表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

よりみちアケルナル

よりみちアケルナル クリスマスⅢ

作者: やもりれん

 彼はいつも、遅刻ぎりぎりで滑り込む。

「せぇーーふっ」

 これだけチャイム通りに来れるなら、あとせめて5分早くしたって、絶対ぴったり着けると思う。

「アウトやろ」

バカサが偉そうに言うが、自分だってさっき来たばかりだ。しかもバカサの場合は一定していない。

「セーフや」

「補習にギリで来る時点でアウトやろ」

「審判っ」

何の遊びか知らないが、ここで二人して後ろの席の湖山を振り返るのがお決まりだ。変なことに付き合わされちゃったなあ、と、頭が痛くなりながらも、一応判定を下してやる。

「……あと一回でアウトや」

「なんやそれ。野球にそんなルールあらへん」

「アホヤ、湖山はバスケや。バスケにはあるんちゃうか。知らんけど」

「イエローカードみたいなもんか? 知らんけど」

「……もう二人とも退場でええよ」

「こらっ! 青谷、若桜! 補習に来て後ろ向いて喋っとるやつがあるか! 」

先生の怒号に、二人は驚くべき早さで前を向き、テキストの防御壁に身を隠したのだった。


「あーあ、クリスマスやのになあ……」

 曇り空を仰いで、青谷は愚痴った。散り敷いた銀杏で黄金色に染まる道を、自転車を押しながら歩く。いつもと違うのは、隣が航平ではないことだ。航平は補習が終わるや否や、調べものがあるとかで、市立図書館に行ってしまったのだ。

 それで今日は、たまたま一人で帰っていた湖山と一緒になった。少しラッキーなのは、湖山が女子だということ。ちょっと残念なのは、女子だけど湖山だということ……失礼だとは、思うけれど。湖山の名誉のために断っておくが、彼女は決して、悪くない。性格は明るくて、誰とでも仲良くできるタイプで、運動神経も抜群だ。問題があるとすれば、それはむしろ青谷の方に、だ。

 青谷はちら、と隣を見た。徒歩通学の湖山は、小さいセカンドバッグを胸に抱えて、ゆったりと歩いている。彼女の顔は、目線を上げたところにある。要するに青谷は、隣を歩くと引け目を感じるのだ。

「ほんま、お互い、頭悪くて損やね」

「まあ、帰ったらうまいもん食うから、ええんやけどな……湖山、お前ちょっと後ろ歩いて」

「何で? あ、ええんやけど……別に隣歩きたいとか、ちゃうし」

湖山は素直に、少し後ろに下がった。何かもじもじと、バッグを抱き締めているが、青谷の目には入っていなかった。

「遠近法や」

青谷が考えなしに言うと、言葉の代りに、セカンドバッグの一撃が後頭部に返ってきた。

「あだっ! 何すんのや!? 」

「アホヤのアホタレ! 」

湖山は怒っていた。別に珍しいことではない。でもなんだか、何かいつもと違う雰囲気を感じる。青谷は慌てて、頭の中で、さっきの一連の会話を巻き戻してみた。『なんやなんや? 俺、何か怒らすようなこと、言うたっけ? 』

「……すまん、わからん……」

「アホヤなんかに分かってたまるか、ゆうのん」

「でも、多分俺、怒らすようなこと、言うたんやわ。そやから、ごめん」

ぺこり、と頭を下げた青谷を見て、湖山はますます膨れた。

「訳も分かってへんのに、謝ったかて、意味あらへん」

「それやったら、何が腹立ったんか、言うてや」

「……言いたない」

「おっまえ、どんだけや。謝っても怒る、理由聞いても教えへん……」

「あたしかて、気にしてんのに、なんやのん」

 湖山はセカンドバッグをぎゅっと握りしめると、吹き出しそうなほど間の抜けた顔で、再び会話を検証しているらしい青谷の横を通り抜け、さっさと歩き出した。

「ああ! もしかして遠近法が気に入らんかったんか? 」

背後から、無神経な青谷が呼び掛けた。

「ちょ、待てや。悪かった。気にしてると思わへんかって」

「気にするわ! 大きい声で言わんといて」

青谷は、がちゃがちゃと音を立てて自転車を引き摺りながら、追い付いた。

「なんでや。湖山、バスケやっとんのやから、背は高い方が得やんか。自慢やとおもとったわ」

「バスケで得しても、女子として損してんの。もうええから、ほっといて」

 湖山がすたすた歩くと、大抵の人は小走りでないとついていけない。『……ほらな、俺、めっちゃカッコ悪いやろ』青谷は途中で足を止めた。

 青谷がついてくる気配が無くなって、湖山は急に哀しくなった。

 身長のことは、幼稚園の頃から、男の子たちに散々からかわれた。背が高くなりたい場合は、牛乳を飲むとか、いろいろ頑張る方法があるのに、何故小さくなりたい場合の方法は、ないのだろう。親は『相手にせんかったらええ』と言ったけれど、それができるくらいなら、悩んだりしない。でも、バスケと出会って、自分を活かせる場所を見つけた。それからはもう、くだらないからかいなんて、笑い飛ばせるようになっていった。

 また身長のことが気になり始めたのは、去年の春からだ。……本当のことを言うと、誰に何を言われようと別に気にもならないのに、たった一人の一言だけが、妙に気になってしまうのだ。もちろん、彼に悪意なんて、これっぽっちもないことは、よく分かっている。なのに、どういうわけか、心が勝手にざわついて、素直な気持ちを隠してしまうのだ。

 たまたま、同じクラスになって、たまたま、グランドで泥まみれになってボールを追う姿を見ただけだ。特にイケメンでもないし、背だって、いつも一緒にいるバカサの方が少し高いくらいだし、頭も悪いし、全然素敵じゃない。しかも、図々しいことに、学年一の美人の北条彩花のことが好きらしい。それなのに何故、彼が腹を抱えて笑う姿を見るたびに、自分も笑顔になってしまうのだろう。

「おい。湖山」

青谷は離れたところから、呼び掛けた。野球部仕込みの大声に、思わず湖山は振り向いた。

「……何やのん。皆見るし、言いたいことあるならこっち来たらええやん」

「そうかて、怒っとるやん」

「……別に、アホヤがデリカシーないのなんか、今に始まったことちゃうし」

許しを得て、青谷は近づいてきた。その情けない顔を見ると、湖山の胸の中のモヤモヤは薄くなり、穏やかな優しい気持ちが表に浮かんでくるのだった。

「あんな、悪かった。ほんま。別に嫌がらせ言うたろうとか、したわけやないんや。そうやなくて、俺はな……」

「……分かってるし。あたしもちょっと……いらっとしただけや」

「あんな、恥忍んで言うけどな、俺はほんま、お前が羨ましいんや。モデルみたいにかっこええやんか。隣歩くと自分がショボく思えてしゃあないんや」

 湖山はまじまじと青谷を見た。

「…………」

「なっ……何や、何や。まあそやから、俺としてはやな、お前は背が高いのんを自慢してええと、当たり前に考えてたからな……」

「……ずる」

「はあ? 」

「ま、ええわ。今後気をつけてや。あたしに遠近法は禁止や。分かったか」

「分かった分かった」

青谷はおもちゃのようにコクコクと頷いた。

「機嫌直ったか? 」

「どうでもようなった」

湖山は清々しい笑顔で頷いた。青谷はすっかり満足して、自転車に跨がる。

「よし、ええクリスマスになったな。ほなまたな」

「えっ!?」

まさか、ここでこれほどあっさり『またな』とくるとは。

「ちょ……」

「寒なってきた。湖山も早よ帰りや」

「わ……分かった……」

 リンリン、とベルを鳴らして、万年クリスマス男が去っていく。

 湖山は慌ててセカンドバッグを開けると、紙袋を引っ張り出した。そして、長い脚で跳ねるように駆けだすと、美しいフォームで紙袋をシュートした。それは弧を描いて、青谷の頭の上に落ちた。

「? 」

自転車を止めて振り向くと、足下から舞い立つ落ち葉の中で、一層鮮やかに、少女の笑顔が輝いていた。

「メリークリスマス! アホヤ! 」

「何や、これ? 」

湖山は答えず、踵を返して行ってしまった。


翌日。

「アホヤ。なんや、そのモジャモジャは」

無理矢理首に巻き付けた物を指差して、航平が訊いた。

「わからん。マフラーやと思ったんやけど」

「東京とかで流行ってるんやろか……なんやモップみたいなヒゲが出とるけど」

「モップ……そうや、これはきっと、スリッパに巻き付けて床を掃除するんや」

「あるな! そういうアイデアグッズ見たことあるな! 」

「そやけど……ああ、ちゃうわ。これ多分、窓ふきや。こういうタオルみたいな形がやな、こうりつてきに拭けるんや」

「えー? ……審判! 」

「二人とも退場」

 湖山は冷たく言い放つと、教室のドアを指差した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ