第十一部 第六十二章 アスンシオン、第六十三章 エンカルナシオン・カルテル、第六十四章 戦士達の帰郷
一部の者を除外し、クァトロの所属は全員が除隊してしまった。これだけを見ても、いかに島が軍閥を形成しているかがありありとわかる。解散に際して国からは名誉と地位を、島からは報酬を与えられ、それぞれ思う処へと散っていった。
残ったのはいつものメンバーである。それとて一言行き先を告げるためだけにだが。
「閣下、自分はプレトリアス郷に戻り待機しております。何時でもお呼びください」
真面目な顔でそう述べる。それを拒否することはもう無かった。
「真夜中に電話がなっても勘弁してやってくれ、大尉」
南米と中東では時差がかなりあるだろうと苦笑いする。
「それではお先に失礼します」
レバノンへ帰国する者を纏めてゲートを潜っていった。最近の作戦では、エーン大尉の用意する人材を主力にしているのを強く感じた。
「ヨーロッパで少しばかり遊んできます。両親がたまに顔を見せろと言うものでして」
マリーが年相応の表情を見せた。どれだけの激戦を潜り抜けようとも、まだ二十代の若者なのだ。同じ年頃の島は、ソルボンヌ通いだったものだ。
「自分も十数年以来に家族に会ってきます。死んだことになっているので、こっそりと」
忌避していたウズベキスタンの国境を越えるように、中佐の背中を後押ししたのは島だった。自分が会いに行ってお礼を述べるために、まずはロマノフスキーが所在確認なりをしておくように、と。理由などどうでも良かった。彼の幸せを取り戻してやりたかっただけだ。
「他人のことは言えないが、たまに平和に暮らしてこい」
すっと右手を差し出し、二人と握手を交わす。直行便があるわけではないので、それぞれが中継地に向けて同道する。
「行きましたな。軍人などというのは、この再会の為にやっているようなものでしょう」
新たに大佐の階級章をつけたグロックだが、やはり大佐と言われれば大佐に見える。風格は昔から全く変わらない。
「そう言うお前はどうなんだ。開校までフランスには行かないのか」
マナグアに新設される新人学校、名称がクァトロ・エスコーラになったものだから笑い事ではない。初代校長がニカラグア産まれではないのも、一部から反発があった。
「多忙になりそうなので控えます」
――連絡のやり取りくらいはしてるだろう。俺がとやかく言う必要はない。
「思うようにやってくれ、鬼軍曹殿。じゃあ行くかレティア」
隣に居る彼女に声を掛ける。いつしかお馴染みの光景になっていた。
「ふん、しっかり働きな、あんたには遊びが似合わないからね」
今や階級が逆転してはいるが、そんなことはお構い無しである。元からそうだとも言うが。
「俺の趣味はヒヨコの選別だ。これからも楽しくやるさ」
――将来に期待をしているのがありありとわかるな。
「オズワルト中佐にも伝えとくよ。ヒヨコの出荷先に指定されてるとね」
各種の道行きを定めるために、一つの選択肢だとしておく。
「何かをおっぱじめれば、閣下のところも例外ではありませんな」
「俺は争いが好きじゃないんだがね。頭の片隅にでも引っ掛けとくよ」
グロックが敬礼したため、島もそれを返した。古くさい旅客機目指して通路を進む。その先に何が待ち構えているのか、散々地獄を見てきた彼に、不安が浮かんでくることはなかった。
ハイチ行きは激しい抵抗にあい、お流れになってしまった。別に何処でも構いはしなかったが、パラグアイを覗きに行くことになる。
――あれから大分経った気がするが、たかが二年そこそこでしかないのか。
パラグアイにと赴任する切っ掛け、源流を手繰ればニムの死が思い出される。スラヤのそれからは何年になっただろうと目を閉じる。
「何か不愉快な気がするね。お前はすぐ昔を振り返ろうとする癖がある」
何一つ口には出していないのに、心中の批判をいとも容易くしてくるではないか。
「楽しい未来か、何かお勧めが?」
素直に降伏して、これからを任せてしまう。誰かに従うのは楽なものだ。
「飲んで喰って抱く、異論はあるかい」
「無いね」
複雑に考えるなと、有り難いお説教をいただいてしまう。
「これからは考えをごり押し出来る背景を作るんだね」
――ジョンソン少将がソマリアを離れたら、次はどこになるかだな。
「人、物、金、土地だな。政治家にでもなるつもりかと言われそうだ」
地盤、看板、鞄に酷似している。
「そんなものはなりたい奴にやらせておけばいい。いいかい、力の源はいつだって金と人だ」
島があげた内容のうちから、バッサリと半分切り捨てる。確かにこの二種類、代替には出来るが逆にするのは難しい。
「歴史が証明してくれているな。集めるのは大変だが、喪うときは一瞬だ」
一夜にして全てが消えてなくなったことが多々ある。これまた歴史が幾つも詳細を刻んでいた。
「そう一瞬だ。だけどお前が目指すところには、それ無くしてたどり着けるのかい」
――無理なのは身をもって知ったよ。やらなきゃならんのは理解している、感情が追い付かないだけだ。
目に見えた争いを切り抜けるには、兵隊が必要になる。ところがマフィアやギャングが相手になると、今度は数や火力よりも手駒が求められてくる。コロラドのような担当も、質よりも数が役立つ場面すら想像できた。
「俺に犯罪者組織を構えろとでも?」
「やるならそれでも構わないよ。でもお前なら傭兵会社あたりがやりやすくはないかい」
――民間軍事会社か。国軍と不正規部門、そして表面に出るこいつがあれば便利だ。
「その昔――」何時だったかまでは思い出そうとはせずに「エーンがその手の構想に近いのを持っていたな」
正確には訓練代行会社であったが、生徒を自前にしてしまうのは、何ら難しくない。形態を整えるだけで、今までとあまり変わりないとも言う。
「じゃあ簡単だ。その役割は丸投げしちまいな」
あいつなら上手くやるさ、と結果の想定までしてくる。
――レティアの信頼を得ているようだ。出資してやればきっちりやるだろう。
「そうしよう。自然と拠点はレバノンになるな」
場所を指定してやればどこでもやれそうだが、軌道に乗るまでは地の利を活かした方が良いと判断しておく。
「お前はそうやって厄介事を割り振るのを仕事にしな」
オーナーや社長業だよ、などと括ってくる。確かに規模が大きくなればなるほどに、自身が直接働いてはならないような形になってきてしまう。
「と、なると、レティアの仕事は何になるんだ」
答えは決まっている、社長が二人いても問題は少ない。
「エスコーラの拡大を見届けることだね」
「どんな風に拡大するんだい」
少なからず興味が湧いたので、話を膨らませてみる。
「大きなことをする時は」にやりとして一言「働いたら負けだ」
――深みがあるお言葉だな。あながち間違いでもないのが、答えをしづらい。
一部の人物を除いてしまえば、トップとは君臨することが役目なのは納得できる。裏では言葉に出来ない苦労が山とあるのだろうが、それを表面に出さないのが成功の秘訣だろう。
「是非ともそうありたいな。お手並み拝見だ」
「動物なんてものはね、先頭さえ歩けば後ろに付いてくるもんさ」
――猛獣の群れでもそんなもんかね。身辺の注意だけ俺がしておけば、後は何を喪おうと気にすることはない。
二人はアスンシオン空港に到着すると、タクシーに乗り込みホテル・ラ=リベラシオンに向かった。
――自由のホテルか、悪くないね。
スペイン語でもフランス語でも、さして変わらぬ単語を評価する。タクシーにメーターがついていないくらいは、ご愛嬌だと風景を楽しむ。
「制服警官が増えた?」
何となくそんな感じがしたので呟くと、運転手が答える。
「私服組を減らして、制服を増やしたんです。犯罪検挙と抑止を天秤にかけたらしいですぜ」
罰を与えるよりも効果的と言われれば、そうかも知れないが、朝三暮四の類いに思えてしまった。
「で、実際に犯罪は減っている?」
「さて、どうでしょうね」
やってみて駄目なら次を試す、そのようにあれこれと実施されているようだ。善し悪しを判断するにはまだ早いでしょう、と運転手も比較的理解を示している。
――失望よりは期待を感じる、座して待つよりは余程性にあっているぞ。
宿泊カードに平気な顔で偽名をサインして、偽の旅券を提示する。レティシアの連れとして入館したので、島は特に何するわけでもない。
「折角来たんだ、夕食は客を招待したい」
「好きにしたら良いさ。ここが飽きたら移動しようじゃないか」
思い付きがあれば勝手にしろと、早速ビールを煽り始めた。他人に無関心と言うよりは、彼女なりに気を使ったと受け止めて「じゃあ後で」と部屋を出ることにした。
――完全な一人歩きなんて、やけに久し振りな気がするな。
護衛が居たり、副官が居たり、はたまたレティシアが居たりである。高地であったり航空機に搭乗した直後なだけに、長距離走は流石に控える。体力の向上ではなく、維持することに方向を変えて暫しだ。
宛もなく市街地を歩く。首都でありかなりの人口が住んでいるという割に、緑や水が豊かで田舎っぽい部分が多い。パラグアイ川に沿っているため、このような風景が広がっているのだ。
何と無く案内看板に目をやると、端に日本人学校と書かれた文字があるのに気付く。
――結構人が居るんだろうか? ちょっと行ってみよう。
好奇心のみでふらりと目指す先を決めた。地元の学校ではなく、日本人として必要な教育を与える為のものなので、アスンシオンの在パラグアイ日本人子弟が通っているはずだ。
流石にそこにはタクシーで乗り付ける。間違いはないかと確認してしまうほど、ボロボロの校舎である。
「こいつは酷いな、こういったものは公立ではないのかね」
唸りながら中に入って行く。遠慮など全くない。
「ブエナス タルデス!」
昼過ぎて少しだったので、こんにちはと声を上げる。立て付けの悪そうな窓から、生徒が島を見ていた。
「いらっしゃいませ、どのようなご用でしょうか」
現地の日系人なのか、はたまた日本人なのか、日焼けした中年男が出てきてスペイン語で応じる。
「突然ですみません。こちらは日本人学校でしょうか?」
「はい。私はここで教員をしている、原田です」
名字のイントネーションがネイティブだったので、恐らくは日本人だなと目星をつけた。
「イーリヤです。興味があって訪問しました。少し見学させていただけないでしょうか?」
「どうぞどうぞ、こちらです」
日本本土ならば不審者扱いされてしまうだろうが、ここは遠い異国、すんなりと許されて教室に招かれた。そこは十数人が勉強している場で、古ぼけた黒板の前には初老の男性が、国語の授業を進めていた。一瞬生徒等の注目を浴びるが、すぐに正面に向き直ってしまう。
――こんなところは日本人だな。現地なら授業が中断してしまうだろう。
小中学生が合同での授業のようで、年齢がバラバラなことに気付く。
「もしかしてクラスはここ一つ?」
「はい、小さなものです。授業をしているのが校長の清水先生。教師も我々二人だけでして」
「てっきり百人や二百人の生徒が居るかと思ってました」
国の規模がある程度関係はしても、やはり一つ地域に住むには限界があり、多くても二百という目安があった。にしても、十数人とはあまりに少なすぎる。
「パラグアイの国籍が与えられやすいのと、日本人の数が少ないのが理由です。企業でも公務でも、単身赴任が多いようで」
――なるほど、一旦こんなところにきたら、今更本国の学業についていけるわけがないものな。ならば家族は日本に残して赴任するのも、よく理解できる。
「あの小さな子も授業を等しく受けている?」
まだ十歳位の子どもが居るが、中学生程度のグループと同じ側に座り勉強している。
「小学生グループでも構わないのですが、覚えが良いので上の子と一緒に受けさせています」
――優等生と言うわけか、将来が楽しみだな。
時計の針が切りよく一時を指したところで、今日の授業が終わったようだ。始まりが早い分、終わりも早いらしい。
「校長、こちらイーリヤさん、興味があって見学をされていました」
「初めましてイーリヤです。我が儘を聞いていただき申し訳ありません」
挨拶をして握手を求める。誠実を絵にかいたような顔の校長が、その手を握る。
「校長の清水です。ご覧の通りの学校ですが、生徒は伸び伸びとしていますよ」
「公立学校では?」
先ほどの疑問をぶつけてみる。
「しがない私立です、認可は受けてますがね。やるなら自分達でやりなさいと」
在パラグアイの声を拾い上げてくれる有力者が居なくて、等と息を漏らす。
――ふむ、在日の外国人を優遇するのに予算をつけるより、こちらに回すべきだろう。生憎議員の知り合いは一人しか居ないが。
「困窮している? まあ校舎からしてアレですが」
解りきったことを聞いてしまい、自ら答えをだしてしまう。金を与えて修繕するのは簡単なことだが、それでは根本的な解決にならない。
「ええ、現在は何とか生徒の家族からの寄付で運営していますが、いつまで続くか……」
初見の部外者相手に言ってしまうが、これより悪くなることもあるまいと開き直る。
「先ほどの生徒ですが、一人優秀なのがいましたね」
話題を変えて、楽しみな未来がある者を中心にする。卒業生が支えるとのことも、多々耳にするので学校も少なからず期待しているだろう。
「ああ、西村君ですね。彼はきっと立派な人物になりますよ」
まるで我が子のように嬉しそうな顔をする。実際に生徒皆をそう思っているのだろうが。
「ほうそんなに見所が?」
「勿論です。この調子ならばあと五年でカレッジの受験が可能でしょう」
――齢十五にして大学生か、飛び級が当たり前の世界でも、やはり面と向かって言われると驚きだな。
国によってはそのような優秀者は、国家からの支援を受けることが出来るが、ここでは望みようもあるまい。
「ご両親も期待するところ大でしょう」
親というのは自分が出来なかったことを、子に求めてしまうところがある。
「彼のご両親は事故で他界してまして……」
「そうでしたか。では帰国して親類を頼ったりは?」
わざわざここで暮らすこともあるまいと、訝しげな部分を指す。
――おっといかんいかん。
ただの客なのを失念し、立ち入ってはいけないところにまで触れてしまった。少し警戒した顔をされてしまう。
「失礼。つい話し過ぎました」
「いえ、わざわざこんなところまで何の理由もなくは来ないでしょう。彼の親類は養育に難色を示しまして、今は私が養っております」
助け合いですよ、などと笑顔を見せる。授業をしなければならないのだから、生活するにも収入は寄付からとなる。
――知れば知るほど糞政治屋に腹が立つな。保護を与える相手を確りと選定すべきだ!
「まさか他の生徒も?」
ふと気付いて現実がどの辺りにあるのかを聞き出そうとする。
「一人も二人もさして変わりませんからね」
よく見ると校長も随分とくたびれてしまっている。直接手を出すのは引けてしまうが、公的な助けよりも迅速な援助を欲するだろうと判断した。
「然るべき筋から、必要な措置を取るようにと求めてみましょう」
それがどこの誰かは触れずに、期待を持たせるような発言はあまりしないようにしておく。これすらも出過ぎたことではあるが、ついつい口にしてしまう。自身の言葉には責任を持つ、性格だろう。小切手を取りだしサラサラと文字を書き入れ、清水へと渡した。
「こ、これは?」
「自分のエゴです。様々な過去への贖罪の気持ちとも言いますがね。地獄に落ちたときに、上から糸を垂らしてくれたら助かります」
一億グアラニ。日本円にしたら二百万そこそこのものだが、十人が一年生活するくらいの購買力になるはずだ。
「いくらなんでも受け取れません」
校長は出処不明の金は困ると固辞する。良心が咎めるのだろう。罠や犯罪を警戒したならば、警察にご注進となるはずだ。
――怪しさ大爆発だからな、迂回させるとするか。
「そうですか……こちらの連絡先を教えていただけるでしょうか。後日別の形でとします」
連絡先位ならばと校長も応じる。軽く挨拶をやり取りして出ていった。
去り際にもう一度建物を眺めてから、今度は街の中心部に向かう。官公庁オフィス街。流石にここは人が沢山往き来していた。国家の人口の三割前後が、首都圏にひしめいている偏重ぶりは、きっとこの先も変わることは無いだろう。
――俺に違和感がないのが、今もしっくりこないな。
アジア系に近い顔があちこちに居て、南米なのかどうか錯覚してしまう程だ。大統領府に足を踏み入れる。受付で足止めされ、身分証の提示と用件の確認がなされた。
「ヘネラール・イーリヤ?」
明らかに年若い男に疑いの眼差しを向ける。ニカラグア旅券なのも、胡散臭さを増しているようだ。
「ゴイフ補佐官に連絡を取りたいが」
「事務の秘書官に聞いてみます」
直接繋ぐのを拒否し、係に伺いを立てるつもりのようだ。幾つかやり取りをして、折り返し連絡が来るのを待たされる。
「ドン・ヘネラール、補佐官が来るのでそこに座っていて下さい」
ざっくばらんな語り口に苦笑を浮かべながら、黙って指定された椅子に腰掛ける。
長いのか短いのか、三十分程でゴイフがやってきた。
「イーリヤさん、訪ねてきてくれて嬉しいよ!」
閣僚会議を早めに切り上げてきた、恐ろしいことをさらりと述べる。
「ゴイフさん、突然で申し訳ありません。時間がとれたのでパラグアイにきました」
「よくぞうちを選んでくれた。外に行こうじゃないか」
この場合は飲みに行こうと同義である。おおらかな国なのだ、補佐官と言えば亜大臣だと言うのに。
「少し顔色が良くなりましたね」
元気はつらつと言うべきか何なのか、エネルギッシュな雰囲気を感じた。
「タバコなんてのは体を蝕むだけのようでね。ついでに小言を大声で言うようにした」
二人で大笑いしながらタクシーに乗り込んだ。
「警官が増えましたね」
話題になったものの真実を聞いてみようと、あちこちにいる制服警官を見ながら尋ねる。
「二人に一人は補助員なんだ。新種の案山子だよ」
――ほう、ならば増員といったわけか。
「公共事業の一環といった具合でしょうか?」
失業対策と治安改善に一役買うならば、それはそれで良いと考えた。
「地域の顔役に一部の待遇保証をしてやり、その子分を補助員にしている」
治安維持業務を委託とするならば、公共事業と呼べるだろうと頷いた。
――岡っ引き、下っ引きみたいなものか。
「もしかして補助員は無給では?」
「顔役から配給があるように少額の手当はしているが。それが何か?」
常駐でもないし、働きも期待しているわけではないので、小遣い程度だと話す。
「実は日本でも同じような制度が二百年前にはありました」
「そんな昔に? して、それはどうなりました」
――詳しくはわからないが、顛末だけでも参考にしてもらうか。
「下っ端に支払う金を市民から巻き上げるようになり、迷惑を振り撒いたようです」
今の形ならばそうなるだろうと、ゴイフは納得の表情を浮かべる。店に着いたと車が止まり、一旦話を中断して中に入る。夕方なのだが、まあまあの客入りだった。それだけこの勤務時間帯に働いていない者が多いのを物語っている。
片隅でビールを注文して、先ほどの続きを始める。放っておくつもりは無いようだ。
「直接行政から支給するのはどうにも」
大雑把だろうと予算支出は管理している。それをばら蒔くのは難しい。
「例えばですが、自治体には有志の消防団のようなものや、郷土防衛隊のようなものがあったりします。そのような団体を立ち上げさせて、政府管理の紐付き予算を交付しては?」
日本の官僚が発言権を得やすいように弊害は産まれるが、治安を優先するならばと補足する。
「国家方針として、治安を求めるようにと閣議決定があります。周辺諸国と比べギャングが弱いのを足掛かりに、国興しを目指しています」
――確かにそれは売りになるな。あちこち地続きなのはマイナスだが、先に傾いた側が圧倒的に有利になる。
劣勢を覆すには大規模な力の投入か、長期間の準備が必要になる。一方で先行投資は効果がわかりづらいせいで、今の理解を得られない危険性を孕んでもいた。
「政治とは清濁併せ飲む位の度量を欲すると言うわけですね」
「合流してしまえば清流も濁ってしまうこともありますけどね」
――何だか随分と人が変わったように思えてきた。一皮むけて頭角を現すとはこれかも知れんな。
以前は小回りがきく苦労人であったが、どうにも懐が深い印象を与える。
「エンカルナシオンはどうでしょうか」
話題を旅先に切り替える。シュタッフガルドから特に不安は伝えられなかったので、事業は予定の通りに操業されていると信じている。マッカランからも困ったとの声が聞こえてこない。
「国内で最大の経済成長をしている地区ですよ。ただ、そうなってきてついにミリシアに対する反発が」
――安全と希望が確保されたら、急にあれがいることに不安を感じてきたか。
「軍が規律を取り戻していたら……」
変な話ではあるが、そうならばいよいよエスコーラよりも適任になる。彼らとていつまでも自警団でいるつもりも無かろうが。
「前よりはマシになったが、頼りには出来ん。だからといつまでも遊ばせるつもりもない」
将校を海外研修に出して、考えを改めさせる努力をしているらしい。他所の飯を口にしたら、良くも悪くも何かしらの変化は見られる。
「ヨーロッパへ?」
「メキシコですよ。あそこも歩兵の小火器中心なのと、国内治安を主目的とした運用が念頭にあるので」
メキシコ合衆国はアメリカとさえ良好な関係を保持していたら、侵略の危険性がないためか、陸軍の装備は軽めに仕上がっている。自然と浮いた分が海に流れるのは、想像しやすい。
東西冷戦があったときにも、キューバを始めとした両側との均衡外交をこなしてきた、非常にバランス感がある道を歩んでいたものだ。
テキサスなどをアメリカに奪われた過去を忘れ、未来を選択した成功例だろう。かといってへりくだるわけでなく、独自の文化や立場を守っている。
「得られるものは多々あるでしょう」
「そうあって欲しいと願っているよ」
暫しの沈黙の後に「今夜食事でもどうでしょう」と誘うと、二つ返事で承知してきた。
「一人紹介したい奴を連れていって構わないかな」
わざわざ承諾を求めてくる、面識が全くない人物のようだ。
「勿論です。楽しみにしています」
打ち合わせ連絡程度で後の約束を交わし一旦解散する。ホテルで軽くことの次第をレテシィアに伝えるも、何料理を食べられるか、専らそちらにばかり注目が寄せられた。
ドイツ料理店。主力はビールとソーセージである、つまりは居酒屋に近い。そのような場所に四人は集っていた。格式張った感覚が少ない国なのだ。
「紹介するよ。オーストラリア外務省貿易副委員長マッコールさん。そちらはニカラグア陸軍退役准将イーリヤさん」
どこか人の良さそうな表情を浮かべるオーストラリア人。イギリス系の移民よろしく名乗る。
「マッコールです。その若さでジェネラルとは、余程の英傑とお見受けします」
島が差し出した右手を握り、左手を添える。
「匹夫の勇です、皆に生かされてるだけの。連れの――」
「エスコーラのプロフェソーラだ」
政治家などは信用ならないと、そのように言葉を遮って名乗る。両手で握手をするのはその手合いに多い。
「教授?」
意味を理解しづらいようで、首をかしげる。
「エンカルナシオン市自警団のトップです、副委員長」
「なるほど、レディ是非お見知り置きを」
――工業品の売り込みか何かだな、オーストラリアなら丁度良い相手だ。ゴイフの話に乗ってやるとしよう。
「オーストラリアのやり方を参考にしようと、話を聴いていたところです。農産品ではなく軽工業品の部分で」
規模こそ全く違えども、農産や鉱業に牧畜は近寄った形があるため、今後を占うには条件が当てはまっていた。
「パラグアイとはこれからチタンに関する調整も含んで、色々とお付き合いさせていただくことがあるでしょう」
――過剰な生産を抑止させないと、価値が暴落してしまうからな。かといって大した外貨の収益がないのだから、パラグアイも簡単にハイとは言えまい。問題はそこに俺が加わるようなった理由だな。
「諸事情によりパラグアイの軽工業品は、南米向きの輸出は少なくなるでしょう。東南アジアやオセアニアに芽があるのでは?」
軽く背を押してやる。レテシィアは話を完全に無視して、フランクフルトソーセージにマスタードを塗ったくっていた。メルコスールの資格停止だけでなく、三国戦争やチャコ戦争等々、近隣とのいさかいは今でも根に不満と不安を残している。百年以上前は覇権を窺う南米の先進国だった過去は、忘れ去られて久しい。
「オーストラリアとしては、一部の受け入れを検討致します」
言葉の裏には代償を求める何かが見え隠れする。
――だからこそ俺がってわけなのは、よーくわかった。
ゴイフが島に視線を送ってくるので、笑みを返して軽く頷く。
「パラグアイはオーストラリアの好意に感謝致します。生産計画について、助言を頂ければ幸いです」
「貴政府の意向を概ね確認させていただきました」
居酒屋でやり取りするような内容ではないが、これがここでのやり方だと言うならば、郷に入れば郷に従えである。
「無事双方に承諾をいただけて、ありがたいことです」
ゴイフはまた一つ問題が解決したと、一息ついてビールを口にした。
「はて、双方とは?」
あまり敏感に空気を読むようなタイプではないのか、マッコールは疑問を一々口にしてしまう。
「輸出先と製造元のです。イーリヤ准将が精錬所の大株主でして」
最初に明かさないあたりが駆け引きである。副委員長が渋れば、企業がごねるなどの役回りがあったに違いない。
「名ばかりで経営は専門家に丸投げしています」
「なんとイーリヤさんが? 信じられないですが、現実は小説の中よりとてもユニークらしい」
地位も名誉も金も手にして後は何を求めるのかと、ついつい尋ねてしまう。まるでブッシュ・ジュニアのようだ。
「悪党の少ない真っ当な世の中を求めるくらいですよ」
正義の味方とは程遠いが、悪の敵であるのは間違いないとおどけてみせる。
「らしい、退屈しなさそうで良いじゃありませんか」
発言をすかさず笑いに変えて、場を和やかにさせる。当の島もその通りと認めて乾杯した。
「オーストラリアは観光産業も盛んです。治安を乱す輩が減るのは大歓迎」
「旅行には目がなくて。機会を作って遊びに行きたいものです、なぁ」
不意に話を振られて少し考える。
「イギリス料理は勘弁だよ」
「はっはっはっ。最近は観光客に満足いただけるように、様々改善しておりますよ」
心配無用と請け負うが、昔と比べたらの話なのは有名すぎる。島にしてみれば、何と無く緩い日々がゆっくりと過ぎていく感覚だけがあった。
――戦争中毒というのも、あながち否定できないのかも知れんな。
◇
二人にとって最も安全な街、エンカルナシオン。首都と違って制服の警官はあまり見掛けない。長距離タクシーという名の水上船を見つけ、パラグアイ川をゆっくりと下っていった。流れはそこそこの勢いがあるが、殆ど揺れは気にならない。
「昔はこの川の反対側もパラグアイだったらしいな」
赴任前に調べた歴史では、南米でイギリスの経済支配を受け付けなかった、自立国家として唯一パラグアイがあった。結局それにより疎まれてしまい、ブラジル帝国とアルゼンチンに袋叩きにされたそうな。
「複数の大国に攻めこまれて無事なわけがない。日本だってアメリカとソ連にやられたろ」
――確かにそんなことがあったな。その上に地続きとなれば、それは凄惨な状況だったろう。
「パラグアイは徹底抗戦につぐ徹底抗戦で、成人男子の八割が戦死してしまったとか。それに比べたらまだマシだな」
三国戦争のせいで人口バランスが極端に崩れてしまい、それを補うために積極的な移民受け入れをした。それでやってきた日本人が高い評価を受け続けた、今に至るまでその感覚は変わらない。
「だから日本だってそうだろ。国民玉砕を口にするなんて、不気味で仕方無いよ」
またしてももっともな意見で、島はすっかり打ち負かされてしまう。
――俺はニカラグア人だ。しかし、たまに日本人になってみるのも悪くない。
水路は警備の小型ボートが頻繁に姿を現すため、かなり安心していられた。グロックの指示が未だに有効なのだ。失業者は減りはしても居なくはならない。川辺にも昼間からタバコをふかして寝転んでいる奴がいる。
――ダメな奴は何をやらせてもダメだ。だが食うものは食うし、どこからか生活に必要な品を手にする。
「前にオランダでバイアスがどうとか言っていたじゃないか。生活するのに全く足りない賃金だとしても、あったら収まりはつくものか?」
「そんなの知らないね。でも、無いよりは良いんじゃないか」
投げ槍な答えではあるが、その根拠を尋ねる。
「どんな風に?」
「少しでも収入があれば、それすらも根こそぎ奪おうとする対象に出来るからだ」
不穏極まりない発言ではあるが、何かしらの価値を持たせるとの考えだと解釈する。
――無価値が価値を産む。逆にマイナスの価値でも構わないわけだ。その負担を背負うのが自分達の側でなければ、そっくりそのまま使い道になる。
「仮に無能なだけの食いつめ集団が、千人やってきたらどうする?」
「お前はまた訳のわからんことを。叩きのめして追っ払うに決まってるじゃないか」
どんな選択肢があるんだと不快感を露にする。実際叩きのめすのは置いておくとして、優しくもてなすような真似は中々すまい。
慈善団体、それも教会の類いならば、受け入れてから周囲に協力を呼び掛けるだろうが。
「だよな。その言葉が聞きたかったんだよ」
理解できない何かをじっと見詰め、首を左右に振って椅子によしかかり興味を失う。
――手段を選ばなければそこまで出来るということだ。ザカートを教義に含むイスラム教会が、無為の民を見捨てることはあるまい。一時的にでも相手にまとまった負担をかける、それが可能になるな。悪魔の領分だ、結果の如何に関係なく反発は内外に爆発するだろう。無論逆の立場でも同じことが言えるな。
車ならば五時間程度の距離を、八時間かけてゆっくりと移動した。夕方になり空が茜色に染まる。大気汚染が少ないのだろう、すっきりと綺麗な光が素晴らしい。
「中国辺りでは、スモッグで息も出来ないとか」
下船に手を貸してやり、桟橋で深呼吸する。
「馬鹿な奴等だよ、やるなら外国でやりゃいいのに」
――それはまた激しいご意見だこと。
つい苦笑いするが、そんな考えもあるものだと聞き流す。
「エスコーラに先に顔を出すかい?」
無警戒に行って良いものか疑問は残る。数年離れたら、ギャングなど心変わりしていても何ら不思議はない。
「信用と不注意は別物だろう。アホ面晒すつもりならわかりゃしないけどね」
「じゃあ行くのはあそこだな」
二人の出会いの地。何のことはない酒場である。勢力に染まりやすい反面で、一定の部分で自身の安全を確保するために、完全に頭から敵対することも少ない。二股をかけるには、それなりの保険を双方に求めるものだ。
「下手な変装するくらいなら、髪型変えてメガネでもするんだね」
ホンジュラスでのピエロっぷりを思い出しながら、二人は件の店へと足を運んだ。
客に見知った顔は一つもないが、マスターだけは変わらずそこに立っている。何年間をあけようとも、この道のプロフェッショナルであるマスターは、一目見て黙って二人の前にビールを置く。
「変わりは」
レテシィアが主語を省いて唐突に問い掛ける。マスターはグラスを磨きながら、何を伝えるべきかを短く思案する。
「ラズロウ氏の右腕であるマルティネス氏、彼が動きを」
「聞かない名前だね。キャンキャン吠えるような奴は、役に立たない」
何をするにせよ、正体を察知されるようではまだまだである。
「ゴメスは」
――護衛をしていた奴の名だな。里帰りさせた。
「ラズロウ氏の傍に」
「釣りはいらないよ」
紙幣を余計に置いてすぐに席をたつ。島もそれに倣うとさっさと店を出た。流しのタクシーを捕まえてすぐに乗り込む。行き先はホテルではなく、近くの警察署付近だ。かといって中に入るわけでなく、裏手の駐車場へ歩いていく。
「真っ最中か」
分裂よりは地位の強奪に近いのだろう。裏切りや抗争は常と言えども、内情が漏れだすまでに決着をつけられなかったのは失態だ。
「あいつのことだ、余計なことまでまとめて背負い込んでいるんだろうさ」
膿は出しきる方が治療はしやすい。これを機に不平分子を炙り出すつもりなのかも知れない。
「ボスとしてはどうするんだい」
彼女ならばどうするか、試みに尋ねてみる。混沌とした雲行きで、選択肢は広くはなかろう。
「黙って見てるさ。マルティネスとやらに蹴落とされちまうようなら、あれもとんだ腑抜けだったってだけだ」
「厳しい愛情だな。自然淘汰はされるべきだが」
だからと傍観するのはまた違う。安全弁を設けるのもこれまた常識である。
「舐めてんじゃないよ。すぐブラジルに移る」
暗くなってから屋外で活動するなど愚の骨頂である。だがそれを一時的に解決するのは難しくなかった。左右に視線を送り、目に入った警官に向かって行くと「タクシー募集中だ、小遣い稼ぎしないかい」二つ返事で請け負い、パトカーのドアを開いてきた。
警部補が助手席に乗ったので、そちらに前金で千アメリカドルを握らせる。到着してイグアスに入国可能になれば、残り半分を渡してやると。相場の二倍、しかも外貨が手に入るために、鼻唄混じりで車を走らせる。島は完全にオマケ扱いだ。
「セニョリータ、何か他にお役にたてることはありませんか?」
ゴンザレスと名乗った警部補が、更なる稼ぎを求めてくる。
「そうさね、こんなのはどうだい」
耳を寄せさせて囁く。驚いた顔でしきりに首を縦に振るのが印象的だ。
――なんだか面白くなってきたな。俺は俺で手を打つ準備だ。現場で動員可能な手駒をどうやって揃えたものかな。
腕を組んで物事の可否を算段してみる。どのような終わりになろうとも、最後はレテシィアが締め括る必要がある為、少し遠回りな何かを。
出入国の受付は付き添いの警官二人が居たため、パラグアイの係官も特に詮索せずに、スタンプを捺した。旅券の真ん中にドル札が挟まっていたのだから、仕事では滅多に見せない笑顔を向ける。
「良い旅行を。お気をつけて」
ブラジル側でも似たり寄ったりの待遇を受ける。荷物など触れもせずに通過を許された。
イグアス市は観光の街である。イグアスの滝が世界的に有名だ。深夜になったが、ホテル・ダス・カタラタスへ入る。川近くの五つ星ホテルで、名前の通りドイツ系の資本が入っていた。
「いらっしゃいませ」
比較的ゆっくりなポルトガル語で話し掛けてくる。
「スイートルームは空いてるかい」
ドイツ語で切り返す。フロントマンもドイツ語に合わせて、宿泊カードを差し出してくる。しかし彼女が何か身分証を提示すると、料金のやり取りになる。
――ブラジルの身分証か、そりゃエスコーラがずっと活動していたんだからそうだよな。十万円ってところか、このクラスにしては割安だな。
カードキーを手にしてエレベーターに乗り込む。夜景が綺麗と言うほどではないが、見晴らしの良い部屋で一息つく。
「お前はここで待っとけ」
休む間も無く部屋から出ていってしまう。
――では俺も始めるとするか。こんな真夜中に悪いがね。
後ろめたさを感じながらも、番号をプッシュする。
「こんな時間にすまない、イーリヤだ――」
翌朝は始動が遅く、ブランチとなった。既にレストランはクローズになっているので、カフェスペースでコーヒーを傾けながら。
「今度はブラジルか」
何気にしんみりと感心しながら呟く。
「何がだ」
「コーヒーだよ、ブラジル豆。現地物はやはり旨い」
手にしていたカップを見て、なるほどと納得した。
「コーヒーなら、コロンビアだってあるよ」
一波乱起しにいく気があるならと挑発してくる。
――グアテマラにコロンビアあたりか、他には数ヵ所。案外制覇するのは近いかもな。
「そいつは良いな。近いうちに行きたいものだ」
「後悔するんじゃないよ」
「するもんか。俺はもう間違えるわけにはいかないんだ、一度たりともな」
どこか決意じみた口調が見え隠れした。残りを一気に傾けてしまう。
「正しいかどうかはお前が自分で決めろ。甘い採点は許さないけど、結果を判断するのは全てが終わってからでも良いさ」
ほらよ、と自動拳銃を渡される。携帯許可など持っていないが一瞥してベルトに挟む。
「ナイフの方が役に立つことも多い、ちょっと買い物でもしにいくとするか」
自分の身は自分で守れという意味だろうが、二人分を勝手に引き受けることにする。昼過ぎにショッピングモールで待ち合わせをした。歩いている三人に二人が白人なのに、少しばかり驚く。
――ホテルや住民をみる限り、どうやら入植地のようだな。日系人らしいのもたまに見掛ける、ここならばあまり目立たないだろう。
周囲に注意だけして、一般客に溶け込む。実際のところただの客なのだが、鋭さを見抜かれるようでは未熟だ。そのあたりはコロラドを見本にしたい。二人が座っているベンチの隣に、日焼けした白人男性がやってきた。
「よう、ダ=シルヴァ」
控え目な声でレテシィアが呼び掛ける。
「ボス、五人集めてきました」
親指で指した先には、若者がテーブルについて談笑するわけでなく、黙って座っている。
――あまり能力は期待できそうにないなこいつは。
不自然な待機のさせかたと、レテシィアをボスと呼ぶ辺りに配慮の程が感じられた。
ダ=シルヴァが島に視線を向ける。初顔が一人だけ護衛なのが気になったらしい。
「後は部屋で待ってな、連絡するから出歩くんじゃないよ」
「こいつ一人で大丈夫ですか?」
知らないやつならば新参者だろうと、余計なことを口に出す。
「ああ心配ない。あたしの言葉じゃ信用出来ないかい」
怒り爆発するかと思いきや、意外と柔らかい対応をするではないか。
「いえ、ボスがそう言うなら。失礼します」
五人を置いてダ=シルヴァはショッピングモールから去っていった。ベンチを立つとテーブルへと向かう。島もそれに追随する。
――子分でいるのは楽なもんだな。
「お前らついてきな。バラバラにだよ」
若者らの中では年長だろう者が、順番を目配せする。休憩スペースのようなところでは、やや激しいリズムのBGMが流されていた。音楽を楽しむ振りをして、一つところに集まり話をする。
「プロフェソーラ、あたしがお前らのボスだ。ダ=シルヴァから何か聞いているかい」
経験からの格の違いが滲み出る。相手が女でも、全く敵わないと早々に感じたようだ。
「ボスに尽くせとだけ」
年長のあいつが代表して答える。ルセフと名乗った。
「ルセフ、お前が四人を束ねな」
「はい、ボス」
――ダ=シルヴァはいかんが、ルセフは見込みありだな。あれは若いやつの世話役みたいなものか。
誰も彼もが優秀なわけではない。適材適所に配置するのは、上が頭を悩ませる部分であり、本人らに責めは負わせられないのだ。
「暫く動くことになる、これで支度しときな」
各自に千レアルずつを渡すと、目の色が変わるのがわかった。凡そかれらの一ヶ月分近い賃金に相当している。四万円そこそこでしかないが、尋常ではないことが起きるのを承知で受け取った。
「セニョールは何と呼べば?」
単純に呼称がないと不便だからと尋ねる。レテシィアが島に視線を投げ掛けた。
「俺はオーストラフと呼ぶんだ、ルセフ」
「はいオーストラフさん」
「緊急時にはこいつの命令にも従うんだ」
島に根拠を与えてやり、一応の顔合わせを終了する。早速一人ずつバラバラに散るように指示を出していた。
「良いなあいつは、基本が出来ている」
彼女の反応を見るために、所見を述べてみた。
「ダ=シルヴァは新米の確保が役目で、訓練はしないんだがね」
忠誠度合いを見抜く目だけは、まず間違いない実績があると明かした。エスコーラの多くが、彼によって勧誘されてきたそうだ。
――野心はなく、統率力もないのがプラスに働くポジションだな! そういった意味では、俺を怪しく感じたのは正しい。
実力の程はさておき、手駒が産まれたのは大いに前進と言える。怖じ気付くことはあっても、裏切ることがないならば、そうした使い途を与えれば良いのだ。
「元から備わっている奴はいるものだ。磨けば光るかも知れんな」
どうにも育成するとの考えが板についてしまったようで、若者がどう歩んでいくのか、想像するのが楽しい。
「足がなきゃ面倒だね、仕入ておこう」
タクシーを見付け乗り込む。地番と店の名前を指示して走らせた。
――お膝元なわけだ。となると万が一の可能性は、あれに限るな。遠回しに抑制は出来ないから、瞬間威力を発揮させる手筈だ。
ついた先は車が置かれているわけでも、何かの販売をしているわけでもなかった。看板とカウンターだけがある、質素というか殺風景な店である。
「調達屋だよ」
ブラックマーケットの窓口だと一言。一見はお断りで、商品も手元には置かれていまい。金網が仕切りに使われている、物騒な相手ばかりくるのだものそうしたくもなるだろう。奥から壮年のひげもじゃが現れた。
「ひっひっ、久し振りじゃねぇか。あんた自ら来るなんて、何かしくじったのか」
不愉快な声質が癪である。わざとそうやって突っ掛かってくるのも、商売のやり口なのだろう。
「黙りな、お前は言われたことに返事だけしときゃいいんだよ」
彼女がそんな挑発に乗らないのは、百も承知である。ご挨拶というやつだ。
「ふーん、で、何が入り用で? 軍用品から議員の弱みまで何でもあるよ」
政治家が汚職をするのは常識と言わんばかりに、元職や閣僚のおすすめを並べてきた。
――何でも屋はここまでするわけだ。金網程度では気休めにもならんだろうな。
「エンカルナシオンの警察署長のを出してもらおうか」
無いなら無いで他を回るよ、などと見下し気味に煽る。そうそう都合良く押さえているわけもないだろうが、近くの大都市の治安関係と考えれば、案外持っているのかも知れない。
「二万レアルだ」
「金額分きっちり働けよ」
札束を金網にねじり込む。どんな情報が出てくるかはわからないが、相場があるわけではないので、言い値が買値である。
「へっへっ、毎度。エスコーラと大分軋轢があるようだからな、分裂させようと画策してるようだ」
「そいつはマルティネスのことだろ。そんな古いネタしかないなら、調達屋なんか辞めちまえ!」
つい最近知ったばかりのものでも、旧聞に類するのは早いものだ。情報は生き物で、新鮮さが売りなのを理解しない者は多い。日本の政府機関などは顕著だろう。
「その署長だが、近く検挙に乗り出すそうだ。あいつの弱点は借金だ、エスコーラ系列からの借りが嵩んでいて、組織が壊滅したらチャラになると考えてるようだ」
レテシィアが調べたらわかりそうな部分で締められる。
「結局はサツの手入れが近いだけかい、中味が無いやつだね。恥かきたくないなら足を用意しな、お前の度量でね」
――相手がレテシィアでなければそれなりの情報ではあるが、詐欺みたいなやり口はこちらだろう。まあ誰かわかって値をつけたわけだから、お互い様か。
口を挟まずに黙っているうちに、話は収束に向かっていった。結局盗難車を一台都合することで折り合いがつけられた。
「便利な店だな」
皮肉ともとれる言葉に、「諸刃の剣さ」と答える。何せレテシィアが問題に関わったとの事実が、今度は別の場所で売りに出されるだろうから。それも東洋系なのかパラグアイ人なのか、同年代の男が護衛についているとの部分すら。
「初めから車を買い付けでもしたらあいつのことだ、こちらが急いでいるのを良いことに足元見るだろうね」
可能ならば自身の要求を直接的に行わない。これだけでも自衛にはなるものだ。
「資金繰りがどうというよりは、負けず嫌いなだけだな」
余裕があると解釈して、下手に込み入らせた部分を帳消しにしておく。
散弾銃あたりも単発ならば簡単に手に入るのが銃社会らしい。あまり物騒な品は咎められてはいけないため、猟銃と一組だけを積みこみ分乗する。最低限の戦力とでも言うのだろうか、野盗にでも遭遇しようものなら、丸腰では命まで奪われかねない。距離をおいて戦えるのと、近距離で威力を持つものがあれば、一先ずは一方的にたたみかけられるのを遅延することくらいは出来る。
どうするかの命令が出るのをルセフが待つ。口数が少ないのは悪くない。
「署長の債権をどっかに流してしまうのが解決だろうね」
それには問題があると知りつつ反応を求める。
「せっかくコントロール可能なカードを手にしているのに、それを無くしてしまうのは惜しいな」
リスクを背負って見返りをたっぷり、と不敵な笑みを浮かべる。検挙を妨害してしまえばそれで良いと。
「どいつが潜りかは知らないが、マルティネスが踊ってるのは変わらないね」
ラズロウを信頼するのは大前提で、そこは揺るぎ無いと基本的な方策を明らかにする。それに関しては島も異存なかった。
「そうなれば自ずと道は見えてくる。俺はオマケだ、好きにやったら良いさ」
見ているだけだ、そんな言葉を鵜呑みにするほど短い付き合いでもない彼女だが、素直に頷く。
――だがしくじるようなら介入するがね。失いたくないものが沢山出来すぎたな……
ドル札の威力で国境を難なく越えて、エンカルナシオンの隣町にまでやって来る。数少ないホテルの中で一番上等な部屋を確保した。
「ニュースではエンカルナシオンで事件があったとは放送していないな」
成功しても失敗しても騒ぎにはなる。ジャーナリストとやらは、理由はさておいて騒乱があればニュースにするのだから、まだ検挙には至っていないのだろう。
「今そうしているかも知れないけどね。どっちにしたってミリシアは潮時だ」
悪くなってから手を引くよりは、不評がないうちに消えた方が良いと口にする。ミリシアに無理矢理据えた張本人としては、肩を竦めるしかなかった。
レテシィアはロビーに降りていった。メンバーには部屋から出ないようにと命じてあるが、禁足するのも二日が限度だろう。
エンカルナシオン、エスコーラ本部。市の南東部、国境まで程近い場所にそれはあった。
ミリシアとして都市の守りと治安を司ると考えた時、隣国からのギャングスターを警戒したのは、彼等の姿を見たら納得するだろう。同業者が少ないほど商売はやりやすいのだ。
「奴等また集まってるようです」
二丁目のレストランです、と報告する。休暇を得ているのだから、ラズロウの下で働く義務はないが、ゴメスは進んで活動していた。
「随分と活発なことだ」
ここ最近、仕事を任せていたマルティネスが派閥を作るようになり、その数を急速に増やしていた。幹部を外して新顔ばかりと何やら画策しているのは、とうの昔に気付いている。
「奴等はボスが誰かを、間違って覚えているようです」
ゴメスの言葉には、ラズロウへの牽制ともとれる刺が少しだけ感じられた。そこが直属の部下との違いで、格の上下はあれどどちらもレテシィアの子分なのだ。
「除くのは跳ねた奴だけで良い。残りは下っ端だ」
疑いだけで処分するのも構わない世界である。だがラズロウ自身の手腕を問われたとき、それは汚点でしかない。
「俺の手下も呼び寄せておきます」
コンゴに連れて行った者を召集すると宣言した。不穏な状況だと警告するかのように。
「役目が違うだろう」
「ええ、俺の役目はボスの護衛です」
「勝手にしろ」
強く言う気は無く、言葉の通りに勝手にやれと突き放す。敵か味方かわからない者は許されないが、ゴメスに関しては敵にはならないとはっきりしているからである。敵の敵になれば弾除け位にはなるだろうと。
――署長が最近怪しい動きをしているな、少し絞ってやるか。
金は職業を選ばずに鎖を繋ぐ効果すらある。見えない縛りを受けると、様々な不正がまかりとおるのを、意識しながら見逃すことにすらなる。部屋に一人きりになったラズロウは、携帯電話の番号をプッシュした。便利になったもので、誰がどこにいようともすぐに連絡がとれるようになった。
二度三度とコールすると、力を失ったような声で中年男性が出た。非通知の相手が誰なのかを直感したのだろう。
「俺だ。あまり下手な真似は感心せんがね――」
唐突に釘をさすところから始めた声には、微かな焦りが感じ取れた。
夕暮時、密輸用の物資がうずたかく積まれている倉庫に、柄の悪い面々が集まっていた。旧式の突撃銃や短機関銃を手にしている者もちらほら混ざっている。まるで安物の映画を観ているような、あまりにも新鮮味がない風景である。
カマボコ型の倉庫の出入口に立っている、いかにも勢いありそうな青年が表情を歪めて声を上げた。
「カーポ、この仕打ちはどういう意味か教えてもらおうか」
数を頼んで若者、とりわけチンピラや非行少年らを従えた、マルティネスが殴り込みじみた行為に抗議する。
「お前は言われたことだけやっていれば良い。誰がこんな真似を命令した」
大豆が入った袋の他に、白い粉が詰まったものが混じっている。明らかに粗雑な扱いで、ノウハウを持っている者の仕事ではない。
一番手か、精々二番手と呼ばれる代物なのは間違いない。粗悪品はリスクを上回る利益を出すことは希だ。失敗はエスコーラにも被害をもたらす。
「政府の犬に成り下がったエスコーラにはうんざりなんだよ!」
古参らもその点だけは頷けたが、それを受け入れるわけにはいかない。
「エスコーラは政府ではなく、ボスであるプロフェソーラのものだ。考え違いをするな小僧」
マルティネスにしてみれば、名前だけで一目も見たことがない為、不満の一因になっていた。
「そのプロフェソーラだってどこで何してるやら。我慢は限界ってんだ、これからは俺が仕切る!」
完全に反旗を翻した形になり、証拠ではなく自白を得た。裏切り者には制裁を。一触即発の緊張した空気が張りつめる。誰かが誤ってトリガーを引けば、もはや止めることは出来なくなるだろう。
その時、外からヘッドライトで照らされながら、反対の出入口があるラズロウ達の背後に数人が現れた。捕虜のように後ろ手に縛られ、口からは血を流して極度に怯えている者を引きずっていた。そいつは言葉を発せず、失語症にかかったかのように呻いている。
「三下がうたった。マルティネス、お前はサツにまんまと利用されてた」
「誰だお前は!」
直接は顔を知らなかったが、誰かがゴメスと呟くのが聞こえた。暫く不在にしていた幹部の一人だと受け止める。
「ここに警察がなだれ込むだろう。無論マルティネスも逮捕だな」
どうにも話が違うのか、自分まで逮捕との部分に怪訝な顔をする。勢いがある武闘派といえば聞こえは良いが、頭で働く部分がついてきていないのだ。
「署長に空約束でもされたか。おめでたいな」
ラズロウが小馬鹿にしたような態度をとるが、ゴメスが驚愕の事実を述べる。
「金で縛られていた署長は解職された。新任が鼻息もあらく警官を集めている」
今度はラズロウが渋い顔をする。まさかそうなるとは考えておらず、後任が何者かすら把握していない。俄に両勢力に動揺が走る。心なしかサイレンが聞こえてくるような気すらした。
マルティネスがどのようにして倉庫と品を押えているかはわからないが、検挙に耐えられるような気転を利かせているとは思えない。だからと動くのを命じるのも難しかった。膠着してしまう、振りかぶった拳をそのまま下げるわけにもいかない。
実際にサイレンが響いた、どこに向かっているのかは火を見るより明らかだ。ゴメスが手下を前に出す、武器を手にしてはいるが構えようとはしない。注目が集まる。
「アホ面晒して何見つめあってんだい、脳足りん共が!」
ヘッドライトの後ろから、胸元が開いたヴェストを着た女性が、数人の男を引き連れて罵声を浴びせかける。
「ボス!」
古参が姿を認めて釘付けとなる。だがすぐに視線を外すべきではないことを思いだし、マルティネスらを睨み付ける。
「お前がマルティネスかい。あたしはエスコーラのプロフェソーラだ」
あたりをつけて初対面の男に向かい視線を流す。居ない間に随分と頭数が増えたものだと独り言ちる。
「今さらノコノコ出てきやがって!」
完全に自らの手を離れたとして、半ば自暴自棄になる。
「マルティネス、この場を仕切れるならエスコーラをお前に預けても良いぞ」
降ってわいたような話だが、サイレンが考えを掻き乱してしまい答えがでない。
「ふん、即答できないようなやつはすっこんでな! ラズロウ、お前はどうだい」
「申し訳ありませんボス、手落ちでした」
こちらも降伏してしまう。こうなれば銃撃戦をして越境しかないとの雰囲気が濃厚になる。
「ここを焼いてとんずらするよ!」
一時休戦だと言い聞かせて皆を誘導する。見張りに置いてきたやつから、ゴメスに警察が南の区域に入ってきたのを告げた。
「エンカルナシオンを引き払うことにしたのか」
レテシィアの傍で黙っていた男が口を開いた。これまた古参は相手が何者かを知っていたが、新参は全く知らない。
「ああ、充分根を張ったろ」
「ならちょっとばかりシナリオを変更してくれないか?」
まさに煙に巻いて逃げ出そうとしているところで、何をしようというのか。次第にサイレンの音が大きくなる。
「はっ、またお前はなんでもそうだ、一人で勝手に決めちまう!」
好きにしろ知らん、と不貞腐れて扉にもたれ掛かる。島は携帯を取り出して誰かを呼び出す。二度コールせずに相手が出る。
「実行してくれ」
「了解です、将軍閣下」
それだけを告げてやり取りを終えてしまう。
「レティアきてくれ、退去にはプロフェソーラのサインが必要らしいからな」
ご機嫌ななめのまま歩きだす彼女を見て、幹部らもわけがわからないまま従っていった。
エンカルナシオンの南部には、外敵の侵入を阻む理由で数ヵ所に防壁が設けられていた。さして高い壁ではなく、車が通り抜けられないようにしただけの、盛り土程度のものである。
東西に広がる壁を利用して、横行を妨げるために簡易バリケードを置いて警戒する者と、パトカーに乗った一団が口論を交わしていた。
「そこを退け、騒乱があると通報があった!」
現場を指揮している警視正が、大捕物だと声を大にする。一方で軍兵からは少佐が進み出て告げる。
「南部地区は現在軍が一時的に管理下に置いている。通過を認めない!」
まさかこんなことになるとは寝耳に水であった。しかし一度強気に警察を差し止めたので、今さらやはり通しますとは言えなかった。
「軍管区司令部に抗議してやる!」
正式な命令系統を通していなかったので、少佐が怯む。
「……」
元はといえば精製工場の警備をしている部隊で、非番の者を使い小遣いを稼ぐつもりで引き受けたのだ。ところが何やらキナ臭いことになり、どのようにおさめたらよいかが頭のなかを激しく巡っていた。
今や国策企業として優遇を受けている、精製工場とグループである。そこから声がかかれば乗ってみたくなるのもわからなくはない。
「これが最後だ、そこを退けろ!」
心が傾きかけた瞬間、近くに車が止まり数人が降りてくる。
「少佐、よくやってくれた。政府と交渉中だ、もう少し頑張ってくれ」
イーリヤ准将だと名乗り、一瞥し状況を把握すると「報奨を三倍にする」と背中を押した。そう提示されると少佐は元気を取り戻して、警視正を相手取る。
「ここは通さん、やるのか!」
付近の兵士が地面に向けていた銃口を浮かせ、警官隊に突き付けて一歩前に踏み出す。
「ま、まて早まるな!」
「よし十秒待ってやる、消えろ!」
カウントダウンを始めると、警視正――新任署長は撤収と叫び大慌てで逃げ去っていった。エスコーラの幹部が愉快そうに、後ろ姿を眺めている。
「閣下、軍ですが大丈夫でしょうか?」
不安になり少佐が尋ねた。報復の嫌がらせで、抗議をしてくるのは目に見えている。島としても当然その辺りのケアは頭にあった。
「悪いようにはしない」
一言だけで少し待つ。すると携帯電話が鳴った。
「君か――」
「はい、イーリヤです」
「補佐官から話は聞いた。政策の為に使わせてもらう」
「ご随意に。工場の警備にあたっていた少佐に、手助けしてもらいました。ご配慮願います」
「大将に伝えておくよ――」
通話はそこで途切れた。すがるような目をした少佐に微笑で返す。
「少佐、内務省から電信です」
通信兵が「かなりの剣幕です」と付け加えた。渋々替わる。怒鳴り声が傍まで漏れてきて、少佐が受話器の口を抑えながら「警察長官です」と顔を蒼くする。
「心配するな、一言大統領令だと返して切ってやれ」携帯電話を軽く持ち上げ頷いてやる。
「警察長官だ。少佐、貴様何をやっているかわかっているんだろうな、治安を乱す行為は国家に楯突い――」
「長官閣下、こちらは大統領命令ですので悪しからず!」
返事を耳にする前に通信を切断してしまった。少佐が自身も驚きの会心の笑みを返した。
「レティア、名より実を取ってみたよ」
「ああそうかいそうかい、それでどうすりゃいいんだ」
抵抗するだけ無駄な労力だと、島の見通しをさっさと教えろと詰め寄る。マルティネスは何がどうなっているのか、すっかりわからなくなってしまう。
数時間後、ミリシア契約を解除して国外退去命令を受け入れる形をとった。大統領の命令で軍が不正を暴き、治安を回復したと報道される。実際はちょっとした引き継ぎすら行われていたが、政治決着というやつだ。
ご丁寧に出国手続きまで特別にしてもらい、何とも不思議な体験をする。
「お前に利用されっぱなしで癪だね」
軍用車両に先導されて、ブラジルへと向かう。警察が手を出そうにも、睨み付けるだけしか出来ない。
「ギブアンドテイクで行ってると思ってるよ。ミリシア所有財産は政府が買い上げてくれたじゃないか」
没収したとの扱いになっているが、裏ではこっそり支払いがされている。パラグアイ人の為の強制執行、国民は大統領の支持を強めたらしい。外国人を目一杯活用した締め括りである。
「そういう思い通りなところが、気にくわないって言ってるんだよ!」
エスコーラの人員も資金もかなり増え、結果だけみたら大勝だったのだが、彼女はそれが嫌だという。
――まあな、確かに俺もそんな気はするよ。
「ボス、国境を越えました」
地続きのために何ら変化はないが、一応知らせる。
「ところでボス、マルティネスはどうします」
あれから大人しく同行してはいるが、反抗した事実が消えることはない。
「おいマルティネス、お前ラズロウの下ではもう働けないだろ」
「それは……」
どう答えても良い結果が浮かばないために口ごもる。
「即答できない奴はダメだと言ったろ! お前はエスコーラから外す」
死の宣告とはこの事である。残酷な未来が頭に浮かぶ、自ら命を絶つ他ないくらいに。
「……はい」
誰一人同情する者は居ない。即座に消されてないだけ喜べと言わんばかりだ。
「コロンビアに行きな」
「コロンビア?」
「あたしが乗り込むまでに探りを入れて、生きてたら部下にしてやるよ」
生きていたら。その言葉は比喩でもなんでもない、まさしく闇を手探りで行くための捨て石に指名したのだ。
「目標は?」
無様な結果でまみれた汚名を返上しようと、身を乗り出して聞く。
「カリ・カルテルとオチョアだ」
◇
イグアスに腰を落ち着けたエスコーラは、久々に拠点を懐かしの館にと遷した。玉座のような椅子に、レティシアが座り一同に視線を投げ掛ける。流石に島には席を外してもらっていた。
「報告します。エンカルナシオンでの活動の末、カーポに名を連ねた者が三人増えました。構成員は二百を越えています」
ラズロウが概要を口にした、これには当然マルティネスは入っていない。準構成員、つまりは各位の手下については末端までは計上していない。ヤクザで言うところの三次団体以下の意味である。
そうかい、と短く反応をしてダ=シルヴァに視線を移す。
「イグアスの新人ですが、目をつけているのが十人程います。もう少し時間をかけて見極めます」
ついでゴメスを見る。あちこちに同行させていたので、これといった活動をブラジルでしているわけではないが。
「一族の者で一人成人したものが居るので、手下に加えました」
即ち裏切らない手駒、それもかなりの無茶を命じることが出切る人物だ。彼を抱えている限り、そのファミリー全体が力を供出してくれる。
他にも二人、ラズロウの補佐につけていたカーポがいるが、そいつらは無言だった。
「わかった。まず三人のカーポを認める、次からは出席させるんだ」
ラズロウが事後の承認を受けて、三人を子分から弟分にと昇格させた。
「ダ=シルヴァは継続して今まで通りだよ。若いのが欲しけりゃ、好きなやつを指名しな」
「はい、ボス」
どの世界であれ、指名で必要とされると悪い気がしないものである。任務に多少の不満があっても、やる気を引き出される部分が帳消しにしてくれる。
「ゴメス、お前も今まで通りだ。ラズロウとは別系統でファミリーを強化しろ」
「お任せください」
一段劣るとはいっても、エスコーラの幹部であることに変わりはない。ラズロウが失脚すれば、自然と力が強くなる。
「してラズロウ、お前はエンカルナシオンで失敗したな」
「……申し訳ありません」
口答えは許されない、事実があってもなくても、だ。彼女がそう言うならば、全責任を背負うのは筋が通っていようがいまいが関係ない。それがカルテルの掟であった。
皆、制裁が下されると信じて疑わなかった。
「パラグアイで失敗したなら、次は更に大きな成功で挽回しな。ラズロウにブラジルとパラグアイの仕切りを任せる、補佐の一人を副にして、昇格する三人を補佐につけてやる」
「お許し頂けると?」本人が一番信じられない表情である。
「誰が許すって言った、失敗をものともしない成功をさせなきゃ承知しないと言ったんだ!」
声を張りはするが次のチャンスを与えるのと、全く意味は違わない。海外に長いこと出て、心境の変化があったのだと解釈する。
「エスコーラの名にかけて、必ずやご期待に沿いましょう。ボスを南米一のドンに押し上げてご覧にいれます」
「ふん、歯が浮くような抜けたこと言ってんじゃないよ!」
一つ宙に浮いた形で疑問が残っていた。それをゴメスが指摘する。
「もう一人、カーポは補佐のままで?」
一人は副になり、もう一人が補佐のままでは不都合が生じるのは目に見えていた。何よりラズロウが許されて補佐だけはそうならない、それでは彼もエスコーラをまとめ辛い。
「ラズロウ、正直に答えるんだ。二人の補佐のうちでどちらを手元に残したい?」
即ち片方は離れてしまうことを意味するのだが、行き先がレティシアの傍なのか別のどこかなのか、この言葉だけでは全く判断がつかない。
「オリヴィエラを」
咄嗟により有能な方を選ぶ。答えにまごつくわけにはいかなかった。
「そうかい。じゃあメルドゥスを残してやる」
始めから素直に指名者を使わせてやるつもりが無かった彼女は、続けて目的を語る。
「オリヴィエラ、お前には新しいファミリーを立ち上げてもらう」
降ってわいた機会に「はいボス」落ち着いた返答をする。
「サラの商業地に乗り込んで、裏を仕切るんだ」
新規の土地では何もかもが一からになる。苦労が大きい反面で、見返りもまた多大である。
「やってみせましょう」
「ゴメス、お前のとこから補佐を一人だしてやんな」
なるほどと彼は請け負った。誰を送るかも即座に浮かぶ。
「どこへ乗り込みましょう」
ベネズエラかペルーか、はたまたエクアドルかと思いを馳せる。
「場所はマルカだ、ソマリアだよ――」
ホテルでひっくり返っていた島が、戻ってきた彼女に声をかける。
「よう、終わったか」
「お前の知ったことか。パラグアイには行けなさそうだね」
「昨日の今日では迷惑だろうな」
島だけなら問題ないとも言えるが、やはり近寄らないのが正解だろう。ブラジル観光でもしておくか、などと手近なところをあげる。
「気分をかえてオーストリアあたりで優雅にってのはどうだい」
音楽や芸術の国である。元はといえばオーストリア皇帝がいた場所だけに、ウィーンやらプラハにワルシャワあたり、名残があるのだ。国家として凋落を体験しても、気位は高く持っている。転じて芸術を高く認める風潮が根付いた。
「ご所望とあらばどこへでも」
イグアスの滝だけは見ていきたいと言うと、それぐらいは良いさと、早速向かうことにした。目と鼻の先である、外国人観光客に混じり自然の恵みを堪能する。
ところ変われば水を求め争ったり、水害で生活を失うこともある。それが観光資源になったりもする、全ては人間側の勝手な都合なのだ。
飛行機を気長に乗り継ぎしながら、ようやくオーストリアについた頃には、二人ともぐったりしていた。
「わかっちゃいたけど、遠いもんだね」
「ああ、同感だ」
思い付きなのか何なのか、行きたいと言うから来てみたら、まずは部屋で休みたい気持ちになったのは残念なことである。ホテルザッハーでチェックインをする。突然だったのでいつものようには、スイートルームが空いていなかった。
「景色が楽しめる部屋を頼むよ」
「そうなりましたら、ペントハウスかオーベルルームですが」
ペントハウスは一万ユーロ、オーベルルームは七百ユーロだと説明した。
「ペントハウスで頼むよ」
まさかの選択にコンシェルジュが内心驚く。だが日本人らしき面影があるため、ブルジョワジーなのだろうと受け止めた。
「パスを拝見させていただきます」
すっと差し出されると、本日入国したばかりのニカラグア人になっているではないか。ドイツ語を喋り日本人らしいニカラグア人でブルジョワジー。とても稀な組合せである、少なくとも彼は会ったことがなかった。
支払いは当然のように、メタルプレートのブラックカードだ。見慣れたものでコンシェルジュも納得した。
「ヘル・イーリヤ、フラオ、ご案内させていただきます」
ネームプレートにはフィッシャーとだけ書かれている。たまたま客が重なりフロント係が不足したため、急遽応対したにしては手慣れたものである。
――さすがザッハーのコンシェルジュだ、この職域の最高峰だろう。
「モン・フィッシャー、確か近くに美術館があったはずだが」
レジオンの頃に聞いたことがあったが、名前までは思い出せなかった。
「はい。アルベルティーナ美術館で御座いますね。徒歩で二分と掛からない場所に御座います」
「チケットを手配しておいてくれるかな、明日朝にでも見てみたい」
「畏まりました」
雑用を何でも気持ちよくこなすのがコンシェルジュである。ホテル内外関係なく、様々な人脈や知識を行使出切る、それが必要なので中々に適切な者は少ない。特に外国人が多く訪れるようなホテルでは、各国の言語や習慣だけでなく、歴史や政情まで頭になければ上手く行かないだろう。
「お食事はお好きな時にお申し付けくださいませ」
疲れているだろうから、説明するべきことは後程連絡いただければと退室しようとする。懐からユーロ紙幣を取りだし、いつもの数倍を握らせた。部屋料金にパーセンテージといった目安があるのだが、今回は適当ではないだろうと百ユーロを渡した。
「貴方はとても素晴らしい、こんな応対はパリ以来です。レストラン・ル=グランジェのネイ総支配人、彼もまた素晴らしい」
ついつい浮かべた顔が彼だったので口に出す。
「ヘル・ネイをご存じでしたか。彼とはモン・クレドールインターナショナルでご一緒したことが御座います。紳士とは彼のような人物でしょう」
業界の集まりごとのようなものだと、簡単に説明があった。
「知ってらしたとは嬉しいです。世界は案外狭いらしい」
笑顔で部屋を去る。改めて見回すと豪華絢爛とはこれだろう。
「凄いな、王様にでもなった気分だな」
「一泊に一万ユーロ、確かに王侯貴族の領分だろうね」
国賓が宿泊することがあるホテル、その最上階、たまたま空室だったのは幸運だったと言えるのかどうか。
「館内にも美術展示室があるようだ」
きっと並の美術館より凄いものが、当たり前に並んでいるのだろう。
「あれはなんだ?」
窓から見える古めかしい建物を指差す。近くには様々な文化財が、ところ狭しと存在している。
「国立オペラ座ってやつだな。その奥にあるのは、硝子細工の工房らしい」
ガイドブックが備え付けてあったので、視線を落として確認する。
「戦争でも爆撃を避けるわけだ、わかった気がするよ」
市街地は無防備宣言を行い、政治交渉で支配者が決まれば従うなど、歴史的建造物の保持に努めている。美術品の収奪はあったにせよ、破壊に至らなかったならば目的の半分は達成したと言えるだろう。
少し横になり疲労を抜くと、階下にあるレストランへと足を運ぶ。常に一定数のテーブルをリザーブにしてある。これは慮外の事態への対策で、満席になるまで客を入れない方針が貫かれている。
空いている席に案内されると思っていたら、そのリザーブにと誘導された。一際豪奢なテーブルに、銀食器が優雅に鎮座している。
「ヘル・ゲネラール、どうぞごゆっくり」
明かしていないのにどうして、そう考えたがすぐにフィッシャーがネイに問い合わせただろうことが浮かぶ。
――世界の将軍らに睨まれそうだ、俺みたいなやつが将軍を名乗るなと。
スープや前菜が出され、メインの皿が目の前に現れる。
「ターフェルシュピッツだとさ」
「こいつは子牛だね、こんな旨いのは初めて食ったよ。一皿じゃ足りないね」
おかわりを注文する彼女を見て、少し安心してしまった。自身の幸せがこんな些細なことで感じられるものなんだなと。
「確かに絶品だ、これに限らず全てが」
こうまで違うものかと感嘆の息が出る。だがオーストリアで有名なのはそれだけではなかった。デザートはチョコレートケーキで、生クリームがかかっていた。
「これは!」
「う、うまい!」
酒飲みであっても甘味も分け隔てなく愛する。生クリームには甘味かなく、滑らかな口当たりを産み出していた。そしてアクセント、チョコレートケーキの中心部にナパージュが隠れている。
「これがザッハートルテか」
菓子の国でもある、それを痛感した。何せレベルが全く違うのだ。これまたおかわりを要求して、ぺろりと平らげてしまう。
――こいつは太るのが理解できる。こんなものばかり食べていたら、嬉しくてついつい手が延びる。
大満足して一旦ロビーにと降りていく。格好が場違いのような気がしてならないが、外に出れば問題なかろうと、忘れることにした。
「たまにはこんなご褒美があってもいいな」
「普段からじゃあ感動も薄れるからな」
けどまた明日喰うからな、などと予定を入れてしまう。
――異存ない。これが宮廷料理とかいうやつなのかね。
夜中には夜中の楽しみかたがある。夜景を観光しにホテル前に並ぶタクシーに乗り込む。ドアマンがタクシーにまで付き添い、手で車のドアを開け「いってらっしゃいませ、将軍閣下」と挨拶する。
――気軽にタクシーにも乗れんなこいつは。
当然聞こえていた運転手が「どちらに向かいましょう閣下」などと問い掛けてくる。これには苦笑してしまった。
「景色や雰囲気を楽しみたくてね。任せるよ」
この手の扱いはお手のもので、運転手も畏まりましたと、ゆっくり動き始めた。街並み自体が素晴らしい。車窓から眺めているだけでも、ついついあちこちに目が行ってしまう。
「あの建物は?」
大きく時代を感じさせるような、優雅でありながら力強さを象徴するような建物を指す。
「あれは市庁舎です。遥か昔には、オーストリア軍の拠点にもなっていました」
「市庁舎か!」
――こいつは凄いぞ。農場にあるような城館ですら要塞になるのに、これに堀でもあれば正真正銘城だな!
向かいにも二まわりほど小さな頑丈そうな建物があり、そちらも名残だとか。更に車を流していくと、白磁の厳かな雰囲気を纏う教会らしきものが見えた。
「あれは?」
「シュティファン寺院です。とても幻想的ですが、もっと引き込まれるような場所にご案内させていただきます」
これだけでも感動の嵐だと言うのに、まだまだ凄いぞとはどんなところだろうかと、二人は目を合わせてしまった。
辿り着いたのは小高い丘であった。人の気配はするが近く姿はない。巧妙に自然の仕切りが置かれているようだ。
「私は車で待機しておりますのでごゆっくりどうぞ」
気を利かせて二人きりにしてくれる。微かに明かりが見える側に進むと、突如視界が開けた。
「街の夜景だね、あと橋があるな」
「ドナウ川だ。――幾多の英雄達もこの景色を見ていたんだろうな……」
遥か昔から流れ続け、人々の繁栄と争いを黙って見つめてきたドナウ川。これからもきっとそれは変わらないはずだ。
「人の命や足跡なんて儚いものだよ。だから好きにやればいいさ、善くも悪くもそんな先まで誰も覚えちゃいないよ」
「好きに……か」
――ナポレオンやアレクサンドロスにはなれやしない、そんなことはわかりきっているさ。俺の精神鍛練が足らないだけだよ。
どれほどだっただろうか、二人で暫し景色を眺めていた。いつまでたっても自ら作った枠に収まってしまう島を、彼女はどう思っているのだろう。
――本格的に軍を保持するのにはどうすべきか、考えてみるとしよう。
「戻ろうか」
「ああ」
彼女は声の調子が些か違うなと感じた。闇のなかで口の端を吊り上げるのだった。
翌日アルベルティーナ美術館で、山のように展示品を鑑賞する。版画のコレクションが有名らしく、一瞥してまわるだけでも時間がかかった。気になる作品がある度に、学芸員に詳細説明を依頼する。
昼はカフェザッハーで軽いランチをとり、博物館をまわった。こちらには甲冑を始めとした、歴史的な展示品が多数並んでいる。珍しいものとしては、当時の外交調印文書が置かれていたりした。
「形式は今以上に求められていたわけだ」
何せ通信網が発達していたにせよ、所詮は物理的に運ぶに過ぎない。詳細まで一々確認していたら、季節が幾つも過ぎ去ってしまう。
「何かしらの合意をした、それだけが重要なんだろ」
「それまた今以上に老獪で度胸満点の外交官が沢山居たろうからな」
偽の電文を作ったり、あっさりと破棄してみたり、はたまた使者ごと行方不明にしてみたりと。
――現代の日本あたりなら、果たしてどんな騒ぎになるやら。
暗くなりホテルに戻り、お待ちかねのディナーと相成った。わざわざ昼を軽めにした理由が微笑ましい。満足する彼女の前で、これまた極上のワインを飲んでいると、フィッシャーがやってきた。
「ご満足いただけているでしょうか、将軍閣下」
「勿論です。全てが最高峰です、物も人も」
美術館もまた最高だったと振り返る。
「ありがたいお言葉です。ご用がありましたら、いつでも仰って下さい」
物腰柔らかな所作で、別のテーブルへと向かっていった。
「近くまで来たんだ、チューリヒに寄ってみよう」
「あたしも秘密口座の一つでも作っておこうか」
ギャングスターのそれを引き受けることは無いと知りつつ、パラグアイでの利益を増やしてやろうと画策する。他にもスイスの街を話題に出す。
「ジュネーヴもあるが、スイスの端と言うよりはフランス内に近い感覚だ」
国連関係で有名な都市だが、周辺は山がちで傍にレマン湖があるだけの、やや隔絶された街である。車で三時間も走れば、フランスのリヨン市に辿り着くが、空路が無難だろう。
二晩をウィーンで過ごし、ブランチをとり空港に向かった。さほど時間を要さずに目的地へ到着する。アニメに描かれるような碧の山脈、なだらかな裾野に家々が建ち並ぶ。まさにそんな景色が散見された。
「さしたる産業が生まれないわけだ。あたしにゃ不向きだね」
スイスの産業、一昔前は傭兵が主力であった。外貨を稼ぐ手段が乏しく、人間を鍛えて出稼ぎに従事させる。その労働者も後輩への道を閉ざすわけにはいかないから、必死になって働いたものだ。雇い主が死亡しようとも、部隊が全滅しようとも、スイス人傭兵は契約に従って奮闘する。その噂が真実だと知れ渡ると評価が高まり、更に過酷な仕事が待ち受けた。
時代が過ぎ去り、傭兵が国際的に認められなくなった今も、バチカンの衛兵は彼等が警備を続けている。またそれだけは特別だと世界も承認していた。先達が残した伝統が遺産というのだから、誇らしげな話である。
「空気が澄んでいる、極力排気ガスがない物を利用しているようだな」
電気自動車だけでなく、自転車が好まれている。近代まで自転車部隊が陸軍にあったのも、国土の特徴からだ。
「ジジイが余生を過ごすならって感じだよ。いいか、お前にも全く似合わん」
気持ちよく断言いただき、中央にある銀行へと足を運ぶ。賓客以外は訪れない場所だけに、警備員までジェントリースーツ姿で笑みを浮かべ挨拶する。
「シュタッフガルドさんにアポがある。イーリヤだ」
「お待ちしておりました、どうぞお入り下さい」
ピンマイクに来訪を告げると、受付から女性がやってきて応接室まで案内してくれる。
――やってきたのは初めてだが、貫禄を感じるね。
部屋には白髪混じりで髪を後ろに流し、鼻の下にだけ髭を生やした壮年男性が、姿勢正しく起立したまま迎えいれた。
「支配人のシュタッフガルドで御座います。ようこそお出でくださいました」
「イーリヤです。たまたま近くにきたもので、寄らせて頂きました」
握手を交わし、レティシアを紹介すると、彼女にも改めて自己紹介をした。グラスで水が出される。ほんのりと柑橘類の香りが感じられる。不思議ともう一口飲みたくなるような、然り気無い逸品であった。
「投機ですが、順調な値上がりを見せています。海賊被害が高まりソマリアへの寄港が忌避される風潮が高まれば、暴落の恐れがあります」
――そりゃそうだが、今以上に悪くは中々ならないくらいに最悪だからな!
「シュタッフガルドさんはどうすべきだと?」
専門家の意見を参考にしようと、考えを引き出しにかかる。
「リスクを分散させます。持ち株を売却し利益を確保し、別分野に投資します。または保全に投資でしょうか」
「保全とは?」
「各国が艦隊派遣を減少させると宣言した場合、ソマリア海域への失望感が株価を下げます。それを緩和し持ち直させる為に、民間軍事会社に一部の業務を代替させる等の案が持ち上がるでしょう」
――なるほど、警備に資金の一部を回すわけか。喪うときに双方一緒ではリスク分散にならないが、敢えてそれを口にするということは、それなりの道筋があると。
「民間軍事会社ですが、適当な先が?」
実直な支配人の話に乗っかってやることにする。聞いてみて納得いくようなら任せてしまおうと、腹積もりを決める。
「ブラックウォーターの後身で、R2社の子会社が設立の見通しです。専門が海事で、未公開株で資金調達を打診されています」
R2とは、アメリカで有名だったブラックウォーター社、それを買収して問題を抱えてしまった会社である。トップがブラックウォーターの創設者と、かなりキナ臭い部分がある。
「現在の業績は?」
「UAEにて八百人規模の要員を抱えて活動中。オイルタンカーが悲鳴をあげているのを聞いて、乗り出そうとの話です」
「それこそオイルマネーで集まるのでは?」
一般人が想像したこともないような、莫大な金額が簡単に右から左へと動くのだ、出資もまた気分次第。
「彼らはオイルが失われても、喜びはしても悲しみはしません」
――そうか石油が高騰すれば、さらに儲かるわけだ。だから子会社での事業と言うわけか。株主が不明ならば言い訳も可能か。
「レティアはどう思う?」
足を組んでそっくり返っていた彼女に、率直な意見を求めてみる。
「上手くいくかは近くを遊弋している船に協力を貰えるか、その一点だろうね」
――海軍へのコネか、通報を受けたら放置もしないだろうが、間に合わなければ意味がない。航空機からの支援があれば、海賊も逃げ出すだろう。ソマリアの派遣軍に依存か、ちと厳しいな!
「分が悪い賭けに見えますが、肝を押さえていたりは?」
当然この考えに辿り着くだろうと、シュタッフガルドも計算しているはずだ。ならばその懸念を払拭する手を持っているだろう。
「ケニアの治安担当大臣、彼もこの株主になる予定です」
――ケニアか! あそこからならば陸からの発進で、充分な範囲をカバー出来るぞ。
「先年、確か大臣が事故死をしたとヘッドラインで見かけた気が」
「ジョージ・サイトティ大臣ですね。現在のアーサー・サイトティ治安担当大臣は、異母弟にあたります」
――すると海賊やテロリスト相手に躊躇はしないな! アメリカとしても、今の大統領がケニアにルーツあり、しかもイギリスにも濃い繋がりがある、数年は上手くいくかも知れない。
「不明瞭な支出となれば、公金は出せませんね。その上でオイルマネーもダメ、ときたら出資者は限られてくる」
「財閥系は保険会社に向けますからね。ですがイーリヤさんは、それでは旨味がない」
株価そのものではなく、海事民間軍事会社に発言権を持つ、こちらに魅力を感じてしまう。
――運用は支配人に預けて、警備を雇ったと思えば悪くないな。
「取締役を一人入れらるだろうか?」
役員が入れば何かと便利だと、会社の規模を確認する。
「はい、適切な株式数になるよう調整させて頂きます」
「ではお任せします。立ち上げの際に、私も一度出席したいと思います」
しくじればそれはそれだと割りきる。
――精製工場に港、ついに軍事会社か。俺は何をどうしたいやら。
「ところで、ホテルはもうお決まりで?」
仕事の話は終わりだとばかりに、声の調子も軽く尋ねてくる。
「いえ、どこかお薦めが?」
「ホテル・ボー・オー・ラックで宜しければ、弊社で契約していますのでご用意出来ます」
五つ星ホテルを年間契約とは、まさに企業としての信頼感が違う。
「お願いできますか、気ままな旅なので行き当たりばったりでして」
欧米に比べると、背の低い建築が多い。古式調の外装ではあるが、室内は新旧が混在している。観光だけでなく、ビジネスでの利用もあるせいか、曜日に限らずそれなりの賑わいを見せている。
「シュタッフガルド氏とは長い付き合いになりそうだよ」
ホテルで寛ぎながら、信頼感があったことを改めて口にする。
「精々長生きするんだね」
机で何か作業をしながら応える。気になって覗き込むと、口座開設の要項を記した書類を手にしていた。
「お許しがでたか」
「カダフィや金が開設出来るんだ、誰にだって作れるさ」
――言われてみればその通り。貸付はご遠慮というところだが、預入れならば困らんな。
税金天国に不透明銀行業務は、小国や産業がないような国の生命線でもある。時間が掛かりそうなので、館内をふらつくことにした。ザッハーと比較するのが間違いなのはわかるが、やけに寂しい感じがしてしまう。
ロビーで何と無くソファに腰掛けて腕を組む。やることが無いのも案外困るものだと内心苦笑いする。
――前にマリーに言われたな、こんな時には奥の手でも増やせと。困った時に慌てても遅いからな。
カフェスペースに置かれているパソコンの前に、場所を移動する。ドイツ語圏ではあるが、英語に設定されていた。世界地図を映し出して見詰める。今後の活動をするのに、どこを拠点とすべきか。
――目指すところはテロリストの殲滅だ、テロ支援国家はいかん。そして銃器に関する規制が強かったり、出入国で差し止めがかかるのもだ。海辺が良いな、空港も近くにあるのが条件だ。寒冷地はダメでも赤道直下は構わんな。
漠然とした大枠を決めてみる、世界の半分以上が候補からあっさりと消え去って行く。
――バルカン半島周辺は、勢力が込み入りすぎてるのと、言語が雑多すぎて除外。フランス周辺先進国も除外だな。
北米、中国、インドも次々と整理されてしまう。たった一つあればよいが、それが中々上手いこと合致しない。南米かアフリカ、東南アジアが有力になる。
この時点で残りは二十数ヶ国といった感じになり、一つずつ国家概要を調べてみることにした。
――アフリカ諸国はイスラム国家以外ならば、恐らく比較的容易に拠点を置けるだろう。南米でも汚職が酷い国ならば、札束次第で自由自在だ。問題はこちらがやりたいようにやるだけでなく、現地でもこちらを必要としてくれなければならない。ついでに海事訓練の拠点も同国に置きたいな。
再度地図を睨む。海賊被害があって、先程の条件に一致する国は、もはや十を下わまる。それでいて地方の権限が強い箇所を捜し、コネをつけられそうな場所。
――ふむ、ここだな。ロマノフスキーが有力者の名前を出していた……確か、アロヨだったな。会って話が出来ればまた視界もひらけるはずだ。
所在がどこというよりは、彼の出身地域を探す。そこで呼び掛けをすれば、いずれかのルートから声が届くだろうと。
――まずは行ってみるか、空振りならばそれもまた運命だ。
目標を一つ見付けて身軽になれるのが不思議である。部屋に戻り作業を終えたレティシアに顔を向けると、いともあっさりと見抜かれる。
「ふん、また働くつもりか。お前ってやつは貧乏性だね」
「まあそう言うな、急ぎはしないさ。数日は近くを見て回ろうじゃないか」
彼女とて長くは滞在するつもりはないが、二日や三日であちこち移動もせわしない。結局五日目の昼過ぎにチューリヒを発つことになった。
フィリピン、マニラの空港に到着する。島には苦い想い出の土地と言える。東南アジア特有の気候と、人々の熱気が感じられる。成熟したヨーロッパと、アフリカの中間、まさにこれからとの新興国を脱却したかしないか、力をもて余しているように見えた。
「ジメジメしてるね。暑いだけのアフリカより、ブラジルに似ている」
「だな。流石にレティアでも、ここではただの喧騒に聞こえるだろ?」
フィリピンの言語は、主にタガログ語が使われている。国際的競争力の観点から、英語を教育に組み込んでいるので、困ることは無さそうだ。
「なんだってこんな場所にきたんだい」
適当に無視して考えを探る。どうせ思い付きだとあしらわれるとわかりつつも、一応聞くだけ聞く。やたらと人がたくさんいて、青年層が中心に見える。
人を掻き分けてタクシーを確保する。乗り込んで市街地までと、簡単に指示した。
「ここで俺の妻子と義母を、全て一度に喪った。テロさ」
彼女も聞いていた事件が、マニラだったのかと頷く。ヒントを得てその先を推測する。
「被害者グループの誰かに会いに来た?」
犯人らが壊滅して、妻の墓がフィリピンにないのだから、自然とそのあたりだろうと絞り混む。
「ああ、約束があるわけじゃないがね」
その話題を耳にすることで、嫌な気持ちにさせてしまうことも考えられる。一日たりとも忘れないのと、思い出さないのは、どちらが良くてどちらが悪いものでもない。
「まあ良いさ、気がすむようにやれ」
安っぽい景色を眺めながら、つまらなさそうにする。彼女なりに気を使ったのだろう。
「俺はいまいち酸味がある食べ物が苦手なんだが、レティアはどうだ?」
酸味と辛味がやけに強いのは、暑い地域ではお馴染みだ。苦味に甘味、殆どの国ではこの四つが基本となる。少数派に旨味を重視する島国があったり、宮廷があったりする。
「それは、仕上がり具合によるね」
そりゃそうだと同意し、店を選ぶことにした。
面会の打診を行い数日後、フロントにメッセージが届けられた。場所を指定して良いならば、会っても構わないと。
「俺としてはどこでも構いはしないがね。どうだい」
「何故いちいち確認する、さっさと行くって返事を出しゃいいだろ」
ああそうだなと軽く話を流し、記載されている連絡先に、了承を告げた。一時間ほどで彼女は前言を無視して不機嫌になる。波で揺れる小型のクルーザーが気に入らない。
相手の指定場所は近隣の島だったのだ。間者が入り込みづらいように、陸からの隔絶した箇所なのは、容易に想像できた。
「すぐに着くさ、不便なところにわざわざ住まないだろ」
「知るか馬鹿が!」
怨めしそうな視線を向けられ、それ以上余計なことは喋らなくなる。本島から二十分足らず、泳いで行こうと思えば可能な位である。
船着き場に接岸し、ようやく安定した足場を得た。島もやはりそれが落ち着くのは、昔から変わらなかった。案内されるがままに、小高い丘にある館に向かった。本土とは反対側のより近い場所に小さな島が見える。無人島だ。
入口で形式的にボディチェックを受ける、珍しく警戒心が強い人物だ。
――まあテロリスト相手に身内を喪ったんだ、その程度はしたくもなるだろう。
応接室に通され、熱いコーヒーが目の前に置かれると苦笑した。インドネシア産だろうが、いよいよ縁があるものだと感じたのだ。凛とした雰囲気に少しだけ贅肉を付け足したような、還暦を過ぎたあたりの男性が姿を見せる。
「初めまして、ミスター・アロヨ。私はイーリヤです、お時間いただき恐縮です」
「イーリヤさん、こちらこそ来訪を歓迎いたします。どうぞお掛けください」
――ギャングスターとさして変わらんなこいつは。
方向性は違えど、不正を気に病むような人物ではないと見た。
「お話なんですが、どこか広くてあまり人が居ない場所に、土地を借りたくて捜しています。海岸沿いで」
商売ならばそれなりに喋るだろうと、まずは相手のスタンスを探る。
「そうでしたか、未開発の熱帯雨林を含めて良いならば、適当な場所がありますが」
自身が管轄するところなのだろう、誰に確認することなく応じてくる。
「更地にして建築物を据えても良い?」
「もちろん、ご自由に。現地踏査も手配しましょう」
二束三文の土地が金になるのに満更でもない。深くは踏み込まず、後日にと約束して本題に入る。
「実は私の妻子ですが、数年前にマニラの列車でテロにあって死別しました」
相手も同じ過去を持っているのを、知っている素振りを散らしながら間を置く。
「それはお気の毒でした」
「テロリストを許せませんでした。血気にはやり、イエメンに乗り込みました」
記憶を手繰るかのように、少しずつ言葉を並べた。アロヨも目に違う光を灯す。
「声明を出したやつらの本拠があったとか」
伝聞のように表現する。乗ってきたのを受けて、また一歩先に進める。
「タイズにフィリピン人が傭兵を送り込んだことがあります。彼らは少数でファラジュの隠れ家に突入した」
「そんな話は聞いたことがありませんが……」
自己の防衛本能が働いた。アロヨは島を何者かと見抜こうとする。
「ホテルの宿泊カードには、アロヨ姓のフィリピン人が。そしてヨーロッパ系の傭兵は散らばって」
「君は一体何者で、何が目的だね」
低く押し込めた声が絞り出される。隣室で護衛が銃を構えて、すぐにでも乗り込めるようにしているだろう。
「私もその場に居ました。傭兵もろとも奴等を殲滅して、功績をイエメン軍に譲り去りました。ニカラグアがイエメンに祝電をいち早く送ったのを、覚えておられますか」
「確かあった。何故ニカラグアがと疑問を持った」
状況証拠を並べられて、土地に関する真意をはかる。だが事実との決め手に欠ける。
「何か確たる証拠を――」
「マニラ警察に問い合わせを。あの事件で乳幼児が巻き込まれていましたが、名前まで公表されていないはずです」
身分証明書がなかったのだから、現地ではその時調べようもなかった。帰国後にベトナム当局から、死亡確認があり初めて空白に名前が刻まれた。
「確かに報道にはなかった。して、名は?」
「グエン・ダオ=ホアン・チュニョ。グエン・ホアン・ニムの息子です」
「ダオ?」
「イーリヤのベトナム語でして」
電話一本でマニラ警察に確認をとる。有力者だけに、相手も飛ぶように資料を探しにいく。
無言のまま時間が過ぎて行く。そして答えがでた。うむ、と頷いて受話器を置く。
「非公開の警察情報を外国人が知りえて、タイズの件まで繋げるには無理がある。君の話を信じよう」
「ありがとうございます。兵の訓練地を欲しています」
単刀直入に結論を示す、最早遠回しな語り口は不要と。
「相手は?」
「ファンダメンタリスト」
「よろしい、絶好の場所を提供しよう」
武器の持ち込み等含めて、何一つ問わなかった。政治腐敗といえばそれまでだが、信念は感じられた。
「いずれもう一ヶ所、海賊相手の訓練基地も必要とするでしょう」
近年大陸との間にある、シーレーンでも海賊が出没している。不思議とどこかへ消え去るのだが、答えは半ばわかりきっていた。
「その時がきたら聞かせてもらおう。最初の目標は?」
そこで結果を出さねば先が続くかはわからない。島も少しなりとも相手の溜飲が下がる者を対象にする。
「本土に巣食う原理主義者に、一発お見舞いしてやりましょう」
列車テロでも案内役を務めたりしているはずだと、現地の勢力を指名した。
満足そうな笑みを浮かべて腰をあげる。
「一緒に歩かんかね」
快諾して部屋を出る。扉の側には他人を射ぬような目付きの男が控えていて、アロヨに会釈をする。
「紹介しよう、ここの警備責任者ロア君だ。元フィリピン海軍の少佐だよ」
「初めましてロアです」
――フィリピン海軍か、軍にも伝がありこいつ自身も使い道ありだな!
「イーリヤです。ロアさんは島全体の責任者で?」
館だけならばまた話は別だと尋ねる。
「はい、アロヨ様の護衛も全て担当しています」
「何か気になる点があれば、彼に尋ねてみてくれたまえ」
警備に穴があれば自分が危険なだけに、こればかりは部下を擁護したりするつもりはないらしい。
「本土から近いようだから、船ではなく泳いでの上陸についての阻止は?」
「海中に金網をはり、岸辺には監視カメラを置いています」
「空からヘリで強行着陸してきたら?」
「ヘリポートは一つしかありません、そこに対空火器を備えています」
打てば響くといった感じで、小気味良く答えてくる。
「エンジンつきゴムボートによる急襲は」
「機関銃陣地が水際で半分は撃退出来ます」
「その残り半分がやってきたとしても、館に拠れば守りきれるわけか」
大雑把に答えを引き出し、一先ずは対処を認める。
「もしイーリヤ君ならどのようにして侵入を?」
「アロヨさんの暗殺が目的?」
「それでいこう。船でもヘリでも使って構わない想定で」
一種の瀬踏みだと解釈し真剣に考える。ここで一段下に見られては、今後とも上手くない。
――少佐が答えた中にヒントがある。あとは被害をいかに少なくするかだ。戦果の確認の為には、館に兵を送り込まねばならない。
航空偵察が可能だとして、屋上に足を運ぶ。周囲を見渡し、木々が生い茂り着陸不能な場所ばかりなのを認める。見えている機関銃陣地は四方にある、隠されたものがあっても不思議はない。
ヘリポート近くに対空機銃が設置されているが、屋上からは建物の影になり、別の部屋からでなければ見えない。カバーをかけて偽装している可能性はあるが、間違いなくヘリポート周辺のみにしかないだろう。
「では、あそこに見える小島ですが、そこを占拠します」
「あの小島を? 何もありませんが……」
アロヨも少佐の言葉を聞いて、「占拠したとしよう」と判定を伝える。
「上陸部隊がゴムボートに分乗して周辺に控えます。この際に二キロ以上離れて、機銃射程外で待ちます」
「天候に恵まれていたら、目視による発見が可能です」
その通りなのでそれに従い一つ限定条件をつける。
「そうでしょう。なので暗夜から払暁にと時間を限定します。寝ているときの方が攻めやすい」
「真っ昼間に強襲することは無いでしょう」
互いに状況に合意して、島が話を進める。
「占拠した島から、ヘリポートに向けて迫撃砲で仕掛けます。六十ミリの射程で充分。これでヘリポートを使用しての離脱を絶ちます」
「それは……対処出来ません」
苦い顔をしてアロヨが「ヘリポートは使用不能、半々の確率で対空火器も破壊としよう」裁定を下す。
「異常で総員が警戒態勢になり、サーチライトが海を照らします」
「ゴムボートが見つかるのは時間の問題だな」
外敵に目が向くのを承知で、海沿いのゴムボートを遊弋させているのを発見させる。
「相変わらずの砲撃だが、少し手前に落として、角の機関銃陣地を狙わせよう。ゴムボートもそちらの側に寄せる」
「機関銃陣地は砲撃では抜けません。また警備も上陸対策に寄せて警戒させます」
「この状態から急襲しても、半分から三分の二の被害だろう」アロヨがどうするのかと意思を確認する。
「多目的ヘリでエアボーンを屋上に仕掛けます」
「暗夜では位置が不明では?」
「サーチライトが向いている内側だとわかる。それに砲撃で火災が起きる」
「対空機銃で撃墜しますが」
「あの場所から、屋上のここに射角がとれるかな」
「警備が駆け付けます」
「ゴムボート側に寄せていたのが戻る頃には終わっている」
ロア少佐も唸るだけで、次の一手がすぐに出てこない。
「勝負ありだ。その手でこられたら確かに苦戦する、もちろん対策はあるな」
「あの小島を利用されないように、管理下に置くべきです。それとヘリポートですが、一つでは心もとない」
二ヶ所あれば脱出の可能性も産まれる。
「ですが切り出しても結局上空から発見されてしまい、対策されるのでは?」
もっともな意見を少佐が指摘する。それは逆にヘリポート設置を可能だと認識しているともとれた。
「伐った木を鉢植えにでもして並べておけば、空からはわからんさ」
然り気無く語ったがロアだけでなく、アロヨも唖然としていた。
「イーリヤ君が今まで何をしてきていたか、教えて貰えるかね」
今さらになって経歴を尋ねてくる。隠す必要もないが誇示することもあるまいと、さらりと述べる。
「ニカラグア陸軍で准将を、アメリカ海軍付で参謀もしていました」
「何と将軍か! しかもアメリカ軍でも」
ロアも結果から格の違いを素直に認め、島に改めて敬礼する。
「退役して今や個人の願望を満たそうとしている体たらくです」
「イーリヤ君、いやイーリヤ准将、一度仕切り直してじっくりと話がしたい」
真剣な眼差しは、商売とは別の何かを背負っているのを醸し出していた。
「お声掛けいただければ幸いです」
ここで握手を交わし、帰路はチョッパーを提供されるのであった。
フィリピンでもまた数日観光を楽しむと、日本に帰国することにした。今度は温泉地ではなく実家を目指すというと、あのレティシアが微妙に緊張した面持ち見せるではないか。
「どうした?」
地元の駅から歩いて向かう最中に、落ち着かない彼女に声をかける。
「おい、こんなしょぼい手土産で良いのか!」
空港に売っていた菓子を片手にしていたが、それを持ち上げ見詰める。これといって特徴がないつくりである。
「何でもいいんじゃないか? 家に帰るだけだぞ」
「馬鹿者! お前が良くてもあたしが良くない!」
一旦街に行くぞと無理やりタクシーに乗せられてしまう。ぎこちないながらも、デパートに行けと日本語で指示し、車を走らせる。
――大人しく従うべきなんだろうな。
一時間や二時間遅れて帰ったところで、何も変わりはしないと黙ってついて歩く。
唸りながら悩みに悩んだ挙げ句、選んだのが何故か高級生肉のブロックだったのが、島は妙に和んでしまった。彼女なりに貰って嬉しい品を頑張って選んだのだと。
陰でこっそり母親に電話し、短くことの次第を告げておくのを忘れない。ロマノフスキーの指導が端々で生かされた。
――あいつも今頃は家族と過ごしているんだろうな。
肉を持ち歩くのは遠慮したいと、自宅前にまでタクシーで乗り付ける。昔から全く何も違いが見られない。インターフォンを鳴らすと中から母親が出てきて、二人を見て笑顔で「いらっしゃい」と招き入れる。
――お帰りではなく、いらっしゃいか。些細な違いはこんなところにあったか。
居間では新聞に視線を落としている父親がいた。心なしか線が少しばかり細くなったような気がしてしまう。
「龍之介、ただいま戻りました」
言うなり二人で座る。島にとってはリラックス出来る場所なのだ。
「うむ。そちらのお嬢さんを紹介しなさい」
あぐらをかいて座っているレティシアを見て、少なからず察する。島が口を開こうとするのを制して、彼女が自己紹介した。
「初めまして、レティシア・レヴァンティンです。ルンオスキエの父うえ、母うえ、こんばんは」
名前だけは言いづらかったのか、スペイン語風にしてしまう。
「おおっ日本語を。龍之介の父、龍太郎です。息子と一緒に訪ねてくれて、ありがとうございます」
頭を垂れて感謝を表す。レティシアも負けず劣らず、見よう見まねで頭を下げた。おい、と肘でつつかれて、肉の包みを出すよう急かされる。
「それは?」龍太郎が、少し首をかしげて包みを見る。
「マッツァカウシです、ほんの手土産です」
どう答えてよいか面食らった父に代わり、母親が「あら、ちょうどよかったわ、今夜はお肉が食べたかったのよ。ありがとうございます」などと応える。島が意味ありげな視線を父に向けると、それとなく察したようで「それは楽しみだ」笑顔で受けとる。喜色を浮かべる彼女に、衝撃が走る。
「して龍之介、レヴァンティンさんとはいつ挙式だね」
――おっと、親父に先手を打たれか。考えていないわけではないが、どうしたものかな。
「ちょっ、ルンオスキエ、お前!」
また勝手に一人で決めるななどと、食って掛かろうとするが、何故か口ごもる。
「レティア、俺は二度結婚し、二度死別している。結婚したら君もそうなりそうで恐い」
スペイン語でそう語りかける。ジンクスと言うやつだ。だが彼女は怒りの表情を浮かべて、語気も荒く反論する。
「あたしの運命はあたしが決める。神でもお前でもなく、このあたしが!」
「……一緒に来るか」
柄にもなく手をとり目を覗き込む。大人しくエスコートされるわけもない彼女は、ぐっと手を握り返した。
「おうよ相棒。だが家庭に収まると思うなよ!」
――そりゃそうだ、そうはならんだろう!
両親に向き直ると、遥か昔からの既成事実を喋るかのように、簡単に「来月挙式しようと思います」と宣言した。
「場所はどこかね」
二人は顔を合わせてしまう。まさかコロンビアとは言えず「日本で」答えた。
頃合いよく母親が「夕飯の支度をしますね」と台所へ消えていった。眼前にある肉の塊を手にし、台所へと続く。家庭に収まらないと言ったくせに、彼女もついてきた。
「家事はしないんじゃなかったのか」半笑いで追い返そうとする。
「座ってられるわけないだろ!」
義父とのマンツーマンを回避すべく、包丁を持つ役に志願したのは言うまでもない。
式場を急いで探して手配を済ませる。良い日取りなどは最早埋まっていて当たり前で、空いているところに差し込んでもらった。
彼女としてはそんなことは全く関係ないようで、風水はアジアの文化なのを再確認した。ドレス選びに時間がかかると言われ、それが半端ではないと瞬時に悟った島は、別行動することにする。
――何故ドレスを決めるだけで二日三日とかかるんだ?
口に出してはならない内容だと、肌で感じたために黙っておく。
一報を入れて後に警備会社に向かった。何か得られるものがあるだろうと。きっちりと連絡がついているようで、名を告げるとすんなり通された。
久保という社員が現れ、斎藤議員が一時間程で到着すると教えてくれた。
――あの時の電話のやつだな。
「久保さん、待っている間に少し見学出来ませんか?」
「係りの者を呼びます、今暫くお待ちください」
島の背景が背景なもので、快く要望を受け入れる。やはり見たことがある男が現れ、短い挨拶をして指令室に行きましょうと先導する。
「一ノ瀬さんだったね」
制服に三本線が入った彼の名前を呼ぶ。会うたびに逞しくなっているのがわかった。
「はっ、一ノ瀬達也、現在一級警備部長を拝命しております、将軍閣下」
一級警備部長とは、大尉に相当するような職位らしい。
「閣下は止してくれよ。警備会社ってのは様々決まりごと、特に国際的なルールによる縛りがきついんだろうか?」
日本国内だけならば、警備時のシルエットであったり、交通誘導などの有資格者であったり、何と無くどこかで聞いたような知識があった。
「海外では異常でも、日本では常識な部分が多いです。不審者にも危害を与えてはならないとか、警告は必須であるとか」
戦闘行為の禁止、人権の尊重、言い出したら切りがない。
――それで本当に役に立つのか? 厄介ごとを丸投げ出来るような、そんな部署が必要だな。
「参考になった一級警備部長」
その後は最新機器を、これでもかと言うほど見せ付けられ、装備による補助があればそれなりに解決することがわかった。いずれにしても、専門家を揃えなければならないとの結論に落ち着く。
「元気そうでなりよりだ」
後ろから声を掛けられた。今や国会議員になった斎藤が、友人との再会に喜色を浮かべる。
「あちこちで無茶をしましたが、不思議と生きてます」
握手を交わし場所を移る。応接室には秘書らしき男が待っていた。
「コンゴの件だが、まさかまさかの連発だよ。人の力を思い知ったね」
玉露茶を出されてそれを口にする。渋味があまりなく飲みやすい。
「後は住民たちの努力次第です。所詮自分のしたことは、一時凌ぎでしかありませんから」
「暮らしも政治も変わりはしないよ、その時の積み重ねだからね」
当たり前のことを特別に思わせよう、そう宣伝しているだけだと首をふる。相変わらず日本は不況のままで、政治は信用されず見通しは暗い。円安誘導により、株価だけは極端にはねあがったが、貿易赤字もまた膨らんでしまい、貧富の差が拡がる結果もついてきた。
「実は」今回に限ったわけではないが「ニカラグア軍を除隊してきました」
だからと警備会社に入社しにきたわけではないのは、今さら言わない。
「次はどこで何を始めるつもりだい。出来る限りの助力をしたい」
むしろ何かを手伝わせて欲しいと申し出てくる。
「民間軍事会社、それも海事専門のに一枚かんでみようと考えてまして」
「私の専門だな。だが海事?」
「海賊対策の続きです。ソマリアの海賊民を警備に雇うよう手筈を整えてきました。ですがまだまだ不埒者はなくならないでしょうから」
「海賊を警備にか! いやはやそれはコロンブスの卵というやつか」
失業対策に海賊減少、船舶護衛に三倍上手い手だと絶賛する。生活保護受給者が農村で就職する位に喜ばしい、苦笑を返すしかないような喩えをしてきた。
「そこで知恵を貸していただきたく、推参したわけです」
わがままばかりで申し訳ない、先に謝ってしまう。用事があるときにしか現れないのだから、心苦しくもなるだろう。
「頼ってくれて正直嬉しいよ。やるとなればそうだな、君の場合は国際海事弁護士を必要とするだろう」
国内にも海事弁護士は稀にだが居る、そう短く補足した。何のことはない弁護士のうち、海事に詳しい者を指すらしい。
「どなたか紹介いただけるでしょうか?」
「うむあたってみよう。実務は……幾らか心当たりもあろうな。幕僚に条約などの類いを進言する者が側にいるだろう」
――弁護士をあちこち引っ張り回すわけにはいかんからな。海軍士官も民間軍事会社の法律を、詳しく知らんだろうが、それは後回しにしても良かろう。
「参考になります。フィリピンで訓練をしようと考えています」
「あそこも海賊の巣窟だ。シーレーンを脅かされて一番困るのは日本だと言うのに、政府は対策に後ろ向きだ」
情けなくて言葉が出なくなると、危機感の低さを嘆く。資源の輸入大国なのを理解していないのだろうかと、疑いを持ってしまう。
「ソマリアの沖よりは軽装備らしいです。逆に船自体の性能は比較にならない程高いようですが」
海賊をするために投資をするやつらが居るのだ。食いつめた村が丸ごと海賊になるのも当然多いが。
「世の中には幾らでも問題があるものだ」斎藤がため息をついた。
「実は、来月結婚します」
不意に空気を変える言葉を発した。この前の彼女だと教えると、柵全てを脇に置き「おめでとう」心から祝福してくれた。




