七話 朝の女はお茶を奢る
「お茶でも飲みながら、どうでしょうか」
明実のその提案で、蜘蛛は初めて客として店に足を踏み入れることになった。
「しかし、お茶をするところがバーガーチェーン店とは」
こういう時は喫茶店に入るものではないのですかね。明実の後ろについてバーガー店へち入りつつ、蜘蛛はによりと笑う。
朝と言う時間なら、朝食を摂りにもう少し人が居るかと思ったが、意外と客は少ない。席に腰かけコーヒーを飲んでいる人が一人と、朝の限定メニューを食べている老夫婦が一組、そして、カウンターで注文している人が二人と、たったの五人しかいない。よいよい。その方がゆったりと静かに話が出来ます、と考えていたら、明実が「すみません」と謝ってきた。
「こっちは近場に喫茶店がないんでした。失念してました」
こっちと聞いて蜘蛛は思い出す。そういえば、明実は先日まで京都の方に居たのでしたか、と。京都と比べればここは人も少ないし、施設だって充実はしていない。
「都会と呼ぶにはほど遠い街並みですから。仕方のないことです」
「あはは。そうですね」と苦笑しつつ明実が答える。「でも、駅のほうまで行けば、喫茶店とか、ケーキ屋さんとか、いくつかあるんですけど」
「歩けば三十分はかかる、でしょう?」
「ええ、はい」苦笑はますます深まった。
「バスに乗って行こうにも、ふふ、三十分に一本しかない、ときたものです。しかもバスは、先ほど事故を起こしたところを目撃したわけですから、ね」
「えっと……はい」
「案外あの事故で、今日はもう運行しないのやもしれません。危うく死人が」蜘蛛は轢かれた男を思い出しつつ、「出るところでしたから」と言った。
「そうですね。……あの人、大丈夫だったんでしょうか」
「敷かれた男ですか」と尋ねれば、明実は頷く。
「大丈夫でしょう。この蜘蛛がわざわざあの世とこの世を糸で繋げてやったのですから。仮に死んだとしても戻って来られますとも」
「そうなんですか? 糸で? ……それじゃあ、亡くなったとある人の奥さんを蘇らせたって話も、本当のことだったり?」
「しますとも。故にわたくしはこうして喋ることが出来ているようなものですから」
「へえ……じゃあ、奥さんを生き返らせるお礼に、言葉を教えてもらったっていうのも本当なんですね」と明実が言い、蜘蛛は「本当です」と答えた。
「本当に、死者を生き返らせれるものなん、ですよね?」
「ええ。蜘蛛と蜘蛛の糸は三境を渡るものですから。そのくらいわけありません」
「サンキョウ、ですか? ……へえ、本当なんだ。すごい」
明実は三境がなにかまでは理解していないようだが、実に感心したように蜘蛛の方を見て来る。その感心を薄めるように、もっとも、と蜘蛛は続けた。
「あの男が戻って来られるのは一度だけですがね」
「あ」と明実は何だか少し安堵したような顔をした。「やっぱり、そう何度もはむりですね。何度も生き返らせれるなんて、そんな奇跡」
「いえ。そういうわけではなく」と蜘蛛は否定する。
「これはあくまでもわたくしの方針、いえ、信念とでも言いましょうか。人を蘇らせるのは一人につき一度までと決めているのです」
「どうしてですか?」
「あまりやり過ぎると鳶が来るからですよ」
明実はきょとんとした顔をする。
「トンビ、ですか?」
ええ、と蜘蛛が答えたところで、次の方どうぞと呼ぶ声がした。
「あ、はい」と明実は小さな声で言い、蜘蛛も後ろをついてカウンターへと近づく。
「店内でお召し上がりでしょうか。それともお持ち帰りでしょうか」
「店内です。蜘蛛さん。お好きなもの頼んでくださって構いませんから、好きに選んでてください」
メニュー表を蜘蛛の方へと少し寄せて来ながら、明実が言う。
「では遠慮なく」と答えつつ、蜘蛛はふと思う。そう言えばわたくし、無一文でしたね、と。御魂石なら数えきれないほど持ち合わせているが、お金は一円もない。これまでお礼として物や言葉を教えてもらったことはあったが、金銭を渡されたことは一度もなかったのだ。
なるほど。この蜘蛛といえど、おごってもらわなければ人の世ではお茶もできないと言うことですか。人の世においての蜘蛛と言う立場を改めて理解し、蜘蛛は少しだけ悔しい様な、人でないのだから仕方ないと諦めるような、複雑な気持ちになる。
思えば、今まで店に客としてきたことがなかったのも、全てはお金を持っていなかったからで、欲しいと思うものは時折あったような気がする。まあ、今となっては何が欲しかったのかまるで思い出せないのですけれど。トリアタマならぬ、クモアタマ。などと内心自虐しつつ、蜘蛛はメニュー表に目を通す。
セットメニューから単品、サイド、飲み物と色々あるようだ。右手で自らの腹部を撫でながら、今日はすでに石を半分ほど食した後でしたね、とそれほどお腹も空いていないこともあって、そう量も要りませんか、とメニューの右側辺りを指差しながら店員に言う。
「ポテトの中サイズと、飲み物のオレンジ。こちらもサイズは中で」
「はい。ポテト中が一、オレンジ中が一ですね」
ほうほう。これが買い物というやつですか。店員の受け答えにある種の快感を覚える。これは、人に憧れて人になるものが居るのもわかると言うものです、と狐や狼を思い出しつつ、「明実は何にするのですか?」と蜘蛛は尋ねた。
「あたしは……こちらのセットを。飲み物はグレープサイダーで。……蜘蛛さん。ポテトと飲み物だけでいいんですか?」
「ええ。そうお腹も空いておりませんので」
「そうですか」と明実は答え、「以上でお願いします」と店員に言う。
「はい。ご注文を確認させて頂きます。ポテトの中が一、オレンジの中が一、トマトバーガーセットが一、お飲み物がグレープサイダー。以上三点でよろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
「ではお会計の方、三点で合計八百三十円になります」
いつか自分で支払いもしてみたいものです、と財布から紙幣と小銭を出す明実を蜘蛛は楽し気に見つめていた。
2016.09.14 改行を加え、読みやすさを追求。