序幕 石集めのクモ
とある夏のこと。
暑さで餌となる虫がおらず、飢えて命を落としたクモがいた。
そのクモは自らをあの世へと追いやった飢えとこの世を恨むあまり、鬼となってあの世から蘇り、この世の一部をかじり食べたと言う。この世を食べたことで満足したクモは、この世からもあの世からも姿を消し、残されたこの世にいるものたちの中に、クモが食べたこの世について覚えているものは誰も居ないかった。
それからしばらくして、そのクモを見たと言う者が現れた。
その者によれば、なんでも、クモはその者の祖父が入院する病室に現れ、祖父の体から宝石のように綺麗な石を抜き取ると、どこかへ持ち去ったと言う。石を抜かれた祖父はその後すぐに息を引き取り、クモが魂を持ち去ると噂されるようになった。
その話を人伝に聞いていた女が息子を連れ、母親の葬儀に出席したところ、クモが葬儀の場に現れた。母親の魂を持って行かれると女が慌てていると、息子が「それぼくのばあちゃん。連れてかないで」と言い、クモは息子の言ったことを理解したのか、石となった母親の魂をその場に置いて消えたと言う。
他にも、死んだものの身内や知人、親しかったものが「その魂大事なもの。持って行くな」と言うと、クモは素直に魂を置いていき、代わりに、そう言ってきたものが抱えている悪いものを持って行くと言う。
この悪いものと言うのは、怪我や病であるとも、悩みや不安であるとも、はたまた、あの世からやってくる悪霊や亡霊、それに、鬼と言ったこの世ならざるものを追い払ってくれているのだとも言われていた。
四国に伝わる話では、男の知人が事故で亡くなった直後、その事故現場にクモが現れ、居合わせた男が「それオレのだから持ってくな」と言うと、クモは大人しく知人の魂をその場に置き、男に向かって触肢を動かすとどこかへと姿を消していった。その後、男は生まれてより長年悩んでいた家族と自分のことについて急に吹っ切れ、これまでとは違って実に生き生きと暮らすようになったと言う。
また、九州の南部に伝わる話では、妻に先立たれた夫が、愛しさから妻の遺体をいつまでも焼けずにいたところ、クモが現れて妻の魂を持って行こうとした。気づいた夫は箒やはたきを用いてクモを潰したが、クモは直ぐにぴんぴんとして元気になり、じっと八つの目で見上げて来たそうだ。潰れてもまるで堪えないクモに、これはまずいと思った夫は慌てて潰したこと謝り、その上で妻が愛おしくて離れたくない旨を話すと、クモは夫から言葉を教わる代わりに、妻を生き返らせてくれたと言う。
京都府を中心とした近畿地方においては、山や河川敷で見つけた綺麗な石をクモに渡したところ、クモから学問を教わったと言う話が多く伝えられ、とりわけ近年発展を見せる好機学に対し、クモは深い知識を有していると言う。好機学そのものがクモから人へと与えられた知恵や知識なのだと主張する者もいるくらいで、クモ自身もまた、好機学やそれに基づいた不可思議な事象を起こせると言うが、滅多にその力は使わないとされている。
東北地方や北海道においては、今際の時になるとクモが天井から糸を垂らして顔の前へと降りて来くるそうで、その時にどう言った理由でいつまでか具体的に言うと、言った日まで寿命を延ばしてくれると言われている。
青森県にあるとある病院では、恐らくはそのクモの仕業だろうと思われる事例が一つ報告されていて、重い心臓病を患った男性が入院してから二か月の間で三度心停止を起こしつつも、その都度蘇生し、無事に娘の結婚式に出席できたらしい。その後、男性は直ぐに帰らぬ人となり、空き部屋となった病室を職員が掃除していたところ、男性が寝ていたベッドの裏側に、びっしりとクモの網が張られていて、その網の形が男性の体格とぴったり一致したそうだ。
更に、この話の続きとして、男性の妻が自宅にあった遺品を整理していたところ、生前男性が大事にしていた懐中時計だけがどうしても見つからず、懐中時計を仕舞っていたはずの場所にはクモの糸が数本残されていた、というものがある。
好機学者たちの間では、この石集めのクモにまつわる話の信憑性について、意見が真っ向から割れており、好機学の第一人者とされる尾西氏は「事実であり、真実」としており、また、相川氏も「実際にあった事がある」と言うものの、藤田氏や佐崎氏は「ありうることかもしれないが、全部が全部、真実とは断定できない」と中立の立場をとり、田辺氏を始めとした都心好機学協会に属する好機学者たちは、「クモにまつわる伝承や俗説が現代に合わせて変化したもので、事実性はない」と否定的な立場を取っている。
後に高校や大学で教鞭を振るう八島氏は語る。
石集めの蜘蛛なら居りますよ、と。
石集めのクモは居るのか居ないのか、それは蜘蛛自身が一番よく理解していることだった。
2016.09.14 改行を加え、読みやすさを追求。