進めた足と黒緑の風
まださっきの光でしっかりと開けることの出来ない瞼を三分の二ほど持ち上げると、少し薄暗い景色が目に飛び込んできた。
地面は土に血の色が混ざったような見てるだけで少し気持ち悪くなるような暗い色をしていた。
その地面からは少し鉄分を含んだ匂いがしているように感じた。
「やっぱり血なのかな」と思っていると、横にいる彼女が口を開けた。
「あ、ミスった」
そんな言葉をポロッと呟いた彼女を不思議に思っていると、周りに形様々な影が現れた。
その影は円形や四角形、三角形という風に見え、その形は歪んでいて輪郭はゆらゆらと動いている。影たちは大きくなり、人間の上半身の様な立体となった。
「雑魚共が今更……シューマ。――逃げるよ」
掴まれたままの腕を再び強く引き、目の前の二つの影を踏み台にして大きく跳び上がる。
僕の体も持ち上がるのか心配だったが、跳び上がった瞬間に彼女は僕の腕を握っている逆の手、左手を広げて地面に向けるとさっきと同じような光の円が現れた。
だが、その円に描かれた線や文字はさっきの円とは違った。円は、瞬時に僕の足元にするりと潜り込み、強風が足元から吹き荒れた。風に体全体が押し上げられ、彼女と共に影を越えていく。
「――――っ!」
彼女は何かを堪えるような声とも言えない、ものを口からもらした。しかし地面についた足を止めることは無く、走り続けた。その時に僕の背後から何かが腰あたりにぶつかるような感覚を僅かに感じた。
***
「ど、どこ向かってるんですか!?」
さっきから三分ほど全力疾走の状態でいる。普段から外に出ず、ゲームばっかしてる僕にはかなりの運動量だ。息を荒げながらついて行くと、流石に体が拒み出した。
段々と失速していく僕に対してし彼女は走り出してから変わらない――というよりスピードが上がっている様にも見える。
「おっそいわねぇ! そんなんであいつらに追いつかれたらどうすんのよ!」
フードで隠れている顔は、口調や声のボリュームでかなり怒っているというのはすぐ分かる。
「遅いと言われても……体力的に限界があるわけで……」
言い訳をしている僕を見て彼女は走りながら大きくため息をつく。
「……ったく。あんたメタでしょ!? 魔法の一つや二つ使えばいいでしょ!?」
キレ気味で声を荒らげる彼女を見て特に悪くないと思われる自分が情けなくなった。
(いや逆に今まで普通の生活送ってきた人間に魔法使えなんか無茶でしょ。理不尽すぎるんだけど……)
心の中で呟くその声は音として彼女の耳に届くわけでもなく、口を閉じたままの僕を見て彼女は「はぁ!?」と裏返った声で叫ぶ。
「あんた、心の中で呟いときゃいくらでも愚痴言っていいと思ってる? 残念。〝こっち〟じゃそんなん通用しないから。あんただってさっき私の声聞こえてたでしょ、それと同じよ」
「それって意識しなくても聞こえちゃうし、自分の心の中の声も筒抜けになるってこと……?」
恐る恐る、僅かに心配してることを聞いてみると彼女は「フン」と鼻を鳴らした。その後に続く言葉は無かったが肯定の意味を含んでいたのだろう。
「仕方ないわ。今回だけ、まだ未熟なあんたを助けてあげる」
こちらに顔を向けずに走ったままの彼女は走りながら、先程と同じく手を地面に強く下ろした。
彼女の口はもごもごと動いているが言葉を発しているのかどうかは聞き取れなかった。
すると、さっきの影を越えた時のように体がふわっと持ち上げられ、そのまま体が浮いたままの状態になった。
それと同時に彼女も僕と同じ高さに浮き、握られたままの手を引っ張る。
彼女の行く方向へと僕が力を入れずとも進んでいった。
***
魔法のようなものをかけられ進んで約五分経過した。
まぁあくまで感覚でだけど。時計も無いし。
そんな自分の感覚に少しツッコミを入れていると前方に森が見えてきた。その森に生い茂る草木も樹木もどれも暗い色だった。草木や樹木はどれも、自分のいた日本では見たことがないものばかりであった。
でも、それは俺の知識不足では無さそうだ。
なぜなら、その草木は単色ではなく色を変化させていたからだ。青から緑や、白から紫などで、様々な色へと変化していた。まるでそれはカメレオンかのようにも思えた。
樹木は周りの草木のように見た目の色を変えることは無かったが、一本一本がそれぞれ巨大でその見た目から印象も強く、全体的に墨をかけたような葉、幹をしているので少し恐怖感もある。
でも、こう思うのもあくまで個人的な感覚だからこの子はまた僕とは違った感覚を持っているんだろう。
呆然と彼女の背中を眺めていると森に突っ込んだ。森に突っ込んだと言っても、樹木を避けながらではなく樹木自体に突っ込んだ。
「ぶつかっ……!」
る、という最後の一語が出る前にぶつかる――、はずだった。
脳内では勝手にぶつかったと思っていたため、目を力強く瞑っていた。
体に何も当たった感覚が無いことを不思議に思いつつ、重い瞼をゆっくり開けるとログハウスの室内のような視界に拡がっていた。
今自分自身に何が起こったのかが脳内で整理が付かず、開いた口が塞がらないまま辺りを見渡していた。自分の立つ床は円形になっており、壁もその床に沿って建ててられているように見える。
床は丁度足の横幅くらいの細さの板が貼られている。そこにはこれと言って家具も窓も無く、木製の螺旋階段だけが円形の壁に沿って打ち込まれていた。その螺旋階段は下にも続いていた。
「ここはペル姉の家。上位の魔法使いなわけで流石にこれぐらいの隠れ蓑は作っとかないといけないわけ。だからって、こんな怖い思いするような仕掛けは好ましくないわ。今は慣れたけど、最初はかなり怖かったのよ」
次々と聞いてもないことに答えを出していく彼女を見て目を細めた。
「いや、ここはどこってだけで、他は聞いてないんですけど……」
ここをツッコむのは流石に申し訳ないと思いながらどちらにせよ心で呟いたら聞こえてしまうので言葉にしておく。
彼女は少し誤魔化すように咳払いをした。
すると、木製の床を歩く音が頭上から聞こえた。誰かが降りてきているのか。
さっきの話によるとペル姉という人と予想できる。そもそも、ペル姉という人の姿を知らないため誰かは判断し難い。
徐々に近づく足音に耳を澄ませつつ、降りてくる時に通るであろう階段を睨むように見つめる。
段々と見えてきたその姿には自分には理解できない、僅かな既視感があった。見つめる先には一人の女性が堂々と足音を響かせ、歩いてくる姿が僕の多くの感情を奮い立たせていた。