第二部 第五章 パリの休日、第六章 紛争地帯派遣、第七章 エリトリア戦線、第八章 そのフィルムの行方
軍とは素晴らしい組織である。一人や二人が休暇をとろうが、永眠しようがしっかりまわるのだから。
島伍長は貯まってた休暇をここで一旦消化することにした。パリのシャンゼリゼ通りを散策する。以前とは違い人々の会話が、音ではなく言葉として伝わってきた。
カフェテラスでコーヒーを軽く嗜む。ゆっくりと時間が流れるのが心地良い。こう眺めてみると、フランスが先端社会を担っているのがよくわかる。各地に従軍したが、どこも追い付くまでに、やや暫くの時間が必要になるのは間違いない。
通りの先からスタイリッシュな姿の女性が歩いてくる、一目でわかるのは彼女が日本人であろうことである。敢えてフランス語で話しかけてみる、何かお手伝いしましょうか? と。
一瞬驚いたようだが、彼女も上手なフランス語で「日系フランス人ですか?」と返した。すぐに冗談だよ、と日本語に切り替えてお茶に誘うと、既に手にしてるじゃないと言われ笑った。
「俺は島龍之介だ」
「あたしは設楽由香よ」
二人は蚤の市目指して連れ添って歩いた。彼女は国際的なジャーナリストを目指す卵のようで、見聞を広げるためにフランス語圏をまわっているそうだ。
一方島は何でも屋みたいな組織で雑用をやっていると表し、フランス語は生活するうちに覚えたと説明した。軍にいるうちに似たような単語が多い、ドイツ語もある程度理解出来るようになったが、そちらは伏せておいた。
雑多に並んでいる中に、思わぬお宝が埋まっていることがある。ふと足を止めて眺めると、記念切手のシートを発見した。そこにはカマロンの英雄、ダンジュー大尉、と書かれイラストが印刷されていた。
興味を持ったのでそれを購入すると、彼女が誰それ? そんな表情を浮かべたので「俺の大先輩さ」そう言うと、ふぅんと興味を失ったらしい。
無造作に置かれている、カメラの望遠アタッチメントを真剣に品定めしている。聞いてみると、あまり近寄れないような場所の撮影に必要だという。このクラスのが新品だとなかなか価格的に手が出ないので、掘り出し物の値段と睨めっこである。
「足りないならば俺が出そうか?」
どうせ使う宛もなく、二年後に生きているかもわからないから、お金にはさほど執着心が無くなっていた。
「そんな悪いわ、まだ知り会ったばかりなのに」
頭を振って拒否する。しかし望遠レンズも捨てがたいようで、手にしたままだ。
「じゃあこうしよう。今夜ディナーに同伴して欲しい、行きたい店はあるんだが、男独りでは入りづらい」
肩をすくめて苦笑いをする。事実一人でテーブルを予約出来ない、評判が高い店で食事をしてみたかった。
「あたしなんかで良ければ喜んで!」
笑顔が弾けると、十代かと思えるほどに幼く見えた。夜の待ち合わせを確認して一旦別れることにし、多少はマシなものに着替えることにした。
休暇の間は、週単位で借りられるフラットを利用していた。管理人のお婆さんが、食事や洗濯などの家事を代わってくれる。先払いなので使っても使わなくても良く、都合が急変しやすい軍人には重宝である。
レストラン・ル=グランジェ。ドレスアップした由香は綺麗だった。小柄で自分の肩程度までしか背丈がなく、細い体つきのため、抱き締めたら折れてしまうのではとすら思えた。
レストランはほぼ満席で、リザーヴのテーブルに案内される。カップルが多いが、何らかの企業の重役らしき顔ぶれや、いかにも泡銭を手にしただろう奴らも座っていた。
黙って席につくと、それに合わせて食前酒が出される。コース予約のために、一切の煩わしさがない。
「素敵、こんなに美味しいもの初めて! でも本当に奢って貰って良いのかしら?」
予想していたよりも豪華な食事だったので、島に悪いと感じたようだ。日本で食べたなら、二万や三万は、一人が払わねば堪能出来ないだろう。
「良いんだよ、君が居なかったら俺も食べられなかったんだから」
すると由香って呼んでと言われたので、島も龍之介でいいと応える。背に衝撃を感じた、みると例の泡銭の男が、酔った勢いでぶつかってきた。黙って居住まいを正して無視した。
少し椅子をずらしてみたものの、執拗にぶつかってくる。どうやら喧嘩を売ってきているようだ。仕方なくナプキンを取り、由香に「ちょっと失礼」と断り席を立つ。
黒服に事情を説明し、取りなしを依頼する。席に戻り食事を再開すると、少しして黒服が他のお客様の迷惑にならないようにと注意を促した。その黒服が去ると、男が近付いてきて肩に手を置いてくる。さっとそれを払いのけると、同じテーブルについていた男二人も立ち上がった。
「おいこら、日本人がこんなところで食事するな、消えろ」
あからさまな挑発をしてくる。由香が出ましょうと、困惑した表情を見せる。近くのテーブルでもは、揉め事だとばかりに注目する。
「今デート中なんだ、迷惑だから黙って座っていてくれないか?」
相手をチラッと見て、いつでも動けるように腰を少し浮かす。
男が拳を握り締めてうちかかってくる。すっと身をかわして背を押してやると、観葉植物に頭から突っ込んだ。
レストランが騒然となる。仲間がそれをみて島に襲い掛かる。澱んだ目つきで殴りつけてこようとする、相手の出足をかかとで踏み抜く。ゴギッと不快な音をたて床に転げ回る。
最後の男はいつの間にか、手にナイフを握っていた。鋭く突き出してきては素早く引き抜く。こいつは強い!
視線を切らずにテーブルの上を手探りする。またナイフを突き出してきた、下がらずに逆に踏み込む。そのまま肩から体当たりし転倒させると、そいつの左手をフォークで突き刺す。
男がくぐもった悲鳴を上げたところで、二つ星の警官が飛び込んできた。すかさず男が「こいつが先に手を出した、外国人テロリストに違いない!」と叫ぶ。
警官が拳銃を手にし、島に銃口を向ける。フランス語で大人しくしろ、旅券を見せろと迫る。
「旅券はないが身分証ならある。レジオンの島伍長だ」
そう告げると「レジオン!」と驚く。隣にいた老夫婦が男達が悪いと証言してくれた。男がそれに抗議すると、フランスの恥曝しが喋るなと罵った。
警官が頷いて男達に手錠をかけて引っ立てる。最後に島に敬礼し「よい夜をお過ごしください」と去っていった。
レストランのマネージャーが現れ、客の非礼を詫び、御代は不要と伝えてきた。だが島はサービスの対価はしっかりと支払うとし、次に使うときには優先して予約を受けて欲しい、とお願いした。
するとマネージャーが、必ずお引き受け致しますと応え、名刺を渡してきた。
店を出ると由香が抱きついてきた。
「凄いわ龍之介、素敵よっ!」
◇
夜明けに鼻腔をくすぐるような香りがしてきた。島が目を醒ますと、コーヒーを手にした由香がニッコリと微笑み差しだしてくる。
こんなささやかでも、幸せが続くわけがないのは世の常、それを互いに知っていたので少ない時間を、もう一度楽しむことにした。
それにしても昨夜のフランス人達の態度には驚きだった。外人部隊だと聞いたら、あんなに暖かい反応をしてくれるとは!
外国からやってきて、フランスのために命をかけて戦ってくれる、そんな受けとめかたなのである。腫れ物にさわるかのような、日本の自衛官とは大違いだ。他国の脅威と地続きであったり、長い戦争を積み重ねてきた歴史であったり、はたまた敢闘精神が知られていたりと、軍人に対する国民的な意識が違うとの土壌が、はっきりと伺える。 軍と警察も交流があり、二つ星の巡査長は上等兵クラスの比較であったのも、影響したようである。
警部補が軍曹、警部が中尉見当とされ、態度ががらりとかわってしまう。取り分け顕著なのは旧ソ連の所属国で、未だに官は階級絶対主義であるらしい。
ロシア出身の隊員によれば、黒いものを白くするには、階級か米ドルがあれば簡単だそうだ。
残りの休暇をいかに満喫するか、島の頭の大半をそれが占めていた。
芸術は人の心に、彩を添えてくれる。さて誰の言葉だったか。
二人は美術館にやってきて、フランスの栄光を観賞している。ナポレオン皇帝は、芸術にも力を注いでいた。正確には、その蒐集と保全にであるが。そのために、大小様々な規模のものが、比較的多く運営されているのがわかる。
有名処は敢えて外して、地方の収蔵品に視線を向けてみた。流石に歴史がある国だけに、その展示物の層の厚みには驚かされる。中小国あたりならば国宝として目玉品になるような品が、地方の小さな美術館にも必ず一つは展示されているのだ。
何かの記念メダルかと思い説明読んでみると、古代の銀貨でテラドラクマと呼ばれた物が展示されている。重さは一枚三十一グラム相当で、銀品位が九九九/一〇〇〇という純銀。レプリカが置いてあり、手にしてみるとずっしりとした重量感があり、かなりの高価な額だろうことがわかる。
隣に居る由香に、日本にあった小判を知っているかと問うと、もちろんと応えた。では大判の大きさはわかるかいと聞くと、手のひらを出してこのくらい? と示した。
「大判は秀吉が造らせたやつでも、テラドラクマの六倍近い金で出来ているんだ。だからもっと大きいよ」
笑いながら両手で幅を作って、一枚欲しいものだねと言うと、一枚だなんて謙虚ね、と返された。
近くを茶褐色で彫りが深い、男の二人組が通り過ぎる。若い側が「アイワ」と頷いているのをみると、アゼルバイジャンやイランあたりの言語に思える。イスラム教の原理主義者だとしたら、何故こんなところに?
注意して耳を傾けてみたが、ほぼ解る単語がなく、無駄な努力に終わった。わかったのは中年の名前が、恐らくハッサンであろうことと、ファタハ、ハマスである。パレスティナ問題での、過激派と穏健派を指しているのだが、こいつらがフランスで何かやらかすつもりならば、過激派への援護だろうか。イスラエルとの対決を後押しさせるために、フランスの国連派遣軍への非難テロが考えられる。
難しい顔をしていると、由香が腕を引いて次の場所へ行きましょう、と促してきた。折角の休暇でも、ついつい物騒なことを考えてしまうのは職業病である。
地方では未だに馬車を見掛ける。当然それは必要に迫られて、というわけではない。観光客目当ての貸切馬車というわけだ。
一台借てパリの田舎を走らせる。映画のワンシーンのような風景が続く。由香がカメラを取り出して、ここでも風景をフィルムに納めてゆく。
「そう言えば由香の専門は何なんだい?」
望遠カメラが必要なジャーナリストとは、あれ以来気にしてなかったが思い出し、話に触れてみた。
「あたし戦場ジャーナリスト志望なのっ!」
「ふむ!」
全く予想していないわけではなかったが、改めて彼女の口から聞かされたら新しい驚きがある。戦場では一応、ジャーナリストの識別をするものを害することはないように命令されるが、そうは言っても生きるか死ぬかの瀬戸際になれば、申し訳ないが巻き込まれてもらうこともある。
戦争などというのは双方主張を広めたいので、報道関係には確かに気を使う。だが逆もあり、意に添わない会社のグループなどは、危険地帯への取材を許可するなどして、永遠に黙らせるなどもある。
「怖くはないのか?」
軍人、それも志願兵であっても、恐怖心がないわけではない。実戦を何度か経験することにより、克服される部分は大いにあるが。
「怖いわ。けれど今いる場所から少し離れたどこかで、現実で戦いがあるのを多くの人に知ってもらいたいの。だから目指すのを辞めないわ」
陳腐な正義感や偏った使命感ではなく、事実を広めて判断を視聴者に委ねる、そんな形ならば意地悪も受けまい。本来報道とは結論を押しつけるものではなく、判断材料の事実を伝えるものである。あまり無茶をしないようにと約束させ、田舎の旅を切り上げて街へと戻ることにした。
パリの政府中枢部、大通りにある官庁施設に軍のビルも混ざっている。地図には載せられてはいないが、警察本庁も目の前に設置されている。看板もなにもつけてはいないが、出入りする制服警官が多いので一目瞭然である。
外国人がそれと知らずに近付いて、官庁の偵察をしていたら、後ろ姿が警察署から丸見えで、昔テロリストが職務質問されて捕まったとの、間抜けな話がある。フランス人でも、パリに居住したことがないものは知らないだろう。
ふと想い出したかのように、実家へ手紙を書く。何をしているかは伏せたが、元気でいると。軍から大学への休学通知は、イタズラ扱いされたそうだからな。
意識的に明るく振る舞い、パリの消印を使うことで安心するとの計算もある。こちらで彼女が出来たことや、そのうち帰国するとほのめかしておく。大学のことを謝罪し、だがしかし後悔はしてないことを告げ、由香に撮ってもらった写真を数葉同封して国際郵便を送付した。そうして戦士の休日は終わりを告げることとなった。
◇
コルシカの2REPへ復帰を申告し、第8中隊へと出頭する。大尉から簡単な辞令を交付され、何か質問は? と聞かれ、ありません、そう答えた。回れ右をして、すぐに中隊長執務室を離れる。
顔見知りの隊員が「ヘイ、シーマ」と再会を喜んでくれた。いつしか部隊の中でも、中堅ところにとなってきている。小隊長の中尉に代わり、あの軍曹が日常命令を下してきた。
「あのシーマが今や伍長様か、まあ死なないように頑張るといい。これからは班長として選抜射手を率いるんだ」
初めて正式な命令文書を受け取り、内容を確認する。選抜射手は中隊から招集指名する権利があり、島の班は三組のメンバーを許された。これは一般歩兵と狙撃手の中間で、特殊装備を一部用意されるが、基本的には歩兵と共通な装備で簡略化された、言わば量産型狙撃手である。
自主訓練でライフルに磨きをかけていたのを、軍曹はしっかりと見ていたのであろう。覗き魔め。指名は出来ても配属されるかどうかは、上官の許可が必要になる。逆に言うならば、隊員に拒否権限はない。
だがこれにも裏があり、司令官の執務室は常に解放されている。兵らはいつでも直接連隊長に、意見具申が可能なのだ。転属申請も可能で、上官はこの申請を妨げてはならない内規が存在する。
また部下に転属願いを正当な理由なく提出される隊長は、統率力の部分で査定に特記がつけられる可能性があるのだ。もちろん受理はしても却下されることもあり、簡単には訪れがたい場所なのには間違いない。
「了解しました。していつまでに?」
そう口にしてから、シマッタと思ったが遅かった。罠にはまった島を見てニヤリと笑い、可及的速やかに頼むぞと肩をぽんと叩かれた。
一杯食わされながらも、責任ある任務に気持ちは落ち着いていた。まずは役割についての再確認の為に、既存の班長らに話を聞くことから始めた。一切嫌な顔をせずに、懇切丁寧に説明してくれる。自らの行為を見直す良い機会だと考えたようだ。
大前提に二人一組でそれを三組、つまりは六人を指名する必要がある。射手の腕は勤務表で大体がわかるが、観測手はまた別の把握能力が求められ、更にペアの相性も問題がある場合は、注意すべきと指摘される。
また観測手が上官であるのが望ましく、指示者との立場を確立すべきと教えられる。例外が出てくるときには選抜射手ではなく、狙撃手になったときだろうと言われた。
簡単に考えをまとめてみる。上等兵を観測として二人、出来たら三人、自然と射手は一等兵と二等兵に制限される。世の中には先任との形があるため、二等兵は除外したほうが良いかもしれないが、そこは腕次第で臨機応変といこうと決めた。
早速中隊本部に出向き、部隊資料の閲覧申請を行う。持ち出し厳禁だったので、数名の候補の所属などを調べてメモをとる。契約任期満了寸前を除外すると、上等兵が窮屈な選択肢になった、もう一度予備も含めてリストアップする。
一人ずつ個別に訪問すると、意外や意外、みながすんなりと承諾してくれた。一般隊員よりも実力を買ってくれた上官に好意的、そんな具合である。最後の一人だけがなかなか決まらなかった。射手としてリストアップした一等兵らが、今ひとつピンとこない。仕方なく二等兵を見て回ったがはずれ、だが他とは違う雰囲気を持った者が一人だけ居た。
話し掛けて目的をあかさずに質問をしてみたりすると、全て的確に応えてきた。こいつだ!
リストには載せていなかったが、直観である。経験からそいつを確保すべきと感じた。
「俺の班の選抜射手にならないか?」
「ダー」
ロシア語でハイと即答し、メンバーが決まった。後々に聞いてみるとその男、ウズベキスタンでロシア軍と揉め事を起こし、死んだことにして偽造パスポートで出国、その足で外人部隊に入隊したウズベキスタン軍の元少尉だったらしい。国元での勤務証明が出来ないために、一からやり直しとばかりに、二等兵での入隊にサインしたそうだ。部隊がそんな事情を知らずにうっかり契約するわけがないので、恐らくは知っていて黙って在隊させているのだろう。
名前はニコライ・アレクサンデルヴィチ・ロマノフスキー。ウズベク人。島がロシア風に名乗るならば、島龍太郎ヴィチ龍之介になる。がっちりと握手を交わして編成表(T.O.&E.などと表すそうな)に名を連ねた。
命令を受けて翌日、軍曹にメンバーを報告すると「まあまあだな」と絶賛いただいた。ロマノフスキーをよく拾った、誉めてやるくらい言えないのだろうか。
四日後に移動命令が出るから用意しておけ、と徐に告げる。どこに訓練に出掛けるのかと問うと、あっさりと「セルビアで実戦だ」などとお吐きになられた。なんですとー!
「ダコール」と冷静を装い了解をするも、きな臭い地域を指定してきた軍曹に、文句がたくさん沸いてきた。すぐにそれを飲み込み、セルビアって何語だったかなと現地での苦労が頭をよぎるあたり、大分余裕が出てきたと勝手に解釈する島であった。
基地の一室、会議室のような場所に班が集合している。各自がライフルをや双眼鏡など、狙撃に必要な装備など一式を持ち出し、携行品の準備を行う。
島は個人的な装備は、好みに合わせて選ばせた。話し合いの結果、弾薬を共通させるとの意味合いでの武装統一が行われた。元々さしたる選択範囲はないのだが、自らに選ばせる行為が大切なのだと考えた。
「ところで諸君、ルーマニア語、ルシン語、ハンガリー語、スロバキア語、クロアチア語、アルバニア語いずれかを理解する者はいるだろうか?」
セルビアを調べてみると、多様な言語が使われているようだが、島が話せる日本語、フランス語、英語、一部ドイツ語ではまさに話にならない。誰もぴくりともしないので、恐る恐る一等兵が手を挙げて「自分の祖母がハンガリー人なので少しなら」と申告した。きみは班の英雄たる資格がある。
「覚えておく」
それだけ答えて準備を促した、一人あの二等兵だけが意味がわかったよう小さく頷いていた。やっぱり頭の作りが違うのかな? 察しがよい部下を感心して見つめてしまった。
正式に派遣が通達されたのは、残暑が厳しい頃であった。我らが大尉殿の命令で、中隊は空路プリシュティナシティー入りをした。ユーゴスラビア連邦を構成したセルビアの南部、アルバニア北部との境目でコソボ共和国の首都である。
コソボをセルビアの自治州と見ている国が、世界の四割。共和国と見ているのが四割、興味なしが二割である。フランス政府は承認しているようだ。
コソボ紛争停戦監視団としてNATO軍が現地にいて、フランスも軍を派遣している。コソボ紛争とはセルビアからコソボを独立させるか否か、アルバニア系住民がセルビア系住民と争ったのが、主軸の話である。現地の住民構成はアルバニア系が九割、セルビア系が一割の比率でその他が少し混ざっている。
何故外人部隊が派遣されたかと言うと、複雑である。現地のコソボ解放戦線、つまりはアルバニア系武装組織が、セルビア人やその他少数民族を弾圧しているとの訴えがあった。停戦監視団はその干渉地域を増やしたが、被害は一向に収まらない。
更には解放戦線のコスタニツィ少佐が、アフガニスタンにヘロインを流出させている。生アヘンならばモルヒネとしての使い道もあるが、ヘロインではもはや疑いようもなく、薬物蔓延の手助けでしかない。
フランス当局は、治安の回復と薬物の流出阻止の為に軍へ解決を命令し、政府はアルバニアへ、コソボ解放戦線への支援停止を要求した。もちろんそれはセルビアを始めとするユーゴスラビアの支持、アフガニスタン周辺からのフランスとの友好を計算しての行為であるのは間違いない。
だが現地フランス軍はNATO軍、指揮権限をアメリカ軍司令官が握っているため、別系統の部隊を派遣することを決定した。少数でコスタニツィ少佐を排除し、決してフランス軍である証拠として生きて捕虜にならない者達、つまりは外人部隊に白羽の矢が立てられたのであった。
アルバニア系武装組織の特徴は、組織力としては低く、個人の集まりの域をあまり出ないところに注目が向けられる。セルビアが統制しているコソボは凡そ二割から三割、残りはコソボ解放戦線が主力のコソボ共和国が支配している。
アルバニア共和国の強力な支援があり、九割の人口がいても七割程度の地域しか統制出来ないあたりに、民族の限界が見える。
継続的に起きる弾圧が、民族浄化との確信犯的な行為であるのも、悩みの種である。モンテネグロやイタリア方面にまで、難民として避難してゆく住民が後を絶たない。この紛争の問題は根深いところにありながらも、裏ではコスタニツィ少佐が煽動している節も多々みられた。
カダフィのようにさせないためにも、いち早く決断を下す必要があり、ついにフランス政府がそれを引き受け、外人部隊それも第8中隊が選ばれたのは非常に名誉なことである。
プリシュティナの南部に人知れず拠点を築き、任務部隊が到着するのを待っていたセルビア人協力者が来訪を歓迎した。おおっぴらには出来ないが、幾人かの有力者が関わっており、セルビアの黙認も取り付けていると説明された。
上の方では難しい話が続いているようだが、島達一介の兵士には、あまり関係ないことである。まずは寝床と酒を準備し、次に不運な当直を選ぶわけだ。
通訳なしではセルビア人とは中々意志の疎通も難しく、ハンガリー語の出番も少なかった。コスタニツィ少佐の顔写真が全員に配られ、遭遇したら判別出来るように記憶するよう命令された。有無を言わさず射殺してもよいなど、他国での行動なのにお構い無しのところに、ことの重大さが伺えた。
隊員にセルビア人協力者から、酒が振る舞われた。それは紅茶にジャムを入れて、アルコールを注いだ不思議なものだった。眉をひそめながら一口含んでみる、案外いけるものだとすぐにカップが空になる。一度飲んでしまえば後は簡単、二杯三杯と重ねるだけである。世界のどこにいってもやることがかわらない皆に、少し安心した島であった。
初日は例によって、地図と文字との睨めっこである。万が一でもはぐれた場合、自力で帰還するようにと方角などの位置関係は、特に強く確認を繰り返した。
敵の武装組織自体にはあまり被害を出さずに、コスタニツィ少佐を暗殺出来たら最上、ヘロイン流出ルートの壊滅が次善とされた。畑を焼き払うなどの目立った壊滅方法ではなく、精製工場の発見によるNATO軍への通報、集積地の爆破などが想定される。
もちろん最上以外の結果を、最初から目指すことはない。既に事前の調査により、少佐のスケジュールが漏れ聞こえてきていた。民族性で説明があったように、どうも組織的には軟弱なところがある。
場所と時間が一致するようでは、保身能力が欠如していると判断されるが、少佐はそのところで上手に動いているようだ。
先任曹長が軍曹以上で作戦会議を行うため、召集を掛けた。部隊を伍長に任せると、おっさん方が露と消えた。
「なあロマノフスキー、少佐の暗殺するならどうやる?」
自らも何かしら思案していたようで、いくつかの答えが返ってきた。移動中狙撃、宿舎の爆破、条件が揃うなら毒殺も視野に。
流石に外国人が毒殺などの寝技を仕掛けるのは困難であろうから、爆破か狙撃が主軸だろう。政治家や行政官ではないため、演説や遊説の類で狙撃とはならない。時折あるだろうヘロインの大口売買での取引や、軍の視察の時が狙撃チャンスで、女のところに出入りするときが最大の勝負所とみている。執務室がある官舎、自宅、愛人宅が爆破の仕掛けどころだが、大尉らがどの手段を選ぶか、みものである。願わくば狙撃との選択で、それなら手柄を立てる機会も巡ってこようもの。
ロマノフスキーも同じように考えていたのだろう、口元に笑みを浮かべていた。背の高いビルなどが極端に少なく、三階くらいが関の山といった地域、狙撃の角度がとれない。ならばとロマノフスキーに相談してみると「ハラショー!」とアイデアを誉めてもらった。島は小隊支援火器の一つを、他の班長に先駆けて使用申請することにした。
夕刻に中尉から、小隊方針が下達された。喜べ狙撃が役割となった。エージェントを挟んでのヘロイン取引を、計画したようである。
我らが小隊は近隣の一部を確保して、姿を現したところをドカンといく。簡単にいくわけがないが、大筋はこれを狙っての準備となる。元々の狙撃用ライフル三丁に加え、何と班には十二、七ミリを一丁確保してある。日干し煉瓦で出来た建築物ごと撃ち抜くとの案を実行するには、現在の七、六二ミリでは威力不足とだったからである。
ロマノフスキーが「班長やりましたね」と笑うと、皆がつられて笑った。遅れて申請をした伍長が、悔しがっていると伝え聞こえてきた。
これは自身が使おうと、島が権利を確保し、早速自分用にとメモリを調整する。ことがことだけにおおっぴらには動けない、だからといつ状況が整うかもわからない。協力者が差し入れてくる情報を繰り返し頭に叩き込み、辛い待機で時間が流れていった。
セルボクロアチア語で「きたぞ!」と口にしながら、大尉に面会を求める有力者がやってきた。中隊が俄かに期待で気持ちを高ぶらせる、今度こそと思い三度目、三度目の正直という言葉があると班員に教えてやる。
執務室から伝令が出て来て将校を集める、いよいよだとの空気が漂い始めた。黙って装備を磨く者、トレーニングに勤しむ者、瞑想をする者様々だが、先任曹長の「出撃準備だ」との一言で武装待機へと切り替わる。
軍曹から配置場所を説明され、島の狙撃班は範囲内の好きな場所を選べと一任される。現地へ行って下見をする時間はない、コスタニツィ少佐が突然行動を起こしたそうだ。不充分を承知で標的の予定滞在先を確認し、コンパスで線引きをする。窓が正面ではなく斜めからしか見えない、つまりは狙撃には一見不利な場所を指差し、ここにすると告げる。
軍曹がごん太な眉をひそめて唸る、何故そこにしたかと質問されたので「十二、七ミリでして」と答える。フンと鼻を鳴らして承認を与えると、残りの班の配置を確認し小隊本部、つまりは中尉の居場所を決めて開始を待つこととなった。
指定した場所の住人は、予め外食にでも行くことになった、との手回しで部屋を占拠させてもらった。三階の部屋を二つ使い、片方にはブローニングを設置する。型式は古いが十二、七ミリ銃の傑作でベストセラーである。
射手が一人余ってしまうために、周囲の警戒を担当させる。短機関銃を手にして安全確保をするのは、例のハンガリー語を理解する者だ。
観測手が予定目標の建物を確認する。コスタニツィ少佐の要望で複数の場所のうち、実際の取引でどこを使うかはまだ決められていない。このせいで爆破を狙うのは不適切と判断され、射撃による決着をすることとなってしまった。
恐らくは防弾装甲をしてあるであろう車両で、取引場所に向かう一団が現れた。移動中もどの車両に少佐がいるか判別不能である、噂通りに警戒が厳重な男のようだ。
三カ所に別れて車が止まった。同時に下車すると、複数の男が建物に入ってゆく。セルビア側の代理人(偽の)が指定された建物へ移動する。観測手がその姿を追って、場所を指示した。
少佐を確認した「月が美しい」との符丁が発信された。未確認ならば「月が欠けている」である。誰かに傍受されても、意味が通じない。
各選抜射手らが、少佐に照準を合わせようとするが、敵もやり手である。これだけ銃口が向いているのに、満足に射抜ける状態にあるものが居ない。窓際がどうしても手前の建物の影になったり、射線が得られていた場所には車が置かれ、少佐の隣には兵士が立っていて防御されてしまっていた。
中隊長が決行すべきか否かの決断に迫られた、協力者をいたずらに失う訳には行かない。副官や先任曹長から、待機中の隊員の状況報告を受けるも、失敗確率が高めと判断した。
大尉が小隊長らに最後に諮問する、可か否かと。中尉も軍曹に見通し予測を確認し、次々と否と返事をする。そんな中で一人の軍曹が可と進言した。中尉はそれを信じ可であると中隊長に報告、大尉は決行を決断した。
観測手が持つ無線を通じ、大尉からの命令が伝えられた。事前に決められたプランの二番目、タイミングは指揮官が、トリガーは射手が、との決行である。これは即ち、標的を排除する以外の目的が混在することを意味する。協力者を退避させるわけだろう。
狙撃を行えない位置の兵は、目標を随員や車両に切り替えて待機する。もし少佐をしとめ損なったならば、戦闘による抹殺を行えるようにだ。
島に緊張が走る、唯一有利な点はピンポイント射撃である必要がない点で、胴体だろうと肩だろうと、当たればごっそり肉を持って行くため少佐の命はない。隠れても無駄で、フルでぶっ放せば建物を倒壊させるのもワケない。
どこかで花火がなったような音がした。三階からは見えないが、セルビア側の代理人が突然床に伏せた。それと同時に「撃て!」と命令が下る。島がトリガーを絞ると、弾丸が勢いよく発射され日干し煉瓦を砕きながら、標的に向かう。手前にいた兵を貫通し、少佐を抜けて床をも砕いても、なお地面に突き刺さった。
銃声を受けて敵が建物の中に入ろうと殺到したところ、続く射撃命令が中隊に出された。
百数十の銃が一斉に射撃を行うと、目標で無事なものは皆無となる。人は虚しく肉片になり、車両はタイヤを割られタンクから漏れたガソリンに引火し炎上、流れ弾が日干し煉瓦にビシビシと当たり食い込む。
複数の観測手が、標的の殺害戦果を確認と報告、大尉が撤収を命令する。すぐさま射撃を停止して、プリシュティナの広場へと向かう。
重い機材を抱えて走る。毎朝のランニングで鍛えられている外人部隊にとっては、日常でしかない。チョッパーと合流すると次々乗り込み、兵士を抱えると離陸していった。
翌日のユーゴスラビア通信によると、セルビア人武装勢力がコソボ自治州にて、アルバニア解放戦線を名乗る武装勢力の、コスタニツィ少佐を殺害したと報じた。これによりコソボでセルビア共和国の支援を受けたセルビア人勢力が支配地域を拡大、アルバニア系住民の一部がアルバニア共和国へと移住し、アフガニスタンへのヘロインの流出が一時ストップする、という結果がもたらされた。
戦功履歴には一切載らない闇の行動ではあったが、大尉による勤務査定が最大で申請された。外人部隊での、思い出の一つであった。
◇
何故民族が蜂起すると、解放戦線になるのだろうか。ちょうどよい使い易い単語なのは否めないが。
アフリカ大陸、その東側にスエズ運河から紅海が開けているわけだが、そこにジブチ、ソマリアなどがある。隣はエチオピア共和国が内陸に勢力を保っている。エチオピアは、ナイジェリアに次ぐ歴史の長いアフリカ人国家として知られている。
コルシカ島での暫しの休暇の後に中隊が受けた派遣命令は、またまた灼熱アフリカであった。専門なのだから当たり前と言えば当たり前である。
エチオピアの端にあるエリトリア共和国、近年独立した国に支援活動を行うと説明された。そんなものは表面上の建て前なのは百も承知である。
アフリカ大陸は、植民地として大抵は列強の支配を受けてきた歴史がセットとなっている。今回の地域もイタリアやイギリスによる勢力が、長らく関わってきていた。
フランス政府はエリトリア政府との折衝の末、包括的支援を与える代わりに、西側諸国への傾倒を約束させることに成功。しかし独立自体を承認していないエチオピア政府は、フランスの干渉を非難した。
エチオピア共和国は、はっきりと分かる赤である。つまりはソ連、継承してからはロシアの影響を色濃く受けた、共産国家に準じている。
エリトリアも当初は、民族の違いこそあれど大差なかったが、隣国ジプチからの経済格差を見せ付けられ、住民の西側帰属意識が高まってきていた。ジブチだけでなく、全ての周辺国家と領土紛争を起こしており、政情は極めて不安定である。
再三のエチオピア軍の攻撃で、インフラの破壊や虐殺事件が相次ぎ、遂にエリトリア民族解放戦線が暫定政府を樹立。エリトリア政府はこれに抵抗することなく政権の移譲を承諾、軍部による継承政権がフランスへ(ジプチを経由した)援助を要請したのだった。
すぐさまフランスは諸外国に外交を仕掛け、エリトリア承認国を増加させると共に、国軍強化による治安の安定化を図った。ジプチ滞在の外人部隊を主力として、エリトリア解放戦線(後に国防軍)に軍事顧問団を派遣し、国軍への武装供与や食糧援助、農業技術供与を閣議決定した。
この素早い判断は、フランス国民からの内閣支持率を上昇させ、派遣軍をプロパガンダに利用するために、大々的にパレードを行うこととなった。それはコルシカからの軍事顧問団も一緒で、島等も地元住民に見送られ行進を行っている最中である。
島の班に一人顔を赤くし、俯いて行進する一等兵がいた。少し前の時間に、残念な役目を仰せつかった為である。個人装備を目一杯詰め込み、全員がもう荷物を持てなくなった後に、衛生班からあの地域はHIVの恐れが大きいからと、箱ごとコンドームを手渡されたのだ。
観測手は無線やその他で、もう背嚢にも入らないのがわかっていたため、射手のうちで一番階級が低い者に「命に代えても現地まで携行せよ」と命令を下して渡した。一人増員されてロマノフスキーは、島の観測手へと配置換えされていたため、この特命を回避出来たのだ。コンドームを箱ごと抱えて外国へ行こうとする、外人部隊兵を奇異の目で見るコルシカ人、もちろん一人や二人ではなかっただろう。
快適な空の旅を経て、懐かしいジプチ砂漠の基地にやってきた。ちょっと感動、なーんにもかわっていない。
勝手知ったる施設内、割り振られた部屋に班員を詰め込み、自身は軍曹のところへと向かう。エリトリアへの移動は車両を利用する、五日以内には国境を越えるだろうとのことであった。それまでは通常訓練させておけ、とありがたい言葉をいただいた。
部屋に戻り次第「空の背嚢を持って広場に集合」と言い残して、あっという間に姿を消した。水と食糧を別に用意し、背嚢に砂を詰めるように命令する。隙間がある兵には、特別にたっぷりと追加してやった。二十キロ走行くぞ、と号令をかけて有無を言わさずゲートに向かう、何だか昔を思い出しそうだ。
砂漠の中を砂をを背負って何故か走る、走る、走る。このおかげでコソボでの撤収時に、ブローニングを抱えて走るなんて芸当が可能になった。あの十二、七ミリってば、四十キロ近くあるわけよ。島も手を抜かずに同じだけの過重を背負って走る、まだ楽をするような立場でも年齢でもない。
周りに何もない、砂漠のど真ん中で大休止を行う。何か遠くに姿が見える、既視感が島を襲う。ほっといて昼寝をすると、見張りに揺り起こされた、現地人が近付いてきたと。背伸びをして腕時計を見ると驚愕した、既に声が届きそうな位にまできているのに、二時間ちょっとしかたっていない。時速八キロだと!
自転車に籠をぶら下げてやってきた男はいい放った「コーラ買わない?」世界一のブランド力を誇る逸品である。九本それを買い上げて、一本を現地人に渡してやる。
「あまり買えなくてすまんな、一緒に飲もうおごりだ」
そう言われ、ニカッと笑ってお礼を述べてその場に座る。おや? あの靴は。膝を折って座っている現地人の靴の裏には、板のような何かが貼り付けられている。それは何かと尋ねると、足が砂に埋まらない為の道具だと答えた。雪山で使うカンジキのようなものだろうか?
通常砂地を歩くときには、足首を捻じ込むように進むが、これが結構疲れる。しかしこの仕掛けがあれば、砂の上に乗る感覚で歩けるらしい。
「ものは相談なんだが、君が履いてる靴を売ってくれないか?」
適当な値段をつけてみると、男は喜んで靴を差し出した。何度もお礼を言いながら、裸足で熱砂を歩いて帰って行く。裸足で……やはり侮れん!
四日目のことだった、待機していた理由が到着する。 野戦武装ジープで移動するのかと思っていたら、装甲兵員輸送車両に武装偵察装甲車、戦闘指揮車両に自走砲などがやってきたのだ。戦力増加はありがたいのだが、これが必要な程の危険地帯なのが裏にある。
ロマノフスキーをチラッと見ると、さもありんとの表情を浮かべた。
選抜射手班には、ジープが与えられ二台に分乗する。運転手にロマノフスキー、据付機銃とライフル手に遠距離を任せ、島は短機関銃を担当した。機械化歩兵中隊の出来上がりである。
飛行場もろくなものが無く、現地で満足な装備の供給が出来ない、との見立てなのだろう。幌付きのトラックにも、小銃やらなんやらと満載されていた。
大尉が現れて赴任自体が輸送任務を兼ねていると説明し、エチオピア軍の越境攻撃が予測されると述べた。交戦は命令あるまでは不許可で、物資の輸送を優先順位の上位に据える。最優先は軍事顧問である将校らの安全、これは常時命令のようなものである。
カマロンの丘の二の舞にならないように、輸送任務の時期は、外人部隊に一任された。そのために、虚を突いて一気に車両を集めたのであった。
武装偵察装甲車を先行させ、武装ジープが続いた。この偵察車は肉眼用の望遠鏡を始め、電子探索器械、赤外線装置、云々が搭載されおり、整地ならば八十キロをだしたり出来るそうな。更に対人機関銃を前後左右の角に据え付けた、それはそれは物騒な仕上がりになっている。一家に一台いかが?
荒れ地走行なので、時速四十キロ程度で砂煙を上げて進んでゆく。ある意味存在を明かしながら動いているわけだが、威力偵察を兼ねるこの車両ならば、目的から外れない。
本隊は低速で走り、砂塵を少なくと気を付ける。コンボイと表すのだろうか、輸送部隊を狙う禿鷹はそれを見逃すまいと、目を皿にして索敵しているに違いない。
計画なんてものはどこまでいっても、すんなりとは通りはしない。偵察車から指揮車に謎の集団を発見、生物熱感知のセンサーが、二千程を指しているそうだ。
中隊副官の中尉から、戦闘態勢をとるように指令が下る。軍曹が短波無線で、臨戦態勢と語気を荒げる。
「セーフティーはずせー」
伍長らが兵に簡単に促す。緊張するとそんなことすら忘れがちになる。そのためわかっていても繰り返し、注意を与えるのだ。すぐに正体が判明し、エチオピア軍と識別される。
交戦したら国際的にどうなるとか、まあ兵士にしてみたら大した問題ではない。今現在生きるか死ぬかをこそ、大切にしたいものだ。
非常にわかりやすい指針により、エチオピア軍に突撃するような真似は避けることにした。簡単に言えば、逃げるのを選択したわけである。
機械化中隊を追撃出来るのは同じ機械化部隊か、航空機しかない。経済破綻し、無闇に航空機を飛ばせるほどエチオピアには余裕はない。歩兵が機械化出来るほど、予算はない。なら安心じゃんと結論が出たと思ったらさあ大変、不揃いな果実がこちらに突出してきた。
偵察車から「戦車四両確認!」と笑えない報告がなされた。旧ソ連戦車を塗り替えてエチオピア国旗を括り付けた、ただそれだけであるが腐っても戦車、不整地走破能力に主砲が備わり充分危険である。
輸送トラックが、安全圏にまで無事脱出出来るようにするのが護衛部隊の役割である。武装偵察車と野戦武装ジープに命令が下る。敵戦車の足を鈍らせよとの無茶振りだ。
小隊長の中尉が残り、戦闘の指揮を執る。武装偵察車で挟み込むように併走し、覆帯を射撃することで走行不能に陥れるつもりのようだ。
武装ジープでも、据え付け機銃で同じように狙う。上手く留め金に命中したら、キャタピラーが外れるはずだ。
島の班でも射手が機銃を乱射する。当然だが効果は滅多に現れない。中尉にロケットの使用を進言すると、すぐさま上手いことやるようにと返事がきた。手透きのライフル手に準備をさせる。
「ロマノフスキー、合図があったら急停車して二秒で再発進だ!」
肩に手をかけて顔を近付け怒鳴ると「ダー」と答える。ロケットを受け取り目標を物色する、あちらからも機銃で弾丸をばらまいてくるため近付けない。
位置が真横になったところでロマノフスキーの肩を叩く。急ブレーキで、体が持って行かれそうになる。足を踏ん張り態勢を立て直し発射! 二分の一秒程で戦車のローラー部分に命中し、派手にキャタピラーが千切れ飛ぶ。
土をガリガリと削りジープが急発進すると、今までいた場所に弾丸が雨のように飛んできた。
一両が見事にその場で足を止めた。それを見た残りの三両は、反撃能力があるのを知ると、とたんに追撃を止めて、味方のところへ引き返して行ってしまった。
中尉から撤退、と命令が下る。多少揺れようと気にせずに加速し荒れ地を爆走し、輸送部隊に追い付こうとした。
ようやく本隊と合流出来そうな距離までくると、速度を緩める。中尉から、お手柄だとお褒めの言葉をいただく。まだ始まりすらしていないのに、これでは先が思いやられる。
陽があるうちにと車を走らせる、機械化とは便利なもので、その日のうちに目的地にたどり着いた。逆に言えばジプチの基地まで、一日で攻撃しに行けるわけでもある。
エリトリア共和国軍の将軍が、外人部隊の大尉を出迎えてくれる。喉から手が出るくらいに欲しかった、装備やノウハウを与えてくれるであろう大尉に、終始ご機嫌である。
隊員全てを招いての歓迎祝賀会、これが戦争の最中なのかと疑うような、盛大なものだった。それに見合う仕事を要求されるのは当然として、エリトリアのイタリア料理は美味く、イギリス料理はやっぱり不味かった。
何だかんだと世界に影響を与えた、列強の残光を感じた島である。
首都アスマラ。元々ラテン語でエリトリアは紅海を表すそうで、アスマラにもそんな類の意味があるのだろう。
イタリア植民地からイギリス保護国を経て、エチオピアから独立したティグレ人、つまりは英語、アラビア語、ティグレ語が幅広く通じるそうだ。あったまいー。
専ら英語を利用して話を進めるように打ち合わせるが、アラビア語が理解可能ならば主力となる。
エリトリア解放戦線が独立暫定政府から政権を譲り受け、それがエリトリア国防軍となったのは聞いていた。
だが右往左往する政権に早速嫌気をさしたのか、民間からエリトリア解放戦線(第二とはしないが)更にエリトリア国民同盟なる勢力が反政府運動に参加しているようだ。
もちろん現政権からはそのような勢力は存在しないとの回答をされている。
紅海沿岸が北側に長く連なり、西側はスーダンと、南側をエチオピア、東をジプチと接しているため、南側に防衛の拠点を置くべきであるが、残念な事実がありエリトリアは東西に長い国なのである。
まさに独裁者として君臨する大統領、その大統領がトップを務める政党、その党員が幹部を占める国軍。何だか共産色が濃いが、支援の代償が民主化なので、いずれは政治的に解決されるはずだ。
以降国防軍と密接に関わりを持つために、将校を派遣してもうことになった。
兵士一般はまず長居をする為に、兵舎の設営から手掛けることとなった。
派遣軍司令は我等が大尉殿ではなく、一つ上の男である中佐殿。駐在武官扱いなので、名誉職と考えたらよいだろう。
何を言いたいか、それはお偉い様には邸宅が供与されるから、自分用だけ造ればよいと命令されたのだ。
軍曹殿も手間が省けて良かったガキ共と、気楽にやればよいのを、丁寧に説明してくれた。
工兵分隊が頭となり、六十ミリ迫撃砲直撃に耐えられる壕を南側に並べ、北側には通常の宿舎を設営する。
雨は滅多に降らないし、暑さは年間平均して三十℃では宿舎に大した労力を割かずとも完成する。
高床式のサソリ返しをつけた小屋がたくさん出来上がる。
武器弾薬は地下の貯蔵施設に保管し、そこは二重のフェンスで区切られ担当軍曹が二十四時間警戒を行う。
この駐屯地の外側は、当然エリトリア国防軍が別に警備を行うわけだが、それをまったくアテにしていない備えをしている。
この首都アスマラの高いビルは精々十階位で、大抵は五階もあれば高層建築物扱いでよい。コソボと似たような感覚と、説明がつく。
設営を兵士に任せてしまい、軍曹が別行動とると島を指名してきた。指名がこんなに不安なのは、なぜだろうか。
一応の壁がある軍曹の執務室、そこへ出頭すると、茶色のダンボールに山と袋のチョコレートが置かれていた。M&Mとか書かれている、お口で溶けて手で溶けない。
赤道のアフリカでも溶けずに頑張るチョコレート、優秀と判断。
「シーマ、ヤーパンはアフリカでも警戒され辛い、諜報だ」
どうやら日本人であることから、何らかの情報収集の役割を与えようとの腹積もりらしい。民族の動向だろうか。
「エリトリア解放戦線と、国民同盟についてでしょうか?」
口の端を微かに吊り上げ頷く。エリトリア政府から正確な情報が渡って来ないため、現地調査を独自に行うようだ。ダンボールを指差して、有効に使えと渡された。謎かけの回答を探すのは後回しにして、まずはそれを手にし隊へと戻る。
困惑しながらチョコレートを持ち帰った、班長を見る班員達。特に語ろうとしない島。すぐに関心を失い、装備に砂が入らないように細かな作業に戻った。チョコレートを一袋取り出して、ロマノフスキーを手招きする。
「これで諜報してこいって命令なんだが、君ならどうする?」
君ならどうする? そう名言を引っ張り出す。心当たりがあったようで、チョコレートを一粒口に含み味を確かめる。
「紛れもないチョコレートですね。恐らくはこれを代償に、子供達から生の話を聞いてこいというわけでしょう」
笑いながらもう一粒チョコレートを口にする。なるほど、お菓子欲しさに喋る内容は、見聞きした生きてる情報か。B指令だと言い、ロマノフスキーを日常命令(つまりはC指令)から免除しペアを組む。二人でどうやって活用するか、具体的なところをチョコレートを摘みながら、考えるのであった。
駐屯して暫くたち軍曹に、諜報の中間報告を行う。チョコレートの威力は絶大で、政府が隠していた実情の数々が明らかになった。
重大な情報にはチョコレートを五袋やるなどして、子供達に競わせたのも一緒に報告する。
「シーマ良い判断だ。大尉殿も貴様を評価しておられる」
あの軍曹が誉めるだと! 思わず顔をしかめて耳を疑った。外人部隊に入り四年余り、初めてだったような気がするようなしないような。もう一度言葉を反芻してみる、間違いなく、事件が起きると直感的に身構えた。
「実は先任曹長殿が退役される。俺が昇進して中隊付になる。シーマ、貴様を小隊付の軍曹勤務伍長に推薦しようと考えている」
予想外だった。簡単に算定の説明を聞かされると、アルジェリアでの従軍実績、コソボでの最大功績、エリトリアでの戦車撃退、諜報任務の結果、全てが上役勤務を可能と指し示しているそうだ。
「ありがとう御座います。微力を尽くします」
評価を素直に受け入れて最敬礼する。これでまた除隊は先になっちまうな。
軍隊としての統率能力は、個人的な資質の他に、民族的な資質が大きく左右する。アフリカ人はまとまって行動するのを苦手としているようで、なかなか百人以上での活動に成果が上がらない。が、個人個人の身体的能力は高く、散発的な戦闘では適性を示す。つまるところ、戦争には向いていないのだ。
大尉は指導の在り方に、頭を悩ませていた。何も味方ばかりがアフリカ人ではない、敵もまた同じである。
どこかの曹長が助言したことで、散兵戦との戦い方に焦点を絞ることになる。少人数によるゲリラ戦のような戦い方で、戦術的勝利を積み重ねて行く形を目指す。
極めて一部の頭脳が、戦略的な視野から活動内容や地域などを定める。大多数が勝手に動き回るので、収拾がつかなくなる恐れがあるのも事実だ。
ますます共産化が激しくなりそうな雲行きに、懸念を示した中佐が、政府に政治的判断を要求したのもこの時期である。エチオピア軍の越境攻撃は未だにあるが、数が減ってきたので潮時かもしれない。
深入りを避けたいフランス政府は、少人数の軍事顧問だけを残して、撤収させることを決める。外人部隊はジブチへの移動を命じられ、施設はエリトリア国防軍へと引き継がれることとなった。
腑に落ちないとは、このようなモノを指すのだろう。フランスから軍事顧問の後任がやってくると、一斉に撤退を開始した。この情報を得ていたエチオピア軍は、何もしなかった。さっさといなくなればよいとばかりに、暫く越境を控えた程である。
直接指導したエリトリア歩兵らに別れを告げ、余剰の食糧などを手渡してやる。個人的には気の善い奴らなのだ。国となるとがらりと態度が変わるのは、ロシアあたりでも似たようなものである。
駐屯していたのは一年足らず、これで満足な結果など出せるわけもない。そこを何とかやれと、しわ寄せされるのが現場であるのは、時代や国が変わっても案外不変なのだろう。
その後エリトリアでは内戦の様相を呈したため、民主化への憲法を制定し騒ぎは収まった。しかし施行は未だにされず、大統領が全権を握ってはなさず、再度焦臭い空気が漂っているようだ。
◇
連隊本部のあるコルシカの冬は暖かい。地中海気候と名は聞いたことがあったが、これは思ったよりも格段に暮らしやすい!
このところ緊急展開も命じられずに、訓練を行う日々が続いていた。上勤伍長として日常訓練一切を担当し、新入りが現れると、こってりと絞るのが通例となってきた。
仮の上役勤務は六ヶ月で結果を判断される。特に瑕疵がなかったために、島軍曹が誕生した。外人部隊で軍曹にまでなった日本人は、今までに三人いるそうだ。何れもやや前の話である。
器用で生真面目な日本人やドイツ人は、武器担当にうってつけで、ご多分に漏れずに島もそれを担当している。何気なくテレビをつけると、フランスのニュース番組が事件を報道していた。シャンゼリゼにある警察署に、自爆テロの車が突っ込んで大惨事になっていると伝えている。
テロップにはイスラム原理主義組織アルカイダが犯行声明を発表し、フランスのパレスチナからの撤退を要求していると、示されている。
「あいつ等だ!」
つい声を出して立ち上がってしまった島は、そのまま曹長のところへと駆け出した。
付き合いが長いファッキンマスターサージへ、あらましを説明する。何かの資料をまとめながら、黙って話を聞き流しているように見えた。
「話はそれだけか?」
相手にされていないと感じた。しかしだからと言って何ら証拠があるわけでもなく、妄言の類と一蹴されても仕方ない内容であるのは、自身も理解していた。
それだけです。そう言い残して戻ろうとする島の隣を通り「ついてこい」と肩を叩く。
廊下をすれ違う隊員らが道を空けて敬礼する。何だか偉くなったものだと、余計なことが頭を過ぎった。将校執務室がある中枢部へと足を運ぶ、やってきたのは8の文字がつけられた部屋の前である。
曹長がノックし名乗る、お決まりの返事があり共に中へ入る。当然目の前には大尉のデスクがあり、側には従卒が控えていた。
「プランの提出であります」
要件を述べて先ほどまとめていた書類を渡した。その場で大尉が目を通すと、満足いくような内容だったのだろう、小さく頷きながらペラペラと捲ってゆく。最初から清書だけを任せたのか、内容検討をさせたのかは不明だが、全てを読み終えて「結構だ」とだけ発した。
「大尉殿、追加の報告があります。シーマ軍曹がハッサン・ウサマ・アブダビをフランスで目撃した可能性が」
その時初めて自分が連れられてきた理由が明かされた。確認するように島を見つめる。
「はっ。去る一年半ほど前、正確には契約継続をサインしての休暇中、フランス郡部にある美術館で、ハッサンと呼ばれていたアラブ人が、ファタハ、ハマスなどと喋っていた四十代の男のことです」
風体が知られておらず、凡その年代が囁かれているだけの、謎の過激派幹部の一人である。若い頃にフランス留学をしたらしく、フランス語を理解することから、ヨーロッパフランス周辺で司令塔として暗躍しているところまでしか調査されていない。
確信がもてるわけではいが、一つの細い糸が作戦に彩りを与えうることがあると、頭の隅に報告を留め置いたようだ。その場を退出しモンタージュらしきものを作成可能かと問われたが、言葉の内容ばかりが印象的で、困難だと返答する。
「当時ジャーナリストを目指す女性と同行しており、彼女が偶然写真に収めた可能性があります」
デスクで指をトントントンと鳴らして、曹長が判断を下した。
「島軍曹に指令を与える。速やかに最善と思われる方法で、そのジャーナリストとコンタクトを取れ。期間は一ヶ月とする、経費は一万フランを前渡しにし、不足は後に決済だ」
思いがけないところから意外な命令を受けた。主計から現金を受け取り、どうするべきか一人考えを整理することにした。
詳しく理由を告げずに、小隊の伍長らに後を頼むぞと言い残す。小隊長である中尉には、指令が下ったため暫く不在になると申告する。パリで調査をするつもりだと述べると、知人の警部に連絡しておくから必要ならば協力を求めたらよいと、手配してくれる。
イタリアへの連絡船に乗ると、数十分で港に到着する。下船時にフランスの身分証を提示した。
実は外人部隊に没収されていた日本旅券も返還されていたため、二種類の身分証を使い分けることが出来る。必要になり日本へ行くならば、フランスの身分証より日本旅券が有利に働くから、との配慮である。
イタリアからは列車でフランスまで直通だ。これにはコルシカから新入りが、外人部隊を追放される道筋と同じであるため、苦笑した。
列車の混雑はほぼないのだが「失礼、こちらよろいしかな?」と中年の凛とした男が声をかけてきた。もちろんと返事をして、その男を観察する。
背筋を伸ばして座る姿勢は、軍隊経験者だろうとすぐにわかる。外国人が喋るフランス語訛りで、顔立ちは中欧によく見られる感じだ。
「パリに向かっているところでして、そちらは?」
男は私もだと答え、オーストリア出身のドイツ人だと名乗った。島も、日本人でパリには彼女に会いに行く、と照れながら話した。
「ヴァルター・フォン=ハウプトマン退役少佐だ」
突如としてそう名乗られ、島もどうしようか迷ったが、素直に自分も名乗ることにした。
「島龍之介軍曹です」
軍隊は所属や現役退役を無視して、階級での上下が絶対である。それと知って無礼な態度をとるのは、自らを否定するのに等しい。
権力機構や序列構築とは、そのような側面を持ち合わせている。
ハウプトマン、つまりはドイツ語で大尉との姓で、祖先も軍人だったことを意味し、更にユンカー(騎士や貴族)の称号であるフォンを複合姓としていた。そのうえ本人が退役少佐となれば、話の筋が見え隠れする。
「構えることはない、今日はただの挨拶にきただけだよ」
疑問は残るが、その先を話すつもりはないらしい。パリに着くまで当たり障りのない会話を交わして駅で別れた。悪い人ではなさそうだな。
まず彼女がどこにいるのかを、突き止める必要があった。名前以外にはジャーナリストを目指しているとの手掛かりしかない。
まずは拠点となる場所を確保するために、いつもの週契約のフラットを訪れる。管理人のお婆さんに、コルシカ土産を手渡すと殊の外喜んでくれた。
「この歳になると訪問してくれる友人も少なくなってね、ありがとう」
さり気ない配慮で、すぐに前回と同じ部屋を用意してくれた。もし連絡があれば受けておいて貰えるように、と言い残して街へと出掛ける。
早速、中尉に紹介して貰った警部に渡りをつける。カフェで待っていると、ジェントリースーツに身を固めた男が近付いてきた。
他に日本人が居ないことを確認して「君がシーマか?」と話しかけてくる。立ち上がり姿勢を正して返答する。
事情を前もって聞いているようで、何ら説明もなく助力を了解してくれた。
二人が向かった先はル=グランジェ近くにあるホテルだった。警部が警察手帳を見せて、協力するようにと要請する。
前に島が訪れた時の、宿泊客カードの開示を要求する。外国人旅券法により、ホテルに外国人が宿泊する際には、パスポートをコピーしておくようにと決められている。
ややあって、その日の宿泊客カードが箱に入れて提出された。事務室の一角を借りて一枚ずつ確かめてゆく。すると島のサインと、設楽由香のカードが見付かった。
パスポートの写しには、手書きで日本での住所がはっきりと記載されていた。ついつい「これだ!」と声をあげる。
コピーしてもらい、カードを返却すると警部が「お役にだったようで何より」と言ってくれた。丁寧に謝辞を述べて、フラットに引き返すことにした。
問題は彼女がその後に転居をしたかどうかである。いずれにせよ最大のヒントを得たのは喜ばしいことで、日本に行く必要があると判断する。
日本行きのエールフランスを予約する、明日一番の席がとれたので、今夜は外に飲みに行かずに大人しくしていることにした。
羽田空港で入国し、乗り換えて丘珠空港へと向かい、北海道に到着する。時期は冬の盛り、札幌雪祭と重なってしまった。多くの旅行客が訪れているため、ホテルが満室となってしまっている。
宿泊は後で考えることにして、近くの公衆電話を探す。未だに電話帳が備えられており、許可があれば名前と住所、電話番号がわかる素晴らしくも、危険なアイテムである。
設楽と中央区を手がかりに捜すが、同じようなものがない。電話局にかけて番号案内を依頼するも、契約者が彼女ではないためか見つからなかった。
仕方なくタクシーを拾って、住所のところまで行ってみることにする。近くで降りて郵便配達員に、場所の詳細を聞いてみる。そこには設楽雄一と表札が掲げられていた。
突然訪問すると訝しがられてしまうだろうから、一旦その場を離れた。電話局に、設楽雄一の名前で案内をしてもらう。今度は見付かり、ようやく連絡先を確保できた。
公衆電話からかけ「設楽由香さんのお宅でしょうか」と確認口調で尋ねる。すると女性の声で「由香は不在です、どちら様ですか?」と問われた。
すぐにフランスで一緒になったことがある、島龍之介だと名乗り、日本に戻ってきたから連絡をしてみた、と答えると「あらまぁ」未だに由香がフランスにいると告げられた。なんだって!
手土産もあり、雪祭り観光がてら近くにきているのでと、訪問を予定してもらい、彼女と連絡をとってもらえるようにお願いした。
実際に雪祭りを見て回り時間を潰す。コルシカの曹長にも、実家が見付かったと中間報告を入れて、資料としてファックスをしておく。
暗くなってしまったが、設楽家を訪問する。母親だろうか、電話に出た人物が玄関口に現れた。軽い挨拶を交わして客間に通されると、夫婦で話を聞いてくれることとなった。
パリ土産と持参してきた品を渡し、彼女と一緒に写っている写真を提示して「フランスの美術館のそばなんですよ」と話した。それまでは多少懐疑的であったが、楽しそうに写る二人を見て、ようやく得心いったようだ。
電話をかけたけど出ないと言われ、フランスでの連絡先や住所を教えてもらう。折角だからと夕食をと誘われて、久し振りに日本の食卓を囲んだ。そこで電話が呼び出し音を告げた、母親が出ると「由香」と聞こえた。
電話を代わり「君に逢いたくて札幌まで着ちまったよ」と言うと「嬉しいわ! でも今フランスなの」そう返され、思わず二人で笑ってしまった。
何故家がわかったかなどは問われなかった。来なければならない理由があったと察したのだろう、頭の良い女である。何かあればフランスのフラットに、と連絡先を交換しあう。再会を約束し電話を代わる。
母親が向こうで「好い人がいるならしっかり捕まえておきなさい」と小言を由香に投げ掛けているのが聞こえて、苦笑いする。
父親が島の旅行鞄を見て「今日はどこに泊まるのかね?」と質問してきた。
「着てから宿をとろうと思ったのですが、どこも一杯で。まさか雪祭りがこんなに賑やかとは」
ならば泊まって行きなさい、と好意を示してくれる。特に見通しも無いため、ありがたくそうさせてもらう。
心配していた繋ぎもとれたため、まずは一安心と内心胸をなで下ろす島であった。
居場所がわかったために、翌朝の便で東京へ向かう。フランス行きのチケットを手にして、飛行機に飛び乗った。軍資金が半分位減ってしまったが、後はどうとでもなるだろう。
待ち時間で曹長に連絡をとり、コンタクトに成功フランスで協力を仰ぐ、と予定を告げた。
空港でフラットに電話して伝言が無いかを確認すると、フランスに着いたら連絡が欲しい、と若い女性が電話してきていたと教えられた。すぐにコールしてみる、一回、二回……そして聞き覚えがある声が電話を受けた。
駅舎で手を振っている女性が駆け寄ってくる。そのまま飛び上がり抱きついてきた。愛らしさは変わらずに、少し大人の女性になったような感じがした。
「凄く久し振りね! 突然どうしたの、何か悪いことでも企んでるのかしら?」
「まさか逆だよ、悪い奴らを叩きのめしてやろうと思ってるのさ!」
「まあ、本当かしら」
時差があるため体は夜だと感じているが、実際にはまだ夕方にもなっていない。近くにアパートを借りたらしく、タクシーを捕まえて彼女の部屋へと転がり込んだ。
◇
部屋を見回してみる。どうやらまだ、ジャーナリストを目指すのはやめていないようだ。
落ち着いてからようやく何があったのか聞いてきた為、あらましを説明した。フィルムをしまってある箱を取り出し、当時の日付の近くで撮り終えた物を並べる。
光に透かしてみてあたりをつけナンバーを確認し、インデックスをアルバムから抜き出した。渡されたインデックスを、じっと舐めるように見てゆくと、美術館の前後で撮った写真に、アラブ人が風景と一緒におさめられていた。
「居たこいつだ!」
フィルムを譲って欲しいと頼むと、二つ返事で承知してくれた。
「けれど条件があるの。次の機会に、あたしを従軍記者として連れてって欲しいの」
彼女はこの二年で強かに成長していたようだ。交換条件を頼んでみるよ、と返事をしフィルムを受け取る。
「それともう一つ、すぐに帰るなんで言わないで数日付き合ってよね!」
これには喜んでと即答して、夕飯にはまだ少し早いとばかりに、もう一度楽しむことにした。
何気なく聞いた一言で、島は由香の職場の仲間に会うことになった。彼女は地元のテレビ局で、取材班のアシスタントをやっていた。同時に日本のテレビ局と、スポットで契約する特派員としても活躍しているそうだ。
メディアでの露出は極めて少ないが、リポーターとしての訓練も行っているようである。いつか特ダネをと信じて下積みをし、ついにフランス軍の従軍記者としてのチャンスを掴んだ、と報告する。仲間はそれを祝ってくれ、二人の仲を冷やかした。
もし従軍記者として行くならば、逆に彼らを雇用するよう契約を打診する。すぐに了承され仲間の出世を素直に喜んだ。
そのクルーには、由香の先輩にあたる女性レポーターが混ざっていた。身体の線がはっきりと女らしく、明るめのヘアで、香水の香り漂うフランス女性を体現したかのような雰囲気である。妙に絡み付く視線を島に送ってくる。気付きながらもそれを意識的に避けて通した。
帰路は軍の連絡船があったので、それに便乗させてもらうことになった。南フランスのマルセイユにある、小さな軍港には、それでも大小様々な荷物が寄せられていた。
物流や補給と言われるものに、終わりはない。それは人がいる限り、変わらない事実である。
この補給を軽視した作戦が大失敗した例は、世界中至る所であり、探すのに困ることはない。そうと知ってこの風潮が無くならないのにも、当然理由がある。
生きるか死ぬかのせめぎ合いををする戦闘部隊、ましてや最前線での任務と比較するとなれば、当然後方での輸送は軽い任務であるといわざるを得ない。一部の高官の子弟は、戦傷を免れるために賄賂を渡して、後方勤務になろうとする。これも相まって、補給任務はかれこれ二千年以上も前から、一つ下の役割と見られてきているのである。
船は南東の沖合を進み左手にフランス、そしてイタリアを見ながらコルシカ島へと進んでゆく。上陸すると勝手知ったる地域を目指して移動する。任務を遂行しての帰還だけに、足取りも軽くなるというものである。
本部に戻ると早速曹長のところへ出頭する。件のフィルムを手渡し、写真を指して人物を特定する。
ピクリと太い眉が反応を見せたのがわかる、その写真で何か気づいたのだろう。
「フィルムの提供者との交換条件があり、従軍記者として、次回の指名を要求されております」
トントントンとデスクを指で叩く仕草をする。何かを考えている時の癖だ。タバコを吸ってみたり、トイレに閉じこもったり、人それぞれである。
「危険地帯を承知なのだな?」
ジャーナリストという生き物が大抵そうでしょう、と軽口でもって肯定する。もっとも島は却下されたほうが良いと、内心は思っていた。いくら安全に配慮したとしても、やはり一定の確率での事故のような不幸は起こり得る。
「わかった。俺から上に話をしておこう。しかし十日で帰還とはな、まあ期限一杯までかかるようなやつは部下にいらん」
誉め切れない態度に聞こえるが、曹長からの最大の賛辞と解釈しよう。
「不肖の部下で申し訳ありません。ついででもう一つお話が――」
予算が余ったために、パリで酒を少しばかり土産として購入してきた、それを見逃して欲しいと告げた。するとフンと鼻を鳴らして、好きにしろと退室を促した。
大分丸くなったなぁ、と感じる島であった。