【5】
その日、いつもと変わらない食卓が私の家にはあった。
しかし向かいの家には異変があった。それは午後七時を過ぎ、西の空がぼんやりと紫色の夕陽の残像を見せている時分のことだった。
向かいの家に訪問者が来たことをなんとなく知った直後、半狂乱の女性の怒鳴り声が開け放した窓を通して我が家に響いてきた。ポロポロと鳴っていた向かいのピアノが、ぴたりと止まった。
私たち家族五人は、その声にそれぞれ驚きの声を上げた。姉二人と父は、ゆっくりと怒鳴り声のする向かいの家の方を、向かいに悟られないように腰をかがめて覗きに行った。
「あなたっ!」
声をひそめながら母が父を咎めるも、父は動けないでいる私と母を見返りニタッと笑った。
私は震えを止められなかった。
翔くんの家に、私の母よりも若い女性と、その夫らしき男性が立ちはだかっている姿が、ダイニングテーブルに座る私の位置からもハッキリ見えた。その男女が昼間翔くんに下着を弄ばれた家の者であることは、喚き散らす女性の話からすぐにわかった。だからこそ、私はがくがくと震えていたのである。私も共謀者だという意識が確かにあったのである。
しかし、女性の喚く内容の中に、私の知らない事実があった。
翔くんはなんと、自らの顔に押し当てたそれらの下着の一部を持ち去っていたようなのである。
「純一、あなたは関係がないわよね?」
心の中を悟られることを覚悟の上で、私は母に深く頷いた。
開け放たれた玄関で、頭を押さえつけられて土下座をする翔くんと彼の両親が見えた。私の母は目を細め、恨めしそうにその光景を見ると、意外なことをぽつりとこぼした。
「お母さん、体調を悪くしていらっしゃるのに。可哀想に……」
そういえば、このところ翔くんの家に遊びに行ってもあまり翔くんのお母さんのことを見かけなくなっていた。帰り際に「おじゃましました」と言えば、いつも玄関脇の部屋から「また来てね」という声だけは聞いたが……。
翔くんの家に怒鳴り込んだあの男女がこちらにも来るのではないかという不安は、数十分後にあっさり解消され、私は限りなく安心した。
しかし寝付く時間になり、両親の横に並べた布団に入っても震えはなかなか止まらなかった。母は黙って私を自分の布団の中に引っ張り込み、一度ぎゅっと強く私を抱きしめると、寝付くまでずっと背中をさすってくれた。




