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82 天使の死生観とは

 そこは、ふわふわとした雲の上。一面が真っ白な幻想の世界。

 されどその場所には、古い建物らしき残骸が散らばっていた。表現するなら、遺跡とでもいえばいいのか。


 そんな場所に、太陽達一行は転移した。

 前回も転移してきたのはここで、つまりは二回目である。天使達も警戒していないわけがなかった。

 空中にズラリと天使が並び、太陽を待ち構えていた。


「待っていたよ、魔族さん! このドミニオンズに、もっと痛みを与えてくださいな!!」


 一方、声をかけてきた天使は他の天使と違い、雲の上に佇んでいた。息を荒くするその女性天使に太陽は顔をしかめる。


「変態じゃねぇか……」


 前回、天界から人間界に転移する直前に、殴られて興奮していたあの変態天使であった。


 主天使ドミニオンズ――天軍九隊第四位の天使。二枚の羽根と頭の上にあるリングは他の天使と変わりないが、その容姿は異質な雰囲気を放っていた。


 何せ髪の毛と瞳が紫色なのである。天使は金や銀、白などが多いので彼女だけやけに目立っていたのだ。あと、頬が異常に赤いのがどことなく発情しているように見えて、天使だというのに清純さが見当たらないのも特徴である。


「あはっ。そのかぎ爪で切り裂かれたいっ。その牙で噛みちぎられたいっ。その逞しい腕で締め上げられたいっ。その禍々しい魔力でめちゃくちゃにされたいっ……あなたを見てると、興奮が止まらなくなっちゃうよぉ」


「……それで、こうやって待ってたのか?」


「うん! ずっと待ってた、あなたがいなくなってからもこの場所から動かず、あなたに与えられた痛みを思い出しながら、またこうして会えることを信じて、あなただけを思い続けて、ずっとずっと待ってたのっ」


「……そ、そうか。うん、ちょっと怖いな」


 相変わらず、言動が理解できない変態である。太陽は思わず鳥肌を立ててしまった。


「ねえねえ、魔族さん? あなたはもちろん、私に会いに来てくれたんだよね? 私を殴るために、天界にまで来てくれたんだよね? やだ、何それ素敵……あなたになら、殺されたいっ」


「……盛り上がってるところ悪いけど、全然違うからな? 俺、大事なものを取り返しに来たんですけど」


 頬に手を当ててくねくねしているドミニオンズに、太陽ははっきりと断言する。


「あと、神様を殺しに来た。用はそれだけだな」


 彼としては何気ない言葉だった。目標をただそのままに答えただけだった。

 だが、その言葉は……天使にとって、許されざる言葉だった。


「――神様を、殺す?」


 自分の世界に入り込んでいたドミニオンズが、突如として正気を取り戻す。

 その顔からは変態じみた笑顔は消えて、代わりに浮かんだのは冷たい笑み。


「魔族さん、それは無理だよ。だって、神様は神様なんだから……死はあの方にとっての日常。死はあの方にとっての安らぎ。死はあの方にとっての、親にして子なんだから」


「っ……」


 太陽は、ドミニオンズの言葉をまったく理解できない。

 だが、なんとなく……神様という存在が、想像の遥か上にあることを知覚した。


 天使たちの表情と、ドミニオンズの言葉によって、太陽はぞっとする何かを感じたのだ。


「私達は皆、死の果てに神様の下へ誘われる。あなただってそう。私だってそう。みんなみんな、そう……だから、死後の世界を幸せで満たせるように、迷わずに真っすぐ進めるように、私達は信仰するんだよ! 死を与え、最後のその時に笑顔で死を受け入れられるように!!」


 次第に、熱に浮かされるように言葉尻が強くなってくるドミニオンズ。

 彼女の目は、何も見ていない。ただ、どこかしらに居るであろう『神様』のみを、見続けていた。


「『タナトス』様! 私の信仰を、どうかご覧ください! この魔族と戦い、死に行く私を――どうか、見ていてください!!」


 そうして、ドミニオンズは駆け出した。

 整った顔に浮かぶは、歪な笑顔。太陽は薄気味悪さを覚えながらも、無理矢理意識を切り替えて戦闘に集中させる。


「そんなに死にたければ、死ねっ」


 ただ真っすぐに走り寄るドミニオンズへ、太陽は拳をぶつけた。魔族化して強化されている肉体の一撃は、容易くドミニオンズの首を折る。


「――あははははははは!!」


 だが、死なない。ドミニオンズは倒れない。折れた首をそのままに、今度は逆に殴り掛かってきた。


 天使の小さな拳が、硬質な鱗で覆われた太陽の腹部を叩く。瞬間、ぐちゃりと音を立てたのは太陽ではなく、ドミニオンズの拳であった。


 あまりの硬さに拳の方が潰れたのである。

 血を吹き出し、骨を砕かれ、痛みに喘ぎ――されどもドミニオンズは、笑顔を崩さない。


「痛い、痛い、痛い――気持ちいい! これだ、これが私の求める痛みだよぉ……たまらないっ」


「そうかよ」


 そんな彼女に、太陽は気持ち悪さを覚えて。

 彼にしては珍しく、余裕のない表情で次の一撃を繰り出した。


 今度は蹴り。勢いよくドミニオンズの脇腹へとぶつけて、その体を遠くに吹き飛ばす。

 ボキリと、音が鳴った。ドミニオンズの骨が数本砕けた音であった。


「あ、くぅ……最高!!」


 やはり、効いては無いようだったが。ともあれドミニオンズとは距離がとれた。

 太陽はこの隙に一息つこうとする。


 しかし、今度は空中に待機していた天使たちが動き出した。


「「「「【聖なる矢ホーリー・アロー】」」」」


 光り輝く矢の斉射である。瞬く間に迫る幾筋もの光に、太陽は舌打ちを零す。


「ちっ……ゼータ、リリン、俺の後ろに隠れろ! 【闇の盾ダークネス・シールド】」


 後方の二人に声をかけた後、防御の魔法を展開。無数の矢を黒の闇で呑みこんで、どうにか防ぐことに成功。

 だが、天使の攻撃は終わらない。


「神様万歳!」「死してなお栄光あり!」「神の御許へ!」


 次撃は、捨て身の特攻であった。

 幾人もの天使が短剣を片手に、太陽に向かって飛び込んでくる。後方からはなおも光の矢が飛来するのに、だ。


 そうなれば必然、背後から矢を受けてしまう天使も出てくる。だが、それでも関係ないと天使は突進してきた。

 その様に、太陽は目を見張る。


(なんだよこいつら!)


 彼ら彼女らは『死』を恐れていない。むしろ、死にたいとさえ思っているようにも見える。

 太陽にはそんな天使が、欠片も理解できなかった。


 価値観というか、それは――死生観。


(こいつらは、死ぬために生きてる……っ)


 生きたいから、生きるのではない。死ぬために、天使は生きている。

 だからこそ死を恐れない。むしろ喜んで享受する。死を幸福だと信じている。


 異常なまでのその思想に、太陽は言いようのない不気味さを覚えてしまった。


(一掃しないと、止められないっ)


 なりふり構わずに襲い掛かってくる者ほど、怖いものはない。

 そう思った太陽は、即座に威力の高い闇魔法を展開した。


「【闇の爆撃ダークネス・エクスプロージョン】!!」


 闇属性の爆発魔王。発動すると同時、どす黒い闇が周囲を蹂躙して――特攻していた天使も、遠くで矢を放っていた天使も、どうにか一掃することに成功した。


「まだ足りないっ……もっと、もっと!! 私に、痛みを! 私が死ねるくらいの、痛みをちょうだい!」


 だが、ドミニオンズは倒せていない。首は折れ、拳は砕け、闇の爆発に肉体がボロボロになっていたが……なおも、彼女は立っていたのだ。


「……厄介だな」


 想像以上に難敵だ。そう感じて、太陽は首を振る。

 死を至上とする狂信者を前に、彼は重い息を吐き出すのだった――

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