第七部 第三十章 ベトナムの家族、第三十一章 追跡イーリヤ大佐、第三十二章 孤軍奮闘
ホー・チ・ミン空港は今日も蒸し暑かった。
国際線ターミナルでは、東南アジアの観光客集団があちこちに群れを成していた。
スーツケース片手に歩む足取りは軽い。途中前を見ていなかった男にぶつかったが、にこやかに島から謝罪し不思議がられた。
正規のタクシーにはとても見えない車に乗り込み、北区の政庁付近と告げる。
ベトナム語で指示した為か、運転手が話し掛けてきた。
「旦那は観光客かい?」
「いや北区に家があるんだよ、妻が首を長くして待ってる」
地元の人間には見えなかったが、運転手はさしてボッタクリ価格を提示せずに済ませてきた。
記憶を頼りに前と同じ景色を探しながらうろつく。
角地にある住宅に見覚えがあった。少し足早に道を曲がると目当ての家がある。
自然と笑みが溢れてきた。小さく頷いて近づいて行く。
外では小柄な女性が草むしりをしている。
「ニーム!」
声に気付いて振り返る。手にしていた草を放り島に向かって駆け寄ると飛び付く。
「龍之介さん、お帰りなさい!」
ニムを軽々と抱き抱えて口付けをする。
「ただいま。勲章の授与式なんかなければもっと早くこれたんだが」
「お仕事だもの仕方ないわ。あ――あたし、ちょっと汗臭いかも……」
朝からずっと外で動いていたのを思い出して身をよじる。
「よーし、じゃあ俺が洗ってあげよう、隅々まで」
「おっ、降ろして下さいっ!」
笑ながらダメだ、と家へと抱えて行く。
騒ぎを見てか、口元を押さえて義母が笑っていた。
「龍之介、ただいま戻りました」
「ふふ、お帰りなさい。ニム、チュニョが起きるからうるさくしてはいけないわ」
口をへの字にして眉を寄せる。可愛そうなので降ろしてやり、義母へと土産を渡す。
ニムが逃げるように家へと消えていった。
「ありがとう龍之介さん。冷たいお茶を淹れるから、お待ちになっていて下さいね」
中には揺りかごがあり、チュニョが気持ち良さそうに寝息をたてている。
――こんな小さいのが良くもまあ育つものだ。
父親などというのは、赤子を謎の生き物としか思っていない。良し悪しではなく、単にそう感じるものなのだ。
冷えた烏龍茶が差し出される。飲んでみるとあれこれの茶葉が混ざったような、複雑な味わいがした。
「お休みはいつほどまでいただけたのかしら?」
「はい、二ヶ月間です。急に呼び出される可能性は低いでしょう」
無任所の状態な為、呼び出しをかけてくるべき場所が無い。
余程急いだのだろう、髪がまだ濡れたままでニムが戻ってきた。
冗談を真に受けたのか、水浴びをして汗を流してきたらしい。
「これを飲んだら行こうと思ってたのにな」
「自分で出来ますっ」
声を抑えて抗議する。これが自宅でなければ洗われていただろう。
「二ヶ月間の休暇をもらったよ。その先は未定だ」
長期なのを聞いて顔が輝く、その反応が島も嬉しい。
「あちこちあたしが案内するわ! 見てもらいたいところが沢山あるんだから!」
あれもこれもと必死になってアピールする。その興奮した話し声で、チュニョが起きてしまった。
「置いてくなって言ってるんじゃないか?」
真実どうかはわからないが、自分抜きで楽しそうな声が聞こえて気になったらしい。
チュニョを抱上げて耳元で囁く。
「もちろん置いては行かないわ」
「時間はたっぷりある、ゆっくりと巡ろうじゃないか」
休みらしい休みなど前にいつとったかを思い出してみる。任務抜きで二ヶ月間もの期間があったのは、伍長に昇進してパリに居たとき以来だろうか。
ソルボンヌのときも結構時間があったかも知れない。
「今夜は二人でお食事にでもいってらっしゃい、チュニョはみててあげるから。お父様に挨拶してからよ、良いわね」
若い二人は自由が一番とばかりに優しく声をかける。親とは子供が幾つになっても親なのだ。
「お心遣い感謝します」
日本式に頭を垂れて謝辞を述べる。義母がニムをお願いいたします、と返してくる。
「もう、二人とも子供扱いしてっ!」
頬を膨らませる姿は、全く説得力がなかったが。
「そうだ、アオザイを着てみたいな」
ベトナムの民族衣装であるが、男が着ているのは滅多にみかけない。それだけに興味があったのだ。
「アオヤイね、こっちでは発音が違うのよ。でもあなたの身体に合う大きさは間違いなくオーダーメイドね」
そもそもがオーダーメイドが基本らしいが、それでも展示売をしている店がたまにあったりする。しかしながら女性ものばかりで、男性用はまず無い。
「折角ですから注文してきたら良いわ。グエン・バンさんのところに連絡しておくわ」
「そうねそうしましょう。明日にでも採寸してもらったら、五日もあれば完成ね」
勝手に話が進んでいくのを脇でにこやかに聞いている。平和な時間がここにだけ流れているような気がしてならなかった。
夕刻になると父親が帰宅してきた。居間で戻るのを待って、深々と頭を下げて挨拶する。
「義父上、龍之介只今戻りました」
「おおっ、無事で何よりだ龍之介君。今夜はお祝いをしようか」
ご機嫌でそう口にしたところ母がすかさず言葉を挟む。
「それは明日にしますわ、準備もありますから」
「それもそうか。では明日にしよう」
煙に巻いて父が部屋に着替えに行ったところで母が目で知らせる。
二人は喜び勇んで入れ替わりで出掛けるのだった。
「おや、二人はどうした?」
早速、一杯やろうと酒を片手に戻ったのに姿が無くなっている。
「お買い物を頼んだんですよ、龍之介さんの好みもわからないから」
そんなのは明日でも良いだろうに、とぶつぶつ愚痴を溢す。
「では戻ってから飲むとしようか」
「ついでに食事も済ませてくると言ってましたよ」
諦めが悪い男に戻らないかも等とも付け加えてやる。
「おい、そりゃどういうことだ」
機嫌が急に斜めになりかけたところで母が隣に座る。
「あたしがお酒のお供をしますわ。それともあたしでは不満かしらね?」
「ん、いや……そんなことは……」
永年共に暮らしてきただけあって、互いのタイミングを知り尽くしていた。
瓶を手にしてコップに酒を注ぐ。
「今はニムに独占させてあげましょう。あの娘が喜ぶ顔を見られて、とても幸せです。あなた、ありがとうございます」
そう言われ一口飲んで、それもそうだと納得する。
「俺も幸せだよ。温かい家族に囲まれ孫まで居てな。この上、文句を言おうものなら罰が下っちまうな」
空のコップに注いで差し出す、今度は母がそれに口をつける。
「フィリピンの祖母に一度チュニョを会わせたいわ」
そうしたらいい。ゆっくり父が頷いた。
ホー・チ・ミン市はこれからの東南アジアで、上位に位置する成長が著しい地域と目されている。
若年層が多いことや、昨今ようやく開かれてきた市場、国民気質が他に比べたら勤労に向いていることが要因である。
屋台通りと呼ばれる密集地帯は、ひしめくように店が設置されており、間を縫うように人が往き来している。
財布をすられないように注意を受けてから、あちこちで料理を口にしてみた。
辛味と酸味が強く、旨味や甘味が少ない。屋台ではどれもこれも格安で八千ドン(四十円弱)程で好きなものが食べられた。
――気温や湿度の関係なんだろうな、悪くはないが、慣れなきゃいま一つだ。
そうは感じても嬉しそうにあれもこれもと教えてくれるニムに不味いとは言えない。
次に手を引かれて行った先は商店街で、日用品というよりはデザインやらファッションが目立つ、若者の御用達といったところだろうか。
ちょっとしたネックレスなど、現地人には見るだけしか出来ないような金額が提示されていたりした。
視線を追ってみると指輪のところを見ているようだ。
「どれを見ているんだい?」
「え、いえ。何でもないです」
そう拒むニムを連れて近くに寄ってみる。そこには宝石がついた指輪が飾られており、四億ドンとゼロがわからなくなる程綴られている。
ベトナム人の月収が凡そで四百五十万ドンなのを考えたら、それは決して手にはいるような代物ではない。
「見るだけ見てみよう、おいで」
強引に入店すると、店員の女性が接客をしてきた。
「あそこに飾られてる指輪、着けさせてみて貰えないだろうか」
ニムがヤダヤダと首を振るが、店員がにこやかに持ってくると彼女に嵌めてみる。
「まあぴったり」
それはそうである、ベトナム人に合うサイズで並べてあるのだから。
「本当だな、ニムに似合ってるよ」
少しだけぼーっとしていたが、すぐにお返ししますと店員に突き返してしまう。
「何だあまり気に入らなかったか?」
「そ、そんなことありません! 最高の物ですし、綺麗でいいなとは――でもあの金額ですよ!?」
店員も笑ながら、お手頃なのも御座いますよ、といつもの台詞を口にしようとした。
「よし、じゃあそれをくれ。支払いはアメックスで良いかな?」
さらっとそう言うものだから、店員が少々お待ちくださいと店主を呼びにいく。
すぐに年配の男性が出てきて、間違いないかと確認する。
「ああ、妻にぴったりだからな。似合うと思わないか?」
「そりゃもう奥様の為にあるようなものでして。どうぞこちらにお掛けになってください」
カードに不正情報が無いかを確認し、全く問題がないとカード会社から返事が得られると、店主が小躍りして決済した。
「こちらにサインを」
書き慣れたイーリヤとスペイン語でサインする。文字が良くわからなかったが、産まれてから最高の笑みで指輪を手渡した。
「うむ。ニム、手を」
ドキドキしながら出した手に指輪を嵌めてやる。
「素敵――」
「俺からの結婚祝いだ。あの時はドタバタしていたからな」
何故か店員一同が拍手でそれを祝ってくれた。
店を出てからも姿が見えなくなるまで拝まれてしまい、笑いが込み上げてきてしまった。
流石にニムも店員らの姿を見るとつられて笑ってしまう。
「本当に良いのですか、こんな高価な品をいただいて」
高額すぎて不安が拭えないで尋ねてしまう。
「勿論構わんよ。ようやく俺も幸せに縁が出来たんだ、何にも心配はない」
腕に絡み付いていたニムを軽く片手で持ち上げると、そのまま胸の前に寄せて腕に座らせて歩く。
男性でも百五十五センチ位の身長しかないため、島と同じ視線だと巨人になったかのような錯覚を覚えた。
――ま、十年もしたら貫禄もつくだろう、お互いにな。
三十一歳になった。世間ではようやく仕事を覚えて、一人前になるかどうかの頃合いである。
主任やら係長になったと感動する同級生も幾人もいるだろう。
――御子柴のやつも今年辺り一尉に昇進だろう。
何だかんだと昔からの悪友と言われてから浮かぶ顔は一人しかいなかった。
「どうしたんです、なんだか嬉しそうに笑って」
心ここに在らず。そんな表情をしていたと指摘される。
「ああ、ちょっとね。夜のことを考えてたんだ」
「よっ……」
顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。それを見て、島は気持ちよく声を出して笑ってしまった。
専用の場所でご休憩を挟んだ後、少しばかり遅めに開いているスーパーマーケットに立ち寄り買い物をして帰宅する。
敏感に気配を察したのだろう、チュニョが泣き出してしまう。
それを聞いてニムが奥へと行ってしまった。
少しすると子供を抱えて戻ってくる。
「お部屋へいきましょう」
荷物もまるごとニムの部屋に置かれている。それは客ではなく、夫婦として義父母がみてくれている証拠だ。
島が軽く引っ提げてきたスーツケース、きっと重かっただろう。
必要最低限とは言え、軍服やら書類やらが余計に詰まっている。
重要なものは一切入れてないが、勲章などはまとめてケースに保管してある。
――これからはそんなのも新居に置いておけるな。
長い流浪の旅も終わりを告げるだろう。ふと思い出す。
「なあニム。前に料理店を開きたいと言っていたが、今はどうなんだ?」
「チュニョに手が掛からなくなったらやりたいわ!」
でも二人目も欲しいかも、等と悩んでしまった。
――子供は何人居ても良いものだからな!
意思を確認して床についた。遠くはない未来、どこに出店するかを話し合ってみようと決めて。
グエン・ホアン家に義父の親族が集まって歓迎会が開かれた。主賓は島である。
「飲みなさい飲みなさい」
人が良さそうな爺が並々と注いでくれたのを一気に飲み干すと、歓声がわいた。
男たちが馬鹿みたいに騒いでいる隣で、女たちが別の話題で盛り上がる。
「ニム、男なんてのは最初にビシッと言ってやらなきゃいけないのよ」
「――はい」
消え入りそうな声で返事を繰り返す。叔母方に何と言われようと黙って頷く。
こんな風景は世界共通の世代順送りである。
「大体にして外国人がベトナムでどんな仕事が出来るのよ」
「――ええ」
「ちょっとニム、聞いてるのかしら?」
幾分かアルコールが入り声も大きくなる。苦笑して叔母さん落ち着いて、と宥める。
「旦那様は大丈夫ですから」
「どう大丈夫なのよ。これからとは言っても、この国はまだまだ貧しいのよ」
さっきまでは外国がダメと言ったにも拘わらず、今度はベトナムが貧しいと喚く。
「叔母さん、少し横になったほうが」
義母が間に入って宥める。
「ここはあたしが片付けておくから、先にお休み」
「でも義姉さん――」
「良いから」
小さくため息をついてから渋々承知すると、奥の客間へと消えていった。
そんなやり取りはお構いなしに、男共が盛り上がる。
「――で、龍之介君はどうなんだね」
仕事で上司がどうだと散々文句を並べて話を振ってくる。
「今のところは一回だけですね、とんだ上司に当たったのは」
――あの外人部隊少尉だけだ。
つまみを口にしながら、先程の叔母の夫、つまりは叔父が続ける。
「そんな上司にあたったらだ、辞めてやる! ってぶん殴ってやればいい」
――おいおい、軍法会議にかけられちまうな!
「叔父さんも少し飲みすぎでは? どうぞ先にお休みになってください」
只で酒が飲めるとガバガバ空けるものだから、量が半端ではない。
妻への愚痴も混ざっているが、叔母はもう退場しているため言いたい放題である。
だが義父は実の妹のことだけに何とも反応しづらかった。
「そうだ、龍之介君も地域の集まりである、ベトナム郷土会に入らないか?」
何とか話題を変えようと努力する義父の後押しにかかる。
「それはどのような会でしょう?」
「まあ互助会のようなものだよ。例のあれだ、災害があった時などはこれが機能する」
半官半民だよ、と説明する。町内会や消防団の、規模を大きくしたものと考えたらちょうど良いだろうか。
「はい、入会します。叔父さんも入っているんですか?」
「ん、ああそうだよ」
「是非ともご指導お願いいたします」
いらないところで頭を下げる、だからこそ効果があるというもの。
「おう、任せておけ」
はっはっはっ、とご機嫌で笑い何を愚痴っていたかを忘れてしまったようで何よりである。
義父の顔がすまんなと言っているのがわかった。
翌日昼過ぎになり、ようやくのそのそと起き上がり叔父夫婦は帰って行った。
「元気な方々でしたね」
「酒が入らなければいいやつさ、妹もな」
酒癖が悪いのは世界中どこにいっても居るものである。
外人部隊に居たときこそがマックスだったかも知れない。
アオヤイを注文して半月後、ようやく仕上がったと連絡がきた。
サイズが大きすぎてあちこちから品をひっぱるのに時間がかかったらしい。
さっそく店で着用してみる。体のラインがぴっちりと出で動きやすい。
それだけでなく曲げ伸ばしする箇所は余裕が持たされていて、かなり激しい動きも可能になっている。
元はチャイナドレスが変化しただけに、刺繍の類いからは地域のテイストが伝わってくる。
「素晴らしい仕上がりだ!」
「わぁ、龍之介さん似合ってるわ!」
三角笠を渡されて頭に載せると、遠目にはベトナム人にしか見えまい。
「なかなか使える素材が手に入らず遅くなり申し訳ありません」
仕立て屋が謝罪する。
「いや結果的にこれならば何の文句もない」
「そう仰っていただけて言葉も御座いません」
恐る恐るお代を、と請求を差し出す。七百万ドン。
――オーダーメイドのスーツを仕立てたらこれでは済むまい!
快く現金で支払いをして受取にサインをした。
店主が笠は差上げますと微笑んで見送ってくれた。
ベトナム郷土会に入会して最初の顔合わせが行われた。
島はアオヤイを着て参加すると、親父共が集まってきて感嘆の声をあげる。
巨大な体躯に立派な衣裳ときたら一目置いてしまう。
それだけでなく、義父が災害対作品の寄付はこの婿殿だよと明かすと、一気に好感度がはねあがった。
「ダオと申します。若輩者ですが、皆様よろしくお願いいたします」
ベトナム語を喋ることに再度驚きの声が上がる。
グエン・ホアンに対して良い婿を見付けたものだと言葉が投げられる。
初日の歓迎会ということで昼まっから酒が並べられた。
一昔前に比べたらベトナムは平和になったのだ。
政治的な面からは不穏な空気も漂ってはいるが、庶民の暮らしは格段に良くなっている。
戦争などというのは一部には活力を与える側面があるが、やはり無ければ無いにこしたことはないものなのだ。
「そう言えば龍之介君、妻と娘たちだが、来週の末から数日間、フィリピンにいる祖母に会いに行かせたいのだが構わんかね?」
妻の親がフィリピンなんだよと説明する。
「はい構いません。自分も一緒に行きましょうか?」
「うーん、それなんだが……祖母はどうにも自分の血を引いてない者には会いたくないらしくてな。俺もかれこれ二十年以上も会ってない。こっちに残ってくれんかね」
――過去に何かあったんだな。それで俺を味方につけようとしてるわけか。ニムに話を聞いてから次回行くかどうかを決めれば良いか。
「ではそうさせていただきましょう。義父上にはホー・チ・ミンの楽しみかたをご教授願いましょう」
少し雰囲気が明るくなった。何かの切っ掛けになればと島も相手に合わせる。
新婚生活は始まったばかりなのだから。
休暇もまだ一ヶ月ある、流れに身を任せてゆったりと構えることにした。
――そうだ実家に写真を送ろう、初孫だからきっと気になっているだろう。
電子メールではなく写真を。父親がその手の物があまり好きではないのを思い出して、手書きの手紙を添えて出すことを選ぶ。
チュニョを真ん中にして、三人が写るものを数枚入れて国際郵便で送る。不思議なもので、日本円にしておよそ八十円で受付してくれた。
女たちがフィリピンに向かって船で出掛けてから二日、自宅で義父とどこに出掛けるかを相談しているところ、電話が着信音を発した。
義父が受話器をとり受け答えするが首をかしげている。
「わからん言葉だ、龍之介君代わってくれるか」
「はい」
受話器を受け取り聞いてみると、遥か昔に聞いたことがあるような。
――タガログ語か? さてはフィリピンからだな。
「ハロー、イングリッシュプリーズ」
二人に一人は英語が通じるだろうと呼び掛けてみる。
「ああ良かった、ベトナム語は知らなくてね。グエン・ホアンさんのお宅でしょうか?」
「ええそうです。あなたは?」
後ろがやけにざわついているような気がする。駅や繁華街の喧騒ではない感じであるが。
「フィリピン警察です。落ち着いてお聞きください、グエン・ホアン・ニムさん、グエン・ホアン・ルシェさん、それとお子さんですが、列車を狙ったテロで死亡が確認されました。お気の毒です。詳しくはマニラ中央警察にご確認下さい」
「――え?」
次に知らせなければならないからと通話を終えますと言われて切れてしまった。
「誰だったんだい?」
「フィリピン警察から、三人が死亡したと。列車がテロにあって」
「な、なんだって!?」
俄には信じられない。事実を確認するためにマニラへと電話してみますとボタンを押す。
マニラ中央警察署を呼び出す、列車テロについて問い合わせをした。
「ベトナムのグエン・ホアン・ニムの夫です。そちらでテロがあり妻が死亡したと連絡がありましたが、事実でしょうか?」
「――えー、リストに名前が御座います。お気の毒です。ご遺体はこちらで保管してありますのでお引き取りの際にはご一報下さい」
ガチャンと力なく電話を切る。
「義父さん、遺体がマニラ中央警察署にあるって。すぐに飛びましょう、人違いかも知れません!」
「うむ、自宅には妹にいてもらおう。すぐに出発の準備を」
着替えなどの品を簡単にバックに詰め込みすぐにタクシーに飛び乗る。
空港へ、と切迫した声で告げると運転手が雰囲気を悟り無言で頷く。
キャンセル待ちをしている暇がないと、空港の座席手配の係にドルを握らせて無理矢理チケットを発行してもらう。
定員が少しオーバーしたが、添乗員が着席せずに座席を譲って小遣いを稼ぐことに承知したので難なくフィリピンへ辿り着く。
税関でテロ被害者家族だと言うと順番を飛ばして入国を許された。
タクシーを捕まえ、マニラ中央警察署へ急ぐようにと叫ぶ。
間髪いれず動いて警察署に駆け付けて、名前を告げると遺体安置所へと案内された。
二人が並んで寝かされており、隣には小さな台が横付けされていた。
勇気を振り絞り白い布に手を伸ばす。ゆっくりと捲ってみると、そこには焼け焦げた跡こそついていたが、間違いなくニムが横たわっていた。
「ニム、冗談だろ、目をさまして引っ掛かったと笑ってくれ――」
係員が外でお待ちしていますと残して出て行く。
涙が溢れてきた、ついこの前まで一緒にはしゃいでいたのに冷たくなってしまっている。
手を握って顔を拭ってやる。首の骨が変に出っぱって皮膚を突き破っていた。
――即死だったんだろうな……。
悲しさと悔しさが込み上げてくる。あの時に一緒に行ってやれば、もしかしたら助けられたかも知れないと。
「龍之介君、俺は君だけでも生き残ってくれて良かったと思っている」
自身も目を腫らしているのに島を気遣い声をかける。
「……誰が、誰がこんなことを!」
悲しみが最高潮に達すると、テロの犯人へ憎しみが産まれてきた。
――殺してやる! 全員殺してやる!
部屋を出て係員に詰め寄る。
「テロの犯人はどいつなんだ!」
「イスラム系テロ組織、ムジャヒディーアが犯行声明を出しています。先だっての分派組織を壊滅に追い込んだフィリピン政府とアメリカ政府に対する報復だと」
島は部屋に戻るとニムとチュニョを抱き抱えて無言で立ちあがる。
義父も妻を抱えて一緒に遺体安置所を出る。
棺を用意してあることを告げられそれを使わせて貰うことにした。
帰路は終止無言での渡航となった、義父はそんな島を心配そうに見詰めている。
「龍之介君、仕方ないんだ、これもまた運命だろう……」
「義父さん、俺は割りきれません、何故ニムが死ななきゃならなかったんですか! 何故ニムが!」
首を左右に振るだけで、それ以上は何も言葉は無かった。
ムジャヒディーアについて調べた。マニラ発のニュースで、犯行声明文を読み上げる覆面を何度も憎々しげに睨み付けては殺してると繰り返す。
三人の埋葬を終えると意を決して義父に告げる。
「やはり自分には耐えられません。テロリストに復讐してきます」
いずれそう言うだろうと心構えをしていたのだろう、島を止めることはしなかった。
「俺にはとても無理だ、だが君になら出来るかもしれない。もし志半ばで倒れたならば、必ず君も皆と同じ場所に眠れるようにする」
まさに骨は拾うと後押しした。
「行き先はイエメンです。短い間でしたが、とても幸せな夢を見ることができました。ありがとうございました」
深々と礼をして、自分の埋葬に必要ならば使って欲しいと手元にあったドンとドルを全て渡してしまう。
「最早生きている楽しみは君がテロリスト共を倒したと生きて戻ってくることだけだよ。死に急ぐことはない、無理だと思ったら一旦引き返すのも勇気だ」
固く握手を交わして、荷物片手に家を出る。空港で渡航理由を尋ねられると、「お礼参りだよ」軽く答えてゲートを通過した。
フランスはパリ、ベッドで横になり、隣に寝ている娘の髪を撫でてやる。
珍しく――正確には初めて――携帯電話が着信を告げた。
かけ間違いだろうと思いながらも、うるさくなり続ける為に仕方なく出る。
「ボンジュール。この携帯は現在使われておりません」
「アロー、ロマノフスキーか?」
誰かと思えば意外や意外、ジョンソン准将の声が聞こえてきた。
スペイン語に切り替えて、娘に聞かれてもわからないようにする。
「まだ休暇の終わりには早かったと思いますがね。小官の声を聞きたくなりでもしましたか閣下」
相変わらずの軽口を叩く。相手が違えば叱責されかねない。
「よく聞け、さきほどイーリヤ大佐から除隊するとだけ連絡があった。そちらは何か事情を聞いているかね?」
「ボスが除隊を?」
初耳であった。今の今まで何かあれば必ずロマノフスキーに断りをいれてきていた、その島が何も告げずに除隊とは穏やかではない。
「詳しく状況をお願いいたします」
妙に真剣味がある声に娘が目覚める。だが片手で制して、電話の内容を聞き漏らすまいとする。
「俺の直通回線に掛かってきた。空港のアナウンスらしき雑音が背景にあり、挨拶もそこそこに除隊すると。誰かに脅された風でもないが、何か硬い感じの声ではあった」
「その除隊は有効なんでしょうか?」
「本人の意思を確認した、有効だ。だが何かの間違いならば俺のところで差し止められるが――」
わけもわからず部下を失うのを認めるわけがない。ロマノフスキーが数秒黙りこんで考える。
――ボスがとる行動には必ず意味がある。除隊しなければならなかった理由が。アメリカ軍に属していては不都合が生じる為だ!
「閣下、わざわざの連絡痛み入ります。これから自分がボスに会って直接話を聞いてきますよ。そこで自分からもですが、除隊をお願いします」
「なっ、正気かね少佐。事態を把握してからでも――」
「いえ閣下、ボスが除隊したならばそうします。待った無しでの問題があるのでしょう」
どうせ根なし草ですからと、カフェにでも行くかのように申告する。
「お前たちときたら、とんだ親不孝者だな。世界中どこでも、二十四時間いつでも困ったら連絡するんだ」
「スィン。どら息子で申し訳なく思います」
「衛星携帯の電源も切られている、何か居場所の心当たりはあるのか?」
「わかりません。ですが必ず探します」
そう締め括ると電話を切る。ふぅ、と息を吐いて目を閉じる。
「アレクどうしたの?」
「ああ、ちょっと用事が出来てね。すまないが出掛けなきゃならん」
線が細い可愛らしい顔を曇らせロマノフスキーに抱き付く。
「ダーメ、今日は一緒に映画を観に行く約束よ」
そう言えばそんな約束をしていたような記憶があった。
だだをこねる彼女の頬に手を当てて口づけする。じっと瞳を覗き込んで優しく諭すように語る。
「いま何処かで俺の大事な友人が困っているかも知れないんだ。すまないが行かなきゃならない、いいね」
「……わかったわ。でもその人、女じゃないでしょうね」
「ああ、俺の兄弟だ。肌の色も産まれも何もかも違うが、世界で一番大切な兄弟なんだ」
ロマノフスキーの肩にワイシャツをかけて呟く。
「勝手な人ね。でもあたしは笑顔であなたを送り出すわ。そうしたいから」
部屋を出てまずやったことは先任上級曹長への連絡だった。
彼はヌルを訓練するためにフランスに滞在している。
番号をプッシュするとすぐに繋がった。
「俺だ、先任上級曹長、七十二時間以内に全部員に待機命令を発する手配を」
「ダコール」
「レバノンへは直接飛ぶから他を頼むぞ。マリー中尉に統括を任せたら、先任上級曹長はボスの実家へ飛べ、足跡を探り当てるぞ」
一切の質問を挟まずに了解を告げる。島からではなくロマノフスキーからの命令であることで異常な事態であることを悟る。
そしてレバノンにも解決の鍵があるとヒントを得た。
電話を切るとすぐにシャルル・ド=ゴール空港へと向かう。
ベイルート行きのチケットを取ると乗り込んだ。
――ボスはベトナムに居たのは間違いない。そこからどこに向かったかを調べねば! ベトナム語がわからんから、どこかで通訳を頼まねばならん、電話通訳ならば専門の会社があったはずだな。
空路移動の間にどのように調査するかを組み立てる。
いつもは島が行ってきていた作業を、見よう見真似で行う。
――畜生が、一体何がおきやがったんだ!
空港からプレトリアス少尉へと連絡するが不在と告げられる。
帰ったら待機をするようにとプレトリアス軍曹に命じる。
少し悩んでからLAFへと足を運ぶ。ハラウィ大尉に事情を話すかどうか悩んだが、一応知らせるべきだと判断した。
入口の衛兵に止められたので連絡を入れるように要請する。
「ロマノフスキー退役少佐だ。ハラウィ大尉に大至急連絡をとって欲しい、ボスに異変ありだと伝えてくれ」
あまりの剣幕にわけもわからず上官へ伝える。たまたま名前を知っていた軍曹が居て、すぐに大尉へと連絡が繋がった。
正面入口にやってきたハラウィ大尉が招き入れる。
「お久しぶりです、ロマノフスキー少佐殿」
「悩んだんだがきてしまった。ボスが行方不明になった、何か聞いてないか?」
言葉の意味がわからずに一瞬首をかしげてしまう。
「義兄さんが? 何があったんです?」
やはり聞かされていないかと小さくため息をつく。
「除隊すると言い残して連絡がつかなくなった。何か大変なことになっているに違いない」
無意味にそんな行動には出ないのを知っているために頷く。
「自分も協力します。何か出来ることがあったら言ってください」
少し考えてから一つの役割を思い付く。
「ベトナム語の通訳は居ないだろうか、電話通訳で構わないが秘密を守れるやつだ」
「軍に居ます、こちらで待機をさせておくのでいつでもご連絡下さい」
軍人ならば心配ないと手配を一任してその場を立ち去る。
レバノン軍に迷惑がかかる可能性がまだあったからに他ならない。
プレトリアスが住む集落へと向かう。怪訝な視線を浴びせられるが無視して奥へと踏み込んだ。
誰かが告げたのだろう、プレトリアス軍曹が駆けてきた。
「族兄が戻りました」
うむ、と返事をして広さだけはある家へと入る。
玄関で少尉が待っており、ロマノフスキーを見つけて敬礼する。
「少尉、ボスに危険が迫っている。居場所は不明だ、どのように見つけたらよいかを答えろ」
不躾にそう命じる。すると弾かれるように答えた。
「ホー・チ・ミン市の北区行政所付近で聞き込みを」
「ボスの妻はグエン・ホアン・ニムだ。これからすぐにベトナムに飛ぶぞ」
「ダコール!」
◇
向かうにしても直接の航路があるわけでも、準備も無しに突っ込むわけでもない。
一旦アレクサンドリア空港へ入り、そこからエッド空港に向かった。
陸路アッサブへと辿り着く頃には簡単な計画が幾つか頭に浮かんでいた。
ホテルを確保して酒場へ行くと、そこに溜まっている面々を然り気無く確認する。
――失業者の山と言ったところか。核となる手駒を選別せにゃならんな。
部員らに迷惑が掛からないように、一切の連絡をせずに一人で復讐をするつもりだった。
ムジャヒディーアは百人規模の武装テロリストで、あのアルカイダ系の一つである。
イスラム聖戦士が作った七つの武装組織、フィリピンのアブ・サヤフのトップとムジャヒディーアのトップ、アイマン・ファラジュは同時期にパキスタンで活動していた、いわゆる戦友であり同志であった。
フィリピンでの活動が活発化していた時には、人員を派遣したりとムスリムの原理主義集団を後押ししている。
イエメンはアルカイダ系組織には特別な地域であり、あのビン=ラディンの出身地として知られていた。
酒場で明らかに一人だけ浮いているのを承知で、魅惑的な言葉を下準備なしに告げる。
「ちょっとした仕事があり人を集めている。危険承知で働けるやつが居たら、一人五十米ドルを支払う」
何だ何だとざわつくが、五十米ドルと言えば一ヶ月は飢えずに済む大金だと、隣に座る者同士で顔を見合わせる。
躊躇なく席を立って近付いてきた男が一人居た。
「自分はやります」
「よし、迷わず判断した行動力を買う。他には居ないか」
金は欲しいが危険な内容による、等と質問をしてくるような奴は命令にも従わないだろうと却下した。
カウンターに代金を置くと志願者三人を引き連れて酒場を出る。
別の酒場へ移りテーブルを一つ埋めてビールを四つオーダーする。
「皆の職業、元で良いから聞かせてもらおう」
一人は三十代で島と同程度、二人はまだ二十代前半だと目星をつける。
体力面では期待できる年令である。家族も妻が居なければ無茶もするだろう。
「荷役でしたが不況で解雇されました。通商船が素通りしちまいましてね。その前は軍で二年兵役を一等兵で除隊です」
若い一人がそう答える。もう一人も似たような経歴で、板金工だったが船が少なくて仕事が入らず失業だったそうだ。
三十代の一番始めに志願した男が最後に答える。
「首都で軍曹をしてましたが母の看病のため除隊してきました。先日他界しましたが、軍は復帰を認めてくれませんでした。他に出来ることも無いため酒場通いです」
――こいつを使ってグループを編成だ!
徴兵制の国はすべからく兵役を通るため、簡単な説明だけで武器を扱えるからありがたい。
兵ではなく軍曹にまでなったならば、一通りの軍務を行えるだろう。
「アサド軍曹をチーフに任用する。俺もボスの指令で動いてる、第四独立部隊を呼称だ」
若い島ではなく、背後に上が居ることにし、更に第四部隊にすることで仲間が他にいると思わせ、裏切りをさせ辛くしておく。
単身ならば島を襲って金を奪おうと企むやつらも出てくるだろうから。
「タマーム。して隊長はどのようにお呼びしましょう?」
早速自らの地位を固めようと代表して話を進めようとする。
アリーとバクルは黙って聞いている。
「オーストラフ。ミエスーティブ・オーストラフ大尉だ」
実行部隊らしく大尉を名乗る。オーストラフはロシア語の島、ミエスーティブは復讐者を意味する。
アラブ社会ではまず意味が理解されることもあるまい。
「ナァム、オーストラフ大尉殿」
「目的はイエメンのムジャヒディーア、アイマン・ファラジュの殺害だ。もし引き返すなら今が最後だが」
三人は特に反応を見せなかった。二人はキリスト教徒で、一人は信心深いとは言えないイスラム正教徒であった。
「良かろう。契約を行うので明日の朝○八○○、駅前にある店で会おう。朝食は俺の奢りだ」
時間と場所を決めて解散する。島はというと七時前に来て辺りを観察し、三人が怪しい行動をとらないかを見極めるつもりでいた。
同じ場所であまり派手にリクルート出来ないため、タクシーに乗ると離れた地域の酒場へとまた向かった。
――ふるいにかけて十二人目安の部隊を立ち上げるんだ。それだけいたらファラジュを殺す作戦が立てられるだろう。多すぎても少なすぎても支障が出てくるからな!
ベトナム、ホー・チ・ミン市街地から北側に行った地域。ロマノフスキー少佐とプレトリアス少尉は、二人で北区行政所を探して回った。
役所だけに場所は見付かったが、英語を使って人を探していることを説明しても、一切の情報を渡してくれなかった。
「北区だけでは広すぎるぞ!」
「住所まではわかりません。しかし、グエン・ホアンという姓がこんなに山ほどあるとは……」
ベトナムはグエン王朝が栄えたことがあるため、ベトナム出身者がグエンを名乗ることが多かった。中国での阮がそれに当たる。
三人に一人はグエンなのだ。頼みの綱のホアンもありふれたもので、いきなり二人は動きが止まってしまった。
「大使館で協力を仰ぐわけにもいかんな」
人探しならば専門家に頼む。チュニジアでの教訓を思い出して少佐に告げる。
「人探し会社に発注してはいかがでしょう?」
「プロを雇うわけか! よしそれをやってみよう」
市街地の中心部へ戻り、英語を理解するタクシーを捕まえて告げた。運転手はすぐに思い付かずに本社へ無線で問い合わせる。
何軒かある探偵社の中からどんな専門が良いかを尋ねられて、人探しと答えると運転手が頷いて車を出した。
「目的地についても待機で頼むよ、メーターは倒しっぱなしで構わんから」
ロマノフスキーが他にも利用してやろうと運転手を引き留めにかかる。
金が貰えるならばと喜んでオーケーと答えた。
「調べておくことがあれば待ってるうちにやりますが?」
「程度が良いホテルと、旨い飯屋を調べといてくれ」
十ドル札を一枚渡してやり二人で探偵社の扉を叩いた。
何回か声をかけて待つと、うだつが上がらない中年男が現れて、ベトナム語であれこれと喋るが全く理解出来ない。
「英語は喋れんか?」
頭を左右に振って理解してないと示す。仕方なく通訳を使おうと、レバノンへ電話をかけるよう少尉に国際番号を告げた。司令部には通っていたので今更教える必要もない。
「おやフランス語が通じますか?」
つい番号をいつものようにフランス語で喋ってしまったのを聞いて男が反応する。
少尉に電話を中止するよう仕草で示して頷く。
「はい、しかし何故フランス語を?」
「いえね、お婆ちゃん子だったんですよ。フランス植民地の頃に覚えたのを教えられまして。何か御用でしたか?」
単純に客だと述べると、営業スマイルで事務所へと案内してくれた。
雑然とした住み処である。およそ機能的や清潔とはかけ離れた場所に見える。
「人を探している。こちらでそのような仕事はしている?」
「ええもちろん。どのような依頼でしょうか」
どうやら仕事にありつけそうだと口許がだらしなく緩む。
いまいち信用出来ないが他に手がないために、ダメで元々と話を進める。
「グエン・ホアン・ニム。またはグエン=ダオ・ホアン・チュニョ、母子ですが探しています。正確にはその夫をですが」
「奥さんを探すのが依頼でしょうか、それとも旦那さん?」
重要な部分だけにそこを確認する、見付けた相手が違うからと失敗にされたらたまったものではない。
「どちらでも。一緒に暮らしているはずですが、片方だけ見付かればそれで達成したと見なします」
「旦那の名前は?」
「恐らくはダオ、またはイーリヤ、島と名乗っているはず」
いくつも並べられて何かを聞くと、全て同じだと言われて偽名を使う外国人とのイメージで受け止める。
「なるほど、ならば奥さんを探すのが早いでしょう。何か他に情報は?」
「北区行政所に今年災害備蓄としてアルジャジーラ名で寄付をしている。一応受け取りはグエン・ホアン宛だったはずだ」
そこまで言うと男は喜色を浮かべた。最早答えは目の前だとばかりに。
「わかりました、それで結構です。してお代ですが、前金で二百万ドン、成功報酬でもう二百万ドンでいかがでしょう?」
かなり吹っ掛けての数字であるのは確かである。しかし少佐はドルで考えたらさして費用が嵩むわけでもないので即決で依頼を行った。
「それで頼むよ。二十四時間以内ならばもう百万ドン乗せよう」
ボーナス提示をされて時計を見る、急げばまだ役所に人がいるかも知れない為に立ち上がる。
「こちらの連絡先です。留守電にそちらの連絡先を入れておいてください、すぐに出掛けます」
ヨレた名刺を渡されてさっさと外に出れと促されて二人は苦笑してしまった。
日本。グロック先任上級曹長はヌル上等兵を連れ、完全に記憶のみから島の実家を探し当てた。
少し訪問するには遅い時間ではあるが、父親がそんなことを気にしない人物だとわかっていた為にインターフォンを押した。
「はい、どちら様でしょうか?」
少し待ってから女性の声が聞こえてきた。母親であるのは間違いない。
「夜分遅くにまことに申し訳ありません。以前お邪魔しました、アンリ・グロックです。火急の用件があり参りました」
あ、と思い出したであろう呟きが聞こえてから、お待ちくださいとインターフォンが切れる音がした。
五分程すると、肩に半纏を掛けた龍太郎がドアを開ける。
「グロックさん、お待たせしました。どうぞ中へお入り下さい」
「お邪魔いたします」
ヌルもしっかりとブーツを脱いで一礼してから家に上がる。
四六時中グロックに訓練をつけられていたのと、元来の筋が良かったのだろう、吸収が早い。
机には急須が置かれていて、龍太郎が湯を注いで二人に茶をすすめた。
「愚息が何かやらかしましたか?」
「そうではありません。突如除隊すると言い残して姿を消してしまいました。何か事件に巻き込まれている可能性があります。最近連絡はありませんでしたか?」
事件と言われて心配があったが、封書が届いていたことを思い出す。
二人にお待ちくださいと残し席を立つ。
「先日届きました。妻と孫が一緒に写っています」
「失礼、拝借します」
流暢な日本語で断りを入れて写真を手に取る。数枚あり恐らくは同じ日に撮影したのだろう、楽しそうな笑顔である。
封書には国際郵便の消印がベトナムであろうスタンプが捺されていた。
「写真を一枚と封書をお借り出来ないでしょうか?」
これがヒントになるだろうと申し出る。
「どうぞお持ちください。ご迷惑お掛け致します」
すっと頭を下げて息子の不始末を詫びる。
「いえ滅相もございません、これも我々の仕事。きっと大佐殿にもやむにやまれぬ事情があったに違いありません」
ファイルに大切にしまうと時計を見る、急いでももう便は無いだろうが何せ空港に向かうことにした。
「それではご協力に感謝致します」
駅前広場には妙に体つきが良い青年がグループを作り点在していた。
最高層が四階しかない建物の屋上から暫く観察する。
約束の時間を過ぎても島が現れないため一組が解散して消えていった。
それでもわざと姿を見せずに一時間更に待たせる。
結局残ったのはたったの五人しか居なかった。
悠然と現れて声を掛けずに目で合図してレストランへと入る。
一番奥に陣取り皆がやってくるのを待つ。
やがて一人、二人と同じテーブルに付く。軍曹が気をきかせて一人連れて別のテーブルに座った。
――やはり軍曹に統括をさせるべきだな!
「遅れてすまなかった。何か言いたいことはあるかな」
敢えて高飛車な態度をとってみる。だが一人がむっとしただけで他は無言である。
「いつでもご命令を」
軍曹が代表してそう一言だけ答えた。
満足の意を示して書類を配る。
「飯を食いながらでも目を通してくれ。注文しないと店に迷惑だからな」
笑いながらメニューを開いてやる。少くとも短気は起こさないだろう兵が手に入った。
署名入りの書類を回収する。あってもなくても構いはしないが、形を整えるのは大切なことである。
「これからは自宅待機を命じる。もしこちらが連絡をしたときに不在ならば契約を打ち切る」
そう言いながら現金が入った封筒を一人ずつに手渡す。受け取ればそこから契約が発効する。
一人ずつ退席させて最後に軍曹を残した。
「軍曹、あと六人集めねばならない、出来るか?」
「同じ条件でしょうか?」
「将校ならば倍額出す。ただし、今の面々より劣る奴らは不要だ。上手く集められたら軍曹にボーナスを出そう」
以後は現地人を表に出すべきだと役割を振る。
「やらせてください。何人かは間違いなく連れてこられます」
「よし任せる。うちのボスは結果次第でイロをつけてくれる、上手いことやればもっと稼げるぞ」
最後までやる方が得だと刷り込んでやる。途中で投げ出されてはたまったものではない。
儲かると言われて目を輝かせているうちは問題なかろうと、テーブルの支払いを片手に島も席を立った。
――次は武器の手配をしなければならんな。
町中にあるガンショップに足を踏み入れる。
金網の先に居る店主が面白く無さそうな顔で睨み付けてきた。
気にせずに並べられている商品に目を通す。
――十一人と俺の分だな。ここで一揃えしないと現地じゃ買い足しが出来ないと考えねば。
「店主。訓練用に一ダース単位で欲しいんだが、試しに撃たせてみてはくれるかね」
「構わんが別途料金はいただくよ」
買う気がある客だとわかって少しは店員らしく振る舞う。
「訓練でも実戦と同じ品を使わせるつもりだ、型は古くても制式採用されている品がいい」
「そりゃそうだ。訓練とはそういう意味だからな。ほれそこにあるヤツだが、未だに現役だよアジアあたりじゃな」
突撃銃を指差して説明する。作りが簡単で清掃も楽なタイプで、実績は抜群と言える。
「そいつが一ダース、軽機関銃が二挺、手榴弾が一カートン色付も混ぜて、拳銃で弾薬が共用の品が一ダース。RPG7はある?」
「あるにはあるが一基しかない。RPG2なら山ほどあるよ」
「なんとかRPG7を二基用意出来ないか、種類が違うと不都合だ」
追加で支払うからと食い下がる。
「わかった、同業から都合をつけよう」
「弾丸がニ万発、RPGのはロケットが二ダース。銃剣が一ダース、ナイフ一ダース――」
「おいおい、戦争でもおっ始めるつもりかね」
電卓を弾きながらそう小言を挟むが非難するような口調ではない。
端数は丸めたと数字を提示する。
「これは現地渡しの値段だろうね」
「まさか倉出しだよ」
引き渡しのコストについての鍔迫り合いが始まる。
久々の大口のためか店主が机から身を乗り出して、金網に張り付きそうになる。
「隣国だが輸送費を折半はどうだ?」
「エチオピアじゃなかろうな」
「イエメンだよ。船で二時間とかからん」
陸路よりは安く済むだろうと後押しする。店主の眉がぴくぴくと急がしそうに動く、損得勘定をしているのだろう。
「良いだろう、だが現金で貰うぞ」
「もちろん。RPG7は頼むよ」
「ふん、売人を嘗めるなよ、必ず調達する」
手付けとして一割をその場で支払う。金さえ手にはいるならば後は野となれ山となれ、店主は満足であった。
ロマノフスキーがホテルでベッドに入ろうとしたところで呼び出し音が聞こえてきた。
発信元は公衆電話である。
「夜更けに感心なことだな」
「迅速正確が商売でしてね」
どうやら最早目標を発見したらしく少し興奮ぎみである。
「まさかこの時間から今晩はとは行けまいよ」
もうすぐ日付が変わろうかというところだ。
「そうかも知れませんが、電気はついているから在宅中のようで。もし明日不在になっても自分の責任じゃあありませんぜ」
――居なくなる可能性があるか。だからとこんな真夜中に……いや一刻を争うかも知れんのに悠長に構えてられんぞ!
「いや待てすぐにそちらに行く電話は繋げっぱなしにしていてくれ」
「報酬も持参でお願いしますぜ!」
プレトリアスの部屋を訪れ外出を急かすと、ホテル前に止まっているタクシーに乗り込む。
「詳しい場所を運転手に説明してくれ」
そう言ってから携帯を運転手に渡す。何やらやり取りをして頷いている。携帯を返されて車が発進した。
暗い道を住宅街からやや離れた場所へ向かう。
そのうち角にある郵便局で手を振る男が見えてきた。
運転手に二十万ドン紙幣を渡して降りる。
「あれですよ旦那」
指差す先は確かにまだ電気が点いている。
「本人確認だ、行ってみよう」
人違いの可能性があるためすぐには報酬を渡さない。
扉を叩いてエクスキューズミィと尋ねる。
少しして人の気配が伝わってくるが訳がわからない言葉で何か言ってくる。
「すまんが通訳してくれんか」
仕方なく代わりにベトナム語で語りかける。
「遅くにすいません。こちらの方々がお宅がグエン・ホアン・ニムさんのお家かと尋ねています」
「そうだがニムは居ないよ。誰だねこんな夜更けに」
あからさまに迷惑だといい放つ。だがもっともなことなので下手に出るしかなかった。
「そうだと言ってますが、どうします?」
「大至急用事があるから扉を開けてほしいと伝えてくれ。旦那の知り合いだ」
よくわからないまま通訳する。
「旦那の知り合いだ、大至急用事があるから開けてくれませんか?」
もしかすると龍之介に何かあったのかとも思ったが、逆に何らかの手先かもとも考えた。
「悪いが今日はもう遅いから明日にしてくれ」
そう言うと行ってしまった。
「明日にしてくれって。あの報酬を」
手を伸ばすが本人かはわからないままだと支払いを拒む。
「明日の朝にもう一度ここで待ち合わせだ、それでもし不在でもボーナスは保証する」
そう言うことならばと渋々引き下がる。近くの郵便局をよく調べておき場所を把握するとホテルへ戻ることにした。
翌朝一番でやってくると、じっと家を眺めて待つ。
七時にようやく探偵が現れて、お早いですねと挨拶してくる。
「お陰さまでな。じゃあ行くぞ」
ロマノフスキーに促されて再度扉を叩き声をかける。
「おはようございます」
「……またか。他人の迷惑を考えはせんのかね」
ガチャっと鍵を外して現れたのは中年の現地人である。
「ベトナム語以外は話せるか聞いてくれ」
「グエン・ホアンさんはベトナム語以外は何か理解しますか?」
「いや全く」
首を振るのを見て仕方ないと、本人確認を行わせる。
「ニムさんに会いたいのですが、いらっしゃいますか?」
「ニムは居ないよ。もう戻らない」
「と、いいますと?」
外出ならばそうは表さないのでどうしたのか尋ねる。
「死んだよ」
「あの、ニムさんは死んだらしいですが」
「なんだって!?」
通訳を挟むのがもどかしくてたまらない。
何はともあれここが家だとわかったため報酬を手渡す。
「ご苦労だった。後はこちらでやるよ」
「ま、お気を落とさずに。では失礼しますよ」
大事そうに封筒を抱き締めると探偵は去っていった。
ロマノフスキーは携帯を取り出してレバノンへ繋ぐ。あちらは深夜未明だというのにお構い無しである。
「ロマノフスキー少佐だ。ベトナム語通訳官を頼む」
向こうで短いやり取りがあり担当が着席する。
少尉も同じくレバノンに繋ぐと回線が二本司令部に入る。
片方をグエンに渡して使うように仕草で示す。
「自分はロマノフスキーです。ニムさんの旦那である、イーリヤ、またはダオ、または島の部下です」
そう告げるとレバノンで同時に通訳し、グエンが持つ携帯へむけて喋った。
「そんな方々が何故ここに?」
「ボスから除隊すると連絡があった後に音信不通になりました。何があったか教えていただけませんか?」
言葉ではどうとでも言える。ロマノフスキーを信用するには何があればよいかがわからない。
「わかりません。それにあなたが本当に部下かどうかもです。何か信用出来る証明でもない限り」
――共通の知人がニムしか居ないぞ。どうしたものだろうか。
「ボスの経歴などならばお話しできますが――」
「それは調べたらわかること。動かぬ証拠を示して頂きたい」
頑なに拒むあたり、何か島に言い含められているのかも知れないと考えた。
「今は何もありません。証を立てられる物を持参します、今暫く外出はなるべく控えていただけたら助かります」
そう言って一度引き下がることにした。
グエンも複雑な表情で頷いて扉を閉める。
――ボスは敵が多いから慎重だ! どうしたら信じてもらえるか考えろ。それにニムが死んだとはどういうことだ。
まずは情報が更新されていないかをチェックするんだ。
少尉には待機の面々がどうかを確認させて、自らはフランスのフラットを含めて連絡が無いかを聞いて回る。
心当たりを一通り聞いて何も変わっていないのを確認した。
行き詰まったところで先任上級曹長から連絡が入る。
「少佐、実家には何ら連絡がありませんでした」
「そうかご苦労だった」
「ですが大佐が出した封書と写真を一枚拝借してきています」
それがベトナムからの投函だろうとの見通しなのと、家族で撮った写真だと報告する。
「それだ! 先任上級曹長、速やかにホー・チ・ミン空港へ飛べ」
「ダコール」
電話をきって自らは家が見える場所で見張りを続け、少尉に空港へ行くように命じた。
――もし何かの争いになっていたら素手じゃ厳しいな! 旧式でも何でも良いから調達しておくべきだ。
少し目を瞑ってマリー中尉の連絡番号を思い出す。メモでもしようものなら奪われた時に互いに困るので記憶している。
「俺だ。中尉、争いになるかも知れんから準備をしておけ。内容は一任する」
「ダコール。搬出先不明では劣りますが――」
「構わん。素手よりは遥かにましだろう」
命じておけば上手くやるだろうと短時間のやりとりで済ませてしまうのであった。
港には古ぼけた船が停泊している。排水量が三百トという小さな船だが、紅海を横断するだけならば何の心配もいらない。
むしろ小さいために、ソマリアの海賊船も襲撃してこないだろう。
一働きするならば獲物を山分けするだけのお宝が必要になるのだから。
「船長、近場で悪いが頼むよ」
正規の船賃とは別に、ドルを数枚握らせて握手する。
とたん顔がにやけて大きく両手で握り返して、任せなさいと胸を張った。
「しかし随分と荷物がありますな。そんなに大きなサイトに?」
「荷物の隙間には水をたっぷり詰め込みましたからね。向こうでは油より水の方が高いので」
工事現場の機材を運ぶと偽って武器を積み込んでいる。
多少胡散臭くても船長は追求しない。知らない方が幸せなのだ。
狭い船に荷物だけでなく人もところ狭しと乗り込む、たったの数時間でなければサイズがもっと上の船にしているところだ。
そうなればまた倫理やら安定性だけでなく、ことに関わる船員も増える、秘密が漏れる可能性を減らすために良かれと判断を下したのだ。
誤って開封したり、荷物を盗まれたりしないよう、箱の側には軍曹と他に二人が必ず居るようにした。
将校は結局見付からず、何とか人数だけは望んだ数が揃っている。
――昨日の今日で出発出来たんだ、高望みはいかん!
軍曹の活躍に感謝こそしても、不満をぶつけても得るものは何もないと労った。
ベトナムを出てからまともに足跡を追うには数ヵ国の官憲の力を使う必要があるはずで、逆に言えばイエメンで暴れたとてそれが島の仕業だと判明することもほぼ有り得ない。
――誰にも迷惑をかけるわけにはいかんからな。俺一人砂漠でくたばろうとも、世界は何一つ変わりはしない。
タンカーが航行する時間を外して東へ進む。鈍足の極みで十ノットそこそこしか出てないだろう。
だが陸地が逃げるわけでもなく、徐々に対岸がはっきりと見えるようになってくる。
「ところで船長、帰路だがまた頼めるかな? 荷物は無くなってる予定だよ」
次回のチャーターを予定してやり、裏切りの芽を摘んでおこうと持ち掛ける。
「人だけですか、すると御代は――」
当然値切られるだろうと言い分を聞いてみようとする。
「なに、同じだけ払うさ。だが条件がある、こちらから二十四時間前に連絡するが日にちはまだ未定だ」
「同額!? その条件ならば何の問題もありません。喜んでお受け致します」
儲けが二倍になるとご機嫌で承諾した。
「もし急ぎだと連絡したら、どのくらいでくることが?」
少し思案し船員の集まり具合を想定してみる。荷役が不要ならばと限定して答えた。
「真夜中でも四時間で駆け付けます」
「うむ! では基本契約を四時間にして二倍支払おう。十分早い毎に十%ずつ上乗せするよ」
大胆に時間を削ろうと破格の報酬を提示する。何かに逐われていたならば、これが役に立つだろうと。
「そ、そんなに!? しかし何故?」
「仕事が終わったら、誰だって愛する家族の元に早く戻りたいからね」
なるほどと頷いて契約成立と握手する。
十数人で頭割りしたら増額もそんなに痛くはないのだろうと勝手に解釈して。
一行が港についた時には、昼寝の時間帯で殆んど人の姿は見当たらなかった。
――よしシェスタの習慣はここでもあるようだな!
逆算してその時間帯につくように出港したので、大荷物を抱えた外国人の一団がきたと知れわたる頃にはもう居なくなっている。
旅行カバンやら背負い袋やらに荷物を詰め込み、二人組でバラバラに散って行く。
車両を入手するために、軍曹は島と別れて調達しに街へ乗り込む。
まさか一人で二台買うわけにいかないと言ったところ、オイルマネーを得ているアラビアンを装えば一人で何台買い付けようと目立たないと返された。
代理人の形で交渉するように話を合わせておき、もし不都合があればすぐに知らせるよう含めて送り出したところ、なに食わぬ顔で手配してきたと戻ってきてしまう。
――慎重に構えるのは悪いことではないはずだ。気が小さいと部下に思われないようにの配慮はしなければならんな。
班を三つに割って、車両毎に日用品を揃えることにさせる。
十二名という数は中々に理に叶っていて、様々な運用管理をしやすい最低限の人数とされている。
正副の指揮官が一人ずつ、残りは下士官が理想の最終形であるが、それを達成するのは時間が必要になってしまう。
一連の武装から何から全てを揃え終わる。都市に滞在していては目につくため、郊外に在る適当な廃屋を探して占拠してしまった。
「アサド軍曹。君は現地の情報屋に類する人物を探すんだ。敵の勢力下に居るのを忘れるなよ」
軍資金を与えて街へと送り込む、無論二人で一組として。
もう一人軍曹が居た。こちらはジャミフ軍曹、港町の民兵団に所属していたが、長いこと給料が未払いのため除隊してきた人物である。
「ジャミフ軍曹はこの廃屋を整備するんだ。俺も街へ出る」
「了解です、大尉殿」
金をくれるものが雇い主だと忠誠を誓う。傭兵としては信用に値するが、やはり能力は未知数である。
一等兵を一人連れて街に戻る。イスラム色が極めて強いこの国は、戒律が幅を効かせている。
女性は車を運転できず、ヴェールを目深につけて決して一人で出歩くことはしない。
それどころか通信の自由もなく、全てが男性の保護の下で行われている。
当然街にはアルコールが置かれておらず、飲んでしまえば逮捕されて裁判にかけられる。有罪が間違いない。
代わりに街角では噛み煙草を口にして男達が談笑している。
喫茶店ではコーヒーが中心に扱われている。アラビア語の新聞を手にしてオーダーする。
確かな香りと苦味、やや酸味がある浅煎粗びき。さすがモカの有名な地域だと称賛した。
それに気を良くした店主が声を掛けてくる。
「旦那方はどのような目的での来訪でしょう?」
「この地に精製工場を造る為の現地調査でね。ビジネスマンだよ」
適当な理由をでっち上げる。社名は伏せなきゃならないと繕っておいた。
「製油ですか?」
「いや石油製品の類いだよ。油を油として輸出していては枯渇してしまえばお仕舞いだ。精製技術力と工場を持っていたら、サウジアラビアあたりから油を格安で仕入れて加工輸出が可能になる」
産業計画だよと簡単に説明する。
「そ、それは素晴らしい! イエメンには技術力が無いので大歓迎ですよ」
「だが大事な心配が一つあるんだ」
それがあるせいで中々話が前進しない。困ったアピールをわざとらしく行う。
客商売である、流れにそって何なのかを尋ねてきた。
周りに聞かれないように近くにと招いて小さな声で喋る。
「ここの辺りはテロリストグループの拠点らしいじゃないか。あれがあるうちはリスク面での説明がつかなくてね」
ああ、と納得の顔をして頷く。現地の者にとっても迷惑なのかしかめっ面で店主が意見を述べる。
「他所で騒ぎを起こすのはまだ何とか。ですがあれに居られちゃこっちも困りますよ」
「住民も皆がそんな感じ?」
どのように見ているのかを知りたいために一歩踏み込んでみる。
「暮らしが裕福な層は支持をしている位ですよ。庶民は迷惑しか受けてませんがね」
貧困国家であるイエメンとしては、嫌がる人物が多いようだが、反比例して発言力は低い有り様だと評する。
この図式はなにもこの国だけではない。
「せめてテロリストの勢力か強い地域だけでも外して報告書を書きたいのだが、誰か詳しい人物は居ないですかね?」
飲み干したコーヒーカップに札を入れて戻してやる。すると悩んでいたが思い出したと口を滑らせる。便利な脳ミソである。
もっとも島としてはありがたい限りであるが。
「従弟のウマルを紹介しましょう。イエメン軍の大尉でテロリスト相手の専門家でして」
――大尉か、ちょっと階級が高すぎるな。こちらのことを調べられたら都合が悪いぞ。
「ありがとうございます。是非お願いします」
一旦はそのように返答しておく、ここで断るのは疑念を持たれてしまうだけである。
表面的な付き合いで一回だけ話を聞いて終わりにしておけば忘れてしまうだろう。
店主が早口のアラビア語でウマルと話をつけている、電話先で承諾らしき態度をとっているのが窺えた。
「今夜にでもここで会うそうです」
「承知しました。まだ時間があるので一回りしてきます」
にこやかに後ろ姿を送り出してくれた店主だが、島はいかにして話を無かったことにするか、考えを巡らせていた。
テロリスト相手ということは猜疑心の塊のような人物だと、注意して会わなければならない。
――何せ俺自身がこんな調子だ、まさか相手のことを知らずにあれこれ話してくれるほど甘い奴じゃなかろう。軍の名刺は使えないし、さてどうしたものやら。
ホー・チ・ミン空港に降りた先任上級曹長は、つい最近まで部下であったプレトリアス少尉に迎えられた。
合流するや否や北部へとタクシーを走らせる。
ロマノフスキーが待っている角の郵便局に行きお目当ての封書と写真を手渡す。
写真を一目見てそれがニムだと確認した。
「これだ!」
封書の消印が、この郵便局なのかを四苦八苦で聞き出して、別の紙にスタンプを押してもらい同じ印なのを確認した。
それらを手にして三度グエン・ホアン家を訪ねる。
扉が空くと少尉が電話を差し出す、黙ってグエンがそれを受けとる。
「証拠を持参しました」
そう言い、封書と郵便局のスタンプを見せる。エアメールなぞ滅多に使われないので照会したらすぐに出所が判明する。
そんな部分で嘘をついてもばれてしまうので、話の先を促す。
「これが日本の島家に送られていました。ボスと一緒に写っているのがニムですね。自分は二人とナイル川ツアーに一緒に参加しました。フランス発のスーダンです、帰りにエジプトに一泊したはずです」
写真を見てロマノフスキーの話を耳にすると納得したようだ。
「間違いない。すると君らは本当に龍之介君の仲間なんだね」
「仲間であり部下です。納得していただけましたか」
通訳を挟むまでもなく表情でわかる、そしてグエンはロマノフスキーの肩に手をやり泣き付く。
「龍之介君が、龍之介君が一人で――」
「落ち着いてください。何があったか話していただけますね」
大きく頷いてグエンの手に自らの手を重ねる。グエンが落ち着くまで少し待ち、中へ入る。
椅子に座るとグエンが弾かれたかのように話し始めた。
「妻と娘、孫がフィリピンにいる祖母に会いに行きました。そこで列車を狙ったテロに会い……全員が死にました。マニラで遺体を引き取り埋葬すると、龍之介君が一人で復讐しにいくと家を出ていきました」
「――テロで全滅」
そこだけ口にする。少尉らがやはりなにかあったかと眉をひそめる。
「止めるべきでした。ですがあの時は私も悔しくて悔しくて、龍之介君ならば出来るかもと期待してしまったのです。ですが一人で何ができると言うのか!」
ひときしり後悔の言葉を口にすると息を吐き肩を落とす。
「ボスはどこに行くなどとは言っていましたか?」
事件は調べたら何かわかるために、グエンしか知らない何かを聞き出そうとする。
「イエメンに行くと言ってました。もし失敗したら私が彼の骨を拾い、娘と同じ墓に入れてやる為に行き先を」
――イエメンだって? するとアルカイダ系に単身喧嘩を売りに行ったわけか!
「わかりました、後はお任せください。ボスは我々が必ず救いだします、お約束しましょう!」
「すまない、私には何も出来ない……龍之介君を、息子を助けてやって下さい!」
泣き崩れて机に突っ伏してしまう。
レバノンのハラウィ大尉、彼の連絡先を教えてやる。
「もし我々も全滅したなら、ハラウィ大尉を頼ってください。彼はボスの義理の弟です、きっと力になってくれます」
そう言って席を立つ。やらなければならない事が一気に湧いて出た為である。
「先任上級曹長、フィリピンマニラで起きた事件とテロリストを調べろ、大至急だ!」
「ダコール」
「少尉、アフマド軍曹を連れて、一足先にイエメンに乗り込め!」
「ダコール」
携帯で番号をプッシュして中尉を呼び出す。
「俺だ。マリー中尉、イエメンに武器を持ち込む手筈を整えろ」
「どこの都市にしましょう?」
即座に都市名が出てこないため、近隣諸国を思い出して想定してみる。
「ジプチから近いイエメンの港街、二ヶ所を候補だ」
「ダコール!」
通信を終えて空港へと向かう。
先任上級曹長が調べたらすぐにマニラでの列車テロの詳細が判明した。
「少佐、犯行声明はムジャヒディーアが出しています。イエメンに本拠が」
「ボスが向かったのはこいつらのところに間違いない。問題はどんなアプローチをしたかだ」
――一気にイエメンに行くわけがない。ベトナムからならば一旦中東かアフリカに降りねばならない。中東ならサウジアラビアだが、パキスタンのテロリストらの親玉がサウジアラビア資本だな、ならばその線は無い。アフリカのどこかからジブチへ渡り、戦力を整えて船でイエメン、これだな! いやジプチである必要は無い、ただ沿岸の街なのは確かだろう。
「エリトリアに――アッサブという港街がありましたな」
先任上級曹長がそう呟く。外人部隊のときに一度アスマラで作戦したことがあった、その時地図に載っていた数少ない都市の一つである。
――政情不安定なエリトリアならば、ジブチよりは金で自由が利くな。確か宗教もキリスト、イスラムと割れていた、戦力を求めるならば妥当なところだろう。この地からイエメンに渡るなら小型の船で充分だ、武器の調達は出発前にやっちまうに違いないぞ! この手の諜報はコロラドしかいないな。
連絡先を思い出して携帯を呼び出す。
「コロラド曹長、ロマノフスキーだ。エリトリアのアッサブに向かえ、きっとボスはそこで戦力や武器を調達してるはずだ」
「スィン、何か分かり次第連絡します」
命令はそれだけだった。細かいことは必要ない、曹長の特徴をよく掴んでいるから出来るやり口である。
――仮に無事なボスを見つけて合流したとしよう、素直に帰国するとは思えん。ムジャヒディーアを叩かないことには終わらないだろう。さて、そうなるならばあれが必要になるか。
ロマノフスキーは再度携帯を取り出して、505……と番号を押すのだった。
一旦拠点に戻り、アサド軍曹の報告を受ける。
どうやってかしっかりと情報元に辿り着いたようだ。
「評価としては中の下といった確度のようです」
「まずはそいつを足掛かりにしようじゃないか」
最初から十全を求めるのは過ぎた話である。こちらからも信用を詰む必要もあるだろうと。
接触先を聞いておくが、交渉は軍曹に一任しておく。
拠点は短期の滞在ならば不自由はあっても充分な生活が可能な状態に仕上がりつつあった。
今のところは面々の動きは悪くないといえる。
日没後に再度喫茶店に出かける。例のイエメン軍大尉が先に席を占めていた。
「ウマル大尉です」
「オーストラフです。わざわざお出でいただいて感謝します」
ビジネスマンとの触れ込み違わずにこやかに挨拶する。
ウマルは瞳の奥に厳しい光を発していた。
――こいつは手強いぞ!
「オーストラフさんは製造工場の調査でいらっしゃったとか」
事前に店主から聞いていた内容を確認してくる。一つでも噛み合わない内容があれば容赦しないだろう。
「はい。地理的にも人件費を含むコスト的にも、イエメンに工場があればお互い有益と考えた次第」
「しかしイエメンを選んだ最大の理由はどのあたりなのでしょう」
サウジアラビアやオマーン、アラブ首長国連邦、カタールと候補は他にいくらでもある。
わざわざ治安の悪い国を選ぶ、そこが解せない。
「これからの最大の需要国はアフリカです。交易を安定的に行うには王政による専制は好ましくありません。イエメンはアラビア半島で唯一の共和制、それが理由です」
民主独立の風がここにも吹いていた、それが決め手だと主張する。
「先見の明、または既得権益への手付のようなものですか。いや、だがそれが商売の真髄でしょう」
他よりも一歩でも半歩でも先を歩くことこそ大きな利益を産む可能性を秘めている。主張の大筋は間違ってはいない。
「そこでリスクを少しでも減らそうと、テロリストの勢力圏に詳しい人物をと店主にお願いしたわけです」
何とか結論に持っていくと、大尉も専門の内容だけにテロリストがいかに迷惑かについて論調を合わせてきた。
紙に地図を描いてペンで印をつけて行く。
「この四角が主要都市で、線は主要道路。こちらのばつ印がテロリストの活動報告があった危険度が高い地域で、この黒い丸が拠点だろうと思わしき箇所です」
――ばつ印が港町に集中してるが、拠点は内陸か。
工場は港町付近にあるべきで、このままでは候補が無くなってしまう。
「――これは酷い」
「もし港町に工場を建てようと言うのならば、ある程度の被害は覚悟が必要でしょう」
大丈夫だと軽々しく勧めないあたり、責任ある地位にいる軍人を象徴していた。
情勢不安定な国では、ともすれば名誉的な意味合いの高級司令官よりも、実務を担当する現場指揮官がそれらの感覚に鋭いことが多い。
「仮に多少外れた地域を選んだとしても、テロリストの気分次第?」
「否定はしないよ。それでも止めないならば、あとはアッラーに祈るしかないね」
アッラーアクバルと二度繰り返した。
思った以上にテロリストは幅を効かせているらしい。
それならば軍隊は何をしているかを問いたくなるが、幾つかに別れて権力争いをしていたはずである。
「こいつは参りましたね、報告のしようがない。ウマル大尉、イエメン軍はテロリストを掃討しないんですか?」
細かい事情を知らない民間人を装うために、わざと愚問を発した。
「やりたくても出来ませんね。皆が自分の為の争いで手一杯、外国の支援でもなければ無理です」
初めから他人頼りな態度が目につく。だがテロリストへ資金や武器を渡しているのも外国からなので、一部仕方ない面もある。
「サウジアラビアは?」
「勝った側によい面をして終わりでしょう」
「イスラム諸国は?」
「自国の治安維持やら、欧米諸国との争いで余裕がありません」
言い訳の理由なんてものはあたりを見渡せばいくらでも出てくるようで、それをどうこうするつもりは全く無さそうだ。
「イエメンは困難のようですね。諦めて少し観光してから帰路につくとしましょう」
規定路線の言葉を持ち出して終わりにしようとする。その時、大尉が思いもよらない言葉を口にした。
つい自らの耳を疑いたくなってしまう、全くなぜそうなったかがわからない。
「戦いに巻き込まれないようにお気を付けて。テロリストを狙った外国人の一味が入国しているそうなので」
――な、なんだって!? ……いや落ち着け、俺達のことではない。別のグループでの話だろう、動揺しちゃならん。
努めて平静を装いコーヒーをゆっくりと傾ける。
「気を付けましょう、あまり夜は出歩かないようにして」
話のお礼にとドルを数枚渡して、いかにも肩を落とした風を装い店を出た。
後ろ姿を見守る大尉が店主に一枚だけドルを別けて与える。
「すまんが電話を使わせてもらうよ」
ああ、と使い古されたドルに目を輝かせている店主を脇にどこかへと繋ぐ。
「ウマル大尉だが、関長はいるかね?」
少し待つと野太い男の声が聞こえてくる。
「関長、ウマルだ。ちょっと調べて欲しいんだが、オーストラフという名の入国記録だ――」
細かいやりとりを少し繰り返して言葉を結ぶ、
「相手がなんであれ使い方次第だろ、頼んだぞ」
ふむ、と一息ついて外を見る。電力が低いせいでちらつく街灯が闇を必死に照らしていた。
拠点への帰り道、島は大尉の言葉を反芻しながら考え事をしていた。
――果たしてテロリストを狙うグループとは何者だろうか。グループと判明しているのだから、複数人なのか組織名なりがあるのだろう。
もしかしたら大尉の虚言の可能性もあるな。
敵の敵は味方でもある、正体が解れば結果をもってして助けにもなるかも知れない。
戻るとすぐにアサドが報告を行った。
「ムジャヒディーアはアデンでアメリカ船に攻撃することが多いようです。しかし本拠は見付かっておらず、岩石混じりの砂漠地帯にある見込みだと」
アデンはイエメン最大の港街であり、アラビア半島の南西部の角地、紅海の出入り口にあるため、昔から交易が盛んな地域である。
「手を出されてもアメリカは内陸にまで兵を送れないから、テロリストどもの楽園なわけか」
あまりに物騒な楽園であるが、主権とはそんな意味があるわけだから、船主としては笑えない。
「現場にやつらの指導者が出ては来ない、本拠を割り出すのを目的としよう」
そのように方針を定めた、目的は首魁を葬ることだと再確認させる。
「どのように捜索致しましょう?」
まさか砂漠を歩いて調べるわけにもいかない。
――アデン、モカ、サナア、デイダなどの主要都市で影響を与えているならば、それらに等しく近い場所が怪しいな。
「砂漠の真ん中にタイズという街がある。そこが第一候補だ」
その街を補給場所と定めて周辺に拠点を構えているだろうと睨む。
「では明日はタイズに出張ってみましょう」
「軍曹は四名で調査を、俺はアデンに行ってみる」
本拠として六名をここに残して武器を管理させておく。
――何度となく襲撃があったならばアデンでも情報が集まるだろう。
南イエメンの都市は集中して存在しているから助かった。これが北ならば延々車を走らせる必要がある。
ずっと拠点に残っている者達にカートを配ってやる。
酒や煙草がわりの噛み煙草の葉である。
興味本意で口にした一人が渋い顔をしてトイレに駆け込んだ。
「こんな地域もあると知っておくのもまた経験だよ」
島も口にして不味そうな顔をすると、皆が真似て一様に残念そうな表情を浮かべるのであった。
ロマノフスキーはアラブ首長国連邦のドバイ国際空港に降りていた。
ここからイエメンの首都サナアに入る予定である。
プレトリアスらは一足先に入国しているはずである。マリーらはいずこからかデイダ港に乗り付けるはずで、人数によってはサウジアラビアからサーダへと陸路入る要員も居るかも知れない。
それらは中尉に一任してあるため、ロマノフスキーは全体の行動と対外的な面に配慮している。
この対外調整が難しいもので、島がいかに重要な部分をこなしていたか身に染みた。
「さて、ファラジュを倒そうとボスならどうするかな」
誰かに話し掛けるわけでなく、独り言をして考えをまとめようとする。
――コロラド曹長の掴んだ情報だと、数日前にアッサブで人を集めている者が居たそうだ。アラビア語と英語を話す東洋人で、三十前後の背の高い男。すぐに姿を見せなくなったらしいが、同じく酒場通いの兵隊崩れが顔を出さなくなったってことは、そいつらを雇ってイエメンに入ったんだろうな。
待ち時間の間、ずっと腕をくんで考え込む。
――武器をどうやって手に入れたか。職務ではイエメンと繋がりはない、エリトリアは昔に少し駐留したが、下士官だったから伝を作れたとは考えづらいな。何よりほぼ一緒に行動していたが、それらしい人物には会わなかった。
ならばショップで規制がない品を買うか、裏から融通してもらうかだ。数が揃わねば高性能品よりも、流通品で統一するはずだ。エリトリアでならば恐らくは流通品だろうな。
それらを船に載せてデイダかモカに向かったはずだ、こればかりは完全に確率半々になる。船着き場で聞いて回れば、外国人の集団について覚えているやつもいるだろう。
思考を中断して機に乗り込む。相変わらず給油作業のために数時間滞在させられてしまった。それでもドバイを使うのは空港使用料が安いから、つまりは航空会社の都合である。
サナア空港に到着すると、先任上級曹長から連絡が欲しいと伝言が残されていた。
「俺だ」
「マニラですが、被害者グループに地元の富豪の一族が混ざっていました。その富豪が報復の為に傭兵を雇い、イエメンに送り込んだと噂が流れています」
「わかった。可能な限り情報収集したら現地入りするんだ」
要件のみを手短にやりとりする。報復を口にするとは自らをも危険に晒すわけだが、気になる話ではあった。
――ボスはこの存在を知っているだろうか? いや知らないな、もしそうならエリトリアで自ら兵を集めるような真似はしまい。どこかでかち合ったら協力するだろうか? 傭兵が獲物を横取りされないように邪魔する可能性もあるか。
いずれボスも気付くだろう、ならば傭兵を監視していたら上手いこと接触してはこないだろうか。やってみる価値はあるな。
少尉には自由に動いてもらおう、ならばアラビア語の制約からしてプレトリアス軍曹らが適任だ。
軍曹らに情況を説明してイエメンでの諜報に当たらせることにする。
誰が何語を理解していたかを再度思い出して確認しておく。咄嗟に出す命令で間違いを犯してはいけない。共通語はスペイン語で、今回は味方にはわかっても敵には理解されないアドバンテージが高い言語に相当した。
入国ゲートでお決まりの質問を耳にする。
「渡航の目的は?」
世界中共通の態度である、官の無愛想は全く気にせずに、彼も会話ではなく単語を口にするだけとの感覚で応じる。
「非公式の外交だ」
旅券がニカラグアでロシア人らしき風貌、しかもがっしりとした体躯である。
官吏が不審に思い本部に問い合わせを行う、何回か担当を経由して外交部に繋がる。
旅券を確認しながら名前を繰り返す、すると意外な答えが返ってきたようで電話を切る。
「ロマノフスキー少佐殿、お待たせして申し訳ありませんでした。どうぞお通りになってください」
何か高価な品でも捧げるかのように旅券を恭しく手渡す。
特に視線をやるわけでもなく、受け取るとすぐにゲートを潜り去っていった。
――使えるものは何でも使わねばならん、出し惜しみは取り返しがつかなくなるぞ!
タクシーを呼び寄せ「中央政庁へ」と指示する。
アイワ、と返事をして車を走らせると、三十分程で到着した。
正面受付で堂々と名乗ると担当者が駆け付けてきた。
今朝がた突然言い渡された役目に、何の準備も出来ないまま現れた中年の男が、ロマノフスキーに歩み寄り自己紹介する。
「イエメン治安維持省の課長、バグートです」
片手をあげて挨拶の仕草をする。
「ニカラグア対テロリスト室長、ロマノフスキー少佐です。突然の訪問で申し訳ない」
島の危急をパストラに告げると快く力を貸してくれた。首相から大統領に要請が上げられ、即座に承認されると、大統領の任命大権に基づきロマノフスキー退役少佐は一夜にして、ニカラグア軍の対テロリスト室長として任官した。
それだけでなくイエメン外交省に対する口利きまで行ってくれたのだ。
イエメンの大統領府では中米になど何の興味もなかったが、国内を騒がすテロリストを相手にするとの話の為に、それならばと了承した。
海外情報にあまり力が入らないイエメンは、ニカラグアがテロリストの対象になったことが皆無のことすら知らなかった。
会議室へ案内されると、何とか準備出来た少量の資料を机に並べている職員が居た。
「少佐、テロリスト対策と仰りますが、国内に複数の組織があり当方も頭を抱えております。どのような対策が考えられるのでしょうか」
何から手をつけて良いかが全くわからない状態にあるのだろう、ノウハウが無いのだから仕方のないことである。
「イスラム系テロ組織はトップを突かれるのが弱い。指導者を取り除くのが一番でしょう」
並んでいる資料を流して眺めて行く。目当てのムジャヒディーアについての記述を手にして述べる。
「例えばこれ、指導者がしっかりと判明しているならば、こいつの頭を撃ち抜けば半分は解決しますよ」
いとも簡単だと説明する。これが合議制などを行うアジア系の寄り合いであったり、明確に序列を定めている欧米系の組織、ファミリーが並ぶイタリア系や南米系だとそうも行かないと続けた。
「すると比較的対処しやすい相手?」
ぱっと顔を輝かせて同意が得られると期待する。だが甘くはなかった、一面だけを覗いて全てをとは行かない。
「それは違う。部下の犠牲を気にすることなく命令出来る相手は手強い。自爆テロを防ぐのは困難極まるよ、何せ脱出を考慮しない作戦ならば山ほど思い付く」
途端にがっかりと肩を落としてしまう。
少し時間をもらい資料に目を通す、これからの素地になるため真剣に内容把握をしようと努める。
「イエメン政府は、テロリストに対してどのような態度を?」
「無論、毅然とした態度をとっています。国家の敵です」
そうは言ってもアメリカ船籍の数隻がアデン港で襲撃された際には、テロリストどもを追撃もせずに見逃したりしていた。
――どこかで取引があるのか、それとも丸ごと手下なのかわからんなこれは。
「少し見方を変えます。イエメン軍はテロリストにどのように対応を?」
「私は治安維持省で警察が管轄でして。軍の担当を紹介いたしましょう」
「よろしく頼むよ。テロリストが居るだけで外国人からの印象が悪くなるからね、必ず排除すべきだ」
アイルランド然り、パキスタン然り、コロンビアもだと実名をあげると課長は大きく頷いた、同じようなイメージを持っていたらしい。
マグレブのやや前だがあたりは妙に明るい。時刻と現実が噛み合わない感覚に襲われた。
軍の担当が中央政庁にとやってくる、意外と年いった人物である。
ロマノフスキーの眼前に進み出ると背筋を伸ばして敬礼する。
「イエメン軍対テロリスト担当ウマル大尉であります」
「ニカラグア軍テロリスト対策室長ロマノフスキー少佐だ」
明らかに耳だけで覚えたものとは違う、正確な文法や発音のアラビア語なことに驚く。
――この少佐といい、あのオーストラフとかいうアジアンといい、学校で習うような喋り方をするな!
外交員とは違い、大抵はアラビア語に馴染んで言葉を覚える。
繰り返し聞くわけだから口語が殆どだ。
ところが文語を自然と形式に当てはめて会話するということは、よほど丁寧な人物か教科書から修得したとみて間違いない。
「軍より可能な限り協力関係を築くように指示されております。どうぞ何なりとお申し付け下さい」
「押し掛けたのはこちらからだ、よろしく頼むよ」
簡単な挨拶のみを交わして早速本題に入る。治安維持省からの資料を示して意見を求めた。
「国内のテロリストで軍が一番厄介に思っているのはどの組織かね」
いずれかの質問の答えがムジャヒディーアになるまでこれを繰り返すつもりである。理由など後からつけてしまえばそれで良い。
「第三国に悪印象を与えるムジャヒディーアが一番でしょう。他はアメリカのみであったり、国内の活動だけです」
「ではムジャヒディーアを壊滅させる手段について、今後は基本この内容を論じようじゃないか」
すんなりと名前が出てきた為に、内心手をあげて喜ぶ。
「資料にある規模や指導者についてだが、軍も同じ見解?」
縦割り行政の弊害がちらほら見掛けられる。それだけでなく、勢力争いの関係も考慮しなければならない。
「規模はもう少し大きいでしょう、この数は幹部構成員だけで末端構成員が入っていません」
――すると百人を越えるか! 早くボスを見付けなければ危険だ。
「過小評価のしすぎは兵力不足を招く恐れがある、最大で百五十人規模と見込みを修正しておこう。して奴等の勢力圏が南イエメンの都市部一帯か」
島に教えた都市の点だけでなく、実際に拠点があるだろう場所の周辺にも斜線が引かれていたりと、より詳しく表現されている。
「はい、そのように。本拠は不明ですが、都市の近くにあるはずです」
「それを調査させよう。大尉が使える人数は?」
指揮下にいる人数によっては正面から戦いを挑めない可能性もあった。
「前後併せて六十人余ですが、戦闘員は半数で残りは諜報や事務の自由にならない者です」
「充分だ、相手はたかがテロリスト風情だよ。何か特別に注意はあったかな」
その組織によるローカルルールなどが無いかを確認する。
本来はロマノフスキーから詳細を尋ねるべきであるが。
「外国人グループがテロリストを狙って入国していると噂が」
意図したとは違う答えが返ってきて興味をひかれる。
――そいつはもしかして?
「テロリストを狙うとは?」
「何者かに雇われた、傭兵の可能性が」
何の得にもならないのにテロリストに近寄るわけがない。傭兵とは妥当なところだろう。
「確実な部分を。大尉が見立てるだけでなく、裏がとれている内容はどれだね」
「憶測の域をでません。テロリストを狙う連中がいると電話で何度か密告らしきことが」
「電話の発信元は?」
「海外の為にはっきりしません」
――外国からわざわざいたずらするでは意味がわからんな。つまりは事実を軍に知らせたかった? では何故だ、そして誰が。
「まあテロリストがどんな被害を受けようと問題ないからな。市街地で交戦でもされたらかなわないが」
事実テロリストを攻撃するなら暖かく見守ってやりたいくらいである。
「最近の外国人入国者のうち、四日以上出国がない滞在者を注意させています」
「短期ならば除外は適当だな。前々からの工作員は目を瞑るとして、怪しい人物は居たかね」
もしかしたらとの淡い期待をする。もちろん島は通常の入国をしていないので公的なリストには名前がない。
「名前が出た者は皆が白だと確信しました」
何か引っ掛かる物言いである。独特の表現というものではなく、意識的に何かを避けたような感じだ。
「大尉、何か気になる者が居たのだね」
「はっ――名前が国内滞在者リストに無い外国人が居りまして。密入国してきた傭兵かもと考えましたが、確証はありません」
名前が無いのにリストで照会をしたとはどういう意味だろうか、幾つか状況を想定してみる。
「リストに該当しなかった、何者だね」
「それが、アジアンのくせにオーストラフと名乗るビジネスマンでして」
――オーストラフだと!? ロシア語で島じゃないか、間違いないぞこれは!
すぐにあれこれ問いただしたいが、内心を気取られまいと無関心を装う。
「警察だけでなく軍にも注意を呼び掛けておくべきだろうな。市街地での戦いにならないようにと。どこの街だったんだね、その外国人が居たのは」
地図で勢力圏を確認する振りをして主題をぼかす。
大尉がモカ港です、と指を指して答える。斜線が薄くかかれており、他の地域よりは活動が少ないらしい。
――紅海側だ、エリトリアから渡ったのは間違いないぞ! すると船で密入国して、手勢と武器を準備か。そうなれば後は足だな。
「大尉、参考になった。一旦本国に報告させてもらおう、イエメン政府と軍は積極的にテロリストと対決する姿勢が顕著だと」
満足の意を示して話を終わりにする。少佐も国に来てすぐで時差などもあり疲れたのだろう、とウマル大尉もすんなり送り出した。
中央政庁を離れてサナアのホテルに入る。ロビーにある椅子に腰掛け、近くに誰もいないのを確認すると携帯電話を取り出す。
「少尉、俺だ」
真っ先にかけたのはプレトリアスであった。
「ボスはオーストラフと名乗り、数名の手下と共にモカ港に居た。プレトリアス軍曹らを少尉の指揮下に戻す、必ずボスを見付けて守り抜け!」
「ダコール。命に替えても遂行致します」
「いや待て、それはいかんぞ。ボスを守ってお前も生き残れ、命令だ」
昔に島から言われた言葉を思い出して、一瞬だが記憶がフラッシュバックした。
――この人たちは根本的な部分で繋がっているのだな。
「そちらも了解しました」
回線を切るや否やすぐに次に繋げる。
「マリー、ボスはモカ港だ。武装を整えいつでも戦闘可能な準備を行っておけ。万一に備えて医者の確保もしておくんだ」
「わかりました。もしボスが軍と交戦していたら?」
「構うものか加勢するんだ、責任は俺が取る! プレトリアス少尉も港に向かわせている、統括を」
「了解!」
現地に居る手勢を集めて支援態勢に移行させる。本当に軍と戦うようなら外国の軍艦なり、領事館なりに駆け込ませようと考えておく。
未だマニラにいるはずの先任上級曹長を呼び出す。
「俺だ、二人ともサナアに飛べ、合流する」
「ダコール」
いつもながら先任上級曹長には何の説明も詳細な指示も不要である。
最後に単独で動いているコロラド曹長に連絡する。
「俺だ、何かわかったか」
彼にだけはフランス語ではなくスペイン語を使用する。
「ボスはアサド軍曹とジャミフ軍曹、合計で十人近くを集めたようです」
いつもながら驚異の諜報能力を披露してくれる。
浮浪者ぜんとしていた男の適性を見抜いた島は、そちらの方面の見極めを評価したいくらいである。
「恐らくは十二名になるようにだろう。他は」
同じ訓練をずっと受けてきただけに、運用に対するドクトリンが形成されている。
「船は専用に小型をチャーターしたようです、建設資材を木箱で沢山積んだそうで。ただし手作業で可能な程度を」
――装備品の類いは歩兵携帯用のみだな。爆薬の類いはあるかも知れん。重機関銃はなしか、車を武装させたとしても中距離が限界になるな。
「よくやった曹長。ボスはモカ港に居たようだ、以後も継続して探れ」
「もちろんそうさせていただきます」
いつもより覇気を感じた、島の命が掛かっているためなのは容易に想像できた。
最後にニカラグアへとかける、こちらが夜なら向こうは朝だろうと大雑把に時差を把握する。
「ロマノフスキー少佐だ、首相を」
連絡があれば優先してまわすようにとの言い付けを遵守し、出仕の前だと言うのにパストラへと繋ぐ。
「儂だ、少佐どうかね」
「閣下、様々な手配ありがとうございます。ボスらしき後ろ姿が見付かりました」
国家として個人に介入してくれたことに感謝を述べる。まさに特別である。
「他に何か出来ることはあるかね? 金も人も無理だが、その他ならば何でも言って欲しい」
ニカラグアは未だ低迷した経済の混乱から抜け出していない。
予算がないため政府職員が何から何までやらねばならず、猫の手も借りたいくらいだと評した。
「もしボスがイエメン軍とも争っていたら、我々はボスと共に戦います。その時は自分を解任、追放してください。これ以上迷惑をかけられません」
「断る。儂はな少佐、受けた恩のうち、これっぽっちも返していない。イエメンと事を構えたなら迷わず生き残り、ニカラグアを頼るんだ。我々はイエメンと戦争になっても貴官らを擁護する。良いかこれは政府の統一見解だ、大統領も軍司令官も承知している」
「軍司令官も?」
争いに破れはしたが、ウンベルト・オルテガ中将は未だに軍のトップに就いていた。彼にオルテガ派の造反を抑えさせるために。
その彼も島には好印象を持っており、たかがアラビア半島の一国家よりも、救国の英雄を取ると明言した。
「ありがとうございます。必ず生きてイエメンを脱出します!」
◇
周囲が砂漠のオアシス都市タイズに拠点を移した島らは、偶然も相まってムジャヒディーアの拠る地域を、大体だが目星をつけることに成功していた。
アサド軍曹らに構成員を追尾させるなどさせておき、自らはいかにしてファラジュを捕捉するかを考えている。
――真っ昼間に強襲では素早く身をかわされちまうからな、やはり寝ている時間帯に限る。
払暁が最高だが、居場所が確定しているなら深夜でもよかろう。
こちらが逃げる都合を考えたら明るくなってからでは、追跡を許しやすくなるからな。
手に入れた顔写真のプリントを、暇があれば見て覚えるようにする。
ちょうどビン=ラディン他の重要人物を、アメリカ軍でトランプにしたように、いつでも確認出来るようにしてあった。
あのトランプには、エースや絵札に最重要の幹部、数字には中堅以下の人物と、簡単な序列も自然とわかるように工夫されていた。
――場所にもよるが車は撤退に欠かせん。モカでもアデンでも構わないが、何せ港まで辿り着く必要があるならな。もう一台買い足しておこう、スーダンの時のように予備を抱えてリスクを分散だ。
様々な制限の中で唯一予算だけは余裕をもって割り当てることが出来た。
何せ円に直せば一億を超えるだけの残高がカードから引き出せる。
先進国での活動であったり、長期に渡り多数を維持するならば足りなくもなるが、歩兵が一ダースだけならばどこまで重武装させても不足にはなりようがない。
はやる気持ちを抑えてやってはきたが、準備を最低限で切り上げて時間を優先したのは否定できない。慎重な島でも心に乱れがあった、それほどまでに事件は暗雲を与えていたのだ。
後に出たはずのジャミフ軍曹の班が先に戻ってきた。
「途中まで行ったところで気付かれそうになったので引き返してきました」
「ご苦労。まだ無理をする場面ではない、休んで後日に再度頼むよ」
失敗を咎めても何の効果も得られるわけではない。快く働きを認めて次に繋げさせる。
その後も何組も不発に終わり拠点に帰ってきた。一番最後にアサド軍曹が戻ると、ついに待ち望んでいた言葉を口にした。
「大尉、やつらの拠点を確認しました」
慌てることなく一拍置いてから頷き声をかける。
「詳しく聞こう」
「ここから砂漠の道を十キロ程東にいった先に岩場が残っている地域があり、それらの岩をカモフラージュにした出入口、つまり地下に基地があります」
何もない砂漠にそんな洞窟があるわけではない。過去にイギリスあたりが作った、軍用の跡地を利用しているのだろう。
――一定の割合で誤認の線もある、一度確認すべきだろう。
「よし、その位の距離ならば歩いて行けるな。出入りの数を監視してみて主たる拠点かを判断してみよう。初回はアサド軍曹ペアだ」
一気に二人とも失っては振り出しに戻るため、部下を入れ替えて後半をジャミフ軍曹に任せることにした。
どうにもこのジャミフ軍曹、彼は結果がいまいち見えない。
落第では無いのだが信頼性に欠ける。アサド軍曹ならば中隊長を任せることが出来る位には成長するように感じた。
そんな意味では今までの部員らは随分と延びしろがあったなと気付く。
いつもなら傍らに控えているプレトリアス、彼だって佐官を勤められるだろう。
永年共に歩んできたロマノフスキー、あんな将軍が居たら誇らしいとすら思えるだろう。
地元警察がムジャヒディーアを見付けたらどうなるかを考えてみる。
――近くに居て摘発されない理由は幾つかあるだろう。単純に見付ける努力をしていない、買収されている、戦力に恐れて手を出さない。
全てかも知れない、もしそうならあべこべにこちらが逮捕される可能性すらあるぞ。
態度が不明な警察とは接触しないのが無難だろう。
やはり独力で遂行すべきとの答えしか浮かんでこない。外堀を少しだけでも埋めるならば、街の顔役を幾人か引き寄せる位しか出来そうにない。
それとて天秤にかければ外国人を擁護するかわかりはしない。
確実なのは不意討ちでファラジュを仕留めて、残党は無視で逃走だと方針を固める。
一人を狙って死傷させるのは難しい、まとめてRPG7で吹き飛ばすのならば多少見当が外れても上手く行く。
その日からすぐに監視が始められる。
朝夕二回の交代とハードであるが、そこは追加の報酬を約束すると承諾を得られた。
百人規模の拠点であっても実際の滞在はかなり少ないことがわかってくる。訓練や会議、幹部が当番の時に詰めるような形に思われる。
丸々二日見張っていると、ファラジュらしき姿が一度だけ認められた。
幹部を従えて外の空気を吸いに来たのか、聞かれたくないような話を外でしたのかまでは不明である。
その後に中に入ったのだから基地を潰してしまえば生き埋めは間違いない。
――内部の規模によっては出入口を爆破してやれば往生するぞ! だが待てよ出入口が一ヶ所ではない可能性があるな、これを調べなけりゃならんな。
普段は使われない非常口とかならば見張っていても判明しない、別の手段を考えて当日も暫し現場で様子を見ている必要があるぞ。
地下が何百メートルと広いわけもない。テロリストが土木工事に着手したわけでもなかろう。
幾つかの可能性が低い部分を除外して焦点を絞り混んでいく。
暮らしているのだから最低限必要なモノをヒントに行動を決意した。
サナアの在イエメンニカラグア大使館でロマノフスキーとグロック、ヌルのペアが合流を果たした。
「先任上級曹長、ニカラグア軍の対テロリスト室の所属だ覚えておけ」
「詐称でしょうか?」
「正式だよ」
辞令を二人に手渡す。自身が知らないところでアメリカ軍からニカラグア軍に移っていたが何も抗議せずに承諾した。
「ボスはモカから他に移ったようで姿がない。中尉らが捜索中だ」
状況を説明されて自らがなすべき事を把握する。
「こちらはイエメン軍と協力して、それと知られずに探すわけですな」
「ご明察だ。そこで闇から闇へ俺達ごと葬られないように、何か保険を用意するのが先任上級曹長の役目だ」
「ダコール」
パズルのピースとスタート、ゴールを決められて間をまるごと任される。
短時間で着手可能な内容を幾つか想定して、重要なポイントを確認する。
「ニカラグアの政治的支援は受けられる?」
「是だ」
「全員がニカラグア軍扱い?」
「是だ」
「イエメン軍を敵に回すような形も可能?」
「是だ」
「承知しました、事後についてはお任せください。エグ味が残る結果にはなるでしょうが」
先任上級曹長が請け負って、今までで失敗したことは一度も無かった。
ロマノフスキーは全幅の信頼を置いて自らの役目に専念する。
グロックとヌルは今一度大使館へと戻っていった。
――さて、タイズ周辺を捜索させているが見付からないのは何故だ。ホテル住まいじゃないのだから簡単にはいかんだろうがな!
軍の司令部に向かうとウマル大尉を呼び出す。
ここのところはこれの繰り返しで一日が始まっていた。
「おはようございます、少佐殿」
「うむ大尉、今日も頼むぞ」
二人の時にはこうであるが、部下が居るときには大尉の面子を立ててやる。
そのせいもあってか穏やかな表情が見え隠れしていた。
オフィスへと出仕して二人で当直からの報告を確認する。
要員のうち七割をタイズに集中させているので、自然と報告もそちら方面が詳しく伝えられる。
「ホテルの外国人宿泊客は全員が正規の入国者でした、詳細はこちらに」
リストを提出する。
大尉が一旦目を通し少佐にと渡す。二人が読み終えるまで軍曹は気を付けのまま待機している。
――これといって気になる名前は無いか……ん、こいつは?
「軍曹、このアロヨというフィリピン国籍の人物、グループで入国していないか?」
軍曹が大尉に答えてよいのかの確認を目で行う。ウマルが頷き回答を促した。
「ヨーロピアンと同時に入国しています。ホテルには名前がありませんので、便が同じだけだったのでしょう」
「少佐、何か気になることが?」
名前一つで疑念を抱くからには予備知識があるのだろうと尋ねる。
「フィリピンの有力者がイエメンに傭兵を送り込んだと本国から情報があってね」
そんなことまで諜報しているのかと、ニカラグアに対する見方が変わったようだ。
逆の立場ならばそんな情報支援は受けられないと半ば確信しているからだろう。
「ですが何故?」
「フィリピンで起きたテロだがね、イエメンの組織が深く関わっている。その報復にだよ」
「なるほど、それが外国人グループの正体でしたか。軍曹、同時に入国した人物のリストを作成するんだ」
島が不正規ルートからの入国とわかっているロマノフスキーが更に言葉を加える。
「第二段階として前後二十四時間の外国人もリストアップだ。そこから出国者を除外し、タイズ以外での滞在が確認されている人物も除外、女性も除外、年齢が五十以上と十九以下も外したものを作成するんだ」
フィリピンで雇う側が課すだろう条件を想定して絞り込みをかける。
わざわざ女子供老人を雇いはしまい。
「軍曹、事務方にも動員をかけて短時間で終わらせるんだ」
「了解しました」
一つの手掛かりから何かをなすには権力や人数だけでなく、それをいかに解釈するかの判断力が問われる。
別の軍曹がアデンでまたアメリカ船が狙われているとの報告を行ったが、そちらには興味を示さず黙って腕くみして目を瞑る少佐であった。
港の警備隊に警報を通告させて、全ての処理を終了した。
「少佐、自分はこれからタイズに向かいますがいかがされますか?」
「もちろん同行する。現場で指揮をするのが指揮官の役割だからな」
その考えはイエメンにもあるようで受け入れられた。中国あたりでは権威の為に現場には姿を表さない人物も多い。
タイズは一昔前のイエメン王国時代の首都である。
山間の乾燥地帯に水源が湧いており、その高知に城のような館が残っていた。
少し外れると土漠が広がり、やがて砂漠になり生物の気配がなくなる。
近年の衰退激しく空き家が目立つようになり、地価が暴落、海沿いの街に移り住む流れに歯止めが効かなくなっている。
旧来の王国関係者が根を張っている地域以外は治安も悪い。しかしながら現在は重要な施設も殆んど無く、軍も警察もさして力が入っていない側面があった。
そんな場所だからこそ罪人には過ごしやすい。
北イエメンとは違って発展の度合いは高いから尚更である。
軍の駐屯地も司令が中佐で県内全てを管轄していた。それなのに部隊は千人に満たない。
各町村に小隊を配備して、タイズ市に本部を置くだけで八割方の兵力が固定化されてしまう。
いざ何か起きても増援するのは一苦労といったところだろう。
「こいつは厳しいな。これで国家の治安を維持するのは大変な負担だ」
一時的に占拠、攻撃するなら充分である。恒久的に支配するには倍は必要になる。
「あまり大きな声では言えませんが、統一の弊害です」
きっと朝鮮半島が統一されたら、韓国が足を引かれて共倒れしてしまうだろう。イエメンでも相互にそのような結果がもたらされている。
よい部分が継承されるのが理想的ではあるが、現実には悪い側に歩調を合わせざるをえないのだ。
「与えられた条件で最高の結果を出すのが軍人だがね。物事には限度があると思うよ」
「いやはや全くです」
追従するわけではない、心底同意しているだけである。
そんな厳しい土地に厄介ごとの専門家が三十名から入ってきたのは、良くも悪くも司令に注目された。
地方の駐屯司令と中央のスペシャリストでは、例え階級が二つ違っていても中央に軍配が上がった。
そんな背景から大尉が来ると聞いた中佐がわざわざ出迎えてきた。
「やあウマル大尉、久し振りだね」
「はっ、バラド中佐殿直々のお出迎え恐縮であります」
にこやかに頷く中佐に礼を失しないように接する。大尉には大尉の事情やら何やらがあるのだ。
「そちらの方は?」
「紹介致します。ニカラグア軍のロマノフスキー少佐殿です」
姿勢を正して敬礼し、身分を申告する。
「タイズ司令殿に申告致します。ニカラグア軍対テロリスト室長ロマノフスキー少佐であります」
ニカラグアがどこにあるかがピンとこなかったらしい。更に相手がスラヴ人なのも不思議さを増幅させている。
良く解らないが、外国からわざわざやってきて中央の軍人と共に自分を訪ねてきたのだから気分は悪くない。
「遠方からご苦労だ。まあ入りたまえ君達」
自らのオフィスに二人を招いて来訪の説明を受ける。
ロマノフスキーが同行してきた経緯を耳にすると、今回の作戦が政府の注目を受けてるだろうと勘違いを起こす。
――ここで上手くいけば中央に転入の目も出てくるぞ、だが失敗したら北イエメンの砂漠基地かインド洋に島流しだな!
「テロリストの、ムジャヒディーアについての情報ですが、何かございませんか?」
形式上そのように伺いを立てておく。無いと言われたらそれまでて、後の自由調査を約束してもらい活動となる。
「うむ。――東の砂漠に拠点があると一端を掴んでいる」
さも重大事項かのようにもったいつけてから答える。
「すると正確な場所は判明している?」
ならば何故放置しているのかと続いてはたまらないために言葉を濁す。
「砂漠で姿を消したとの報告が複数あるだけで、拠点がどこにあるかははっきりしておらんのだよ」
大尉がロマノフスキーにどうするかと視線を送る。
――どうにも知っている素振りだな、落ち度を無くして良いところを見せようとの腹だろう。こいつを乗せてやり支援を確約させておけば人手不足も多少はマシになるというものだな。
「中佐殿、我々が協力しますので砂漠の再調査を行っては?」
主役を中佐にすることにより功績を持っていけるようにと提示してみる。
「見付けたとしたら排除をするわけだが、タイズで自由になる戦力が少ないが――」
今度は大尉に視線が飛ぶ。何人なら出せるのかを求めているのだろう。
「自分の兵力は三十を切る位でして。中佐殿と合わせれば、テロリストの百人やそこらは圧倒出来るでしょう」
タイズに少なくとも一個中隊はあるだろうとあたりをつけて仮定の話をする。
――こちらが百二十で大尉が三十か、ムジャヒディーアが百人から百五十人として不利はないな。
警察には都市の警備を押し付けて、討伐の功績を与えないようにしておけば良いだろうと皮算用する。
「現場の指揮はうちのアーディル大尉とウマル大尉が共同で行うとよかろう」
おもむろにゴーサインが出される。功績を半分寄越せと言うために、同格の大尉を派遣してくる。
「ありがとうございます。成功した暁には司令のご協力無くば、成し得なかったと報告させていただきます」
提示を受けとると意思を示しオフィスを出る。
階下にあるアーディル大尉の部屋を教えられ、少し時間をあけてから訪ねる。
「まさか協力してくるとは思いませんでした」
「都会の空気が恋しくなったんだろ。上手くいくならパートナーは選ばんよ」
いたずらっぽい笑みをウマルに向ける。
それは大尉にしても同じではあるが、そんな態度を微塵も見せないロマノフスキーも、年月が成長させたと言える。
ノックするとアーディル大尉自らがドアを開けて招き入れる。
少佐が一緒だからと、行っただけではなさそうだ。
「お待ちしておりました」
「ウマル大尉です。よろしくお願いします」
無用の反発を受けないように丁寧に挨拶する。アーディルも中佐からの訓令があるのだろう、にこやかに応じる。
――これならば上手くいきそうだな。後はボスをいち速くこちらで発見せねば!
「少佐殿、よろしくご指導お願い致します」
「指揮官は君達だ、俺はおまけにすぎんよ。だが上手くことが運べばニカラグアからも君ら三人に勲章が与えられるだろう」
三人にと言われて中佐が含まれているのにアーディルが満足を示す。
ロマノフスキーの軍服左胸に見たことがない略綬が連ねられている。それを見たアーディルが何に当たるかを尋ねた。
「空挺やらスキーだよ。――してこいつはニカラグア最高勲章だ」
国家勲章を与えられている士官、つまりは未来の最高幹部候補に他ならない。
二人がロマノフスキーを見る目が変わった。
「ニカラグアはそこまでテロリスト対策に力を?」
「奴等は百害あって、一理も無い。俺のボスはそのプロフェッショナルだよ」
思想の面を強調すると、さもありんと二度、三度大きく頷く。いずれはウマルもそうなりたいと、じっと少佐を憧れの目で見詰めるのであった。
部屋に集まった男達に作戦が説明される。
「テロリストの拠点に攻撃を仕掛ける。奴等が寝入っている朝方に襲撃だ」
島は早朝なのか深夜なのか、午前三時半にスタートをすると告げた。
「車は無灯火で拠点から二キロ地点に分散しておく。そこからは歩きだ」
完全なる闇夜では運転も難しいが、三日月が砂漠を照らしてくれる。
曇りなど滅多に無いためにその点、心配は少ない。
「逆算すると出発は○一○○になりますか」
余裕を持っての数字をアサド軍曹が示す。待機時間が少ない方が見付かりづらい反面、何らかのトラブルで時間が押してしまうことがある。
「そうだな軍曹の線で良い。車に水や食料も一回分は積み込んでおけ、終わったらその足でデイダだよ」
逃走を始めたところで、封印した衛星携帯で連絡を入れれば丁度ピックアップとなる。
世の中そんなに上手く行くわけがないが、計画自体をいかに簡略化するかが成功の鍵であるかも変わらない真理である。
「実行は今夜だ。眠れるうちにあと四時間だけでも寝ておくんだ」
良い兵士とは時間が許せば十分だけでも睡眠をとることが出来る者でもある。
体の疲れを癒すには、十分という短時間の睡眠が物凄く効果的なのだ。
その先は九十分サイクルで脳が休みをとる。短時間ならば脳が活性化したまま体は回復する、そのような結果が得られるのである。
待つ一時間が長く感じることがしばしばであるが、流れる四時間は早い。
全員が四台のジープに分乗してこっそりと街から離れる。
五分ほどするとライトを消して、人が走る位の早さでゆっくりと砂漠を進んだ。
広がる空間はエンジン音を拡散させてしまい、少し離れたら全く音が聞こえなくなる。
砂丘の頂点を走らないように、車を斜めにして適当な場所にまで来ると停車させる。
下車するとデザートカラーのシートを被せて遠くから見付からないようにしておく。
――まあこんな時間に砂漠をうろついているやつなんて一人も居やしないだろうがな。
そう考えてからふと、最初から今まで気になっている、外国人グループとやらの存在が見えないことに引っ掛かりを感じた。
――ウマル大尉が漏らしていた外国人グループ、奴らは探しても見付からなかった。こちら同様隠れているならばそれも頷けるが。姿を見掛けないのは大尉がカマをかけたんだろうか?
それにしたって意味がわからなくなる。やはり居るのは居るのだろう。狙っているテロリストがムジャヒディーアではなく、別の組織ならば納得もいく。
あれこれ悩んでも最早どうにもなりはしない。目的の場所に辿り着くと、砂の上に伏せて時間が来るのをじっと待つ。
歩哨は立てられておらず、出入口を知られないようにしているとも言えた。
「まずは出入口に向かってこいつを投げ込むんだ」
普通と少し違う手榴弾を八人に分ける。
「これは?」
RPG7はアサド軍曹の班に任せているため、手榴弾はジャミフ軍曹と島が受け持つ。
「発煙手榴弾だよ。入口に放り込んでからRPG7で塞いじまう。そうしたら煙が中に充満するだろ、もし別の出入口があれば地面から煙が登るから、それを見付けてそちらも塞ぐ」
目印だよと説明されると納得したようで小さく声を上げて感心する。
突如銃声が鳴り響いた。
――なにっ!?
咄嗟に仲間を見回すが誰一人として構えてはいない。
ならばと出入口を見る。なんとそこに突入していく複数の姿があるではないか。
「何なんだアイツラは!?」
――ここで撤収したとしてもファラジュは身を隠してしまうに違いない。やるしかないぞ!
「大尉、出入口を塞ぎますか?」
軍曹が計画の変更があるかを確認してくる。
――突入した奴等にも仲間がいるだろう、ならば封鎖しても掘り起こされる可能性があるな。
「変更だ、基地内部に向かってぶっぱなすぞ。発煙手榴弾投擲! 不明の武装集団を警戒しつつ出入口を制圧する!」
ジャミフ軍曹の命令で一斉に手榴弾が投げられる。二人が的を外してしまったが、残りは地下に転がっていった。
四人が突撃銃を手にして詰め寄り、四人が支援位置につく。
RPG7の弾頭を持っている二人が左右を警戒し、武装集団の仲間が居ないかを探す。
無理矢理に持ってきた軽機関銃を、前後に離して装備させているため弾頭を一緒に抱えている兵が少し遅れた。
地下で銃撃をする音が途切れ途切れ聞こえる。一瞬「シャイセ!」と悪態をつく声が聞こえた。
――ヨーロピアンだな。例のグループが偶然同じタイミングで? まとめて倒すのは気が引けるが、これも運命だろう。
東の空がうっすらとしらみ始めた。煙がもくもくと漏れてくる。
「アサド軍曹、やれ!」
軍曹に命じられて二人がロケットを撃ち込んだ。あまりに近い目標の為に、発射と同時に着弾する。
側面に陣取っていた射手が、わざわざ正面遠くに位置を変えた甲斐あり階段内部で爆発する。
物凄い爆風が砂を巻き上げて炎上した。その風に煽られて少し遠くの砂丘から色つきの煙が立ち上った。
「ジャミフ軍曹、あちらに別の出入口だ!」
すぐに四人が向かうが砂丘から射撃を受けてしまい一人が倒れた。その場に伏せて撃ち返すも進むことが出来ない。
「アサド軍曹は左から、俺は右から回り込むぞ!」
「了解!」
セットしてあった二発を炎上している箇所に、もう一度撃ち込んでから四人が迂回していく。
島も見当すらつけずに威嚇で射撃しながら、挟み込むようにと移動する。
RPG7の爆風がまた別の場所に煙を押し出させた。
島らのすぐ隣で砂が跳び跳ねて煙があがる。
――近いぞ!
腰から手榴弾を外してピンを抜き、安全握を抑えたまま数秒間待つと、砂の中から重い扉を上にはねあげてアラブ人が現れる。
「やるよっ!」
ぽいっと手榴弾を階段に転がしてやると仲間がアラブ人に一連射を加える。
くぐもった声を残して扉に手をかけたまま崩れ落ちる。数秒後に爆発で扉がまた少し浮いた。
「もっと手榴弾をプレゼントしてやれ!」
兵が一つずつ時間差をつけて隙間から中へと転がしてやると、悲鳴が聞こえてから三度爆発が響いた。次いで周囲が陥没を起こして砂が流れ込む。
――これは潰れたな!
見えている煙は砂丘の一ヶ所のみ、それに向かって四人で進んで行く。
次第に反撃が強くなってくる、逃した出入口に向かって地下から這い上がってきているのだろう。
軽機関銃のお陰で火力自体はまだ勝っているが、増援が次々外に踏み出してしまえばいずれ逆転してしまう。
その時、砂漠の方角後方から射撃を受けた。パトロールにでも出ていた奴が戻ってきたのかも知れない。
――畜生、こいつは厳しいぞ!
まだベッドの中である。傍らに置いてあった携帯が着信を告げた。
「ロマノフスキーだ」
すぐに覚醒して発信元がウマル大尉だと確認して応答する。
「少佐殿、砂漠で何者かによる戦闘らしき光が確認されました。すぐにそちらに迎えを出します」
「了解だ」
軍服に袖を通すのを後回しにしてマリー中尉に連絡を入れる。
二度コールすることなく繋がる。
「中尉、速やかに武装を整えてタイズ東の砂漠に出動だ」
「ダコール、百八十秒で出撃します!」
就寝中にもかかわらずその数字を約束した。散々外人部隊で叩き込まれた為にこれが出来ない兵は居ない。
部屋を出るとすぐにジープが近寄ってきて少佐に敬礼する。
軽く返して乗り込むと黙って座り行き先を指定もしない。
携帯を取り出し先任上級曹長に連絡をつける。
「俺だ、砂漠で戦闘があり出撃する」
「ダコール」
フランス語でのやり取りを三秒で終えてようやく時間を確認する。
――展開までさほど時間はかかるまい、頼むぞプレトリアス!
基地の敷地外にある士官用の宿舎から数分、既に広場には兵が集まりつつあった。
「少佐殿、十分とせずに出られます」
どうだと言わんばかりに胸を張る。気分を害されてもつまらないため、うむと頷いてから切り出す。
「偵察は出しているか?」
「先程出しました」
本隊が到着する数分前に状況が分かればそれで構わない。
「例の外国人グループかね」
「ホテルはチェックアウトしていませんが、部屋には居ないようです」
フロントにキーを預けたまま外出しているようで、問い合わせたらそうだったらしい。
「では向かおうか」
「まだ全員が集まっていませんが」
「一刻を争う状況でなければ現場の手前で待機して合流したらよい」
だが間に合わねば失策だとまでは述べない。指揮権は大尉らにあるのだ。
「では我々で先発しましょう。後続はアーディル大尉に任せて」
隣で報告を受けているアーディルが、集まっていないのが自らの部下ばかりなので仕方なく了承する。駆け付けた時にことが片付いていても功績は半々だと耳打ちしてジープに乗り込んだ。
郊外を一列縦隊で走る。途中で偵察から無線報告が入る。
「偵察班、隊長、砂漠の真ん中に色つきの煙があがり、そこで銃撃戦が展開されています。火災も起きている模様です」
「ウマル大尉、偵察班、接近して詳しく報告するんだ」
ベタの平文を堂々とアラビア語で交信する。
「砂漠で火事は起きないと思うがね」
「つまりはテロリストの拠点なわけですが、銃撃戦が無人地帯でありがたいことです」
市街地では様々な心配事もあるが、そんな場所ならばミサイルが落ちようとも痛くも痒くもない。
間を置かずに続けざまの報告が行われた。
「偵察班、正体不明の車両が九時方向に現れ煙に向かって疾走しています」
「我々の指揮下ではないな。近付かずに警戒だけして手は出すな」
――マリー中尉だな! こちらを追い抜いたか、良いぞ急げ。
「何者でしょう?」
「警察関係でないならば、敵の援軍かさもなくば敵の敵だろうさ」
どちらであろうと近付かないのが正解だと判断を誉めてやり前を見る。
嫌でも近いうちに正体が判明するだろうと、大尉も深くは追求しなかった。
耳元をヒューンと銃弾が通り抜ける。一瞬ひやりとするが、こう聞こえているうちは当たっていない証拠であると落ち着く。
敵の数が多すぎて最早ファラジュを討ち取ることは無理だろうと撤退を決意する。
――畜生、余計な邪魔がなければこちらの出入口も封鎖出来たのに!
死傷者が六人で壊滅状態に陥っていた。これ以上の交戦は不可能である。
「大尉殿、他の友軍はいつ現れるのですか!?」
二人になってしまった為にアサド軍曹が島と合流していた。
RPG7は全てを撃ち尽くして、軽機関銃を手に敵に乱射をして接近を阻止している。
それとて弾丸がいつまで続くか時間の問題であった。
「……味方は現れない」
「え? 何ですって?」
射撃音のせいで聞こえなかったようで声を張り上げて聞き返してくる。
「味方なんていないんだ、俺達は孤立無援なんだ」
今更隠しても仕方ないと打ち明ける。また一人兵士が首を撃ち抜かれて即死する。
兵が信じられないような顔をして耳を疑う。だが軍曹は抗議をするわけでもなく言葉を返す。
「ならば撤退命令を、大尉」
動揺を見せることなく支えることを暗に認めて現実問題を優先した。
「後方に砂塵が二本上がっています!」
半ば挟まれた形であったのに、更に後方に回られては逃げ出すことも出来なくなってしまう。
左手側で離れて交戦していたジャミフ軍曹が被弾したらしく、肩を抑えて転げ回っている。
「全員撤退する、アサド軍曹相互に支援して交互に二十歩ずつ後退する!」
「了解」
一人残されている兵のところにまで這っていき、ジャミフ軍曹に息が無いのを確認すると合図を送ってくる。
二人で連射を行うと敵が一瞬怯む、その隙に島は二人で二十歩後退する。
今度は島らが敵に射撃を加える、そしてアサド軍曹らが二十歩下がった。
砂丘のウネリで射線が通らなくなるあたりまで行けば、後は全力で駆け抜けるだけである。
――後ろが塞がれる前に何とか下がるんだ!
腿のあたりに熱が走った、弾がかすったらしい。
何とか丘の頂上を越えると、滑るように下りたい衝動を抑えて、体が隠れるギリギリの斜面を慎重な足取りで進む。
砂の中に隠していたのだろう、ムジャヒディーアが車を持ち出してきた。
――そりゃ当然あるだろうな!
前後からエンジン音が近付いてくる。先に現れたのは今まで対峙していた奴等の側であった。
ジープに据え付けた軽機関銃から雨あられと弾丸があたりに降り注ぐ。
その場に伏せて弾切れを待って撃ち反す。一旦あちらも砂丘の反対側に隠れてリロードしているようだ。
「今のうちだ、走れ!」
脱兎の如く駆け出す。次の山を越えたらそこに自分達のジープが置かれている、そこにまで辿り着いた時、後方の砂丘に先程のジープが身を乗り出してくる。
エンジンを唸らせてタイヤが砂を巻き上げながら、ゆっくりと車体が水平になる。
アサド軍曹が振り向き様に撃った弾が、砂地に次々突き刺さりジープにも吸い込まれていく。
射手が軽機関銃を横に払うように撃ち方を始めた。
軍曹と共にいた兵の腹を貫いて、そのまま島等が居る側に向けられる。
逃げ切れないと突撃銃で果敢に撃ち返す。
エンジン音が斜め後ろ近くでも唸りを上げ、現れた車が小さく空を飛んだ。
車から何者かが飛び降り、島に向かい腕を拡げて体重を預けてきた。
銃弾が今まで居た場所に虚しく刺さり砂を舞わせる。
次いで爆発する音が聞こえてきた。無意識にナイフを抜いて、組みかかってきた相手に突き立てようとして手が止まった。
「プ、プレトリアス!?」
黒い肌の男が何も言わずに体を避ける。一台撃破しただけで後続が現れたのだ。
すぐに敵を狙って攻撃を始める。斜め前ではジープに乗ったドイツ人がロケットを放っていた。
――ブッフバルト上級曹長!
二台、三台とムジャヒディーアが迫るも上級曹長らに続いて、西からもジープが猛スピードで駆け付けてくる。
それらも何も告げずに黙ってムジャヒディーアに向かって攻撃を行った。
「オーストラフ大尉、彼等は一体?」
「アッラーに見捨てられた俺達を助けてくれる、気のいい悪魔だよ!」
部員らに負けじと島も撃ち返す。マリー中尉の指示で二台が左右に展開して行く。
それらの車から一人ずつ黒人が駆けてきて島を庇うように前面に陣取った。
軽機関銃の弾が切れたのか、アサド軍曹が落ちている突撃銃を手にして発砲した。
「偵察班、隊長、疾走していた集団がムジャヒディーアと交戦しております」
どうやらムジャヒディーアへの増援ではなかったと考えを巡らせる。
「一台こちらに近付いております!」
兵が後方を指差して注意する。かなりのスピードで走っていた。
――こっちは先任上級曹長だな!
何をどうすべきか、少ない情報で判断すべく大尉が眉をしかめて無線機に手を伸ばす。
「全車に告ぐウマル大尉だ。ムジャヒディーアを見つけ次第これを撃ち破れ! その他、交戦中の勢力はこちらに攻撃しない限り仕掛けるな、敵はテロリストだ!」
追走してくる車には攻撃するなと命令を下した。
「ちょっとスピーカーをいいかな大尉」
「どうぞ」
渡されたマイクに向かいフランス語で話し掛ける。
「先任上級曹長ならばクラクションを二度鳴らせ」
すると拡声器を通した呼び掛けに近付く車がクラクションを二度鳴らした。
「大尉、あれはニカラグア軍の先任上級曹長だよ」
「少佐殿の部員で?」
「どうやらそのようだ、騒がせてすまんな」
敵でないなら良いことです、と意識を戦場に集中させる。
少し先に炎上している車が見えてきた。目を凝らしている間に別の車がまた爆発炎上を起こす。
大尉の命令で集団が二つに割れる。迂回部隊は戦闘に加わらずに背後に回るようにと送り出す。
影があり運良く気付いたが、砂丘の斜面に車らしき盛り上がりが確認出来た。
――これを回収出来てないってことはボスはまだ戦場に居るぞ!
それでいてマリーらが戦っているということは、少なくとも島が死体になって撤収といった結果ではないのだろう。
ついに自らの車も砂丘を越えて戦場にと踊り出す。
視界を広く持つように努めて一瞬で状況を把握する。
「運転士、右手に見える黒人の傍に停めてくれ!」
伍長が大尉に視線を向けると「そうしろ」と命じられる。
慣性に逆らい右に急ハンドルを切ると少し走りブレーキを思いきりよく踏む。
戦場では予想外の動きこそが必須なのだ。
多数の増援が現れたため、ムジャヒディーアが一旦基地に向かい後退して行く。
ジープのドアを開け砂漠に降り立ち黒人らが居る場所へ向け歩きだす。
「少佐殿?」
ウマル大尉が後ろを付いていく。
プレトリアス軍曹が近付く気配に気付いて振り返る。それにつられて島も視界の端に姿を捉えた。
はっとして片膝をついたまま首だけ捻り目を見開く。
「――ロマノフスキー」
ゆっくりと立ち上がり目を合わせる。
ロマノフスキーは一歩、また一歩と近寄ると、拳を握り締めて思いきり島の頬を殴り付けた。
勢いで砂漠にと倒れ、口が切れたのか血を垂らす。
「大尉!」
アサド軍曹が近付こうとするのを目で制する。
「黙って行ってしまうなんて水臭いんじゃありませんか?」
口の端に流れる血を拭って立ち上がる。周りにマリー中尉らや、イエメン軍の将校達が何事だと集まってきてた。
「……すまなかった」
ロマノフスキーに向かって頭を下げる。確かに彼が言う通り、一言告げるべきだったのだ。
「ではこの一件はそれで終わりです。これをどうぞ」
何か紙を島に手渡す、一体何だとそれを一瞥した。ウマル大尉が島を見て思い出す。
「オーストラフ! 入国管理法違反で拘束する!」
「動くな!」
ロマノフスキーが突如大声を上げて場を制する。
「ウマル大尉、何か人違いをしているようだが?」
「いえ少佐殿、あれはモカ港に居た密入国者でオーストラフと言う者です!」
「それはおかしい、あの方は俺のボスで、ニカラグア軍対テロリスト司令官兼イエメン駐在武官イーリヤ大佐殿だ。無論アグレマンもとっている」
ウマル大尉が何を言っているのかわからないとロマノフスキーと島へ視線をいったり来たりさせる。
後ろから現れた先任上級曹長が島に何かを手渡し敬礼する。
――全くこいつらときたら俺以上に無茶をしたもんだな!
「ロマノフスキー少佐、任務ご苦労だ。これよりバーシンドワ首相閣下より発された特殊作戦を実行する!」
イエメン軍の名目では最高司令官は大統領になっているが、指揮権は首相が保持していた。その為、首相が出す作戦命令が最優先権限を有している。
「ナァム、何なりとご命令を」
敢えてイエメン軍の皆が理解出来るようにアラビア語を使用する。
納得行ってない大尉に、先任上級曹長が持ってきた首相署名の命令書を見せてやる。
「こ、これは確かに首相の印……」
「大尉、これでわかっただろう、軍人は事実を認めねばならん、それが如何に理解しがたくてもだ。ここにいるイーリヤ大佐がこの場の最高指揮者だよ。貴官は首相の命令を拒否するか?」
わなわなと震えて最早何がどうなっているか見当がつかない。
「少佐殿はこれを知ってらした?」
「いや知らんね。だが先程知った、俺は従うよそれが役目だからな」
皆がみな懐疑的である。ウマル大尉が命令書を偽物だと叫び、再度拘束を命令したらイエメン軍兵はそれに従うだろう。
――奴はオーストラフに間違いない。だがしかし首相署名の命令書は本物だ、つまりはオーストラフだったのが偽装? しかし何故そうする必要があったんだ。何が最善でどれが欺瞞工作だ!?
この場でどうやっても動かせない事実が首相からの命令書だと認める。
「――大佐殿のご命令に従います……」
「うむ。ウマル大尉、指揮下の戦力を以てムジャヒディーアを壊滅させろ」
「了解しました」
最初から目的はそれなので、疑問は尽きないが今は戦うことにした。
大尉らが乗車して東へ向けて車を走らせていく。
島はロマノフスキーに向き直り尋ねる。
「また一緒に戦ってくれるか?」
「そいつはお断りしますよ――」
胸に刺さるような言葉を返されて島が驚く、が彼は続けた。
「ボスは頼むものではなく命令するものです。どうぞ一緒に戦えとご命令下さい!」
「ロマノフスキー……。全部員に命じる、イエメン軍に協力しムジャヒディーアを殲滅せよ!」
「ダコール!」
全員が島に敬礼する。プレトリアス少尉を護衛に残して分乗すると出撃していった。
エリトリアで雇ったアサド軍曹だけがぽつんと残ってしまっている。
「すまんな軍曹、騙してしまって」
「雇い主の呼称が少し変わっただけです。して、撤退しますか、それとも戻って戦いますか」
言われてみれば唯一彼にだけは命令変更が適用されないことに気付く。
「もちろん戦うぞ!」
「了解です大佐」
――物怖じしない奴だな、だがそれが良い。
シートを被せてあるジープを一台回収し、軍曹に運転させる。
予備に置いてある突撃銃を準備して三人は遅れて皆の後ろ姿を追っていった。
ラジオ放送が政府の公式発表を報道している。
「タイズ東に拠点を構えていた、アルカイダ系武装組織ムジャヒディーアが未明、軍の対テロリスト部門とタイズ駐留軍の活躍により壊滅状態に陥りました。指導者のファラジュとみられる遺体を発見し、幹部の殆ども銃撃戦により倒れたため今後継承する者は居ないとの見通しです。軍は三名の指揮官を表彰し、イエメン自由戦士勲章を授与しました。これに関連し、中米ニカラグア共和国政府より世界に先駆けて祝電が贈られました。政府は今後、テロリストに対する掃討を積極的に行うことを宣言、治安回復を掲げました。以上、アデンよりラジオイエメンがお伝えしました」
ニカラグア大使館で正式に解任手続きが行われた。
書類にサインした大使が苦笑いしながら島と握手を交わす。
「任官二日で解任とは私も初めてだよ大佐」
「自分もです閣下。ご迷惑をお掛け致しました」
大統領の訓令により、真夜中に叩き起こされて様々な任命書を作成させられた大使だが、相手がニカラグアの英雄だと知るとむしろ機嫌が良くなった。
「これから本国かい?」
「はい、謝罪とお礼に向かいます。受けた恩をどうやって返したら良いやら」
島の勝手な行動により、部員全てがアメリカ軍を除隊してニカラグア軍になって居た。
政治的な支援がなければ、今頃は砂漠で干からびていただろう。
――ロマノフスキーの話ではニカラグアはイエメンと戦争してでも俺を擁護するとまで断言したそうだ。これに報いる方法を俺は知らない。会って何が出来るかを話し合うべきだ。
「では大佐、また会える日があることを期待しているよ」
「その日まで閣下もご自愛下さい」
ニカラグア軍の制服を身に付けた島は大使に敬礼し、大使館を後にする。
外ではやはり同じく制服に身を包んだ皆が整列していた。
「大佐殿、挨拶回りを仕切れない箇所があれば自分が引き受けますよ」
笑いながらロマノフスキーが申し出る。
「そうもいかんだろう。甘えるわけにはいかないんだ」
一人だけ私服で隣に並んでいる男がいる。
「オーストラフ大佐殿、自分はいかがいたしましょう?」
報酬を支払い嘘を詫び、帰国をしても最早何の問題もないが、律儀に命令を待っているアサド軍曹。
「君は自由だよ。今まで共に戦ってくれてありがとう軍曹」
「自由……ですか。エリトリアに戻っても酒浸りにしかなりません。自分も大佐の部下にしては貰えないでしょうか?」
大真面目な顔で就職を求めてくる。無論答えは決まっている。
「アサド軍曹が理解する言語は?」
「アラビア語、イタリア語と英語が少しです」
「上官の勝手な行動でまた失職する恐れもあるが――」
自虐的なネタに部員が笑いを堪えている。
「まあそれも良いでしょう。職は喪っても大切なモノは無くならないようですから」
島の側からの経緯を見てきたために、ことの一面を理解していた。
「そういうことならば良かろう。アサド軍曹の部署は――」
「プレトリアス少尉のところでしょうボス」
言おうとした言葉を先に取られてしまい少佐の発言に頷く。
「少尉、軍曹を預ける」
「了解しました」
どんな窮地に陥ろうとも裏切らず支える態度を見て、親衛隊が適任だとプレトリアスに配属する。
サヌア空港からリスボンを経由してニカラグアへと向かう一行、どの顔を見ても何一つ悔いることがない晴れなかな表情をしていた。




