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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第十部 第五十章 戦士達の宿命、第五十一章 誓いを胸に

 北半球。厳冬期がやってくる手前、幾度目になるか北海道へ降り立った。息を吐くと真っ白な煙になって、少しの間漂ってしまう。南極ではこうならない。息が曇るのは大気の塵が水蒸気で凍り付くからであって、白い煙を吐いているわけではないからだ。


「さっ、寒い!」


 レティシアが持っていた中で一番の厚着をしてはきたが、残念なことに効果が足りなかったようだ。


 ――いつの間にか俺も寒さに弱くなったかも知れんな、代わりに暑さには滅法強くなったが。


 互いに部下を解き放って自由を与えていた。エスコーラの護衛も里帰りさせている。エーン中尉も流石に日本に遊びに行くだけならば、と同伴を控えていた。今ごろはレバノンで英雄気分を満喫しているのだろうか。

 次期のプレトリアス族長との線が濃いらしい。何せ彼に従った三族の者達は仕事と経験、そして十二分な給与を手にした。それだけでなく枝族であったプレトリアスを、主筋に押し上げるだけの団結力と名声を勝ち得たのだ。島にしてみても譜代部下の筆頭なのは間違いない。


「まずはコートでも買いに行くとするか」


 長蛇の列を成しているタクシーに乗り込み、ショッピングセンターと告げる。何とか人心地ついたところで、ようやく景色に目がいく。


「雪か、白いな」


 片言の日本語であるが、はっきりと意味が通じる。


「降ってすぐならもっと白いよ。寒くなって空気が凍れば、ダイヤモンドダストが見られるかも」


 キラキラ輝く細かい雪と言うか結晶と言うか。何せ幻想的だと表す。


「空気が凍るだって? イカれてるよ。ダイヤモンドといえばあの原石、楽しみにしてるよ」


「フィル曹長が抱えていたとはね」


 キベガから脱出する際に、強奪してきた一部を抱えていたらしい。原石としてはかなり大きいが、カットしてみて初めて価値が安定する。

 エスコーラに持たせてパラグアイ行きになっているので、姿は想像するしかない。


「で、あんたはどこに行くつもりなんだい」


 決めてないのもまた選択肢だよ、と気楽にやるよう奨める。別に飲み食いだけしてぼーっと一ヶ所に居ても構わないとまで。


 ――さて自由かどうしたもんかな。


 案外長いこと走り続けて総合施設についた。カード決済するときに、黒いメタルプレートを渡されて運転手が驚く。当然店内は日本人ばかりで二人が浮いた感じを受けるが、気にすることは何もない。洋服が並んでいるところへ向かい物色を始める。

 自身は好みもなにも特に無いため、サイズと機能だけでさっさと会計を済ませてしまう。待っている間に巨大なテレビに視線を送る。シリアで政府側が査察団受け入れを承認する、と発表したのが報じられていた。


 ――これでアメリカを始めとした、諸国連合からの直接攻撃は無くなるか。そうなると反政府勢力は意気が下がる、外国のお友達も苦しくなるぞ。


 どうしても関係があった地域の話は気になってしまう。中南米の小国の話までは流れなかったが興味は尽きない。

 中国が領海や領空を侵犯したとかしないとか、国内はそちらに注目をしていた。離島問題や在日問題、様々なニュースがあったがどれもこれも日本政府の及び腰ばかりが目についた。


 ――パストラ首相にああまで言わせてしまい、何も無しとはいかんな。


 島は島できっちりニカラグアの正義を示したので、気負う必要など全く無いのだが、もって生まれた性格は恐らく死ぬまで変わりはしないだろう。


「おい、こいつなんてどうだい?」


 ダッフルコートというやつを着てみて評価を求めてくる。


「似合ってるよ、手袋もあったら良いだろうな」


 もし似合ってるだけなら勝手な感想だけと文句を受けるだろうと、次なる目標を与えることで攻撃をかわす。ロマノフスキーの指導の賜物である。


 ――情報戦での劣勢が敗北に直結するのがわかった。この方面で強化は必要だろう。真面目さだけでなく、柔軟で時に不敵なずる賢い奴が幕僚にだ。


 今までの記憶を手繰るが、中々適当な人物が見当たらない。そもそもが気付かれないように結果を出しているのだから、思い浮かべるのに無理がある。


 ――情報将校か。ネタニヤフとの名前が出てきたが、南レバノンと上手くやっているのだろうな。シリアとイスラエル、はたまたヨルダンやらなんやらと、情報戦のメッカは中東か。雇うなら引き抜くか反逆者を保護するかだな。


「こんな感じかい?」


 コートに指がない手袋を嵌めて、で胸を張ってポーズをきめてくる。


 ――ロシアンマフィアのカーポだなこりゃ。


「いいな、それでスノーモービルでも乗ってみるか」


「スノーモービル?」


「雪上バイクだな、転輪ではなくクローラーだよ」


 最大二人乗りだとレジャーに誘う。二つ返事で承諾すると、どこにあるんだと急かしてくる。


「スキー場あたりに行けばあるはずだが、専門に聞いてみよう」


 島が会計を済ませて、ツアー会社の営業スペースで訊ねる。


「すまないがスノーモービルを楽しめるスポットはないか」


「もし今からでしたら今日のに間に合うかも知れませんが、いつ希望でしょうか?」


「では今を希望しようじゃないか!」


 日帰りでツアーがあるようで、最少催行人数は越えたが空きがあると説明される。すぐに電話で追加を知らせて、到着まで待つように手配をしてしまう。


「中々手早いじゃないか」


「民間企業はサービス勝負だからね」


 タクシーまで手配して、カード一枚で全てを解決して送り出されてしまう。


 バスターミナルから高速バスに乗って、一路日高山脈が走る北海道の背骨にあたる場所へ着く。一面の銀世界とはこのことだろう、太陽光を反射して目が痛い。


「こいつは凄い!」


 広さだけなら南米の山野をうろついていたので大したことはないが、やはり雪が感動を呼ぶ。

 添乗員に連れられロッジへと入った。不思議とそこは常夏のようで半袖姿の客が目立つ。時間までご自由に、と投げ出されたので早速フロントで話を聞く。


「レンタルだが」


 笑顔で受付が一覧表を提示してくる。スノーモービルコースもあった。


「こいつを一台、時間はわからんから経過課金コースで頼むよ」


 署名と身分証の提示を求められて旅券を差し出す。日本のものなので逆に珍しい。駐機場で簡単な説明を受けて二人乗りする。規定のコースから外れないようにと注意を受けて出発した。


「いけー!」


 レティシアがはしゃいで急かしてくる。応! とスロットルを絞り、ぐいぐいとスピードをあげる。無変速機のため、スピードがあがると比例してエンジンの騒音が酷くなった。


 限界を臨むと不完全燃焼のガソリンが白く排気される。平らな斜面を上に向かうと、リフトから手を振る人物が複数いた。腰に回している手を片方放して彼女が応えた。

 頂上付近で停車して景色を楽しむ。頂上から下を見るとやけに傾斜がきついような気がする。


「気分爽快だな!」


「小型の戦車もこんな感じかも知れないね」


 クローラーの接地感触は確かに似ているだろう。戦車乗りがそんな感想を聞いたら、顔を赤くして憤ることもありそうだが。


「今度戦車にも乗ってみるか」


 デートに似つかわしくない提案が口をついてでる。相手が一般人ならば困った顔で遠慮しただろうが彼女は違った。


「旧式はお断りだよ、鈍い光沢があるやつを頼むよ!」


 そんな目立つのは配備前の工場出荷直後しかなかろうが、そうだなと受け流す。

 下りは速度が追加されるかと思ったが、そんなことはなかった。回転するベルトと接地面は規則正しい倍率になるらしく、エンジン回転数が下がればブレーキがわりになるようだ。

 一時間ほど走りっぱなしになると、指先が冷えてきたためにロッジに引き返すことにする。


「温泉だがここには無いそうだよ。ちょっと足を伸ばして旅館に行ってみるか?」


 体が暖まってきたのでやる気も起きる。どこが有名だったかを思い出す努力を始めた。


「そうだね、その為にやってきたんだから行こう」


 どうやってかは任せるよと丸投げされる。


 ――バスは使ったから列車にしてみようか。隣の市まではざっと百分だな。


「ちょうど晩飯時には到着だ。料理の後に風呂で冷たい酒を飲みながら、雪景色を楽しもう」


 移動にばかり時間がかかるが、それすらも旅の醍醐味だと移り行く街並みや山河を眺める。


「このあたりは」寂れた風景を見ながら変なことを口にする「ゲリラの拠点にうってつけだね」


 農村部に疎らな家があるだけで、山あいに畑がちらほらと見える。


 ――うーん、確かにここに支援してやったら住民は支持を与えるだろうな。


 ついつい真面目に中味を吟味してしまう。


 ――宣撫工作だったか、グリーンベレー作戦でお馴染みのアレだ。ん、待てよ、あいつ名前はなんだったか……リベンゲか、あれは情報工作員だなマケンガの組織から引っ張れないものか。


 難しいなと締め括る。今は遊びに専念せねばと、妙なやる気を出す。駅でタクシーに乗り換えて、温泉旅館に向かわせた。部屋がとれなければ別の旅館に動くため、待機させながら。


「二人一室食事つきだが、今から出来ないだろうか?」


「この時間からではお食事は難しいかと……」


 受付の女性がすまなさそうに遠回しに答える。肩を落としていると女将が近付いてきて、お困りですかと声を掛けてきた。


「いえね食事つきで宿泊はできないかなと」


「少々お待ちくださいませ」


 言い残すと板場へと向かっていった。数分で戻ってくるとお引き受け可能だと返答する。


「ですが正式な会席料理を出すには材料が揃いませんので、別途可能な料理を提供で宜しければ」


 申し訳なさそうに言葉を区切る。


「無理を言っているのは自分なので、それでお願いします」


 裸で悪いですがと板場へ心付けを差し出す。魚心あれば水心である。女将が逆に恐縮して、部屋係に案内するよう指示する。上着をお持ちしますと手が空いている者が加わり、居場所が確保された。


 座ってばかりでやけに疲れたと座椅子に寄りかかる。ウェルカム温泉まんじゅうだよ、と小さな菓子を手にした。


「モール温泉らしいよ」


「植物泉? へぇ初めて聞いたよ」


 温泉文化自体が少ない上に、そのような地域から遠いせいか珍しさに驚きが無い。本来ならば世界有数、むしろ唯一に近いくらいに稀な泉質なのだが。

 窓から外を見てみる。池があり凍り付いた中に魚の姿があった。


「あれはオブジェ?」


「いや自然と凍結して冬眠状態だ、春の雪解けとともに復活するさ」


 そりゃ凄いと驚いて、屋根から伸びているつららをこつんとやる。


 ――何から何まで新鮮なんだ、きて良かった。


 茶を淹れて少し落ち着く。無音空間が意識を遠くさせた。部屋の外から食事の準備が出来たと知らされる。


「じゃあ行こうか」


「いや……部屋に食事が運ばれてくるよ。そういう施設なんだ」


 部屋食って言うルームサービスだと説明する。無論食堂が無いわけではない、折角だからそのコースを指定したわけだ。お膳料理が運ばれてきて並び終えると、白衣を着た壮年男性がやってくる。


「板場を任されている佐藤です。本日はご利用ありがとうございます。限りある材料を厳選しました」


「無理を通してすみません。日本の心を世界に広めている最中でして」


 にこやかにレティシアに視線を流す。男はごゆっくりと礼をして部屋を去る。

 並んだ料理をがつがつと食い散らかして大満足の彼女を見ると、自然と笑みがこぼれた。


「では露天風呂で一杯といこう」


 食べてひっくり返るつもりであったレティシアを引っ張り連れ出す。趣あるのか田舎臭いのかわからないような廊下を抜けて、脱衣場でわかれる。昨今の事情からロッカーに鍵がついているのは仕方あるまい。

 雪がちらつく石造りの湯槽に浸かって、お盆を浮かべる。ちょこに冷えた日本酒を注ぐと、彼女がやってきた。


「ほらこいつを一口だ」


 張り艶ある肢体を隠しもせずに隣に座り酒を一口。


「うん。なあルンオスキエ」

「ん?」珍しく名前を呼ばれて振り向く「どうした」

「十年後にはどうなってるかな」


 空を見上げる。雪が顔に触れて融けてなくなる。


「変わらずにこうしたいものだな」


 彼女はゆっくりと島の肩に体を預けた。


 休暇の後半、レティシアの希望に合わせてパラグアイを回避して、ヨーロッパを歩くことにした。何だかんだと島も、ナポリとパリ以外には殆んど行ったことが無いので、目的地選びが楽しい。


「起点をフランクフルトにしてみよう、そこからマイセン、プラハといった感じで古都を観光だ」


「寒くはないかい? もう少し南よりだとどこに」


 季節を考えたら確かに寒かろうと向きを変える。


「そうだなローマからベニス、マルセイユ経由でアンドラ、マドリッドと行けば温暖だ」


 地中海付近は海水温の都合から、安定して柔らかな陽射しがある。


「アンドラ?」


「スペインとフランスに挟まれた小国だよ。交易やサービスを売って存在しているんだ」


「そいつは面白そうだね、よし決まりだよ」


 早速航空便の空きを調べる、予算に上限がないせいですぐに適当な便の予約が取れた。ローマで丸々三日、遺跡や博物館を見て回りイタリア北東部に乗り込む。


「ようこそヴェネツィアか、水の都ってのは本当だな!」


 英語、イタリア語、フランス語、ドイツ語と読み方が少しずつ違う。


 それだけ各国で知られている要衝だと言える。水運の拠点は栄えやすい、昔はヴェネツィア共和国として独立した都市国家でもあった。今でもヴェネチアンはイタリア人としての帰属意識は低い。ここに限らずイタリア全土であるが。

 ホテル自体が文化遺産の場所にチェックインする。すぐ隣には水路があって小船が幾つも浮かんでいた。水上タクシーを営んでいるらしく、愛想よく声を掛けられた。


「乗ってみよう」


「そうだね」


 理解しやすい簡単なイタリア語を、英語やフランス語混じりで使ってくるため、何となくだが島でも理解できた。

 ヴェネツィアはイタリアのブーツを横に倒したような形をしている。その爪先が観光の名所だと売り込んでくる。素直にガイドを依頼して、ユーロ紙幣を一枚握らせると更に饒舌になった。


「お二人はここは初めてですか?」


「いや二回目だよ。最初は仕事で殆んど見てまわれなかったがね」


 レティシアが不思議な顔をする。だが用心深い奴だから、初めてと答えないのが常だろうと解釈した。


 到着した船着き場は狭く暗かった。理由があると言われ、二人で手を繋いで螺旋階段を登るよう言われる。ものは試しとやってみる、目を閉じていても明るくなったのがわかった。


「さあどうぞ、目を開けてみてください」


 ぱっと開くと、そこには薄い緑とも水色とも言える海が広がっていた。右手には真っ白な家がたちならび、景色にアクセントを与えている。


「マラヴィリョーソ!」レティシアが声をあげる。


「うむ! アドリア海の宝石とは言ったものだな!」


 島も素晴らしいと繰り返して絶賛する。まだ世界がヨーロッパのみであった時は、ここも七つの海に含まれていただろう。


 ――殺伐とした景色ばかり見ていたものだから、落差に衝撃を受けたよ。


 暫く放心したかのように眺めていた。カフェテラスがあるのでどうぞ、と勧められてようやく動く。

 ごゆっくりと帰ろうとする船頭に、もう一度ユーロ紙幣を渡す。


「感動のお裾わけだよミスター」


「お気遣い感謝します、ジュノですミスター」


「イーリヤだ」


 にこやかに席につくと、サービスだと小さなカップに飲み物が出される。


 その後も気儘に散策を楽しみホテルへ戻った、もう日付が変わりそうなほどになっている。


「新しい世界を知った気分だよ」


「荒れ地があって初めてここも輝くってわけだな、順番が逆なら絶望しそうだ」


 シャワーを浴びて軽いワインをやり直す。心地好い気分のまま二人は≪削除記録B1≫

 ギブアップが早かった。委細構わず島は攻め続けて、久方ぶりに完全勝利を手中に収めた。

 少しまどろんでからレティシアがバスルームに入る。喉が渇いた島がミネラルウォーターを取りに、通路近くにある冷蔵庫を覗き込んでいると、不可解な声が聞こえてきたような気がした。


 ――ん? こんな真夜中にルームサービスではあるまい、何を話しているんだ?


 気になってドアに耳をつけてみる。微かにだが話し声が拾えた。


「下の階は全て押えた、あとはスイートだけだ」

「金持が居るからな、ここの奴等だけは殺しちゃならんぞ」

「ああ、身代金が楽しみだな」


 ――賊共か!


 すぐにチェーンロックを確認して、レティシアに伝えに行く。一息ついていた彼女が、真剣な顔をしている島にどうしたかと訊ねる。


「ホテルが賊に占拠されているようだ。すぐに着替えろ」


 島も服を着ると武器になりそうな物を探す。


 ――ヘアスプレーと歯ブラシ、タオルも濡らしておくか!


 柄を割ると手近にあった品をポケットに捩じ込み、ライトを消して扉近くの壁際に立つ。マスターキーを使ったのだろう、抵抗なく鍵が開くと、大きな工具でチェーンを絶ち切る。


 ――二人組だな。先頭の奴を盾にして一瞬で制圧せねば。


 目を瞑って暗闇に慣らしておく。ゆっくりと足音を忍ばせて一人が侵入し、ベッドへ向かい角を曲がる。背後から組み付き片手で口を押さえて、もう一方で折れた歯ブラシを喉に突き刺す。

 くぐもった声が漏れたが、床に寝かせて壁にと戻る。


「おいどうした?」


 低く抑えたイタリア語だ。カチャと銃を構える音がする。タオルを手にして腰を落とす。銃だけをつき出した体勢でゆっくりと侵入者がにじりよる。


 手首のスナップを効かせる要領で、銃に濡れタオルを叩き付ける。衝撃に「あっ!」と取り落としてしまう。直ぐ様正面から組み付いて頭突きを鼻っ柱に叩き込む。足払いをして転倒させると、タオルを顔に被せて拳を思いきり叩き付けた。

 すぐに動かなくなったが、用心のため頸椎を破壊して息の根を止めてしまう。


 拳銃を拾ってベルトに捩じ込み、死体を改めて使えそうな品を強奪する。


「こいつら二人だけじゃないだろね」


「ああ、どれだけいるかは不明だよ」


 無線を持っていないため、予め計画してある動きをしたら合流なのだろう。


 ――フロントが指揮所になるだろうな。館内電話は不通にさせるとして、携帯電話はジャミングの器械を設置位はするはずだな。人質は部屋から出さないか、ホールにまとめて監禁するに違いない。


 廊下を覗いてみて、他に姿がないのを確かめて戻る。


 ――各階に二人だけならば大人数じゃあるまい、人質監視に使う人数を減らすために集合させるだろう。拳銃だけの軽い装備だ、逆に紛れている可能性もあるぞ!


「ホールからしか脱出出来ないよな」


「空でも飛ぶなら別だけどね。古いせいか非常階段はないよ」


 窓は格子がつけられていて、中世の城館の様相を呈していた。窓際で衛星携帯を使ってみようとするも、接続可能な状態にならない。


 ――閉じ込められたか。無駄口を叩くような奴等だ末端は練度が低い、マフィアとは別口の集団だろう。イタリア語を使い人質をとって身代金を要求するグループか。


「下る前に、この階の客に協力を呼び掛けてみよう」


 スイートルームは海に面した角部屋が二つしかないが、他に四部屋がある。強盗団が持っていた鍵を使い端から開けていく。

 スイートにいたのは中国人の老夫婦だったが、二人は命を危なくするより財貨で助かる道を選んだ。


 ――老人では仕方あるまい。


 静かにして待っているように言い残して個室をあたる。空室が一つあってドイツ人の中年とフランス人青年が呼応した。最後の部屋は日本人夫婦がいた。一緒に戦うように誘うが迷惑そうな顔で拒否する。


「強盗団に歯向かわなければ死人も怪我人も出ない。刺激しないでもらいたい」


 どう返答したかを通訳しようとすると、レティシアが二人に「捕虜希望だとさ」と教えてやった。


「ニカラグア人のイーリヤです。お二方の理解言語は?」


 ニカラグアとの響きに意外な顔をされたが、すぐに反応がある。


「フランス人のオルロワ、フランス語と英語を話します」


 最年少だろう彼が名乗った。


「ドイツ人のベッケン、ドイツ語とフランス語を理解する」


「コロンビアのレヴァンティンだ、共通語はフランス語のようだね。あたしらはドイツ語も英語も通じるから覚えといておくれ」


 武器は島らが奪った半自動拳銃、それも型が違うものが二つに、ナイフが二本で後はホテルの備品を工夫するしかなかった。


「軍隊経験は?」


 俺は現役だよと付け加えて反応を待つ。ベッケンが一年だけと控え目に述べる、オルロワは無いと首を横に振る。


 ――このフランス人はあてに出来んな、居ないよりはましだとしておくか。


「俺と彼女が銃を、あなた方にはナイフを渡します。非常事態なので指揮を執るが良いかな?」


 一応の意思確認をする。二人ともすぐに承諾した、何せ強盗を倒して武器を奪った実績があるからとやかくは言わない。


「では下の階に降りてまずは銃を奪おう。敵を見たら容赦をしない、これだけは守るんだ。やらなければやられる、それも味方が一緒にだ」


 ベッケンはしっかりと頷いたが、オルロワは躊躇う。


 ――こいつは危険だ、きっと足を引っ張るぞ。


 危うい奴と自分が組み、レティシアにはドイツ人をつける。絨毯が敷かれた階段は足音がしないで下れた。こっそりと通路の先を覗いてみると、部屋の扉が一つだけ開け放たれている。


 ――物色の最中というわけか。こちら回りは距離があるな、迂回して不意打ちしよう。


「俺らが回り込む、途中で奴等が出てきたら注意をひいてくれ。無線は持っていなかったから、すぐに助けはこないはずだ」


「了解」


 オルロワを従えて街側の廊下をそそくさと進む。やはりフロアーは違っても、海側の方がランクが高い部屋割りになっているため、家捜しするにもまずはこちらとなるのだろう。

 見付からずに部屋の外に辿り着く、話し声が聞こえてくる。レティシアらを手招きしてその間耳をそばだてる。


「身代金要求している間に抜け出すつもりとは、ボスもずる賢いな」

「一時間とかからずに国外だから、簡単な仕事だよ。昼にはトルコで乾杯さ」

「入国してしまえばこっちのものか」


 ――やはりチンピラの類いか。さっきの奴等は旅券を持っていなかった、ボスがまとめて保管しているのか、それとも別の理由があるのか。


 ベッケンらがきたので、島が先頭で彼とペアになりレティシアに支援をさせる。あいつには廊下で見張りをやらせておく。忍び寄ると後ろから思いきり頭を蹴飛ばしてやる。同時にナイフが背中側からざっくりと心臓をひと突きした。中々見事な一撃である。


「武器を」


 多くは語らず、島は廊下の側へ行き警戒を交代する。やはり拳銃しか火器を所持しておらず、旅券もなかった。

 全員に装備が行き渡るが、発砲は最後まで我慢するように注意しておく。


「誰かが危険になれば迷わず発砲して良いが、それまでは銃に頼らずやるんだ」


 判断が難しくならないように条件を簡潔に定める。状況に合わなくなれば、また命令したらよいと複雑な内容にしない。利き手に銃を反対にナイフを持ってまた一つ階段を降りる。五階までしかないホテルなので、フロントを別にするとあとフロアーは二つある。


 踊り場に館内の案内が記されていた。二階がホールになっていて、客室は三階以上が主になっているようだ。ここの階層でも、同じように二人が部屋を漁っていたために、無音で葬ることができた。気絶した敵をオルロワに始末させ、度胸づけに使う。


「目をさまして背後から撃たれるのと選べ」


「縛っておけばそうはならないのでは?」


 あくまで殺さずを訴えてくる。


 ――置いていくならここが最後だ。


「放置するなら君が残って監視するんだ。ただし武器は渡してもらう、縛れば抵抗もされないんだろ?」


 皮肉を交えて選ばせる、残るならばそれでも構わない。オルロワが二人に助けを求めるよう視線を送るが、冷然と突き放す。

 諦めてナイフを手にすると、半ば目を閉じて突き刺す。日本でならば緊急避難や正当防衛を主張しても、過剰行為だと非難されるのは間違いない。加害者の人権がどうだと騒ぐ人権屋の多いこと。


「拳銃を手にしていた敵をナイフで倒した。そうだと記憶しておくんだ」


 それで良いと肩を軽く叩いて、二階の見取図を求めて移動する。


 ――はてさてどうしたものかな。


 一階フロントの控え室で、時間を気にしている男がいた。腰には拳銃を備えているが、短機関銃を傍らに置いている。


「ヤセル、二階は?」


 自身の副官格である男に進捗を訊ねる。


「ハマドが指揮して人質を監視させています」


 顔付きはイタリア人であるが、イスラム名を使い返答する。手元には複数の携帯電話が置かれていた。


「上階の奴等はまだ?」


「チンピラです、盗みに忙しいのでしょう。頭数になればと集めましたが」


「いや」リーダーが申し訳なさそうに答える男に「手があればそれをいかに使うかだ、俺が考えるよ」


 それは副官格の奴は雑用だけこなしておけばよいとも聞こえた。だが彼にはリーダーが心強い人物だと思え、自身はあくまで補佐で部下だと納得していた。


「そろそろ声明を出そうか、注目が集まったところで、ホテルごとドカンだよ」


 手下には身柄をかわして逃げ出すと言ってあったが、ガルバニ――モハメド名を隠しているリーダーは、ここで自爆する計画を練っている。各自が逃亡出来ないように旅券をまとめて保管しているのもその布石だ。


「外国人のうちで一人要人が混ざっていました。ネーデルランドの外交官です」


「詳細はわからない?」


 もし高官ならばより注目が集まると、声明を出すのを一拍おこうと考える。


「私が別室に置いて尋問します」


 モハメドがそれを承認する。長引くことはなく、三十分と掛からずに副官格の男――ジュベが戻る。


「奴はフレデリック・ルッテ。ネーデルランドの公使級で待命休暇中です」


 公使とは大使の一つ下の呼び名であり、ほぼ同等の権限を与えられる役職である。即ち大使や公使は領事の類いとは違い、一人しか置かれない高級外交官なのだ。


 ――人質に公使がいるとアピールするんだ、すぐにイタリア中が大騒ぎになるぞ。奴らは事件が大好きだからな。


 事件の行方よりも騒ぎが起きているそのこと自体が興味深いだけで、中身に対する考察は置いてきぼりである。

 自爆は何時でも出来る。可能な限り主義主張をしてからにしようと決め、手始めに新聞社に電話を掛ける。


「セニョール、公使人質事件が起きているんだが――」


 弾倉に何発あるかを確認させる。一度も発砲していなかったようで、目一杯入っていると返事がある。


「一発だけマガジンから抜いておくんだ」


「何故?」


 オルロワだけがそう疑問を口にする。


「バネに無理がかかり、不具合が起きないように余裕を持たせるためだ」


 訓練ならば怒鳴られているだろうが実戦の最中である、簡単な理由もしっかりと説明する。思い付く注意点は何度となく繰り返す。

 ふと思う、外人部隊に残っていたら、今もきっと曹長としてこのように訓練でもしていたんだろうなと。グロックがそうだったように、下士官はどこまで行っても下士官として扱われるからだ。

 戦時に特別な功績を得たならば話は違ってくるが、将校とは他の者と全く違った立場で、クァトロのようにそう簡単に持ち上がるものではない。


 階段の踊り場から下を窺う。かなりの人数が集められているようだ。じっと耳を澄まして漏れてくる会話を聞こうとする。当然ながら喋るなと命じられているだろうから、人質の声は聞こえてはこない。


 客室にあった小さな鏡を使って、二階を少し覗いてみる。階段のすぐに隣がエントランス部分で、やや広目にスペースがとられていた。大きな両開きの扉の先にパーティーホールがあり、そこに皆が押し込まれている。


 ――下から増援されたらこの位置が有利だな。かといってホールで展開する人数を減らすのは出来ないぞ。


「外まで逃げられますかね?」


 どうにか解放しようと考えていた島が、逃げるとの選択肢を出されて意外な感覚を受ける。ベッケンもオルロワの方を振り向き、驚きの眼差しを向けた。


 ――この場合は逃げるってのが一般人の感覚って訳か。ということは強盗団もこちらが逃げようとするのを想定するわけだ。


「あちらの意表を衝こう。逃げると思われてるなら、反対に立ち向かうんだ」


「それで人質を盾にされたら?」


「無視する。俺達が気にする必要はない、こちらも被害者で自分の命が最優先だ」


 矛盾するような気もしたが、背中から撃たれる位ならば立ち向かう方が、生き残る可能性が高いと考えれば納得行く。抵抗して他の人質が害されれば、それはその者の運命だろう。


 その時にホールから十数人が纏まって出てくる。最後尾に二人、拳銃を持った者が続いた。何やら布をすっぽりと頭から被っている。


 ――トイレットか、各個撃破するチャンスだ。あの布を被れば、ホールに戻った時に数瞬自由が得られるぞ! その為にはやはり拳銃を使ってはならないが、どのように待ち伏せるか。


 ホールからトイレまでの通路を確認する。二人の犯人のうち、一人が中まで監視に行くとしたら、もう一人が廊下を見張るしかない。二度廊下を折れるので奇襲することが可能だ。


 ――人質が声を出したら気付かれる、俺達が味方だと知らせねば。これだけ離れていれば多少の声は平気だが、悲鳴は勘弁だ。男のグループにが行くときにするか。


「作戦は決まった、ここがイタリアなのを加味して、皆に一言ずつ協力願うよ」


 殊更簡単だと思わせるために軽くいい放つ。踊り場から三階に戻り、声が漏れないよう気を付けながら見取り図を指して動きを指示する。戻るまでの時間を計るために鏡で見ていたが、犯人の手袋と袖の間がチラリ。


 ――アラビアンか!


 十分程すると、今度は男性グループ十人余りが移動を始めた。服装から覆面が先程の二人だとわかる。

 島が先頭でベッケンが最後尾になり、廊下を進む。絨毯以外を踏まないよう注意を払う。角を曲がった所に給湯室がある、パーティーホール脇の出入口の側だ。

 死角となるためその給湯室に潜んで息を殺す。狭い場所なので出入口の脇に置かれた衝立の裏に、レティシアらを潜ませる。


 ――人質らが気付いても反応してくれるなよ!


 一発勝負でやり直しが効かないために祈る。だがどの神を頼りにしたかは、本人も解らずじまいであった。

 女性グループよりも早くに引き返してくる。足音が近付きすぐ隣を通りすぎる。一人が島に気づいてぎょっとするが、口に人差し指を立てて静かにするように、ジェスチャーで伝える。男は頷きもせずにそのまま通り過ぎた。

 拳銃をぶら下げた見張りがすぐ後ろに続くはずだ。給湯室が進行方向の左手にあるため、銃を向けるには体勢を変える必要がある。小さな、これ以上は無いくらいに小さな有利点を計算に組み込む。


 二人が覆面をしていて視界が狭いこともあり、姿が現れた瞬間に島が奥の側に躍りかかるも気付くのに遅れる。次いでベッケンが手前の奴の喉に向かい、ナイフを突き立てる。


「ポリス!」

「ポリツァイ!」

「ポリシーア!」

「ポリツィーア!」


 四人が分担して人質を落ち着かせるよう、警察だと声をあげる。どうみても違うがその瞬間だけ落ち着いて貰えたらそれで構わない。

 命脈を断ち切り給湯室手前に集まるように呼び掛ける。


「中に犯人は何人いるか、武装はどうか、階下にもいるか、人質はどうしているか、手短に説明可能だろうか」


 ぱっと見てフランス語で問い掛ける、何者だと尋ねたかっただろうが時間を浪費する愚か者は少なかった。


「八人の覆面が拳銃を持って、四隅と出入口に二人テーブルに二人。人質は奥に固められて椅子に囲まれている。下はわからない」


「四隅の覆面を倒してください、拳銃が四丁あります」


 上で奪った物と、今手に入れたうち半数を志願者に渡す。


「入口とテーブルのはこちらで倒します。ご婦人らには伏せるよう、直前に知らせてください」


 ナイフ四本も別の四人に渡す。それらも四隅に散るよう言っておく。倒したやつを身ぐるみ剥いで服を着替えるが、一部に血糊がついてしまっている。

 洗っている暇がないので、タオルを巻き付けて誤魔化す。レティシアらにホール外にいてもらい、銃声と共に増援するようしておく。一分で打ち合わせを終わらせて足早に戻る、不審に思われてはならない。

 ホールに戻ると中の様子を把握するよう努める。


 ――人質が固まっている、これなら邪魔にならずに済むな。覆面は情報通りだ。テーブルに居るのが指揮官だろうが、少し距離があるな!


 突撃銃ならばまだしも、拳銃では十歩離れたら命中させるのが難しくなる。着座しているのがせめてもの救いだろうか、仮に転げ落ちて避けたとしたら、一秒や二秒は立て直しに使うだろう。

 各位がまちまちの武装なのがむしろ特徴的である。男性グループの先頭が人質の輪に入ったところで、島の背に拳銃が突き付けられる。


「血の臭いがするがどうした?」


 まだ周りの誰一人として気付いていないが、たまたま匂いに敏感な奴だったらしい。


「生意気なやつが居たから、少し思い知らせてやったんだよ」島が小声のアラビア語で答え、チラリと後ろを振り向く。


 ――しめたコルト1919半自動拳銃だ!


 声は違うがアラビア語なので、仲間だったかと一瞬首を傾げる。背中につき出された拳銃に向かって一歩下がる、すると銃口がカチリと音を立てた。

 今度は前に歩き出して、おもむろに拳銃をテーブルにいる指揮官に向けて発砲する。「伏せろ!」と人質の輪で声がすると同時に、準備していた男達が近くの覆面を一撃する。

 入口のうち一人はベッケンが即座に無力化した。島の背に発砲しようとトリガーを引くが弾が発射されない、廊下から現れたレティシアがそいつを弾く。島は弾倉が空になるまでテーブルにいる奴等を撃ち続ける。

 部屋に悲鳴が響く、落ちている銃を拾ってから三人を上の踊場に位置させた。四人の男が出入口にまで駆けてきて、テーブルを荒っぽく引き倒し遮蔽に使する。のそのそと志願した者が武器を手にして、雰囲気で加わる。


「落ち着いて下さい、まずは皆さんの協力に感謝します。騒がずに伏せているように」


 銃声がしたものだから下から増援が現れる。バリケードが目に入り何事かと思った所で、踊り場から真横に射撃を受けてその場で動かなくなった。


「四人ごとに別れて、ホール横から廊下に避難して下さい。戦える者はこちらに」フランス語で呼び掛け、英語にして最後にスペイン語で繰り返す。


「下には短機関銃を持ったやつが居るようです」

 島が覆面を取り外した。マロリーですと自己紹介しながら情報を持ってくる。


「人数や他に状況が解るものは居るか?」


 マロリーが気を利かせて英語に翻訳したので、島はスペイン語で尋ねる。イタリア語が不自由な為に、一人が現地語をカバーする。


「こいつらはイタリア在住のアラブ人のようですぜ」覆面を剥いでみせて褐色肌が目立ったのと、イタリア語を使っていて不自然が無かったのを指摘する。


 ――強盗団ではなくてテロリストか? もし爆弾を使う自爆ならば、ここで頑張っていてもペチャンコになっちまうぞ!


「イスラム過激派の自爆テロ要員の可能性が極めて高い。早く脱出すべきだろう」


 それが違っても問題にはならないと強気に断言する。


「警察が来るのを待つべきでは?」

 渋々志願したやつが持久戦を訴えてくる。


「じゃあお前は」他の連中が賛成するのを確認し「一人で残ればいい」


 ホテルを倒壊させるにはかなりのヶ所に爆薬を仕掛けなければならない。正確にはわかりはしないが、数十の基点となる柱を破壊する必要があるだろう。


 ――一斉に起爆させるのに一々手作業なわけがない、携帯電話が使えなくなっているから通信妨害をかけている、急襲したならそれを解除して起爆しているような暇はないはずだ!


「そう言えば一人だけ下に連れていかれた男が居たな」


 落ち着いたせいかそんなことを思い出す。残念ながら諦めてもらうことになるだろうが。


「ダッチマンだったな、紳士的な」


「助かるに越したことはないが、自身の命を優先するんだ」


「で、どうするんだいリーダー」


 中年の男が島をそう呼ぶ。特に異存があるやつは居ない。少なからず全員がロビーを通過しているわけだから、記憶から配置を想定する。


「そうだな、まずは消火器を集めてきて貰おうか」


「どうなっているんだ上は」


 ガルバニが時計を気にしながら尋ねる。銃声が聞こえ増援に出た者が戻らなくとも、焦らないのを見て部下が少し安心した。

 イタリアで指導者としての教育を受けているときに、イスラムの教えに染まった……わけではない。彼は素質を見込まれて留学させてもらっているエリートなのだ。その彼が恩返しをしようと、計画したことが今回の事件である。


「二階の銃声は止みました、何者かが紛れ込み制圧したのでしょう。今は一つしかない中央階段を封鎖しています」


 非常階段も何もない。古い造りのまま営業しているホテルには、通路が一ヶ所しか無かった。そこさえ封鎖しておけば上階でどうにかしようとも、自爆の道連れから逃れることは出来ない。


「そのまま通すな。もうすぐ新聞社やテレビ局がやってくる、そこで我々の正しさを訴えるんだ」


 生放送させればどこかで映像を記録しているやつがいて、一度ネットにあがれば無制限にコピーが広がる。あとは話題性次第で拡散するわけだ。


「ルッテ元公使を餌にするわけですね」


「元であっても公使閣下だよ。無視するわけにもいくまい」


 絶対に通すなと厳命しつつも、上の奴等は見捨てろとも指示する。彼らにとって犠牲者は問題にならない。どのような結果が得られたかが重要なのだ。

 ガルバニが席を立ち事務所に移る。ルッテは椅子に座らされていた。側に一人若者が立っていて見張りをしている。


「公使閣下、もうすぐ報道関係者がやってきます」英語で話し掛ける。


 だがルッテは言葉がわからずに、顔をしかめるだけだった。仕方なくイタリア語を使うが半分と通じない。少し残念であるが会話を諦める。不理解言語を知っただけでもささやかながら収穫だと。

 格子付きの窓から外を眺める。明るくなりもう少しで市民が目を醒ますだろう時間がくる。遠くから箱形の車が近付いてきた。正面からではわからなかったが、ハンドルを切ると側面にテレビ局の文字が大きく書かれていた。

 それから十分と経たないうちに車は増えていき、遅れて警察車両がやってくる。だが取材班は警官が止めるよりも早くに、ロビーへと踏み込んでしまった。


「この手の建物にはダストシュートがあるはずだ」


 島がゴミをポイ捨てして、落ちていく様を真似てみる。


「あるなら裏口や裏通りに面している方に作るでしょうが、この場合は内陸側ってことでしょうか」


 海側が正面口で東向きなので西側を調べさせる、目立たないように設置されているのがすぐに見つかった。それとて下がりすぎると、ゴミの中でもがく羽目になってしまう。無事に一階に出ても見張りが居るかもしれない。


「高さ的には三メートルとない、だが気づかれては奇襲にならない。そこでだ、正面で偽の交戦をしてもらう」


 戦いになれば見張りは呼び戻される可能性が高い、その箇所に不安を抱けば抱くほどに。得体の知れないものへの恐怖は、人の想像こそがすべてといえる。


「自信があるものがそちらへ回る様にしましょう。無論弾丸も多めに寄せるべきでしょう」


 先回りしてマロリーが話をまとめる、中々に使えるやつである。


「踊り場に二人交代に行ってくれ、ベッケンとレヴァンティンを呼び戻す。彼を一人指名だ、残り二名の志願を受けよう」


 すると微笑を浮かべてマロリーが即座に手を上げた、隣に居たポワティエも進み出る。


 二人とも精悍で鍛えられた筋肉をしていて、それはプロテインを摂取して見た目の構築をしたようなものではなく、訓練と運動によって自然と出来たものだとわかる。

 ベッケンらが戻り、降りるぞと伝えたところで、仲間はずれにされた彼女が不機嫌な顔になる。


「生ゴミ臭い穴倉に、レディを行かせるわけにはいかんからね」


 これは野郎の仕事だと断言して留め置く。


「お前はいつもそうだ、勝手に話を進めやがって。無事に戻らないと承知しないよ!」


 手にしていた拳銃を放って予備にするようにと言い、椅子に腰をおろす。同系統の弾丸を選別して補充するが、本当にバラバラの寄せ集めばかりで苦労した。

 四人が裏に回ると、腹位の高さに四角い盛り上がりが確認できた。取っ手にシーツを縛りつなぎ合わせると中へたらす。途中踏ん張りやすいように、団子を作るのを忘れない。


「ではお先、リーダーは最後にどうぞ」マロリーがこれは下っ端の仕事です、と先発を申し出てそのまま承認された。するすると降りていき、蓋に耳を当てて音が聞こえないか意識を集中させる。


 コツコツと歩き回るような音が微かに聞こえる、やはり巡回なのか何なのか配備はしているようだ。


「階段で始めるように合図を送るんだ」


 ポワティエが頷いて、廊下の端で手を振って開始を伝えた。十秒程で拳銃の発砲音が聞こえて、少しすると喚声と消火器が出す、シューっというガス音が届いた。椅子や食器を派手に落として、活動をアピールする。

 マロリーが蓋を少し開いて様子を見る。近くにいた奴らが消えたのを確認すると、グイっと蓋を開けて廊下にと降りる。

 手招きをして仲間を呼び込みその間左右を警戒していた。


「南側通路は川沿になる、少しでも太陽を正面にしないためにそちらを行こう」


 問題は最後の廊下である、直線で見つかれば二進も三進もいかない状態に陥ってしまう。


 ――ここが勝負どころだろう、どうにかして突破せねば。


「リーダー、この料理を運ぶためのキャスター使えないですか?」ポワティエが、ローラーがついた台車を見つける。

 かなりの重量を一気に運ぶことが出来る代物である、厨房隣に複数置かれていた。


「拳銃弾程度なら」他に立てられているテーブルの厚みを見て「止められるだろうな」


 動く盾を四つ作り、それぞれが押して廊下を進んだ。ぱっと見では何か荷物が置かれているようにしか見えない。


「なあ、アレだがあんな場所にあったか?」


 ロビーで階段の煙と格闘しながら、目を細めて相棒に廊下の先のテーブルを指摘する。


「ん、どうだったかな?」


 そちら側は巡回の者が担当していたので、まったく記憶になかった。何よりも目の前の銃撃に忙しい。確信が持てないまま少し撃ち合っていると、それらが近くに来ているような気がした。


「動いていないか?」


「何!」


 手を休めて暫し注目していると、確かに姿が大きくなってきているではないか。


「あれは敵だ! モハメドに、いやヤセルに知らせるんだ!」


 この距離では、よしんば弾丸が届いても貫通はしないだろうと、近付いて来るテーブルを睨むしかなかった。徐々に傍にやってくるのを不気味に思いながら、遮蔽物の角度を変える。上から撃ってはくるが、階段からは一向に降りてこないので、おかしいなとは思っていたのだ。廊下の奴が主目的だったのだろうと考えが及んだ。


 ヤセルは部下を連れてすぐに南側廊下へ向かった、その頃にはかなり近くまでソレが来ていて渋い表情を作る。


「反対側から二人進んで挟み撃ちにするんだ!」


 幾つテーブルがあるかはわからないが、回廊なので数分で挟撃可能だと判断して走らせる。


 ――どこから入り込んだんだやつらは!


 疑問はあっても目の前の状況こそがすべてだと、階段正面の防備を少し割いて廊下へと引き寄せるように命じる。

 今までじりじりと動いていた物が、一気に加速して突っ込んできた。遮蔽物にそのまま突っ込むと、派手な音をたてて転がる。同時に隠れていた者たちに異変が起きた。湯が飛び散り粉が舞う。残りのテーブルも勢いよく衝突して、混乱に拍車がかかる。

 そこを狙って銃撃がくるが、くしゃみが止まらずに中々狙って反撃が出来ない。


 ――熱湯に胡椒と小麦粉だと!


 我慢しながら発砲を続けるが、狙いがそれて窓ガラスを撃ち抜くなど、あさっての方向に飛んでいってしまう。ようやく迂回の二人が回りこんだ時には、何がどうなっているかまったく不明の状態になってしまっていた。


「グッジョブだポワティエ」島が短く若者を褒める。


 狙いを大してつけずに乱射しながら、廊下の防衛部隊をスルーして、階段下で対応しているやつらを横から一気になぎ倒す。敵を間に置いての射撃は同士討ちが懸念されるので、一瞬躊躇したのが最後だった。

 橋頭堡を確保したので大声で上の連中に伝える。先頭が階段を下りたところで、島らはフロント先にある事務所に向かった。流石にこうまできたら無理を悟ったのか、ガルバニ――モハメドも通信妨害を解除して爆破をしようと作業に集中していた。

 一斉に突入し「アフ!」と島が叫ぶ。短機関銃の一連射が迎え、それぞれが机の影に身を隠す。その間にも器械のシャットダウン処理が行われていて秒読みに入っている。

 モハメドが数秒を稼ごうと、もう一度連射をして反撃不能になるよう室内を制圧射撃する。拳銃では到底対抗出来ようはずもない。


 ――距離は十メートル以内だ、目くらましにはなるだろう!


 ポケットに入れていたヘアスプレー缶を手にして全員に視線を送る、次の瞬間天井近くにまでふわりと放った。拳銃で一斉に射撃するとそのうち一発が缶を貫く、ガス爆発して蛍光灯の破片を降らせる。


 片手で咄嗟に頭を庇おうとする男を島が撃ち抜く、手にしていた短機関銃のトリガーが指に引っかかり、部屋中に弾丸が撒き散らされた。

 焦げ臭い中をマロリーが飛び出して、倒れている敵をうつ伏せに拘束する。ベッケンは伏せていた中年男性の傍に寄って、他に敵がいないかを警戒した。発信直前で準備されている携帯電話を、ポワティエが確保する。


 ロビーが一気に騒がしくなった、拳銃ではなく口径の大きい銃声が聞こえてくる。扉から「カラビニエリだ!」と軍警が突入してきた。黒地に赤線の入った制服が特徴的だ。

 一階のテロリストらは掃討されて人質が保護される、二階からも婦人らがぞろぞろと降りてきた。


「武器を持っている関係者はここに集まれ! 事情を聞かせてもらうぞ」


 厳しい口調で将校が文化遺産の破壊行為を責め、君らも加害者側だと戒める。ベッケンに支えられて中年紳士がやってきた。


「助けてくれてありがとう御座います。ネーデルランド元公使のルッテです」


 異臭漂う島に丁寧に礼を述べる。


「結果として助けられただけです。ニカラグアのイーリヤです」


 自身の艶姿を鑑みて、握手や抱擁は控えようと苦笑した。


「チャイニーズかと思いましたが、ニカラグアでしたか」驚きを浮かべる。


「良く――」

「良く言われます、でしょ」

 島が言葉を先回りされて、女性の声がする方を振り向いた。どことなく見覚えがある姿である。


「パラグアイでは私が助けられましが、今度はお父さんを助けてくれて、ありがとうございます!」


「あ、君はあの時の!」


「アンネ・ルッテです」


「何と君が娘の恩人のイーリヤさんでしたか! その節は世話になりました感謝しています、いやもう言葉だけでは表せません」


 元公使がうーむと唸る。島にしてみても何故彼女がこんな所にとの疑問が尽きない。


「何をしているか貴様、早くロビーで並べ!」軍警軍曹が高圧的に注意を行う。

 横柄な態度を見てマロリーが割り込む。


「ロイヤルネイビーのマロリー少尉だ、軍曹案内しろ」


「失礼しました、少尉殿」


 こちらへどうぞ皆様と先導を買って出た。


 ――やれやれ無かった事して出国出来そうにもないなこいつは。


 ロビーには志願して戦った者たちが、まるで犯罪者のような扱いを受けていた。


「お前らもここに座れ!」


 中尉の徽章をつけた将校が振り向きもせずにそう命令する。


「おいアヴァロン中尉じゃないか?」


 島が横顔を見て思い出す。カッシーニ大尉が死亡して、昇格したのを覚えていた。


「ん、誰だ? ……あ、イーリヤ中佐殿!」


 相手が誰か気づいて遅れて敬礼をした。マロリーらも驚いて島を見る。


「これはどういう仕打ちだ?」


「は、文化遺産を破壊した下手人でして」


「それでは俺がその筆頭だな」


 中尉が難しい表情を浮かべる、そこへルッテが進み出た。


「私はネーデルランドの元公使ルッテだ。中尉、彼らは私を助けるためにテロリスト相手に奮戦してくれたよ、その間イタリアは何をしてくれたかな?」


 非常に答えづらい言い方をされて、中尉が尻込む。一度追い出しはしたが、マスコミが外に多数うろついているので、判断を誤るとすぐに取り返しがつかない報道が世界に広まってしまう。


「では……自分はどうしたら?」島とルッテの間を、視線が行ったりきたりする。


「なあ中尉、英雄になってみないか?」


「は?」


 イタリア放送協会、RAI――ラジオテレヴィゾーネイタリアーナは大々的に事件を報道した。

 国家軍警察のアヴァロン大尉(当時中尉)指揮する特殊部隊が、ホテルを占拠したイスラム主義武装組織を撃破。人質を全員保護したと。

 中でもネーデルランド――オランダ元公使が含まれていたことで、オランダ政府マルク・ルッテ首相は、遠縁の同族を救ってくれたイタリアに強い感謝と支持を与えた。文化遺産を破壊したのは残念ではあるが、人命には替え難いと声明をまとめると、民衆はそれを受け入れる。

 むしろイタリアでは事件の裏がどうとか文化遺産がどうではなく、新たに生まれた英雄についてのみ盛り上がっていた。国民気質と言うのだろう視点が違う。


「イーリヤ大佐、自分はあなたに会うたびに昇進するようです」


 笑みを浮かべて、創られた英雄が握手を求める。


「なにその場に居合わせたのが君で大助かりだよ。もし石頭なら、俺たちは今頃留置場だろう」


 それでは大尉、と別れると待っていたルッテが声をかけてくる。


「ねぇイーリヤさん、国に戻るのだけど、このまま遊びにきませんか?」彼女がそう言うと父親も大歓迎すると言ってくれた。


「どうするレティア?」


「別に予定なんて変更しても構わないさ。来てくれって言うんだから、行こうじゃないか」


 海沿いで温暖な地域だと説明されたので、それならと納得する。


「ではご一緒させて頂きます、閣下」


「閣下はよしてくれイーリヤさん、ルッテで結構」いやそうなると娘と被るか? 等と呟く。


「じゃああたしをアンネって呼べばいいわけね!」そうしましょうと喜ぶ。


 ――まあそういうことにしておこう。それにしてもどこへ行っても俺は争いばかりだな。


 そんな悩みをずばり見抜いたレティシアが言う。


「退屈しないでいいじゃないか、トラブルは起きるものだよ」


「別に毎度起きなくても俺は構わんのだが」


 肩をすくめてそう自嘲する。今思えばダストシュートから外に逃げるだけでも良かったと。そうなれば全員が無事かどうかはわからないが。


「そういう宿命なんだろう」


「厄介ごとが手を繋いで歩いて来るわけだ。ご大層な宿命だな」


 ため息をついてタクシーに乗り込む、空港まで何もありませんようにと、あらゆる神に祈る島であった。




 オランダのアムステルダム。昔から風が強いのが有名で、風車が象徴的である。干拓地が非常に多く、海抜に対して敏感な国でもあった。ルッテの誘いを受けて入国すると、自然の薫りが外に漂う。


「お花畑があちこちにあるのよ」


 アンネがチューリップが一番多いかもと付け加える。会話は終始スペイン語を使っていた、パラグアイに赴任していたのもそのせいであるらしい。

 オランダ語を一部は理解できたが、それはアフリカーンス語と重なっている単語のみである。


「花に風車か、石造りの建物と相まって中世を感じるね」


 国土は小さくても海運国家だったおかげで、列強よろしく実力以上に力が発揮されていた歴史がある。その為に第二次世界大戦を別にして、戦争は国土を荒らすようなものではなかった。

 もっとも大戦でもあっという間に降伏だったので、戦禍は少ない。


「バランスが良いんだよ、多分そういうことだ」


 辺りを見回してレティシアがそう評する。


 ――相変わらず直観する力が強いな。観て何かを感じさせるならば俺など全く及ばん。


「まあ田舎臭いと言われたりもしますがね、私は好きなんですよ」


 ゆっくりと時間が流れるようなのが特に、とルッテが小さく頷く。二階建てのバスが目の前を横切る。


「さっきのは上にしか座席がないんですよ、下はフラットでユニバーサルデザインなの」


 一階部分は車椅子がそのまま使えるようになっているらしい。ついでにハイブリッドカーで、排ガスにも配慮されているそうな。


「社会全体に余裕があるわけだ。生活が落ち着けば人の心も落ち着く」


「お前はどこかの学者か。緩めの仕事がありゃ、誰だってそうだろうが」レティシアがそう一蹴する。


「何故緩め?」


「知らないよ、何と無くそう思っただけだ」


 細かいことでぐだぐだ言うなと、一刀両断してしまう。


「それはお嬢さんの経験からくる、熱いバイアスでしょう」何を言われたか理解できずに眉を寄せられる「あなたの暮らしていた地域では失業による貧困が多く、それによる犯罪が多かった違うでしょうか?」


 それはそうかも知れない、と肯定はするがやはり意味は理解不能だ。


「えー、つまりは緩めの仕事とは、生きるに何とかなるといった意味合いだと推察します。最低限それが満たされるならば、人は無謀な真似をしないと感じたわけでしょう」


 何だかよくわからないまま、ルッテの独壇場が続く。


「反対にイーリヤさんは、満たされた世界でお育ちになったのでしょう。だから社会が育てば人の心が落ち着くと、こちらも認知のバイアスでしょう」


 結論に辿り着いてご機嫌になるが、二人としてはどう反応してよいかわからない。


「ごめんなさいね、お父様ったら大学で社会心理学の教授をしてましたの」


 アンネが代わりに謝罪してから、得意気になっていた父に冷水を浴びせるような視線を突き刺す。彼もまた逸脱して失敬と、にこやかに謝罪する。


「いえ謝られるようなことはなにも。一つ質問なのですが、例えばそこに宗教があって育った者は、常にどうあれ何かを比較してしまう……と言うか、そんな癖が出てしまうものなのでしょうか?」


 今度はルッテがポカンとしてしまう。


「それは」少し考えてから近しい答えを口にしようとして「非常に興味ある話だよ、じっくりと検証してみたい」


 夜に酒を飲みながら検証の続きを行い、最後にはルッテが酔い潰れてお開きになった。


 ――アルコールには弱いらしい。


 その後苦笑して毛布を肩からかけるアンネに、お休みを伝えて部屋にと入った。一応ニュースをチェックしようとテレビをつける。すると深夜のせいか、はたまたお陰かアフリカ奥地の話題をあげていた。


 ――M23のルゲニロ司教が追放されて、後にマケンガ大佐が降伏しただって?


 意外であった。ンクンダが力を弱めた上に政府が折れることもあると証明されたのに、大して被害もない奴らが何故、と。評論家とやらが出てきて勝手に、限界に達したからだの何だのと喋っていた。


 ――理由はわからんが、力を持ったままの勢力が宙に浮いたままになるわけがないぞ!


 噂通りならばンタカンダ大将がそれを掌握するのだろうが、実際どうなるかは予測がつかない。すぐに次のニュースに移り変わり、ロシアとグルジアについての内容となってしまう。

 緊急事態が起きれば、どうにかしてロマノフスキーなりが知らせるだろうと、その日はぐっすり眠ることにした。


「私たちがご案内いたしますわ」


 ルッテ父子がハーグ観光を申し出てくれた。ハーグと言えばニューヨークに次いで国連機関がたくさんある都市で、アムステルダムやロッテルダムの次に大きなところである。一応首都はアムステルダムにはなっているが、実際の首都機能はすべからくハーグにあるらしい。


「電車ですぐです。景色を楽しみながら行きましょう」


 自動発券改札などにレティシアが四苦八苦し、笑ってはいけないのに焦り具合を笑ってしまった。車内からは田園風景が連なっている、ジャガイモ畑がたくさんあるそうな。


「実はお二人に会って、唯一残念なことがありまして」神妙な顔付きになって「イーリヤさんにはすでに相手がいたというね」娘は亡き妻に似て見た目だけは自信があったのですが残念、と口にした。


「おっ、お父様!」


 顔を赤くして怒る彼女は、確かに可愛らしかった。一方でレティシアだが、そっぽを向いてしまいよくわからない。


「コーヒーを四杯下さい」


 売り子に声をかけて空気を切り替える、彼にはなんら悪気がないのだから微笑で返すしかない。


「ハーグと言えば国連と陸戦条約が有名ですが」


 他にどんなのがあるのかと問う。


「まずハーグという名前ですが、オランダ語でスフラーフェンハーヘと言います」


「えーと、伯爵?」


 類似の単語がそれしか浮かばなかった。


「伯爵の生け垣だろ」レティシアがコーヒーに口をつけながら答える。


「そう正解、元は伯爵の領地だったわけです。もしかしてレヴァンティンさんはオランダ語が?」


「ヤー。ホーランセ ランスハップ スホーン。ウェトケ ターレレ スプレーク イェ?」


「イク ヘート ネーデルランズ エスパニョーラ」


 ――そうだったのか流石レティシアだな、しかしオランダ語は微妙だが二割はわかるな。


「降参してもよいが、そのままオランダ語でも俺は構わない。何せ多少の説明があれば半分は理解出来そうだ」


 世界では比較的マイナーな言語にあたるが、日本人の為に、オランダ語自体の名前はどちらかというと聞き馴染みがある。オーストリアあたりのマジャール語や、イランのダリー語やらペルシャ語よりは免疫がある。


「楽しみながら語彙を増やしたらよいわ。一つずつでも混ぜながら話したら、クイズみたいかも」


 全く不明よりは島も理解しやすいので、それを受け入れる。


「実はアフリカーンス語なら少しわかるんだ。だから若干は意味が通る」


 そもそもアフリカーンス語とは、南アフリカに入ったオランダ人が、現地語とオランダ語を混ぜて作った言葉なのだ。


「それは珍しいですな。しかしフランス語や英語も話してたようですが?」


 何かの聞き間違えかとすら思った、言葉と言うのは大多数が困るある種の壁である。


「趣味ですよ、ほぼ軍隊用語中心で現地の雑談程度です」


 事実高校入試みたいな難解問題には、全く太刀打ちできないだろう。


「それにしたって努力は報われるものです。つきました、スヘフェルニンゲン地区です。冬では寂しいですがね」


 ホームを歩きながら砂浜を指差す。


「夏になればヌーディストビーチですよ、今日は美術館を目指しますが」


 北海に面した海岸線は砂浜で、暖かくなると大勢の賑わいを見せるらしい。響きが胸に刺さるね、と笑いながら十分程歩くと建築が美しい美術館に着く。


 ヨーロッパは歴史の宝庫だと思い知らされ外に出る。少し歩くとまた素晴らしい建物が見えた。


「あれは?」


「クルーハウスホテルです。百年以上前からあるんですよ」


 文化遺産は少しの間遠慮しますと苦笑した。他にも国会議事堂前の水路が美しかったり、公園部分のみではあるがハウステンボス宮殿を観て回った。


「これを見たらわかるが、南米は百年以上遅れているわけだ」


 その差が縮まるのは半世紀はまだまだたっぷりかかるね、と独りごちる。


「何も先頭集団を走る必要はないさ。走り始めたら足を止めるわけにはいかなくなるからな」


 発展の代価は維持にもかなりを求めてくると表す。開発しそれを保つのは、後ろから追い掛ける数倍の苦労を伴うものだ。


「程々が一番難しいものです。並み居るなかで一つ頭が出ていれば、また問題もあるでしょう」


 イスラエルや香港、ルワンダあたりなどもそうだとルッテが指摘する。


「難しい話ばかりでなく、ちょっとここどうかしら?」

 視線の先にはシーフードが多彩と書かれたレストランの看板がある。


「うむ、ではそこに行ってみよう!」


 言葉に甘えて暫しオランダを楽しんだ二人は、ベイルートへ飛んだ。

 いつものようにアーメドを呼び出すが、今日は他に仕事もないのでワーヒドに行って、三人でテーブルを囲むことにした。


「また突然悪いね」


「いえ社長業なんて社外にいてなんぼですよ。今回はお連れは?」


 女性は同じだが取り巻きがいないので触れてみる。


「郷に返したよ。デートの最中でね」笑いながら彼女を紹介する。


「あっしはアーメド、タクシー会社の雇われ社長をしてます。前々から島大佐にはお世話になってまして」


「軍人がタクシー会社を?」


 そんときは何をやっていたんだいと詰問する。


「ツアー客を空港から基地まで面倒みてもらっていたわけさ。客は助かるし仕事も生まれる、俺達も集中できていいだろ」


 ウインウインの関係だと説明し、客の一番太い相手が日本の齋藤議員――警備会社だと加える。


「だから教導教官かい。まあこの手のノウハウは、不穏な国ほど経験があるからね」


 流れに納得して売人の素質もあるだろ、とまぜっ返してくる。


「今更ですが、観光ならば案内致しますが」


 料理を口にしてから、やってきた理由を思い出す。


「昇進祝いに何も贈れてないのに、要求ばかりで悪いが頼めるかな?」


 なかなか適当な仕事もなくてまわせないと謝罪する。


「お気遣いは無用です、会社は順調で生活も安定してます。お代は遥か昔に頂いていますよ」


 無論追加の投資はいつでも歓迎だと、商売人としての売り込みも忘れない。やはりレバノンも海岸線がリゾート地だと薦める。地中海沿いなので真冬でも温暖、工業地帯が少なく空気も綺麗だと太鼓判をおした。


「ジェットスキーなどは?」


「もちろんご用意出来ます、興味がおありで?」


 ちらりと彼女を見て「雪の上と比べてみようかと思ってね」興味ありを伝える。なんとあのレティシアが少し躊躇った。


「何でも比べようとするのは良くないぞ」


「それはそうだが、折角来たんだから乗ってみようじゃないか」


 どうにもはっきりしないままうやむやにしようとする。


「そうだ、お前と約束したよな、戦車だ戦車に乗ってみたいぞ!」


 ジェットスキーと戦車では、あまりに守備範囲が違いすぎる。


「んー、閣下に頼んでみるか。アーメドすまないな」


「暖かくなったらまた考えていただきましょう」


 食後に司令部にお送りしますと請け負う。


「今夜酒を飲みながら話したいが、都合はどうかな」

 義父を紹介するよとコネをつけさせてやろうと試みる。


「それはありがたい! してどちらに?」


 少し考えてから全く店を知らないのに気付き、コンチネンタルを思い出す。


「コンチネンタルホテルのレストラン、俺の奢りで招待するよ」


 前にハウプトマンらと使った時に満足したのを思い出す。ワーヒドかあれかの択一である。


 ――そうだワリーフも呼ぼう、それだけではアーメドが居ずらいだろうから、ハウプトマン大佐もだ。


 予約を入れておかねばと電話を借りようとして、流石にここで他の店をリザーブは失礼だろうと、司令部に行く前に寄り道をしてもらうことにした。復興が進んでいた、イスラエルからの攻撃が収まっていると表すべきだろうか。

 それにしては少しばかり緊張感が街にあるような気もした。


 通いなれた司令部正面口、門衛二人がいつものように立っている。見回りの下士官が姿を見せたので声を掛けようとすると、逆に駆け寄ってきた。


「モン・コロネル!」


 曹長がやってきて敬礼してくる。訝しげに答礼する。


「君は?」


「先年、閣下に口添えいただいた者でして、昇進しました」


 ――あの気が利くと言った軍曹か。


「そうか勤務ご苦労だ。閣下にイーリヤがきたと面会許可を頼めるかね」


「許可は不要です。どうぞお通りください」


 自分の判断で通過を許可可能な人物が予め決まってまして、と案内してくれる。今回は初めてエレベーターを使った、どうやら婦女子が居たためらしい。

 こんな造りになっていたんだと小さく感心して、総司令官室に向かう。三度ノックして扉を開けた。


「イーリヤ大佐入ります」


 声をかけると、既に椅子を蹴って扉に向かい歩いていたのに驚く。


「龍之介、よくぞ無事で戻った!」


 両手を開いて抱擁を求められたため素直に応じる。


「皆の協力のお陰で何とか生きています。お久しぶりです、義父上」


 レティシアに対しては慎みを持って接する。


「レヴァンティン君、いつもありがとう」


「息子を甘やかし過ぎは良くないが、確かにこいつはよくやった」


 何と返したら良いかわからずに島の評価を述べる。座りなさいとソファーを勧める。専属副官大尉が隣室に来客を告げた。


「実は休暇を頂きまして、あちこち回ってました」


「任務の後にある休暇は楽しむべきだよ」

 命の洗濯だと、しっかり遊ぶように言われて苦笑する。


「ワリーフはどうしてますでしょう? 今夜コンチネンタルで食事を予約してきましたので一緒にと、紹介したい人物もいまして」


 予定があるならば部下の将校でも頼もうとする。


「私は良いよ。ワリーフは無理だな、現在シリアとの国境警備に行っていてな。ヒズボラを通過させない意味もあるがね」


 ――国境警備師団だけでは足りないだろうな。世界の注目が集まる地域だけに経験になる。


「後方司令部勤務でしょうか?」


「それが前線部隊だよ。国境守備連隊中央大隊の副長」本人が希望したもので承認したという。


 第二はトルコ西側で、第三は東側山岳部だと付け加える。


「通るとしたら中央なわけですか。他に国境警備師団も薄く広くですね」


 何せ国境は広い。通過が出来ない地域――雪山や断崖は放置で構わないが、陸地は常に監視が必要になる。


「他に南レバノン国境付近も警戒中だよ。機甲部隊が首都になければ、クーデターだって怪しいものだからね。機械化歩兵も三分の二が南だ、ヒズボラが活気付いていてほとほと手を焼いている」


 ――内側はそれなりに治安が保たれているが、外側に脅威か。逆より遥かにましだろう。


 壁に掛かっている地図を指差して、専属副官に拡大図を用意するように命じる。隣室に準備されていたようですぐにテーブルに広げられる。


「トルコから自由シリア軍がシリアに前進した、はっきりしないが司令部は西の端辺りだろう」


 自由シリア軍とは反政府勢力の一つで、最近はトルコに拠点を置いていた。戦況の変化と国際社会がトルコを巻き込むな、とうるさくなってきたので居心地が悪くなり拠点を動かしたのだろう。


「南西シリア外郭にはイランイスラム革命防衛軍、本気は出してないようだから偵察軍だろうが、確認されている」


「自由シリアとヒズボラは敵対しているわけですよね?」


 政権を助けるために越境しようとするわけだから、立場が反対だろうと確める。


「そうだ、だが両方とも我々の敵ではあるがね」

 イランイスラム革命防衛軍もだと、殆どを敵としていた。それにしたってシリア政府がレバノン政府を傀儡としていた事実もある、どれが味方になりうるのか部外者には判断がつかない。


「閣下としては、どのような決着がお望みで?」


 答えから逆算するほうが、或いは理解しやすいかも知れない。


「そこが難しい、どうなれば一番良いかがはっきりしないんだ。だからレバノンとしては不法入国を取り締まり、国境近隣に流れ弾がこなければ取あえずは満足だ」


 自国内だけで達成可能なあまりに細やかな願いである。


「アメリカが艦上から攻撃を計画したそうですが」

 ニュースでも報じられている、つまりはそれ自体が牽制である。やるやらないは別として圧力というやつだ。


「我々に断る権利はないからね」


 あけっすけに事実を認める。その裏に開発援助やらがちらついているのだろう。


 ――まてよ街中の復興財源はもしかして?


「それで増援なわけですね。総予備がかなり薄くなったと聞こえましたが」


 機械化部隊が殆ど無いならば、近隣の部隊を寄せてスライドするしかない。空輸では百人が精一杯だったはずだ。


「現地での努力か十日程の時間か、どちらかだろう」


「陽動の一つでもかけりゃ」横からレティシアが割り込み見解を述べる「あっという間に兵力不足だね」


 戦力増強には金が掛かる。安く仕上げれば歩兵に偏り、機動力はどうにもならない。場所が恵まれていれば列車を併用すればかなりまで補えるが、国家への侵略ではなく国境守備については不適切な話だ。


「あるものでどうにかするさ。ワリーフが不在でしたら、ハウプトマン大佐の他にどなたか招きましょうか?」


 大佐が来るのを既成事実のように扱う。無論この後に寄るつもりだが。


「君が良ければだが、スライマーン氏を呼べないだろうか」

 甥っ子のマフート・スライマーンだよと。


「駄目を承知で良ければ誘ってみましょう」


 よろしく頼むよと軽く腕を叩く。


 ――大統領選挙に向けての顔合わせか、協力してくれたら尚嬉しいね。


 フロアーを移りハウプトマンのオフィスに向かう。未だにドアを開けておく習慣は変えていないらしい。


「イーリヤ大佐です、失礼します」


 手前から敢えて足音が聞こえるように近付き、名乗りをあげる。


「うむ久しいな大佐、それとお嬢さんも。掛けなさい」


 ハイネケンだったねと自らビールを取り出そうとする。彼女も流石に悪いと思ったのか、慌てて要らないと断った。


「先程閣下のところに挨拶に行ってきました。シリア情勢は定まらないようですね」


 うむ、と腰を下ろして答えを模索する。


「我々が介入するわけにはいかない、かといって放置も出来ない」


「内戦とは言っても幾つか外国が関わっていますよね」


 内戦の定義が違うとかではなく、現実として外国勢力が出入りしている。


「そこが難しいところだよ。誘い込まれるとレバノンまで疲弊してしまう、政府の見解は内戦で、軍はノーコメントだ」


 ――そうか、巻き込むためにわざわざちょっかいを掛けてくる可能性があるわけだ。


 弾除けに何か用意があれば一安心である。


「軍に協力するような民間組織があるのでしょうか?」


 腹の読みあいは不要と、直球で質問する。


「無くもないが使い物になるかは未知数だ。レバノン市民義勇軍、この場合は民間防衛組織に近いが」


 ミリシアまたはそれに至らないような郷土警備団体、国益ではなく住民の利益を優先する集まりだ。このミリシアで精強なのが、アメリカ州軍だろうか。


「練度が低い? 忠誠度でしょうか……」


「両方だろうな。数だけは集まるが、単独での運用は無理と考えている」


 ――兵力として頭数を追加する為だけならばか。正規兵とバディを組ませれば運用出来るだろう、過信は出来ないが。


「おいもう一件あるんだろ、先に用件を伝えたらどうだ」


 レティシアが仕方のないやつだな、と目的を思い出させる。


「そうだった。ハウプトマン大佐、今夜コンチネンタルホテルで食事をいかがでしょうか、閣下もいらっしゃいます」


「参加させてもらうとしよう」


 続きはそこでしようと話を切り上げる。どちらともなく敬礼し、二人は司令部を後にした。


「お前はどうしてすぐに戦争の話になるんだ?」


 そう言われて返す言葉もない。


 ――何なんだろうな、俺にもわからん。


「最近そんなのばかりだったからな、平和になると困るやつは自分かも知れんぞ」


 戦争のない世の中で、自分に何が出来るだろうと考えてしまう。


 レティシアが呆れて腰に手をあててため息をつく。


「頼りになるんだかならないんだか。で、スライマーンとやらはどこにいるんだい」


「ん、ああ、もうかれこれ八年もあっていないな。多分大統領府だよ」


「多分……ダメだこいつは」


 まあ好きにしておくれ、彼女は首を左右に振って黙ってしまう。

 首都の重要施設は大抵近くに集められている。保安上の理由もそうであるが、緊急時に集まりやすいようにとの配慮もある。

 歩いて目的地を探したが、さほどかからずに到着してしまった。大統領府の門には軍兵ではなく警察、それも制服がたっていた。文官の組織であり軍とは切り離して存在する為に、内務省直轄の組織である警察を警備に使っている。

 制服なのは単純に見た目を求めただけで、門衛は警部補以上の歴年者があたっていた。


「そこのお客人、この先は許可なく立入は禁止になっています」


 警官が二人を止める。言葉は優しく威圧的な態度でもない。


「取り次ぎをお願いできないでしょうか。マフート・スライマーン先生に、教え子の島が訪ねてきたと」


「スライマーン補佐官の教え子ですか?」


 彼は島よりも少し年下である、警官が疑うのも無理はない。


「ソルボンヌでアラビア語を教えて貰いましたので。お忙しいならば連絡先だけでも」


 確かに外国人が使うアラビア語にしては、やけに礼儀正しい言葉の綴りだと納得する。確認してみようと、守衛室からどこかに連絡してくれた。


「本場仕込みのアラビア語ってわけだ、そいつは良いね」


 スライマーンが女だったら笑い話になったのにな、と面白がる。


 ――そうならないようにしたさ。だがあの時それに気付かずに女性を雇っていたら、どうなっていたことやら。


 案外それはそれで大事だったなと心中で頷く。


「島龍之介さん、スライマーン補佐官が受付にいらっしゃいます、ついてきて下さい」


 警官の言葉に従い、二人は府内へと歩みを進めた。


 監視つきで暫し待つと、数人のグループが近づいてきた。若かりし日の面影を残したスライマーンである。


「島さん、よく私を訪ねてきて下さいました、ありがとうございます」


「スライマーン先生、ご無沙汰しています。突然の訪問申し訳ありません」


 どうやら本当に顔見知りだとわかったので、警官が門へと戻って行く。応接間へと案内して再会を喜ぶ。


「活躍は耳にしております、あなたはやはり素晴らしい戦士です」


 大きな声では内容は言えませんが、と笑う。


「確かに大っぴらには出来ませんね。不躾で申し訳ありませんが、今夜コンチネンタルホテルで食事をいかがでしょうか、ハラウィ軍事大臣もお出でになります」むしろ彼からのご指名ですよと明かす。


「ハラウィ大臣が私を? 光栄です是非とも伺いましょう」


 期待した返事を常に返してきてくれる好青年っぷりは、今でも全く変わっていなかった。


「話は変わりますが、スライマーン補佐官と聞きましたが」


「はい。スポーツ文化大臣補佐官を拝命して居ります」二級公務員ですと待遇を説明する。


 因みに一級公務員が大臣や長官らと言うので、二級だからと下がるものではない。日本ならば次官にあたる位なのだろう。


「そう仰有る島さんは、現在何をして居られるのでしょうか?」


「自分はニカラグア共和国の軍人を、イーリヤ大佐です」


 さらりと述べる。島大佐ではなくイーリヤ大佐と表した。


「なるほど、左様でしたか。あなたは戦士であると同時に、マッシーフでもあるのかも知れませんね」


「マッシーフ?」


「救済者ですよ。アスカリ・マッシーフ・アル=イーリヤ、荘厳な感じがするでしょう」


 爽やかな笑いで名前を作る。確かにそれっぽい響きがある。


「自分に出来ることをしたまでです。これまでも、これからも」


 分を越えたことは遠慮するつもりだと、控え目にしておく。


「それでは出来ることを増やしていきましょう。私にも協力させてください」


 にこやかにそう申し出て、執務が残っているため続きは今夜と席をたつ。供の者が外へ送りますと、わざわざ案内まで残して去っていった。


「あれもあんたと同類だね」


「どのあたりが?」島が似ている部分なんてあるかと訊ねる。


「二人ともタラシだよ、間違いない!」


 コンチネンタルホテルは、イスラエルからもヒズボラからも攻撃を受けない聖域としても価値を持っていた。無論レバノンが害することもない。上層階に部屋をとって、ホストである島が皆を待つ。


「今夜はここで泊まりだ」


「夜行で移動すると言われるかと思ってたよ」


 時間を見計らい予定を詰め込む癖がある、何せぼーっとしていられない。意外や意外、スライマーンとハウプトマンが一緒にやってきた。


「今晩は、どうぞお座り下さい」


「ハウプトマン大佐と下で会いましてね、一緒に参りました。ご招待ありがとうございます」


 儀礼的な挨拶を交わしてハラウィを待つ。すぐに彼も現れて一番奥にと座った。


「紹介致します、こちらパラグアイにあるエンカルナシオン市の防衛と治安を司るミリシア、エスコーラのトップ、レティシア・レヴァンティンです。そちらレバノンのスポーツ文化大臣補佐官、マフート・スライマーン」


 互いの間での紹介がなされていない二人を島が仲だつ。ミリシアは想定外だったのかスライマーンがほぅ、と口にした。


「それともう一人、レバノンのタクシー会社社長アーメド・ラフリィ。彼なくして自分はありませんでした」


 スライマーンには何故タクシー会社社長が同席するかわからなかったが、大臣らが納得しているので詮索しないことにした。


「遠い地からレバノンへようこそお出で下さいました、我々はお二人を歓迎致します」


 何ならまた住んでみませんかと誘いを受ける。


「ありがとうございます補佐官、まだまだ行ってみたい土地が沢山あるので、少しばかり先になりそうです」


 如才なく受け流す、共通語はフランス語と言うことで、それを使うことにする。


「レバノンの重く暗い過去は年寄りが一手に引き受ける、若者は未来を明るくするのに全力を注いでもらいたいものだ」


 食前酒を口にして誇れない歴史を思い起こす。


「私も軍では老兵の側です、これからは島大佐の時代ですな」


 口数少ないハウプトマンではあるが、機をみて言葉を挟む。


「そんな自分も気付けば平均を吊り上げる側に仲間入りです」

 総司令部や軍務省ならばぎりぎりかも、と笑いを誘う。


「このような席に場違いな私が、申し訳ありません」


 アーメドが居心地悪そうにする。


「アーメドさん、あなたはレバノンの外国人観光客を国内で一番多く扱っているでしょう。国のためにこれからもお願いするよ」


 軍事ツアーのついでだが、違いはあるまいとハラウィが気を回した。説明を聞いてスライマーンも理由を広く悟った、頭の回転はお世辞抜きで早い。


「世界にレバノンと言う国を発信するには人が重要です。タクシー会社とは、大佐は良いところに目をつけられました。アーメド社長、長らく続けていただけたら私も嬉しく思います」


 レティシアがタラシと評価した彼は、初対面の人物を快く受け入れてくれた。


「私はキリスト教徒ではありませんが、今日ばかりはあらゆる神に感謝をしたいと思います」


 場が落ち着き料理が並べられて雑談が始まる。立場上面々が口にするのはスケールが大きいものばかりであったが。


「ところで島さん、ロマノフスキーさんは現在はいかがされていますか?」


 ふと思い出したのだろう、ベイルートの空港でも一緒だったあの男を。


「彼は某地で自分の身代わりをしてくれています。頼れる男ですよ」


 細部には触れない、しかし長いこと共に働いているのを嬉しそうに聞いていた。反面でレティシアは不満顔である。何せ敵対どころか命を奪いにきた奴なのだ、彼女の中では未だにそれは許されていない。


「世界は広い、レバノンより辛く苦しい生活を強いられている国はたくさんある、な」

 今更方向を変えるつもりはないが、島の話を聞くたびに考えさせられるハラウィが呟く。


「皆が皆すべて幸せになんかなれっこないさ、あたしは身近な者のそれだけで充分だ」


 それはまたそれで一つの答えだと皆が頷いた。女は現実をよりよく見ることができる、男は虚像をよく見ることができる。社会に限らず精神面でもそうなのだ、空間把握能力は性による差が大きいと証明されているが、原因までは特定されていない。


 ――この機会にアレを聞いておかねばならんな。


 食事が一段落して時計を眺める、お開きにするような時間になっていた。島が集まってくれたことに感謝を表して解散となる。


 席を立った者達を見送りつつ「大佐、少しよろしいでしょうか」ハウプトマンを呼び止める。


「レティア、先に部屋で待っていてくれ」


「わかったよ」


 二人でラウンジバーにと行く。腹が満たされているために、ブランデーをオーダーし唇を濡らす。


「呼び止めてしまい申し訳ありません」


「なに構わんよ、宿舎に戻っても誰が待っているわけでもない」


 自身の身の上に軽く触れる。佐官ほどになれば、外国であれ家族を呼び寄せるくらいは簡単なはずだ。


「ご家族はフランスでしょうか?」


 ハウプトマンが自ら話題にしてきたので訊ねてみる。


「らしいがもう暫く会ってもいないし話もしていない。全て私の責任だよ。して話は何だろうか」


「はい。グロックについてです」


 ここでその名前が出てくるとは思っていなかったようで、「グロック……」と呟く。


「現在は名誉陸軍最先任上級曹長として自分の補佐をしております。何度となく将校へ上がるよう話をしたのですが、頑なに拒否して……。大佐ならば何かご存知かと思いまして」


 ハウプトマンはブランデーを口に運び目を閉じた。島は黙って反応を待つ。もしこのまま口を開かないならばそれで終いにするつもりで。


「あれとは、私が少尉で部隊に配属された時以来の付き合いでな」


 遠くを見詰めたまま過去の記憶をさ迷う。


「フランスはルワンダ内戦に介入し舵取りをしくじった、私達はその戦場に居たよ。あいつはまだ入営したての二等兵で、私も青臭い新任で。戦争のことなど、これっぽっちも理解していなかった」


 ――そんな頃からの戦友だったのか、グロックは何も言わないからな。


「昨今ようやくフランスは当時の判断を誤りだと認め、ルワンダと和解しましたね」


 大統領が認めて正式に謝罪した、そうしてから前に歩みを進め始めた。


「うむ。だが当時はそれが正義だと信じて従った、罪もない者も沢山殺したよ。今になってみれば何故拒否しなかったかわからんね」


 三十年前後の経験を積んだものが考えるのと、初任が考えるのとでは全く条件が違うが、彼はそうは言わなかった。


「仕方のないことでは? 新人に何が出来ます」


 特に答えるわけでなく、また少し昔を振り返る。


「そうなのかも知れんが、少なくとも目の前で起きたことだけは何とか出来たはずだ。内戦から引き揚げてきて二人は別々の部隊に配属され、数年の後に再会した」


 それがレジオンだったと明かす。将校はフランス国籍が必要で兵士は逆である、不意に顔を合わせた二人はばつがわるかったと語る。


「グロックはドイツ国籍でしたね。今はニカラグア国籍も併せ持っています、フランスのはどうでしょうか」


 二重国籍は多々あり得るものなので、扱いがどうなるかは詳しくは触れない。


「……レジオンでは明けても暮れても訓練ばかりだった。個人を鍛えてどうなるか、答えは出ないままに。時は流れて私は少佐に、あれは曹長に昇進した」


 ――ということはエチオピアの辺りまでは在隊をしていたわけだ。


 自身の記憶に照らし合わせてみて時期を補正する。


「あれも私もとにかく考えることを伝えようと過ごしてきたよ。指示されたことが全てでは人は育たないと、無理難題を押し付けては見守るという訓練を繰り返した」


 ――激しく心当たりがあるぞ。結果文句は何もないが。


「自立した考えをさせ、肉体を鍛え戦士を育てるのが、我々に与えられた道だと確信して邁進した。時は流れて私が退役することになってあれは誓った、少しでも長く軍に残れるように下士官を続けると。将校にあがれば兵を育てることも出来なくなる、そうなれば目的を喪うとな」


 ――そういう事だったか、年齢による壁がフランスにはあるからな。


「ハウプトマン大佐、その誓いは今も生きております。ですがそれを破ることを認めては貰えないでしょうか。しかし目的は果たさせます」


 ふむ、と島を見る。その表情は真剣で、戯れ言を口にしている風ではないのがはっきりとわかる。


「島大佐、約束は守られるべきだ。だが――あれにとっての誓いを通せるならば、私は目を瞑ろう」


「大佐、ありがとうございます!」

 起立、敬礼し感謝を伝える。


 頑張りなさい。それだけ残してハウプトマンは去っていった。島はその姿が無くなっても暫しそのままでいた。


 ――グロックよ喜べ、お前と俺の希望の種は、こうまで大きく育ったぞ! 若者が今まさに飛び立とうとしている!


 島が部屋に戻ったのに気付いてレティシアが振り返る。


「ちょうどよ――お前、やけにいい顔をしてるじゃないか」


「なんだ今ごろわかったのか」


 生気みなぎるとはこのことだろう、生き生きと切り返す。今この瞬間ならば不可能はないとまで言い切りそうな位に。


「お悩み解決ってわけかい。たまには報われるべきだね」


 何があったかまでは問わない、知るべきならば話すだろうと。


「来て良かった」それにと一歩二歩近より「この想いを聞いてくれる者が居てくれて!」


 腰に手を回して力任せに引き寄せると唇を塞ぐ。いつになく強引に抱き上げるとベッドに運ぶ。


「男なんてのはそのくらい押しに押すのが丁度いいもんさ。あたしゃね強い男が好きなんだ、相手が誰であっても負けたら承知しないよ!」


「レティアお前もだ、宿命に抗うことは出来るか?」


「格好つけやがって何が宿命だよ。あたしはね、お前が負けない限りは何者にも屈しない、オチョアにもね」揃って無敵で良いじゃないかと笑う。

 島にとってレバノンがまた特別な場所になるのであった。


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