【1】
当時七歳だった私が住んでいた町は、南北に幹線道路が突き抜けていた。また盆地という地形であったために、町にはいつも埃っぽいくすんだ空気がこもっていた。
幹線道路沿いにはラーメン屋やパチンコ屋、十数人の職人を抱えた寿司屋、スーパーマーケットなどがどれも電飾を派手に輝かせ、広大な駐車場を用意して幹線から脱線してくれる客を待っていた。しかし沿線から少し奥に入ると、支柱の錆びきったボロアパートや陰気臭いボロ家が建ち並び、道路に面したまるで紙芝居のような表側の賑やかさは、裏側のざらざらした感触の真実を必死になって隠しているようだった。
その裏側には今でこそ洒落た洋風建築の家やマンションが林立しているが、当時それらの土地のほとんどは田畑だったのである。
私たちの遊技場は、そんな田畑であった。
私には十五歳と十三歳の二人の姉がいたが、年齢が離れていたせいか、それとも性別の違いからか、私には姉たちと遊んだ経験がほとんどない。しかしごく近所に同級生が数人いたため、遊び相手には事欠かなかった。
小学校の購買部で買ったゴムボールを使って、家のすぐ隣にある田んぼで野球をする中に、翔くんという運動音痴な同級生が混じっていた。誰かが打った飛球が高く上がると、外野を守る翔くんはのそのそと移動を始めるが、遠近感覚に疎い彼はいつもその飛球を捕球し損ねた。すると翔くんは、誤字をさっと消しゴムで消すように血色の良い顔でニコッと笑い、そのたび自分の落ち度を帳消しにしようとした。その笑顔は効果抜群で、誰も彼を責めるようなことはせず、むしろ運動音痴を彼の代名詞として可笑しく扱ったのだった。
翔くんの家は、私の家と向かい合っていた。
お互いの家があるその一区画には、四戸の同じ間取りをした平屋が、北向きに二戸、南向きに二戸、それぞれが玄関を向かい合わせて建っていて、白壁に赤茶の瓦屋根、それに青い網戸に至るまでその設計には狂いがない。家々の些細な違いといえば、それぞれのカーテンの色だけであった。
私たちの家を除いた残りの二戸の平屋にも同級生がいたが、翔くんの隣家に住む明美は女の子であるだけに私たちの輪に入ってくることは稀であったし、明美の向かい、つまり私の家の隣家に住む孝則はとても内向的な男で、私と翔くんのように刈り入れの終わったばかりの田んぼで膝頭や尻を汚すよりも、一人家にこもりテレビゲームをする方が有意義であったようだ。それゆえ残った私と翔くんは必然的に時間を共有することが多かった。私たちはお互いのことを、様々な遊技を成立させるために必要不可欠な存在であると考えていて、だからこそ正月や盆などに翔くんが彼の母の実家のある四国に帰省すれば、なにかとやかましい二人の姉と両親の中にいても、私は自然と孤独な心持ちになるのだった。




