71 再会の時
ゼータの乱入に、記憶を失った加賀見太陽は少しびっくりしていた。
抱き着かれて、要約すると「大好き」っぽいことを言われて、それから出て行ったメイド服の魔法人形に、太陽はこんなことを呟く。
「い、今、俺の好みドストライクの女の子に抱き着かれたんですけど……あ、あの子誰っ? もしかして俺の恋人か何か!?」
艶やかで長い黒髪に、釣り目がちだが美しい黒目。そして、抜群のスタイルと透き通るような声。記憶を失った太陽にとって、彼女は理想の女性が具現化したような存在に見えた。
「おいおい、俺ってばもしかしてモテモテだったのかよ……これはひょっとして、俺が知らないだけで実は童貞も卒業してたりするんじゃないか?」
あんな少女に思いを寄せられるなんて、記憶を失う前の自分はモテモテだったのではないかと考える太陽。
「いいえ。魔王様は童貞です。サキュバスがそれを保証します」
「あ、そう」
だが、淡い希望は即座に打ち砕かれた。近くにいるサキュバス全員が首を横に振ったので、太陽は認めざるを得なかった。
「く、あの子は一体俺の何なんだ……」
先ほどから、太陽はゼータのことしか気にしていない。そんな態度を見てサキュバス一同はクスクスと笑い、それからベッドを降りてしまった。
「あんなに一途な女の子を見てしまうと、事に至ることはできませんね。本当は、魔王様の精と魔力が欲しかったのですが」
「……そ、そうか。うん、残念なんだけどね? 俺も、今はその気じゃなくなってるし」
「仕方ないことです。また今度、すぐにでも……夜寝る時は、いつでも狙っていますから。私達サキュバスが、強き者の種を欲しがっていることだけは、理解しておいてください」
そう言って、サキュバスの面々は窓から飛び立っていく。最後まで愛想よく手を振る彼女たちには申し訳ないが、ともあれ太陽の頭がゼータでいっぱいなのは事実だ。
サキュバスが消えて、太陽は即座に部屋を出ていく。館の外に出ると、そこで月を眺めながら佇むゼータを見つけた。
歩み寄れば、あちらの方も太陽に気付いて。
「……ご主人様? もう、お楽しみはよろしいのですか?」
鈴のように綺麗な声を発した。その親しみのある声音に、太陽は頬をかく。
「ああ、うん。というか、お前のせいでお楽しみどころじゃなくった感じだな」
「そうですか。ゼータのせいで、ですか」
そう言って俯く彼女の顔は、仄かに赤いようにも見えた。
なんとなく物珍しさを覚えた太陽は、まじまじとその顔を見つめる。
「そうか。名前、ゼータっていうのか」
反復するような呟きは、誰にともなく無意識に発せられたものだった。
されど、その声が聞こえてしまったのか、ゼータが反応する。
「……? どうしてそのように、よそよそしいのでしょうか」
どうやら太陽の態度に違和感を覚えたらしい。今度は彼女の方が、太陽の顔をじっと見つめている。
陶磁器を思わせる黒の瞳は、嘘をつくことを許してないようで。
「あー、ちょっと俺にもよく分からないんだけど……俺、記憶喪失になってるみたいなんだ」
太陽はありのままに、正直な言葉を彼女に伝えた。
またしてもなんとなく、ゼータに嘘をつきたくないと思ってしまったのだ。
「ごめん。ゼータのことも、なんとなく顔見知りなような気はするけど、まったく覚えていない。というか、俺は自分が何者なのかも分かってない」
何もわからないままに、彼はこの魔界に召喚されてしまったのである。
「そう、ですか。記憶を……なるほど、だからゼータの所に帰って来てくれなかったのですか」
太陽の暴露に、しかしゼータは動じない。むしろ安心したように胸をなでおろしてさえいた。
「少しだけ、ゼータを嫌いになってしまったのかと……ゼータが嫌になって失踪してしまったのかと、不安に思っておりました。ですが、記憶を失っているのなら納得でございます」
「いや、嫌いになるなんて、そんなことはない……気がする」
「それなら、何よりです。またご主人様のお隣に戻ることができて、ゼータは幸せです」
悲観はない。彼女は、太陽の隣に居られることを何よりも重視している。
それが、太陽は不思議で仕方なかった。
「なあ、ゼータって俺の何なんだ?」
ゼータの態度を、太陽は理解できないでいる。恋人のように近しくあれども、恋人のように束縛しようとはしない。後ろを歩ませてほしいと言えども、離れていくことは許さない。
この関係は、一体何なのか――そう尋ねれば、ゼータは迷いなくこう答えた。
「ご主人様は、ゼータのにとって所有者であり、暗き道を照らす太陽であり……要するに、ご主人様だということです」
聞いたところで、意味不明な回答である。所有者で太陽でご主人様など、すぐに理解するには難しい言葉であった。
だというのに、太陽は何となく納得してしまった。
「なるほど。分かった……ゼータは俺の所有物なんだな」
「はい、そうです。ご主人様のお隣こそが、ゼータの定位置です。ここ以外の場所には、行きたくありません」
ぎゅっと、ゼータは太陽の洋服を掴んでくる。控えめな仕草だが、それでも太陽はをどこにも行かせないという意思を感じて、彼は思わず笑ってしまった。
「記憶はないけど……お前が俺の事大好きなのは、なんとなく分かるよ」
「いいえ。ゼータは、ご主人様なんて大嫌いです」
その天邪鬼な態度も、太陽にとっては不思議と心地良いものでしかなかった。
彼女の頭を撫でると、甘えるようにすり寄ってくるゼータ。
そんな風に従順で、一途な彼女に……太陽は、思わずこんなことを呟いてしまう。
「ごめんな、記憶がなくて」
きっと、たくさんあったのであろうゼータとの思い出が、今はない。そのことに太陽は心苦しさを覚えてしまっていたのだ。
だが、ゼータは無言で首を振る。
「いいえ、気にしなくて結構です。ゼータは、ご主人様の隣に居ることができるだけで、幸せです」
後ろめたさなど感じなくて良いと、彼女は言ってくれた。
「それに、かつてゼータが記憶を失った時、ご主人様はゼータを見放さないでくれましたので……ゼータだって、ご主人様を見放すようなことはしません」
記憶喪失の太陽は覚えてないかもしれないが、とゼータは言う。
すべてを受け入れてくれる彼女に、太陽は一気に脱力してしまった。
「ゼータはいい女だなぁ……どうせ、俺が魔王になってるって言っても、大丈夫って言ってくれるんだろ?」
「もちろんです。ご主人様の立場など関係ありません。ゼータは、ご主人様と共に」
どうなっても、一緒に居たい。そこまで言ってくれる存在が隣に居てくれる事実が、太陽はものすごく嬉しかった。
「そっか。うん、分かった。これからもよろしくな、ゼータ」
「はい、こちらこそ」
改めてよろしくを伝えれば、ゼータは小さく微笑んで頷いてくれる。
魔界特有の真っ赤な月が、赤く輝く夜の事。
こうして二人は、再会を果たすのだった――




