第八十三章 国道防衛戦、第八十四章 丘の攻防戦、第八十五章 大統領の行方
三日掛けて必死に積み上げた防壁があちこちで崩落していた。百五ミリ砲が容赦なく降り注いでいる。
「随分と真面目なことだ」
ロマノフスキー中佐は司令部の地下壕から双眼鏡で最前線を眺めていた。物的な被害はあるが、人的な被害は少ない。軽傷者が数人出ているだけである。
「二日間のアルバイトを募集したのが功を奏しましたか」
「お前の功績だよ、中尉」
副官であるブッフバルトの気転を称賛する。兵士だけでは限界があったので、チナンデガの住民を対象に役務アルバイトを募ったのだ。男女どちらでも構わない、やればやっただけ報酬をその場で支払うと。
「仕事を与えたことは、即ち北部軍の実績にも繋がります」
公的な資金で工事をした。つまりは公共事業である。単純な作業は民間人が行い、塹壕設置、物資運搬、防壁構築を下士官が指揮した。工兵は兵士を使い重要箇所に拠点を構築するのに専念、かくて短時間でちょっとした防衛ラインが構築されたのだった。
「大勢さんのお越しだ、精神的に参るやつも中には居るだろう」
心的ストレスというやつで、適性が無い者が凄惨な戦場を目の当たりにしたら、塞ぎ混んでしまうアレである。
「後方に野戦病院を設置してありますが、別にカウンセリングを行う場所を増設し、重症者はチナンデガの精神病棟に送る手筈を整えておきます」
「結構だ」
淀みなく適切な手配を示唆する副官に満足を示す。クァトロにあって光るセンスが特にこれだとあったわけではないが、手堅く昇進を重ね今や中尉である。二つ歳上のマリー大尉と比べると見劣りする気がしたが、もしかすると未知の力を持っているのかも知れない。
――レオン軍を丸ごと通過させなければ目的は果たせる、ブッフバルトに一つ力を試させてみるか。
後方に第二戦線を構築途中であり、もしこの場を放棄しても即座に終わりではない。いつまで余裕があるかは解らないが、やらせてみなければいつまでもそのままである。
「中尉、レオン軍にどうやって対抗する?」
勝てと言っているわけではない、時間を稼ぐにはどうしたらよいかを問い掛けているのだ。無論明確な答えがあるわけではない。
「国道を寸断しては後遺症があります、然りとて機甲に疾駆されてはもとも子もありません」
機甲に限らず車両が通れなければそれだけで良かった。山を迂回する歩兵などほっといても大事はない。三日掛けてチナンデガに到着したところで何が出来るか。
「そうだな、だから要所だけを占めている」
部隊司令が肯定した。正攻法を遵守し少ない被害で大きな効果を狙っている。それだけでは圧倒的な数の差がいずれ破綻をもたらすだろう。
「利点と欠点は裏表です。同じニカラグア軍なのを逆手にとり、奇襲を企てます」
全くの同人種である、見分けは軍服の所属記章位しかポイントがない。今だって見ず知らずの伝令がやってきたら、それがどちらの手の者かわからないのだ。
「少数による撹乱攻撃や司令部の奇襲か」
定番と言って差し支えない、野戦の戦術である。面白味に欠けるがじわじわと効果が積み重なる手である。
「それでも良いのですが、車両を目標に特化します。界面活性剤と粉糖で」
「そいつは傑作だな! 完全破壊では大変だが、それならば手軽なものだ」
破顔して案を誉めてやる。実際に上手く行けばこれほど効果的なこともない。味方の陣地を見ても当然戦闘中なのだから武装待機や臨戦態勢をとっていた。
「問題はいかにして近付くか、だな」
警戒は最大だろうし間違えば即座に命を奪われる。だからと何人も送り込めば一人や二人がしくじって取っ捕まることがあるはずだ。ロマノフスキーやブッフバルトがやるでは目立って仕方ない。もし実行するならば、それは現地人であるべきなのだ。
「市街地が近く民間人が居ます。ダメだと言っても商売しに来るやつはいるでしょう」
また地元連隊として世話になっている顔馴染みでも居たら、無下に追い返しも出来ない。後は女が一人だけ買収できれば良いのだ。
「コロラド先任上級曹長はチナンデガに残っていたな」
「ここまで片道一時間です、レオン近くまで迂回しても今日中に上手くやるでしょう」
何だかんだとあいつはしくじったことがない。全幅の信頼を置いている。
――柔軟な発想だ。後は脇を固めるだけで策の効果が成功率があがるな。
「こちらが同じ手を食らわない保証はない。管理を徹底すると共に、少し見せ付けてやったらどうだ」
北部軍はたったの数日陣を張るだけなのに、わざわざ司令部が管理保養所を設置した。何のことはない、防衛線後方に娼館を作って娼婦を丸ごと軍で借りきったのだ。それを見たレオン軍が綱紀粛正するか、兵の要望を容れるか答えは解りきっている。
昼間の攻撃を凌いで暗くなると、不幸な不寝番も楽しく勤務をこなした。順番待ちすることなく交代したら娼館に駆け込めるからだ。若い男の兵士が酒も制限され命懸けのストレスを受ける以上、それを何かで発散させねば不満が溜まり暴走してしまう。
――兵に甘すぎだが一石二鳥の効果は見込める。作戦だとして見逃してやるとしよう。
ところが一石二鳥どころかかなりの効果を発揮した。負傷者の復帰が極めて早くなり、軽傷者が後退して野戦病院に駆け込むことが無くなった。ロマノフスキーは苦笑したが、今後も使える手立てかも知れないと心に留め置くことにする。
――単純明快な褒美があれば頑張りも違うわけだ。衛生だけ気をつけてやれば、職がないやつらの助けにもなるのかもな。
時代も場所も関係なくこの商売は常に存在している。それは需要が無くならないからに他ならない。強制するのではなく商売として取引するならば文句を言うやつが逆に疎まれる程であった。
夜になると砲撃も取り止めて、最前線で対峙している一部の歩兵だけが互いを警戒するだけである。レオン軍が闇夜奇襲をしてくる素振りはなかった、正面から数で押し潰せばそれで充分勝てると考えていたからだ。またその考えは常識では正しく、無茶を命じるならば自身の部隊でやれと切り返されること必至であった。
「何だか歓声があがったと報告がありました」
援軍でもやってきたのかと疑ったが、優勢な側がわざわざ夜中に無理矢理に駆け付ける理由がなかった。
「後は道に迷うなりしてやってくれるさ。朝に給油したら午前中に大混乱だな」
国家の高価な備品を壊すのは気が引けたが、致し方無い犠牲が人命ではない部分に救いを求めることにした。
「マリー大尉らがこちらに向かっているようです」
――最短で四日と言っていたが、こちらの報告を聞いてクァトロだけでも増援させてきたか。ロメロ大佐とやらはまあまあやる奴らしい。
余裕があれば正規軍が向かうはずで、快速部隊を最初に出すあたりニカラグア軍が意外と戦えるのを示していた。相手を甘く見るなとの警告だと解釈しておく。
「タランティーノ警視正を呼べ」
「スィン」
西部に少し離れて指揮所を置かせていた、野戦警察司令を呼び寄せる。ロマノフスキーがいつどうなっても本隊が来るまで支えるのが役目なので、意思の統一をはかることにしたのだ。
二十分足らずで警視正はやってきた、寝ていたわけでは無かろうが顔色はあまりぱっとしない。
――不安で一杯か。そりゃそうだろう、いきなり戦場でこれだからな。
「タランティーノ警視正やって参りました」
「ご苦労、まあ座れ。あちらも夜はあまりちょっかいを掛けてこないからな」
油断は禁物ではあるが、気を張り続けるのは無理なので休むときには確りと休むように、と重ねて言い付けておく。彼を欠いては不都合が出てくること受け合いなのだ。
「ええ。そうします」
自身の指揮所よりは気が楽なのか、ようやくほっとした顔を浮かべた。頂点に立つのが苦手なのかも知れない。
「今こちらに援軍が向かっている、明日の朝までには到着するはずだ」
気持ちを軽くさせてやろうと良いニュースを最初に教えてやる。正直者のタランティーノはそれを聞いて顔に喜色が浮かんだ。
――部下としては使い道があるが、良し悪しがはっきりしすぎるきらいがあるな。特徴がわかっただけでもプラスだ。
「西部は警察だけですので、強硬にこられるとどうしても」
迂回路を押さえる必要があったが、そこに正規軍を充てられる程の余裕が無かったので警察部隊を置いていた。戦力に不安はあったが主軸の国道を守りきる戦いに使う方が心配である。
「援軍がきたらここの正規軍を振り向ける、警視正は到着次第後方の第二戦線に入るんだ」
やはり後方と聞いてほっとしたのが顔に出る。そんな意気地なしでも警視正になれるだけの器量がどこかにあるはずなのだ。
「はい。補給や支援に徹します」
「うむ。本隊がチナンデガに戻るにはまだ二日や三日はかかるはずだ。もし俺がくたばったら、国道を破壊して撤退するんだ。そうしておけば司令官が何とかしてくれる」
経済的には激しくダメージを受けてしまうが、そんなことを言ってられない程の苦戦を強いられるのは絶対である。最悪街に砲撃を加えると言われたらそれまでだった。
「私にどこまで出きるか……」
「心配するな、俺はまだまだ死ぬつもりはない。それにお節介な奴が身代わりになろうとするからな」
――若い者より年寄りが先に逝くのが順当なんだがな。軍隊とは違った道を行かせるらしい。
常日頃から上官を優先し生きながらえさせる、そう教育されているのだから仕方ない。どの国でも共通する決まり事である。
「それでは部隊司令、私は指揮所に戻ります」
敬礼して警視正が地下司令部から出ていった。ロマノフスキーはそれを見送ってからブッフバルトに先に休むよう命じる。
「自分が起きています、先に中佐殿がお休みください」
朝が危険な時間帯なのだから、そこから部隊司令が勤務すべきだと理由をきっちりと添えた。正論であり副官が必要になれば叩き起こせば良いが、逆は上手くない。
「早寝早起きか、いつから俺は優等生になったんだろうな」
後は任せる。そう残して狭い自室に消えていった。
◇
深夜三時になるあたり、第二戦線から敵襲の報を受けてブッフバルト中尉は身を堅くした。すぐに詳細を確認させると、誤認だったと改めて回答がもたらされた。友軍の機械化部隊だと追って知らされる。
「クァトロ、部隊司令部。クァトロ、部隊司令部」
聞き覚えがあるイントネーションが無線機から漏れる。ブッフバルトは一息ついて応答した。
「部隊司令部、クァトロ。大尉殿の到着でしょうか」
ドイツ語で応じる。それを解する人物はほぼ皆無に等しい。
「夜勤ご苦労だ中尉。すぐ着くから間違って攻撃をしないでくれよ」
「ヤボール」
後備の部隊に至急連絡を入れる、驚かないようにと。北部軍の軍旗も暗くて見えない、それでも何とか確認して警備が部隊を誘導するために姿を現した。
程なくしてヒノテガから急行したクァトロ部隊が、国道縁に展開した。あと二時間で夜明けになるだろうが、可能な限り睡眠しようと思い思いに転がる。だがマリー大尉だけは状況を知るべく司令部に足を運んだ。情報交換したいことが沢山あると同時に、親友に付き合ってやろうとの腹積もりであった。
「意外と頑丈な造りだな」
司令部に入りまずそのような感想を述べる。ヒノテガ北に置いた島の司令部と同程度の強度を有しているのがわかった。
「百五ミリ相手ならこのくらいは必要でして」
ブッフバルトが要塞構築知識があるのを明らかにした。断片的ではあるものの、結果として現状に満足行くような部分を知っていたらしい。
「二人だけだ、そう畏まるなよ」
笑顔を向けていつものように話そうと持ち掛ける。
「だな。あちらはどうだった」
「聞いて驚けよ、何と義勇軍が遙々やってきて俺達はお役ごめんだ」
余剰になったんだよ、などと肩をすくめる。数的にも質的にもより大きな義勇軍だと口にした。
「質的にもだ? アメリカ軍でも大挙してやってきたのか」
「そんなが来たら北部軍丸ごと不要になるな。やってきたのはレバノン人義勇軍さ」
ドイツやシリアも国旗があったと見掛けた国全てを教えてやる。国籍を確かめたわけではないが、不誠実な真似はするまいと見たままを。
「外国人を保護する名目なら邪魔するわけにもいかないな。使い途は制限されるが」
守備専用ではあるが、義勇軍を攻撃するような奴等も居ないだろう。刃向かえば別だが、戦いに関しては中立が絶対なのだから。
「義勇軍の指揮官はそうすると?」
「ハラウィ少佐さ、これ以上の駒を俺は知らんね」
義勇軍だと言って現れて、そのうち北部軍にすっと参加が可能なニカラグア国籍も持ち合わせ、更にクァトロにも入れる佐官は探したって居ない。それだけでなく絶対に裏切らないのだから最高である。
「納得の登場だな。閣下の要請?」
「さあな、誰の仕業かまでは知らんよ」
借りたいときに力が借りられたらそれだけで充分だと締め括る。
「レオン軍は千人を超えてる、それでいて二時間か三時間あれば首都からも二千は増援出来るな」
「不公平は世の常だ。どんな準備を? 何だか娼館らしいのをあちこち見掛けたが」
短期の戦闘に何故必要なのかわからないと、異常を指摘して終わる。
「マリーは娼婦が陣内で道に迷っていたら捕まえて尋問するか?」
「なに? ……娼婦が何らかの役割を担っているわけか。だが情報を仕入れてもこの兵力差ではちときついな」
「何、成功したらすぐに分かるさ。しくじれば笑ってくれ。ほら少しでも寝ておけよ」
当直士官は一人で充分、ブッフバルトは明日にも猛攻があるかも知れないと、部隊指揮官の体力を回復させることを勧めた。無論マリーもそうすべきだと司令部のベッドを借りるぞ、素直に向かった。
空が明るくなるが東に山があるので今はまだ太陽は見えない。時間を確認し中佐に起床を促そうと椅子から立ち上がると、扉が開いてロマノフスキーが現れた。
「おはようございます、中佐殿」
「おはよう。マリーは到着したか」
「はい。今司令部のベッドで仮眠を」
二時間経っていません、凡その到着時刻を明かす。
「寝かせておいてやりたいがそうもいかん。起こしてこい、そして中尉は休め」
「そうさせていただきます」
砲撃の真っ只中だろうと何だろうと、睡魔がやってくれば人は意識を闇に落とせるように出来ているものだ。命令通りにマリーを起こそうとすると、狭い廊下で顔を会わせる。
「よう、後は任せとけ」
「そうするよ。いつでも起こしてくれ」
敵襲程度じゃ知らせん、ニヤリと親友の肩を軽く叩いて入れ替わった。
「強行軍でやって参りました」
「流石期待の後輩だ、きっちりと間に合わせてきたな」
寝起きのビールだ、と缶を一本投げて寄越す。サモサを一つだけ摘まんで食事を済ませてしまう。
「圧倒的な戦力差をどのように詰めるおつもりで? 若輩の自分には全くです」
連戦して相手を減らすならやってやれなくはない、等と一番難しいことなら出来るとうそぶく。
「俺としては数日時間を稼げたらそれで良いんだ。別に勝てとか対等に戦えとは言われていない」
うんと言うならレオン軍の大佐に賄賂をたっぷり渡して、一日二日攻撃を積極的にさせないようなことまで考えた。ビールをあおりながらネタを披露する。
「大いに合意の可能性ありですね。そこまでせずとも何とか出来そう?」
「ブッフバルトの策が当たればな。昼までにはわかるだろう、その後に手を回して間に合うかは知らんがな」
別にどうとでもするよと余裕を見せる。やはりトップはこうでなければならない。
「小官への指示を拝聴させていただきます、何なりとご命令下さい」
最前線で敵を通すな、そう言われたらダコールと応えるつもりだ。
「こちらの中隊を一つ西に移す。穴埋めだ」
それだけではないだろうと先を促した。
「猛攻があれば被害が大きくなる前に第二戦線まで後退させる。殿をお前が引き受けて欲しい、すぐに奪還にかかる」
「すぐに奪還するのに後退する? ……偽退誘敵というやつですか」
南から北への防御用に陣地が造営されていた。そこを抜こうと無理をさせて、取ったところを追い落とすつもりなのだ。失敗したら総崩れになるが、崩壊するか否かは最後尾が整然としているかどうかに掛かっている。
「種明かしをすると東の山岳に百五ミリ砲陣地があってな、ここが最大射程で対人榴弾を準備させている」
「読めてきましたよ、するとブッフバルトの策は機動力の排除ですね」
「正解だ。まああちらさんが突破を計ってこなければ、一番楽にゴールなんだがな」
ここまできてそいつはなかろう、断言してしまう。黙って砲撃だけしているなら何のために出てきたのかわからなくなるからだ。
「もう少し罠が欲しいですね」
顎に手をあてて考えを巡らせる。どの部分を補強すべきか、流れを想像してみた。
耐えきれない圧力がきてからの話である、守備隊が味方の陣地を目指して退却するのは上手くいくだろう。問題があるとしたら逃げ出した奴等が攻撃に参加出きるかどうかだ。
その意気を喪った兵を元気にさせるのが砲撃だけでは寂しい。そこに一枚何かを噛ませる罠を用意することにした。
「軽砲兵が居ましたね、予め目盛りを合わせたのを隠しておいて急射させます」
「国道を外れたら畑と荒れ地だ、簡単には見付かるまい」
荒れ地の条件は互いに変わらないので、あぜ道のようなところを身軽に移動可能になるよう考える。
「自転車でも使わせましょう、軽砲は設置ずみなら荒れ地は自転車を担いでも負担にはなりません」
「ふむ。走らせるより自転車の方が速いし体力も使わんな」
第二次世界大戦以降も、一部の国では自転車歩兵が存在していた。誰でも簡単に扱えるのに機動力は飛躍的に拡大、更に装備費用も安いのだから使ってみたくもなる。バイクと違い静粛性が高いのもポイントであった。日本では銀輪部隊、スイスでは山岳自転車中隊などが知られている。
「西部から回り込み一撃を側面からというのもいかがでしょう」
接近せずに機関銃やロケットで牽制するのだが、費用の割りに効果は薄い。ただし遊ばせておくような兵士は居ない。
「相手が西部を通過しようとの呼び水になっては困るが、目の前の火事を見てもそんなことは言ってられんな」
まだ何か出来ることがあるはずだと唸る。もっと人の力に頼らない何かが。
「陣から逃げ出すときに物資を置き去りにします。食糧や水をそのままにして、睡眠薬や下剤などを混入させては?」
「食糧は口にするのが遅くなるだろうが、水は補給するかも知れんな。下剤は後始末が鬱になるから却下するが、眠らせるのは良いな」
無理して眠気を我慢するはずだから、異変に気付いた頃には手遅れになる。捕虜も取れて使いどころがありそうに思えてきた。気温が高くなれば口にする機会が増えるので、効果の程は天気次第とも言えるが。
「いずれにせよわざと負けてやるつもりはありません。守りきれたらそれで構わないのですからね」
「その通りだ。だがここで命を削るなよ」
「ダコール」
敬礼して自身の部隊へと帰っていった。
◇
規定の朝食から一時間が経ったあたりで昨日より激しい砲撃が行われた。何を意味するかは兵士らも気付いている。
――来るか。生半可な攻めではあるまい。
「ブッフバルト中尉、民間人を第二戦線後方の野戦病院にまで後退させろ」
「クァトロのバスを使用させて宜しいでしょうか?」
「そうしてやれ」
どうせ最後尾で戦いながら下がるならば、ジープは戦うとしてもバスは外さなければならない。誘導の手間が省けるだけ助かる。
「警察司令と西部守備中隊にも一報を入れておけ。本番が始まるぞ、と」
今までは様子見であって、これからが当たり前の攻撃なのだと勢いを示す。気の持ちようなのだが怖じ気付かれては頭数が足らなくなる。
一時間の準備砲撃が止むと、数分休んで最前線からやや後ろに弾着し始める。それと同時に歩兵が進出してきた。
――数分をこちらに進呈か、訓練が足らんな。
崩れた防壁を手で積み直して小銃弾程度は防げるようになってから、わざわざ小銃を抱えて攻め込んできた。戦車中隊――十二両の戦車が主砲を放ち壁が飛び散った。
ロケットで反撃するのを止めさせる、まだ距離が開きすぎている。下士官は比較的冷静に戦況を見守っているようだ。
――四百まで引き付けてから反撃しろよ!
最前線から更に五十メートル前方までトンネルが掘られている。砲撃で潰れていない場所に兵を進め、戦車が射程に収まるまで観測している兵からの報告をじっと待つ。
――先頭が踏み込んだ!
それでもまだ兵は姿を見せず、戦車は猛威を振るう。随伴歩兵が辺りを警戒しながら死角を伺った。防壁から制圧射撃が行われ、注意がそちらに集中する。バラバラとロケットを持った兵が現れ戦車に向けた。数人が発射前に倒れたが、残りのうち半数が命中させた。
一両だけ砲塔を捻っていたせいで側面をやられて吹き飛んでしまう。だが他は衝撃こそあれど見た目で被害は少ない。止まってしまったのは脳震盪状態なのだろう。
――火力不足だ! 正面からでは抜けんがこちらの機甲は温存しておかねばならん。
チナンデガ正規軍中隊が必死に応戦している。クァトロは二列目で出番を待っていた。
戦車をやらせまいと歩兵中隊が二つ速やかに進出してくる。相互の連携はいまいちだが仲間として助け合う精神は存在するらしい。
「中佐、クァトロが前列交替を上申してきています」
「チナンデガ中隊は何といっている」
「まだ何も」
「上申を却下する」
きっちりと職務を果たしているのに交替命令を出しては軽視していることになってしまう。だからと防ぎきれなくなってからでは遅い。
「軽砲兵中隊に防壁から二百に対人榴弾砲撃を命じろ」
出血を強いる方向で支援を命じた。繰り出してくるならそれを傷付けて撤退したくなるように差し向ける。戦車がぽつぽつと復活し、ゆっくりとうねりを乗り越えて壁に近付いてくる。
榴弾が一部戦車を巻き込んで破裂する。装甲をカンカンと叩くだけで効果はないが、歩兵は恐怖に支配されてしまった。
――向こうの砲兵が邪魔だが、どうにもならんな。こちらの砲兵はやはり温存だ、陣地がばれたら作戦に影響が出る。
頻繁に死傷者が後方に運搬され始めた。担架小隊がせっせと北に向かう。往復で一時間弱、仮包帯所があっと言う間に大盛況である。
「大尉に報告させろ」
ブッフバルト中尉が中隊指揮所を呼び出す。大尉を指名して交信するよう命じた。
「チナンデガ軍ヘルメス大尉です。戦線は安定的、負傷率は一割を越えましたが戦闘可能」
「部隊司令ロマノフスキー中佐だ。治療と補給を行え、二列目と交替するんだ」
「まだ戦えますが」
やはり不満を口にするがロマノフスキーは怒りもしなければ甘やかしもしない。
「一割の負傷者を復帰させるために時間を使う。二割になってからでは損失が戻らないからな」
戦場での局地的なバランスは昔から論じられていた。十対九は暫く同等の戦いをするが、それが十対八になるとすぐに七、六へと力を弱めていく。そうなる前に九に戻すのが重要なのだ。
「ご命令ならば」
「命令だ」
「スィン。交替を命じます」
渋りはしたが理由に納得をして命令を受け入れる。まだすんなりと下がるのをよしとしないだけ野戦指揮官として見所があった。
「マリー大尉に命令だ、二時間交替を目安にやることをやっておけとな」
「畏まりました」
砲弾が降り注ぐ地域に息を潜めているクァトロ。その隊長の腕を軽く叩いて先任下士官が命令を伝達する。
「前列交替命令です。二時間でやることをやれとの仰せで」
「なるほど、戦車をやっつけてこいってわけか。ビダ先任上級曹長、まずは持ち場の交替をさせるんだ」
「わかりました、大尉」
部隊付の先任に返り咲いたビダ先任上級曹長は張り切って怒声をあげる。世界では通用しなくとも、ニカラグアでは最適なのは言うまでもない。
――あいつに任せとけば戦車は何とかするはずだ。俺には俺の役割がある。クァトロが正規軍の目標となる成果をあげ、皆に認めさせねばならん。
ただ交戦してここで多数の被害を与えるだけでは、少し成績が良いだけの優等生でしかない。いくら奇跡を目の当たりにしていても、それを起こすことは容易ではなかった。
――如何にして勇気と戦果を両立させるか、ブッフバルトの策略に乗っかることが出きるかだな。
何が起きるかは知らないが、何かに相乗りすべく味方の把握に力を注ぐ。クァトロの四ツ星軍旗を汚すわけにはいかない、普通では許されないのだ。
正規軍が後退し現れたのが志願兵部隊とあって、レオン軍は優勢を感じていた。このまま押せば訓練すらまともに施されていないだろう守備兵を駆逐できると。
「無駄な弾を使うな、引き付けるんだ!」
一般部隊には配布をされていない小銃を全員が装備している。それを隠すために連射を禁じて敢えて接近を許した。反撃が弱いと思ったレオン軍中隊が一気に押し込もうと、二つの中隊で同時に圧力をかけてきた。
「軽機関銃小隊、射撃開始!」
隠していた火器を一斉に解放する。小銃のオート射撃も許可が出た。
「対戦車小隊前進準備! 対人グレネード斉射だ!」
ビダ先任上級曹長の命令を小隊長の軍曹らが復唱して実行に移す。実のところクァトロに将校はマリー大尉しか居ない。現地採用した下士官も軍曹が最上級である。
島が部隊に関わる時間が激減したために昇格も少なく、将校の選出や採用が止まっているのだ。更に言えば北部軍全体の将校自体が少なかった。
「ライフル小隊支援射撃開始! 対戦車小隊進め!」
つい数分前までの十倍以上の火力で反撃を受けてレオン軍の足が止まる。
先頭ではなく後方を狙った対人グレネードの斉射で、片方の中隊指揮所が直撃を受けて動揺した。進めず、かといって退却も命じられないのでその場に伏せて戦闘を継続する。
再度グレネードが発射される。山なりに軌道を描き空中で破裂するので、伏せていても被害があまり減らずに悲痛な叫びが木霊した。
「迫撃砲小隊、四百で順次延ばし七百!」
――直接戦闘でならばビダは光る。だが精々大隊付先任までだ。ならばこいつを精鋭の突撃大隊に配してやれば良いだけだな。
今はまだクァトロ自体が百人を超える程度しか抱えていない。だがいずれは十年前の規模――八百人にはするつもりだった。北部軍が形を決めるまで待たねばならないが。
「大尉、敵が一時的に麻痺しています」
「戦車はどうだ」
「大破炎上八、擱座三、全滅」
簡潔に結果を答える。初期の目標は果たした、二度目は警戒されてこうはならないだろうが、今現在のみが重要であった。
「撤収させろ」
「了解です、大尉」
戦果の拡大をあっさりと捨てて優勢のうちに速やかに引き揚げてくる。数人の捕虜を獲ったとの報告もあった。
二時間のうちに敵は二個中隊ずつ二度交替して攻めてきた。都合四度撃退してクァトロはチナンデガ軍中隊に場所を返す。
部隊には治療と補給をして休むように伝え、自身は司令部へと向かった。
「マリー大尉です」
「宿題をちゃんと終わらせたようで感心だな」
戦車の無力化を耳にしていてご機嫌で迎え入れる。マリーとしてはロマノフスキーが不機嫌なところなど、まず見たことは無かったが。
「壊した数の十倍があちらさんの手持ちらしいですよ」
捕虜を尋問したら十個中隊が作戦戦力だと吐いたそうだ。それが事実なのか誤解なのかはわからない。
「頭数という意味では正しかろうが、豊富に機甲があるとは疑わしいな」
事実チナンデガ軍には少数の配備しかされていなかった。中隊すべてが定員数を充足させているとは思えない。車両全般がそうなので、より予算を食うような歩兵戦闘車や戦車は、配備予定と記載されたまま十年先もそのままだろう。
「戦闘中行方不明が二人います。こちらの状況も漏れているでしょう」
戦死ならばそんなこともないが、どれだけ優勢でも捕虜の可能性は否定できなかった。
「昨日までヒノテガに居たと知ったらさぞかし驚くだろうさ」
機械化部隊が突如現れて戦いに参加する、見えない影に怯えてくれたら意外なプラスを発揮するかも、とすら思えた。
「ヒノテガ政庁に敵が籠っていて、破壊せずに攻略するのに四日、一日経ったのであと三日はかかる見込みです」
「どのように攻略を?」
日数が決まっている部分にヒントがあるのだろうが、それだけではロマノフスキーでも全くわからなかった。
「電気も水も、ついでに援軍も断絶して最大耐えても四日との話です」
備蓄分次第なのではっきりしないとも添える。水道局員が嘘を教えていても、やはり長期化するのは避けられない。
「なるほどな。俺なら夜中に打って出るだろう、そんな生殺しに遭いたくない」
「自分もですが、昼間を選びます。正面切って戦い負ける気がしませんからね」
「頼もしい限りだよ」
ロマノフスキーがにこやかに応じると、でしょう等とマリーがやり返す。過信ではなくそのような自負があるのは悪くない。そこに至るまでの経験や実績が土台として存在するのだから。
「ヘルメス大尉には悪いがもうすぐ撤退の憂き目にあうはずだ」
予定の通りに上手いことやっとけ、ロマノフスキー中佐が確認がてら話にあげる。
「拠点を爆破しないのは不自然です、一部を破壊して他は時間が足らずにしくじった。そんなシナリオはいかがでしょうか」
「なんだお前も悪知恵が働くようになったな。純真な若者だったのが懐かしいよ」
策を了承しながら軽口を叩く。破壊の手配は全て承知で工兵小隊にやらせるように。
「いかんせん素敵な先輩が永らく上司でしてね。それに比べたら可愛いものでしょう」
「邪魔者は一足先に下がるとしよう。夜は添い寝付きに期待しておけ」
マリー大尉が出て行くと司令部の移動準備を命じる。一般の兵がどうしたかと疑問に思っても、どうすることもなく戦いに没頭するだけであった。西部の交替が完了し、野戦警察部隊が第二戦線に後退する、綺麗に物事が運んでいるのが解る。
――トラブルは必ず起きる。どこで何が起こるのかは寸前までわからんがな。それを処理するのが俺の役目だ。
最前線の塹壕で徐々に異変が大きくなってきた。味方の射撃より遥かに多くの反撃が来るようになり、それが至近を掠めるようになってきたのだ。
「突撃が来るぞ!」
軍曹が弾丸補給を命じる。消費量が予想より早く、倍を配布しなければ近くに弾切れを起こしかねない。
装甲車を間に挟んで影から歩兵が接近する。ロケットで対抗は可能だが、射手ばかりが狙い撃ちされていた。
「補助がロケットを拾い射て!」
混乱した兵を怒鳴り何をしたら良いかを必死に命じる。だが補助がやられたら次はない。誰しもが扱えるわけではない上に、訓練はしていても望んで標的にはなりたい者が居るはずもない。
反撃が弱い箇所を見付けてはレオン軍が圧力を掛けてきた。周囲から兵力を寄せて何とか対応するも、一部で大差がついた場所が出来てしまう。
「敵が侵入してくるぞ!」
正面への対抗能力は極めて高い。だが背面や側面は全くの無防備を晒す。火器が発達した今、攻撃力ばかりが際限なく上がり続け、たった一人側面に回り込まれたら陣地全体が大被害を受けることは往々にしてあった。
「ヘルメス大尉、防御線が崩壊します!」付曹長が近い未来を予測する。
亀裂がぽつりぽつりと見受けられ、それが埋まったり空いたりしながら推移している。どこかで無理を仕掛けてきたら挽回は難しいだろう。
「司令部に撤退許可を」
「了解」
すぐに通信兵が引き下がる許可を求めた。却下されたら増援を求めようと大尉が思考を二種類にわけて進める。
「大尉、撤退が許可されました。後列のクァトロ部隊の後ろに下がり、再編成をしろとのことです」
「よし撤退するぞ。曹長、部隊を下げろ」
「はっ。部隊を下げます」
実務を一任し先をどうするか考える。混乱が伝播しないように、後備に予定を教えるべきだと電話を手にする。
「チナンデガ軍中隊ヘルメス大尉、クァトロ指揮官を」
「クァトロ部隊マリー大尉」
「大尉、被害が多いので一旦後ろに下がる。交錯するので注意を」
「了解。撤退を支援する、陣前に迫撃砲と機銃で制圧を掛ける」
「支援を多謝する」
六十秒で一斉に支援が開始された。攻め寄せるレオン軍歩兵は手近な場所に伏せて、嵐をやり過ごそうとする。その隙にチナンデガ軍は負傷者を抱えて後退していった。
塹壕内で様子を見ていたビダ先任上級曹長がマリー大尉に告げる。
「味方が後退してきます」
「間を通せ。それとヘルメス大尉に伝令を出せ、一先ず第二戦線まで後退しろと」
中佐からの命令を中継したのを忘れずに付け加えるよう指示する。後がつかえたら撤退がしづらいのと、兵力を温存する意味があった。
――適度に抗戦しつつ撤退か、一番困難な業だよ。
軍隊はあまり撤退の訓練をしない、敗北主義者扱いされるからである。戦う前は勢い良くとも、不利になったら目も当てられない。また恐怖が増幅され簡単なことも上手く行かなくなる、幾つもの要因が一気に押し寄せ被害を増すのだ。
「友軍が通過します」
見ればわかることをきっちりと簡潔に報告する。ビダ先任上級曹長は数年の軍務でかなりを矯正され、ニカラグア軍内で比べたら優秀と評価出来るようになった。
――追撃に機甲が多いときついぞ。ブッフバルトのアレは成功したんだろうか?
首から提げた双眼鏡で辺りを観察する、数秒で頭を引っ込め場所を移った。指揮官は狙撃の対象になるからだ。
レオン軍がヘルメス大尉が居た線まで侵出してきた。陣地は有効に機能せず、クァトロの攻撃に被害が増大する。だがレオン軍の司令官は無理を押してきた、ここが勝負どころだと予備の機甲と機械化歩兵を増援して、守備線の突破を計る。
「大尉、支えきれません」ビダ先任上級曹長が弱音を吐いた。
――限界が来た!
「工兵小隊に爆破命令、クァトロを撤退させる。軽砲兵にも予定を遂行するよう命令を出せ!」
クァトロ指揮官が一般部隊へ指揮権を発揮する。一々司令部を通さずに済むので、戦機を逃さずに手配を終えた。
急激に接近する敵に余剰の弾をありったけ撃ち込み、後列から徐々に北へと移動する。最後尾はビダ先任上級曹長が担当し、マリー大尉は先に後退した。
「各所で後退の支援攻撃だ! 第二戦線まで退くぞ!」
この時に初めて兵に防御線の放棄を通告した。後退が即座に敗北ではないが、不安が生まれてくる。
――兵を落ち着かせねばならんな。かといって罠を明かしてはいかん。どうする!
ビダ先任上級曹長が後備と共に近付きそのまま合流した。
「大尉、また自分が殿を指揮します。次の線まで後退してください」
交戦した後備を引き下げて、小隊は入れ替えるが彼は残ると言う。
「士気はどうだろうかビダ先任上級曹長」
もし低下しているならば対策を講じる必要がある。それはビダも承知していた。
「これは内戦です。自分の主張を取り下げれば未来はありません。彼等は志願兵です」
――愚問か! いたずらに不安を煽っていたのが自分とは情けない。
「解った。次の防御線を構築する、二十分耐えろ」
「ヴァヤ!」
走ってきて肩で息をするビダに後を任せ、部隊がまた後退して行く。先に拠点となりそうな場所を見付けては、簡単な陣地を構築して弾薬を置いてまわる。
ヘルメス大尉の中隊が本隊と合流したと報告があった。南を見るとあちこちに車両が姿を現してきていた。
――ビダが包囲される!
迂回したジープが側面から機銃掃射を始めた。二台三台程の数ではあるが、火力としては歩兵小隊に匹敵する。
「志願兵軍曹、殿を援護する。迎えの部隊を指揮するんだ」
「この位の敵、あの包囲戦に比べたら屁でも無いですよ大尉」
白い歯を剥き出しにして軽く引き受ける。マリーと同年代かやや下の軍曹は、フェルナンド大佐の罠にクァトロが嵌められた時に居たらしい。
「名前は」
「ゴンザレス志願兵軍曹」
「今晩祝杯をあげる予定だ、勝手に死ぬなよ」
口の端を吊り上げて了解すると、自身の小隊を引き連れ防御線を出て行った。装甲車が後備に迫る、戦車もぽつりぽつりと混在している。
――なんだあれは?
突如戦車が振動して白い煙を吐き出す。ジープや装甲車も少し遅れて震えだした。
「今だ一気に下がれ!」
聞こえるわけもないのに叫んでしまった。だがビダ先任上級曹長は速やかに後退を強行する。車両から射撃だけは継続していたが、動かないとわかると巧みに死角をついて移動して逃げ切ってしまう。
「ご苦労だ。エンスト?」
「何らかの事情があってエンジンが焼けついたみたいです。修理に時間が掛かるはず」
――ブッフバルトの策がこいつと言うわけか。遅効性だったわけだ。
「チナンデガ軍が撤退を完了した。俺達も敵を引きずりながら第二戦線まで後退するぞ」
◇
「部隊司令、クァトロがもうすぐ合流します」
「うむ」
第二戦線の司令部でブッフバルト中尉が報告する。追撃部隊は殆どが歩兵らしく、半包囲追撃されて居らず一安心。
――ここから一旦押し返すのが苦労と言うわけだ。温存していた機甲を出す時が来たな。
「フーガ大尉を呼び出せ」
司令に出頭を命じられ、数分で眼前に現れる。数少ない機甲部隊を任される彼は陸のエリートであった。三十代前半で体力と精神力が最も調和している時期でもある。
「フーガ大尉、出頭致しました!」
「大尉、これより第一戦線まで敵を押し返す。機甲中隊に四個歩兵中隊を抜いてもらう予定だがどうだ」
二十倍もの相手をしろとさらりと述べる。だが彼は物怖じせずに応えた。
「お任せください、散々な目に遇わせてやります」
「二列目に機械化歩兵小隊、三列目に武装ジープ小隊、四列目に歩兵中隊だ。フーガ大尉を臨時でフーガ戦闘団の隊長に任命する」
「必ずや期待にお応えしてみせます!」
少佐が充てられるべき役職に一時的に大尉を据える。やらせてみて上手くいくならば、今後もそうしようとロマノフスキーは考えていた。
「戦場に移動不能になった車両が沢山あるはずだが、どうしたら良いだろうか」
隣にいるブッフバルトが、エンジンが焼けついたものと補足した。乗員がまだ乗っている可能性が大だとも。
「戦車兵は極めて視界が悪く、常に孤立感に苛まれます。乗員を追い出すのは何とでもなりますが、牽引は馬力が必要です」
ジープならば文字通り馬でも曳けるが、重さが十トンを軽く超える装甲車や戦車はそうは行かない。戦車でならば曳けるがそれでは意味がない。
「大型で粘りがある車両か、しかも戦場で活動可能な」
あまりに難しい問題に二人が唸る。そこでブッフバルトが口を開いた。
「最適な担当が居ります。ですが州長官の許可が必要に」
「こちらが負けたら一蓮托生だ、あの長官なら快諾するだろうさ。フーガ大尉、故障車両は破壊せずに放置だ」
方針だけをそのように伝える、詳細は二人とも任せるから上手くやれとしか言わない。
「承知致しました、出撃命令をお待ちしています」
大尉は敬礼して部隊が集まっている塹壕に向かった。活躍による昇進を賭けた舞台が目の前にあり、足取りは軽い。
「タランティーノ警視正を」
呼ばれると思い近くに居たのだろう、すぐに出頭してきた。戦況が思わしくないと顔色が優れない。
「司令、反撃でしょうか?」
市街地まで撤退と言われても不思議はない。どちらでも従うがやはり今一つ信頼感が薄いような感覚を受けてしまう。
「反撃する。第一戦線まで押し返しお宝を拾う予定だ」
「お宝で?」
報告を受けてはいるはずだがピンときていないようなので、車両の回収が目的の後退だったと明かす。
「手直ししたらそのうち復帰出来る。守るだけなら簡単だからと一つ画策してみたんだよ」
「そうだったんですか!」
ぱっと顔が明るくなる。裏表が無い性格なのがすぐにわかった、警察官としては市民に関わる生活部門の責任者が適任だろう。
――北部軍での担当は用度品管理位か。警察との調整役だと割り切らねばな。
「始まったら正規軍は戦闘に付きっきりだ。衛生兵の護衛や秩序維持を警察司令に任せる」
「畏まりました。防衛よりは自信があります」
やはり自身でもそう口にして不適切な面を申告してくる。信用は出来るが大事を頼るのは出来ない。
タランティーノが退出すると、呼んでいないのにマリー大尉がやってきた。元よりそのつもりだったのでそのまま話を始める。
「負傷者が十二。戦闘継続は可能です」
補給と治療を命じてある、簡潔に現状を報告した。見事に撤退戦をやってのけた証である。
「結構。フーガ戦闘団が歩兵を駆逐する予定だ、クァトロは西側面から併進して助攻が役割だぞ」
「第一戦線の奪還後守備に就く?」
「逆撃したいが兵力不足だ。今回は取り返すまでにする」
もう一個中隊あればやりくり出来るが、無いものは仕方無いと諦めた。戦線を維持するだけで精一杯のラインなど初めから見向きもしない。
「ではそうしましょう。十五分で補給を終えます」
食事も摂取させると予定を告げた。クァトロが二倍働くことで帳尻あわせをしている面がある。
「兵に伝えておけ、給料を倍出してやるとな。北部軍が渋ったら俺が払ってやる」
「それともう一つ。志願兵から正規兵に格上げしてやって下さい」
「良いだろう、有能な味方は大歓迎だからな」
勝てばどうとでも意見は通せる。ましてや手勢が固定できるならば願ってもない。
口約束であるがこれが反故にされることはない。それが将校の言葉の重みと言うやつだ。実戦部隊が反攻準備を整え号令を待つ。有線スピーカーから部隊司令の檄が飛んだ。
「敵は部隊が延びきり防備は極めて薄い。機甲を前面に立てて反撃に移る! フーガ大尉、出撃だ」
「ヴァヤ コマンダンテ!」
唯一指名を受けたフーガ大尉が誇らしげに返答する。武人の誉れである自身の名を冠した部隊を率いて意気揚々と塹壕を乗り越えていった。
ずるずると後退して奪還の意思を見せなかった北部軍を追撃していた歩兵が驚く。今の今まで姿を見せなかった機甲部隊が眼前に現れたのだ。上層部の話ではヒノテガに出払っているとの見方だったので、寝耳に水である。
「対戦車装備を大至急送られたし!」
最前線の小隊長が狂ったように要請を繰り返す。中隊本部でも手持ちが少なく、後方の司令部に同じ様に要請を行う。大急ぎで各所に防御陣地を構築するが、機甲中隊が我が物顔で主砲を放ち吹き飛ばして行った。
「B中隊、レオン軍司令部。撤退許可を求める!」
戦車や装甲車が辺り構わず掃射して回った後に、機械化歩兵が隠れている歩兵を更に厳しく攻め立てる。高機動車を駆って側背に回り込み、射程外から攻撃されると対抗の手だてが無い。諦めて降伏する兵がちらほらと現れた。
「レオン軍司令部、追撃部隊。撤退を許可する」
共通の言語に共通の通信機、共通の符号である。少し通信機の周波数を巡れば互いに内容は簡単に漏れてしまった。防御側はその点で有線電話が事前に用意できるので、少し条件が違った。
「部隊司令より砲兵中隊へ、規定のプランAを実行せよ」
ロマノフスキー中佐の命令で、東部山岳に陣取っている砲兵が砲撃を開始した。対人に揃えた砲弾が山なりの射線を描いて国道付近に降り注ぐ。それだけでなく前線司令部を設営中であった、第一戦線に進出していたレオン軍本部要員が被弾した。
「フーガ大尉より全車へ、装甲車のみ前進を継続。他は残敵掃討に移れ!」
ようやく追い付いてきたチナンデガ軍中隊が捕虜確保と負傷者の後送を始める。集積所を幾つか設けると後続の野戦警察にバトンタッチした。
西側に漏れてくる敵を処理しながら側面攻撃を継続する。機甲に歩調を合わせて砲撃範囲を外れながら、武装ジープを先頭にクァトロがとって返していた。
「フーガ大尉、中々やりますね」ビダは自身があの役目に携わりたいのを隠せずにいた。
「俺は無理だが、ビダ先任上級曹長ならば表舞台に立てるさ」
生粋のニカラグア人下士官に笑顔で応える。移籍したいならば止めない、それが外人部隊でやってきたマリー大尉のスタンスである。
「自分はマリー大尉が指揮する部隊でそうしたいだけです」
軽砲兵の自転車部隊が設置場所に急行し、砲撃に参加し始めた。砲弾の追加をクァトロがついでに抱えてきている、トラックが着くまでに撃ち尽くす勢いでどんどん消費した。
「しかし、わざと火薬を減らした榴弾を使わせるとは、中佐の用意周到さを見習わねばならんな」
戦車長らがハッチを閉じて車内に閉じ籠り指揮を続けるフーガ戦闘団。装甲車も榴弾の雨の中で付いていっているが、いくら対人であってもそんな中を行けば故障してしまう。怪訝に思い答えを探ると、何とも手間の掛かる細工が露見したのだった。
「歩兵を殺害ではなく重傷にさせる、人道的とは言えませんが」
ビダが物の見方を披露するが、この流れは世界的に広がっているので否定しているわけでもない。
「NATOが小火器の威力を弱め、負傷者による兵站負担増加と厭戦を煽る。殺さないのが人道的かは別にして、主流はこんなやり口ではあるな」
弾丸を小型にして数を増やす、射程や威力が小さくなるが手数は増える。支援火器の性能でカバーリングすることにより、全体の能力を調整しているようだ。
「砲撃が南にシフトします」
通信兵が前線を押し上げるように命令があったと報せる。取り残された故障戦車が放棄にあたり火を放たれているのが見えた。
――セオリーに忠実だが、国家の貴重な装備を破棄するのは忍びないな。
残念ながら熱でそのうちあちこちおかしくなり、弾薬が誘爆してしまうだろう。どうしよもないが近くを避けて通る位しか無い。
「敵に渡すわけには行きませんから」
ビダ先任上級曹長も撤退命令を受けたらそう指示するしかないと、乗員の判断を責めはしなかった。
何かが遠くから近付いてくる、お馴染みのドップラー効果である。
「そういうことか!」
マリー大尉が喜びの声を上げ、ビダ先任上級曹長が不審な目を向けた。辺りを見回してようやく得心いったようだ。
「幾らかは鹵獲可能でしょう」
戦場後方から赤い車体のトラックが急行してくる。燃え盛る戦車を前にして停車すると、徐にホースを伸ばして放水を始めた。島がチナンデガ入りに際して消防の協力を得ていたのだ。消防司令が指揮する消防中隊がサイレンを鳴らして、街からやってきた。
「クァトロ部隊へ通達、一時的に消防中隊の護衛に集中せよ」
進軍を停止して、まだ隠れているかも知れない敵兵から消防隊員を守る。完全なる現場指揮官の裁量であった。
「こちら消防司令、護衛部隊に感謝する」
「クァトロ部隊指揮官マリー大尉。大切な国家の資産を一両でも多く保全して頂きたい」
「全力を以て試みる」
直接交信をして頷く。後続の歩兵は西側には来ない、だが状況が状況だけに野戦警察小隊を一個派遣してくれるように要請を出した。
やがて野戦警察小隊が増援されたのでクァトロが前進した。左手のフーガ戦闘団の機甲は苛烈に歩兵を攻め立てている真っ最中である。
――俺がレオン軍なら二つ手を打つな。一つは対戦車部隊の派遣、もう一つは砲兵陣地の破壊だ。空軍の動向次第であっという間に壊滅だ。
海軍は中立を公言しているが、空軍は沈黙を保ったままである。いつまでもそうは行かない、海軍とは違い根拠地が陸にある以上はいずれ圧力に屈する形になるだろう。ただしあまりにきつく当たりすぎると、コスタリカやホンジュラスに機体ごと避難されてしまいかねない。
「一個小隊をいつでも派遣出来るように控えさせておけ」
「スィン」
隣の機甲を何らかのアクシデントで喪えば補充が効かない、少しでもリスクを回避するにはクァトロが援護するしかないと考えていた。実際不都合が起きればフーガ大尉だけでは解決出来ない位の事態が、次々と休みなく訪れるはずである。それが戦争であり権限範囲の違う職務でもあった。この時のマリー大尉の思考は、より広い視野を備えた佐官職を担えることを証明していた。
腹の底から響くような鈍い空気の震動が伝わってくる。野砲が砲弾を一斉に放ったのだ。
「レオン軍の砲撃です」
ビダ先任上級曹長がヘルメットを片手で押さえながら、こちら側には向けていないと示唆する。ややすると左手後方の山岳に弾着した。
――砲撃で対抗するつもりか! きっと稜線の向こう側に陣地がある、簡単には命中しないはずだ。
どこに砲弾が落ちたかも解らないような砲撃では、修正もままならない。これまた空軍の偵察あたりで右にも左にも戦況が傾く。そして解っていてもどうにもならないのが現場の常でもあった。
「味方の砲撃が止まりました」
被害だけ与えて速やかに撤収する。正しい戦闘の仕方であるが、戦場に残された兵としては心細いものである。
オートバイの伝令が指揮車にまでやってきて「砲兵陣地を移動中です」完全撤退ではないことを報せる。捜索部隊が出るようならば退く可能性も示唆してはいた。
「どちらにしても暫くは榴弾が降ってこない、あちらさんも活発になるぞ」
後続がどうなるにせよ、第一戦線を確保しなければならない使命があるのは事実である。
「チナンデガ軍中隊が上がってきます」
フーガ大尉が命じたのだろう、後背を守るように部隊が競りだしてきた。
――ここが勝負ところだぞ! これを逃しては奪還に失敗する。
「ビダ先任上級曹長、兵に着剣を命じろ。塹壕に突入するぞ!」
下士官が声を張る。やや短目の取り回しがよい銃剣を装備していた、これは旧来の長い品がヨーロッパの近代装備に合わなかったからである。リーチは短いが比較的体格が劣るニカラグア人には適当なサイズとも言えた。
――直接射撃が塹壕に到達した、軽砲の投下位置を延長だ!
「軽砲兵に二百延長させろ。塹壕側面にまでジープを進出、本隊を接近させる」
側近が命令を繰り返した。ジープの機銃が狙う先は目の前ではなく、フーガ戦闘団の眼前にいる守備部隊の脇腹である。角度を得るために距離がある敵を目標にするのだ。軽機関銃陣地の据え方と相違ない。
塹壕から対戦車砲が発射される。余程慌てていたのか明後日の方向に飛んでいってしまった。それでいて発射元にはこれでもかという反撃が過剰に加えられるのだから、歩兵としても中々対戦車砲が担ぎづらい。
「チナンデガ軍が一直線に突入しました!」
「なにっ!」
彼らの常識では死角をついて拠点を確保、そこから被害を広げて行く流れが当たり前であった。ところがあろうことか真っ正面から歩兵が群がり肉迫している。
――ばかな、被害が甚大になるぞ!
案の定突撃銃の連射で多数が被弾した。それでも構わずに彼らは前に進む。
「クァトロも突入するぞ! スモーク投射の後に進め!」
ビダ先任上級曹長の号令で煙幕弾が投射された。小銃の先に突っ込み射撃するタイプだ。不規則な発射音が耳に入る。ついでにグレネードが多数撃ち込まれた、これにより煙に向かって乱射していた兵が身を小さく屈んでやり過ごそうとする。
「突撃!」
先任上級曹長の野太い声が軍曹を突き動かす。小隊が三つ先陣切って駆け出す。互いに視界が無いので銃声と喚声だけが全てで、双方の兵が自分一人取り残されたのではと不安がる。
「残敵を掃討しろ! レオン軍を刈り取れ!」
最前線に永らく身を置いている先任上級曹長が、戦い半ばだというのに勝利を宣言する。
口先だけで勝ちが拾えるわけもないが、煙が薄くなり左右を見回して守備側の数が少なく見えたヶ所では士気が崩壊した。兵が勝手に「撤退だ!」叫んで守るべき場所を捨てて南に逃げて行く。
――あとは時間の問題か、フーガ戦闘団の援護と守備隊の増援、混乱した敵を追撃して陣地構築をすべきだ!
「予備小隊、フーガ戦闘団へ増援だ。野戦警察司令に二列目に入るよう要請を。司令部に通信を繋げ!」
立て続けに指示を出して自らは可能な限り周囲を観察する。現場でしか把握できない危険をいち早く察しようと。
「部隊司令だ」ロマノフスキーが応答した。
「中佐、第一戦線を確保しつつあり。フーガ戦闘団を支援中。野戦警察中隊に二列目に入るよう要請、軽砲兵は南二百に砲撃中。防御陣地再構築の要ありと考慮、西部より臨機応変な行動を望む」
一気にそう言い切る。ドイツ語を利用したものだから誰も内容を理解できなかった。
「良かろう、三百から四百にも砲撃させる。西部から小隊を増援、こちらからも確保要員を送る」
既に手持ちの部隊は使いきっているはずだが、心強い返答が得られた。
「どの部隊を増援で?」
「チナンデガから一個増派された、玉突きで余剰がな」
つまりは正規軍中隊だと明かす。エステリからの中隊が治安維持に参加した為、予備が出来たわけだ。オズワルト中佐が消防中隊の出動を聞き及び、州長官の同意を得て出撃させた。
「ヤボール。第一戦線が確保されたら砲兵陣地にちょっかいをかけてきます。軽砲兵を使わせていただきます」
「フーガ大尉に支援させる。進退極まればエステリ側に抜けても構わん」
現場の良いように判断しろと下駄を預ける。一旦東に抜けてしまえばエステリ回りでチナンデガを経由、戦線に戻るまで丸一日は掛かってしまう。
「選択肢の一つと受け止めておきましょう」
不利益ではなく島の本隊に再度合流可能なルートだと視点を切り替える。ヒノテガがどうなっているか、心配は無かったが遊軍が必要ならばそれを引き受けるのも想定して。
隣にいるビダ先任上級曹長に部隊の指揮を任せてしまい、もう一度周囲を観察する。塹壕の向かい側、敵陣のあるあたりで煙が昇っているヶ所を記憶しておく。
――砲兵陣地まで一直線ならば、途中でアーチェリーエスコートと正面衝突する。砲兵中隊が数個ならば護衛も数個小隊だ。だが中隊長がまとめて統括している様子はない、直下の専属護衛だ、付け入る隙はそこにある。
砲兵は中隊単位で運用され、砲兵護衛小隊もまた独立して運用されている。砲兵中隊が四つあつまろうと、司令部との間に砲兵大隊司令部が編成されることはほぼ無い。そして独立した護衛が中隊に纏められることも無い。
軍隊の基本は指揮官が喪われたら、より上位の司令部のところへ速やかに撤収する。被害を最小限に食い止めるのが約束である。目的を喪ってもだ。
――ひとつだけ突き抜けて、ロケットで砲を叩けば終わりだ。火力が不足する、機械化歩兵から装備の補充を受けねば往生するぞ!
「大尉、歩兵中隊が塹壕の敵を排除しました」
ふと報告を受けて状況を思いだし、現実に戻る。レオン軍の撤収を確認したら砲撃が行われるはずだ。
「塹壕を堀り直せ、砲撃がくるぞ。負傷者を後送、フーガ大尉に連絡をとれ」
時間は極めて貴重だ、この命令がいかに早く浸透するかで被害が格段に違ってくる。
指揮車両を塹壕から百メートル程後ろにやり、フーガ大尉のそれに近付く。互いの距離を十メートルとって顔をつき合わせた。これならばど真中に弾着しないかぎり、口径が小さい砲弾でまとめてやられることがなくなる。大口径ならば無意味だが、確率の問題と割りきっている。
「フーガ大尉、反攻お見事」
「クァトロのマリー大尉、貴隊の支援に感謝する。出るつもりか」
「敵の砲兵陣地を叩いてくる。装備の補充を願う」
「詳細を」
「ロケット本体十五、弾頭七十五、武装ジープ六両、小銃弾に手榴弾、糧食を」
「すぐに集めさせる、突出時には連絡を、援護する」
「快諾に多謝す」
話が終わるとすぐにすれ違い離れていく。フーガが東、マリーが西に。後方に引き返す予定だった機甲が、支援してから帰還、と命令が書き替えられた。
西側後方に補充が送られてきた。同時にあちこちに砲弾が降り注ぐ。
「装備を確認しろ! 守備部隊の到着と同時に出撃だ!」
ビダ先任上級曹長がクァトロに号令する。全員が乗車するには少し足らなかったが、チナンデガ軍中隊からジープが提供され充足した。苦しい時分に助けを得られた返礼である。
「チナンデガ軍補充中隊着陣。大尉」
準備が整ったことを告げる。マリーが通信兵に、フーガ大尉へ作戦開始を伝えるよう命じた。
「いいか、死ぬのは一度限りだ。首をすぼめて死ぬのも前のめりに死ぬのも変わらん。俺達は女神に愛されているはずだ、勇気を持て! 出撃!」
声が最後の方で掻き消されてしまう。フーガ戦闘団の一斉攻撃が行われたのだ。戦車砲がわざわざ土嚢を吹き飛ばすためだけに発射される。コストに全く見合わないが、戦争でそれを気にしてはいけない。
あちこちが土煙で見えなくなる。数秒前の記憶を頼りにして運転手はアクセルを踏み込んだ。先頭から最後尾まで二百メートル程しかなく、四列縦隊で突き進む。
「クァトロ部隊、フーガ戦闘団。開始した」
「フーガ戦闘団、了解。全軍に告げる、一旦射撃停止せよ!」
クァトロが戦場を横切る間、フーガらは射撃を中断した。数秒で北部軍は砲撃も含めて攻撃を差し止める。視界が晴れてきて、薄い防御線が現れる。
「強行突破しろ!」
先頭のジープに志願して乗車しているビダ先任上級曹長が命じた。彼が迂回したら後続も迂回しなければならなくなり、全体の被害が増えてしまう。
突如現れた敵にレオン軍の歩兵は一瞬攻撃が遅れ、ほんの少しだけ先に弾丸が胸を貫く。通過する時に手榴弾を無造作に塹壕に転がしてやる、すると中で隠れていた兵が悲鳴をあげた。
「クァトロ部隊、フーガ戦闘団。眼前を通過」
「フーガ戦闘団、了解。支援攻撃再開、六十秒圧倒しろ!」
簡潔な命令が発せられた。とにかく六十秒だけ敵に攻撃を続けろ、それだけである。その間、悠長にクァトロの背を狙うような奴は居なかった。
「ビダ先任上級曹長、二時の方角だ!」
「ヴァヤ!」
集団の中心に居るマリー大尉が揺れる車上で無線を片手に大声を出す。眼前の戦闘に関わらず、全体を見て指示を下す役割を担う。周りはレオン軍ばかりで逆に射撃を受けづらい状態になっていた。
――同士討ちを懸念したか! だが予備が阻止線を築くのは間違いないぞ。
いつまでも自由行動を許されるわけもなく、長くとも十分程の間にやるべきことをやらねばならない。通過してきた後方に歩兵が集まってきている。
――退路は無いわけか、まあそうするだろう。
現場の指揮官としてはまずすべき対応が戦線の穴埋めであった。予備を充てて再度ラインを敷く。一部で背後を脅かす戦力を振り向けたのだから、及第点が与えられる。
「前方五百、砲兵陣地視認!」
土煙で後続からは見えないが、言葉を信じて判断を下す。時速四十キロで走っている先頭がロケットの射程に捉えるまで十秒余りしかない。
「各個に攻撃せよ!」
機銃に弾丸を供給した後に砲手に早変わりする。車長の軍曹や伍長らも初弾だけ使い捨てのロケットで参加する。
「どこを向いても敵だらけだ、撃て!」
興奮を装いビダ先任上級曹長は砲を叩き壊せと叫ぶ。幾度も死線を越えてきた彼は内心落ち着いていた。だが志願兵らは落ち着かずに息を荒くしている。
防御のために作られた土壁を砲撃で四散させる。瓦礫を脇目に百五ミリ砲目掛けてロケットを射出した。白い煙が尾を曳いてあちこちに乱れ飛び、うち一つが砲に命中して爆発する。
「ビダは左に、俺は右に向かう!」
集団を二つに分けて何とか砲を破壊しつくそうと考えた。受ける負担は倍増するが、目的を最優先した。
――痺れるねぇ、やはり戦場はアツい!
「バリケードに構うな、トラックをブチ込め!」
ジープでは当たり負けてしまうが、トラックならば木製の簡易障害などものともしない。突撃前に機銃掃射で援護する。車体が一瞬跳ね上がるような感覚を受けたが、強引に道を拓く。
「突入しろ!」
士気旺盛な軍曹が真っ先に乗り込む。敢えて敵兵が見える場所に向かっていき銃を乱射した。後続が我先にと隙間を縫って砲兵陣地に侵入し、ロケットを無遠慮に撃ちまくる。
「もう一ヶ所も潰すぞ! 離脱しろ!」
先頭で突入した軍曹が今度は殿で味方の脱出を支えた、一番の働きなのは誰が見ても明らかであった。
――生きていたら昇進させてやろう。次を抜いたら合流だ。
周囲に敵が増えてきた、一歩間違えると包囲されてしまう。だが砲を残して行くわけにはいかなかった。
一台の車両が瓦礫でバランスを崩して転覆してしまう。直ぐ様ハンドルを切った仲間が回収に向かった。過剰定員もお構いなしにジープに捕まると、急加速でその場を離れる。
「もう一基だ、撃て!」
部隊に直接命令を下す。無蓋の指揮車両から放り出されないよう、片手はガッチリと台座の棒を握っている。機銃手はベルトをフックに引っ掛けて体勢を固定していた。
激しい反撃が巻き起こる。運を天に任せて若い兵がロケットを放ってきた。だが一秒後には今居た場所から十メートル近く進んでしまっているので、何もない空間を飛んでいってしまう。
――やったか!
最後の百五ミリ砲が爆発、炎上した。他に砲兵陣地は見当たらない。
「ビダ先任上級曹長、合流するぞ!」
だが手にしたそれは線が千切れてしまっていて役には立たなくなっていた。
少数が足を止めるわけには行かない。きっと合流しようと考えるはずだと、近くの味方だけに命じて砲兵陣地を抜け東に向かう。そちらは守備兵が少なかった。
「弾薬の補給、応急手当を済ませておけ。水は一口だけにしておくんだ」
喉の乾きだけ潤せばそれで良いと、唇を濡らす。自身の体を点検した、被弾しても気付かないことがあるからだ。
――汚れは酷くとも傷は無いな。
「誰か無線をこちらに」
車載のものが壊れてしまったので、背負い式の物を確保しようとする。だが一瞬考えて取り止めた。一台ジープを止めて乗り移ることにしたのだ。
――頭が固くなってはいかんぞ、よく考えろ。
「俺だ、ビダ先任上級曹長どうか」
「こちらビダ、陣地を破壊して東に離脱中」
「同じく離脱中だ。合流するぞ」
「スィン」
大分離れてしまっていたようだが互いの立てる土煙が目印となり合流を果たせた。負傷者多数で壮絶な戦いだったことを彷彿とさせる。敵は見えるが距離があるため一旦車を停止させて、再編成した。
――遺体を棄てては行かん、トラックにまとめるか。
「ビダ、戦死者をトラックに」
味方の支配地に辿り着くまでは勘弁して貰おうと呟く。装備の点検を行った、もう一度戦いをする位の武器弾薬しか残っていない。
――これからどうする。俺達が抜けて中佐は守りきれるだろうか? 重傷者を別に帰還させる? 考えろ、今までボス達がどうやってきたかではなく、俺ならばどうするかを!
「準備が完了致しました」
休憩を指示してマリー大尉に報告する。あまりに真剣な表情なのを見て、ビダが背を押した。
「クァトロは部隊指揮官のマリー大尉に命を預けています。どうぞご懸念なくご命令下さい」
――やるか! ここからならば狙えるかも知れん。
「機動力を生かして後方から回り込み、レオン軍司令部に奇襲を仕掛ける。大隊組織はないから、司令部を潰滅させれば空中分解するはずだ」
「そいつは名案ですな、願っても無い話です」
にやりと笑みを浮かべる。失敗したら命はないが、成功したからとてやはり何の保証もない。無謀ではあるが千載一遇の機会でもある、敵の防御線奥深くに位置している機械化部隊なのだから。
意を決したところで北から何かが物凄い勢いで飛来する。二機が一組になり、上空を通過していった。シルエットがニカラグア軍のモノではないことを表していた。
「こちらアメリカ空軍スペクター少佐、地上部隊まだ生きているか?」
英語で呼び掛けがなされた。ホンジュラスの空軍基地から駆け付けたらしい、国境などお構いなしだ。マリーが無線を手にして応答する。
「地上部隊クァトロのマリー大尉、まだ生きてますよ。ソマリアの少佐もまたスペクターでしたが?」
「こいつは驚いた、あのマリー大尉か! 余程窮地が好きらしいな、現在地を知らせろ」
――ジョンソン少将に引き抜かれてきたのか! どうやって報せたものかな。
「地球がこんなに狭いとは知りませんでしたよ。炎上している砲兵陣地の東に七百メートル、国道から北に二千メートル程の車両集団です。敵の司令部がどこか偵察出来ませんか?」
「クレイジー! まだやる気か! すぐに偵察する、待っていろ」
急旋回して戦場上空をまた通過する。偽装するつもりも何もなかったようで、それらしき陣地がすぐに見付かった。
「二千メートル南西だ、今目印をつけてきてやるよ」
攻撃機が遥か彼方にミサイルを二発放った。地上で爆発するのが見え、黒い煙が登り始めた。
「そことミサイルの直線上だ、やるなら支援するが?」
「目印だけで充分です、少佐の援護に感謝します!」
「ラジャ」
アメリカが直接介入したと後に抗議をされようとも素知らぬ振りを続けるだけだ。ロシアや他に何と言われようとも事実は未確認だと突っぱねてしまう。
「ビダ先任上級曹長、ここからあの弾着地点の間に司令部がある。やるぞ!」
「スィン! 全員乗車、出るぞ!」
整備された道路を使えば簡単に走破が可能な距離も、未整備の荒れ地や畑が点在していては思うように進めない。戦車ではないのでタイヤが有効な場所しか通ることが出来なかった。
背丈が高い草が遠慮なく生い茂る野原を、眉をひそめて運転する。突然何かに衝突しても不思議はない。当然速度も速足位に落ちてしまう。
――平坦地ならばあっという間に孔だらけにされちまう、これで良い。
物事を前向きに考え成功したイメージを浮かべる。
――接近したら破壊してしまうべきだろうか、それとも突入? ただ襲撃するだけでは不足だ、きっちり司令官を確認する必要があるな。
草を倒しながら進むことややすると、丘の上に敵が固まっているのが見えてきた。裏手には兵が振り向けられてはいないが、気付かれていないと思い込んではいけない。車を止めるとビダ先任上級曹長を招く。
「司令官を捕捉する。捕らえるか殺害を確認してから撤収だ」
「もし司令部に該当者が居なければ?」
「その時になったら考えるさ!」
思いきりよく割り切り、空振りは残念賞だと笑顔で答える。そんな心配は司令部を制圧してからすればよく、そこに至るまでに山積している問題を解決することにした。
「丘の側面に地雷の可能性は?」
「部隊装備に地雷はありませんでした」
「機関銃陣地は?」
「前方――北側にあるでしょう」
「防御施設の機能は?」
「増援が来るまでの凌ぎが目的です。一度抜かれたらお仕舞いでしょう」
「部隊規模は?」
「連隊本部は中隊規模です、事務係が半分でしょうが」
ニカラグア軍に一番詳しかろうビダが質問に答えて行く。
「南東と南西、二ヶ所から強襲する。機関銃陣地からは死角になるはずだ」
丘の天頂部からやや北側下りの面に天幕があった。やはり司令官の面子からして見晴らしがよい一等地を占めているのが考えられるからだ。本来ならば戦闘指揮官が指揮所を置くべきであるが、取り巻きが意見を却下することが多々ある。
「では自分が先に出ます」
苦労を買って出る。短く承認して、麾下の小隊長等――軍曹に概要を説明した。彼等もまた攻撃に出ることにまったく拒絶反応を見せない。実はこれには大きな要因が存在していた。
十年前チョルテカで産声をあげたクァトロ、それに参加した男達が帰郷して口々に己の功績を発した。当時戦いに行った若者が軍曹となり、活躍を聞いた少年がそれに従っている。自分達も郷里の英雄になるんだと信じて疑わなかった。
「俺達も行くぞ。ゴンザレス軍曹、先陣を切れ」
「喜んで!」
指名された志願兵軍曹が不敵な笑みを浮かべて、他の小隊長に「お先」と声を掛けて部下に号令する。草むらから武装ジープが現れ、猛スピードで緩やかな丘をかけ上る。
相手に気付かれるまで無言で接近する。決して怒声を響かせはしない。警備兵が攻撃を仕掛けてきたのを合図に、左右の部隊が一斉に戦闘を開始した。
「司令官を絶対に逃がすな、真っ先に司令部に突入しろ!」
小隊長らがそう叫ぶ。お陰でビダ先任上級曹長もマリー大尉も他のことを考えながら指揮を執れた。
――ここに居たなら北側の丘を下って逃げるしかない。それは的にしてくれと言うようなものだがな。守りきり増援を待つのが最善だろうが、そこまで根気があるかどうか。
銃声だけでなく、クァトロは委細構わずロケットを撃ちっぱなしにする。数で圧倒されない為には、火力で上回るしかない。車両に積載してあるので拠点防御の歩兵とは比較にならない位の破壊力を発揮した。
「天幕に向かえ!」
突破口を拓いた小隊が強引に陣内を進む。一列縦隊になっているので同士討ちをあまり気にせずに、周囲に弾丸をばらまく。一旦天幕を越えたところで停車して、射手と運転手以外を下車させた。
「突入しろ!」
ビニールをナイフで切り裂き側面からも侵入しようと試みる。
一番に踏み込んだ兵士が全身を撃ち抜かれて即死する。軍曹の命令で腰から下にかけて一連射を天幕に当てずっぽうに撃ち込み、一斉に中に入る。足を撃たれて泣いている兵が数人居たが、残りは両手を挙げて武器を捨てていた。
「北部軍だ、大人しくしろ!」
ビダ先任上級曹長が機関銃陣地を制圧するよう命じてから中に入る。太股に一発もらいながらも、険しい顔のまま立っている大佐が睨み返してきた。
「北部軍クァトロ部隊ビダ先任上級曹長です」
「レオン軍司令官グレゴリス大佐だ」
認めたくないのだろう、それ以外は口を開こうとはしなかった。マリー大尉が現れて姿を見たら、何を言い出すか判然としないと直感したビダは、捕虜と告知して拘束させると視界を著しく奪った車両に押し込んでしまう。
「マリー大尉、グレゴリス大佐を捕縛致しました」
浮かない顔で報告するビダ先任上級曹長の態度から察して多くを問わない。
「丁重に保護しておけ。問題はここからどう脱出をするかだな」
眼下に広がる敵陣はとても突っ切ることが出来そうには思えなかった。
「来た道は守るに全く不適切。陣地を抜けるのは極めて困難。あるのは唯一レオンへの国道を南下、ですか……」
山の裏側を下って行けば、多少の攻撃を受けて離脱は可能だろう。大佐が捕まったのを知れば、砲撃もしてはこないはずだ。
「より困難な未来が待ち受けているわけか、だがここで全滅するよりはマシだろうさ。全軍に大佐が捕虜になったと通告してから丘を下るぞ!」
予備の中隊であろう。一番近くに布陣していた部隊が丘を登ってくる。機関銃陣地がそこに向かい猛烈な攻撃を仕掛けると、一旦足が止まる。だが大尉に前進を命じられのそのそと動き出した。
――撤退のタイミングが難しい! 一度押し戻してからでないと数分が稼げない。
大佐を見捨てて攻撃をしてこない保証はない。だからレオン軍の攻撃が止まった瞬間に逃げるのがベストなのだ。ところが予備中隊が意外と強気に迫るものだから、窮地から抜け出せないでいる。
――一か八か賭けるか? ……いや、今はその時機ではない。しかし時間をかけすぎるとじり貧になる。
「大尉、自分が抗戦しますので離脱ください」
ビダ先任上級曹長が葛藤を見抜いて申し出てくる。その顔は真剣で、ここで全滅しようと構わないと言い切った。
――クソッ、そうやって切り捨てるしか手を思い付けないか! 俺は汚い奴だ、部下を見殺しにしてどうするつもりだ!
「俺は仲間を見捨てず、降らず、最期まで戦う」
最後は大佐と無理心中したら良いと割り切り、申し出を却下する。マリーは外人部隊の精神を忘れることはなかった。
「ヴァヤ。では心置き無く死んで見せましょう」
笑顔でその場を去ると車両から武装を撤去して要所に据え直させる。死兵。覚悟を決めた人間は何者よりも強くなる、古来より追い詰められた者が幾度も実例を残してきた。
これが正規軍だったら話は違っただろう。怖じ気付き逃げ出したり、降伏したり、時に反旗を翻したり。だがチョルテカのクァトロを夢見て育った彼等は、その旗の下で死ぬことを良しとした。
「すみません先輩、もう戻れそうにありません。ですが後悔はしていません」
目を瞑り居ない二人に向かい呟く。決断を下したら、それに従い邁進する、ただそれだけであった。
◇
第二戦線に司令部を移設したロマノフスキー中佐は渋い顔をしていた。砲兵陣地を潰すために突出させた部隊が連絡を絶った為である。
――スペクター少佐の話では司令部を急襲するつもりだったそうだ。激戦の最中ならば良いが、孤立してじり貧になっているわけではあるまいな!
口には出さないが何を考えているのか、ブッフバルト中尉にも解った。アメリカ空軍機を要請したのは中佐であり、それを進言したのは中尉であった。長いこと側に居ると、何と無く考え方が近くなっていくらしい。
「中佐、もう一度空軍に要請をしますか?」
却下されるとわかっていたが敢えて進言する。もし迷っていたなら背中を押す効果位はあるだろうと。
「マリーがそのつもりならスペクター少佐に依頼していたはずだ。大尉の意思を尊重しよう」
――彼奴なら独力で上手くやるはずだ。問題はその先にある、どうやって離脱するのか。破壊するだけならば機動力で解決するが、司令官を捕捉するには近接戦闘を避けられない。殺してしまえば次席が戦いを継続する可能性がある、捕虜を連れて逃げ切れるか?
ロマノフスキーは自分がレオン軍司令官ならばどうするか、マリー大尉の立場ならどうするかを考えた。目的を達成するだけならばさほど難しくはないが、生きて帰るとなるとハードルが極めて高くなってくる。
――玉砕するにしても時間を稼がねばならん。司令官を人質にして、何処かに逃げるか立て籠るかだな。逃げられるならこちらに向かうはずだ、ならば答えは一つしかない。
「中尉、地図を。それと砲兵科の将校はいないか?」
「全員が砲兵陣地に出向いております」
「大至急こちらに向かわせるんだ」
「スィン」
第一戦線からさほど遠くはない場所に司令部があるはずで、籠るならばそこであろうと確信を持つ。そして時間稼ぎ以上のことは出来ず、二日と守り続けられないだろうことも。
後方司令から港に物資が入ってきたと知らされる。一部の志願兵も乗船していたらしい。ブッフバルトが砲兵将校を連れて入室する。大尉は現場の指揮から離れられず、中尉がやってきていた。
「ブロンディ中尉、出頭致しました!」
「ご苦労だ。早速で悪いが地図をみて欲しい」
机に置かれたそれには大まかな兵力がピンで刺されて表示されていた。座標は示されていない。
「司令部を砲撃でしょうか?」
もしそうならば陣地を前進させる必要があると呟く。
「司令部を避けて周辺に砲撃をしたい。可能か?」
「距離的にいかほど離して?」
「百メートル四方だ」
「それは無理です!」
銃撃ではなく砲撃、しかも曲射で移動後にとなると簡単には承諾出来ないのも頷ける。仮に確りした座標がわかっていたとしても、百メートルは狭い。
即答自体は悪くないが、どのようにしたら達成可能かを示さないあたりにブロンディ中尉の限界を感じた。
「直前に偵察し、砲撃後にも観測をしたら?」
「一発目は約束できません。修正後ならば何とか。ですが着弾観測は近くでなければ誤差が出ます」
つまりは偵察と同行すべきだと説く。
「貴官ならば可能か?」
「命令とあらば遂行致しますが」
明らかに不服だとの態度が見え見えな返事をする。
――強制しても良い結果は出るまい。
「下士官で志願者は居ないだろうか?」
目先を変えて現場から役割をこなせそうな者が居ないかを探る。だがブロンディ中尉は本人次第だからとはっきりと答えなかった。
――糞ったれ! 何のために日頃給料を貰って訓練しているんだ!
「そうか、わかった。砲兵陣地の前進を命じる」
「了解です、部隊司令殿」
言葉遣いだけは一応の敬意を表する。元々砲兵に最前線行きをさせるのが間違いとも言えるが、それにしたって勇気の欠如に腹が立った。
「中佐、自分が着弾観測を致しましょうか?」
やったことはないが距離や方向位ならば、と申し出る。
「ダメだ、あの調子では詳細が解らねば応じないだろう」
――機甲で退路を確保するか? 歩兵を伴わねば離脱とはいかんな、やはり砲撃をしなければ上手くない。多少離して着弾するのを見逃すか、だがそうなると混在が有利だと判断されたら攻撃を助長してしまう。
自らが空爆を回避しようと敵と混在したことがあっただけに、不都合がはっきりと見えてしまう。行ったのがニカラグア軍相手なので、もしかしたらそれを耳にした奴が敵の指揮官になっている可能性もあった。
暫くすると砲兵陣地を前進させた報告がなされた。だが観測の志願者については触れられなかった。正規軍、中でも精鋭が充てられる高価な兵科連中は政権が替わっても身分保証されたも同然なのだ。
――日より見気分か、こんな奴等の為にマリーを喪うつもりはさらさら無い!
「中佐、レオン軍司令官が捕虜になったと通信がありました」
「発信はどこだ」
「レオン軍司令部からです」
欺瞞工作の確率が半分、事実の確率が半分と受け止める。交信を試みたところ、妨害電波が激しく雑音しか聞こえなくなったと追加で報告される。
――やはり近くまで行って目で確かめねばならん。多くは動かせんぞ。
机の電話が鳴る。ブッフバルト中尉が代わりに手にして内容を確認した。
「中佐、志願兵が一名第二戦線に来ているそうです」
後回しにしろ今はそれどころでは無い、と言いそうになってから、わざわざブッフバルトが間抜けな取り次ぎをしないだろうことに気付く。
――落ち着け、俺が慌ててどうする。冷静になるんだニコライ。
「物好きな志願兵が居たものだな、折角だから会ってみようじゃないか」
それ以後に通信が漏れてくることは無かった。だが戦闘を行っている音が聞こえてくる。視界が通らないので誘導させるために空撃ちしている可能性を否定は出来ない。
事の真偽を確かめるために偵察を出すことに決めた。戦うことはあっても、殆んど通過するのが目的である。呼び出されて眼前に強壮な男がやってくる。
「フーガ大尉であります!」
「ご苦労だ。レオン軍司令部をクァトロが占拠した可能性がある。事実を確認するため偵察を出せ」
簡潔に説明し多くを大尉に預けた。どうすれば目的を達することが出来るか、最小限の力を示す。
「一個機械化歩兵小隊を投入します」
武装を施した軽車両に四人が乗車、それを六両で小隊を編成している。
「一人余分に乗せて貰いたい、着弾観測員だ」
「多少窮屈でしょうが我慢していただきましょう」
――俺もまさかこうなるとは思っていなかった。これが戦士の嗅覚とか言うものなのかね。
外で志願兵が待っているから、それを乗せていけと命じられる。やってきたのは砲兵だった、だがそれが偶然ではないのをロマノフスキー達は知っていた。
◇
太陽が沈んでも丘の一角は小刻みな閃光が疎らに発され続けた。司令部を陥落させようと歩兵が取り囲んでいるのだ。
「大尉は先にお休み下さい」
中央で指揮を執っているビダ先任上級曹長が、マリー大尉に睡眠するよう勧める。兵士の半数は壁に寄りかかり小銃を抱えたまま居眠りしていた。
「ビダは冗談が好きなようだ、こんな最高の状況で寝ろと言うんだからな」
笑みを浮かべて小さく首を振った。一晩位の完全徹夜など慣れっこだとうそぶく。
「まあ明日の夜が来るかはわかりませんがね。ですが指揮官は常に将来について見据えるべきです」
判断力が鈍るような状態に陥るのは下士官兵だけで充分だと断言する。
――最期まで諦めるな、か。ビダは正しい、こんな戦闘は任せるべきだ。
「仮眠する。二時間経ったら起こせ」
「ヴァヤ カピタン」
腕を組み目を瞑る。銃声が聞こえようが爆弾が降ろうが眠れるのが良い兵士だ、遥か昔に軍曹に教わったのを思い出した。
――大佐と相討ちなら損得勘定は良好だろうさ。ニカラグア旅券だけは肌身離さずにせねば、皆に迷惑が掛かる。
「大尉、二時間です」
「うむ」
一瞬だった気がした。目が覚めて時計を見ると確かに二時間経過していた。
「ビダ先任上級曹長、二時間眠れ。こいつは命令だ」
「承知致しました」
肩を竦めて近くの箱に背を預けて寝てしまう。陣内を観察する為にマリーは本部を出た。
四方に軍曹が居て防戦を指揮している。誰もが必死であるが、あの軍曹はうっすらと笑っていた。
「ご苦労だ。調子はどうだねゴンザレス軍曹」
「大尉、思い出しますよマナグアを。あの絶望の中で、イーリヤ中佐はずっと笑っていました。自分もそう在りたいと思っています」
――革命動議の守護者か、ボスは最早伝説の偉人だな。
「俺もそう在りたい。街に戻ったら一杯どうだ」
敢えて楽しい未来の話題を持ち出す、軍曹もそれに乗っかり快諾した。
「分厚いステーキもあれば嬉しいです」
「よし、俺が奢ってやろう」
軽く肩に手を置いて、部下には酒樽一つくれてやると約束し本部に戻っていった。
――明日の朝は猛攻撃を受けるだろう、今のうちに軍曹らも休むよう命じておこう。
朝靄が立ち込める、そんな日は晴れると相場が決まっていた。急に至近に敵が現れては困るため、靄を飛ばすために数ヵ所に松明を投げてみる。効果が有るのか無いのか、時間と共にすっかりとそれは消え去った。
「完全武装二個中隊ですか。人質が居るから迫撃砲も撃ってはこない」
「いやそんな先入観は捨てた方が良いぞ。意図的に間違ってもろとも吹き飛ばされたら、喜ぶ奴もごろごろしているだろうさ」
勝手な期待で断定してはならないと釘を刺しておく。枷になるならば誤って死傷してくれたほうが有り難い、次席に在る人物ならばそう考えて不思議はない。
「大佐を無事に救出したら一等、ですが殲滅して大佐も死んだら二等なわけですね」
「何時ハードルを下げるかはあちらの胸先三寸だ、人望次第だな」
レオン軍司令官がどのような評価を得ているかは知らないが、今のところは見捨てられてはいない。そもそも本部に佐官が他に見当たらないのが気味悪いと言えた。
――副司令官が外にいたら、そろそろ潮時だろう。攻撃して落ちなければチナンデガ軍への対応を優先するはずだ。
「歩兵が動き始めました」
ビダ先任上級曹長が囲みの輪が狭くなってきたのを報告する。各自が応戦する以外に手はない。
予備を四方に置くとは別に、本部にも五人の班を二つ置いていた。これが手勢の全てであり、補充は無い。
「射的を楽しめ、代金は自分の命だから躊躇はするなよ」
同国人への情けなど無用だと説く。これは戦争で相手には殺意があるのだから、不可抗力なのだ。逆に殺されたからと相手を恨むことも無い、それが戦場を生き抜く戦士のルールである。
ひっきりなしに銃声が飛び交う。司令部の一角に武器庫の一部があったため、装備を替えて抗戦を続けられた。
「同じ場所から反撃するな、一度撃ったら動け!」
「狙うな、弾をばら蒔け!」
「直感に従え、嫌な予感がしたら避けろ!」
「視野を広くしろ、敵は一人じゃないぞ」
あちこちで兵を叱咤する声が飛び交う。いくら志願者といっても、こうまで激しい戦いは未経験で落ち着かない者も居る。
「大尉、突撃来ます」
「全軍祭りの山場が来るぞ! 気合入れて踊れよ!」
不思議と過不足なく声が届く。少し高めの声質が戦場では求められるものだ。
喚声が高まり耳に響く。気が弱ければこれだけで卒倒しかねない、殺意と敵意がぶつけられる。負けじと声を出して対抗した、そうしなければ押し潰されてしまいそうになるからだ。
「どうせ生きては帰れんのだ、せめて格好よく死ぬぞ!」
ビダ先任上級曹長が叫んだ。今さら命乞いしてもどうにもならない事実が重い。退路は無く、援軍も無い。絶望とはこのような状況を指すというのがふと頭を過った。
肩を抜かれ銃を持てなくなった兵が応急処置を受けた。彼は自発的に給弾する役目を買って出る、すると替わりに補給係が銃を手にして防戦に加わった。敵が防御線を乗り越えて侵入してくる、予備が一連射して駆け付け穴を塞ぐ。
――とっくに限界は越えている、だが俺にはどうすることも出来ない。
マリー大尉は拳を握り締めていた。きつく力を入れすぎて、爪が手のひらに突き刺さり血を滲ませている。起伏の先に何かが見えたような気がした。弾丸が飛んでくるのを無視して、首から提げていた双眼鏡で見てみる。
――武装ジープの小集団、偵察か? だが機甲が居たとしても脱出は無理だ。
ビダも気付いたようだがそれによりどうなるわけでもないと無言でいた。最後の予備が綻びを埋めに飛び出す、もう兵力は無い。
「大尉、武器を」
短機関銃を手渡される、これを使うようならあとは殲滅を待つばかりだろう。
――道連れを増やすのが関の山だな。
車両が起伏の頂点をいったり来たりしている。ぐるりと回り込むかのような動きは、歩兵の寄り付きをかわすためだろう。
「大尉、砲撃です!」
黒い点が丘の裾野に向かって放たれた。不気味な風切り音を発しながら地面に大穴を開けた。
――攻撃された? ……いや違うな、支援砲撃だ。
「防御線縮小準備だ。合図で後退させろ!」
被弾面積が小さいほどに一か八かの比率は高くなる。九死に一生を得る側を占めるならば、直撃されたら諦めるしかない。ジープの兵が双眼鏡で様子を確認しているのが見えた。
――着弾観測員だ! 何故こんなに近くにまで来ているんだ、ギリギリを砲撃するつもりか? 距離は八キロから十キロだとして着弾までは十秒前後、時速四十キロの移動は十一メートルだ、もし百メートル単位で精密射撃が可能ならばいけるか!
黒い点が時間をあけて複数飛んできた。丘の中腹に次々と炸裂しレオン軍歩兵が四散する。地獄のような有り様だ。
「戦線縮小!」
「集まれ!」
ビダ先任上級曹長が機関銃陣地のトーチカ以外の者を中央に寄せる。十秒としないうちに更に本部寄りに次弾が落下した。
――正確だ、あの観測員が逐一修正している! ジャミングで連絡がつかんが何とか考えを伝えられないだろうか。強行突破は十秒以内にしなければ直撃を受ける、砲撃で穴だらけになる前にやるしかない!
「ビダ先任上級曹長、脱出を試みるぞ。車両を集めろ」
「スィン!」
その時、雑音ばかりを発していた無線が突如言葉を伝えた。
「三番、あと左に一ミル、仰角二ミルだ。六番、附角二ミル。一番と四番は二秒砲撃を遅らせろ」
――着弾観測員の無線だ!
「無線をこちらに!」
チャンネルが合っていた機械を選びマリーに手渡す。
「こちらクァトロ指揮官マリー大尉。着弾観測員聞こえるか!」
敵も当然解っているだろうから率直に呼び掛ける。だが返事は違った。
「マリー大尉、援護します」
それはフランス語であった。レジオンで使われるような外国人訛りのある。
「脱出したい。時速四十キロで直進、砲撃援護は可能?」
「そちらの合図で北西の砲撃にだけ穴を開けます。十五秒以内に百メートル離れて下さい」
「解った。支援に多謝す」
車両無線のチャンネルを同じく合わせ、弾丸を補給しトーチカから兵を引き揚げさせる。
「ビダ先任上級曹長、脱出するぞ。北西の斜面を直進する、十五秒でかけ降りる!」
「ヴァヤ!」
素早く使える車を選別し、兵員を割り振る。大尉に準備完了を告げ、軍曹に大筋を知らせる。
「マリーだ、準備が出来た頼む!」
「ダコール」
口に出してカウントダウンする。北西に砲撃がなされる、それを目にしたら運転手が一斉にアクセルを踏んだ。全員が一丸となり辺りに全自動射撃を行う。ガタガタの斜面を物凄い加速で下り始めた。
左右に砲弾が落ちるが、クァトロの場所には降って来なかった。振り落とされないように車体の握りに結んであるロープがギシギシと音をたて続ける。
真後ろに砲弾が落ちた、追撃しようとした奴等の足が止まる。それだけでなく満遍なく司令部四方を砲撃していたのが、クァトロを中心として撃たれるようになった。
「直進だ!」
再度声を張り上げる、変更あらば十秒前に伝えなければならない。着弾観測員らの部隊とあと少しで合流出来るほどに司令部から離れる。
「マリー大尉だ、合流する!」
「ダコール」
速度を変えることなく起伏の頂点に辿り着く。機械化小隊が並走する。未だに敵真っ只中なのは変わりない。
「後をついてきて下さい」
「解った」
土煙で影しか見えないが必死に食らいついて行く。無線からはひっきりなしに砲撃修正が続けられた、恐ろしく大変な作業なのが解る。
――砲兵将校が随伴とは洒落てるな、感謝しても仕切れんぞこいつは。
爆音で耳が痛いが鼓膜はまだ破れていないらしく、しっかりと音が聞こえていた。いっそ無音空間になってしまっても構わないと考えてしまう。
「全軍撤退、全軍撤退しろ!」
不意にそんな通信が溢れた。慌ただしくレオン軍全体が動き出すではないか。
――何が起きたんだ?
続いていた砲撃が止んだ。だが移動は続けられる、抜けねばならない陣地は抜いたが兵がちらほらと残っているからだ。見晴らしの良い小高い丘に向かった、そこで機械化歩兵が停車する。直ぐ様治療と補給が始まり、逆に忙しくなる。
マリーはジープを降りて小隊長に謝辞を伝える。中尉は冷や汗を山ほどかいたようで、青ざめた表情で敬礼を返した。
「着弾観測員、こんな危険な任務についてもらい礼を言わせて貰う、ありがとう」
右手を伸ばして握手を求めた。その男は顔を覆っていたマスクを左手で下げて、右手を差しのべ確りと握った。
「少しでも恩返し出来て自分も嬉しく思います。お久し振りです、大尉」
「ん? ……お前、ヌル・アリか!」
余りの驚きに手を握ったまままじまじと見つめてしまった。
「ロイヤルアーミー、ヌル・アリ退役中尉です。詳しいお話は後程に致しましょう」
「そうだな。第一戦線まで撤退する、行こう」
マリー大尉が指揮権を統括し、浮き足だったレオン軍を脇目に戦場を離れて行った。相手が退いた理由を耳にしたとき、再度の驚きを得ることになる。
◇
第一戦線に司令部を戻したロマノフスキー中佐が将校に招集をかけ、軍議の真っ最中であった。泥と汗と血でまみれた男を見て笑みを浮かべた。
「格好良い姿だなマリー大尉」
「あまり誉めないで下さいよ中佐。航空支援、砲撃支援の手配に感謝します」
「そのくらいせんと俺の存在価値が無い。まずは座れ、シャワーは少し我慢してくれ」
ヌル中尉にも席次が与えられ、マリー大尉の隣に座る。ブッフバルト中尉が説明を再開した。
「オヤングレン大統領が先程声明を出しました。オルテガ前大統領を拒絶し、正統政府を宣言すると」
レオン軍が撤退した理由が政治的なものだと明らかになった。チナンデガの北部軍などに構っていられない、首都のオヤングレン派に警戒を向ける必要性が出てきたのだ。
「そして集めた最大の理由を俺から話そう。大統領が主張した場所は北京だった」
将校らの表情が歪んだ。それがモスクワならばオルテガと協調したことになり、ワシントンならば真っ向対決したことになる。だが北京となると途端に方向性が怪しくなってしまう。
同じ共産勢力でも水と油で、手を取り合うことは無い。然りとてアメリカとにこやかに付き合いもしない。極めて不安定な政情が浮き彫りになる一言である。
「今さらまたチナンデガを目指せと言っても動けはすまいからな。こちらも撤退する、一部の監視を残して街に引き揚げるぞ」
「自分が監視に志願します」
最後にやってきた予備中隊を率いる大尉が手をあげた。疲労度や諸々のことを考えれば適切な役割と言えるだろう。
「よし任せる。撤退は一時間後に開始する。先頭はタランティーノ警視正、最後尾はフーガ大尉だ。何か質問はあるか」一応皆を見渡して確認し「では解散」感情を込めずに通告する。
散っていった会議室が広く感じた。残った四人が立ち上がり距離を詰める。
「全く無茶をしやがって、攻めっ気は買うがね」
「きっと中佐でも司令部を攻めてましたよ、自分ほどもたつかないでしょうけど」
「はっ、良く言うよ」
拳同士を突き合わせて白い歯を見せた。ブッフバルトとも拳を合わせる。
「にしてもヌル、見事な指示だったな。さすがサンドハーストの卒業生だ」
「自分など大尉のやってきたことに比べたら、これっぽっちも誇れませんよ」
ヌルも拳を前に出したので、マリーがこつんと拳を合わせた。チョルテカで負傷し転がっていた頃から、随分と変わったものだと頷く。
「謙遜するな、立派だった」
そう言われヌルが三人を見て一呼吸置き告げた。
「申告します。ヌル・アリ退役中尉、クァトロへの復帰を願います」
マリー大尉がロマノフスキー中佐を見た。何故返事をしないのかと。
「今の俺は北部軍部隊司令だ、クァトロの指揮官はマリー大尉だろ」
一応のところそうなっている、とマリーの肩を叩いた。
「司令官の代理で悪いが、復帰を承認する。お帰りヌル」
「承認に感謝します。自分はもう部隊を離れることは無いでしょう」
その言い回しに三人が吹いた。
「すっかり英国紳士だな。早くボスに会わせてやりたいが、まずは撤退だ。マリー、シャワーを浴びて少し休めよ」
「小官への暖かい言葉、痛み入ります」
今度は四人で声を出して笑った。久し振りに満たされた気持ちになるヌル・アリであった。
◆
国際ニュースの内容を把握しているところにラミレス副大統領が駆け込んできた。ベルナド補佐官が呼んだわけではないが、流石に大統領と面会の要ありと考えたようだ。
「大統領閣下。オヤングレンがペカンに」
彼は北京をそう呼んだ。ロシアにはオルテガが訪問していたが、中国には赴かず代理を立てていた。ラミレスがそれで訪問したことがあり、その時からそう呼んでいるのだ。
「ああ、あれで何をするつもりかはわからんが、国外遥か遠くに居ては影響力を失ったも同然だろう」
己もロシアに亡命中は、ニカラグアへの指示など殆ど成功しなかったので良くわかる。政権とは決して首都を離れてはいけない、確たる体験が冷笑すら誘った。
「中国からの援助は少ないようですが、何故オヤングレンは北京を亡命先に選んだのでしょう?」
理解に苦しむとベルナドが何かしらの答えを探そうと唸る。共産圏でロシア以外にというならばわかるが、少なくともオヤングレンは西側に幾らでも亡命先があったのだ。素直にアメリカへ逃げ込めば歓迎されていただろう。
――確かに北京なのは大きな謎だ。一念発起した中国がここぞとばかりに好条件でオヤングレンを取り込んだとして、何か得るものとは? さして資源があるわけでも、立地が良いわけでもない。
「国内の奴等に何か動きは?」
事実があればそこから推測してみようと尋ねる。そうは言っても先ほどの声明に呼応してあった動きは殆どなかった。有るとしたらレオン軍がそれを理由に撤退を始めたことだろうか。オヤングレン大統領の影響力を見極める上で、無理を通すより安全な道を選んだといえる。
「目だった反応は御座いません。あったとしても報告が上がるのが遅い、小さな勢力でしょう」
言わばオルテガ大統領に従うわけには行かない誰かが、丁度良いからと呼応するような形だ。それはそうとして、中国を受け入れるのに賛成した形にもなってしまう。そのせいかリバスは沈黙を保っていた。
――パストラも馬鹿ではない。反北京のやつ等を捨てずに済むような反応を見せるだろう。もしかするとオヤングレンは……
「何か心当たりでもおありでしょうか?」
ラミレスは全く考えがまとまらなかったようだ。
「今はない」
短く切り捨ててしまう。ベルナドは二人を見て口を閉ざしたままだった。それぞれが国を想って行動しているとの前提ならば、意外な道が模索されるのではないだろうかと。
「アメリカですが、リバスへの支援をやめようとはしません」
子供の告げ口でもあるまいし、副大統領ならばその先にもう一言欲しかった。だが変えるわけにも行かないので小さく頷いて認めてやる。
「人的資源を出せないように牽制は続けるんだ。物資はどうしようと流れてくる、空爆もな。重要なのは制限させることだ」
ウンベルトが居ないためいちいちそのような部分まで説明しなければならないのに苛立つが、解放するつもりも今はなかった。たった一言すまなかったと謝り、今後は兄に協力すると誓えば赦免するつもりなのだが。長い年月の間にそう言う事が出来ない様々な何かを背負ってしまったのだろう。
――今は仕方あるまい。全てが終わったときに解ればそれで良い。
軽く手を振って退室を促す。二時間後にまた報告しろと命じ、目の前の書類を決裁する仕事を終わらせるつもりで。




