第四十七章 勢力共闘、第四十八章 選ばれし道、第四十九章 正義の行方
深夜にこっそりと要塞を出撃する部隊がある。北塞から出て難民居住区を迂回する形で、北西に向かってから南へと向かった。マリー大尉を筆頭に主だった将校は、エーン少尉を残して参加している。
レヴァンティン大尉とシーリネン大尉は別で、今日は要塞司令部に入っていた。
もう一人、ムアンク中尉は冷酷な眼差しで将軍の保護に命をかけている。出入りの際には自身の居室を通らねば、一切将軍に関知出来ぬように、一部を改装してまでの執念である。針のむしろで監禁に近いため、逆に島が近習に看護師を一人出して、精神的なケアを気にかける程であった。
だが行動や通信に不自由はあったが、生活には何ら心配が無いので、それ以上は無視しているのも事実である。何せ寝首をかかれるところであった事実はなくならない。
ンダガグ議長を通じて、夜間警備に特別な配慮をするように通達がなされていた。即ち南側を強化して、北側は秘密を守れるンダガグ族の直轄警備団によるパトロールを行えと。通報を受けても族長に全て集まるようになっており、数時間だけ出撃の秘匿は約束されていた。
――三時間で戦闘開始か、夜明けは俺でも咄嗟には対応出来んぞ。
個人的な面ではなく、部隊運用について思考を巡らせる。誰がどこにいて何をしているのかを確認してからの行動は、スタートをかなり後方へと遅らせる。それをいかに前に持ってくるかが、権利の委任による同時多発な事象への即応に繋がっていた。
今回の作戦で言えばマリー大尉に序列や移動経路を始めとし、開戦のタイミングから引き際までを一任している。事前に報告を受けた部分は承認してはいるが、始まってしまえば基本事後承諾である。
島は攻勢に出られるほど訓練が行き届いていない兵士と負傷兵、それに護衛の一部を抱えての留守番を役割としていた。
――三十四、五あたりで第一線をうろつくなということか。軍隊ではもう年寄りの側に入っちまったか、本人すらも予測しない人生を歩んだものだな。
やれやれと思いにふける島を見て、鋭い突っ込みが入った。
「何をしんみり思い返してるんだい、むっつりしやがって」
「任務が終わったら温泉にでも泊まりに行きたいな、と思ってね」
咄嗟にかわす手法が口からすんなりでる。
――ふむ、今日は好調だな。
「温泉? ああ……ふん、司令官が余裕なのは悪くないよ」
温泉とは即ちレティシアとの日本旅行のことだと気付い、て矛を収めてしまう。
――問題はレバノンからのキャスターが彼女だってことだ。やってきて欲しいやら欲しくないやら。
ヨーロッパ、アフリカ、中東へ発信する力については、信頼性が高いバックがついている。組織としては外せない道ではあったが、島が躊躇してしまう顔揃えになってしまう。結果から言えば来たら会わせないわけにはいかず、会えば極めて強力な低気圧が通信室にもたらされるのが決まっていた。
――うーん、そいつを軽減し回復させるだけの秘策が欲しい! それがあるならば、今の俺はかなりの無茶を飲むぞ。
真剣に悩む島を不思議に思う通信士であったが、何事もなく時が過ぎるうちに気にならなくなっていった。
戦闘開始までカウントダウン、手元の時計は午前三時をまわっている。夜警の定期報告が異常なしを繰り返す。
――始まったんだろうな。
余計な交信は避ける。上手く行っているならば特に連絡はない。便りがないのは息災の印とは言ったものだ。が、そんな通信室に一報がもたらされた。「目標を制圧」と。
――まだ始まって十分と経っていないぞ。
疑問が浮かんだ瞬間、島を名指しで通信が入る、当然マリーからである。
「拠点を攻撃しましたが抵抗が微弱、ほぼもぬけの殻でした」
「居なかった? 拠点を移ったか?」
そうでなければ、真夜中未明に集団で行方不明になる理由がわからない。
「尋問してみますが周囲も偵察中です」
「わかった、ご苦労だった」
一旦通信を終了させる。
「敵が留守だったそうだ、拠点は占拠した」
どうしたんだろうなと肩を竦める。グロックに視線をやると彼はレオポルド伍長を見た。
「あちらもどこかを襲撃してたりして」
言ってからすぐにそんな偶然はありませんよね、と自ら打ち消す。
「三番警ら班、西部に移動する大集団あり!」
通信室のスピーカーが難民自警団の通報を受けて鳴った。
「おい、今後伍長の不穏な予測を禁止するぞ。レヴァンティン大尉、警報を出せ第一種警戒態勢だ、判別がつき次第臨戦態勢に移す」
「次は明るい未来を口にするんだねっ。全部隊に告ぐ、武装を施し待機せよ、繰り返す武装待機せよ」
グロックとレオポルドが目を合わせてから向きを変える。マリーもサルミエも居ないため、島が直接命令を出さねば部隊は動かないのだ。
「エーン少尉、偵察を進出させて要所に下士官を配備」
「ヤ」
今緊急で確実に必要なところに将校を宛てる。全体の助言はいつものように、先任上級特務曹長を側に置く。
「シーリネン大尉、医師団と看護師を要塞に収容する指揮を」
「わかりました」
警報を出し終えた彼女に次を指示する。
「レヴァンティン大尉、議長に通告、敵襲の恐れあり議会メンバーを要塞に誘導、戦闘員を待機させるんだ」
「あいよ、避難は」
「議長に任せる」
「そうさせとく」
全員を要塞に入れるわけにはいかないので、取捨選択を代表者に一任する。他に囲い込む必要がある者が居ないかを短く考え、思い付かない為に見切りをつける。
「グロック先任上級特務曹長、閣下に一筆所望しておきたいが」
「弱味につけこんで、事態を悪化させかねませんな」
――シサンボ少佐がどさくさ紛れに相乗りしてきたら、やぶ蛇としか言えんからな。一か八かを仕掛ける場面ではない。不服従な奴等を除いて、増援させるだけなら将軍の命令は要らんか。
彼らの本来任務である、住民の保護が頭に浮かんだ。
「様子を見てから住民保護の協力要請をしてみよう」
独り言をグロックに聞こえるように喋り、次へと意識を向ける。
「レオポルド伍長、攻撃部隊に通信を繋ぎこちらに回せ」
「ウィ」
向こうも通信機の前に居たようで、すぐに繋がった。
「現在捜索中です」
報告を求められたと早合点してそう答えてきた。
「いや大尉、奴等はこちらで見付けたよ」
「え?」
未確定だが恐らくそうだと、警らに掛かったのを手短に知らせた。
「拠点を破壊し速やかに帰還、敵の背後を衝くんだ」
戻るまでは自力で何とかするよ、と添える。
「機械化部隊を急行させます、本隊は三時間で必ず帰着させます」
「急いだあまりにアンブッシュを受けるなよ。地勢は奴等に一日の長がある」
「特に注意させます」
言っておけば上手くやるだろうと信じ、気持ちを切り替える。
――要塞には他にコロラドとトゥヴェーしか残っていないな、これを活用せねば!
「エーン少尉、配備は」
「正面に護衛分隊二個、内城に二個、外壁四方に一個警備中隊ずつ、正面に予備二個中隊、内城に病院中隊、北塞に一個警備中隊と二個訓練警備中隊。広場に武装難民が未編成で待機しております」
――北塞を攻めるのは愚の骨頂だ、だが無防備には出来ん。素人を率いて守りきる為に指揮官を送らねばならん。
「トゥヴェー曹長を北塞の防御指揮官にする」
「ダコール」
従弟ならば可能だと受け止めて即答する。
――未編成の奴等を配備せねば兵力不足を招くぞ。手駒が足りん!
その時、先任上級特務曹長が珍しく口を挟む。
「司令官殿、武装難民の指揮は自分とレオポルド伍長が」
――こんなところでグロックを危険に晒すわけには……。
渋い顔で口ごもる。
選択肢は少ない。自分が何かを受け持つか任せるかだ。島が司令部中枢を受け持つならばグロックを出すしかない、逆もまた然りとなる。
「先任上級特務曹長に武装難民の指揮を任せる。レオポルド伍長を軍曹勤務に臨時任用するぞ」
グロックは敬礼して通信室からでて行く、流れで上役勤務を拝命したレオポルドもそれについていった。
「少尉には正門に行ってもらう、最大の激戦地だ」
「喜んで引き受けさせていただきます」
人が減った為にやけに室内が広く感じてしまう。
「レヴァンティン大尉、通訳から一人選んで通信士の補充を」
「了解」
――厳しくなった場所への予備を指揮する下士官が不足しているな。今さらどうにかなるわけではない、上等兵を使うしかなかろう。もう一手何かないだろうか?
そうだ、と思い付いて議長へ連絡をつけさせる。内部にいるため内線を使うので内容が漏れることはない。
「族長、いや議長にキシワ大佐より要請があります」
最初の銃声が響くまでに、そう時間は残されていなかった。
防弾盾を左右に増設した指揮車両に、ドカッと座った男が遥か先の丘を睨む。集団の中央やや後ろに位置し、そこへ伝令が駆けてくる。
「将軍閣下、要塞に守備兵の姿が殆んど見当たりません」
確かに言葉通り見当たらない。午前四時前である、それを狙ってのことなので驚くことではない。
――あの医師の話では結構な兵数が居るとのことだが、はったりかも知れんな。
ンクンダは徐々に大きくなる影を、つまらなさそうな顔でじっと見詰める。攻めるときには一気に押し寄せる、数こそが力だと信じて今日までやってきた。
もう孫がいるような老人から、逆に初等教育すら終わっていないような少年まで、全て駆り出している。
粗末な武器を手にした者を、弾除け代わりに前列に置いた。ソヴィエトが半世紀前に開発した人命軽視の人海戦術、その踏襲である。
アフリカ中部、特にコンゴでは人命の価値は極めて低く扱われている。時には生きている、生かしていることがマイナスになるため、処分するかどうかを検討するくらいに物扱いなのだ。
だがそれは多数の下層民であって、将軍のような一部の権力者は、先進国の中流市民が考えられないような贅沢をしていた。物が無いなら無いなりに自由を謳歌している。
その際たるが人が人を支配することで、ンクンダも数多くの妻を抱えていた。飽きたり逃げ出したりしたものは処分し、新たに目に入った少女を無理矢理に連れてくる。十歳ともなれば婚姻が認められる風習があるのか、まだ子どもに区分けされるような年齢であっても、日常のように肉体を搾取され続けるのだ。
早速攻撃を命じようと思ったところで、別の伝令がやってくる。
「閣下、拠点がキャトルエトワールの部隊に攻撃を受けて、陥落致しました!」
本来ならば怒り狂うところであるが、ンクンダはにやりと冷酷な笑みを浮かべた。
「くくっ、そいつは朗報だ。奴等の主力は今要塞に居ない、攻め時ではないか」
伝令は何と応じれば良いかわからずに、ご命令は御座いますか、とだけ発した。下手に意見を述べようものならば、気分で処刑されてしまう。
「ああ、攻撃開始を伝えよ」
仰々しく言伝てを承り、前衛へと向かっていった。
要塞の城壁には足場があり、兵が移動できるスペースが設けられている。これは中世の城塞を真似てグロックが構築したもので、近代のそれよりもやや足場が広く幅を持っていた。
城壁の攻防で武器を振るって戦う場所としてのスペースの他、様々なエキストラを可能とするためのものでもあった。
外壁では息を殺して武器を手に伏せている兵が、胸壁に隠れて命令を待っている。胸壁とは文字通り胸辺りまである高さの壁であり、防御側はそれを盾の代わりに使い、戦うことが可能な施設である。
壁と壁の間は、下から這い上がる敵を攻撃する隙間として利用されている。こちらは現代では殆んど無意味に近かったが、その間から少し離れた場所にいる相手を狙撃するのに使うことにした。
この城壁というもの、外敵を防ぐためにあるもので、通常は内側には胸壁もなにも身を隠すような場所がない。当たり前であるが階段は内側についているし、内側から城壁への攻撃は簡単に出来るように設計されている。島はそこに目をつけた。相談する相手は一人として居ない、経験からその行為を自ら判断するしかない。
「相対距離一千メートル」
観測手がレンジファインダー――測距用具を覗きながら告げる。旧式の迫撃砲の最大射程である。エーン少尉は小さく返事をするだけで、待機を続けさせる。伏せて姿を隠させるよう、兵らには頭を上げないよう厳命してある。
それだけでなく、暴発をさせないようトリガーに指をかけないようにとも、初歩的な命令を繰り返し徹底させる。忘れていたでは済まされないため、わかっていても何度も口に出して指摘を行う。
「五百メートル」
十二人に一人の割合で装備させている、狙撃銃の最適距離に踏み込んできた。エーンは黙ったままである。銃眼から様子を窺っている兵の中には、相手の顔が見えるというやつすらいた。逆に言えば向こうからもわかるので、蓋をして待つようさせる。
「二百メートル」
大概の突撃銃の射程にまでやってきた。兵士がそわそわしている雰囲気が伝わってくる。無遠慮にも敵は纏まったまま距離を詰めてきた。
声をかければ聞こえる位にまで迫ると左右に散るでなく、正面ゲートに向かって突入してきた。
「射て!」
静寂を破る声は、瞬間銃声によりかきけされた。予め目盛りを切ってあった迫撃砲は、通りやすい道の真ん中目掛けて降り注ぐ。
無防備に姿を晒していた前衛は、大した反撃も出来ずに地べたに折り重なるように倒れた。
近代戦は兵の厚みより、弾幕の厚みである。死体を踏み越えて次々現れる新手を凪ぎ払う、弾倉を交換してまた人の波を凌ぐ。平和な世の中で育った兵ならば、恐慌に陥りかねない惨劇が繰り広げられる。笑ってはいけない、異常の中で正常を保とうとするよりも、余程人として普通の反応なのだから。
何度も、何度も突撃が繰り返される。その都度屍の山が増えていくうちにそれは不意に起きた。弾倉の交換が重なって、弾幕が止む奇妙な時間が流れる。
――いかん!
エーンがそう感じた直後、人民防衛国民軍の二等住民で編成された、歩兵部隊が城壁に取り付いてきた。後方から運転席を盾で覆ったトラックが疾走してくる。
「あのトラックに攻撃を集中しろ!」
大声で命令を発するが、命中はしても勢いを失うことなく、そのまま正門にぶつかって大破する。発火すると数秒で爆発して正門もろとも炎上を始めた。
手榴弾からピンを抜いて、二秒待ち軽く放る。本来ならば逃げる時間を与える為にある部分を空費させて、地面ではなく空中で爆発させた。近くで群がっていた兵士は、まとめて被害を受け、悲鳴を上げてのたうちまわる。
――悪いな、こちらも命がかかっている。
縄をかけたりして、数世紀前の攻城戦よろしく、城壁をよじ登る姿まで見られる。分散して配備してある短機関銃手が、接近する敵に向けて猛烈な乱射を行う。殆どの敵がそれで撃ち落されるが、一部の短機関銃手が負傷した。
後方に移送して治療を施すように手配をすると、城壁の兵士の数が一気に少なくなってしまった。予備兵中隊から補充するも、残りはたったの一個中隊しかない、これを使い切るわけには行かなかった。
戦争は多数が勝つのが常識である。常識は滅多に覆らないからそう呼ばれるのであって、違う結果を求めるのは非常識と言われて然るべきなのだ。
門が燃え落ちれば要塞内に敵の侵入を許してしまうが、燃料を満載してきたトラックを消火出来るだけの備えがなかった。
化石燃料だけでなく、各種油類による鎮火には水をかけても全くの無意味である。それだけでなく、水の上に乗った油が滑るように延焼するため逆効果なのだ。これを消火するには酸素を奪うか熱を奪うかしかない。
通信士が南城壁にも多数の襲撃があるのを報告してきた。表情を曇らせたが、すぐに武装難民部隊が増援に駆けつけたので、安定した状況を取り戻したと知らされる。
――流石だ、最早あれを戦わせているとは! 長年新兵の調練に携わってきた経験とはここまでのものか!
エーンは大佐と少佐の師匠にあたるという、先任上級特務曹長に予想以上の驚きを得た。兵士として志願してきた者を戦わせるのはある意味容易い、だが逃げ惑う一般人、それも半ば無理やりに武器を持たせ戦わせるのは、極めて困難な役どころである。
じりじりと負傷兵が増加して、門が焼け落ちるまでのリミットが近づいてきた。苦境に立たされる城壁に、不意の訪問者を迎えるのであった。平和に育った兵と逆、紛争地帯で育った民は時として危険と隣り合わせなのが普通と感じるものなのだろうか――。
通信室がそのまま司令部として機能している。普段は司令官は司令官室に篭っているのだが、後方ではなく前線に摩り替わったために、特別に机を置いて島が座っていた。
――外郭を何とか支えてはいるが、不幸にも指揮官が負傷したら即座に陥落しかねん。
薄氷の上に立たされているのは実感している。これを補強する術は、今のところ存在していない。
――戦線を縮小させるか? いやだめだじり貧になってしまう。
すっかり頭から抜け落ちていたが、とんだお宝があるのを思い出すことになる。通信室にコステロ総領事が入室してきた、この状況では通常勤務どころではなかろう。
「大佐、総領事館ですがお好きにご利用ください」
自分は椅子一つあればそれで構わない、と避難場所にと館を提供してくる。
「ありがとう。総領事はこの場に逗留を、今のところ一番安全ということになっているので」
範囲が決まった分しかない要塞の内城に、数十人が入れることが出来る屋根を確保出来たのは正直助かった。そして助かったところで気づく、あの存在に。
「そういえば、アサド曹長は護衛に残っている?」
「はい。私がここに居るなら待機になるでしょうが」
――総領事の護衛にあてていた下士官を、すっかり失念していたぞ!
「曹長を一時的に戦闘指揮に使わせて貰いたい」
「何の異存がありましょうか」
すぐにアサド曹長を呼んでくるように兵に告げ、やらせるべき内容を思考する。
――あの準備は出来ているはずだ。要塞は守りきるだけでは三流と評価されるにすぎず、攻めて来た敵に反撃を加えて二流だ。このマニアックな要塞は、一流への布石が為されているからな!
グロック渾身の設計で、外壁と内城の間には広場があり、幾つかに区切られていた。その仕切りを外す事も出来るが、普段は区画整備の意味もあってそのままにされている。通信室の扉からアサド曹長が姿を見せる。
「アサド曹長出頭致しました」
「ご苦労。君に重要な任務を与える、攻撃部隊の指揮を執るんだ」
攻撃との単語に、意外な反応を見せる通信室の面々であった。
荒地を疾駆しているのは、ハマダ少尉率いる機械化部隊である。トラック以外の全ての車両を動員し、急遽来た道を引き返している。武装させたジープを先導のために離れて走らせ、カスカベルCを囲むように集団を走らせた。
特殊車両――簡易砲撃車や二輪車はビダ上級曹長が管轄し、ドゥリー曹長が兵員を受け持っていた。火力が高い兵器の多くを持ち出していたので、要塞には固定兵器を除けば大したものは残されていない。もし敵が装甲車の類で攻め込めば、苦戦するのは間違いないのだ。
その意味からも、大尉からは合流を優先するようにと命令をされている。包囲されているならば北側から入城するだけでなく、ビダの水上部隊を使って湖側からでも合流出来るよう考えがある。
――問題は乱戦になっていた場合だ、機動力も火力も制限される。
ハマダはその場合、主要な人物を水上から脱出させ、機械化部隊を戦闘に埋没させず、離脱に集中させるようにとも命じられていた。
当然その場合は、コンゴにおけるミッションの失敗を意味している。
それでも少尉は構わないと思っていた。何せここでの失敗が全ての終わりではないとわかっている為である。無理にアフリカの中で孤軍奮闘する必要は全くなく、島ならば別の場所で充分貢献できる能力があると信じていたからだ。
何よりも叔父から、一族にとってのありがたい人物に尽くせと言われてきている、最悪の状況とは島個人の死傷のみと割り切っていた。
逆光が仇になるとも感じられたが、最短ルートを外すことはしなかった。自分たちがそうならば、要塞を攻めるやつ等もそう感じる位置関係が生じるため、普段は忌々しいと思っても今日だけは悪くないと思えた。
――出たとこ勝負は現場の常だ、そのために俺が居る。
状況の想定だけをしておき、どれを採るかはなってから考える。指揮官の役割を遵守する。先頭の部隊から戦いの光が見え、黒い煙が上がっていると報告が上げられる。
「黒い煙はB火災の一種だろうか」
ドゥリー曹長に確認するように話しかける。B火災とは油火災の意味であり、通常のものはA火災、電気や化学的なものをC火災と区分している。
「車両や燃料倉の爆発炎上、または人を燃やしていることも考えられます」
人間は燃える。油の塊とも言えるので、黒い煙を発生させるのだ。衛生的な部分、疫病を防ぐためには死体を速やかに処理する必要がある。土に埋めるならば相当深い掘削をして、一度に多量に埋葬してはならない。野生動物に掘り返されたり、病原菌が地表に出てくることのないように、と。
「人を処理するにはまだ早いだろうから、油の火災と見るのが妥当な線だろう」
曹長も頷く。戦場掃除には時間がかかるものだ。火災の筋が多数あればそのうち幾つかは車両である、この地にそこまで沢山の燃料保管場所はない。なにより砲撃に耐えられるように地下に保管してある。
すると一つ場所で火災が起きていることになる、その状況で適切な見立てが何かを想定する。
「白い煙が無い以上は、建造物が火災を起こしていない。ならば外側で燃えうるのは車か城門?」
重量や資材の関係で、門は木材で製造されていた。木と言っても何重にもされていて、機関砲で射撃しても簡単には崩壊しない。
「両方かも知れんな」
「両方?」
言われて曹長はなるほどと納得した。木材である以上は、時間をかければ燃え落ちるものだと。
――両方だとしたら、まだ敵は要塞に侵入を果しては居ないだろう。仮に踏み入れた奴等がいたとしても、数は少ないぞ!
「ビダ上級曹長に命令だ。左方向に膨らみ、要塞に対して本隊から三十度以上の角度を確保し、攻撃命令を待てと」
通信士に命令を出させて本隊の陣形を思案する。機械化部隊であって機甲部隊ではない。簡単な装甲板を取り付けた車両が幾つか混ざっている程度で、敵中に突入してはすぐに無力化されてしまう。
機動力と一定の火力で支援攻撃するのが目的なので、城壁に向かう敵の側背をいやらしくつつくのが理想だろうと考えをまとめた。
――各車から一人ずつ集めれば、歩兵分隊一つは編成できるか?
もし歩兵を送れたとして、それが何の役にたつかを考える。敵にあてても効果は極めて薄く壊滅は必至だ、かといって要塞内に向かわせたとしても自由を失うだけになる。
――俺が為しうる最大の結果を考えるんだ!
「将軍閣下、城門が燃え落ちました!」
ゆったりと足を組んで戦闘を観戦していたンクンダは、舌なめずりして楽しそうな表情を浮かべる。
「邑を建てて足止めを狙っていたのだろうが、俺は甘くないぞ。首を落とされて死なぬ人間はいないように、心臓部を失った奴等に勝ちはない」
要塞を落とせば邑などほっといても全て引っくり返ると、無視を決め込んだのだ。更に言えば補給をも無視し、拠点を棄ててまでの攻撃の一手は、手順を重視して今までやってきた島らの頭には殆んどなかった。
右手側奥の城壁では、軍服以外の者が沢山現れたのを見て、一般人による部隊がすぐに出なければならない程に、守備兵力が少ないのに気付いていた。
ンクンダは残忍な無法者ではあっても、無能者とは違う。組織を維持拡大する手腕を持っているのだ。そのやり方のせいでテロリスト指定を受けているが、政府に鎮圧するだけの力がないのを証明させる結果が残ったのみである。
「瓦礫を引きずり出せ!」
燃える門に向かって、鉤爪がついたロープが幾つも投擲される。
何をするか見ていた守備兵が、作業を行う者を次々と撃ち抜くが、幾つかは引っ掛かる。車両に曳かせたり、人力で挑んだりして、燃える木片の一部が引きずり出された。
瓦礫除去をするだけで、百人からの命が喪われるが、ンクンダはそれを少しも気にすることはない。減れば捕まえてきて働かせれば良いだけだと。
何度か作業を繰り返すうちに、ついに道幅が確保される。火勢も弱まりいよいよ内部へ駒を進める時がやってきた。
「攻撃部隊を突入させよ!」
これまた前列には奴隷の扱いを受けている者を立たせて、後方に数人だけンクンダ直属の兵が居た。彼らの中では階級は軍事行動の序列ではなく、人間の存在そのものにつけられているのだ。
頭を低くして城門を潜り抜け、ひたすら奥へとかけて行く。殆んど反撃がないのを良いことに、千人近くが乱入する。
その時城門から何かが落とされ、通路に積み重なっていった。喚声が上がり四方の城壁に兵が姿を現して、一斉に眼下の者目指して射撃を加える。驚いて遮蔽物に身を隠そうとするが、そのような場所は何故か皆無であった。
突入していく兵の足が止まるのを、怪訝な表情で見ている。その疑問を解決する伝令が、司令官のところへ駆け寄ってきた。
「申し上げます、城門内側に砂やら石が積まれ、侵入路が封鎖されました!」
角度が悪く、見えないところで何かが起きているのを理解する。
「すぐに除去作業を始めさせろ」
前衛指揮官がすでにやっていると返答し、将軍の前から下がる。
――小癪な真似をしおって。だが千人もの兵が入ったのだ、陥落は時間の問題であろう。
それだけの敵を内部に抱えれば、まともな防戦は無理だろうと余裕を持つ。射撃音が高まり次第に小さくなっていき、そのうち城壁に手下が並ぶだろうと待っているが、中々姿を現さない。
気になり始めて報告をするように急かすも、突入部隊とは音信不通だと返されてしまう。
「ええい、城壁にもっと取り付いて中の援護をさせろ!」
攻める気概が足らんとはっぱをかける。各方面の中衛が戦いに加わり、屍を増産して行く。それでもまだまだ圧倒的に人民防衛国民軍の数が多いことに変わりはなかった。
「今だやれ!」
正門城壁に山と置かれている土嚢を、次々と落とす。袋に砂が詰まった物だけでなく、水を吸収してため込むポリマーが詰まったタイプもあった。女たちが七割位に膨れた土嚢を、繰り返し落とし続ける。
突入してきた敵に向けて四方から発砲する。内側に胸壁は無かったが、土嚢を積み上げて遮蔽にしているために、反撃を受けても被害は少なかった。
避難してきた民のうち、戦いに向かない女性らに、湖で多量の土嚢を作らせて運ばせたのだ。 最初に島に作ることだけ頼まれたンダガク族長は「キシワ大佐、水を汲んで家族を養うのは女の仕事です。城壁にまで運ばせましょう」と返答して驚かせた。
女性は保護されるものであるとの風潮が先行しているが、それは女性にも男性と均等な役割を与えるという大切な部分を置き去りにした、やや足りない表現であるのを思い出させた。男が戦うならば女は戦う為の支援を行う。こんな単純な図式を、行きすぎた近代の先進諸国の報道で乱されているのに気付く。性による差を守るのと認めるのと、そこにはかなりの幅があるのだと。
災害備蓄用に混ぜこまれていた土嚢袋が活躍をみせる。城壁に上がるための階段にも山と積まれて、広場に入ってきた人民防衛国民軍は、行き場を失い混乱を始めた。
更に内城からも少ないながらに兵が姿を見せ、攻撃に同調してきたので、エーンは殲滅を命じて次々に攻撃を重ねさせた。身を隠す場所が無く、局地的に戦力差が少ない場所で包囲をされた側は、最早勝ち目どころか生きていられる目算がたたない。
唯一出来ることは、武器を捨ててうずくまり、攻撃を止めてくれるのを祈るのみであった。
階段ではなく梯子やネットを使って広場に降りる。生き残りを集めて死体を隅に運ばせる。遺棄されている武器を回収し、城壁にあげることも忘れない。
――階段に土嚢がなければ、被害はこんなものではなかっただろう。なるほどボスはあるもので閃いたわけか。
直接戦わせるだけが手段だとは思っていなかったが、これほどまでに非戦闘員が結果を出せるとまでは知らなかった。処理を女たちに任せて、再度城壁の外側に備える。またぞろ人がたかって壁に取り付いてくるのを見て、兵らを激励し自らも気合を入れて迎え撃つのであった。
「正門の封鎖に成功しました」
「そうか」
通信室でコーヒーを傾けて推移を確認する。南壁は安定して守りを固めているようで、異常報告はなかった。
――これが守城戦に於ける虎口とやらか。攻め寄せる敵を殲滅してこそ一流の塞と言うのは、こういった意味だったわけだ。
外郭守備指揮官――エーン少尉から報告が上がってきた。侵入してきた一千を全滅、内百人程を捕虜にして城の片隅に、手足を縛って転がしてあるという。もう一度敵を取り込んでも、恐らくは全滅させられるだろうが、流石にからくりは露見すると考えておかねばならない。
ちらりと時計を見るが、マリー大尉らが戻るにはまだまだ九十分はたっぷりかかりそうだ。
――機械化部隊はそろそろ到着してもおかしくはないな。敵の本陣に攻撃を加えるとして、やつらは司令官を守るために部隊を動かすはずだ。そして追い払うために攻撃もするだろう。多勢に無勢だ、すぐに散らされるに違いない。二十ミリがあるのだから逃げながらでも砲撃は可能になる、その時にどうしたら最大の効果がある?
狩をして荒野を駆け巡るのが日課であった男たち、中でも特に目が良いものを選抜して十人の観察部隊を特設した。エーンのところに到着すると、ヘルメットを特に与えられて左右に散る。
攻撃するわけでなく、少し後方に陣取っている集団をじっと凝視する。無言でそうすること十分弱、一人が声をあげる。目標を発見したと場所を説明し、他の者も視点を共有した。彼らは見ているのが役目である。ただひたすら一点を見詰めて待つ。
自身等の身の回りは注意を払わず、味方に任せて何を見ているのか、それは一際豪奢な身形をしたンクンダ将軍その人だ。要塞からではロケット弾も迫撃砲も機関砲も届かない場所。安全と思われるそこに砲撃を加えさせる、ただそれだけのために用意された観測手が彼等である。
機械化部隊がやってきたら、着弾観測を要塞で行ってやろうと考え先回りしたのだ。数メートルではあっても高さがあるために、地上よりも遥かに見通しが利く。問題はあてにしている味方が戻るより早くに陥落しないかどうか、より切実な部分が横たわっていた。
「配置完了、ご命令を」
ハマダの指揮車に報告が上がる。緩やかな稜線を二つ三つ越えた先では、要塞を巡る攻防戦が行われているのが確認できた。
「これより攻撃を行う。敵の柔らかい側背に痛烈な打撃を加える。銃身が焼け付くまで撃ち続けろ!」
少尉のゴーサインを受け、少し距離を置いている二つの集団が動き始める。軍の識別をするための部隊旗を下げてしまい、不明を装って間を詰める。二千メートルを過ぎたところで、車載の機関砲が火を吹いた。無防備に要塞の側を向いて突っ立っていた兵士がゆっくりとくずおれた。トラックが爆発し大混乱が巻き起こる。
遅れて機関銃が発射されて、人民防衛国民軍の備えが一気に乱れた。移動しながら敵の射程外から、嘲笑うように鉛弾を撃ち込む。
「軍旗を掲げろ!」
旗手班長に命じて存在を明らかにした。次いで信号弾を三つあげて要塞に来援を知らしめる。
見当だけでカスカベルから迫撃砲が発射される。水平どころか距離すら曖昧で、どこにでも落ちろとばかりに撃つだけ撃つ。
司令部に通信を繋ぐ。ドゥリー曹長が担当し、アフリカーンス語で呼び掛ける。
「機械化部隊、司令部。我着陣せり、敵本隊砲撃中」
通信士らが首を捻る、レティシアすらも「こいつは何だい」と眉をしかめた。机に置いてあるマイクをオンにして、島が直接応答する。
「俺だ、ドゥリー、敵司令部の座標を指定する、発煙手榴弾を三ヶ所に投擲せよ」
「ヤ!」
発信をオフにして通信士に命じる。
「エーン少尉に観測を行わせろ、ドゥリー曹長が着いたと」
「ダコール」
要塞の内線で命令を伝える。これまた地の利を得ている拠点防御側の有利な部分だ。
「大尉、全体の状況はどうだと見る?」
見落としがないかどうか、レティシアに話を振ってみた。
「良くは無いね、何とか持ちこたえているってとこじゃないか。仮に歩兵が到着するにしてもまだ先なんだろ?」
体感で厳しさをそう表現してきた。概ね違いないと皆が同意するだろう見通しと言える。
「一時間以上はかかるだろうな。駆け足で戻ったとしても、呼吸も満足に出来ない歩兵じゃ役にたつかどうか」
いくらアフリカンだとしても、長距離を休みなく駆け抜けてから戦闘するのは難しかろうと判断する。
――兵員輸送のトラックだけじゃ半分くらいが歩きになる、機械化部隊もバラしてしまったこれ以上、分裂させては戦力の点で威力に欠けてしまう。
まとめて運用するから衝撃がもたらされる、逐次投入をしては数に飲み込まれてしまう恐れがあっていただけない。マリー大尉がそれを理解していないわけがないので、歩兵は暫くはやってこないつもりで対処の必要がある。
「武器弾薬を余分に買っておいて良かったよ」
「あの武器商人も、真面目に整備した品ばかりよくぞ揃えたもんだね」
使ってみなければ中古品などどうなるかわからない部分はあった。それを信用だけで買うわけだから、お互いに不都合も折り込みずみの価格になっている。それなのに、今のところ不良品は殆んど見当たらなかった。
――武器管理は人種で見当をつけろとの言葉は本当だな。
何か空気が震えるような震動が、微かに感じられたような気がした。そして程無くして通信が入る。
「封鎖が破られました。土嚢が爆破された模様」
壁は無理でも、土嚢位ならば吹き飛ばすだけのものがあったらしい。
――もう一度やれば土嚢は数が不足するんじゃないか? 袋は幾らでもあるが運搬が間に合うまい。
「議長に通告、女たちを下がらせるんだ」
これ以上は流石に無理だろうと、混戦になる前に撤収するようにさせる。
「敵の第二陣が突入してきます!」
煙幕をはりながら次々と敵がやってきているようで、数が把握出来ていない。
――あと三十分位先が最大の危機だな!
いまさらあたふたしてもどうにもならないと、ゆったり構える。
――コステロは構わん本人の意思がそうさせている、だがレティシアはわざわざ付き合わせることもあるまい……。
「なあレティア」
「断る」
「なに?」
喋る前から即答されてしまい面喰らう。
「どうせ一人で逃げろとでも言うつもりだったんだろ。お前はいつも勝手なことばかりを言うからな」
――うーん、読まれていたか。
どうにも先回りされてしまい言葉がでなくなる。
「いいかい、あんたがそうなように、あたしも勝負どころでケツを割るわけにゃいかないんだよ」
すっかり影が薄くなっていたが、彼女がエスコーラのプロフェソーラなのを軽く見ていた。女ではあっても覚悟はとうの昔に出来ていると。
「悪かった」
短くそう告げる。未明からかなり時間が流れた、難民居住区でも要塞で何が起きているかと騒ぎになっていた。当然医療キャンプにも来るはずの医者が現れずに、どうなっているとの声が上がる。
時計の針の歩みがやけに遅く感じる。部屋の外では護衛分隊が一つ待機していた。罷り間違って侵入されても、そこで止められるようにと最後の砦として。
外郭守備部隊から撤退許可が求められてきた。
――エーンで無理ならもう限界だろう。
「撤退を許可すると伝えろ、内城に下がり合流させるんだ」島は席をたって帽子を手にする。
「どこにいくんだい」
「内門守備を指揮しに行く。後は死守をする以外に仕事もないからね」
事も無げにそう言うが、悲壮さは全く無い。
「総領事さん、あんた現地語やフランス語は?」
突如話し掛けられ驚く。「フランス語は多少ならば。スペイン語と英語が主だが」何か役割があるかを問う。
「通信士共、お前たち全員大佐に同行しろ、外の護衛も一緒にだよ。総領事、二人で通信を捌くよ!」
最早ここに座っていても仕方ないと、追い出しにかかる。レティシアが居れば大抵の言葉がわかるため、確かに複数置くような理由はない。
「総領事、頼めるかな」
「ああ任せてくれ、これくらいならば出来るよ」
戦いはからっきしだが、と苦笑いする。
「司令官室の隔壁を下ろして、そちらでやっていてくれ。何があるかわからんからな」
逃げるわけじゃなく、守りを固める一手だと、有無を言わさずに奥へと行かせる。
「命令ってわけかい、まあ良いだろうさ」
ダイアモンドの約束は果してもらうよ、と消えていった。
「素直じゃないな。だが美人は我が儘を通す特権を持っているからな」
軽口を叩いて兵の緊張を解してやる。壁に掛けられた小銃を装備させ、携帯通信機を二つ背負わせる。
――力ずくでの攻防か、実にすっきり爽やかで望むところだ!
小さな影が徐々に迫ってくる。牽制を加えながら、機銃は遥か先に向けて続けざまに放たれた。
「やや右手に流せ!」
ドゥリー曹長が従兄からの情報を受け、着弾の修正を命じる。まぐれ当たりが一回でもあれば戦況は逆転する。
だが戦いは意外なことは起きても甘くはない。反撃してきた弾丸がジープのタイヤを撃ち抜いて、態勢を崩した一両の射手が誤って味方に向けて発砲してしまった。一気に二両が機動力を喪失した。
仕方なくありったけの弾丸を撃ち尽くしてから、小銃を手にして下車する。
「少尉、車両二使用不能」
見たらわかるような事柄であっても報告を行う。負傷者こそ少ないが、車がなければ離脱させるしかなくなる。
――まだかかるだろう、大尉が来るまでは俺が踏ん張るしかないぞ!
「要塞からの観測が途絶、後退した様子!」
「警告、二個中隊が接近中!」
「城壁に敵兵の姿を確認!」
「敵部隊、正門に向け多数移動を開始!」
次々と情報が寄せられてきて苦い顔になる。
「四時方向に大規模な集団接近!」
本隊とは反対の側に目をやり少尉は号令した――
「押せ押せ、押すのだ!」
真っ黒な顔をした少佐が、要塞広場に踏入り攻撃を指揮している。すでに正門付近の城壁には、ンクンダの軍しか姿がない。
あちこちにある土嚢を内城の付近に集めて、遮蔽をつくり対抗する。湖側の城壁ではまだ守備隊が頑張っていて、何とか迂回攻撃を防いでいる。しかしいつまでもグズグズしていては将軍の不興を被ると、無理を通そうとして怒鳴り続ける。
「門を爆破するぞ、誰か勇敢なやつはおらんか!」
上級兵が奴隷兵に命じて志願させる。弾幕厚く近寄ることすら難しいところに、爆薬を設置できるかは疑問がつきない。十人の志願者に爆薬を抱えさせ、盾がわりに死体を担がせて準備させる。
「煙幕手榴弾投擲! 支援射撃開始! 進めっ!」
鮮やかに決死隊を送り込む。何人死のうが痛くも痒くもない、得られた結果が全てなのだ。
銃眼から当てずっぽうに射撃が加えられる。不幸な数人が被弾して爆弾を抱えたまま即死する。うち一人は大爆発を起こした。
沸き上がる猛烈な爆風が砂塵を舞い上げ、決死隊をも吹き飛ばす。
誰にとっての幸運なのか、一人が門に叩きつけられ、首の骨が折れたが爆薬は城門に辿り着いた。
煙が収まるのを双方が待つ。次第に視界が戻ってきて、結果に期待と不安を寄せる。誰かが指を指して「爆弾を除去するんだ!」と叫んだ。少佐は反対に「爆弾を撃ち抜け!」と声をあげる。
どちらが早いかは比べるまでもない。数秒でまた激しい振動と爆音が発生した。半開きになった門を見て、にやりと口の端をつり上げる。
「突入!」
嬉々としてそう声を張り上げる。扉のすぐ向こうには、机を盾にして銃を構える兵らがいて最初の波を跳ね返した。
だが次から次へと後続がやってきて肉迫してくる。急いでアサド曹長が降りてきた時には、通路の奥にまで押されてしまっていた。
「増援だ! 前列交替しろ!」
弱気になっていた守備兵が一旦下がって、斉射を浴びせてから後列の兵と入れ替わった。突撃銃では扱いづらく、室内では短機関銃が幅をきかせていた。
「テイクバヨネット!」
一休みしている兵らに刃を取り出させる。銃の寿命と命中精度が下がるが、近接戦闘能力が飛躍的に上がる。
「フィックスバヨネット!」
狭い通路内ではあるが、着剣をさせて格闘に備えさせる。煙で視界が遮られても、銃剣を並べて射撃を続ければ目の前の敵には対処可能だと。
自らはFAMASに刃を取り付ける。上級部員の特別装備は場所を選ばず一定の性能を発揮する、値段分の効果は見込める。
ンクンダ兵が何度も突撃するが中々抜けないものだから、少佐が苛立って無茶な命令を出す。
「少数で行くから撃退されるのだ、小隊が一斉に突入するんだ!」
狭い場所にひしめき合って被害が数倍になったとしても、一人か二人反撃出来れば構わないと命の大安売りをさせる。命じられた者に拒否権は無い。ただただ絶望して声がかかるのを待つばかりである。
不幸にも指名された小隊が、弾薬を多目に渡され準備する。悪くて数秒、長くても十秒後には息をしていないに違いない。
「突入!」
率いる指揮官が諦めて号令する。あっという間に大半が即死した。たまたま狙いがそれたのか後回しにされたのか、数人が射撃するタイミングを得て守備兵を道連れにした。
直後に小隊は全滅する。通路には死体が重なり、攻める側が足場を気にしなければならなくなった。だが少佐は全く悪びれることなく「次!」と生け贄を追加する命令を下す。
余りの狂気っぷりに守備兵はじりじりと押され、通路からホールへと後退させられるのに時間を要することはなかった。後に死の回廊と呼ばれる場所になるが、今はまだ戦闘の一風景でしかない。
アサド曹長はホールに守備兵を集結させ、二階左右と正面の三方から侵入者を食い止める作戦を採る。
「ホールに来る奴等は全て敵だ、動くものは撃て!」
簡潔きわまりない命令を出す。断固抗戦と気合を入れるが、一部の兵が恐慌状態に陥っていた。無理もない、あのような大量の血を見てきたのだから。
傷を受けて息を荒くしている奴も少数ではない。無遠慮に駆け込んでくる集団が目に入る。
「攻撃!」
曹長が命じると一斉に銃撃が行われる。ホールにはすぐに死体の山が一つ現れた。
続々とやってくる敵兵に、ついに一人が悲鳴をあげる。
「もっ、もうたくさんだ!」
銃を放り出して尻をついたまま後退りする。ホールに敵兵が溢れてくる、味方の銃弾より敵の増援が多いのでは、と思わせるほどに途切れることなく駆けてくる。
――いかん食い込まれる!
曹長がそう感じた瞬間、屋内だというのにロケット弾をホールに撃ち込み、勢いよく乱射しながらやってくる集団が後ろから現れた。それらが素早く左右に散ると戦列を補う。
アサドが戦闘服を着こんだ島を見付けて、敬礼しようとしてやめる。
「司令官殿! ここは危険です、お下がりください」
「曹長ご苦労だ。これ以上後ろはない、守るならホールが最後だよ」
その先には執務室や居住区があるだけで、毛布にくるまり震えているつもりでないならば、交戦可能な場所は確かにここしかない。
「ですが」
「俺は砂漠で一度死を覚悟した、ここで逃げるくらいなら軍人はしてないさ」
イエメンの砂漠でムジャヒディーアと対峙したことを思い出す。
「では戦いながら、気のよい悪魔とやらを待ちましょう、大佐!」
爆風や跳弾から身を守り易い構造になっていることに、今さらながら驚かされる二人であった。
要塞は至る所で煙をあげていた。最早正門に限らず、あちこちで火災が起きている。
ジープに腰掛けながら遠目にそれを睨み付ける。
――救援に間に合うか、どうだ!
戦闘距離まではあと数分だろう、足留めをする捨て駒のような敵は現れなかったのが幸いした。
「ブッフバルト少尉、正面集団に向かえ」
「ヤボール」
トラックで休んでいた兵士を、半数預けて攻撃に向かわせる。
「サルミエ少尉、要塞内部へ突き進み司令部の増援を」
「ヴァヤ」
もう半数はサルミエに与えて、マリーはゆっくりと残りを詰めようとした。司令部に通信を繋ぐ。
「攻撃部隊、司令部。我帰着、敵本隊と要塞内へ向かう」
当然了解が返ると思っていたが、意外な返答を受ける。
「司令部、要塞増援は要らない、敵の南部部隊を攻撃するんだ」
「姐さん、南からは要塞に侵入は出来ないが」
決して司令部が安全ではないのは遠くからでもわかっているのに、何故だと疑問をぶつける。
「南部で難民が蜂起して奴等と戦っている、だから援護をしてやるんだ」
「そんなことより本部を!」
「甘ったれるんじゃないよ! 戦闘に勝つのが目的じゃない、一歩二歩先を見るんだ。ここで蜂起した難民を得るのが、コンゴにまできた理由だろ」
乱戦になって何とか生き残っても、難民が全滅していましたでは、クァトロが争いを招いた災いでしかなくなる。仮に努力を重ねたとしても、挽回は極めて困難だろう。だが自身が辛いときに優先を振り向かせれば、強い信頼感が産まれる。
「……了解。健闘を祈る」
それが本当に正解なのかどうか、今のマリーには解らなかった。言わんとする意味は理解できるが、この切羽詰まった状況でも当てはまるのか。
「サルミエ少尉に命令変更を、要塞南へ向かい人民防衛国民軍を攻撃、軍旗は特に強調して示すように」
トラックを南へ向けさせて、自らの本隊も少尉らの中間地点に走らせる。息が上がった兵が俯きながら座っているのが見えた、半数をトラックに乗せて交互に駆け足をさせてきたのだ。
おかげで予定より早めに到着した、だが彼らは考えていたのとは別の場所目指して進むこととなる。後戻りは出来ない、判断の連続に胃が締め付けられるような思いであった。
城壁南部では、再三医療キャンプへ邪魔しにやってきていた、人民防衛国民軍がまた手を出してきていた。ついに医師団が姿を見せなくなったのを知って、難民が怒り心頭して爆発した。手に手に石や棒を持って、城壁に攻撃していた部隊の背後から襲い掛かったのだ。
病を煩い放っておけばどうせ死んでしまうと、元気なうちに加わったり、遠くからやってきて、ようやくこれからと期待していた者が参加したりと様々である。共通していたのは、原因を作っただろうンクンダの軍が憎いことだ。
不意に襲撃された時には混乱してしまったが、棒や石と銃では勝負にならない。次第に難民が追いやられてしまう。城壁には一定数しか取り付けないために、後衛が憂さ晴らしだと難民に逆襲を始めた。
蜘蛛の子を散らすかのように暴徒は逃げ出していくが、それを面白がって追い掛ける兵士が多数いた。悲鳴を上げて逃げ回っているのを笑いながら追い回す。暫しそのような光景が見られた。飽きたのか無抵抗の難民にまで射撃を加え始めた。
ンクンダの兵が突然倒れる。狙撃銃を手にした部員が、兵を狙って撃ち抜いたのだ。一斉に視線が注目する、その狙撃者の背後には四ツ星の軍旗が翻っていた。
「キャトルエトワールだ!」
難民の誰かが叫ぶ。サルミエ少尉の命令でバラバラになり、弱者を追い回していた兵を一気に駆逐する。それを見て暴徒が武器を拾って、キャトルエトワールに協力し反撃を加え始める。
本格的な戦いになりはじめて、敵の後衛が気付いて部隊を増援してきた。あわせてマリーの本隊からも部隊が送られてくる。それだけでなく予備で積んできていた武器を放出し、住民らに配付しだした。
数は少なくとも武器があれば一方的にはやられない。南部部隊も後方に向けて防備を行わねばならなくなり、攻撃が疎かになった。
城壁南の防衛指揮をしているのは、グロック先任上級特務曹長である。下でそのような動きがあれば、手をこまねいているようなことはなかった。圧迫が減り余剰戦力が出たため、要塞通路を反時計回りで内城へとすぐさま送り出す。同時に独断で湖側から武器を載せた船を、医療キャンプに向けて発進させるようにと命令を下した。
「将軍閣下、内城で突撃部隊が足を止められております」
ンクンダは不機嫌に現状報告を聞いていた。いつもならば意気地なく離散するか、降伏してきて虐殺が行われているくらいである。
――無能者が!
伝令に対して口を開こうとすると、別の報告を携えたものが駆け寄る。
「閣下急報です! 医療キャンプいにた難民共が、シュプレヒコールと共に暴動を起こしました!」
ンクンダは帰れ! と言う部分を意識的に省略して告げる。
「蹴散らせ、解散させろ! いや、皆殺しにするんだ!」
いちいち言わねばわからんのかと不快な表情を見せる。今までも何度となく同じようなことが起きたが全て鎮圧してきた。暴力は思想に優る。
「それが四ツ星の軍旗を掲げた奴等がキャンプに現れて、交戦中でして……」
――キャトルエトワール、要塞の奴等か! だが要塞が陥落寸前なのに難民を救援するものか?
ンクンダは不可解な行動に疑問を抱いた。居なくなれば負担も減るだろう奴等をまとめて消し去るならまだしも、自身を危険に晒してまで護ろうとはしないだろうと。
――落ちそうで落ちない要塞、多数の難民の蜂起、本隊に向かいちらつく蝿共……おかしい、何か背後に敵がまだいるのではないか。ブカヴマイマイのコヤジア将軍が姿をくらませたらしいが、軍は健在だ。こいつらが攻撃に加わってきたら、数の上で拮抗するな。
珍しく長考する将軍の前で、二人の伝令は黙って控える。中断させようものならば手討ちにされかねない。
――大門を破りはしたが、千からの兵を一瞬で全滅させたのだ、偽物の劣勢を演じてはいないか? ならば目的はなんだ、俺の拠点を潰すことか。いや違うな俺を逃しては何の意味もない。奴等の狙いは俺の命なのは間違いなかろう。にしても解せんが……。
渋い顔をしたまま動かない、三人目の伝令は通信将校であった。
「将軍、ルマンガボ基地がマケンガ軍に攻撃を受けております」
「何だと」
――偶然にしては出来すぎているぞ! これは罠だ、俺をここに釘付けにするのが目的で、あわよくば倒すつもりだろうがそうはいかんぞ。
素早く脳内で算段を行い、いかに犠牲が少なく出来るかを組み立てる。
「本隊はルマンガボ基地へ向かう、要塞攻撃をしているやつらを後備えに残すぞ」
簡潔に主力温存と部下の切り捨てを決断する。兵がいる間は追撃もしまいと、スケープゴートをたっぷり。
どこかの町で強制徴募すれば、すぐに補充可能なのだ。装備させる手持ち武器など田舎の警察を幾つか襲うか、署長を脅すかすかせば手にはいる。誰の返事を待つわけでなく取り巻きに離脱を急がせた。
伝令らは行けば戻れまいと、手近な奴隷兵を捕まえ腕章をくくりつけ、自らの身代わりに走らせる。悠然と北塞の近くを通りすぎ、丘を越えたところで報告が上がってきた。
住民の保護を掲げ、ブカブマイマイの大隊が二つ現れて後備を攻撃し始めたと。
――ふん、やはりな。共同攻撃とは小癪な真似を。だが同床異夢の大団円など続くわけがない、すぐに互いに殴りあうに決まっておるわ! にしてもマケンガのやつめが調子にのりおって、ンダカンダ大将がバックにいるからと跳ねて久しいな。ここは一つ引導を渡してやらねばなるまい、容赦はせんぞ!
◇
要塞の一室にはキャトルエトワールの要人らと、ブカヴマイマイのシサンボ少佐、難民や住民の代表が集まっていた。コヤジア将軍は席を与えられず、厳しい監視下に置かれたままである。
「人民防衛国民軍のブカヴ基地を破壊し、三千人からを葬り本隊を追放することができました、皆の協力に感謝いたします」
島が起立すると総領事や三人の大尉、それに司祭も習って頭を垂れた。余りにも珍しいものを見せられて、住民代表が口を半開きにして目を丸くする。
「わっ、私達はドクターシーリネンらに感謝こそしても、頭を下げられるようなことは!」
はっと気付いて、止めてくださいと手をバタバタさせる。
「ブカヴ住民の保護だけでなく、我等の将軍の身の安全を確保していただき、こちらこそ礼を述べさせていただきます」
シサンボ少佐は姿勢をただして敬礼する。様々思う節はあっても、口を出すべき立場にはないと。
「儂ら難民はンクンダにいつも煮え湯を飲まされておった、こんな痛快な出来事はありません。キシワ大佐を称賛致します」
族長が過去を振り返りそう評した。
「多大な犠牲を出した事実は消えません。疫病の心配があります、住民に死体の処理をお願い出来ないでしょうか? 無論日当は出させていただきます」
そのままにしておけば、二日でガスにより腹がふくれて破裂、病原菌を撒き散らすだろう。
「本来ならば日当など要らないと言いたいですが、私が断れば恨みを買ってしまいます……確かにお引き受けします」
「儂らもやろう。要塞の修復もさせてもらう」
民の協力を得られ、キャトルエトワールは軍務に集中させることが出来るようになる。
「ありがとうございます」
丁寧に礼を述べる。力関係をみればそれは、不要のことであるように見えるが、だからこそ誠意を見せる。
「しかし、キャトルエトワールとは一体何者なのでしょう?」
せめて何か一つだけでも結果を携えねばと少佐が問う。無償で医療を施し、物資を配付し、治安をもたらす。大佐が頂点で国連でも国軍でもない。何一つ代償を求めずにそこにあり続ける集団が何者なのか、誰もが知りたいと思っていた。しかし四ツ星の旗を掲げる以外にヒントはない。
――今はまだ答えるわけにはいかない、だが誰ともわからぬような状態で、何故信頼を勝ち得ることが出来るか。
どう答えたらよいか躊躇する島に、族長が助け船を出す。
「キャトルエトワールのキシワ大佐、それだけで良いではないか。儂らはそれ以上の答えを求めはせんよ、違うかねブカヴの方々よ」
住民代表が深く頷いたため、少佐も追求出来なくなった。
「申し訳ありません。いずれ必ずはっきりとお答致します」
――確実に成功するまで正体を明かすわけにはいかない、迷惑をかけてはならない、絶対に。
一旦話が切れたため、実務的な内容が切り出される。
「キャンプにある医薬品を全て放出しても足らないでしょう、大至急補充をお願いします。皆さんには配付と処方のお手伝いを頼みます」
シーリネンがファイル片手に、切り捨てなければならない患者が出るのを説明する。
「大尉の見立では、何がどのくらいあれば何人の命が助かるだろうか」
諦めずとも良い人命があるならば、何とか食らい付いてみようと詳細を求める。色違いのファイルをぱらぱら捲り大体の数字を答える。
「指定医薬品が十時間以内に入手可能ならば百人、二十四時間以内に専用施設に移送可能ならば十人の命が更に助かるでしょう」
「キサンガニでも?」
「恐らくはゴマでも。ブカヴは満員でして」
二人のやり取りを皆が注目する。百人位死者が助かったところで何も変わりはしない。
――キゴマで物が手に入るか? 二時間あればある程度は出来るはずだ、それを積ませて帰りがけに負傷者を載せれば!
「シーリネン大尉、大至急キゴマのアフマド軍曹に、現地で可能な限り指定医薬品を用意するように命令を」
「なんと! 承知致しました、手配次第戻ります。皆さん失礼します」
挨拶もそこそこに席をたって部屋から出て行く。
「レヴァンティン大尉、シュトラウス中尉に緊急連絡だ。キゴマで医薬品を積み込み要塞に飛来させるぞ」
「あいよ。んじゃあたしもお先に」
満足した笑みを浮かべて早足で部屋を出て行く。
「どなたかキサンガニかゴマの病院に伝はありませんか?」
今ここで出来ることを全てやり尽くすと決意し、残った者を見渡す。
呆気にとられていたが、シサンボが真っ先に反応する。
「従兄弟に看護師が居ますが、そのような権限はないでしょう」
「構いやしない、切っ掛けを作ってくれたら後は俺が何とかする」
「わかりました」
連絡を繋ぐようにと部下を付けてやる。
「マリー大尉、要塞滑走路を整備して受け入れと搬出の指揮を執れ。実行は真夜中にずれ込むぞ」
「ダコール。ライトが無ければ松明でもなんでも御用意しましょう」
次々と命令を受けて将校らが出て行く、それでも島の思考は止まらなかった。
――シーリネンが言っていた奇跡を起こしてやろうじゃないか。ここで彼女らの出番だな!
壁際に控えているエーン少尉を招いて指示を伝える。
「フランス放送局のベアトリスを空港に待機させるんだ、ゴマ予定で」
「ゴマに部下を先発させたいと思いますが」
「許可する。セスナを使え」
「ヤ」
族長と住民代表が不思議そうにその働きぶりを見詰める。どうしてそこまでやるのか、彼が何を目指しているのか、最後まで見届けようと。
シサンボが通信士を伴い戻ってくる。
「大佐、ゴマ中央病院の理事長です」
受話器を差し出して交渉を求める。ゆっくりと受けとると、聞き取りやすいように単語を区切りながらフランス語で話し掛けた。
「私はキャトルエトワールのキシワ大佐だ、理事長?」
「ええ。大佐、当病院に空き部屋は一つもありません」
「どうしたら空けられる」
「退院していただくか転院してもらわねば」
「転院先はある?」
「あるにはありますが、各病院の特別室に振り分けるので費用が」
「幾らだ」
「は?」
「十人の転院にかかる費用が幾らかと聞いているんだ」
「二百万……いや三百万コンゴフラン」
「俺が支払う、深夜未明に患者を空輸する受入準備を行え、詳細はこちらの医師に連絡させる」
「わ、わかりました。ですがヘリポートは近くにありませんが」
「それもこちらで何とかする、理事長は病院の方だけ考えておくんだ」
「承知致しました!」
少佐が信じられないものを見るかのような目で島を見ている。目指している先に何があるのだろうと強い興味を抱く。
「ハマダ少尉とビダ上級曹長を呼べ!」
会議をしている場所には呼ばれていなかった二人を出頭させる。やってきた二人はただならぬ雰囲気に緊張しながら敬礼した。
「ハマダ少尉、ビダ上級曹長、出頭致しました」
「少尉、特殊部隊を連れて出撃だ。水上からゴマ市に入り、ゴマ中央病院の眼前にある大通を一時的に占拠する」
その突拍子もない命令にシサンボらは耳を疑った。だが二人は微笑を浮かべる。
「承ります。決行直前に連絡を、すぐに出撃致します」
何がなんだかわからないまま聞いていた住民代表が訊ねた。
「そんなことをしてどうするんで?」
「使える滑走路が無ければ都合をつけられるように、準備をしているだけですよ」
――シュトラウス中尉ならば必ず無事に着陸してくれるはずだ。
「少佐、悪いがゴマ空港の滑走路を借りられるか聞いてもらえないか、手が足りなくてね」
被害報告やら緊急の判断やらがちらほらと舞い込む為、確かに忙しそうである。
「了解です」
この時に指名されたのが嬉しくて、奇妙な感覚を得たのが彼にはよく解らなかった。
フィジ市内、ポニョ首相の私邸に人が集まっていた。ブカヴで起きた戦闘が話題になっている。
秘書官のウビがわざわざ戻ってきているのは、首相から娘のことを何とか聞き出して助けろ、との特命を受けているからに他ならない。その犯人であるロマノフスキー少佐もこの場に居た。
キベガ族を引き連れ首相に降り、フィジでの手下として名を連ねている。独自に生活基盤を抱えているため、純粋に兵力が増えるだけで、これといった条件はないままに降伏は受け入れられた。無論こうなるように情報戦を仕掛けたのだから、疑うことはない。
唯一気がかりな娘のことがわかれば、キベガ族など虐殺しても構わないのだが、ロマノフスキーが意地悪く一切連絡を行わないため、刺激しないように見張りだけされていた。
そんな彼を驚かせたのは、ロシアからの傭兵団を首相が抱えていたことである。イワノフ中佐を筆頭に退役軍人らが根付いていた、これが郊外にいた黒人でもベルギー人でもないと言われたやつらの正体である。各位が筋骨逞しい体をしているので、情報部あがりでないのは確かだろう。
――パエヴァヤの奴等か、俺でもこいつらを三人以上同時に相手したら危ういな!
一昔前はスペツナズと呼ばれた特殊戦闘要員が、ロシアで大手を振るっていた。最近は所属が違う、パエヴァヤというそれが名を馳せていたのを知っていた。彼らは主に銃器や接近戦のプロフェッショナルで、悪く言えば頭の巡りは重視されていない。
「しかしよくぞ三千人も倒したものだな」
一人のロシア人が現地訛りのフランス語で驚く。要塞は守るためのものだとしか認識していなかったようだ。
「過去の一流と呼ばれる城は、厳しい反撃でより多くの出血を強いるものだよ。守るだけなら門も何も要らんからな」
中佐がそのように噛み砕いて教えてやるが、今一つ理解できないようで生返事が戻ってくる。
「はぁ。でも守るために置くんですよね?」
「それは……だ、手をだして痛い目をみたら攻めたくなくなるだろ、結果守りを固めるよりも効果的なことがあるってことだ」
微笑してロマノフスキーが横から口をだす。雛が餌を求めているように見えてしまったのだ。誰であれ、それが味方であっても当面敵であっても、年長者が教育するのは義務だと信じて。
「なるほど、固くて割れないマロンより、スパイクの方がげんなりしますからね」
何故かいが栗を引き合いに出されてしまう。間違ってはいないが、もう少しばかりましな喩えがなかったのかと思った。
「少佐はその要塞に詳しいのだろう、あれは何者の設計だね」
全てではないにせよ、経緯を知らされている中佐が情報収集を試みる。簡単に拒否も可能ではあるが、一つ閃いたので答えることにした。
「あれはキシワ大佐によるものです」
「確か要塞司令官だと聞いたが、中々の通のようだな」
出来る男が居れば、それだけで嬉しくなる性分のようだ。
「一時厄介になっていましたが、大佐は偉人ですよ。戦わせてもそうでなくても」
「確かにこんな文化果てる地で活躍するんだ、偉人に違いはない。して少佐は何故そのご立派な司令官を裏切ったんだね」
回りの皆が静まり返り、気まずそうに直視しないで明後日の方向を向いている。が、耳だけはしっかりと漏らさず聞こうと集中していた。納得いく返事をしなければ、すぐにでも追い撃ちをかけてくるだろう。
「だからですよ」
「だから?」
「ええ、偉人でご立派で、挑戦したら勝てるかどうか試したくなった次第。しかも自分より若者です」
「何だと少佐よりも年下だって?」
「はい。才能は年齢を問いません」
真剣な表情を浮かべて中佐の瞳を射すくめる、この一言に偽りはない。強者に挑んでみたい気持ちは、戦士ならば多かれ少なかれあるものだから。
――立ち向かう壁が高いほどに力が入る、手加減はしませんぞボス。
イワノフは今まで幾多の男達を見極めてきた、表面的な嘘など簡単に見抜けると自負している。
「ふむ。やってみるかね」
信頼をしたとの合図でもあった、実力の程は首相から鉱山一つを奪ったわけだから文句はない。少なくとも部下にいる脳足りんよりは、遥かに期待が持てる。
「お許しが出るならば」
新参の外国人がしゃしゃり出るな、と言われたらそれはそれである。可能な範囲がどこにまで及ぶか、まずは枠組みから模索する。
「こちらは国軍や官軍ではないが、それらを敵にする心配はない。少佐の考えを聞こう」
要塞の滑走路に着陸して給油作業中のシュトラウス中尉にあらましを説明し、ゴマに向かってもらえるかを訊ねた。すると、
「会社を構えてこそいますが、自分は軍人だと思っております。任務を行うことで大佐殿の作戦が成功するならば、喜んで飛びましょう」
「最悪明らかな不法行為になるが」
「ですが、不当ではありません」
そのようなやり取りを終えて、医師と看護師を乗せた機体がゆっくりと離陸していった。
ゴマ空港は慢性的な滑走路不足により、割り込みは不能だと頭から拒否された。事実そうなので無理には言えない、もしそこに入っていったら衝突事故が起こる可能性すらあったからだ。
車すらも満足に走られない地域である、平らな場所を抱えているのは極めて少ない。
――残るはあそこだけか。
「大尉、ブテンボ基地に通信だ」
「ブテンボってぇと国連軍の?」
ご明察と花丸を返してやる。
「そこなら着陸可能な場所くらいあるんじゃないかなってね」
「呆れた奴だ、アポなしごめんねで許可されるわけないだろ」
そう言われればその通りとおどけてみせる。
「一応繋いでみてくれ、こんなことが無ければ電話する機会もないだろうさ」
機会なんてなくていいんだよ、とぶつくさ漏らしながら一覧から番号を調べて素直にかけてみる。真夜中に見ず知らずの者が、司令官を出せと言って真面目に取り合うのもどうかと思うが。
「国連コンゴ派遣団国連第2旅団受付です」
「キャトルエトワールだ。人命救助についての緊急案件がある、サントス中将または当直将校に繋いでもらいたい」
「申し訳ありません、受付時間外ですのでお繋ぎ出来ません」
丁寧な言葉遣いではあるがにべもなく断られてしまい、レティシアがこいつはダメだよといった顔をする。
「ま、聞いてみたかっただけさ。時間は?」
ゴマ到着まであと十五分とタイムキーパーが答える。ハマダ少尉の特殊部隊を呼び出して命令を下す。
「司令部、特殊部隊。あと十五分で到達する、目標の確保を実行せよ」
「特殊部隊、司令部。命令を実行します」
――未明の攻撃からずっと通しだ、長い一日になったもんだ。
ゴマ中央病院では深夜の急患があると聞かされ、スタッフが出入り口に集まり待機していた。
時間が遅いとはいえ大通りに面している場所だけに、車通りは絶えない。
そんな目の前に突如小銃を抱えた男たちが現れて、道路の端を封鎖してしまうではないか。病院の前後三百メートル程を括って、兵士が中にいた全てを追い出す。油を染み込ませた布を火の玉のようにし両脇に並べて、幅と距離を明らかにする。
車からクラクションを鳴らされたが、兵は無視して取り合おうとはしない。運転手もそれ以上は関わろうとはせず、迂回路へと向かっていった。
ハマダ少尉は、何はともあれ目標の場所を占拠せよ、との命令を達成できたことを確認する。
――路上に障害物は無いし舗装がなされている、幅が少しばかり狭いかも知れんがそれはどうにもならん。
通信兵が背負っている無線を手にし、短く報告を行う。
「特殊部隊、目標の占拠を完了、待機する」
「司令部、あと数分現状を維持せよ」
少しすると規則的に鳴る何かが聞こえてきたような気がした。
「機長、ゴマ市上空まであと六十秒。光の中心が街の中心で、東西に走る道路に目印があります」
副操縦士が、機長も聞いていたはずの内容を再確認する。初めての街を真夜中に飛び、場所を特定するのはかなりの集中力を要する。地域がらあまり背が高い作構物がないのがありがたいが、一つ見間違えれば墜落の危険があるのは変わらない。
「右旋回の後に東から西へ進路をとる」
機体がゆっくりと斜めになり、姿勢をまた元に戻して行く。あまり無茶な操縦は患者の傷を圧迫するため、何から何までが慎重に行われる。
遠くに細長く明るい長方形が目に入った。
「こちらJu52機長シュトラウス中尉、地上部隊、これより着陸態勢に入る準備は良いか?」
英語、ドイツ語、フランス語と繰り返して反応を待つ。
「地上部隊ハマダ少尉、シュトラウス中尉殿、いつでもどうぞ。舗装道路、延長三百メートル、両脇に灯りを置いていますが幅がシビアです」
片道三車線で凡そ三十メートル、路外が狭いと申告する。特に通り北側にある病院付近が電線など込み合っていると。
「三車線あるば降りられる、翼に触れないように離れていろ」
機体が下向きになり高度を失って行く。いつもよりは緩い角度を保ち、大通りに沿って滑空した。シュトラウスの手に汗が滲む、道路が近くなり火の玉が視認できるようになる。
操縦かんを思いきりよく押して接地する、タイヤが勢いよく回りはじめて姿勢を制御しつつ減速を始めた。少しでもコースを外れれば、翼が建物に引っ掛かり機体が突っ込んでしまう。スピードメーターが右から左にと急速に針が指す向きを変え、遂にはゼロを示す。
中尉が右手を見ると、ゴマ中央病院の出入り口に人だかりがあり、機体に向かってくるのが見えた。一つ大きく息を吐く。「Ju52、司令部。我着陸に成功、搬出作業を開始す」ついついそのように報告を行う。
「司令部、Ju52。よくやってくれた、帰着したら一杯奢らせて貰いたい」
「是非お受け致します」
看護師らが患者を病院に運び込んだのを確認して、今度は空荷だと勢いよく離陸していった。一つ頷くとハマダ少尉らも、急いでその場から姿をくらますのだった。
とある力が働いてアフリカ援助の資金のうち、一定額がコンゴキヴ州に充てられることとなった。支援団体にはエマウスコンゴ支部を名乗るキャトルエトワールが指名され、そこから急速に難民達へ還元が広がっていった。
だがそれに反対する勢力によるバッシングが報道され、波紋が繰り広げられていた。
「キャトルエトワールなる外国人傭兵を抱える不法集団は、キヴ州ブカヴ市周辺で二度に渡る住民の虐殺を行った。そのような犯罪組織を、重要な団体として認定するのは、国連と各関係機関の良識を疑う判断であると、強くここに遺憾の意を表し抗議するものである!」
慎重派の委員らが上がってきた報告書を再度確かめるが、どこにもそのような記述はなかった。だが逆にやっていないとの証明も添付されてはいない。
もう一つの騒ぎになっていたのは、ゴマ市にタンザニア籍の航空機が不法に離着陸した件である。大通りに暗夜強行着陸し、その場所を確保するために道路を占拠したことを責め立てた。入院患者を追放したとも付け加えられ、捻れた一方的な報道が加速するかと見られていた。
だが対抗報道の相手が悪かったと言える。
フランス放送局――ベアトリスにより「キャトルエトワールはキヴ州でテロリストの攻撃から住民の保護を行った。自衛の手段を持たない民に代わり戦った結果であり、非難されるべきは別である。またゴマ中央病院に急患を移送するために、ゴマ空港に緊急着陸を要請するも拒否、国連ブテンボ基地に至っては深夜のため受付時間外と、話すら聞かない有り様であった。そのため急遽大通りに着陸したものである。患者は一命をとりとめし者が九名、至らぬ結果を招いたのが一名だった。受入れのために入院中だった十名の者は、他の病院に転院措置をされており、費用はキャトルエトワールが全額負担している事実がある。これをどのように受け止めるかは、各自が考えて貰いたい」実際の映像を放映しながらそうキャスターが述べていた。どこから映像を入手したかについては、一切触れられはしなかった。
ヨーロッパへ届く放送はそれ一つしかなかったが、ヒューマンライツウォッチが会見を開いた際に、ラジオミドルアフリカの過去放送を指してコメントを発表した。
アフリカ調査員――ギネヴィアは「コンゴに於いてとある団体が、実に六万人分に上る生活物資を難民に配付しました。公的機関の後ろ楯を一切受けず、個人が運営する集団です。難民キャンプでは、美容師が女性のメイクを行うなどして大反響を呼びました。これにより心を打たれた人々が寄付を呼び掛け、それらを使い救援物資を更に運び込んでいます。我々はその活動を支持し、集団を指導する人物を称賛します。キャトルエトワールは、真に力なき者の側に立つ集まりであって、誤った報道の対象にあげられるのはあまりに残念でなりません。全ての方々には、現実と虚構を見抜く力があると信じています」全米が注目したそのコメント、ギネヴィアが指導者を見知っているかのような発言が、更に興味をひいた。
名前はまだ明かせないと回答すると、犯罪者を擁護するなとヤジが飛ばされる。それでも彼女は島との約束を守り、口を開くことはなかった。
ラジオミドルアフリカにアクセスが殺到し、ンデベが不眠不休で対応する程に、アフリカの問題に火がついた。鎮火させるために再度の反対報道が発される。
コンゴの公営メディアは言う「コンゴ人を殺し、法を蔑ろにしたのはキャトルエトワールなる集団だ。犯罪を犯したのは間違えようもない事実である。首謀者並びに関係者は、直ちに警察に出頭しその罪を認めて贖罪を始めるべきで、奴等を支持している団体は、即刻声明を取り下げるのが正しい道行きだと確信している。そもそもが善導していると言うならば、身分を明かさないのはおかしい。同団体の首謀者、キシワ大佐に公の場に現れ説明するように求める。これは我々の言葉ではなく、国民全体の言葉である。そして要求は拒否されるものではないと、声を大にして言わせてもらう」語気も荒く責任の所在を丸ごと押し付けるつもりなのが窺えた。
それでも島は一切反応を見せずに、黙って日々を過ごしている。
まだやることが残っていた、ルワンダ解放戦線、これを壊滅しなければならない。駆逐するだけでは足らない、少なくとも指導者と幹部を排除し、再起に年単位の準備が必要とされるまで叩かねば。
傷が癒えて次なる作戦が計画される間、ついにあの噂を耳にすることになる。上級曹長の裏付けを得て、事実を認めることになった。
要塞司令官室で行われている将校連絡会議、そこにコロラド上級曹長が呼ばれて調査結果を報告している。
「マタタ・ポニョ首相の側近マタタ・ウビを張っていたところ、永年勤務していた首都から先日フィジに異動しました。首相私邸には地域の私兵指導者が集められており、そこにロマノフスキー少佐の姿が認められたものです。捕虜や囚人ではなく、将校としての扱いを受けており、外国人軍事顧問団イワノフ中佐の副長として席次を得ている模様」
無表情に様々な重大報告を織り混ぜて言上する。ブッフバルトがその言葉を補う。
「キベガの丘の近くに、黒人でもベルギー人でもない軍事集団が確認されておりました。詳細はわかりません」
そのわかりませんがどのわかりませんなのかは、尋ねても決して明らかにはならない。
――イワノフ中佐だと、ロシア人の名前だな。例のブカヴマイマイが攻めてきた時の、ロシア語話者はこの一団に違いない。
脇に立つグロックは微動だにせず、休めの体勢のまま中空を見つめたままである。何かを考えている素振りも見せない。
「政府はそのような存在を?」
「公にはなっておりません、大統領が知っていても認めはしないでしょう。そんな態度です」
存在しない人間は、使う側には非常に都合がよい。無論処分するときもだ。
前の会議ではロマノフスキーは作戦中と見なすとされたが、この状態では致命的である。誰もが発する言葉もなく俯いてしまう。
――ロマノフスキーが敵にまわったとして対策すべきだ、少なくとも皆にはそうさせねば!
「わかった。以後ロマノフスキー少佐がこちらの内情を敵に漏らすと考えてあたらねばならん。為すべきを論じるんだ、大尉」
少佐の代理で侍っていたマリー大尉が、一瞬だけ表情を曇らせてから声をあげる。
「強敵ほどやりがいも増すってものだ。自分達が少佐になりきったとして、俺達をどう攻めるかを考えるんだ」
努めて明るく振舞い意見を出しやすくする。自身が担うべき役処を理解している証左といえよう。だがここでグロックが軽く島に視線を流してきた。
――意見が出る前にやらねばならぬことが? ……つまりは俺の気持ちがどこにあるかを示せということか。
「ロマノフスキーは仲間から外れた、しかも無関係ではない敵としてだ。旅団から少佐を除名する、その上で考えを出せ」
脱走による不名誉除隊を宣告した。これにより作戦の道筋が一つ消される。
「これで大佐殿を暗殺し、少佐が旅団を引き継ぐ案は無くなったわけだ。さあ考えるんだ」
敵と認定したならば遠慮はいらない、釈然としないもやもやがあったとしても、個人的な気分は考慮に価しない。
「この際です、首相の力を使って正規軍も動員して、正攻法というのは?」
国軍は強力だと知っているサルミエの体験から、もしそうなれば太刀打ち不能だと意見を出す。確かにあちこちの連隊が集まり、正面から力押しされたら守りきれるわけがなかった。
「そいつは困るな、ではそうされないための対策をするなら何だろうか」
そもそもが国軍がしっかり機能していればこのような無法地帯にはならなかったのだが、反対はしてはならないルールに則り、その筋書きを議論する。
「地域を移り正面から戦わないようにする、その間に連隊担当地区できな臭くなれば解散するでしょう」
長期戦にはなるが、身をかわすのは有効な手段だと認めて別の案を受け付ける。
「少数の兵しか与えられていないとして、ルワンダ解放戦線と交戦中に奇襲をかけてくる」
エーンはそう簡単に信用されることはあるまいと、最低限で最大の結果を出すような動きを想定した。
「取り込み中を狙うは極めて有効だ。少佐はこちらの最終目的を知っているわけだから、それは大いに有り得るぞ」
注意力が削がれると意外な隙が生まれてしまう。そして一旦後手を踏むと、簡単にはその差を詰めることは出来ない。
「奇襲を防ぐ手だては単純です、本作戦に関わらない専従の防衛担当が居ればよいので」
「ま、それがエーン少尉なわけか。護衛部隊に防衛の指揮権を付与すると覚えておこう。他は」
ロマノフスキーが除外されてしまい、次席に繰り上がったマリー大尉が早速全体の構想を気にし始める。
――良いことだな、マリーならばやれるはずだ。しかしロマノフスキーに何があった、金や待遇では変な気を起こすやつじゃない、刺激を求めて冒険したくでもなったか。
「何せボスが権力の側です、政府からの司法取引なりで、武装勢力に我々を攻撃させて出血を強いる流れは?」
漠然とハマダ少尉が示唆する。それがブカヴマイマイのことだとまでは繋がらなかったようだ。
「功績がよそ様のものになるだけでは少佐のプラスにはならんな。もう一声続きはないのか」
不足を指摘するとマリー自身も考える。
「……補給路を絶たせて自らが主攻撃?」
――キゴマの補給基地に直接軍を派遣は出来ないだろうが、工作員を入れて破壊くらいはするだろう。そうなれば彼等だけでは荷が重いぞ。補給を絶たれるわけにはいかんが、水上の経路はあちらも自由に動くぞ。
大尉も重要な一言だと気付き、何らかの対策をしなければならないと考える。
「どかんと一発船に当てられたらお仕舞いか、かなり分が悪いな」
――あちらにも使える船の十や二十はあるだろう、実際それを防ぐのは困難だ。そこで発想を逆転させるわけだな。ギセニやゴマあたりから買い付けて当座を凌ぎつつ、一杯喰わせてやればオチオチ手を出すまい。Ju52による空輸も組み合わせるか!
暗雲が立ち込めたような会議に、島が言葉を投げ込む。
「補給線を攻撃させて出てきた奴等を叩けば、暫くは大人しくなるだろう。他の街から輸送させたり、Ju52で空輸を並行させれば暫くは困らんからな」
「待ち伏せですか! 敵も驚くでしょうな、狙っていた獲物が突然噛み付いてきたら」
準備が出来次第で網を張ろうと話がまとまる。救援物資が減ってしまうのが気掛かりであるが、難民とて何時くるのか知らされているわけでもなく、何より当たらないのが普通で暮らしてきているので、我慢してもらおう。
「あのギカランのことだ、どれだけ自分が辛くとも政治決着で勝ちを拾うやつじゃない。勝ちが見込めなくなりゃ、敗けを認めることもあるだろうね」
具体的に何をどうだとまでは言わないが、ロマノフスキーの性格を捉えた所見は島も認める。
「姐さんが指摘したように、敗けを認めてくれたら色んな部分で解決するが、さてどうしたらそうなるかを考えてみて欲しい」
手のうちようがない状態、無謀な手段しかなくなれば素直に諦めるだろうと納得する。
「実際問題として、自分は少佐と格闘しても勝てる気はしません」
悪びれることもなく吐露するブッフバルトであるが、この中の誰もがそうだと頷く。
――それだけは仕方がない、あれに勝てるやつは皆無だ。
敗北主義者と罵っても良さそうな話題ではあるが、レティシアですら茶化すことがなかった。
「腕っぷしで敵わないならば、頭を使うしかない。大佐殿に及第点をいただける名案を出すんだ」
この面ですら勝てなければ最早運に頼るしかなく、指導者としては無能者の烙印を押されてしまう。
「少佐が副というならば、中佐やフィジの責任者から疑われるような情報を流しては?」
サルミエがそう事も無げに言うと、マリーが少し怒気を孕ませながら応える。
「実力を出させずに戦う意味から言えば有効だろう」
事実は事実として認める、しかし採用は見送られた。至極単純な話、組織のボスが認めないのを知っているからである。
「小部隊での作戦指揮、少佐が敗けを認めるならば、これに破れた時ではないでしょうか」
言いづらそうにブッフバルトが提言する。
――小部隊で、か。二人で作戦していただけあるな彼は。今の今まで確かにそれで負けたことはない。ニカラグアでのあれは四百が待ち伏せにあって三倍以上に囲まれた、戦術ではなく戦略に破れただけだ。それも責任はどちらかといえば俺にある。
雰囲気を悟るには付き合いの長さや相性だけでなく、どれだけ対象を知り得ているかが重要になってくる。
「得意分野で土がつきゃ諦めるだろうさ。殴りあいは無理でも撃ち合いなら別ってわけだね」
鼻っ柱へし折ってやんな! と、レティシアが賛成票を投じるのに合わせて数人が頷く。
「では少佐の部隊を誘き寄せる手段を講じようじゃないか」
別に正々堂々やらねばならないルールなどありはしない。逆にいかにして裏をかくか、そちらこそが大切であったりする。
だが今回は特別な条件として、ロマノフスキーを倒すではなく敗けを認めさせる、との困難な設定がなされているからだ。正面から当たり負けないかぎり、彼は決して諦めることはないだろう。何せボスと共にずっとずっと在ったのだから。その意識は島も含めた全員に共通していた。
部隊内で体調を崩す人物がちらほらと見掛けられた。アフリカ地域独特のそれは、主に別の大陸に生まれ育った者を襲った。
「大事には至りません、長逗留の代償ですよ。しかし大佐は別状ありませんね?」
誰しもが患うわけではないが、確かに島は元気一杯である。
「願わくばこのまま過ごしたいものだよ。体力なら若いやつらの方があるだろうに」
言ってから自身より年下の部員が誰だったかを考えてしまう、案外少ないのはわかりきっている。
「予防接種も何度か繰り返せば、微妙に効果が違ってきます。以前そのようなことはありませんでしたか?」
指摘されて首を捻ってみる。
「んーそんなことは……あっ!」時を遡っていって心当たりを見付ける。「前にスーダンに入る前にやったな、かれこれ五年は前だが」
「なるほど、スーダン地域とコンゴはウイルスの宝庫です。その予防接種で一部の免疫がついて、合併症からの発病が止まったのかも知れませんね」
――するとロマノフスキーも病気に倒れたりは心配ないか。理由こそわからんが、そんな別れはごめんだからな。
「一度発症してしまえば二回目はありません。そのあたりも参考にどうぞ」
他にもみてまわらなければならないと、大尉が部屋を後にする。
一息ついてからコロラドを呼び出す。奥の手といえばこいつだろうと。いつものように、だらしない格好の上級曹長がやってきて、不細工ながら敬礼する。
「やって参りました、大佐殿」
「うん。兵士でだがフィジの出身者を見付けて潜り込ませたい、可能か?」
ノと言われたら方向性を少し変えるが、コロラドはスィンと頷く。
「役どころはたった一つだ、諜報も連絡も一切不要だよ」
近付くように手招きをして内容を耳打ちする。
「して条件は?」
「年収が三百ドル見当だという地域だ、出しすぎると逆に信じまい。百ドルあたりで小道具は用意してやる感じでどうだ?」
少し考えてからコロラドが意見をあげる。
「失敗しても家族に半分渡すからと親を交えて仕込みます。情報漏れは自身の利益を損ねるため、問題ないでしょう」
「まあ任せるよ、思うようにやってくれ」
「スィン!」
信任され預けられる、コロラドはその感覚が嬉しくて、つい声を大きくしてしまった。
◇
一つ二つと不埒な集団が駆逐されても、ブカヴの治安が劇的に回復することはなかった。大きな組織がなくなれば、中小のものがとってかわった。ただそれだけとは言わないが、依然として地獄であることに違いはない。
ブカヴマイマイで異変が起きた、要塞が攻められた際に住民保護に出た二個大隊と、動かなかった四個大隊とで袂を別ったのだ。共にコヤジア将軍を推戴する姿勢は一緒であるが、四個大隊はシサンボ司令の命令には従わないと通告してきたと言う。同格の少佐に指揮を受けたくないのと、別の意図とが絡み合っているのは想像にかたくない。
かといって四個大隊が結託しているかというと、そうではない。それぞれが個別に勢力を張っているので、小さな縄張りに居座るような形が散見されている。
キャトルエトワールは基幹となる手兵こそ数百であるが、難民自警団やマイマイの協力、そして何より住民の後押しを受けているため、対抗する組織は次第に警戒を強めてきていた。それを実力の評価とみるかどうかは、それぞれの受け止めかたである。
「では報告を受けよう」
司令官室で椅子に浅く腰掛けて大尉を見る。若手の筆頭である彼は二十代後半であり、次代のリーダーとして着々と経験を高めてきていた。
「はい、ルワンダ解放民主軍は元のルワンダ国軍が集団で避難してきた、政治難民と言えます。特に権力側に居たものは、亡命としても差し支えないでしょう」
政権に反目して危害を加えられては大変だと、都落ちした有力者が兵を抱えて河を越えたのが彼らである、とマリーが説明する。もしルワンダで現在の政権が力を喪えば、すかさず乗り込み返り咲こうとする。それだけに様々な手段でカガメ大統領の足を引っ張っていた。
ルワンダ政府からしてみれば、そんな解放軍は消えてなくなれば最高である。だがコンゴにも親ルワンダの有力者がいてその支援をしているため、両国から排除対象にされているにもかかわらず、勢力を保ったまま存在していた。
税収があるわけではないので現地で収奪を繰り返す、そしてその罪をルワンダ政府になすりつけてしまう。一石二鳥だと考えているのかどうか、住民にしてみれば、出ていってくれと叫びたいものであろう。
「とはいえ難民登録をしてるわけでも、政治活動をしてるわけでもないと」
可愛いげのないやつらなのだ。姿は見えても存在はしていない人間。だが自分達も似たようなものだと、苦笑いしてしまう。
「そんな奴等は首脳部を蹴散らせば、実態を喪うと見ています。一昔前とはいっても正規軍とまともにやりあうのは、得策ではありません」
今までとは勝手が違うと注意を喚起する。ようやく作戦を説明する前段階に差し掛かった。
「作戦案を述べるんだ」
「将校連絡会議から司令官に提案いたします。コンゴ軍ブカヴ連隊をルワンダ解放戦線にけしかけて、隙を作り指導部を排除します」
つまりはロマノフスキーがやってきたら困ると言っていたことを、役者を替えて行うとの話である。
「うむ、詳細を」
「はっ。両者は敵対関係にありますが、双方の司令官命令により、直接的かつ積極的な戦闘を避けているように考えられます。特にブカヴ駐屯連隊は、作戦行動のみの活動に限定されていると見なせます」
――断言はいただけないが、軍にやる気が無いのは確かだろう。
そもそもが秩序を保つつもりならば、とっくの昔に血みどろの戦いが行われているはずである。それがルワンダ軍と共同で、しかもわざわざ取り逃がすようなまずい動きしかしないのは、事情があるに違いない。それもろくでもない何かが。
「で、実際問題としてどう焚き付けるつもりだい」
そこが上手くいくならば先も見込めるだろうと、ポイントを押さえにいく。
「根も葉もない噂が飛び交ったり、実弾が撃ち込まれたり、イタズラの種は山ほど考えてあります」
リクエストがあればアレンジしますよと笑う。人は機械と違い感情がある。積みかなさった鬱憤や不安は、幾分か粗い判断に繋がるものだ。
「良かろう、マリー大尉が頂点でやってみるんだ。俺は囮役が控えているんでね」
「適材適所になっていたら良いですが」
少なくとも大尉なんて小者では囮になりませんな、と敬礼する。
「いずれは君が部隊司令官だよ、それまでは勝手にくたばるなよ」
「買いかぶりは良くありませんぞ」
半分本気で言ったのだがわかったのやらどうやら、マリーは姿を消した。
――囮は良いとして、まだ作戦までに時間があるな。俺だけ遊んでいるわけにも行くまいが、ブカヴ近くでうろついたらまずかろう。賞金首がハンターの前に出るようなものだ。実際に賞金がかけられていてもおかしくはないがな。そうなると要塞の中か遠く離れてかしかないか。空路を頻繁に使うのはJu52だ、あれに便乗したら気づかれにくいな。キゴマにも将校を置かねばならない、一人引っ張ろう。兵力も増やしてやらねば。
サルミエ少尉を副官にしようと考えていたが、自身が暇になってきたので補給基地に置こうと改める。タンザニアからケニアに飛んで、大使と話を擦り合わせてこようと思い付く。
――ルワンダの件では世話になったからな、大使に点数稼ぎさせてやりたい。ナイロビでやるか!
そうと決めたら善は急げとエーンを探しにいく。と言っても部屋のすぐ外にいるはずだが。
ゆっくりと扉を開けると黒人が立っていて「どちらへ?」と声をかけてきた。軽く「ああ、ナイロビだ」などと答えると、白い歯を覗かせて準備に場を離れていく。
「シュトラウス中尉、世話になるよ」
ドイツ語でそう声をかけて微笑を浮かべる。処理は少し先になると前置きし、勲章を申請した旨を告げてやる。
「勲章を?」
「中尉は危急に際してその勇気と技術を発揮し、危険を承知で負傷者の搬送を成功させた。どこの軍であっても称賛される結果であって、それを記念の形にしただけだよ。受け取ってくれるかい」
「はっ、謹んで拝受させていただきます」
名誉である。軍人、特に彼のように退役してからも軍人たらんと意識を堅守しているような者にとって、勲功が認められるのは最高の報酬なのだ。副操縦士もだよと笑みを向け、座席に向かう。
要塞の死角から素早く全員が乗り込み、人員の移動が漏れないようにと配慮する。珍しく帰路にも荷物を抱えたが、機体は全く変わりなく離陸した。
サルミエとエーン以外は兵士しか連れていない。その兵士とて子飼いの者なので、気付かれたとしても暫くは時間が稼げるはずである。大事が起きたときに備えて、司令官室にはグロック先任上級特務曹長が詰めているようにと残してきた。
不思議なもので島が敬意を持って接しているためか、下士官である彼に対して、将校らも一目おいて付き合っていた。今回とて司令官代理の席次はマリー大尉であるが、司令官室――つまりは司令塔としての役割は、グロック先任上級特務曹長を据えたのに反対はなかった。
――あいつに将校にあがるのを、うんと言わせる方法は無いものかね。
本人の意思だけである。まわりには文句を言わせないだけの、経歴や実績は山ほど積んできている。何が理由で昇格を拒んでいるのか、一度ハウプトマン大佐と話をしてみようと決めた。
ゆったりとしたスペースで寛ぐ。爆音に慣れてしまうと居眠りすら可能になるらしい。
キゴマ空港で給油を受ける時間を利用して、少人数にわかれて補給基地に移動する。
誰何を受けた、キシワ大佐だと名乗ると道を開けて、指揮所に案内された。四人も入れば一杯になるような小さな部屋で、アフマド軍曹が資料に目を通している。不意の入室者に軽く振り向くと、跳ねるように立ち上がった。
「大佐殿! 急にいかがなされました?」
「人員増強だ。ロマノフスキー少佐を除名した、ここに破壊工作をかける可能性が高い。サルミエ少尉を配属するから、以後は彼に従うんだ」
「少佐が? ……承知いたしました……」
アフマドを島のところに連れてきたのがロマノフスキーなだけあって、随分と気になるようだがこの場では言葉を飲み込む。彼はサルミエと殆んど組んだことがない、心配はあるが警備はパラグアイのオビエト伍長が担当なので、そちらの相性を重視した。
その異動すら、島が要塞を離れるための隠れ蓑に使った節がある。何せ今やただの参謀でも部隊の指揮官でもない、複数の部署を統べる司令官なのだ。中でも大きく自由裁量が認められた遠方軍の。
国家の重要人物になればなるほどに、個人の自由は失われて行く。議員になれば勝手に海外旅行も出来ず、軍司令官になれば軍区から出るのも申請が必要になる。それと比べればまだましではあるが、反面注意警戒は厳しく求められる。
一般市民であった島が三十代半ばでこうなった理由、恐らくは多くの者が笑い飛ばして信じないだろう。だが彼がそこに在る事実は、決して曲げられるものではない。
キゴマで一報を入れた後にトドマへと向かう。そこから民間の航空会社を使って、ケニアの首都ナイロビにやってきた。
東アフリカの国際的な活動の要衝になっている都市ではあるが、治安のほどは今一つと言わざるをえない。それでもアフリカとはかけ離れた風景――高層ビルが立ち並ぶのを見ると、マイナス印象が薄れる。
ニカラグア大使館にタクシーで乗り付けると、周辺にある建物にかなり劣るのがわかる。
――予算削減か、致し方あるまい。国が倒れるかどうかのせめぎあいをしている最中だからな。
ぎしぎしと不快な音をたてて扉を開き「こんにちは」と口にしながら中に入る。受付男性が不思議そうな顔で島とエーンを見ながら応対する。
「大使閣下はいらっしゃるかな、イーリヤだが」
「コロネル! お待ちしておりました、ご案内致します」
――珍客の上に珍獣みたいなものだ、多少の反応は目を瞑るさ。
スーツをビシッと着込んだ受付が、大使執務室の扉をノックして来客を告げる。わざわざ扉を開いて入るのを待ってくれて、恐縮の限りだと苦笑いした。
「大使閣下、イーリヤ大佐です。お忙しいところお時間いただき、ありがとうございます」
きっちりと挨拶を述べて大使を持ち上げておく。
「うむイーリヤ大佐、よく来てくれた大歓迎だよ。君のことは首相閣下から聞いている、可能な限りお手伝いさせてもらうよ」
笑顔でそう迎えてくれる。歓迎なのはあながち嘘ではないかも知れない。何せ本国に連絡をとる際に、直接閣僚と話が出来るのはかなり有利なのだから。
「暖かいお言葉痛み入ります。我が儘にお付き合わせして申し訳ありませんが、早速国連ナイロビ事務局にご足労願えればと」
機関の事務所、つまりは本部分局がここにあるのだ。イーリヤ大佐名義ではなく、大使名義でアポイントメントを取り付けるのが目的であり、一つの返礼でもあった。
「恥ずかしい限りだが、本職は事務局に顔が利かないが……」
もしあてにされているとしたら、難しいと断りを入れられる。
「アフリカ高等難民弁務官補とは、自分が面識がございます。閣下の随行者としてお連れいただきたく思います」
主賓は大使だとはっきりさせておく。
「そうか、ありがたく顔繋ぎという支払いを受けさせてもらうとしよう。最大の報酬は、大佐の活動結果になると確信しているよ」さあ行こうと腕をポンと叩く。
――変に期待をせんでくれ。
苦笑して大使の後ろに従うと、旧式の黒塗りセダンが待つ場所へと歩いていく。
国連人間居住計画本部に足を運んでいたマグロウ弁務官補が、事務局で会談に応じてくれた。外部で接触ももちろん可能ではあった、敢えてニカラグア大使を繋げるためにそうしたのが、先に言ったことに通じる。
「紹介致します、こちら駐ケニアニカラグア大使ランデイア、あちら国連高等難民弁務官補マグロウ氏」
島が間に立って双方の紹介を受け持つ。にこやかに自己紹介を重ねて後に、大使が自ら場を譲り渡す。
「先だってはギネヴィア女史に援護射撃をいただきました。イーリヤが感謝していたとお伝えいただけたら幸いです」
「いや大佐は素晴らしいことをやってのけました。あなたを批判するのは法的には理がありますが、現実にはその道を行かねばたどり着かない結果だと理解しています」
大きな声では言えないがね、と片方だけ唇のはしをつり上げてウインクする。
「ご理解いただきありがとうございます。いよいよ勝負に出ようと考えております」
心なしか声を低くして喋る、微かでも緊張をしているため声帯が絞られるからと。
「私に出来ることは?」
マグロウにも立場がありかなりの制約を受けているのを鑑み、中でも彼にしか無理な役割を求める。
「見返りはございませんが、住民による自治区の支援をお願いしたく」
厳しい顔をして、それが無理なことだとして拒否する。
「残念ですが政治的な運動を支持することはしかねます」
「いえ自治や独立への後押しではなく、そうなった際に係争中地域の生活支援をです」
コートジボワールの件や他でもそうであるが、国連は中立の立場でなければならない。だからこそ国に干渉可能な組織として存続している。合意や基準などの不都合は多々存在している。それを差し引いても幾分かプラスになるので各国が資金や人材、領地を提供しているのだ。その姿が正しいわけではない、単に影響力があるとの話でしかない。
「貧困地域保護支援プログラムと、難民支援計画とを並行して立ち上げれば、現地職員を使って国連が監視を」
――ここでグロックのチャンネルが生きるわけだ!
「住民から直接的に、汚職をしていたり怠慢な職員を名指しにしたリストを得ています。それらを外し、精力的な者を上長に選任してもらいたいです」
「リストが?」
誰がどのように集めたものか、公正なものかを問われる。
「キャトルエトワールが音楽番組として名を知られた後に、各地に名ばかりの事務所を設置いたしました。難民支援を実施し始めてから実態調査、密告や愚痴の類いを収集しました」
「すると公的なものではない?」
「タンザニアのラジオミドルアフリカ、あれに集計させていますので信用はそちらに」
言ってから仮にコンゴ政府が出すリストがどれだけ信用出来るかについて、マグロウ自身が苦笑してしまう。
「こちらで追跡調査を行いましょう。大佐はそんなに昔からこの計画を?」
だとしたらかなり先見の明があると唸る。
「実は自分のところの最上級下士官が手配したものでして」
「最上級下士官?」
意味はわからなくはないが、わざわざそれを話題にしてきたところに興味を持つ。
「彼がもし将校ならば、自分が部下になっても構わないと思わせる人物です」
「それが何故下士官?」
「昇進を嫌がる頑固者でして」
苦笑しながら、本人の意志は尊重されるべきですよと頭を振る。
「大佐が、イーリヤ殿が何故困難に立ち向かえるかわかったような気がします」マグロウが体の向きを変える。「大使閣下、我々はコンゴへの国際支援を後押しする約束をいたします」
「では私も、その結果のアドバンテージを活かすよう努力致しましょう」
島がどのようにして自治へ誘うかは全く触れてこようとはしない。それもそのはず、なったら動くという流れで、余計な部分を耳にすると思わぬ損害が降りかかることがある。
何でも知っていて判断を下すのと、そうではない状態で判断をするとでは前者が有利に見える。一概にそうならないのが現実であり、情報というものなのを仕事柄二人が良く理解していた、島もそうだと解釈して深くは語らなかった。
マリーが言う下準備とやらに幾ばくかの時間が費やされた。受けた傷が徐々に回復し機運が高まる。
国軍は東部の軍管司令官に、戦いを控えるように指導を勧告した。命令を出せない弱味である、現場から受理はしたが相手次第だと突っぱねられてしまう。それも当然で仕掛けられてから追々反撃に移るようでは、圧倒的に不利なのだから。そうと知りつつ専守防衛などと掲げるのは、極めて異端な様である。
他方でルワンダ解放民主軍も、苛立ちを抑えるのに躍起になっていた。何せ身に覚えがない非難を受けて、正規軍とまた衝突寸前とは穏やかではない。だからと言いなりになったり弱気では、影響力に陰りを見せてしまう。
折角コンゴ民主党――人民防衛国民会議軍が遠ざかったのにその機を利用できないとなれば、指導者の鼎の軽重を問われてしまいかねない。本国を離れて支持者からも見放されては、再び陽が昇る前に埋没してしまう。非常に難しい舵取りをさせられて意識が一方に向いた、その時を待っていたマリーがついに島のオフィスの扉を叩く。
「司令官、時期が到来しました。潜入部隊によるルワンダ解放軍首脳部排除作戦の実行を進言致します」
ここに至るまでに様々なケースを想定した人選と訓練が行われていた。潜入部隊の長にエーン少尉を指名してくる。
「護衛の長を敢えて外して、囮を目立たせる発想は悪くないな。だがエーンを喪えば彼に属している部族が不満を持つぞ」
「それですが、ドゥリー曹長と見分けがつく人物は少数でして」
にやりと意味ありげな視線を送ってくる。
「替え玉か!」
――となるとドゥリーが部隊を仕切る実力があるかどうかに掛かってくるわけだ。指揮能力面では劣るだろうが、これを乗り越えれば一皮剥けるのも事実だぞ。
「黒人を中心にレオポルド伍長など、ルワンダ関係者を一部含めました」
「ルワンダの偽装難民が混ざってはいないだろうな」
バギャンブの言葉が頭を過った、何せ騙しあいなのだ後手を踏んだら最後、成功は遠退く。一瞬眉をひそめてから苦い表情を作り「疑わしい者は外して入れ替えます」と答える。言語面で理解しない人物を混ぜるわけにはいかないのだ、分母は小さい。
「いや違うぞ大尉」否定して少し考える間を与え「怪しいのを外すのではなく、信頼できるやつを用いるんだ」
大丈夫だろうと思っていたやつが実は、なんてことになれば目も当てられない。能力の疑問は作戦の立案でカバーする、自身が現場に居ないのだから自然とそうなる。
「人選を改めます。外すやつは疑念を持たれないよう、事前に集めて一日眠らせておきます」
「うむ」
――眠らせておくか、それは気付かなかったな。寝て覚めて終わっていれば諦めるかも知れんからな。下手に害するより名案だぞ。
「エーンには俺から話しておく、というよりドゥリーから知らされているか」
「それはありません。一切の口外を禁じていますので」
――するとエーンが知っていたら、作戦自体を練り直す必要があるな。一切とは俺に対しても禁ずるわけだから。
マリーも一種の試験のようなものだとして、箝口令を出したのだろう。
「わかった。では明日一番に報告するんだ、そのまま実行させる」
「ダコール」
指揮官は常に試されている、島も例外ではない。
夕刻にたっぷりと睡眠をとって真夜中に起床させた。部隊は大尉に率いられて闇に溶け込んでいく。
下士官の軍服を着たエーンは、いつもと変わらずに島の傍に待機していた。
――罠は二重、三重に張らねばなるまい。
今日の居場所は司令官室である。何か小細工するには周りにばれずに丁度良い。コロラドに一つどんなものかと打診してみると、やってみる価値はあるだろうとの反応が得られた。早速こっそりと準備するように命じる。
――ロマノフスキーなら後方で座っていることもあるまい、イワノフ中佐がいる限りはな。現場あるいは前線に出て指揮を執るとして、どんな要件を選ぶか思考をトレースするんだ。
目を瞑り腕組をしたまま黙る島を目の端で捉えたまま、エーンも同じように沈黙を保つ。一度抜き差しならない動きが起これば将校に早変わりする予定であるが、それまではドゥリー曹長を演じる。
子供騙しではあるが、より重要なのは潜入部隊に選抜されているといった部分なので、効果は既に発揮されている。どこかに混ざっている裏切者を介して、反対勢力も知り得ているだろう。
無線を封鎖したままハマダ少尉の中隊は、ブカヴ駐屯連隊の基地近くに進出していた。同じ頃にブッフバルト少尉も、ルワンダ解放軍の縄張り近くに待機していた。
そこから少しはなれてエーン少尉に扮したドゥリー曹長が、潜入部隊を闇に伏せさせ混乱が起きるのを待っている。
中間に指揮所を構えて予備兵力を控えさせたマリー大尉が、夜光反射塗料が塗られた時計を確認していた。
「開始まであと五分か。異常がなければ早晩始まるぞ」
中止の判断をするかどうかは大尉に任されている。だが実行は時間が来たらそのままとの取り決めで皆が動いている。
寝静まってから二時間か三時間位、隣の人物の顔すら判別できない新月の夜。放射冷却のせいで肌寒いはずなのに、額には汗が滲んでいる。秒針が最後の数秒を消化して、何事もなく時を刻み続けている。
「始まったな……」
数分であちこちの無線を傍受出きるようになるだろう。そこに割り込んで火に油を注ぐのが本部の役割でもあった。
遥か昔から存在する策略が成功するかは、その時にならねば仕掛けた本人にもわからなかった。
「やれっ!」
闇に控えていた兵士が、一斉に手榴弾を投擲して後に銃撃を加える。被害を与えるのが目的ではなく驚かせるためだ。
適当に進出し道路に爆弾を設置する。運悪く車両が飛び出せば、先頭が引っくり返る寸法である。
声は上がるが反撃は鈍い。ハマダは全体を見渡して、もう少し粘れると黙って攻撃を続けさせた。寝入っていた兵士が慌てて飛び出してきて、銃を忘れてきたことに気付くと舞い戻る。下士官が声をからして反撃を叫び続けると、ようやくルワンダ解放軍が夜襲してきたのだと知らされる。
日夜嫌がらせを続けてきていよいよ攻撃をしたかと納得し、将校が命令を下すまで基地に拠って戦うよう指示した。ある程度の数が抵抗に加わってきたので、わざとルワンダ解放軍の旗や装備を置き忘れて引き下がる。
少数ながら保持が確認されていたグレネードを撃ち込んでから、一目散に縄張りがある方角へと逃げ出して行く。襲撃者が居なくなったのを感じて偵察が進出、置き忘れた装備を回収して報告を行ったまでは少尉らにもわからなかった。
偽の部隊は誘き寄せるために完全に突き放してはいけない。少し離れては攻撃を仕掛けて、追撃を振り切る努力を繰り返す。次第に釣り出されて疑念を抱いた者が、襲撃者の数がやけに少ないのを指摘した。
司令官の指導を思い出して、一旦は連隊長に伺いをたてようと通信機を手に取る。その傍らで複数箇所から配置につけだの、敵を発見しただのと聞こえてくる。
大佐に繋がった瞬間に近くで爆発が起きる、グレネードが着弾したのだ。どうするかではなく、反撃の許可を申告すると即座に了承が返ってきた。
装甲車を前面に押し出して、軍用の照明弾が打ち上げられる。遠くにハマダ達の姿があるのが明らかにされた。軍用のものは凡そ四十秒ほどあたりを照らし出す機能が与えられている。方向性を決めて詰め寄る先を確認するには、充分な時間が確保された。
ルワンダ解放軍の傍で待っていたブッフバルトが動いたのは、その頃である。遠巻きに迫撃砲や機関銃で攻撃を加える。正規軍が扱っている武装を真似て選択した武器は、一部が代用であるが誰も気にしなかった。
平時であれば耳ざとく、発砲音が異なるものが混ざっていると指摘したかもしれない。だが寝起きでそんなことが出来るものは居なかった。
警備だけでは対応不能だと、総員起こしがかけられ、わらわらと人が現れる。進出してくる歩兵が見え始めると迫撃砲や歩兵の一部――重装備の者を一足早めに下がらせる。
長射程を生かして、機械化部隊がルワンダ解放軍の足留めをしながら、背後に迫るハマダ少尉の部隊を待つ。秘かに退避させた者が本部に合流した。双方の囮が交わる寸前で機械化部隊がライトを消して脇にと走る。
残された歩兵はサイード軍曹に指揮され散発的な発砲を繰り返しながら、コンゴ軍とルワンダ解放軍が直接戦うまで粘ってから逃げ出した。
本格的な交戦が始まる。私語の禁止は常から厳格に決められていたが、あちこちから罵声が発せられている。その殆どがキャトルエトワールの潜入工作員が敵に交じるようにして出したものだ。混乱を脇目に、夜警に出ていた小部隊が縄張りに戻ったとして収容される。すぐに再出撃するぞと叫びながらもあらぬ方向へ進んだが、止めるものは居なかった。
要塞は静かであった。世の中は平和だと錯覚する位に物音が聞こえてない。大規模な作戦中だけに、今夜は全員が待機で過ごしている。声がかからないうちは上手いこと推移しているのだとわかっているのだろう、各自が思い思いに時間を過ごしている。
通信室も静かで短距離無線――三キロ程度の戦闘部隊間交信でことたりている戦況なのが窺える。レヴァンティン大尉が居るには居るが、責任者は下士官である。彼女はゲストとして扱われている、そのため自身の行動についてのみ責を負っていた。
島に押しきられる形でニカラグアからアメリカ、そしてアフリカにまでついてきているが、未だに何故そうしているかは本人もはっきりと答えることは出来ていない。もし無理にでも理由が必要だとしたら、彼女自身の経験の場を求めてと答えるだろうか。その実まわりに居なかったタイプの島が気になり、傍にいるのも否定はできない。無論本人は決して認めまいが。
詰まるところ何と無くと表すと身も蓋もないから言わないだけで、はっきりとした目的はない。
元はといえば成り行きでベッドを共にしたのが始まりで、エスコーラのプロフェソーラが必要になったのは後付けである。これが逆ならこのような状態にならなかったに違いない。
恋人未満との枠を二人に当て嵌めるとしたら、案外そのような関係に収まるかも知れない。年齢や立場が素直にさせないだけでなく、歩んできた道が見えない何かを存在させていた。
人生に回り道は必要だ。少なくとも彼女は、コロンビアで精強なマフィアに目をつけられると承知で身を引かない彼を、特別に思っていた。
「おい一等兵、二十七番の集音マイクを拾え」
何かに気付いたようで、特にその番号を指定して傾注させる。
「……足音でしょうか? たまたまマイクの傍を通ったようです」
「数を聞き取れ。二等兵、マイクの位置と警らのルートが重なっていないか調べるんだ」
レティシアはたまたま耳に入った音が何か気になり究明してゆく。直観と言えようか、普段ならば歯牙にもかけない些細なことが、妙に胸騒ぎを起こさせたのでその感覚に従った。
「パトロールの道には使われていません」
続けて一等兵が「十以上、二十以下」答えると目を細める。
「ネズミが入り込んだね。……おい、北西に十数人のグループが潜んでるようだよ、二十七番マイクのとこだ」
司令官室の通信をオンにして島に判断を求める。
「二十七番か、その位置はいつ頃設置?」
「ンクンダの奴等がきた後にだよ」
数秒間の無言の後に「そのままにしておいてくれ」考えがありそうな口調で返してくる。レティシアも「あいよ」とだけ言って、通信士には聞き耳を立てておくようにさせて、特に行動を起こさないようにした。
――どこかの偵察か何かなら騒がない方がいいが、工作員の類いなら入り込んでくるだろうね。そうなりゃ狙いは少ない、要人か要所か撹乱か。あいつのことはプレトリアスが居るから良いだろう、正門は少数では落ちない、武器庫あたりは要注意だね。教会や総領事館にイタズラされたら騒ぎにはなる。
警備のうち内城の巡回を増やすように命令が出された。
――すると残るは教会だね。敢えて狙わせるつもりだとしたらあいつの目的は何なんだ?
でこぼこの荒れ地に伏せている一団が居た。双眼鏡で要塞の方角を観察している。
――落ち着いているな、だが主力が出払っているのは間違いない。凡その数と指揮官まで漏れ聞こえてくるとは、ポニョ首相もとんだくせ者だ。
戦闘服に身を包み、白い肌には黒の顔料を塗りつけた。FAMASを背負い変化が起こるのをじっと待つ。
イヤホンからは、無線で交信されている内容がごちゃ混ぜで流れてきている。ゾネット以下のキベガ戦士たちは、言い付けを守り声を出そうとはしない。他方でウビに付けられた残りの半数の兵士、こちらも音をたてないよう注意している。
――まだ完全に任せられずに監視つきってわけか。南北で異変の後に難民居住区で騒ぎが立て続けにあれば、黙ってはいられんはずだ。少しでも兵を派遣したら隙が生まれる、陽動とわかっていても対応しなければならないのが性悪だと、俺自身も思っちまうよ。
ゾネットが腕をつついて遠くを指差す。遥か彼方にぼやっと灯りがあるようなないような。陽動が始まったのだろう。
イヤホンから叫びが聞こえてはくるが理解ができない。
――雰囲気だけで充分過ぎるほどにわかるが、どうやって侵入したものか。
反対側からも光が見えると示唆されるが、そちらは全く判別不能である。月明かりは満月でも昼間の一億分の一程度しか光量がない。まして新月――星明かりで曇りになれば、更にその百分の一となる。それでも見えるならば、最早肉体構造からしてDNAレベルの差異があるとしか言えない。
難民居住区でも火の手が上がる。俄に恐怖が伝播してンクンダが襲撃してきた時の惨事が思い出される。警備は混乱し要塞に指導を求めて、すぐに助けを乞うようになる。
背後にキャトルエトワールが居るから堪えられるのであって、頼みの綱が無くなれば離散してしまうことすら考えられた。アフリカ人は指導者を欲する、それも揺るぎない強固な人物を。機関や合議の結果ではなく独裁者を。
種族としての本能が野性に近いと表せるほどに、ヒトとしての備わった何かを喪わずに有しているとも言えた。政治的な未熟さはヒトとしての強さとは全くの無関係である。
ロマノフスキーがじっと見ていると、正門が開いて小隊程の数が四つ出ていった。
――これ以上は手勢を割けまい、そこでもう一息だ。
本来ならばそのような真似をしたくはなかったが、目的のためと割りきり中佐に依頼していた。精度も威力も射程も今一つで、旧式どころか退役で廃棄になったものをロシアからコンゴに持ってきている。野戦歩兵砲と山砲が一門ずつあり、それを西側の灌木地帯に配備してあった。
歩兵砲とは軽量簡略で運搬移動が可能な大砲のことで、歩兵が運用可能な兵器の中では高い攻撃力を有しているが、砲兵との兼ね合いから性能は低い。一方で山砲は持ち運び出きるように簡単に分解して運べるよう作られている、無論曳いてもよい。砲身も短く射程も短い更に寿命も長くはない、それでも地域がら活躍の場があったため製造されていた。
撃つだけならば似たようなもので、直撃でもしなければ大した効果は出ないものだ。だがどうだろうか、闇夜に大砲の射撃音が響けば、いつ砲弾が降ってくるか不安に苛まれるのではないか。平気な者はいるだろうが、大半は身を竦めてその場から逃げ出したくなるだろう。
一団が動く。難民居住区に紛れ込み、逃げ惑う人たちを掻き分けて探す。すぐに見付けたと声が上がる。そこには病で動くに動けない者や、怪我で歩けない者達であった。
遠くに避難できずにその場に取り残されているのを抱き上げたり、担架で抱えたりしてやる。
「要塞に避難するぞ、手を貸すから一緒に行こう!」
「ありがとうございます。ありがとうございます兵隊様」
神を――それがキリストなのかアッラーなのかは知らないが――拝むかのように感謝の言葉を繰り返す。目的がどうあれ事実は事実と正門前で入城を要請する、それも多数の難民と共に。門衛が司令部に伺いをたてると、許可すると返事があった。
要塞で戦闘があるわけでもないので保護可能だと判断をしたようだ。避難民を入れる前に大砲を排除しに、更に小隊が一つ出掛けていく。
――さっきの声はアサドじゃないか? 要人の護衛が任務のやつが出るほど、下士官の数が厳しいわけだ。すると将校は殆ど居まい下士官も非戦闘要員くらいか、避難民が問題を起こすと誰が対応するかだな。
看護師がやってきて、あちこちにいる負傷者の手当てを始める。キャトルエトワールの特徴の一つで、手厚い看護はクァトロ時にオズワルトが提言して以来続いていた。手遅れで死亡することがないと聞かされれば希望も持てる。怪我人も病人も希望があると治りが良くなるとデータがあるが、何故かは医学的に解明されていない。されてはいないが事実そうなのだからそれを利用しない手はないと、可能な限り明るく振る舞うように指導をしていた。
一息ついたら水が欲しいだの何だのと要求が始まる、子供にミルクがとか用便云々と様々である。混乱の最中グループ毎の代表が集まって司令官にお願いに行くとの話が出たときに、内城の手前で面会すると返答があったのを聞かされる。
――チャンスだ! 担当可能な将校が居なくなったに違いない。エーン少尉も攻撃に出ていると聞こえてきている、残るは咄嗟に対応出来るかわからん面子しかいないぞ。
部下に行くぞと軽く声をかける。総数十二人と一人、ゾネットを上等兵としてロマノフスキーは兵に混ざる。
「避難民が要求を伝えたいだって?」
「ああどうする、あたしが行って聞いてくるかい?」
――用件としては大した内容ではないが……上手く入り込んだならロマノフスキーが近くに潜んでいるはずだ、俺が出向いて話を聞くと漏らせば誘い出せそうだな。
エーンに目配せをする。小さく頷いて、軍服を敢えて兵士のものにと着替え始めた。
「俺が行くよ、城の前で待っているように伝えてくれ」
「あいよ。そいつは何やってんだい?」
ドゥリー曹長は、と視線を流す。
「備えとしては一つより二つってね。コロラド上級曹長も呼んでくれ」
意味不明だと首を傾げながら手配を行う。
――さて十以上二十未満か、俺自身も輪の中だな。予め発砲するなと耳打ちさせておくか。
準備運動をしてから例のグローブをつけるか思案する。平常を保つための目眩ましとして、装着を控えた。それでもナイフはすぐに取り出せるように位置を整えておく。まるで最短距離を選んでやってくると予め決まっていたかのように、当然だとの顔をした親友の姿が頭に浮かんできた。
回廊を進む、左にはコロラド上級曹長を従えていた。護衛の兵士は十二人、分隊一つを黒人上等兵が引き連れている。彼もプレトリアスの部下で、若手の中で期待を集めているらしい。
兵が扉を開けて進み出ると、難民の代表らが集まっていた。
――どこに隠れている。
大柄なウズベク人が目立たないはずがないが、人混みを注視してもそれらしき姿は無かった。
「キシワ大佐にお願いが御座います、せめて重病人だけでも中へ」
担架に載せられた者達が兵に抱えられているが、老人か子供ばかりで不潔な毛布をかけられて呻いている。
「わかりました、ドクターシーリネンに治療をさせましょう。伝染病の心配がなければ中へ運ばせます」
素人では判断がつかないとそう答える。
「他に何か要望は?」
ドンと揺れるような爆音が響いた、爆発ではなく衝突の類いだろう。要塞西側の壁に砲弾が直撃したようで、一斉に注目を浴びた。
瞬間である、担架の裏側――つまり下に張り付いて息を殺していた巨人が、地面に四つん這いで降り立ち、ナイフを手にすると一直線に島の声がした場所へ跳ぶ。
キベガとウビの兵がそれを合図に、武器を手にして護衛兵に襲い掛かる。一際動きが鋭いゾネットに、黒人兵がいち早く反応して行く手を遮った。
島もナイフを素早く抜いて、突撃してくる黒い巨人の刃に当てて軌道を逸らす。黒人かと思ったが、それが顔料を塗った者だと気付いた。
「ロマノフスキーか!」
周りでは護衛らが揉み合っている、避難民や自身の味方が邪魔になり格闘になっていた。
「よくぞ初撃をかわされましたな大佐、ですが助けはありませんぞ!」
傍にいたのがコロラドだったため、簡単に蹴り飛ばされて向こうに転がる。ちらりとゾネットに目を向けると、黒人兵士が対等にやりあっているではないか。
いくら得意の槍ではないとは言え、ロマノフスキーと一対一で遜色なかった者が何故と相手を見る。
「なっ、エーンか!」
呼吸一つ早く島が腕を振るう。咄嗟に後方に飛び退いて距離をとった。
「余所見とは、俺も軽く見られたものだな、少佐」
近くに病人が寝かされているのを、視界の端で確認しながら踏み込んで突く。
「自分が来るのを想定ずみでしたか、やりますな。が、白兵では負けませんぞ!」
脇が甘いですな、と指摘してくる。刃物はちらつかせるだけで、肘や膝を巧みに使って致命的な一撃を狙うためだけに組み立ててくる。防戦一方の島、見かねた難民がロマノフスキーに掴みかかろうとする。
――いかん!
短く息を吐き、ロマノフスキーはナイフの台尻で鳩尾あたりを強打して吹き飛ばす。一秒がやたらと長く感じた。感覚が研ぎ澄まされた状態を、武道で三昧の境地と表すらしいが、今がまさにそんなのであろうと朧気に頭に浮かぶ。
意識では動きが見えているが、体はゆっくりとしか反応してくれない。弾丸が自身に真っ直ぐ向かってくるのが視認出来るのと似ている。
島の突きを引き付けてから半歩下がって体を後に反らす、ナイフを引き戻すと同時に少佐が体を寄せる絶好の機会がやってくる。
――しまった切り返しが間に合わん!
仕方なく島が体を半分捻り中心線を庇う、同時に「約束だ!」場にそぐわない言葉が耳に入る。腰を低くしたロマノフスキーが、上体を筋力で無理矢理に前にとつき出した。
腕の一本位は諦めて貰おうと刃を向ける。到達の寸前で、斜め後ろからウビの兵士に体当たりをされ、切っ先が掠めただけで空を切ってしまう。凌いだ島がロマノフスキーの肩を下にと押して、首にナイフを置き制圧する。
「俺よりも」手からナイフを奪う「脇が甘いな、少佐」
エーンが「降伏しろ!」と一喝する。ゾネットらは一もなく二もなく武器を棄てて従った。ウビの兵らは何故そうなったかわからないうちに組敷かれてしまう。
「自分は大佐の手のひらで踊らされていたってわけですか、敗けです」
「俺はだロマノフスキー、戦闘ではお前には勝てないが――戦争ならば敗けはしない」
エーンに連れていけ、と命じて内城の一室に押し込めさせる。ゾネットも別室に閉じ込め、兵は二ヶ所にわけて監視をつけさせた。
「コロラド大丈夫か」
手を貸して引き起こしてやる。
「死ぬかと思いましたよ。運良く潜入要員に選ばれたようで何よりです」
「お前の功績だよ。だがまずはこちらを処理してやらねば」
顔が強張っている難民の代表らを振り返り、取り込み中になったので一時間後に再度で良いかと訊ねる島であった。
難民の一切を将校服に着替えたエーンに任せて、通信室へ入る。
「避難民との話し合いで負傷するとは、とんだ直訴もあったもんだね」
乱れた姿に一悶着あったのを悟るが、表情から深刻ではない結果だったのだろうと茶化す。
「ちょっと昔友人に語った一言を確認してきただけだよ。マリー達は?」
空いている椅子に腰掛けると、大雑把に報告を求める。
「ブカヴ連隊がルワンダ解放軍を押し出している。どうやら不逞の輩に指導者層がごっそりやられて、指揮系統が麻痺しているみたいだね」
「十三番目の男が頭角を表すわけか」
「なんだいそいつは?」
「小説の話さ、組織で目立たない中級幹部が繰り上がって、頂点にひとっ飛びするやつ。左右の派閥に誘われもせず、結果反発も受けなかったから継承に成功したって顛末だ」
何かの雑誌で連載されていたもので、粗筋だけが頭に残っていた。恐らくは不吉であったり、十二を干支で表したりと東西ごちゃ混ぜの背景があったのだろう。
「で、その十三番目が頂点になったらどうするんだい」
「変わらないよ、徹底的に潰してやるさ」
戦場近く、もしかしたら渦中に居るだろうマリー大尉の指揮所を呼び出す。それもドイツ語を使ってだ。
「次世代の期待を受けているやつはいるか?」
二度三度続けると返信がきた。
「努力はします。信頼した者は結果を出しました、証明も回収してます」
「そいつは結構だ。両隣の勢いは?」
「動きは鈍いですが、大家族はギリギリ踏みとどまりました」
――崩壊しなかったわけか、誰かが指揮系統を掌握したに違いない。手伝いをしてやろう、目的が優先だ。
「自警団部隊を送る、軍に協力しルワンダ解放軍を追い落とすんだ」
「ヤボール、ヘア・オーベルスト」
議長に要請し、自警団をマリーの待つ場所へと移動させた。その間は市民義勇兵を集めて留守番の自警団員に配してやり、避難中の空き家に盗みに入ったり、見落とされた者がいないかを見て回るようにさせる。
拮抗している戦いに横槍が突き立てられると、崩れるのは早かった。キャトルエトワールではなくブカヴ自警団として軍に連絡を取り、ルワンダ解放軍への攻撃を申し入れた。
最初こそ余計な真似をするなとの反応であったが、解放軍の麻痺が直ってくると、数がモノを言うだろうと許可が返答される。
ラベルは自警団ではあるが、戦列にはキャトルエトワールの部隊が並び激しい攻撃を加えた。軍も驚くほどの勢いで切り込みを掛けたが、マリーらも次に驚く。積年の怨みとばかりに自警団が物凄い執念を発揮しだしたのだ。
攻められると意気地を喪うが、調子づくと羽目を外してしまう、民族性にストレスや歴史が積み重なり虐殺が始まった。しかし軍もマリーもそれを止めようとはしなかった。見境なく襲っているわけではなく、きっちりと敵を見分けているからである。外国人にはわからないが、人種の違いが彼等にははっきりと映っているらしい。
降伏する者が運良くキャトルエトワールや軍に逃げ込めれば、命だけは助かった。その後にどのような処罰が待っているかはわかりはしないが。
戦闘終了を叫んで回り自警団を引き離すと、それぞれが拠点にと引き上げていった。病原菌対策から柵を巡らせこそされたが、見せしめだろうか死体は野晒しにされたままであった。
司令官室に将校が集められた。マリーによる報告が行われ、一つの目標が達せられたと一息つく。この後始末をどのように行うかで、キャトルエトワールの結果もまた変わってくる。
その会議をするためにも、責任者や代表が召集された。早速始められるのだろうと思っているところでエーンに声が掛かる「少佐を連れてこい」無表情ではっきりと。マリーやブッフバルトらがぎょっとする、何がどうなっているのかと。
数分待つと、顔料は落としたが薄汚れたままの格好で、司令官室に連れてこられる。
「ロマノフスキー少佐に問う。先頃に要塞に侵入し、俺の命を狙ったのは認めるか」
「認めます」
部屋がざわつく。そのような事件があったのを初めて知り得た者達が、物言いたげな視線を島に突き刺す。敢えてそれを無視して沈黙を続ける、誰かが助命を嘆願するのを待っているととられてもおかしくはない。
「……そうか。ブカヴマイマイ、人民国民防衛軍、ルワンダ解放軍が勢力を減じ、軍はブカヴ自警団の力の一端を見てわかったはずだ。キャトルエトワールの役目はこれで終わりになる」
治安が回復していくかどうか、維持できるかは住民の努力次第である。何が変わったかと言えば、自力ではどうすることも出来ない抑圧が取り除かれた、ただそれだけなのだ。
この先はブカヴの住民が先頭に立って、キヴ州を取り戻す為の闘争になる。それで元通りになったとしても、次にまた助けるつもりは島にはなかった。努力の為に最低限の場を作ってやるのみ。
「ロマノフスキー少佐、いつまで俺の目の前に居るつもりだ」
役目の終わりを耳にしたが、住民代表らは少佐が何者かを殆ど知らない。コステロ総領事も名前だけしか知らず、初めて目にしたらいきなり反逆を認めたものだから言葉がでない。
ブッフバルト少尉がマリー大尉に悲痛な視線を向けるが、目が関わるなと制止しているのがわかり、肩を落とす。
「申し訳……ありませんでした」
責任は取らねばなるまいと、踵を返して監禁場所である部屋に戻ろうとエーンに声をかける。だがエーンは見向きもせずに黙って立ったままだ。
どうしたものかと皆の視線がロマノフスキーに集まった。
「何をしている」島が言う。
ロマノフスキーが説明しようとして振り返った、だが彼が口を開くより早く島が言葉を重ねる。
「何処に行くつもりだ、お前の居場所は俺の隣だろう」
マリー大尉がはっとし隣から離れ、将校の列にと移動する。
「しかし自分は大佐の命を」
「間違えるな、お前の判断イコール俺の判断だ。任務の都合上そうせざるを得なかったならば、俺の至らなさが原因だ」
困惑する彼にもう一言「それともまだ俺と戦争するか?」何度やっても敗けないぞと微笑する。
「敗者は勝者に素直に従います。ロマノフスキー少佐、ただ今帰着いたしました!」
「ご苦労。少佐をブリゲダス・デ=クァトロ副司令官に再任する」
「拝命致します」
左右の将校らが一斉に敬礼した。軽くそれに応えながら、島の左側について皆と対面する。一方で右側はグロックが無表情で侍っている。
「皆さん、私はニカラグアに籍を置くもので、イーリヤ大佐です。現時点を以てして、キャトルエトワールはクァトロと呼称を改め、直接的な介入を一切を打ち切らせていただきます。以後公的な職務は全てコステロ総領事に委ねることにします」
「ここから先は力より話し合いです、お任せを」
「ンダガグ族長、お借りしていた土地をお返し致します。ネパタは少し減りましたが、残りはお譲りします」
「土地と言うとこの街をですか?」
丘一帯には何もなかったのに、今や数万の住民を抱えている。
「議長として今後の交渉に役立てていただきたい」
「キシワ大佐、あなたを初め神の使いだと思いましたが、実は使いではくそのものだったとは……」
苦笑してただの人だと答えて司祭を見る。
「コルテス司祭、エマウスコンゴ支部をやってみませんか。要塞にある蓄えを寄付します、国連からの支援は継承して下さい」
「私には小さな教会があれば充分過ぎますので、辞退致します」
最初の約束にも布教のみとあったので、無理強いはしなかった。
「では致し方無い、エマウスインターナショナルに要員派遣を依頼しておきます」
本筋に戻すのも悪くはないと一人納得しておく。
「結論から行こう、キヴ州ブカヴが警察権程度の自治を獲る。ルワンダが難民認定をしてもくれる手筈だ、コンゴ政府を頷かせる案を出して欲しい」
それは誰に向けての言葉だったのか、ロマノフスキーが答える。
「ポニョ首相に働かせましょう。独立してルワンダに帰属しない代わりに、自治を認めろと」
「ルワンダ難民は引渡しを認めないと自治区に留め置けば、カガメ大統領は助かるな。首相を説得可能?」
重要な部分である、本来ならばそれを少佐に聞いてわかるわけもない。
「自分にならば可能です。カビラ大統領の承認を取り付けられるでしょうか?」
「ルワンダ解放軍が散って、反ルワンダ勢力が議会で失脚するはずだ。カガメ大統領に働き掛けて貰えばだな」
「可能でしょうか?」
「俺なら出来る。半人前同士、力を合わせてみようじゃないか、少佐」
「はい、ボス」
大統領やら首相を動かし得る人物が何故目の前にいて、その二人が殺しあったのに何故仲良く会話をしているのか、全く理解できない列席者であった。ともあれ賽はなげられた。主役が住民にと移り変わるのだけは疑いようもなく、一連の騒動で誰に責任を擦り付ければよいか、それぞれの組織で生き残りを賭けた争いが始まった。
世界にニュースが流れた、それも一部には怒りを一部には喜びを。
コンゴ民主共和国キヴ州は南北に分割され、南キヴ州は独立を宣言した。それがルワンダ解放軍や、その他の政治的団体ならば決して許されなかっただろう。ポニョ首相を通じて演じられた騒動は、カビラ大統領の自治までならば認める、との宣言で終息した。
住民による自決を、ルワンダのカガメ大統領が称賛する。だが追い落とされた誰かが往生際悪く、騒動はニカラグア人による陰謀だと叫んだ。なぜニカラグアが? 世界はその意味を理解し得なかった。
自治政府の首班ンダガグ議長は意外や意外、ニカラグアの介入を肯定した。
「我々は何十年と苦しみ抜いてきた、それを世界は見て見ぬふりをした。悪いこととは言わぬ、当たり前だと思っていた。ところがある男がやってきて皆は変わった。家族のために戦い、仲間を助け自らを信じた。彼はニカラグア人だと最後に教えてくれた、後は自分達の努力次第であるとも。何よりも驚いたのは、彼は個人の一私人として我々を導いてくれたことだ。そんな人物に出会え、共に在ったことを誇りに思いたい」
その会見が更なる波紋を呼んだのは、受けとる側の感覚の違いと言うしかなかった。干渉が国際条約に違反すると、一部の国が非難を始めたのだ。
当然ニカラグア政府にも抗議がもたらされ、緊急会見が開かれる。誰しもが事実は不明だと否定するものだと思っていた。
「ニカラグア首相パストラです。コンゴで我が国の人物が、政治的に干渉を行ったと騒がれているようですが、もしそれが本当ならば喜ばしい! その人物は、世界にニカラグアの正義がどこを向いているかを示してくれた、もし世界がそれを罪だと言うならば、首相である儂が責任を引き受ける。誰でもよい、首を取りにきたら差し出そうではないか。その代わりに、貧困地域がどのようにしたら改善されるか、答えは示してもらわねばならない。出来ないならば……一々文句を言われる筋合いはない!」
あまりにも挑発的、そして毅然とした態度は、非難した国々を黙らせた。中米の小国にこのような人物が居るならば、コンゴでの話も本当かも知れないと噂が流れる。
キャトルエトワールのキシワ大佐。多くの人物が知り得たのはそこまでであった。
一行のうち南スーダンからの兵士は、陸路を逆戻りしていった。武器は全て警備団に譲渡して、身一つでトラックに揺られて。
不運な指揮官にはロマノフスキー少佐が買って出たが、島に却下されるまでもなくハマダ少尉が志願した。新参の後任がすべき仕事だとして少佐もそれを認め、将校団は空路で場所を移る。
シーリネン大尉はまだまだやることがあると、残留を希望したために解任を言い渡した。
「大佐、潜入させていた医師が満足な働きを出来ずに、申し訳ありませんでした」
あの医師は結局行方不明である。家族の医療費用については悩んだが、結果支払ってやることにした。はっきりとはしないが、最善を尽くしたのだと信じて。シーリネンに対する報酬だと考えたら高いものではない。
「ドクターが謝ることは何もありません。もしこの先にここより過酷な地で作戦することがあれば、また声を掛けても良いでしょうか?」
「望むところです、私は生涯を医療に捧げるつもりですから」
二人はがっちりと握手を交わして別れる、願わくばそのような場所がないようにとも。
機の中でふと島が気になりマリーに訊ねた。
「そう言えばンクンダの拠点を攻めた時、少し戻りが早くはなかったか?」
「ああそれは兵を走らせたからですよ。半分ずつ交互に走ってはトラックで休み、また走ると」
下士官以上は車でしたと種明かしする。
「アフリカンだからこその心肺能力だな!」
「自分等が真似たら、心臓が参ります」肩を竦めて苦笑する。
「自分からもですが」ロマノフスキーが話に割り込んでくる「ウビの兵士ですがどうやって寝返りを?」
完全に裏をかかれた部分だけに、脇を固める参考にしますと添える。
「ウビは少佐を快くは思っていないだろ、そいつが功績をあげるのはまあ望むまい。見張りに手下をつけるだろうが、潜入したら帰らない可能性が高い」
むしろそのまま戦没してくれと祈るだろうと、仕草を真似てみる。
「なるほど、それで下級兵を選んで来るだろうとの仕込みをでしたか」
「コロラドの見立てだよ、あいつには情報戦の能力が備わっている」
日進月歩の科学技術ではなく、永らく変化がない人間の側の心理について。
見た目で人を判断してはならない典型だと頷く。南スーダン、塹壕住宅地にやってくるとフィル軍曹が出迎えてくれた。部隊から離れて首相の娘をずっと軟禁していたお陰で作戦は成功したのだから、彼も功績を認められるべきである。
「ご苦労だフィル軍曹。よくぞやり遂げた、ボスもお喜びだよ」
隔離されていたため全く状況を把握はしていないが、任務をやり遂げたと評してくれたならそれだけで良かった。
「ありがとうございます、少佐殿」
「軍曹だけでなく全員の評価は改めて行う、一先ずは張っていた気を弛めて休むとよい。少佐、地域の協力者を集める準備を」
「仰せのままに」
休む前に案内だけ頼むよとフィルの肩を叩く。笑みを浮かべて、おやすいご用ですと連れだって行ってしまう。
「なあレティア」
「なんだい?」
体の凝りを解して遠くを眺めていたが振り返る。
「エスコーラだが、一年近くも放っといて大丈夫か?」
無理に連れてきたのを今さら思い出したかのように心配してみる。帰ってみたら椅子がなくなっていたでは申し訳無い。
「そんなことを考えていたのかいあんたは。あいつらはあたしが居ても居なくても問題ない、逆らうこともない。オチョアが怖いからだ」
レティシアを裏切ることは即ちカリ・カルテルのオチョアを裏切ることになり、そうなれば寿命を全うする予定は消え去るだろう。血の繋がりに壁はない。レティシアがオチョアを裏切っても制裁はある。だからと娘である事実は変わらない、彼女がどの立場であれ、それに牙を剥くものは闇に消されてしまう。
「そうか。実はニカラグアには戻るなと言われてね、バカンスは日本とパラグアイと思っていたが」
「後半は別の国にしようじゃないか」
了解と笑みを返して地下の司令官室に入る。残務がかなり残っているが、ロマノフスキーが肩代わりすると言って聞かない。自身でしか処理できない内容を済ませておく。
――エーンとドゥリー、ハマダは功績多大だ報いてやらねばならん。フィル、アフマドも役目を全うしたな。問題はいつものようにグロックだ、功績が大きすぎて勲章では間に合わんぞ! 閣下らに具申してみるとするか……
諸般の事務を終えて空港へ向かう。特別なことはないとロマノフスキーらは見送りには来ていない。
エーンとハマダを中尉に、ドゥリーを少尉に昇格させた。ロマノフスキーからの上申で、ブッフバルトも鉱山の戦いでの功績を認めて中尉に進んだ。だが皆の関心は別に向いていた、グロックである。
「グロックを陸軍付最先任上級曹長に任命し、ニカラグア最高勲章並びにニカラグア市民権を授与する」
「ありがたく受領致します」
特にそれが何かを尋ねたりはしなかった。彼にはニカラグア軍の最上級下士官の称号を贈ったのだ。
将校でも下級の者には許されない、総司令官への直接の助言が可能となる、役付参謀や将官並の待遇である。それもニカラグア常勤ではない任意の肩書としての。
下士官がどうあるべきで何を目指して行くか、それを定める役割は下士官にしか決められない。言わば下士官団総司令官なのだ。
「で、苦労してあんたが手に入れたものはあったかい?」
試みに彼女が訊ねる、答えは期待していない。
「アフリカ旅行の日記が一ページだな」




