エピローグ ※本文との関連性はほぼ皆無です
結局デイズ=デスタントは完全に姿を晦ました噂だけが昇りつづけた。
ダイランは普段の苛立ちが多くなり始めるわ、きつくなり始めるわ、署内はぴりぴりし続けていた。
FBIが追ってギャングファミリーデスタントの行方を捜査し続けるが、ダイランがどんなにハノスや長官に自分も加わる事を言っても許してはもらえなかったのは、署長がデスタントとダイランとの関係をハノスに言ったからだった。なあなあな追うか追わないかの関係など信用する警察上層などいない。
ダイランは署長を呪いたい気分だった。きっと自分が密教の教祖になっていたらひとまずあのモノトーン署長室から呪いを掛けてトロピカルカラーワールドにせしめてやる……。
ダイランはソルマンデ草原に転がり、青の空の中を草原の風に吹かれていた。
ブロンドを風がさらって行き、彼の閉じる瞼を風が撫でて行く。走る風。緑の香り。太陽の香り。
デイズに逢いたい。
言葉を交わしたい。あの声を聞きたい。風に乗って、ここまで来いよ。
閉じる瞼だが、それでも明るいさんさんと降り注ぐ太陽が暖かく、風の唄がなりつづける。
四葉達が揺れ、黄色の花が揺れ、白のモンシロチョウが飛び交い……。
裸足に蟻が登ってくすぐり、てんとう虫が葉裏を登り、目を開き、青の空は白い雲を乗せ、上半身を起こし見回しても……いない。
どこにもいない。
誰も、いない……。
夢の中。
ダイランは目を覚まし、寒さに毛布を引き上げた。枕に顔を乗せ、目を閉じて開いた。闇の中にエメラルドが浮き、窓の外は猛吹雪だ。もう、時期はずれな猛暑などが狂った様に押し寄せる日々も無くなるほどに寒い季節が到来する。
こんな寒い中を、あのエルサレム生まれがどこに埋もれてるんだよ。
一生、あえない気がした……。
夢の中でなら手を取り合える日が来るのだろうか。
分からない……。
『射殺されるのか。』
★★
ダイランは気が向いて草原を走らせようと、バイクで出た。
林を抜けその先の真っ白の丘を走らせた。
小山を越えないとソルマンデ草原は無い。
走らせる左右に森が囲み、右側は高い山々や森があってトアルノーラの背後を飾っていた。
その先に山脈が立っている。
森や山々の裏側にソルマンデ草原があった。この場からは行けはしない。
緑に輝く草原。
夢の中で輝いていた。目を閉じる横に、あいつも座っている気配を感じた夢。
目を開くといなかった。
今は、……この丘と同じ雪に覆われているだろう草原。
行けないからこそ、想像を抱かせる事が出来た。夢のとおりに。
ダイランは左側の森へ走らせて行った。
使用人共の屋敷裏はこの深い森が続いている。この森を抜けると、街側の丘に出る。そうするともうバートスク地区の端だ。
丘に出て、サイドを見た。どの山も真っ白で、淡い水色の朝空は明星の時間も去って、この場所からは一切望めない背後のソルマンデ草原を振り返った。
向き直り、バイクをアジェンへ向け走らせて行った。
一生会えないなんて信じない。
最後に会った時の言葉、なんだったか……。
場所は何処だったか。
どんな感情で向き合ったのか……。
頬を切る風。
凍てつく雪の舞い散る結晶。
さっき白の丘を滑って行った粉雪。
その煌き。
銀色の太陽に雪煙となって巻き上がっていて、転々と、小動物の足跡があって、生命を……。
バイクのエンジン音を唸らせバートスク地区に入って行き、白と灰色に見える中を走らせた。
アジェンの迷路の様な灰黒の路地裏。レンガ壁。コンクリートやモルタル壁。
雪のこびりつく壁。
マンションに来て階段を駆け上がりドアに入って行きベッドに倒れ込んだ。
天井を見つめ、目を閉じた。
13だったあいつの不意に赤く染まる頬。
6歳で初めて出会って7年間で初めてバンダナを取った時の意外すぎた可愛い素顔。
その頃はすらっとスリムだった長い手足。
さらさらの焦げ茶の髪。
優しいキス。
その前から懐いていた。好きだった。優しくしてくれるし護ってくれるし時々こいつ悪魔なんじゃないかと死に物狂いでディアンと共に逃げ惑った時の方が多いように思えたが、憎たらしくても嫌いじゃ無かった。黒のバンダナからいつも少しだけ覗く鋭い倦怠的な目。いったい拳骨。小さな頭と長い首。気が付くと、目がよく合った。横に座ってくれると嬉しかった。
あの時代に戻りたい……。
「デイズ……」
ダイランは目を閉じ、涙が零れた。
「デイズ、デイズ……」
手の甲で目元を抑え、その内横向きに背を震わせ顔を覆う両手指から熱い涙がボロボロと零れつづけた。
全然涙が止まらずに、ずっとシーツに熱い頬を付け体を丸めて、微かに声に出し泣き続けた。
ぼうっと起き上がり、顔が真赤に歪んで涙がぼろぼろ零れて部屋中を見回した。
「俺の事捨てるなよ。なんでいきなり予測無しに俺の元を去って行ったんだよ。」
どこにもいなかった。
どこにも。
「俺の事もうどうでも良くなったのか?」
立ち上がってきょろつき手が空を掴むようにさまよい始め、朝の強い光のヴェールが歩く足元を流れていった。
「お前だって俺を見失ってそれでいいのかよ……デイズ?」
エメラルドが涙の中に彷徨いきょろついて、朝陽が作った影を掴もうとしてその場のフローリングに倒れた。
彼の背を朝陽が走り、破壊されて床に転がったコンピュータが音も無く横たわっていた。
「ううう、うう、」
拳でフローリングを叩いて歯を剥き、額をフローリングに着け涙が滴った。
太陽の暖かさが彼を独りにして来る。
その太陽を遮る鷲の陰さえ掠めない。
「!」
パイプベッドの脚向こうに影を見つけた気がして起き上がった。
「デイズか?」
膝で立ち見回した。
「帰って来たのか?」
顔を拭いて背後のバスルームをざっと見て、そうだ。バスルームだ。あいつ俺が湯の使いすぎに切れたのを呆れてた。それで、あの馬鹿人のミラー粉々にして新しいミラー取り付けさせたって言って……。大体あいつ何で鏡粉々にしてたんだ?毒慣れで毒蜘蛛食ってた事と同様、鏡煎じて飲もうとしてたのか?何慣れだよ……また腹どうせ壊すつもりかよ……
バスルームを開け、純白のタイル、バスタブ、シャワーヘッド、カラン……。
「なあ別にもう怒ってねえよ!シャンプーとか石鹸とか消耗品位でもう怒らねえよ」
デイズが取りかえさせた鏡にダイランの背が写っていては、鏡の中のダイランはずっときょろ付いていた。
サニタリーに来てきょろつき鏡が目に入ってそれに手をつき、そこに写る空間を見回して振り返り見た。
「だから一緒に暮らそう。一緒に住もう、なあデイズ?何処に……」
ピンポン
ドンドン
「!」
ダイランは走って行き、パソコンの蛇の様なコードに足を絡めてそれを剥ぎ取り顔を腕で拭き笑顔でドアに急いで走って行った。
ガチャ
「デイ」
「上がっていいか?」
G。
デイズじゃ無かった。Gだった。
一瞬で笑顔が消え去り、背を向け引き返して行った。
「何だよG。朝から」
昂ぶった震える声がそう言い、Gは正気とも思えない雰囲気のダイランの背を見て、ダイランの横顔は空間を彷徨っていた。
「何か温かいもの飲ませろよ。外寒くてよお。アジェンで飲んでたんだが朝に締め出されちまった。」
「出て行け」
Gは一度ダイランの背を見てから腕を引き振り向かせた。
「ダイラン。お前、さっきなんて言った?デイズを呼んだのか?幻覚だ。お前、正気じゃねえよ。もういない。」
「いなくなんか無い!!!」
「正気を取り戻せよ!!」
Gは床に転がりダイランは顔を押さえて肩を震わせていた。
「……格好悪いよ、お前。フィスター=ジェーンがいながら何で聞分けがねんだよ。」
ダイランが俯き悲しそうに泣くものだからその背を見上げ立ち上がり、肩を叩いた。
「忘れるほか無い。もうきっと奴は来ない。この街にもお前の前にも。エースだって今のお前見たら驚くぜ。幻なんか追いかけ」
ダイラン
ダイランがふと顔を上げ、目元が彷徨った。
ダル
「おいダイラン」
「シ、」
「は?」
……ダル
ダイランが目を閉じ、耳に手を当て、綺麗な表情だった。
「ダイラン……」
Gはダイランの横顔を哀れそうに見て、肩から手を外した。
これは困った事になった。
Gはダイランの頭がこれ以上ヤバくなる前に精神病院に入れさせるか精神科医にみせるべきだと思った。
「おいダイラン。こっちに来い。病院に行こう。」
ダイランは耳に入っていなく、そのまま耳に手を当てたまま腕を引っ張られてダイランはデイズがいるこの場から離れて行きたがらなかった。
「何だよ止めろよなんなんだよ」
「おい俺の目を見ろよダイラン。」
「ひでえ顔だ。」
「うるせえ。いいか?ここに立って、背後を振り返れ。」
「何だよ。」
ダイランは言われた通りに肩越しにドアの中の室内を振り返った。
何も無い、がらんどうの室内には、誰もいなかった。
また向き直ってGを見た。
「……」
直に悲しそうにぽろぽろ涙を流し泣く顔を見て、Gはダイランの頭を抱きかかえ頭を撫でた。
「いない。奴はいないんだ。分かっただろう?」
ダイランはずっと肩を震わせ泣き続けた。
ダイランの耳にだけ、ずっとダイランを呼ぶデイズの声が、微かな幻聴となって聴こえつづけた。空耳……?風の音の中。
ダル……
……ダル
確実に。
「俺を呼んでる……」
「ダイラン。」
「呼んでるんだ。海馬の中でずっと俺を呼んでる。呼び続けてるんだデイズが」
「落ち着け。風の音だ。」
肩から目元を離させてダイランの手首を持った。視線が定まっていずに焦点がずっとGの目を見ては微かな声で言いながら首を振った。
「そうじゃない、聴こえるんだ。どこかにいるんだあいつ、俺を呼びつづけて……」
「お願いだ。妙な事言わないでくれ。今日は非番らしいが、このままなんなら署に行って仕事に打ち込めよ。」
「そうじゃないんだ。俺は、」
「じゃあなんなんだよ。今の状態何だよ。デイズの奴はいないってのにお前は幻聴気味で幻覚見てて」
「何言ってんだよ、幻聴って何だよ!幻覚って!!」
Gは部屋に入らせドアを閉めておろおろし始めた背を見た。
完全にダイランは怒っている。幻覚とか幻聴とか妙な事を言って来る自分に。
「分かったダイラン。いるんだな?デイズが。じゃあ、何処にいるのか言ってみろよ!!」
ダイランは振り返り、その顔が少年の様な笑顔だったからGは背筋が一瞬凍った。ずっとこいつを見て来たが、こんなに嬉しそうな笑顔に背筋が凍った事など無かった。
Gはドア横の電話を手に取り、ジョス=マルセスの営むオリジンタイムスの番号を押した。
「オリジンタイムス。」
「マスター。俺だ。G。」
「ようG。どうした朝っぱらから。」
「ダイランの部屋に今いるんだが、来てもらいたい。」
「何だ。何かあったのか……?」
「様子がおかしい。」
ダイランは背後のベッドに座っていて、何かを言いつづけていた。
Gは息を飲み向き直った。
「とにかく早く。」
「……。分かった。」
「場所はわかるか?」
「昔ダイランが寄越した地図を見ながらなら。悪いなG。」
「いいや。」
Gは向き直りダイランの横に座り、髪を撫でた。
うきうきするダイランは空間に話し掛けていて、エジプト語だった。
「ラクダラクダ!餌やるんだ。」
駄目だ。完全にイッちまってる。
「こいつ何食べるんだ?藁でも持ってこいよ」
「なあダイラン。」
「おいデイズ。お前もやれって。」
Gを見て来てそう言い、Gはぽかんと口を開けて腕をばしばし叩かれるのをダイランが片腕を掲げている姿を見た。
「藁嫌いだってよ。じゃあ何がいいんだよ。」
Gはもう勘弁してくれよとベッドに倒れ込み、こののっぺり顔まで見えずに自分を完全にデイズと間違えている頭のエジプトにぶっ飛んだダイランの背を見つづけた。
「可愛いなラクダ。」
そうにこにこ笑って振り返り、Gの横に寝ころがって頭の後ろに腕を回した。目を閉じ、吹く風を受けるように目を閉じた。
こいつ、本気で愛していたんだな。デイズの事。
Gは天井を見て、哀れを通り越して逆に今幸せのど真ん中のダイランは目を開くと横にデイズがいたから嬉しそうに笑ってまた目を閉じた。
また開いていたからにこにこし、そんなダイランを見てGはもう何も言う気がなくなった。
天井を一緒に見てきっとこいつの目には宇宙が渦巻いているんだろう。
しばらくしてチャイムが鳴り、Gはドアを開けに行くとマスターを見上げた。
「どうだダイランは。」
指を差し、ダイランは普通にベッドに仰向けに転がって楽しそうに口笛を吹いていた。
ジョスは入って行ってはダイランの性格にしては何も無く色味も無い室内を見回しながらダイランの所まで来た。
「よう。おはようダイラン。」
「じじい。」
ジョスの事はジョスに見えるらしく、ダイランは起き上がると立ち上がって冷蔵庫を開けコップにフィスターが好きなグレープフルーツジュースを開けてジョスに出した。
顔を上げ、その横にGがいた。
「おうGじゃねえか。飲むか?グレープフルーツジュース。」
ジョスは瞬きし背後のGを見て、Gは首を横に振って、構わず出されたジュースを受け取った。
「どうしたんだよじじい。珍しいな。」
「ああ。たまにはな。」
ダイランは嬉しそうに頷き、ジョスはテーブルに肘を着き、何やら様子がいつもと違うダイランの目を覗き見た。
麻薬はやっていないだろうし、普通の時の顔だがどうも心もとない。
「久し振りにバーに帰って来いダイラン。お前も独りで暮らしてて寂しいだろう。」
「寂しくねえよ。だってデ」
Gは一気に飲んだジュースをダイランに突きつけ、おかわりを頼んで言葉を遮断させた。
ダイランはGにジュースを注いでから冷蔵庫に仕舞った。
「俺も一人で寂しいんだ。」
「そうだよな。1週間位泊まっていいか?」
「もちろんじゃねえか。お前が育った場所だ。」
ダイランの肩を叩き微笑んだ。
「デイズの奴の幻覚を?」
「そうなんだ。あの部屋にいるって聞かない。」
「困ったなあ。あいつそんな幻覚なんかを……。」
ダイランはバーカウンターの中で客と会話をしながら酒を出していて、至って普段のダイランだった。
「おいじじいハーブウインナー追加な。」
「おう。待ってな。」
ジョスはフライパンに向き直った。
「このままあいつに警官を止めさせて、この店を手伝わせたいもんだ。」
そう言い、Gは相槌を打って貯蔵庫から骨付きウインナーを出した。
「フィスターちゃんという恋人も出来たしな。」
ダイランは普通に会話をしていて、ウィスキーやビールを注いでいた。
「あいつ、デイズに懐いてただろう。」
Gがそう言い、ジョスは頷きながらウインナーを引っ繰り返した。
「懐いてたっていうよりも、どうも逃げ回っていた記憶しかねえがなあ。悪夢でも見てんのか。追い掛け回される。」
「きっと逆だ。デイズがいなくなって寂しがってる。」
ダイランの方を見てからGを見た。
「仲が悪いようにしか見えなかったな。俺はそんなにあいつの事を理解できて無かったのか。」
「ディアンの奴よりもデイズの方が仲が良かった。ちょっと、1週間様子見た方が良い。酷くなるようなら医者に見せたほうがいいかもしれない。」
「長年の恨みの人間が消えて緊張が解けたのか?」
「あいつら付き合ってたんだ。」
「ええ?」
ジョスは瞬きして皿に開けたウインナーがバチバチ音を発した。
「ウインナーだ。待たせたな。」
「おう。」
ダイランはジョスから受け取り、ジョスは帰って来て首を傾げながら次の注文書を見た。
「あいつ、大丈夫か。それで。」
「まだ分からない。」
何も気付いて上げられなかったんだなと、ジョスは皿を出してはナッツをあけ、ライスを炒め始めた。
「あいつ、一切、独り言なんか言う奴じゃなかった無かったがずっと言ってるんだ。」
店を閉め、ダイランはバーの一番後のベンチで眠り、毛布に包まって静かに寝ていた。ジョスは頷いてからドアを静かに締め、2階へ上がって行った。
深夜2時。
ダイランは声に目を覚まし、バーの見慣れた半自分の寝室の店内を見回してから寒さに息を吐き毛布を引き寄せた。
「デイズ?」
闇の中に呼び掛け、ストーブをつけて緋色の光が空間を暖め始めた。
影が揺れ、デイズがいるように見えてそちらを見た。
毛布が落ちて揺れる影と緋色の中を歩いていき、見えなくてダイランは目を細め見て、腕をかざしてから呼びかけた。
「そんな所にいずにこっちにこいよ。」
そう歩いていき、カウンターまで来ると自分の影で消えてしまい、彼は振り返りストーブの炎が揺れる空間を見た。
濃密な闇と、そして踊る火の色。
まだ、まだ明りが足りないんだ。
ダイランはカウンターの上のマッチを手に取りすって、何か火種になるものを探したが無かった。
きょろついた目が見つけたのが、毛布だった。
「そうだ。これに火をつけよう。待ってろよデイズ。今あっためてやる……」
ダイランは微笑んで毛布を手に取り、既に消えたマッチを見おろし首を傾げ、またカウンターに戻って火を持ってバーの一番背後のところへ行き、また消えてしまっていたからまた戻り、ダイランはうまくすれずに苛付いた。
「なんだよ!もう!!」
火傷して黒くなったマッチ棒を離した。
「熱いな!!」
ようやく灯し、微笑んでその小さな炎がエメラルドに揺れ光り、ストーブの火が彼を温かく照らした。
「今……」
ダイランは顔を上げ、空間を見上げた。
毛布の方へ歩き座り、マッチを毛布へ近づけたときだった。
「ダイラン!」
怒鳴り声に気付き起きて降りて来たジョスが驚き駆けつけた。
「おいお前、何をやって?」
毛布が火を起し、ジョスはその一瞬で大きくなった炎を水色の目で見てダイランのエメラルドをバッと見て彼は無邪気に微笑んで炎を見た。
咄嗟に厨房へ走り見回して袋に蛇口の水を捻ったが凍っていた。裏口からバケツの氷を持って走って、ダイランが嬉しそうにはしゃいでいたからその腕を炎の中で引っ張り燃える毛布にバケツ型の氷をあけてばたばたと両手で消した。引っ繰り返す前にストーブも消し、炎の香りも消えダイランが焦げ臭い中を気付かずに独り言を言っていた。
「ほらこうやって飛び込むんだライオンみたいに。大丈夫だって気孔みたいなもんやってんだからな。みてろよデイズ、いいか」
「ダイラン」
幻覚の炎の中へ飛び込んでいこうとするダイランの腕を引き目を見た。
「ダイラン。」
「平気だって。割と熱くなんかねえんだからさ。」
「ダイラン。」
頭を抱え肩で抑える口がそれでも言いつづけていた。
「……一緒に飛び込もう、一緒に」
罰が当たったんだ、きっと罰が……。
ジョスは髪を撫でつづけダイランが「一緒に」そう言いながら徐々に静かになって行ったのを頭を撫でつづけた。
ダイランはそのまま目を開き闇に落ちた天井を見て、白髪だけになってきたジョスの髪を見た。
天井が涙に埋もれるエメラルドと表情の止んだ視界が歪んで零れ鮮明になった。肩に乗せていた顎がまるで3歳児の子供の様に乗っていて、目を眠くて閉じた。
「じじい、俺眠い……」
そう6歳のときのように言い、目をこすりながらベッド代わりのいつものスペースに背を丸め横になり、目を閉じた。
ジョスはしばらくその場に立ってすやすや眠るダイランを見ていて、焦げた毛布を持って裏口へ行き、2階から他の毛布を持って掛けてからストーブをつけ、木の椅子に座りずっと見ていた。髪を撫で、温かくなって来て肩まで毛布を引き上げさせた。
『一緒になりましょう共に恣意遂げるまで、一生を添い遂げるまで』
炎へ突っ込んで行った男女。
濃密なブルーミングブルービューティーの芳香。
揺れる闇と炎。
業火。
愛情を狂わせる香り。
水色の瞳に静かに炎が揺れ目を閉じ、叫び声がこだました。
愚かな行為は取り返しがつかない。
目元を抑え、うな垂れた。
俺は、悪魔だったんだな、苦しめ続け。
こうやって息子が彼等と同じ様に愛に永久の幻影に苦しみ炎に魅せられ……。
ダイランは目を覚まし、おぼろげに見回した。
緋色が光る中をジョスが広い背を折って顔をおおい俯き眠っていた。違う。泣いている……。
「じじい?」
起き上がり、ジョスが顔を上げると涙は流していなかったからダイランは安心した。
「焦げ臭いな。」
ジョスは頷き、膝に手を当ててから立ち上がり頭を撫でた。
「気分はどうだ?」
「何とも無い。」
「ああ。そうか。」
ダイランは頷きながらまた木椅子に座ったジョスを見てからストーブに手をかざした。
「俺、いつかは戻るのか?リカーが俺にレガントの名前用意してる。何でなんだよ。わけわからねえよ。俺を地べたに捨てたくせに……。」
「……。」
違うんだ。初めは次期当主にする為にリカーが人工的に産み落とさせた子供だったんだ。前地主の2世として、レガントを再び世界に君臨させる為に。
それを反対したのは自分だ。それがいけなかったと言うのか。そのまま古城で生きさせ、もしかしたら今の23の年では既に地主としての名を引き継いで世界にはばたいていたのかもしれない。苦しみなど一切知らずに。立派に。
それでも自分の2世になどして、何某かに命を狙われる事になどなれば、そんな事で存在を失いたくは無かった。
ハイセントルで生きてダイランは幸せと共に苦しみまで感じ、ここで俺と共に生きさせて、本当に良かったのか……。
「もしも俺が将来何かの間違いで地主になったら、俺の事、応援してくれるか?ずっと俺のこと見守りつづけてくれたよな。俺、馬鹿だったし愚かだったけど何かを任されたら、絶対にやり遂げる。リカーさえも恐れてた前地主がどんなに悪魔みてえな男だったか知らないし恐れられていたとしても、俺が俺らしくいるためには、もしかしたらいつかは持って生まれた身で地主になるべきかもしれない。それまでにいろいろじじいの心配もよそに馬鹿やって来たから何か咎め受けるかもしれないが、それまでは止まらずにいたい。これから、出来るだけ奉仕していかなきゃな……。全て」
ダイランは炎に温まりながら膝を引き寄せ、眠気に横になり目を閉じ、横になった。
「おやすみじじい」
そのまま毛布に包まり眠った。
ジョスは顔が上げられずに頷き続け、ずっと目を閉じていた。
ダイランはその日からデイズの幻影を見ることは無くなり、それでも夜、夢の草原で風の中をデイズの呼んで来る声を聞きつづけた。
明るい太陽が差し込む草原。
気配だけはする。
気配と、声……。
夢の中でだけ。
★
ピアノの旋律
存在を感じる
ダル
俺は愚かだったよな
失って、自分がそういう方向へ向わせたんだな
闇靄
闇
幸せにだけ出来れば良かった
笑わせつづければ良かった
奪って来た分、本当はそんな事せずになぜいられなかったんだ
太陽みたいな笑顔
闇の中じゃあ目に出来無い光
お前という太陽に、燃え尽きたい
闇から抜けたら
お前という太陽になら、燃やされたって構わない……
闇がピアノの旋律だけ、
ダル
ダル
……ダイラン
悪かった……全てを奪ってしまって
闇の中
お前を引き寄せる事などもう許されないんだな
★
血飛沫の夢がセーラをうなされさせた。
暗殺者。
鋭く光った殺意の瞳。
振りかざされた刃の短い日本刀。
斜めに酷く断ち切られた広い背。その肉。
モスクワの夜。
熱い血がブシュッと頬に降りかかった。
目の前で崩れ倒れた長身。
自分の叫びが鼓膜の中で声に聞こえなかった。
彼に死が即刻結びつき、狂いそうになった。
彼を暗殺しに来た殺し屋の鋭い銀狼の瞳が、闇の中に浮き微笑んだ。
彼をさらっていってしまう。
返して……返して、
そう夢の中で叫び、デイズが血まみれに倒れる横で闇の中に崩れ座り叫びつづけた。
MMだった。
黒の服を纏ったMM。
彼女の愛するデイズを殺しに来た彼、悪魔に見えた。
セーラは夢の中でデイズの血まみれの背に泣きつき、死なないでと叫び続けた。いくら、両手で抑えても……。
「あなた!」
セーラは顔を上げ、冷たい頬に涙が流れていた。
病院の個室のベッドの上だった。
セーラは顔を押さえ泣き続けた。
デイズはあの時、微かに『ダイラン』と言った。そして目が閉ざされた。真赤な血が飛び散った室内で。
彼にしらせるべきだと、セーラは思ったが、それは出来無い事だった……。
★
ダイランが珍しく、デスクで居眠りなどをしていた。
その整った顔にソーヨーラは頬杖をつきまじまじと見入っていて、ダイランはデスクの椅子から斜めに落ちそうな勢いで顔を斜めに反らし口を開け眠っている。
「あれ。ガルドの奴何で居眠りなんかして。けしからんな。」
コーサーがそう言い歩き進んできたが、ロジャーが背後から止めた。
「最近きっと寝不足なのよ。昼夜連続でデスタント事を調べまわって激しく駆け回っているから。」
コーサーは目を伏せ気味に溜息をつき、彼女から出されたコーヒーを受け取った。
ダイランは夢を見ていて、草原で風を受け寝そべっていた。
夢の中でも昼寝をしていた。夢の中での季節はいつでものどかな春や輝く初夏だ。
太陽を浴び、温まり、猫のように白い花をてんてんとやっていて、時々、デイズの声が聞こえる。
目を開くと、いないことは分かっていた。
寂しかった。
ダイランはデスクの上に片足を放るままに、そのままキャスター付きの椅子が動き出してソーヨーラがあっと言った途端にドシンと床に落ちたのだった。
「ガルド君!」
ソーヨーラとロジャーが驚き顔を覗かせると、まだ可愛らしい顔をして胴に片手を乗せ眠り続けていた。
「こりゃ、将来大物になるわよきっと。」
ソーヨーラが苦笑しながらそう言い、眠る王者ライオンを見てからくすくす笑った。
コーサーが呆れ返って自分のデスクに付き、ダイランはロジャーがセクシーな声で起して来たから目を覚まして見回した。
起き上がって渡された水のグラスを受け取り、飲んでから自分が床に転がっていたのでまた椅子に座った。
「珍しいわね。夢でも見ていたのかしら?」
職場で居眠りなんて4年間で初だった。ダイランは首を鳴らしてから頷き、髪をさすった。
覚めたくない夢を見ていた。
この所、あの夢を毎晩、ずっと見つづけている。その夢だけだ。他の夢は記憶に無かった。
草原はどこまでも明るく、輝いている。
13の頃デイズとのデートでよくソルマンデ草原に行って、共に寝ころがって青空を眺めたり、昼寝したりしていた時期があった。
あの時、幸せだった。
近くにいてくれるだけで充たされた。
幸せだったのだ。
2人でロタホールに行った事もあった。ロタ島の南国だ。
それに、15の時エジプトのカイロや砂漠にも一緒に行った。
そういう時間が、ずっと続く事は無かった。
夢の中でなら、会える気がして、ずっと草原上で待ちつづけた……。
彼が帰って来る事。
また共に草原に寝そべる事。
共に温まる事。
『おい。お前蝶にたかられてるぞ。』とかまた少年デイズに言われていたかった。
蝶を食べるダイランをよく叱って来た。
四葉を食べ始めたダイランをもう茫然と見て来た。
ダイランが猫化して頭がぶっ飛んでいる時も、ナーナー言うダイランを抱きしめて転がっていてくれた。
ずっと一緒にいたかった。
だが、夢の中に彼は現れてなどくれない。青年ダイランはずっと、草原に寝ころがって温まり陽を浴びつづけた。風に彼の声を聴きながら。
ダル。
ダイラン。
聴きながら。
目覚めたダイランは落ち込んでいたが、表面はいつもの風だったから考えている事は知られてはいなかった。
デイズが何処に消えたのか、奴が行くとしたら、可能性があるのは親族会が開かれる事のあるルクソール?だがあれは親族会以外では休養に行く様な感じの場所だ。他には、一族の本家があるイギリス?考えずらいし、事実全くそんな陰は無い。
デイズはどこででも出歩きたがる性分だ。何かの運転は大して種類が無い。デイズは車やリムジンの運転は出来無いし、運転の仕方も全く知らない。バイクの運転も半年前初めて1,2回だけ乗り、即刻コツはつかめて乗れるようになった話だが、それ以外で乗った事はそれ以後にも無いだろう。だが、自家用ジェット機の操縦は出来た。それに、大型船やクルーザーの運転も出来る。
フィスターも車の運転が出来なかった。唯一、自転車には乗れる。らしい。
やはり、彼等の様に自分で運転する必要が無いオーナー側の人種をダイランは考えられなかった。ダイランはセスナ、車、バイク、クルーザーの操縦が出来る。3種類のジェット機の操縦はケリーナに教えてもらった。
ヘリコプターは練習中だった。だが今は忙しくて練習がままならない状態だった。
ダイランは性質上、自分で自分の乗る物を確認点検してからでなければ乗らない。爆弾とか仕掛けられていたらたまったものでは無いし、整備不良など見つかるかもしれないからだ。だから、機器修理知識も広かった。
デイズが潜伏しそうな場所。
どこなんだ。
どこに行ったんだ……。
世界中のどこででもあいつの姿が確認されていないなんて……。