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レジオネール戦記・統合編  作者: 将軍様
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第八部 第三十三章 ニカラグア義勇軍、第三十四章 パブリックギャングスター、第三十五章 アンダカヴァフォーラン

 マナグア空港は迫撃砲で損傷した滑走路とは別に、もう一本新たに国際線を設けたようで、すんなりと着陸することが出来た。


 税関では旅券を見るや否や、全く調べずもせずに一行を通過させた。


「警備がザルなわけではなさそうですな」


 ロマノフスキーがゲートの先へ視線を送る。そこではオズワルト退役少佐とパストラ夫人、ミランダが到着を待っていた。


「一同、首相夫人に敬礼!」


 島の号令で部員らが敬意を表す。


「ダオさん、よくご無事で。心配していましたよ」


「ご心配をお掛け致しました、申し訳ございません」


 元気ならばそれで良いと笑顔で締め括る。軍服を脱いだオズワルトもその表情を明るくさせた。


「大佐殿、大統領府で皆様がお待ちしております」


「うむ、ゲンコツの数発は覚悟してきたよ」


 苦笑いを浮かべたオズワルトが、こちらですと車両を用意しているところへと案内する。


「ミランダ、久し振りだ元気にしていたかい」


「はい。今はマナグア大学で勉強中です」


 結構だ、と評して知人らの平和に満足を示した。


 大統領府にある控え室に部員らを残して、大統領執務室の扉をノックする。

 内側から秘書官が開いて島とオズワルトが招き入れられた。


 そこにはオヤングレン大統領、右側にパストラ首相、左側にはオルテガ中将が待っていた。

 背筋を伸ばし踵を鳴らして敬礼する。


「申告します。イーリヤ大佐、数々のご迷惑をお掛けしおめおめと戻って参りました。如何なる処分も慎んでお受けいたします」


 パストラがゆっくりと歩みより島の肩に手を置く。


「あまり心配をかけるものではないぞ。困った時には周囲に相談するのだ、良いな」


「はい。返す言葉もごさいません……」


 よし、と腕を軽く叩いてパストラが元の位置に戻る。


「結果としてニカラグアとイエメンの友好が深まった。それを以て不問に処す」


 大統領が気にするなと仕草で示す。実際問題イエメンへの訓令を許可しただけで何もしていない。全て代理でパストラが手配していたのだ。


「寛大な処置に感謝致します」


 島を罰したところで何がどうなるわけでもない、それをわかって判断を下す。


「ところで大佐、貴官は今やニカラグア軍人なわけだが、よもやすぐに除隊をするとは言わんな」


 中将がわかりきった答えを確認してくる。


「はい中将閣下。自分はニカラグア軍人として使命を全う致す所存です。司令官、何なりとご命令を」


 三人が視線を交わしてその態度を受け止める。


「ふむ。大佐はパラグアイを知っているかね。南米の国家のそれだ」


 島と関わりが深いパストラが主軸になって話を進行する。

 南米パラグアイ共和国、内陸にある貧乏な国とのイメージが頭を過った。


「大まかな場所や規模程度ならば」


「そのパラグアイだが、ニカラグアにそこから麻薬が大量に流れてきている。粗悪品じゃよ、他では売れないようなモノでもここなら何とかギリギリ手が届く価格で、昨今蔓延してきている」


 最大の麻薬大国はコロンビアである。だがそこからは先進国向けで純度が高く、値段が張るような逸品が主力として出荷されているに過ぎない。

 二流、三流の品をリスクを犯してまで流通させるような真似は敢えて行わない方針なのだろう。


「すると麻薬の取締り摘発をですか」


 麻薬は国力を低下させる。人々の健康だけでなく、社会全体に悪影響をもたらす。


「そうじゃ、儂からは二つ注意点があるぞ。政府には大佐らに給料を支払う余裕がない、悪いが暫くは無給で働いてもらう」


 島ら十人を雇う金額があれば、ニカラグア人なら二百人に仕事が割り振れると説明される。


 ――仕方あるまい、部員には俺から支払うことにしよう。


「承知しました」


「二つ目は麻薬だが、流出を抑えるのが大佐の役目だ。つまりパラグアイで活動してもらう」


「パ、パラグアイでですか!?」


 少しばかり予想の範囲から外れた言葉が出てきて、ついつい聞き返してしまった。

 それには返事をせずにオルテガ中将が言葉を繋げた。


「大佐をパラグアイ派遣義勇軍司令官に任命する。事務長が必要だろう、一名のみ公費で負担する。指名を行え」


 ――やれやれどうやらそうするより他には無いと言うわけだな。良いだろう、それが望みならばやってみせるさ!


「オズワルト退役少佐を指名させていただきます」


 どうして一緒に入室したかを今さら気付いた。オズワルトはにこりともせずに承諾をする。


「ニカラグア軍司令官として、オズワルト少佐の現役復帰を承認する。駐パラグアイ義勇軍へ配属する」


 形式として、その場で島への着任報告を行い承認される。

 最後に大統領が口を開く。


「知っての通りニカラグアは貧困で混迷中だ。此度のパラグアイ派遣にはもう一つの理由がある。彼の地には巨大な鉄鉱床が確認されている。現在の技術力では採算がとれないようだが、十年、二十年先はわからん。優先取引権を獲得すべく援助を行う所存だ」


 見栄や気紛れで動くわけではないと、政治的な取引について述べる。これは首脳陣が島を信頼している証である。


「治安が悪い国には企業が近寄らない、イエメンで体験してきました。麻薬を扱う組織も壊滅させます」


 内容を先回りして返事を行う。満足な表情を浮かべて大統領が続ける。


「これに関連して、鉱石に関する全権委員に任命する」


「全権委員とはなんでしょうか?」


 聞き馴染みがないために承諾ではなく質問を返してしまう。


「次席大使のようなもので、権限を限定した外交官だ。つまりは鉱石に関する文書を交わせ、外交特権も付与されるよ」


 ――モロに政府の代理人じゃないか! 俺はそんな大層な人間じゃないぞ。


 いくらなんでも厚遇過ぎると抗議を挟もうとする。だが横からパストラが先手を打ってきた。


「パラグアイではニカラグア人はあまり好まれなくてな、これは懲罰の一種じゃよ拒否は許されんぞ」


 渋い顔をして釘を刺してくる。そうなってしまえば最早スィンと答える他はない。


「全権委員拝命致します」


「結構。パラグアイ政府から了承が得られるまでは大統領府に待機しているように。以上だ、退室しなさい」


 二人は敬礼して執務室を出た。あれこれと話したいことはあったが、今は黙って自らの立場について考えることを優先することにした。


 部員が待機している部屋に入ると、腕を組んでドカッと椅子に座って黙りこむ。

 何があったかわからないが、だいぶ絞られたのだろうと、皆が関わらず喋ることもせず無音空間を共有した。


 たっぷり二時間は待たされただろうか。それでも微動だにしない島に合わせて沈黙を保つ。

 よくやく係が島を呼びにやってくると、すっと立ち上がり部屋を出ていった。


 すぐに部員らがオズワルトに群がり説明するように要求した。


「うちのボスはどうしちまったんです?」


 ロマノフスキーが代表して尋ねる。階級は変わらないが先任を立てて。


「ご本人からの説明があるよ、心配するようなことはない」


 悠然と言い切る。自らが麾下に入ったことも含めて、開示の判断は島が行うべきだと。


 結局何も教えられずに部屋で待つこと十五分、島が戻ってきた。

 その顔に何かの意志が見えたためにロマノフスキーが号令をかける。


「起立、敬礼!」


「命令が下った。我々はこれよりパラグアイに向けて出立する。序列を定める。司令兼首席参謀ロマノフスキー少佐。後方勤務司令オズワルト少佐」


 名前を呼ばれて二人が島の左右に控える。

 この陣容がホンジュラスにあったクァトロと同じことを知る部員は懐かしさを感じた。

 しかし何故パラグアイかの疑問が残っている。


「呼称、ニカラグア軍駐パラグアイ義勇軍。俺が司令官イーリヤ大佐全権委員だ。目的はパラグアイからの麻薬流出阻止、現地の犯罪者組織の壊滅だ、何か質問はあるか」


 全員を一瞥するが一切の質問が発せられないため頷く。


「よかろう。出国は明日の一○○○、それまでは自由だ。軍の宿舎を使ってもよい、解散!」


 地理に不案内なのでオズワルト少佐が部員らの面倒をみることになった。

 ぞろぞろと出ていき、ロマノフスキーと島、二人だけが残った。


「じい様達はまたエライ懲罰を考えたものですな」


 断れるわけがないと島に大変な仕事を割り振ったのをすぐに見抜く。


「義勇軍の意味は知ってるな、平たく言えばタダ働きだよ」


「そいつは参りましたな、小遣い稼ぎに何か考えておきましょう。全権委員とは一体何です?」


 金が貰えないのは仕方ないと受け止める。やはり気になったのはその名称であった。


「政府の代表として鉱石の権利を得てこいとのお達しだよ。その為のあらゆる権限を認めてくれるそうだ」


 肩を竦めてその先に言いたいこと飲み込む。代わりにロマノフスキーが繋げたが。


「つまりはそれまで帰ってくるなと。権利と義務は裏表ですなあ」


 干からびて離散しないようにと、権限を与えてくれた内容について考えを巡らせる。


「鉱石ってのは幅広いよな」


「まあそうですね、石ころからダイアモンドまで全てがそれに含まれるわけでして」


 ――あいつはまだフリーだろうか、もしそうならば打診してみるか。


「何を思い付いたんです、また裏技ですか」


 顔色から察して早速つついてくる。


 ――あまり簡単に心を読んでくれるなよ、俺の修行が足らないのがばれちまう。


「パラグアイで鉱石があまり産出されないのはノウハウが無いからだ。ならば技術者を引っ張ってこようと思ってね」


 アフリカあたりでも外国企業に食い物にされているので、そのあたりの発想は間違いではないのだろう。


「で、そんな好都合なことに呼んだら来るような技術者がどこに居るんで?」


 そういう人物はすべからく企業が独占していると指摘する。


「我らにとって運が良ければ、今頃エディンバラ通りを運転しているさ!」


 他人の不幸は自らの幸福と見込みを明らかにした。


 一時的に貸し与えられた士官室で一息ついてから決意を固めると受話器を手にする。


 一度だけコールしてから繋がる。


「ハロー、イーリヤです」


「無事で良かったよ」


 向こうでも連絡がくるのを待っていたようで状況を把握していた。


「大変ご迷惑をお掛けしました」


「なに、生きてさえ居ればそれだけで構わんよ。今は宮殿だな」


「はい。ですが近く南米のど真中に出張してきます」


 なるべく固有名詞を使わないようにやりとりを行う。身に染み付いてしまっている。


「働いている方が幾分かマシだろうさ。俺はいつでも待っている、また一緒に働きたくなったら連絡するんだ、歓迎するよ」


「閣下、暖かいお言葉ありがとうございます」


 ――自己嫌悪だな。俺は沢山の人に支えられて生きている。あと三件謝罪の電話をしなきゃならんな。


 身から出た錆がこんなにも心苦しい結果を招くとは思わなかった。

 怒りは冷静さを失わせる、その効果を自身で体験した。これを教訓として活かす術を得るべきだと、再度受話器を持って番号をプュシュし始めた。


 パラグアイの首都、アスンシオン。大統領府が置かれているこの都市は、国内最大の都市でもある。


 その大統領執務室に不機嫌な声が響いていた。


「ニカラグアなどから援助など受ける必要はなかろうに。大体にして私は中米の人間が嫌いなのだ」


 難しい様子を見せているのが、フランコ大統領である。

 世間ではルゴ前大統領を追放するために暗躍しただのと中傷を受けていた。


 それが真実かは本人すらわからない部分もある。何せ権力機構とは意思とは無関係なところで影響を及ぼすことがあるから。


「しかし新政権に代わり我々政府に友好を示してくれる、数少ない味方になりえる国です。ニカラグア人とて粗略に扱わないべきでは?」


 大統領補佐官としてフランコを支えるゴイフは、毛嫌いしているのを知りつつも役目として諫言を行う。


「どうせ口から生まれたような奴かコミュニュストかぶれだよ。イーリヤだ? どこの離れ小島出身やら」


 とはいえ南米共同体のメルコスール資格停止、隣国からは政府を認めないなど風当たりが強い中、敢えて敵を増やすのはどうかと大統領も理解はしていた。


 頭ではわかっていても生理的に受け付けないのだ。


「明日には到着します。最初だけ我慢して下されば後は担当に任せて結構です」


 駄々っ子をあやすのも仕事だと割りきり辛抱強く対応する。

 時間に遅れないようにと再度注意を与えておくが、公式プログラムですら常にオーバーするのはいつものことである。


「フェルディナンド中将が担当だったな」


 陸軍の首都圏司令官である。パラグアイ陸軍では少将の下が大佐なのだが、海軍は代将、空軍には准将が設置されていて少し変則的な仕組みになっている。

 一昔前のヨーロッパの制度のように、陸軍は大将まで席次があるが、空軍と海軍は少将までしか昇進しない。

 内陸国のパラグアイは海軍の力が弱い。河川の警備や、他国に置かれた自由港にある艦艇を管轄しているだけなのだ。


「左様です。明日の着任式には同席致します」


「では明日まで我慢しよう」


 何せフランコは他人がルーズなことが気に入らない。南米に産まれたのが運のつき、ストレスが溜まる一方だろうと補佐官は彼も被害者なのだと思い込むことにした。


 アスンシオン空港にニカラグア義勇軍が降り立った。義勇軍とは言うが、総数たったの十名余りである。

 急なことと、部員らの体格が平均的なニカラグア軍人と離れすぎていたことから、軍制服は他国から買い付けたビッグサイズに国旗を刺繍したものになっていた。


 ニカラグア軍人としてつけるそれとは別に、国籍が他にある者は腕にその国の刺繍も追加している。

 何とも賑やかな集団ではあるが、大統領府の警戒レベルが高い上階には少佐以上のみが案内されたことで、ニカラグア国籍のみに収まった。


 執務室には大統領や補佐官、将軍の他に係員、政府の指定を受けている報道陣が少数だが集まっていた。

 三人は正面中央で待つフランコの前に進み出ると軍帽を外して小脇に抱える。


 思っていた顔と全く違う人物が現れて一瞬疑いの眼差しが織り混った。


「申告します。ニカラグア義勇軍、司令官イーリヤ大佐全権委員、ロマノフスキー少佐、オズワルト少佐、只今着任致しました」


 スペイン語を喋る相手をまじまじと見つめる。どう見ても中米人の顔付きではない、アジア圏のそれである。

 それはつまりパラグアイ人にそっくりということだ。彼らの祖先は混血政策により、モンゴロイドが大半を占めている。


「大統領閣下、着任の承認を」


 補佐官が斜め後ろから小声で急かす。


「イーリヤ大佐全権委員、及びニカラグア義勇軍の着任を承認する」


 言ってからしまったと間違いに気付く。ニカラグア義勇軍のイーリヤ大佐を承認しなければならないのに、イーリヤ大佐の義勇軍と表してしまった。

 外交に於いてこの差は大きい。パラグアイ大統領がイーリヤ大佐個人を迎えた形に刷り変わってしまう。


 ――なに!? ここで大統領に恥をかかせるわけにはいかんぞ。


「承認ありがとうございます。大統領閣下の仰せの通り、ニカラグアは経済に於ける関係を軍の上に置いております。義勇軍は自分の完全なる指揮下に連なっております」


 咄嗟に口上を差し替えて大統領の言を受け入れる。ニカラグアが一段下にへりくだることでパラグアイを上に立てた。

 尊敬は世界共通にあるが、謙譲の精神が存在する国は案外少ない。


「我が国も貴国と同じ考えだ。大佐と是非将来を語らいたい」


 シナリオを崩してフランコが言いたいことをいい始めたので補佐官らが動揺する。


「閣下のお声あらば何時でも参上致します。その節はどうぞお召し下さい」


 外交官らが行う鍔迫り合いを一切せずに受け身にまわる。元より詳細な訓令を携えてきたわけではないので、島も善良な軍人として振る舞う。

 だがそれがフランコの目には新鮮に映ったらしい。


「では早速だが今夜の会食に大佐らを招待しよう、来てくれるかね」


 夜は別の約束があるとわかっていて大統領が我が儘を公言する。

 補佐官の顔がみるみる青くなっていくのがわかった。


「お招き頂き感謝の極みです。末席に居場所をお与え頂きますよう」


 ちらりと補佐官に視線を向けておく。同席可能な形での返答にしておくことで都合をつけられるようにと。

 内心胸を撫で下ろしたかのように小さく安堵の溜め息をついたようだ。


 いつまでたっても軍司令官に担当を移すと宣言しないため、隣にいるフェルディナンド中将がちらちらと大統領を見る。


「紹介しよう。パラグアイ陸軍司令官、フェルディナンド中将だ」


「フェルディナンド中将閣下、ニカラグア軍イーリヤ大佐です。よろしくご指導願います」


 中将を正面に捉えて敬礼する。下腹が出ていてデスクワークが長いことを窺わせた。


 本来ならばここで大統領が以後を中将に一任すると言うのだが、紹介のみで言葉が止まる。


「大統領閣下、委任のお言葉を」


 補佐官がそう助言するが聞こえない振りをしている。

 言葉に詰まって妙な沈黙が流れた。


 ――おい台本が全く役にたっていないぞ!


 島はぴくりともせずに直立したままで動きを待つ。ついに中将が痺れを切らせて言葉を口にした。


「大佐、何でも相談してくれたまえ、我々は貴官らを友好国軍人として遇する準備がある」


「ありがたいお言葉恐縮であります」


 軍のやり取りが終わったとして大統領が締め括る。


「では後程また会おう」


 ご機嫌で退室を促す。テレビカメラも一緒に追い出されて、大統領が自らの椅子に腰かける。

 補佐官が詰めより小言を浴びせかけようとするのを制する。


「ゴイフ補佐官、君は大統領の仕事をしやすくするのが役目だったね」


「はい閣下。間違いを正すのも役目と心得ておりますが」


 刺がある言葉で返事をして弁明を待つ。


「では間違いを修正したまえ。イーリヤ大佐は私の担当にする」


 額に手をやり補佐官が天を仰ぐ。


「ああ……閣下、彼らはフェルディナンド中将が担当すると閣議で決定しているなではないですか」


 閣議決定とは政府の統一見解である。国会とは違う意志の決定機関として機能している。


「イーリヤと言うからわからなかったがあれは東洋人だろう。君ならあのような配慮が出来たかね」


「確かに先程のフォローは見事でした。ラテンアメリカならばどこでも通じる位に。ですがそれとこれとは別問題です」


 フランコはどこ吹く風とばかりに椅子を揺らして補佐官が諦めるのを待つ。


「中将閣下からも何か仰有って下さい」


 らちが明かないと話を振る。補佐官は亜大臣なので本来は中将と同格である、しかしゴイフは調整役を目指している為か常にこの調子である。


「大統領閣下がそうすると言うならば良いではないか。何をそんなに心配しているのだね」


 どちらでも構いはしないと無関心なのか何なのか、さらりといい放つ。


「承知しました。閣僚には私から変更を伝えておきます。それと夕食ですがイーリヤ大佐を同席で予定に組み込んでおきます」


 勝手にしろと言えたらどれだけ気持ちよいか、それを我慢するのが仕事だと何度めかの慰めを自らに言い聞かす。


「グライアの知事ら抜きではいかんか?」

「いけません! それでなくても不安定なんです、臨県の首長らは大切にしていただきます」


 アスンシオン首都圏は国土面積で凡そ二割、その中に人口は六割も集まっている。

 パラグアイ川の東が面積四割で、人口は九割七分。つまり西側六割の面積にはたったの三分しか人が住んでいない。

 手付かずの自然と表すか、未開の地と称するか。そんな場所に何故かアメリカ空軍基地が間借りされており、世界中本当にどこにでもいるものだと半ば呆れてしまう。


「仕方がないな、では良いようにしてくれたまえ」


「承知致しました」


 肩を怒らせて退室しようとする後ろ姿に一言投げ掛ける。


「ゴイフ、いつも助かるよ」


 ずるい言葉である。これだから補佐官を投げ出さずに続けていた。


「いえ、お気になさらずに」


 執務室を出て実務者会談の為に用意された部屋で相手を待っていた。


「オズワルト少佐、緊急避難でニカラグアの体面を損なってしまったが大丈夫だったろうか?」


 気になり隣に座る男に尋ねる。喉の奥に小骨が引っ掛かっているような感覚であった。


「大佐はそのようなご心配を? ……ふむ、そうでしたか」


「何だその反応は」


「いえ、細かい部分に気がまわる方だなと思いまして。全く問題ありません」


 全然ですと繰り返す。顔を見ても思い悩んだ末とかの様子が感じられない。

 反対に座るロマノフスキーも特にコメントは無さそうである。


 ――そんなもの……なのか?


 今一つしっくりこない空気だが、二人が何も喋らないので島も黙ってしまう。

 やや待つとようやく事務官がやってきた。軍服ではなくスーツを着た職員がである。


「お待たせしてしまいました。私は内務省の審議官です」


 審議官とは主査クラスの官である。軍ならば少佐か大尉に相当する。

 相手が誰であれ名前を呼び捨てにする世界である、いちいち苛立ちを覚えても仕方ないと飲み込む。



「担当は軍官と聞いていたが?」


 先程の着任式からずっとイレギュラーが続いておりようやく疑問をぶつけた。


「変わりました。フェルディナンド中将からフランコ大統領へと管轄が」


 ついついロマノフスキーを見てしまう。すると顔が参りましたな、と言っていた。


「具体的には我々にどのような変化が?」


「さあどうでしょう、大した違いはありませんよ」


 知ったことではないと同義だろう。なるようになれと話を促す。


「では審議官殿、我々はこの地からの麻薬流出に困惑しております。ついてはその排除に力を添えたくニカラグアより参った次第」


 軍人相手ではないのでやりづらさを感じながらも来訪の理由を説明する。

 当然そのあたりの事前協議は済まされているはずだが。


「パラグアイには排除を実行する人手も予算もありません。そちらで行うならばご自由にどうぞ」


 ――丸投げもここまで堂々とやられたら愚痴も出ないものだな。


「わかった。何かの許可証なりの証明書をいただきたい」


 言った言わないの世界になれば当然敗けは見えている。


「必要ですか?」


 さも面倒を押し付けられたと言わんばかりの表情を浮かべる。


「必要だよ」


「わかりました、用意します」


 他に何かあれば誰かに聞いてくれと席を立って跡形もなく消えてしまった。


「まあ、これがラテンアメリカクオリティと受け止めましょう」


「そうだな、俺達がしっかりやれば良いだけだ」


 協力よりも独力の方がやりやすかろうと解釈する。


「ですが大佐、我々には人も金も地元の支援もありません。どのようにするおつもりで?」


「なにボスはいつも裏技を披露してくれるんだ、心配はいらんさ。そうでしょう大佐」


 何でも飛び出る素敵な引き出しがあるならば欲しいものだと目を瞑る。


 ――人は手下を雇えば済む話だ、軍隊を動員してもらうこともあろう。地元の支援は地道に動くか、有力者の一本釣りしかあるまい。金は部員の給与で消えちまうな、何とか稼ぐ手段をつけとかねば。鉱石権限を活かすためにもそのあたりを交渉すべきだが、こちらから出せるものが何もないな。あるのは軍事経験だけか……


 かといって軍事顧問のような真似は誉められたものではない。何故ならばラテンアメリカでは他国軍隊を閉め出す憲法が成立している。

 パラグアイにはまだないが、軍事顧問に限らずそのような集団が堂々と上に就くのをよしとしない背景が存在する。


 ――金か、全てはそこに尽きるわけだ。何処からか資本を流入させて、将来的権限で償還させるか。込み入ると面倒になる、ジョイントベンチャー企業体は避けたいな。だがどこかに独占させては弊害もあろう、ならばどうしたものか。

 合同出資企業、これならば利益で揉めることもないか。これを設立させる為のスポンサーと、こちら側の息が掛かっている経営者と技術者が居たら、後は市場が需給バランスをとるだろう。輸出企業にすべきだな。


「オズワルト少佐、これからアスンシオンに合資企業を設立させるぞ。諸手続きについて用意してくれ」


 十分ほど黙って考えていた島が口を開いた。


「目的は何になるでしょう?」


「パラグアイにある鉱石採掘、加工、輸出の業務だ」


 はっきりとゴールまでを説明しておく。


「となればスポンサー企業を必要としますね。それはいかがいたしましょう?」


「そちらは俺が何とかする。少佐は法務手続きに事務処理を統括するんだ」


 その道の専門家を信じて核となる部分を委任する。結果持ち逃げされたケースは後を絶たない。


「了解です」


 この場で待つ必要は無いだろうと部屋を出ていった。


「ロマノフスキー少佐、俺はパラグアイを動けない。外回りを頼むぞ」


「何なりとご命令下さい。まずはどちらに向かいましょう」


 島の代理だと言われて悪い気はしない。こちらも裏切られて負債のみ残される事件が良くある。


「この事業は間違いなく儲かる。ただし信用がある人物がスポンサーに名を連ねる必要があるよ。ハラウィ大臣に話をつけてきてくれ」


「電話一本で決まるところに足を運ぶのが重要ですな」


 そこだけではないと続きを幾つか並べる。


「サウジアラビアにも寄ってくるんだ。必ず弁護士を雇ってから動くんだ」


「ダー。では小官は暫し中東の旅をする準備をしましょう」


 敬礼すると微笑を残して部屋を出ていく。


 部屋の外に居るだろうと扉から顔を出すとやはり居た。


「少尉、ちょっと中に」

 プレトリアスが呼ばれて部屋に入る。

 名刺を提示されて覚えているかと問われる。


「ロンドンの白タク運転手ですね」


「そうだ。彼に連絡を取ってパラグアイに呼び寄せるんだ。役割は鉱石の管理技術者だよ」


「ヤ。護衛には族弟らを残しますのでご安心を」


 流石に面識がなければ難しかろうと、自身が飛ぶことにした。


「任命書を発行するから準備だけしといてくれ。何か他に仕事をしていたなら、給与をより多く払うからと引き抜きだ」


 そう言われて失敗するわけにはいかないので、最悪でも同等の能力を持った別人を連れ帰ろうと決意する。


 ――さて一番の問題は企業の誘致だ、どうしたものだろうか。大統領との会食で話をしてみよう。


 何せ一から基盤を作る必要があるので手探りでやらねばならない。政府に何らかの用意があるならば、そちらに乗り替えて命令を破棄するのも辞さない。

 夜には少佐らと会談に臨もうと考える。宿舎程度はパラグアイで整えているとの通知に、少しだけ安心した。


 夜会は案外慎ましやかに行われた。

 大統領が臨席しているというのに華美な催しを嫌っているのか、単に予算の都合なのかギャルソンこそ居るが内容は庶民的なものなのだ。


 上席には大統領、その隣には県知事と島が着席し、左右に関係者が並び最後に中央政府高官の順である。

 補佐官が苦心した結果なのだろう、様々な部分に配慮が感じられた。


 ――こいつは補佐官を味方に引き込むべきだな!


 列席者の紹介が席順で行われる。大統領から始まりあとは右回りだ。

 県知事や高官は一応顔写真で調べてからきたが、おあつらえ向きに鉄工会社の取締役が招かれていた。


 ――カナダ企業か、あの国ならば世界中と摩擦が極めて少ない。もし可能ならばこの場で話をまとめたいな。


 オズワルト、ロマノフスキーと続いて一番最後に島が紹介される。

 するとどよめきが起きる。東洋人故に実際より若く見られるのと同時に、大佐と全権委員という大役を一身で受け持っている事実に。


「イーリヤです。突如自分の我が儘で席をご用意していただき申し訳ありません」


 島らが出席したために席次が下がってしまった者らに謝罪する。

 この場に居る全員が大統領の気紛れだとわかっているが、その発言を受けて問題ないと頷く。


「時にイーリヤ大佐、あなたはまだお若いがお幾つになられましたか」


 県知事がそのように尋ねて料理が並び終えるまでの間を繋ぐ。


「はい、三十二歳になりました。若輩者に大役で役者不足が否めません」


「おお大佐はそんな歳だったか、私の息子と変わらんではないか」


 大統領が割り込んできたので県知事が黙ってしまう。どうにも自由奔放な部分があるらしい。

 誰もが気になり口にしないことも平気で言ってしまう。


「気になっていたのだが、大佐はニカラグア人ではなく東洋人ではないかね。それも日本人だと思うのだが」


「閣下の仰有られるように自分には日本人の血が流れております。ですがニカラグア人として国家に尽くす所存です」


 日本人と聞いて列席者に納得の空気が流れる。それまで懐疑的な態度であった高官らが一気に柔和な顔になった。


 ――そんなに違うものだったか?


 パラグアイは前から人口不足を補うために移民受け入れを行っていた。中でも日本人は極めて評価が高く、数千人の移住滞在者で推移しているだけでしかないのに、わざわざ八万五千人もの受け入れ枠を用意してくれている。

 調べた時には大袈裟な話だと考えていたが、今の態度が豹変する場面を体験してしまったら信じることが出来そうになった。


 外国からの援助も日本がトップとのこともあり、島がニカラグアの使節なのを忘れたかのように盛り上がってしまう。


「そうであろう、そうであろう。私の目は確かだよ、日本人は義理堅く真面目だ、最も信頼できる。唯一弱腰なところがあるが、大佐はそんなことはなさそうだな」


 満足そうに笑い声をあげて酒を口にする。


 確かに弱腰で優柔不断な日本人がわざわざニカラグアで軍人になり、政情不安定なパラグアイにまでは来ないだろう。


「イーリヤ大佐は全権委員のようですが、何かプランはお持ちでしょうか」


 大統領が食事に集中してしまったので県知事が再度口を開く。


 ――切り出しやすいように話を振ってくれたか、確か鉱床があるのもあの県だな。


「幾つか御座います。ですがこのように大統領閣下がいらっしゃるのです、閣下がお考えのプランを主軸に自分が適切な内容を提示させていただきます」


 気分で話を引っくり返されてはかなわないので、案件が大統領のものだとしてから話を進めようとする。

 このあたり島はチュニジアンの性格から経験を固めていた。


 不意にまた主役になってしまったフランコがフォークを置く。


「私はパラグアイに正義と利益がもたらされるならば面子などには拘りはしないよ。自由に善導してくれたまえ」


 ――ルゴ前大統領の追放黒幕説はあるが、国会に対してやりすぎだとコメントしたのもまた事実といったわけだ。


 常なのだろう、皆が一度補佐官に視線を流して確認をしてから話を島へと戻す。


「大佐の腹案をお聞かせ願えますでしょうか」


 県知事が促す。この場で開発にゴーサインを出させるのが会食の目的なのかも知れない。


「パラグアイに於ける鉱物資源を開発し、加工輸出することで産業誘致と利益をもたらしたいと考えております」


 さも規定路線を行くかの如く、大方の予測範囲内でのプランを明かす。


 だがこの案件には三つの柱が不可欠である。


「予算はどのように計上するおつもりなのでしょうか」


 地方自治体ではなく国が出せとの態度を見せる。それは抵抗や駆け引きの類いではなく、単純に金が無いことを背景にしている。


「海外からの資本を以て、合資企業を立ち上げようと考えております」


「どの筋の資本をお考えで」


 ブラジルやアルゼンチン、アメリカなどならば拒否するだろうことは目に見えている。

 金を出して口を出されるのも、また資本が流入することで経済面に強い影響力を持たれるのも嫌う。


「レバノン政府及び、サウジアラビア王室から」


 中東の投機資産と聞いて金額面での心配は無いと納得した。だがその投機を行わせる根拠が乏しい。


「ですが私共が言うのも残念ではありますが、治安が悪く政情不安定な地域にリスクが高い投機を行うでしょうか?」


 ――大統領を目の前にしてそこまで言うものかね。


 苦笑いしたい気持ちをぐっと抑えて順を追って説明してゆく。


「政情とは切り離す為の合資企業です。政府の管理下に置かれないよう法令上の手続きを挟むつもりです」



 パラグアイ法ではなく、南米共同体の準拠に沿ってと反故にしづらくする一手を置く。


「反政府活動組織やゲリラ武装組織へのリスクは?」


 国家管理ではなく公共企業に類する部分の弱味である。


「大統領閣下。産出された鉱物資源からの利潤より、一定の税を納めることで国軍の保護を担保可能でしょうか」


「税が費用を上回るならば可能だ」


 プラスになるならば問題なく約束しようと目安を与えてくれる。


「鉄工企業ですが、主たるラインをそちらのカナダ企業でと考えてよろしいでしょうか」


 同席しているのだからそこまで話が進んでいるとの前提条件で確認する。

 取締役ははっきりと頷いた。


「技術管理者に自分共からの指名者を、議決権ありの取締役で入れていただきたい」


「合資企業の予算次第で複数を。しかしレバノン政府や王室を動かせる伝が?」


 それが出来ねば話は終わりだろうと急所を突いてくる。


「サウジアラビアのイブン王子とは面識があります。一時期自分とロマノフスキー少佐は王子の近衛隊を率いておりましたので」


 護衛の責任者ならば信頼は確立されているだろうと認める。ロマノフスキー少佐にも深い関心が寄せられた。


「してレバノン政府は?」


「次期大統領候補であるマフート・スライマーン氏は自分とロマノフスキー少佐のアラビア語の師です」


 いくら外事に疎くてもその名前は政治に関わるものとして知っていた。現在の大統領の甥で候補の一人だと。


「ですが対立候補にハラウィ軍事大臣がおり、そちらが反対しては閣議が割れるのでは?」


 意外と事情通な高官がいて横から口を挟む。移民局管理官だと後に知らされた。


「あまり公にはしておりませんが、自分のフルネームはルンオスキエ・ハラウィ・イーリヤ。ハラウィ中将は義父です」


 管理官が口をパクパクさせて反論を引っ込めてしまった。

 大統領が加わりはしないが笑いながら酒を楽しんでいる。


「予算は確保でき、リスクも低くなるでしょう。鉱床保有の県知事としてはプランを全面的に支持します」


 これで成立だとばかりに場を締め括ろうとする県知事に待ったをかける。


「まだ何か?」


「合資企業に対する経営はそちらのカナダ企業にお任せできますが、これにイギリス資本からの監査企業を加えます。こうしないとパラグアイ政府に対しフェアではないと思いますが」


 懇意にしている企業を使い自由に操業をしようと少なからず考えていた県知事が苦い顔をする。


「も、勿論ですとも。いやその確認を忘れておりましたな、は、ははは」


 監査が不都合だとの態度を見て大統領が小さく鼻で笑った。運良く誰も見てはいなかったが。


「イーリヤ大佐は公平だ。私は彼に全幅の信頼を寄せているよ。大統領権限でこのプランを承認する、以後は補佐官に報告相談したまえ」


「承認ありがとうございます閣下」


 何とか部員の給与位は払えるだろうと胸を撫で下ろす。

 ここで見つかった鉄鉱床は品位が低すぎて実は余り宛にならない。それでも仕事を産み出すわけだから、国民としては歓迎してくれるだろう。

 技術が根付けば無形の財産にもなる。後は予算を何とでもして持ってこなければならない。


 少佐を視線を送り頼んだぞと願うと、口の端を少し吊り上げて返答にしてきた。


 予算、経営、安全が確保される見通しになりプランが成立した。

 実務はオズワルト少佐に任せるとして、経営部分と安全部分での初期方針を詰めておかなければならない。


 ――いよいよもってビジネスマンだなこれは。


 南米にまできて何をやっているやらと自らに呆れて目を瞑る。

 期せずしてたまたま面子が揃っていた為に、全権委員の役目の一部が進行出来た。


 それとも全てが大統領の計画なんだろうかとふと考えてしまう。

 無能者が大統領にはなれない。計算なくば継続することも叶わない。ならばどこかにシナリオがあったのではと不気味さを感じた。


「この国のワインは、そんなに悪くはないよ。大佐らも楽しんでくれたまえ」


 アルゼンチンは葡萄の産地として有名で、パラグアイもそれを真似して生産をしている。

 残念なことに気候が最適ではないために、品質としてはそんなに高いものが出来ることはなかった。だが特産品ではなく、一つの農産品としてはそれなりの成功を納めたと言って良いだろう。

 食卓に普段から並ぶ庶民の食糧として、安定した幅が持たされたのだから。


「中々に野性的な味がしています。我々のような傭兵紛いの者にはぴったりな品ですよ閣下」


 ワイルドギースをかけた洒落で評価を表す。

 ともあれ泥水を飲まされ、ビスケットだけで凌いだこともある時を思えば、何と甘美なものだろうか。


「ほう大佐は実戦経験有りか。前線かね、後方かね」


 若くして大臣の義息子ときたら後方勤務と決まっている。列席者の大方がそのように信じていた。


「無論――前線で指揮を執りました。前進か死か。我々が選択可能な道はこの二つのみです」


 誰一人その言葉の意味を理解できなかった。だが大佐が大佐たる所以はそこにあるのだろうと感じさせる。


「もし前進しても――現状が好転しなければ?」


「その時は全滅するまで前進し、未来にその精神を伝えるのみです」

 カマロンの丘然り、ディエンビエンフー然り、外人部隊は敢闘精神を大切にし後輩に受け継いできた。

 それは生きて帰ることだけが仲間のためになるわけではないのを物語っていた。


「エストゥペンド!」


 大統領が賛辞の言葉を発した。自分のためばかりを考える南米では滅多にお目にかかれない考えだと。


「お褒めに与り恐縮です。時に閣下、工場設置から採掘、加工出荷までに時間が必要です」


 その間は税が費用を下回るのがわかっているためどうするかを回りくどく尋ねる。


「ふむ、工場を作るまでにはどのくらいかかるのかね」


 半年やそこらは掛かるだろうとは思うが一応聞いてみる。質問の矛先は勿論カナダ企業の取締役だ。


「一から作れば半年はかかります。が、カナダから出来上がった機械などを分解して運び、こちらで組み立てるなら、そう二ヶ月で操業可能でしょう」


 ブロック工法やらパネル工法と括られる組立工法に近い。

 専門の工場で半分加工しておいて現地ではそれらを組立するだけ。建設期間が極めて短くなるのと、現地の技術者が少なくてすむことが特徴である。

 反面で部品の輸送に費用がかかってしまい、破損の回復が困難になる。


「ならばそうしてくれたまえ。もし採算が上々ならば未来に追加の工場が必要になるだろう」


 先があるのだから上手くやれと大統領が注文をつける。それは想定内だったのだろう、困る顔一つ見せずに了承した。


「軍による警備ですが、フェルディナンド中将が担当になるのでしょうか」


 司令官はそうだろうが、実際に警備するだろう規模が知りたい為に言質をとろうとする。


「彼に任せることになる。よく配慮するようにと言っておこう」


 どうとでも解釈可能なように言葉を濁す。実際はフランコが決められない内容なのだろうとそれ以上は深入りしない。


 会食も最高潮ではあったが、もう一ヶ所どうしても回らねばならない先があるとフランコが席を立った。

 島ら三名が起立して見送ろうとしたが他は着席のまま食事をしている。


 だが彼等は自分達の流儀を貫いた。大統領が場を離れるに際して敬礼して退場を待つ。


 ――役職なのはわかるが、庶民らの受け止め方は押して知るべしか。


 着席して残りの料理を頂くと、三々五々と客が消えていってしまった。

 三人はタクシーを回してもらい宿舎へと戻ることにする。


「なるようになりましたな」


「悪くはないさ。効率は低くても一定の生産は出来るよ」


 技術者ではないためはっきりは言えないが、わざわざ工場を作るのだから少しはプラスになるのだろう。


「カナダ企業に出し抜かれないように、といった部分で注意しておきましょう」


 県知事の態度からもその位の警戒は必要だろうと判断しておく。


「やはり現地の組合なりから登用は必要だろうな。オズワルトに一任するよ」


 任せられる部分は丸ごと任せて行く。そうするのが信頼を得られると共に仕事を楽にこなすこつだろうと考えて。


「警備は数が欲しいですが、頭の固い指揮官だと面倒ですな」


 数が居たら費用が嵩むし指揮官の階級も高くなるものだ。


 ――可能ならば中佐クラスがやりやすいが。中将との話し合いが鍵だろう。


 フェルディナンドとは殆んど喋ることが出来なかった。

 どのような人物か図りかねてはいるが、役目が国の為とはっきりしているので、全うな協力は得られるだろう。


「きっちりとしてくれるなら文句は無いよ」


 失敗されて知らんふりではかなわないが、まさかそうはなるまいと責任について考えていた。


 ――だが一度そのあたりの精神構造を調べておくべきではあるな。しくじってもアッラーアクバルではこちらが困るからな。


 宿舎では律儀に全員がロビーで待機していた。アルコールが多少入っているのは不問だ。


「美食ツアーはいかがでした?」


 誰に似たのだろうか、マリー中尉が感想を尋ねてくる。


「俺としちゃ最近ではホンジュラスで食べた基地食がしっくりきたがね。ねえ大佐」


「そうだな、料理は家庭の味に限る」


 オズワルト少佐が軽く頭をかいてごまかす。

 意味がわからない連中もすぐに聞かされるだろう。


「こんな場所にたむろしていても迷惑だろうさ、将校と先任上級曹長だけ大佐の部屋についてこい」


 執務や会議を考えて、上級将校の部屋は広目の枠が与えられ、隣には寝室が置かれていた。スイートルームである。


 中に入り一人先任上級曹長だけが起立していたが、座れと命令して無理矢理に座らせる。


 ――まったく頑固なことだ。将校になるのを承知するならば、すぐにでも昇格させられるのにな。


 やれやれと腕を組んで溜め息を軽く吐いてロマノフスキーに視線を流す。

 席を立って少し下がりみなと距離を置いて全員が視界に入るようにして話を始めた。


「まずは目標だが、パラグアイを開発してニカラグアへの権益を確保する。これと犯罪者組織から麻薬が流出しないようにする、この二本立てだ」


 ざっくりとしているがこれを押さえなければならない、認識のずれがあっては困るから。

 ボードを二つに割って右端と左端に目標を書き込む。中心がスタートラインである。


「今現在、鉱石工場の設置についてのプランが承認された。これに伴い俺は予算獲得、オズワルト少佐は法務、事務の確立が指令されている」


「プレトリアス少尉には技術管理者の確保を命じてある」


 島が割り込んで一つ説明を加える。ロマノフスキーが左様で、とボードに書き込んだ。


「工場の警備に軍を動員することになったが、この連絡役をマリー中尉に任せる」


「拝命します」


 小細工よりそちらが得意だと請け負った、供はブッフバルト上級曹長である。利権にばかり将校が投入されているが、まずは予算からなので仕方ない。


「コロラドには犯罪者組織の諜報を任せることにする。あいつならどこからか聞き付けてくるだろうさ」


 その場の全員が納得した。不思議な奴なのだ。


「まずはここまでが決まっている。大佐、お願いします」


 現状確認に少しだけ独自案を盛り込み事後承諾を行わせる。


「うむ。国の支援だけでなく、地元の力を取り込む必要がある。先任上級曹長には市民団体との関係構築を任せる」


「ダコール」


 多岐にわたる選択肢や結果から自由に組み立てろと幅広い裁量権を付与してやる。ヌルとのペアは最早確認することすら省略された。


「軍曹らだが、アフマドはオズワルトの下につける。プレトリアスをロマノフスキーとマリーに、アサドを少尉にだ」


 残る一人のプレトリアス軍曹は島の護衛である。


「して大佐はどうするのでしょうか」


 尋ねるべきではないが常に部下を信頼して行動を明かす為に、今回はロマノフスキーがそのように言葉を挟んだ。


「俺は挨拶回りだよ。軍や外交官に顔を見せてくる。ただそれだけだ」


 本人にしか出来ない極めて重要な役割である。

 良くも悪くも存在を確かめ会う必要があり、外交問題を防ぐためにもやっておかねばならない。

 全権委員とは面倒ごとと一心同体なのである。



 都合上、執務室の分室を大使館に間借りさせて貰うことにした。

 部屋の整理をしているところで先任上級曹長がやってきた。


「どうかしましたか?」


 二人きりの為にグロックに丁寧に話しかける。

 敬語の必要などないといつも言われるが、今回も口を開きそうになったため機先を制する。


「何せ――俺の師匠が頑固でね、そこまで見習ってしまったのだから仕方ないでしょう」


 減らず口を叩かれ息を吐く。


「大佐、先日のイエメンに入っていた外国人グループが判明致しました」


 それを調べろ等とは一言も命じてはいない、しかし気にはなっていた。そんな部分をわかってか、独自に網を張っていたらしい。


「フィリピン大統領の縁戚で、妻が巻き込まれたので傭兵を集めて乗り込んだ模様です」


「俺と全く同じだったわけか。終わりまで一緒になるところだったがね」


 一瞬の差が明暗を分けたが、それは運次第の部分であったと信じていた。


「イエメン政府はニカラグア軍の存在を伏せていますが、どこからか漏れるのも必然でしょう。頭の隅にでも引っ掛けておいてください」


 ――暫くフィリピンには近付かないようにしておこう。ウマル少佐が余計なことを喋るとは思えんから、口を滑らせるならあの司令だろうな。


「ところでヌルは最近どうだ?」


 司令官としての質問だと口調を戻す。


「黙々と吸収しております。指揮面ではまだまだですが、個人の戦闘力では優秀です」


 このグロックに優秀と評価されるとは大したものである。将来はロマノフスキーのようになれる可能性を感じさせた。


「やはり精神的な部分が?」


「幼少からの心的ストレスにより歪んだ精神が深く根付いています。命令には従いますが、命令をするという思考回路に乏しいかと」


「ゆっくりと解きほぐしてやればいい。こんな軍の所帯で悪いが、ヌルには仲間や家族が必要だ、時間と共にな」


 報告を終えるとグロックが退室する。他にも小言が山ほどあったろうに、一切を胸にしまいこみ島が仕事をしやすいようにのみを考えて。


 いつものように黙って出掛けようとして、控えていたのが少尉ではなく軍曹だと気付いて声をかける。


「いくぞ軍曹」


「ヤ」


 空いた時間にアフリカーンス語を修めようとし、プレトリアスとの会話を利用して少しずつ語彙を増やす努力は今も続けていた。

 ロマノフスキーに言わせたら、「ありゃボスの病気だよ」らしい。

 そんな彼も幾つもの言語を修めてるのだから、部員らからは伝染病と囁かれていた。


 専門の運転手を一人抱えて身近に置いている。これとてどこかのスパイだろうと気を抜くことはない。

 始めにどんな言語を理解しているか試して、知らない言葉を側で使うようにしている。


 単純に、危ない! そう注意して反応した言語のみを理解していると目安にした。


 鉱石の出荷先を得るために大使館を回るとの目的も忘れてはならない。

 高い関税がかかったり、遠距離を輸送するわけにはいかないので、自然と近隣諸国が対象になる。

 中でもウルグアイは好意的に話を受け止めてくれて、一定の数量を政府で購入してくれると承諾してくれた。


 小さいながらも南米では最も安定した政治・経済を誇るかの国は、共同体としての発展や歩調を重視しているようだ。


 制服の上着を脱いで車に乗り込む。


「どこか外で昼飯にしよう。アッジク、君の好きな店で構わんよ」


「はいイーリヤさん」


 運転手にはイーリヤと呼ばせていた。なるべく何者かがわからないようにとの配慮である。


 馴れた感じで細い道に入り、看板がかかった店の駐車場に車を止める。

 三十人位が入れるレストランに案内され、ソバ・デ・ペスカードを三人分注文した。

 何の遠慮も躊躇いもなく皆の分を注文する。


 ――これがここの普通と受け止めよう。


 現地人の精神の一端を体験して、ここがどのような店かを尋ねた。


「パラグアイの家庭料理の店です」


 何が出てくるかと待っていると、白身魚のチーズ煮で沢山の野菜が添えられたものが出てきた。

 味付けは塩がメインで素材の風味が伝わってくる。


「こいつはいいな、俺も好みだよ」


 お世辞ではなく事実食べやすいものだった。

 下手な調味料や調理法ではないうえに、白身魚が川魚で淡白な味なのが日本のそれに近かった。

 チーズに癖はあったが白カビの類で牛乳ものだったため、何ら違和感がない。


 最後に料金を七万グアラニと言われて、ああやっぱりと現地人の感覚を再度体験する。

 三人で凡そ二千五百円、こんな高価な家庭料理があるものかと思いながらも、笑顔で支払いをすませた。


 ――パラグアイでは配慮とやらを期待しないようにせねばならないな。はっきりと枠を示す必要がある。


 そもそも大使館というのは利便性や都合から、全てが近隣に置かれていることが多い。

 別に各国が自由に設置しているのだから、そこでなければならない理由は無い。


 一日がかりであちこちを急いで回り、主要部分を終わらせた頃には暗くなってしまっていた。


「今日明日に終わらせなければならないこともない、帰るとしようか」


 打ちきりを宣言して車を宿舎に向かわせる。

 勝手知ったる場所だけに、また細い道をすいすいと走らせて向かうが、途中で不審な人影を見掛ける。


「止めるんだ」


 目を凝らして薄暗い街灯の側をじっと見詰める。


「強盗の類いでしょう」


 遥かに夜目が利くプレトリアスがそう告げる。

 襲われているのが狂言の場合もあるが、わざわざこのような場所でやる意味もない。


「俺のことをお節介だと思うだろう」


 そう言って軍曹に笑いかける。


「止めは致しませんよ。ですが自分が前に出ます」


 すぐにドアを開ると左手に拳銃、右手に警棒を持って驚かせないために遠くから声をかける。


「貴様ら何をしているか!」


 背を向けていたのは三人、手にはナイフらしき光るものが見えた。

 車でクラクションを鳴らす、こちらにも他に人がいるのを示すためだ。


 邪魔が入った上に、それが銃を持った軍人らしき姿なので、抵抗するか逃げるかの算段を巡らせる。するとあっさりと走って行き消えてしまった。

 仲間を呼びに行かれても困るので引き上げを命じる。


 襲われていた者が小走りにプレトリアスに近寄ってくる。

 小柄な二つの影はヨーロッパで見掛けるような若い女性であった。


「あの、ありがとうございました」


 少々たどたどしいスペイン語でプレトリアスに礼をのべる。

 だが彼はじっと二人を睨んだまま言葉を発せずに警戒している。


 ――やれやれこのままにしておくわけにもいかんか。かといって車に乗せるのは無警戒だな。


「夜に女性の二人歩きとは感心しないね。通りまで一緒に歩こうか」


 車を徐行させてその右側を歩かせる。プレトリアスを前にして、島が女性らの後ろに位置した。


「道に迷ってしまって。私はルッテ、こっちはペルケネンデよ」


 二十歳位の年下の女性が二十代後半だろう者の紹介も行う。みたところ若い方が何と無く上に位置しているような感覚を受けた。


 ――ベルギーあたりの名前か?



「私がイーリヤで彼はプレトリアス。ルッテさんたちはベルギー?」


「いえオランダです。ところで貴方がイーリヤさん? チャイニーズかと思いましたよ」


 特に怪しい部分はないが、それとわからないからこそ危険と考えれば油断は出来ない。


「良く言われますよ。とにかく場所を問わずに夜は出歩かないことです」


「痛感したわ。今度何かお礼をさせてください」


 通りに出ると顔が照らされて本当に参った表情をしているのがわかる、真の恐怖を知らないのだろう、今一つ真剣味に欠けていたが。


「気にしなくて結構。たまたま会うことがあれば、その時に改めて考えよう」


 つれない態度でそうあしらっておく。不確かな人物は極力近寄らない、こうしておくのが自らの為である。


 通りで姿が見えなくなるまで見守っておく。無事に手が届かない場所まで歩いていったので良しとして帰路についた。


 宿舎に戻るとメッセージが数件届いていた。事務上の連絡がほとんどであったが、一つだけ気になる内容のものがあった。


「単なるいたずらか、それとも何らかの密告なのか。それにしても何故俺のところに舞い込んできたやら」


 その録音メッセージには、国内のとある場所に隠し鉱脈があるとの話であった。隠しているのは政府に対してであろう、つまりは脱税をしているわけだ。

 そんなことを一介の外国人外交官の末席に垂れ込んでどうしようとしているやら。


 ――これを調べて取り上げるようにと提案しろってことなんだろうが、それはつまり俺に何らかの標的になれということだな。密告者がそれを拒んだのか、あるいはその行為そのものを行えない立場にいるのか。


 イタズラにしてはやけに考えさせられる内容である。部員にそれとなく調べさせるべきかを現段階では保留しておく。

 巻き込まれるのは百歩譲って認めるにしても、部員があちこちに仕事を抱えているうちは足を踏み入れないようにとのことだ。


 暗闇の中でぼんやりとだけ姿が見える程度の光量で照らされる部屋で、数名の男がなにやら真剣に話をしている。

 隣で休んでいる女はその言葉を一切耳にしないようにと、自発的にヘッドフォンをかけて音楽を楽しむように装う。


 そんな態度を見て眼前の部下らに続きの報告を催促する。


「パラグアイですが、フランコが外国の軍隊を招きました」


 ラ米では恥ずべき行為、忌避される風潮に真っ向反対する道を行ったと、非難の念を含めてそう告げた。


「どこの軍隊だ、またアメリカか?」


 領地内にアメリカ空軍基地が密かに置かれ、それが南米の中心地で地理的な強化を行うようならば黙っているわけにはいかない。

 それでなくても風当たりが強い現在の大統領である、一気に政権が揺らぐ可能性を含んでいた。


「それがニカラグアでして」


「あのニカラグアだ? そんな国がわざわざパラグアイくんだりまできてどうしようと言うんだ」


 そう言われても事実を報告しただけなので、その先の情報まではまだ仕入れていないために口ごもる。


「調査致しましょうか?」


 判断を上に持って行き責任を逃れようとそう提案する。

 部下の手前で悩んでいては優柔不断と映ってしまうため、男は即座に調べておけと答えた。


 その言葉を待っていたのだろう、喜び勇んで割り込んでくる男がいた。


「ボス、そいつはニカラグア義勇軍のイーリヤ大佐です」


「ゴンザレス、先に調べていたのか。わかっていることを報告するんだ」


 仕事を横取りされ不機嫌になる者がいたが、ここでどうこうするわけにも行かず黙って耳をそばだてる。気に食わなければ後に消してしまえば良いと考えた。


「規模は十人を少し超える程度で、大佐が全権委員という外交官を兼ねているようです。逆に大佐を兼ねている形かも知れませんが」


 迂遠な言い回しが嫌いな男は、兼ねているのあたりについてわかるようにしっかり説明しろとつばを飛ばす。


「はっ、簡単に言えば全権委員の方が格上の役職のようです」


 外国の職位なので正確には把握していませんがと保険をかけておくのを忘れない。


 ニュース映像でも流れてはいたのだが、それはパラグアイ国内のことなのでこの男たちが知らなくても無理はない。ここはアスンシオンから遠く離れた街である。


「その大佐が我々にどのような利益をもたらしてくれるのだ」


 或いは損益を産み出すのかを問う。当然損ならば居なくなってもらうわけだ、丁重にお引取り願えるなら脅迫で、そうでなければ銃弾でも毒でもご馳走するようにしてきているが。


「闇取引に応じるようであれば、堂々と国内外に税関を通さずブツを移動出来ます」


 まずは利益をもたらしてくれるように誘導してから暗殺を画策すべきだと、物事の順番を整理して提示する。そうなれば当然責任者が発案のゴンザレスになる。


「ふん、いいだろう。お前が指揮を執れ、うまく行けばお前を補佐から副へ昇進させる」


 全てがボスの権限を介して発せられる補佐と違い、自身の判断と権限で力を行使できる副では大きな隔たりがあった。


「お任せくださいボス!」


 色めきだってその役割を拝命する。そうなると最初に報告した側は不満だけが残る。組織を運営する者にとってそれは良くない状態であるのを知って、そちらにもチャンスを与えるのを忘れない。


「バレイロ。もし大佐が使えないならば殺す算段が必要になる、そちらはお前が準備しておくんだ」


「はい、ボス」


「だが俺の命令なしに動くようなら、まずお前がドブに浮くのを忘れるなよ」


 勇み足で計画を破綻させられてはかなわないと釘を刺しておく。この男がやると言えば必ずやるのを知っているバレイロは肝を冷やして大きく何度も頷くのであった。


 幾日か館や軍の挨拶に時間を割いているうちに、プレトリアス少尉らが帰国してきた。

 大使館分室で帰着の報告を行い、目的の人物を同行させることに成功したのを示す。


「マッカラン技師をお連れしました」


 その一言だけで全てがわかるような気がした。技師と呼称してくれたのが嬉しかったのだろう、マッカランは笑みを浮かべている。


「遠くパラグアイまでお呼び立てして申し訳ございません。お久しぶりです、ミスターマッカラン。イーリヤです」


「いえ、まさかあの時の乗客がこんな仕事をしていたとは。運命という言葉も捨てたものではありませんな!」


 握手を交わすと椅子にかけるようにと勧める。女性事務員が気を利かせて紅茶を運んできた、イギリスと言えばとの想像であろう。


「そのご様子だと我々に協力していただけますか?」


「内容の確認ですが、鉱石全般の管理で間違いありませんか?」


 どこまで少尉が説明しているかは軽い報告を受けているが、本人がどう解釈しているかがより重要である。

 また営業だと言えばどのような顔をするのだろうか。


「はい。これから国内で採掘加工工場が新設されます。そこでの助言をして頂きたいわけです」


 最初から簡単に全てを預けないように、どこまでの言が事実だったのかを確認する余地を残しておく。


「なるほど。それならば適切なお話だと考えます。お気に召すかどうか、どこかで鑑定などの試験を行って下さい」


 マッカランも真剣なのだろう、信頼を得ようとして自らそのように申し出てくる。

 タクシー運転手になど戻りたくないとの意志が伝わってきた。


「わかりました。それでは数日以内に場を設けさせて頂きます。それまでの滞在費用などは全て当方でお引き受け致します」


 結果がどうあれそれが公平だろうと思うことを進める。島の判断は常に指標が無い部分でも求められていくために、手のうちで済むような部分は非常に良心的であった。


「よろしくお願いします」


 少尉に連れられて退室していくのを見送ってから、デスクの受話器を手にする。


「補佐官をお願いします。ニカラグアのイーリヤ全権委員です――」


 数日後にやってきたのは政府エネルギー局の管轄下にある施設。

 担当の職員が準備された部屋に案内する。


「何だか緊張しますね」


 マッカランが少し興奮して心境を漏らす。初めての場所、それも政府管轄の施設奥底で試験ときたら、余程の鈍感でもなければ緊張もするだろう。


「経験からの推察だよ、鉱石は君を騙したりはしない」


 人間相手のほうがどれだけ大変かと肩をすくめてアピールする。

 そうかも、と同意して一行はガラス張りの仕切られた部屋に入った。


「ここで試験を行わせていただきます。主任研究員のマチャイルです」


「マチャイル主任研究員、始めてもらおうか」


 何をするのか興味があった島はその場に立ち会う。

 マッカランを隣の部屋にと送り込み、テーブルの上に置いてある箱を示して島にだけ説明する。


「あそこに鉄鉱石が入っています。三種類の見た目が違う混合石をどのように鑑定するかで判断を。こちらの声や音はあちらには届いておりません」


 操作番のスイッチでマイクが使えると仕組みを説明した。


「その鉄鉱石は国内で採掘されたもの?」


「はい、これから大量に採掘する予定のものと、少量の為に手付かずの二ヶ所のものです」


 いずれにしても主成分は鉄でしかないと明かされる。

 正解が書かれた資料を渡されて、見ながら判断をどうぞと下駄を預ける。


 スイッチを入れてマイクに向かい話しかける。


「目の前にある三つの箱を順番に鑑定して欲しい。部屋にある機材はなんでも利用をしてくれ、そちらの声は常に拾っている。休憩したくなったら言うんだ」


「わかりました。それでは左手から始めます」


 気合い十分待ちきれないマッカランが早速箱を開けた。


 そこにはボーリングの玉が二つ分くらいの不恰好な塊が鎮座している。

 赤みを帯びた光がちらほらと見えている。


 ――なになに、赤色酸化鉄鉱物にフェルシック鉱云々がどーのと、専門家にしかわかりゃしないわけか。


 触ったり叩いたりしながらメモをとりながら鑑定を進めていく。

 高炉を使って融解まで出来る施設があるが、それを使わずに十分程で大体の結果を見て決めてしまった。


「一つ目は終わりました。こちらが結果です」


 主任研究員がメモを受けとり、資料と見比べて感想を述べる。


「概ね見た目だけで正解を得られております。他にも含有物がありますが、あまりに稀少なため調べても無駄でしょう」


 ――生真面目すぎても商売にはならないわけか、一つ目は問題なしと判断して良いだろう。


 マイクを使い結果を知らせることなく次の箱を開けるように指示する。


「よし、次を鑑定してくれ。結果は全部終わってから一度だけだよ」


 包括的な判断との意味合いもある。だが島は人間がどこまで経験から答を導き出せるかの興味が強くなってきた。


 真ん中の箱を開けると今度は黄色い塊が現れた。

 大きさは先程と大差がないが、あれが同じ鉄になるとはどうしても思えなかった。


 ――えーと、リモナイトで多くの酸化マンガンや粘土質を含み品位は三割を下回る。つまり何なんだろうな。


 よくわからないが、マッカランは鉤づめのような何かで表面を削ると皿に粉を乗せて、それを指で摘まんで擦りあわせている。


 棚にある透明の液体を粉に少しかけてやり、それが何らかの変化をしたのを見てメモを完成させた。


 今度もマチャイルはうんうんと頷きながら結果を確認する。


「手早く的確な鑑定です、うちの研究室に欲しいくらいですよ」


「彼は英語しか話せませんよ多分。それでも良ければ、こちらの仕事が終わった後に声をかけてやってください」


 高く評価してくれる人物に代わりに売り込みをしてやると、最後に残った箱に挑戦するように伝える。


 その箱には黒っぽい塊にシマシマ模様がついている塊が入っていた。


「主任研究員、あれについての資料があまりありませんが」


 手元の記述がFe二割以下とだけあり他に無い。


「あれは酸化鉄鉱物で品位が二割以下と、いわゆる屑鉄で掘るだけ赤字のものです。持ったら軽いのがすぐにわかりますよ」


 ――そんな粗悪なものでも調べるのが試験だからな。しかし持ってわかるのに何故マッカランはあんなに真剣なんだ?


「その鉱石はどこから採掘してきたのです?」


 なかなか鑑定が終わらないために話し掛ける。


「首都の北西部にあるチャコ高原の鉱床です。まああんなものしか出ないのでそのままですが」


 国有地帯の一つで戦争までして獲得したのに使えない地域ですよと悪びれる。


 そんな話をしている間にも、先程のように鉤づめで引っ掻いて粉に液体をかけては首をひねっている。

 ついには叩き割ってから断面を観察し、半分を高炉へと放り込む。


 温度が徐々に上がっていき、千五百を越えて千八百になると液溜まりにドロッと何かが流れてきた。


 それをすくって石の器に入れると、長い柄を使って仕切りの先にある水桶にと突っ込む。

 爆発的な蒸気があがり仕切りの先が曇るが、すぐに換気が行われた。


 冷えた塊に何かの鉄製品を近付ける、液体をかける、ハンマーで叩く、重さを量るなどしてようやくメモを完成させた。


 屑鉄相手に何をやっているやらとマチャイルが渋い顔で鑑定を確認する。

 顎に指を当てて辞典らしきもので索引を見てはあれこれペラペラと捲る。


 ――まあ、待つしか無いんだろうな。


 なかなか口を開かないのを気長に待ち続ける。


「ルチル、アテナースが千八百度あまりで融解して炭性を発現した……だと」


「つまりどうなんでしょう?」


 全く意味不明な言葉を耳にして反応に困る。


「あの屑鉄はルチル含有物です。つまりはチタンが精製可能と」


「チタンと言うとあの金属かな、ゴルフクラブなどの」


 軽くて頑丈のイメージがあったのでそれが頭に浮かんだ。


「そのチタンです。なんとそんなことが……」


 何故主任研究員が興奮しているのかいまいち把握出来ないが、マッカランは鑑定に成功したのだろうだけは理解できた。

 部屋に呼び戻して試験が終了したのを伝える。


「それで結果はいつころになりますか?」


「なに合格だよ、君の腕は確かだった。正式に契約にサインして貰いたい」


「あ、ありがとうございます!」


 ついに念願かなって技師に戻れると両手をとって握手をしてくる。


「しかし試験のためにわざわざチタン鉱石を輸入までするとは、イーリヤさんもお人が悪いですね」


「どういうことかな?」


 全く理解の範疇外のために素に戻り言葉を出してしまう。


「どうって、チタニウムはカナダやノルウェー、オーストラリアでしか産出されないものではありませんか」


 主任研究員が先程から慌てているのはもしかして大事になるかも知れないと直感した。


「マチャイルさん、この件は内密にお願いします。ゴイフ補佐官を通して大統領と顛末を相談致しますので」


「わ、わかりました」


 スペイン語なのでマッカランには理解できていない。元より補佐官からの特命で行っている為か秘密にすることに同意してくれた。


「マッカラン技師、それでは大使館に戻り契約をしよう。ではマチャイル主任研究員、また会いましょう」


 器用に言語を切り替えてその場を後にする。


 ――この重大事件らしき内容を上手く使わねばならない。その為には技師との契約が最優先、次に大統領だ!


 まさかのジョーカーがどう転ぶか、一大転機になるかも知れないと心臓が早鐘のようにうたれる。

 ただの偶然かも知れないし、間違いかも知れない。

 この事実を確認するために、一度チャコに足を運ぶ必要があるのだけは確かだろう。


 翌日にゴイフ補佐官を訪ねて官邸にと足を運ぶ。

 執務室は大統領のそれに隣り合った場所に置かれていた。


 三度ゆっくりとドアをノックして名乗る。


「イーリヤ大佐です」


「お待ちしていましたよ、どうぞこちらへ」


 補佐官自らがドアを開けて招き入れてくれる。


 ――この人は苦労してきたんだろうな。


 南米でのこの気遣いはただ事ではないだろうと心中で察しておく。

 椅子を勧められたので遠慮なく座らせてもらうことにした。


「研究所はお役にたちましたか?」


「はいお陰様で二つの点で未来が拓けそうです」


 コーヒーが差し出されてそれを口にしてからゴイフが話を進める。


「それは良かった。してその二つとはどのような意味でしょう」


 万全の間合いで引き出しにかかる。対人能力の高さが窺えた。


「我等が合資企業の技師が見付かりました。イギリス人のマッカラン技師です。主任研究員も彼を高く評価しており、こちらの役目が終わったら研究所に欲しいとまで」


 自身の見立てではなく、研究だけが至上目的の技術者が言うのだから信頼度が高い。


「イギリス人ですか、期待しましょう。こちらで公務査証を交付しておきます」


 国に必要な渡航者として無期限での滞在を承認してくれる。

 ありがたいことで、これがあれば官憲の保護が手厚く受けられるはずだ。


「技師も喜ぶでしょう。その技師の最初のパラグアイへの貢献が既にあります。本日はその件について話し合いたい為に参りました」


 意味ありげにそう表す。数瞬の間を開けてから「部屋を出て散歩しながら聞きましょう」と返す。

 執務室にはまず間違いなく盗聴器の類いが取り付けられているだろうとの懸念である。


 官邸の屋上を歩きながら周囲に職員が居ないのを確認して切り出す。


「スペイン語以外は何か解しますか?」


「グアラニ語と英語を」


 そこまで重大な何かとゴイフも緊張感を持ってきた。


「では英語で。研究所で鉱石鑑定試験を行いました、そこれでチタニウムが採れました」


「確か輸入はしていないはずだが、研究用にあった?」


 加工品は幾つも入ってきてはいるが、わざわざ鉱石で取り寄せた覚えがあるけもなく不思議がる。


「それは……パラグアイ国内で採掘された屑鉄から現れたのです」


 ゴイフが耳を疑い島をまじまじと見詰めてしまう。


「ど、どこからそんなものが」


「主任研究員の話によりますと、チャコ高原の鉱床からごろごろと。屑鉄認識しかなく放置されていると言っていました、国有地帯です」


 それが何を意味しているかはわかりすぎるほどに解っていた。

 宝の山が何もない荒れ地や原生地に転がっていると。


「確かめる必要がありますね。これは当然?」

「口外を禁じています。大統領閣下の裁下を頂くため、補佐官に」

「ありがとうございます大佐。あなたは本当に公正な方だ、悪いようには致しません」


 まさかの財源が産まれそうだと補佐官の脳内で様々な根回しが組み立てられて行く。採掘権限は間違いなく島らの会社に与えられるだろう。


 ――この機会にアレも話してみるか。


「補佐官もう一つ。これは決して良い報告ではありませんが」


 そう前置きして浮わついた気持ちを引き締めさせてから内容にと移ろうとする。

 むしろこちらも一方で重要な話になってくる可能性があった。


「うむ……。聞かせていただけますか」


 どれほどの信じがたい話であっても、この大佐が言うならば一度は真剣に考えてみようと居住まいを正す。


「どこの誰かはわかりませんが、自分のデスクに密告をしてきました。国内に隠し鉱脈があると」


 隠し鉱脈。つい今しがた鉱脈で気分が浮き上がったと思えば次には降下していった。


「極秘に調査致します。隠す必要があるならば三種類の事情が考えられます」


 ――脱税以外もあったか。どうせろくでもないことだろうが。


「極端な黒字鉱脈、逆に組織的には赤字でも特定個人に利益が流れる形、そして外国人による収奪でしょう」


「外国人の?」


 組織的な赤字が見付かれば採掘は中止されるに違いない。それを継続するかの指示が可能な人物に視点をおけばこれはかなり絞られるだろう。

 だがしかし、外国人が関わってくるとはどのような形になるのか、俄に想像できなかった。


「はい。平たく言えば強制労働による採掘です。誘拐や借金の代わりに働かせる場所としての」


 つまりは赤字が赤字たる所以はコストがかかるためである。


 そのコストのうち、鉱脈自体の所有権利、労働力賃金、税金が無しに近くなるならば、精製費用と純粋な採掘費用だけで済む。何のことはない、屑鉄の精製でも気にせずに黒字が見込めるのだ。


「犯罪者組織が関わっていると」


「密告が組織の人間なのか、労働力側の者かはわかりませんが」


 ――それならば国に密告をしたら済むだろうに。待てよ国内でそんな派手に操業してばれないわけがないな。


「パラグアイ側の職員が共犯で密告を行えなかった。そこへ鉱石全権委員とやらが外国からきたから藁を掴んでみたと」


「かも知れません。ですがここは南米です、大佐がそれを知ったら癒着に傾くのが十人居たら八人でしょう」


 官憲が犯罪に荷担するためパラグアイでは大きなギャングが存在しないとまで囁かれてすらいる。


「残る二人は?」


「利権の奪取を目論み成功するか、さもなくばストリートに死体を晒しているでしょう」


 ――ここが魔窟なのはよくわかった。あの密告にはそんな意味があったのか、郷に入れば郷に従えとは云うが流石に限界があるぞ!


「自分は暫く知らないふりをしていたら?」


 スタンドプレーを展開する場面ではないと自重を宣言する。


「政府が極秘に調査を行います。あれこれあって後回しになりそうですが」


 ぱっと出の案件が優先処理されるわけもなく、わかっていながら対処不能に陥りそうな雰囲気がある。


 ――最善の道はどこにあるだろう。ロマノフスキーが予算を獲得してこないことには俺の発言権もなきに等しいわけだが。


「了解です。まずは大統領閣下の判断を待ちましょう」


 官邸の屋上から下りの階段を二人で降りる。ゴイフはオフィスへ、島はそのまま帰路につくことにした。


 名案は考えて浮かぶわけではなかった。それは凡そ閃きに近い、あれは思い付くものなのだ。


 大使館分室に戻り椅子を暖めること数時間、突然一つの考えに行き着く。


 ――大統領の許可を得て外国人による収奪の一端を担ってみたらどうだろうか? 毒を喰らわば皿までとの言葉もある、犯罪の一ダースは覚悟しなければならないな。もっとも外交特権が幅を利かせる機会が産まれる選択肢だ。


 椅子をギシギシと揺らして考えを広げてみる。


 ――仮に染まったとしよう。収益は相手組織と俺のところに集まる。それを使って拡大再生産なわけだが、過程で罪のない人間がどれだけ自由や財産、生命すらも奪われるかわからない。

 部員にも辛く耐え難い行為を強要する場面が出るのは間違いない。それで得られるのは最終的には国家の秩序、それも一時的なものなわけだ。

 子供を見殺しにしなければならない状況もあるだろうが、果たしてそれに耐えられるだろうか?


 考えを中断して目を閉じた。皆が揃ってから答を出そうと。


「流石にこれは命令出来んからな……」


 良心に基づいた内容ならばいくらでも強固に命令出来た。だが今回のそれはいささか話が違っている。

 本人らの意思確認なく先に進めるべきではない。そして一旦始めたならば途中で止めることは許されないのだ。


 中佐としてニカラグア問題で壁を乗り越えてから、いよいよもって次の壁が現れた感じであろうか。これを越えなければ島もここでストップする、そんな人材であったと一括りにされる、高級軍人としての命題を突き付けられるのだった。


 派遣から一ヶ月程が経過した午後、ロマノフスキー少佐が帰還した。

 その足でまずは島のオフィスへとやってくる。


「小官も男を口説くのは初めてでしたが、無事に承諾を得て参りました」


 相変わらずの物言いに安心を感じてしまった。


「ご苦労。色男にかかれば性別なんて超越するもんなんだな」


「偏っていても何ら不満はありませんがね」


 どちらにとは言う必要もない。実務についてはいつものようにオズワルト少佐に書類を渡してしまうことにする。


「幾つか出てきたよ」


「ではビールでも飲みながらゆっくり聞きましょうか。素面で言いづらいこともあるでしょう」


 ――全くこいつは占い師か何かか。


「生憎ビールじゃ酔えない体になっちまってな。でも今日は酔った気持ちになってみるよ」


 デスクから応接ソファーに場所を移して差し向かいで缶を開ける。

 一本目を一気に飲み干して大きく息を吐いた。


「会社は上手く設立の見通しで、新しい鉱床の採掘権限が指名されるだろう」


 まずは連絡事項をしっかりと伝えられるうちに伝えておく。


「どこの鉄鉱床です、ブラジル側ですか?」


 国境付近に幾つかそんなのが存在していたはずだと記憶を呼び起こす。


「チャコ高原だよ。チリ、アルゼンチンの側らしいがまだ現地は視察していない」


 あのあたりは河によって国境が仕切られているため、地理的な言い掛かりはつけづらくなっている。


「何だか採算があわないような石が転がっていると小耳に挟みましたが」


 下調べをしてから入国しているために、一応のことがらをさらっと見知っていた。


「うむ、その屑鉄だがアテナースやルチルを含有していた」


 ちらっと見てみるが意味を理解してる様子はない、当たり前だろう。

「――それらから、チタンが精製可能らしいよ」


「つまり儲かる第一歩が最早計算出来ると。結構な未来ですな」


 サウジアラビアやレバノンで約束してきた利益が確保できそうだと安心する。


 何の保証もなかったと言えば無かったのだ。山師とはこのことであろう。


「確定してからの話だ、まだわからんよ。検出されたのは事実だがね」


 二本目に手を付けて頭の中で言葉を探す。


「俺はだ……お前たちに作戦の為に死んでくれと言えると思っているんだ……」


 いよいよ本題に入ったなとロマノフスキーがよくよく島の顔を観察する。


「ええ、我々もその言葉をいつでも受け入れられます」


 その気概が無いならばわざわざパラグアイの山奥まで着いては来ないとまで言い切った。


「感謝しているよ、こんな頼りない奴についてきてくれて」


 それから少しの間、沈黙が続いた。


「今の俺達が任務を達成するには様々な部分で不足がある。これを満たすには気長な位の時間、採掘の収益を待って過ごさなきゃならん」


「ここに骨を埋めるつもりはありませんが、少し位ゆっくりするのも悪くはありませんな」


 焦ることはないのを示しておく。事故や不具合で利益が出なければいつまでたっても任務が終わらない、その懸念はロマノフスキーにもあった。

 受動的な一本体制ならば自分達は要らないとすら思えたりもする。


「なあ俺達は何のために軍人をしていたんだ?」


 もっとも根本的な部分に悩みを抱えて、十年来の戦友に答を求めようとする。


 ――こいつは今までに無いほどの重症だな。


「始まりなんて忘れちまいましたが、何のためにか必要ですか?」


「……ああ、聞いてみたいよ。君は何故軍人をしているんだい」


 そうですなぁ、と口にして少しだけ考えるふりをする。


「自分は敵を阻むために力が欲しかった、ただそれだけですよ。結局国を捨ててそんな力があってもどうしたものやらとなるだけですが」


 仕事だからとやる者や様々でしょうと締め括る。理由など人それぞれだと。


「俺はだ、家族も守れず、祖国を憂うわけでもなくだよ」


 だったらこんな力なんて一つも要らないだろうとビールを煽った。


 ――目的を見失った? いやそれだけではあるまい。どこまでやれば良いかを迷っているな。


「では新たに目的を持てば良いです。それも到底達成できないようなものをね」


「達成できない目的なんて持ってどうするんだ」


「突き進むんですよ、命あるかぎり。小官もお供しますよ」


 散歩にでも行くかのような軽い感じで申し出る。いつだってこうやって島を励ましてきてくれた。


「そいつはどんな目的だ」


「世界中のテロリストを壊滅させることです。犯罪者組織とも言いますがね」


 ――確かにそいつは達成できないだろうな。だが俺にぴったりなテーマでもある。


 途方もない話であるのに、それが冗談とは思えない。なのに何故か自然と笑みが浮かんでくる。


「そりゃいいな! 一生暇せずに済みそうだ。そうか、そんな考え方があったか」


 ――悩んでも仕方ない、一度きりの人生だからな、やるだけやってみるか。


「お気に召したようで何よりです。して、目前のお悩みは一体何でしたかな」


 ビール片手に攻め込んでくるロマノフスキーに、潔く白旗をあげて受け入れる。


「どこぞの悪者と癒着して急速に力を蓄えたらと思ってね。そうなれば部員にも辛いことを強要することになるだろう」


 缶をテーブルに置いて島を直視する。


「今、この瞬間にも次々と人は非業の死を遂げて略取され続けています。それは変えようもない事実であり、止めることが出来ない現実でもあります。時間は黙っていても過ぎ去り、被害は積み重なる一方です」


 連日ニュースで流れる映像から、戦いに巻き込まれた者達の顔まで浮かんでくる。


「時がたてば助かるものも手遅れになります。もしボスが強行手段を懸念されているならば、それは小事でしょう。大事の前に幾つも転がるそれに心をとらわれてはなりません。例えそれが残酷な結果を産もうとも、感傷に浸るのはまだ早すぎます」


「だが――」


「自分は政治家ではないので一人の命が地球より重いなんて言いませんよ。千人犠牲にして一万人が助かるならば後者を選ぶのが軍人です。いかに効率よく被害を戦果へ転化するか、冷酷ですがそこに戦の本質があると信じております」


 どこかの人権団体が聞いたら大騒ぎし出しそうな台詞である。

 だがその考えは島にもあった。そう公言するだけの勇気は無かったが。


「俺もお前も地獄行き間違いないな」


「仲良く堕ちてあちらでもテロリスト相手に暴れてやりましょう」


 奴等も行き先は同じと決めつけてそう意気込む。いくら聖戦と言ってもそんなものは認めない。


「よくも難儀な道を選んだものだ。ちょっと出掛けてくるよ」


 そう言い残して島はオフィスから姿を消した。


 大統領府補佐官執務室。ゴイフの元を訪れる、彼は毎日休みなく働いている。

 彼に限らず国家のトップらは、任期中休みが与えられない。これは最高責任者集団の宿命である。


「補佐官、失礼します」


「大佐、大統領は在室ですよ」


 思い付きで会見するわけではない、全てゴイフの仕切りである。

 移動の合間をぬって時間を割いた体での進行を装う。


 大した用事でも、公式な内容でもないと振る舞うために。


 二人で専用車のところへとまわりフランコがやって来るのを待って同乗する。

 この専用車は一日に何度となく掃除を行っている。電子的な作業の面で。


「やあ大佐、やはり君は信用出来るな。話は聞かせてもらった、どうするかね」


 あらゆる部分の具体的な言葉を省略して問い掛ける。

 それで事足りるよう、事前に補佐官と擦り合わせをしてきていた。


「地下水脈に浸ってみようと思います」


「よかろう。全ての責任は私に対してのみ負うのだ」


 議員会館につくと車を降りて敬礼で見送る。

 去り際に補佐官が「すまないが背中すら守れん」と、苦しい台所事情を告げていった。



 オフィスにオズワルト少佐が各種の書類を携えてやって来た。

 会社設立の為のサインを求めてである。


「大佐殿、こちらとこちらの書類にもお願いします」


 印鑑ではなくサインこそが有効な世界である。勝手に書類を作成されない反面で、腕が痙攣を起こすまでサインさせられる文官がいるようで気の毒でたまらない。


「なんでこんなに書類が分厚いんだ、いつもの少佐らしくないな」


 中身を読んでわかっているせに愚痴をこぼす。その位に多数に署名をし続けている。


「それは資金の投資先がニカラグア政府でもパラグアイ政府でもなく、大佐個人にだからですよ。こちらの書類にも頼みますよ」


 これらを一から作成することになっていたら逃げ出していただろう。

 この書類を丸めて人を殴れば気絶させられるかも? そんな無駄なことが島の頭を過っていた。


「失敗したら俺の借金で、成功したら国のものとは、何とも世知辛いものだな」


「それだけ大佐への信頼が厚いという話ですよ。……はい、これで最後です。これらを提出したら晴れて経営者の仲間入りです」


 合資企業の資本金のうち、七割もの出資を島個人が占めていた。

 アラブのオイルマネーが予想外な程に流れ込んだためである。


「あのイブン王子も博打が好きだな。少し顔を会わせただけの俺にそこまで肩入れするとは」


 王子にとってはポケットマネーの極一部を気分で投資したに過ぎないのだが、そこが大大富豪の一族と庶民の違いだろうか。


「会社の取締役三人を指名可能ですが、どなたを?」


「マッカラン技師を技術部門取締役、君を経理部門代表取締役に、もう一人はゴイフ補佐官に一任しよう」


 自らを指名されて兼務しても差し支えないかと考える。設立してしまえば部隊の事務は殆ど無い状態なので承諾した。


「会社に事務員を入れて管理だけ私がしましょう。カナダ企業からも代表取締役が一名と取締役が入ります」


「操業はあちらが丸抱えだ、社長は向こうに出してもらおう。オズワルトは副社長だな」


 取締役と代表取締役社長や副社長の違いは、企業としての取引を代表して行える専決権限を有しているか否かである。

 平たく言えば代表取締役は他に相談なく決定を可能なのだ。


「こんなところで副社長とは、リリアンが聞いたら驚くでしょうな」


 ニカラグアに残してきているが、聞くところによるとオズワルト商会を任せてきたらしい。

 一人では不安なので弟に暫く娘を見守るように頼んで。


 ――親が子供を心配するのに年齢は関係無いらしいからな。


「何なら呼び寄せるかい」


「いえ、そんな。余計な心配が増えるだけです」


 何がどうしてそうなるかまでは追究しないでおく。

 用事が済んだとして少佐が退散した。


 頃合いを見計らって先任上級曹長が現れた。


「首尾は上々かい?」


 漠然とした物言いである。


「在パラグアイ邦人会との連絡が結ばれました」


「つまりは日本に向けての輸出先が民間レベルで確保されたわけか」


 細かい説明は一切しないのが先任上級曹長の昔からの教育方針である。

 まず考えさせ、わからねばヒントを小出しにしてくる。


「パラグアイ工業組合、アスンシオン経済連合会、外国人市民団とも窓口をつけております」


 二ヶ月足らずでよくもまあ開拓したものである。


「ご苦労だ。先任上級曹長、俺は決めたよ。誰と言うことはないが、堪えることしか出来ない者の代わりに戦うと」


 晴れやかに前置きもなくそう告げる。いつもは無表情なグロックに本の少しだけ感情が浮かんだような気がする。


「左様ですか。何なりとご命令を」


「パラグアイ及びブラジルのギャングスターについて、市民の口から実態を探れ。コロラドとは別の視点から」


「ダコール」


 いつもより心なしか力がこもった敬礼をして退室する。


 ――どうかしたかな? わけのわからない事を言ったから呆れたのかも知れんな。


 今に始まったわけではないと考えるのをやめてしまう。


 気分を変えようと街に出ることにする。

 扉の外で待機している少尉に「平服に着替えろ」と一言かけて自身も更衣室へ入る。


 島が部屋から出ると、最早着替えた少尉が警戒して立っていた。


 ――随分な早着替えなことだ。


 一団で歩くわけではないが、アサド軍曹とプレトリアス軍曹も私服に着替えて護衛につくようである。

 大方の部員が待機に切り替わったので、動く時期がきたと判断した。


 市中の酒場はそれがどのような国であれ一定の賑わいを見せている。

 誰しもが商売のために努力をし、自然淘汰されて需給バランスが落ち着くからである。


 世界共通語であろうか、ビアと叫べば黄色い液体の飲み物がやってくる。


「プレトリアス、レバノンはどうだった?」


 より広い情報を求めていると解釈して、国内情勢を主軸に少し悩んでからフランス語で喋り始める。


「シリア問題のせいで北東部の国境付近はかなり警戒が厳しくなっています。代わりと云っては悪いですが、一時的な休戦状態で政権は安定しているように見えました」


 ――外敵があれば国内はまとまるか、大昔からの真理だな。シリアにとっての不幸はレバノンの幸運なわけか。


「ヒズボラが出張する準備をしているらしいが」


 シリアの政権体制側はヒズボラの友好組織である。一大事と見て武装組織を支援に送り込むと噂されている。

 これもあってかレバノン内での競り合いが控えられているわけだ。


「レバノン軍は越境を阻止する腹積もりです。反面でヒズボラを国外に締め出す良い機会とも見ているようですが」


 最高のタイミングはヒズボラが越境をして、シリアが転覆することである。

 それを見極めるのは並大抵のことではないが。


「軍事相のお手並み拝見か。ワリーフは中央だろうけど、この機会に功績を立てさせたいところでもあるな」


 一つ軍功を挙げればすぐに少佐になるだろう、そうしておけば部署の責任者として別の道筋からキャリアを重ねることが出来るようになる。

 公平にその機会が訪れるとは誰も思ってはいないだろう。コネとは時としてトランプのババのような働きもする、利点を発揮する場面があっても責められるだけでは酷な話である。


「南レバノンですが、ハリーリー暫定首班がイスラエルへの攻撃を控えるように国内に呼び掛け、時期が時期だけにヒズボラが受け入れて、俄に指導力を浸透させているようです」


 ――上手い具合に舵取りをしているようだな。真意がどのあたりにあるかは計りかねるが、南レバノンがイスラエルとの一種の壁の役割をしてくれている間にレバノンの国内整備を進めるべきだ。


 そんな道筋を考えても仕方無いのに気になってしまう。


 やりかけの仕事として未来がどうなるか、この先も見守るつもりである。


 ビールとつまみを少し口にしていると、見たことがない現地人が後ろのテーブルに座った。


「……伝言は聞いてくれたかな」


 ――何者だ? 例の密告者か?


 スペイン語である。振り返ることはせずに正面を向いたままで話し掛ける。


「あれか。政府じゃなくて何故俺なんだ」


 正体がいまいちはっきりしないためヒントを集めようとする。

 わざわざ直接やってきたのだ、何も喋らずに帰るつもりもあるまい。


「あんたが役人に近いかどうかを試しただけさ。どこからも調査は入っていない」


 ――調査されてもばれないか、そもそもが逃れられることが出来るのか、俺を試すだけに鉱床一つ囮にするとは中々の規模の組織のようだな。


「何ならこれからリークしてきてやろうか? 試すのは好きだが試されるのは嫌いでね」


 イラつくような口調で渡り合う。実際そうしても構わないのだ、イタズラの代償を求めるのも悪くはない。

 少し慌てたのだろうか、間合いが近く焦ったように答えを返してくる。


「ビジネスパートナーとして、やっていけると判断したが――」

「俺はお前でなくても構わない。何故得体の知れない相手と手を繋ぐ必要があるんだ」


 突き放して様子を窺ってみる。これで引き下がるならば子供の使いでしかない。

 相手の限度一杯まで情報を引き出すつもりで競り合いを行う。


「こちらには流通ルートが複数ある。安定したペイが可能だ」


 ――ポルトガル語が混ざった!


「目減りさせるならばどこの組織を使ってもかわりない。お前のところはどこの神の加護がある」


 その言葉にどこまで答えて良いか迷っているようで少し押し黙る。

 答えられないと言われれば決裂でそれまでである。


 十秒たっただろうか、可否の判断を自ら行い限界を定める。


「国境を自由に跨いで商売が可能だ」


 ――税関吏か国境警備か、はたまた知事あたりか。少なくとも官を引き込んでいるのは間違いなかろう。


「……俺に何を求めるんだ?」


 いよいよ話を聞くような態度をとってやる。相手も落ち着いたようでゆっくりと聞き取りやすいように喋ってきた。


「品物の輸出を行ってもらいたい」


 ――輸出か。俺の名義で行えばパラグアイでペーパーカンパニーを通すより安上がりになるわけだな。


「税金の節約とは涙ぐましい努力じゃないか。何故密輸しないんだ、自由に国境を跨げるんだろう」


 そもそもの取引自体を公にしなければ支払いなど不要なのだから。

 そこに何らかのヒントが隠されているだろうと推察する。


「正面からの流通にはまた別のルートがあってな。取引が増えたらまるまる規模拡大だよ」


 代替ルートではない、仮にそれが真実ならば納得行く話である。

 輸出自体が法に抵触しないやり方をとるならば、資金流入さえ説明つけば島に不都合は見当たらない。


「経費は別として、そちらは総額の一割が節約に繋がるわけだな。俺の取り分は半分だろな?」


 パラグアイでは個人、法人を問わずに所得税は一割が目安である。大半の者は無税になる計算なのだが、富裕層からは徴収している。

 間接税として消費税のようなものがかかるが、これについては輸出先次第と言えようか。


 一割とは商社の努力による利潤を遥かに上回る数字である。



 それだけの金額が名義だけで儲かるならば、アンダーグラウンドな接触が無い方がおかしいだろう。


「まさかそちらは名義を貸すだけだぞ、利益の八割はこちらだ」


「おいおい俺がうんと言わなきゃ成り立たないんだろ。こっちはお前じゃなくても次々と食いついてくる。話が無かったことにしても構わんぞ」


 こうなると失敗しただけでなく、他の組織に出し抜かれた形になりかねない。

 そうなればこの男の出世にも影を落とすだろう。

 額はさておき、組織に利益をもたらすのが絶対条件であり、最低のラインはわかりきっているのだ。


「七割だ、これ以上減るならそちらからも人員を出してもらうぞ」


「俺の方に四割だ。出せないなら余所をあたるんだな」


 控え目にしていてはいけないと強気の姿勢を崩さない。


 経費を少し多目に見積もれば妥協出来るだろうと相手が折れる。


「どこの国の官も俺ら以上にがめついもんだな。担当を派遣する、互いに正副一人だ」


「良いだろう。後程喫茶店にでも向かわせるよ」


 テーブルに代金を置いて少尉と二人で席をたつ。去り際にアサドへ意味ありげな視線を流して行った。


 暫し交差点付近で待っていたが出てこない。


 ――どうやら意味を理解してくれたようだな。さて派遣するのはやはりロマノフスキーになるか。事務としてアフマドを副にだな。


 真偽の程を確かめるためにも、最高の駒を初めに投入する。

 彼らで出来ねば荷が勝ちすぎるとして諦めるより他無い。


 予算についてはオズワルト少佐から数字を示されていた。

 全額を企業立ち上げに注入しようとしたら、カナダ企業の資本比率が低くなりすぎる、そのため一部を貸付として流入させていた。

 それにしたって部員の給与で心配していたのがアホらしくなる位にだぶついている。


 これを使うのは自由だが、投資に対する還元はしなければならない。

 逆に言うならば懐で暖めていても仕方がないわけだ。


 ショッピングモールへフラりと立ち寄る。

 雑踏の中で少尉が話し掛けてきた。


「初めからあの予定で?」


「ん――実は成り行きだ。いずれどこかで接触してくるとは想定していたがね」


 世間でニュースとして流れるような取引が成り行きと聞いて、プレトリアスは眉を吊り上げた。


 ――現地踏査はマッカランにさせるとして、こちらからは軍曹をつけてやるか。ブッフバルトあたりはどうなんだろうか、アルジェリアではそちらの才能を漏らしていたな。やらせてみるか!


 特に目的があるわけでもなく見て回る。品切や層の薄さが目立っていた。

 メルコスールの除外が原因で、他より高めの関税が敷かれているため流通に支障をきたしているようだ。


 ――これもあって俺を利用したいんだろうな。金を稼いだら何に使うかを予定しなきゃな。どのくらいになるかわからんが、権益以外にもニカラグアへ恩返しせねば。


 一旦コロラドと連絡をとろうと考えて、彼が持つ携帯にメールを送らせる。宛先を間違った風を装い報告を求めているとわかるように。


 工事の設置もそろそろなので警備についての話をマリーから聞かねばならない。そうなれば担当将校とも顔繋ぎの必要がある。

 株主として合資企業、つまりは株式会社の役員らと顔合わせをしたり、輸出先の国の大使とも会っておかねばならない。 


 案外なにもしていないようで忙しいなと呟く島であった。


 オフィスに最初に現れるのが誰になるか、椅子に腰かけて待つ。


 やってきたのはマリー中尉だった。


「お忙しい中で小官の報告を受けていただけるようで感激です」


「最近ロマノフスキーに似てきたんじゃないか。椅子を暖めているだけの司令官に貴重な情報を頼むぞ」


 元々教条的なタイプではなかったが、何と無く雰囲気が碎けた感じがした。


「そんなご大層なお方に比べられたら畏縮しちまいますよ。工場の警備ですが、市街地近郊なこともあって少佐級が管理にあたるようです。三個中隊で二十四時間警備にあたります」


 ――工場が複数箇所になった時に備えたと見えなくもないが、掌握の度合いが少佐では気になるところだ。歴年の将校ならば良いが、学校出の青年将校だと襲撃があったら混乱するだろうな。


 そう考えてから、自分がその最右翼だと気付いて苦笑する。


「近く会談の場を設けるように手配してくれ。緊急時の命令系統の確認をしておく」


 名目だなとマリーは見抜いた。だからと返事がかわるわけではない。丸投げが出来ない、またはそれをするのが大変な結果になりかねないのを知っているからであると。


「そのようにします。その件についてですが、こちらは将校が拳銃を持っているだけで非武装です。何とかなりませんか」


 戦いに来たわけではないので、入国に際して武装を求めてはいなかった。

 禁じられているわけでもないだろうが、軍用装備を手にするのは注意が必要である。

 護身用や民間用のものとはわけが違う。


「グレネードや迫撃砲は無理でも、小銃位は勘弁してもらうとするよ。それまでは警棒とゴム銃でも使っていてくれ」


「強盗相手ならそれでも充分ですが、何が出るかわかりませんからね。宜しくお願いします、司令官殿」


 一先ずは納得の姿勢を示して部屋を出ていく。


 ――ギャングスターとの争いもゴム銃ってわけにはいかんからな!


 マリー中尉の報告が終わるのを待っていたのだろう、コロラド曹長が間を置かずにやってきた。

 こちらも相変わらず軍服なりを着用していなければ、近所のリタイアオヤジにしか見えない。


「へっへ、申告します。国内は軍幹部がバラバラに個人の権力を使って私腹を肥やしている状態で、一般の目ぼしいギャングスターはパラグアイにはありません」


「何とも困ったやつらだ。他人のことは言えんがね」


 権限至上の体制なのが見てとれる。遥かに昔、このような図式が成り立っている国があった。

 古代中国である。悪党を官吏として認めて政権を支持する代わりに、行為を黙認する形を作り上げたのだ。


「ブラジルですが二つのカルテルがあります。イガティミ市にちょくちょく現れるのがカラフパラースィオってとこで、ペドロってのがボスです」


「カラフパラースィオ?」


 聞いたことがない単語が出てきたので聞き返す。ネイティブではないスペイン語の理解には限度があった。


「えー……パンデモニウムですか」


 英語に置き換えて表す。それとて島はたまたま耳にしたことがあっただけであった。


「なるほど伏魔殿か、ペドロってのは不敵なやつなんだろうな」


 伏魔殿とは悪事、陰謀が渦巻くところといった意味合いである。

 そんな単語を組織名にしている奴等を潰すのに何の躊躇も必要ない。


「もう一つはエスコーラでボスはプロフェソーラ、コロンビアからの奴等みたいでエンカルナシオンから浸透してきてます」


「女か! とんだ女傑が居たもんだな」


 プロフェソーラはプロフェソールの女性形のスペイン語である。

 そして組織名のエスコーラは学校、英語ならばスクールで読み方を変えればエスコーラが理解しやすい。

 ロシア語ならばシコーラがこれにあたるため関連が想像しやすい。


「それが随分と若いようで。どうも大佐と同年代との噂が」


 ――俺と似たり寄ったりか、犯罪者組織でそれは二代目や、男が有力者だったりだろうか。いずれこいつらもロクなものじゃない。


「して、ニカラグアに麻薬を流しているのは?」


 肝心の部分が不明であった。


「軍ですよ、パラグアイ軍」


「な、なんだって?」


 聞こえなかった訳ではない、またそれが理解出来なかったわけでもない。

 よりによってこれから歩みを共にしなければならない相手が敵だと言われて困惑する。


 ――いや待て待て、軍と一言で表しても様々ではないか。


「軍の誰がその主犯だろうか」


 聞けば答えそうな気がして尋ねる、さも当たり前だとの顔でコロラドは最悪の名前を出してきた。


「フェルディナンド中将ですよ、会見しましたよね、あいつが黒幕です」


 ――こいつは参ったぞ! よりによって中将を除かねば目的が達成できないとは。しかも中将の軍を武力面で期待していたのが、そっくり敵味方入れ替わるとは。


 コロラドの報告が全て事実であるとは限らない。その為に確認してから判断しようと先送りにしておく。


「衝撃の報告をありがとう曹長。パンデモニウムとエスコーラについて継続調査してくれ、特にプロフェソーラを」


「ではちょっくらブラジルに行ってきます」


 軍資金を手渡してやり頼りにしているぞと肩を叩く。

 すると十以上も年上だろうコロラドが、ニコリと笑みを浮かべ嬉しそうに頷くと出掛けていった。


 ――そろそろ部下をつけてやりたいが、サイードでは不向きだろうし、これといった手元が部員には居ないな。


 下手な者を付けても足手まといになるだけで逆効果になってしまう。

 オズワルト少佐と同年代だろうから、最早体力的にはデスクワークに据えるべき時期に来ている。

 もう数年で五十路になるだろう。


 最後にやってきたのは、その年寄組の筆頭オズワルト少佐である。


「あの、何かございましたか?」


「いや何でもない、考え事をしていただけだよ」


 ばつが悪そうに軽く手を振り椅子に座り報告を促す。


「役員との顔合わせを設定しました。郊外の外国人居留区域で行います」


「外国人居留区域? 一体全体どうしてそんなところになったんだ」


 役員ともなれば地位も名誉も持ち合わせているだろうから、首都の繁華街に繰り出してもおかしくはない。


「高級レストランがあるのがそこだからですよ。それにパラグアイ人は取締役一人だけです」


「法的には大丈夫?」


 公安面から外国人のみの代表取締役しかいない企業は不利を受けたりする国がある。厳しい国では外国人が取締役になれなかったりする場合もだ。


「問題ありません。ただ私への役員報酬は無しにさせていただきます、ニカラグア軍人として雇用されてますので」


 一人だけ公費負担されているからとの主張である。それは頷けるが、ならば島らはどうなるのか疑問に思えてしまった。


「遠慮せんでも良いよ。発生した報酬で現地の事務員でも雇って還元したらいい。そうすればニカラグアの印象も少しは良くなるさ」


 全人口の中から一家族分だけだがね、と軽口を叩く。


「そういうご命令と受け取りましょう。こちらに場所や日時が、それでは失礼いたします」


 書類を置いて敬礼するとゆっくりと歩いて去っていった。


 ――さて中将についてどうやって調べたものかな。そして黒だったらどんな手をとりゃいいんだか。


 悩んでも仕方ないので手透きの部員を頭に浮かべる。


 ――プレトリアス軍曹にでもやらせてみるか? あいつらイマイチ戦い以外では光るものが見えないからな。アサド軍曹はどうだ、結構単独でも気が利いてたぞ。


 こいつにやらせてみようと考えたが、確かスペイン語がダメだったなと眉をしかめる。


 ――仕方ない少尉に任せて割り振らせよう。


 部下の方で調整するようにと一任することにし、少尉を呼び出して調査を命じた。


 ――大統領は中将の行為を知っているんだろうか、それも結果次第で確認せねばならんな。


 アスンシオン外国人居留区域。移民受け入れを推奨している政府が設けた区画には、大きく分けて六種類の地番が割り振られている。


 ドイツ、イタリア、日本、これらは何と無く移民の発生がわかる組み合わせだろう。

 スペインはそもそもの宗主国として、中国やアラブは一族や財産を分散するとの国民気質などからパラグアイ入りしている。


 当然スペインは問題ないが、それ以外の移民については、パラグアイ政府から特別に各母国語のガイドがついた行政書類が一定期間補助されている。

 心配せずにゆっくり国に馴染んで欲しいとの計らいであり、人口が少ない国なりの配慮と言えよう。


 無論これらの地区にのみ住んでいるわけでは無い。市民団体としての機能が自然構築されており、集団移民や伝もない者は同胞を頼る意味合いからあてがわれたりはしやすい。


「ドイツ人居留区はやはり質実剛健な雰囲気が漂っているな、遠くここへやってきても変わらない魂があるんだろうな」


 少尉だけを連れて会談場所まで歩いて行く。かなり時間に余裕を持っているため視察を兼ねて。


「ドイツ人も日本人も開拓時には粘り強く働いたようで、特に日本人に至っては民族として功労を認められています」


 開拓民が切り開き、新しい農業技術を伝え、産業として発展させたのが極めて高く評価されているのだ。

 食卓を彩るのが何よりも実感が得られるため、パラグアイ国民は総じて親日家が多い。


 大統領が日本にやってきた際には、時の天皇と親しく語らい互いに尊敬の念を表したと言う。

 雨が降りしきる中、傘をさしてまで見送りにきた天皇の優しさがパラグアイ国民の胸を打った事実もあった。


「過去の実績は認めるが、今の国は大変な惨状だよ。国民の頭のなかが随分と移ろってしまった。情けは人の為ならずなんて言葉は絶滅寸前だな」


「何ですかそれは?」


「他人に情けを――ん、つまりは他人を助けるのは他人の為じゃなく、最後は自分自身の為だって意味合いだよ」


 アフリカーンス語の練習の為に言葉を探しながら説明する。

 日本語のニュアンスが難しいのは群を抜いていて、それに該当する単語が無いこともしばしばある。


 野菜ばかりが沢山採れる国である。豊かな食糧に貧しい暮らし、ラオスのような表現が近いかもしれない。


 内陸国なので貿易は他国の港で行うか、量が嵩張らない何かを扱うしかない。

 結局採れ過ぎた食糧は国内に溢れてしまい、価格が暴落する。


 食事が満足に出来て平和ならば人々も多くを求めない。が、そっとしておいて欲しいと願ってもそうはいかない。


 諸外国の介入、犯罪者組織の台頭、疫病の蔓延、災害の到来、文化の流入。緩やかではあるが変化して行く、良くも悪くもそれが定めである。

 これがまた絶海の孤島だとしても、変わらないと願うのは無理な望みなのだ。


「遥かなるイタリアンレストランか。案外少佐が食べてみたかったというのが理由だったりして」


 入ってきた二人組にウェイトレスがイタリア語で話し掛けてくる。

 だいぶスペイン語訛りのイタリア語になっており、半分くらいは言っていることが伝わってきた。


「予約だよ、オズワルトの名前でね」


「こちらへご案内します」


 貸し切りではないようで一般客の姿も見掛けた。


 通された部屋には既に着席している五人と、事務処理の二人が待っていた。

 島に気付いて皆が起立して迎える。


「時間より早く来たつもりですが、皆様をお待たせしてしまいましたか」


 待つ側だと信じて疑わなかったが、何をどうしてか最後になってしまっていた。


「我々は任命される側です、大株主をお待たせさせるわけにはいきません。大佐殿の時間だけ一時間遅らせて案内させていただいております」


 オズワルト少佐が上手いこと嵌めてくれたようである。


 ――三十分も前に来たのに揃ってるのは変だと思ったよ。


「じゃあ次は三十分ずらしてくれたらぴったりだな」


 軽い冗談で行為を受け入れると椅子に座る。少尉は斜め後ろで控えて警戒に入る。

 面々のうち三人は知っている者である、カナダ企業の取締役が資金提供の三割と共に自ら社長に就任する。二人は少佐らだ。


 どちらかが政府の派遣役員で、残りがカナダ企業側の者になっている。


「自己紹介をして頂きましょう」


 平取締役として二人が参入しているが、現状では取締役会での一票を持つだけにすぎない。


 印象に残らない者であるが任命と承認を行う。事実上の重要人物は社長と副社長、技術部長の三人になる。


「マーティン社長、よろしくお願いします」


「こちらこそイーリヤ大佐殿。運営面ではお任せを」


 経験からの自負は過信ではないと島も理解しているため、頷いて余計な言葉は挟まない。


「経営渉外はオズワルト副社長、実務ではマッカラン技術部長と言うわけですね」


「はい。それに政府対策と、従業員の労働対策を取締役が指揮を致します」


 政府派遣なので彼が事実上の是非を判断してしまえる、わからないことがあれば公式非公式を問わずに重宝するだろう。

 労働者対策は重要である。組合の力は日本の比ではない。

 ましてや働かなくても食うに困らない背景がある以上、中々に強硬な姿勢を打ち出してくる可能性もあった。


「工場の治安は特別に軍から中隊が三個派遣される予定になっています。指揮権は我等にはありませんが、警備の費用は負担との取り決めです」


 社長もその場に居たからわかってはいるが、ここで再確認しておく。


「強く要請をするよりは、責任者に多少の心付でもしたほうが良く働くでしょうな」


 海千山千の社長がより効果的な付き合いかたを模索する。


「末端にも工場警備勤務を志願したくなるようなサービスを用意してやれば、警備規模が拡大しやすくなるでしょうね」


 自然と現状を維持したくなる何かを用意させることで方針を合意させる。


「では私共は私的なサービスを幾つか検討します」


「自分は名誉の山であったり、公的な何かを都合しましょう」


 最高経営会議の様相を呈しているが、単なる任命式でしかない。

 仕事の早さや誠実さに於いてカナダと日本の組合せは世界一と評されている。ただし、公的なそれは全く違う評価なのも忘れてはならない。


「製品の輸出先ですが、メルコスール内での付き合い程度の受け入れは可能でしょうが、精製すればするだけ赤字になります」


 オズワルトが根本的な部分で立ち行かない問題をあげてきた。

 そうなるから誰も採掘していないのだ。これを解消するには企業努力ではおよそ無理と断言して良い。

 何せ精製コストが既に売値を越えているのだから。


「ニカラグアが援助目的で高値でも一定数を輸入してくれる。それと日本がある程度引き受けてくれるように交渉しておく。パラグアイ邦人会からの要請も付けてな」


 暫くは資金を食い潰していて構わないと言質を与えておく。


「しかしそれではすぐに問題が起きて経営が頓挫するでしょう。何か秘策でも?」


 マーティン社長が島の言葉の裏付けを求める。オズワルトは軍人でもあるため、上官に滅多な質問をすることはないが、流石に社の根幹をなす話だけに明かしておくべきだろうと、マッカランに視線を流す。


「それは私から。これからの説明は最高機密に属します、皆様には守秘を宣誓していただきますがよろしいでしょうか?」


 事務の二人を含めて全員が守秘を誓うと、島にその先を話してよいかを確認する。


「専門的な話しになるだろうからマッカラン技師に任せるよ」


 質問されても答えられないとして一任する。


「お任せ下さい。我等が鉄鉱石の精製を行うのはついでなのです」


「ついで?」


 主力取扱品がついでとは穏やかではない、社長が顔をしかめた。


「主要精製はチタンを予定しております」


「イルメナイトを仕入れる?」


 チタン精製に必要な鉱物を仕入れて精製するならば、もしかしたら品位次第ではプラスになるかも知れない。

 だが内陸にそれを運ぶとなると物凄く高上がりになってしまう。


「いいえ、ルチルからの抽出を考えております」


「オーストラリアやカナダはそれを生では輸出すまい」


 現地で精製したら儲かるのだから、わざわざ有限である資源を出荷するかは微妙なところなのだ。


「国内で採掘するんですよ社長。パラグアイにも鉱床が確認されています」


「な、なんだって?」


 知らされていなかった皆が驚き声をあげる。一部噂では上がっていたが、公に確認されたことはなかったのだ。


「しかも天然ルチル含有率が凡そ三、ニで中々の数字です」


「昨今では上質と言っても差し支えあるまい。今やニを下回る品位でも採算ラインに耐える」


 島にしてみれば一、六倍の効率なんだろうな位の認識でしかない。


「品位は九十九です。文句無しで最高でした」


「――! 大佐、あなたは大統領との会席時点でこのことを知ってらした?」


 感嘆の息しか出ないが、島の腹を探るべく何とか言葉を繰り出す。


「知ってはいたが理解は未だにしていない。素人なものでね、売れそうな石があって良かった位の感想しかないよ」


 事実である。今だって意味をわかっているか疑わしい。

 マーティンもじっと島を見詰めるが、出し抜いてやったとの雰囲気が一切感じられない為に力を抜く。


「これはパラグアイの産業として根付くでしょう。以後はお任せください、必ずや私が成功させます。いや、この条件で出来なければ恥ずかしくて表を歩けません」


「百フィートの狙撃を外すようなものですよ大佐」


 マッカランがそのように表現を変える。確かにそれは恥ずかしいと軽く頷く。


「ある程度チタンを貯めてから公表する、そこは大統領閣下の命令待ちだよ。付き合いで高い鉄を買ってくれる国や団体に優先して安価チタン取引を行い、パラグアイの恩返しを世界にアピールする狙いだよ。だからニカラグアにも容赦なく限界まで売り込め、責任は俺がとる」


 ニカラグアの支払いが苦しくなるだろうから、半年先決済の分割払いでサインするよと、全権委員である立場を利用して示しておく。


「完全なるインサイダー取引ですな」


 やれやれと社長が呆れる、だが世界ではそれも常識的な行為なので非難まではしない。


「批判は自分が幾らでも浴びます。それでニカラグアが貧困から少しでも抜け出せたなら満足でね、大きな借りを返さなきゃならないんだ」


 公僕としての立場ではなく、個人の想いだとした。

 埋蔵量はこれから試算するわけだが、恐らくはチタンの世界市場価格が低下するだろうとまで耳打ちされていた。


 心配されていた電力供給だが、一笑に付されて終わった。

 現在の国内消費量が三倍、四倍になっても供給可能らしい。

 というのも、余った電力を海外に売っている状態で、実に九割以上が売られていると説明されたのだ。


「任命式はこの位にして食事をしましょう。大佐、社長よろしいでしょうか?」


 それもそうだと了承すると、事務員や少尉にも席を用意してやり、料理を運ばせた。


 もしやとは思っていたが、やけに嬉しそうにイタリア料理を口にするオズワルトを見て、自然と笑みが溢れてしまった。


 ――やはり食べるのが一番の娯楽に繋がるんだろうな。


 日を改めて先任上級曹長を呼び出す。今度はヌルまでくっついてきた。


「お待たせいたしました。そろそろ声がかかるだろうと準備して御座います」


 何の準備かを一応確認しておく。


「邦人会との会談だが――」

「無論です。他に何か御座いましたか」


 ――くっ、こいつはやっぱり侮れんぞ! 年の功にはかなわんもんかね。


「いやそれでいい。いつだ?」


「連絡を入れてみて会長が居るならばこれからすぐにでも可能です」


 確認するように命じると、一時間後に会談可能だと返事があった。

 それでアポをとって話をすることにした。


「日本語の通訳は任せたぞ、俺はイーリヤ大佐として臨む」


「ダコール」


 三十分程時間を潰してから出発することにしたが、折角ヌルが居るので少し会話してみようと招き寄せる。


「訓練の調子はどうだ?」


「日常です。経験を積めばきっとお役にたてます」


 ――うむ、自我が矯正されてきたようだな。グロックに感謝せねばなるまい。


「俺も鬼軍曹にたっぷりしごかれた口だ、頼むぞ後輩」


 少し目を丸くして「はい」と答える。

 ニカラグアで拾ってから随分と時間がたったように思えて、それでいて短いようにも感じてしまう。

 それだけ濃密な時間を過ごしてきたと言える。


 ニカラグア革命、日本での演習、アルジェリアやチュニスでの任務に、ベトナムで過ごした日々。

 そして先日のイエメンである。ハリウッドスター顔負けの舞台への登場頻度は、恐らく普通の軍人の一生分を越えただろう。


「フランス語はマスターしたか?」


 スペイン語から突如切り替えて問い掛ける。前々からグロックが仕込んでいるのは知っているが、どのような具合かまでは未確認なのだ。


「レジオンでならば通じるとチーフに評されています」


「ならどこでも通用する、俺が保証するよ。理解言語は多い方が良い、一つでも知っていれば命が助かる場面があるかも知れん。暇があれば誰かしら話し掛けろ、何なら俺が教えてやるぞ」


 完璧を求めるでなく、不足を補う材料と位置付けて説く。

 部員の間の共通語が無くなってしまったので、多数派のスペイン語を覚えて欲しい気持ちはあった。


「そんなことをしたらチーフから雷が落ちます。あー――慎んで遠慮させていただきます」


 後半をフランス語ではなく日本語で喋ったことに島が驚いた。


「そうだ、それでいい。さあ出掛けるとしよう、ヌルも同行だ」


「ダコール」


 使いどころを探っていたのだろうか、得意気な顔が見られた。


 ――部員の不足を補うってところか、そりゃグロックから学んだんだからこうもなるな。師匠はいつまでたっても師匠らしい。


 アスンシオンの四十一番地にある日本人居留区。そうは言っても建物は現地風の外観である。

 先任上級曹長に連れられるまま、一行は商工会議所と書かれた館に入る。


 ――わざわざ日本語で看板掲げるにも、長い歴史があったんだろうな。


 勝手に感心している島を横目に、プレトリアス少尉が初見の場を把握しようと小刻みに視線を巡らせる。


 ヌルを含めた四人を職員が出迎えた。

 その男が島を見て、おや? と呟いたが聞こえないふりをして流す。


 会長室と堂々と書かれた部屋の前に案内され、職員がノックをして扉を開けた。


 椅子を立って迎えてくれたのは御年七十は越えただろう老人であった。

 グロックが前に出て握手を交わすと後ろに居るうち二人を紹介する。


「高倉会長、こちら私のボスでニカラグア軍のイーリヤ大佐全権委員です。黒人はプレトリアス少尉」


「話しには聞いておりましたが、本当に日本人のようなお顔ですね! しかもお若いのにそんな重責を背負われて、感心なことです。邦人会会長の高倉です」


 ――まだ日本人のように見えているか、アジア人にならねばな。


 グロックに通訳されるのを無表情で待っていて、初めて反応を示す。


「お会いできて嬉しく思います。今日はニカラグアの代表としてではなく、鐵工精錬所の関係者としてやって参りました」


 前置きは大幅に省略して用件を切り出す、何せ地均しは済んでいるとの認識なのだ。


「はい、伺っております。日本との橋渡しをお求めだとか」


 現地の邦人団体からの要請を無下には出来ないとの狙いがある。

 政府としても移民団には数々の違約があったりで、それらの怒りをかわすためにも小金で済むなら飲んでやれとの考えであった。


「いずれは安定した鐵工製品が輸出されるようになります。それまでは少々割高ですが、お付き合いしていただきたく。鉱床はパラグアイ政府の所有なので、売れれば国が潤います」


 ニカラグアも買い上げるが資金に余裕が無いため、同じようにパラグアイを援助可能な先を求めていると説明した。


「なるほど左様でしたか。ですがそれならば政府のお役人がやってくるのでは?」


「政府は運営一切を企業に委託して、利益の一部を納めるように契約をしました。つまり売れようが売れまいが痛くないのです、しかし我々は売れねば従業員の給与が払えません」


 現地の雇用にも繋がるので前向きな返答を期待するなどと、まさに日本向けの言葉を持ち出す。


「鐵工精錬所はニカラグアの所有なのでしょうか? イーリヤ氏が給与の心配とは」


「企業には私から出資しております、そしてその資金はサウジアラビアやレバノンから巡ってきています。私には全てを整合させる義務がありまして、ご理解いただきたい」


 手段はともあれ、目的は公共性が求められていると説明する。


「承知しました。私から日本政府や経済団体にお願いしてみましょう」


「ありがとうございます。利益の一部を外国人居留区の為に使用するよう、フランコ大統領に進言させていただきます」


 日本とは言わずに外国人全体を指して、より広い調和を目指していると告げる。


「そう言われると皆が断りづらいでしょうね。強かなお方です」


 若者が努力する姿を喜んで、高倉会長は全面的な協力を約束してくれる。

 長いこと居ると島の正体がばれてしまうだろうと、要請を出す側だと言うのにそそくさと立ち去ろうとする。


「大佐殿は次のお約束がありますので、これにて失礼させていただきます」


 グロックが様子を見てそのように切り出すと、わざとらしく時計を見て頷く。


「わざわざ足を運んでいただいてありがとうございました」


 深々と頭を下げるのを見よう見まねで返すふりをして館の外に出る。

 少し先まで歩いていき、フランス語を使って話始める。


「何とも心が痛むな、市民に対して不誠実な自分が」


 誰かに強制されているわけではなく、自らの意思が全てで選択しているのだから。


「これも巡り巡っては市民の為です。例の調査報告ですが、住民らは軍の不正に気付きながらも、これに対抗する者がないために従っています」


 ――テロリスト対軍の構図ならば慣れたものだが、軍が犯罪者として居座っている場合はどうしたものか。大統領は政情不安定で軍の支持がなければ失脚してしまうだろうし、追い詰めればまたクーデターで軍事政権が産まれてしまうかも知れん。


 少し考えをまとめたいと喫茶店に入ることにした。

 中国人居留区で、店に入ると意味不明な言葉で迎えられてしまう。


 だがヌルが対応しているのをみると、北京語なのだろう。


「皆さん、ウーロンティーとやらでよろしいでしょうか? 飲茶を」


「構わんよ、それで頼む」


 シェシェ、と言葉を残して店員が奥に消えていった。


 ――軍の浄化はどうだろうか。首をすげ替えても現状に改善は見られないだろうな。何せ大小様々な利権が独立して蠢いている。

 ある程度の派閥を作って、一定の利権を認めて秩序を構築させる。中国の制度を作るとしても、大統領や議会がうんとは言うまい。


 テーブルに置かれた饅頭と烏龍茶に手を付けて考えを深める。


 ――市民に力をつけさせる、全く無理だろうな。時間がかかるだけでなく、社会としてそこまで成熟していない。

 軍という力を別の力で制する。こんな形ならば、いざ勃発することを除外さえしたら結構なおさまりだ。

 ヒズボラじみた奴らが地方都市あたりで力をもっていたら、といったところだな。


 饅頭を見詰めてぼーっとしていると、ふと思い付く。


 ――パンデモニウムやエスコーラあたりにその代役は可能だろうか? 既に外輪の都市に進出しているわけだし、外敵相手ならば軍もまとまるはずだ。

 そうなれば情報が必要になってくる、ロマノフスキーやコロラドの。


「少尉、アサドに追跡させた彼奴はどこで見失った」


「郊外の無秩序に建ち並ぶ貧民街です。恐らく入ったら無事には出られないでしょう」


 世界中にある貧民街だのスラム街というのは、部外者が立ち入ると命を狙われる。

 正確には身ぐるみ剥がすために襲撃するわけだが、抵抗するやつより死体の方が略奪しやすい、だからそうするだけである。


 中将に会うのを後回しにして、先ずは少佐らを呼び出すことにして引き上げた。


 ――しかし、前線で切ったはったしていた方が気楽なものだな。所詮失うのは自分の命くらいなものだ。


 景気が悪い顔をしてデスクに向かっていると、いつも陽気な彼がやって来た。


「またお悩みですか、そう真面目腐らないでこいつでも如何ですか」


 目の前に置かれたのはポルトガル語ラベルのビールであった。


「まあそうだろうな。で、納得行くような中身だったかい」


 相変わらず主語を抜いてのやりとりを行う。時としてこれが緊迫した状況で功をそうすることもあった。


「名義だけでこの数字では詐欺と呼ばれても仕方ないでしょう」


 報告書を出されてそれを軽く眺める。単位は敢えて記載していない。


「もちろんトンですよ」


 ――あらゆる原料やら製品やらがリストに乗っかっている。それぞれの量は少ないが、主力商品のみ桁が二つ程違っていた。


「ご苦労なことだな、我々の為に精々活躍してもらおう。ところで少佐、官賊だったらどうしたものかな」


 官吏が賊徒、後進の国ではさも当たり前な図式とも言える。


「そりゃ転勤か昇格でお茶を濁すしかないですな」


 ――転勤? 地方密着の問題ならば有効かも知れんな。名誉職に祭り上げるのもだ。


 根本的な解決には至らないが、何らかの転機をそこに見出だすには適度な処置に思える。


「何か人事異動する名案を捻っておくよ」


「期待しておきましょう。暫く体が空きますが、何か致しましょうか」


 無ければ勝手に役割を見付けるわけだが、一つ隠し玉を用意しておこうと考える。


「チャコのどこかにアメリカ空軍基地があるらしい。ちょっと探険してみないか?」


「出奔した身で、のこのこ顔を出すのも赤面の極ですが、ご命令とあらばそう致しましょう」


 むしろ未知のことがらが楽しくて仕方ないと言わんばかりな表情をみせる。


「政権がひっくりかえれば彼らも困るだろう、少しばかりその懸念を払拭してやるからと、脅したり空かしたりしてくれ」


「ダー。見返りはどうしたものでしょうな。まさか石をくれてやるわけにもいかんでしょう」


 ――ふむ、こんな田舎のそのまた荒れ地に秘かに押し込まれている奴等の求めるものか。


「嘘か誠かブラック大佐に転任をお願いしてやると言ってみるか」


 人事担当で本国に入った伝を思い出す。あちらでも手駒を求めているだろうから、嵌まる仕事があればきっと頷いてくれるだろう。


「もし自分の残り任期が年単位であるなら、喜んで食い付きますよ」


「一報入れておくよ。上手く行くか諦めたなら戻ってくれ、仕事なら幾らでもあるもんだよ」


「苦楽を山分けさせていただきましょう。あ、ビールはグロスで持ち帰りました、ご自由にどうぞ」


 目の前のビンをポンポンと叩いて笑みを溢す。

 ラベルには≪カラフパラースィオ≫の文字が特別に貼られていた。


 ――どちらかだろうとは思っていたよ。俺も仲間入りと言うわけだ。


「よし、中将に面会を申し込むとするか。副官の一人でも抱えるべきだな」


 さりとて誰でも良いわけではない。機密に触れることから忠誠心が要求されるからである。

 ましてや個人的にそんなものを持てと言う方が無理だろう。


 軍の司令部は思ったよりも質素な作りになっていた。

 人口が少ないために陸軍は二万人も正規兵が居ない。当然管理を行う側も少なくて済む。


 黒檀のデスクには葉巻が置かれ、私物にはやたらと予算がついている。


 ――こいつがラスボスってわけか、参ったな。


「イーリヤ大佐です。閣下、お時間いただき恐縮です」


「なに構わんよ。平時の軍司令官なんて飾りでしかないからな。いや君ではなく私のことだよ」


 秘書官がコーヒーを運んでくるが、これまた立派なカップで中味も素晴らしい薫りである。


「平時とはいえ獣も居れば賊も現れることもあるでしょう。部員から武器所持の要請を受けました。小銃による武装許可をいただけないでしょうか」


「ああ構わんよ、ニカラグア義勇軍の武装を許可する。ただし、武器は自前で頼むよ」


 いともあっさり許可を行う。これといって不都合も無ければ、腹の探りあいもない。


「ありがとうございます閣下。それに併せ国内での募兵もよろしいでしょうか?」


 部員だけでは護衛も心許ないと申し出てみる。


「好きにしたまえ。出来るならば無職の者達に仕事を提供してもらいたい」


 ――随分と余裕だな。それではそうさせてもらうとしよう。


「可能な限りそのようにして人員を集めさせていただきます。貴重なお時間を割いていただき感謝いたします」


 きっちりと背筋を伸ばして敬礼を行い退室する。

 司令部の護衛兵はアメリカやベルギー製の装備に身を包んでいる。中にはイスラエルの短機関銃を肩に掛けた者もいた。


 ――中将の手下は装備が極端に良いな、普通にぶつかれば手強いぞ。


 だが一度司令部を離れて巡回する兵士を眺めると、いつ製造されたか不明の旧式装備であったり、資料で見たことしかないような西ドイツ製造の銃まで現役で使われている。


 ――こいつは弾薬を揃えるだけでも一大事だろう。


 そんなものですら使わねばならない台所事情と、未だにそれでも事足りる背景が浮かんできた。

 隣がブラジルにアルゼンチンでは戦うだけ無駄で結果が見えている。

 これも選択肢の一つなんだろうなと、テロリストが少ない地域の横顔がかいまみえたような気がした。

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