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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第五十二章 国境線紛争、第五十三章 モザイクパターン

 ビーチリゾートを数日楽しむ。そして発覚した事実が一つあった、レティシアは泳げない。彼女がジェットスキーを拒否した理由が、ようやく今頃になり明らかになる。


「タイ海軍にいたやつに聞いたことがある、海軍では水泳可能な兵士を求めていないそうだよ」


「たって桟橋やら海で落ちるやつもいるだろう、泳げないやつはどうするんだ?」


 皆が疑問に感じる部分である、島ですらレジオンで雑談していたときに、そいつに面と向かって尋ねたものだ。


「簡単さ、海軍に入ったら泳ぎを覚えるよう訓練する。つまりは誰でも泳ぎは可能になるそうだよ」


 川に放り投げて沈んだら助けるの繰り返しで、拷問から逃れたい一心で泳ぐそうだが……それについては触れない。


「ま、まあ動物はすべからく泳ぐものだからな、人間だって例外ではないはずだ」


「そういうことだからやってみないか?」


「だが断る!」


 結局のところ小型クルーザーで景色を眺めると話がまとまり妥協した。


 ――暫くはこのネタを使えそうだな。俺とて大した立派な泳ぎではないが、沈むことはない。


「そうだ戦車!」


 ふと思い出したのだろう、ホテルで突然声をあげる。何だかんだとうやむやになり、ハラウィに頼んでいなかったのを島も思い出した。


「おっとそうだった、ちょっと司令部に行ってお願いしてみよう」


 まだ朝早いが夜遅いよりはよかろうと、散歩がてら二人で向かう。


 ――やけに緊張してないか?


 隣を見るとレティシアも疑問を持ったようで、意味ありげな視線を送ってくる。


「あれを」


 指差す先を見ると、軍用車がトラックを先導して大通りを進んでいる。それも一両や二両ではない、列を成しているではないか。


 ――演習か? いやこの時期にそれはあるまい、ならば実戦になるが。


 行ってみたらわかるだろうと足を急がせる。心なしか司令部に出入りする人数も、少しばかり多いような気がした。


「島・ハラウィ大佐だ、ハラウィ中将閣下に面会を要請する」


「少々お待ちください」


 トラブル回避に姓を利用する、二つ返事で通さないからには、やはり何か起きたのだろうと考えが及ぶ。幾つかやり取りをしてから例の曹長が現れた。


「大佐殿、どうぞこちらへ」


 衛兵を下げて招き入れる。少し離れるまでは島も口を開かない。様子を見計らって「緊急事態が?」と訊ねる。


「どこまでお答えして良いか判断つきかねますので、閣下のところまでご案内させていただきます」


 そう言うのだから無理に聞き出すわけにもいかず、黙ってついてゆく。いつもとは違う場所に向かう。島はそれが司令通信室だとすぐにわかる。


 ――いよいよ始まったってわけか。総司令官が司令部に詰めるなんて大事だぞ。


 係と連絡を取り少し隣室で待つ。専属副官が現れて二人に服を手渡す。


「大佐殿、軍服に着替えをお願いします。レディも」


 言われるがままに将校服に早変わりして、大佐の階級章を襟に嵌め込んだ。


「似合ってるじゃないか」彼女を見て一言。

「はっ、言っとけ」


 部屋を出て大尉に案内させる。通信室に入ると数名の将校が控えていた、ちらりと入室者を目で確認してくる。

 一番奥にハラウィ中将が腰掛けて様子を窺っている。視線だけ島らに向けて来るが、席を外すわけにはいかなそうだ。


「閣下、お忙しいところ申し訳ありません」


「君なら嗅ぎ付けて来ると思ってたよ。南部で騒乱が起きている」


 画面を指差して地図の上にある都市を幾つかあげる。中小の市ばかりで、大きなところを避けているように見えた。


「陽動でしょう」


「だろうな。だが放置は出来ん」


「トラックの一団は増援?」


 先程見かけた集団について回答を求める。半ば確認に近いが。


「うむ、サイダ空軍基地に送るものと、周辺への補強も兼ねている」


 答えづらそうに意図を説明した。


「首都の増援は差し止めるべきです。地方の司令部に現地で兵を集めるようさせねば、総予備を早い段階で投入しては……」


 途中で口ごもる、自身が助言するような立場にいないことに気付いた。


「どう対処したら良いかのアドバイスが欲しい。島大佐、臨時で軍事顧問の再就任をしてもらえないか?」


 ――俺は今ニカラグアの士官だ、休暇中とはいえ正式な公務を引き受けるわけにはいかない。政府の承認なしにやれる範囲に形式を整える必要があるぞ。アルバイト程度なら良かろうが……


「閣下のお立場が悪くなる恐れがあります。レヴァンティン大尉を軍事顧問にしていただければと、自分は表面に出ません」


 急に話を振られた彼女は、臆面もなくここで望みを果たそうとする。


「名前くらいは貸してやるさ、だから戦車に乗せておくれ」


 返答を受けてハラウィ中将は笑いをこぼす。


「豪華なオマケがついてくるわけだ、わかった約束しよう。大尉を正式に軍事顧問に任命する」

 専属副官に階級章を手配するように命じる。


「話は戻るが君ならどう対処する?」


 視線は島に向けられているが、言葉は彼女との茶番が始まる。


「地方司令部で予備や後備を招集させます、警察や自警団も指揮下におくよう、指揮系統の整理を」


「反発が強いぞ、混乱を招いたとして逆に非難されかねん」


 国家体質自体が大層複雑で、味方だけでなく敵も政権側に抱えているのを忘れてはならないと指摘される。


「それで失敗しても閣下の責任なわけですね」


「そうだ」


 だからわかっていて増援せざるを得ないと、思考の道筋を説明した。枷がある。事実を認めて別の考えを練る。


「なあ、空軍基地を守るのは何故だ?」

 レティシアがあまりに当然な疑問を発する。


「レバノンはチョッパーが唯一の航空戦力だ、これを害されると痛い」


 中将がそうだと相槌をうつ。一機でも被害を受けたら大変な騒ぎになる。


「それをだよ、空を飛ぶんだから首都に避難させとけば、兵隊は少なくて済むんじゃないか?」


 何気ない一言に二人が彼女を見る。確かにどちらでも移動可能ならば、そうすることも出来る。


「閣下、空軍基地への増援をストップして、チョッパーをこちらに避難させましょう。首都の警備強化とでも言って」


「うむ、それならば文句もつけられまい」


 軍事顧問として彼女自身が早速役にたった。物事を難しく考えすぎるのは男の欠点だよ、とお叱りを受けるが苦笑いするしかない。

 中将から室内に控えている将校へ命令が下る。傍に居る二人が気になるようだった。


「閣下、我々についての憶測が飛び交う前に、適当な機会に開示を。自分はゲストでハラウィ大佐とお呼び下さい」


「そうだな、君は観戦武官扱いにしよう。オルテガ中将には私から話を通しておく」


 専属副官が小さな箱を手にして戻ってくる。階級章をつけてやり、四人で扱いを打ち合わせる。


「自分はコムヒド大尉です」

 あまり自主性はなさそうだが小回りがきく、専属副官として雑用を任せているのに納得である。


「レヴァンティン大尉、中将付軍事顧問だよ。英語とフランス語はいけるが、アラビア語は無理だ」


 そちらは通訳させると、島をこいつ扱いするのにコムヒド大尉が微妙な顔をした。


「ハラウィ大佐、観戦武官だよ。うちのやつの口が悪くて済まんね」


 後半だけアラビア語にして、意味ありげな視線を送ると、大尉は夫婦だろうと解釈して納得する。観戦武官など現代は名前を聞くことがないが、準と言えども戦時扱いのレバノンに他国の士官が滞在するには、便利この上ない。

 ハラウィが傾注するように呼び掛ける。


「ここに居るのはレヴァンティン大尉、彼女は軍事顧問。隣に居るのは観戦武官のハラウィ大佐、私の縁続きだよ。機密扱いにする、必要最低限の話題のみで扱うんだ」


 これで問題ないと続きを考えようと進める。


「散発的にまだまだ起きるでしょう、こちらの余力を削ぐのが目的でしょうから。各地の司令官に、予備役の一部待機や休暇の者を出勤させるよう命令を」


「そうだな、待機までならば大事にもなるまい」コムヒドに手配を任せ「誰が何のつもりでやっているかだな」


 見えない敵の絞りこみにかかる。数が多すぎて判然としないが、幾つか条件をつけてあぶり出してみる。


「国内からはシーア派でしょう、あと一部閣下の反対派やシリアの協力者」


 シーア派で中将の敵のシリア関係者、要件が揃っているならば重要参考人だと指摘する。


「二人居るな、外務大臣とシーア派軍司令官だよ。大臣はシリアのイエスマンで、軍司令官は南レバノン出身の石頭だ」


 ――最右翼だな。かといって真っ正面から疑えば軋轢が産まれてしまう。


「それらに関して」なるべく固有名詞を使わずに「居場所を把握しておくべきでしょう」


 司令塔になっているならば、出入りする人物を監視するだけでも先手を取れる可能性がある。


「政府の内務省調査室がマロン派だ、そこにやらせよう」


 備忘録に部署の名前を平かなで記録する。出撃途中の中隊が二個引き返してきたと、報告が上がってきた。


「手持ちの予備はいかほどでしょう?」


 コムヒドがハラウィに求められて編成表を差し出す。一瞥してからファイルをそのまま島に手渡す。


「機械化歩兵が六個中隊、機甲中隊が二個中隊、砲兵大隊が一個に歩兵大隊が三個だ。各科目のは除いているがあまりに少ないものだ」


 ――派遣可能なのが機械化歩兵三個と考えるか、四百人そこそこでどこまで対処することができるやら。サイダからのチョッパーも首都防衛に加えるとしても、機動力はなきに等しい。


「有るもの勝負だろ、向こうだって限られた手駒でやりくりしているんだ」


「そいつは正しい、頭を使って我慢比べだな。それにスパイスをひとつまみだ」


 首都の防衛を本来任務とする師団からは一切引き抜けない、議会の承認が必要なのだ。


「ハウプトマン大佐には、アメリカを始めとした国際情勢の分析に専従してもらっている」


 視野が広い外国人の方が気づきやすいヶ所もあろうと、独立して調べさせいているようだ。


 画面が点滅して、新たに南東部で問題発生のマーカーが、三つ同時に追加された。プリントアウトされた資料を持った将校が、コムヒドにそれを手渡し下がって行く。


「マスィヤード周辺陜隘部です。守備隊が孤立化していて、増援を求めてきております」


「現地司令部はどうしている」


 当然首都の総司令部が何もかもをしなくてよいように、各級司令部が存在している。まして遠く離れた地域である、状況把握だけでなく物理的にも手遅れになりやすく、緊急での対処能力は決して高くはない。それを補うための機械化集団であるが、乱発すればあっという間に手持ちは無くなる。


「余剰戦力無しと回答したようで、こちらに直接要請がきたようです」


「要請を却下しろ、現地司令部の指揮に従うよう厳重注意だ。馬鹿な通信を出した奴を記録しておけ」


 ここに状況が伝わってきたということは、多かれ少なかれ他所にも漏れていると見て間違いない。


「敵に降らないように何等かの措置を」島が一時凌ぎを入れ知恵する。頷いて専属副官に、因果を含めるよう現地司令部に向けての助言を与えろと命じる。


 また三十分もすると、別の地域で問題発生が報告された。


 ――こちらの対応を見ながらの行動ではないだろうか、やけにタイミングが良いぞ?


 南西部の小さな街にある教会が、不明の武装集団に攻撃を受けていると知らされる。


「閣下、堪えてください」


「だが教会を見捨てたとなると、今後に悪影響が」


 ――一気に破壊しないで攻撃を加えて増援を引き出す目論みとわかっていても、出さざるをえないわけか!


 支持母体が幅狭くなると全てが上手くいかなくなる、国民の半数が支持上限であるレバノンの、特殊な環境がのし掛かってくる。コムヒド大尉が渋い顔でメモを読み上げた。


「アル=ハサン司令官より増援要請です、教会の防衛に手が回らないと」


「大佐」仕方がないのだよと同意を求める。


「地域の」中将の立場を守るために納得し「予備が交替するまでの繋ぎとして下さい」


 済まんな、と不利を知りながら回避できない一手を飲み込む。一個機械化歩兵中隊を宛てるようにと命令書に署名する。その時にふと気付くどうなのかと。


「総予備ですが、宗教派閥により使いどころに制限がありますか?」


 もしそうならば、半分は使えない場面があるかもと懸念を示す。それが当たり前だと思っていたハラウィが肯定する。


「人数の半数がそうなるが、どちらでも良い場面はムスリムを送っている」


 ――一気に苦しくなったぞ!


「機甲部隊や機械化歩兵も半々で?」


「時々によりけりだな。今日は土曜日か、ならば半々で明日はムスリムが主力だ」

 金曜日はムスリムが極めて少なくなると、安息日について扱いが違うと説明する。

 将校は無関係だったり、訓練の特殊大隊でも計画次第で曜日まで気にしなかったこともあり、感覚が鈍くなっていた。


「大尉、部隊を宗教別詳細に表記し直してくれ」


 中将がすぐに承認して作業に入らせる。


「閣下、予備の武装をトラックに準備させていただきたい」


「予備を?」意外な指摘を受けて戸惑うが、無駄なことをしないとわかっているために認める「どの程度かね」


「歩兵二千四百人分を」


 レバノンの歩兵連隊一個の数を指定する、機械化や機甲などの他の兵科ではなく歩兵の。


 将校を招いて待機中の部隊司令に命令を下す、何故かを説明することは一切ない。


「なあ何かするつもりなんだろ、じゃああいつらを呼ばなくていいのかい?」


 レティシアが呼ぶあいつら、すぐにピンときた。今必要な手足をすぐに呼び寄せることが出来るほど、世界は狭くはない。


「閣下、ご面倒でしょうが書類に署名をいただきたく思います」


「ああ構わんよ、他にもあるなら今のうちに準備しよう」


 過去の実績はそれだけでは判断の良し悪しには足りない、だが二人の間にはそれを越えた関わりがあるため、余計な詮議は省かれた。


「ちょっと電話をお借りします」


 一度、二度と番号確認のために聞いてはかけ直し、目当てを探しあてる。電話口に相手が出て呼び出しを頼むが、そんな人物は居ないと突っぱねられた。


 ――おっと失敗だ、あれは便宜上つけた名前だったのをすっかり忘れていた。


「プレトリアス族長の孫で、長兄のプレトリアスを頼む」


「あなたのお名前は?」


「イーリヤ、ルンオスキエ・イーリヤ大佐だ」


「モン・コロネル!」

 弾かれるように返答され、少しばかり耳が痛かった。


 片手に荷物を持って、ベイルート市内をとぼとぼと歩く男がいる。仕事で成果を出せずに独立した任務から外されたからだ。


「くそっ、新しい旅券を手に入れる金を集めねば」


 強力な縁故か能力が無ければ、国内や近隣で大した仕事にはありつけない。オヤ・ビン=ラディンにはその両方が欠けていた、唯一汚れていない旅券を所持していたために、機会を与えられていたのだ。

 失敗とは言え一応報告まで行ったので、次の仕事を宛がわれているにはいたのだが、単純な荷物運びなことに失望していた。


 ――こんなことはガキでも出来る。何とかせねば!


 使えないと判断されれば素質ありの若僧の下につけられるか、雑用のままか、自爆テロで使い捨てられるかと暗い未来が待っている。

 とはいっても何が出来るかと言えば、これといった技能は持ち合わせていない。出るのはため息ばかりで名案は何一つ出てこなかった。


 仕方なく言われた通りに荷物を持って歩く。その彼の目の前を一台のワゴンが猛スピードで通りすぎる。いらいらしながらその車を睨むと停車して、黒人を二人吐き出した。


 そのうちの一人が不意に通りを見る。


「あ、彼奴はレトリー?」


 すぐに建物の中に消えてしまったが、見間違えとは思えなかった。戻ってくるワゴンを止めて窓を叩く。


「すいませんが先程のかたはレトリー・トゥヴェーさんでは?」


「レトリー? いえプレトリアス・トゥヴェー様ですがあなたは」


 車内でエーン、トゥヴェーと話をしているのを聞いていたのでたまたま通じた。


「オ……オーギュスト・ハマドでして、コンゴでお世話になったもので」


 寸前で名前を偽る、フランス風のモノが咄嗟にそれしか浮かばなかった。


「おおっそうでしたか、プレトリアス郷にいらしたらよろしい。そのうち戻られますよ、では」


 曖昧な返事をして車が遠ざかるのを見送った。


 ――プレトリアス・トゥヴェーが本名か、あの建物は軍司令部じゃなかったか? すると彼奴はレバノン軍か、俺がヒズボラだと気付いて罠に嵌めたわけだ。こうなったのも奴のせいだ、どうにかして復讐してやる! しかし何故コンゴに居たんだろうか、こことは全く関係がないが……


 疑問を抱いたまま荷物を手に、まずは雑用を済ませてしまうことにした。


 指定のアパルトマンにと辿り着き部屋に入る。荷物を置くと、隣から声が漏れ聞こえてきた。


「ハラウィ中将が四苦八苦しているようだが、もう手駒はあるまい」

「あってもあと一度の派遣で枯渇は間違いありません」

「一ヶ所蜂起させましょうか?」

「そこを助けずに温存する可能性もあるんじゃないか」

「それは有り得んよ」

「ほぅ、聞かせて貰おうかその自信の程を」

「はい、実は山岳レバノン県での仕込みでして」

「なるほど、それを実行するんだ上手くいくだろう」


 目の前を一人の幹部が通りすぎた、オヤ・ビン=ラディンには一瞥もくれない。部屋に入り荷物が届いたと知らせる、生返事があるだけで気にもとめなかった。


「中将が外国人の軍事顧問を新たに抱えたと報せが」


 一歩遅れたから何とか挽回をしようとする。


「昨日今日きたような奴には何も出来まい」


 冷たくあしらう。確かにレバノンの複雑な政情は、簡単には飲み込めないだろう。


「その軍事顧問――レヴァンティン大尉と一緒に、ハラウィ大佐とやらが側近に名を列ねているとも」


 部外秘であるはずが、いとも容易く流出していた。


「ハラウィ大佐だと? 奴の息子はまだ大尉だったな、親類に大佐はいなかったはずだぞ」


 それが無縁の者だとしても、軍事顧問と同時なのが余りに怪しい。


「そこまで詳しくは……ですがその大佐が護衛を招集したそうで。プレトリアス・エーン中尉とやらです」


「プレトリアス!」


 つい声を出してしまう。幹部同士の会話に水を差してしまい、しまったと小さく漏らす。


「おいお前、プレトリアスを知っているのか」


 上級幹部が興味を持って詰問口調で訊ねてくる。


「先程目撃しました。ですがコンゴで話したレトリー・トゥヴェーいえ、プレトリアス・トゥヴェーでして」


「コンゴだと? お前の名前と経歴を言え」


 ――こいつはチャンスだ! 何とか俺に興味を持たせねば。


 役に立つならば引き立てようとの意思が感じられる。


「オヤ・ビン=ラディン。布教による兵員確保のためアフリカを巡ってました。コンゴのブカヴでプレトリアスに遭遇、承諾を得てブルンジのブジュンブラ空港にまで行かせましたが、アメリカの圧力で俺の旅券で航空機の予約が取れずじまいに。先月にようやく戻りました」


 迸るように経緯を説明した。緊張の余りに抜けたところがあるが、概要に間違いはない。


「目撃したとは?」


「ここに来る前に、ワゴンに乗った二人の黒人が軍司令部に入るのを見ました、そのうち一人がそいつでした」


 少し時間を置いて情報を整理する。


「ハラウィ中将は、ハラウィ大佐とレヴァンティン軍事顧問大尉を側近に上げた。その大佐がプレトリアス・エーン中尉を招集、プレトリアス・トゥヴェーがペアなのだろう。ハラウィ大佐が何者かを知ればこちらに有利になる、その為にはプレトリアスを調べる必要があるだろう。ビン=ラディン、出来るか」


「はい、お任せ下さい!」

 ――プレトリアス郷とやらを探ればはっきりするだろう。


「私はハラウィ大佐とレヴァンティン大尉を調べてみます」


 また遅れてはならないと、幹部が自らも売り込む。


「うむ、良かろう。ビン=ラディンの報告もお前が受けろ」


「承知いたしました」


 彼は上手いこと道筋を得たためにほっとする。あとはビン=ラディンを使いこなせば、自分の功績もあがるとより良い未来を想像した。


 司令官の眼前に二人の黒人が並んで敬礼する。次いで大佐、大尉へと。


「プレトリアス・エーン中尉、プレトリアス・トゥヴェー上級曹長出頭致しました」


「おおプレトリアス、活躍は聞いているぞ。いつも義息子を助けてくれてありがとう」


 笑顔で迎える。彼にしてみれば、一生口をきくことかなわないような人物に礼を述べられ、ただただ驚くしかない。


「いえ、これが自分の使命ですので」


 任務や職務ではなく使命と表したので、ハラウィが大きくうなずく。


「エーン、突然だがニカラグア軍から除籍する」

「ヤ」


 一切何も抗議も確認もしないでハイと答えた。コムヒドが書類を二人に手渡す。


「エーンをレバノン陸軍中尉、トゥヴェーを上級曹長に任命する。配属は援助部隊中隊長だよ」中将が直々に配属先を示す。


「実はまだ一兵とて配属されていないんだ、保険が無駄になれば幸いだが、このきな臭さは十中八九一悶着起きるね」何なら賭けてもいいぞと言う。


「ボスが起きると感じたならば、自分もそうだと信じますので賭けは不成立でしょう」


 任命が終わると壁際に並んで立って、後は無言になる。


「しかし勝手に離任させて良かったのか、大佐」


 佐官の権限から逸脱しているために、中将が心配する。


「本来ならば裁判に立たされてしまうでしょうが、今ならば可能です。実は将校任免権限をいただいております」


 コンゴに行くからとの事情からではあるのだが、戻るなと首相から命令を受けたのでまだ委任状が手元に、と苦笑い。


「拡大解釈かはたまた職権濫用か、いずれ後に調査もあろう。すまんな龍之介」


「汚名や非難は幾らでも引き受けます。国を揺らす輩を退治していただけたらそれで結構です」


 ――他に打てる手はないか考えろ、兵と足は何とかできるはずだ。俺の意を汲める指揮官も用意した、だがまだあるはずだ手段が!


 宗教別の編成にその他が二個小隊あった、これをまとめてエーンに率いさせるつもりである。首都圏で一大事が起きても、指をくわえて見ているだけにはならない。


「血相変えてメモを握る奴が来たよ、なんだってだらしないもんだね」


 後方に居るんだから落ち着けと、今にも指導しそうな勢いである。


「報告します、山岳レバノンで増援要請です」


 ハラウィ中将が渋い顔をしたが、却下を口にはしない。


「状況を」

「はっ、アムシート郊外で警官が複数箇所で襲撃され、応援に出たところ本署が占拠されました。分屯軍は市役所と病院の防衛が限界です」


 警察署を制圧するとは、中々に用意周到と言わざるを得ない。


「警官の被害だけならば我慢出来ると考えますが……」


 判断をしかねているハラウィに言葉を添える。しかし彼はどちらとも答えなかった。


「中将閣下、一番回線に大統領閣下より緊急です」


 きたか、と小さく呟いて受話器を手にする。


「ハラウィ軍事大臣です」

「ハラウィ君、私だスライマーンだよ。アムシートの件は聞いているね」

「はい、警察署が占拠されていると。市役所は軍が保護して無事です」

「そうかならば敵を全滅させるための部隊を出すんだ」

「予備が少なく手が回りかねますが……」

「どうにかしたまえ、あそこはマロン派の重要な基盤となる都市だ、君の為でもあるだろう。異論は認めんすぐに派兵するんだ、これは大統領命令だ」

「了解しました、大統領閣下」


 大きく溜め息を一つ、最高司令官の命令を違えるわけにはいかないと。


「何故そこまで?」

 地方の都市にしては扱いが特別過ぎないかと問う。


「アムシートはレバノンの歴史が語られる都市なんだ、それに」言いたくは無いが説明しておかねばならないと付け加える「大統領閣下の出身地でね」


 ――大統領の最大の支持地域か、それは仕方あるまい。


「出せるのは機械化歩兵が二個中隊、後はもう機甲部隊しか残りません。歩兵ならば丸々三個大隊ありますが」


 山歩きをさせたとしても、着いた頃には全てが終わっているだろう。


「今後何か起きたらもうお手上げだよ、神に祈ってくれ」


 言ってからハラウィは島が無神論者なのに気付く、プレトリアスもキリスト教徒ではない。レティシアを見ると、神なんぞといった具合であった。


「キリスト教徒以外からの助力を得られていると喜んでおこう」


 肩を竦めて前向きに受けとる。


 ――この人を失ってはならない、レバノンにとって必要不可欠な人だ! 俺がここに侍っている結果を示さねばならん。


 最後の予備を送り出す手配を終えて溜め息をつく。


「閣下――」


 緊張のまま時が過ぎる、何事も起きずまた解決の報告もない。現況報告と異常なしを繰り返す中、突如大事件が混ざってきた。


「シリアとの国境、守備に派遣した連隊がヒズボラと自由シリア軍、イランイスラム革命軍に攻撃を受けて敗退しました」間違いはないかと何度かメモに視線を落としながら報告する。


「大尉、詳細を」


 中将がショックで即応出来なかったので、島が代わりに進める。


「ヒズボラの通過を差し止めた中央大隊が、イランイスラム革命軍により側面から攻撃を受けて崩壊。自由シリア軍が抜けたヒズボラを狙って越境しようとし、トルコ側の第二大隊と交戦。山岳側の第三大隊は、イランイスラム革命軍の側面を牽制するだけで限界です」


 ――越境をものともしないとは無法地帯甚だしいな!


 未だ立ち直らない中将が喋る前に追加の報告が入る。


「中央大隊ルノワール少佐戦死。第二大隊ムハンマド大尉戦死。死傷者数は未集計です」


「閣下」


「あ、ああ……」


 ――脳震盪状態だ、このままでは残存兵力が飲み込まれる。


「閣下、後退のご命令を。まだ半数は残ります」


「……うむ……」


 追加報告がまた上がってくる。


「おおっ閣下、中央大隊は現地の陣地にて防戦中です、戦死した少佐に代わり、ハラウィ大尉が指揮を執っております!」


「なんと生きているか!」つい立ち上がる「だが出せる増援が居ない」


 喜びも束の間、なんの手立てもないことに気付くのみである。ガックリと肩を落とす中将に島が進言する。


「後退を中止して陣地を死守させましょう、その間に増援を出します。閣下、ご命令を」


「大佐、最早手元には機甲と歩兵のみだ。機甲を出しクーデターを起こされれば抑えきれんぞ」


 専属副官も頷く、レティシアはどーだろうねと呟きエーンは無表情だ。


「自分が機械化歩兵を作ります。歩兵大隊を一個使わせていただきますので、出来れば中佐を連隊の指揮官に。自分が助言を与えるために同行します」


「歩兵大隊一個で連隊? ……分からんが何とか出来るのだな?」


「お任せ下さい閣下、与えられた機会を無駄にはしません」


「頼むぞ、龍之介」


 コムヒドに手配を命じ、神に祈ろうとして首を振ると、しっかりと正面を見据えた。


 兵が待機している基地に、続々と車が集まってくる。型も違えば中にはバスも混ざっていた。


「アーメド恩に着る」


「止してください大佐、大口の仕事を回してくれたんですから、感謝したいくらいですよ」


 少人数に別れて定員一杯まで各車に分乗した。装備を持たずに身一つで乗り込むと、正面を見たまま無言で構える。


「もしかしたらと頭に残っていてね、上空からヘリが護衛する」


 避難させてきたヘリを、そのまま転用することにした。空から監視させておけば下手な手出しは出来ない。


「まさかのタクシー歩兵とは、お前の頭はどうなってるんだい」


 奇抜な発想、括るならば開いた口がそのまま、といったような捻りも何もない類いではあるが。


「遥か前になるが、フランス軍も同じように前線にまで、タクシーで兵士を送ったことがあるんだ。今と違って車両自体が特別な時代ではあったけどね」


 他の自家用車と違い一部の車に無線がついているので、部隊として運用可能なのもポイントである。何より燃料を自前で調達可能で運転手つき、値段は張るがそれは軍が用意しても同じだけ掛かる。


「それだけに移動中は完全無防備だ、たまたまヘリがあって助かる」


 君のお陰だと彼女を誉める。実際あるとないでは安定感に多大な差が生じるものだ。


「乗るだけじゃなくて、戦車砲も撃たせて貰おうじゃないか」


 必ずそうさせるよと島が約束する。ハラウィとて嫌だとは言うまい。話をしているところに二人の男がやって来た。隣に来ると島に敬礼する。


「援助連隊長シュヴァリエ中佐です。大佐殿、宜しくご指導願います」


 騎士との姓を持ったアラブ人が、フランス語で申告してくる。


「ハラウィ大佐だ。中佐、軍事顧問はレヴァンティン大尉で俺はただの観戦武官だ、意図を正しく解釈し、中将閣下への配慮を願うよ」


「勿論です、独り言が多い観戦武官と聞いております」


 笑みを見せ、準備があるために失礼とすぐに去っていく。


 ――閣下の人選だ、万が一にも不利になるような証言はしまい。


「じゃあ我等も出発しようか」


「タクシーかい」


「何ならヘリでも構わんよ」


 ゆったりと音楽を聴きながらいきたいとの希望は、すんなりと叶えられた。


 ひっきりなしに劣勢の報告が舞い込んでくるが、対処しきれないままに外郭陣地を一つ喪失していた。通信兵は雑音が酷い中で、必死に集中して言葉を拾っている。


「第一戦線より撤退要請です!」


 銃声や発電用のエンジン、車両や大砲が様々な音を響かせるために、隣の指揮官に大声を出して伝える。


「第二戦線から撤退支援をさせるんだ、タイミングを調整してやれ!」


 半地下の豪に裸電球がぶら下げられて無遠慮に照らす。簡単に手に入り使いやすいものが優先されて、便利だとか見た目のスマートさは後回しにされた結果がこうなっている。

 半世紀前の軍隊のような装備が未だに現役なので、殊更不思議でもなんでもない。


「モーターシェル!」


 誰かがそう警告を発する。偶然指揮所に落ちてくる迫撃砲弾があり備える、耳を押さえて口を半開きにした。激しい爆音と爆風、飛び散る破片が一部豪に被害を与え天井を揺らす。


「連隊本部からの増援は!」


 ハラウィ大尉が怒鳴るように通信兵に確認する。


「現在地を死守せよとの回答しかありません!」


「シャイセ!」


 つい口をついて粗野な言葉が出てしまう。


 ――実際に動くよりは敵が諦めてくれるよう、嵐が過ぎ去るのを待つ方が得策かも知れない。だがその場合はあちらが居なくなるための、何らかの圧力が必要になるぞ。


 隣の大隊は自由シリア軍の不法侵入を追い返すのに手一杯で、助けになど来る余裕はないと聞かされていた。


「連隊本部より入電、本部指揮所に危険が迫るため後退すると!」


 ――臆病者が! 俺達よりどうやったって安全だろうさ!


 よくあることだと悪態をついてから、一旦冷静になろうと自らを落ち着かせる。


「重傷者を地下に収容しろ、南西の警戒地域から引き抜いて予備を増やせ。敵は北東が主だ」


 包囲されているわけではないが、逃げ出そうとしたら追撃を受けて四散するだろう未来が浮かぶ。


「弾薬を補充してやれ、交戦が緩い時は兵を休ませろ」


 気付いた点を都度命じて行く、渦中の人物では思い当たらないものを指揮官が担当する。ちらりと腕時計をみて「交代で食事も摂らせろ、ただし半分の量だ」腹に被弾したり満腹で消化に力を使いすぎると、注意力が下がるためだ。


「ルッツ大尉戦死!」


 編成表を手にして次席を確認する。


「ロワール中尉が中隊長を引き継げ、以下の人事を繰り上げさせるんだ」


 偶然か狙われたのか指揮官に死傷者が続いた、部隊が麻痺する前に対策を考えねばならない。


「将校は双眼鏡を外せ、襟を内側に折って階級を隠すんだ」


 敵が相手を識別する際に、判断に使うだろう部分をなくしてしまう。味方にも抵抗があるかも知れないが、死なれては困るので大隊長代行として命令を徹底させた。

 通信兵にそう命じると表情を崩し「ハラウィ大尉を失うと自分も困りますので」襟を指差して通信機に向き直る。


 ――おっと俺もだな、自分のことは案外気付かないものだ。


 軍医がやってきて中を見渡す、小さく頷いてからハラウィに近付いた。


「あー……大尉、負傷者を寝かせる場所が不足しています、ここに数名いれさせていただけませんか」


 階級章が無いが、大尉だったろう記憶を引き出して呼び掛けてくる。


「ああ構わんよ、居心地は保証しかねるがね」


 軽口を叩いて雰囲気だけでも明るくしようと努める。


「外に転がしているより遥かに良いですよ、自分がそうしたいくらいです」


 怪我は御免ですがね、と中年の軍医が去っていった。傷病者が搬入されるのを意識して無視する。


 ――時間が味方じゃなければやってられんな、直談判だ。


「連隊長に繋いでくれ」


「おやすい御用です」


 チャンネルをカチカチと切り替えて、連隊本部への回線にあわせる。ギリギリまで使用を控えることで、重要な交信を傍受させない狙いがあった。

 少しばかりやり取りした後に、ほいどうぞ、とバトンタッチする。


「中央大隊長代行ハラウィ大尉です、連隊長増援はまだでしょうか?」

「君か、残念ながら本部に余剰戦力はない」

「こちらは指揮所にまで重傷者が溢れています、司令部に増援依頼を」

「やっているが司令部からは、機動戦力がないと回答されている」

「ならばせめて撤退援護を」

「撤退を認めない、その場を死守するのだ。これは総司令部からの命令でもある」

「……っく、了解しました」


 悔しげに受話器を渡す、半ば答えは解りきっていたが。


 ――総司令部からの? わざわざそれを命じてくるということは、意味があるのではないか。機動戦力が無いとはどういった意味だろうか、何か引っ掛かるぞ。総司令部には父上が居るはずだ、もし手の打ちようがなければ、全滅する部隊に死守はさせないはずだ。自由に死に場を選ばせるだろう。


「全士官に機密文書の処分準備を」通信兵が最早これまでかと項垂れる「重傷者を動かせるように、担架に載せておくんだ」


「撤退準備でしょうか?」


 大尉が独断で後退するつもりになったのかを問う。


「いやここを死守する。命令があるまではな」


 今一納得いくような内容ではないが、冷静な上官の言葉に従っておく。


「兵には携帯用の水や食糧を、すぐに手に出来るよう準備をさせろ」


 ――もしかしたら長時間の撤退戦になるかも知れんからな。


 腹の底から響くような衝撃が伝わってきた。咄嗟に伏せるが、壕にいるのを思い出し起き上がる。


「何だ今のは!」


 それに答えるわけではないが無線で報告が入る。


「煙が東に……照会を急げ……」回線を二つ使い通信兵がくるりと振り返る「山砲による砲撃です、東八キロ地点に煙が」


「そんなものまで持ち出してきたか! 百五ミリで撃ち返せないか?」


「連隊本部に要請しますか?」


 砲撃要請権限は中隊長以上に与えられているので、判断を要求する。


「そうしてくれ。見事命中させたら、砲撃部隊に俺から一杯奢るよ」


「四十杯ですか、自分も二人分受け持ちます。大尉殿と自分の分を」


 気が利いた通信兵が砲撃を要請している間に、次なる展開を考えておく。


 ――撤退では全員が同じ疲労度ではまずい、機敏に動ける部隊を一つ抱えなければ。予備に置いたのをそっくりそのまま充てるか。


 いずれにせよ味方がこなければ画餅だと、詳細までは踏み込まない。


 ――当然南西からやってくるから、入れ替わるように同じ方向に出たら渋滞や衝突の危険がある、南に向かわせよう。となると左側面が外側か。


 被害の報告が止まらずに入り続ける、将校の損耗が少ないので例の指示が効果を出したのだろうか。


 ――狙って倒したならば狙撃手がいるな、かなりの手練だ。探すにも不用意に頭を出せば撃ち抜かれるぞ。対抗狙撃手を用意すべきか否かだな。


 タクシーが広場に止まっては乗客を吐き出して行く。国境近くの街には民兵が集められていて、それを不思議そうに眺めていた。


「急げ急げ!」


 軍曹が兵士の尻を叩いて、素早く冷静に行動しろと怒鳴る。伍長が民兵と援助部隊を混合して、手持ちの兵力を素早く二倍にしていく。

 トラックには武器が満載されていて、きっちり連隊が武装可能な数が行き渡る。民兵が持っていた分が、そっくりそのまま予備に回された。


「シュヴァリエ中佐、偵察部隊を出して、簡易地図を作製する手配を」


 名称や方角についての会議をする時間が惜しいため、編成を待っている間に先行させる。


「了解です、大佐。ホンダを集めろ、十組で地図小隊を編成するんだ」


 ホンダと言われついフランスで作った偽の名刺を思い出してしまった。街からオートバイが徴発されてあてがわれて行く、しっかり借り上げ証明を発行するあたりが、シュヴァリエらしいと感じた。


「一足先に俺達は連隊本部に合流しよう、大分後退するように命じてあるから、第三戦線だろう」


 即ち戦闘地域の比較的安全地帯、直接の銃火から外れているのを端的に表す。中佐は後程と残して自身の本部へと戻った。


 エーンの命令で、島の専属護衛にはドゥリー少尉らが就いている。プレトリアス郷からの召集で分隊を作り、フィル曹長がまとめている。

 青年層がコンゴ、南スーダン等に派遣中の為、壮年が主で体力面の懸念があった。だが自発的に集まってくれた者に感謝こそあれ、文句を述べる筋合いはない。

 レティシアを援助部隊に残して、意思の疎通に役立てようとする。


 ――そちらのほうが安全だと言えば、抗議されるからな。


 数キロ進んだ先に、レバノン杉の国旗を掲げた集団があり、接触する。


「止まれ!」警戒していた兵が、叫びとも言える勢いで差し止めてくる。よほどやり込められたのだろうことが感じ取れた。


「私はドゥリー少尉だ、観戦武官ハラウィ大佐が連隊本部に入る、通せ」


 なにも聞かされていない兵が、車にいるハラウィ大佐とやらを見る。東洋人がレバノン銀杉勲章の略綬をつけているものだから、上官に許可を求める。すると直ぐに通すように命じられた。

 やけに使い込まれた民間用の車両ばかりが並んで入るのが、ミスマッチだなと眺める。ともあれ、上官の返答を得たのだから良かろうと、気にしないで職務に専念することにした。


「ニカラグア軍ハラウィ大佐です。大佐、本部にお邪魔させていただきます」


 島が開口一番連隊長にそう告げる、一報は総司令部から届いてはいるだろうが、詳細は一切伏せられていた。


「フィリップ大佐です。ハラウィ大佐は?」


「中将閣下の義息子です。伝言を預かっております。連隊長の善処に期待するとのこと」


 それだけである。察して行動しろと言うのだ、信頼の証として受け止める。


「第三大隊は自力で維持が可能、第二大隊も撤収は問題ありません。中央大隊は被害甚大につき、進退極まっております」


 手元にあるイラストで簡単に説明する。本部の位置には小さな四角が二つだけ置かれていた。


「三時間以内に中央陣地にまで援助部隊が到達可能です」


 二千四百の兵力で完全武装だと端的に明かす。


「総予備の機械化歩兵連隊を向けていただけましたか!」


 ハラウィ大尉が心配で、中将が差し向けたのだろうと解釈した。


「違います。総予備の歩兵大隊一個を基幹にして、一個大隊を民兵から拾いました。八個混成中隊で連隊を形成しております」


「歩兵大隊をどうやって?」


「バスやタクシーを使って手前の街まで送らせました。シュヴァリエ中佐がトップです」


 名前を知っていたらしく頷く。中将の子飼で彼を出してきたなら本気だろうと。


「そしてハラウィ大佐ですか、いよいよもって責任重大。して我が連隊は、いかな動きを求められるでしょう?」


 同階級、しかも外国人の観戦武官に意見を求めなければならない謂れはない。ありはしないが、そうすることで少しでも好結果が得られるならば、フィリップであれ島であれ迷わずそうする。


「負傷者を後送するための車両でも馬匹でも、兎に角自力で下がれないものを援護していただきたい」


 何せタクシーは戦場にまではこないから、と冗談を言う。武器を積んできたトラック、あれだけが八台自由になると提供を申し出る。


「百五ミリ榴弾砲、ここから支援可能なのは一手です。通信回線は自由に使っていただいて結構ですが、通信手もお使いになりますか?」


「実は彼等は」二人の黒人を見てから「レバノン軍にいたことがあり、永年通信兵をしてましてね」

 話題に上った者がニヤリと笑みを溢した。


 距離がさほどない上に味方の支配地域なせいもあって、二つの連隊本部の間に電話線が敷かれた。薄い茶色のゴムで包まれた鋼芯はナイフでは切断されず、銃弾もかなり上手いこと命中させねば破壊するのは難しい。

 気長に火で炙り続ければ異常をきたすが、そんなことをして無事なわけもなく、かなり優秀な道具として利用されている。重くて距離が短いため、活躍の場面が限られているのが欠点だ。


「援助部隊が三十分の距離です」


 連隊通信兵が報告を周知する。軍による移動距離は様々であるが、レバノン軍の場合は二キロが歩兵の戦闘移動時速目安とされていた。


「頃合いでしょう、無線を使わせていただきます」


 フィリップが頷き、不安のまま死守をさせた中央大隊に心中で詫びる。


「こちらハラウィ大佐、ハラウィ大尉。ハラウィ大佐、ハラウィ大尉応答せよ」

 島が傍受に備えてスペイン語を選択する。といっても名前と階級は耳にしたらすぐにわかるだろうが。妨害があるのか通信機が故障しているのか、はたまた最早応答不能なのかはわからないが、ハラウィハラウィと繰り返す。


 少し唸りながらも、名指しで呼ばれていますよ、と大尉にマイクを渡した。


「大佐が大尉をご指名で連隊本部からです、ハラウィハラウィと」


「ハラウィ大尉です、大佐、突撃命令でも下りましたか」


 精神的に疲弊してしまい、刺がある言葉が口を出る。


「いや撤退命令だよ、大尉」


 ――スペイン語? フィリップ大佐は喋られたのか。


「ですが大隊は最早自力では撤退不能です。そもそもがあと一時間持つかも不明で」


 そちらは事実であった、人は感情の生き物である、希望がなければ崩壊も早まる。


「あと半時間もたてば救援が到着するよ、カバジェロが向かっている」


 ――近距離に? カバジェロは騎士だがどういう意味だ……ナイト、アルファリス、シュヴァリエ。そうか!


「承知しました、大佐。撤退準備だけは整えてあります」


「結構だ。負傷者はフィリップ大佐のところが引き受ける、ハラウィ大尉らは自力で生還することだけを考えるんだ」


「はっ! え?」ずっとそのフィリップ大佐と会話していたと思っていたので、変な声を出してしまった「あの失礼ですが、どちらの大佐殿で?」


「通信状態が悪かったかな、ハラウィ大佐だよ」


「え、ハラウィ大佐?」


「ああ他に同姓の大佐は居ないと聞いてるが」


 ――そんなわけがない、何故ここに義兄さんが。


「義兄さん?」


「そうだ、我ながら神出鬼没だと思うがね。そちらにプレトリアス中尉の中隊を寄り添わせる」


 指揮系統が違っても直轄して構わないと下駄を預けておく。直接戦闘の教義は同じ出所だろうとも付け加えた。


「ありがとうございます、必ず兵を生かして返します」


 心意気も結構だと締め括り、通信を終えた。


「突撃して死んでこいと言われましたか?」


「いやまさかの援軍がやってきたよ、さっきの件だが三人分引き受けてくれないか」


「フィリップ大佐ですか」そいつは意外だとの表情を浮かべる。


「いいやハラウィ大佐さ、あの人は出来ないことを口にしない。必ず救援してくれる」


「ハラウィ大佐?」


「俺の愛すべき義兄上だよ。大隊に通達、二十分後に味方がやってくる、逃げる準備をするんだ」


 臆面もなく逃げると言った大尉に、了解を告げ回線を切り替えた。


「座標固定、斉射用意!」


 砲兵中尉が榴弾砲の着弾点を、陣地の北東四百メートル地帯に向けるよう命じる。敵がいようが居まいが関係無くそこに砲弾を投下し続けることによる防御方法で、十二・七ミリもそこに射線を固定することにより隙間を埋める。アメリカ軍が半世紀前に産み出した、絶対防御火砲戦術である。有り余る物資を背景に、攻め入る気持ちを打ち砕く手法だ。


「各中隊突入準備完了」


 アルファベットでAから一つおきに八つを割り振ってある。数が多く聞こえるのと、Bからの一つおきでの指定ならば、民兵を外して正規軍のみで動けとの仕分けでもあった。

 駆り出した民兵を過酷な任務に充てるつもりはないと、シュヴァリエ中佐が配慮した経緯がある。


「ガゼル戦隊来援、航空支援開始」


 護衛に充てていたヘリが首都に帰着した後に、入れ替わりでガゼルを出撃させるように中将にお願いしていた。当初は首都の防御が薄くなると反対をされていたが、ならば機甲部隊を増援に出すぞと迫った結果、何とか承諾を得られた。

 無論これにもサイダからの避難ヘリが戦力に加算された話があったからとの背景が影響している。


「各位の努力に期待する、救援作戦開始!」


 シュヴァリエの号令に合わせて、フィリップ大佐も撤退命令と砲撃命令を同時に下す。


 ――始まったぞ、俺は全体の進捗をみることに傾けよう。


 各連隊は連隊長がきっちりと目を光らせるだろうと、連携部分を担当するよう、島が意識を集中させる。

 始まった途端に情報が氾濫しだす。通信兵が手際よく交通整理をするが、次から次へと判断を迫られるせいで、次第に一杯になってくる。


「側面からの攻撃があり、負傷者運搬用の車両が陣地にまで行けません!」


「援助連隊に排除を要請するんだ! 車両は差し止めろ、被害を受けさせるな補充がきかんぞ」


 大佐が即座に命じる。より良い案を考えるよりも、そう感じた内容をすぐに口にした方が適当な結果が得られることが多い。拙速こそが戦闘の金科玉条だ。


「大佐、ガゼルにその一帯を掃射させましょう」


「空がありましたな、攻撃要請を出せ」

 頷いて助言を容れる。十秒そこそこで上空の戦闘ヘリが旋回をして、指定地域に機銃を撃ち込む。歩兵には災難としか言いようがなく、反撃も出来ずに小さくなりやりすごそうとするしかない。


「E部隊、本部。我敵西側攻撃線に到達、交戦中」

 手前の戦線を無視して、一つだけ奥の敵地に楔を差し込む形で移動した。激戦区になるだろう地域の真ん中に味方を置くことで、支援を有効にとの考えだろうか。

 援助連隊から予備の中隊が西側に移動を始めた、程無くしてガゼルが掃射していた地域に迫り、地上の敵を受持つ。


「A部隊、本部。陣地までの通路確保」


 散発的に弾丸が飛んでは来るが、多少の危険はどこにでもあると、八分を以てして確保を申告する。


「車両を出せ」


 一定の間隔を保ちながら、トラックやバンカーゴが陣地に向けて移動を始める。中で渋滞しないように搬入が終わるまで後発は待機のままだ。


「東部、二時方向に進出する敵部隊あり!」


 移動や砲撃であちこちが目眩ましのように、舞い上がる土煙で一杯になる。方向こそわかれど距離は把握困難と一報のみが届く。


「中央大隊の退路を遮断するつもりか!」大佐が渋い顔をする、回避してしまえば戦場を右往左往することになりかねない。「敵を釘付けにするよう要請を」


 あまりに視界が悪くなったり近接しすぎると、同士討ちの危険が持ち上がってくる。そのためには各部隊がどこにいるのかを、相互に把握する必要があった。

 普段から一緒に訓練している仲間ならば、ニュアンスの助けもあって意思の疎通がしやすい。そのための訓練であり教義の共通化である。


「N中隊が中央大隊に貼り付き援護をしています、そちらを指標にお使いください」


「そうでしたか助かります、ハラウィ大佐」


 そこまで配備を聞かされていなかった為に、判断に詰まっていたが解決した。


「曹長、エーン中尉とレヴァンティン大尉に、位置を明確にするようにと警告を」


「ヤ」


 島が手配するのを耳にして、フィリップも中央大隊にそのように命令を出した。


 ――敵はどこまで進出してくるものかな、すぐに諦めてくれたらありがたいがさてどうか。


 要請の度に急所に攻撃を加えていたガゼルが、燃料のリミットがきたために引き返すと通告してくる。無理を言って参加して貰っていたので、これで完全に離脱となる。辛くとも地上の戦力のみでやるべきだと考えを切り替え、撤退作戦は中盤戦に突入していくことになる。


「ビン=ラディン、良い知らせが来たぞ」


 突破したシリアへの支援部隊とは別に、レバノン領内に伏せている。比較的国内で使い途がある奴等を集めた側に、オヤ・ビン=ラディンも混ざっていた。幹部の隣には、中国なのかベトナムなのか、アジア系イスラム教徒の武が控えている。


「何でしょうかハミド様」


 こいつが昇格すればおこぼれが頂けると信じて、柄にもなく戦場にやってきていた。今まで志願兵を集めることはしてきたが、自らが志願したことはただの一度もない。

 このまま荷物運びや自爆要員にされてはたまらないと、役に立つとの主張をするためについてきた。


「ハラウィ大佐は、あの少数しか居ない」大砲を指差して「連隊本部に入っているようだ」


 戦闘部隊を直接率いていたら正面から戦うしかないが、後方ならば隙をつけば数は少ない。それも混乱になって味方の部隊に逃げ込めば、追撃される心配も無くなるので、襲撃側にとっては好都合である。

 当初ハラウィ中将の力を削ぐために、息子のハラウィ大尉を殺害しようと計画していた。


 その目標が前線部隊に出たまでは良いが、なかなかどうして抜け目なく暗殺しそこねていた。

 時期が到来して中央大隊を滅多うちにし、大隊長が戦死しても大尉は生き残った。ここまできたら、有能であるのを認めざるを得ない。

 レバノン国内のマロン派、順調に親から子へ権力なりの移譲が済まされれば、シーア派は長く窮地にたたされることになりかねない。それでなくとも数年前に南レバノンを切り離されて、首都で力を保つのに苦労させられたというのに。それもこれもハウプトマン大佐と同時に居た、シーマ大尉とやらのせいだと憎しみを集めていた。


「しかし、ハラウィ中将に有力な親戚がいるなんて聞いたことありませんが、その大佐は一体?」


 ビン=ラディンは引っ掛かっている部分を攻めてみる、何か知っているのに黙っているだけなのではと。


「わからん。だが総司令部に度々それらしき息子が訪れていたらしいから、外国で孕ませた者かも知れん」


 共に暮らすだけが家族の有り様ではないと可能性を示唆してみるも、ハミド自身あまりピンときていないのが態度から解る。


 黙っていた武が、初めて割って入った。


「ハラウィ大佐の妻が、ハラウィ姓だったのでは?」


 イスラム教徒の二人は、妻が夫の姓を得るのは感覚としてわかっても、逆は頭になかった。


「確かそんな法律があったな……」


 学識を積んできたハミドは、ちらっとそのような項目があったのを思い出す。一般では常識であっても、幹部としてイスラムの、地方とは言え組織の中枢に居たので、他の考え方をあまり頭に入れないようにしていたのが裏目に出る。


「中将に娘なんていましたか?」


 組織に関わるまで政治など全く興味がなかったので、中将の家族構成など何一つ知らない。


「数年来そのような話は聞かないが、問い合わせてみよう」


 あまり通信は誉められたものではないが、知っていると知らないでは優先度を取り違える恐れがあった。どうせ数分で終わると普段から複数持ち歩いている使い捨ての携帯電話を使う。

 街が近いせいか運よく電波が届く圏内であった。もし無線を使うことになれば、流石に誰かに傍受されてしまう。欺瞞装置がつけられた最新式が渡るわけがないからだ。


 組織の情報部に連絡をつけると、きっちり答えがかえってきて推論を裏打ちしてきた。


「死別したが娘が居たらしい。婚礼当日に死去、夫は以来国外に移ったそうだ」


 そいつがハラウィ大佐として戻ってきたのだろうと、考えを固める。


「ですがいきなり現れて大佐では息子の――大尉が納得しないのでは?」


 下にいくら増えようと気にしないだろうが、急に自身の上へやってきたら、敵愾心を持つくらいは推察可能だ。


「スラヤ・ハラウィの夫だが、リュウノスケ・シーマだ」


「シーマ大尉?」


 外国人軍事顧問として、国内で知る人ぞ知るイスラム教徒の仇敵である。


「そうだ、そいつがハラウィ大佐を名乗っているようだ。いささか早くとも、当時既に大尉だったのだから、佐官で戻るのには無理がない」


 少佐か中佐ならば適当だっただろうが、六年か七年でそれは平均を上回りやや異常と言える。咄嗟に結び付けるには、説明が必要になってくる類いだ。


「すると大尉より大佐を狙う方が優先でしょうか?」


 組織の考えを知るために重要な質問をする。


「大尉は中将を困らせるための手段の一つだが、彼奴は目的そのもの。二人が並んでいたら、ハラウィ大佐をやるんだ」


 はっきりと島がブラックリストの上位だと示す。しかしながら組織において情報の並列化はされない。機密を、組織を保護するのが拡大強化よりも大切な事柄と決めている。


 ――大佐を獲れば俺も幹部に引き上がるぞ!


 容易ではないのはわかっている。こうしてハラウィ大佐が無事に指揮をしているのがその最たる証だ。


「あの本部を急襲しませんか?」


 勇気を奮ってそう進言する。勧めた以上は先陣を切るくらいは承知の上である。


「そのまま攻めても……勝算は低いだろうが、やらないわけにもいくまい……」


 一応本部よりも自分達の方が数は多いが、この場合は数よりも目的を果たすことができる者が居るかどうかの勝負だ。


 ――失敗しても首が飛ばないように何かを求めている?


 やけに歯切れが悪いというか、遠回りな態度というかが目につく。どうしたらハミドが満足するかを素早く考える、手段の詳細ではなく手段の方向を。


「本部を攻撃する」考えながら言葉を繋げ「指揮所が混乱したら部隊も乱れて」使えそうな何かを探し、戦場を見回し「ハラウィ大尉を攻撃する隊の支援に繋がるとかこつければ、失点にはならないのでは?」


 顔色を見ながらたてた道筋の反応に手応えを感じる。


「それならば悪くない、イランイスラム革命軍に連絡を」


 連携をとらねば意味がないため、そのように命じる。


「通信回路が開かれていませんが……」


 傍にいた通信担当が困った顔で苦情を上げてくる。


「君もムジャヒディンならば知っておけ」相手がまだ若くして先が見込めるため「彼らは通信を好まない、伝令を出すんだ」


 現代社会において通信機器を使わない体制で進めているわけではない、それは彼らとて禁じていない。重要なことは人が人へ伝えるべきで、物を使ったりしないとの教えを、軍事的に解釈しただけの話である。

 時がかかり曖昧になる反面で、未だに頭の中身を具に調べることが出来ないので、機密保持に一役買っている事実がある。何にも優先し組織を守る姿がここにも生きていた。


 そもそもがイランイスラム革命軍とは、名前が示すようにイラン軍に関係がある。そしてイランはイスラムに属しているため、同じイスラム圏で同胞を守り教義を守りと真っ当な目的を持っていた。

 時が移り名前や体質を変えながら拡大して行き、その最大徴兵能力を発揮したら、千個師団を動員可能とまで言われている。伝令が遠回りにオートバイで向かう姿を視界の端で捉える。


「我々ヒズボラに装備供与や訓練を行ってくれているのは、あの預言者の息子らイランイスラム革命軍だ。ここでその恩を返さずいつ返すものか」


 装備を貰えば他にまわせる資金が増える、直接的に利益を得られるために皆のわかりも早い。テロ組織に支援をするテロ支援組織、その組織を持つテロ支援国家。アメリカがイランを敵視して無茶をしてくる、数ある理由の一つである。

 国の枠を越えて国家を束ねる大統領すら任免可能な人物、イスラムの精神的指導者ハーメネ師こそが、ヒズボラを含めた世界に散らばる信者の拠り所である。それだけにアメリカと言えども報復を怖れて直接手を出さずにいるのだ。いずれ寿命が誰にでも来ると。


「先頭は予備小隊、左手側に傷が浅い者を集めて脱出するぞ! エーン中尉、殿を頼む」


「お任せくださいハラウィ大尉。あなたが傷付くと哀しむ人が居ます、自分はそれを見たくありませんから」


 白い歯を覗かせて小さく頷く。島をハラウィとするならば、エーンの半生はハラウィの為にあった。

 レバノン軍ではハラウィ中将、ニカラグアではハラウィ中佐、そして今にはハラウィ大尉と。


「無茶をするなと言えた立場ではないが、お前も死ぬな。俺もエーンが傷付くと哀しむ人を知っているからな」


 重傷者や死者をトラックに乗せて後送したのを見届けると、半数にまで減ってしまった自らの大隊に戻る。本部を別にし予備を小隊にまとめ、残りで一個中隊を編成し直した。持ち帰れない装備は全て爆破処分して、なるべく身軽に移動を開始する。


「予備小隊、大隊指揮所。偵察が革命軍の哨戒に遭遇、敵が姿を消しました」


 ――早速こちらの行動が漏れたな、だが承知の上だ。


「大隊長代行、予備小隊。そのまま警戒前進、街へ向かえ」


 十キロ程の距離がかくも遠いとは、今だからこそ感じられた。


 本隊が戦闘になれば動きが鈍いせいで被害が大きくなる、元気な自分達が少しでもとの想いが予備小隊にあった。随所に援体を置きながら道なき道を進む。苦労が無駄になれば最高だと、率いる軍曹が呟く。

 革命軍が正面に現れることはまずない、それだけに側面からの攻撃に耐えられる場所を探しては、簡単な塹壕陣地を据えて行った。逃げるのが目的であるが、周囲に友軍がある以上は、守りが必要になる場面もあるに違いないと。


「偵察班、大隊指揮所。オートバイが一台、東の山地に向かっています」


 予備小隊を通り越して、直接大隊指揮所に報告が飛んだ。ハラウィ大尉が非常事態に際して、限定的に通信を許可していた、つまりは相手の行動を知らせるものは、部隊全ヵ所にすぐ情報が回るようにと。

 偵察や歩哨は、見たものが何かを判断するところまで求められていない。ありのままを漏らさず報告するのが最大の任務である。

 大隊指揮所では、そのオートバイについての疑問が沸き上がっていた。どこからどこへと向かっているのかについてだ。来た道を戻ったのが半分だとし、もう半分が何なのかを。


「オートバイだ。味方じゃないのは確かだよ」

 大尉が歩きながら腰に手をあてて、正体を夢想する。


「仮にですが真っ直ぐ走ってきたとすると?」


 地図をポケットから出して広げてみる、一直線だと何もない荒れ地になってしまう。少し曲がったとするとこれから目的地として向かう街か、反対なら山岳がせり出してきている部分があった。


「街からでなければ山だろうな。本部が近いぞ」


 大体の場所を指差して、このあたりだと示してやる。例の通信兵が「一応本部に警告しましょうか?」訊ねる。


「報せよう、正体はあちらで考えてくれるさ」


 自分達は移動に専念しようと決める。何せお断りしても、先程の敵が多数で以てやってくるのは時間の問題なのだ。

 走りきれる距離ではあるが、走らせるわけにはいかない。負傷者が居るのもあるが、息が切れたまま戦闘になるのを避けるためである。何が起きるかわからないのは常で、街への帰投を拒否して閉め出されるあたりまで、指揮官は頭に入れておかねばならない。


「後備部隊、大隊指揮所。追撃部隊を確認。千以上をお約束します」


 何とも嬉しくもない約束をされる。本気で追い掛けるならば、その三倍位までは余裕で割いてくるだろうが。


「大隊長代行、後備部隊。健闘を祈る」


「アッラー以外でお願いします」


 中央大隊だけでなく、連隊にイスラム教徒は居ない。下手に混ぜると利敵行為を確信的にしてしまうので、危険きわまりない。だからと軍隊の半数が彼等なのだから、持ち場を与えないわけにもいかない。多くは軍事基地や市街地の治安維持に充てられ、最大は南レバノン側の国境付近に寄せられていた。その先にあるイスラエルを警戒するにはうってつけであると共に、南レバノン軍と争いを起こしづらいのも平和な期間を伸ばそうとしている上層部の目論みがある。


 ハラウィ大尉らの後方で爆音が響き始めた。本来ならば自身がその危険に晒されるべきであったが、身代わりが受け持ってくれる。


 ――この借りは必ず返す。


 自分のためだけならば残った、だが責任は部隊の全てに及ぶ。誰でもないハラウィ大尉が指揮するのが最も効果的であり、正しい秩序の維持でもあるからだ。


 安全地帯などどこにもない。分散して離脱して行く大隊にも、時おり命中弾が発生する。不運と片付けなければならないだろう。いくら備えていくら気を配っていようと、死ぬときには簡単に死ぬ。

 万が一でも、単純に一万人居たら一人は不幸な最期を迎えるのだ。戦闘に限らず石につまずいて頭を軽く打ち、帰らない者も現れる。


「大尉、側面延翼運動、軽機動車両四!」


 左手の彼方を見ると小さなシルエットが確認できた。足を鈍らせるための嫌がらせでしかないが、有効である。


「機関銃分隊で対抗させろ!」


 直ぐ様伍長に指揮された機関銃手が、予備小隊が据えていった簡易陣地に飛び込んで銃を組み立てる。射程が変わらなければ目標が大きい分車両は不利になる、対して移動していると被弾しにくいので、結局は差がなくなる。牽制にはちょうど良い、射撃に集中させないようにするのが目的であって撃破は求められていない。


「右手に発煙!」


「なにっ?」


 そこから随分と隔てた地域に、白い筋が登っているのが見えた。


 ――あれは本部じゃないか!


「敵襲! 七時の方向より接近中!」


 本部護衛小隊が警告を発する。ドゥリー少尉が部下に整列を命じた。


「連隊長、後方より奇襲です、退避願います」


 護衛中尉が安全確保のため避難を勧告する。


「敵の規模は」


「百から百五十、歩兵が伏せていたようです」


 ヒズボラか、と小さく呟く。本部を捨てて逃げるのも一手、佐官は命を保つのも職務のうちだ。


「ハラウィ大尉が警告してきたものでしょう。伝令を出した意図は恐らく挟撃ではなく、指揮所の混乱を狙うとの内容では?」


「私もそう考える。ならば対抗したほうが被害は少なかろう。ハラウィ大佐、手を貸していただけますか」


 観戦武官には戦闘を拒否する理由だけでなく義務すらある、が島にはそんなことは関係なかった。


「もちろんですフィリップ大佐。ドゥリー少尉、防衛に加わるんだ」


「ダコール」


 フィル曹長に部隊を任せて、ドゥリー本人は本部に控える。


「一時間程の辛抱でしょう、大佐」


「苦しいのには慣れています、ご心配なく。手持ち無沙汰なので自分も裏手に回りましょう」


 百五ミリ砲は標的があまりにも近いせいで、適切な能力を発揮させることが出来ない。それを承知で後方に向きを変えさせた。砲兵将校に訊ねると、狙うことは出来なくなるから狙わないと答えた。


「まああれで撃たれたら、驚くだけじゃすまなさそうだ」


 少し隔てた先にあるフィルが構えた塹壕にと入る。爆音が響く、榴弾の水平射撃に敵だけでなく味方も怯む。あまりにも破壊力が大きく、たまたま散布界にいた人間が文字通り四散してしまう。対物兵器とは言ったもので、人間に向けると無惨な結果になるため条約で開発が禁じられている。故に対物と呼称してはいるが、対人にも当然高い効果を発揮する。


「こりゃ酷い、だが相手に同情してやる義理はない」


 塹壕横の土嚢が積まれている場所に陣取り、様子を眺める。


 ――自爆覚悟で突撃してきたら数に負けちまうぞ。だがどこも手一杯だ。


 連隊本部な事もあってか、比較的新しい小銃を貸し与えられた。島も短機関銃を渡され一応装備しておく。これを使うときがきたら、ほぼ敗けだろうと思いながら。


 嬉しいのは相手が第一線の精鋭ではなさそうなことで、動きがぎこちなく指揮が行き渡っていないように見える。


「援助連隊、連隊本部。北西の部隊を引き揚げつつあり、陣地の部隊を増援するそれまで耐えられたし」


 シュヴァリエ中佐が助けを振り向けてくれるが、奥で踏ん張っている中隊を下げなければ助けに向かえないと注意してきた。通信機を背負った兵士が隣に控えているので、島もリアルタイムでそれを知る。


「フィリップ大佐、援助連隊。貴隊の増援手配に感謝する」


 この場に居るものならば誰しもが解る、間に合わないと。


 ――何かもう一つ脅しをかけねば堪えきれないだろうな。


 本部にある資材を見回す。武器弾薬は山とあるが、それを如何に利用すべきか。


 ――立体的な攻撃をするために必要なモノを探すんだ!


 レバノン軍が装備している品を脳内で検索する、たかが数年で簡単に装備が更新されたとは思えないので、実物を探るより遥かに早く。


「砲兵中尉に繋げ!」


 ドゥリー少尉が操作し自ら呼び出すと島に渡す。


「ハラウィ大佐だ、M40を百六ミリ無反動砲を装備しているか?」


「はっ、あります」


「対人榴弾に換装して、後方に向けてはどうだろう」


 通常は器物の破壊や車両撃破に使われるが、ご多分に漏れず対人能力も弾頭依存だが備えていた。


「確かヒズボラから奪取した弾頭が数発ならあります。すぐに用意します!」


「思い出してくれて良かった、俺は助言しただけだよ」


 ――巡りめぐって砲弾をお返しするってわけだ。もう一つは手榴弾だな、これを多目に配ってやり使い方を一工夫か。


 失敗したら味方が負傷したりする、一言断りを大佐に告げる。二つ返事で部下にやらせると承諾された。


「あとは努力するだけだ、せめて自分の身くらいは自分でだな」


 ヘルメットをかぶり直して、顎紐が引っ掛からないように外しておく。塹壕に置かれた簡単な椅子に腰掛けて黙る。指揮官が慌てても何の得にもならない。

 警笛が吹かれてから程無く、雷撃でもあったかと思えるような爆音が響く。対人榴弾砲撃が行われた。接近してきていた敵が一斉に足を止める、体の一部が吹き飛んでしまった仲間を見て動けなくなった。

 だがそれも宗教指導者――ハミドによって、神の元に召された戦士が極楽に行けたと言われて再度にじりよる。


 次第に陣地に飛び込む弾丸が増して行き、一角が斬り込まれた。


 ――いかん陥落するぞ!


 島が感じた危惧は護衛部隊も同じだったようで、無茶をして一角を再奪取した。束の間の安定は数分でまた失われる。別の要所が占められてしまう。中央大隊が居た陣地からの増援は、まだ彼方を蠢いていた。


 ――あれは間に合わんぞ! 他に手立てはないか。


 通信機が着信して、ドゥリーがそれを手にする。騒々しい場所だけに怒鳴るようなやり取りが続けられる。アフリカーンス語で話しているので、相手がすぐに想像出来た。


「ボス、エーン中尉の中隊から、正規軍小隊のみが急行します」


「中央大隊の援助はどうなる」


 主たる目的がそれであって、本末転倒な流れにならないようにと注意を向けた。


「それがイランイスラム革命軍が撤退していったそうで、脱出は順調だと。民兵小隊がハラウィ大尉を支援します」


「わかったフィリップ大佐に知らせる」


 相手にも都合があったんだろうと、事実のみを見て原因究明を後回しにする。


「フィリップ大佐――」



「畜生、砲撃だと!」


 必死に地面に張り付きながら頭を低くする。こんな近距離で大砲を撃てるとは知らなかった。


「ハミド様、あれは危険すぎます!」


 オヤ・ビン=ラディンが、あれは近付けば撃てないものだろうと訴える。


「零距離射撃だ、射程から外れているのは間違いない」


 苦々しく意見を認めはするが、実際には被害が出ていた。専門でもなければ戦場に出たことも殆どないので、例外には滅法弱い。だからと眺めているわけにはいかない、何かしらの命令を出さねばならないのだ。


「重い大砲だ、簡単には向きを変えられない、左右から迂回して攻撃するんだ」


 単純に射界から外れて攻略するのを思い付いて指示する。本来ならばそれが出来ないような地形や陣形をしているのだが、後方からの奇襲がこれを有効なものにしていた。

 前衛が空中爆発する何かで被害を重ねている。すぐに退避を叫んで後ろに向かわせたので、その被害は収まった。


「新兵器でしょうか?」


 素人は何から何まで言葉が多く頭が回らない。それでもハミドは一々対応した。


「部隊長に再度の前進を命じろ。あれは手榴弾だ、少し待ってから放るとああなるんだろう」


 別に新しくもなにもないと言い捨てる。然りとて何ら対策が浮かびもしない。


 ――それぞれが二個ずつ所持だとして、まだまだあるぞ! 適切な対処の仕方が解らん。


 投擲範囲を外れて攻撃するか接触したら使えないとして、正面の位置を少し下げさせた。その間にまた二人が破片で死傷してしまう、指揮官の経験の拙さが出た。

 迂回した一部があっさりと一角を占拠した、それに気付かず増援を送るのが遅くなり再奪取されてしまう。


「やつらは側面が弱い、左右に別れて攻めるぞ。ビン=ラディンと武は右手をまわれ」


 後手後手に回り続けながらも数と位置から優勢を保つ。相手のやり方を真似てみて、手榴弾を手にしたやつが持ったまま頭を撃ち抜かれて倒れる。数秒で味方を巻き込んで爆発が起きた。


「手榴弾は使うな、銃撃するんだ!」


 指揮官が手っ取り早く巻き添えを無くすために命令する。使うならば使うで、目が届く範囲でと考え。この点、味方にやられたくないとの想いは、国も人種も宗教も関係なく共通していた。


 兵力不足なのだろう、目の前の防御線があっけなく崩れた。オヤ・ビン=ラディンと武が組になって突入する。


「ブー、そちらを!」


 漢字圏の人物の発音が解りづらくそう呼ぶ、言われた側は特に文句もなく自身の正面のみを警戒した。


「意外と手薄だ」


 それもそのはず、本部とはそういう編成になるものだ。極めて一部の頭脳があれば成り立つのだから。


「おいあちらを見ろ!」


 無防備な側面を晒しているレバノン兵が居た、二人で斉射すると四人が一気に倒れた。


 ――機会さえ捉えれば俺でも戦えるものだな!


 密かな自信をつけて視野を拡げてみると、随分と狭い地域で戦っていたのだと気付く。一呼吸だけ走れば届く位置に敵の指揮所があるのがわかるが、見えていてもまだまだ到達出来そうにない。

 遠くで一層騒がしい声が上がった、どうやらハミドらも食い込むことに成功したらしい。


「お前ら左手の場所を確保しろ、他は援護射撃をするぞ!」


 場の勢いで勝手に指揮を始めると兵が従った。ビン=ラディンの号令で射撃が行われ見事一つ先の塹壕を奪う。


「二人は右手の奥に進め、もう二人は控えで続くんだ。他は援護だ!」


 思い付きを指示して実行させる、これがまた面白いように上手くいった。


 ――俺には才能がある!


 その場で手を休めて、次にどうしたらよいを考える。指揮所までにあと三つの障害があったが、排除出来る気がしてならない。


「おいこちらの部隊長がさっき頭を抜かれた」


 武の言葉で最後に姿を見たあたりを探すと、なるほどそれらしき姿が転がっていた。


「俺が指揮を執る。正面左の塹壕を攻めるぞ!」


 既成事実と功績があれば、このまま部隊長になれるかもと期待を抱く。武も上手くいっていたために特に異論を挟まなかった。全く同じではなく手榴弾を混ぜて攻めさせるとまた成功した。

 勢いついでに自らも前進する、数人がそれを支援したので満足した。指揮所だけを見詰めて残りの道を計算する、それさえ抜いて後は逃げ帰れば、幹部の席が待っているはずだ。


「残りは僅かだ、タイミングを合わせて突入しろ!」


 力任せに数押しを決めると、若い者にそれを命じて送り出す。


 幾度か繰り返して、すっかり板についた動きで銃撃をして一人を仕留めた。最後の陣地には少しばかり多くが籠っているようだった。


「左右にまわれ、挟み込んで三ヶ所から同時に攻めるぞ」


 移動時にも牽制をしながら展開させるのを忘れない。手榴弾を一気に投擲させてビン=ラディンらも迫る。そこに籠る奴等の顔が目に入ってきた。


「プレトリアス!」


 黒人を見てそう言葉が滑らかに発せられた、ドゥリーは反射的に銃口を向けるとそいつを撃ち抜いた。横合いから激しい射撃が続き、ヒズボラが薙ぎ倒される。


「敵を追い返し厚みを保て!」


 エーン中尉らが肩で息をしながら駆けつけた。


「いつもながらよくぞ来てくれた、あと少しで俺も穴だらけだったよ」


 肩を竦めてドゥリーもよくやったと誉めてやる。


「こいつプレトリアスと言ってましたが?」


 皆が注目すると「アイツだ!」声が上がった。コンゴで声をかけてきたヒズボラの布教係だと断定する。


「何かの手がかりになるかもしれないから、こいつの遺体を確保しておくんだ」



 何とか本部は持ちこたえた。逃げ去るヒズボラを追撃したかったが、今は作戦目的を優先して引き上げるとフィリップ大佐が判断して、背を睨むだけにした。


 街まで戻りようやく人心地ついたところで、本部にシュヴァリエ中佐がやってきた。二人の大佐に敬礼して、救援が無事に遂行されたと報告する。


「義兄さん!」


 次いでハラウィ大尉がやってきたが、面々をみてから慌てて「ハラウィ大佐」と呼び直した。


「ワリーフよく生きて戻った、お前まで喪ったら、俺は閣下に会わせる顔がない」


「自分を助けるために大佐らが兵力不足で危険をおかしたと聞きました、未熟が悔しくて言葉もありません」


 三人は大尉を見てから目を合わせ微笑する。


「生きている限り次がある。お前がそう感じたならばそれが大切な経験というやつだ、次代に伝えてやれ」


 将校を集めて一旦場を持つことにする、数分で席が埋まった。中尉以下は椅子が足らずに立ったままの参加になる。

 座長はフィリップ大佐になる、島はゲストとして隣に席を与えられた。


「国境を巡る争いご苦労だった、シュヴァリエ中佐と援助連隊の救援に感謝する」


 言葉を区切って麾下の将校ら、一人一人と目を合わせる。


「ヒズボラの部隊を通過させてしまったが、イランイスラム革命軍に自由シリア軍まで相手にしてはどうにもならない。撤退できた事実を評価しよう」


 戦えば全滅だろうからとはっきり差を口にする。その相手が何故急に居なくなったかが話に上がった。


「シリアは戦いを内戦だと強調し国外の介入、つまりはアメリカやフランスからの攻撃を受けないように声明を出し続けていた。ハーメネ師がこれは宗教戦争ではないと判断を下した、結果イランイスラム革命軍は撤退したようだ」


 トルコからシリアに自由シリアがわざわざ移動したのも、勝ったのはよいが外国人がのさばったら余計に困るからと、妥協を示したものだろうと見解が述べられた。そうすることにより諸外国が黙ればよしと。


「するとヒズボラはまた越境して引き揚げるでしょうか?」


 シュヴァリエが今後の動向に注意を促す。守備の連隊が再編成を要するならば、無関係ではいられまい。


「さてどうだろうな。ハラウィ大佐はいかがでしょう?」


 大多数にとって不明な人物がハラウィと呼ばれ、意外との空気が流れた。


「もし帰るなら武器を置いていけばただの民間人としていけます、部隊をとって返す必要はないでしょう」


 正規か非正規かはともかく、押し通る理由がないとの言は皆が納得した。


「自分もそう考えます、ハラウィ大佐。イスラム世界が見解を示したことで一つの区切りになったと思う。負傷者を後送して残りで警備をして、司令部の命令を待つことにする」


 アフガニスタンのようにしたくないとの思惑であり、救援に来た連隊はお疲れさまと言うわけだ。


「では我々は首都へ引き上げるとしましょう、またタクシーを呼ばねば」


 中佐が冗談とも本気ともつかない言葉を発する。実際に来たは良いが帰るには足がなかった。


「しかしハラウィ大佐、よくもそのような手段を思い付きましたな」


 フィリップは慮外の行動に、現場をみる対応能力が高いと賛辞を贈る。


「ハラウィ大佐は――七年も前からこの下準備を仕込んでおられました。当時自分が一生敵わないなと考えさせられたものです」


 ワリーフが秘密にすることもないだろうと、畏敬の眼差しと共に驚愕の台詞を口にする。


 ――あまり目立つのは好みではないが、ワリーフに付き合ってやろう。


「七年とは?」フィリップが問う。


「当時は独立特殊大隊付軍事顧問島大尉でしたが、その時に機械化歩兵の補填で、もしもの時にタクシーで歩兵を送るようにと、既に案をまとめていました」


「教導教官殿!」


 数名の中尉、少尉が改めて敬礼する。どうやら当時の訓練中隊に居たものか、その下で訓練を受けた奴のようだ。


「ニカラグア観戦武官イーリヤ・ハラウィ大佐。島・ハラウィでもある。非常時に備えた思考回路があれば、部下を余計に喪わなくて済むこともあるみたいだよ」


 流石にざわつきこそしないが、将校団に違う空気が流れた。


「浮かれてないで、先にやっとくこたぁ無いのかいあんたらは」

 やれやれとレティシアが苦言を挟む。


「軍事顧問殿の意見を聞こう」

 中佐が役割をきっちりと仲介する。案外指揮官よりは別の使い道かあるのかも知れないと思わせる。


「そいつは自分達で考えるんだね」


 軍事顧問と呼ばれた女が何者なのかと注目を集めるが、キッと睨み返されて俯いてしまう若者が居た。


「戦場に遺棄されている兵器を集めておかねばならないな、盗賊らが漁って流れたら面倒だ。一個中隊のみ戻して従事させよう」


 誰とは言わずに言葉を切った、志願を待っている。しかし部下が疲弊してしまい、誰も声をあげようとしなかった。


「情けないやつらだね、お前らは付くもん付いてんのかい!」


 エーンが目で島に問い掛けてきたので、好きにしろと頷く。


「自分の中隊が行きます。車両を与えて頂きたい」


 フィリップもシュヴァリエもそれぞれが内心大きく落胆する、士気の欠如だと。


「中佐、君のところの中尉を借りられるかね」


「それはハラウィ大佐に、宜しいでしょうか?」


 何故なら大佐から借りている将校だからと種明かしする。


「現在エーン中尉はレバノン軍の将校で、俺には何ら決定権はない。指揮官はシュヴァリエ中佐だ」


「トラックにオートバイ、軽車両を預ける。連隊は四十八時間の休養の後に行動を開始する」


 中佐の顔を一瞥してから、大佐がそう方針を決めた。


 ――ハラウィ閣下も苦労をしておられるようだな。


「ヒズボラの布教係を倒しました、照会したらわかるでしょうがオヤ・ビン=ラディンという指名手配者です。フィリップ大佐に後をお任せして宜しいでしょうか」


 ハウプトマン大佐による通報で、アメリカから指名手配された該当者を排除した、との功績をフィリップ大佐に譲る。やられっぱなしではなく、少しでも上向きな報告が出来るのがありがたい。


「重ね重ね感謝いたします」


 部隊のことは下士官がしっかりやっているだろうからと、中期的な会議も一緒に開催された。だがそちらでは一切発言せず、目を閉じたまま最後まで座っているだけであった。

 全てが終わり宿舎を割り当てられるとワリーフがやってきた。


「改めてありがとうございます。隊についても、自分個人についても」


 島の部屋にレティシアも居るが、義兄だけを直視して頭を下げた。


「気にするな俺は頼まれてやってるわけじゃない、自分がやりたくてこうしているんだからな。まあ座れ」


 ほらよ、とレティシアが二人に缶ビールを投げて寄越す。よーく振って飲めと一言加えてにやける。


「中央大隊は再編成だな。首都に戻れば暫くは補充に時間が必要になる」


 減った分を足せばすむほど単純ではない。決められた流れを共有して、初めて編成が完了する。それだけに少数でも生き残りがあれば、部隊は何度でも復活するのだ。

 逆に部隊が丸ごと無くなり、一から立ち上げるには年単位で時間が掛かってしまう。管理本部だけでも残っていれば半分の時間で済むために、世界各国そこだけは大切にしている事実もあった。


「首都でもやるべきことは幾らでもあります」


「うむ、その意気だ。大隊そのままワリーフが頂点になるだろう、つまりは少佐に昇進だ」


 奇しくも大隊長としての指揮能力を示したので、代行の文字を消すのは難しくない。部隊での席次も適当であり、正しい席次が欠けたことも合わさり、余程横合いから強力な妨害がなければ持ち上がるのは間違いない。


「話はついたか、互いの無事を素直に乾杯しときゃいいだろうに」


 男は面倒だねと好き放題言ってくる。


 二人が苦笑して乾杯とやり直した。


「ところで何故レバノンに?」


 もっともな疑問をそのままにきていたので、ようやく確認する。


「レティアと旅行中でね。レバノンで戦車に乗りに来たところだよ」


 全く説明になっていないが、そうでしたかと微笑する。つまりは平穏無事だとわかったのだから、何一つ他には言葉が要らないと。


「そうだ、義兄さんに一杯奢ってくれると言っていた兵がいますよ」


「俺に? 折角だからご馳走になろう」


 経緯はわからないが話に乗ると姿勢を示す。


「あたしにゃ無いのかい?」


「それは」恐らくそういうことだろうと解釈し「義姉さんには自分が」


 おやっとの表情をちらりと覗かせてから、不敵な笑みを浮かべる。


「一杯で済むと思うんじゃないよ!」


 了解とおどけて敬礼してみせる。本来ならばエーン中尉も誘いたかったが、役割があるため次回にと持ち越す。それはそれとして酒場で待ち合わせることにし一旦別れた。

 ドゥリーに金一封を人数分与えて働きを評価してやり、一族と旨いものでも食ってこいと華を持たせてやり、早速街へと出掛けた。


「坊っちゃんだな、だが度胸も能力もある」


 端的にワリーフのことをそう表す。正鵠を得た人物評価だと島も納得した。


「制服組か政治家か、担がれる御輿としては魅力的だろ」


「陽の当たる道を行くならそうだね」


 アンダーグラウンドまっしぐらでやってきただけに、割りきりは一流である。

 辺境の酒場に外見など期待してはいけない。砂轢に石灰を混ぜ雪解け水を使ったのだろう、モルタルに近いざらついた壁が、無遠慮に剥き出しにされた柱に撫で付けられている。木造モルタル二階建てとでも言うのだろうか、収容力だけは一人前にありそうに見える。

 重要なのは酒だと信じて扉を潜ると、手を振るワリーフがすぐに視界に入った。


「お待たせしたね」


 軽く片手を挙げてテーブルに寄る。見知らぬ男が一人起立して迎えた。


「リュカ伍長です」

 フランス語を流暢に話すアラブ系のキリスト教徒で、英語読みすればルーカスだと頭に浮かべる。


「ハラウィ……いやイーリヤだ、奢りがあると聞いて飛んできたよ」


 ハラウィが二人いては話しづらかろうと、イーリヤを名乗り笑いを誘う。


「レヴァンティンだ、あたしも同じく。ただし財布はそっちの彼だけどね」


 島が着席するのを見てから皆が座る。ワーヒドの料理には劣るが、気にせずにビールで飲み下す。


「一仕事の後のビールは最高だね」


「ああタダ酒ほど旨いものはないよ」


 共にちょっとした小金持ちのくせに、ジョッキに多大な感謝を捧げる。リュカは珍しい者を見るような目つきで、二人をしげしげと見詰めてしまった。


「それにしてもヒズボラの生き残りはどこに逃げたんでしょう?」


 本部を襲撃した部隊の話を聞いたようで、その後の行き先を話題にあげる。


「山中に退いたが、バラバラに下山して街に入ればわからんな」


 隣で酒を飲んでるかも知れんぞと冗談を口にする。ついつい釣られ隣をちらりと覗いてしまう。仮に街に戻ったとしても兵がいるうちは、息を潜めて自宅待機だろうが。


「何回か……ヒズボラ部隊が越境してシリアに行ってくれたら、それはそれで歓迎でしょう」


 リュカは厄介者が自発的に国から出ていってくれることを望んでいるようだ。とは言え手続きを無視した越境を許すのは、主権を蔑ろにする考えだけに称賛は出来ない。


 言いたいことはあれど、言論の自由は思想の自由よりも領域が遥かに狭かった。


「百歩譲ってそうなったとして、あちらで全滅するくらいまでお願いしたいね」


 都合良く考えるならばそこまで、と貪欲に結果を求める。そりゃいいと杯を重ねた。


「義兄さんはこれから?」


 ここにいる義理もないだろうから、首都へ戻るのかを訊ねる。


「ああ戻るよ、レジャーの続きをしなきゃな」


 笑いながら戦車が待っていると告げる。不穏な情勢なので中将の隣にいるつもりなのだ。


「帰りは陸路を?」


「大した距離ではないからな、運転手つきの車で戻るさ」


 シュヴァリエ中佐が中隊を二つフィリップ大佐に預けて、残りは引き返す。大多数は歩きになるが、それでも将校が乗る車位は常に確保されている。


「自分は少し遅れます、歩きに合わせなければならないので」


 負傷者を先に戻す、可能な限り車両を供出したので行軍も容易ではない。だがそれは危急でもなく手助けをすべき部分ではないと、軽く頷いて終わらせる。あちらで再会しようと別れて酒場を後にした。


 ベイルートは警戒を強めていた。部隊と共に在ったので、誰何されることもなく司令部に入ると、中将のデスクに直行する。今にも立ち上がり迎えの声を出したいくらいにそわそわしているハラウィを見て、微かに心が和んだ。人の親とは戦地に息子を送り出して、死を覚悟していても、助かるとやはり嬉しいのだなと。


「観戦武官ハラウィ大佐、ただいま帰着致しました」


「ご苦労だ大佐。見るべきところはあったかね」


 部下の手前平静を装い、質問が広い視野のものから発せられた。意図をくんでそれに合わせる。


「ハーメネ師の威光が行き届いているかと。革命軍がいともすんなり退きました」


 キリスト教としてみれば不倶戴天の反対勢力である、イスラム教のトップである。教義としては互いに認めあい助け合えとなるが、そんな地域は少ない。


「戦闘については」


「練度についてはこちらにやや分がありましたが、数で押されると支えきれません。装備は対等でも、士気の低さがかいまみえました」


 包み隠さずそのような所見を述べる、司令官は事実を知るべきだと耳が痛い箇所ほど詳細に。


「組織上の体質なのだ。改善すべき点は」


 出来ることと出来ないことをわけずに、全てを聞かせてほしいと求める。


「宗派に限らせない一元的な運用。機動兵力の増強。末端への士気向上プログラム追加。要所への陣地構築でしょうか」


「宗教についてはすぐには無理だ、機動兵力陣地も予算がな」難色を示してから「兵に対するプログラムとは?」


 ハードは難しくともソフトならばと乗り出す。


「プロパガンダとしての教育は問題があるでしょうから一つ、功績を上げたものをきっちりと評価してやることです。それならば文句も言いづらいでしょう」


「それだけでよい?」


「閣下、兵というのは義務や仕事として最低限こなせば、との考えがあります。自分もそうでしたが、確りと上が見ていてくれると遣り甲斐が芽生えるものでして」


 兵隊として動いた経験が殆どないハラウィが、なるほどと頷く。


「下士官にそのあたりの強化をさせよう。他には」


 引き出せるだけ考えを引き出そうと、更に意見を求める。レバノンに限らずだとして少し枠を広げて進言する。


「レバノンは内戦時に鉄道網が寸断されたまま不通になっている地域が多数あります。現在政治的にも勢力が拮抗している時期が好機と考え、都市間の鉄道を再整備すると、宗教有力者に話を通してそれを機動力の代わりにしては?」


 テロの対象になりやすいのはあるが、そこを外して活動するように認めさせることが出来れば、と持ち出す。


「仮にそれが上手く行けば国内発展にプラスだ。だが鉄道の管理をシーア派が承知するだろうか」


 どちらかが管理するようになれば、どちらかが反発すると困難が先立つ未来を指摘する。


「世の中にはもう幾つか大きな宗教があります。ユダヤ教か仏教、はたまたヒンドゥー教」歴史や国家間の温度差を考えて「ユダヤはパレスチナ問題などからして、余計な揉め事まで流入する可能性がありますか」


 ヨルダンやパレスチナガザ地区でのせめぎあいで、パレスチナ解放機構のアラファト議長が政治圧力で追放されたのが記憶に新しい。


「インドが英語も通じ相手には良いような気がしますが」


 中立的な宗教にして共通言語があるのは望ましいとした。


「パキスタンが、イスラムというかアルカイダ系の敵として見ているが」


 ――うむ、そういわれてみればそうか。困ったものだ。


「すると仏教国になりますか」そしてフランス語かアラビア語か英語かで、イスラムと関わりが薄い地域「スリランカしか残りませんか、あの国の鉄道技術では話になりません」

 あまりにも世界の事情が複雑で、島国しかなくなると鉄道は弱い。


「言葉を別にするならばタイや中国だろうが……」


 それらは両方とも日本からの技術が伝わったもので、そこを選ぶくらいならば日本を選ぶ。日本という国が英語を始めとした言葉という武器を手にしたとき、世界経済に大きく食い込めるのがはっきりした。それとわかっていても現在の指導では百年かかっても変わらないだろうとも。


「もう少し時間が経過するのを待つしかないのですね」


「至らずにすまない」


 別に彼が謝るべきことでもなんでもない。逆にこのような時こそ島が存在をアピールする提案をすべき、と考えを巡らせる。


 ――要は必要な時に迅速に人間を戦場に充てられれば良いわけだ。


 運用コストで行けば車両が百を必要とするならば、鉄道は十で済み、船舶ならば一で収まる。中間としてバスやトラックならば三十程度だろうか。


 ――車両だとするからコストも掛かる。前に検討したあれならば、平地を行くことが出来るだろうか。


「不細工な案ではありますが」前置きして応急的なものだと弁明し「転輪の平台を曳航すれば、機動力だけは確保できます」


 ロマノフスキー中尉に調べさせた内容が思い出される。


「今回のような時にはそれでも役目を果すこともあろう、それならば工兵に廃材から製作させることも出来て助かる」


 司令官が発令するわけにはいかないから、現場で工夫したとの形をとらせようと、苦々しく決断する。


「国内の状況はどうでしょうか?」


 未来のことを一旦打ち切り、今現在の問題に目を向ける。


「好転しつつあるといった感じだ。もう少し警戒は続けるべきだが」


「現在最大の懸念と、緊急の懸念はなんでしょう」


 ならば少しでも心配の種を減らそうとして質問を絞り込む。ただしそこだけにとらわれないような注意も欠かさない。


「最大は、シリアからの亡命政府がやってくるなどの部分だ」


 ――亡命政府か! あれが来たら厄介この上ないぞ、国内に入り込まれたら最後、引っ掻き回されるに違いない。


 レバノンがシリアの傀儡であった事実が重くのし掛かる。一度懐に入れてしまえば、取り除くことは極めて難しい。思い付きでどうにか出来るレベルの懸念ではない、島は大臣や将軍と佐官の差を思い知った。


「……力及びません」


「貴官の責務ではないよ、我々のようにレバノンで生まれ育った者の積み重ねだ」


 それとて今になりようやく政権の中枢に位置してきた者に求めるのは、あまりに酷な話である。


「内戦が長引く理由の一端が、わかったような気がします」


 周辺国家としては決着がついての激動よりも、戦いが続く動乱の方が計算も介入もしやすい背景があるのだと。それだものあちこちの紛争が中々終息しないわけだ。


「うむ。もう一つだが、さしあたってはこの騒動の責任をとらせる者が必要になる。私はここから動けない、君がスライマーン補佐官と打ち合わせてくれないか」


 島という駒を十二分に活かそうとして役割を振る。スライマーン補佐官ならば心配も少ない。


 ――この機会に首謀者を作れというわけだな。誰を吊るしあげれば良いかを聞いておかねば。


「なんら瑕疵が無いものとは行きますまいが、事態を悪化させた自治体や、警察指導者あたりは引責辞任が必要と考えます」


「騒動を最小限の被害で抑えた者を引き合いに出すのを忘れなければ。人数は半々だとしても、南部のシーア派は責めを負うべきだ」


 ――山岳レバノンの署長は更迭なわけだ、純粋に能力からの起用ではなかったのだろうな。大統領の地盤では仕方あるまい、だが今回ばかりは擁護も無理なわけだ。


「補佐官と詰めておきます、会食が名目で。落ち着いたらドライブの件もお願いしましょう」


 調整役を任される資格などあるはずもない。更には受けて頷く義務もない。他人に任せるような内容ではない、だからこその指名である。ごく一部の人物を除けば、島とスライマーンの繋がりを知るものは居ないのが最大のポイントといえる。


「先伸ばしにして悪いな、試乗の名目で一両押さえおくよ」


 終始に渡って無言であったレティシアが、私服にすべきだねと指摘してくる。終わればそれでお役ごめんのとのこともあって、返却しておこうと専属副官を呼んで事後を頼んでおいた。

 入る時ほど警備はうるさくないもので、特に何を言われるわけでなく司令部から出て行く。


「あんたといたら退屈しないね」


「それは誉め言葉だろうな」


「好きに解釈したらいいさ」好きにな、と繰返し笑いを誘う。


 ストアの電話を拝借して大統領府をコールし、補佐官に繋ぎをつけようとする。ロマノフスキーと名前を借りて暫く待たされるとご本人が登場した。何度かかけ直させられるかと思っていたが、随分と風通しが良いようで驚かせられる。


「コモ エスタ、ロマノフスキーの相方です」


「おかしいと思いましたよ。そう言うのだから何かお話ですね?」


 ごきげんようとの挨拶を冗談としてではなく、機密の保護だとしっかり理解している。


「飯でも食ってこいと握らされましてね、ウノでどうでしょう」


 ワーヒドとは言わずに挨拶同様スペイン語で数字を指定する。


 レストランは有名だったので、彼もすぐにわかり調子を合わせてきた。


「少し早めのご飯にしましょうか、では後程」


 長く電話で話すべきではないと、すぐに切ってしまう。盗聴されていたとしても、単なる食事の約束程度にしか思われない。ウノの単語がわかったにしても数字だとしか考えが行かず、ワーヒドで待ち合わせと、レストランの名前まで気付けと言うのは無茶な注文である。一方でワーヒドには奥の席を一つとっておくように予約を入れ、訪れたときに例によって握らせることで、隣の席をリザーブで固めることに成功する。


「常々思うんだが、お前には犯罪者の素質がある。山師や強盗じゃなく知能犯呼ばわりされる類だよ」


 さも心外だとの顔を浮かべて、瞬きを多目に繰り返す。


「本職にお墨付きいただき恐縮だ」


 彼女も生業を否定はしない、別に何とも思っていないのだ。ロシアでは地下経済が市場の半数を占めていると称されているが、コロンビアでは政府が何とか政権を握っている程までに無法者側の力が強い。

 犯罪者か公務員か、両方無理なら民間か失業との考えになるのが比率として固い。


「もしもお前が裏の道を行くなら、エスコーラもカリカルテルも後押しするよ」


 遠くもないのにタクシーを使う気になれない二人は、運動不足を招かないようにと歩きながら不穏な会話を繰り広げる。


「でもオチョアは俺を許さないんだろ」


 未だに生きているのが不思議な状態だと、奴等ならば思うだろう。


「お前には唯一の抜け道がある」しっかりと目を見て続けた「あたしと一緒になってファミリーの仲間入りするんだ、そうしたらオチョアはお前を認める」


 シチリアマフィアから派生した世界のそれには、共通した掟が幾つか存在している。言わずと知れた裏切りには制裁を、仲間には恩情をといったあたりだ。中でも妻を大切にしろ。この項目は逆にも適用される、レティシアの夫は裏切らない限り保護されるべきと。


「悪いが俺はオチョアの承認など必要としないし、自らの信じる正義を曲げるつもりもない」きっちりと拒絶を示す。「だが君を手放すつもりもない。欲張りなものでね、嫌なものには嫌と言っちまうんだ」


「はっ、馬鹿だがお前らしいよ」


 その顔は決して怒ってはいなかった。


 レストラン・ワーヒド。幾度となく通った場所は、いつもと全く変わらず存在し続けていた。奥に陣取るとスライマーンらを待つ。一人では来ないだろうと、一応椅子は二つ用意してあった。

 別段変装するでもなく、彼は颯爽と店内に現れ島が待つテーブルへとやってきた。


「お招きいただきありがとうございます」

「突然お呼び立てして申し訳ありません」


 微笑して連れを紹介する。場所柄敬礼を控えて自己申告してきた。


「大統領府警護隊、アッバース大尉です」


 アラブ人で浅黒い肌の彼は、島よりも幾つか歳下で、バリバリの現役だろう雰囲気を漂わせていた。きついとまでは言わないが確りと辺りを抜け目なく観察している。


「ニカラグアのイーリヤ大佐だ、こちらは軍事相付軍事顧問レヴァンティン大尉」


 詳しくは述べないで所属のみだけ明らかにする、スライマーンの連れへの敬意を表して。お掛けくださいと勧め、補佐官が着席してから他が続く。


「島さんは何時からレバノンに?」


 切り出しやすいようになのか興味からなのかそう問い掛けてくる。


「観光で数日前からでして」


 明らかに肩書きと矛盾があるが、それこそが理由だろうと匂わせてくる。


「大変な時期にいらっしゃいましたね、我々はおかげで助かったのでしょうが」


 どこかしらからか一報は受けているようで、説明を省略することを諭してきた。


 ――頭がキレるというわけだな、こちらも助かる。あれからずっと大統領府にいるのだ、かなりの情報や人脈を抱えているのは想像に難くない。


「その大変なことについての結果を相談しに遣わされました。任免の助言をいかがお考えでしょう」


 料理がやって来たために静かになる、丁度補佐官が思考を巡らせるのに良い位に。


「この機に地方の長をふるい分けるべきでしょう。こちらからの出血も致し方ありませんね」


 レバノン県の署長は更迭どころか降格やむなしだと、自らの手札をあっさりと切ってくる。


 ――キリスト教勢力同士で無駄な競り合いはしたくないというわけかな。


「全体としてあちらより一つだけ優勢になればよい、閣下はそれだけを望んでおられました。どうやらこの分だと自分達が悩む必要はなさそうですね、先生」


 そう言ってアッバース大尉の表情を視界の端で捉えるが、特に変化はない。


 ――考えすぎか、供にしているのだから問題ないな。


「それは福音。ですがお互いの希望を幾つか出さねばなりませんね、折角ですから決まっている部分を確認しあいましょう」


 更迭するヶ所を聞くも、想定した範囲内で収まっていたために、異議なしをさらりと示すのみで終わる。反対に起用の部分で意外な人事を突きつけられ、返答に詰まってしまう。


「ワリーフが、いやハラウィ大尉が大統領警護隊の副長に?」


 レバノンには陸海空の三軍が設置されている。中でも陸軍が最大なのはどこの国とも変わりないが、もう一つ目の前の大尉が属している大統領警護隊が存在していた。

 司令官は将軍ではあるが、規模が小さいため実質的には警護隊長の大佐、ないし中佐が権限を握っている。その心臓部に自らの腹心ではなく、わざわざライバルの実子を据えると言うのだ、何らかのサインだとみて間違いない。


「近く少佐に昇進なさるとか、階級面での問題は存在しないでしょう」


 ――そりゃそうだが返事は出来ないな。


「具に報告しておきます。本人はどうなろうと拒否はありません」


 拒否権は元よりあるわけではない、拒んで退官することがないのを知らせただけだ。


「もっとも、島さんがきてくれるならば、隊長の席をあけさせますよ」


 にこやかにご大層な提示をしてくる。


「高い評価をいただきありがたいですが、自分はまだ受けた恩を返し終わらないものでして、遠慮させていただきます」


 誰に対してかまでは明言せずに、出世へのポストをあっさりと蹴ってしまう。彼もそれに一切気を悪くすることなく、残念ですと小さく頷くのみだ。


「ですがそれで良いのかも知れません。レバノンの未来にとって私達が信頼出来る人物が外にいる方が」


 ――どうにも皆が買い被りすぎだ。


「どこぞの爆弾よりもあぶなかしいこいつを傍に置こうなんて、物好きはいるもんだね」


 自分が最右翼なのを棚に上げてしまい、つらっと言葉を挟む。


「実務段階での合意まで果たしたとして、この件を終わらせましょう」


 その後は雑談に終始して、和やかに会食がお開きになった。


 何もない囲地を、鈍く光る鉄の塊が疾走する。M60A3パットンシリーズ主力戦車。アメリカからレバノンに供与予定だったものが、ある種シリアのお陰で実行された。設計自体は半世紀前から手掛けられていたが、バージョンアップにより現在に至るようだ。

 その供与したてで塗装前のものを試乗させてもらっているが、折角の初乗りで車長が部外者とあって、申し訳無い気持ちで一杯になっていた。

 四人乗りのうち操縦手と砲手がレバノン兵で、無線兼機銃手が島だ。


「戦車兵諸君、すまんね我儘に付き合わせてしまって」


 レティシアは当然な顔をしてハッチから乗り出していたので、無線をこっそりオフにして小声で呼び掛ける。


「とんでもない、大佐殿と同乗できて嬉しく思います」


 慌てて取り繕うかのような感じが滲み出る。


 ――そりゃあ大臣から直接命じられて、大佐と軍事顧問を試乗させろと言われたら、ハイと言うしかあるまいよ。


 スイッチをオンにして役割に戻る。


「車長、ドライブはどんな気分かな」


「最高だよ、こいつでパトカーを踏みつけてやりたい位だ!」


 兵士らが顔を合わせて困惑している。


「スケジュールでは機関銃の試射からだが?」


「んなもんはどうでもいい。砲手、主砲をぶっぱなせ!」


 曖昧きわまりない命令が下るが、言われてすぐに出来るものでもない。


「徹甲弾装填、目標廃車両、距離七百、砲撃準備完了! かなりの爆音と衝撃があります、覚悟してください」


 ヘッドフォンを絶対に外さないようにと警告される。


「あいよ! 撃てぇ!」


 ズドンと雷でも落ちたかのような音と、ノックバックする衝撃が同時にやってきた。


 ――体の芯が震えるぞ!


 撃った瞬間に目標車両が爆散して、煙がもうもうと立ち込める。少しして飛び散った破片があたりに降り注ぐ。


「きたぁ! 見事命中!」


「動かない標的を相手に外したとあっちゃ、部隊に戻れませんからね」


 砲手が当たり前だと胸を張る。


「しかし凄い反動だ。こいつは長いこと乗っていたら、体力の消耗が半端ではないな!」


 初めて乗った戦車だがそう感じた。車両を使っているのだから楽だろう、との考えが無くなってしまった。


「大佐、こいつはまだ良い方ですよ。ソ連の置き土産なんざ酷いもんで」


「そんなに?」


「排煙は中に入るわ、クッションは無いわ、ギアは固くて手で動かんわです」


 処置なしと肩をすくめる、余程酷いらしい。


「どうやってギアを変えるんだい?」


「ハンマーでごつんとやるんですよ。その代わりに安くて強い、死にたくないけど生き地獄もどうかとは思います」


 コストと戦闘力を最大限に特化して、失われたのが居住性と操作性だったようだ。実際に擱座してしまってからも砲塔だけを旋回して、長いこと戦い続けた例が多々あったそうで、大戦では鬼戦車としてT34が猛威を奮っていた時代があった。レバノンにあるのはそのシリーズの後継タイプだが、余計な部分まで継承してしまったらしい。


「次はあっちだ!」


「榴弾装填、目標人形、距離一千、砲撃準備完了!」


「てぇ!」


 同じショックがきて、今度は直撃手前で砲弾が割れ、小さな破片が沢山飛び散り人形を穴だらけにして吹き飛ばした。


「物騒極まりないな」


 普段は撃たれる側だけに、首筋がひやひやする。


 ――折角だから専門から弱点を聞いておこうか。


「歩兵の代表として聞きたいんだが、戦いづらい相手はどんなやつだい?」


「戦車は立体に弱く平面に強くできています。また極めて近距離では死角があって対処できません。砲にも上下に角度の限界があり、もし命知らずがいたならば逃げるよりも張り付く方が有利でしょう。零がコンマ一になるかどうかの違いではありますが」


 歩兵などどれだけいようとも全く敵わないと見下してくるが、実際にその通りなので特に反感もない。


「するとタコツボなんかに籠っていたら面倒?」


「乱戦ならば面倒ですが、掃討ならばそれは棺桶と同義でしょう」


 ――一時しのぎでしかないのはわかっているが、乱戦で注意を払うべき対象だとの認識なのはいただきだな。


「ありがとう軍曹、立場上遭遇したらすぐ逃げろとは言えないが、参考にさせてもらうよ」


「どういたしまして大佐、お役に立てたならば光栄です」


 はしゃいでいるレティシアが飽きるか砲弾がなくなるまでと、島は黙って爆音に耐えて座り続けるのであった。


 諸軍事を引き継ぎ戻ってきたエーンらをレバノン軍から解任、ニカラグア軍に再任し一息つく。


「途中で色々あったが、休暇もそろそろ終わりだな」


 かといって次に何をするかはまだ決めていない。


「別にやることないんだろ、遊んでりゃいいじゃないか」


 悪魔の囁きとはこのことを言うのだろう。事実そうなのだが、時間を無駄に使いたくない症候群の島は、余計なことが頭に浮かんでしまう。


「ダメならもう少しふらつくかも知らんが、会ってみたいやつがいる」


 名前だけ知っている。それでいて島の人生に干渉してきた人物。


「その気になる相手はどこのどいつだい」


 もしここで女の名前が出たなら不機嫌大爆発だろうが、そうではなかった。


「イスラエルのネタニヤフ、首相ではなく北方軍管にいたやつだ」


 姓はレティシアも耳にしたことがあった、ありふれたものでもある。しかし依然として何故そんなやつに会いたいかは全くわからない。


「イスラエルはレバノンの敵地みたいなもんだろ、わざわざ行く理由がわからんね」


 気分だと言われたらそれまでだが。


「アメリカ議会で俺を推すようにしたのがそいつなんだ。数年越しで意図を聞いてみようなと思ってね」


 素直に答えたのに意味がわからないと抗議される。当時の事情を説明せずに、結果だけを話すのは島の悪い癖でもある。


「レバノンから入国可能?」


 正面からレバノン旅券では差し止められること請け合いだが、中南米の旅行者ならばうるさく詮索もしてこないはずだ。


「可能だろうが閣下に迷惑を掛けたらまずいから、一旦第三国に出国するよ」


「で、そいつとどうやって連絡をとるつもりだい」


 まさか直接電話をハローとは行くまい。


「駐レバノンアメリカ武官に呟いておけばすぐに伝わるさ」


「なんだそりゃ」


 勝手にしろと怒ってしまいそっぽを向く。何かしらの保証を得てから入国すべきだと、数日レバノンに逗留することだけは明言した。


 ――アメリカに益があるうちはイスラエルも俺を簡単に排除はすまい。となるとあの人にも連絡をとっておくべきだな。今ごろどこで何をしているやら。


 少し楽しくなってしまい、番号をプッシュしながらにやけてしまった。


「ボンジュール、モンジェネラル――」


 管区司令官室の扉が開く。長年この執務室に通い続けてもうすぐ十年近くになるだろうか。部屋の主は変わっても、彼だけは変わらなかった。


「大佐、武官筋より気になる情報が持ち込まれました」


 バルフム大尉はいつものように、出所を示してから内容に言及する。これは時期と場所から大佐が内容を直観する、とのプロセスに関わりを有していた。


「大尉、続きを」


 ――シリア関連の軍事機密だろう。アメリカからM60を予定以上に供与された件か。


「はっ、アメリカ駐在武官のところにやってきた、ニカラグアのイーリヤ大佐なる人物が、ネタニヤフ大佐に会いたがっているとの話です」


 ――イーリヤ大佐、あいつが俺に? わざわざこんな道を使って接触をはかってきた理由はなんだ。レバノンとの密約を交わす下準備か、それともシリアへの問題か。


 表情に変化はないが、目まぐるしく思考が展開されているのがわかっているため、じっと返答を待つ。前任の大佐ならば、わかったとだけ答えて数日はほったらかしにすることが多かった。一事が万事である。


「ニカラグアで異変は無かったな?」


 それは質問ではなく事実の確認であった。見落としだけではなく、新たな情報がモサッドから入っていないかのチェックでもある。


「急報は御座いません。ニカラグア関係のものでは、昨今はコンゴ民主共和国関連で首相が会見したのがありまたが」


 ――コンゴの自治独立はニカラグア人の主導だったらしいがまさか?


「首相の会見発言を文字に起こして報告書に。コンゴ民主共和国で最近の外国人出入国者に、イーリヤか島の名前が無いかをモサッドに調べさせろ、大至急だ」


 他にも何か無いかを考える間に、大尉を一旦退室させる。意見を挟むことなくバルフムはその場を後にした。


 ――仮に奴の仕業だとしてだ、我が国の不利益は無いな。アメリカにとってもだ。ルワンダの政治が落ちつくのはメリットが大きい。レバノンが安定して、それがキリスト教国家になれば両国が恩恵を受ける、すると奴はアメリカの外部エージェントではないだろうか? 大使に背景を確認しておく必要があるな。違うならば引き込むかどうかの擦り合わせもせねばなるまいか。


 反応があったので二人はイラクに一旦入国してから、その足でイスラエルへと向かった。

 テルアビブで何かしらの接触があるだろうと悠然と構えていると、いかにも無関係そうな若者が着崩れた格好で隣を歩いて行き「近くの茶屋で」とわざわざ英語で呟いていった。

 イスラエルではヘブライ語とアラビア語が使われている。高齢者ならば統治者がイギリスの時代があった歴史からもよく居るが、若者には無縁とまではいかずとも、余裕がある人物が教養の為にと修める程度なのだ。


 ――素早いことだ、流石モサッドといったところか。


 誉められるべき箇所は素直にそうする、別に難しいことではない。それを受け入れられない人物も不思議な存在でもないが。


「では案内に従って行ってみよう」


 ここまで来ているのだから今更どうにもなりはしないと気楽に振る舞う。実際害そうとするならば、とうの昔にされているだろう。


「普通ちゃ普通の街だね」


 あたりをみて呟く、これといった不思議な風景は特にない。地域独特のものが目立たないのだ。


「何を期待していたんだ」


「きてすぐにダビデの洗礼でもあるかと思ってね」


 二人の会話は念のためにドイツ語に日本語を混ぜながら行っていた、この組合せで理解できる人物をすぐに用意できるとは考えづらい。当のレティシアからして何度も聞き直す有り様だが、練習にもなるのでそのままで通す。

 喫茶店では紅茶を中心に扱っており、まさに喫茶である。中に数人いる客は無関心を装ってはいるが、間違いなくモサッドの人間だろう。


「ミスター、私をお探しだそうで」


 頭からすっぽりと被さるローブ姿で何者かがテーブルにやってくる。敢えてはっきり名乗らないのが彼流なのか、それとも別人なのか。


「ああ是非ともあってみたくてね。今の俺があるのも君のおかげだとも言えるからな」


「私の?」


 ――反応からして意外や意外、本物そうだな。


 影ならば黙って真意を確かめるべく情報を思い出すのに少し位はかかるが、あまりに頭脳が冴えるやつは答えに行き着くまでの間隔が短い。初対面なのに軽い雰囲気で話しかけたのも作戦である。もっとも相手はプロなので、島にミスリードさせるのに成功したかも知れない。


 どちらであれ一度本物と決めたら、その姿勢を貫くことにする。


「ニカラグアの件だよ、ユダヤ系議員が俺を推したのは、君の評価報告の影響だからね」


 そうなっただけで結果論ではあるがと説明する。会いに来たのは諜報でも調略でもなく、挨拶だと締め括って。


「私も報告を上げただけで貸しを作ったつもりは毛頭ない。だが一つだけ可能ならば答えてもらいたい」


 ローブのフードを外して素顔をさらけ出す。褐色の肌に彫が深い顔付きをした人物、それも恐らくは島と同年代の。


「何だろうか」


「あなたが求めている最大の目標はなんだろうか」


 何の縛りもなく曖昧な質問でいて、方向性を知るには便利なことこの上ない。偽りを答えようとも黙ろうとも、ネタニヤフ大佐には一定の人物像が映るので有効だというわけだ。


「テロリストを根絶やしにすることだよ」


 言わずとも妻が爆死したのを知っているだろうと、一言で済ませる。言動の不一致は幾つかあるだろうが、少なくとも共通の敵があるならば利用は可能だと受け止めた。ヒズボラやパレスチナの跳ね返りが的になる。


「悪くない目標だ。私は民族の生存圏拡大が望みだ」


 イスラエルはユダヤ人の念願である国家を手にいれた。喪われていたヘブライ語を公用語に復活させたのは、世界の歴史にも例がない。一度歴史から末梢されたヘブライ語はユダヤ教徒の宗教言語、キリスト教のラテン語のような形で受け継がれてきた。それが国家再興で消えた単語を収集し、新たな言葉を創作し、子供に教育を施し母国語に据えたのだから、目を見はるものがあった。


「俺はそんなものに興味はない。だが、エンテベ空港での判断は称賛するね」


 ウガンダのエンテベ空港。彼の地で起きたイスラエル国民人質事件、国際社会が否を示しても国民保護のために軍を動かした。その指揮官がネタニヤフ中佐であるのに引っ掛けて述べる。

 国家のために国民が在るのではなく、国民の為に国家が在ると信じて疑わない。そのあたりの感覚は、人口が少ない国の国家戦略に近いものがある。


「国家の英雄だよ彼は。私など枝葉でしかない」


 どこか寂しげな表情を一瞬だけ覗かせる。他国からは犯罪者扱いしかされないのだ。


「世界が理不尽に満たされているのは、今に始まったことではないさ」


 カップに入ったティーを飲み干して席を立つ。特に何か言葉をかけるわけでもなく店を出て行く。別のテーブルで談笑していた者達が無言になり指示を待つが、暫くの間ネタニヤフは動こうとはしなかった。

 通りをゆっくり歩きながら、後ろを気にしていたレティシアが口を開く。


「拍子抜けだね、あれが噂の猛者かい」


 どこでどんな噂を聞いたかは知らないが、猛者が気迫を撒き散らす時点で失格の部分があるだろう。


「正義は誰にでもあるものだな。トンボ帰りで悪いが南スーダンに飛ぶぞ」


「ビールでも差し入れに行くのかい」


 どうせまた次の仕事の準備だとわかっているので、軽い冗談を言う。


「ああ山ほど持ち込むよ。レティアは連邦をどう思う?」


「藪から棒になんだい。決まってるだろ、合議なんて糞喰らえだ」


 苦笑して一刀両断の感想を受け入れる。制度としては古くからあるが中身は多様化していて、無理矢理にあれこれを一つにまとめようとしてはこれが持ち出されていた。


「今度は連邦を仕上げる仕事なんだよ」

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