不幸と不理解
第一ボタンまでしっかり止めてある学ランの制服姿に黒いスポーツシューズ。そして髪の色も黒という全身黒ずくめの状態の僕は学校からの帰路を渡っていた。
僕はいつも商店街を通る。その商店街には本屋、ファストフード店、コンビニなど様々な店が並んでいる。
本屋とコンビニの間には縦8メートル、横3メートルといったぐらいの狭さの裏路地がある。すぐ行き止まりになりそこには二つの店に挟まれてるが故に、日がほとんど入らずにそこだけいつも薄暗い。
特に夜なんかはお化けが出るなんて噂が小学校の時に広まったぐらいだ。そんな狭い路地裏にはいつも誰もいないのだが、今日は珍しく猫の鳴き声が聞こえた。
珍しいこともあるもんだなぁ、と思い、狭い裏路地に入るとそこには子猫ぐらいの大きさの黒い猫がいた。その色はまさに自分の身なりと同じ色のため、僅かながら親近感が湧いた。にゃーにゃーと鳴く声は何かを訴えているように聞こえた。
――お腹……空いた……ご飯……
突然に脳内に何かが入り込んできた。
それは明らかに人の声だった。その声の音は高く、掠れていた。
女子が喋っているというのは聞いてすぐ分かった。だけどこの裏路地には僕とこの黒猫しかおらず、裏路地の外にも誰もいない。誰から話しかけられたのかも分からず戸惑った。
その黒猫はまるで、聞こえてくる声の主と全く同じでお腹が空いているように見える。
そこで僕はとりあえずその猫が話しかけているんだろうと何ともおかしおことを思い、助けてあげようと思った。金曜日ということもあり、休日を目前にした僕は疲れていたのかもしれない。
裏路地を出たすぐ真横にあるコンビニで小さな猫缶を買ってきて、それを開けて黒猫の前に置いた。
すると黒猫の表情が明るくなり、黒猫が猫缶にがっついた。
その様子がかわいくて、まるで猫の癒し動画を見ているような感覚になった。
その様子を写真に収めようと携帯のカメラアプリを起動し、黒猫に向けてフォーカスを当てる。
そしてシャッターを押そうとしたところで黒猫が瞬時にこちらに振り向き、緑色の双眸を大きく見開いた。
すると携帯の画面は黒くなり、電源ボタンや他のボタンをどのようにいじってもつかなくなった。
どうにか電源を入れようと試行錯誤する僕を見る黒猫は再び、目を見開く。
その途端、携帯を持っている手に強風が一瞬だけ吹き荒れ、携帯を商店街の方へ放り飛ばした。
自分の携帯が飛ばされて腑抜けた声を出している僕に対して、黒猫は毛を逆立て、耳も反り返っている。かなりご立腹の様子だ。
なんでそんな怒っているのか、と思っているとまた脳内にあの声が響いた。
――何なのこいつ……エサ貰っただけで懐くなんて思わない方がいいわ、恥を知りなさい!
淡々とした早口でその声は脳内に響いた。
「エサ」とか「懐く」の単語でやっと理解した。やっぱり、この声の主はこの黒猫なんだ――と。
「懐かせるために上げたわけじゃないぞ?」
声の主に反論するように僕がぽつりと呟くと、その黒猫は再び目を見開いてこちらを向く。その表情はさっきとは違って驚きの表情だった。
――あんた……まさか……
また脳に黒猫の声が響くと、黒猫の姿が黒いシルエットになり、それが人形になっていく。無音で変わるその姿に僕は口を開けたまま、見入っていた。
人形になった姿は黒い人形シルエットとはほとんど変わらず、黒と紫が混じったような色のフードの付いたローブを身に纏っている。フードを深く被っていて、顔を見ることはできなかった。
そもそも他の所も見える所が無く、素肌まで完全にすっぽりとローブで隠されていた。
「あんた……私の声……聞こえてたの……?」
途切れ途切れで弱々しい声で黒猫だったその人物は話しかけてくる。
しかし、その声にはどこか鋭さも感じれる。
「いや〝聞こえてた〟というより、〝脳に直接響いてた〟って感じで……」
まだ恐怖感が少し残っているため、他人行儀な喋り方になってしまった。
「……ってことはアンタ……もしかして――」
言いかけた言葉を飲み込んで黙り込む。一瞬であろう沈黙も今は緊張や焦りからか、やけに長く感じる。
「いやなんだよ……」
少し後ずさりして距離を取りながら、引き気味でそう言うと、ローブ姿の少女らしき人は「待って!」と大声で僕を呼び止めた。
「あ、アンタ……名前は?」
少し青ざめた顔でそう言われるのに対して僕は平然とした態度で自分の名を名乗る。
「な、名前? 三澄柊馬ですけど……」
「三澄……やっぱりアンタ、そうか……」
少女らしき人は僕の名前聞いて考え込む。考え込む、というよりは――思い返しているように見える。
「ううん。迷ってる暇なんて無いわ……柊馬! 付いてきて!」
切羽詰まった様な喋り方をする目の前のローブ姿の少女を見て戸惑って動けなくいる僕の腕をローブから突き出した少し細めの手で強引に引っ張る。
その刹那、目の前に緑の蛍光ペンで描いたような円が出現した。
円内に多くの線や文字が一瞬で描かれ、太陽のように眩しい光を放った。
一瞬で起こった目の前の珍事に目を眩ませていると体がふわっと浮かび上がった。
無理矢理、僕は少女に手を引かれ、言われるがままに円をくぐっていた。
これが僕の不幸の――幸福の、どちらかは分からないが、その始まりだったのだろう。