プロローグ ※本文とはあまり関わりはありません
≪人物≫
ダイラン・ガブリエル=ガルド ;二十三。スラム出の刑事。地主レガント一族の血が入っている。
アラディス・レオールノ=ラヴァンゾ ;三十七。元イタリア人貴族ルジク一族の息子だったが親族から絶縁。警察署署長
ダイマ=ルジク ;八十七。ラヴァンゾ署長の祖父。街の前地主とは親交があった貴族の一人。イタリア人貴族
オーレッゼ・フォルシー=ギガ ;五十二。ダイランの元上司。殺人課部長の警部。妻マラア・ルージャは精神を来たしてるっぽい
デイズ・グラン=デスタント ;二十四。ダイランの幼馴染でイギリス人貴族デスタント一族の息子だが、ギャングボス
ハノス=カトマイヤー ;五十四。ダイランの上司でFBIから派遣されている部長。
レガント専属使用人とメイドとの間の子供
フィスター・クリスティーナ=ジェーン;二十一。ダイランの後輩刑事。ジェーン一族令嬢。ダイランと付き合っている
ユリ・ミナツキ ;二十三。マンションの元隣人の日系アメリカ女で宣教師の娘。
半年前にマンションを去っている日本ハーフ美人(水月百合)
レガントの前地主 ;三十二没。巨大な権力を有していた大富豪だった一流貴族。
四十七年前に暗殺されている恐れられた存在
ライバン=カーチス ;八十四。元門跡の上に住んでいる屋敷主人
覆面刑事 ;年齢不詳。刑事課刑事。直属の上司はサリー刑事部長。言い回しが妙
≪場所≫
元門跡 二百年前まで街中にあったという監視門。どうやら監視目的だけでなく、位置的に街に伝来する宗教事に深く関わっていたらしいが、現在は跡形も無い。
貴族;既に各国で貴族制度が廃止されている。
ここでの貴族というのは、本当に今も貴族制度のある国では貴族であり、その他は由緒正しい格式高い貴族の末裔達の事。
王家や王侯貴族・王名;フィクション
リーデルライゾン周辺;架空の街
灰色と、ローズピンクのくもの群れ。
そこから、白く光る月……。
アメリカ
極北部リーデルライゾン
アヴァンゾン・ラーティカ
建物が樹木に囲まれ色彩も豪華絢爛なアヴァンゾンを通って行く時だ。
馬の雄美なロゴをもつ純白の百貨店、ホーステイルからみなれたナンバー。漆黒のフェラーリはあのエリッサ警察署署長だ。見つけた為に横に並んだ。
「よう」
署長、アラディス・レオールノ=ラヴァンゾは横目でダイランを見上げてから、「ああ」といつもの冷たさで素っ気無く言い目を戻した。
「腹減ってんだけど、ヴィクトレーラで奢ってくれ。署長クラスは羽振りがいいんだろう」
前のめってハンドルに肘を着きパッケージを見下ろしながら、待つ信号を上目でちらりと見て言って煙草を振った。夕焼けの赤に染まり、ソフトパケージの駱駝が揺れるようだった。
「さあな」
「駄目か?」
そう見下ろしてきて、黒に夕景が壮大に写っているのを目を細めたダイランは信号が赤に溶けこんだのを背をそろりと伸ばしハンドルに手をかけた。
「………」
わざわざ引き止めてまでたかりに来た元なのかも怪しいちんぴらダイランにうんざりし、アラディスは仕方なく頷いた。
首をしゃくって通りのUターン可能な場所で方向転換し、バイクのダイランもそうした。
高級料理店のヴィクトレーラに到着すると、ネクタイさえつけていない私服のダイランをスタッフは見上げた。
黒の革パン、黒のブーツ、黒牛革ベスト、シルバーの重厚なチェーンとうねるナイフ装飾のペンダント。両手首の牛革の指だしグローブとブレスレット。
足を交差させ壁に背を付け腕を組み、あちら側を見ているロードライダーはやはりあの棘を抜いて更正した元悪漢ガルドに間違い無かった。太陽の様に深いブロンドはさらさらでワードウルフになっていて適当に真中分けにされワックスで下がっていて、健康的な体躯はやはり迫力があり、口答えをしてあの腕で殴られれば運動嫌いの自分がくたばってしまう事をよく分かっていたが、駄目だ。
「ミスター。最低限のドレスコードを護ってはいただけ無いでしょうか」
一方、奥方といつも来店される常連のアラディスは総支配人の友人で、完璧に隙も無く、そのアラディスはダイランの額を手の甲でゴツッと叩いて、彼はブーブーブー垂れて札を渡され出て行った。
「先にご案内を致します。」
「ああ。連れが悪いな。本日は支配人は呼ばなくて良い。アレが失礼をする」
「おい! 俺は四百グラムステーキだからな!」
そうがなり歩いていき、そんな粗野なものはこの店には無い。バイクの音が続いた。アラディスは天を仰ぎうんっざりして進んで行った。
仕方なくホーステイルに付き、肉の為だ♪ と歩いて行った。
強盗にでも来たのかとダイランを見た店員や富豪達は白くなって彼を見上げ、ダイランは構わずに店に入って行った。
「あれ。ガルドさん。当店みたいな所に来るなんて珍しいな」
そう二十四歳の店員が、ダイランがカウンターに両肘をかけ口笛を吹き店内を見回す横に来て言った。
「その上セクシーな格好で警部殿」
1年前に無理やり消された全身の入墨や、断ち切られた独特な背に揺れる長い長い複雑コーンロウ編みこみ全て普通にされ、麻薬で荒んだ全てを生まれたままにされた今のピュアダイランだが、その彼が以前の様な格好で出歩いたり、革パンの上半身裸で普通に出歩いていると、彼の発する直の甘さやセクシーさが視線を奪った。
「マンモスのイベントに行って来た。服くれ」
「大丈夫なのか?」
ダイランはあちらに突き出すケツポケットのゼブラ革の財布をバシバシ叩いた。
「ああ。優勝したからな」
ごろつき時代や警官時代も連勝してはチームの奴等もはしゃぎ声を上げていた。実は賞金があって全く夕食などの金に困っては居なかったたかり屋ダイランは、知られれば署内から署長にけりだされそうだった。
「これはまた、不良警官が他の稼ぎ所を得ているなんて、上司に知られればいよいよ首かな?」
「さあね。糞喰らえだ」
そう首をかっきるように「ガビャッ」とゆがめ、背後の貴婦人と旦那様はそんな言葉に驚き口を噤み、ダイランは肩越しに無表情のままわざと充分色っぽく上目と厚い唇でウインクしてやってから向き直った。元ハードストリッパーがあたり構わず色気とフェロモンを流出させるのを止める。
「当店では言葉を慎んで。さっさとフィッティングルームに蹴りいれるよ。着替えてくれ」
「ああ、ああ。OK,OK」
しつけの鬼の調教と天使からのお叱りで暴力を奮わなくなったピュアダイランはそう言い適当に取って入って行った。
出て来ると別人なのかとおもった。誰なのか全く分からなかった。
さすが血はあがらえない。美しき貴公子だ。
サイドの髪を耳上で綺麗に流し前髪が輪郭を下がり、チェアに座ってジャケットの中のサスペンダーと仕立ての最高のスラックス、純白シャツの間に拳銃を差した。革靴が艶掛かり、そういった動作までも優雅に見える。横顔には静けささえ横切った。この変わりようも姿も素晴らしかった。アラディスの金をカウンターに出し、「現金だ」と言ったら店員は驚き危うく口笛を吹きそうになった。
「馬子にも衣装だな」
ヴィクトレーラに到着するとスタッフはぶったまげて見上げ、瞬きも止まらずに静かに促した。
モノトーンの個室でワインを置いたアラディスは入って来た貴族の若い男を見て、しばらく誰なのか分からなかった。
ダイランは横のスタッフに一言言ってからアラディスを見た。顔を向けてからモノトーンエレガンスな個室を見回し、引かれた椅子に座った。
「待たせたな」
「ああ早かったな」
あのダイランだと分かり、一目見ただけでダイランが着ているその高級紳士服の価値が分かって内心うんざりして酒のメニュー表を一応持たせた。
ダイランは適当に酒を注文すると、コース料理が運ばれ始めた。
四年前とは打って変わった優雅で完璧なマナーの美しい食べ方は、やはり幼少期から教育を受けて来た全てが染み付いていた。
「育ちが知れないものだな」
「そう肩を、すくめるでないよ」
ダイランはロブスタームースとパンを食べては上目でアラディスを見て、顔を上げた。
「あんたって、こうやって見ると可愛い顔してるんだな」
「………」
アラディスはダイランの顔を見た。
「アウチッ!」
思い切り脛を蹴られてダイランは膝を打って足を押さえ俯いた。
「っだよ糞っ垂れが!」
完全に気を抜いていたダイランは足を引き寄せスラックスを上げ、蹴られた脛をさすった。アラディスは何も無かった様にフォークを口に運んでいた。ダイランはいじけてアラディスの皿からアーティチョークの何かを徴収して行った。アラディスは好きにさせておいて、いじけて痛がるダイランの顔を見た。
ダイランは視線に気付いて、アーティチョークを皿に戻したからアラディスは目をふせ気味に皿をダイランの所に持って行った。
「育ちが知れるな」
「ああありがとうよ」
そう舌をべろっと出し、グラスをあおった。
ダイランは足を伸ばし、また扉が開き肉が運ばれてきたからそれを見ては横目でアラディスを見て、自分の前にトリュフの乗った肉、アラディスの前に魚介類のパスタが置かれた。扉が閉じられ、横目でアラディスを見てから顔を向けた。
「なあ。イタリアって、どこに住んでたんだ?」
「ミラノだ。」
「北部か。」
咄嗟に足を下げたが、やり返されて蹴りつけられる事は無かった。
「屋敷が南部のつくりだから、ナポリだとかだと思った。」
戻した瞬間、アラディスは叫んでナイフをテーブルにつきたてダイランを睨んだ。
その顔にダイランは口元を引きつらせ顔を反らし口笛を吹いては肉を両断して片方を口に放った。
アラディスはダイランの肉を切り分ける広い瞼を見ては、洗礼された瞼や顔つきに視線を外しパスタを巻いた。
彼の友人であるカレイラ一族の経営するヴィクトレーラのために、イタリアのあらゆる一流食材が揃っていた。
「まあ、北部出か。そうだよなつーか顔白過ぎいであっ!」
股を思い切り蹴られ、ダイランはそのまま後に倒れてデザートを運んで来た人間が椅子毎ぶったおれているダイランを見て目許をビキビキ引きつらせた。
「行儀悪い。これだからマナーの無いアメリカンは恥かしいな」
「の、やろ、ファッキンディアブロが」
アラディスはコーヒーを飲むと、食後の煙草に火を着けそ知らぬ顔だ。
「なあルジク」
ダイランは椅子を戻しながら目元を引きつらせたアラディスを見ては、アラディスは言った。
「なんだ?ガブリエル」
ダイランも獣の様な顔で険しく歯を剥いてから足が届かない距離で座り背もたれに片腕を乗せ、テーブルに肘を乗せた。
「あんたは本気で信じてるのか?俺の怪しい身分」
「さあ。胡散臭いな。お前自身はどうなんだ」
「信じてねえよ」
「………」
アラディスは彼の顔を見て、品性ゼロで上等なダイランの、見かけだけは優れた血を貰い受けては、隠し切れない気品ある仕草を時にする横顔を見た。
「流れる血統ではなく、何が自己に取って重要なのか、本人自身が分かっていれば良い範囲でも無いんだろう。お前達血族の関係は」
「心だ何だとかが邪魔するのさ。俺は俺自身を貫きたかっただけだ。ガルドとして、わけわからない物なんか信じたくない。それで崩された事が多いし迷惑な身分なんか、役所に消してくれと頼みたい位だ」
「お前は将来、街の権利者になるのか?」
ダイランは首を横に振り、コーヒーカップを見おろした。
「さあ。こんな俺に地主になってもらいてえ人間なんかいねえよ」
夕食後は、ラウンジ・リビング館に寄った。五階建ての優雅な建物の中は全てが其々趣の違うリビングルームのくつろぎの場になっている。ちょっとした休憩や、コーヒーブレイク、話し合い、自分達の演奏会、ホームパーティーなどの気分替え、デート。読書。楽器の練習。様々に使えた。会員である署長と共に豪華な館内を歩いて行く。
食後のブランデーを飲みながら、どこを見回しても調度品は、どうか、どうか盗んでくれといわんばかりに栄華を誇っている。別に盗まないのだが。なんだか女王とでも言うような西洋の中世時代にお目見えする白いカツラの絵画もあって、富の浮かんだあたたかな目で遠くを見据えていた。
ダイランは窓際のセトルに足を放っては、さっきレコード屋で買ったレコードを勝手に掛け、おぼろげに聴いていた。品のいい紳士服を着るダイランが洗礼された場でくつろいでいると、どうしても黄金シャンデリアの静かに瞬く元では、優雅な貴公子にしか見えなかった。一年前まではスラム出の強面で粗野なごろつきだったなどとは到底思えない。以前までは抑えることさえしない剣呑とした目が、狂気として殺気をはらんでいた。いまはその横顔は彫刻の様な造形で、短いがクルンとなったブロンドの睫がどこかしら可愛い。
「お前はデスタントファミリーが消えてからは、署内で鬼が落ちたように大人しいな」
「何で署長室にだけいるあんたが分かるんだ」
横目でダイランを見て、ダイランは顔を向け上目で睨んで来た。
「ニヶ月前の催眠の時に分かったからだ。絶対に精神的に捕らえる事など出来ないとな」
「知った風な口叩くなよ」
「俺はお前にデスタントを絶対的に捕らえる条件を与えた上で警官でいる事を許したんだ。部署を左遷される前だったら確実に首にしていた。どこまでもカトマイヤーはお前を保護するからな」
「元からあんたはあんなに非協力的だったくせに今更」
ダイランはそう言って顔を窓外に向けた。アヴァンゾンの色とりどりの夜景は、宝石そのものであり、彼の瞳に写っていた。
アラディスはそのブロンドを見て、溜息を付き棚の上の煙草に火を着けた。
「失敗したのさ。俺達もカトマイヤーもこの街ではな」
ダイランはアラディスの顔を睨み見上げた。
「今更……。首にされちまえあんたもハノスの野郎も。嫌な奴等だ」
アラディスは立ち上がってダイランを睨み見おろし、ダイランは口をつぐんで顔を背けた。殴られると思ったからだ。実際あの無謀な方法を取りつづけて病まなかったダイランを必死でカバーし続けたアラディスもカトマイヤーも今共に聞いたら殴りかけたが、彼自身が警察官や署に信頼を置かない以上、出来る事と出来無い事があったのだ。やってやれる事にも様子をみなければならなかった。
「お前の悪い所はそういう所だ。自分に顧みろ」
「……。悪かった……」
「………」
口を噤みまた見おろし、また前を見て灰皿に煙草を消した。
「勝手だな。」
「どうなるんだ。あいつは」
「他の州に回れば、場合に寄れば瞬時に一網打尽にされ射殺だ。言い訳にもなるが、この街はやりづらかったからな。奴等の遊びなれた庭であって、完全に地主の事も買収していた。弱味も掴むだけ掴んでいた。地主も好きにやらせなかった。デイズ=デスタントは地主自身が愛し合った男の孫だから、完全には手を上げられない部分があった筈だ。あの青年は笑うと祖父のブラディス氏に似ている」
ダイランは無言で頷き、俯き顔を上げた。
「射殺されるのか」
「……。確率が高い」
ダイランはまた顔を戻した。
「……お前、後悔でも?」
ダイランは答えずにあちらの壁を見つめ、アラディスは肩を引いてこちらに向かせた。ダイランは見上げ、その目に言った。
「冗談だよな? まさか、お前はファミリーボスと親交を持ち続けた上で警官になっていたのか?」
「その時には仲は断裂してた」
「は?」
アラディスは瞬きし、その言葉に、精神的に捕らえることが出来無いだろう理由が分かって、こいつが完全にはまりきっていた泥沼が分かった。
深く溜息を付き手を離し身体をそむけ、直属の部下に置いていたカトマイヤーが苛立つ気も分かる。
「お前は一歩間違えればドMだな」
だが今更それもともに結果が出せなかったのだから頭を抱えたかった。
ダイランは遠くを見た。
「どうすれば良かったんだ。心底愛しちまった人間が最低な仇相手なんて、惚れちまったのが運の尽きだったのか」
美しいアヴァンゾンは、回転木馬の様であり、夜空にまで移るかのようだった。
「………」
横顔を見て、普段は絶対に腕時計やブレスレットなどの填められていたダイランの右手首を取り彼は手首内側を見られるのを嫌がった。
「もう手首を切るな」
「離せ」
「お前がどうしても矛盾を抱えて判断を下せなかったしがらみの原因は目の前からもう消えた。お前はデスタントが検挙されるか射殺される所をもう何も思わずに見ているだけだ。それしか無い」
ダイランの目がアラディスの目を震え見上げ続けた。
「そうだろう」
その切り抜かれた様な大きな目から今にも涙が潤みそうだった。
「愛する男をお前自身に死刑にさせる事がお前には出来なかったなら、手を拱いて見ている他無い。それか、終身刑で終る。そういう人生を選んだのはデスタントだ。うまく切り抜けられる以外にその道だけだ。他勢力に暗殺されるか、生き残るか、死刑か、終身刑。ファミリーボスが娑婆で息を吸って生き残れる確率は高くない。いずれ、死が待っている」
ダイランは視線を落とし俯き、顔を両手で抑え目を硬く閉じた。
デイズが死ぬ。デイズが……。いずれ。
肩が震え背を向け手に顔を押し付け、拳を強く握った。
「ガルド」
アラディスはブロンドを見つめていたが、離れ歩いて行った。慰めたくもあったが危うく同情しそうになったからでもあるし泣く姿など見られたくも無いだろうし、同情されたくも無いだろう。
だが、その背を見てから、ソファーからまたそちらへ行き、横に来てそっと肩を持ち呼びかけた。
「オイ」
真赤に泣く項が熱く、ダイランが顔を上げる事も無くしがみついて来て、その頭をずっと撫でてやり続けた。
アラディスは先にフェラーリを走らせ、ダイランはボックスにショッピングバッグを突っ込みバイクを走らせて行った。
リーデルライゾン
エリッサ地区本通
エリッサ警察本署
署内駐車場に流れ込んではエントランスから階段を駆け上がって行きデスクについた瞬間に肩をぼんと叩かれ「どああっ」と言った。
「のやろてめえ! 驚かせやがって糞コーサーが!」
その日ものっけからダイランの怒鳴り声が署内に響き渡った。
警部補コーサー=レガントは呼んだだけで何もしてはいないというのに頭をさすった。
「何驚いてるんだ。最近、お前がグランドホテルでうろついていたという迷惑な話を聴いて、ばあさんが苦い顔をしていたぞ。何をやっていたんだ?」
「別に」
ダイランは資料室へ降りていき、今日もデスタントの資料を全て洗いなおして他州へコピーを渡す内容を確認しなければならなかった。
『何処に消えようが絶対に俺はお前を追いつづける』
ダイランはDの棚の前に来て、俯いて足許を見た。
『もし、俺が突然、ふとした時に消えたらお前どうする』
なんでそうやって消えるんだよ。
本気で。
………。
棚一面ある中の十冊のファイルを持ってテーブルに置き、パイプ椅子に座ってめくってコピー分を付箋をつけていき、次回の会議で重点を絞って打ち直し他州へ引き渡すための資料手続きを取らなければならない。
必死で追いつづけ、調べ続けて来た。一文字一文字書く毎に、何度もペンが震えた。
愛しくて仕方が無い気持ちと、苦しい程のやるせなさが巡って、形成されて来た緻密なファイル。だがいつも、後一歩のところでつかめずに居た。
そして、あいつはそのまま、この街から……、消えたのだ。全てがあったこの街から。
ダイランは目を閉じ俯いた。
自分もそちらへ行き捜査したい。だがそれは許されなかった。そんな馬鹿な話があるかよ。検挙できずに終った警官ダイランを、どんなに執念で追いつづけたくてもお上が見切ったのだ。
それは署長と部長側の対面だと分かっていた。それでも従わざるを得なかった。もう既にデスタントが居なくなったならこの街で警官をやっている理由は無かったが、部長はダイランが警官を辞めるつもりなら、Ze-nとして政府管下の刑務所で終身刑を科してくるか、CIA行きにすると脅迫してきている。どちらにしろ、怪しいあのレガント一族としての戸籍など抹消の手を取る方向で。地主リカーがなんと言おうと。
糞喰らえだ。全て……。
だが、マイラブフィスターの存在がダイランを強烈に引き留めつづけていた。
十冊分の整理を終えてから整えボックスに入れた。
「やあ。栗」
「どうも」
ギガは巻かれた資料を立てかけてはボックスをもつ彼を見て、パソコン用のファイルを持って来る為にその横の棚に向った。
「もうニ週間ですね。奴等を取り逃がしてから、デスタントチームもそろそろ解散させると聞いた」
「ああ。そうだな。資料を全て渡した後になるが、栗も速く特Aの仕事に専念出来る様に我々も力を尽くすよ」
チャコールグレーのハイネックに白のシャツ、カーキビロードのジャケットと黒コーデュロイのパンツに茶色革靴のギガは、濃い顔の北欧男だ。
ダイランはフロッピーを出して、納得行かずにギガを見た。
「俺はこの街のチームを解くべきじゃ無いと今でも思う。本部は移っただけで、必ず戻って来る時もあれば、ファミリーの奴等はまだ地下に残っているんですよ。この街で何者かに痛手を見せられたあの爆破事件の犯人もまだ決定的には」
「あの犯人は栗もよく知るという青年に他ならなかったんだろう。バース=デーロイ。兄を君に殺された恨みで、心中紛いでファミリー自体も巻き込んで爆破させたとね」
「俺はバースの仕業だなんて思って無い。あんな大規模な爆破をあいつの単独でやろうなんて性格でも無い」
「君がなんと言おうが、既にスラムを離れた人間が、内部の者達の心情変化に疎くなって当たり前なんじゃないのか。栗。もう手を引きなさい。これはFBI命令なんだ」
そう言い、ギガは資料をまとめてから筒の中の巻かれた資料をまた広げ棚に掛けた。
「次の会議は明日の10時からだ。カトマイヤー部長に伝えてから、会議室に来る様に」
ダイランは釈然とせずに一度空を睨んだ。
「バイパス爆破だけでも、俺は捜査を続けますよ。本当にバースじゃ無いとしたら、一体誰があんな事を出来たのか、何が出てくるのか分かったものじゃないですからね。FBIはあの爆破を完全にもう引き下げているが、俺は絶対に諦めない」
「何故、既に敵になった相手をかばうんだね」
「あんたには分からない事だ」
「栗」
「あいつは、」
ダイランは空を切るように睨んでから言った。
「あいつ等は俺の友人だった。俺が殺して来た奴等も、爆破してきた奴等も。バースときたら、俺とデスタントが対立し始めてからも、あいつだけは、何も変らなかった。なのに」
「……。デスタントが憎いのなら、他にもう任せるべきだ。これ以上お前が関わり続けて、心を壊す姿を見てはいられないんだよ。打てない相手、今まで打ってきた大切だった元仲間達、もう充分だ。自分を許して、自分の身体をもう気遣いなさい。カトマイヤー警部がどんなに君を心配しているか。精神をすり減らして行く姿を何も、彼も何も思わず見ているわけでは無いよ。君がバイパス爆破について、そこまで不信感を持って他の犯人やデスタントを敵対するどこかの大きな所に疑念を抱いているのなら、言葉次第では調査を引き伸ばしてくれる筈だ」
「だが、FBIが一度入って調査進めたと思ったらさっさと終らせた位だ」
ダイランは口を止め、一点を見た。眉を潜め、FBIが即刻手を引いた事をいぶかしんだ。奴等は爆破の種類や規模、全てを算出して行って、特別な爆弾でも無かったという理由で終らせて、詳しくは掘り下げなかった。
デスタントに関わって来た記憶の中の何某か?
グリーンシティーで、以前、殺し屋が現れた。デスタントとグリーンシティーのボスとの契約上で、そのボスの屋敷が爆破された時に見慣れないロゴのヘリを見かけた。その時現れた殺し屋はZe-nとしてのダイランの前にも現れた事があって、少なくともどこかの組織がデスタントやZe-n周辺を探っていたのだ。
すぐ引き下がった?
ケリーナと行なった密輸武器輸送ルート上の捜査で突き止めかけた謎の巨大組織の事も、捜査完全打ち切り命令を国際警察とFBIは下して来た。
FBIは組織を追う毎に何かを捨て駒にしては……。嫌な感じだ。
もしもそこの組織がデスタントに今回、決定的に打撃を与えたのだとしたら、何でグリーンシティーのボス同様にデイズを殺さなかったんだ。全く別の組織か? 無関係?
もしかしたら、FBIは水面下でこの爆破事件にまつわる事を組織事と関連付け、長年の調査の延長として続けている可能性の方が大きい。だが、ダイラン達には到底捜査を共にするわけには行かないという条件の元で。
とにかく、自分も調べを進めるべきだ。FBIが許さないのなら独自に調べるまで。
もしその組織が関わっているとしたら、脅迫。爆破脅迫したのだろう理由がある。脅迫には絶対に何某かの相手側の使者が赴く。どんな形であれ、デイズは接触している。だがそうもぽんぽん違う人員を送らないはず。同じ殺し屋が半年前と、四年前に現れたくらいだ。今回も同じ人物のはず。一つの事をずっと任され、行なっていれば相手側も勝手知ったことになって来るんだ。
あの蛇男? あの愛情サド女? 半年前はあの蛇男だけだった。パートナーのあの女殺し屋はいなかった。影から何かを進めて? そのまま消えたとは思えない。蛇男よりも腕が上だった女。あの男自身も4年で腕が上がっていた位だ。まさか、もう他のもっと込み入った依頼事に移って? ちょっと待てよ。あの女、何かが……。だが靄掛かってその靄のまま考えが進まなく行き止まった。
「栗。栗」
「……」
「栗ちゃん」
ダイランは考え事を続けていたがはっと気付いて栗ちゃん、ギガを見た。
「はい」
零れない蓋付きのコーヒーを渡されて「ああ、どうも」と言い受け取った。
「思い当たる犯人が?」
「いや。分かりません。決定的な所で靄掛かって」
化粧水。除光液。目薬。と、同じ液体であって、全くの用途も効力も違う事と同じかの様な感覚だ。目薬や除光液じゃあ肌は荒れるし、化粧水や除光液を目にさすわけにも行かないし、化粧水や目薬でマニキュアは取れない。3つは全くの成分や性質違いで歴然としているというのに、同じ液体。わざわざ親切な表示無しには、痛い目を見せられる事と同じだ。
わざわざ表示などしないだけで、危険性のある物も安全な物も、元は同じカテゴリーに収まる液体……。そういう人間。
そういうような感覚があった。分けがわからなくなって来てダイランはその中でも飲める液体でありリラックスや覚醒を促す黒く熱いコーヒーを飲んだ。
「今日屋敷に来るかい。明日の会議の内容や、そのバイパス爆破の事も話を進められると思う」
「ええ。そうですね。覗います」
「それじゃあ、お先に」
「はい。明日の会議もよろしくお願いします」
「ああ」
ギガは資料を持ち出て行き、ダイランはテーブルに座ってからフロッピーを見おろした。
捜査の打ち切り。完全に資料を渡したら。
「………」
あいつとの接点が、消えて行く……
『消えるなよ。俺は絶対にお前を追い続ける』
俺の言葉聞いて、それなら、お前はあの時どう思ったっていうんだよ……デイズ。
「あれ。今日も百貨店にお買い物か?本気で珍しいな。最近はいろいろとどうやら嗜みが変って来ているようで警部殿?」
ワインを見回していたダイランの横に先日の店員が現れた。
久々に食事をもてなしてくれるギガ屋敷に持って行くべらぼうに馬鹿高いワインを見に来たのだ。
ダイランは頷き、向き直ってワインを手に取った。包ませてから脇に抱えて歩いて行った。
「そういえば、婚約者がいるんだって?」
「は?!」
ダイランはそのまま着いて来る店員の言葉に驚き、彼は彼を見上げた。
「猛獣園で働く従兄弟が言ってたぜ。可愛らしいエンジェルみたいな子を紹介しに連れて来て、将来は結婚する為にボルドーで挙式を上げるつもりだってな」
「ご、おご、おごごごご」
意地悪そうに店員は口端を引き上げた。
「ルシフェル=ガルドがまさかの結婚なんて、想像出来ないな。ジェーンっていう女刑事の事だろう?」
ダイランは唇を噛んで真赤になりながらエレベータに乗り込み、店員は可笑しそうに笑う。
「他に何か買ったの?」
そう言われ、ダイランはそれを出した。
冬乾燥用のリッチな高級馬油入りボディーオイル。金粉まで入っていて、枝の入っている新鮮なハーブの香りも微かにする。
「あ。そのシリーズ俺の女も使ってる。プラチナ箔入りで真珠入りの薔薇の奴だけどな」
「へえ」
ダイランはエレベータを降り、駐車場へ来た。
ワイルドオーズッドに乗り込み、煙草に火をつけた。店員を見上げた。
「デスタントの奴、ホーステイルまで今に買収するんじゃないかって言われてたんだ」
「本気か?奴は元々貴族の家柄で、何らかの経営に繋げるとしたらそれもありえただろうからな。その前にもう去った事実はかわらねえ」
「残念なのか?」
ダイランはフロントガラスの先を目を細め見て、シートに沈んで首を曖昧に振った。
「分からねえよ。今となっては、何も……なんでそう思うんだろうな」
憎いほどに、見失うと、元の愛情だけになる。馬鹿げて思えた。今の自分が……。去るなら、こんなに燃えてきた俺は何だったんだ。