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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第四十章 医療キャンプと難民、第四十一章 それぞれの意志の下に、第四十二章 要塞の主

 日本旅券を使いルワンダやブルンジを見聞して回り、ウガンダの南西部の現地視察を行った後に、コンゴゴマ空港へと入った。


 日中市内を見て回りホテルへと入る。翌朝ブカヴからジープに乗ったフィル軍曹らが迎えにやってきた。


 朝から晩まで車を走らせ、尻が痛くなったところでようやくブカヴの灯りが目に入る。


「酷い道だ、ここを飛ばしたら車が分解しそうになるな」


 三十キロも出したら上下が激しく体がおかしくなりそうになる。


「まだマシな場所を通っています。初見では一日で着きませんでした」


 夜営になれば危険が一杯とばかりに無理してでも到着するよう迎えに来たそうだが、逆算すると前日の昼間から走り通しになってしまう。


「すまんなフィル、ついたら一日休養したら良い」


「ウィ。あと三十分程で市内に入ります」


 街に入ってしまえば味方のキャンプもあるので安心できる。

 これとは別に診療所があるキャンプも設置されているが、こちらは朝となく夜となくごった返している。市民が詰め掛けて順番を待って並んでいるのだ。


 シーリネン大尉の発案で、全員の医師が昼間に一斉に診察するのではなく、交代で昼夜問わずに七分八分体制で医療を提供しているそうだ。

 列の消化は遅いが二十四時間態勢で治療してもらえるとの噂は強烈であった。近隣から数千人が訪れている。


「民衆を味方につけるには実情より風聞なわけだ」


 どちらも変わらない力を発揮しているわけだが、受け取りかたは大分差があるようだ。


 やがて一行は何かで囲われた場所にと足を踏み入れる。

 南スーダンよりは簡単な造りの陣地のような、住居のようなといった場所である。


 深夜の到着だというのに人影が随分とあるのがわかる。

 それもそのはず、何かあれば即座に出撃出来るように武装待機を命じていたようだ。


 ヘルムを被った白人がジープに近付き敬礼する。


「長旅お疲れ様です。主を迎えられてまずは一安心、司令部へどうぞ」


「先乗りご苦労。無事につけたのも先達の努力の結果だよ。感謝の気持ちは何とか形にしたいものだね」


「ビールの一グロスでも戴けたら報われますな、あれはアルコールではなく薬です」


 中尉の部屋に運ばせるよと請け合ってから車を降りる。

 あのレヴァンティンも肩が落ちてしまっていた。


「美人が顔を曇らせるとは世界の損失ですよ、マドマァゼル」


「あたしが苦労して世界が富んでも嬉しかぁないよ。にしても、帰りは是非空からにしたいものだね」


 差し出された手をぐいっとつかんで車を降りる。

 何度か停車して給油がてら体を解したが本調子ではない。


 各自があてがわれた部屋に入ると、泥のように眠ってしまった。


 兵士のうち半数を解散し、残りは警備を行わせて世界有数の危険地帯の夜に備える。

 うっかり見張りもなく寝入ってしまえば、朝には倉庫が空っぽになっているかも知れない。


 試してみる勇気は無い。重機がやってきたら大分改善されるだろうから、それまでの辛抱と位置付けて半ば諦め気味でフルタイム警備を続けている。


 赤道上にある地域の日の出は憎いくらいに早い、午前三時あたりで電気のスイッチを入れたかのように突然夜が昼になる。

 南極やら北極のずっと薄明かるいのに比べたら、随分と健康的と言えなくもないが。


 きっかり朝六時には軍服、それも野戦服を着て部屋を出た。

 将校専用の食堂に入ると待ち構えていたロマノフスキーが声をかけてくる。


「制服よりも気合が入るとは思いませんか?」


「お前たち何しに来たと言われたらかなわんがね、こいつを着ると置かれた状況に目が醒める思いだよ」


 いつどこから弾丸が飛んでくるか分からない、戦闘服の階級章は覆いを外さねば目につかないように改造されていた。


 戦闘地域では狙撃手による将校の暗殺があるためであり、概ね八百メートル範囲の安全圏が求められている。

 これは負担と成功率の天秤による目安であり、安全を保証する距離ではない。


 もっともプロが万全の状態でやろうと思えば半々以上で成功させるだろう。しかし、万全の状態にさせないために妨害をするのは積み重ねが可能であり、気象や警らを含めると十回に一回程の成功率に抑えられる。


 それで撃たれたら運命と諦めるか、少しでも低くさせる努力をするかは状況が許す範囲によりけりだろう。

 一つ言えるのは、狙撃に失敗したら狙撃手は惨殺されるまで追い回される未来が待っている。


「重機が来るまで黙って待つのも芸がありませんね。少し遊んでみますか?」


「どんなショーを見せてくれるんだ」


 思うようにやればよいと許可を与えてから内容を確認する。逆でないのが信頼の証だ。


「ブカヴのマイマイと正規軍、奴等は乱暴狼藉が過ぎるようで」


 コンゴ正規軍ブカヴ駐屯連隊。本来ならば国民を守るべき義務を遂行しなければならない彼等だが、こともあろうに自警団にあたるブカヴマイマイと結託して、好き放題悪行を重ねている。

 警察に訴えても無駄で、泣き寝入りするしかない。


 略奪に婦女暴行は日常茶飯事で、子女の誘拐も頻繁にある。それに備えて夜間は帰宅せずに集団で学校に籠るなどの対策がとられているそうだ。


「この世にある不幸を濃縮したような話だな。まだ正体を現すには早いが、こっそりやる分には構わんよ」


 大胆に、だが綿密にと注文をつける。

 少佐は不敵な笑みを浮かべて頷くと、ビスケット片手に食堂を出ていった。


 ――キベガ族はそれが終わってからでも構わんだろう。ンダガグ族はこれから行ってみるか、どうせなら見た目で圧倒するような供が良かろう。


 軽い朝食を済ませて左右を見渡しエーン少尉を見付けると近付く。


「ンダガグ族に会いにいく、体格が良い奴等を含めて八人で出るぞ。貢物もだ、準備しろ」


「ダコール」


 すぐに下士官のそれに向かいトゥヴェー軍曹に兵士を選抜させ、自身は倉庫へと向かっていった。


 件のグローブを嵌めて、形ばかりの拳銃をぶら下げてゆく。

 この拳銃という装備、市民や警察などならば充分な効果であるのだが、軍用として考えたときにはほぼものの役に立たない。


 そんなことを言えば問題が起きるが、陸兵である歩兵が携帯していないのを見れば納得もいくだろう。

 荷重ばかりがあり効果が見込めないので装備に含まれないのだ。


 持っていくのは非武装の将校が護身用と権威の象徴としてつけるか、砲兵らが丸腰では不安な為に装備する位に限られる。


 何せ動く目標には命中せず、七メートルあたりが限界で、当たっても一発で敵を葬る威力は望めない。

 そのくせ弾薬はライフルと共用出来なかったりしたら、補給の負担も増えて大変なことばかりが目立ってしまうのだ。


 司令室へ入り報告が上がるのを待とうとして椅子にと腰掛ける、するとすぐに準備が出来たと少尉がやってきた。

 座席が暖まるような暇もないが、その素早さを賞賛することはあっても咎めることはない。


 トゥヴェー軍曹が指揮するジープに乗り込みキャンプを出ようとする。

 だが外出申請がなされていないため確認すると、門衛に足留めされてしまった。


 現地採用の一等兵と二等兵が三人の四人組で、責任者の上等兵は日陰で様子を伺っている。


「エーン、あの上等兵は何なんだ?」


 疑問なのか確認なのか、はたまた怒りなのか、少尉は軍曹と共にジープを降りる。


 トゥヴェーに上等兵を呼ぶように命じ苦い表情を浮かべた。

 早足でやってくると空気を察してエーン少尉に向かい敬礼する。


「ムダダ上等兵です」


 名前はわからないが恐らく将校だろうとの見立てで接する。


「上等兵の任務は何か」


 フランス語でそう問い掛ける。島が理解できるようにとの配慮だろう。


「門を通過する者を改めることですが何か?」


 こいつは話にならんとビダ曹長を出頭させるようにトゥヴェーに命じた。


 曹長が駆け足してくるまで彼らは起立したまま背筋を伸ばして待っていた。

 やがてビダが来ると、何かをやらかした雰囲気に表情を曇らせる。


「ビダ曹長出頭致しました!」


「ご苦労。曹長、ムダダ上等兵を任用した経緯を報告せよ」


 ビダがフランス語を理解しないため、英語で命じる。


「はっ。兵等による互選でムダダを上等兵にとの声が多かった為に任用しました」


「答えろ、曹長は門衛責任者は日陰で見ていろと訓練したのか?」


 全てを理解したビダは「違います」と即答した。

 終始黙って聞いている島が未だにピクリともしない気配を察して、少尉が自らの権限で話を進める。


「一等兵、お前は上等兵と同じ部族か?」


 突如自分に矛先が向けられ一拍置いてしまうが、「はい、キラクです」と答えた。


「ムダダの方が年長者か」


「はい」


 二人を見比べてキラクの方が信頼できると感じた少尉は、曹長に助言する。


「曹長がもし背を預けるならばどちらを選ぶかだ。俺は大佐殿と任務があり帰りは夕刻になる、以上だ」


「はっ、お気を付けて」


 曹長が見送るものだから、門衛らも敬礼して倣う。


 島は戻った少尉らに何ら言葉を発することなく、腕を組み目を閉じたままジープに座っている。


「よし、出せ」


 軍曹が命じるとゆっくりと車が走り出した。


 キャンプを離れて内陸の西側よりを通る。キヴ湖の南西部にブカヴがあり、現在の拠点は市街地の更に南西にある。

 ンダガグ族はというと、市街地北側、それもやや離れた場所に住み着いているようだ。


 近隣には既に先住者がいるため、半ば押し出された形で空地で暮らしている。

 それでも湖の隣に居られるだけマシで、何もない内陸部では苦労も桁違いであっただろう。


 湖よりも川沿南側が人気の地域なのには理由があった、それもかなりの困った理由が。


 キヴ湖は地下に火山層を抱えた地形の上にあり、その地層からガスが発生しているのだ。

 それが噴出して引火したら湖水爆発を起こしかねない、それゆえに湖中心に近い場所は避けられている。


 だが長い年月でいつそうなるかはわからない、永住するならともかく一年二年程度間借りするだけならば悪くない。


 先の丘にテントのようなものが集まっているのが見えてきた。

 突然近付くと驚かせてしまうため、離れたところからクラクションを数回ならしてゆっくりと側に寄っていく。


 集落から肉眼で互いが見えるあたりで車を止める。

 トゥヴェー軍曹が下車して、ルワンダ語で呼び掛ける、話がしたいと。


 集落から男が二人やってくる、丘のあたりでは慌ただしく人が動き回っていた。


「ンダガグ族の戦士、トゥ・トゥツァ・キヴだ」


 若い男が名乗ると軍曹も胸を張って応える。


「プレトリアス族のプレトリアス・トゥヴェーだ。我等のボスがンダガグ族長に貢物を持って会いに来た、取り次いで貰いたい」


「族長に伝えてくる、そのままで待たれよ」


 攻撃しに来たわけではなさそうだと受諾を示して帰って行く。


 どの位待たされただろうか、先ほど名乗った男が戻ってきた。


「族長がお会いになる、参られよ」


「ンダガグ族の戦士トゥ・トゥツァ・キヴに感謝する」


 軍曹を先頭にしてジープとトラックが徐行する。兵が三人下車して左右と後方を歩く。


 いつ襲いかかってくるかわかったものではない。

 エーン少尉は車内の影でFAMAS突撃銃の安全スイッチを切って、即座に全自動射撃可能なように備えた。


 このような場合、全自動射撃でなければならない。

 一気に火力を叩き込み速やかに離脱するのが鉄則であるのだ。


 停車するよう求められたので停めるがエンジンはそのままつけておく。

 兵が荷台から箱を下ろし一ヶ所に固めて置く。


 兵がAK47カラシニコフ突撃銃を空に向けて抱え、ジープを囲むように待機する。

 エーン少尉が胸にFAMASを斜めに吊り下げて、片手を添えたまま降りる。


 辺りを見回した後に島が徒手で姿を現した。白人でも黒人でも、また褐色のアラブ人でもない初めて目にする人種だったのだろう、無遠慮な視線が集まる。


 人垣を割って老人が杖を片手にゆっくりと歩いてきた。


「ンダガグ族の族長、トゥ・タァツァ・ムじゃ」


「キシワ大佐だ。ンダガグ族長にこの貢物を捧げる、受け取られよ」


 フランス語でそう喋るとトゥヴェーが同時にルワンダ語に通訳する。一部はフランス語を理解している様子がわかった。


 ――若い面々はフランス語をわかるようだな、難民として生活しているうちに修得したのだろう。


「キシワ大佐の貢物を頂く。して儂に話とはなんじゃろうか」


 箱を開けると衣料品や食料品、ラジオや薬が入っていたため態度が和らいだ。


「我々は一時的に拠点とする場所を求めている、ンダガグ族の土地を借りたい。見返りに敵対者からの保護と外貨を与える準備がある」


 ギャラリーがざわついて、族長の側近らしき壮年が左右から意見を述べている。

 簡単には結論が出ないだろうと何度か出直すつもりで答えを急かしはしない。


「キシワ大佐はどのような目的でブカヴに?」

「キヴ州に平和と安定を与えに」


「どうやって実現を?」

「利益の再分配と勢力圏内の防衛で」


 漠然とした言いようではあるがはっきりと即答する。

 口では何とでも言える、行動が伴うかが重要なところだ。


「考えておこう。数日したらまたやってくると良い、それまでに答えを出しておこう」


「承知した」


 くるりと踵を返してジープに乗り込もうとする島を呼び止める。


「儂らはルワンダに帰られるだろうか」


「悪いが族長の世代では難しかろう。だが、そこにいる戦士トゥ・トゥツァ・キヴらが帰られるよう努力しよう」


 トゥヴェーら四人は集落から離れるまで徒歩で警戒し随伴する。

 ある程度まで行くと一斉に乗車してアクセルを踏ませた。


 南東に進路をとってキヴ湖を観察する。

 漁船――といっても手漕ぎボートを使った投網で魚をとっている者がちらほらと見られる。


「トゥヴェー、漁師らに鮮魚を納品させるよう取引を」


「ウィ」


 ジープを停めさせると一人寄っていき手を振って大声で話し掛ける。


 ――湖を背にして拠点を作るならば船を直接岸につけられるような工事もしたいな。脱出の為に小舟も欲しい、現地に発注してやれば程なく製造するだろう。

 はしけでも構わん、ここにはハリケーンなどやってこないからな。

 中央にあるあの島はどうだろうか、先住民がいるはずだ味方に出来たら湖の部隊を強化できる。

 条件が許せば滑走路を二ヶ所、陸と島に設置したいな。


「ちょっとラジオをつけてくれないか」


 運転手が短く返答して一般のラジオを受信する。

 適当にチューニングして音楽が流れたので手を止めた。


 すると曲の合間にアナウンサーが提供はキャトルエトワール、と言うから不思議な顔をした。


 ――しっかりと宣伝してくれているようで何よりだ。

 もう少し種をまく期間としておこう。


 軍曹が戻り約束を取り付けることが出来たと報告する。


「軍曹、曹長の指示に従い兵営の糧食として組み込め。消費可能な範囲一杯までの購入を認める」


「ダコール」


 補給への負担軽減と、外貨を与える一つの手段として道筋をつけておく。

 こうしておけば野菜も肉もいずれ買ってくれとやってくるに違いない。


 大方の食糧が賄えるようになれば、保存食や嗜好品などの補給に切り替えて蓄積しておけばよい。


「医療キャンプに向かえ」


 視察しなければならない場所を指示して次へと進める。


 多量の水利用をする都合から、キャンプは湖べりに設置されていた。

 どこに大尉が居るかわからない位に住民でごった返していた。


 車では行けないので兵士二人を残して人混みに割ってはいる。


 本部テントのある旗を目指して近付く努力をする。

 あちこちの部族で使われる言葉が飛び交い収拾がつかなくなっていた。


 ようやく本部にたどり着くと、事務員らしき黒人に割り込むなと声をかけられてしまった。

 だがプレトリアス兄弟を見付けて飛び出してくると謝罪した。


「構わん、ボスがシーリネン大尉をお探しだ、どちらにおいでだろう」


 プレトリアの三族と紹介されたが、彼も島を拝むものだから肩を竦める。


「呼んできますので本部でお待ちください!」


 勢いよく駆けていきすぐに人混みに消えていった。


 椅子を勧められて島が腰を掛けると、エーンに耳を寄せるように仕草で示す。


「頼むから俺を拝ませないでくれ。ただの雇い主であって神ではないぞ」


「ご命令とあらばそうさせます」


 無表情に請け負うと、本部にいる者を呼びつけて短く命じる。


 どこにいたのか暫く待たされてからようやくシーリネンが姿を見せる。


「ようこそ、この医療キャンプこそ私が求めていた姿ですよ大佐」


「それは良かった。何か不都合があったら言っていただけたら改善しますドクター」


 担当がやる気を出すのが一番だとにこやかに求めを引き出そうとする。


「浄水剤でも足りないことはないですが、浄水機を設置して欲しいところです。住民らには簡易浄水機を」


 メモを取りながら軍用の浄水器機を、携帯用サイズが適当だと印をつける。

 個人用ではあるが常時濾過をさせておけば、一つで六人やそこらの飲用水を賄える。


「電源が必要なタイプと、濾過で利用のタイプとを用意しましょう。携帯用は配付を含めて多目に」


「そうして貰えたら助かります。人が増えれば水が汚染されてしまい、そこから病気が発生します。関連して便所もあちこち必要になります」


 地面に穴を掘って利用をしているが、やはり衛生面で長期滞在するには耐えないやり方なのを指摘する。


 ――簡易トイレなんて無理だな、すると処理するためのシステムが必要になるか。


「素人考えですが、堆肥を作るような流れを創設させます。農業経験者に仕事として割り振り、畑を作らせれば一石で三鳥くらいにはなるでしょう」


「それは良い考えです。今暫くは我慢してもらいましょう。もう何十年と耐えたのです、少し位で根をあげたりはしないでしょう」


 元より農耕の民族であるフツ系の現地人らである、さほど手間がかかる話ではないだろう。


「他には何かありませんか?」


「そろそろあちこちの奴等がこのキャンプの収奪を狙うだろうと。警備を増やしていただけたら安心です」


 ――人が集まれば略奪もしやすくなるわけか、注意させよう。


「マリー中尉に命じておきます、目立たずに警備を増やすように」


 勢力争いに加わるにはまだ早いと、対処能力だけあげると約束しておく。


 大尉も現実をいやと言うほど見てきているので、それで充分だと頷いた。


 手術が必要な急患が出たと看護士が医者を探している声が聞こえてきた。


「ドクターを独占しては迷惑になるようだから失礼します」


「こちらのキャンプはご心配なく、では」


 こっちだ、と手を上げて看護士のところへと足早に向かう。


「少し遅い昼飯でも行くか」


 戦闘服姿がどうかとも思ったが、ずだ袋のようなボロを纏っている難民から、民族衣装を着込んでいる者、ラフな格好の若者と多種多様な服装が集まっているので気にしないことにした。


 街に入ると気にしないどころか、やけに軍服らしき姿が目立っていた。


 ――うーむ、各派閥の規模が随分と大きいようだな。


 人口が二十万ならば、一説では六千人から一万人の兵が非常時には揃えられるとされている。

 ところがブカヴには各種の軍隊や民兵組織が、一万を軽く越えて滞在している。


 これに警察や近所の青年団などが少し武装でもしようものならば、二万人はその手の輩がうろつく計算になってしまう。


 食堂に入ると明らかに柄が悪い面々が混ざっており、時として一般人が入店を遠慮する風景すら見られた。


 黙って座って食事をしていると、アラブ人らしき男が入ってきて店内を見回し、一般人のところへと寄っていった。


 ――動きは訓練されたそれだな。


 興味がないふりをして耳だけ傾けて集中していると、イスラム教への勧誘を始めたではないか。

 次々とテーブルを移り声をかけてゆき、トゥヴェーらのテーブルにもやってきた。


 目で合図をしてやり、話を聞き出すように仕向ける。

 エーンからパラグアイでのアサド軍曹の話を聞いていたので、意味ありげな視線を正しく理解した。


「こんにちは」


「どうも、こんにちは」


 椅子を勧めてやり、いかにもイスラム教徒のような反応を見せてやる。

 レバノンで散々目にしてきているので不自然さはない。


 脈ありに喜んで同席する。


「ウマル・オヤ・ビン=ラディンです」


 フランス語でそう名乗ってきたが、敢えてトゥヴェーはアラビア語で返答する。

 兵等の顔色でばれないように。


「レトリー・トゥヴェーです。アラビア語は喋られますか?」


「こいつは嬉しい、勿論ですよレトリーさん」


 まさかのアラビア語の話者に出会って喜色満面といえる。

 イスラム教徒自体が地域割合で一パーセント程度しか居らず、その中でもアラビア語まで理解するのは百人に一人いるかいないか。

 つまりは読んで字のごとく、まさに万が一の相手なのだ。


「アッラーのお導きでしょう」


 そう口にしておきながら胸中では、くたばれと舌をだす。


「あなたがたもイスラムの聖戦に参加しませんか?」


 一緒にいるのもイスラム教徒だろうと気軽な雰囲気を作って話を振る。運びは悪くない。


 イスラム教徒にとって聖戦とは、若いうちに一度は経験しておきたい、想い出作りくらいのものと言える。


「どんな内容?」


「シリアのダマスカスで政府軍の支援を」


 隣で聞いていた島が全てを理解した。

 ――ヒズボラの布教係に違いないぞ。こんなところで徴募していたのか。

 確か単独かそれに近い人数で動いているはずだ、仲間の連絡先を確保したいものだな。

 奴が理解しない言葉は……。


 いかにもエーンと会話しているかのようにして、島はアフリカーンス語で「潜入調査だ」と言いながら食事をした。

 それを耳にしたトゥヴェーは考える振りをしてから、承諾を伝える。


「わかった、どうしたら良い?」


 見事兵士を確保したと思い込んだ、オヤ・ビン=ラディンは気が変わらないうちにと話を進める。


「ブルンジのブジュンブラ空港からハルツームに飛んで貰えたら、そこに世話役がいる。あとはそいつに任せたら良いよ」


 ブカヴから程近い空港を指定して、スーダンに入国するようさせる。

 相変わらずスーダンではイスラムの非合法活動が盛んである。


「飛行機に乗る金がないが……」


 何かの仕組みがあるのかとゴネてみる。


「俺の名前で予約を入れておくよ。支払さえしておけばとやかくは言われんからな」


 ヨーロッパやアメリカではなく、アフリカでは確かに細かいことは言われない。


「ハルツームの世話役の名前は?」


「それは出発直前に教えるよ」


 全てを明かさずに先延ばしにしておく。仕方なしにトゥヴェーが了解して空港へ同行する約束を取り付ける。

 翌朝に待ち合わせをすると決めると、オヤ・ビン=ラディンは食堂を出ていった。


「軍曹、空港のゲートを潜るまで付き合ってハルツームの世話役の名前を聞き出すんだ」


「ヤ」


 兵に企みが漏れないようにアフリカーンス語を使い、方針を決めておく。


「オヤ・ビンが監視しているかも知れんから、軍曹らは別に戻れ」


 島はエーンと共に先にジープへと戻り、一足先にキャンプへと向かった。


 帰着時に門衛がジープを停める。

 すると上等兵がエーンを見て敬礼した。


「お帰りなさいませ」


「プレトリアス・エーン少尉だ。通って良いかねキラク上等兵」


「どうぞ!」


 一つ満足を浮かべて門を通過するのであった。


 司令室に戻っても少佐の姿は無かった。


「少尉、トゥヴェーに兵をつけてハルツームのヒズボラ支援者もまとめて拘束するんだ」


「オヤ・ビンが姿を表さずに搭乗指示だけしてきたらどうさせましょう?」


 どちらを主軸に身柄を抑えるつもりかを問う。


「勧誘をしているやつだろうな。急用が出来たとか適当なことを言って引き返してしまえ」


「そうさせます」


 拠点に居ようとも島を完全に一人にはさせまいと、部屋を出ても扉が見える範囲まででしか行動しない。

 誰かを見付けるとトゥヴェーが戻り次第出頭するように、と命令を門衛に伝えに走らせる。


 浮浪者の成りをしたコロラドが子供と言えるくらいの背丈の者を連れてやってくる。


「曹長、そいつは?」


「キンシャサで拾ってきました。こう見えても成人しています」


 浮浪者の親子連れのように見えてしまう、それが持ち味なのだろうと頷くと司令室へと同行する。


「コロラド曹長帰着しました」


「ご苦労、さてどんな話を聞かせてくれるのかな」


 いつも驚きの内容を持ち帰るため楽しみにしているのだ。


「こいつはムルンバです。マタタ・ポニョ首相の私邸で働いていました」


 英語を理解するらしい、フランス語はコロラドがわからない。

 ポニョはカビラ大統領の腹心の一人と位置付けてよいだろう、財務相でもあり首相と兼務しているあたり、彼が居なくば政府も経済もたち行かなくなる。


 その首相の私邸で働いていたとなればかなりの情報源と見て良い。


「カビラ大統領は軍に直接的な影響力を持っていますが、首相は補佐でしかありません。そのポニョがどこからかのダイアモンドを手にしているのを見たと」


 ――でたか紛争ダイアモンドが。政権側が普通に採掘すれば国家の物だが、そうさせずに闇を経由させるわけだ。


「場所の名前知ってる。それ喋る、国帰れるか?」


 喋られる英語も片言で旅券も無く、逃げてきたのでキンシャサにも行けず、幼い頃の栄養失調から身体も強くないそうだ。


「曹長はなんと言って連れてきたんだ?」


「そ、それは……ボスに本当のことを喋れば何とかしてくれるはずだと……」


 消え入りそうな声でおっかなびっくり語る。


「ムルンバ、君の故郷は?」


「シエラレオネのカバラ」


 ――西アフリカの小国だな、随分と遠くに来たもんだ。まあ他人のことは全く言えんが。


「場所は間違いないんだな?」


 本人が思い込んでいる可能性はあるにしても、全くの手探りよりは細い糸でも無いよりはあった方が良い。

 ムルンバは二回しっかりと頷く。


「約束しよう、君を故郷まで連れていく。しゃべって欲しい、頼めるか?」


「自分、嬉しい。また家族に会える。ポニョ、フィジの産まれ。ダイアモンド、鉱山、キウビ、ザイール川の始まり。これで帰れるか?」


 見たところ嘘を並べた様子はない、だが産まれとザイール川の場所は正反対の位置にある。

 アフリカ地図、それもミドルアフリカの拡大図を持ってこさせる。


「フィジはこれだな」


 タンガニーカ湖の反対にはキゴマがある、一方でザイール川は北部からキンシャサを通り大西洋に注いでいる。


「ムルンバ、キウビにダイアモンド鉱山があるんだな、だがその場所を示せるか?」


 地図を見ても首を左右に振るだけである。


 そもそもが川の始まりなど数えられないほどにある。


「キウビはフィジの近く?」


 産まれをわざわざ言ったものだから関係があるかもと質問する。


「フィジに運ぶ。ポニョの一族、喜ぶ。ネパタ、使う」


 ――地元に一旦プールするわけか、だがネパタとはなんだ?


 左右を見ても曇った顔をしているのでわからないのかもしれない。


「ネパタとは何だ?」


「ネパタはネパタだ。他の呼び方、知らない」


 スワヒリ語かと少尉を見るも否定する。かといって島が解らないならば固有名詞か何かなのだろう。

 詳しく質問して何かを絞りこもうとする。


「使うわけだからネパタは道具か?」


「違う、道具じゃない」


「ではどうやって使うんだい」


 相手を怒るわけにもいかないので優しく言い回しを変えさせて行く。


「荷物、載せて使う」


 ――道具でなく荷物を載せる?


「そいつの絵が描けるか?」


「やってみる」


 筆記具を用意させ無地の紙を渡して描かせてみる。すると途中から皆がなるほどと納得した。


「わかったムルンバありがとう。約束は守る。少尉、信頼できる奴を一人選び送らせるんだ」


「アンダースタンディング」


 ブジュンブラ空港からダカール空港――パリダカラリーで有名な――へ飛び、船でフリータウンに入る。そこから陸路で更に三百キロでようやくである。

 陸海空合わせて五千キロの長旅になるだろう。


 少尉がムルンバを連れて司令室から出ていく。


「大体の見当はついた。幾つか聞きたいことがある」


 勝手な約束をしてしまい怒られるのかとビクつきながら、何でしょうかと上目使いで応じる。


 ――まずは勘違いを解消してやるか。


「コロラド、いつも助かる。今回も貴重な駒を拾ってきてくれて光が見えてきたよ」


「出過ぎた真似をして申し訳ありません。以後勝手な約束は控えます……」


「お前がそうすべきだと思ったらしたら良い。俺はそれを咎めたりはしない。最善を尽くし後ろを振り返るな、決断したら後悔はするな、自分を信じて仲間を信じろ」


 外人部隊で幾度となく教え込まれた精神を説く、未来は常に前にあるのだと。


「ヴァヤ!」


「よろしい。曹長、キンシャサでの軍部方針は掴めたか」


 スペイン語に切り替えて微妙なニュアンスも表せるように、報告者の母語に合わせる。


「大統領の任期継続を優先するために、大規模に発展しそうな戦闘を禁じているようです。その為に国民に害を為す勢力も放置している始末に」


「火種は小さなうちに消してしまうか、火事が広がらないように両隣の家を壊すかだな」


 勢力双方が争うつもりがなければ大事にはならない。

 民衆が蜂起するならば見せしめに少し痛め付けてやれば、飛び火もしないわけである。


「東部の国軍の悪行に目を瞑る代わりに、反乱独立騒ぎを起こさず政府に従うような取引も」


 ――駐屯連隊の略奪がそれだな、カビラ大統領は父親と共に圧政から民衆を解放する運動をしていたはずだが、権力の座についたら人が変わったか。


「東部の軍管区を把握しておくべきだな。あとは」


「ブテンボ基地の国連第2旅団、それとも裏取引が。派遣団の仲裁や調停があれば従うが、その代わりに活動地域を拡大しないように、と」


「国連軍が取引を承知した?」


 まさかと思ったが重要な部分なので特に確認する。


「記録にはありませんが、結果だけ見たらそれは否定できません」


 ――現在の司令官の任期を調べておかねばならんか。

 相手を壊滅させられるならば強気に、無理ならば融和をか。戦国時代にでもきたみたいだ。


「各地の有用な者やエージェントとの繋ぎは」


 以前に命じてあった内容をの結果を求める。どこの馬の骨ともわからない相手にどこまで真実付き合いをしてくるかは別問題として。


「小部族はすがる相手を求めています。非合法組織の折衝役は連絡がとれます、ですが直接対話には至りません」


 ――五十人、百人と扶養を増やすのは簡単なわけか。ベトナムの戦略村構想はどうだろうか?


「結構だ。曹長は本部に入れ。現地人を使いっ走りに採用して、小部族との連絡を確保しておけ」


「ヴァヤ」


 敬礼して司令室を去る直前「グロック先任上級特務曹長を呼べ」と命じる。

 どうすべきか沈思黙考する時間は十分と与えられることはなかった。


「グロック先任上級特務曹長出頭致しました」


 最近頭髪に白いものが混ざってきたかのような気がする。


「ご苦労。キゴマの件を」


「はっ、こちらを」


 書類を渡して閲覧をする時間を黙って待ち、視線が上がったところで口を開く。


「担当下士官にアフマド軍曹、警備主任にオラベル伍長、基幹となる警備兵八名、医療用助言に看護士一名、通訳に一名です」


 ――流通全般は軍曹と看護士が、通信警備が伍長で、スワヒリ語と英語のわかるやつが一人か、余程の事故や事件が無ければ問題は無いな。


「結構、発令しておくんだ。少佐はまだ戻ってないな」


「そのようで」


 ちょっと暗躍してくると出掛けて戻っていない。だからと何の心配もいらないが。


「情報攪乱でキャトルエトワールの支部を幾つか作りたい、実態は無しで構わん計画を提出するんだ」


「ダコール」


 いつも悠然と構えているグロックだが、パラグアイで一度だけ何かを口にしようとした姿が思い起こされた。


 ――そう言えば何か言いたげだったな、もう一度聞いてみるか。素直に答えるとも思えんが。


「何か言いたいことがあるはずだが」


「――御座いません」


 一瞬の変化を見逃すほど短い付き合いではない。


「命令だ、パラグアイからずっと気になっている、諦めて白状するんだ」


 任官してこの方、命令を拒否した話を聞いたことがない。

 最も効果的で、それでいて卑怯な手を使う。


「はっ、ヌル上等兵を士官学校に入校させたく思います」


 ――なるほど、贔屓と言われるような後ろめたさがあったわけか。

 真面目一徹なグロックには言いづらかろう。


「良かろう、どの校に申請をさせる」


 あっさりと認めた島の顔をマジマジと見る。


「サンドハーストの砲兵課程に」


 ――イギリスか、ガンヌーシー氏のところに推薦を頼めないだろうか。


「わかった、手配してみよう。だが入校試験は本人次第だ、失敗したら二度目はないぞ」


「無論です、落第するような奴に用事はありません」


 自らが付きっきりで指導した教え子に万全の自信を覗かせる。

 上等兵が居ようが居まいが、旅団にはなんの影響もない。

 ならば可能性を広げてやろうと思うのは、人事に関する戦略と言えないだろうか。


 退室を命じてドアに手をかけたところで一言「少しはスッキリしたかグロック」、すると振り返らずにギリギリ聞こえるよう「小僧が気を揉むな」と呟く。


 そいつは失礼、と椅子によしかかり天井を見上げる。


 ――学校ばかりが道ではないが、大砲を撃たせるわけにもいかんからな。

 そもそも一般人が申請を出きるのすらわからんぞ。


 グロックが言い出したのだからなるようになるさと、背凭れの反動をつけて立ち上がる。


 最早恒例になっている長距離走、体力の維持のために続けようとそとに出る。

 南スーダンから連れてきた兵士が少しと、ブカヴに来るまでに入隊させた幾人か、各地より将校や下士官が集めてきた者で八十人程が訓練に汗を流していた。


 殆どの顔を島は知らない。ビダ曹長が気付いて駆け寄ってくる。


「ボス、もしかしてアレをお望みですか?」


「アレとはなんだ」


 何か準備させていたものがあったかと首を捻る。


「先任らから引き継ぎをしてまして、大佐殿がふらっと現れたら武装長距離走だぞ、と」


 ――そんな伝統が出来上がっていたのか、だが笑ってはいけない、下士官内で意思の疎通がしっかり為されている証だ。


「わかってるならば話は早い、百二十秒だけ待とう」


 いつもと違い余計なことを口にしたビダ曹長には制限をかけてやる。

 ――経験の差だろうな。ビダは兵士を率いるよりは、体を張っているほうが合っているな。

 特殊部隊あたりの下士官メンバーとしてならば十二分に力を発揮するだろう。


 兵らを怒鳴り散らした後に整列させると、「始め!」の号令が掛けられた。


 ペースを守って一緒に走る、淡々と進んでいきいつものように先頭で帰着する。

 呼吸を整えようと数分間体を動かしながら、新鮮な空気を肺に送り込む。


 ふとビダの方をちらりと見ると、すっかり普通に戻っているではないか。


 ――いよいよ体力のピークから下り坂か。幾つまで戦場を走り回れるやら。

 そう考えたらロマノフスキーの奴はやっぱり凄いな、俺より二つか三つか上なはずだからな。


 驚いたのは兵士達である、今までの地域ではへたばっていたのに、アフリカ産まれは違った。

 平気な顔をして景色を眺めている奴が居たり、何かを呟いて近くを走り回る奴まで居た。


 アフリカ人は何せ歩く。産まれてから死ぬまで歩き続ける。

 心肺機能もさることながら、生活に根付いた行為として徒歩がここまで密着している地域もない。


 マラソンランナーの強豪が多いのは、その分母が違うからだと思い知らされた。


 アフリカの夜は危険が一杯だ。少しくらいとの気の緩みが大失敗に直結してしまう。


 逆に言えばことを起こすつもりならば夜に限るとも言える。


 少佐を筆頭に中尉らが国軍とマイマイの拠点に手榴弾を投げ込み、銃弾を撃ち込んだのは月のない暗闇であった。

 被害自体はさほどあるわけではなかったが、混乱した兵が同士討ちをしてしまい数名の死人が発生した。


 烈火の如く怒り狂い出撃してきた奴等を、稚拙な落とし穴に誘い込み大怪我をさせ、更に軍旗を奪って大通りに打ち捨てるなど、挑発行為が実行される。

 被害者がその勢力二つなので、人民防衛国民軍が疑われた。


 これほどまで相手を馬鹿にした行為は久しくなく、観客である住民は陰で良い気味だと囁きあっていた。

 やったのが誰であれ称賛してやりたいと。


 島が事実を知ったのは翌朝であった。何者かによる襲撃騒ぎと。


 ――好き放題やっているな、作戦能力では現地人に負けるはずもないか。


 昨日の体力面での違いに対抗するには、知識や経験とばかりに状況をどのように利用するかを考える。

 そこへエーン少尉がやってきた。


「報告します。オヤ・ビンは空港に現れずに、ハルツームの側の名前もわからず仕舞いでした」


「完全なるすっぽかしか?」


 失敗した理由が不可抗力ならば仕方ないが、反省材料があるならばきっちりとしなければならない。


「オヤ・ビンによる予約が出来なかったようです。アメリカからの指名手配で」


 ――ああ、あれか、それじゃ仕方あるまい。


「わかった。それはハウプトマン大佐の仕業だよ、一報を入れて諦めよう」


 突然昔の上官の名前が出たが、特に詮索することなく引き返させることで纏めた。

 作戦とは無関係なことなので捨て置くことにする。


 開かれたままの扉をコンコンと叩く者がいた。


「盛り上がってますか」


「少佐程じゃないよ、何だその格好は」


 原色のローブがどろだらけになって斑模様になっている。


「流行りの武装集団らしくはありませんか?」


「どうだろうな、流行は繰り返すと言うが早いやら遅いやら」


 着替えてからこいと改めさせる。

 目立つようでそこまで目につくものではない。アフリカ人は原色の衣服を好んで着用している。


 戦闘服ですら目立たないのだ、逆にワイシャツにスラックスでは浮いてしまう。

 場所によりけりだと深く考えないのが一番である。


 十分程でこざっぱりしたロマノフスキーが戻ってきた。


「義賊ってやつの気分が何と無くわかりましたよ」


「そいつは良かった。義賊は正体不明だからもてはやされるもんだからな」


 少尉は脇に寄って警備モードに切り替わる。

 置物のようにピクリともしなくなってしまった。


「さて少佐には勇者になってもらうことになった」


 にやにやしてブカヴからキゴマあたりの地図を広げる。

 タンガニーカ湖北西、曖昧にだが丸をつけてやる。

 詳しく示したくとも現地の詳細は調べていないのだから仕方無い。


「キベガ族を取り込むんだ。奴らはより強いものに従う慣習らしい、征服してこい」


「石器時代の勇者にですな。そいつは結構な話です、お任せ下さい」


 白兵戦技術では遅れをとることはないと自負する。

 問題はその後にもあると話を続けた。


「キベガの南にフィジがあるんだが、どうもこのあたりの水場に隠し鉱山があるらしい」


 さらりと重要事項を伝える。


「金銀財宝がざっくざくと。そちらも承りました、下調べだけしておき、ブッフバルトが到着してから出ましょう」


 本部キャンプをがら空きに近い形には出来ないと、数日待機してからの行動を予定した。

 偵察を出してから動くのは基本とはいえ、往年の突貫ぶりが落ち着きに変わってきているようだ。


「帰って来る頃には拠点も新居だよ」


「そいつは楽しみですな、是非ともシャワールーム完備で頼みたいものです」


 微笑を浮かべて軽口を叩きあう、上級者はこの位の余裕がなければ兵が不安になってしまうと明るく振る舞う。


「努力はしてみよう、実はちょっとした構想はあるんだ」


 島の笑みにロマノフスキーは、期待しております、と部屋から去っていった。


 共用の休憩スペースにやってくると、缶ビール片手に先客の隣に腰掛けた。


「よう、こっちの暮らしはどんなもんだい」


 そのビールをひったくりゴクゴクと一気に飲み干して空き缶を押し付ける。


「こんだけ何もない場所も珍しいね、あれはあれで街の体を為していたと初めて知ったよ」


 レティシアは特に役目を割り振られていないため、ここでも暇をもて余していた。


「実は引っ越しをする予定だ。シャワールームもつけるが、計画に参加するかい――」

「ああ、我が儘一杯の部屋を作らせてお前を泣かせてやりたいからな」


 足りないものは取り寄せると、やる気満々で食い付く。


 ――それで済むなら好きにさせるさ、先は長いからな。


「お手柔らかに頼むよ。数日内に現地に出向く、それまでは部下の様子を眺めていて欲しい」


 慣れるのが優先だと拠点内に居るように一言釘を刺しておく。

 危険があるのも否定はしないが、会話をして交流する機会を持って欲しかった。


「また一人で遊びに出るつもりかい、あたしゃもう許さないよ」


 ――遊んでるわけじゃあ無いんだが、きっと言い訳だって断言されるんだろうな。


 ふーむと一息おいてから、一緒にこなせることを思案する。


「買い物だが行くか? ネパタを買いにね」


「ネパタ?」


「そうだ」


 今はあってもなくても構わないが、必要になりそうな気がしたので一定数確保しておこうと決める。

 よくわからないが出掛けると返事があり機嫌が良くなった。


 少尉に人数だけ告げて準備をさせる、ネパタの扱いが出来そうな現地人を別にトラックに乗せるようにも指示しておく。


 広さだけはあるキャンプ内に適当な仕切りをつけておくようにと言い残し、三十分と掛からずにキラク上等兵の眼前を通過していった。


 西へ――内陸に向かいやや走る。これといった目印は何一つない、ただ大地が広がっているだけの荒野である。

 州にわけられてはいるが、昔のアメリカの準州や、今のオーストラリアのテリトリーとされている扱いに近いのかもしれない。

 領有はしても未開発地域でしかない、そこから資源が出たら話は別ではあるが。


 現地人が指を指して何かを伝える。そちらを見ても首を傾げるばかりであった。

 悪路に揺られながら進むと、ぽつりぽつりと点のようなものが動いているのがわかり、更に近付くとそれが人であったのがわかった。


 ――あいつらはあんな遠くから見えていたのか!


 プレトリアスらもそうであったが、遠視障害とされてもおかしくないような者がちらほらいてもそれが目立たない。


「エーン少尉、遠くが見えるやつと暗闇で目が利く奴を見張り用に選別しておくんだ」


「ウィ」


 近くまで行き車を止めて小集団へ話し掛ける、責任者は居るかと。


 近くにいるから呼んでくると言われたため休憩をさせる。

 レティシアは初めて見るネパタに食い付いた。


「こいつがそうか、ネパタっていうからわからなかったが、馬の類いかい」


 見た目は馬のような体格をしているのだが、体毛が微妙に長く背が少しだけ低い。

 草むらに隠れることで生存率を上げるよう進化してきたのだろうか。


 ――こいつの背に荷物を載せてフィジに運んだなら、鉱山はそう遠くはないぞ。


 年長者がやってきてキコンゴ語で何かを尋ねてきた。

 現地人にフランス語へ通訳させつつ、大尉と少尉にも意訳に間違いがないかをチェックさせながら話をする。


「ネパタを可能な限り売ってもらいたいが」


「一族はこいつの乳を飲み、肉を食らい、毛皮をなめして暮らしている。だが見あうだけの物と交換なら出来る」


 遊牧民は生活のために欠かせない技術を伝えるためにも、繁殖用の頭数だけは譲れないと説明した。

 欲しいものを聞き出すと、野菜や薬、衣服に少額の現金との回答が得られた。


「全て与えるんだ、交換したネパタは現地人三人に任せて拠点まで歩かせろ」


 一族がみな拠点付近に居るために裏切りは無い。そんなことをしたら虐殺されるのがわかっているため、三人の若者は約束を守り連れ帰り、報酬を得る道を選ぶだろう。


 トラックに居る現地人が空になるまで荒野をうろついてネパタを買い集めると、街へと引き返していく。

 ジープだけ連れてブカヴに入ると少し騒がしい気がした。


 兵に様子を探らせてみると、誰かが医療キャンプにちょっかいをかけているらしいのがわかった。


「少尉、本部を呼び出せ」


「ダコール」


 無線で呼び掛けを行うと通信兵が出る、すぐに担当将校に替わるように命じるとサルミエ少尉が出た。

 島にとバトンタッチして、エーンはジープの兵らに武装待機を命じた。


「俺だ、サルミエ少尉、医療キャンプで何が起きた」


 スペイン語を使いやりとりが漏れないようにと配慮する。


「人民防衛国民軍が医薬品の譲渡を迫って一個中隊で迫ってきました。シーリネン大尉の要請に応じ、現在ハマダ少尉が一個小隊率いて増援に向かっております」


 ――ついに来たか、最初は脅しなどと甘く見ていたらこっちが火傷するぞ!


「わかった、少尉はそのまま任務を続けろ」


「ヴァヤ」


 エーンに医薬キャンプへ向かうよう命じ、自らもFAMASを胸に掛けてグローブを嵌めてヘルムを装備する。


「戦闘になったら生き残りを目標として戦え、難民に犠牲が出るのは目を瞑れ」


 優先順位を決めてここで受ける被害を少なくするように求める。

 国民を保護する義務を背負った軍隊ではないので、冷酷と言える命令でも抗議はなかった。

 仮にあったとしても、それはコンゴの現実を知らない者の戯れ言だと耳を貸すつもりはない。


 キャンプ付近で逃げ出してくる難民らと擦れ違った。だがその表現が控え目過ぎる言葉だと気付くのには数秒でことたりた。

 悲鳴が発せられ、途切れ途切れに銃声が響く、それが威嚇射撃ではないのはFAMASの連射音が混ざっているので理解できた。


 エーン少尉から大佐の護衛命令が出され、手近な要衝の捜索が始められる。

 すぐに二階建ての石造り家屋を占拠して、そこに退避するように誘導された。


「大佐殿はこちらより指揮をお願いします」


「わかった、通信機を中に運び込め」


 最前線の指揮は尉官らに任せて自らは仮の指揮所にと入る。

 住人には悪いが部屋の隅で固まっていてもらい、後の補償をするとだけ伝えて防備を固めた。


「レヴァンティン大尉、通信機を一つ担当してくれ」

「わかったよ」


 マルチリンガルな彼女を補助にまわして傍受に専念させる。島も片耳にだけヘッドフォンをあててダイレクトな情報に触れる。


「通信兵、現場から報告させるんだ」

「ウィ」


 陣頭指揮は恐らくマリー中尉だと思うが相手を指定せずに、キャトルキャトルと呼び掛ける。


 戦場から予測通りに中尉が報告を上げてくる、周りを気にしてスペイン語を使うのを忘れない。


「警備本部、司令部、敵百五十前後、味方七十、医療スタッフ退避中、湖を背に南東へ向け防戦中」

「司令部、警備本部、増援を要するか」

「我増援不要」

「了解」


 マイクを置いて打つ手を考える。


 ――そのうち居なくなれば良いが敵が増えたら撤退させねば。

 医療スタッフを拠点に収容しよう。


「シーリネン大尉を呼び出して、拠点に入るようさせるんだ」


 通信兵が頷き各所に連絡をいれ始める。


「少佐から入電、所属不明の一団が湖に向かっている。このあたりを通るっぽいよ」

「エーン少尉、偵察とブービートラップだ。市街地に仕掛けるなんて狂気の沙汰だがな」


 今増援されるとまずいと妨害を命じる、少なくとも先頭の車両と数台は引っくり返るだろうと結果を夢想する。

 市民はなりを潜めてしまい、一般人がトラップにかかることは暫くはない。


 ――後で解除出来るようにメモを残してやらねばならんな。


 少尉に追って指示を出して次なる手を捻り出す。


 ――医療物資は幾らでも補充できる、要員の撤収をいかにさせるかだ。


「拠点にトラックを用意させておけ、撤退に使うぞ。大尉、サルミエ少尉に」


「あいよ」


 お客さん気分が抜けない――客分ではあるが――感じで返事をする。


「シーリネン大尉より入電、拠点からの出迎え護衛と合流しました」


 うむ、と確認の声を発する。様子を見るために少し黙っていると、爆発音が聞こえてきた。


 ――ブービートラップか、少しは足も鈍るだろう。


 どっしりと構えて微動だにしない司令官を見て供の兵らが安心感を覚えた。


 ロマノフスキーが出す指令が耳に入ってくる、自らが感じたタイミングで同じような命令を発する。

 暫し間を置いてから衛星携帯を取り出して番号をプッシュする。


「俺だ、現在地を報告するんだ」


 前置きも何もなく問い掛ける。


「……ブカヴ市街地から北側凡そ十キロ地点」


 左右の現地人に目測を確認したらしく、数秒隔ててから返答があった。


「医療キャンプで交戦中、戦闘部隊の半数を増援の為に割くんだ、撤退援護を君が行え」


「はっ、了解しました」


 戦局外にたまたまいた戦力を引き寄せておく、後は司令が上手く利用するだろうと。


 壁を叩くような音がたまに聞こえてくる。明後日の方向に撃たれた弾丸が弾かれているのだ。

 そのうちの幾つかはジープにも衝突し、無数の傷跡をつけている。



 各所人数が少ないのに火力でひけをとらないのにはわけがある。

 それは有り余る弾薬を兵にも供給しているからであり、民兵や補給状態の悪い軍の数倍に値していた。


 武器が故障したら予備も豊富に準備してあり、装備が良好なため発揮できる力が違うからであった。


 拠点に医療スタッフが収容されたと報告が上がると、マリー中尉らに撤退命令が下された。

 徐々に後退を行い、トラックとの合流地点まで交互に下がって行く。


 見通しがよい場所には撤退援護の為に、ブッフバルト少尉が駆け付けていた。

 南スーダンより後発部隊を率いて南下の途中に緊急指令を受け、狙撃銃を抱えて待ち伏せ態勢をとっている。


 五百メートルが有効殺傷距離の狙撃銃と、二百メートルがそれの突撃銃では話にならなかった。


 マリーらがトラックにまで身を低くして駆けるはるかに後ろ、肉眼では人間の顔が識別出来ないあたりでバタバタと兵が倒れこんだ。


 追撃していた人民防衛国民軍の指揮官は追うのを止めさせて、逃げて行く連中を憎々しげに睨んで呪うのであった。


 キャンプに残された物資を強奪して立ち去る際に、物陰から見つめる住民たちの目にどのように映っただろうか。


 石造りの住宅。静かになったので家人が出てくると、そこには誰一人として姿がなかった。

 テーブルには無造作にドル札が置かれており、喋りすぎは寿命を縮めるとの書き置きも添えられていた。


 足が遅い重機らが拠点に入り、島を始めとして面々が久方ぶりに合流すると少し手狭に感じられるほどになった。

 そこへネパタを引き連れた現地人が到着するものだから賑やかである。


 誰の発案かネパタを丸焼きにしてパーティをしようと声が上がった。二つ返事で許可が出され、不安や疲労を重ねていた者たちは、その夜のささやかな宴を楽しむのであった。


 先が見えない中、娯楽と言えば飲んで食べてが一番だと、何度となく皆が納得した。



 ロマノフスキー少佐がブッフバルト少尉とフィル軍曹を主軸に、小隊を一つ伴って南へと向かった。

 キベガ族の征服と周辺の捜索である。


 島は部員のうち下士官を中心に引き連れンダガグ族のところへと再び出向く。


 もし争いになったとしても、この面々ならば十倍の敵も恐るるにたらない。


 ジープに分乗しネパタを貢ぎ物として曳いていく。

 一悶着ある時には縄を切って放してしまえば混乱を起こすだろうとの目論みもあった。


 トゥヴェー軍曹が両手を広げて何も持っていないのを示しながら集落に近付く。

 すると戦士トゥ・トゥツァ・キヴが現れて取り次ぎを告げる。


 ――前と何ら変わらずか、火器は見当たらないが弓矢があるな。音がしないだけ初撃からの反応が遅れるぞ。


 護衛だけに任せずに自らも安全の為に気を配る。

 族長が出てきたので島が前に出てネパタを貢ぎ物として手渡す準備をさせる。


 綱を曳いた者が来るとあちらの側の奴等の顔がにやけた、幾分か気持ちがそちらに向いたところで単刀直入に回答を求める。


「ンダガグ族の答えを教えていただきたい」


 表情にも動きにも一切表さないが、部員らがコンマ秒単位で戦闘可能になるよう精神を研ぎ澄ます。


 族長のまゆがピクリとして、ゆっくりと口を開いた。


「――ンダガグ族は……次世代の者達を古郷へ誘うために、貴殿らに助力することをアフリカの大地に誓おう」


 島が小さく頷き応える。


「我等キャトルエトワールは、ンダガグ族の助力に対し外敵からの保護と、外貨を与えることを約束する。自分が頭のキシワ大佐です族長」


「大佐、トゥツァ・キヴが若い者の頭だ、何なりと申し付けてもらいたい」


 胸を張って一歩前に出ると拳を目の高さあたりに掲げた。


「フランス語は?」

「理解しています」


「戦士トゥツァ、君を少尉として扱いンダガグ族の統率を任せたい」


 序列を定めるためにこの場で待遇を確定させようとする。

 異存があるわけもなく了承した。


「大佐らの移住はいつほどからに?」


 族長が重要事項について触れる。


「今すぐに始めさせて貰います。少々騒がしくなりますがご承知の程を。――それと、ネパタをどうぞお納め下さい」


「忝ない、これがあれば飢えも何とか凌げる……」


 一族を見ても腹だけ出っ張り痩せ細っているものばかりが目立つ。

 栄養失調著しい証拠である。


「実はこの群れがあと四つありまして、面倒を見てもらえるならば賃金をお支払いしましょう。我等が去る時にあればお譲りします」


「な、なんと! キシワ大佐、あなたは地獄に遣わされた神の使徒のご様子――」


 何度も何度も頭を下げて感謝を表す族長の手をとり告げる。


「そんな大層な者じゃありませんよ。今はまだ詳しくは申し上げられませんが、我々がここに在るのは人の意思です」


 ――この調子ならば裏切りはあるまい。誠実な態度をとるならば、こちらも相応に遇する。


 エーン少尉にトゥツァ少尉のことを任せてジープに戻り、拠点に残してきた大尉を呼んで命令を伝える。


「レティア、シャワールーム付き個室を作る場所を確保したよ」


 世間話をするように切り出す。


「そいつは目出度いね、誰をやればそいつが完成するんだい」


 求めていることがらが何かを理解して命令内容を催促する。


「マリー中尉、ハマダ少尉らに兵士半数と建設重機を運ばせるんだ」


「あいよ。医療キャンプはどうするんだい」


 隣にシーリネン大尉がいるようで伝言のような喋り方になっている。


 ――次に攻撃されたら撃退出来る保証もないが、中断するようなドクターでもないな。


「シーリネン大尉の判断で再開してくれ。暫くはその日に必要な分だけ品を持ち込み、誰かが脅迫してきたら全て渡してしまえ」


 ドクターさえ無事ならば何度でもやり直しは利く。

 そのうち難民達が治療の邪魔をする奴等を憎んで、ドクターらに協力してくれるようになれば言うことはない。


「そうだね、回復出来るものは高価であっても優先度は低い。喪って悔しいぐらいなら無くたって構いやしない」


 感覚としてことの軽重を判断できている一端を覗かせる。

 育った環境を知れば自ずと備わった理由がわかる。


「クルージングも出来るようになる、素敵な未来に乾杯だ」


「それならフロートをエスコート可能だね、一つ選択肢にはなるんじゃないのかい」


 簡単にかくし球を一つ放ってきた。


 ――フロート水上機か! 海で離着陸出来るんだ、湖ならば問題なく運用が可能だな。航続距離で不利が出るがキゴマを始めとして、水際にある場所ではかなり有利だぞ。


 水上飛行機はタイヤの代わりにフロート(浮き)がついているものである。

 空気抵抗が余分にあり速度や燃費で不利にはなるが、穏やかな水上を滑走路代わりに使えるのでそこが利点と言える。


「そいつは良いアイデアだ! レティア愛してるぞ」

「ばっ、さっさとくたばれ!」


 一方的に通信が切られてしまったが手配は済ませたので気にしないことにした。


 ジープの座席に立って辺りを見回す。


 ――ここからは周囲が見渡せる、一部ある木々は伐採すべきだな。

 柵を作りその外側二百メートルまでの草を全て刈り取らせよう。

 何せここに要塞を構築するつもりで拠点を据えるんだ。


「先任上級特務曹長!」


 グロックを側に呼ぶ、ジープ脇に寄ると周りを見渡している姿を見て用事が何かを察する。


「拠点を据える際に幾つか要件がございます。それらはさておき、この地域に見あった改造が求められるでしょう」


 築城要件は知っておけとばかりに無視してその先を指摘にかかる。


 ――コンゴ独特のか。確かエボラ出血熱は要注意を越えて警告が出ていたな。

 何せ燃料は厄介だ、これを貯めておく何かは必要だ。

 難民の山がやってきた時にどうさせるかも考えて構築しておかねばならんか。


 軍隊が籠って安全を得るだけでは済まないと深謀遠慮を要求され、数分黙りこくり構想をまとめる。


「聞くまでもないだろうが、先任上級特務曹長は工兵技能はどうだ?」


「工兵専門には及びませんが、工兵課程講習は受講済です」


 ――それを受講して工兵隊に配属されたのを工兵専門と言うんだよ、お前は戦闘工兵にもなれたのか……。


 専門技術を習得した工兵が、戦闘をも行うのが戦闘工兵である。

 破壊力抜群の兵器や、高い技術が必要な電子機器やケミカル、バイオといった内容までを選択肢に出来るため、各国の精鋭と呼ばれることもある。


 戦う技術だけを特化した戦闘部隊とはまたひと味違った集団、知識や技術が詰まった下士官とはどこまでも人財だと感じてしまった一言である。


「一方を湖にし四つの保塁をつきだした防壁を構築するんだ。土嚢の両面にべトンを、防壁の外側は水を通して堀を巡らせろ。外部二百メートルには一切の構築物を置かず草も刈り取れ」


 メモを取るわけでもなく黙って聞いているグロックは目で先を促す。


「地下に燃料貯蔵庫を設置、八十一ミリや百キロあたりが直撃しても無傷な強度を保て。武器庫もだ。湖には桟橋を設けて定期便を受け入れる、水中に鉄条網を巻き付けて侵入阻止だ」


 それだけかと言わんばかりの表情である、だが島とて付き合いは長いのでそれでは終わらない。


「それとだ、湖に添って北側五百メートル地点に対になる要塞を同じように築け、そちらは従たるものだ。こちらの本城との間は直線でよう道を作るんだ、左右から見えないように壁は二メートルを、補給などに使う。要塞から狙撃可能なように遮蔽は無しだ。丁度エーゲ海にあるポリス同士を結んでいたようにな」


 その距離が滑走路を囲うためのものであるのも示されていた。

 後にそれを拡大するときの指標にもなるようにテストも兼ねている。


「ダコール」


 ようやく待っていた以上の命令が出たためにグロックが了解する。

 最近そのハードルが高くなってきたのをひしひしと感じる島であった。


 エーン少尉が戻ってきて手筈を報告する。


「ンダガグ族から七十人が戦闘部隊に編入可能です。訓練で振るいにかけた後に、使えるものをトゥツァ少尉に率いさせます」


「わかった、訓練はビダ曹長に任せる。ところでツァってのはヴィチやマックみたいな意味かな」


 それは誰々の子、といった意味合いでイギリスの姓名ならばマック、ユーゴスラビアあたりはヴィチ、ロシアはスキー等々世界各国で見掛けられる使い方である。


「そのようです。ンダガグ族では」


 ――だがトゥ・トゥツァってことは父娘の子って意味か? まあ深くは考えないようにしよう。


「築城が終われば環境ががらりと変わる、そこに隙が生まれてくる」


「護衛部隊には作業をさせずに把握だけをさせます。大佐はご心配なく」


 暫くは工事に時間がかかるだろうと身の振り方を考える。


「エーン、キンシャサに飛ぶぞ」

「ヤ」


 ブカヴ空港からゴマにある国際空港へ入り、そこから首都キンシャサのヌジリ国際空港へと飛ぶ。

 ブカヴから直通のものは週に二便かチャーター便しかなく、値段はさておき余計な注目を集めるために回避した。


 キンシャサは世界で唯一、他国の首都と隣接している一組である。相手はコンゴ共和国のブラザヴィルなのでずるいといえばずるい表現ではあるが。


 この地は何せ要衝である。アフリカ中部への入り口になる港からはじまり、川幅と底が大型船乗り入れすら可能なため、内陸への運搬の拠点として始まった。

 川沿いに街が建てられ、高原にと生活区域を伸ばして行く。


 時代が下ると空港が設置され、道路、鉄道、河川と利便性が拡がり経済が発展してゆき人口が極端な増加を始めた。


 独立独歩を目指し始めると一転して経済が悪化する。

 宗主国から冷たい態度をとられ、政情が悪化し中産階級が消滅。人口だけが残り文明は衰退し、山のような貧民が発生した。

 世界最貧国に転落すると生活の基盤となるインフラ整備すら放置をされてしまい、電気も水道も行き渡らなくなる。


 色々な要因を経て現在に至ったわけではあるが、まだ下降線を脱したかと言われても肯定は出来ない。


「ついたか、よくもまあこんな場所に九百万人も住み着いたものだ」


 人数だけならばレバノンやイスラエル、ヨルダンなどの国家人口よりも多い。


 市街地一部には十階建位のビルがあるが、すぐに背が低くなり二階家屋のようなものばかりになる。

 それでもましで、板を張り合わせただけのスラムに何万もの人が暮らしていた。


 むしろ何割の単位が悲惨なスラム生活をあちこちで送っており、希望の見えない毎日を過ごしている。


「大佐、自分から離れないで下さい。ブラック以外は獲物扱いですので」


 戦闘服を着こんで軍人然としていても、現地人からしてみれば歩く宝物のようなもので、隙あらば襲い掛かろうと目を光らせている。

 エーン少尉と二人の護衛は後方と左右にぴったりとくっついて職務を果たしていた。


 ――思っていたより厳しい有り様だな。あのスーダンが平和に思えるとは。

 まだ弾丸が降らないだけブカヴよりは良いとしなければならんか。


 街の外縁にあるスラムを脇目に市街地へ入ると厳戒態勢を解く。

 ある一線を越えると警官の姿が多くなり、浮浪者が見えなくなった。


 軍人である島らを見ても職務質問するわけでもなく、スラムからの侵入者を阻むのを生き甲斐にしているようであった。


 政庁周辺には軍が配備されており、近付くものには片っ端から警告を与えている。

 他に比べて兵の栄養状態が良く、恐らくは選抜された体制側の護衛なのだろう。


 ――それでも兵までは装備が更新されていない、だが忠誠心はあるだろうな。


 状況をコロラド曹長から耳にしてはいたが、実際目の当たりにしてみるとこういうことだったかと実感がわいてくる。


 いつまでもうろうろとはしていられないのでカフェにと逃げ込んで外を眺める。


 店内は国営放送のテレビがつけっぱなしにされているようで、客はニュースに見向きもしていなかった。


 ――政権に都合がよい報道しかされてないんだろうな。


 ビールを注文すると前払いを要求された。軍人が警戒されているのか、外国人がそうなのかまではわからない。


「なあレバノンは何だかんだ言っても良い国だったな」


 ぽつりと呟く。護衛がエーンにと視線を向ける。


「どこも一部の権力志向の強者が国をひっかきまわすから住みづらいだけで、互いに思うように行かずとも協調すれば良くなるものです」


 敵の敵は味方だと手を組めば確かに呉越同舟となりやすい。

 それを良しとしない精神は解る、一時の妥協が更なる混迷を産むことも。

 だからと束の間とはいえ平和を押し退けて構わないとはならないが。


「かくいう俺もひっかきまわす側だな」

「それは違います、大佐は少なくとも四つの点で胸を張れます。一つは自身の為ではなく動くこと、二つは民の側の視点を大切にしている、三つは結果として短期で解決している、四つは自らも危険に身を晒しています」


 エーンは即座に否定した、そのわりにははっきりと強く順序だっている。

 何のことはない自分が感じたことを並べ立てただけなのだ。


「恨まれるならテロリストや兵隊からにしたいものだな」


 誰の味方のつもりかを示してジョッキを傾ける。

 不純物が派手に混ざっているのか不愉快な仕上がりになっていた。


「ちょっと失礼するよ」


 わざわざ一言入れてから店にある公衆電話を使って連絡を取る。

 数回コールしてから通話が始じまる。


「俺だ。繋ぎをとりたい」

「はい、どこにでしょうか」


 コロラド曹長が突然の電話にもかかわらず対応する。


「マケンガだよ。首都政庁前ですぐにだ」

「ヴァヤ」


 受話器を置いてしまう、やり取りは十秒とかかってはいない。

 相手があることというのにすぐと無茶を言う。


 アフリカに先乗りしていた曹長が無茶と言えども了解を告げたのだ、何とかするのだろうとテーブルに戻る。


 何気なくニュースを眺めていると、反米の急先鋒として知られていたベネズエラの大統領が死亡したとの内容が報じられている。


 ――いかん、南米に波紋が! パラグアイの安定化の為に手を打っておかねば。


 南米の盟主のような地位を占めていたベネズエラ、その大統領が居なくなれば右へ左へと態度が定まらない国が出てきてしまう。

 国境の問題で争っていたコロンビアやブラジルがどう出てくるかで小国の風向きも変わってくる。


 ――どうすればパラグアイ政府を支えることができるだろうか? 本の少しの援護射撃で構わない、孤立を避けさせるためには……。


「エーン、こいつが終わったら今度は北へ飛ばねばならなくなったよ」


「どこへなりともご一緒させていただきます。それが永久凍土だろうと、灼熱地獄だろうと」


 表情を変えることなくさらっと応える、だが間違えてはいけない、プレトリアスはそれを当たり前だと信じているからであって、口先だけではないということを。

 護衛の二人も言葉にこそしないが異存は一切無い。


 この際幾つかの事柄を整理してしまおうと考えをまとめる。

 暫く組み立てを夢想していると島の衛星携帯が着信を告げる。


「連絡がつきました。奴は政庁前のマーケットで待っています、目印は水色の帽子に黄色い星」


「ご苦労」


 何のことはない国旗をあしらった色合いなのだ、赤線があればである。


 無言で席を立ち店を出る。先払いにも利点はあった、いつでも好きなときに退散できるという部分が。

 店にしても支払いが悪い客には提供をしないなどの予防になるのだろう。


 マーケットには確かに指定の帽子を被った男がいた。

 目立つ場所に立っているが何か引っ掛かった。


「おいお前が一人で接触してみろ」


 護衛の黒人にそう命じてあたりを窺う、すると物陰からそれを観察する姿が見付けられた。


 ――互いに囮を使ったわけだ、あちらも脛に傷があるわけだからな。


 訳もわからず話をする二人だが内容が伴わずに戻ってくる。

 その姿を視線で追うエージェントに向けて目を見て手を振ってやる、一瞬驚かれたが政府の罠ではないのを察してか諦めて近付いてきた。


「あんたがキャトルエトワールのエージェントか?」


 ――身分を明かさずに繋いだほうがやりやすかろう。


「ああこんな格好ですまんな。アイランドだ、そっちはM23のエージェントだな」


 M23とは3月23日運動の略称である。

 スルタニ・マケンガ大佐を軍部の頂点とする反政府組織だ。


「リベンゲだ。一体何のようだ」


 一応の役割が対外交渉だからやってきたが、無名の組織の相手をしている暇はないとばかりの態度で接してくる。

 身のこなしや視線はさりげなく、中々に能力がある人物に思えた。


「こっちも忙しいから要件だけ言おう。お前のところはンクンダの分遣隊が近いだろう、そいつを攻撃して欲しい。こちらはブカヴが近い、同時攻勢だよ」


 何の下地もない上に突然の物言いである、流石のリベンゲも言葉を失う。


「――それを承知するだけの材料が無い。そもそもがキャトルエトワールなんてのは聞いたことがない。出直してくるんだな」


「リベンゲ、お前とはまた会うことになるだろう」


 それ以上特に何を言うわけでもなく島はマーケットから立ち去ってしまう。

 何だったんだ? そんな表情を浮かべたリベンゲは、不気味さを感じてしまいねぐらに戻っても言葉か頭を離れなかった。


 さほど長い滞在時間とは言えないキンシャサからすぐに動くことにした。

 空港にはベルギーの航空会社が乗り入れており、それを使いアンナバへ向かう。


 この便の最終目的地は言うまでもなくブリュッセルであり、アンナバには給油に立ち寄るだけで乗降も少ない。

 到着するとあたりは暗くなっていた。併設されている駅へと行き、チュニスへの夜行便に飛び乗り一夜を明かすことにした。


「よう気持ちよい朝を迎えたかい」


 場違いとも言えるような挨拶をされてエーンが応える。


「勿論です。自分は必ず良い朝を迎えるようにしてますので」


「俺もだ」


 他愛もない軽口を叩きあって列車から降りる。

 チュニス駅は結構な賑わいを見せていた。


 中にある食堂で新聞片手に腹を満たす。


 ――政府の中立路線が緊張を呼んでいるか。何も直前の正反対ばかりが策では無かろうよ。


 チュニジアは混乱の後にある緊張状態と言われてはいるが、それは各派が力を持ったまま協調している結果とも言える。

 上手に舵取りをしているガンヌーシーが評価されこそしても、それを責められるような謂れはない。


 ――ここでは戦闘服はまずいか、何か新調しておくか。


「さて紳士諸君、次はスーツを買い物だよ」


 早めに営業を開始した店では戦闘服姿の男が四人やってきたものだから、従業員が全員ホールドアップしてしまった。

 真顔で島がスーツを欲しいと言うと、販売員がお好きなのをどうぞと答えて苦笑いさせるのであった。


 公衆電話を使い大統領公邸をコールする。官邸とは違い公邸は早い話が自宅である。

 公的に配された邸宅にあたり、官職を退けば返還しなければならない。

 だが政庁や議会に近い場所に用意されており、利便性と治安を重視されている。


 二回とコールすることなく使用人が出た。


「私、昔閣下にお世話になりましたイーリヤと言うものです、マクミラー中尉はいらっしゃいますか?」


 直接大統領に繋げと言っても難しいだろうと、常に護衛で付き従っているマクミラーを指名する。


「お待ちくださいませイーリヤ様」


 相手が誰であれ指定した者が近くに居たならばまず伺いを立てる。

 数分待たされ男の声が聞こえてきた。


「マクミラーです。イーリヤ中佐殿でしょうか?」


「覚えていてくれて嬉しいよ中尉」


「忘れるわけがございません。何か急用が?」


 前置きや社交辞令は省いて用件を求めるのはお互いに軍人との背景があるのが大きい。


「ああ。チュニジア政府に買って貰いたいものがあってね。時間をとれないだろうか」


 個人ではなく政府に、との表現を行う。


「どちらにおいででしょうか?」


「チュニス駅近くの洋服店だよ」


 何故洋服店なのかとは思ったのだろうが、凡その場所を把握したようだ。


「十五分後にそちらに到着すると思います。お待ちいただけるでしょうか」


「勿論だ中尉、迷惑をかけるが頼む」


 島はストライプの軽いスーツを選択したが、エーンらは揃って黒のスーツを選んだ。

 セキュリティガーズがその見た目を着用するのは、一目で味方を認識可能だとの理由があった。


 時間ぴったりで黒塗りの車が店に横付けされた。

 軍の制服を着用したマクミラーだというのがすぐにわかった。


 金の一本線に星が三つついた階級章が襟元に輝いている。


「マクミラー大尉、チュニジア軍に現役復帰したか」


「はい、ガンヌーシー様の護衛部長を務めております」


 誇らしげにそう説明する姿にエーンが何度も頷く、相通ずる何かがあるとばかりに。


「そちらは現在?」


 スーツ姿の四人ではあるが身振りが鋭いと感じた為に、答えは想定しているようだ。

 プレトリアスの顔が従っているのも判断の一助である。


「ニカラグア軍ブリゲダス・デ=クァトロのイーリヤ大佐だ」


「大佐殿、どうぞお車へ、ご用件は公邸にて」


 うむ、と応じて車に乗り込む。

 大尉の役割はイーリヤが本人かどうかと、自由意思で訪れているかの二点である。後は主のガンヌーシーが判断することがらなのだ。

 しきりにエーンがマクミラーに熱い視線を送っている、自らの未来を見ているかのように。


 門衛が立つ鉄製のゲートを抜けて敷地へと入り込む。

 全国選挙が行われてガンヌーシーは見事当選。多数の代議士に指名を受けて大統領に就任していた。


 約束通り制憲議会は解散し、連立与党が議会を運営している。


 政府には各党から大臣を招いているが、社会経済大臣にはトゥラー教授が民間から入閣していた。

 完全に党派を無視した政策の実行には賛否両論があったが、市場経済を扱うことが出来る閣僚候補が他においそれといなかったので大臣を続けている。


 応接室に通された四人は、島だけが椅子に座り、エーンらは微妙に視界を違えて後ろに並んで立っていた。

 マクミラーは苦笑したがそれを非難することはない。


 ガンヌーシーが扉を開けて現れた。ところが二人は全く違うヶ所に警戒意識を持っていった、互いに似ているなと感じた瞬間であろう。

 島が起立して敬礼を行う。


「大統領閣下、謁見いただきありがたく思います」


「イーリヤ大佐の訪問を嬉しく思います。どうぞお掛けください」


 柔和な表情を浮かべて着席すると紅茶が差し出される。


「お忙しいところ突然の訪問をお許し下さい。ベネズエラの大統領が逝去した点についてです」


 遠く離れた国の、それも海を隔てている上に、さほど関係も無いところの名を出されて先を読めずに小さく頷いた。


「反米で鳴らした彼の貫徹した意思は称賛に値します」


 どんな強敵も死ねばお仕舞いとばかりに、アメリカすらも称賛と悔やみのコメントを発表していた。


「南米では盟主を失いこれから不安定な情勢が見られるでしょう。チュニジア政府に一つの提案があって参りました」


 ガンヌーシーにではなく政府にとはっきり対象を述べる。

 これによって個人としての貸し借りは関係ない、あくまで組織としての考えを求めているのを伝える。


「チュニジアは交易国家です。南米は一つの共同体として大切なパートナーであるのは間違いありません。その地域に何か我々が出来ることが?」


 聞くだけ聞いてみようと先を促す。島とてどちらに転ぶかは全く想定できない。


「単刀直入に申し上げます。パラグアイの鉱物精製工場の株式をチュニジア政府に売却する用意があります。かの工場は国策に従った民間の企業でありますが、政府の高官が取締役に入るなどしているもので、年率三十パーセントの配当を五十年は見込んでおります」


 夢のような株式なのを即座に理解する。

 商社の利益など年率で三パーセントもあればよい方で、株式配当になればそのうちのどれだけが還元されるか。


「条件をお聞かせください」


 ニカラグア軍人が何故パラグアイの株式をチュニジアにわざわざ持ってきたか、五里霧中とはこのことである。


「一つは今後の製品輸出の貿易拠点にチュニジアを経由と考えております。二つに他の政府が絡むことによる交流と相互の監視効果を。三つにマグレブの目を南米に向けさせる手段として」


 紅茶を啜ってからガンヌーシーが島に向かい口を開く。


「チュニジア政府は買い入れをする意思と準備があります。というより断る理由が見当たりません」


「閣下のお言葉ありがたくいただきます。エンカルナシオンにある工場で、治安はミリシアが。国境ぎりぎりゆえ伯国――ブラジルが不法を働く懸念もありますが、チュニジアが絡めばそれもなくなるでしょう」


 可能性は低いが気になっていた内容を吐露する。


「なるほど。して株式譲渡の実務ですが、何という企業が保有を?」


 国策企業だけにパラグアイ銀行あたりかと目星をつけてくる。


「実は自分が個人で保有しております。何故かそのようなことに」


 冷静なガンヌーシーだけでなく、脇で聞いていたマクミラーまでもが間抜けた声を漏らした。


「失礼ですが個人ならば少額?」


「それが……」少し単位を換算するのに時間がかかり「一億チュニジアディナール程が手持ちの総額に」


 ガンヌーシーは、そんなに、と声を漏らす。

 文学・科学国家予算の数倍の数字になってしまっている、と最近の閣議結果が過る。


 最大一割を譲渡可能と明らかにして、詳しくはパラグアイ駐在武官であるオズワルト中佐と現地で契約を交わして欲しいと括る。


「一方的な利益ばかりで心苦しく思います。何か私が出来ることはございませんか?」


 イギリス紳士たらんとするガンヌーシーは、フェアトレードを掲げて島の天秤に錘を載せようとする。


「閣下が認める中立公平な報道機関をご紹介下さいませんか? ミドルアフリカの悲惨な現状をエクスプローズしてくれるところを」


「承知いたしました。チュニジアだけでなく、アフリカ共同体機構からも後押しするよう計らいましょう」


 理由を問いはしない、相手を信じて役割を引き受けた。


「ありがとうございます閣下。信頼を裏切らず、事実を歪めず、自分はニカラグアの正義を示させていただきます」


 間を置いてから脇に立っている男に視線を向ける。


「マクミラー大尉、お願いがあるんだが――」


「自分に出来ることならば喜んで」


 結果断ることになろうとも、頼られることに対して笑顔で受け答えをする。

 内容を聞いてからと渋い顔をすることはなかった。


「一人がサンドハーストの砲兵課程を受験したいと申し出ている。出来るだろうか?」


「年齢が二十歳前後で犯罪履歴がなく、英語を理解し、公正を宣誓できる健康体ならば」


「全く問題ない」


 その上で規定の試験を行い選別するわけだから、受け入れの門戸が広くてもさほど不都合はない。


「申請書を取り寄せておきます。その者は大佐殿の有望な部下と言うわけですね」


 誰かはわからないが商売で仲介するとは思えなかったのでそう評する。


「部下でもあるが居候だよ、私的な」


「居候……ですか?」


「ああ戦場で倒れていたのを助けたら居座っちまってな。過去に複雑な環境での生活を強いられていたが、ようやく自分の人生だと気付いたらしいから応援してやろうってね」


 はっきりとは述べないが充分に伝わったらしく、お任せくださいと請け負った。


 隣室から秘書官がやってきて公務が迫っていると告げる。


「では閣下、ご自愛下さいますよう。貴方は大切な柱です」


「課せられた義務と与えられた権限を思えば、簡単に退くわけにもいですな。無理なく続けられるように注意しましょう」


 二人は握手して別々の方向へと歩み始めた。


 私設の秘書官から特別な連絡先を渡され、島も自らのそれとニカラグア本国のものを渡す。


 ――これを機にやっておけることはないだろうか?

 もう一手、奥の手というやつを何か備えておきたいが……。


 考えを巡らせているとムスリムの姿が目に入る。


 ――宗教か、コンゴはキリスト教だな。従軍司祭を招くのはどうだろうか?

 部隊に一定の影響力を持つのは危険ではあるが、教会の支配地域と重ねておけば嫌がる奴も出るだろう。

 特に司教が首脳に混ざっているM23は何らかのアクションを起こすはずだ。

 こちらも司教ではやりづらかろうから、一つ下の司祭を見付けねば。


 宗教にも階級は存在する。教皇、総大主教などが猊下と呼ばれるトップに君臨し、主教座下だの大司教台下だのとなり、司教、司祭、助祭あたりは呼び名は様々である。

 官職を履いた大司教の敬称に迷ったことがある者も少なくなかろう。


 位はあっても教区を持たない者は布教者として各地を巡っている。

 そんな人物に誘いをかけようと心を決める。さりとて誰でも良いとは限らない。


 ――パリで何度も見掛けたアレだな、こいつを利用しよう。


「パリだ」


 突然それだけを口にする。エーンはいつものように頷いて空港までのアクセスを確保する。

 ここからならば直通が日に何本も出ているはずなので心配ない。


 各地を飛び回るも幸い大した時差はないので、感覚が狂うこともなく済む。


 幾度となく訪れたパリ、楽しいことだけでなく様々なことが懐かしく思い出される。


 訪れた先はエマウスインターナショナルのフランス拠点。

 エマウスフランスである。最初にここが出来てもおかしくはなかったが、世界に散らばる機関の統括管理所が優先されたために後回しにされたのだ。


 そもそもがここが何かと問われて答えられないフランス人は居ない。

 逆にそれが何か答えられる日本人は殆んど居ないだろう。


 今はなきアベ・ピエールが残したフランスの良心エマウス。

 最も尊敬すべき人物ランキングに、何年もの間トップで君臨していた偉人。

 彼は弱きを助けるために生涯をかけた者である。


 残された財団法人が目の前にあり、島が足を踏み入れた。


 入口受付には片腕がない男と、盲目の女性が座っていた。


「アポなしなんだが、今いる責任者に面会したい。寄付をしたいんだ」


 女性が点字を触りながら担当者を探して受話器を手にする。


「少々お待ちくださいませ、モン――」

「イーリヤ」


 秘書かだれかと短くやりとりをすると、迎えが来るのでもう少し待って欲しいと伝えられる。


 ロビーを見回すと浮浪者や子供が目につく、職員も似たような感じの者か障害を持った者が極めて多い。


 ――これがエマウスか、ヨーロッパにありながら中米や中東にいるかのようだ。


 数分待つと人当たりのよい中年男性がやってきた。


「あなたがモン・イーリヤ?」


「ええそうです。寄付と相談に参った次第」


 何はともあれ寄付との言葉に食い付き会議室へと招かれる。

 そこには不揃いな色調の椅子とテーブルが置かれていた。


 全てがリサイクルであり、エマウスとは再生資源活動団体と呼んでも差し支えない。

 普通のものと違う部分はそれが企業ではく非営利活動団体、つまりはNGO団体と括られる組織というところである。


「早速ですがまずはご相談からお聞かせください」


 寄付は後にというあたりが、赤十字のように怪しげな関連組織を抱えた団体とは違うと感じさせた。


「いえ善意の第三者、つまりは匿名の寄付から先に」


 スイス銀行振り出しの小切手に百万ユーロを記入して差し出す。

 何気なく手にした彼は思わず桁を何度か確認してしまった。


「こっ、これは!」


「匿名なのをお忘れなく。ですが領収書はいただけるでしょうか」


「勿論です。お待ちください」


 課税処理の為に必要になると領収書を発行させ、宛名をイーリヤと書かせる。

 ふと思い出して名刺を取り出す。


「ユーディナと申します。多額の寄付をありがとうございます。してご相談とは?」


 真剣な面持ちで話を聞くとの態勢になる。


「ミドルアフリカで治安維持と貧困難民の保護を行います。つきましてはフランス語とスワヒリ語を理解するカトリック司祭を団体からご紹介いただけないでしょうか」


「ご本人が望むのならば、ですが紹介出来ると思います。他に条件はございますか?」


 この場合の条件とは司祭への待遇だろう。


「教会を新設して住民を集めます。教会の運営費用はこちらで全て負担致します。ただし、純粋に布教活動のみを行い、政治活動やその他の扇動を行わない条件です」


 特別なことではない、むしろ布教に専念出来る環境を与えられて希望者を募れば複数人出てくるだろう。


「承知いたしました。明日まで時間をいただければありがたいです」


「明日また出直してきます。私のことは寄付額も含めて必要最低限の人間のみの話題でお願いします」


 ユーディナがどのような人物かわからないために釘を刺しておく。

 翌日やってきて寄付がしっかりと処理されていないと困るため、スイス銀行には保留確認での注意小切手として、振りだした番号を決済しないように連絡を入れてから街へと引き返していった。


 ――もしエマウスも腐敗した組織であればそれはそれで良い。ならば自分だけでやるのみだ。


 側面援護を受けられるように画策してはいるが、信頼出来ない相手ならば近くに置かない方がましであると割り切って考えることにした。


 レストラン、ル=グランジェ。パリにきたのだからと当日の空き席でと予約を行う。

 少し開始が遅くても構わないならばと、リザーブを通してもらい久方ぶりに訪れる。


 一番の忙しい時間帯が終わったようで、総支配人自らが出迎えてくれた。


「モン・シーマ、貴方との再会を神に感謝致します」


「ネイゼネラルマネージャー、約束の地をいつまでも護り続けてくれる貴方に感謝を」


 二人が並んで奥の個室へと歩む。


「あれから政財界の客筋が頻繁に訪れるようになりました」


「この店はそれをこなすだけの力があると確信していますよ」


 今夜は接待じゃないと気楽にして欲しいのをアピールする。


「現在はパリに在住で?」


「いや目下アフリカに出張中です、どれだけいることになるかわからないですが」


「レバノン軍がエジプトあたりでしょうか?」


 ――そうかネイはレバノンの時の俺までしか知らんからな。


「移籍したんです。今はニカラグア軍人でイーリヤ大佐を名乗っています」


「コロネル! ……貴方は三十代半ばあたりかと思っておりましたが」


「その通りですが、世の不思議でして。明日エマウスに再度赴き、またミドルアフリカ戻りの予定です」


 根っからのフランス人であるネイは、エマウスと聞いて小さく頷く。


「するとアフリカでは人道支援を? ニカラグアは革命政府が興ってから方針がかわった様子ですね」


 言ってからふと、島がニカラグア軍人になり若くして大佐の地位を占めている理由を邪推してしまった。


「ニカラグアは決して裕福な国ではありません。かの地でも貧困や病気の問題は尽きません。ですがアフリカにはもっと酷い場所がある、ただそれだけです」


 テーブルに着席した一行に何かを決意したネイが尋ねる。


「一組同席よろしいでしょうか、紹介したい方がいらっしゃいます」


「華がない面々で良ければ喜んで」


 深くお辞儀をして部屋を出ていくと、ソムリエが食前酒を運んでくる。

 酒は飲めれば良いとだけ思ってはいても、香り高いワインが注がれると嬉しさもまた違った。

 そんな代物を目にしたことすらない若い護衛らが口に運ぶ、ついつい声に出してしまい失礼と謝罪した。


 食事を終えて満足したところでネイが再度やってきて、一組の白人男性と黒人女性を連れてきた。


 島が席を立ち迎えるとエーンらもそれに従うと同時に場所を移り席を譲る。


「紹介致します、こちら国連難民高等弁務官補マグロウ氏とヒューマンライツウォッチアフリカ調査員ギネヴィア氏。そちらはニカラグア軍イーリヤ大佐です」


 ――人権団体か! 報道機関に彼らのコメント取り上げさせたら効果絶大だぞ。


「初めましてコロネルイーリヤ」

「初めましてモン・マグロウ」


 二人で握手を交わす。


「初めましてカーネルイーリヤ、英語はわかりますか?」

「初めまして、ミズ・ギネヴィア、問題ありません。共通語は英語?」


 国連の共通語は五つあり英語、スペイン語、アラビア語、中国語、フランス語である。

 ギネヴィアがフランス語を理解しない以上は英語がそれである可能性が高い。


「では英語でお話しましょう。宜しいでしょうか」


 どうぞと椅子を勧めてやると、ネイがギネヴィアの椅子を引いた。

 エーンらは起立したままで休めの状態になる。


「なんでもアフリカで援助活動をされる予定とか」


 あらましはネイから耳にしたらしく賛辞を述べてくる。


「非公式活動ですのでまずはその点をご了承下さい。ニカラグアの官職にありますが、自分の一存にて行うものです」


 対外的な配慮をとお願いしておく。二人ははっきりと約束を口にして承知する。


 ――ネイが紹介してくれた人物だ、信用しよう。


「どのような活動をご予定かしら。私達も協力できることがあればと思いますわ」


 アフリカでは女性の地位を確保するために、法によって各級議員の女性議員枠や様々なポストの特別枠が設けられている。


「国を追われた難民の生活を支援するため、再分配や雇用を創出していくつもりです。ですが最大で至急の目標は生きる為に敵から保護することと考えております」


「敵とは何でしょうか?」


 わかってはいても真意を知るために敢えて問い掛けてくる。


「一般人を脅かすテロリストの類いです、一部国に属したそれも混ざっているようですが」


 二人が歯に衣を着せない物言いに苦笑する。


 しかし実力行使をしたくとも出来ない立場なのでコメントを差し控えた。


「目的とする最終地点が同じようなので嬉しく思います。差し支えなければ大佐の活動地域をお教えいただけますか?」


「コンゴ民主共和国。ここには希望の光が届くことがないと諦めている者が沢山存在しているようです」


 地域を聞いてそこを選んだことに感謝を述べてきた。


「最低限の生きる権利すら脅かされている土地ですわ。私達も何度となく勧告を行ってきましたが、改善する見込みがありません」


 ヒューマンライツウォッチはアメリカに拠点を置く人権団体である。

 その団体が政府を持たない難民や、虐げられている地域の民に代わり告発し、世界に注目させて改善要求するとの活動を行っている。


 成功したよい部分もあれば、偏った加担をした誤った声明を出すこともあったが、世界への発信力としては間違いなくトップクラスの影響力を有していた。


「自分は軍人です。誰にでも人権があるとは考えておりません。その法の枠の外にあろうとする輩には容赦はしません。その点は自らも他人事ではありませんが――」


 ともすれば殺人予告ともとれる発言に場が静まり返る。


「難民が日に日に何百の数で増減します。これは国に帰ったのではなく増えた難民が死亡するからです。黙っていても失われる命は確実にそこに存在します。これは私個人の考えですが、人の生き死には数字には出来ませんが、数を減らすために様々な手段があるならば努力する義務が我々にあると信じております」


 ――否定はしないか、だが無関心は同罪だな。


「自分は一人救うために十人を犠牲にはしない。ですが一万人を救うためならば千人を犠牲にはするでしょう。もし貴殿方がより多くを救いたいと願う気持ちが同じならば、イギリスとタンザニア発のニュースにご注目していただきたい」


 二人は目を合わせてから島に向き直り、必ずニュースを見ましょうと応えた。


 時間を共有できて嬉しいとお定まりの文句を口にして席を離れる。

 ネイの配慮に謝辞を示し四人はル=グランジェを出た。


 ――吉と出るか凶と出るか。どちらにせよいよいよ名を明かしての活動をすることになるぞ。

 今までの俺の働きに少しだけプラスするだけで良い、きっと上手く出来る!


 エマウスフランス。そこには昨日の男だけではなく、より上位の責任者が並んで島を待ち受けていた。

 それだけでなく一人の聖職者が列なっている。


「イーリヤ様、多額のお心遣いにフランスの民を代表して感謝を述べさせていただきます。ありがとうございます」


 聖職者を含めた三人が頭を下げる。


「今腹を空かせ、今教育が必要で、今住む場所が無い者を助ける為に使って頂きたい」


「はい。街頭放送やラジオで呼び掛けを行い、まずは炊き出しをさせていただきます」


 ――素晴らしい、鈍重なボランティア団体とは比べ物にならんぞ!

 この分だとあの都市伝説じみた創設者の話は事実なんだろうな。


 アベ・ピエール神父。彼は冬のフランスで凍死者が出たことを聞くと、役所でも警察署でもなくラジオ局に駆け込んで市民に訴えたらしい。

 「同胞に救いの手を」その言葉はフランス人の心に深く刺さった。

 結果、一個人の呼び掛けが国民を動かし、国を動かした。

 その彼がラジオ局に急いだあまりに赤信号すら無視したと語ったものである。


「紹介します。こちらサンマリノ出身フランス在住のコルテス司祭。若い頃にルワンダやアンゴラ、コンゴを渡り歩き動乱期を巡っております」


 老年の司祭は同じ内容の自己紹介をスワヒリ語で行った。

 エーンが頷いているので言語の面では問題がなさそうである。


「コンゴではキシワと名乗っている者です。コルテス司祭に幾つか質問がございます」


「何なりとお聞きください」


 フランス語で尋ねたものだからフランス語で返してくる。

 サンマリノ共和国はイタリアの保護国のようなものだから、当然イタリア語も理解しているだろう。


「現地では布教活動以外の行為を制限させていただきますが、それでも宜しいでしょうか?」


「全く構いません。他の妨害なく自由に布教が出来るとは素晴らしいお話です」


 ――どの業界でも邪魔はあるらしいな、驚きはせんがね。


「途中で投げ出すにしても道もなく、ベッドで寝ていても爆弾が降ってくるかも知れない危険地帯です。出来うる限りの安全は確保しますが絶対はありません」


「死なば神のもとへと召されるのみ。何より絶望した信徒がそこで暮らしているならば、何故私がそれを恐れましょうか」


 落ち着き払い達観している。年齢がなせる業だろう。


「最後にこれはジハドでもクルセイドでもなく、私の個人的な意思によるものです。司祭殿はそれでも?」


「形式や名分で救われるならば私もそれを選択するでしょう。大切なのは行動です、司祭を必要とするならば意のままに振る舞いましょう、ですが人々への希望の光は大佐が必ず与えていただきたい」


 ――こいつで決まりだ!


「コルテス司祭、あなたにキャトルエトワールの従軍司祭をお願いしたい」


「神の思し召しのままに」


 話がまとまったのを見てユーディナらが笑顔を浮かべる。


 体力的な面で司祭を補佐する青年が一人手伝いで同行するという。

 司祭を目指して日々精進している、助祭となれる日は近そうだ。


 外濠を埋めるために動くのは大方このあたりだろうと納得する。

 この先は力がモノをいう無法地帯での活動が中心になる。

 だが物怖じることは無い、何せそちらが本業なのだから。


 ――舞台は整った、あとは全力で敵を駆逐することに集中だ。

 数千の敵方が複数、相手にとって不足は無いぞ!



 ブカヴから南へ凡そ九十キロ、むしろタンガニーカ湖の北西にあるウヴィラから二十キロと表した方が良いだろうか。

 キベガ族の集落がこの辺りにあるとの偵察情報に従い近くにまで行軍してきた。


 ロマノフスキーが連れてきたのは一個小隊四十人、ブッフバルト少尉を小隊長とし、フィル軍曹が実質的な指揮を執っていた。


 少佐の護衛としては、パラグアイから従っているオビエト上等兵が専属で付いている。

 このオビエトはオラベル伍長と違い勇気の面では今一つ欠けるが、気転が利く意味では従卒にはちょうどよかった。何よりスペイン語しか――グアラニ語もわかるが――理解しないため、兵を指揮させるわけにもいかずにいた側面もあった。


 パラグアイ、アルゼンチン組の三人は英語もフランス語も理解していない。

 それらがバラバラに配属されているのは、いつものようにグアラニ語が極めて理解者が少ない地域であるからに他ならない。


 不自由を感じれば自然と言葉を学ぶ、外人部隊での手法を真似て、常に理解者と不理解者を組み合わせているのもある。


「少尉、このあたりは高原地帯になるんだろな、赤道直下の割には爽やかな暑さだと思わないか」


 太陽が照り付けて暑いものは暑いが、それが苦にならずに汗があまり出ないのが気に入っていた。


「ウヴィラとフィジの間に低い山があり、その両端に街があります。過ごしやすい高原地帯だというのは事実でしょう」


 そうだろ、とロマノフスキーが軽く話をまとめる。


 ――ドイツ人は誰だって理屈めいて態度が固いものだ。信頼面では世界一だろうが、もっと気楽には生きられんものかね。


 恐らくはドイツ人と付き合っているドイツ人以外が感じているだろうことを、少佐も再確認した。

 民族性なのだ、慣れてしまえば隠された冗談を笑うこともあろうと前を見る。


 武装ジープ六台とトラック二台に分乗して移動している。

 だが道が悪く車が揺れで分解するんじゃないかとすら思えた。


 ――地雷がないだけラオスあたりよりはましと考えよう。


 視界範囲まで進むと停車して偵察を放ち、戻るとまた前進するというのを繰り返しながらゆっくりと南下していた。


 昼飯時になり大休止が言い渡される。日陰が作られてそこで湯を沸かしてドライフードをかじる。

 ビタミン剤を一緒に飲み込むことで、味がいまいちな食事は栄養面で体が満足する値を補給してくれた。


 斥候が遠くの平地に人影があると異常を知らせに引き返してきた。

 収穫はそれだけであるがそれで充分とロマノフスキーが判断する。


 先進国の都市部や住宅街とは違い、アフリカの内陸の人口密度は驚くほどに低い。


 キベガ族の集落があるあたりで人影があれば、かなりの確率で目的の集団なのだ。


 ――違えば尋ねたらいいさ、こちらが勝手にキベガと呼んでいるだけの話かも知れんしな。


 予定の時間きっちり休憩してから部隊がジープを先頭にしてゆっくりと移動を再開した。


 不整地。人間が入り込んでいないのかと思えるほどに自然が広がっている。

 環境破壊はアフリカでも起きているが、それは海岸部と大河川の付近の話であるらしい。


 背丈の短い草原に水溜まりはない。水が無いからこそ根は深く乾燥に晒される上部が少ない成長をしている。


 遥かに遠くから先に気付いていたらしく、弓矢や槍で武装した部族があちこちに伏せて警戒している。


「フィル軍曹、奴等に話がしたいと伝えてこい。防弾装備と白旗を忘れるなよ」


「ダコール」


 棒きれに布をくくりつけて「客だ、責任者に話がある!」と様々な言語で呼び掛ける。

 警戒を解かずにひょろ長い姿の男が前に出てくる。

 頭には羽をあしらった飾りをつけている。


 後ろで見ているロマノフスキーは、少尉に戦う準備だけさせて銃口は向けないようにと注意する。


 暴発させないようにトリガーガードの横に指を置かせた。

 ジープの機銃には給弾ベルトがセットされて、いつでも制圧可能な用意がなされている。


 フィル軍曹がゆっくりと白旗を振っている。


「トラックから下車、ジープは展開微速前進」


 少尉の命令を通訳がスワヒリ語に翻訳する。殆どが英語かフランス語を理解しているが、同じ内容を繰り返させることで教育をしようとの魂胆があった。

 ロマノフスキーは最後尾のジープに乗ったまま、全体の動きを観察している。


 二十メートルほどの距離を隔てて双方の後衛が足を止める。

 中心部にロマノフスキーが単身進む。


「キベガ族の首長、ゾネットです。こちらロマノフスキー少佐」


 スワヒリ語とフランス語を駆使してフィルが通訳する。


「お前がキベガ族で一番強い男か」


 相手を挑発するような態度で確認する。ゾネットは胸を張って短く「クァ」と答えた。


「キベガでは強い男が首長になると聞いた、戦いの方法は何だ」


 話し合いどころかいきなり決闘を申し込もうとする。


「少佐殿、まずは帰順を呼び掛けてみてはいかがでしょう?」


「黙れ軍曹、俺はダメなら戦うような半端な気持ちで来ているんじゃない!」


「も、申し訳ありません!」


 白い顔を紅く怒らせて叱責する。それを見たゾネットが口を開く。


「それは飛び道具なしの決闘だ」


 上手くはないがフランス語でそう答えた、どうやら理解していたらしい。潔い態度に思うところがあったのだろう隠すのをやめた。


「キベガ首長ゾネットにロマノフスキーが決闘を申し込む!」


「首長は決闘を断ることはしない、その挑戦を受けよう」


 キベガ族が立ち上がり輪を作る。ゾネットが槍を手にして中に入る。


「軍曹、AK47を貸せ銃剣を装着だ!」


 フィルが所持してきたうちで一番状態が良いものを見極め、これまた金属疲労が少ない銃剣を装着させて少佐に手渡す。昨今の銃剣は短いが、過去の仕様であるこれは長い刃をしている。

 マガジンを抜いて地面に向けてトリガーを引いてみる。カチカチと音はするが弾が出ないのを示し、ゆっくりと輪の中へと入る。


「ブッフバルト少尉、指揮権を引き継ぐ。俺が負けても報復はするな、死人の名誉を汚すんじゃないぞ」


「ダコール」


 フィル軍曹の申し出で輪に同数の兵を交互に立たせるように求める。


「構わん決闘は公平だ、見届ける権利は双方にある。輪に混ざるがよい」


 首長が手出しは無用と声を上げると、少佐もお前たちもだと釘を刺す。


 ――ボスは征服してこいと命じたんだ、協力依頼なんてせんぞ!


「相手が戦闘不能、もしくは死亡で勝利だな?」


「そうだ引き分けは無い。石を空に放り落ちたら始めだ、いいか」


「おう!」


 キベガの若者が空に拳くらいの大きさの石を投げる。

 二人は視線を切ることなく、そのまま互いを睨み付けながら石が落ちる音を待った。


 乾いた土に固いものがドサリと乗るような鈍い音が聞こえる。直後に地面を蹴った二人が刃を突き出す。


 槍が喉を狙ったが首の皮が切れる位のギリギリでかわす。

 リーチが短い分ロマノフスキーが後手を踏むがゾネットも紙一重で避けた。


 刃物への恐怖は微塵も感じさせない。気迫が満溢れて興奮状態に陥る。

 こうなると多少の傷を負っても痛みを感じなくなるので要注意である。


 長さで不利とみると距離を詰めて戦うため、一歩を命がけで踏み込む。


 武器の長さは一対一での戦いでは圧倒的な差を産み出す。

 そのはずなのにロマノフスキーは浅手を負うようなことがあっても、決して満足な一撃を身に受けることはない。


 銃床を小さく横に薙ぐとゾネットは身を固くして避けずに受け止める。

 その場で足を踏ん張り槍を思いきり横から叩きつけて返礼した。

 腕に力を籠めてロマノフスキーも攻撃を肉体で弾き返す。


 ――骨にひびくらいは入ったか。


 チリチリと腕の芯が刺さるような痛みがあるため自己診断する。

 荒れた地で摺り足はしない、ここはオリンピックの試合会場ではないのだ。


「うぉぁ!」


 言葉にならない声を発して突きかかる。槍に当てられればポッキリ折れてしまう刃ではあるが、銃剣を壊して勝とうとはせずに正面から迎え撃つ。

 激しい応酬が繰り返され、不意にゾネットが土くれに躓き転倒してしまう。


 輪を作っている者達が一斉にどよめきの声を発する。


「立て、そんな幕引きで納得出来るか!」


 体を起こして武器を構えるのを待つ。

 ひとにらみして立つと、穂先を向けて気合一閃今度はゾネットが次々と槍を突きだす。


 ――引きが速い!


 AK47の銃身で軌道をずらすが余りの速さに切り傷を増やしてしまう。


 決闘だからといつまでも戦い続けているわけには行かない。

 自身の居場所は戦場だと信じているからである。


 精神を集中させる。呼吸を合わせて引きと同時に踏み込む、それに気付いて進路を阻むように槍を突き出す、銃剣を払いに使う。


 強度が無いため側面の強打に銃剣部分が真っ二つに折れて弾け飛ぶ。

 穂先がロマノフスキーの頬に傷を付けたが、勢い止まらずに体重を乗せたタックルが肩から炸裂した。


 ゾネットは背中を打ちつけて一瞬で肺の中の空気が押し出され咳き込む。槍を手にした側を膝で踏まれ、首には根本しか残っていない銃剣を突き付けられ一切の動きが封じられる。


「答えろ、まだ戦闘は可能か!」


「……不能だ、お前の勝ちだ」


 素直に敗けを認める、不意をついて形勢逆転一か八かを狙うほど落ちぶれるつもりはない。


 息を吐いて立ち上がると銃を投げ捨てる。


「キベガ族は俺が支配する、文句があるやつは居るか!」


 目を見開いて腹のそこから怒声をあげる。その形相にキベガの男たちはつい顔を下に向けてしまった。


「ロマノフスキーが今からキベガ族の支配者だ。全員が貴方に従う、強い男が首長になる慣わし異存はない」


 ゾネットが首長の座を譲ると明言した。


「俺は少佐だそれ以上でもそれ以下でもない。首長はゾネットに任せる、文句はないな」


「それが支配者の望みならば従う」


 一度全員に視線を投げ掛ける、しかし誰も反対はしない。


「よしでは最初の命令だ――」緊張した空気が張りつめる「ビールで乾杯だ、動いたら喉が乾いたからな。全員遠慮はするなよ!」


 その昔に労役を課せられて達成出来ねば手足を切断される罰が待っていた、との話を聞かされていた男たちは新たな支配者の命令が理解できないでいた。

 ゾネットがぼけっとしているキベガ族に「酒を飲めとの命令だ、遠慮をしてはならん!」と繰り返すと互いに顔を見合わせて手渡されたビールを口に運んだ。


 衛生兵が少佐の応急処置を行う。左腕を触ったときに妙に力を入れて庇うのに気付いて簡易診断を行うと、やはり骨に異常ありだと告げられた。


「なに名誉の負傷だよ」


 渋い顔をして衛生兵はギプスによる固定で全治六週間を宣告する。

 全身の切り傷も消毒をして包帯やら絆創膏を派手に処方してやった。


 風土病や未知のウイルスにでも感染したら大変だと理解しているロマノフスキーは、珍しく軽口を挟むことなく注意事項を黙って耳にするのであった。


 ブカヴに舞い戻った島は防御施設が大半外見だけは整った拠点へと入城していた。


 べトン(コンクリート)の防壁にはわざと土を塗りたくり、土壁を装う。

 水分があるのは最初だけですぐに干からびるため強度に影響は無い。


 イガ栗のように小さく足場が突き出た先には、細かな銃眼があり要塞本体の死角を無くすのに貢献している。


 先任上級特務曹長を隣にして視察を続ける。


「スロープ式のガレージを設けました、地下で繋がっており封殺はされません」


 ガレージに入ってみるときっちり整備された車両がずらっと並んでいた。

 そこに一つだけ変に型が大きいのがでんと鎮座しているのが目に入る。


「再武装したか、こいつは反則だな」


 誰の趣味だろうか前面と後方に機銃が、主砲があった位置に二十㎜機関砲を装備し、追加のハッチが作られた隣には六十㎜迫撃砲が据え付けられている。


「現地仕様のカスカベルCとでも呼びましょうか」


 ――そう言えば過去の遺産を修理して喜んでいたっけな。グロックはマニアだ、間違いないぞこいつは!


 ふと後ろを振り返る、スロープ付近でうろついている奴等の姿が見え隠れした。


 ――腹から下がぎりぎり見えるってわけか。


「先任上級特務曹長は遺跡にも詳しかったのか」


「本の少しの差が明暗を分ける、それに気付いていただけた上に遺跡とは嬉しいものですな」


 明らかに楽しんでいるのがわかる。

 スロープの勾配と高さを調節すると、下からは姿が見えて上からは上面の壁しか見えない造りが可能になる。


 これは城造りが発達していたヨーロッパで見られるギミックである。

 それだけでなく通路の曲線はその殆どが反時計回りの螺旋状に造られていた。


「人は右利きが多いからな、まあこれが役にたつ日がこないほうが幸せだよ」


 左手に盾を構え右手に武器を持って通路に踏ん張れば、個々の戦いに有利となる。

 防衛側だけが武器を広く振り回せる上に、壁を盾の延長に使えるようになるからだ。


 螺旋階段が登りに不利になるか、下りに不利になるかでその施設の重要部がどちらにあるかすら推測可能な時代もあった位である。


 城壁に登って湖側を眺める、眼下に桟橋があり入り江のような作業場が陸側にも設置されている。


 十二、七㎜機関銃がぽつぽつと設置され、現地人兵が警備を行っている。


 ――こちらの側から攻められたとしても上陸は至難の業だな。


 城壁をぐるりと巡り西側、本城である要塞の周辺には命じた通りなにもない空間が設けられている。

 その先には目印程度の役割である柵があり、更に外側に難民居住区があった。


 ンダガグ族の居所は要塞北側に置いてあり、優先した区割り配置になっていた。


 医療キャンプ場は南に少しいったところに作り、万が一では船で脱出するように医師には命じてある。

 何度となくンクンダ将軍の人民防衛国民軍が手を出してくるが、武力衝突には至らないように我慢している。


 よう道を数分かけて歩き北の離れにある要塞へ向かう。こちらは訓練場が置かれビダ曹長とドゥリー軍曹が兵をしごいている。


 ――言語面ではビダは難しい、ドゥリーの方がすべての面で適切だな。配置替するにしても左遷はいかん、名目を考えておこう。


 訓練を眺めて唸る島をチラリと横目で観察する。グロックは視線の先にいる二人がどうなれば司令官の悩みが和らぐかを瞬時に弾き出す。


「紛争鉱山があるのならば、それが国外へ持ち出されるまでのルートもあります。軍資金はいくらあっても良いでしょうな」


 ――輸送隊の襲撃をやらせるってわけか。兵の訓練をやらせるよりよっぽど効果的な使い途だ。

 問題はどいつと組み合わせるかだ。


「司令部に戻るぞ」


 視察を終えて要塞へと場所を移す。分厚い報告書に目を通すために椅子に深く腰を掛けてひと息つく。

 グロックを解放してやり暫く書類を決裁していると、コロラド曹長からの情報が目に入った。


 ――キサンガニに向かうトラックが一台で護衛が中隊規模の正規軍ときたか。

 人の護衛ならばトラックには乗せまい、通常物資が一台では中隊はつかん。高価な何かをトラックに積載し、拠点に運び込むわけだ。


 受話器を手にしてコロラドの出頭を命じる。ものの五分としないうちに、軍服をだらしなく着た中年男性がやってきた。


「コロラド曹長出頭しました」


「うむ。この報告書について詳しく聞きたい。トラックの荷物まではわからんか」


 ずばり知りたいことを尋ねる、知っていればそれで解決とばかりに。


「今はわかりません。ですが調べろと仰るならばやりますが」


「よしはっきりさせるんだ。もし金目のものならば奪取してやろうじゃないか」


 目的を告げて必要な付帯情報もひっぱるように命じる。


「ヴァヤ。数日留守にします、事務はトゥヴェー軍曹に任せます」


 諜報に補佐は要らないと単独行動を申告した。


 ――どうする一人で動かれては後進育成にならんな。


「軍曹にもノウハウを伝えたい、上手く調整できんか?」


「それはご命令でしょうか?」


 目立ってしまったり危険があったりと懸念材料があるようで確認を挟んでくる。


「そうだ」


「承知しました。命令とあらばそのように」


 妙に白い歯を覗かせて敬礼する。必要なことしか命じない島が敢えてそうしろと言うのだ、自分は頼られていると感じ嬉しくなったに違いない。


「金以外で必要なものがあれば倉庫から持っていけ、許可証がいるなら先任上級特務曹長に発行してもらうんだ」


 機関として司令部印を発行する役目はグロックに一任してある、考えている筋は同じであるため判断に誤りはないと信じている。


 曹長が退室した後にハマダ少尉を呼ぶ。


 同じ褐色の肌であってもこちらはやや白くキメが細かい気がする。

 二十代半ばの青年は早く活躍の場を与えてもらいたいと、やる気に充ちている。ガーナに残してきた一族は安定した生活を送っているため後顧の憂いはない。


「ハマダ少尉、作戦任務を与える。他の兵らに気づかれることなく選抜小隊を編成するんだ」


 英語かアラビア語か迷ったが、使わねば忘れてしまうとアラビア語で話し掛ける。


「自分を選んでいただき光栄です。小隊の目的は?」


「敵の輸送トラック一台の強奪予定だ」


 そこで言葉を区切り少尉にどのような意味合いかを想像させる。

 トラックの積み荷が何になるか、そしてトラックでなければならずそれが一台な理由を、ここがコンゴであるのを加味して考える。


「鉱石の類いでしょうか」


「その通り。中身は調査中だが、それが金でもダイヤモンドでもコルタンでも大差はないからな。少尉にはビダ曹長とアサド軍曹、サイード伍長を配属する。何か質問は?」


「ありません」


 退室を促すと姿を消した。ハマダにとってはサイード伍長が懐かしの顔になる、共通語も英語なので収まりがよい。


 ――さて医療キャンプを見てくるとするか。


 部屋を出てすぐ扉の隣に居るエーン少尉に「ドゥリー軍曹に兵営を任せることになる」と耳打ちしておく。


 ガレージに大切にしまわれたものとは別、野ざらしになっている非武装ジープに乗り込み南へと向かわせる。


 難民の群れが住み着いている地域をクラクションを鳴らしながら進む。

 誰も邪魔しようとはせずに素直に道をあけた。


 非武装ではあるが戦闘服を着た奴等に逆らうつもりはないらしい。


 車を降りて見張りを一人だけ残し、アフリカ旗を掲げたテントへ向かう。

 このアフリカ旗とは、国を問わずアフリカの大地を象徴するもので、融和や中立を示すものでもある。


 怪訝な顔をされるが本部テントに着くと、たまたま休憩中だったドクターシーリネンが島に気付いて招く。

 医師長がにこやかに声をかけるものだから、疑いの眼差しを向けていた者も関心を失いもとに戻る。


「ドクター、相変わらずの人だかりですね」


「少しずつですが皆の顔色が良くなってきています、健康になった者が手伝いを志願してくれてきています」


 ――それが俺への疑いの眼差しをしていた連中だな、ドクターは人心を掴みつつあるわけか、結構なことだ。


「助け合ってくれたら余力が産まれる、望ましい状況でしょう。人民防衛国民軍は相変わらず?」


 何度となく物資をたかりに来ているのをわかっていて、大尉の見解を求める。


「毎日です。一応やつらも民衆の顔色を見ているのか、夕刻にしかこなくなりました」


 朝に補充しているため朝から収奪にくると治療に弊害が出て、その家族や知人らから怨みが籠った視線が投げ掛けられるからだろうと説明する。

 だから少しずつ多目に補充して、わざと余らせて渡してやっていると了解を求めた。


「その配慮があれば奴等も潰さずに甘い汁を吸い続けるのを選ぶでしょう。ドクターのご判断にお任せします」


 行為一切を肯定して精神負担を軽減してやる。


 ――渡るのが医療品ならば使うしかあるまい、どこを経由しようとそれなら構わん。


「ところで大佐、ちょっと……」


 密談をしたそうにするがどうしたものかと悩む、あちこち人が居ない場所などないのだ。


「ドクターの理解言語は?」


「スワヒリ語、フランス語、フィンランド語、ドイツ語――」

「それなら誰もわからないでしょう」


 医療用語の多くがドイツ語の為に、ヨーロッパ圏の医者は会話が出来る人物が比較的多い。


 カルテやクランケ、オペあたりもその類いの単語である。


「医療品の使用に誤りがあってはいけないので、こちらから彼らのところへ一人医師を派遣してはいかがでしょうか?」


 その意味をどうとるかは島次第といったところであろう、つまりはスパイを送り込めばとの提案である。


「適任者がいる?」


「はい。家族が最新医療を必要とする病気にかかっている医師が一人。アメリカで手術をしたら十万ドルはかかるでしょう」


 ――その面倒を見てやるのを約束してやれば必死になって働くわけか、ドクターの案に乗ってやろう。


 彼にしたって何とかしてやりたいから考えた末のことだろうと認めてやる。


「わかった上手いこと相手の内情がわかるならば取引としては悪くない、その案を採用する」


 大尉の顔が明るくなった。


「まさかこの場でご許可いただけるとは思いませんでした」


 参謀筋以外からの作戦案は一切受け付けないのが、悪く言えば現代の普通な首脳陣である。

 専門で教育を受けてきた者が作戦を練らねばならないとの、教条的と呼ばれて仕方のない考えが主流となっている。


「でも経験に拠らない机上の案を確信して推してくる奴のは却下しますよ」


 苦笑いして端的に述べる。頭ごなしにさも当然だと無理を押してくる参謀のいかに多いか。


「根拠の無い過信と経験による自負の違いが解れば、あるいは上に立つ者の心労も減りましょう」


 知識とは判断の基準を得るための一つの手段にすぎないと、大尉は年長者の意見として述べた。長年の勘がこれに類するとも。


 島の特徴として周囲の者が自発的に善導するような流れが多々見受けられる。

 持って産まれた性格の他に、父、龍太郎の教育が大きい。

 古き善き日本男児の心意気と言えようか、他人は皆が師であるとの精神の根幹が影響しているのだろう。


「ドクター、我々は次の段階へと歩みを進める時期が来ました」


 表情を引き締めて司令官としての責務を果たそうとする。


「我々医師団の為すべきことをご命令下さい」


 それによってがらりと環境が変わるだろうとの覚悟を決める。

 今までのようにいつまでも自由に行えると考える方が間違いだとシーリネンは理解している。


「負傷者の手当を最優先するために、医師の一部を要塞に引き揚げさせる。患者一人ひとりにキャトルエトワールの支持を訴える。健康を取り戻したら労役を代価に求める。この三点だ」


「労役というと?」


 鉱山で強制労働などさせるならば他と代わり映えしなくなる。

 そのような愚かな選択はしないだろうとはわかっているが、何をさせるかを確認しておくのは彼の責務であった。


「畑で作物を育てたり、港で荷役をしたり、材木を切り出して住居を整えたりだよ。適性があるならば軍役も歓迎だ。無論報酬は支払う」


「仕事を与えてくれるわけですか!」


「人手は幾らでも必要でね。俺は老人になるまでここで暮らすつもりはないからな」


 人が集まればまた別の仕事が産まれる。それまでは無かった管理や流通の役目や、様々なサービス業が独立したものとして求められてくる。

 村を作るためにひとを集め、ノウハウを得たら別の場所にまたそれを建設する。


 点在する邑――防壁に囲まれた村を作り勢力圏を構築していくつもりなのだ。

 こうすることにより外郭にあたる邑から攻撃せねば本拠を攻めづらいとの形を整え、グロックが言う制約の一つ、地勢的な防衛が有効になってくる。


「大佐はまるで半世紀遅れて現れたヒトラーのようですね。大戦の最中で世界から見て見ぬふりをされたフィンランド、当時の総統が神に見えた者も少なくはなかったでしょう」


 第二次世界大戦。フィンランドはソヴィエト連邦からの外交圧力で国土を割譲させられたり、様々な無理な要求を繰り返されていた。

 その後に侵略を受け更に国土を割譲させられ、主要な港や都市がかなりソ連の影響下に組み込まれてしまっていた。


 イギリスやアメリカは支援を約束はしたが兵は送らず、口約束の域をでることはなかったらしい。


 助けると言われ続けている間にも、割譲させられた地域に居住している者は搾取され続け、未来への不安に押し潰されようとしていた。

 そこに現れたのが当時ヨーロッパの半分を占領していたドイツである。


 同盟を承諾したフィンランドにいち早く戦車や兵員を送り込み、ソ連との対決姿勢を示した。

 イギリスとは違い実際の戦闘部隊を配備してくれたドイツ、だが大国の増援を手放しで喜びはしなかった。


 その気になればいつでも祖国を占領可能な他国の軍隊である。笑顔は見せても心を許すことはなかった。


 それでも共にソ連を相手に戦いを行い、失われた国土と自由を回復した。


 ――ヒトラーときたか。かの偉人は少なくとも初期のうちはドイツに希望を与え、中期にはヨーロッパに覇権を唱えたな。


 島はヒトラーが世間で言われているほどに嫌いにはなれなかった。

 成功したら聖人で失敗したら悪魔では浮かばれまい。


 行為の一つ一つを独立して評価してやれば、彼は間違いなく称賛れされるだけの何かを後世に残しているのだから。


「少なくとも善意の範囲で約束したことは遵守するつもりだ。あまり多くを求められても、俺はそんなに大したことは出来ないがな」


 民族や国家をまるまる背負う程じゃないよと苦笑いをする。


「外国に乗り込んで旅団を背負っているだけでも立派なものです。それで少し現地人を助けでもしてやれば、一部の国の首相あたりよりも功績は大きいでしょう」


 大半の政治家は伊達でやっているんですよ、と首を振る。


「よくもまあこんな半端者に命を預けると思うよ」


 いつしかドクターも部下の一人だと感じ、部員に接するかのように話すようになる。


「それが人望というものでしょう。医療キャンプはお任せください、大佐は大佐にしかなし得ない何かをどうぞ」


「ドクターの替わりもまた居ない、無茶はせずに頼むよ」


 会話を打ち切って一行はジープにまで人混みを掻き分けて戻っていった。


 ――俺も破滅へ向けて歩んでいるかも知れんな。せめて負の遺産で溺れないように身辺に気を付けるとしよう。


「俺に誤りがあったら必ず言ってくれよ」


 振り返らずともエーンが微笑を浮かべて頷いたのが、何と無く想像がついた。


 キベガの丘――そう名付けた集落に塹壕が作られたのは、ロマノフスキーがやってきたその日だった。


 ビールで喉を潤した後に男が総出で穴を掘り、防御陣地を造成した。


 女は食糧を分け与えられ、久々に豊かな食事を振る舞うことになる。


 天幕を張って日陰を作り、丘から周囲を見渡せるように司令部を据えると、ロマノフスキーとブッフバルト、それにゾネットが入った。

 間接支配はさしたる混乱もなくキベガ族をきっちりとまとめることに貢献している。


「このあたりの水辺に鉱山があるようだが、何か知らんか?」


 偵察を散らしてそれらしき場所を幾つか調べてはいるが、どれが件のダイヤモンド鉱山かまでははっきりしていない。


「ザイール河の起こりに小さな鉱山がある。何を採掘しているかは秘密にされていて、車では入り込めない山岳地帯」


 慣れないフランス語を駆使して伝えようとする。首から包帯で腕を吊っているロマノフスキーに対して、非常に従順な態度をとっていた。


「あれか、もしかしてネパタを使って運び出している?」


「ネプティに載せてどこかに運んでいる」


 ――そいつが怪しいな。他はどこも車でって話だったから可能性が高い。


「ゾネット、そいつらがどこに向かったかを追跡調査するんだ」


「わかりました少佐」


 動物の歩みについていくだけなうえ、十キロ以上離れていても肉眼で見えるのだから問題はない。


「少尉、その鉱山を偵察だ。何を採掘しているかと量目やペースを探れ」


「ダコール」


 二人が天幕から出ていくとやけに広く感じられる。


 ――ダイヤモンドをかっぱらうだけなら苦労は少ないな。俺が配された理由を考えるんだ。

 襲撃されたら当然誰が犯人かを探して逆襲に出るはずだ。その時に使われるのはどの勢力になる?

 政府の隠し鉱山ならば正規軍が出てくるが、首相個人の話ならばフィジからの私兵だろう。

 奴等がこっちを探り当てるのにそんなに時間は掛かるまい。

 戦っていては苦戦は必至だ、そこで一手となるわけだな。


 便利な世の中である、宇宙に衛星が漂っているため、アフリカの内陸でも好きなように連絡をつけたり、ネットに接続したりが可能になった。


 傍らに置かれたパソコンと衛星携帯を結線し、情報サイトにアクセスする。

 今や必要な情報のうち八割はこのように集めることが可能になった。


 十分程調査を行い満足するとフィル軍曹を呼び出す。


 キベガ族に訓練をつけているところだったのがわかる。汗ばんだ軍服はすぐに乾燥して白く塩分が浮いていた。


「少尉では不満を持つだろうから軍曹を呼んだ。これから俺が下すのは極めて邪道な命令だ、嫌なら回れ右をするとよい」


「大事の前の小事であるならば、汚れ役は自分が引き受けます」


 躊躇することなくフィルは承諾を宣言する。


「フィジに部員を送れ。監視するんだ、命令があり次第いつでも遂行可能なように潜ませておけ」


 兵を送るのではなく部員と指定する。キベガ族では不服従が見込まれ、ブカヴの兵では失敗の目が大きくなると。

 メモを渡されてその意味を正しく理解する。


「キゴマの補給所にエンジンつきボートを申請して宜しいでしょうか」


「そいつは名案だな、ついでに南スーダンまで空の旅もだな」


 部員につける兵の選定を任せると言われ、真面目な顔でそれを請け負った。


 マケンガ大佐はラジオのボリュームを上げて音楽を楽しんでいた。

 最近のお気に入りは余計な宣伝も何も一切挟まずに、曲のみを流す番組であった。


 商業用のものなのだろうが、スポンサーの名前を聞いても特に心当たりはない。

 先進国では中年よりは青年あたりに属するだろう四十歳前後も、寿命が短いアフリカでは老年に組み込まれても不思議はなかった。


 とある発展途上国では全てを分け隔てなく合算し、単純に平均寿命を割り出したら三十三歳程になった国すらあった。


 泣く子も黙る3月23日運動の首領であっても、一人で司令室にいるときには気楽に趣味を楽しんでいる。


 ドアをノックする音が聞こえる。元々はそのような習慣はなかったのだが、するようにと命じてあった。

 丁度これからサビの部分だったというのに仕方なくボリュームを絞り返事をする。


「モルンベ大尉入ります」


 真っ黒な男がやけに白いワイシャツを身に付けて、制服姿でやってくる。


「大尉、どうかしたかね。定期報告にはまだ早いと思うが」


 番組が終わってからになるようにスケジュールを調節していたとまでは言わない。


「重要報告が混ざっていましたので取り急ぎ参りました」


 日頃から何をどう判断するかは任せろと言っていた都合から、叱責するわけにはいかなくなり仕方なく報告を受けることにした。


「わかった。何があったんだ」


「キヴ湖南西部、ブカヴ市北部に新たな武装勢力が名乗りを上げました」


 ほら重要だろうとの顔をしてわざと間を置く。

 陸路を使えば丸々一日がかりの距離ではあるが、船ならば数時間で着くくらいの近所である。


「規模など詳細を」


 真顔になって目を閉じる、不足があれば指摘して調査させねばならない。


「ブカヴ北十キロ地点、ルワンダの難民でンダガグ族が住み着いていた丘に要塞を築いております」


「なに要塞だと?」


 ――何もない場所にわざわざ造ったわけか、簡単なものなんだろうな。


 二十数年前に逃げ込んできたルワンダ難民は、殆どが着の身着のまま何も持たずにやってきている。

 それらが住み着いて住居を作ったにしても、材木や枯れ葉を泥で固めて日干しにした板を組み合わせたような物しか無かった。


「丘をすっぽりと土壁で囲い、外部に空白地を設けて更に柵を設置、外郭に居住区があります。更に壕には湖から水がひかれて侵入は困難に」


 報告書を参照しながら事実を並べる。


 ――難民らの仕業ではないぞ! 外部の力が働いている。


 黙ったまま動かないためモルンベが続きを口にする。


「湖には桟橋が作られ、囲いの北側には比較して小さな要塞がもう一つ設置されております。湖そいの通路で繋がっているようです」


「相互の距離は」


 資料をパラパラと捲るがそれらしき答えはなかった。


「調べます。……戦闘服姿の兵員が百名ほど、現地の武装難民が数倍従っているようです」


「装備は」


 ――ンダガグ族と周辺の木っ端共だな。ものの数ではない。


「AK47です。戦闘服は短機関銃らしきを胸につけています、ジープも目撃されています」


 ――肩ではなく胸に短機関銃だと?


 その多くは肩掛けするベルトがつけられるようになっている。

 ライフル然りであるが、胸にそれをつけられる程に小さい物となれば正体が狭い幅に収まってくる。


「要塞には汎アフリカ旗と白黒に抜かれた四ツ星の旗を掲げています」


「四ツ星だと?」


 中国かと思ったがここには直接現れていない上に、わざわざ誇示することもないと考えを改めた。


「はい。恐らくは組織の呼称よりとったものかと」


「名前は」


「キャトルエトワール」


 ――な、……に? キャトルエトワール、四ツ星だと?


 頭の中で何故か音楽番組が渦巻く。


「フランス語でそれならば間違い無かろう。戦闘服は白人?」


「白人、黒人、アラブ人、様々のようです」


 フランス軍ならばそうはならないと考えを否定した。

 何故あの場所に拠点を構えたか、キャトルエトワールが何なのか、そして目的は何かを考える。


 だがあまりにもパーツが少ないため、かもしれないの行き先が多くなり中断する。


「大尉、そいつらを詳しく調べるんだ。それとキンシャサに出ている連絡員から連絡をさせるように命じておけ」


「わかりました司令官」


 奴ならば何かを知っているかもと、首都に滞在している者の話を聞くことにした。


 四ツ星旗を掲げてから数日、皆も慣れたようで見上げる者も少なくなった。


 軽い運動をこなした後に司令室で一息ついていると、通信室から呼び出しがかかった。


「何かあったかレティア」


「何もないのにあんたを呼ぶほど暇じゃないよ。あいつからのご指名だ」


 不機嫌である。

 ――どうしたんだか。少しは構ってやらねば臍をまげちまうなこりゃ。


 頭をかいて座ると保留になっている受話器を手にして呼び掛ける。


「ようどうしたい」


「麗しき女性の声が聞きたくなりましてね」


 ――犯人はお前だったか。


「寂しくなったなら早く目標達成して戻ってこい」


 報告の類いではなく相談があるのを互いにわかっていながら軽口を楽しむ。


「そうしようと思いましてね、あいつを送って下さい百もあれば充分です」


 絵に描くとかわいいあいつですよ、と遠回しに説明を加える。


「わかった、まあ三日もしないうちに着くだろ。他に何か載せていくか?」


 あってもなくても構わないが、不足に気付いてからでは手遅れになるため聞いておく。


「ではお言葉に甘えてビールをいただけますか」


「そいつを欲しがるようなら心配ないな、持たせるよ」


 それでは、と雑談を交わすかのような態度のままで終える。

 壁際に立っているエーンを手招きする。


「ドゥリー軍曹に命令だ。ネパタを百頭キベガまで輸送させろ」


「ウィ」


「先方の要請だ、ビールもたっぷりな」


 黒い顔に白い歯が浮く。敬礼すると電話ではなく直接伝えるために歩いて向かった。


 さて、と呟き汗でべとつく服を脱ぎ始める。


「露出狂かい」


「ちょっとシャワーを浴びようかと思ってね」


 下着を変えるだけでも良かったが、ご機嫌取りをしなければならないことを鑑みて先手を打つ。


「着替えたら出掛けよう、船に乗ってみたい気分になったよ」


「十分待て!」


 ヘッドフォンを放り投げる勢いで席を立つ。お前達後はやっとけ、と通信担当に言葉を残して大慌てで部屋に消えていった。

 約束通りに彼女の部屋にだけはシャワールームが特設されていた。


「あれだ、サルミエ少尉を詰めさせる。お前らもやりやすいだろ」


 兵士らは苦笑を浮かべて司令官に敬礼するのであった。


 常日頃エーンには単独で出歩かないようにと注意を受けている。

 それを如何にして破るのかを密かな楽しみにしている節があったりもした。


 桟橋に並べられている小船を眺める、手作りが伝わってきそうな形が特徴的だ。


 十分と言って十分で身繕いする女は居ない。少し待たされてパンツ姿のレティシアがやってきた。


 ――女海賊みたいだな、口に出すわけにはいかんが。


「たまにはこんなのも良いな」


「ちったぁあたしを誉めろ唐変木!」


 理不尽は世の常である、とってつけたような言葉をかけて怒られてから階段を下る。


 船頭と荷物だけが載るような手漕のボートから、兵士が二十人位はつまさりそうなサイズのエンジンつきのものまで様々並んでいる。


 穏やかな湖面に浮かぶ姿に島はつい笑ってしまう、まさにおじさんの格好をしていた。


「デートを楽しんだら街の洋服店に行こう」


 ファッションセンスとは暫くお付き合いの機会がなかったためか、残念な様相に考えさせられてしまう。

 こんなので都会を歩いた日にはと思うと恐ろしい。


 エンジンつきで四人乗りのボートを選び島が先に乗り込む。

 手を伸ばしてレティシアを引いてやった。


 池にあるレジャー用のものとは違い、小型と言えども頑丈な造りである。


 ――これで鉄板を立てればかなりまで耐えられるな。


 水上で交戦することになれば身の隠し場所が無いので、どうしたものかと首を捻る。


 そんなことお構いなしに桟橋にかかる縄を外して足場を蹴って岸から離れると、くっついているオールを島に押し付けてくる。


「ほれ、シャキシャキ漕ぎな」


「了解。何かご褒美はないのか」


 胸の筋肉を張って両足を固定し水を掻く。

 エンジンはあるが遊覧するだけなのでうるさいのは使わないことにした。


「あんたは一体何が欲しいんだい」


 言われてみて即答できなかった。


 ――金も地位も名誉もいらんな、妻も……不幸を呼ぶから遠慮するとして、俺は何が欲しいんだ?


 暫し沈黙のままゆっくりと湖面を滑るように進む。

 真面目な答えを求めているわけではないのだろうが、それにしたって口から言葉が出てこない。


 妙に複雑な顔をしている島を見て彼女は葛藤が何かを察して一つの提案をする。


「日本語を教えちゃくれないかい」


「え?」


 全然違う方向に話が飛んだものだからあっけにとられる。


「あんたに必要なのは何の気も使わない時間だよ。この仕事が終わったら遊びに行けばいいさ」


 どうせあたしも行くんだから言葉を教えろって言うわけさ、と展望を明らかにする。


 ――そうだったのか……。


「実は昔に日本の札幌という場所に任務があり訪れたことがあってね。ちょうどお祭りをしていたがとんぼ返りだった、それを観光に行きたいな」


 かれこれ十年は前だなと思い起こす。泊まる場所がなくて由香の実家で。


 ――ザンビアにまだいるかな、ジャーナリストとして未だに頑張っているなら今回の顛末を扱わせてやれはしないだろうか。


 一瞬そんな考えをしたのが顔に出たのだろうか、レティシアの視線が鋭くなる。


「じゃあそれに行こう、リオのカーニバルみたいなものかい?」


 他の女性のことを浮かべていたのを直観したんだろうか、任務についての思考を中断させようと話題を振る。


「いや大分違うな。市民や軍が造った像などを観覧するような祭りだよ」


 軍と説明をして少し躊躇して単語を変えようとしたが、まあ構わないかとそのままにしてしまう。


「彫像を?」


「雪像さ。雪国で冬の祭典ってわけだ」


「ネーヴェ!」


 ついポルトガル語で雪と声をあげてから、ネージュとフランス語に言い直した。

 早速島が日本語では雪だと教えてやる。


「冬の気温が摂氏でマイナス二十度あたり、華氏で……マイナス四度か」


 ブラジルが摂氏だったか華氏だったか俄にわからずに両方で示す。

 アメリカあたりは華氏が使われており、今日は百度で暑いなどの会話が聞こえたりする。

 換算には大体だが華氏から三十二を引いて半分にした値を一割増しをしてやると近似する。

 だから百度だとおよそ三十七度が算出される。


「そいつは人が生きていける温度なのかい」


 赤道付近で生まれ育った者には想像もつかない数字だけの世界に聞こえてしまうが無理もない。

 逆にシベリアで赤道直下の温度を言えば耐えられないとこぼすに違いない。


「百万人からの人口がいる大都市だからな、どうとでもなるらしい」


 百万人越えの都市の世界の北限が札幌であるので、ぎりぎりの生活環境なのは事実なのだろうが。


「雪に触れたことが無いんだ、今から楽しみだよ」


 にっこりと笑顔を見せる、これだけならば女海賊も悪いものじゃないなとギャップを楽しむ。


 ボートの下を魚らしき影が泳いで行く。

 人々の喧騒も湖の上にまでは届かないらしく無音空間が生まれる。


 手を休めて横になり空を眺める。自分がどこにいるかもわからなくなりそうになってしまう。


「俺がやってるのは無駄なことじゃないかと心配になるんだが――」


 空を見上げたままぼそっと呟く。


「無駄じゃダメなのかい。別にご大層な結果を必ず残さなきゃいけないわけでもないだろ」


「そんなものか?」


「文句を言うやつが居たらあたしが叱りつけてやるよ、じゃあお前がやってみろ! ってね」


 なるほど、と納得して目を瞑る。陽射しは焼けるようだが湖面からの涼やかな空気が体を適度に冷やしてくれて心地好い。


 足を叩く感触に目を開けてみるとレティシアがしかめ面をして指差している。

 身を起こしてその先に沿って視線を向けると、小舟に乗った黒人二人が近付いてくる。


「大佐、護衛なしでは危険です」


「ああすまんな、ちょっと静かな場所で横になってみたくてな」


 エーンが乗り移ってきてエンジンに点火する。


「岸に戻ります」


「頼むよ。それとこれから街の洋服店に行くんだが――」

「お供します」


 即座にそう言われて、だよな、と認める島であった。


 戦闘服から私服に着替えさせ、ボロのジープで街へと繰り出す。

 同行は黒人二人で遠巻きに潜む護衛の数は島やレティシアすら知らない。


 中心部だけは政府の支配下にあるように見え、警官がちらほらと見掛けられる。

 実際に争いになればとめだてするわけではなく逃げ出すだろうが。


 店舗の品揃えは悪かった。買い物を楽しめるだけの質も量も不足している。

 すかすかの商品棚を一応は見て回り、今よりは幾ばくかましな衣服を手にしてコンゴフランの山を支払う。


 公定レートは九百コンゴフランで一アメリカドルになってはいるが、やはり背景に不安があり名目と化していた。


 黒人が好む原色丸出しのが人気で、好都合なことに控えめな色調の服が残っていたので手にする。


 ――多少の高値は目を瞑ろう。


 金より大切な何かがあると勝手に納得してカウンターに持っていく。

 警戒した眼差しを向けられるも無表情でやり取りを終える。


 レティシアは特に気に入るものがなかったようで足早に店を出てしまった。


「補給に混ぜるようにしてみるか」


 どちらとも返事をすることなく、近くの宝飾店に向かう。


 洋服店とは正反対、そこには様々なサイズの貴金属が豊富に並べられているではないか。

 カラットもクラリティもクオリティも満足いくが、やはりカットにはもう二つ三つの技術が欲しい。


「大きいのは後々だが、好みのがあればプレゼントするよ」


 気をきかせたつもりが目を多少細めて不満な表情をちらつかせる。


 ――おっといかんいかん、ロマノフスキーに叱られちまうな。


「俺としては……このイエローダイアモンド、このイヤリングなんて似合いそうだと思うが」


 軽く想像しただけでわかるわけもないが、そう簡単な所見を口にした。


「そ、そうか? じゃあちょっと着けてみる」


 イヤリングを引ったくる勢いで手にして、片方の側だけ髪をかきあげる。

 褐色の肌に黄色がかった輝きが映える。


「うむ、こいつはいいぞ」


 ぱっと表情が明るくなり、対になるもう片方も耳につける。


 ――機嫌を損なわないうちに撤収しよう!


「店主、こいつをもらうぞ」


 現金しか信用しない店主だが、コンゴフランを出そうとすると渋い顔をされてしまう。


「アメリカドルは使えるかい?」


「もちろんです旦那!」


 苦笑して全てをドル払いに切り換えて渡してやる。

 笑顔一杯でそれを受けとるとご丁寧に店の外まで見送ってくれた。


 ――雑貨は高騰激しいが貴金属は信じられないほどの捨て値だぞ。やはり国外持ち出しが鍵なんだろうな。


 空港や港で検閲を受ければ持ち出し禁止で没収されてしまう。

 ラオスあたりのルビーと似通った扱いになるはずなのだ。


 産出証明なり売買証明がなければ闇品として流通にも規制がかかり、結果換金が困難になる。

 もっとも個人消費にはなんら無関係である。


 基地に戻っても終始にわたり機嫌がよく、通信室の英雄として島が感謝されたのは部員らの秘密であった。

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