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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第三十六章 軍閥とエスコーラ、第三十七章 テト・パラグアイ

 パラグアイに入り四ヶ月目になろうとしていた。

 大使館分室のデスクをしばし留守にして、エンカルナシオンにやってくると自身の勢力拡張に力を注いでいる。


 ここには鉄鉱石鉱床があり、精錬工場も設置している。チャコからの鉱石が入るまではこちら原料のみが加工の材料なのだ。


 工場の警備は正規軍だけでなく、それの補助と銘打ち義勇軍からもパトロール部隊が派遣されていた。

 最初のうちこそ少数であったが、最近は四人に一人位の割合で義勇軍が混ざるようになってきている。


 エンカルナシオンだけでなく、アスンシオンでも募集を行っていた。特に首都ではパラグアイ人以外、つまりは外国人居留区での勧誘に力を注いでいる。

 程よく人種を混ぜることで特定集団での戦意喪失や裏切り、不得手を対策しているだ。

 言語についても自然と母語を別とした者同士が、教師となり生徒となっていた。


 百人近い数を集めたは良いが、給与の支払いは不正利得の一部を使用している。何とも危なかしい状態ではあるのだが、ようやく様々な自由の幅が出てきたと訓練を眺めていた。


「大佐、本国よりコンテナが届きました」


 武器その他一式が、ニカラグア政府から大使館宛に送られ、そっくりそのまま首都から輸送されてきた。

 これが未着では一大事になるため、わざわざ非番の警備兵を臨時でアルバイトとして雇い、ロマノフスキー少佐に指揮させて陸路運ばせた。


 アメリカ空軍基地司令からは色好い返事を受けたが、パラグアイ軍に対する攻撃要請だけは受理できないと、明確な一線を敷かれている。


「遠路はるばる宅配に参りました」


 戻った少佐が笑顔で敬礼をする。

 島も答礼してから握手をし、無事に輸送任務を達成したのを労う。


「こんな任務に駆り出してすまんね」


 輸送や後方の任務は軽視されがちであり、二線級の役割だと考える将校が山ほどいる。

 そのため補給を蔑ろにして敗れた事例には事欠かない。


「これは生命線ですからな、広い視野で見れば小官がやらねばならない最優先の任務だったと自負しております」


「実は俺もそう思ってたんだ。中身を確かめにいくとしようか」


 側近らを従えて、二階建ての仮司令部の階段を下って行く。


 外交官の赴任荷物と一緒に空輸されたコンテナは、一切の税関処理を受け付けずに入国を果たした。

 むしろ大使館の二等書記官がおまけとの話であり、当人には悪いが来月には帰国させる予定になっている。


 島の命令で封印を解いて内容を確かめる。目録は先に手元に届けられていた為、紙切れをブッフバルト上級曹長に手渡し検品させる。


 軍曹らが仕訳を行い、まずは数がきっちり入っているかを確かめて行く。


 ――どれもこれも旧式だが無いよりはマシだろうさ。


 性能は数が揃ってから考えようと、何せ廃棄寸前のものまで詰めさせたのだ。


 銃器は一つずつ全てを状態確認して行く、この作業を省略することは決して無い。

 弾丸は抽出検査で火薬が定量封入されているかを確かめる。


 三十分程で全てをチェックし終えて、使用に耐えないと破棄する小銃が二丁脇に避けられた。


「報告致します。リストより二丁欠、状態確認完了致しました」


「よし、上級曹長に武器の管理を任せる、部隊に配布するんだ」


「ダコール」


 今まで、グロック、プレトリアスがやっていた兵営の責任者をブッフバルトが行う。

 管理的な面や教育について、ドイツ人程の適任者は中々居ない。


 上等兵への引き上げ権限を与えて、同じ道を歩ませようとしておく。


「少尉、部隊に武器が供給されたら反乱者の目もでる、護衛隊も独自に増員して構わん」


「軍曹らに徴募させたうち、パラグアイに忠誠を誓っていない外国人から採用します」


「任せるよ。伍長までの指名権限を少尉に付与する」


 将校任命権限は本国が持っているが、下士官以下の任命は司令官であるイーリヤ大佐も持っている。

 兵の任命に至っては、将校らの基本的な権利の一部に含まれている。

 無論そのように本国司令部に報告を行わねばならないが、余程のことがなければ却下されることはない。

 指名手配犯であったりしない限りは、である。


「臨時雇いですがね、ちょっと気になるやつが居たんですよ」


 ロマノフスキーが思い出したかのように漏らす。タイミングを見計らっていたのだろう。


「気になるとは?」


 無駄なことを話題にすることがないと信じている島は、少佐が要注意を示す人物に興味を持つ。


「即戦力というやつですよ。元アルゼンチン陸軍少尉らしいです、詳しいことまでは聞いてませんが、訳ありでしょうな」


 自分達も大いに訳ありだが、と笑いながら後の判断を島に委ねる。


「そいつの名前は」


「サルミエ、ディアゴ・サルミエ元少尉です」


 ロマノフスキーが心なしかニヤリと笑ったのを見逃さなかった。


 ――はて退役少尉ではなく、元少尉とは微妙な言い回しをしてきたものだな。


 だが昔に島自身がハウプトマンにロマノフスキーを説明するときに、元少尉と表現したのを思い出した。


「後で面接してみよう。プレトリアス軍曹、そいつを仮司令部で待機させるんだ」


「スィン」


 目が合った軍曹にそう命じておく。何時間か待たせてから話してみようと、わざわざ書類整理をすることにした。


 日が傾いて警備が交代する頃に、ようやくサルミエは控え室から移るように命じられた。

 部屋には黒人の軍曹が無表情に待機している。


 ――あれはさっき呼びに来た軍曹か?


 首を捻るが男は何ら動きを見せずに黙ったままである。

 軍曹が起立では二等兵のサルミエが着席するわけにもいかず、椅子とテーブルがいくつかあるのに二人とも立ったままでいた。


 更に三十分は経過した頃に奥の扉が開いた。

 起立している軍曹そっくりな黒人の少尉が現れて上官を迎え入れる。


 バラグアイ人のように見える三十代位の男が、事もあろうに大佐の制服をきてやってきた。

 更に驚いたのは後ろから、これまたそっくり黒人軍曹がもう一人ついてくるではないか。


 ――黒人の見分けがつかんな、これが戦場なら致命的なことだ。


 大佐が椅子に腰かけてゆっくりと視線を向ける。

 すると弾かれたかのようにサルミエが口を開く。


「申告します。サルミエ二等兵です」


 軍属として現地司令官裁量で雇いいれた為に、名目上はニカラグア軍人である。

 事実上は島の私兵に他ならない。


「義勇軍司令官イーリヤ大佐だ。少し話を聞きたくてね、まあ掛けたまえ」


「このままで結構です。何なりとお聞き下さい」


 アルゼンチン軍に居たときも大佐と直接話をすることは無かった。その為かやや興奮気味である。


「そうか。では経歴を」


「はっ。アルゼンチンのブエノスアイレス士官学校を卒業した後に少尉で任官。脱走してパラグアイに居留していたところ、募集があったため志願しました」


 もっとも大切な部分を省略しているが、まずは概要をといったところだろう。


「なるほど。何故脱走したのかね」


「自分の上官を殴り飛ばして負傷をさせたからです。その為、家族を連れて国を脱しました」


 ――だからと簡単に国や経歴を捨てるのは余程の理由なわけだが、後で裏をとるとして実直なもの言いは悪くない。


「気分で殴ったわけじゃなかろう、理由は? 喋りたくなければ黙秘でも構わんが」


「自分には家族が妹一人しか居りません。上官が妹を強姦しようとしたためそうしました」


 悪びれることなくそう語る、中国では部下に関係を強要するのは当たり前位な話ではあるが、アルゼンチンはまだ正常らしい。


「そうかサルミエ、君は優しいな」


「え?」


「俺ならそいつを許しはしない」


 決して声を荒げたりはしない、ゆっくりと静かにそう喋る。サルミエは思わずその威圧感に生唾を飲み込んでしまう。


「それで勤務証明がないため二等兵と言うわけか。この先にまた軍人になるつもりはあるか」

「あります」


 間髪いれずに答える。辞めたくて辞めたわけではない、状況がそうさせたのはわかるが、己の行為が選択肢を狭めた結果は否定できない。


「それがアルゼンチン軍以外だとしても?」


「アルゼンチンで軍に逆らっては二度と戻ることは出来ません」


 軍事クーデターがしょっちゅう起きるくらいに不安定で、そのくせ軍の影響力が強い地域なのだ。


「理解言語は何かね」


「スペイン語、イタリア語、グアラニー語です」


 元々アルゼンチンのスペイン語はイタリア語の影響を強く受けている。イタリア人のグループが住んでいる地域もあるため、サルミエはそのあたり出身なのだろう。

 南アメリカのグアラニー語は現地語として、ほぼどこでも通用する。


「サルミエ、君が良ければ俺の部下にならんか」


 既に義勇軍の一員であるのに今更そのように言う意味を少し考えてしまった。


「それは……今もそうですが?」


「まあ、それはそうだな。側近候補といったところだよ。軍曹で抱えて、もし互いに良ければ将校で引き受けるぞ」


「除隊証明も取れず、本国からはお尋ね者ですが」


 それを将校にするのは大変な話である。だが島はそれを逆手にとった。


「もしサルミエ少尉が指名手配ならば将校だった証拠だよ。過去よりも未来が大切だと信じている口でね。何より俺自身があちこちでお尋ね者だよ」


 雰囲気を和ませる為に軽口を叩く。

 脱走した当人としては願ってもない厚遇である。


「是非ともお願い致します! ですが大佐が指名手配とは?」


「なにそのうちわかるさ。ではサルミエ軍曹、配給係に言って新しい階級章を貰ってくるんだ、配属先はロマノフスキー少佐、ブッフバルト上級曹長に指示を仰げ」


 胸を張って敬礼すると、足音も軽く部屋を出ていった。


「少尉、アルゼンチン軍に確認をしておけ」


「ヤ」


 とある高級リゾートマンションの一室、男共が集まり何やらしかめ面をしている。

 その中で一人だけは悪くなさそうな表情をちらちら見せていた。


「そうか上手いこと乗ってきたか。しかし四割とは貪欲な奴だ」


 自分を棚に上げてしまい、他人をそう評した。この場に居る全員が大なり小なり頷いている。


「全くです。何もやらずに分け前だけ寄越せとは、盗人猛々しいとはこのこと」


 本来ならば怒りを表すべき口調になるところでついついにやけてしまう。

 失敗したら河に浮かんでいただろうことがある反面、組織に多大な利益をもたらせば幹部の椅子が用意されるのだから。


 他の候補に水を開けて、単独で副の席を掴むまであと少し。


「もう二度、三度続けて安心させてから次の段階に進めるんだ」


「わかりましたボス。そのうち税関長を引き込んで、往復ビンタで儲けを出します」


 更なる展開を明かして自身の重要性を協調する。


 どこの国でも税関職員は虎の子の精鋭職員を置いている、その為に切り崩しは容易ではない。その上、税関長となれば大変な話である。


 ゴンザレスの陽光とは反対側、ボスの冷たい視線が残りの者に突き刺さる。


「お前達は何かあるか」


 興味がほとんど無いかのようについでに聞いている感じがした。


「イーリヤ大佐についてですが、幾つかわかったことが」


 ゴンザレスに一矢報いる為に、バレイロが口を開いた。


「何だ言ってみろ」


「はい。前後は不明ですが、ニカラグアでクァトロという反政府武装組織を率いていたようです」


 どの時期かによるが、現在軍人なのだからサンディニスタ政権と戦ったのだろうと判断した。


「見事政権を転覆させて若くして大佐様か。野心家のようだな」


 アウトローの形としての一つの理想である。正義を押し退けて自らがルールとなるのだ。


「そこまでの人物が果たして金目当てとはいえ、パラグアイまでわざわざ赴任するでしょうか?」


 バレイロの言葉を多角的に吟味する。

 ――国内で搾取したほうが安全に稼げるのは間違いない。外国へ飛んだ理由はなんだ、パラグアイへ行く利点を考えるんだ。

 大豆を主とした農産品以外、特にあそこにあるものは?


 幾つか考えてみるが、これといった産業が無い以上は、人間そのものであったり、麻薬の類いが該当するだろうとあたりをつける。


「ふん、お前にもチャンスをくれてやろう。イーリヤ大佐が何をたくらんでいるかを探れ。ガセを掴んだら……わかっているだろうな」


「勿論ですボス」


 そのやりとりを聞いていたゴンザレスが早速妨害に入る。


「現在良好な関係にヒビが入るとかないません。組織の人間を使わないで調査していただきたい」


 余計なことを言うなと抗議の視線をありありと向けるが、そんなことに気をかけるものではない。


 互いの競争心を煽るのは良いが、結果として組織の為にならねば意味がないと裁定を夢想する。


「バレイロ、お前は組織の者を一切使うな、自身も名を明かしてはならん。代わりに二十万レアルを渡す」


 軍資金でもって独自の繋がりを作れと命じられる。これは考えかたによっては個人的な部下やルートを確保できるために悪い話ではない。


「必ずや掴んでみせます、そして敵であることを暴いて後に新たな命令が下るのを楽しみにしております」


「俺を失望させるなよ」


 初めからずっと喋らずに話を聞いているだけの男が、明かすべきか否かの重大なヒントをどうするべきか迷った。


「どうしたディド」


 ボスがその中年に訊ねる。他の二人と違い、組織を動かす以前から長いこと補佐についていて、昇格を望まずに支え続けると、言葉と態度で示していた彼にはきつく当たることが少ない。


「いまふと思い出したのですが、イーリヤとの名前に思い当たることがありました」


 前々からもやもやしていたが、これだとはっきりしないので口に出すことは無かった。だが急に浮かんできたのだ。


「何だ言ってみるんだ、不確かでも構わん」


 バレイロも何かの足しになるかもと身を乗り出す。


「はい、今から一年か二年前の話です。ハポンでブラジルからの麻薬密売ルートが一つ壊滅しました。あちらはリューオーカイとか言うヤクザのギャングスターでした」


 皆が少し前に確かにそんな話があったなと記憶を呼び起こす。

 詳細はわからないが、そんな事実があったと業界では話題にあがっていたのは間違いない。


「あった……はずだな」


 そう認めて話を促す。


「そのリューオーカイを壊滅させたのが、一説ではイーリヤという中佐だったとか」


「ハポンに居るのはアメリカ軍だけじゃなかったか?」


 話の矛盾をさぐろうとゴンザレスが指摘する。少なくともニカラグア軍は居ないし、居たとしても部隊を率いていることはないはずである。


「ええ、アメリカ海兵隊の話だったはず」


 素直に認めるため、それ以上は口を突っ込まなかった。


「軍を移籍することもあるだろう。調べたらわかるはずだ、バレイロ、参考にしておけ」


「はい」


 もしそれがニカラグア人ならば、そうそう何人も同じ名前の佐官がいるとも思えないため、同一人物だと見て構わないだろう。

 そしてニカラグア政権転覆と併せて考えたら、近付かないのが正解と言えるかもしれない。


 だが逆に付き合うことに成功したならば、それは巨大な利益を産むと同義である。


 組織として一皮剥けるかどうかの大事な岐路に立たされている、漠然でしかないがそう感じるのであった。


 仮司令部、名前こそ大袈裟なものだが民家に毛が生えたようなものでしかない。

 銃弾は貫通するだろうし、迫撃砲でもあっさり倒壊するだろう。


 そんな見立てから、プレトリアス少尉がせめてもの防備だと屋根に土を盛ろうとして止められた。

 重量が有りすぎて圧壊の恐れがあると、現地生まれの兵士に指摘されたのだ。


 ヨーロッパやアラブの影響を受けている地域では問題ない耐久性であっても、パラグアイのような内陸ではそこまで頑丈に建造されていないらしい。


「司令官室は地下に造営します」


 一方的にそう宣言してさっさと穴を掘って工事を始めてしまった。

 コンクリートが強度を発揮するのには、速乾性でも一日や二日はかかるもので、通常のものでは七日は待たねばならない。

 それなのに工事を始めてからたったの十日で完成させてしまった。


「おいこいつは驚きだな、どうやったんだ」


 中を確かめながら少尉に種明かしを求める。


「予め強度を持ったべトンのプレートを重ね合わせて中心の養生時間を省略しました」


 工場を建てたときのブロック工法を真似たらしい。


「利点はわかった。欠点は?」


 それが使われない理由も知っておけば、選択肢として今後も出番があるかも知れない。


「あまり大きな建築物には適しません。また結着度合いが悪く長持はしないようです」


「どのくらい?」


「五年以上は心配ありません」


 一般的にはコンクリート構築物の耐用年数を五十年などと定めていたりする。それを考えるならば、確かに五年では話にならない。


「俺達なら全く気にならんな。他には?」


 そんな長いこと居るつもりは全くないと、何か致命的な部分がないかを探る。


「二度手間になるため費用が割高です。最高硬度が発現しません。寒冷地では損耗の度合いが高くなります。何よりこれだけあって工期が六日間短縮されるに過ぎません」


 ――じゃあ何故急いだんだ、という部分になるわけだが。


 これといった危険報告は受けておらず、概ね順調の日々を送っていた。

 それを聞いてから始めても間に合わないのが理由だろうと推察する。


「変な話だが、俺の安全はお前に任せている。今後ともよろしく頼むよ」

 微かに笑みが見え隠れした。


 街の中心部は比較的治安が良かった。理由は正規軍の数が少ないからであるというのが、恐らく大多数の国とは正反対であろう。


 エンカルナシオンはパラグアイ河の東側、パラグアイの最南端にある国境の街である。

 すぐ南はブラジル領であるため、軍があまり近寄らないのだ。


 警備のために最低限は駐留している、だがブラジル軍と揉め事を起こす危険と密入出国の類いを天秤にかけると、どうやら後者の問題は軽いらしい。


 そんなこともあって、島は酒場に繰り出していた。

 プレトリアスは気をきかせて隣のテーブルで飲んでいる。


 真っ昼間だろうと飲みたいときに飲む。世界の真面目なビジネスマンが聞いたら溜め息を漏らすだろう光景が広がっている。


 島の隣のテーブルでも、肌に張り艶がある女性がジョッキを傾けていた。


 ――随分と勇ましい飲みっぷりだな。二十代は過ぎた辺りだろうが、見事な健康美だよ。


 そんな島の視線に気付いたのか、ビール片手に席を移ってくる。


「何だい見てるだけで満足? 男だったら声かけるのが礼儀だろ」


 ドンとテーブルにジョッキを置くと、はち切れんばかりの胸を揺らして座る。


「セニョリータの美しさに言葉を失ってしまってね。午後の一時に乾杯」


 そう言って軽く酒を掲げてから一気に飲み下す。


「あんたはこの辺りの者じゃなさそうだね。喋りに芯が据わってない」


 ――俺のスペイン語じゃそうだろうな。かといって相手のがわかるわけでもない。


「ご明察、仕事でやってきてる。イールだ、セニョリータは?」


 フランス語でならば自然と会話も可能だろうと、名乗りをフランス風に改めて行う。


「レヴァンティンだよ。イールというとフランス?」


「ウィ、マドマァゼル」


 冗談めかしてフランス語で答える。


 ――レヴァンティンというとコロンビア系の姓だったな。


「モン・イールはポリースのようなことをするな、口と頭は別の動きをするらしい。まあ単純な男はベッドでもつまらない」


 驚くことにフランス語で返された。お世辞にも上手とは言えないが、過不足なく意味が通じるのだから大したものである。


「何なら試してみるかい、妻に先立たれてから縁がなくてね」


 売り言葉に買い言葉というのだろうか、別に女が欲しい気持ちはまだないのだが、ついそう返してしまった。

 男を捨てるつもりはない、さりとてニムの顔が頭から離れない。


「大した自信家だ、仕事は何を?」


 興味を持ったらしく話を振ってくる、正直に答えを聞かされるとは向こうも思ってはいまいが。


「あちこちに工場をぶっ建てるのが今回の仕事さ。余りにつまらないから酒を飲みに出掛けてきた。何せ俺は建築なんてわからんからな」


 だからわかるやつを雇って眺めてるだけさ、と愚痴を溢しては酒をあおる。

 間違ってはいないが、到底正解というには程遠い。


 そこそこに客入りがある店に誰かを探してやってくる男がいた。ボス! と声を上げてテーブルに向かってくる。


「何事だ」

「何だい」


 期せずして声が重なってしまった。二人で顔をまじまじ見詰め合ってしまう。


「ああうちの部下と間違った、君のとこのようだな」


 公衆の面前でボスと叫ぶような、配慮が足らない奴を派遣するような部下は島には居ない。

 一方的に見知っている奴がそうしないとも限らないが。


 おっつけやってきて二人組がレヴァンティンの前で何事かを報告する。

 隣に居る島を警戒してか、スペイン語を回避して少し早口の英語で。


「ボス、またフォルモサ周辺隠し鉱脈で手入れを受けました」


 素知らぬ顔で酒を飲む島をチラッと見てから彼女が渋い顔で答える。


「奴らの妨害じゃないのか、三ヶ所目だよ。どの筋から漏れたか大体見当がつきそうなもんだ」


 眉を寄せて吐き捨てる言葉から朧気に状況を推察しようとする。


「ペドロのとこでしょう、自分の手を汚さずに嫌がらせをするのは」


「違いない、あのインポ野郎の薄汚いやり口にはうんざりするよ」


 若い女性が口にするような言葉としては極めて不適切な単語である。


「腹いせにイガティミのカンパニーを茶化してやりますか?」


 ――イガティミだって? もしかしてブラジルのギャングスターの話じゃないか。


「最近どうやってか正規ルートで拡販してるらしいじゃないか、そいつを潰してやればアホ面するだろ」


 物理的にやるのか、法的にやるのかは全くわからないが、もし島の想像が当たっているならば、収入源が無くなってしまうことを意味する。


「正規ルートじゃ表沙汰になるだろ。やるなら裏の方がいい、訴えようがないからな」


 突如割って入る。それが島の為だったとは夢にも思わないだろう。


「イール、あんた英語もかい。参ったね素人が口出ししてるんじゃないよ」


「一般論だよ。大半が当てはまるからこその論理だ、無視は出来ないよ」


 報告にきていたうちの後からきた若い方の男が腰の後ろ辺りに手をやり、小さくレヴァンティンに声をかける。


「こいつを黙らせますか?」


 それはドイツ語だった。良く良く見ればどこか混血したかのような顔付きに見えなくもない。


「なに言われなくても黙るさ。邪魔者は退散しよう」


 平気な顔でそう言うとレヴァンティンが笑いだした。


「はっは、もしかしてあたしと同じ趣味なんじゃないかい?」


「趣味? 俺は腹いせで会社を潰すような趣味は持っちゃいないよ」


 あくまでそこに拘っておく、もし本当にルートを潰されでもしたら義勇軍の維持が覚束無くなってしまう。

 ギャングスターの話ではない可能性は多分にあるが、違ったなら違ったで問題ない。


「そいつはしないよ。あたしが言ってるのはそれ、言葉だよ。とんだマルチリンガルじゃないか」


 スペイン語、フランス語、英語にドイツ語を理解するなんて滅多に居ない。

 まずドイツ語自体が話者として少なく、それ以外も二種類までなら居住地域で説明がつくが、三種類になれば覚えるつもりがあって覚えた形になってくる。


「たまたまだよ。仕事が世界各地であるもんでね」


 目を細めて島を品定めするように視線を動かす。幾つかの条件が重なってずばりと正体を指摘する。


「イール、アイランド、イーリヤかい。あたしはレティシア・レヴァンティン、プロフェソーラと呼ばれることもある」


 ――なるほどこの女がエスコーラのプロフェソーラか! いい女じゃないか、少しばかり口は悪いがな。


「ルンオスキエ・イーリヤ、前にドクターなんて呼んだ奴も居たかも知れんな」


「さっきの答えだけど、試してみようじゃないの」


 テーブルに片手をついて顔を寄せる。


「何をだ?」


 わかっていてもそれを相手の口から言わせる。最早ゲームは始まっているのだと。


「ベッドでも幅広い隠し玉があるかを試すんだ、逃げるんじゃないよ」


 彫りが深い顔付きだが肌はきめ細かい為に、生粋のコロンビア人ではなさそうだ。きっとカルテルのボスあたりが、外国の女に産ませたのだろう。


「旦那が嫉妬するんじゃないのか」


「生憎とまだ独り身でね、その心配は要らないよ」


 双方の部下が何をどうするわけにもいかずに固まってしまう。


「女性に誘われて断ったとなれば、外を歩けんな。エスコート致しましょうミズ・レティア」


 差し出した右手に軽く添える――ではなく、がっちりと握ると立ち上がる。


「あたしのエスコートは軟弱者じゃ務まらないよ」


「無能者呼ばわりされないように努力してみよう」


 そう言うと互いに笑って「お前達は戻れ」と同時に命じた。

 今のこの二人にとってエンカルナシオンほど安全な街はない。むしろ狙う者が居たならば、表も裏も敵に回すことになり無事では済まないだろう。


 エスコーラの男達は連れだって消える二人を見送った後、テーブルに残るプレトリアスを見て「困ったもんだな」と呟きを残して戻っていった。


 レティシアが島の隣に腰掛けて笑みを向ける。


「最近じゃ正体をわかってノコノコついてきた奴はあんただけだよ」


 泣く子も黙るギャングスターの親玉と関係を持とうとするなど、狂気に陥っているのか、それとも余程の商売男でしかないだろう。


「俺は戦場以外で死ぬつもりが無いからな」


 腹上死では笑い話にされちまうよ、と天井を見上げた。

 大分昔に作られたホテルなのだろう、あちこちにガタがきている。


「しかし何だってこんな国に居るんだい。そんな根性があるなら戦争やってるとこに行けばいいじゃないか」


 普通は及び腰になる者ばかりで、戦場を求めているならば歓迎されるだろうと言ってくる。正論とはこのことだ。


「恩返しだよ。ここが終わればそうするさ」


≪削除記録J≫


≪削除記録K≫


「恩返しって?」


 おもむろにそう問い掛ける。知られたところで何がどうなるわけでもないと、つい先日の出来事を話してやる。


「妻がテロで死んでね、仇討ちをしてきたんだ」


「犯人相手に?」


「いやテロ組織自体を壊滅させてきた」


「なっ!」


 言葉にしようとするが上手く表せずに短い声を発した。

 レティシアにして想像の範囲を越える答えを得てしまい驚いているのがわかる。


「その際にニカラグアから有形無形の援助を与えられてね、これを返す方法がわからずこうして働いているわけさ」


 イーリヤ大佐を知っているならは、全権委員などについても当然把握しているだろうと間を省略する。


「たかが女一人の為にそこまでやるかねまったく――」

「やるさ。俺は俺が愛する者を侵す奴がいたら決して許しはしない。地球上のどこに居ようと、必ずや探し出して葬ってやる」


 部屋の壁を見ながら恐ろしい言葉を口にする。

 彼女は口を半開きにしたまま暫く島を信じられないような顔で見ていたが、ふと気付いて我にかえる。


「愛する者の中にあたしも入ったかい」


「好きでもないやつと肌を合わせる程、人生はそう長くは無いだろうな」


「嬉しい」


 それが嘘であっても、その場だけの言葉であっても。

 レティシアは産まれて初めて自分よりも強い男に出会った気がしていた。心が触れた瞬間である。


 目を閉じた、互いに足りない何かを求めて惹きあい始めたのを感じながら。


 首都の大使館分室に残してきているオズワルト少佐から連絡が入っていた。

 いよいよチャコから鉱石の運搬準備が整ったと。


 鉱床から河を使ってパラグアイ河に合流、そのまま南下してエンカルナシオンへは陸路としていた。

 幾らか精製が上手く行けば、その利益でチャコに一次工場を増設する予定になっているようだ。


 一次工場とは、採掘した鉱石から無駄な石部分を大雑把に取り除く工程を担当する。

 これにより含有二割程度の鉱石が、含有八割あたりにまで引き上げられ、輸送コストがカットされるとの仕組みである。


「向こうは少佐に任せておけば良かろう。俺は裏事情を何とかせねばな」


 報告書を携えてきた者を下がらせて、書類をデスクに納める。


 ――工場の組み立てに三ヶ月位はかかるはずだ、今回のエンカルナシオンでの出来映え次第で、借り入れをさせてでも先行増設させたほうが良いかも知れんな。

 そうなれば向こうの警備と、河船の警備を増やさねばならなくなる。海軍に出してもらうとしたらまた調整が必要になってくるな。


 あまりに政府とくっつきすぎるのは良くないだろうと、河川警備を雇うか育てるか選ぶことにする。


 いずれにせよ投機を受けた資金は限界まで企業に振り向けたので、固定的な支出と大規模な予算が出るときには注意が必要である。

 小出しにしていては上手くいくものもたち行かないと、まるで予備兵力を投入するかのように一気に勝負を仕掛けていた。


 ――育てるにしても船や要員が要るな。軍艦がやってくるわけじゃない、小型のボートに載ったやつらが、ロケット片手に脅迫してくる程度だ。

 川沿いの船乗りと失業者に役割を与えてみるか!


「先任上級曹長を呼び出せ」


 地下の仮司令部へやってくるように伝えると受話器を戻す。

 程近くに居たようで、ものの十分で姿を見せた。


「グロック先任上級曹長、出頭致しました」


 馴れた動きでいつものように敬礼する。映像に収めればそのまま訓練教材に使えるだろう。


「よもやとは思うが、船の指導経験はあるか?」


「船舶の護衛警備でしょうか? それとも航行や機関についてですか?」


 意地悪く両方だと言ってみようと思い辞めておく。この手の誘導に昔引っ掛かった覚えがあったからである。


「警備だよ。チャコから鉱石を積んだ定期船をな」


「それならば指導経験があります。もっとも小型船舶程度ならば航行も整備も可能ですが」


 ――やはりな! 俺で軍歴十二年だが、その二倍以上軍務に就いているわけだから、物凄い経験だ。


「現在の職務を解く。新たに命じる、河沿の有力者を説いてまわり船舶護衛部隊を設立する下準備を行え。可能な限り失業者を雇用するんだ」


「ダコール」


 この返事があれば全て上手くやるだろうと、悩みが一つ解決したのを喜ぶ。

 だが珍しくそのまま去らずに、何か意見したそうに間合いをとってきた。


「どうした、何かあったか」


「はっ、いえ何でもございません。失礼致します」


 そそくさと去っていく後ろ姿を見て、何があったやらと首を傾げる島であった。


 隣室に控えている少尉を招いて先日の話を確認する。


「してサルミエについてだがどうだった、アルゼンチンは何か言っていたか」


「脱走兵として指名手配されていました。ですが原因の詳細は教えられないと」


 ――そりゃそうだろう。かといって簡単に信用するわけにもいくまい、何かで本心を確かめねばならんな。


「解った、この件はここまでで良い。護衛部隊だが、納得いく仕上がりになったか」


 何か不足があれば都合してやろうと訊ねる。常にあるものでやりくりしようとする精神は素晴らしい、だが簡単に手配可能ならば我慢することもない。


「半年も訓練すれば問題なく。ただ、正直なところこのやり方で良いのか悩む部分もあります」


「もし内容について不明ならば、先任上級曹長を頼るんだ。あれは軍隊を体現したような者だからな」


 グロックが解らねばその時に初めて周りに聞いてみたら良いと助言しておく。


「相談してみます」


「よし、下がれ」


 次はどうしようかと考えているところに、コロラド曹長がふらっと現れた。


「大佐、ちょっと良いですかね?」


「おおコロラドか、構わんよ」


 また何か掴んだのだろうと期待の眼差しで曹長を見詰める。


「ブラジルのギャングスターですが、日本でのリューオウカイが壊滅した事件について俄に調べ始めたそうです」


「あれか、俺の名前が出るのは間違いないな」


 ――すると奴等はどんな行動に出るだろうか。ルートを潰されたとこは仕返しの好機だと刺客でも放つかも知れんな。


「パンデモニウムでは大佐の懐柔派と排除派に別れているようです。恐らくはその排除派が過去を調べようと動いてます」


 どこをどう調べてきたのかかなり納得いく筋書きである。


「そいつは正しい判断だね。何せ俺は深く長い付き合いはするつもりがないからな。精々消されないように注意しておくよ」


 苦笑してどのように付き合いを解消するかは未定だと付け加えた。


「それと、パンデモニウムはエスコーラと敵対していて、小競り合いが行われているようです」


「そうらしいな。ペドロとか言うボスが陰湿だとかで、プロフェソーラが毛嫌いしてるのも一因だろう。早晩衝突は避けられんな」


 自信満々でそう断言する。不思議そうな顔でコロラドが、そこまで言った根拠を教えて欲しいと乞う。


「簡単なことだよ、プロフェソーラに直接聞いた」


「ボス……そいつは危険すぎる話ですぜ」


 島もそれには同意した。裏切りが日常茶飯事な世界である、いつ襲われるかわかったものではない。


「反省はしてるが後悔はない。それにしても毎度よくも調べてくるものだな、お陰で取捨選択が有利になる。お前には感謝している」


「へっへっ。こんなことことしか出来ませんがね」


 照れてしまいにやけた笑いをする。

 島の中で大筋が決まった、その後にコロラドに何をさせるかを考える。


 ――仮に全てが上手くいったならば、どこに問題が出てくる?

 大統領の支持率はあがるだろうが、中将らの懐具合は悪くなっちまうな。だがそんな奴でも軍隊を抑える役割は果たす、妥協ラインは権益の額であって場所や方法じゃなかろう。

 チタンが上手く行けば金額だけは積み上がる、それを盾に握手を求めるんだ。

 手を握らざるを得ない状況にするには……。


 急に黙って視点が定まらなくなる。コロラドはそれを見て、始まったなと身動きせずに待つ。

 まぶたがピクリとして顎があがった。


「曹長、パンデモニウムが、いやカラフパラースィオがイガティミで麻薬を売り出したと情報を流すんだ」


「わかりました。ルートとしてはあるはずなので疑問としてはあれです、何故わざわざ儲からない仕事をパラグアイくんだりでやるか」


 少しでも正確に意図を推し測るために話ながら結果を想像する。


「ブラジルの陰謀だよ」


 笑いながら稚拙な理由を晒す。しかしながら民衆は信じたい話を信じるように出来ているものだ。


「普段からいがみ合う仲ならば、すんなり受け入れるのでは?」


 隣国なんてものは仮想敵の最たるもので、プラスになる部分は扱いは小さくなり、マイナスになる部分は過大に宣伝される。


「だとありがたい。これを、たまには遊んでこいよ」


 軍資金をドルとグアラニで手渡してやる。諜報は軍功に載らないため、度々足がつかない現金で報いる。

 喜色を浮かべて足取りも軽く部屋を出ていった。


 小さく掛け声をかけて椅子から立ち上がると、訓練場へと向かう。

 ふと動きが鈍くなったような気がしてしまった。


「……走るか」


 兵らが集まっている場所で意外な人物を見付けた。


「おいマリー中尉、警備を追い出されたか」


 笑いながら近づいて行く。


「司令官御自ら下々の者を視察ですか、眩しくて目が痛いですな」


 非番ですよ、と答えて島をからかう。

 この空気を作り上げるのが上の者の仕事とも言える。


 声を枯らして指導しているブッフバルトを眺める。初めは同時期に除隊した軍曹と伍長であったのだが、少し階級に隔たりが出てしまっていた。


「どうだ」


 曖昧の極みのような問い掛けをすると、マリーはこんなものでしょうと所見を述べる。


「警備目的ならば充分すぎます、むしろ兵が気の毒です」


 外人部隊とまではいかずとも、クァトロで反政府活動をしていた頃の勢いそのままで訓練をつけているのだ。

 兵には目安となるランクがあり、特殊作戦や独立行動が可能な精鋭部隊。敵陣に攻めこみ、それを撃破するための攻勢部隊。自勢力が確保する地域を守る守勢部隊。簡単な見回りを担当する警備部隊。輸送担当や未訓練の補充部隊である。


 それと比較すれば、気の毒の意味が理解できよう。


「まあそうかもな。だが攻めねばならん場所が出てきそうだ。出きるか?」


「小官ならばいつでも可能です。切り込み可能な部隊が一つだけでもあればより良いですが」


 そう言われて見てみると、確かに先陣切って踏み出すと言う勢いが感じられない。

 一斉に足がすくむようでは実戦でどこまでやれるか。


「中尉ならどう解決する?」


 そう話を振ってみてマリーの考えを探る。


「自分が前に出ても構いませんが、勇敢な軍曹を一人用意して任務にあたらせたいです」


 ――プレトリアス軍曹やアサド軍曹を俺が独り占めしてるせいで戦力不足したか?


「どの軍曹を使う?」


 戦闘部隊の前線指揮官である中尉に一任しようと指名させる。


「ビダ軍曹。彼奴なら間違いなくやってくれますよ」


 ――ビダ軍曹? はてそんなやついたかな。


 暫し考えを巡らせて、それがニカラグア軍の勇敢な戦士であるのを思い出す。


「本国に申請しておこう。無給じゃ悪いから、俺が給料を賄うと言えば送ってくるだろうさ」


 そう請け負ってから上級曹長のところへ歩いて行く、中尉もそれに従った。


「司令官、視察お疲れ様です!」


 ブッフバルトが島に駆け寄って迎える。


「ご苦労。突然で悪いが走りたくなった、準備するんだ上級曹長」


「了解です。背嚢もお使いください」


 くるりと振り返り、部隊に向かって「武装長距離走だ!」と怒鳴ると、兵士らが絶望的な顔をするのが見えた。


「さあ中尉も走るぞ」


「そうしますか。奴らが可哀想なので一つ飴を与えてきますよ」


 ブッフバルトのところへ行くと、マリーは「先頭十名に酒樽一つずつくれてやる、死ぬ気で走り抜け!」と声をあげた。

 兵士から歓声があがり生気がみなぎってくる。


 誰一人例外なく――大佐すらも――三十キロもの荷物を抱えて、上級曹長の号令を待った。

 「始め!」の声と共に五人ずつ一列になって駆け出す。


 長丁場になるため出発の差は全く気にならない。

 班は常に助け合わなければならない、先頭十名とは二つの班を意味している。


 ある程度走り出したのを見てから島らも動き出した。

 中盤から始まり、最後は先頭集団で帰着して褒美を繰り下げたのは言うまでもない結果であった。


 汗だくになり司令室に戻り缶ビールを一本空ける。


 一息ついたところでマリーとロマノフスキーが連れ立ってやってきた。


「爽やかな汗とビール、これに女が居れば言うことありませんな」


「健康そのものな組合せだ。冷えたやつがある、好きなだけ飲んでくれ、ドイツ人居留区で見付けた黒だ」


 そいつは試してみなければ、と二本取り出して片方をマリーに渡してやる。


「こいつはどうも。先輩方のご好意には勇気と忠誠でお応えしましょう」


「ビール位でそう言って貰えるなら、コンテナ満載で配って回るよ」


 笑いながら椅子の背もたれによしかかる。

 きっと今一番リラックス出きる面々だろうと、この時間を心地好く味わう。


「ボス、奴らですが三回目の取引を無事に終えました。不気味なものです。そろそろ何か仕掛けてくるんじゃないですかね」


 悪党が大人しくずっと真面目な商売をするわけがないと注意を促す。


「俺もそんな気がするよ。やるとしたらどんな嫌がらせをすると思う?」


 マリーの意見もと発言しやすいように声を掛けておくのを忘れない。


「大佐を誘拐して丸儲けなんて、かなり良い夢が見られそうじゃありませんか?」


「夢には多大な代償が漏れなくセットでついてくるがな。その警戒はプレトリアス少尉に任せるとして、誘拐自体はありえますな」


 テロリストビジネスと括るならば、恐らくはポピュラーな手法である。

 解放を前提としているならば、後は金額を折り合いつけるだけなので成功しやすいのもポイントである。


「もし俺が誘拐されたなら、テロリストに屈することなくミサイルをぶち込んで構わん。奴らの思い通りになぞさせてたまるか」


 不機嫌そうに断言する。目的の為ならば手段を問わない、その点だけは双方に変わりはない。


「実はそれらは可能性としては低いでしょう。やるなら密輸のルートとして、何等かの禁制品を混入させたりかと」


「麻薬ですか?」


 それならばコロンビアから幾らでも入るだろうと首を横に振る。


 ――通常では国境を越えられない何か、か。パラグアイで危険物を製造してブラジルに持ち込むのもあるな。


 品と言うから物と捉えがちであるが、動物や人間すらも範疇だと考える。


「俺らにとっては身近な物だが、軍用兵器も儲かるだろうな。それだからアメリカもやっきになって扱うわけだが」


 政府以外への販売が国際的に禁止されている。建前では民間の護身用が流通したりしているが、中には過剰な威力を持っていたり自動機能制限が解除されていたりと怪しいものもある。

 そんな中でも対空兵器だけはテロリストに渡らないように厳重な管理がなされている。


 もしこんなものを持っていたら、世界の航空機が人質になったのと同じ位の意味を持つからである。


「パラグアイで生産している空軍、海軍用の兵器は問題外ですな」


 いくら欲しくとも、粗悪な品や効果が見込めないものは闇でも売れない。


「陸軍といっても、殆どは買い付けしてると警備の少佐が漏らしていましたが」


 工業品は皆無だと中尉が記憶から引っ張りでしてくる。


 ――農業も工業も無しか、いよいよ生物の空気だな。いや待てよ、もっと大っぴらにやれる農産品があるな、世界中に流通している。しかしこれが国境を無税で越えたからとそんなに嬉しいものかね?


「ちょっと失礼するよ」


 そう断ると大使館に電話をかける。近隣諸国担当官を呼び出して一つ質問した。


「忙しいところ悪いね。葉タバコだが、ブラジルとの輸出入関税はどうなっているかな?」


 一つ二つ頷くと受話器を置いた。


「どうしたんです、タバコなんて調べて」


 わけがわからないとマリーと目をあわせてから島にと視線を戻した。


「一億ドルの品物を手配して、今はやつらは一千万ドルを節約していた。だが一億ドルのタバコなら、奴らはいくらの数字になると思う?」


 マリーが適当に二倍と言ってみてから、ロマノフスキーが三倍とつり上げる。


「十六倍だよ」


「そんなに違う?」


「本来は変わらない、だが保護貿易品なんだ。現在メルコスールの資格停止で輸出先へ持ち出せない原料がパラグアイでだぶついている、その上にブラジルでは加工場に空きが出来ているらしいよ」


 そうは説明するも、ブラジル自体が生産国としてアメリカ大陸随一なのであまりピンとは来ない。

 敏感にそれを感じ取ったのか、少佐が一旦違う話題にと切り替える。


「あれです、やられる前にやっちまいましょう。そんなに長いこと付き合うつもりはありませんよね?」


「そうだな、少佐が準備を頼むよ。手酷い火傷を負わせてやるんだ」


 対策するより遥かに確実だと同意する。最初からそのつもりだったので割りきりも軽い。


「チタンの目算がたったんですね、工場警備は自分が出来ますが輸送はどうするおつもりで?」


 もしそれもマリーが担当するならばと訊ねる。


「ああ時間が解決してくれそうだ。河川警備の下準備に先任上級曹長が動いている」


 それならば安心だと納得する。いざ仕事となると星の数より飯の数と表すほどに、通常勤務は軍歴の長さが物を言う。


 あれこれとやるだけやって終わりとの時期は過ぎたとばかりに、ロマノフスキーがその後の展開に気を回した。


「主目的である麻薬輸出の組織壊滅ですが、どうやってパラグアイ軍を除くおつもりでしょう」


 その部分は未だに島も悩んではいたが、着任した時よりは小さいながらも道が見え隠れしてきていた。

 軍を無くすわけにはいかないので、ニカラグアへの流出を抑える部分に着目した。


「軍に限らず官吏が汚職をしている。世界でも最高峰の腐敗具合を認定されているからな。そんな奴らが利権から手を離すには、やはり金だよ」


 わかるようなわからないような話を出して、自ら考えるようにと誘導する。

 二人は苦笑してから腕を組んで目を瞑る。


 ――この間に答えを用意せにゃならんな。


 沈黙が部屋を支配する。十分を過ぎた辺りでマリーが体勢を崩した。


「まずは中尉から聞こうか」


「他の部分で利権を与えたり、ニカラグアへの輸出のみを制限させる?」


「今の奴らが辞めても他の奴らがまた始めちまったら困るぞ」


 それもそうだと首を捻る。


「何も永久的な話じゃなくていい。二年や三年もあればニカラグア側で対策するさ。少佐は?」


 少し条件を緩めてやる、言われずとも気付くべきが幅広い視野と言うものである。


「畑を潰して粉に火をかければ半年は強制的にストップしますな。さておき、ニカラグアに輸出するより儲かるルートを作ってやったりすれば、自然とそちらに流すでしょうな」


 クァトロが買い上げたように、生産者は高く売れたらそれで満足との形を求めているわけだ。


「そいつは良い考えだよ。損はするがそれを社会的に認めさせる何かを組み合わせてやれば、恐らくは現実的な話になる」


「小官の手に余りますな。大人しくギャングスターと遊んでおきます」


「右に同じく」


 手の内を披露したことについては二人とも参考になった、と理解を深めるのに役立ったことに感謝を示した。


 ――俺も他人のことは言えないが、社会経済的な部分は戦闘部隊からは切り離して考えよう。


 政務補佐官のような人材が欲しいと感じた。今のままでは古代ローマのハンニバルや、ナポレオンのような司令官一元の形が出来上がってしまう。それは迅速、強行の類いでは極めて有効であるが、一度島が負傷したり行動に制約が加われば、即座にアウトである。


 至福の一時は長くは続かなかった。ゴイフ補佐官より面会の要請が入ったとプレトリアス少尉がやってきた。


「それでは働くとしようか。銃弾は気を付けてもあたるときにはあたるが、せめて日々の健康位は保てよ」


「了解です。寿命を目一杯使うことにしましょう」


 二人は敬礼して司令官室を立ち去っていった。


 大統領府。補佐官執務室を訪れた島は、最早この国の盟友と考えているゴイフと二人で密室会談中であった。


「すまん大佐、やはり援護は無理だった。内務省から大佐への調査要求が出されている」


 本当に済まなさそうに頭を下げる。別にゴイフが悪いわけではなかろうに。


「それは内務省が立派に職務を果たしたと誉めるべきでしょう。計画は次の段階に移ります」


「そう言ってくれるか。本来ならば大使館で遊んで過ごせば良いだけなのに、本当に助かる」


 ――余程あちこちでやり込められてるな。同情するわけではないが、この人が居なければ俺が孤立する、発言力を持たさねばなるまい!


 政府での発言力、それはつまり政策の成功に等しい。

 パラグアイでは失業率と経済力の低下、汚職の増加に教育の不足、幾らでも改善の余地があった。


「補佐官、チャコからの鉱石輸送を準備しております。これに伴い水上警備の人手を河沿から募集します。これを失業対策の一つとして発表してください」


 わざわざ赤字になる石を運んでどうなるかの疑問は残るが、公共事業なんてものは大半がそんなものである。


「それはありがたい! 輸出は高値で外国政府が買い上げるから、問題ないとしておこう」


 議会の追及をかわす狙いを明らかにしておく。

 チタンについてはもう少し秘密にしておく必要がある。


「エンカルナシオンですが、ここに工業集合体をと考えております」


「うむ、クラスター効果を狙うと。だが三つほど問題があるな」


 今まで何度も議論されてきたのだろう、跳ね返るように返事をしてきた。


「一つは自分が解決します。資金はチタンからの利益で賄えます、個人的な株主として」


 そっくりそのままニカラグアに持ち帰ると思っていた金を、なんとパラグアイに投資してくれると言われて驚く。


「大佐、保証は出来ないが……」


「そんなものは求めていませんよ。成功なんてのは本人の努力次第です」


「法的な面で全力で支持をさせてもらう。流通網の問題だが、どう考えて?」


 資金問題、流通経路、それも道路そのものから考えなければならない。

 農産や畜産は盛んであるが、近隣消費が目的のためあまり道路整備がされていない事実が横たわっていた。


「軽加工工場を設置します。それならば製造も簡単で国内消費も可能です。ノウハウはカナダからとなりますか」


 チタン板はそのまま輸出するとして、加工分を国内消費で利用、付加価値をつけて技術力をつけると方策を示す。


「民間レベルを越えてきそうだ」


 笑いながら可能だなと目算を述べる。


「まあ自分は素人ですから。多々問題も出るかも知れませんが、失敗しても自分が無一文になるだけです」


「そうはさせんよ。我々こそ成功させねば後がない」


 パラグアイでクラスター効果、つまりは相乗効果を見込んだ経済が発展しなかった三つ目に人材があった。

 近隣諸国よりも技術が低いくせに給与などの待遇面は割高につくのである。

 こうなれば企業はわざわざパラグアイでの営業を選択しない。


「国策として雇用自体が目的の一つと割りきって貰えるならば、三つ目も解消します。ただし、企業側からは数年の免税特権を人件費部分で求める位は覚悟してください」


「そうなると軍への支給が足りなくなったりするのでは?」


 いたちごっこのような問題が出たり消えたりして頭を悩ませる。


「当然限界はあります。ですがお考え下さい、無手から始まったのが工場、鉱床、技術、雇用と残ります。猶予期間に政府や軍の綱紀を改める位のことは民衆も望むでしょう」


「つまり本来の仕事に専念する機会を与えてくれると。だが我らには大佐に何も与えられない」


「ニカラグアが、我国が危急の際にはご助力を。それをお約束いただければ、自分個人などお構い無く」


 一度は死んだ身であると拘りを見せない。世界の片隅をほんの少しだけ動かした、それで充分なのだ。


「大佐の胸に賑やかな勲章が並んでいるが、理由がわかったような気がするよ」


「感謝を忘れないために縫い付けております。支えられて、恩恵を受けているのは紛れもなく自分です」


 話の規模が大きくなり過ぎて、最早島のような庶民上がりでは桁が把握できない。

 実務は専門家に任せて、経済界の協力を仰ぎに行かねばなるまいと大統領府を後にした。


 ――借りた金だけは先に返さねばならんな、そこには迷惑をかけられん。


 酒場に来てまた一杯引っかけていると、程無くして妙に体格が良い女が入ってきた。

 そのまま同じテーブル、しかも隣に腰を下ろすと連れを遠ざけた。


「ようレティア、今日も男らしいな」


 女性に向かってなんたる言い種とも思うが、変な気を使わなくてよいのが魅力である。そう信じて島は砕けた態度をとった。


「はっ、あたしのことをそう呼べたのはオヤジとあんただけだよ」


 愛称で呼ぶのがそこまで珍しいかはさておき、オヤジが何者かを聞いてみる。

 大方の予測はついているが、それでも話題にするのはレティシアがそう口にしたからだ。


「どんな立派なオヤジさんなんだ、娘に非行をさせるとは」


 家出娘かのような表現に失笑を買った。


「コロンビアのオチョアさ。こいつを聞いただけで大抵の男は南米から逃げ出したよ」


 差し出されたジョッキをぐいぐいと一気に飲み干してテーブルに叩き付ける。


「カリ・カルテル?」


「そうさ」


「じゃあ俺の敵だな。テロリストが優先だが、麻薬組織もそのうち根絶やしにしてやるよ」


 誇大妄想患者を見るかのような顔付きで島を覗き込む。


「逃げなかった男が何人かいたけど、そいつらは豚小屋の脇で死体になってたよ」


「言ったろうレティア、俺は戦場以外で死ぬつもりはない」


 ちらっとだけ彼女に視線をやってビールをあおる。

 命を失う恐怖は全ての人間にあると言っても過言ではない。だが命を捨てる勇気を持つ者も、一握りではあるが確実に存在している。


「地方に飛ばされた一介の大佐風情が良くも言ったもんだね。どこからそんな自信が湧いてくるんだい」


 興味を持った。人としてそのもの自体に。


「俺には幸運の女神がついていてね、少し嫉妬深いらしく妻には厳しいようだが」


 愛想良く答えながらも、互いに近づかない方が身のためと牽制しあう。ならばさっさと違う席に行けばと言おうものなら、きっと複雑な喧嘩になってしまうだろう。


「はっ――聞いたよ、ペドロのとことつるんでるだってね」


 聞こえてはいるが余計なことは一切喋らない、沈黙が肯定だと素直に受けとる。

 秘密を流出させたのか、探り出されたのかはわからないが、他人に知られた時点が一つの目安になる。


「あんたは肝が据わっているみたいだからね、ペドロと手を切ってあたしと組まないかい――」

「ああ構わんよ」


 間髪入れずに承知で答える。だが即答すぎて逆に怪訝な表情をされてしまう。


「随分と軽く受けるじゃないか。舐めてんじゃないだろうね」


「誰だって汗臭いおっさんより、美人と手をとりたいだろうさ」


 レティシアの方に向き直りじっと目を見詰める。


「それに、信用出来るやつかどうか位はわかっているつもりだ」


 急に恥ずかしくなったのか、彼女は顔をそむけてわかったとだけ言った。

 テーブルにグアラニを多めに置いて立ち上がる。


「行くぞ」


「え?」


 つい抜けた声を出してしまい、視界に入っていた部下を睨む。


「手を組むんだろ、打合せだ」


「そ、そうだな。どこでやる」


「決まってるだろ。ホテルのベッドだよ」


 顔がかーっと熱くなるのがわかり、また部下を睨んで誤魔化そうとするが、二回目は流石に逃げられてしまった。

 連れ立って消えていく二人を見て「まあ喜んで良いんだろうな」と少尉に呟く部下達であった。



 高級住宅街。そこに住んでいる者は素性を問わずに、警察の護衛対象になる。

 誰がではなく、そこに人が住むのが大切な目標なのだ。


 税収が見込める富豪に官憲が柔らかな態度をとるのは世界共通である。

 取れる者から取るのが一番楽なのだから。


 室内は外が熱気で参っているというのに、冷ややかな風が立ち込めている。それが冷風だけの効果ではないのを身をもって感じざるを得ない男がいた。


「バレイロ、重大な報告があるらしいな」


 隣で喜色を浮かべる男を憎々しげに睨むが、奴の幸せは己の不幸に直結すると、ゴンザレスは身を固くしていた。


「イーリヤ大佐についてですボス。奴はやっぱり敵です」

「そんなことはない、三回利益を上げさせて――」

「黙れ、俺はバレイロに報告をさせている」


 割り込んできたのを制すると、申し訳ありません、とすぐに引き下がる。


「イーリヤ大佐がニカラグアで政府を転覆させたのは前にありましたが、ハポンでの話も同一人物でした」


 麻薬組織を潰した人物だから敵であるとの主張を行う。


「そうか。イーリヤ大佐が他の組織と込み入ってそのルートだけを潰した線は無いのか」


 同じ麻薬組織であっても、いや同じだからこそ同業は敵である。


「それはわかりません。ですが大佐の経歴が否定しています。ニカラグア軍に入る前は、アメリカ海軍第六艦隊参謀大佐でした」


 居並ぶ男達が渋い顔をした。アメリカ軍の中枢に位置していた人物が、そうやすやすと行いを反転させるわけがないと。

 装いを変えての偽装潜入ではないかとの疑いを持つ。


「他に何か出たか」


 判断を早まらずに可能な限り材料を集めようと催促する。

 求められたから仕方なく不確かな話を口にした、そのような流れを作り上げてから、決定的な事実を明かす。


「レヴァンティンと良い仲だそうで――」

「バレイロ、イーリヤ大佐は敵だ、殺害の準備を行え」


「シン。お任せください」


 してやったりの表情を浮かべて暗殺を請け負う。

 うって変わって昇格まであと一歩であったはずが、奈落の底に落とされたゴンザレスが意気消沈してしまった。納得行かないがどうにもならない。


「私はどういたしましょう」


 そのまま呆けているわけにいかないために、気を取り直して役割をもぎ取ろうとする。


「今までと変わらずに取引を準備するんだ、変化を気取られるな」


 功績を得られないだろう配役にがっかりするが、承諾する以外の選択は出来ない。


 いつものように控えていた者が一つ大切な確認を行う。


「大佐との戦い、一筋縄ではいかないでしょう。ボスが指揮を執られますか?」


 もし執ると言えばバレイロの功績は小さいものになるだろうとゴンザレスが付け加える。


「大佐は私兵を百以上揃えました」


 それまでは十人程度の少数だったのが取引で肥えた為増えたと説明する。


「バレイロ、組織に総動員をかけろ。俺が直接指揮する、お前が攻撃部隊を率いるんだ」


 舌打ちしたいのをぐっと堪えて了解する。

 まだイーリヤ大佐を仕留めるチャンスを果たせば目があると。


「久し振りに狩りをするぞ」


 獰猛で残忍そうなひねた笑いをして舌なめずりする。


「実戦経験がある軍人です、どうぞ慎重にお願いします」


 役割の常を果たした補佐は、どのようにボスの安全をはかるべきかに思いを馳せることにした。


 ニカラグア軍の正規軍服に身を包んだ若い男が、エンカルナシオンの地下司令部で敬礼する。


「申告します。ビダ軍曹、ただ今着任しました!」


「着任を承認する。軍曹よく来てくれた、対戦車や軍司令部での活躍は覚えているぞ。今回はマリー中尉の指名だ」


 そう言って脇に控えていた中尉に視線を流す。


「久し振りだ軍曹。攻めが足らないと感じた時にお前の顔が浮かんだよ」


「何としてもご期待に沿えるよう努力致します!」


 誰かではなく、まさに自分を必要だと名指ししてくれたことに感じ入る。

 それがかつての上官らであったのが無性に嬉しい。


「直属の上官は中尉だ、部隊はブッフバルト上級曹長が仕切っている」


「ドイツ人の下士官だった方ですね」


 記憶に残っていたようでそう表す。島は軽く頷き退室を促した。

 来たときと反対の手順で以て部屋を出ていった。


「気合充分だな」


「それが奴の売りです」


「ま、一つよろしく頼むよ。俺はこれからまたビジネスマンの真似事だ」


 やれやれと制服を直すと、帽子を被りアタッシェケースを手にして溜め息をついた。


 アスンシオンの経済団体とエンカルナシオンのそれ、外国人居留区からも代表が出され、政府からも社会省の役人が出席して会合が開かれることとなった。

 オズワルト少佐を引き連れて、島もこれに参加することになる。


 むしろゴイフ補佐官に要請したのが島なので、立場としては逆にあたるが、やはり世間の風当たりを考慮して招かれたとの体をとった。


 補佐官の意を受けた役人が前口上を短く済ませていきなり本題に入った。これが日本ならば持ち回りの挨拶だけで一時間は浪費しただろう。


「官邸ではエンカルナシオンに新設された鉱石の精製工場を、国策の一つと位置付けて工業生産を成長させる戦略を採用しました」


 既にそこで鉄が生産されているのを知っている列席者は、将来における扱いについてを確認することとなった。


「そちらのオズワルト副社長が工場の代表です」


 初出の為に紹介を受けたので軽く頭を下げる。立場が企業なのでスーツ姿での出席となっている。

 島にしても誰も知っている顔がない。グロックが取り付けた窓口担当は知っていたが、会長やら総裁やらとまでは顔合わせをしていなかった。


「鉱石を諸外国へ輸出するためにご協力頂いている、ニカラグア軍イーリヤ大佐全権委員です」


 あれがそうかとの視線が集中する。モンゴロイドの顔付きのせいで懐疑的だったようだが、紹介を聞いて事実を受け入れた。


「オズワルト副社長、お願いします」


 主導権を譲って計画についての説明をするように求める。


「我が企業は本社工場周辺に、軽金属加工工場を増設します。そこで製造した商品を国内で流通させていただきたく、皆様にお願いにあがりました」


 簡単な概要を受けて、エンカルナシオン代表が質問する。


「規模的には?」


「各種の加工に雇用四百名を想定しております。流通販売、施工や環境整備など複合的な見積もりでは二千人の雇用が創出される見込みです」


 人口が少ないパラグアイでの二千人は、日本での三万人位の感覚に相当する。


「そ、それは素晴らしい。ですが暫くは経費ばかりで赤字が続くでしょう。御社の資金は?」


 今までもそのせいで計画が頓挫していたので、まず最初にそれを確定させておく。

 皆も聞きたかったらしく無言で注目した。


「中東より年単位での長期的視野で投資を受けており、本社経営は三年は安定操業が可能です。付帯の新設部分は、匿名の投資家が一手に資金を提供してくれた為に心配御座いません」


 堂々と答える姿に一先ず納得の態度を示す。


「政府としましても、人件費の面で一部免税措置を行うことで、雇用と税収の均衡をとる見通しです」


 そこまで後押しが決まっていると面々に公表する。


「数年は高値で外国政府、とりわけ日本政府が鉄を輸入してくれるため、品位の割に採算も取れます」


 やはり困ったときには日本だとばかりに頷きあう。

 過去に南米を中心に世界中が冷たい態度を取っていたときも、日本だけは変わらずに付き合ってくれた話は今も忘れられていない。


「そう言う話ならばエンカルナシオンは全面的に協力しましょう」


 呼ばれた意図が今一つかめずに居た外国人市民団代表のスペイン人が口を開く。


「して私は何を求められているのでしょうか」


 誰に向かうわけでなくそう声をあげる。黙っていた島がようやく発言した。


「あなた方には技術者としての就労促進、海外での宣伝活動、輸出用商品のアイデア面でご協力をお願いしたいです」


 何故イーリヤ大佐がそんな提言を受け持ったかはわからなかったが、まずは内容を具に確認する。


「輸出用に関しては様々な人種の考え方を反映させる意図はわかります、宣伝も人脈然りと。しかし何故就労技術者?」


 人数が少ないのに数を求めるならばパラグアイ人だろうと指摘する。


「パラグアイ人は国民気質として労働に真剣に取り組む姿勢が、他の南アメリカに比べても低い。適度に外国人労働者が混ざることにより、全体的な作業効率が向上すると考えております」


 パラグアイ人が嫌な顔を見せるが事実であるので抗議はしない、そうまで言われては外国人市民団代表も納得せざるを得なかった。


「承知しました。国が良くなれば我等も安心して生活が出来ます、喜んで協力致しましょう」


 そこで終わりと思っていたが島が先を続けた。


「軽工業の初期生産品に畜肉の加工器機、畜舎の衛生用品、個人用農機具、各種保管用倉庫を提唱します。これにより国内消費を見込み、生で扱われていた畜産品が、在庫調整しながら破棄せずに流通可能になります。また主農産品の作業効率が上がります」


「あ、あなたはそんなことまで考えて……」


 いくら外国人居留区に住んでいても自らはパラグアイ人だと考えていた代表だが、国の将来をそこまで視野を拡げて考えたことはなかった。自身より二回りは年下、しかも最近になってやってきたばかりの者にこうまで言われて赤面して俯いてしまった。


「経済団体は大佐の提唱に全面的に賛成致します」


「企業グループとしてその生産項目を通すため全力で努力致します」


 流石に政府の代表が下手な約束は出来ないため「大統領閣下に間違いなくお伝え致します」とだけ約束した。


 大風呂敷を広げすぎて頓挫してしまえばもうパラグアイには居られないだろうなと、自嘲気味に笑ってしまった島は忘れてはならない一言をここで付け加えた。


「成功の暁には、ニカラグア政府の援助があったことをお忘れなきよう願います」


「パラグアイ政府は貴政府の好意を決して蔑ろには致しません」


 出せるものは互いにもう何もないが、態度を示すだけならばと強い口調で約束する。


 ――一つここで仕込みをしておくとするか!


「――実は日本政府から、より多くの経済支援を引き出す策が御座います」


 行くならばどこまでも突き進み、追撃の手を緩めないとばかりに提案する。

 内容が政治的なものなのでこの場で話してよいかを躊躇するが、政府代表は喉から手が出る程に援助が欲しいのでつい訊ねた。


「それは、どのような策でしょうか?」


「貴政府も認めている日本の離島、あれについて再度の声明を出すことですよ」


 サンフランシスコ条約で日本の領土から放棄されていないことを明らかにしているのを判断基準に、百数十の国や地域が声明を出していた。


「それは以前に世界に向けて発信してますが?」


 何故それを繰り返したら経済支援に繋がるかが理解できないでいる。

 この場にいる全員が不思議そうな表情をした。

 ――そこが日本政府が日本政府たる由縁なんだよ。


「日本は支持してくれる味方を決して粗略にはしません。時機は見計らう必要がありますが、必ずや世論がパラグアイ支援を後押ししてくれます」


 何ら確固たる根拠はなかったが、やけに確実な自信だけはあった。


「日本はパラグアイを裏切ることはなかった、我々も裏切ることはありません。大統領閣下にはかり再度意思を表明する準備を行います」


 ――この手はニカラグアでもレバノンでも使えるぞ。どうせ政府開発援助で予算を垂れ流すならば、感謝されるところで使うようにさせねばな!


「芥子畑で生計をたてている者がいたら、優先的に仕事を与えてやって頂きたい。麻薬が国内で消費されたら最後です」


 これには皆が頷いた。仕方なく生産をしている者が一定の割合で混ざっている。

 身近にあればどこかで間違いを犯してしまうのもまた人間である。


 麻薬は紛争を引き起こす、世界各地で住民が戦火に怯えながら暮らしているのをテレビで目にしたら、祖国をそうはさせまいとの気概が湧いてくるものだ。


「それでは皆さま、本日はありがとうございました」


 簡単に締め括りの挨拶をすると、それぜれが事後の根回しをするわけでもなく解散していった。


 ――あとはカラフパラースィオとエスコーラか。ロマノフスキーの活躍に期待するか。俺はレティアだな。


 会議結果の報告が伝わったであろう数日後、島はゴイフ補佐官の元を訪ねた。

 相変わらず職務に忙殺されているようで、身も心も高い状態で活動モードを維持しているようだ。


「補佐官、お話が」


「大佐、上へ行こうか」


 わかりあうほどに言葉が短くなる。それは仕事の付き合いでも、恋人や夫婦間でもよく聞かれる現象である。


 煙草をくわえようとして一瞬躊躇し、軽く息を吐いてケースへとしまった。


「健康への配慮はするべきでしょう」


「妻に言われてね、少し改心したところだよ」


 まさかの体力勝負の職務に心配したようで、あれこれと気を使う姿がきつく言われるより心に刺さったようだ。


「大統領閣下は――フェルディナンド中将の不正をご存知なのでしょうか」


 知らないわけがないとわかっていながら、これは必要なことだと言葉にする。


「勿論だ。今はそれより多くの部分で緊急処置が求められていてね」


 後回しにせざるを得ない状況を苦々しく説明してくる。

 どれもこれも長年のツケを払わねば前に進めないと。


「少佐の試算では、政府税収が一、四パーセント押し上げられると見ております」


 鉱石の採掘加工からの経済効果がそのように波及するとされているが、GDPに直せばまた少し数字があがるだろう。

 何せ失業者が価値を次々に産み出すのだ、無いものが突如くわわるのだから変動は顕著である。


「素晴らしい! まだ私の方には上がってきていないが、大きく相違はあるまいよ」


「これで補佐官の発言力もかなりになるのではないですか?」


 そう前置きすると真面目な顔つきになりゴイフが先を促す。

 何か論争が起きそうな一件を推して欲しいと聞こえてきたのだ。


「私は常に大佐の提案に魅力を感じている、次は何だね。遠慮なく言ってみたまえ」


「イガティミからカラフパラースィオを撃退します。これを以てパラグアイ軍の功績に置き換えていただきたい」


 それが何を意味するかを思案する。ゴイフは今までの組合わせから、最善の結末がどれになるかと目を細める。


「カラフパラースィオに全ての罪を背負わせるわけか」


「はい。隠し玉としてエスコーラをエンカルナシオンの民間警備に雇用したく思います」


 エスコーラとの繋がりがわからず、しかもブラジルギャングスターだと気付いても結論に結び付かない。

 反対に結論からその流れと理由を推察して行く。


「問題はエスコーラが組織としてそれを承知するのか、市民がそれで納得するのかではないかな」


「感情としては認められないでしょう。ですがエスコーラは正確にはブラジルギャングスターではありません。コロンビアです」


 それは初耳だとばかりに目を見開く。


「敵の敵は味方だとしても、コロンビアもまた耳障りがあるのではないかね」


「もし市民が嫌がれば追放可能です、その時に誰が救世主になるかがより大切でしょう」


 指摘されて初めて真意を垣間見る。使い捨てに出来る手駒と考えれば、外国人勢力は悪くないと。

 そして島は承知の上で常々動いていると再認識すると、ゴイフは頭があがらなかった。


「そうだな、我らには問題を解決する時間が必要だったな。してエスコーラを引き込む手立てはあるのかね」


 これがなければ全く意味がない話だけに、どのような手段があるかを確認しておく。


「それはこれからです。プロフェソーラが良しとすれば、奴らの組織は下達方式なので一年や二年は何とかなるでしょう」


 上下関係が極めて厳しい組織である、ボスは痩せても枯れてもボスのままで、栄華を極めたくば上を更に高くに据えるような運用を行う。


 中国が良い例で、党首だの国家首席だのでうかれているやつはまだまだである。

 中南海に居る政界、業界の黒幕達が気に入らなければ、突如健康上の理由で辞任となり力を失ってしまう。


「大佐の自信の根拠を是非とも知りたいものだね」


 鉄柵に体を預けて遠くを眺める、計画を認めたのだ。


「突き進む、ただそれだけですよ。自分は立ち止まることを許されないのです。前へ、より前へ」


 微笑を残して島は一人で屋上を立ち去って行く。

 残されたゴイフは「前へ……か」と呟いて懐から煙草の箱を取り出す。

 それを思いきり遠くへと放ると身形を整えて階下へ降りる。


 一つ鋭い声を発すると気合いを込めて大統領のところへと歩き出した。

 その姿はまるで長い長い道のりを踏み出すかのように見えた。


 暑い日差しが照り付けてくる。時計はもう夜を表しているという位なのに、だ。


 イガティミの郊外、東側の外れにちょっとした森林地帯があった。

 役柄ロマノフスキー少佐とアフマド軍曹がその中へと足を踏み入れている。


 隣には大型のトラックが二台、それぞれが運転してきたもので、輸出用の現物が積載されていた。


 いつもと変わらないようにとの命令を破ったゴンザレスは、それと解るように異常を演出していた。

 だが向こうからの要求だとして話を進めている。


 ロマノフスキーもこれ幸いと、誘いを渋々のように受けるのを演じて今に至っていた。


 それぞれの思惑が交錯し、小さな森林周辺には数百の武装した男達が息を殺して潜んでいる。


 ロマノフスキー少佐が司令部を離れている為に、この派遣部隊の指揮はマリー中尉が執っている。


 島はというとワゴン車に無線機を積み込んで、森林から少し離れた場所でプレトリアス少尉らの護衛と共に様子を窺っていた。

 最前線から外れて観戦の構えをとっているのを中尉らは知らない。感付いている可能性はあるが。


 受信、送信の類いは小さな機器を体に仕込んでいるため、少佐らの動きに不自然さは無い。


 さほど待つことなく、ゴンザレスが旅行鞄を曳いて二人でやってくる。


「待たせたな、今回限りだが現物交換だ」


 あたりを注意して見回す。当然姿は全く見えないが、小鳥や小動物も居ないため、何かが潜んでいるだろうと双方が同じことを感じる。


「理由を聞きはしないよ。だが鞄の中身だけは確認する。その場でゆっくりと開けるんだ」


 事情に踏み込まないと、取引の鉄則を貫く。

 ゴンザレスが鞄を開くと、使い古された紙幣が山のように入っている。

 束を五つずつさらに輪で留めてあり、鞄の上蓋側に並べて個数で以て額を確かめる。

 これが日本ならば、百万の束が十で一レンガと数えたりするとかしないとか。


「真ん中が偽物って古典的な冗談は御免だ、左端の下段の束を一つ放れ」


 頷くと一つを双方の真ん中あたりに投げた。アフマドがそれを拾って戻り、中身を軽く確める。


「紙幣です、少なくとも雑紙は混ざっていません」


 偽札の可能性は否定できないのを一応指摘しておく。


「まあもし偽札使うならば闇取引の相手にするだろうさ。いいだろう、車と交換だ」


 一方的な持ち去りを防ぐために、車のキーを抜いて握り混む。

 結局は少佐らを倒してから回収したら済むような話ではあるが、争いになったりでもしたら勝者にならねば荷物をゆっくりと動かすことなど不可能になる。


 古今東西を問わず、取引はその受け渡しの瞬間が一番危険である。

 円を描くようにして等距離を保ちながら、ゴンザレスが車にたどり着くとロマノフスキーも鞄に手が届いた。


 キーをその場に置いて鞄をアフマドが抱えると、来た道を同じように戻ろうとする。


「待て、スペアキーがあったらこちらが困る。それ以上は車に近付くな」


 その言い分ももっともだと納得し、森林の脇道にと進もうとして、キラリと何かが遠くで反射するのを感じて突如伏せた。

 直後に枝葉がガサガサする音がして銃声が鳴り響いた。


「裏切りだ!」


 誰もが同時に叫んだ。直後に複数の銃声を発しながら、あちこちから男達が取引現場に近付いてくる。


「軍曹、鞄を置いて脱出するぞ!」


 持ったままでは無事にすまないと匍匐前進で何とか後方に避難するのに集中する。


 一方のゴンザレスらもトラックを盾にして、部下が武器を携えてやってくるのを待たず、一目散に離脱をはかった。


 乱戦になればバレイロの部下がここぞとばかりに闇討ちを仕掛けてくる可能性があったからである。


 跳弾こそないがどこから弾が飛んでくるかわからない場所に長居は不要である。

 兵らが徐々にトラックと鞄を狙って肉迫してきた。


 この二つのうち一つでも持ち去れば負けはないと、部隊長らが的にするのもよくわかる。

 それだけに無理を承知で距離を詰めようとして被弾する者が出てきた。


 軍服ならば肩帯に手を引っ掻ければ引きずることが簡単であるが、まちまちの武装であるギャングスターたちはうまくいかなかった。


 然りとてここで押し負けては結局明日は無いと、カラフパラースィオの兵が次々と最前線にと辿り着く。


 将来に直結するだけに士気が違った。鞄を抱えて逃げることが出来れば、部下持ち幹部に抜擢されるのは間違いない。


「やれやれ泥だらけだよ」


 嫌がる素振りをみせるわけではない、帰着を知らせるかわりにそうしただけである。


 顔まで泥まみれの二人が指揮所に駆け込んだのだ。

 といっても、建物が有るわけでもなく、単に通信機を抱えた兵と指揮官らがまとまって居るだけである。


「お帰りなさいませ司令殿。それでは役目を引き継ぎますので、小官は前線に」


「ああ大物を釣り上げてこいよ中尉。――俺達の真に働かねばならない場所はここではないからな、傷一つ負ってもいかんぞ」


 だからと後ろにいちゃならん、そう無理難題を押し付ける。

 言われたマリーも、軽く了解と敬礼してビダ軍曹に目配せをすると指揮所を後にした。


「通信状況はどうだった?」


 サルミエ軍曹がグアラニ語担当の為に通信機を背負っているので訊ねる。


「クリアです少佐殿。しかしよくぞ狙撃を回避しましたね?」


 弾丸は音より先にやってくるため、かわすなどは無理な話である。

 花火や雷のように、音は随分と後になってから届くものなのだ。

 発射光が見えたとしても間に合うわけでもないが。


「なに、狙われているような気がしただけさ。仮に何もなかったとしても、ちょっとイカれた男だと奴等に思われるだけだ。直感だよ」


 理性ではなく感覚に従えとは言ったものである。

 人は成長するにつれてこれが出来なくなってくるのは、脳の作りなので仕方がない。

 だというのにそれが出来るのは、ある意味で一つの才能と表しても良いだろう。


「自分も見習わせていただきましょう。現在中央に三個分隊六十人、左右に各一個分隊二十人、本部に十五人が居ります」


 大雑把にでも把握させておかねばならない情報を自主的に報告する。

 ロマノフスキーはわかった、と返答してどうすれば被害少なく撃退可能かを思案し始める。


 ――この状況はフラッグスチールに似ているな。鞄やトラックに敢えて近寄らせて、効率よく倒してやるか!


 レバノンでプレトリアスがやっていた作戦をアレンジしてやろうと考えをまとめようとする。

 トラックは突っ切れてしまうと面倒なので、鞄で罠を張ることにする。


 サルミエに通信機を渡すように命じ、フランス語で中尉に呼び掛ける。


「俺だマリー、奴らを引っかけるぞ、トラックの動きを封じておいて鞄をエサに引き付けて撃退するんだ。鞄には弾を当てるなよ」


「やってみましょう。あちらも荷物と金は撃たないはずです」


「かも知れんが、常識は捨てちまえ。何が起きてもおかしくはない」


 想定外のことは必ず起きるものだと信じている。哲学的な表しかたを聞いたこともあったが忘れてしまったが。


 いかに思考の幅を広く持つかで、その驚きによる空白時間を短縮できるか。

 そして他人事として眺めて客観的な判断を導き出せるか、指揮官の経験や資質が問われる。


 計画遂行能力とは、いかに計画外の部分を処理できるかなのだ。


 他に指揮所でやっておくべきことを思案する。


「ブッフバルト上級曹長、森林外側に偵察班を出せ」


「ヤー。四班派遣します」


 すぐに手近に控えている上等兵を指名して出発するように命じる。

 指揮所の防御は半減してしまうが、優先すべきは別にあると彼も理解していた。


 ――何も見付からなければそれに越したことは無いが、どうせ喜んで発見を報告するんだろうな。


「対戦車装備は?」


 ふと気になり上級曹長に尋ねる。


「携帯を許可されていない為ありません」


「そいつは解っている。だが現れたらどう対処をさせるかを訊いているんだ」


 規則に縛られがちなドイツ人の性格を知りつつも、その辺りの用意を確認する。

 満足いく答えが出なければ自ら考えておかねばならない。


「モトロフカクテルを用意しています」


 ロシアの著名人、モトロフの名前を冠するそれは、ビンなどに揮発性の高い油を詰めて火種を詮にして投げ付ける武器である。

 サイダービンにガソリンを詰めて、布で蓋をして着火してから投げるのをイメージすれば大差が無い。


 ――あれか、火炙りにされれば戦車でも戦闘不能だな。だがもう一手用意すべきだ!


 何事も選択肢が一つでは手詰まりになりかねないと、更に対処方法を提示するよう求める。


「他には」


「アタッシェボーンブ」


 アタッシェはアタッシェケース、ボーンブは爆弾のそれぞれフランス語。英語ならばアタッシュボム、つまりは鞄爆弾である。

 手製爆弾を意味している。事実、鞄に火薬を詰めているのだが。


「戦車に肉迫して投げ付ける?」


「ヤー。零距離爆撃で装甲が三十ミリまでなら一発です」


 投げ付ける者は鼓膜の保証はありませんが、と負傷を伴うことを付け加えた。


 ――三十ミリか! 軽戦車辺りならば被害甚大間違いないな。実行者にはボーナス支給を約束してやる必要があるか。


「それを扱う兵だが、成功したら昇進と一時金を与える。人選は上級曹長に一任する」


「承知しました。出番が来ないことを祈ります」


 使わずに済めば良い。だが必要になりそうな直感が襲ってきた。


 ――今から焦っても始まらん。後は黙って見ているしかない。


 腕を組んで岩に腰かけたまま黙って目を閉じる。

 銃声や喚声がひっきりなしに聞こえてくるが、近くには着弾しない。

 丁度起伏があったり、太い木があったりと都合が良い場所に指揮所があるためだ。


 マリーの選んだ場所に満足を示し時が流れるのを待つ。


 ――思えば随分と長いことこうやって争いをしてきたものだな。悔いはない、これまでもこれからもだ。

 俺はこの生活を嫌っていない、どこまで同じように出来るかわからないがな!


「両翼を延ばして背後に迂回させるんだ!」


 マリー中尉は分隊を丸ごと二つ切り離して敵を逃すまいと囲いこみに掛かる。

 そうなれば当然本隊の左右が寂しくなってしまう。


「中尉が博打好きだとは知りませんでしたよ」


 流石に思いきりが良すぎるとビダ軍曹が指摘する。

 一応言っておくべきだと感じただけで、その運用に否定的ではない。


「これはこれで考えた末だよ。結果がどちらに転ぶかはわからんが、勝つ時には派手に勝たなきゃな!」


 目の前の敵と激戦を繰り広げるだけならば、何倍居ようと怖くもなんともない。打ち止めになるまで倒すのみである。

 死ぬのは一回だけだと受け止めている為、他人からは勇猛果敢だと評されていた。


「組織的な指揮が可能ならば、あんな鞄の罠にちまちま引っ掛かりに来ることもないでしょうな」


 左右を減らしても側面から嫌な攻撃をされていないあたり、敵の指揮系統はあまり優秀ではないのかも知れない。

 もし本当にそうならば迂回させたのは大正解で、何かの策略ならばこれから多大な苦戦を強いられるのだろう。


 何度となく鞄にまで辿り着く敵がいた。だが取っ手を握り引っ張ろうとすると体の何処かを撃ち抜かれて転げ回る。

 狙撃というわけではない、目と鼻の先の距離である、全身を露出して無事でいられる方が不思議なのだ。


「いい加減奴等も気付くだろうさ。軍曹、この後は追い立てる役割があるからな」


「それはお任せを。小官を指名頂いて失敗と言われない為にも努力させて貰います」


 誰か思い付いたのだろう、フックを縄にくくりつけて取手に引っかけて、ずるずると鞄を引き寄せようとする動きが始まった。

 何度か投げられると、偶然なのか腕なのか見事に引っ掛かり鞄が遠ざかって行く。


「軍曹!」


「分隊前進だ、俺に続け!」


 木々に身を隠しながら徐々に切り込んで行く。タイミングを合わせて後方からマリー達が支援の制圧射撃を加える。

 枝にぶつかると手前に落ちるため手榴弾の遠投は控えられたが、小銃オプションのグレネードは広いスペースを狙って同時に発射された。

 相手の反撃が一瞬途切れると一気に距離を詰めて白兵戦にと移行する。


 最前線にいた者が格闘を行う。徴募された兵士らは人並みに戦いを挑むが、ギャングスターらも一筋縄でいかない。

 あちこちで光り物を手にして競り合いが始められる。ビダ軍曹も銃剣で自ら白兵戦を行うが、こちらは本物の軍人が長い、二度渡り合うことなく体を貫いて行く。


 後ろで見ていたマリーが残る二個分隊を前進させる。

 格闘をしている戦場を避けて奥へと浸透させ、迂回させた分隊は更に後方へ食い込むようにと、囲い込みの延長を命令した。


「見返りを大きくだよ」


 ビダが居ないためサイード上等兵に向けて語りかける。


「トラックも鞄も司令が確保してくれるでしょうから、こちらは大きな袋一杯の獲物をですね」


 その通りだ、と狩る側をアピールする。

 対等な戦闘ではなく、味方が有利との意識を刷り込むことで冷静さと戦意の向上を目論む。


「うちのボスは気前が良いぞ、上手く片付ければボーナスで金一封位土産があるかも知れんぞ」


 無ければ自分で出してやるつもりで鼓舞する。

 無線でそんなやりとりをしているのを耳にしていた島は、苦笑して一人頷いていた。


 上級曹長が出した偵察班から何かが森林に向かい走り去っていったと報告がなされた。


 スペイン語で注意が呼び掛けられたが、今一つ不明瞭なのは仕方ない。

 それがエンジン音を発する何かだとわかり、前線のマリーらが心構えをした直後にそれは現れた。


「そ、装甲戦闘車両一確認!」


 名前や型式が解らずそう叫んだ兵士が居たがそれで充分警告になった。

 鈍く光る車両は歩兵が手にしている小銃ならば弾く位の鎧をまとっている。


「前線部隊、指揮所、EE-9カスカベルⅣ一両確認。至急対装甲車装備を送られたし」


 部隊を避難させて被害を抑えようとしながら車両を睨むが、逃げる兵士を嘲笑うかのように重機関銃を乱射してくる。


「指揮所、前線部隊、Ⅳは主砲無しの対歩兵だな。直ぐに増援する、それまで防御行動をとれ」


 ロマノフスキーが認識の確認の為に、Ⅳ型の武装に軽く触れた。

 ブラジル陸軍の主力装甲車両のEE-9カスカベルタイプ、主砲が据え付けられたり機関銃がつけられたりと幾つかのバリエーションが確認されていた。その中でも厄介な装備と言える。


「ブラジル陸軍はこんなご大層な物をしっかりと管理出来ないものですかね。お早めに頼みますよ、孔だらけにされちまいます」


 軍用品が闇に流れてきたのははっきりしている。カラフパラースィオは余程の伝があったのだろう、火器とは段違いの入手の困難があったはずなのだ。


「上級曹長を急がせる。地面にキスして待っていろ」


 反撃しても無駄、木の影に隠れても下の太い幹の部分で無ければ無駄、逃げようと立ちあがれば撃たれるときたら、一センチでも低く伏せているしかなかった。


 ブッフバルトが大至急鞄爆弾を手にして四人で前線に向かっているらしい。


 マリーの頭上にあった枝がドサリと落ちてくる。機関銃の弾がかすっただけで腕ほどの枝が容易く千切れてしまった。


 ――こんなのが直撃したら痛みもあるまい!


 即死であるだけでなく、直撃部位は飛散してしまい跡形もなくなるだろう。


 転輪車両の為に速度が高くこれまた困りものである。

 軍用車両のタイヤはパンクしない作りになっている上に、四輪ではなく六輪やら八輪なので簡単に立ち往生もしない。



 装甲車が動くたびに匍匐で蠢き逃げ惑う。やがて有利と見てか遠巻きにしていた奴らが勢いを盛り返して押し寄せてきた。


「増援が来るまで各自応戦するんだ!」


 歩兵が厳しい制圧下で銃撃を行うが次第に敵が接近してくる。

 装甲車が転回して戻るまでの短い間に、何かが割れる音がして直後火の手が上がった。


 それを無視してまた高速で走り出す。炎は風に煽られながらも消えることはなかったが、装甲を軽く焦がしただけで効果を虚しく弱めていった。


 十五号のアタッシェケースを抱えて上級曹長が、中尉の隣にヘッドスライディングをするかのように滑り込んできた。


「増援に参りました」


「俺以上のナイスコントロールだよ。それを上手いこと当てられるのか?」


 起爆が遠隔操作でも時限でも構いはしないが、接近は必須である。

 小学生が背負うランドセルよりは少し薄い位で重さはそんなでもない。


「当てます。残り三つ志願があれば受け付けますが」


 真っ先にビダ軍曹とサイード上等兵が声をあげる。

 この場には居ないがヌルが居たら志願しただろうか。


 枠があるならばとパラグアイ人の上等兵も遅れて志願する。


「揃いました。では直接指揮をさせていただきます」


 窪地で額を寄せあい作戦を練る。遠くで転回しようとする車が見えた。

 ブッフバルトが通過するだろうど真ん中に鞄を置いて、遠隔装置を四つ握る。

 サイードと上等兵が左右にひそみ、軍曹がどちらへも行けるよう中央に控えた。


「小隊一斉に援護射撃開始!」


 マリーがあらん限りの声を出して上級曹長らを支援する。

 身を乗り出して機関銃を撃っていた射手が表情を曇らせて少しだけ身を隠す。


 中央に置いた鞄を避けるようにハンドルを切った装甲車の側面に爆風があたり少しだけ揺れた。

 巻き上がった煙で視界が遮られたが、数秒して同時に爆音が響いた。


 驚いたのか被害があったのか装甲車が速度を急激に落とした。そこへビダ軍曹が鞄を抱え正面からふわりと投げる。すぐに脇に向けて身を踊らせると、口を半開きにし足を車側にして伏せる。

 真っ正面で鞄が派手に爆発する。前面装甲に孔が空いて乗員が衝撃で気絶したか命を失ったか動かなくなった。


「小隊前進再開、敵を押し戻せ!」


 すかさずマリー中尉が反撃を命じると、再び敵が退いて行く。

 ビダ軍曹が無数の火傷と打撲、鼓膜破裂等で負傷したがEE-9は沈黙した。


「前線部隊、指揮所、敵装甲戦闘車両一、戦闘不能中破」


「指揮所、了解。負傷者を後送せよ」


「前線部隊、了解」


 上級曹長が連れてきた三名がビダ軍曹らを背負って前線から撤収してゆく。

 意識はあるが体が痺れているようで、三人とも身を預けて喋ろうとはしない。



 戦場では信じられないことが現実に起こり得る。前線で希望が産まれた時に、後方では新たな事件がもたらされていた。


「偵察班、指揮所、装甲車両が三台森林に侵入しました!」


「司令、装甲車三両が新たに確認されました」


 サルミエ軍曹がグアラニ語を通訳して絶望を報告した。

 ロマノフスキーは悔しげな顔を見せたが、すぐに周波数を特別に合わせてあった無線機を手に取った。


「フォーポイントスター、ブラックオウル、援軍を要請する。こちらフォーポイントスター、ブラックオウル、敵に装甲車が三台居る援軍を要請する」


 四ツ星はクァトロの軍旗だったがサルミエはその事実を知らない。


「ブラックオウル、フォーポイントスター、即座に向かう。これでここともお別れだ」


 英語が軽やかに返ってくるが、少佐以外に理解した者は居なかった。


「さてやることはやったな、聞いてるとは思うがマリー中尉に警告を入れとけよ軍曹」


 サルミエがすぐにそう注意を発するのを見て、体を解して岩から立ち上がる。


「少佐、どちらへ?」


 司令が指揮所を留守にするつもりなのかと不思議そうに訊ねる。


「ちょっと花火を見物しようと思ってね。双眼鏡を渡せ」


 目の前にある微かな隆起に伏せて戦場を観察する。

 反射しないように加工をしてあるせいか、少しだけ視界にもやがかかったように見えてしまう。

 慌ただしく動き回っているのがわかる。サルミエが隣にやってきて話し掛ける。


「中尉からもう装甲車に対抗出来ないから裏技を頼むと言われましたが?」


 全く意味がわからず撤退させずに良いかを確認する。


「ああ戦わせておけ、十分とせずに装甲車なぞ木っ端微塵にしてやる」


 ――使わずに済めば良かった、か。今更になってボスの気持ちが少しは理解出来たよ。


「銃剣を使ってでも塹壕を掘れ! ヘルメットだろうと何だろうと構わん、少しでも掘り下げるんだ!」


 撤退命令が出ない以上は進めないまでも踏みとどまる必要があった。

 マリー中尉は声を枯らして状況が飲み込めていない兵らを働かせる。


 やがてエンジン音を響かせて恐怖がやってきた。

 先程のとは違う仕様、主砲を装備した装甲車が。


 あまり俯角がとれないのだろう、主砲は遠距離から浅く斜面を撫でる程度である。

 だが一時代の戦車よろしく、構築物や鉄板を撃ち抜く威力がある砲弾が近くを飛べばただではすまない。


 兵が怖じ気付いて逃げ出そうとして、浅い塹壕から飛び出した。直後に上半身を丸ごと失って倒れる。


「畜生が、待つ時間がこんなに長いとはな」


 伏せたまま悪態をつくが何の解決にもならない。

 今まで逃げ出していた敵の歩兵がまたまた近くをうろつき始めた。


 ――あちらさんも必死のようだ。装甲車を失って大赤字もいいところだからな!


 これといった通信も入らないため各自応戦を続けさせる。

 無遠慮に距離を詰める車両には最早なすすべもない。


 直撃した砲弾が根本から木を真っ二つに折る。倒れてきたそれが塹壕に被さり下敷きになった兵が押し潰されてしまう。


「耐えるにしても限界だな。――各自戦場を離脱せよ!」


 アルバイトで集めた兵が裏切りをする前にと離脱を許可する。

 ざわめいた兵らが左右を確認して徐々に這って逃げだしてゆく。


 通信機を抱えた上等兵は律儀にマリーに付き従っていたが、無理をして留まっているのがありありとわかる。


「ブラックオウル、これより敵装甲車を攻撃する、近くから離れるんだ」


 英語による警告が行われた。


 ――ブラックオウルだって? 何かが来るぞ!


「全員一斉に退避、空から反撃をするぞ!」


 スペイン語に通訳して自らも這って下がる。


 ローターの爆音を響かせて空にUH-1Nイロコイに改造を加えた旧型、ヒューイ二機が姿を現した。

 腹にぶら下げた機関砲が地上を走る装甲車を狙って、物凄い勢いで砲弾をばらまいた。


 厚さ三十ミリの鋼鉄で出来た装甲が紙のように引き裂かれ爆発炎上してひっくり返る。


 逃げ出そうとするも無駄で、一機が一台を追撃して逃さなかった。


 乾いた金属音が連続し孔だらけになった装甲車が停止した。機関が破壊されたか操縦者が無事でなかったか。


 暫く上空で獲物を探していたが見付からなかったのか西へと進路をとる。威力がありすぎるヘリは自主的に引き上げる意思を示していった。


「指揮所、全部隊。我々の勝利だ、これより残敵掃討に移れ」


 本当は五分に戻しただけなのだが、鼓舞の意味もあり勝利宣言を行う。

 上等兵と頷きあったマリーは立ち上がり小銃を掲げた。


「我らの勝ちだ、残った敵を排除するんだ!」


 逃げ出していた兵が慌てて引き返してくる。

 勝ったならばボーナスを貰わねば割りに合わないと、一度は離脱したくせに素知らぬ顔で攻撃に加わった。


「前線部隊、迂回部隊。包囲して敵を逃すな」


 苦労してまで派遣した迂回部隊が最大の効果を表すタイミングで袋を閉じさせる。

 こうなれば後は一時間としないうちに全滅させることが出来るだろう。


 ――支援があってこれでは俺もまだまだだな。まあ生きているだけでもありがたく思わねばならんか。


 最後まで逃げなかった上等兵の肩に手をやって笑顔を向ける中尉であった。


 その日の夜に大統領府で記者会見が行われた。


 フランコ大統領とフェルディナンド中将、後ろにはゴイフ補佐官がいつものように控えている。


 普段と違ったのはパラグアイ放送だけでなく、AFP通信南米支局や共同通信社なども集っていたことである。呼んだのはゴイフだ。


「本日、イガティミ東部で戦闘行為があり、カラフパラースィオと名乗るブラジルギャングスターが大打撃を受けて、ほぼ壊滅状態になりました」


 特にブラジルの部分を強調してフランコが述べた。

 記者団から何があったのかを質問される。


「麻薬密売組織、無論他にも非合法活動をしていたが、誘き寄せて殲滅した。これで悪さも出来なくなっただろう」


 どうだとばかりに鼻をならして胸を張る。当然誰がそれをやったかを問われる。


「フェルディナンド中将のパラグアイ軍だ。中将、君からも一言述べたまえ」


 何のことだとわからなかったが、丁度良いので自らの功績にしてしまおうと調子よく引き受けた。


「悪の組織は消え去った、犯罪者には正義の鉄槌が下されるだろう」


 まるで本当に自らが指揮したかのようにそう高らかに宣言する。

 ゴイフの筋書き通りに話が進んでいった。


 大統領がマイクの前に戻り熱く宣言する。


「麻薬組織や犯罪者には正義の鉄槌が下る。中将、国内の麻薬を一掃し正しい姿を取り戻すのだ!」


 そう言葉を振られてカメラが向けられては承知するしかなく、中将は麻薬撲滅を約束する。

 自らがその元締めなのをどうすべきか考えるのは後にしたようだ。


「功績を認め一級国家勲章授与を約束する。国始まって以来、二人目の授章だよ」


 それが分かれ目であった。一級国家勲章には莫大な恩給が附与されている、これを得るならばわざわざ麻薬商売をしなくても将来を約束されるのだ。

 逆に剥奪されるような下手を打ってはならないとの打算がすぐに弾き出される。


 口元がにやりと歪んだのをゴイフは見逃さなかった。

 用意周到にリストアップしてある軍人犯罪者の一覧表を大統領にと手渡す。


「中将、軍の綱紀粛正、国家の安全、改めてこれを命じる」


「謹んでお引き受けいたします、大統領閣下」


 イガティミでのブラジルギャングスター壊滅のニュースは国内を電撃的に駆け抜けた。

 二日後にフェルディナンドは国家の英雄扱いされ、階級を大将にと進めた。


 一切の悪事はカラフパラースィオに押し付けられ、リストにあった軍人らは解職されるか軍事資料室勤務にと左遷されていった。

 口汚くフェルディナンドを罵り彼の悪事を暴こうとした者は、人知れず闇にと葬られてしまう。


 その人気を利用して権力を握ろうとするかと言えば違った。大将はあまりそちらには興味がないらしく、楽して儲かれば良いようで豪華な机の前で椅子を揺らして満足している。

 最早危険を侵してまで冒険する素振りは微塵も見せなかった。


 軍はあれども裏社会に穴が出来たのも事実で、各地の悪党が落ちている権益や暴力による略取を狙い始めるまで時間はさしてかかりはしなかった。


 警察や軍による治安維持とは別の手段を用意する、島が描いた絵を実現させる時期がやってきた。


 エンカルナシオンの司令部を出て、例の酒場へと足を運ぶ。

 もちろん酒を飲みに出掛けたわけではない。


 お馴染みのテーブルに一人腰かけて待っていると、レヴァンティンがやってきて隣に座る。


「まさか中将……いや、大将が正義に目覚めるとはね、世も末だよ」


 裏社会で有名であったフェルディナンドを揶揄してそう評する。


「そうか? コインに裏と表があるように、見えた側だけが全てじゃないさ」


 やけに肯定的な態度をする島をじっと見てから問い掛ける。


「話ってなんだい。あたしも暇じゃないんだよ」


「エスコーラも衣替えしないか、民兵団に」


「――な、に?」


 つまり何がどうなのかと目をぱちくりと忙しそうに動かす。


「エンカルナシオンの警備としてエスコーラが雇われるんだよ、どうだ」


「どうだって、突然何なんだい勝手に!」


 よくわからないが思い通りにされるのが嫌で反発してみる。

 言葉の意味よりも感情が先行した。


「俺は本気だ。レティアはどうしてギャングスターをしているんだ」


「どうしてって……そりゃ、カリ・カルテルの後押しがありゃそうするだろ」


 唐突に訊ねられて答える筋合いなどありはしないはずだが。


「親父の為か」


「それは違う! そんなじゃない、ただそうしたかったからしただけだ!」


 レティシアの部下たちは聞いてはいけないような気がして、なるべく違うことに意識を集中させた。


「民兵としてエンカルナシオンを仕切るんだ、公にそうしたって構わないだろう」


「――少し考えたい」

「もし答えがノならば、軍はエスコーラを攻撃するだろう。それが何かの得になるならばそうすればいい」


 冷たく突き放す。元より警告も無しに一斉摘発されても文句も言えないが、脅しに屈してしまうようで気持ちがよくない。

 民兵とは政府や軍の意を受けて設立するものだと考えられているからだ。


「どうして民兵?」


 そこに拘るのがふと気になった、名目なのかもしれないが。


「軍にも政府にも従う必要はない、ただエンカルナシオンだけを優先するためさ」


「そうする必要がある?」


 どうも目的が何かあるような感じがしてきて探ろうとする。

 関係ありそうなのは、鉄工所だろうとは思うがそれだけのようでもなさそうだ。

 島が何を考えているのか興味を持つ。


「投資さ」


 意味がわからず首を傾げる。


「数年後に政権がどうなるかわからない、だがエンカルナシオンが変わらなければここを基点に国を変えられる」


 何年かしたら経済の主軸になっているだろうと見込みを説明する。

 その時にエスコーラが邪魔なら排除するし、利用出来るならする、はっきりとそう答える。


「都合よく使い捨てたり利用したりかい、あんた何様だい!」


「そちらにも利益はある。大手を振るって街を一つ支配出来るんだ、こんな機会はそうそう無かろう」


 支配とはいっても政治的にではない。対抗組織が無い地域を拠点に出来るとの意味だ。

 軍とかち合うことがなくなるのは確かに滅多にない話である。


「――保証は」


「そんなものは何もない。だが、俺はそれが可能だと判断した、それだけだ」


 大風呂敷を拡げるのもここまできたら見事なものである。

 人生の目標が出来た島にとって、パラグアイは通過しなければならない場所でしかない。

 さっさと都合をつけて帰国するつもりである、その為にはエスコーラを味方につけるのが最短距離と考えた。


「あんたみたいにイカれた奴を見たのは二人目だよ。良いだろう乗ってやるよ」


 一度くらい自分が考えたこともない未来を歩くのも悪くないと承諾した。


「よし決定だ。これで俺がここにいる理由は無くなった、帰国する」


 本来外交官が自らの意思だけで帰国など出来ないが、密命を達成したとなればまた別の話であった。

 椅子を立って扉へ向かっていき振り返る。


「何している行くぞ」


「え、あたし?」


 どこに行くのかと訊ねる。


「帰国すると言ったろう、ニカラグアだ」


「ちょっ、何故そうなる」


「良いか三度までは言わないぞ。来いレティア」


 強引に誘う、今の島は断られることなど一切頭に無かった。


「あーっ、もうわかったよ。ラズロウ、エスコーラはお前に預ける上手くやれ」


 突然任せると言われて何故かプレトリアスの顔を見てしまう。

 少尉はラズロウと呼ばれた男に肩を竦めてみせ「返答はスィンかシだな」とおどける。


「はいボス、お任せ下さい。その、おめでとうございます」


 意味が通らない言葉を吐いて、余計なことを言うなと怒鳴られて酒場に残される。

 マスターから何故か一杯奢りが手渡されるのだった。


 アスンシオンの大使館分室。久し振りにその席に戻るとオズワルト少佐の報告を受ける。


「また派手にやられたようで」


「なに俺じゃないよ、パラグアイの英雄の手先のそのまた誰かさ」


 表面に存在がでないように痕跡を消すことは出来なかったが、より大きな太陽を置くことで足跡を見えづらくしてしまった。

 関心を抱いた何者かが調査して声を上げたところで今更何も変わりはしない。


「左様ですか。では報告を。ニカラグアとパラグアイの交易は双方に有利な形で行われることが決まりました」


「そいつは結構なことだ、名目上の役割はこなしたことになるからな」


 事実上はパラグアイが資源を減らしてしまうのだが、無いと思っていたところから降ってわいたものなので全く気にならないらしい。

 石油資源同様にあるうちに稼ぐか、細く長く維持するかは国家戦略と言える。


「裏テーマも何とかなりそうだよ。これもゴイフ補佐官の手回しの成果だな」


 フェルディナンド大将が勝ち逃げした形になった、荒稼ぎしてからアンチにまわるなど、まさに生き馬の目を抜く争いである。


「これは企業側の報告です。今後は年間二百八十億グアラニが株主に還元される予定です。来年度よりイブン・サウード殿下に三億七千五百万リヤル、レバノン政府に三十億二千万レバノンポンドを返済し、それに投資謝礼の上乗せをする必要があります。大佐が貸し付けた五千六百万アメリカドルは来年度より五年間に分割して返済が実行される見通しになっています。うち、毎年九千万コルドバがニカラグアへの租税に充てられます」


 ――全く意味がわからん。単位を統一してくれ。


 言葉が出てこない島に向かい笑いながら書類にまとめてありますと差し出してくる。

 まあそりゃそうだろうと小さく何度か頷いて流して見る。


 ――桁が多すぎて理解しづらいのは書類にしても変わらないんだな。


 にやにやしながら少しして少佐がもう一枚、参考資料を提出してくれた。


「まあ日本円にしたほうが大佐は解りやすいと考えて、変換統一しました。ですが実際の支払は記載の通貨になりますのでご注意を」


「そ、そうか。わかる努力をしてみるよ」


 参考資料を手にしてよく眺めてみる。


 ――俺が借り受けた投資額が六十億で、企業株に十四億、融資に残りか。毎年十二億ずつ返済して行くのが義務ってわけだ。して収入は?


 ずっと下の方に並んでいる数字のうち、初年度のみ極端に低い値があるが、翌年度からは凡そ三十七億になっていた。


「ん? ……これはつまり三年後には赤字がなくなりそっくり黒字が生まれる?」


 そんな簡単な話ではないだろうが、作成した本人に確認する。


「もし予測範囲内で操業が続けばの話ですがそうなります。六十年分は資源がある見込みにはなっていますが、市場がそれを許すかは未定です」


 ――長いのか短いのか、三年後までは借金王で四年後には富豪の仲間入りってわけか。こいつはおちおち死んでられんな!


「マーティン社長が三倍の金額で株を引き受けても良いと打診がありましたが……」


 リスクを減らすならばそれもありだろう。しかしこの先暫く事なきを得るならば、それは安い買い物と言える。


 ――リスクを減らすために尽力するところに売るべきだろうな。イブン殿下に投資の相殺に持ちかけるのも手だろう。


「ゆっくり考えることにするよ。オズワルトはこのまま駐パラグアイ武官になるんだろうな」


 それはつまり中佐に昇進を意味している。何のことはない、島がその申請をしているのだ。


「どうなるかはわかりませんが、暫くこの地に住むことになりそうです」


「リリアンはどうする」


 何年もほったらかしとは想定外だろうと便宜をはかることも出来ると判断を委ねる。


「丁度良いので子離れしてみますよ。あれももう大人ですから」


 ――過保護なことは自覚していたんだな。


「わかった。帰国はまだ数日先になるだろうが諸事任せた少佐」


 右手を差し出して笑顔をみせる。オズワルトもそれを受け入れた。


「ニカラグアの革命でも大佐にはお世話になりました。この年で夢が見られるなんて幸せです」


「こっちこそ助かったよ。事務の訓練をつけるために今後何人か預けたい、頼めるか」


 首を横に振って真面目くさって応える。


「どうぞご命令下さい。全力で鍛えさせていただきます」


 その姿が一瞬ロマノフスキーと重なったような感覚を得た。満足を示し敬礼すると、少佐は退室していった。


 マナグア空港へ戻った島一行、彼の傍にはプロフェソーラが居た。


「あーあ本当に来ちまったよ、どうしたやら」


 ぞろぞろと税関を抜けてロビーへと降りる。

 急に島が立ち止まったのでレティシアが肩にぶつかる。


 そこには年老いた夫婦と若者や軍人が数名待っていた。


「一同、パストラ首相閣下に敬礼!」


 首相との言葉に彼女はついつい相手を確かめる。


「イーリヤ大佐、任務ご苦労だ。よくやってくれた、話は官邸で聞こう」


「わざわざのお出迎え感謝いたします。実は向こうのワイン、結構飲みやすくもって帰ってきましたが税関で睨まれないでしょうか」


 冗談で場を和ませる。パストラが構わん構わんと島の腕を叩いて笑顔を見せた。


「そちらのお嬢さんは?」


「レティシア・レヴァンティンです閣下。パラグアイ民兵団のボス、エスコーラのプロフェソーラ」


 そう紹介されて言う言葉がなくなり「そ、そうだ」と漏らす。


「初めましてセニョリータ、ニカラグアの首相パストラです。こちらは妻です」


 丁寧に挨拶されて余りに場違いな混乱を脇に成り行きで挨拶を返した。


 公用車に乗ったのもロマノフスキーとではなくレティシアと島、パストラ夫妻の組合せで終止困惑していた。


 何故この場に居るのかわからないまま、レティシアを連れてロマノフスキーと三人、大統領官邸にと足を運んだ。


「あんた大佐のクセにやけに待遇良くないかい」


「ああ過分だと思う。断るのとどちらが失礼か未だにわからんがね」


 確かに難しいところだと同意したが、それにしたってたかが大佐である。


 執務室にはオヤングレン大統領とオルテガ中将が待っていて、パストラ首相もそちらへと歩いていった。


 二人が敬礼して島が声を発する。


「義勇軍司令官イーリヤ大佐全権委員、ロマノフスキー少佐、ただいま帰着致しました」


「イーリヤ大佐全権委員の帰着嬉しく思う。まずは中将から」


 オヤングレンが優先権を渡して必要な措置をとらせる。


「イーリヤ大佐の司令官職を解任する。ご苦労だった」


「いえ勉強になりました。司令官の肩書きはまだ自分には重いものだと自覚させられた次第」


 微笑を答えにして大統領にと戻す。


「イーリヤ大佐全権委員、全権委員を解職する。こうも上手くやってのけるとはな、首相の勧めは正解だった」


「まだ始まったばかりです。この流れが固まるまで予断は許しません」


 いつ何が起こるかわかったものではない。

 政情不安の地域で年単位の計画はあまりに脆すぎる。


「こちらでも更なる支援を計画する。大佐には次が待っているからな」


 そう締め括りパストラへと主導権を渡した。


 ――次か、そりゃ簡単には帳消しにはしてくれんだろう。


「さてイーリヤ大佐、貴官にはこれからも国の為に働いてもらう。その方針の一環として、これからアメリカに飛んでもらう」


「アメリカ……ですか」


 本当に何故レティシアがこの場に居て良いか全く意味がわからない。

 彼女は島のやり取りを聞いて、自分達よりよっぽど無茶な指令が下るものだと、妙な感心すらしてしまった。


「政府間の承認は済ませてある。少佐と二人で指揮幕僚大学へ入学するんだ」


 指揮幕僚大学。即ち高級軍人の最後の難関である。政治的な理由から、国賓が入ることも多々あった。

 広義では軍と政治や経済の結び付きや、戦略やら政略を学ぶところである。

 高級参謀を名乗るならば必須の学歴と言える。


「承知しました」


 ロマノフスキーは何も語らず黙って受け入れている。


 流石にもう我慢できずについに口を開いた。


「あたしゃなんのためにここにいるか、誰か納得いく説明してくれないかね」


 ――実は俺も知りたかった。レティアが一緒なのは報告をしてはいたが。


 目の前の三人が互いを見詰めあって、次いで島を見る。

 なのでレティシアも島を見た。


 ――え、手違いか何かか。俺が理由を作らなきゃ収まらんのかこれは?


「あー……レティシア・レヴァンティンですが、彼女は重要人物でして、アメリカにも同行させる許可をいただきたく……」


 歯切れ悪く取って付けたような台詞を口にする。

 指揮幕僚大学には流石に入れないが、同行は許可された。


 何となく気まずい空気が流れ、それから逃げたかったのか退室が命じられた。


 当然、部屋を出てからレティシアにきつく睨まれる。


「何だか釈然としないんだけど、どうだい?」


「そうか、俺はお前と一緒に居られて嬉しいぞ、なあロマノフスキー」


 なあと言われても彼も困ってしまう。


「お似合いですよお二人は。しかし、指揮幕僚大学とは驚きです」


 誤魔化して話題をすり替える、すかさず島が食い付いた。


「あれは確かエリートが集まる場所だったはずたよ。名前だけは聞いたことがあるが、良い噂は無いね」


 派閥が構築される温床になっている。士官学校の比ではない。

 軍や国家の青年団が時間を共有するのだ、将来への布石と言えるが心配は尽きない。


「軍人としては少佐か中佐が対象で、大佐への登竜門に位置付けされていたはずです」


 ――今更ながら飾りで参謀肩章を与えられてはいたが、中身を伴ってこいとの仰せなわけか。


 高度な話についていける自信は全く無かった。

 何よりその後にどうするかも決まってはいない。


 階段を下るとミランダが待っていて伝言があると駆けてくる。


「お婆様からの言伝てです。皆でうちにいらしてください、ささやかながらお食事の用意をしてますわ。お姉様もいらして下さいね」


「あ、あたしも?」


 はい、とにっこり笑顔を残して去っていった。


「君も仲間ってことだよ、さあ行くぞ」


 パストラ宅には政府や軍からも招待客がありごったがえしていた。

 主に内務の局長らや、クァトロに関わっていた面々である。


「いらっしゃいダオさん、お疲れさまでした」


「夫人、お招きいただきありがとうございます。末席を汚す無礼、ご容赦下さい」


 社交辞令は必要である、それが近しい相手ほどに。

 首相は少し遅れてから参加するそうだ。


「うちの旦那様はあなたが帰ってくるのが嬉しくて堪らないのですわ。もう一人孫が出来たみたいだと喜んで、何なら本当にそうなってもらっても良いのだけど」


 言ってから、「あら、お嬢さんに失礼だったわね、ごめんなさい」などとレティシアに謝っている。複雑な顔をしてから「腹が減った!」と会場に一人で行ってしまった。


「自分みたいな根無し草を気にかけていただけるだけで充分です。そうそう、お土産があります」


 鞄から半分に割れて穴だらけになった石を取り出す。


「パラグアイで初めて確認されたチタン鉱石です。ニカラグアとの交易の歴史の一つとして譲り受けてきました」


 博物館は首相の管轄なので大統領ではなくパストラにと持参してきたのだ。


「面白いお土産で嬉しいわ。あの人に渡しておきますわ。さあ皆さんお楽しみ下さいな」


 島の許しを得て部員が思い思いに散っていった。


「イーリヤ大佐殿、また勇名を馳せたようで」


 笑いながら声をかけてきたのはロドリゲス大尉であった。


「悪名千里を駆けると言うからな。まあ生きている証拠だよ」


 正規軍で治安維持に活躍しているようで、首都の部隊勤務の章を襟につけている。


「オルテガ派の抵抗はどうだ?」


「オルテガ中将が糾合して抑えていただいているので、現在のところは穏便に済んでいます」


 ダニエルが失脚して海外に亡命してからも、ウンベルトは政府との間に入り連絡役として働いている。

 軍人として国家のために尽くす、これを是としているようで目下のところ双方に影響力を有しているようだ。


「それは長生きしてもらわねばならんな。もし柱が欠ければまた争いが起きかねない」


「厳重に注意いたします」


 挨拶を済ませると敬礼して去っていった。


 パーティが盛り上がるとパストラが現れて乾杯の音頭を中程でとる。不思議なもので、何度でも乾杯は受け入れられる。

 島を見付けてやってくるとそこでもグラスを掲げた。


「閣下、お招きいただきノコノコとやって参りました」


「来てくれねば困る、大佐の為に開いたようなものだからな」


 ご機嫌で杯を傾けた。この機会に先に言わねばならないことを告げておく。


「閣下、ニカラグアは教育の面でパラグアイにすら大きく遅れをとっております。教育予算が半分の比率では今後の差は開く一方かと」


 パストラも気にかけていたようで同調する。


「長く圧政があり、国民は知らぬが扱いやすい歴史があった。これから徐々に改善していくよ」


 何年先になろうとも必ずと思いを馳せる。


「それですが、自分から年間三千六百万コルドバを、初等教育基金として寄付致します。首相のご裁下をいただきたく――」


 パストラは目を瞑り空を仰ぐ。脇に控えていた秘書に、教育局長を大至急呼んでくるようにと命じる。

 安定しての収入ではないことを注意しておく。


 慌てて駆けてきた五十代の男が首相に一礼する。


「局長、大佐が教育基金を設置してくれる。初等教育での識字率はどのくらいだ」


「はっ、十年前は六割、現在は八割を越えました」


 胸を張ってそう答えるが高い数字ではない。

 読み書きが出来ねばろくな労働が期待できない。


「残る二割、経済的な理由で就学出来ない児童を教育補助するのだ」


「ですがそうなれば、三千万コルドバはかかります。予算が……」


 幾らなんでも基金だけでは賄い切れまいと島をチラチラと見る。


「大佐が手当してくれる、彼はニカラグアの英雄だよ。これからは子供たちの英雄にもなるな」


 なんと! と驚いて再度金額を確認する。概算より余裕があると知らされると、使いきって良いかを尋ねた。


「倉で眠った金は何も産み出さない。国民の教育水準が上がるのは全てに優る、そう自分は考えています」


「尤もじゃ。未来のニカラグアは子供達が背負う、ありがたく使わせてもらう」


 パストラが両手で握手を求めて笑顔で頷く。島も彼が喜んでくれて嬉しかった。


「ところで閣議の結果じゃが。大佐にはアメリカから帰国後に特命が下ることになった」


 通常の部隊に配されるとは考えなかったが、特命と言われると身が引き締まる。


「すると?」


「包括的見地により、大佐独自の判断で国家に将来的な利益をもたらすだろう地域で任意の活動をする命令が下るよ」


 真剣な顔から一転して平たく説明する。


「つまりは好き勝手どこにでも行ってこいということじゃよ」


「そ、それは――」


 言葉にならずに口をパクパクしてしまう。

 パストラは軽く腕を叩いて「帰る場所はある、行けるところまで走り、疲れたら戻れ。君はもうそれだけの働きをした」と会場に歩いて行ってしまった。


 ロマノフスキーが頃合いを見計らってやってくる。


「次はどんな無茶振りをされました、差し支え無ければ小官にも教えていただきたいものですな」


 単身アフガニスタンに行けと言われても、そいつは参りましたな、と付いてくるだろう男である。

 最早一蓮托生、痩せても枯れても島の隣にはロマノフスキーしか居ない。


「好きにしろと言われたよ」


 肩を竦めて自嘲気味に要約して伝える。


「猛獣の放し飼いは感心しませんな。一つ自分がしっかりと見てなければならんでしょう、あと十人ちょっとも」


 部員全員を代表して供を申し出た。


「猛獣とは少佐のことだろうな。サルミエ軍曹だが、ニカラグア国籍に変えて少尉で抱えることにしたよ」


 そうほいほいと国籍を与えて良いものかとも思うが、そうしてくれたら有り難いので、オルテガ中将には感謝を伝えた。


「ブッフバルト、ビダ、サイード、オラベルは多大な功績を上げました」


「昇進を約束するよ。ブッフバルトだが、将校へ上げたい」


 若手の中でも堅実で有能だと見ているので、これを期に推薦したいと少佐に相談する。


「異存ありません。ビダにプレトリアスをつけて兵を任せましょう」


 どうやらビダ軍曹も部員に仲間入りしたようで中核に据えるよう進言してきた。


「プレトリアスだが、軍曹三名を間違えそうになる。悪いが彼等には新しい名前を名乗ってもらうことにしよう」


 少尉に伝えとくよ、と後に回してしまう。


 ふらふらとどこからかいつものようにコロラドが現れた。


「お取り込み中すいません」


「どうした、また誰かが俺を狙ってるか」


 どこのマフィアだと諦め口調で話し掛ける。


「カリ・カルテルのオチョアがやけにお怒りのようですぜ。いよいよ有名人になってきたようで」


 コロンビア最大の麻薬組織、アメリカ大陸随一の組織が島を殺そうと息巻いているらしい。


「困ったものだ、アメリカ大陸に居られないな。なあコロラド、アフリカに行ってみないか」


 いたずらっぽくそう持ち掛ける。すると曹長は綺麗な白い歯を見せて口元をつり上げる。


「行ってみましょう。してどのあたりにしましょう」


「実は半年間位俺達は学校に行かにゃならん。そこでだ、コンゴ民主共和国、ルワンダ、ウガンダ、南スーダン、中央アフリカあたりの実情を探ってきてほしい」


 きな臭い場所を次々と列挙されて多少の驚きをみせる。


「一人ではちと数が……」


「そりゃそうだ、軍曹らをつけるから使え。ほら軍資金だ」


 いつものようにプラスチックカードを手渡す。


「二十万ドル入っている、曹長の判断で好きに使え。とやかくは言わん、役に立ちそうな何かを見付けたら繋ぎ止めろ」


「スィン。してどの軍曹を?」


 中には相性が悪いやつがいるのかも知れないが、特に話を聞いたことはなかった。


「アフマド軍曹、アサド軍曹、プレトリアス軍曹の三名だ」


 いよいよプレトリアス軍曹のバラ売りをすべく配置を変え始める。

 アフリカ地域に関わりがある人物を並べ、少し考えてから「サイードも付ける」と加えた。


 使いこなす自信が無いようだが、それを見越して続けた。


「気負うことはない、軍曹らは自身で判断可能だ。コロラドの動きを少しばかり教えてやってくれ」


 何とか頼むと困った顔をすると、一念発起して引き受けた。


「承知しました。やれるだけやってみます」


 頼むぞと背中を軽く叩いて押してやる。彼の技術は誰かに継承すべきなのだ。


「アフリカですか。何を企んでいるんです」


「まだ決めてない。だが東南アジアかアフリカが次の舞台だと考えているんだ」


 言わんとしているニュアンスはわかった。そしてアジアでは言葉で困るだろうとの見通しも。


「結局のところ自分達に出来るのは戦うことというわけですか。ですが確か内戦地域には介入してはならない国際法があったのでは?」


 クーデターは内戦だろうと先程の国で引っ掛かるのがあると指摘する。


「あるらしいな。だが金が目的でなければ良いらしいよ。俺の目的はテロリストの殲滅だ、その為なら口うるさい奴等も黙るはすだ」


 特にアメリカは、テロリストと戦う組織に密かに援助しているなどと囁かれている。

 それが内戦の国だとしても第三国を経由してこっそり介入するのはいつものことなのだ。


「現地での物資調達や兵力補充手段も必要なわけですか。マリー中尉にやらせておきましょうか」


 階級からして彼に任せるのが無難だろうと承知する。


「あちらではヨーロッパからの武器商人が相手になるか。それこそブッフバルトを組み合わせよう」


 残りは兵営だとひとくくりにする。


 ――グロックには困った奴をフォローさせよう。あれはワイルドカードだ。


 目を瞑れば様々なことが思い起こされた。だがまだまだ島の人生の道のりは始まったばかりであった。



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