第五十八章 ラハンウェイン氏族、第五十九章 アル=シャバブ・イスラミーヤ
モガディッシュ南西数十キロの地点に、主要都市と呼んで差し支えがない位の規模を誇る、マルカという街がある。政府と反政府の競合地域という、地理的な不運を被り十年ほど前から、様々な形で争いの舞台になっていた。
港があり栄えた始まりは他と変わりはないが、この地域はラハンウェイン氏族――ソマリアの五大氏族のうちで、下位を争う勢力が根付いている事実がある。
内陸に向けて楕円形の勢力圏を持っているが、オガデン地方までには届かない。それゆえに、モガディッシュから内陸側を円曲線で回り込み、キスマヨまでを繋いだのが、大雑把にアルシャバブの支配地域になっている。
反対のモガディッシュから北側内陸にも似たような線が延びて、ソマリランド、プントランドにぶつかるまでも連邦政府のものだ。つまり内陸遊牧民がそれにあたる。単純に連邦政府に従えば利益になるからだ。
ではそれに反対しているというと、海岸線や氏族ごとに集まって暮らしている地域、経済が順調とまではいかないが、富の流出を懸念している。キスマヨもそうだったが、大都市の多くはそれだけで充分な力があったので、勢力同士の奪い合いが繰り広げられた。
ラハンウェインの都であるマルカを巡るあれこれも、背景としては簡単で、氏族全体を取り込むための鍵となる街ということだ。
シャリーア――イスラム法による統治が数年間続いていたが、それはそれで受け入れられて治安を保っていた。そこに連邦がとって返して、以前のような形に戻したがまた治まった。
「手筈は整えてあります」
資料を再度頭に入れている間、目の前に立っていたコロラドが様子を見て言葉を挟む。
「マルカには船で?」
相変わらず言葉も通じない地域であっても、何故か上手いこと仕事をやってのけるのが不思議でならない。浮浪者相手に警戒を強くするのは強盗の類いである。逆に向こうが立身のために話を通せと、なけなしの金品を差し出してきたら、小遣い稼ぎ程度に動くのが人の感情らしい。
「何らかのグループに混ざって海路が安全でさぁ」
「それについてはサルミエ少尉が手配してくれ」
「スィン」
詳細は後に決めるとして、移動の手配から宿泊、護衛への連絡から留守を司令に伝えるまで、全ての雑用を一任する。
「先方の窓口は」
「シャティガドゥド」
――元議長か、アルシャバブにマルカ一帯を支配されてからは、引っ込んでいるようだが。
そもそもがラハンウェインの人口自体が多くはない。それでいて実力者ともなれば、片手があれば足りてしまう。著名人、この氏族に関して言えば学識経験者、博士あたりがアメリカの大学で活躍している。その片手に収まるうちの人物は、長短を別にしてソマリア政府や議会、それに類する執政側に名を列ねたことがあった。
「適切な相手だと考える。体制側であっても、主要な地位からは外れているわけだからな」
発言力はある程度持つが他には及ばない、典型的な脇役の類いである。それだけに安定を得るためには右に左に立ち回ってみたり、逆に芯を通して一切動かなかったりなのだ。
「常に統治者の下に侍る態度は、どう見えるかって部分で」
「良くいえば穏健派、この際は別の見方は忘れよう」
既に連邦の影響力が勝ってきているのだから、悪い話ではない情勢なのはお互い様である。問題はそれによって、氏族が利益を受けられるかどうかだろう。
「氏族の利益と氏の利益と、どちらが効き目があるかで一つ。間違いなく氏族の側で動きますぜ」
判断の背骨部分にあたる内容をさらりと述べる。口から出任せを言うような奴ではないのを知っている島は一言「わかった」とだけ答えた。
「何故とは聞かない?」
「お前がそう判断したんだ、俺にはそれで充分な理由だよ」
話したいなら聞くから好きにしろと、唖然としている男にどうなんだと逆に問う。
「シャティガドゥドは、財産の殆どを部族の共有に差し出していましてね」
にこにことしながら答えを吐き出す。サルミエが不気味なまでの中年の笑顔に目を向けて、二人の関係を心に刻む。
「マルカを自由港にしてみたいところだな。それは為政者云々よりも、住民代表の発言力が強くなる形だ」
中立政策がうまく回るかは、現実問題切り盛りが可能かその一点に尽きる。力で従わせようとしても、結果として利益をもたらす何かが寄り付かなくなるならば、無意味どころか名を貶めることになる。実現するかは別として、閃き自体に本人が興味を持った形で話は終了した。
ナイロビから戻ったトゥルキー将軍は、キスマヨの自宅に寄らず、すぐにラスカンボニ旅団の本部に入った。珍しく主が長く留守をしていたが、理由を知っている者は少ない。
「変わりはないか」
側近に短く確認する。異状あらば即座に連絡が入るようにしていたので、報告はないはずだ。
「旧来の武器庫の場所に侵入者がありました。罠にかかって息はありません」
「連邦の兵だな」
「はっ」
アルシャバブに籍を移した際に、兵員の多くが政府の下に残った。その事実があったため、すぐに重要施設は場所を変えさせている。空っぽになったところにわざわざ忍び込むのは、酔狂な者か武器庫だと知っていた関係者しかいない。
――罠を使わずに何とか捕縛してしまえば、更に次が見込めるものを。こいつの限界は今の最善を尽くすところだな。
最善を尽くしたが為に、未来で得られるかも知れないなにかを失った。努力した者にしてみれば、理不尽な評価であろう。
「組織からの通達は」
再三政府軍に積極的な攻撃を仕掛けるようにと、要請なのか命令なのかが寄せられている。
その都度トゥルキーは、政府の監視が強くて行動を起こせない、と言い訳をしては郊外でテロじみたことをした。不満はあれどアルシャバブが、組織から追放するには惜しいと思う程度の結果を重ねていた。
政治的な感覚が極めてするどいのだ。平気な顔でナイロビの会議に出席するように、奇行が目立つとも言えるが。
「キスマヨとマルカの間を取り込むようにと」
――イーリヤ准将の担当地域か、あれと正面から戦うのは愚かなことだ。海岸線を外せばかちあうこともあるまい。
「了承を返答しておけ。河辺を少し取り返してやろう」
散々何度も拒否してきたくせに唐突に行動を起こす。このあたりが状勢を読む力だろう、ここぞという時には一気呵成に押し通す強引さも備えている。同時に動けば当然邪魔をされる可能性が減る、誰しもが余力を大幅に削がれるからだ。
「畏まりました」
ゆるやかな仕草で退出して行く配下を見て、仕方のない感想を抱いた。
――皆が歳をとったものだ。オガデンでの争いからこのかたずっと戦い続けてきたが、未だに私の理想からは遠い。次世代に思想を残さねば、ソマリアはまだまだ揺れる。
マルカへ渡る船団に乗り込み、一行は港に降り立った。何の用事があるのか、意外と沢山の人がうろついている。あまり固まらずに、少数でグループを作って歩き出す。
「道端でこんにちはともいかんだろう、どこで会うつもりだ」
「ホテル・ラ=マルカに予約を取っています。場所はまだ未定です」
サルミエが事前に互いが細工できないように、敢えて詳細まで詰めていないと説明した。
――無法地帯の一歩手前だ、気を入れねば大火傷するぞ。
港のすぐそばに建っているのは、利便性の都合だけではない。植民地だった頃の区割りやら、特別現地法やらの兼ね合いからでもある。都市部を少しでも離れでもすれば、そこはもう力だけが全てを支配する世界だと考えておく必要があった。行方不明は即座に諦める位の話だと。
――諸事側近に任せ、基地は相棒に任せ、か。しくじりましたでは話にならん、どこまで譲歩させられるか覚悟しておかねばならんな。
中々の規模を誇る港である。近隣に劣ると言われてしまえば否定は出来ないが、単純に広さと限定してしまえば負けないくらいの敷地面積と断言出来た。
島がふらふらと歩き回るわけには行かなくなった。随員が手分けしてお膳立てをする、それを眺めているのが仕事というわけである。ホテルで待っている間の退屈しのぎに、あれこれとネットサーフィンを試みた。
――機密を暴露、多かれ少なかれやっているだろうが、よくぞここまで世界で騒いでいるものだな。あの女首相など、格好の目標だと言わんばかりだ。それに触発された日本で、特定機密の保護がどうのときたわけか。原発の後始末がどうなったかは風化しつつあるな。
外を眺めると不思議と日本語がちらほら目につく。廃車になったり盗難にあった車両が、次なる人生をアフリカで送っているのだろうか。
ここでは現金ではなく車一台と小銃一挺交換、などが笑い話になっているそうだが、ロシアでは現実なのだから恐ろしい。
――ロシアが海賊対策しているのは、案外これらも理由だったりしてな。
パソコンの前にいる自分の他には誰もいない。隣にはサルミエが詰めているし、扉の外の廊下には護衛兵が居るには居る。エーンには随員の指揮の為に外回りを任せていた。
――海賊退治に大事はあるまい、あるとしたらそれ以外で起きる不都合だ。要塞が陥落しては面倒だが、人数に限りがあるな。かといって攻めを減らすわけには行かんぞ。どうにかして後方の安全を確保せねばならん。
単純に頭数を増やす方法もある。何せ事務や雑用だと言い切ってしまえば、それで構いはしない。だが出来ないから悩むのだ。正規軍の看板は、見えない枷があちこちに設けられている。
背伸びをしているところに隣から「閣下、失礼します」、サルミエが入ってくる。
「最近あまり走ってないから、体力低下が心配だよ」
何のことだとの表情をちらりと見せるが、特に反応を出来ずに終わる。
「えー……マリンディより連絡がありました。大使館ですが、予算が戻ったので後方支援を再開すると」
――おっと巻き込んでしまい胸が痛んでいたが、支えがとれたようだ。
「わかった。ところで妹は元気か」
「え、あ、はい。パラグアイで大学に通っています」
「それは良かった。ソマリアが片付いたら一旦ニカラグアだが、その後は自由だ会いにいってやればいい」
ポロリとその後を漏らしてしまう。副官相手なのだから、それ位は良いだろうと。
「作戦後の長期休暇ですね」
「そうだ。軍人は休みを満喫するべきだからな。それとも他に会いに行くべき相手が居たりするか?」
居る方がむしろ死にづらくて結構と、引き出しにかかる。
「いえ、アルゼンチンに気になる人は居ましたが、帰国する気にはなれません」
したら最後、難癖つけて拘留されるはずだと。確かに軍の指名手配になっており、ニカラグア国籍に変わっていても、サルミエがサルミエとの事実は変わらない。
「縁があればそのうちばったり出会うさ。世界は広い、だが偶然は起こりうるからな」
――ジューコフ然り、パストラ夫人然り、オヤ・ビン=ラディン然りだ。どこで誰と鉢合わせるかわからんぞ。
「あの日本人士官の御子柴少佐ですが、閣下のお知り合いだったとか」
「ああ、三年間つるんで悪さをしたものさ。クラスメイトだ」
なるほどと頷く。彼にしてみればほんの数年前は、まだ学生だったのだから理解しやすい。改めて島が日本人なのを知ることとなった。
ラ=マルカのすぐ傍に船舶関係者が利用するレストランがあり、会談はそこで行われることとなった。個室を一つ借り、十人掛けのうち三席のみに島らが座る。随員は後ろに立たせたままにした。
一方のシャティガドゥドは、その態度を見て同じ人数が着席することを選ぶ。彼一人、または四人以上になればその背景が滲み出てくるだろうと仕掛けたが、どうやら話し合いの経験が生きているのか、対等である姿勢を示す。
「初めまして、ニカラグア陸軍イーリヤ准将です」
アラビア語を使って反応を待つ。ソマリ語の通訳は後ろに控えさせている、相手の密談があれば聞き逃さないようにと。
「シャティガドゥドです、元は暫定政府の役人でした」
議長がただの役人ではないとは誰でもわかる。控え目な性格なのか、皮肉なのか簡単な挨拶を交わした。始めから意中の人物を引き出せたことを、まずは素直に喜ぶ。
「突然の話に足を運んでいただき、ありがとうございます」
「これもアッラーの思し召しでしょう。我々はソマリアへの来客を心から歓迎いたします」
――ラハンウェイン氏族は、幾つかの支族に別れているはずだ。左右のやつらがその代表だろうか?
「我々ニカラグアはこの地で実現可能な、一つの提案を持って参りました」
場所が大切であることを明かす。これにより、何故シャティガドゥドが指名されたかが、浮き彫りとなる。
「遥か地球の彼方よりやってこられた方々の提案を、お聞かせ願いましょう」
先入観を持たないようにはしても、ニカラグアと言われたらそのようなイメージを持ってしまうのは仕方あるまい。
「マルカをソマリアのテーブルに出来ないか、と考えております」
ちょうど今のように、と軽く手元を鳴らす。相手の反応を漏らさずに観察しようと試みる。彼は目を細めてそれが、どのような結果をもたらすかを様々思考して、良し悪しを判断しようとする。
「ラハンウェイン氏族は、元より執政役にはなりえません」
他の大氏族から大統領なり首相なりが輩出されるのは、暫く先も変わらないだろうと認める。
「ソマリアというより、アフリカはまだ民主的なプロセスにのみ従うとの道を行くことは少ないでしょう」
ならばわざわざそのような努力をする必要があるのかどうか。明日できるなら今日はやらない、そのような考えが主となる者に、どのように受け止められるのだろう。
「具体的には、どのようなお考えでしょうか」
若僧相手にも丁寧であるのは、氏族の代表としての意識からである。上下が厳格な社会に於いて、わざわざ彼のような地位も名誉もあるような年長者が、下手に出る必要はない。
「ソマリアの左右派閥、並びに各国、宗教的にも相手は居るでしょう。それらが交渉するにあたり、安全を保証する役割を」
ボソボソと小声で左右と相談する。どうやら予想外の話だったようで、答えを打ち合わせてはいなかったようだ。
――まあこのタイミングならば、海賊退治に協力してくれとの話だと思うだろうさ。
重要事項をすぐに答えろとは言えない、話し合いのために少し時間がほしいと一時中断をすることになった。隣の部屋を会食用に用意してあったので、島らが一旦退席して声がかかるのを待つことにする。
通訳を手招きして引き寄せると、先程少しだけでも聞こえたソマリ語があれば教えるように促す。
「シャティガドゥドの向かって右手に居た者が、中座を持ち掛けていました」
――あのじいさんか、となるとやはり一存では決定は出来ないわけだな。単なる助言者なら着席するのではなく、シャティガドゥドの後ろで囁く為に、部下の装いになるはずだ。
「左側のやつはどうだ」
こちらも若いとは言えない見た目の男であるが、二人よりは若年だろうことは解った。
「シャティガドゥド氏に確認されて、一旦話し合うのを了承したとだけ」
――小さな支族の代表といったあたりか。こいつは決定に従うだろう。
引き続き傍に立つよう指示をしておき、隣から声がかかるのを待つ。十分程だろうか、随員が呼びにきて長くなったのを謝罪した。部屋に戻るとシャティガドゥドが「お待たせいたしました、どうぞお掛けください」着席を勧める。
「事前に内容に触れておくべきでした。お騒がせして申し訳ありません」
公式な会議では、時間の無駄や各種の準備のために、議題を知らせるのは当たり前とも言えた。だが敢えてそうしなかったのは、生の反応を見たかったからとの理由がある。
「我々の役割について討議をした結果ですが、些か必然性に欠けるのではないか、との声が上がりました」
お断りしますを丁寧に伝えるとこうなるのを、島だけでなく皆が知っている。
「今すぐにとなれば、確かにそのような意見が出ても不思議はありません。逆にどのような状態になれば必然性が産まれてくるか、後学の為に是非ご教授願いたい」
自分でも寒気がするくらいな言い回しをして、心中落ち着かない。あちらにしてみれば綺麗なアラビア語で、折り目正しく教えを乞う姿に映っているのかも知れないが。
「話し合いとは、一部の巨大な力を持った者が主導するか、はたまた互角の強者同士が行うかでもなければ、纏めるのは困難でしょう」
連邦政府とアルシャバブでは、まだまだどちらとも言えない半端な状勢だと説く。ここ数年、押したり引いたりの繰り返しで、たまたま今は連邦が押しているだけだとの見通しだろう。そしてアメリカ本国が予算不足で右往左往してしまっている。軍事予算の削減で、毒にも薬にもならない慈善事業は消えてなくなる可能性が多分にある。
――政府施設が予算なしでクローズになったらしいからな! 丸投げして撤退は大いに有り得るぞ。
「すると何れかが力を持つか、決着がつかない程に拮抗するようならば、状勢が満足するとして検討いただけると?」
言質をとるつもりなわけではないが、どのあたりに真意があるのかを探る意味合いから確認してみる。
「我々は統治者が誰であれ、住民の安全と繁栄が得られるならば迎合するでしょう」
どっちつかずであるのを堂々と宣言する。ここまではっきりとされると、そんなものかとつい納得してしまいそうにもなる。
「承知いたしました、ニカラグアとしては場を持って話し合っていただいた事実に感謝致します」
物別れとはいえ、これこそが交渉役に必須の態度であると納得する。そして納得はしても、島は引き下がるつもりはさらさらない。
「将来魅力的な提案だと理解はしております。ただ機が熟していないだけで、素晴らしいお話でした」
締めに入ろうと挨拶じみた言葉が並べられるが、言い終えるのを待って後に次の案を持ち出す。完全にマナー違反で、相手が怒って席を立っても非難は出来ない。
「申し訳ありませんが別の案が。こちらはニカラグア国としての提案ではなく、自分イーリヤ個人としてのものでして」
怪訝な顔を浮かべるラハンウェインの代表らが、目で確認しあってシャティガドゥドに任せる、と正面に向き直る。
「あまり感心できない手順ではありますが、それがそちらの慣いならば承りましょう」
それぞれの風習や儀礼に対して寛容さを発揮する。
「失礼は重々承知で話させて頂きます。自分はマルカが境目となり、勢力が左右に別れるのが、治安上安定するだろうと見ております」
本来ならば連邦政府が完全平定を目指すべきだが、それは果たされまいと現実に沿った切り出しをする。シャティガドゥドだけでなく、三人が少なからず反応を見せる。結果どうあれ戦場にされてしまえば、必ず被害が出て混乱が起きる。まさに百害あって一利なし。
「それは仰有る通りですが、また飛躍した話でもあります」
「そうでしょうか? 内陸部はこのままだとして、海岸線の一部とマルカ市、そこから北西に幾らかの壁があれば、挙って通り抜けるのは困難ではないでしょうか」
エーゲ海に実際にあった、ポリス同士を繋いだり、囲ったりした手法を思い出させる。個人が通る分には穴があったりもするが、部隊が乗り越えようとしたり、補給を引こうとするなら必ず障害に触れてしまう。
「わかりました、仮にそうしたとしましょう。それでマルカに一体何の益があると言われるのでしょうか」
ただ二分するだけなら苦労して見返りはなく、反発を買うだけで全く意味がない。
――乗ってきたな、あとは条件面だけだろう。
「現在のマルカでは割りに合わないでしょう。ここからが本題です、ここに自由区域を設けてはいかがでしょう」
「自由区域?」
法務参謀に指摘されて、自由港から自由区域にと差し替えた。これらの違いには、規模や適用範囲の差違がある。
「はい、広大な港敷地を解放して中継点にと発展させます。ここを起点に東南アジアと地中海、南アフリカ方面への積み替えを」
今現在はイエメンやエジプト、サウジアラビアあたりで行われているが、地理的にここでもやれないことはない。むしろ狭い紅海に入り込むより、行き来しやすい環境と言える。
「……」
可能性からいけば無くもない、そのような空気が流れる。それが甘い誘いであればあるほどに、附随する危険も比例する。それを承知の上でも、島の言葉を待つ態度をとった。
「擁壁を作ればそこで雇用が産まれます。船が集まれば荷役も必要になるでしょう。マルカにはその為の素地が備わっております」
今彼らが欲しいと願う、仕事が出来ると聞いて心が揺れたのを感じた。実現可能ならばこれほど喜ばしいことはない。
「やってみて船が着ませんでした、とはいきませんが」
利用の保証がなければそこまでだと、条件確認をしてくる。それこそ島の責任ではないのだが、彼らにその部分を求めるのは酷というもの。
「海賊に対する備えとして、護衛が指定航路に集中するように、アメリカに要請することは可能です。無論アメリカ船籍の利用先と指定されたらの話ですが」
「イーリヤ准将、あなたにそのような要請が可能?」
どう考えても一介の准将程度がアメリカを動かせるとは思えない。出来ると言われても、信じるほうがどうかしているだろう。
「近々ニカラグア軍が主軸となり、ジブチ軍が備えで大掃除を近辺まで行います。再度海賊が蔓延しないよう、ここで境界線を作ると提案すれば、受理される見込みです」
少し前にナイロビで、その手の会議があったはずだと思い出したようだ。連邦の制圧地域を確定させてから、宣言するようでは手遅れになるだろう。何せどちらでもない状況こそが好機なのだ。
「連邦が自由区域を認めるでしょうか?」
モガディッシュやキスマヨの権益者が、政府にぶら下がっている。そこでマルカだけが調子よくなるような話を呑むはずがないと、懸念を表す。
「大掃除前にその提案をして、拒否するようなことがあれば、アルシャバブが認めて後押しする。そう言ってやれば無視は出来ないでしょう。何せ蓋を開けてみねば、ニカラグアが海賊に勝てるかはわかりませんからね」
「准将の胸先三寸なわけですか!」
「かといって部下を無駄に死なせはしません。快進撃は無くなりますが」
いよいよもってタイミングが重要だと思い知らされる。だからともう一つ心配が無くなるわけではない。
「貿易船があまり利用しないことを考えると、やはり博打をすべきではないでしょう」
これは不安を押し出してはいるが、駆引きの一種だと受け止める。もっと複数からの客が呼べないかというわけだろう。
「確約はしかねますが、ある程度は回して貰えるだろう先はご紹介出来ます」
根回しをしているわけではない上に、相手がある話のため強くは言えない。
「因みにどちらを?」
「場所的にもチュニジアならば」
あちらも貿易国家として目指しているのだから、優遇される港があれば粗略にはしまい。ジブラルタル海峡を越えてくるものでないならば、一旦マルカに積み上げてスエズ運河を越えたほうが、運賃の圧縮にもなるのでやり方次第と。
「商船会社の知己でしょうか?」
輸入業者でも荷主の意向が反映されたりもするので、どちらでも構わないとシャティガドゥドは考えていた。
「チュニジアのガンヌーシー大統領とはお付き合いがありましてね。かの御仁にお願いしてみます」
「大統領と准将が?」
何故だとの顔が一杯に広がっている、かといって説明するのも難しい。
「とある一件で知己を得まして、トゥラー政治・経済大臣にも併せて提案しておきます」
かたや大統領、かたや議会のまとめ役で黒幕とすら囁かれているが、表面的な部分しか彼らは知らなかった。
「それならば充分です、何らかの保証書をいただければ、承知いたしましょう」
――おっと中々に慎重だな、しかしあまり日数も掛けられないぞ。この件は俺個人が請け負っている、貿易にまで手を出すことになろうとはな。
「少々失礼します」
衛星携帯を取り出して、備忘録から番号を探し出す。細工がしてあり数字を差し引きすると、目的の番号がわかるようになっている。
「ニカラグアのイーリヤです、シュタッフガルド支配人はいらっしゃいますか」
ドイツ語を使ってどこかに繋げるが、この場の誰一人として理解しないようだ。
「お待たせ致しましたイーリヤ様、シュタッフガルドで御座います」
非常に丁寧な喋り口で電話にでる。スイス銀行で島の資産管理を一手に引き受けている人物だ。
「突然ですまないですが、貿易も扱っていますか? 中継の港での船舶の類いです」
「はい、扱っております」
「実はソマリアのマルカが自由区域になりそうなんだが、利用可能だろうか?」
全く知識がなく、専門に任せるべきと彼に丸投げする。スイス銀行は貯金箱ではなく、運用会社により近い。
「初耳ですが、どちらの筋のお話でしょうか?」
「私だよ。今まさに開港交渉中でね。利用する船があるならば決まるんだ、アメリカとチュニジアは入る予定だが」
どんなものだろうかと意見を求める。だが電話先では珍しく、シュタッフガルドが興奮していた。
「アフリカには自由区域は存在しておりません。その話が実現するならば、必ずや私が成立させましょうお約束致します」
「わかった、では任せるよ。七十二時間後に宣誓させる、変更があればこの場で伝えるから、少しこのままで待ってくれ」
回線を繋げたままシャティガドゥドに向き直る。
「自由地域になるならば間違いなく利用する、と確約をする会社がありました」
「それはどちらで?」
「スイス銀行の貿易担当です。シュタッフガルド支配人が約束をしてくれました。少なくとも自分の資産はそれに振り向けます」
自由になる資産がどれだけあったか即座にはわからなかったが、ドイツ系の彼が出来ないことを約束することはないと、信用する。
「イーリヤ准将の資産ですか?」
「はい。レバレッジで運用するならば、二千万アメリカドルの十倍位まで運用可能なはずです」
開いた口が塞がらないとはこのことだ、換算したら桁がどうなるか想像すら難しい。数十兆ソマリアシリングとはどのような意味を持つのか。
「俄には信じられませんが……」
「ではスイス銀行から運用証明を送らせましょう」
返事を待たずに受話器に向かって述べる。
「支配人、資産運用証明があれば成立の見込みです。どの位時間があれば?」
「アディスアベバから軽飛行機で、マルカに入ることが出来るならば、十二時間でお届け致しますが」
――マルカに信用できる飛行場はないな。だがモガディッシュに降りては面倒だぞ。となれば……
「ソマリア沖のアメリカ軍空母に着艦許可をとっておこう」
「空母ですか? そこへの離着陸が可能な操縦者が短時間で見つかるかどうかわかりません」
「アディスアベバの空港にこちらから送る。現地で引き渡してくれれば良い」
時間が勝負と太陽の位置を確認する。すぐに始めれば、陽が落ちる前に終わるだろう。
「承知いたしました。その操縦士は?」
「元ルフトヴァフェのシュトラウス中尉。コンゴ・ゴマに強行着陸を成功させた軍人だよ」
「ドイツ系の人物のようですね、それではご用意させていただきます」
時は金なりとばかりに、忙しくなりそうな雰囲気が漂っていた。電話を切って一息つく。しかしすぐに次なる場所へ連絡を入れた。二度コールすることなくすぐに繋がる。
「シュトラウス中尉か、私だイーリヤ准将だ」
「閣下! いかがされましたか」
用があるから掛けてきたとわかるために、余計な言葉を後回しにしてまず要件を問う。
「すぐにアディスアベバ空港に向かってくれ。スイス銀行からの証明書を、ソマリア沖のアメリカ空母に届けて欲しい」
「ヤーボール。緊急連絡先を後に事務所へ、すぐに出撃します」
「頼んだぞ、中尉」
何一つ疑念を挟まずに、無茶苦茶な命令を義務も無いのに引き受けた。
「さて、十二時間以内にやってきます。まずは食事といきませんか」
立ち上がり隣室へ向かうように促し、笑みを浮かべる。あまりに余裕の態度から、全てが決まったような錯覚すら起きてしまう。誘われるがまま皆が席につき、コーヒーで唇を濡らし料理を待つ。
「あなたは不思議な方です。もしかしたらと思わせる、何かを感じさせてくれます」
はっきりとこれだとは言えない何かだと、ニュアンスで語る。
「いつも綱渡りばかりで、部下に苦言を向けられていますよ」
刺激を求める面々も多いが、あまり無茶をするなとも言われている。ひっくるめて、それが島だとしてはいるのだが。
「我々は英雄を望まない。隣人が同じ目線でありたいと、切に願っています」
「基本生活はそれで良いと考えます。ですが、こと政治に限っては主導する者が必要です。でなければ他国に良いように、食い物にされてしまいます」
学識と経験あるシャティガドゥドは、言い分もっともだと理解しているが、だからとそれを推しすすめても、受け入れることもなさそうだ。そこが社会の慣習でもある。
ソマリア沖に浮かんでいる、アメリカ大統領の名前を冠した空母に、勢いよく着艦するドイツ製の輸送機があった。当時ではサイズに問題があったが、甲板から余計な物を一切除けてしまい、広く使えるようにしたからだ。無論、膨大な飛行経験による結果もある。甲板員が「オー クレイジー!」と声を出す。
甲板に上がったハマダ中尉は、直接シュトラウス中尉から書類を受けとると引き下がる。ターンテーブルに乗っかり反対を向けられると、離陸の許可を得て給油すらせずに空へと消えていった。
ヘリがリフトであげられると、それは陸へ向かって爆音を響かせ艦を離れる。鮮やかな一連の行動は、艦上訓練の一つとして告知され、特に疑問を持たれることなく目的を果たす。
ホテル・ラ=マルカに証明書が届けられたのは、要請から十時間と少し、直ぐ様シャティガドゥドに連絡をとり、その日のうちに提示された。ネット上で真贋の程を確かめるポイントを幾つか調べ、最後にスイス銀行へ電話をかけて事実を認められると、ついに彼らも決心した。
「イーリヤ准将、我々は貴方の提案を採用させていただきます」
「ありがとうございます。では六十時間後に宣言をお願いします。それまでに全ての取引を終わらせましょう」
発表されてしまえば混沌となるのは明白で、どこまで確定させておけるかが鍵である。
「こちらこそよろしくお願いします。ところで海賊対策についてですが、我々はいかがいたしましょう」
下手に動いても、逆に動かなくても一大事だと、考えを擦り合わせておく。
――本当ならば増援してもらいたいが、今後のためには武装中立が良いだろうな。武器供与を大っぴらには出来ない、だが自衛する位の能力は期待して良いはずだ。
「ことが起きたらマルカ防衛隊や、警察隊を周囲に置いて数日厳戒態勢を。出入りを完全に禁じて、市中は志願者民間団体などで警備する手筈をお願いしたいです」
敗退して行ったのがマルカに逃げ込むと、不測の事態が起きると共に、自由地域宣言への阻害にもなるだろう。
「承知いたしました。多国籍軍のご武運を、アッラーアクバル」
苦笑いしながらも感謝を伝えて、一行はキスマヨへと引き揚げていくのだった。
◇
「ハーキー中佐、始めるとしようか」
「はい、いつでもどうぞ閣下」
要塞内の通信室に、ジブチからの者が少数居る。現場近く後方に、ロマノフスキー中佐が移動前線司令部を置いていた。こちらはアメリカを始めとする、支援者との連絡や、周辺警戒が主な役割である。
レオポルド軍曹に目配せして、島の座席にあるマイクをオンにする。
「俺だ。大一番が始まるぞ、心の準備は出来てるか」
ロマノフスキーとの会話はスペイン語が使われたが、その後は英語で通す約束ごとがあった。
「ずっと昔からばっちりですよ。海賊ごときは若い衆がやっつけてくれます」
掃討部隊の指揮官はマリー大尉で、ジブチ兵も指揮下に置いている。そのお陰で、後方に四十人からの予備兵を捻出出来ていた。
「トラブルは必ず起きる、そちらはそれを処理してくれ。終わったら乾杯だ」
「たらふく飲むんで山ほど用意願います」
「余ったらお持ち帰り自由だな。よし始めろ」
「ヴァヤ。これよりソマリア海賊掃討作戦を実行します」
途中から英語に切り替え、作戦開始を宣言する。これを耳にした各所でも、開始が繰り返された。
ごつごつした岩場の影に迷彩ネットを被せ、待機している車両がちらほらとある。アメリカからレンタルしている兵器を装備した、南スーダン人とレバノン人がニカラグアの国旗を掲げ命令を待っていた。
「大尉、前線司令部より攻撃開始の命令が下りました」
アサドがマリーへ伝える、通信が耳に入っていたとしても、そのプロセスを省略することはない。下士官の部隊付先任の立場を認める意味からも、いざ乱戦になるまでは、常に秩序を示すよう努力する。
「わかった。麾下の部隊に戦闘開始を通告。ブッフバルト中尉に正面からの前進命令を出せ」
「アンダスタンディン!」
機械化部隊の功績が延びすぎては良くないと、歩兵にも活躍どころを与える配慮をする。マリーも少しずつだが視野が広くなってきている証拠だろう。
――俺達だけが戦うわけにもいかんな。あちらにも場を与えなければ。尚且つ危険は少ない箇所だ。
「ディーニー中尉に、ジブチ軍は海沿いから進むようにと命令を」
「イエッサ」
多国籍軍ではあるが、本作戦についてのみニカラグア側に指揮系統を一本化していた。
ハーキー中佐が譲歩した形をとってはいるが、実際のところは実戦経験の不足で、不安があったからに他ならない。ジブチ軍に限らず、世界中の多くの国軍で経験が足りていない。特に指揮官クラスの。
比較するとクァトロは、異常なまでの戦闘をしてきている。開示できない活動も含めたなら、アフガニスタンの武装勢力と似たり寄ったりだろう。
「第一小隊交戦開始しました」
派手な砲爆撃ではなく、密かに浸透する作戦を実行する。なるべく逃がさないような方針で、包囲気味に攻撃をさせた。海上にはアメリカの砲艦がうち漏らしを拾おうと、手ぐすねひいて待ち構えている。戦闘艇も急速接近して、沿岸での火力支援に向かう。
「大慌ての様子がここからでもわかるな、先任曹長」
「海賊とは言え素人が殆どです。数はそこそこですが」
アサドは脅威が突如現れた時に備えて、脳内で火力の計算をおさらいする。これに限ってしまえば、多少の威力差はあっても大は小を兼ねることが出来る。予算は気にしないで目的遂行を優先なのが緩い制約であった。
ニカラグア軍が本国で同じことをしようとしたら、弾薬不足解消から始めねばならないほどに条件が違ってくる。
爆炎が上がる。堅固な地形に拠っていた敵を、ロケットで吹き飛ばしたのだろう。同じ場所で、もうもうと煙が上がっていた。
「無線傍受、奴等アルシャバブに助けを求めています」
ソマリ語の通訳担当が、即座に要約して報告する。他の言語は一切無視して、それのみを扱っていた。
「大尉、哨戒範囲の拡大を進言します」アサドは不意に攻撃を受けないようにと意見する。
「うむ、ペアでレコンを十組出させるんだ。方角は北西から北東の内陸部、ドゥリー少尉に委任する」
目的の概要のみを示して将校に任せてしまう。後は良いように考えるだろうと、一々細かいことまでは指定しない。それでも人数や方角を決めたあたり、まだまだ自身が下級将校だとの気持ちが抜けていないといったところだ。
小型の船舶が何とか出航していったが、沖に出る前に警備艇に接近されて停船してしまう。下手に抵抗すれば穴だらけにされ、海の藻屑となるのは解りきっていた。
「第一小隊、指揮所。残存船舶、通信所、住居、倉庫を制圧。捕虜多数、集計中」
落ち着いた声で八割がたの目標を果たしたと伝えてくる。残るは警備が詰めている小屋と、辺りに散った海賊そのものだと。
「指揮所、第一小隊。現状を維持せよ」
「第一小隊、了解」
無理をさせず被害を減らすよう、ここでストップさせた。小屋は重火器で丸ごと吹き飛ばすように、ハマダ中尉に命じ様子を見る。
「ジブチ軍、指揮所。海岸方面に逃走してきた者を制圧完了」
「指揮所、ジブチ軍。半数で警戒、半数は指揮所に戻れ」
「ディーニー中尉です、自分はどちらに?」
どちらとも解釈できる、曖昧な命令に対して詳細を求めてきた。キスマヨの要塞でハーキー中佐が、ほんのりと顔を赤くしたのを、中尉は知るよしもない。
「指揮所へ」
「了解しました」
やれやれとマリーが小さくため息をつくが、アサド以外はそれに気付かない。
――次の用事がありそうだから指揮所に半分戻せと言っているんだが、わからないもんかね。
海岸の残敵警戒も疎かには出来ないが、そちらは部下に任せられる、簡単な仕事だと判断すべきであった。
散っていた者を集結させ、抵抗してくる残敵に対峙する。捕虜を一ヶ所にまとめて監視を置いた。車両一台の重火器をその宿舎へと向けて威圧し、ソマリア警察が連行しに来るのを待たせる。
「指揮所、前線司令部。現場はほぼ綺麗になりました、偵察からの異常もありませんが、何かの間違いでしょうか」
海賊を助けるために、アルシャバブが集まってくることはなくとも、連邦に荷担する外国人勢力を攻撃する為にやってくるのは、ほぼお定まりなのだ。
「心配するな、嫌でもそのうちやってくる。メイクアップに時間が掛かっているんじゃないのか」
ロマノフスキーが軽口を叩くと、マリーもつられて笑う。
「間男みたいで気が引けるじゃありませんか。船舶はどうしましょう、このまま拿捕しても構いませんが」
一種の戦利品であるので、これまで警察に渡してしまう必要もない。さりとて、ニカラグア軍がこれを接収可能な法的根拠もないわけだが。
「自爆の可能性があるとか言って、警察には渡さず確保しておけ。小道具に使うかも知れんから、機動のチェックだけは済ませるんだ」
「わかりました、ツバをつけておきます」
部隊を休息させるようにと、アサドに命じる。彼は治療や補給についても、言わずとも手配した。
「マリー大尉だ、ビダ先任上級曹長応答しろ」
名指しで水上の特殊部隊長を呼び出す。主務を外されたビダではあるが、相変わらずマリーのお気に入りなことに変わりはない。
「ビダです、出番はなさそうですか」
船が岸から離れていたら、制圧に苦労するだろうと潜ませていたが、備えだけで出動はなかった。
「係留されている、船のチェックをするんだ。使い物になりそうなのを、選んでおいてくれ」
質問らしき言葉を無視して、仕事を割り振る。船の扱いに長じているものが固まっている為に、妥当な内容である。
「了解。後送の要あらば、病院船までやりますが」
重傷者がいるかの確認をアサドに行い、軽い負傷しかいないのを聞いて「不要」短く答える。
複雑な地形なこともあったが、充分に自動車化されていない理由からか、アルシャバブの歩兵がようやく今ごろ索敵に引っ掛かった。
「第四偵察班、武装集団発見」
余程慌てていたのか、小隊への回路ではなく、指揮所へ直接交信してしまっていた。小隊長に注意を受けたのか、すぐに聞こえなくなる。程なくしてドゥリー少尉が指揮所に駆けてきて、口頭で報告を行う。
「大尉、北二キロ地点にアルシャバブの戦闘部隊が出現、歩兵が二百余り確認されました」
「二百とは景気がいいな! だが後続があるかも知れんな、継続して警戒するんだ接触させるなよ」
発見したの以外に、どれだけいるかを考えただけで興奮してしまう。ドゥリーを下がらせて、再度前線司令部を呼び出した。
「お客さんがやってきました。北二キロに、二百以上と期待させてくれます」
味方が少なくとも、怖じ気づく素振りすら一切見せない。
「おいでなすったか。だが必ずしも戦うこともないわけだ。無駄に被害を受けることもない、撤退させるんだ」
勝てる戦いだろうとなんだろうと、リスクは絶対にセットでついてくる。危険を回避させるのも大切なことだ。
「了解。警察に引き渡す予定の捕虜がそのままです、沈めちまいますか」
「そうも行くまい、気持ちは同じだがね。警察部隊と待ち合わせさせよう、海岸沿いに歩かせてくれ」
――俺達の一人勝ちがダメなのはわかるが、窮屈な選択肢が多いものだ。
「わかりました、ジブチ軍に担当させます」
警戒させてある半数をそのまま使ってやろうと、そこまでの護送をブッフバルトに手配させる。それも大切な任務であるが、適材適所とばかりに預かっているジブチ兵は、後方に下げさせた。
上空をアメリカ軍機が飛んでいった。哨戒偵察機なのだろう、高度が低いように見える。地上の様子を代わりに見てきてくれるならば、大いに助かると期待を込めて眺めた。
「さて俺達は撤退しよう。あちこちに罠を仕掛ける位は構わんと思うがね」
「各部隊移動の準備は整っております」
後方を注意しながら、粛々と場所を南西に移して行く。藪をつついて蛇を飛び出させるまでは成功したが、あまりの大入りに嬉しいやら迷惑やら。動き始めたところで、例の偵察機から通信が入った。
「ホークアイより地上部隊、ホークアイより地上部隊、聞こえるか」
応答して良いかどうかわからずに少し聞き流すが、前線司令部で出ないのでマリーが返答する。
「ニカラグア軍マリー大尉。ホークアイ、聞こえている」
「スペクター空軍少佐だ。マリー大尉、貴官らは包囲網の内側にいる。北東に二百ないし三百、北に三百ないし四百、北西に二百ないし三百、少し離れて西に四百程が見える」
一個歩兵大隊による包囲をしたら、きっとこのような形になるだろう。西側の少し数が多いところが、大隊指揮所に違いない。
「西側には敵が居なかったはずが、四百とは参りました。情報提供感謝致します」
アサドと目を合わせて、どうにもならんなと肩を竦める。
「前線司令部は輪の内側にあるかな?」
「確認しましょう」
すぐに連絡をとるために本部を呼び出す。あちらもわかっていたようで、ロマノフスキーが直接出た。
「マリー、こちらは包囲の外に居るが、警察部隊は中に踏み込んでいる」
「海から逃げましょうか? 幸い今なら引き返せますが」
まるで他人事のように、いつもと変わらず軽く言葉を交わす。どうしてそんな多数を見逃したかについては、事実を優先して話題に出しすらしない。
「ああそうしてくれ。航空支援と艦砲射撃を要請する、ピンポイントで欲しければ発煙手榴弾で合図するんだ」
「了解」先任曹長に命令変更を指示した。中佐は後にドイツ語に切替て話を続ける。「ボスはどのような結末をお望みでしょうか」
要塞でモニターしているだろうと、突然振ってみる。指揮所の無線では直接届きはしないが、前線司令部にある大型無線が中継してくれる為に、ほぼリアルタイムで島の耳にも入っていた。
「俺だ。警察部隊は地元の奴等が殆どだ、見捨てたら支配に影響がでちまうな」指名を受けて島が答えた。
「おんぶにだっこで先に退避させます。船が足らないと困るので、少々追加願います」
人数もわからなければ、船が被弾して数が減る可能性もあるので、先回りしておく。
「ああこちらで手配しておく。ロマノフスキー、装甲部隊で援護してやるんだ」
特に範囲やその後を定めずに、目的のみを告げる。
「実は一度そのようなド派手な演出をしてみたかったんですよ」
「俺もしてみたかったが譲るよ。そちらは現場に集中するんだ」
「ヤー」
一連の打ち合わせを終えて、アサドの隣で結果を口にする。
「喜べ我々が一番長く戦ってられるぞ」
足手まといの奴等から、先に海に追い出せとの仰せだなどと表す。
「大尉は随分と落ち着いてらっしゃいますね」
五倍どころで済むかも怪しい数を相手に、離脱しなければならない状況で、焦りもしないマリーを見て漏らす。
「人なんてのは一度しか死なないものさ。ならばそんな先のことを悩んでも、どうにもならんよ」
死ぬときには死ぬし、弾丸が降り注ぐ戦場で無傷なこともある。完全に割り切ってしまっている。指揮官が冷静なのは何よりだと、アサドも深く頷く。
「一部を先行させて、塹壕を設置させるご命令を」
「そうしてくれ。ただし道一本だけは港まで開けておくんだ」
「ラジャ」
何故かはわからないが、弱点を残しておくように命ぜられたまま手配する。
――どうしたものかな。まずは基点を作って座標を固定してやるか。簡易地図を作成して士官に配布、港の邪魔な船を全て脇に避けて、一部に捕虜と警察を乗せるか。兵を一緒にする必要はないが、反乱に備えて警備艇を二隻に一隻の割合で付けねば。最後は一部の機関銃を処分しなければならない可能性も、視野にいれねばならんか。そもそもが支えきれるのかもわからんが。
前線司令部は小高い丘に、細い木がちらほらと生えている場所に設置されていた。装甲指揮車両を始めとした、完全な機械化部隊で構成されており、人数としては二十人程しか居ない。
「中佐、移動準備はいつでも可能です」
本部要員の指揮官は、フィル曹長だ。前線に手持ちの将校を全て送り出してしまっているので、次席でもある。
「この指揮車が被弾したら、要塞で判断に困るだろうから、砲艦にバイパスを敷かせるんだ」
無線中継機能を海上にも用意させる。つまりはロマノフスキーも戦闘に、参加するつもりなのだ。
「戦闘は自分等にお任せを。中佐はお下がり下さい」
怪我でもされては大変だと、参加しないよう自重を求める。時代や場所を違えても、よくある風景と言えようか。
「フィル曹長、俺は既にコンゴで一度失敗している。次にしくじったら生きていようと意味がない。部下を見棄てて、一人逃げ出すようなことはしたくない」
「……」
ロマノフスキーがポニョとの情報戦に破れたのを、後に知らされていたフィルは返す言葉を失ってしまった。
最終的に作戦は成功を収めはしたが、確かに彼にとっては失敗と言えるだろう。それでも島が指揮を託したのだから、それに応えられなければ……とフィルも納得した。
「戦闘指揮自体は曹長に任せた、俺は全体をみる」
「承知しました! 三台目に位置下さい」
「うむ」
手持ちの車両は四両、だからと侮ってはいけない。何せ戦闘のために生産された、専用の兵器なのだから。一昔前の戦車あたりでも、破壊可能な火力を持っている種類もある。多くは砲弾の特殊性ではあるが、やられる側には理由などなんであろうと関係無い結果が全てだ。
指揮車に入るとアメリカからのデータリンクで、マリーらの居場所が画面に正確に表示されていた。
「便利なものだな軍曹」
つい口にする。別のモニターには全周囲の熱源がイメージ化されている、隠れた歩兵の体温も見逃さない。
「パラグアイでは考えられない世界です」
オラベルは生まれ育った環境が、いかに幸せだったかをコンゴで知り、いかに後進だったかを今知った。他と比較するのが人の常ではあるが、こうも違いがあると困惑してしまう。
「俺だって面食らってるよ。こんなことで驚いているうちは、二人ともまだまだだな」
おちおち死んでいられんぞと、笑みを向ける。人種も生い立ちも全く違う二人が、目でその先を感じ合う。
「全車二百メートル間隔で距離を保ち、移動開始」
フィルの命令が下り、装甲偵察車両が先陣を切る。長距離センサーを多種装備して、無線出力も高め、機動力は日本の高速道路に乗れるほどの快速ぶりである。突撃銃では余程接近しなければ抜けない防御力も持っていた。
――指揮車両が戦いになれば、俺が通信をやらねば人手が不足するな。各車ギリギリだから仕方あるまい。
操縦手、射手、車長がそれぞれ無線手を兼ねられるようになっていて、最低三人がこれら車両そのものの要員であった。偵察車両にはモニターする専門が、指揮車両には通信専門が、そして戦闘車両には左右と主砲それぞに射手が就いている。
「怖いか」
目の前で落ち着かないでいる射手が、ガチガチになっているので声をかける。南スーダンからの志願兵で、コンゴにはいなかった新顔だ。名前は覚えていなかった。
「え、はい。いえ……」
「強がることはないさ、怖いのは正常の証だ。だからと卑屈になったり、臆病風に吹かれさえしなければ、一定の恐怖は寿命を長くしてくれるものだ」
二十歳位だろうか、このくらい歳が離れてるなら息子と変わらない。どこかにいるかはともかく、心理が手に取るように解る。
「申し訳ありません、中佐殿」
「構わんよ。だが覚えておけ、お前の後ろには俺がいる。上手くいってもいかなくても見ていてやる、だからほんの少しだけ勇気を持て。後は泣いていたって、誰もお前を責めはしない」
「はい、ありがとうございます!」
よし、と頷き軽く肩を叩く。常日頃は厳しくとも、全ては生き残る可能性を少しでも与えたいとの考えなのが背景にある。六輪の揺れをサスペンションが、かなりまで吸収してくれるので、不整地を走っていても舌を噛むようなことはない。
つまみを手動で調整しながら、聞き耳を立てていた通信手が何かをキャッチした。
「中佐、北側のアジュラで町が襲撃されているようで、救援を求めています」
――連邦軍ではないぞ。ならば答えは限りなく少なくなるが。
「アメリカに通報して、事後を任せてしまうんだ。こちらには余裕がない」
「了解」
同時多発の行動は、多国籍軍だけではなく、各地で実施されている。その準備を見て隙を狙ったならば、抜け目ない者がいたものだと受け止めておく。
――今の目標は、海賊退治を解決することだ。枝葉まで面倒を見きれん。
「副司令官。戦闘部隊が攻囲を受けているのを確認しました」
先頭の偵察から画像が転送されてきて、指揮車両のモニターにも同時に状況が映し出される。黒い布を顔にも巻き、突撃銃を手にした歩兵があちこちにいて、まるで飴に群がる蟻のように見えた。
「前線司令部ロマノフスキー中佐、指揮所マリー大尉」
名前だけは通じるだろうと、ドイツ語で呼び掛ける。案の定、不明だとして通信手がマリーに声をかけたようで、少し遅れて大尉が出た。
「マリー大尉です。今ようやくお客さんを送り出しましたよ」
ロマノフスキーがモニターに目をやると、船のマークが動き出したのがわかった。アメリカ側でわかりやすいよう視覚処理を施したらしい、幾度便利だと呟いたものか。
「ご苦労なことだ。もうすぐ合流するから、驚いて俺まで退治しないでくれよ」
「中佐がですか? あまり張り切らないで任せてくださいよ。いつまでも保護者付では、ボスも良い顔はしないでしょう」
マリーなりに気を利かせているのが、ロマノフスキーにもわかった。しゃしゃり出て功績を目立たなくする側面もある。
「すまんな、そのうち机の前で暮らすようにするよ」
「引退には早いですが、適材適所を目指しましょう」
通信を終了させて、戦闘指揮に戻ってしまう。港に近付くと拡大した戦況画面が現れ、あちこちに点が打たれていて、青と赤と緑に別れていた。
「全く溜め息しか出ないなこいつは」画面の区画を一瞥して通信手に「進路の左右に砲撃を要請、侵入に合わせて航空支援もだ」
戦闘部隊との連携はフィル曹長がやるだろうと、話通りに全体方針を決めて行く。アルシャバブが気付いていたにしても、手持ちの火力では偵察車両すら破壊出来ないと判断して、肉迫させないようだけ考える。
「アメリカ軍より要請を承諾されました」
「よし。全部隊に通告、開始十分前だ!」
途切れることなく、銃撃音が響く。場所が違うためにその平均は適用出来ないだろうが、現代では歩兵一人を小銃で射殺するには、百万発の弾丸が必要だとされている。半世紀前ですら、一万発と言われていた。生産と消耗の総数だろうから、あながち的はずれと一蹴出来る話でもないのだ。
故に、銃本体よりも弾丸に金がかかる。だからこそヒンデンブルグ――武器商人は、中古とは言え、AK47を新品なら百倍はするだろう価格から、驚きの割引を行った。何せ弾がなければ、全く無用の長物に成り下がってしまう。
「迫撃砲、榴弾砲、ロケット砲、各班準備せよ」
アサドの命令で、合流の為の一斉攻撃が用意される。これに制圧射撃が加われば近寄って射撃したり、RPGなどで悠長に照準をつけている時間は与えられない。マリーは椅子に座り、黙って推移を見守っている。
後方――海上を見張っていた者が、艦影を発見して注意を発する。すぐにそれが味方のものだと判明すると、意識から消えた。
音速がことの他遅いわけではないが、眼前の荒れ地に大爆発が起きてから、少しして轟音が鳴った。
範囲を狙った艦砲射撃である。少しだけでもずれたら、自身の頭に降り注ぐわけだから、内心複雑な気分だ。今のところは距離を隔ててはいるが、出来ればもう一回りか二回り、小さな砲だとありがたいと呟くが、誰にも聞こえなかった。
「先任曹長、準備砲撃が止み次第味方が来るぞ!」
隣にいても聞こえないので怒鳴るが、それでようやく理解できる程度にしか伝わらない。
「わかりました、用意は出来ています!」
アルシャバブ兵は、神の怒りが下ったかと感じるほどの猛攻に伏せ、頭を抱えるのみである。立ったまま攻撃していた者は、爆風で吹き飛ばされて意識を失う。
土煙が上がり敵も味方も視界を喪失し、やがて音が止む。続いて敵を機銃掃射が襲った。テロリスト指揮官らにより、車両を通させるなとの怒声が飛ばされる。我に返った者が装甲車に向けて、バラバラと射撃を始める。
「支援射撃開始!」
下士官がマリーの命令を復唱し、戦闘部隊陣地から一気に攻撃が行われた。またもや伏せて、頭を抱える者が続出する。それだけでなく、洋上から来援した戦闘ヘリも、蟻に向かって弾丸の雨を降らせる。
「向こうの丘に、対戦車ロケット兵視認!」
前線で目が良い南スーダン兵が、警告を上げる。敵の殆どが軽装備ではあるが、そのくらいは保有していて当たり前だ。キール伍長は場所を示して、曲射が可能な兵器での攻撃を要請しようとするが、既に装甲車はロケットの射程に入ろうとしている。
「畜生、間に合わん! 援護しろ!」
言うが早いか塹壕から飛び出して、地べたにダイブすると、もの凄い勢いで匍匐前進をして、単独丘に近づいて行く。後方からは、弾丸の消費を無視した支援射撃が、制圧の為に激しく繰り返されている。
目見当で、短水路プールの端から端ほどの距離になったと感じたところで、括りつけてあった手榴弾を手にしてピンを抜く。安全握を外して起き上がり、アンダースローで山なりに投擲する。すぐに伏せようとしたが、肩に一発貰って回転しながら後方に倒れた。同時に、丘の向こうで悲鳴と爆発が聞こえた。時間差があって、二回爆発したような気もする。
「班長を救助だ!」
左右の味方からも助けを貰い、戦場に転がる伍長が救出されたのは、丁度装甲部隊が突入してきた頃であった。
モーゼが海を渡るかのように、進路にいたアルシャバブ兵は左右に逃げるよう道を開けた。頑張ってその場で抵抗しよう者がいたが、数秒で命を散らしてしまう。道の両側から無数の弾丸が向かってくるが、側面の増加装甲で威力を減じてしまい、本体に当たると虚しく跳ね返ってしまう。
直後に毎分十万発を超えるのではないかと思われる反撃が行われた。岩陰に潜んでいた者は無事であったが、盛り土や木陰に居たものは、遮蔽と共に貫通してしまう。圧倒的な威力差があるが、脅威はそそくさと過ぎ去っていった。
一本だけ残されていた道路に誘導されて、最後の一両まで収容されたところでマリーが出迎えた。
「機甲でのブレイクスルーとは、絵になりますな中佐」
中央突破が華麗さに於いて垂涎の的なのは、古今変わらないと評する。
「色男は何をやっても様になるわけか。いやはやもてる男は辛い」
「自分で言いますかね普通」
不意の一撃で二人が一気に負傷してはたまらないと、すぐに別れるが「普通ならここにいないさ」との台詞に、妙に納得してしまうマリーであった。
キスマヨ東の要塞内で、島はマルカが自由区域を宣言し、マルカ民兵が治安を司ると報道されるのを聞いていた。
「閣下、この時期に連邦から独立ということでしょうか?」
ハーキー中佐は意図が理解できない為に、現時点の作戦に影響があるかどうかだけを焦点に、問い掛けてきた。
「ラハンウェイン氏族が政権側から、完全に離れることはなかろう。力で劣るだけでなく、経済的にも立ち行かない」
人口だけでなく、都市の保有や地理的な面も含め、様々な部分が国家として成り立たないのを指摘する。最近来たばかりの外様軍人が、あまりにも詳しいことに、中佐は自身の勉強不足を痛感する。
「しかし自由区域とは一体? 解放区とは意味合いが違うようですが」
――俺も最近違いを知ったばかりで、偉そうにも出来んがね。
「簡単に説明すると、関税なしの地域だ。シンガポールやニューヨークあたりの仲間だよ」
確かそうだったはずだと、朧気な記憶から名前を引っ張ってくる。他にも数ヶ所あったが、言葉にする自信が生まれなかった。意味が通じれば良かろうと、それ以上は思い出そうとしない。
「連邦政府はこれを認めざるを得ないと」
「事前に交渉はしていただろうがね。希薄な関係を繋ぎ止める為にも、却下はしまいよ」
政府との力関係が判断の材料になる。これが中央集権的な国ならば、却下の上に様々なペナルティーすら与えられかねない。逆に緩い連合や連邦ならば、決定を通知するだけで終わることもあるだろう。
「ということは、アルシャバブ兵の退路が絶たれたと」
「本拠地に逃げるためには、少しばかり迂回する必要はありそうだな」
――首都方面では、北部の内陸を進んで後に西へ折れるわけだ。こちら側は不明の軍が、アジュラを抑えたらしい。目端が利くのか偶然か、どの勢力がやったかを知っておくべきだな。
「軍曹、ジョンソン准将に繋いでくれ」
「イエス、ボス」
レオポルドは手慣れた操作で、巡洋艦にいる彼を求めて調整した。作戦中だけあってか、殆ど待たずに連絡がつく。
「ジョンソン准将、イーリヤ准将です」
「おう、そろそろ声が聞こえてくると思っていたよ。マルカはお前の仕業だな」
方向性ではなく、その絶妙なタイミングについてと部分を絞る。
「彼等の意思のあらわれでしょう」七十二時間は目安であって、この状況を予測したわけではないのを軽く明かし「アジュラの不明勢力ですが、何者か判明しましたか?」
今や突如として重要地点に早変わりした、アジュラを占拠したのが誰なのか。東はステップなので、空から丸見えになる。北は灌木地帯だけに、歩兵はそちらしか逃げ場がないのだ。
「ああ、奴だよトゥルキー将軍。どうやらこうなると予測をつけて、留守を狙って美味しいところをかっさらったようだ。中々抜け目がないことだよ」
――あいつか! 海賊退治までは解っていたが、アジュラを奪うとは、やはりただ者ではないぞ!
「逃げ道を確保されていましたか、ラスカンボニ旅団、侮れませんね」
素直に敵の手腕を誉めるが、ジョンソンには島以上の経験があるのを思い知らされる。
「さて、トゥルキー将軍がすんなりアルシャバブの通過を認めるものかな」
聞き流すにはあまりに重大な呟きである。それを耳に入れると言うことは、島を試しているのだろう。
――将軍がアルシャバブに名を連ねているのは事実だ。だがマルカが自由区域を宣言したのを、どう解釈するかが別れ道だな。
「ジュバランド自治への、一つの踏み台としてマルカを利用するとしたなら、通過に際して取引が見込める可能性があります」
「なるほど。して、その要件は」
ジョンソンは教え子に答えに辿り着いて貰いたいのと、似たような感覚を得て誘導する。
「マルカの自由区域へ、手を出さないとの協定でしょう」
「アルシャバブがそれを許すだろうか」
「行き場を喪った千からの兵が、逃道を得る代わりならば――」
余裕があれば時間をかけて、更に迂回する選択肢も得られる。だが切羽詰まれば、そうもいってられはしない。いつもならここで沙汰止みとなってしまうが、今回は違う。自ら口にはしないがそう信じていた。
「准将、弾薬の補給を受けられれば、ニカラグア軍が奴らを追い立てましょう」
「海賊退治が目的の作戦だ、納得いく説明を求められるのではないか」
正規軍である、何であれ勝手なことはすべからく制肘されて然るべきだ。
「ダメだったら、自分が腹を切れば全て丸く収まりますよ」
軍も成果のみを手にして、不都合を全て押し付けられて、一石二鳥だといい放つ。
「俺はな、勇気と無謀の違いを知っているつもりだが、そいつは決して誉められた考えではないぞ」
言葉ではたしなめるが、判断を批判しているような態度ではない。むしろ煽るかのようなニュアンスが感じられる。
「お叱りは慎んでスルーさせていただきましょう。ラスカンボニ旅団がアジュラに居るならば、キスマヨの留守番も不要でしょう」
チョッパーをまわしてくれるようにと依頼する。ハーキー中佐が通信室の扉が開いたので振り返った。目があった為に下士官が敬礼してくる。
「わざわざお前まで行く必要はなかろう」
ジョンソンは純軍事的な観点から忠告する。
「ご冗談を。指揮官が現場から遥か彼方の穴蔵に籠っていてどうしますか」
「うむっ! 俺は今ほどアメリカ軍にいて、不自由を感じたことはないよ。輸送ヘリを遣る」
「宜しくお願いしましょう」
やり取りを終えてすぐに後ろから「閣下、準備は整っております」いつもの声がした。
「結構。ハーキー中佐、すまないが要塞の指揮を頼む。チーフ行くぞ」
「ダコール」
呆気にとられたまま留守を任されることになった中佐は、一生の記憶に残るほどの衝撃を受けるのであった。
包囲攻撃を受ける中、火力だけは圧倒しているクァトロ旅団は、防戦に専念していた。海賊も居なくなり、ついでにジブチからの兵も半ば港に配備され、後方の警備や遠距離からの支援のみを担当している。
陣内には電話ケーブルを敷いていた。それを使ってロマノフスキーに問い掛ける。
「中佐、いつまで戦っていましょう?」
やれというなら数日くらいはやりましょう、等と反応をみる。
「船がアメリカの庇護を受けるまでと考えてはいたが、ボスから引き揚げの命令がない。敵が飽きて姿を消すまで、付き合ってやろうじゃないか」
「では実戦訓練といきますか。了解しました」
普段は費用を考えたり、訓練だけに真剣さが足りなかったりする。逆に実戦では緊張しすぎて結果がかわったり、と様々な要因が重なるが、今ならば適切な結果を観察出来る。
今まで同様に、本番で数倍の実力を発揮するような兵が、ちらほら見かけられた。逆もまた然りで、役に立たない下士官も幾人か。
――こればかりはやってみなくてはわからないからな。きっちりと逃げずに戦っている姿勢を評価してやろう。
指揮所の予備を、投入することなく推移している。時間が流れていく中で、今後を夢想する。
――撤退に際してはまずジブチ兵からだ。渋滞してはかなわないが、少数残して小刻みに下がるのも苦労するぞ。中佐らをビダに拾わさせて、湾内で指揮を執れる状態にし、最後はドゥリー少尉らの歩兵とすべきか。
マリーはちらりと散開している装甲車の類いを眺める。陸からきたものだから、帰りをどうさせるか。
――敵に渡すのは論外だ。機甲だけで突破離脱は可能だろうか? もしやるならば、ハマダ中尉を指揮官にしよう。最悪全て爆破処分まで考える必要があるな。
「先任曹長、爆薬の確認をしておけ」
「はっ、時限、手動、遠隔それぞれもチェック致します」
細かくまで指示しなくても解ってくれるのは助かる。だからこそ部隊付先任と言える。
――まてよ海兵隊が来ているんだ、揚陸艇の一つくらいはあるはずだ。
後ろを振り向いて港の様子を窺う。浜辺とか浅瀬が多少なりともあるのを目で確かめた。
――邪魔なものを先に除去させておくべきだな。
中尉を呼び出して、意図を説明しながら命令を出す。この点は味方ではあっても、仲間とは表せない何かがある。
「ディーニー中尉、浜周辺の整地を行うんだ」
「はっ。して構造物はいかがいたしましょう」
「破壊して取り除け」
文明社会では法的根拠とやらが必要になる。だが正規の軍には、様々な状況を想定した免責が設定されている。
「速やかに実行致します」
やり取りを終えて思考を再開させる。一つことに掛かりきりにならないように、指揮官は複数いるのだと。
――弾薬が豊富にあるのは救いだな。だがあちらは歩兵ばかりだ、長くは持つまい。沢山あるとわざわざ知らせてやる必要は無いな。残り少ない振りをしたら、勇み足でミスを誘えないだろうか? だからと防御線を抜かれては、意味がないどころか有害でしかないな。圧倒的に数が少ないこちらがやるべきではないか。
マリーの戦闘指揮所に、隣の前線司令部から情勢が伝えられてきた。マルカの自由区域を、ソマリア連邦政府が承認したと、政府の高官が発表したのを知らされる。
――あまりに早すぎる承認だな、下手な芝居を見ているようでならんね。だが奴等に与える影響は大きい。
撤退先に突如排他的な武装集団が名乗りをあげ、それを政府が承認したのだから、すぐに敵だと認識する。勝てば良いが、港付近に籠るニカラグア軍は簡単に負けそうもない。長引けば弾薬の補給に不具合が出るのは、歩兵を抱えているアルシャバブの側なのが、はっきりとわかる。
――攻める気を無くさせる方がより早いな。圧倒してやろう!
「砲艦に、西側の敵に砲撃を集中するように要請だ」
アサドが頷き、艦砲射撃を一点に寄せるように求める。
「迫撃砲、重機関銃、ロケット砲も全て西側に向けさせろ!」
速やかに配置かえの命令が実行されて行く。歩兵を防ぐには軽機関銃と、時おり飛来する地上攻撃機で充分なのだ。
「集中砲撃来ます」
アサドの報告から数秒後、戦闘地震と表される砲爆撃の震動がやってきた。もし近くに居たならば、とても立ってはいられないだろう。この世の地獄かと思わせる攻撃が二十分近く続くと、ついにアルシャバブが折れた。
積極的な攻勢が止まり、いつ離脱するかのような動きに切り替わったのだ。
――指揮所を狙い撃ちされて怖じ気付いたな!
早く去れと言わんばかりに、マリーは反撃を一時的に緩めて隙をつくってみせる。各部隊の司令塔が、徐々に後退していくのが上空の偵察から伝えられる。それでも完全に攻勢が止むことはなく、追撃をさせないように、牽制が続けられた。
「後は時間の問題だろう」
そう呟きアサドに視線を向ける。
「数では未だにこちらが半数以下です」
役割を果たそうと、敢えての苦言を呈する。どんな不幸が重なり、事態が急変するともわからないのは事実だ。どこからともなく砲弾が陣内に降り注いだ。今まで温存していたわけでもなかろうが、初撃に驚く。
「野砲とは、洒落た物を持ち出してきたな!」
「航空偵察を要請します」
事後承諾というよりは、同時に作業しながらである。
――牽引の野砲に違いない、足が遅くて今さらご到着なわけか。排除せねば、まぐれ当たりで昇天させられかねん。
屋根の上にいる監視に注意を促してはおくが、簡単に見付けられるとは考えていない。
敷かれた電話回線が再度利用される。
「マリー生きてるか」
「数秒先の保証はありませんが、今はまだ生きてます。厄介な物が出てきました」
手も足も出ない場所から攻撃されているものだから、本来ならば移動するなりして退避したいところなのだ。
「博物館で旧ソ連の野砲を見たことがある。発射速度は遅いが、そいつかも知れんな。役に立たなくなり、アフリカに大層沢山売り払ったそうだからな」
ソ連に限らず、旧式兵器は後進に払い下げられて行く。もう数世紀変わらない、歴史的風景と言える。
「売って良いものと、悪いものがあるでしょうに。突出して撃破してきます」
「奴等は金さえ手にはいるなら、親だって売るさ。位置は判明したのか」
少なくとも前線司令部では把握していないと、残念な現状を明かす。
「空からの目を要請中。射程一杯だとしたら、遥か彼方でしょう」
上手く行けば爆撃で破壊してくれるかも知れないが、最悪を考えて発見不能すら想定しておく。
「機甲も全て使って構わん、事後は任せろ」
脅威を除くことに専念しろと、好きな選択を後押しする。
首を長くして待っていた、航空偵察の結果が丁度もたらされる。
「こちら偵察機スペクター空軍少佐。マリー大尉はまだ健在か」
「こちら地上部隊マリー大尉。寿命を全うするまでくたばりません」
「俺もそうありたい。残念ながら砲兵陣地の発見は出来なかった。そこから西北西六キロ辺りに、岩山が散見される。周囲をくまなく捜索したが、可能性があるのはそこ位だ」
消去法で臨むには分が悪いが、黙っていても解決はしない。
「情報提供に感謝致します。行ってみて居なければ別を捜します」
「健闘を祈る」
部隊の選抜をアサドに一任して、マリーはどのようにするかを考える。
「中佐、砲爆撃に加えて進路に発煙弾の投射を行い、機甲で突破をはかります」
行動を複雑にしないようにし、重火器による狙い撃ちをさせないことだけを望む。
「わざわざ一ヶ所に絞る必要も無かろう。複数に分けて、狙いをつけさせない手もある」
「上官の有り難い助言をいただきましょう。帰りは帰りで何かしら考えます」
手持ちを使いきっても構わないと、簡単な打合せを終えると、マリーは装甲兵員車両に指揮所を移した。
幾度目になるか、艦砲射撃が行われる。今回は特に対人榴弾や類する効果がある砲弾と、ミサイルが主力に使われた。勢いよく土煙を吹き上げて視界を奪うが、それに乗じて接近してこようとする敵は居なかった。
「機甲部隊出撃!」
最高の戦闘能力を備えている装甲戦闘車両を先頭にして、港に陣取っていた集団から一部が分離し進んだ。機械音が聞こえた者も居たが、そちらに向けて無闇矢鱈と発砲しても、何の効果も上がらない。
時速五十キロ辺りに達しようかといったところで、土煙から飛び出す。左右に黒い布を被った奴等が、伏せているのが見えた。据え付けられた機銃を乱射して、頭を上げようとの気持ちを予め打ち砕く。
次々と車両が飛び出して行き、最後の一両が行ったのを見て、装甲戦闘車両もその場を離れて行く。運悪く一人が肩に被弾したが、たまたま短機関銃弾だったようで、防弾ジャケットにより致命傷を免れた。青くなり内出血位はなったろうが、もう一つの結果を考えれば、何の不満もなかった。
陣内からは戦列を抜けた戦闘車両の分を補うかのように、激しく射撃が行われるのであった。
装甲兵員車両に通信兵を乗せたマリーは、中心に陣取り、球形に散開させた鱗形をとる。装甲偵察車両だけを先行させて、本隊はマラソンランナーよりも、やや速い位のスピードを保つ。
「本当に何もない荒れ地だな」
沈黙を嫌い呟く。防弾ガラスから外を眺めると、この世の不思議を感じられるような風景が広がっている。手付かずの自然の半分は荒野と同義なのを知っておきたい。何も美しい雄大な自然のみが称賛されているわけではないが、報道はそれを好むから偏った認識を与えやすい。
「偵察班、隊長。巨大な岩場が見受けられますが、敵の姿はありません」
編成をばらすこともないため、簡単な呼称を使う。
「砲兵陣地は空から見えないように穴蔵にあるか、迷彩を施してある。煙がどこかに見えんか」
多機能ではあっても搭乗員は、それ専門の教育を受けたアメリカ兵ではない。マニュアルと首っ引きで電子装備を弄くる。
――どこかに居るのは間違いない、砲撃は止んでいるから逃げた可能性は否定できないが、牽引しようにもそう簡単に準備も出来まい。偵察が到着するまでに十五分、砲撃から二十分で姿を消すには隠れるしかないはずだ。
「偵察班、隊長。熱源感知装置が、何らかの排熱を捉えました」
すぐにその画像がリンクされて、ディスプレイを分割して周辺地図に表示される。
「偵察は岩場の外周を引き続き捜索しろ」
「ラジャ」
軽装甲高機動車――装甲ジープ小隊に命令を出す。
「隊長、ジープ班。偵察車と反対回りで外周を捜索しろ」
短く「了解」とだけ返事があり、四台が離れて前進していった。
――エスコートは当然居るだろう。そいつらが歩きだったなら、配置につくのが遅かった訳が頷けるが。
「大尉、後方より二個歩兵中隊が移動してきています」アサド先任曹長が警告を伝える。
「辿り着くのは遥か一時間過ぎだ。それまでにこちらはおさらばといきたいね」
むしろ港への危険が薄くなって、ありがたいと微笑すら浮かべる。数分して新たな報告も上がらず、一点のみに熱源を見出だす。どうやら息を殺して味方を待つことにしたらしい。
「隊長、ジープ班。熱源へ接近して確認せよ」
「サイード曹長、隊長。四人で侵入します」
装甲車両群は足を止めることなく、近くを低速で旋回しながら結果を待つ。停車したら狙撃の的になるため、少しでも動いていたいのは、遮蔽が無い場所での心理だろう。怪しい岩場を見付けて周囲を警戒すると、素早く張り付く。火薬の臭いがするので、場所は間違いない。ゆっくりとミラーを出して内部を確かめると、無線を担いだ兵士を呼び寄せて報告する。
「サイード曹長、隊長。砲兵陣地確認、敵影なし」
「砲を置いて逃げ出していたか」それならそれで良いと次を考える。
「そのようです、何せこいつは固定砲台ですから」
しっかりと据え付けられていると、概要を報告する。
「固定だと? 持ち去るわけにはいかんな、爆破処分するんだ」
「承知しました、四分下さい」
マリーから部隊に、全周囲警戒を命じて砲のことは忘れさせる。
――何だってこんなところに固定砲台があるやら。港に向いていたのだから、湾への対策であったり、港自体への攻撃目的なのは解るが。だとしたら一つだけとは限らないな。
「サイード曹長、隊長。他の固定砲台捜索を進言します」
「熱源感知はされなかったようだが?」
「一つしか使えなかった、または使わなかった可能性が」
「残して奴等に陣取られてはかなわんな。捜索続行だ」
各車両から一名ずつ歩兵を出して、近くの岩場を点検させて行く。十五分程も捜すと、二基の大砲が新たに発見された。未整備で暫く人が立ち入った様子がない。
曹長の命令でそれらも全て爆破され、各車に兵が戻っていった。
――どうやら一門しか手入れしていなかったから、使えなかったようだ。砲弾に限りがあるならば、少ない物資をあちこちに散らすより利口だ。
「サイード曹長、隊長。三基の砲を爆破しました」
「ご苦労。全車撤収するぞ、西へ進路をとれ」
追い掛けてくる歩兵を、左手彼方に置き去りにし、低速でその場を離脱して行く。非整地でのスピード出しすぎは、転倒の恐れがあるので、踏み固められた道以外は様子を見ながら進むしかなかった。これで不安なく籠城可能になったと、兵等の表情は明るい。
――俺もつい数年前はそうだったな、少しは貫禄がついたか?
派手に揺れる座席に座りながら、島の下での活動をちらりと振り返っていた。
前線司令部。ロマノフスキーの許へ砲破壊の通信が伝えられた。
「随分と早かったな」
やはり尉官が散っていた為に、フィルが侍っている。納屋のような建物の一面をひっぺがして、装甲指揮車両をそのまま突き刺して使っていた。
「敵が全て逃げ去っていたようです」
固定砲台だったのも併せて報じられる。
「奪取不能なものだから、破壊せずに置き去りか。見付けた側もそのままには出来ないわけだ」
結果として爆薬を消費させたのだから、目論み通りであろう。
「眼前の敵が歩兵を割いたために、マリー大尉はこちらに戻らず、少し追わせると西に移動中です」
「悪辣だな。手が届かなければ諦めもするが、そこにいるならば放置も出来まい」
――港はこれで陥落することもあるまい、日没が次のポイントだな。
外を見ても明るいために、今一つピンと来ないが、あと二時間かそこらで夜に切り替わるはずだ。宿営の準備は明るいうちにやるのが鉄則である。
「泊まりの用意をしておけ、ジブチ軍にも手伝わせるんだ」
「はっ、副司令官殿」
応戦を一任してある、残留組のトップはブッフバルト中尉で、丁度キベガの丘にいた頃と同じラインを形成していた。機械化部隊はハマダ中尉が担当しているために、歩兵集団を彼が受け持っていた。戦力としては機械化部隊が遥かに上ではある、だが旅団の主力はやはり歩兵なのだ。
「中尉、宿営準備の命令が出ました」
オラベル軍曹が不馴れな英語を随所に混ぜながら、スペイン語で報告する。
「様子を見て交替で休憩と食事をさせろ」
常に全力で備えていては、いざというときに疲労で機敏に動けなくなってしまう。手を抜ける時に抜かせるのも、指揮官の心得である。三ヶ所に分けて堆積してある弾薬の類いには、それ専門の見張りを配している。六十ミリ迫撃砲の直撃があっても、耐えられるだけの壁も造ってあった。
堅実さを競えば、頂点を占めるのがドイツ系の特徴だ。その中でも下士官出身者は、小さなピラミッドのさらに先端を占める。
――鉄条網を設置させるべきだろう、今夜は浸透してくる前提の警戒が必要になる。
命令を出そうとしたその瞬間、爆音が起きてつい伏せそうになってしまった。
堪えて周りを一瞥してから徐に伏せる。指揮官が悠然としているため、兵が不安を大して抱かずに防戦を続けた。通信兵が慌てて駆け寄り、北東を指差しながら「戦車が現れました!」叫んだ。
「ドゥリー少尉に詳細を報告させろ」
右翼を少尉が担当していたため、そう命じる。装甲車やテクニカルあたりならば、重機関銃に狙わせなければならない。程無くして連絡が来る。
「ドゥリー少尉です。中尉、戦車二両がゆっくりと速足程度の速さで迫ってきています。距離二千メートル」
「詳細を」
「クローラー箱形、傾斜装甲に迷彩、主砲を装備して国籍識別は不明、型式不明。一人の南スーダン兵が、ソ連のに似ていると言っています」
見た目ではそれ以上詳しくはわからないと、説明を終える。
「するとバトルヴィークルではなく、本物のタンクなわけか。写真を撮ってこちらに送れ」
「すぐに実行します!」
――時速四キロだとしても猶予はないぞ!
M72を準備するように追って命令を出すと、前線司令部にも一報を入れておく。いずれにせよ、自身が何とかしなければならないのにはかわりなかった。
戦車砲の破壊力は抜群だが、命中率の程はあまりにお粗末であった。だが、そいつへの反撃は上手くいかなかった。丘陵の都合から、中々良い射角を得られずに接近してくる。
送られてきた画像をすぐさま前線司令部に転送、そこから砲艦を経て空母で照会した結果、旧ソ連のT80系列戦車なのが判明した。ブッフバルトが性能データを手にしたところで、右翼から歓声が上がった。双眼鏡で見てみると、戦車一両にM72が命中したようだ。炎と土煙が見えている。
観測していた下士官から「敵戦車一両撃破!」と、喜びの声が入るがすぐに「戦果誤認、小破」などと訂正がもたらされた。
――データによるとソマリアには存在しないはずのものだが、現にここに在る。
「ドゥリー少尉。あれはソ連のT80シリーズだ。正面装甲は四百二十ミリらしいから、M72では抜けない」
手持ちのロケットでは、三百ミリまでしか貫通しないのだ。
「ソ連ですか。正面がそれなら上面か背面しか抜けないでしょう」
そうは言ったものの、背面装甲ですら角度があったら抜けないのを指摘される。付近に高さがある場所が無いので、無限軌道輪軸を狙うしか術がない。
「では盆地で擱座させます」
向こうが見えないならば、向こうからも見えないのは道理である。戦車砲はその殆どが直射仕様で、視界が射界になる。
「モロトフカクテルも有効だ。武装データを送るが、現地改修の可能性があるぞ」
特に武器などは手に入る弾薬に合わせて、機銃あたりは置き換えられていて、不思議はない。
「注意を与えます」
そう残して通話を打ち切る。人が戦車を破壊するのはとても困難なことである。よしんば成功するにしても、相応の火力は絶対に求められるものだ。
モロトフカクテル――火焔瓶で戦車が倒せる、奇妙な感覚を抱くかも知れないが、一部の戦車が相手ならば無理ではない。最低条件はある。装甲が燃えるわけではないので、高速走行をすることが出来るならば、防御の限界を越えることはまずないのだ。逆に低速や停車状態ならば、換気不能による乗員へのダメージや、加熱による燃料の着火や発火、何らかの部品の損壊が起こってくる。
いずれにしても、無力化に至るまでに、どれだけの被害が相手にもたらされるか、生半可ではないはずだ。




