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第3話 フランカは男がお好き


「……」

「いよいよ初めての夜ねえ」


静かな寝室に、フランカの嬉しそうな声が響く。鏡の前で身支度を終えたイレーニアは、椅子から微動だにせず、そこに黙って座っていた。


(ついに、結婚してしまったわ…)


幸せ一杯なはずの新妻を包むのは、絶望である。イレーニアは結婚してしまった。結婚してしまったのだ。


父ジャンマリオがサインしたあの日から、まるで濁流に呑み込まれるように、流され流されここまで来てしまった。婚約期間中、シルヴェストロがどこかで我に返り破棄や破談してくるのではと抱いた一縷の望みも泡と消えた。そうして今また、新たな波は迫ってきている。


「まるで自分のことのようにワクワクしちゃうわあ!」


両手を合わせてそう微笑むフランカに、イレーニアが鏡越しに視線を向ける。そして静かに口を開いた。


「フランカ。…ああいう男を何て呼ぶのか、私、知ってるのよ」

「……?」


何せ彼ははっきりと言った。「復讐しに来た」のだと。


「あの男は…好き放題した後に、雑巾のようになった私を捨てるんだわ…」


そう、イレーニアは知っている。容姿端麗、頭脳明晰、家柄まで兼ね備えた男がどうなるかを。シルヴェストロのような、女には困らない生活を送る者の名を。そして今から体の関係を持とうとする夫のことを。


「ヤリチンコって、言うの」


寝室の中にぽつりと声が落ちる。その場を沈黙が支配した。


「……」

「……」


フランカは何も言わなかった。一文字多いわよとも、決めつけるのは良くないわとも、言わなかった。代わりに真剣な表情で、静かに頷いた。


「すごく…美味しそうな響きね」


フランカ。本名をフランコ・オルランディ。別名に「オカマのフランカ」や「地声が低すぎるフランカ」などがあるが、最も有名な渾名は「男狂いのフランカ」である。






「神童のシルヴェストロ」。当時の彼を知る者は、皆口々にそう言った。

何をやらせても人並み以上にこなし、大の大人を負かす程の知識量。天使と見紛うばかりの愛らしい容姿は、当時の令嬢がこぞって取り合うものだった。愛嬌こそ無かったが、頭脳、容姿、地位、3拍子揃ったシルヴェストロは、周りの者にそれはもうチヤホヤされて育った。


そうして、身も蓋もない言い方をすれば、彼は立派なクソガキに育ってしまった。


『取ったからには最後まで美味しく頂きなさい!』


だからあの日。彼に一切媚びること無く言い放たれた一言は、シルヴェストロにとっては衝撃だった。そして次の瞬間、彼は思った。


絶対に――この女を負かす、と。


何と言うか、彼はどこまでもクソガキだった。その時からシルヴェストロは努力を重ねた。彼女の元へ舞い込もうとする縁談を全て握り潰し、マエストリ家を調査した上でジャンマリオの懐柔方法を導き出した。次期領主としての務めをこなしながらである。それもこれも全てはイレーニアと結婚し、あの時の雪辱を晴らす為。


(ふん…苦労はしましたが、あの女は既に手に入れたも同然です)


そして現在、シルヴェストロの8年にも渡る本懐は実ろうとしている。紆余曲折を経ながらも、イレーニアはカルカテルラ家に嫁いできた。


結婚に至ってはイレーニアが逃亡を図ろうとしてジャンマリオに連れ戻されたり、彼女の連れてきた侍女がムキムキの成人男性だったりしたが、それも全て些末なこと。契約も儀式も終え、夫婦の寝室に向かう今、シルヴェストロは無敵だった。

自分がすべきは8年前の復讐、復讐である。


「……」


静かに扉を開ける。視線を配ると、窓から射し込む月明かりの中、ベッドの真ん中が膨らんでいることが分かった。


「…イレーニア・カルカテルラ」


もう諦めたのだろう。

丸みを帯びたふとんに近付き、手を掛ける。綻ぶ口許を抑えて、彼はそのまま布を捲って――


「あん」


ビシリと固まった。そこに居たのは妻でも、復讐の標的でも、ましてや女でもなかった。

筋肉に覆われた肉体美を誇る男性、問題の侍女、フランカだったからだ。






「よし」


中庭にて、イレーニアがぱんぱんと手の埃を払った。夜空には丸い月が浮かんでいる。


視線を上げると、窓から垂れるロープが風にはためく。室内のシーツとカーテンで作った、お手製の脱出ロープである。結び目を足掛かりにして、2階から降りてきたのだ。

おそらくは今頃囮のフランカとシルヴェストロが相対しているであろう寝室の窓を睨みながら、イレーニアは口を開く。


「例え嫁に入ろうとも、私は諦めないわよ…!」


どんな渾名を付けられようとも、彼女は構やしなかった。行き遅れも年下狩りも不本意だがまあ良い。


「けど『捨てられ女のイレーニア』だなんて、それだけはイヤ!」


彼女は決めた。別に大事に守ってきたわけではないが、26年浮いた噂のひとつもなく必然的に抱えてしまった純潔を、あのような好色男にくれてやるものか、と。どうせ捨てられるのならば身も心も潔白のまま、この家を出てやる。

父は出戻ってきても良いと言っていたが、というかそれが目的だったが、彼らの思い通りにはさせない。させないのだ。


拳を胸の前に掲げ、新妻は宣言する。


「絶対に…逃げ切って見せる!」






「あの、女…!」


そしてその少し後、シルヴェストロは廊下の壁に額をくっつけて呻いていた。絡み付いてくる筋肉男を必死で引き剥がし、ここまで逃げてきたのだ。


シルヴェストロは神「童」とは呼ばれたが、立派な青年となった今でも絶大な人気を博している。強制だろうが本意ではなかろうが、彼とどうにかなりたい女性などたくさんいるのだ。と言うか、そういう扱いしか受けてこなかった。

それなのに求婚で逃げられ、初夜でも逃げられると言う屈辱を味わった。シルヴェストロははち切れそうだった。


「クソ、ババア…!」


普段の余裕然とした態度とはまるで別人のように、彼はぶるぶると震える。


さて。お気付きだろうか。

わざわざ結婚なんて道を選ばなくとも、シルヴェストロがイレーニアに復讐する方法なんていくらでもある。あえてこの道を選んだことには、復讐心以外の何かがあると考えるのが普通だろう。


だがシルヴェストロは気が付かない。8年も抱えた想いの正体に。そのクソババアにこんなにも夢中になる理由も、ふとんを捲る瞬間、達成感以外の幸福感を得たことも、この苛立ちがどこから来るのかも、気が付いてはいなかった。


「絶対に、手を出してやる…!」


非常に奇妙な夫婦の攻防が幕を開ける。お手本とは程遠く、波乱と憎しみに満ちた、そして大いなる愛に包まれた新婚生活がその口火を切ったのだ。

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