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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第七十三章 パラグアイ憲兵、第七十四章 大統領選挙、第七十五章 海賊船襲来、第七十六章 クァトロ指導者イーリヤ

 ホーチミン空港にトンボ帰りする。サルミエらがそこで待っていた。


「有意義な休暇だったよ」


「厄介事に次々首を突っ込むのはさぞや有意義でしょう。ボス、見て見ぬふりもたまには良いんですよ」


 ご挨拶である、サルミエ中尉がにこやかに言うが目は少ししか笑っていない。


 ――確かにその通りだ、耳が痛いよ。


「そう叱ってくれる副官に甘えてしまってね。誰かが言ってくれないと大変な方向に進んじまう」


 意外な反応で中尉は困惑してしまう、まだまだ人生経験が足らない。アサドが助け船を出し、スマートな大人を演じる。


「行き先をご命令下さい。ボスが休みを取ると次は過酷な任務と決まっていますので」


 ――思い起こせばそうかも知れない。休みが無くても定期的に地獄を見る可能性は否定できないがな。


「パラグアイで大統領選挙がある。友人の苦労を少しばかり引き受けてやりたい」


「では手配致します。オビエト軍曹を向かわせましょうか?」


 出身国の部員が居たら助言が得られるだろうと進言する。


「ああ、そうしてくれ」


 アスンシオン空港に到着すると日が暮れてしまっていた。ホテルに直行し時差を慣らすために早目に就寝する。多少の差はあってもやはり朝は同じ様な時間に目覚めてしまう。


 ――一走りするか!


 そうしておこうと部屋の扉を開くと壁際に人影があった。


「閣下、お早うございます」


「エーン、いつの間に?」


「最終便で到着しました。アフリカの件、ありがとうございます」


 真面目な顔で深々と頭を下げる。その彼の肩に手を置いて一言「戦友だろ」それで終わらせてしまう。


「これからは常に閣下のお側で」


 レバノンは族弟らに任せてきたのと、コンゴの件もかいつまんで述べる。だが一連の報告が終わり島が口にしたのは「走ろうか」だった。

 二人で少し長距離を走る。緩いペースで朝の爽やかな空気を肺に満たしながら。


「ここで大統領選挙がある。現職が再選するのが無難だと思うんだが」


 大抵は現職が立候補したら勝つものだ。絶対ではないし、最善でもないが今よりは悪くならない程度の保証は見込めるからだ。島としてもドラスティックな変革は望んでいない。


「対抗馬が優秀なほどに、あの大統領ではと思ってしまいます」


 不思議なものである程度の能力があれば、相手が優秀でも平凡を売りにして戦えるのだ。庶民感覚に優れていると。だが凸凹な力を振るっていると、比較が極端になり秀でた部分の宣伝合戦になりがちなのだ。


「反対陣営も重々理解して候補を担いでくると思うがね」


 目指していた先は日本人学校であった。まだ時間が時間なので誰一人姿は見えない。


 ――補修が入っているな、確りと対応してくれたようだ。


「もし、イーリヤさん?」


 声の先を振り返ると清水と名乗った男が居た。朝の散歩なのか手ぶらである。


「清水校長、お久し振りです」


 ――少し血色が良くなっているように見える。


 以前のようなギリギリの生活からは抜け出せたのだろう、公的な支援は効果が緩やかではあるが制度として長く残るので今後も一安心だ。


「ありがとうございます。政府から補助金が交付されています、外国人であるのにも関わらず」


 永住者ではあっても外国人なのは変わらない。それを現地国家の税金で賄うのだから反発もあったはずだ。

「将来、親パラグアイの日本人が増えたら、それは無駄な投資だったと考えるものは居なくなるでしょう」


 政治は結果を求めるまでに長い時間を要する。だからこそ難しい。


「西村君ですが、公務員試験を目指しています。パラグアイ政府外局を」


 ――移民担当や在地邦人の為に、か。清水校長を見て育てばそうもなる。


「彼ならきっと立派な役人になってくれます」


 世間話を切り上げ帰路に着く。今度は少しばかりペースを上げてみる、辛くはないが呼吸の戻りがやや遅くなったような気がした。

 部屋に戻りシャワーを浴びる。すっきりしたところでレストランに降りると三人が待っていた。相変わらずエーンは素早い様子である。


「グッドモーニング」


 思い思いの食事を済ませると、サルミエが報告する。


「十時にゴイフ補佐官との面会を入れております。エンカルナシオンへの移動は軍のヘリを有料で借り上げることにしました」


「と、言うと?」


「オズワルト中佐が訪問をご希望です」


 ――電話で済ませられない用事か。良くないことが起きるわけだ。



「わかった」


 エーン大尉がいつの間にかそこに居るのを疑問に思わない、それが自然と馴染みの風景ですらある。


「そう言えば」ふと気付いてサルミエに「ここまで来たんだから、妹に会ってこいよ」


「ですが……」


 これから一大事だと言うのに呑気にそんなことは出来ないと渋る。


「こいつは命令だ、副官任務はエーンに引き継げ」


「はい、了解しました」


「結構だ」


 本当に必要な時ならば一刻たりとも手放しはしないが、まだこれから始まる段階で無理に拘束するつもりはない。気持ちが晴れて返って効率に期待が出来るというものだ。

 エーンも任せておけと言葉を添える。ある種の前任なのだから危なげ無い。


 政庁に向かう時にアサドが武装についてエーンに相談していた。携帯申請をしたら拳銃程度は認められるはずだと聞かされ、早速どのように調達するかを打ち合わせる。


 ――中年の三人組か、華がないことこの上ないね。


 仕事とは関係無いと受付で約束を告げる。例によって椅子で待っとけと指差されて、素直にそこで待つ。


「アミーゴ!」


 よう兄弟! ゴイフ補佐官が島に近付き両手を拡げる。それに合わせて立ち上がり抱擁する。やり過ぎなくらいが丁度よいのだ。


「やあまた来ちまったよ」


「大歓迎さ、住んでくれたら尚良いがね。無理は言わないようにしとく」


 ――彼も大分成長したな! 政府もゴイフ無しではギクシャクするんじゃないか?


 オフィスに来いよと堂々と部外者を官邸に招き入れてしまう。悪いことはないのだが、公的な職務を帯びているわけでも招いたわけでもないのだ。

 そんなことは関係無いらしく、のっしのっしと力強く先導してくれる。トップは様々な部分が必要だが、実務処理に関しては確実に能力が優先される。その意味でゴイフは大きな態度をとるだけの背景が備わったのだろう。


「今朝日本人学校を見てきたよ、ありがとう」


 便宜をはかるように依頼した手前謝辞を述べる。


「やろうと思えば政治は前へ進める、足を引く力が強すぎるヶ所が多いがね」


 他人を邪魔するよりも自らを伸ばす方が断然良いが、精神的にも成長が止まってしまったならば、後は直上の誰かを引きずり下ろすしかなくなる。


「大統領選挙が近いと聞いてやってきたんだが、どうだろうか」


 主語を抜き去り彼の想いを引き出しに掛かる。何が出ようとそれを支えるつもりでやって来ている。


「現職を推すよ。勝ち目は薄いがね」


 肌で感じるならば側近のゴイフが一番敏感だろうが、彼がそう分析する。苦しい選挙になるのは間違いなさそうだ。


「そうか、俺に手伝えることがあったら言ってくれ」


 懐から何かを取り出し口に運ぶ。タバコを辞めた代償が板についたようだ。ドライフルーツだよ、と机に置いた。


「ダメだと言っても跳ねる輩は居る。対立候補の暗殺をやろうとしている奴が」


「そうなれば双方にダメージが。それだけではなく混乱して国が割れる」


 禍根を残すような遣り方は賢いとは言えない。だが自らの手からするりと権益が逃げるのを嫌うのは在るだろう。


「私は大統領を支えてそのまま敗戦処理をしようと思っている。ここまで付き合ってきたんだ、そのくらいはね」


 ――我を張って国を乱すよりも、自ら全てを飲み込んで引き際を得るわけか!


 かといってゴイフの陣営から対立候補に危険を伝えたり、ましてや護衛を出すわけにもいかない。なるほど自分達にしか出来ない役回りだと納得する。


「俺がその護衛を引き受けたい」


「やってくれるか」


 そこには真に国を憂い未来を願う政治家が居た。少なくとも島は珍しくそう感じた。


「どこの馬の骨ともわからない奴を受け入れてくれるだろうか?」


 そもそもが雇ってくれなければ始まらないと、入口で心配する。


「選挙期間中は憲兵が警護につく。彼等は能力の不足を税金で埋めようとするはずだ」


 どこからか顧問を雇うか、民間軍事会社に依頼してしまうだろうと説明する。


 ――一から揃えている暇はないな、ならば軍事顧問が近道だ。


「憲兵総監にご紹介いただきたい」


「酒の一本でも提げていけば、すぐに時間を空けるだろうさ」


 総監からしてそんな体たらくだと鼻で笑う。自分達国家権力のなんたるお粗末さか、やっていられないと首を横に振る。まだ職務をこなそうとするだけマシな人物らしい。

 部屋の棚に一本逸品がしまってあるからと譲り、軍司令部に連絡を入れてくれた。


 憲兵大尉に連れられ総監執務室にやって来る。


「総監閣下、貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます。イーリヤ退役准将です」


 背筋を伸ばして敬礼する。彼がうんと言わねば行き詰まるために、頼り甲斐があるのを示そうと自信満々の表情を作りながら。


「エスコバル憲兵少将だ。大将閣下より話は聞いている」


 ゴイフが直接紹介したのでは外される可能性があったので、軍の総司令官を一枚挟んだ。大将は最近専ら名誉を集めだしたようで、このような仲介に目がないらしい。アサドに持たせていた酒瓶を大尉に渡す。


「自分からの手土産です。どうぞお収め下さい」


「そうか遠慮なく」


 だらしなく口許が緩んでしまっている。憲兵といえば猜疑心と規律の権化かと思えば、そうでもないらしい。


「閣下、自分は現在一時的な職を求めております。軍事顧問を」


 ずばり望みを口にする。まわりくどいことは厳禁なのだ、気付かれないことすら有り得る。


「大統領の警護につきたいと?」


「いえ、その名誉はパラグアイ憲兵が大々的に受けるべきでしょう。自分は対立候補に」


 一つ下の役目をしたいと申し出る。単純そうなエスコバルの顔を立てるかのような物言いで。


「大統領閣下の警護は私が直接行う。そちらには憲兵大佐を充てるつもりだが、准将が指導をしたらよい」


 面倒な手配なども全て大佐の経験になる、仕事と責任を押し付けるのに耳触りが良い言葉を選ぶ。かたや少将でかたや大佐では、差別もあからさまになってしまう。そこへきて准将がと言うならば渡りに船だろうか。


 ――日系人であるのを押し出すべきだな、だが大佐を前面に出す。


「ありがとうございます。助言に徹します」


 ここで少将が少し考える、大佐が何かしらの責任をとることになれば恨まれるのは自分だと。ならば使い捨ての外国人に泥をなすりつけたらどうか。


「退役しているならば臨時で復帰しても構うまい。予備将校として勤務してはどうだろうか」


 ――分かれ目だぞ、パラグアイに責任を負うのは良いとして、それがどのように波及するかを考えねば!


「指揮権はどうなるでしょう?」

「部隊は大佐が指揮するが、大佐への指揮は准将が」


 ――指導や助言から命令になるわけだ。つまりは名目的な責任を俺に持たせて、果実は大佐にか。もっとも何か得るものがあればの話だな。


「外国人がその地位に在って問題があるのでは?」

「総司令官が認めるならば不問だよ」

「大将閣下はお認めに?」

「上申は承認してくれる」


 ――言い出した者がまた責任を、だな。となるとあとは大佐が如何なる人物かだ。これが嫌なやつなら遠慮したいが、仕事をしないわけにはいかない、ならば此方から指名してやろう!


「憲兵大佐ですが、適任者を選択は可能でしょうか?」

「構わんよ、資格があるなら憲兵隊に転属もさせよう」


 ――ん、まてよ、あいつを使えたなら信用出来るが……


「閣下、指揮官ですが中佐や少佐でも構いませんでしょうか」

「劣るが、貴官がそうしたいなら良いぞ」


 むしろ格差がつけばつくほどに大統領に媚びを売ることになり、少将としてもありがたいのだ。下級者を使うほどに指導する側は苦労する。


「では意中の人物が承知してくれると信じてお引き受け致します」


 気が変わらないうちに決定させてしまう。望みがかなえば後は自らの働き次第だと。


「手続きを終えるまで待っていたまえ。軍服を支給する」


 エスコバルとしても逃げられないようにさっさと任官させてしまうつもりで、副官大尉にあれこれと手配させてしまう。

 隣室に通された島は未来を夢想する。守る側が不利なのは承知しているが、期間が二週間のみな部分で有利な点があると自分に言い聞かせる。


 ――それともう一つある。


「俺には護衛の専門家が二人もついているからな」


 不意に呟く。二人は互いを見あってから、胸を張って頷いた。彼らにしてみればいかにして島を守るかの考えを転用するだけなのだ。エーンに至ってはいずれ島が演説を行うような立場になると信じており、丁度よい予行演習だとほくそえむ。


「イーリヤ憲兵准将閣下、お待たせ致しました」


 ――そりゃそうだよな、憲兵を指揮するわけだから。


 冠にやや違和感があったが、軽く返事をして装備一式を受け取った。


 黒い制服の左胸に幾つもの勲章や略章を引っ提げて、白い手袋を嵌めた。軍帽を被り金モールをつまむ。


「フル装備をしたら自分かどうか疑ったね」


 安っぽい映画に登場するような姿に気恥ずかしさで一杯になる。一般のパラグアイ軍は緑色の軍服なので目立つのもあった。


「お似合いです閣下」


 エーンは心底そう思ったようで目を輝かせている。自分達はというと将校と下士官の軍服を支給されていた。勲章の類いは種類が違ったが、やはり幾つかつけている。


「レティアに見られたら腹を抱えて笑われるぞ」


 ――ご立派な案山子だな!


 サルミエ中尉の分も準備させる。全て島の自己申告だけで受理され、証明書の提出は省かれた。補佐官から総司令官、そして憲兵総監が出した辞令にどうやって抗議をするのかとの話ではあるが。


「軍用ヘリの手配ですが、支払の受け取りを拒絶されました。空軍の酒保に寄付の形で提供します」


 私用と言われていたが、憲兵准将の一行だったと知らされて支払いを受けるわけにはいかなくなった。手にしたら最後摘発の恐れすらあるからだ。


 ――確かに憲兵相手に小遣い稼ぎは俺でもやらん。ただこうなると畏縮されて適切な関係が保てない人物も現れる、そこは注意だな。


 アスンシオンにある総司令部屋上のヘリポートから、エンカルナシオンにまで空路旅をする。爆音のせいで声は聞こえなくなるが、規則的なそれは思考の妨げにはならなかった。


 ――選挙演説が一番の危険ポイントだ。自宅や移動の最中よりも遥かに狙いやすいからな。また市民が山と集まるだろうから、チェックなど仕切れないのをどうするかだ。カルテス候補がどのような態度をするかでも別れてくる。まだわからんというのがわかった。


 目を閉じて心を落ち着かせる。一時間程度で着陸すると、ようやく耳が静けさを回復して働きを再開した。


「閣下、こちらへ」


 あたかも自らが用意したかのようにジープに誘う。気付いた兵士が敬礼する。


「伍長、三人だ車を」


「スィン、カピタン」


 兵らに降りるよう命じて座席を確保する。もう一台ついてくるように指示し行き先を尋ねる。ニカラグア大使館と言われすぐに場所が浮かばなかったが、大使館街にあるだろうとアクセルを踏み込んだ。


 ニカラグア大使館。名ばかりで民家に毛が生えた程度のものでしかない。突如憲兵がやってきてオズワルト中佐はいるかと聞かれ、受付嬢が顔を曇らせる。が、胸にニカラグア国章をあしらった勲章をつけているのを見て首を傾げた。

 ややあって中佐が階段を下ってくる、少し細くなったようだが目には活動的な力が宿っていた。


「イーリヤ閣下、お待ちしておりました」


「やあオズワルト中佐、遅くなってすまないね。色々あってこんな姿だ」


 どうやら摘発ではないとわかり受付嬢がほっとする。だが余計な説明は誰もしなかった。


「武官室へどうぞ」


 年輪を重ねた彼はあまり驚く素振りを見せなかった。部下を安心させる何かを心得ている。

 整理整頓された部屋にはニカラグア国旗が掲げられている。少し懐かしく思ってしまった。


「まず報告を。ニカラグアとパラグアイの交易は順調です、麻薬の流出も激減しました」


 当初の目的を達成しつつある、そう判断可能な状態だと総括する。向こうで書類になる頃にどう表現がすりかわるかはわからないが。


「中佐の事務処理能力のお陰だな」


「いかがなものでしょうか。問題は工場です。待遇改善や精製量の減少を求めてストライキが」


 お陰で黒字幅がかなり減少してしまう見込みな上に、来年以降の固定経費――給与が高くなるので、株主配当が激減すると説明される。


「返済は?」


「全て償還済です」


「なら俺は構わんよ。他人に迷惑を掛けずに済んだんだからな」


 配当が九割削減されたとしても、依然として億円単位はあるのだ。それに株自体の値打ちは減るわけではないので、より以上を望むのは罰当たりですらある。


「マーティン社長は続投で?」


「適任者を馘首して良くなるとは思えないがね」


 そのように答えて留任を明らかにする。要は株主が泣けば済むのだ、しかしそれが社会の流れになっては資本の流出に繋がってしまう。


 ――仕方無いから話し合って、ようやく我慢して呑んだ形にすべきだな。当事者以外に仲裁者が必要だろう。


「取締役会を開きたいです。閣下もご出席を」


「わかった。だがそうなると警備してる軍への費用が出なくなるな」


 黒字があるから納税する、納税するから費用が下回るなら国軍が警備してくれる。単純な図式に問題が持ち上がる。


「地元雇用が根付いています、これを襲えば民衆から総スカンを喰うでしょう。襲撃は現金輸送車位では」


 鉱石を頑張って運ぶ気にはならないでしょう、と冗談を口にする。重量物なのとそれ自体に価値を付与しなければどうにもならないので、今やそれを狙う理由が無くなった。政治的にもだ。


「では目的は果たしたから規模の縮小で費用を減らせば良いわけだ」


 ――捨てる神あらば拾う神ありだ。外堀が埋まるときはこんな感じなんだな。


「はい。して、その出で立ちはいかがなさいました」


 大体伝えるべきは伝えたので、ようやく姿に話題を移す。どうしたと言われて島も。


「付き合いでアルバイトの最中さ。一ヶ月程パラグアイ軍にいることになった」


 期間を耳にしてピンと来るものがあったようで、そういうことかと悟る。


「赤党の彼は実業家です。最初の実績としては悪くありませんね」


「ふむ。中佐がそう言うならばその線で行ってみようか」


 残念ながらエーンらには全く見当がつかなかった。


 取締役会を経て正式に企業方針が固められた。マーティン社長は減益を残念に思ってはいたが、操業自体は続くので希望は残されていた。技術が向上しチタン加工まで行うことが出来たら、再度今までのような収益力が発揮されるからである。

 本来そのような先があまりに長いことをやろうとすると、株主から突き上げられ首が跳んでしまう。だが今回は考えが認められたので安心した。


 副社長の声で警備に当たっている軍の将校が集められた。オズワルトが中佐であるのを承知しているため、彼らも案外すんなりと応じる。それを見越しての担当でもあった。


「アヤラ少佐、知っての通りストライキで企業は黒字を大幅に減らしてしまった。工場の常設警備の規模を三分の一に縮小すると決定した」


「すると自分は?」


 規模が中隊か小隊二つ位になってしまうならば、大尉が指揮をするべきなのをわかってはいた。


「原隊に復帰だろう。後任の指名を」


 現場のトップとしてようやく出番が巡ってきたが、さほど長くは続かない現実に落胆した。少佐がなんと言おうと決まったことなのだ。


「A中隊を残します」


 目をかけていた後輩の大尉が指揮する部隊を残留させる。能力は人並みだがアヤラ少佐に好意的な男だからだ。その贔屓目が他の大尉からは冷たい態度をとらせていた側面もある。


「解った。では残留組だけここで続きを話す」


 優遇された任地から追放されてしまい役員室から出て行く。すると一団に声が掛けられた。


「少佐殿、申し訳ありませんがこちらへお越しください。准将閣下がご用事と」


 黒人の憲兵大尉が別室に来るようにと示唆する。将校らが不安にかられながら隊長を見る。


「お前たちはここで待て」


 もしかしたら難癖つけて逮捕されるかもとびくつく。正当な調査をしているならば逮捕は当然の結果とも言えるが。


「アヤラ少佐、出頭致しました!」


 せめてその場だけでも取り繕おうと声を張る。黒い将官制服の男が振り向く、胸にある勲章の数が功績多大な人物であるのを示していた。


「ふむ、少佐、貴官は特別任務を全うしたが連隊に戻ることは無くなる」


 逆光で顔の部分が見えづらい上に帽子を被っている、相手の表情が見えない。


「な、何の罪でしょうか?」


 賄賂次第で減刑されるならば機会は今しかない。置かれた立場を恐る恐る確かめる。


「私は確信している、貴官が戻らないことを。もし罪があるとしたら、未来への怠慢だな」


 言葉の意味が全く理解できずに、はい、と答える。何を要求しているのか、頭が混乱してきた。


「アヤラ少佐、転属だ」


「はい。え?」


 一歩二歩近付き帽子をとる。どこにでもいるようなパラグアイ人に見えるが。


「警察の阻止では助かったよ。今度は貴官に暗殺者を阻止してもらいたい」


「あ、将軍閣下!」


 退役した外国の准将だと聞かされていたが、何故かパラグアイ憲兵准将になっているではないか。全くもって辻褄が合わない。


「私は少佐を必要としている、良い返事を貰えるだろうか」


 ようやく笑みを浮かべて語りかける。パラグアイで働き具合が解っているのは彼だけなのだ。単独で動かしてもあっさりと裏切らない、その実績だけあればそれで構わなかった。


「将軍閣下の下で働けることを嬉しく思います!」


 危機から一転して明るい未来が拓けそうな展開に胸が踊る。


「結構だ。では早速最初の命令だ、部下のうち憲兵に転属する将校を選べ」


 指揮官だけが孤立しないように集団を引き抜くことを忘れない。


「条件は?」


「一ヶ月の果てしない努力で、国の未来を支える意思があるかどうか」


「九名の将校をお約束致します。少々失礼します」


 廊下に待たせているからと断りを入れる。エーンとこっそり聞き耳をたてた、すると歓喜の声が漏れてくるではないか。


「何とか命令系統は確保出来そうだな」


「憲兵らは将校にきっちり従うはずです、両手足を縛られて戦えとは言われずに済みそうですね」


 ――給与だけでなくあらゆる面で憲兵は優遇されている、精鋭が士気を喪うことはほぼなかろう。


 各国の憲兵や近衛、親衛隊は権力直下の軍なのでやる気が違った。誰しもがその地位を喪失しないように努力する。


「ところで俺達にもまともに逮捕権はあるのか?」


「さあ? 少佐に任せるのが賢いのでしょう」


「だな」


 不安定な地位なのを再確認し、それをいかに有効に演じるかを考える島であった。


 警備についていた将校のうち、残留組を除いた全てが島の指揮下に連なった。直下に少佐がいて、彼等はさらにその下に横並びである。数時間なので兵員輸送車でアスンシオンに戻ろうとすると、船で遡上したほうが早いと言われて従った。いかんせん道が悪く速度が出ない。


「アヤラ少佐、アスンシオンに詳しい者は」


 出身者が居たら有利になるので尋ねるが、パラグアイの人口の多くが偏っているのを思い出す結果になる。十人いる将校のうち、実に半数がアスンシオン首都圏出身であった、少佐もである。


「士官学校があるので全員が数年暮らしています」


 ――俺らが地理不案内なだけで、他のやつらは問題ないな。通りの名前などを使われたらまずわからん。


「二日ほどあらゆる場所を通過する時間を作ろう、誰かしらが大まかな土地勘を持てるように」


 場所だけでなく公共の交通機関の実状、ビルの高さや路上生活者の集まり具合、実際に目にしてみなければ漠然としてしまう部分が多々あった。やはり現場を自身の目で見なければ作戦立案など不可能なのだ。


 数日後、ついに大統領選挙が公示された。下馬評ではフランコ大統領が現職有利との見込みでリードが報じられた。


 選挙本部、赤党の事務所にカルテス候補を求めて島らが顔を出した。公務である、彼らもそれをすんなりと受け入れる。四人が部屋に通され、アサドは外に閉め出された、下士官なのを気にしたのだろう。


「ようこそおいで下さいました、候補者のカルテスです」


 にこやかに自己紹介してそれぞれに握手を求める。フランコよりもかなり人当たりがよく、賢そうな感じがした。


「イーリヤ憲兵准将です。これはアヤラ少佐、此度の選挙での警護担当責任者です」


 顔には出さないが少佐が担当だと聞いて驚いているはずである。慣例では大佐がその職務に割り当てられるのだから。


「期間中全力で警護します」


 やる気は買うが果たしてどうだろうかとカルテスの目が語る。居ないよりも居る方がマシなのか、情報が垂れ流されるか判断がつかない。


「准将は直接任にあたらないのですか?」


 望みをかけて質問するが、島はきっぱりとアヤラ少佐が任にあたることを明言する。


「自分は総責任者です。指導や助言はしますが、警護隊の指揮は少佐が行います」


 大統領側の嫌がらせだろうと勘違いされては困るので、島が言葉を補う。


「憲兵総監閣下は大佐が任に当たるように、当初自分に指示致しました。ですが自分が任務内容にはアヤラ少佐が相応しい能力だと指名した次第です。彼は結果で示してくれます」


 そうだったのかと少佐も落ち着かなくなる。そこまで高い評価を公言され、嬉しくなると同時にやり遂げねばとの意思が強くなった。


「そう言うことでしたか。准将が推すならば安心です」


 イーリヤ憲兵准将など聞いたこともないが、きつくあたり臍を曲げられてもつまらないと迎合する。社会経験がそうさせた、カルテスは企業を成功に導く鍵が人にあると考えていたのもある。


「遊説先やルート、時間帯などの打合せのため連絡員を配していただきたいのですが」


「勿論だとも。秘書を、いや運動幹部指導員を紹介させていただきます」


 必要な部分なので黙っていても良いのだが、人となりを少しでも知ろうと相手に喋らせる。


「職務上の所見ですが、やはり投票日前日が一番きな臭いことになるでしょう」


 やり直しや挽回といったことがしづらく、首都に戻り最終日を過ごすのが選挙戦略上必須だからである。仮に負傷して当選し後に死亡したら、やはり目的を達することが出来るおまけもついてくる。


「早いうちは安全?」


「自分が狙う側なら初日は外しますが、五日目位の地方遊説あたりでやりますよ」


「警備が慣れてきた頃か!」


 ――少佐がこれで確りしてくれるよう期待しよう。本命は最終日だが、他で手を抜くようではいかん。


「カルテスさん、あなたが無事でなければそれでお仕舞いです。次はありません」


「うむ!」


 スーツの下には防弾ベストを装備するように説得する。警備については一切を任せるようにも。


「だが妻が口出しをするだろう、あれの一族は政界の一派だ。選挙となればしゃしゃり出る」


 ――夫人か! 外す訳にはいかんぞ。しかもそちらに主導権があるのか、こいつは致命傷を負いかねない。


「公の場で隙をみてカルテス候補が何とか優先権を取ってください」


「……うむ」


 ――望み薄か。一度危険があれば無理矢理に押しきれるが、それが最初で最後の可能性もある。


「我々の目指すところは無事に選挙が行われること、協力することが出来ると確信しています」


「その通りです。しかし我が国に准将のような若くて功績がある方がいるとは知りませんでした」


 実際にそうした活躍があり累進したならば噂を耳にするものだ。何せそうやって交流を広げるのも、いずれ政治に繋がるのだから。


「無名の将星はあちこちに存在するものです。広く視野を持ち、適所に据えていただければ励みになるでしょう」


 自分には過ぎた地位だと首を横に振る。結局のところ階級は役職に充てるための目安であり、不適切な職務で時間が流れるのは国家の損失に直結する。それを正せるのが大統領なりのトップが持つ人事権に他ならない。


「腐敗は正さねばならない。経済を促進し、生活の底辺を押し上げる。そうなれば国民も政治に関心を持つ余裕が出てくるはずだ」


 ――生活の余裕と関心は期待できない、日本ならばだが。南米ではどうかな。


「どのような経済発展を?」


 農業立国といえば聞こえは良いが、さして出来ることがないので仕方なくそうしているにすぎない。カルテスが何を目指しているのか興味深いところである。何せコロラド党保守系の流れを汲んでいる親ブラジル派だ、今までとは向いている方向が違う。


「メルコスールへの再度の参加は必須条件だ。それに過去の柵を棄ててブラジルと和解する」


 ――国民感情がついてくるかは不明だが、言っていることは納得できる。


「ブラジルへの農産品輸出?」


「それもあるが、ブラジルから技能者の輸入。大豆を大豆として売らない加工技術の輸入もですよ、これは乳製品にも共通しますが」


 ――こいつは有り得るぞ! パラグアイ人がついてこられるか、そこに掛かっているが。


「変化に国民がついてくるか、そこが一番の肝ではないでしょうか。無関心でその日を暮らすのも非難は出来ません」


「人は一度良い暮らしをすると」それは生活に限らず全てに言えるが「水準を下げたくないと強く思うものですから」


 あたかも麻薬のように入り込んでいく。


 ――裏の顔を持っているとの話、あながち間違いではなさそうだ。随所にアンタッチャブルな何かを感じる。


「その政策を支持する国民が多く、カルテス候補が当選するならば夢物語では終わらないでしょう」


 無難な返答で話を切り上げてしまう。彼はまだまだこれからやらねばならないことがあるからだ。最期の数日はろくな睡眠も採れずに仕事をこなすことになるだろう。


「大してお構いできず申し訳ありません」


 ラ米の者とはやはり少し違った態度を表しそう見送る。大成したのはきっとそんな部分では? 島がゴイフとの共通点を見出だす。

 憲兵本部に戻り過去の資料を一読した後に、少佐らと検討に入る。ここで大筋を外す訳にはいかないので、殆んどを丸飲みして参考にする。


「まず期間だが、こればかりは変わらない。この二週間を総動員態勢で掛かる」


 付随する話は後回しにして、日程を選挙から遡って確認して行く。これはゴールを追い掛けると途中途中で間を飛ばしてしまうことがあるからだ。特に後半は時間がなくて変に内容が薄くなる、あたかも近代史の授業のように。


「選挙当日は先程の選挙事務所に朝から滞在です」


 それが候補者のスケジュールなのは日本でもアメリカでも変わらない。労いの意味と疲れをとって支持者の中でゆっくりしたいのもあるのだろうか。


「前日は夜中まで遊説に討論会だろうな。それ以前は人口密集地を順番に行脚するわけだ」


 地図上に駒を置いて各地の都市にはピンを刺して行く。すぐに賑やかな地図になってしまう。


「夜は各地のホテルでしょう」エーンが一日の終わりについて差し込む。


「そうだな、こっそりやるならホテルの部屋は最高の環境だ」


 部屋の前に警備が二人だけ、等とは決して考えられない。


「都市間の移動ですが、スタッフはヴァンなどを使うようですが、候補者は時にヘリを利用することもあるようです」


 ――何せ広いからな。隣街まで車で数時間では無駄と判断しても仕方無い。


「始まりはここからと言うわけだ。三つにわけよう、最終日と、それ以前の遊説、そして移動と宿泊といった具合に」


 論点が漠然としないように目的を線引きしてしまう。多少乱暴でもまずは叩き台を作るところから始めなければならない。


「当日、中央広場で演説が予定されています。長時間雑踏で体を晒すことに」アヤラ少佐がどのようにしてこれを防ぐかを議題にあげる。


「自由な議論を」


 島が三人に対してそう預ける。アサドがスペイン語についていけなかったが、エーンが出た意見をフランス語で書き出したので、それを見ながら理解を深める。


「近距離の武器を無効にするため、演台と民衆の間に距離を設ける」

「狙撃位置にあたる建物への立ち入り禁止、及び一斉捜索」

「移動時の防弾車両利用」

「周辺の身体チェック、職務質問強化」

「警察への指揮権確立と、予備人員の確保」

「影武者を用意する」

「会場の不意の変更」

「防弾ガラスの設置」


 様々な言葉が繰り出されて行く、全てに万全を期しても一発の弾丸で失敗に終わることもある。日々の護衛がいかに大変か、エーンやアサドに感謝の念が湧いてきた。


「いつもこんな気苦労をかけていたわけか、済まんな二人とも」


 島がフランス語で労いの言葉を呟く。二人が目で通じあい微笑で返した。メモが一杯になったあたりで内容を整理する。


 十分のコーヒーブレイクを挟み再開、移動と宿泊について討議を進める。


「移動も宿泊も基本的にはカルテス氏の側で行います」


「こちらから助言を与えて、それでも対処しなければ俺から勧告してやるよ」


 結果に対する責任は取るが、命は戻ってこないと。それでも改めないならば譲れない何かを抱えていると受け止めるしかない。


「人相の偽装」

「複数台による移動」

「宿泊部屋を固定しない」

「上下の部屋まで押さえる」

「高級なホテルを利用する」

「車爆弾の警戒」

「スモークなどの併用」

「連泊の偽装」

「頻繁な予定の取消、変更」


 そっくりそのまま自身の保身に利用可能な内容が上がってくる。狙いを絞らせないのは非常に重要な部分だ。知らない部分でそのようなことをしていたに違いない。


「予算を惜しむな、労力を惜しむな。要約するとそんなところか」


「当たり前を当たり前にこなすのが、一番困難なものですから」


 エーンがそう語る。面々の最年長である彼の、やけに含蓄ある言葉に皆が深く納得した。人が機械とは違うのはこのあたりだろう。


「指揮官は少佐だ、これを基にして部隊で実務計画を立てろ」


「ヴァヤ。閣下のご期待に応えたいと思います」


「上手くいけばそれは全て少佐の功績として報告する。意味を理解し励んで欲しい」


 功績を誇る権利と全てを整合させる義務が何処にあるかを明言する。神妙な顔付きで彼は去っていった。


 ――さてパラグアイで官権ではない勢力といえばアレか。一先ずは連絡してみるとしよう。


「自分達は警察との連絡確認にいって参ります」


「ああ、頼む」


 島の様子を見て適当な用事を見つけ席をはずして行く。気遣いは年の功でもある。

 受話器を持ち番号を押す。暫くコールすると今や懐かしいとすら思える声が聞こえてきた。


「レティア、今パラグアイに来ているよ」


「はぁ? お前はソマリアで用事があるんじゃなかったのか」


 ――ま、元気は元気のようだな。


「こっちで大統領選挙があってね、ちょっと野暮用だ」


「そうか。あたしは忙しい、未知の魔物と戦わなきゃならないんだ。勝手にしろ!」


 使いたきゃラズロウを好きに使えと電話をばっつり切られる。


 ――なんだそりゃ?


 少しのあいだ何とも反応出来ずに空白の時が流れた。


 ――奥の手を用意か、今回は複数枚だ!


 実務を完全にほっぽってしまうので余裕が出来るの、不測の事態と諜報面での強化をしようと画策した。ここまでくると趣味の範疇になるのかも知れない。


 ――外国に行くわけにはいかないからな、手下を貸してもらうことにしよう。では見返りはどうする? 当落どちらでもラズロウがプラスになる何か、そして俺が提供出来るものか。


 釣り合うかは相手次第だとしたら、乗ってくる可能性が高い条件を想定する。ふむ。納得して再度受話器を取る、直接の連絡先は解らなかったが中継場所に依頼しておく。相手が折り返し先を憲兵本部と聞いたものだから心臓の鼓動が速くなる。

 さして時間を待つことなく交換台から部屋宛に回ってくる。


「俺だが」


「連絡を受けたよ、何事だね」


 互いに間合いをはかりづらい相手で会話がぎこちなくなる。


「こちらに居る奴を貸して欲しい。諜報面でね」


「代償は」


 散々レティシアに即答できないとダメだと言われ続けてきたので、何であろうと反応は早い。


「ソマリア、マルカで俺が口利きしてやるよ。ジョビンと向こうで鉢合わせた」


「現地のニカラグア軍?」


「いいや、マルカ委員長シャティガドゥドをだよ」


 下っ端ではなく頂点を紹介してやると強気で提示してくる。未だに勢力図が定まらない箇所で、それはあまりに有効な一手であった。


「ドンはきっと承知なさるだろう。代理を送る」


 ――その通りだ。レティアは勝手にしろと言っていたさ。


「あれは未知の魔物と戦っているとさ。では頼んだぞ」


 ――暗殺者が居るなら裏業界で話も回るはずだ、軍からならば憲兵がキャッチするだろう、大統領側ならばゴイフが示唆するはずだ。これで事前に存在だけは察知出来るとして、実務が少佐では心許ない。エーンを副官格にするならばサルミエを引き戻さねばな。オビエトもそろそろ来るだろう。落選したら今と変わらないから良しとして、もし当選したらについて考えよう。


 ちらりと時計をに目をやる、中途半端な時間であった。集中して未来を想像するには適当かも知れない。目を瞑り背もたれに体重を預け考えを巡らせる島であった。




「サルミエ中尉、帰還致しました!」


 いつもとは少し違い、元気はつらつな感じを受ける。何か良いことがあったのだろう。


「うむ、中尉が必要になった。副官任務を引き継げ」


「スィ!」


 ――俺もベトナムから帰った時にはこんなだったのだろう。今度ジョンソン少将に聞いてみるとしよう。


「早速だがパラグアイ憲兵に成った。カルテス候補を警護するのが目標だよ。二週間後にはまた休暇をやる、それまでは集中してもらいたい」


 休暇ばかりで申し訳ないと思ったのだろう、「御気遣いだけありがたく」不要だと断ってしまう。そのまま隣の部屋に行ってエーンと引き継ぎをする。次いでオビエト軍曹がやってくる。


「オビエト軍曹、ただ今着任致しました!」


 パラグアイで作戦だと聞かされてやってきたら、憲兵本部に出頭しろと言われて驚いていた。島が憲兵制服を着用しているのを目で確かめ、初めて納得する。


「長旅ご苦労だ。次からは船ではなく航空機を使え、経費が割高になるより軍曹の働きを得られる方が価値がある」


 島の方針として部下を誉めることが多い。甘やかすのとはまた違うが、効果としては成長面で期待が持てた。


「閣下にそう評価を頂けて感謝致します!」


 ロマノフスキーにキベガで扱いに余され、何とか役目を割り振って貰えた。三日月島の作戦でも一応の仕事は与えられたが、軍曹は逆に申し訳なさを感じていた。


「貴官はカマラが趣味だと聞いた。となれば部員で一番の撮影感覚を持っていると考えたが、アルバムなどは持っているか?」


「はい、旅行鞄に詰めてあります」


「私に見せて貰えるかな?」


「すぐに取って参ります!」


 軍曹が大慌てで部屋から出ていくのをアサドが見ていた。スペイン語がいまいちでも何か頼まれごとをされたのは解る。すぐに軍曹が戻ってくる。


「どうぞ御覧ください」


 島が厚目のアルバムをゆっくりと捲る。時間を掛けて一枚一枚何かを確かめながら。オビエトは一体どうしたのか見当がつかないでいた。

 やがて島は小さく二度頷いて、彼を呼び寄せたのが正解だと確信する。


「ありがとう軍曹。君の役目はアスンシオンの中央広場で行われる、最終演説会場の防衛だ」


「会場の防衛?」


 正直オビエトは感覚が掴めないでいた。適任者は他に幾らでも居るだろうと。


 その困惑は島にも通じた。上官としてまずはその疑問を解くことから始めるべきだとアサドを手招きする。


「先任上級曹長、これを見て何か感じないか」


 被写体がカルテス氏だと置き換えて見ろと補足する。アサドは意味を理解しページを捲る。


「なるほど、カウンターを仕掛けるとすれば適役です。もっとも事前に殆んどを阻止するのが目的でしょうが」


 ――やはり敏感だな。


「先任上級曹長も適任だと太鼓判を捺してくれたよ」


「あの、何故自分が?」


 単にパラグアイ人だからとの理由ではないらしいが。


「かつて班長程度ではあったが選抜射手を率いていた。貴官には狙撃の適性がある、それもスポッターの」


 優秀な狙撃手には必ずといって良いほど優秀な指示者が付き添っている。そして優秀な要員は狙撃手により以上の結果を出させた。

 指示要員が狙撃手にはなれるが、逆は中々なれない。即ち感性が必要になってくるので、訓練では簡単に埋まらない何かを軍曹が備えていると島が判断した。


「狙撃ですか!」


「正確には狙撃ポイントを封殺するのが仕事だよ。演台に目標がいるとして、撮影しやすい場所を順番に指定してくれたら良い」


 あまり気が強い彼ではないがそれならばきっちり果たせると快諾した。


 ――ある力を効率良く使わせるのが司令官の職務だからな。


「アヤラ少佐に小隊を一つ割り振らせよう。半端な数ではないはずだが、遠慮なく気になる箇所全てを指定するんだ」


 手に余れば警察も動員するだろうから構わなかった。それと気取られても丸々相手への圧力になるので、情報漏れも気にならない。

 詳細をエーンに委任して自らが為すべきことをしに行く。代理では務まらないことを。


「さて、年寄りは寝技でも仕掛けに行くとしようか」


「ウィ」


 流石にそのままの格好ではいただけないので、身軽な装いに着替える。拳銃を脇に吊り下げるので、嫌でも薄手のジャケットも羽織る。


「携帯許可を与える側になるとはね」


「人生わからないものです。砂漠で乾上がるのも今のようになるのも紙一重です」


「そうだな」


 市街地の上流地区、つまりは外国人居留区で待ち合わせる。誰がやってくるかは知らされていないが、異変を感じたらパスしてしまえば良い。二人で間を空けてカウンターでビールを煽る。アサドはやはり入り口と島を共に視界に収められる席に座っている。


「セニョール」


 ――見たことがあるぞ、あの倉庫に居たな。レティアのサインの時にも随行してきていた。


「空いてるよ」


 隣を指してどうぞと席を勧める。不意をつかれて攻撃を受けないよう、自身の注意だけはしておく。初撃だけ凌げばアサドが守ってくれると信じて意識を交渉に割く。この点一人だけだと何らかのポイントを見逃す恐れがある。


「メルドゥスです。コンソルテに協力するよう言付かっています」


「コンソルテ?」


 耳慣れないのでスペイン語ではないのか何なのか聞き返す。


「我等が女王閣下の王配という意味です」


 ――王配か。レティアも祭り上げられたものだ、丁度良いから暗号にでもするか。


「俺はボスと取引をした。メルドゥスの役目は、大統領選挙で暗殺者が向けられたかを察知することだ」


「現職への?」


「どちらへでもだ。いや誰にでもだな。兎に角そのような情報をいかに早く掴めるか、それにかかっている」


 余計な背景を一切無視してやるべき内容にスポットを当てる。求められているのは阻止ではなく、知ることである。第三の候補者がいることも思い出し、含めておく。取捨選択でしくじられては困る。


「わかりましたコンソルテ」


 あまりにもしおらしく従うので逆に気味が悪い。ファミリーには厳しい序列があるのはわかるが、後付けの島にまで畏まる必要などない。


「メルドゥス、これはビジネスだ。余計な気を使うことはない」


 ――それに利用はしても頼るつもりはないからな! 明確な線引きはあって然るべきだ。


「ではそのように」


 島らも席をたつ。一旦広場とやらを見ておいたら話が解りやすかろうと。


「ショッピングモール北東にあるカテドラルとやらを見ておこう」


 アスンシオン市街地はパラグアイ河に北と西で隣接している。その河から離れた住宅密集地に大型ショッピングモールが建設されていた。カテドラル――教会は元からそこにあり、恐らくは市街地郊外と呼ばれていた時から存在している。


 この二つを併せると、アスンシオン最大のスタジアムと同程度の敷地になるのだ。その駐車場と教会前広場を使い、最終演説が予定されている。

 当然近隣の通りは封鎖され、あちこちに警官が配備される。厳戒態勢で臨むわけだが、凶弾はほんの僅かな隙間を縫って不幸をもたらす。


「教会の側に氏が立つとショッピングモールが最高の位置どりになるわけか」


 タクシーから降りて辺りを見回す。モールを警官で埋め尽くせば次善を選ぶしかなくなる。


「モール側に立てば教会の鐘塔が最高でしょう。安い映画のようですが」


 ――目標は小さくなるが正面六十度をそれても狙撃は可能だ。左右は幕を垂らすなりして射界を奪える、敵がそれをどうかわしてくるかだ。


 ある程度考えをまとめてからアサドに話を振る。彼ならばどのように攻撃を仕掛けるか。


「お前なら目標を除去するのにどうする?」


 当然質問されるだろうと待ち構えていたので、幾つか状況設定を確認する。


「ファンダメンタリストと違い、退路の確保を前提で良いでしょうか?」


 ――奴等がわざわざ狙う理由は無いからな。まずはその条件で、最後に無条件でも聞いてみよう。


「ああ、それで」


「では。姿を現すのは演説中のみとして、真横から狙撃します」


「その間に垂れ幕なりのものがあり、視界が無くなるが?」


「演説台の場所を光学測量で計測し、狙撃ポイントを固定した機関銃で射撃します」


 ――視界が無くても弾丸は届くわけか!


「確かに数センチずれた位では散布界に収まるだろう。対策は?」


 素直に可能性を認めてどうすれば対抗可能かを引き出す。


「複数地点に演台を設置し、ギリギリまでどれを使うかは決定しない」

「あとは」

「幕に隠して鉄板を吊り下げておく」

「他に」

「演台自体が上下左右に移動したら狙いを付けづらいでしょう」


 ――可動式か! それは思い付かなかったな。出来るかは別にして、妨害手段は幾つかありそうだ。


 咄嗟の話にしては納得いく答えを聞かされて頷き、次の可能性を模索する。


「左右の二階以上は立ち入り禁止、窓も開放禁止を発令したとしよう。どうする?」


 丁度よい俯角をとれないと、命中させること自体にハンディが課されてしまう。後は距離を伸ばして角度を得るしかない。


「交通規制はあっても公共交通機関は利用可能でょうか?」


「バスやタクシーは近くにまでやってくるな」


 そうしないと人が集まって来られないのだから困ってしまう。


「二階建てバスを仕立てて通りから狙えばどうでしょうか」


 ――乗り付けられる場所をモール正面や教会の北側に限定する必要があるな。


「規制を掛けて乗降場所を決めさせよう」


 残るのは遠距離からの狙撃だが、かなりの範囲がそれに収まってしまう。そちらはオビエトの見立て次第で可能性を摘んで行くしかない。


「仮に、退路が不要なら?」


 幾らでもやり方があるのを承知で聞いてみる。


「警官に紛れてズドン。周囲を巻き込み自爆。航空機で突入。どうにもなりませんね」


 ――アメリカは大変な思いをしているんだな。シークレットサーヴィスの人間がいたら、称賛してやろう。


「宗教的プロのコーディネーターが絡むことは限り無く少ない。大統領が宗旨がえしたら警戒しよう」


 各所の準備が整うのと同時に大統領選挙が始まった。間に合わせの部分があるにしても、それは最早どうにもならない。

 司令部である島とアヤラ少佐の一団は、専らカルテス候補のスタッフと共に行動した。部隊は別口での寝泊まりだが近くの場所をなるべく確保するように努める。警察と競り合い無理矢理に奪うのだから険悪ムードも一緒についてきた。


 ――いかんな、どこかで融和させねば後々に失敗しそうな気がするぞ!


 アヤラ少佐は指揮に手一杯でそこまで気が回らずにいるが、これは致し方無いことである。では誰がとなれば島しか居ないのは自明の理だ。


「何か変化は?」


 少佐に尋ねる。副官大尉に同じ様に報告を求めると、数件の小さな成果があった。別件で指名手配されていた犯人を憲兵が拘束したのと、地元警察が職務質問をしようとしたら逃げ出したので拘束した、他も極めて微細な事柄である。


「職務質問から逃げ出した奴の調書は」


「すぐに取り寄せます」


 副官を使いにやって警察本部から取ってこさせる。何でもなければそれで構わないが。


「ファメーリオ・ロペス。自称四十二歳、散歩中に驚いて逃げ出したそうです」


 ――身分証を所持していないのは意図的だろう。自宅もどうせスラムだろうな。


「本人特定は」


「困難のようです」


「やり方次第で」どうすれとははっきりは言わずに「何か掴めるのでは?」


 もし単なる貧民で本当に散歩していただけなら、大失態である。だが逆に何らかの役割を負っていて見逃したら、それ以上の失敗となってしまうだろう。


「大尉、追加の報告書が必要だ。貴官もそうは思わないかね」


 責任を部下に押し付けてしまうが、島は全く素知らぬ顔で聞いている。実際のやり方は指揮官が命じるべきなのだ。


「少佐が昇進の際には、自分を後任に指名して頂けますか?」


 ちらりと島を見てから少佐は大尉に「無論、一番の適任者が昇任すべきだ」お茶を濁してしまう。権限が無いのだからそう答えるしかないのだ。


 ――少佐が昇進するときはカルテス氏が当選だな。このくらいの手形は切ってやろう。


「少佐の指名が採られるよう、総監閣下に上申しておこう」


 決意の表情で大尉は司令部を出ていくのだった。


 それから三時間、大尉が報告書を携えてきた。先程とは違い内容に厚みがあるものを。


「報告します。ファメーリオ・ロペス四十二歳。この地区の下級公務員でしたが先日辞職、フランコ大統領の支持母体である党からも除名されています」


 ――鉄砲玉のような輩か。叩けばまだ出るぞ。


「住所は」少佐が身許にこだわる。


「アパートは解約され、妻とも離婚しております。両親も他界し、子どもは居ません」


「偽装離婚の可能性がある、妻を探しだし事情聴取だ。ロペスも追い込め」


「ヴァヤ!」


 ――何か掴めそうだな。平行してやるとして、職務質問をした警官を持ち上げてやるとするか。俺なんかの名前で喜ぶなら安いものだからな。


「少佐、職務質問した警官も特定しておけ。何か出たら憲兵隊から感状の一枚でも贈ってやるよ」


 もらった側は嬉しいものだと昔を思い出す。やれどこそれの将軍に裏書きを貰っただの、自治体から記念の盾を貰っただの、下士官兵などの層にしてみたら自分を認めてくれた品物があると励みになるのだ。


「すぐに調べさせます、閣下」


 その日の夜中に伝えるべきかどうか迷って、少佐がエーンに相談したところ、島が深夜に叩き起こされた。敵襲以外は起こすなとすら言ってしまう者が多い中、確かに少佐が強行して起こすのは気が引けてしまうのもわかる。


「閣下、アヤラ少佐より火急の報告です」


 ぱっちりと目をさまして「すぐに出るからそこで待て」制服を着込む。だらしない格好をしないのは徹底的に叩き込まれていた。

 かくて二分と待たずに報告を受けられる状態になり、促されて少佐が喋り始めた。


「ロペスですがどうやらこの候補がホテルを出るときに、刺し違えるよう指示を受けているようです。離婚は元々上手く行ってなかったようで、せめて迷惑をかけまいとのことで」


 ――まさかの自爆か! 喪うものは何もない無気力に陥ったわけだ。にしても武器は持っていなかったんだ、背後にまだ居るぞ。


「少佐はどのような犯行計画だったかを調べ、関係者を拘束するんだ」


「すぐに行います!」


「エーン、カルテス候補に連絡を。ホテルごと吹き飛ばすつもりならば危険だ、すぐに移動をするように」


 真っ暗闇の中で、上に下にと大混乱が生じそうになった。だがカルテス候補が粛々と行動し「たまの早起きだとしておこう」等と落ち着き払っていたので収まった。ただ一人夫人だけは未確認で迷惑な行動は慎むように抗議してくる。


「混乱を狙ってのことだとしたら、あなたの指示は逆効果ですわ!」


「カルテス候補の安全を最優先しております。混乱も氏の指導で殆ど御座いません」


「ふん、口ではどうとでも言えるわ。次はしっかりと警備なさい!」


 ――やれやれ、聞きしに勝る困り者だな。カルテス氏の申し訳なさそうな顔が痛い。


「一層の努力をお約束致します」


 ヒールの音を響かせてつかつかと行ってしまう。有事の予行演習になったとして役立てよう、そう解釈することにした。


「准将、済まない」


「自分ならお気になさらず。現場の兵士らが意気を下げないようにさえしていただけたら」


「そちらは私が努力しよう」


 早速島が感状について耳打ちし、憲兵隊と連名で金一封を提供することで話がついた。警官としてはまさかの話で大いに盛り上ったという。


「金で雇われたプロのスナイパーが入国した。通称はヘラルド、たまたま顔を見掛けた奴がいた」


 メルドゥスから通報がもたらされた。偽造パスポートを使っているのだろう、官憲の側からの網には引っ掛からなかった。それを見抜くだけの腕がある職員が現場に居ないのだから、価千金の情報と言える。


 ――プロか。だがそうなると地元の支援は受けられない、単独だとして捜査を行うべきだ。ヨーロッパ系の顔付きらしいから、表で怪しい行動をしたら記憶に残りやすかろう。


「アヤラ少佐、スナイパーが入国したと情報があった」


 部屋に呼び出して重要事項を伝えた。まさかの外国人暗殺者に唸りをあげる。


「スナイパー。すると暗殺手段は狙撃ですか」


「九割がたそうだとしても、他を怠ってはいけない。戦いは既に始まっているからな」


 スナイパーを敢えてわかるように入国させて、狙撃以外で狙い警備を緩くさせるつもりかも知れない。裏を読もうとしたらするほど考えが散ってしまう。


「次の街での演説は長時間の露出が」


 顔を曇らせるがそれを差し止めるわけにはいかない。


「プロの条件はクライアントの希望を叶えることだ。雇い主が誰かは知らないが、地方都市の一角で倒すよりも天王山で一撃を、そう望んでいるんじゃないかな」


 ――わざわざ選挙が始まってから入国したんだ、準備時間が無しでは動くまい。やるなら最終日だ。


「閣下、支援者が先乗りをしている可能性があります。もしそうならばすぐにでも実行出来ます」


 エーンがいかにもな内容を指摘する。それらを総合して判断を下すのは少佐である。


「あと四日です、今から総動員態勢を取っては最終日で疲労がたまり注意が鈍ります。通常警備で狙撃対策に偏重させます」


「結構だ。その方針を認める。少佐は私に対してのみ責任を負えば良い」


 しくじっての外部からの責めは島が引き受けると背中を押した。現場がそう判断したのだ、それを信じて預けるしかない。賭博をするつもりはないが、安全圏で座しているつもりもない。


「了解しました、閣下!」


 部屋を出てエーンが少佐に「どうですかうちのボスは」にやりと話し掛けると、「初めて仕事に遣り甲斐を感じたね」笑顔を返していった。


 地方演説中に二人の男が逮捕された。一人は暗くした部屋から双眼鏡で見ていただけで、もう一人も窓際で黒塗りの笛を吹いていただけと言う。肩をすぼめる少佐に気にするなと声をかける。


 ――こちらの反応速度を確かめていた可能性もある。誤認に対する躊躇を強めるなどを含めてだ。


「しかし無関係の市民を拘束し、抗議が」


 とある人権団体からやりすぎを抗議されていた。だがしかし未だに取り調べで拘束中である。


「エーン大尉はどう感じた」


「スナイパーの捨て駒の確率が半分、無関係が半分」


 あまりに怪しい行動に意図を感じているのは確かのようだ。何の確証もない彼の勘がそう示している。期限一杯まで引っ張って取り調べを続けて何も出なければ、失策を問われてしまう。


「二人の拘束を続けろ、金で動いただけとの前提で取り調べを。抗議には調査中で一切コメント不可だと答えるんだ」


 島が舵取りの方向を決める。不当逮捕ならば後に補償を規定に従い出してやれば良いと。


「わかりました」


「今までと同じで良い、決して引き下がるな」


 強気の憲兵隊に対して夫人が抗議を申し入れてきた。候補のイメージに関わると。


「ちょっとあなた、遊説先で誤認逮捕が相次ぐなんて報道されたら印象が悪くなるわ!」


「ただ今取り調べ中です。誤認逮捕ではありません」


 ――面倒な奴がまた出てきたぞ! だからと無視をするわけにもいかない。


「事実がどうでもそんな噂が流れてしまうと迷惑だと言っているんです!」


「噂まで関知は出来ません。報道の仕方についてならば放送局に抗議をしては?」


 正論で突っ返すがそんなことでは引き下がらなかった。


「あなたのそんな態度が憶測を呼ぶんです。即刻謝罪の会見を開きなさい」


「憲兵隊は謝罪すべき行為を一切行っていません。そのお望みには応えることが出来かねます」


 流石に見かねたカルテス候補が夫人を止めた。地元の後援会の代表が夫人の臨席を望んでいると耳打ちされ、怒り肩のまま場を去る。


「准将、本当に済まない。妻は神経質になっていて」


「何と言われようと我々は貴方が無事ならばそれで構いません。それが職務です」


 公務で動いているとの姿勢を崩さず、気持ちを荒げることもなく対応する。カルテスにはそれが実務に長けた人物だと映ったらしい。


「汚職が叫ばれている国にあって、准将のような人物がいて嬉しく思うよ」


「個人はもちろんですが、汚職と言うのは組織にある背景がそうさせるものでもあるでしょう。天秤が清貧に傾けば淘汰されると信じ、そのための促進も自分の役割と心得ております」


 ――パラグアイに限らずにだが、そういった輩が減れば暮らし向きはよくなるはずだ。


「私もそう思うよ。働けど良くならぬ社会は健全とは言えない。格差は無くならないにしても、幅を小さくは出来るはずだ」


 アメリカや日本、中国などに限らず、社会格差は世界中で問題視されている。多数の声が抑圧され資産がある極めて少数の声が光を浴びているのだ。ある種の発言力としては正しくとも、まるごと全てがそうだとは決して言えない。


「保護産業が競争力を強く得るとは思えませんが、中央値に届かないにしても仕事が産み出されるのは望ましい。熱いバイアスだと語る教授が居りました」


「准将は社会心理学まで修めている?」


「受け売りです。自分は無学ですよ、大学も中退でして、しかも二度も」


 大した人間じゃありませんよと肩を竦めた。秘書がカルテスを呼びに来たので話を切り上げる。


 ――アロヨみたいな人物なんだろうな。力のない時代ではあの位の強引さが必要視されるわけか。


 何事もなく時間が過ぎていった。アスンシオンに戻りついに最終日を迎える。つまりは土曜日、朝八時から広場が開放され政策を掲げた支援者が候補に代わって決め細やかに対応した。

 十時を過ぎたところでフランコが会場に到着した。市街地西側、旧区を回ってからやってきたようだ。十一時には新市街地を巡りカルテスが会場入りする。


「凄い熱気だな」


 まだ候補者が演説を始めていないのに観客は異様な盛り上がりをみせていた。あまりの熱に体調を崩し救急車で搬送される人物が十人程出たようだ。


「軍曹、あのビニールはなんだ?」


 島が演壇の前方に複数ある透明の物を指差してオビエトに尋ねる。専属で会場に張り付いていたので、大体のことは彼に聞けば答えが得られた。


「見ての通りただのビニールです。水平は無意味ですが、撃ち下ろしの角度ならばモザイクがかかって目標が捕捉出来ません」


 腹から下は机が完全にストップすると説明を加える。当然胸や腹は防弾ベストなりで被害は小さくなる。


 ――ひさしのようなものだな。安上がりだが効果は間違いない。


「カバー仕切れない狙撃ポイントは?」


 今度はアヤラ少佐に漠然とした質問を投げ掛ける。モールの西側、道路近くに警備本部を置いていて、警察の指揮官もそこにいた。ただし憲兵本部に市警のトップが詰めているので、こちらは現場組の責任者である。


「憲兵を長にして警官を区域ごとに配備しています」


 封鎖が困難なヶ所は人間の目に頼ることにしたらしい。集中を邪魔出来るならば何でも構いはしなかった。


「近隣区域で陽動があった場合、応援との優先順位や指揮権の確認をしておくんだ」


「すぐに指示します」


 その時になってから交通整理しようと考えていたらしいが、事前準備に切り替えたようだ。


 ――直下の予備を少し押さえておくべきだ。指揮権はエーンだな。


「エーン大尉、担当が間に合わない場合に備えて班を二つ使えるように用意するんだ」


「スィン」


 近くの警察指揮官に八人予備を控えさせるように話を持ち掛ける。四人二組で警部補を長に据える。徒歩だったがバイクを追跡用に特別確保させて編成を終える。


 ――人混みに紛れてしまえば追跡は出来ないが、何かしらの予感がするのかね。


 いずれ必要になってから揃えるようでは手遅れなので、黙って様子を見る。手抜かりはないはずだと何度も自身でチェックを繰り返した。


 ――あれは何だ?


「少佐! 会場でのあの作業はなんだ!」


 離れていたが駆け付け指差す方向を見る。足場を増設し競り出すような形を作っているように見える。


「すぐに確認します!」


 言われたら即座に動くのは感心である。部下任せにするのが少ないのも島の信頼を得る機会を増やしていった。

 作業している者を止めて責任者を呼び出すよう命じると、何とあの夫人がやってくるではないか。


 ――少佐では荷が勝ちすぎるだろう、俺が行かねば!


「アサド」


 小さく呼び掛け警備本部を出る。


「閣下」


 アヤラ少佐が渋りきった顔で助けを求めてくる。どうやらより観客の近くで演説をさせようとの考えらしい。


「警備計画にはこのようなものはありませんでしたが」


「これは警備ではなく演説の範疇です。邪魔をしないでいただきたいわ」


 ――こんなことをされたら狙ってくれと言っているようなものだぞ!


「その位置に動かれると警護の根本が覆されます。即刻解体していただきます」


「少し前に出すだけでダメになるような手抜きとは呆れた。もっと努力すべきでは?」


 火花を散らす二人を仲裁するはずのカルテスは控室で準備中である。固唾を飲んで見守るギャラリーから声が上がる。


「勝手に変更してもらっては困る。フランコ側の私としては承服しかねる」


 ゴイフ補佐官が警備についてではなく、同じ利用者として変更を認めないと割り込んできた。島のことは知らん顔でだ。


「このくらい良いでしょう!」


「そちらが我を通して変更をしたのを、フランコが仕方なく認めてやったと報道して良いなら構わんよ」


 意地悪くそのように受け答えする。


「そんな手には乗らないわ、片付けなさい!」


 正常な判断が出来ているのか疑問があったが、何せこの場を凌ぐことが出来た。


「――背中位は守れるようになった」


 ゴイフがそう呟いて去っていく。誰にも意味はわからなかったが、アサドは島が口の端を小さく吊り上げたのを見て察した。


「少佐、元に戻るぞ」


 本部に下がって推移を見守ることにする、暫くは何も起きずに過ぎ去る。三時をまわりいよいよ最終演説が行われる時間が迫ってきた。演説の順番はくじ引きで行われ、前半は泡沫候補、後半にフランコとカルテスに決まった。


 ――最後になったか。ちょうど夕陽が射し込むあたりの時間帯だろうが、南半球のなのを忘れてはいけない。


「日が傾く頃になる。光源の変化による注意を」


 島が傍らにいるサルミエ中尉に命じる。アヤラ少佐が手配に一息ついたあたりでそれを伝えた。状況が絞り込めるため快く聞き入れ、それによりどのような注意をすべきか年配の曹長と言葉を交わしていた。


 ――俺が暗殺者ならばどうする? 会場が決まっているならあとは時間の特定だが。


 首を動かさず目だけで周囲を確かめる。そんなもので不審者は見付からないが。早速一人目が演説を始めるが、台本を読んでいるような感覚だけが伝わってくる。


 ――演説順番が決まったのだから時間は限定可能だ。ましてや持ち時間は短くない、台に立ってから始めても間に合うだろう。もしもスナイパーが砲撃をしてきたらどうだ? いささか民間人を巻き込みすぎるが、目的を達成は可能だ。それにより外国人テロリストの仕業で対立候補が死傷をし、逮捕してしまえばどうなる。


 仕掛けたのが誰にしても当選した人物は被害者で、国民の情を得るのは明らかだろう。


「中尉、市街地地図とコンパスを」


「スィン」


 信じられないことに演説をしていた候補者が持ち時間を残して終了した。しかも当選は無理だと判断してお疲れ様の挨拶でだ。流石のラ米と解釈するしかない。

 繰り上げて二人目が演説を始めた。サルミエが地図を持って戻ってくる。


「ボス、こちらを」


 現在に赤く丸をして地図を広めに眺める。縮尺を確めコンパスを開き、赤丸に軸を据えて円を描いた。


 定規で十字線を書き足して交わる四ヶ所に注目した。うち三ヶ所は住宅地だが、西側はスタジアムの上で交差している。


「これは?」


「アスンシオンスタジアムです」


 一瞥してサルミエが答える。たまたま妹と観戦に行ったので即答できた。


「今日の予定を確認するんだ」


 すぐに警察指揮官に依頼して関係各所に連絡する。責任者が捕まりスケジュールが明かされた。


「今日は休みで使用の予定はありません」


 大統領最終演説日なので客足も伸びないだろう見込みが理由なのを付け加える。


「ここに警官は居るか?」


 何やら緊急事態があったのだろうかと、現場の警察指揮官がやってきた。


「閣下、何か心配事でも御座いましたか?」


 肩の星を素早く確認し、端的に説明する。


「警視正、アスンシオンスタジアムに砲撃陣地を置かれた可能性がある」


「な、なんですって!」


「ここから真西にあたる、今日はスタジアムに人もいない。警備はどうなっている?」


「居ません。至急近くのパトカーを向かわせます!」


 言うが早いか緊急無線で現場に向かうように命令が出された。


 ――もしそこに奴が居たなら警官に阻止は可能だろうか? 偽装があって見抜けない場合は?


「エーン大尉!」


 近くに居るだろう彼を呼びつける。本部の外で警備を監察していたが、命令を耳にして駆け付ける。


「スィン ドン・ヘネラール」


「大至急アスンシオンスタジアムに向かえ、砲撃陣地が据えられた可能性がある」


「ヴァヤ!」


 手下の半数を引き連れバイクに股がりスタジアムへ急行した。オビエト軍曹が残りの指揮を引き継ぐ。二分もあれば到達する見込みだ。


「警視正、バイクが向かう、道路を空けさせろ」


「はい、閣下」


 交通整理に出ている係にカルロス・アントニオ・ロペス通りを緊急車両が通ると伝えバイクを最優先で通すようにさせる。そうこうしているうちに二人目も演説を切り上げて終わらせてしまう。


 ――なんだと!


 こともあろうに最後だったはずのカルテスが順番を変えて登壇しようとしているではないか。アヤラ少佐の命令で急遽警備が固められる。どうやら現場も変更を聞かされていなかったようだ。


 ――最後の方が有利なはずなのに何故? 余った時間を使って良いからとでも言われたのかも知れんな。それともフランコ側の時間が繰り上がるのを避けた? だとしたら筋が通らんな。狙われたが死傷をしない、そんなところが目的だったら自作自演だぞ。


 何とか背後の操り糸の一本でも手繰れないか思考するが、確定的な情報が少なすぎて纏まらない。


「エーン大尉、スタジアムに到着」


 不意に声が聞こえた。しっかりと無線機を抱えていったらしい。マイクを引き取り島が直接応答する。


「状況を報告するんだ」


「スタジアム周辺に異状なし。鍵を確保してあります。一般警官が八人、本部のが四人ライフル武装です」


「スタジアム内を捜索しろ」


「了解です」


 雑音が混ざり交信が途切れる。市街地で電波が乱れるのが原因だろうか。


 ――演説が始まったか! もし砲撃をされたら即座にモールに避難させねば。混乱で二発目を撃ち込まれてからでは遅くなる。


「軍曹」


「なんでしょうか」


「四人を連れカルテス候補の傍に。もし着弾があれば無理矢理モールに引っ張り避難を」


「はっ!」


 二人一組にして四方にある入口に走らせる。ライフル組も半数を裏手――北側に向かわせた。エーンはライフル手二人と正面入口から階段を登る。

 警官が拳銃を構えて客席の中段あたりにある出入り口から姿を現す。競技場を見下ろしても人影どころかボール一つ転がっていない。


「大尉、西側の客席にシートが」


 指摘された場所には緑のビニールシートがあった。だが距離があって風で揺れているのか人がいるのか解らない。


「あそこに向かうぞ」


 即断し二人と共に速足で近づいて行く。拳銃警官が同じ様にシートに寄る。


「動くな警察だ!」


 蠢くシートに向かい警告を発した。エーンがシートを剥ぐように命じる、それを勢いよく引っ張るとそこには子供が居た。小学生低学年位だろうか。

 驚いて目を丸くしている少年の傍には、がっちり固定してある迫撃砲台と砲弾が四本。その脇に時計があり赤い線が塗られていた。足元にはお菓子の袋が散らばっている。


「何をしているんだ」エーンが脅かせてはいけないと銃を下げさせる。警官を捜索に戻した。


「お菓子をくれるからって。ここで時間になったらそれを筒に入れるように言われた、小遣いもくれるんだ」


「誰がそんなことを?」


「名前は知らない。青い目のおじちゃんだよ」


 ――スナイパーだ! 赤線はフランコの演説時間だな、迫撃砲で混乱させて狙うつもりか!


「エーン大尉、ボス。迫撃砲を発見、砲撃を阻止。自動で砲撃するよう、青い目の男が指示した模様」


 早口にならないように抑えながら無線で報告する。目は周辺を広く捉えているが他には何も無さそうだ。


「俺だ、その場を警官に任せて戻れ」


「ヤ!」


 拳銃警官に証拠の確保と少年の保護を命じる。ライフル手を連れ走ってバイクで来た道を戻る。異変があればスナイパーは失敗を悟るはずだ。そうなっても次はないのだから強行するしかない、時間を守る概念が薄い彼らである、指定した時間にどちらが演説をしているかは全くわからなかった。

 戻るまでの間に警官から追加の報告が行われていた。砲がある椅子の近くに盗聴器が仕込まれていたと。発見は偶然で座った警官がたまたま手に何かが触れたから気付いたらしい。


 会場本部で警視正がその報告を島に伝えた。迫撃砲が実在したことで彼は俄に危険を現実のものとして受け止めた。


「奴は砲撃の失敗を知ったか。ならば黙って時間の経過を待ちはすまい」


 ――問題は誰を狙っているかだ。カルテスならば今が一番の危険に晒されている、フランコならば捜索に時間が使えるが。


 自身の役目が何かを再確認し、演説の中止をさせようと決断する。席をたち足早に軍曹が控えている位置にまで進む、そこにカルテスの側近も居た。


「テロリストが氏を狙っています、今しがた迫撃砲を排除しました。すぐに中止を」


「いやしかし、今が最高潮で中止を一存では」


「スナイパーが撃ってからでは遅い。奴は壇上の人物を狙って――」


 その時、演説していた氏が体を飛び上がらせて尻餅をついた。島は踏み台に足を掛けて一足で飛び上がると数歩でカルテスの傍に来る。体が硬直しているようで自力では動けない。


 ――数秒身を守るだけで良い!


 脇に手を掛けて机の下に氏を引っ張り影に身を隠させる。会場では悲鳴が上がっていた、場所によっては直撃したように見えただろう。


 ――外したか! ビニール越しに狙ったならば高い建物からだ!


「三階以上からの射撃だ! 犯人を逃がすな!」


 盾を構えた警官がやってきて二人をモール側の出入口に誘う。


 ――この様子だとカルテスが指示したわけじゃなさそうだ。机が弾を通さないと知っていて撃ち込んで来なかったか? それとも二発目を狙うほど馬鹿ではないだけか。


 犯人を推測しようとするがやはり情報が揃わない。医者がカルテスと島を診察する。それを見たエーンが慌てて駆け寄る。


「閣下、お怪我を!」


「いや俺は何ともない。間一髪焦りが狙いを外したらしい」


 腕を掠めただけで致命傷はなかったようで、カルテスもようやく正気を取り戻した。


「私が狙われた?」


「間違いで狙撃するとは思えませんからね」


「うむ……」


 大いに納得し理由を考えたがとりとめがない。何せ彼が当選したら首をつらねばならない人物が一山いくらで居るのだから。


「不審な自殺者を発見しました!」


 憲兵が警察情報を吸い上げ島に報告してくる。続報でアーリア系の中年男性だと聞かされる。


「保護している少年に面通しさせろ。狙撃銃を押さえろ、他にも仲間がいるかも知れないぞ。空港は離陸をストップさせるんだ! 市外への道に検問を、列車も止めろ!」色々言葉を発してから「総監閣下に繋げ」事後承諾を得るべきだと考えを巡らせた。


「閣下、イーリヤ准将です」

「何があった」

「スタジアムでテロリストが迫撃砲を会場に向けていたのを阻止しました。カルテス候補が狙撃されましたが命に別状ありません」

「そうか、不幸中の幸いだ」

「空港、駅、道路を封鎖し犯人を捜索する許可を」

 隣に居るだろう首都警察署長と短いやり取りをする。

「許可する。各所の手配はこちらで行う、准将は会場を担当するんだ」

「了解です、閣下」


 ――恐慌を鎮めねば!


 落ち着きを取り戻した彼に「市民の動揺を収めていただけますか?」まだ危険があるかも知れないのを承知で要請する。


「引き受けよう」


 側近らに止められるのを振り切ってまた同じ位置に立つ。彼は強く語りかけた、テロリズムには屈しないと。


 死体を見た少年が、お菓子をくれたおじさんだと確認した。狙撃銃もマンションの一室から見付かった、独り暮らしの老人が住んでいたがボケてしまっていて全くわけがわかっていなかった。


 空港でも不審な人物を捕らえたと報告が寄せられた。厳しく取り調べると、とある男にチケットを渡したら報酬が貰えると言われていたらしい。発券から搭乗手続きまでをして、男が現れないものだから挙動不審だったそうだ。

 最初は自分が使うと言っていたが、旅券を所持していないのに国際線のチケットだったので往生してしまう。


 騒ぎはあったが日曜日に投票は予定通りに行われた。ゴイフの読みが当たり十パーセント以上の差をつけてカルテスが当選した。

 速やかに勝利を宣言し予定閣僚を発表するなどして、手早さをアピールする。意外なことに補佐官にはゴイフが指名されていた、対立候補の懐刀を引き入れることで政府の支持層を拡げるということなのだろうか。


 軍服を脱いでゴイフと酒を酌み交わしている。島は狙撃を許してしまった責任を一身に受けて辞任を即日認められた。誰かがその部分の決着をつけなければならなかったのだ。


「タダ働きさせてしまって悪かった」


 勲章の一つでも申請してやろうと考えていたようだが、まさかこの状態では難しい。何せ大統領夫人がそれを許さない。


「なに、気にすることはないさ。うちの奴等が貴重な経験を積めて喜んでいたからな」


 かくいう島も官権の力を思い知った。場当たり的な命令も数で解決して結果を無理矢理引き寄せるのだから。


「カルテス大統領は実業家だ。エンカルナシオンにも力を入れるだろう」


 工場も政府が強く推進するはずだと繋げる。


 ――最早あの負債は無いわけだから、俺が株を意地悪く握る必要はどこにもない。


「あの会社、政府で買い上げませんか? 経営陣はそのままで」


 私的な内容を逸脱するものだから口調を改める。ゴイフもそれが悪い話ではないことを承知で乗る。


「願ってもないが、それでは君が大損するだけだが」


 金は支払えないし、名誉も与えられない。それでは取引にならないと指摘する。


「株を保持するのではなく、政府が売却先を見付けてとの道行きを」


「外資を呼び込むと同時に差額を利益にするわけか! すると狙いは金ではないのだから、外資の呼び込み先なわけか」


 意中の売り先を教えてくれ、とゴイフがメモをとる。影響力を残して融和させる為には一人勝ちではいけない。


「サウジアラビアのハッサン・ウサマ・アブダビ王子。ニカラグアのクーファン・スレイマン氏。ルワンダ政府。半分はご自由に」


「ニカラグアのは誰?」


「パストラ首相の側近です、自分のパトロンでもありました。あの人なく今のニカラグアも無かった」


 そんな人物が居たとは知らずメモに書き込む。


「ルワンダ政府の窓口は誰を?」


「カガメ大統領に直接。イーリヤからのお礼だと伝えて下さい」


「君というやつは……」


 ゴイフが優しい視線を送る。常に犠牲は島自身で全てを整合させてきたのだ、深い人脈が何故だかいよいよ理解を強めた。


「大統領には強く功績を進言する。夫人が拒否を示そうとも、必ず報いさせてもらう」


 事務をオズワルト中佐に委託してしまい、島らは渦中から遠ざかる。


 あくる日にパラグアイ国家功労勲章としてコマンダドゥールが贈られた。コマンダンテ、司令官勲章とも見れた。制式には規定がないらしく、議会の承認も必要がない中では最高の部類であった。カルテスとゴイフの歩みよりがここに見られた。


 ――友人からのプレゼントだと思って受け取っておこう。




 ド=ラ=クロワ大佐らは順調に実績を積んでいる最中であった。島はモカ港にやってきて報告書に目を通していた。傍らには熱いコーヒーが香り高く存在を示している。

 事務所でも良かったのだが、わざわざ例の喫茶店でくつろいでいた。


「上出来だね」


 マスターが久し振りの顔を見て話し掛けてくる。


「工場の進出が上手くいきましたか?」


 ――そう言えばそんな筋書だったな。


「どうにも治安がね。まあウマル少佐らの活躍で内陸の一部は改善されたみたいだが」


 身内を誉められて笑顔を浮かべる。世界で共通した感覚だろう。その少佐がそろそろ顔を出すと漏らした。

 十分としないで入口から浅黒い肌の男が私服でやってくる。鋭い視線が新参の一団に突き刺さった、が。


「こっ、これはイーリヤ大佐殿」


 滅多に動揺しないウマルを珍しそうにマスターが見詰めている。客席に居るのが大佐というのも初耳であった。だが追求はしない。


「やあウマル少佐、ここの店は最高の味だよ。一杯奢ろうじゃないか」


 座るように椅子を勧める。何となく見覚えがある取り巻きであった。


「大佐殿はニカラグアからまた駐在武官に?」


 たったの一日だけその地位にあったのを思い出す。本当に無茶をしたものだと自嘲した。


「いいやニカラグア軍は除隊したよ。今はパラグアイ軍退役憲兵准将だったことになるか?」


 席の後ろで起立しているアサドに何となく視線を向ける。


「はい、閣下」


 ウマルが信じられないとの表情を滲ませる。また偽装が過ったが、調べても自分が驚くことになるのだろうと今だけを見ることにする。


「その閣下が何故ここに?」


 彼もまた職業病である。理由を問い掛けてから自分がその適切な立場にないことに気付く。


「ソマリア海賊から民間船を守る役目でね。そうしたらイエメンでようやく工場が作れる」


 嘘か真かマスターにも微笑みかける。当然工場については誰も知らない。エーンが耳をピクピクさせて言葉の意味を探る。


「そうでしたか。質問ばかりで申し訳ありません」


 湯気をたてたコーヒーが差し出される。敢えて「こちらの方からです」とマスターが笑いを狙った。客商売の彼に二人が感謝する。


「正味のところ海は苦手でね、だから見に来たって表現が正しかろう」


 万能は居たとしても世に全能は居ない。それこそ神である。神にしたってアッラーは伝え忘れるし、キリストとて絶対の教えではなかったから分派もすれば、新興宗教も現れる。


「それでモカでしたか。閣下は海賊をなくすためにはどうしたら良いとお考えで?」


「少佐はどうしたらと」


 自分の考えを明かす前に所見を述べさせる。答えなど定まってはいない、ただ話の流れからである。


「海賊が割りに合わない行為だと知らしめる必要があります」


 なった者をやめさせるより、これからなりたい奴を減らす方針だと言う。


 ――増加しないだけでもそれはかなりの違いがある。問題はその手法だ。


「して、どのように?」


「徹底的な処罰によって。ただ死ぬよりも苦しいような罰を与えて。罪の重さを民に浸透させるには衝撃がなければ」


 ――過激だがテロリスト相手に生きてきたならそうもなる。地域によって大分対応を変えなければ上手くは行かなそうだ。


 興味深そうに頷きながら話に耳を傾ける。


「海賊になろうとするのを減らす考えには俺も賛成だ。ただしそれだけではなく、海賊以外の選択肢をより魅力的にするなどして、相対的に価値を減らすのも視野に入れたいものだ」


 より社会全体に悪影響と好影響を与える可能性を考慮すべきだと諭す。誰の言葉でもなく島の言葉で語るものだから胸に届く何かもあった。


「同じ結果を目指しても、道は無数に延びていると」


「楽しくなるだろ、まさかと思う経緯が後ろを見るとついてくるんだ」


 ――まるで俺の人生のようにな! 道が途切れた時は死ぬときだろう。


 モカコーヒーを口に含む。酸味と苦味がバランスよく香りが極めて強い。どれでも同じと言われては形無しであるが、嗜好品としてみれば素晴らしい物なのは確かだ。


「まさか、ですか。そうですね……」


 彼もそれを体験させられた側である、何を言いたいのかは少しだが理解できた。


「だが後ろを振り返るのは最後の最後で構わない。人は皆前を向いて生きているんだから」


 ――下ばかりを向いて生きている奴等の顔を前に向ける。目標だ!


 サルミエ中尉の携帯が鳴った。迎えの船が入港したらしい。


「ボス、ウッディー中佐の船が到着しました」


「よし、行くとしようか」


 サルミエが紙幣を置いて清算を済ませる。空港で最初にやるのが現地通貨の調達になっていた。そのうち各地のものを使うよりカードが早いことに気付くが、キャッシュが不要になることはついぞなかった。


 モカ港にお馴染みの中佐が姿を現した。本名を知るものは誰もいない。正確には知っても覚えようとはしない。


「ボスのお越しをお待ちしていました」


「上司はいない方が仕事がはかどるものじゃないのか」


 軽口で返して船に乗り込む。イエメンからマルカへ向かう帰路であるが、最高速度で少し寄り道させた。ヘリよりもこちらを向かわせた方が監視で劣る部分が少ないとの判断である。


「三度目の団体の帰路ですが、タンカーに油以外を積んでいましてね」


 足が遅いのですぐに追い付くらしい。空荷で動く輸送船など考えられないが、縦割りの軍隊には昔あったそうだ。特に戦時には信じられない命令が平気で出されるものなのだ。


「油でなくてもタンカーに一律保険料を課すので困っていたようです」


 船体を見て被害に遭うわけだから保険会社の言い分ももっともである。だが利益がなくて費用だけともいかない。そこで船団保険を格安でなど聞かされたら無視する方が不思議だ。


「業界で口コミがあれば元はとれるさ。そこは大目に見てやろう」


 何を積んでいるかは聞かないが、空荷よりは少しでもと努力したようなものだろうと考える。個人的な荷物すらついでに引き受けていても驚きは少ない。バラストを積み降ろしするより遥かに経済的行為なのは確かだ。


「半日で合流します。その後は三日でマルカ港に入港です」


 一日余計に掛かるのはタンカーが遅いからだ。多くの船乗りにとってそれは苦にならないことらしい、船足が遅い側に合わせるのは当たり前なのだ。大人が子供の目線に合わせるように。


「と、言うことだ。船上だが休暇を与えることにしよう」


 三人の側近にそう宣言する。完全に味方の領域ではあったが、船員の反乱を含めてエーンは意識の幾分かを必ず割くつもりで了解した。それはアサドも同じであった。


 島は操舵室に入り景色を眺めることにした。何ら変わらない風景の中で、たまにぽつりぽつりと船とすれ違う。といっても視認出来るのではなくレーダーで掠める程度だ。


 ――俺が次にやるべきことは何だ? ロマノフスキーらの訓練でも見に行くか。あのあたりの海賊を能動的に攻撃させるための下地を作らねばな。フィリピン海域なら良いが、やはりベトナム海域では逃げられてしまうか。


 目を瞑り椅子に座っていると波のうねりが感じられた。そのうち不規則な揺れが気持ちよくなりうとうとしてしまった。


「ボス、どうぞお部屋に」


 一等航海士が声を掛けてきた、一瞬どうしたかわからなかったが「ああ」と生返事をして状況を思い出す。

 疲れが溜まっていたのだろうか、こんな目覚めは殆んど無かった。部屋に入るとしっかりとベッドメイクされていたところへダイヴする。


 ――少し息苦しいな? 鬼の霍乱か。風邪だとしたら小学生以来だぞ。


 体力にだけは自信があった、怪我も病気も全然記憶にない。それだけに掛かるときには大事と決まっていた。


「むっ」


 起き上がると背中に軋むような違和感があった。心なしか吐き気もする。


 ――変な体勢で寝てしまい船酔いでも併発したか?


 鏡で顔を見てみる、特に異常は無い。いつもならば少し走ってビールを飲めば体が目覚めるのだが、流石に船にいてはそうもいかない。

 筋肉を使ってトレーニングをしようと色々やってはみるが今一力がみなぎってこなかった。諦めて食堂へ足を運ぶ。


「ボス、お早うございます」


「おう」


 ――居眠りではなく丸々寝過ごしたか。こいつは由々しき事態だぞ!


 体の変調に時間感覚まで喪失しているとは、疲れただけでは済まされない何かを感じとる。

 簡単なものを軽く胃袋に収めて医務室へ向かう。途中ルワンダの下士官とすれ違うが、怪訝な視線を向けられただけであった。軍服ではなかったからだろう、何者かわからなかったのだ。


「済まん、ちょっといいかな」


 ノックをして医務室へ入る。やけにポケットが沢山ついた白い服を着た医師がどうぞと招く。


「初顔ですな、ゆっくりしていきなさい」


 一般医師から船医になったようで、動きに素早さは見られない。物腰柔らかといえばそんなものだろう。


「熱に吐き気、背中の痛みに虚脱感が」


「先ずは目を見せて、口も」服をまくる仕草をして「心音を……ふむ」


 表情を読もうとしても全くわからない、そこは医者特有のポーカーフェイスである。


「風邪の諸症状といえばそうですが、健康体の働き盛りが駆け込むのだから他の疑いをすべきでしょうな。君はずる休みするような人物には見えないから」


 苦笑いで検査を依頼する。当然医務室にそんなご大層なものがあるわけではないので、上陸してからの精密検査とビタミン注射を処方された。


「気が緩んだら熱が出たようなものでしょうか」


「それもあるだろうが、少しは体を労りなさい。酷使したり休まらない生活は寿命を削るよ」


 ――耳が痛いね。永らく生き続けたいのよりも、役に立たなくなるのを先伸ばしにしたいあたりか。


「有り難く注意をいただきます」


「素直が一番だが、相手を選んで病気がやってくるわけじゃないからな」


 こういった人物は必要である。人対人として付き合うような。

 アラートが響き渡る、放送が流れた。「第二種警戒態勢発令、自室待機を命じる」それが二度繰り返された。


「君は自室で休んでいなさい、私が勤務不能だと署名しておく」


「それがそうも行かないものでして」


 規則正しい歩幅の足音が聞こえてくる、手早くノックをしてから扉が開き、黒人が敬礼する。


「閣下、司令室へお越しを」


 無言で医者と視線を合わせて微笑を浮かべる。ありがとうございます、そう残して医務室から出ていった。


「海賊船でも大挙して現れたか」


 そんなわけあるまいと自ら打ち消すも、にこりともせずに「はい」と答えられ目眩を覚える。


「海賊組合でもあって俺を困らせようとしているのか?」


「アッラーの思し召しでもあったのでしょう」


 したり顔で切り返す。


「そいつは参ったな」


 切れがない返答をして司令室へ入る。ウッディー中佐が副官と打ち合わせをしていた。


「閣下、警備司令官から通報を受けました。ソマリアから多数の船舶が船団に向かってきています」


 そんなものが品行方正な民間船なわけもない。


「司令官の命令は」


 全て間を省略してド=ラ=クロワ大佐の考えから裏読みしようとする。


「高速艇による識別、全艦での迎撃を見越しております」


「確定待ちか。司令船に繋いでくれ」


 連絡がきているのだから交信は可能だろう。アンテナが高い場所にあるのは伊達ではないのだ。


「ド=ラ=クロワ大佐、イーリヤだ」


「ボス、一つ山場を迎えております。百近い数が一直線に船団に近付いてきてます」


 少なくとも百キロの彼方からやってきて辿り着くだけの性能は持っているだろう。それが百隻にもなれば少数の護衛だけで漏らさずとは行かない。


「ケニアの連絡員に航空支援を要請させるんだ」


 こんな時の為に事前にサイトティ大臣に話をしてある。周囲に軍艦が居たら報告をするだろうから、近くの海域には海上警備行動をとっている国は無い。


「そうさせます。巻き込んでしまい申し訳ありません」


「ド=ラ=クロワ大佐、これは俺の仕事でもある。軽く蹴散らしてマルカで祝杯を上げようじゃないか」


「はい、ボス」


 交信を切ると大きな波があり足元がふらついた。倒れそうになるところ、エーンが島を支えた。


「接触まで二時間はあるはずです、お休みになって下さい」


 ウッディー中佐が様子がおかしいのを見抜く。大丈夫だ、島が口を開く前にエーンが肩の手に力を入れて「閣下、こちらへ」機先を制して連れていく。この呼吸は彼にしか解らないタイミングだろう。


「済まん、部屋で休んでいる」


 諦めて自室へ戻ることにする。手を借りて歩かねばふらつくなど、居ても足手まといになるのは目に見えている。


「警備司令官に全てお任せ下さい」


 ――口出しはケニアの件だけで止めておくか。大佐もやりづらいだろう。


「わかった。少し横になる」


 扉を開けたままに固定して、エーンは廊下に椅子を持っていき座る。船体が歪むほどの打撃で扉が開かなくなった、そんな話を聞いたことがあったらだ。

 過剰なまでの配慮がいかに大変な行為か、パラグアイで身をもって体験した島は小言を止めた。大尉に任せておけば間違いないと。自身でも熱っぽいのが解る、本格的に発症してきた。


 何かが爆発する音で目が覚めた。船は未だに航行の最中である。


「エーン、何か大きな音が聞こえたが?」


「現在海賊と交戦中です。ご心配なく」


「何だって! 何故起こさなかった!」


 急いで起きようとして体勢が崩れる、思うように力が入らない。寝汗でびっしょりになってしまっていた。


「閣下はご病気です、お休み下さい」


 ――俺はこの一大事にベッドから出ることすらかなわんのか!


 息切れをして熱が高い。人前に出ても心配させるだけだろう。


「上手く推移しているか?」


「ケニア空軍による海上攻撃で半数が沈没、迎撃防戦によりかなりが爆発炎上しております」


「民間船は」


「一部が戦闘中、護衛兵が奮戦しております」


 ――討ち漏らしたか! 一隻でも沈められたらこちらの敗けだ。


 窓の小さな枠からたまたま空を飛んでいるものが見えた。艦載ヘリとは柄が違う。


「空軍のチョッパー?」


「あれは民間放送局です、どこからか知ったのでしょう」


 ――きな臭いぞ、こうも上手いことやってこられるものか?


「どこの局だ」


「調べます」


 アサドの声が聞こえた、一緒に張り付いているらしい。この頃サルミエは司令室で戦況を確認している。


 ――こちらの虐殺だと報じられては面倒だ、公式な報告書をまとめられるように手配をせねば。


 しかし考えがまとまらずどのようにすべきか言葉がでない。アサドが戻ってきて、ヘリの正体がラジオ・モガディッシュだと伝えた。


 ――よくない風向きだ、あそこは俺に悪感情があるはずだ。


「どうぞ気にせずにお休み下さい。まずは体調を整えてからです」


 様々な反論はあったがこの体たらくでは確かにいかんともし難い。仕方なく目を瞑る。どのくらい時間が流れたか、気付くとヘリの音がやけに近くに聞こえてくる。


「閣下、マルカに移ります」


「入港したのか?」


「いえヘリで一足先に」


 戦いの音は聞こえてこないので上手く乗りきったのだろう。甲板にヘリが着陸している、パイロットはモネ大尉だ。サルミエらがぎゅうぎゅうになり乗り込む。変な浮揚感で吐き気が強くなり戻してしまう。何だか少し黒いものを吐瀉する。


 規制があり自由区域で着陸しなければならなかった。そこから救急車にあたるヴァンで中央病院に搬送される。


 ――そんなに大事だったか? 赤っ恥じゃあるまいな。


 力が入らない体を無理に動かそうとせずに状況把握にのみ努める。サルミエが承認を求めてきた。


「ラジオ・ミドルアフリカ、BBCに先の襲撃の放送を依頼しました。海賊相手に民間軍事会社が応戦したと」


 ――イギリス船籍だからな、BBCも悪くは言うまい。応戦した部分を強調したんだ、理解しているんだな。


「わかった。ケニアには迷惑を掛けるな」


「連絡員が判断して要請したことにしてあります」


「そうか」


 ――サルミエ中尉はよくやってくれた、それで良い。かなり考えが遠くを見るようになってきたな。


 若者の成長を喜ぶ。萎縮して後手を踏むでなく、まず行動する部分を高く評価した。島の教育態度が好影響をもたらしたのだとしたら、それほど嬉しいことはない。

 車が病院に到着する。担架をまるごとキャスターに載せて治療室へ担ぎ込まれる。診断の結果、黄熱病と明言された。


 予防接種をしてはいたが運悪く発症してしまったらしい。だが致死率が高い病気としては稀で、患者の様子から死に至る可能性は限り無く低いと言われた。だからと安心せずにヨーロッパから医者を招く手配をするなど、エーンは手を尽くした。

 一方でサルミエもド=ラ=クロワ大佐らが不利にならないように、関係各所に根回しをする。


 一晩たつとニュースで大量殺人だと報じられ、マルカで船団が拘置されていると発表があった。マルカの自治体ではなく、ソマリア連邦政府がそう発したのだ。

 明らかな協定違反でシャティガドゥド委員長が正式に抗議を行った。ソマリア内とその他の世界で判断が真っ二つになったようで、病院にもソマリア正規軍がやってきて島らを拘束すると言ってきた。


「閣下」


「従おう、政府が海賊を擁護することはあるまいからな」


 まだ回復していないのでエーンが肩を貸して立ち上がらせる。


「イーリヤ退役准将には、大量殺人を指示した容疑が掛かっている」


 因果を含められた憲兵大尉が犯罪者を見るような目で理由を明かす。


「そうか。行き先は」


「モガディシオ」


 それだけ答えると全員拘束しトラックに乗るように命じた。どうやら延々と陸路旅をするつもりのようだ。


「我々は将校に相応しい待遇を要求する」


 エーンが病気を悪化させてはまずいと空路移動を要求した。憲兵大尉は嫌な顔をするが、費用を自己負担とするならば応じると回答した。当然即答して大型ヘリを呼び寄せた。


「これならば下手な場所に着陸させられません」


「警戒はして然るべきだな」


 待っている間に医薬品を集めると称してサルミエが暫し姿を消す。憲兵大尉が注意をするが、マルカ警備隊が駆け付けて、進駐の抗議を受けてしまいそれどころではなくなってしまう。

 なるとわかっていたが、抗議を結局は無視されてヘリに押し込まれる。


「政治的なパフォーマンスなら交渉次第か」


 かなりの大声で話しても隣しか聞こえない。密談の言葉にはそぐわない風景だが、これ以上なく秘匿されているのも確かだ。


「ジョンソン少将に一報を入れてあります。それとドメシス少将にも」


 ――ドメシス少将? ああ、あの駐留軍のか。


 誰だか浮かばなかったが、現地で即座に兵士を握っている人物が彼しか浮かばなかったようだ。島にしても同じだが。

 途中海上を飛行して首都に入る。陸を行けばブラヴァに近寄った時に撃墜の恐れがあったからである。


「閣下」


 エーンが手を貸してヘリを降りる。うるさいからとエンジンを切るように命令があった。空港を指定してヘリポートにやってきている。規制はなく出入りは自由だ。

 ソマリ人の弁護士を名乗る男が同行を申し出てきた、依頼人はアメリカ軍だ。ジョンソン少将が手近なところで連絡員を用意したらしい。


 拒否をされそうになるが大使を通じて抗議をするようにやり込められると、自身の守備範囲を越えたのか黙ってしまう。


「イーリヤ准将閣下でいらっしゃいますね」


 弁護士がやってくる。


「そうだ」


「弁護士のシャリンです。アメリカ軍の依頼で准将の味方を致します。一つ伝言が、任せておけ、だそうです」


 ――訴訟の場でアメリカに勝てる者は少ないだろうな。元より暴れるつもりはない。


「お言葉に甘えて任せよう。頼むよシャリン」


 何の施設か解らない場所に連れていかれる。ソマリ語を逐一通訳してくれたので、島らはとても助かった。どうやら留置場の類いにやってきたようだ。


「我々は逃げることなくここに来た。薄汚い留置場ではなく、ホテルを用意するんだ」


 ここでも大尉が要求する。上官に相談すると引き下がろうとする兵士に「アルシャバブの襲撃を引き起こす可能性がある」と告げた。すると巻き添えは御免だと別の場所を探すと回答が得られた。


「軍の駐屯地に行け」


 丸投げに丸投げを重ねた結果、国内で一番の安全地帯である多国籍軍が点在する駐屯地に護送された。自国軍が被害にあってはたまらないようだ。こうなればしめたもので、ケニアでの会議で顔を会わせた代表らが軟禁場所にちらほら挨拶にやってくる。

 そのうちドメシス少将の代理を名乗る大佐が顔を出したが、仮の宿舎がやけに賑やかな贈り物で溢れていることに驚く。


「少将閣下より便宜を計るよう命じられております」


「ありがとう大佐。配慮に感謝する。見ての通り医者を含めても数人の所帯だ、警備に手を貸して貰えないだろうか」


 ただでとは言わない。前にやったように小切手に数字を入れてサインする。


「少将閣下へ渡してくれ。将校クラブと酒保への寄付だよ」


「こっ、こっ、こんなに! お任せ下さい閣下、万全の警備態勢で臨みます!」


 ようやく少将が大佐を派遣した意味が解り、彼を頂点に臨時で駐屯が始まった。名目も何も関係ない、そこにすると決めたらそれが始まりなのだ。


 ――サルミエの手柄だな。楽をさせてもらう。


 翌日調査委員がやってきて島を連れ出そうとすると、大佐が「我が軍の駐屯地の通過を認めない」とそれを引き留めてしまう。困った調査委員が仕方なく輪の中で取り調べをすることにした。


「イーリヤ准将は船団の護衛に民間人の虐殺を命じた容疑がある、認めるかね」

「その事実はない」

「ではどのような事実ならあるんだね」

「民間船団の警備をしているところで海賊が襲ってきたので応戦しただけだが」

「海賊は居ない。そこに居たのはソマリアの民間人だ」

「ソマリアでは民間人が武器を構えてわざわざ海上遥か沖合いまでクルージングをしに行くのか」


 民間人か海賊かは見解の相違だとして平行線を辿った。


「何者かと戦ったのは確かだ。准将が殺害の命令を出したのだろう」

「船団の責任者は私だ。自衛を命じたのは事実だが、向かってこなければ何も起きない」

「戦えと命じたならば同じだ。死人が出るとわかっているんだからな」

「R4社は船団に責任がある。国際海事法を遵守し、依頼人を保護する為にはあらゆる手段をいとわない」

「それが犯罪者の考えなのを理解しているか?」

「自治区に無断で踏みいったり、自由港で難癖つけて船を拘留するのはどう説明するやら」

「連邦政府による権限範囲内だ」

「権限範囲だ? だったらブラヴァの市庁舎に、さっさと政府の指示に従うように努力してはどうだ?」

「それとこれとは話が違う。罪を認めぬならば強制的に裁判にかけるが」


 裁判と聞いて弁護士が割り込む。


「弁護士のシャリンです。案件が発生した場所は公海上ですので、国際法を適用します。また裁判は原告と被告の合意で行われるものです」


「ここはソマリアだ、ソマリア法を適用する」


「ソマリア連邦は国際法批准に署名しています。国際法は国内法を超越するのであなたの主張は無効になります」


「そちらが何と言おうとも関係ない、我々には我々のルールがある!」


 そう捨て台詞を吐いて一行が去っていった。彼等にも引き下がれない理由があるのだろう。


「閣下、ここは危険です」


「解っている、だが勝手に居なくなってはあちこちに迷惑をかけてしまう」


 ――任せろと言うんだ、任せようじゃないか。軍が暴発したら仕方ない、その時は逃げ出そう。


「準備だけはしておきます」


 心中を知ってか知らずかそう言ってエーン大尉が大佐に相談する。近々何等かの演習をするために車やヘリが必要にならないか、と。急遽演習計画が実行される運びとなり、島を大いに苦笑させた。


 ――こいつらときたら最近は遠慮が無くなってきたな。ま、悪いとは思わんがね。


 準備万端整えて待っていると、意外なテレビニュースが流れた。どうしてそうなったか、自分以外の多くの者達が望んだからとしか言いようがない。小さく溜め息をつく。


 テレビ画面ではド=ラ=クロワ大佐がBBCのインタヴューを受けているのが放送されていた。


「それでは一連の責任者は?」

「船団の警備司令官は私だ。誰が責任者かはっきりしているだろう」

「ですが当時、警備担当重役が乗船していたとか」

「君、馬鹿なことを言ってはいけない。海のことが全くわからない重役になど、私が従うものか。部下も全て私の命令以外はきかんよ」

「ですが会社組織として責任はあるのでは?」

「あんな若僧に何を望んでいるかは知らないが、精々司令官に私を選んだ任命責任位だろう」

「ではあの事件の最大の責任者はあなただと?」

「依頼者は守られ、職務を果たし、責任者が責任を取る。何か問題でも?」

「相手が海賊だったか、それが争点となりますが」

「英国は海賊行為を許しはしない。もしあれが海賊ではないというならば、我々は何に襲われたのか納得いく説明を要求するよ」


 海上に漂流する様々な破片が画面に映し出される。中にはモザイクが掛けられた海賊の死体もあった。銃弾を肩から巻いている姿を世論がどう受け止めるか、明らかであろう。


 ――俺は大佐をスケープゴートに使ってしまったわけか。たまらんな。あれほどまでに真っ直ぐ生きてきた彼が罪を引き受けるのがどれだけ辛いことか。


 翌朝下級の官吏がやってきて、「お前らは自由だ」それだけ伝えて消えていった。あっさりと外圧に屈したようで、直ぐ様あれは海賊だったと声明を出しまでした。

 エーンの仕切りでそそくさとモガディッシュから立ち去る。何はともあれソマリアから離れて対岸のイエメンに移った。その頃には体調も回復してようやくまともに動けるようにもなってきた。


「あれだな、俺の人生はイベント盛り沢山で出来ているんだな」


 良かれ悪かれ何かが立て続けに起きるのだ、ここまできたら次はどうなると、平穏を祈るよりは身構えてしまう。


「閣下はご存じない? 戦士に休息など訪れないことを」


「なんだそういうことだったのか。ではそのルールを受け入れるしかないな、言っておくがお前達全員だぞ」


 三人がそれぞれ仕方ないとの態度をとる。好きでやっているのだ、今さら誰も後悔などしない。


「ボス、次の行き先ですが――」















「で、レティアは一体どこで何をしているんだ?」


 ロンドンでR4の取締役会議を済ませて、いよいよ行方不明な妻に詰問した。別に悪くも何ともないのだが、そろそろ知っておいても良いだろうと。


「お、お前こそ何をしてるんだ」


「質問に質問で返しちゃいかんぞ。今はロンドンで新妻の近況を探っているよ」


 黄熱病に掛かって死にそうなところで海賊に襲われ、ソマリアに捕まっていたと続けた。


「何をしているんだ、お前は!」


 ニュアンスが違うだけで同じ様な台詞が受話器越しに耳に突き刺さる。


 ――何と言われてもな、そうなったんだよ。


「で、そっちは?」


「そう言えばパラグアイはどうなったんだ?」


 一つ溜め息を吐いて妻を叱る。


「話を逸らすな。何か言いづらいことがあったのか」


「ん、ああ、そうだな。あたしにとっては良いことなんだが、お前がどうなのか……」


「はっきりしろ、いつものレティアの口癖だろ。即答出来ないような奴はダメだ! ってな」


 それでも電話先でごにょごにょと唸っている。


「あれだ、今はスイスに居る」


 ――スイス? 意外だなあんな山奥に何故?


「そうか、何もない田舎で好きじゃないって言ってたよな?」


「ここは水も空気も治安もいいからな」


「はぁ」


 ギャングスターの親玉がどうしてしまったのか、気が抜けた声を出してしまう。今はエーンらも席を外しているので注目されることもない。


「赤子には良い環境だ」


「赤子?」


「お前の子だ! その……なんだ、何か言葉はないのか?」


「おめでとう! いや、なんか違うな、そのありがとう? そうでもない、よくやった!」


 想定外も甚だしい言葉に動揺する。未知の魔物の正体がようやくわかった。ついでに王配と呼ばれた意図もだ。


「お前も嬉しいか?」


「当たり前だろ! 何故隠していたんだ」


「いや、その、あれだ。子供が嫌いかなとか……というかお前は気付け! 孕ませておいてわからんとかどうなんだ!」


 ――そいつについては面目ない、俺に言い分は全くないな。


「済まん、気付いてやれずに。俺が悪かった許してくれ」


「べっ、別に嬉しいって言うなら謝ることもないぞ」


「うむ。スイスのどこにいるんだ、ジュネーヴか?」


 文字通りに飛んでいくつもりで場所を尋ねる。


「ベルンだ」


「わかった、これから向かう!」


 時計を見る、これからすぐに便に飛び乗れば夜中には到着するはずだと時差を計算する。荷物をまとめてサルミエなりを呼ぶ。


「ボス、何かご用で?」


 アサドが近くに居たので駆け付けた。少し違った雰囲気に行動を悟る。


「スイスに飛ぶぞ。ベルン行きの便をとるんだ」


「了解です。すぐに手配致します」


 山奥で何が起きたかの推察は後回しにし、直ぐ様空港へ問い合わせる。席はバラバラだが四人分のチケットが予約できて、ひとますほっとする。

 タクシーの中で簡単に事情を説明し「レティアのところへ向かう」緊急事態の内容を明かす。


「おめでとうございます。何か手土産はよろしいので?」


 エーンの言葉で顔を直視する。全く頭に無かったのだが、空港で買っていくと返答する。そのやり取りがおかしく、タクシーは笑い声で包まれた。


 空が暗くなり到着した空港で辺りを見回す。スーツ姿の出迎えが居た。


「コンソルテ、お待ちしておりました」


「ゴメス、ご苦労だ。すぐに向かってくれ」


 つかつかと車に行ってしまう島を見てポカンとしているが、エーンが「パラグアイでは、こうなるとは思わなかったな」感想を述べる。

 酒場で二三短い言葉を交わしただけだが、当時の奇妙な感覚が呼び起こされた。


「喜ばしいことだ。色々あったがな」


 苦労をぽつりと漏らすゴメスの肩を軽く叩き、笑みを向けて頷いてやる。お互い大変なものだと。

 山荘との呼び名がしっくり来るような場所にやって来る。ぱっと見はそうでもないが、警備は厳しく行われている様子が窺えてくる。何せあちこちにカメラやマイクが設置されているのだ。


「省力化をしないとうるさいと怒られちまうからな」


 助手席にしか聞こえないような小声でゴメスが呟く。適切な配備を誉めて、植木による囲いも有効だと意見を投げ掛けた。物騒だったのは緑の有刺鉄線を中に這わせるとの部分で、随分と気に入ったみたいで近いうちに用意すると話が纏まったようだ。


「レティア!」


 声を上げて喜び勇んで家に入るが、あっさりと出鼻を挫かれる。赤子を抱いていた彼女に睨まれてしまったのだ。


「今寝たばかりだ、大きな声を出すな!」


「す、すまん」


 将軍形無しの情けない顔で平謝りする。随員は気をきかせて隣の部屋でビールでも飲むことにしたようで姿を見せない。


「名前は?」


 少し色が薄い褐色で、日に焼けた日本人で通りそうな面持ちをしている。髪は母親に似て波うっていた。といっても赤子は大抵そうだが。


「ロサ=マリア」


「娘だったのか!」


「見たら解るだろ馬鹿かお前は!」


「すまん」


 謝るのが何度目になったのか、自身の娘の顔を覗き込む。きっと母に似て美人になるだろうと思いを馳せる。


「ロサ=マリア・レヴァンティン・島だ。日本国籍を取らせてやりたい」


 片方の親が日本人ならば産まれた場所を問わずに、血統で国籍を求めることはできたはずだが、出産からの日数にも制限があったような気もした。


「そうか、そうしよう」


 寝息をたてる娘を飽きもせずに見つめ続ける、ただの親が二人そこにいるだけであった。


 ベビーベッドにロサ=マリアをそっと置いて布団をかけてやる。無意識に握っていた物に気付いて、島が手土産を渡そうとした。


 ――ただでさえ大きいのに母乳のせいで胸が爆発しそうだな。


「アルコールはよくないんだ」


 酒瓶を見てまさかの言葉が返ってきた、想定外も良いところである。


「そ、そうか。すまん」


「そんなに謝るな、気持ちはありがたく貰っとくさ」


 ようやく笑みを見せた。悪気がないのを解っているので尚更だった。


「なんだか久し振りだな」


 ルワンダで別れてから何ヵ月だったか計算する。確かに出産するには充分な時間があったなと納得した。


「あたしは一日を短く感じていたよ。平凡な幸せをね」


 ――レティアにはそれが無かったからな。浸らせてやりたい、幸せに。


「俺の方は大体一息ついたところだ。暫く一緒に居るよ」


 ロマノフスキーはわざわざ指示を出しに行かずとも上手いことやるだろう。島は次の予定をキャンセル可能だと判断した。


「嬉しい、あたしでもこんな気持ちになれるものなんだな」


「なれるさ何時でもな。これからはずっと」


 そっと肩を抱き寄せて現実であることを強調する。血と硝煙の臭いが渦巻く戦場があれば、優しさと暖かさが溢れる家庭もあるのだと。


 ――俺も争いを忘れられる場所が欲しかったのかも知れんな。


 満たされる何かを感じてつい微笑んでしまう。きっと今この瞬間は、世界中の誰よりも幸福だと言えるほどに。


「なあロサ=マリアが立つようになったら、海が見える場所に移らないか」


 地中海沿いのより穏やかな場所のどこかに、そう誘ってみる。山の奥に住んでいるよりも彩りがある人生を送れそうだと彼女も同意した。


「泳ぐのは御免だが眺めるのは嫌いじゃない。ゆっくり探そう」


「そうだ焦ることはない、色々訪れてみて気いった場所に住もう」


 平穏とは程遠い二人であったが、絵にかいたような平和な時間を過ごした。元来こんな時は長くは続かないものだが、意外と何事もなく季節が巡った。

 長期休暇といえばそうだったのか、そろそろ働かねばと感じたところでサルミエ中尉が姿を現した。


「ボス、こちらをご覧ください」


 説明もなしでノートパソコンを開いて動画を再生した。ロサ=マリアを抱いたままレティシアも一緒に島と画面を覗き込んだ。


「私はクーデターにより国を追放されていたが、正統な大統領である。現時点を以てオヤングレン政権を賊軍と見なし、これに従う者を徹底的に排除する!」


 緊急ニュース速報を記録したもののようで、キャスターが驚きながら原稿を読み上げている。


「ただ今入った情報によりますと、中米ニカラグア共和国に於いて内戦が始まった模様です。前大統領のオルテガ氏がサンディニスタ民族解放戦線党を従え、首都マナグアの宮殿で政権奪取を宣言いたしました。オヤングレン大統領は現在行方不明で、政府からの公式声明も出されておりません。軍の多くもオルテガ氏を支持したようで、国際空港や各公館を占拠しているようです。続報が入り次第詳しくお伝え致します」


 信じられないような物を目にした顔で島が口を開く。


「何てことだ、折角国が上向いてきていたのに!」


 日付は不明だが極めて最近のことなのは想像出来る。


「パストラ首相らとも一切連絡が取れません。全てが規制されてしまっているようでして」


 物理的な規制が行われた部分と電子的な部分とがあるだろうが、湾内に居る艦艇から転送されただろう放送以外は稀に漏れてくる程度らしい。


 ――どうにかして連絡をつけなければ! マナグアを追い落とされて何処に行くだろうか。国外に出てしまえばオルテガの思うつぼだ、現政権の支持が厚い地域だろう。パストラ首相が居た南部はコスタリカの支援もあって拠点になるか。


「在外公館との連絡を確保しておけ、引き続き首相らとの接触を試みるんだ」


「スィン」


 ――ここに居ては状況が見えない!


 目の色を変えてあれこれぶつぶつ漏らす島を見てレティシアが背を押した。


「行きたいんだろ、いけよ」


「ん、いや、しかし……」


「ふん。お前が黙って座ってられないことは解ってんだ、悶々としてられたらこっちが迷惑だ!」


 言葉こそきついが顔は笑っていた。まさにその通りであり返す言葉も無い。


 ――座して結果を待つような真似はしないさ。


「すまんレティア、必ず戻る」


「ったり前だ、ロサ=マリアを父親知らずにするんじゃないよ!」


「ああそんなことはない、約束する」


 レティシアに口付けをし、次いでロサ=マリアにもそうする。


「サルミエ中尉、ホンジュラスへ飛ぶぞ。チョルテカに本部を設置する、召集を掛けろ!」


「はっ、してどの範囲に召集を?」


「クァトロだ!」


「スィン ドン・ヘネラール!」

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