佐の功績なのは確実なところだ。またそれを求めるだけの代償を先払いしている、島としても義弟を粗略に扱うつもりは無い。
「フォンセカ共同管理港協会が、中立的な扱いを歓迎する声明を発しました」
「海戦などやるつもりはないが、あまり謀略にも使ってくれるなとの抗議ともとれるな」
民間活動に制限を掛けなければ互いに今まで通りに機能する。オルテガ大統領も北部同盟も、海軍も願う形がそれならば暗黙の了解が成り立つ。
「R4社の取締役会が予定されていますが」
「そうだった。流石に出るのは無理だ、いつこちらのかたがつくかもわからん」
――辞任するか代理を立てるかだな。あちらの経過は順調な滑り出しだ、すぐに俺が居なくとも構うまい。
「潮時か。ド=ラ=クロワ大佐に繋いでくれ」
船上に在っても衛星携帯電話は繋がる、便利な世の中になったものだ。地球上で圏外になるのは限られた地域しか無いと言われている。サルミエ中尉が受話器を手渡す。
「ド=ラ=クロワ警備司令官です」
「大佐、俺だ。唐突だが、込み入った状況が続きそうでね、R4社の株式を幾らか引き受けてみないか?」
「現状をお察し致します。閣下のお言葉有り難く、ですが手持ちが御座いません」
「シュタッフガルド支配人に売買の一切を任せる。大佐の保証人を俺がやるよ」
「それではあまりに申し訳ありません」
「なに職務を全うしてくれたらそれが俺への報酬さ。アフマド部長にも分割する、臨時株主総会で取締役に入ると良い」
「重ね重ねありがとうございます。サン=ジョルジュが近海に居るはずです。影ながら助力するよう話をしておきます」
「フランスに迷惑が掛からないよう配慮を頼む」
「ウィ モン・ジェネラル」
そう言うことだ。後の処理をしておけと副官に命じる。良くも悪くも直接的な影響力を喪う、メディアにつつかれることも無くなるだろう。
「志願兵があります。外国人志願兵、二十一名。同じく外国人看護士団六十名」
「やれやれ、大人しくしなければ傷が深いだろうに」
詳細を述べずとも組み合わせで多くを理解してしまった。どういった扱いにすべきかの指示を黙って待つ。
「司令部付にする。どうせフィル上級曹長が代表だろう」
「ご明察。トゥヴェー特務曹長はレバノンで第三陣を編成中だそうで」
「冗談だろ、あまりずるはしないと今さっきノリエガ中佐に言ったばかりだ」
舌の根も乾かないうちにそんな話はどうにもならん、島を悩ませる。
「中止させて単身やって来るよう命じでもしなければ、来月にはわんさか乗り込んでくるでしょう」
――参ったな。自発的に動いてくれるのは正直有り難くて涙すらでる、だが外国人が増えすぎてはいかん。別の役目を与えねば!
暫し目を瞑り何かを考える。あってもなくても構わないような部分に使うのは気が引けたが、適任と言えば適任な仕事を思い付く。
――それを活用するのと、そうすべき理由を作っておかねば。そちらの時間はあるから何とかするさ。
「レバノンは深夜か? まあ仕方あるまい、プレトリアス郷に連絡を」
時差がありわかりきってはいるが、どちらかが不都合を飲まねばならない。後回しにして手遅れにならないよう、今回は安眠を妨害させてもらう。
「閣下、トゥヴェー特務曹長です」
「こんな時間に済まない、今しがた報告を受けたものでな」
「全くお気にならさずに。何時いかなる時でも喜んで!」
これを本気で言っているのだから島も彼らに手を差しのべたくなる。互いが信頼を行動で示した結果だ。
「うむ、トゥヴェー特務曹長、ソムサックに接触して長期保存可能な食糧品とファーストエイドキット、衣料品を輸入するんだ」
「はい。総予算をお決めください」
「百万米ドル。ニカラグア地域で流通不全が起きている、長期輸送に耐えられるよう梱包を行え」
「了解致しました。手筈が整い次第報告致します」
ふぅ。小さく息を吐いて増援を差し止めることに成功した。悪路をものともしない輸送手段を手配する必要が出てきた、車は何とかなるので運転手が幾人か必要になる。
「サルミエ中尉、ホンジュラスにガリンクソンという男がいて、テグシガルパからエル=トリウンフォ後方基地までトラック輸送のアルバイトをしている。そいつに仲間を集めさせろ、北部地域の道路を直している暇はないから、運転技術で解決してもう」
「ボスはなんだってよくもご存知で。手配をしておきます」
「地元のナビも集めておけ。そうすりゃ皆がハッピーになる、流通大手に物資の販売経路整備をするのも話を通しておくんだ。関税を掛けるのも忘れるな、北部行政官府預りで政府が正常化したら納税しろ」
やろうと思えば仕事は幾らでも出来てしまう、困ったものだと天井を仰ぐ。他に報告は無いかと確認し、ありませんと回答を得た。
一人になってソファーにひっくり返る。少しして冷蔵庫からビールを取り出し一気に飲み干した。
「義理に人情か、俺は昭和の極道か何かみたいだな」
ぼそりと呟き、思い出したかのようにテレビをつける。別に楽しいとか為になるような番組があるわけではない、何と無くだ。それなのに目に飛び込んできたのは、次の仕事を想起させるものであった。
「何とかならんものかね」
画面には演説台で拳を握り力説する、オルテガ大統領が映っていた。恭順を拒む地域全体に及ぶように放送しているようだ。
「マナグアで復権して後にニカラグアは変わった。オヤングレンは国を棄て逃げ出し、パストラ首相はリバスに閉じ籠り沈黙している。彼等が残した結果はあまりに少ない、彼等は失敗したのだ。各地の同志諸君、立ち上がろう未来の為に!」
支持を表明した地域や団体のテロップがひっきりなしに流れる。あたかもそうしていないのが、トレンドに乗り遅れているかのように。
――北部軍もいつのまにか支持に加わったらしい。全く迷惑な話だ、対抗報道を準備させよう。それにしてもパストラ首相、オヤングレン大統領もだが何故何もしないのか?
どうにも裏があるのを敏感に肌で感じる。先だってパストラと会話した際には、諦めの言葉とは逆の表情が見えた。機会を探っているにせよ、あまりにも沈黙が長い。
――リバスが陥落しては様子見も行き過ぎになる。政府が国内から消失したら天秤が一気に傾くぞ! 俺に出来ることを探すしかないか。
幾つかチャンネルを切り替えてみるが気になる内容は無かった。情報源を別の箇所に見出だす為、執務室から飛び出す。姿を見掛けた護衛が二人後ろを付いてきた。
――色々あって一人にはしてくれんからな。街から出る訳じゃない、彼等で充分だろう。
エーン少佐もサルミエ中尉も、アサド先任上級曹長だってやらねばならないことがあった。悪い癖と言われればそれまでだが、身軽になってビルを後にする。
軍駐屯地。チナンデガ軍のそれである。ラサロ大佐に面会を求めると即座に認められ案内される。
「イーリヤ准将閣下。お呼びいただければ参りましたが」
「いや大佐、北部軍の公務についてではないんだ。ちょっと時間良いかな」
「はっ、どうぞこちらへ」
小会議室を掃除して場を作る。無論、電子的な意味の掃除である。
「先だっては様々なご助力、ありがとうございます」
島と大佐の副官しか居ない部屋で深々と頭を下げた。職務である、互いにそんな必要などありはしない。
「そのような、無用です閣下。我等が力不足で苦労をお掛けします」
五十代半ば、退官間近で激動に飲み込まれた大佐は物腰も柔らかく、理解力も人一倍である。なるべくしてなった、そんな印象があった。
「政府は何故か沈黙をしております。どこかに理由があるにせよ、あまりに長い空白は誉められません」
職務外と前置きしたにも関わらず、相変わらずの話題に大佐は真剣に頷いた。
「政治は魔窟です。そうせざるをえない何かが政府を縛っているのでしょう」
真っ先にぶつかって決戦に負けでもしたら終わりになる。戦いを挑まないうちは不利になっても敗けではない、古代ローマの時代からの駆け引きでもある。
「今の自分に出来ることが何かを考えていました。ラサロ大佐、気になる情報をお持ちではないでしょうか?」
軍関係のネットワークは縦の繋がりである。配置が変わり地区を飛ばされても部下との繋がりは切れない。ならば永年軍に在ればその網も比例して大きくなるものだ。
「政府に関しては何も。ですが」記憶を確かめるため瞬間置いてから「数ヵ所で反政府活動が起きているようで」
どちらの政府に反対なのかはまちまちです。言葉を補う。
「詳細をお聞かせ願えますか」
「勿論です」
メモを用意させて大佐自身が書き込んで行く。比較的規模の大きく、はっきりした活動のみをピックアップする。三ヶ所の集団を重要視して内容を明かした。
「……チョンタレス州のフェルナンド大佐とは」
以前、対クァトロ連隊長として関わり、パストラにも推した人物であろうか。
「陸軍総司令部付、なんのことはない権限を与えられなかった人物です。サント・ドミンゴ地方の訓練基地監督になっていた筈です、名目だけの」
「何時頃からかお分かりになりますか?」
「数ヵ月前、四ヶ月あたりだったはずです」
――こいつは臭うな。オルテガ大統領に付くつもりならこんなことはしまい。ならば何故活動が出来ているか、そこに疑問が生じる。人徳ある大佐だったにしても、装備も人員もなくしては動けまい。
メモをじっくりと見て内容を暗記する。テーブルにある灰皿に置いてマッチで火をつけた。
「ありがとうございます。霧が少し晴れたような気がします」
「お役に立てたようで光栄です」
――世が世なら大佐のような人物が司令官に相応しい。
丁寧に謝辞を述べて駐屯地を出る。護衛が連絡したのだろう、アサド先任上級曹長がいつの間にか待っていた。
「アサド先任上級曹長、次の仕事は補給になりそうだ」
「ソヴィエトのトラックは悪路に強いことで有名でした」
道なき道を行くように設計されていたのだから当たり前である。荒れ地をわざわざタイヤで走ろうとするのが間違いとは考えなかったらしい。
執務室に戻り情報収集に努める。方針に間違いがあってはならない、それが絶対であった。
――誰にこの役目を割り振るか、だ。速やかに事態の把握をすべきだが、実行は場が整ってから慎重にしなければ。そして単発で終わらせてはならない、次の一手に繋げなければならん!
司令官の椅子に座ったところでサルミエ中尉がやってきた。小言は後回しにして重要な報告をする。
「ロシアから顧問が乗り込んで来るようです」
「またパイロットのグループか」
だとしたら面倒になると考えを巡らせた。
「それが対外情報庁のエージェントのようです」
「制服組? ……ロマノフスキー中佐を呼んでくれ」
最優先事項だと付け加えて呼び寄せる。幸いに街に居たようですぐにやってきた。
「ディナーにはまだ早いですな」
いつもの調子で茶化しながら敬礼する。この余裕があるから皆が安心するのだ。
「もやもやが解決しないと喉を通らなくてね。マナグアにロシアの対外情報庁のエージェントが顧問として来るらしい。何者か知らないか?」
「厄介なのが出てきましたね。そいつは暗殺者集団ですよ、政治的な対抗者を黙らせる究極の手段」
軍のそれとは所属が違い、目的もまた違うと説明する。軍のものはより直接的なアプローチ、要は鉛玉をぶち込んだりもろとも吹き飛ばしたりだ。だがこちらは暗殺と断定出来ないような手段を用いることが多いらしい。
「風呂場で溺死に、いつのまにか被曝か。こりゃ大変なやつらが出てきたな」
「それだけに対象になりそうな人物は絞れます。パストラ首相、政府の閣僚、北部同盟の代表にボスです」
重要人物の仲間入りおめでたくはありませんな、うーんと唸りどのように防ぐかを思案する。真っ向戦うのは得意だが、この手合いは厳しい。
「専門知識が必要になるな」
「対抗組織があります。言わずと知れたCIAですがね」
アメリカにもわんさか類似のがあるのは納得出来た、島が望めば恐らく派遣してくることも。
――北部同盟は良いが、リバスには送るまい。自力で何とかしろと突き放すのは果たしてどうだろうか。
宙に浮いた状態のリバス政府、それが空中分解寸前になっていることが大問題である。解っていて手をこまねき後悔する、それだけはごめんだった。
「俺達が手配出来る何かはないだろうか」
唇を噛み締めて必死になって考える。喪ってしまってはもう回復出来ない。
「守るのは至難の業です、手に負えません。が、その集団を攻撃するなら或いは」
「先手を取るわけか。一旦は必ず首都に赴任するな、やるならその瞬間だ」
現在のマナグアに詳しく、実行部隊を使える人物が誰かを絞る。
――綱渡りが激しい、だが奴しか頼れるのが居ない。
「行き場が無くて迷っているでしょう、ここは一つアレにやってもらいましょう」
「俺が頼むような筋じゃないが、緊急事態だからな」
あっちもこっちも満足に連絡がとれないまま、計画だけが広がって行く。少し不味いかなと感じてもどうにもならない。
「何か落ち着かんな」
「ビシッと締めてくれる者が必要ですな。まずはそれを解決してみては?」
頃合いでしょうと勧めてみる。七割整ったなら邪魔が入らないうちに実行するのも手だと。
「そうだな、そうすれば幾つかまとめて改善する」
曖昧な未来であるがそのくらいは求めても良いとすがってしまう。
「この位期待しても罰は当たらんでしょう。給料分のお勤めですよ」
そう笑い飛ばす。頑張ってもどうにもならないこともあれば、放っといても上手く行くこともある。気持ちを大きく持ちましょう、ロマノフスキー中佐が半分引き受けますと申し出る。
「助かるよ、そう言ってもらえて」
「好きでやっているんです、そこはお互い様で」
それでは対外情報庁はお任せを、そう残して消えていった。
「さてサルミエ中尉、コロラド先任上級曹長に指令だ」
「ヴァヤ ドン・ヘネラール」
彼もまた微笑を浮かべて命令引き受けるのであった。
◆
オルテガ大統領はロシア人をまた同じ場所で招き入れるつもりではあったが、まさか彼らを呼ぶことになるとは考えていなかった。対外情報庁の実行部隊、ザスローン部隊の一個班である。対外情報庁はロシア連邦首相が長官を兼ねている、それはつまり一官僚の支配する機関ではないことを如実に表していた。
「ヤセネヴォからやって参りました、ケレンスキー少佐であります」
ヤセネヴォとは対外情報庁の所在地である。霞ヶ関であったり、フォート・ジョージであったりと使われることが多い。また待遇が軍人な事も知られていた。
「うむ、オルテガ大統領だ。貴官はスペイン語が上手だな」
嫌味でも何でもなく、前のジューコフ少佐よりも格段に上なのを素直に比較とした。そこまで調べて知っているかはわからないが、ケレンスキー少佐はそつなく応じる。
「ありがとう御座います。ボスも同じようにスペイン語を使いますので、この方面の常識程度にお考えください」
首相はロシア語の他に英語もスペイン語も操るのをオルテガも知っていた。その事実を再度耳にして、イーリヤ准将を思い浮かべてしまった。
「うむ。単刀直入に言おう、オヤングレンとパストラには手を出さずに、奴等の動きを封じ込めたい」
イーリヤ准将を省こうかともとも考えたが、そこまでは口にしなかった。手駒ではあってもヤセネヴォの奴等に胸のうちをあまり知られたくはなかったからである。
「承知いたしました。ターゲットを選定し報告致します」
ケレンスキー少佐は余計なことを言わずに敬礼するとその場をさっさと立ち去ってしまった。しっかりと退室を確認し、ビルを出てからその姿を見ながら呟く。
「こうでもせねば収まらなくなったのは、俺の指導力不足だろうな……」
少し気落ちしてため息をつく。どうしてこうなってしまったのか、覇気が減退した理由を考えてしまう。
――指導者は孤独だ、それを和らげてくれる何かが必要なのだな。ウンベルトの顔を見に行ってみるとしよう。
全体的に見ればオルテガのニカラグア実効支配は進んだといえよう。それとは別に抵抗勢力が明らかになってきている。だがこれといった味方が増えたわけではなく、手下が増した程度なことに不安を感じていた。
スーツに身を包んだ壮年男性がカフェに入る。ランチセットを注文し、平凡な昼を過ごしていた。少なくとも衆人にはそう見えている、そのくらい自然な動きだった。
浮浪者が入ってきてトルティーヤと水を注文した。汚く食い散らかしてあっという間に出ていってしまう。客に扮装しているニカラグアの情報局員は、ふんと鼻を鳴らしてそれを見下した。
スーツの男が食事を済ませて店を出ると、情報局員も連れだって後をつける。あからさま過ぎて笑いを堪えて気付かないふりをしながら宿舎へと戻る。
「あれで隠れているつもりかね」
やれやれと角の建物からチラチラと姿を見せる男を視界の端で捉える。テレビをつけると今日も政見放送が流れていた。
――わざわざ流しているうちは対抗者が生き残っている証拠だな。そろそろ手助けしてやるとするか。
期せずしてあちこちで騒ぎが起きて、つけている情報局員が半減したのも奴の差し金だろうと解釈していた。そうせねばならない程に参っているから、動きやすい環境を作っている、彼はそう考えた。
――ヒノテガと太平洋だけでなく、カリブ海まで航路を通したあたりは及第点をやろう。コスタリカへの道でリバスを繋ぎ止めているのもだ。
オルテガが邪魔をするならばどうするだろうと、目をうっすらと開いて思案する。単身ならばどうとでもなるが、お荷物が山と居る。
――歩けと言っても音を上げるだろうし、歩かせるようでは俺の失策だな。いかにしてヒヨコを出荷するか、こいつだ。
手駒は限られているが、サポートの影もちらついている。織り込むのは自由だが頼ってはならない。
「俺も物好きと言われても仕方無いな」
この状況を楽しんでいるのを冷静に分析する。不謹慎なのか懐が広いのか、あるいは両方かも知れない。部屋には生活用品以外には何も重要な物を置いていない。装備も腰につけた拳銃のみで、制服はトランクに入れてある。
――あいつだけは枠の外だ、意志の確認をしておくか。
軍の制服に着替え気持ちを新たにする。もう長いことこうやって生きてきた、最近は残せる足跡が何なのかだけが興味の主軸であったが、クーデターが起きて変わりつつあった。
車を使わずいつものように歩いて学校に向かう。午前中は会議があったので、今が遅い出勤である。校門に居る見張りが敬礼した。軽くそれを返して校舎に入る、尾行はそこまでで校内にまではやって来ない。
「校長、滞りなく」
「うむ、書類を纏めておいてくれ。それとアロヨ中尉を呼ぶように」
退役曹長が再雇用の形で新人学校の教師として働いている。今までも数は少なかったが存在していたのを、大幅に増員したのはグロックである。彼等の経験こそが宝だと、後進に伝えるための措置だ。階級では生徒が上であるが、教官としての立場なので互いが敬語で喋る、それも狙っている。
――教師を連れては行けんな、彼等には守るべき者が在る。
人選を頭の中で行う、単身者のみをふるいにかけて他は置いていくと決めた。ノックが聞こえる、扉は開けっぱなしであるが。
「来たぜ」
「うむ。アロヨ中尉に確認することがある」
近くに寄れと人差し指をくいくいと動かし身を乗り出す。島に無理矢理新人学校に押し込まれてから、今の今まで在籍している。
始まりこそ慮外であったが、父親の影響を受けない新天地は考えていたよりも居心地が良かった。心がすっきりと晴れやかになる、そんな関係の友人が出来たからだ。
「用事が出来てここを引き払う、お前はどうする?」
学校を引き払う、その意味が理解できなかった。ここに来る前ならば説明しろと詰め寄っただろうが、散々な目に遇い続けてから考えが変わった。
「校長は俺にどうして欲しいんだ? 一応リクエストを聞いてやるよ」
生意気な態度はそのままだが、頭は違ってきていた。グロックもそれを受け入れ、厳しくは押さえつけなかった。
「二択だ。黙って俺についてくるか、とっとと国に帰れ」
初めて帰国を許可された。アロヨ中尉は重大な何かが始まろうとしているのに気付く、その場合自身がどうすべきかを考えてでた言葉がこの二つだとも。
「戦争に参加するつもりってわけか、面白い。一つ質問だ、俺が必要か?」
挑戦的な目付きで答えを待つ。何と言われようと自分の考えを変えるつもりも無かったが。
「はっ、役立たずは要らん。もう荷物で手一杯だ」
「素直じゃねぇな。まああんたがしおらしくなる時はくたばる時だろうな」
いつ出掛けるんだ、目の前で煙草に火をつけて机に腰掛ける。相手が悪ければ床に制圧されかねない。だがグロックは小さく鼻を鳴らして煙草を取り上げくわえた。
「可及的速やかに、だ」
「まったく、煙草の一本位ゆっくり吸わせろっての」
あーあ、とわざと聞こえるように発して外国人の自分の役目を考えた。軍服を着ていなければ観光客と言い訳も通るだろう。幾分長く滞在しすぎてはいるが。
「一時間後に応接室に集合だ、準備があれば済ませておけ」
言い残すと椅子から立ち上がりさっさと行ってしまう。向かう先は自習室、つまりは教室である。あくまで皆が自発的に集まる勉強会との姿勢を崩さず、講師は招かれる者としてセミナーのような形式を整えていた。
グロックが入室すると、講師も生徒も全てを中断して起立敬礼する。学校での席次だけでなく、軍の階級も一番上なのだ。
「貴官らに問う」
何の前置きもなしに唐突に全員に問い掛ける、一応は講師も含めて。
「今、ニカラグアは政争の最中にある。貴官らが守護すべき国民も方向を見失い、声を発することなく推移を見守っている。軍は分裂し州境は監視下に置かれ、国際社会は成り行きを注目している」
情勢は講義できっちりと把握させ、日々どうすべきかの議論を尽くさせていた。ただそれを見過ごすような士官はここには居ない。
「ニカラグア軍の将来を担う若手将校たる貴官らに問う。私は本日新人学校を放棄し、在るべき場所に向かう。それぞれの確固たる意思を示せ」
重大な岐点にあると皆が真剣に考える。いち早く一人の生徒が宣言した。
「軍人として現時点の最高指揮官であるグロック大佐の指揮に従います」
一部はそれにつられて同じく指揮下に加わると申告する、誰がどのタイミングで判断を下すかをきっちりと記憶する。無論総司令部に行き指示を仰ぐと言った者や、郷里に戻る者もいた。それらを責めることはしない、考えた末に出した答えを尊重する。
「結構だ。麾下の先任士官としてバルドス少尉に統括を命じる」
真っ先に従った少尉を隊長に任じた、迅速な判断を買ったのだ。
「全員に二十四時間の箝口令を課す。応接室に四十分で集合せよ、同道しない者はここで自習だ」
初動が数時間遅れたら充分だが、アクシデントを見込んで一日を指定する。この命令はオルテガ中将がグロック大佐に解除を命じなければ解かれることはない。
「大佐殿、自分も志願して宜しいでしょうか?」
教師のラメル退役曹長が遠慮がちに尋ねた。彼には家庭があるので敢えて命令からは外していたが、無視するわけには行かなくなった。
「それが貴官の意思ならば。ラメル退役曹長の現役復帰を承認し、バルドス少尉の指揮下に加える」
「バルドス少尉殿、何なりとご命令下さい」
「宜しくお願いします、曹長」
不意をつかれて言葉を返すのが精一杯だった、だが曹長は首を横に振る。
「自分は曹長、敬語は不要です」
「解った」
さっきまでは生徒として教えを乞う立場だったが、一瞬で上官としてのみの態度で臨めと言われる。今が戦時だと気を引き締めるに一役買ったようだ。
「バルドス少尉、チナンデガへ移動する。必要な装備を揃えろ」
「ヴァヤ!」
ラメル曹長が助言するだろうと詳細を語らずに次の手配をしに行く。校内に居る出入り業者のトラックを調達しなければならない。業者の名前はオズワルト商会であった。
校長室に戻り電話を手にする。盗聴が仕掛けられているのを知りつつ、東部ブルーフィールズの港へ「今晩二十七人の予約を」わざと手配する。これが情報局員に伝わり対策されればギリギリ間に合うだろうタイミングを選んで。一方で衛星携帯電話で長距離バスを一台確保した、これも程無く知れ渡るだろう。
「集まっているな」
時間になったので応接室に入る。軍服から私服に着替えた皆が、鞄に荷物を纏めて待っていた。
「準備は整っております、大佐殿」
「バルドス少尉、こっちに来い」
近くに寄せて計画を耳打ちする。指揮官のみにしか明かさない、同じ少尉であるメンバーが嫌な顔をした。だがしかしそんなことはお構いなしだ。
「これより作戦を開始する。全員が目的地についたところで初めて成功だ!」
皆がグロック大佐に敬礼した。危なっかしいがこの位できずに戦場に連れ出されては、すぐに戦死報告の山だろうと目を瞑る。無駄口を叩かずに彼等は部屋から出ていった。
「んでオヤジ、あんたはどうすんだ」
一人残ったアロヨ中尉が偽装をどうするのか、激しく間を省略して尋ねる。聞いただけで特にどうこうするわけでもないが。
「あちこち振り回してやるさ。エキストラの準備も進んでいるはずだ」
「ああそうかい。まずは下校のだな」
どこのどいつかは知らないが、裏手からこそこそ校舎にやってきている影があると知らせる。それがきっとエキストラなのだろう。
「帰りは酒場でも寄って行けと小遣いを渡してやるさ。すぐに偽者だとわかって爆発するだろうがな」
単純な手ほど有効で確実だと小細工をばらす。情報局員とて全員の顔までは覚えてはいない、重要人物のみですら怪しい職員も居たくらいだ。
「タクシーがバラバラに北へ向かうなんてのはどうだ」
「ま、当たり前過ぎるがやるべきだな」
「マナグアから空路国外へ」
「予算の割りに効果は薄い」
「でもやるんだろ」
「当然だ。少しでも成功に向けて可能性を増やす」
他はどうなんだ、幾度も浴びせられた言葉である。普通に思い付くことを並べた程度で終わりでは話にならない。
「隠れるばかりが手じゃねぇだろ。目撃情報のタレコミで右往左往してもらおう」
――なるほどな、多少疑わしくとも通報を無視は出来ないわけか。
「少しは考えるようになったわけか」
「おいおい止してくれよ、あんたが誉めるなんてろくなことが起きねぇよ」
島も全く同じ感想を持ったことがあった。そんなことを知るよしもないが。同時に通報の手配はアロヨ中尉が行えと、言わずと目で命令される。
「最初の一歩が闇の中ほど効果的だ」
俺が一番に向かう先が何処かは解るな、そう質問してくる。
「現状にあって干渉を許されない場所に。つまりは西海岸の海軍基地にでも行くんだろ」
オルテガだけでなく、誰であっても探りを入れることが難しい。接触すらも難しいが、そこは職権により強引な解決が見込めた。
「移動の方法は」
目的地を認めて実際の行動をどうするか試す。そこでしくじればあっという間に足がついてしまうだろう。
「タクシーさ。無駄話もそこで、だな」
ピクリと鼻を動かし、「タクシーを呼んでおけ」ギリギリまで何か出来ないかを思案していた。
軍港の前に横付けしたタクシーに、かなり余分な支払いをする。そして付け加えた。
「荷物をここに届けて欲しい。運賃については懐に入れても、会社に入れても構わんよ」
「スィン。必ずやお届けします!」
会社に報告するわけが無いだろうと、さっとポケットにしまう。後ろめたいことがあれば運転手も簡単には口を割るまい、口止めするにも直接的な手段より有効かも知れない。
「何持たせたんだ、オヤジ」
小さな軽い物だったのはわかるが、中身までは想定が出来なかった。
「自分で考えるんだな」
にべもない答えを聞かされて文句を呟く。制服姿のグロックと、私服のアロヨが門に近付いた。
「新人学校校長のグロック大佐だ。預かっている少尉に関して重要な話があってきた、責任者に繋げ」
「はっ。お待ちください大佐殿」
少し考えたが担当がわからずに軍曹に報告した。その軍曹も判断つかず、基地司令官ではなく当直士官に報告を上げる。
「お入り下さい、大佐殿」
「うむ。こい中尉」
私服ではあるが中尉と呼び掛けたので、門衛もアロヨをすんなりと通過させた。




