56 絶望、そして希望……からの、絶望
(まだ、いたぶるつもりなのかや……?)
バベルの塔、最上階にて。
加賀見太陽と対面するアールヴ・アルフヘイムは青ざめた顔で必死に思考をまわしていた。
眼前の敵は、未だ本気を出していない。それはつまり、まだ遊んでいるのだと彼女は仮定する。何故なら、加賀見太陽がアルフヘイムを滅ぼそうと思っているのなら、その瞬間に滅ぶはずだからだ。
初撃である超極大爆発魔法を防いだことで、恐らくは興が乗ったのか。なんであれ加賀見太陽はアールヴ王女をいたぶる方向で行くらしく、攻撃対象も王女様本人に限定されている。
(これを、利用せねば)
そのことが救いであり、同時に重圧でもあった。
(興味が失われないように……あ奴が、妾から目を離さないようにっ)
まだエルフの鐘楼は鳴り終わっていない。避難がまだ済んでいない。だから、民衆が避難するまで……アールヴ・アルフヘイムは、エルフ族の王女としての責務を果たすべく己の身を捧げるのだ。
「しっかり防げよ? また俺のターンだ……【火炎の矢】」
攻撃が、来る。その瞬間にアールヴ王女は【宝物殿の鍵】より一つの魔法アイテムを取り出した。
「【魔法殺し】――『盾』」
取り出したのは、アールヴ王女の身の丈はある大きな盾。幾何学的文様が刻まれたその盾にアールヴ王女は身を隠した。
瞬間、太陽の魔法が着弾。しかし、盾に魔法が触れるや否や、火炎の矢が霧散していった。
「へぇ……それ、もしかして魔法を無効化するのか?」
太陽の予想通り、その盾は魔法を無効化する効果を持つ古代エルフ製の魔法アイテムだ。奴隷の首輪や、バベルの塔最下層に存在する永遠の牢獄と同じ効果を持っている。
「面白いな……本当に全部の魔法を無効化できるか、試してやろう」
その言葉を耳にして、アールヴ王女はほっと胸をなで下ろした。これなら興味を示すだろうと目論んで出した盾だったのだが、もしも反対にやる気を失って興味の対象がアルフヘイムの方に移り変わったら、また死んでやり直さなければならなかったからである。
「【炎熱剣】」
まず放たれたのは、炎の剣。巨大な炎剣が振り落とされ、アールヴ王女を襲う。
(化物……)
その巨大さにアールヴ王女は息を止め、盾の影から出ないよう小さく身を丸めた。
直後、盾に炎剣がぶつかる。効果はきちんと発揮されて魔法は無効化できたが、盾の及ばない範囲……床や天井、壁などは炎剣によって切られてしまった。
バベルの塔に、亀裂が奔る。すぐにアールヴ王女の足元も崩れ始め、彼女の身体は落下しそうになった。
「【宝物殿の鍵】――【飛翔の羽根】」
そこで取り出したのは、純白の羽根。所有することで空を飛ぶことができるアイテムで、アールヴ王女は落下することなく空高く舞い上がって行った。
(下は、ダメじゃ……まだ避難が済んでおらん)
先程の二の舞にはならないための配慮。だが、空に舞い上がるということは……格好の的になったというわけでもあって。
「【灼熱の業火】」
「――っ」
膨大な量の業火が、アールヴ王女へと放たれた。すぐに盾に身を隠すアールヴ王女だが……あまりも高温で、かつ多量の炎は精神に恐怖を植え付ける。結果、身体がすくんでしまい、足元の一部を盾の外に晒してしまった。
そうなれば、必然。
「ぅ……っ」
足が、炭化した。少しの失敗がとてつもない事態に発展する。痛みで意識が一瞬落ちてしまったアールヴ王女は、盾の外に左腕を晒してしまう。
「【炎蛇】」
そうして、今度は左腕を失うことになった。炎の蛇に食い破られた左腕からはとてつもない激痛が生じる。思わず落下しかけて、だがアールヴ王女は踏みとどまった。
(まだ、じゃ……まだっ!!)
まだ終われない。王女として、まだ諦めることは許されない。
その覚悟一つで、アールヴ王女は身体欠損の痛みを跳ねのける。
「ぅ……く、【宝物殿の鍵】――【状態回帰】」
どうにかこうにか、状態回帰の魔法アイテムを取り出したアールヴ王女。この魔法アイテムの効果は、使用者の寿命を代償に状態の時間を巻き戻すというものである。長寿のエルフ族ならではの魔法アイテムともいえよう。
「へー。凄いな……魔法アイテム」
腕と足が戻る様を見て、太陽は感心したように頷いている。
だが、もう興味は薄くなっているようだ。先程より声に張りがない。
「でも、あれだな。使用状況が限定されすぎてる……その盾だって、大規模魔法には対応できない。あくまで盾の触れる範囲だけだからな。正直、怖くない」
その通りである。故にアールヴ王女は、この盾を最初に取り出せなかった。あくまで太陽にとっては物珍しいだけで、効果的でもなんでもない。質量で押されれば負けは必須なのである。
「もういいかな。なんか、情けなくなってきた……お前ら程度に、ここまで手こずるなんて。やっぱり戦いって力だけじゃないよな。頭とか、状況とか、そういうのも込みで考えないといけないって、勉強になったよ」
そして、とうとう……加賀見太陽は、興味を失ってしまったようだ。
「……妾では、これが限界か」
肩を落として、彼女はそっと息をつく。
太陽の言葉は、アールヴ王女にとっての死の宣告と同義だった。
頑張ったところで、もうどうしようもない。
「【宝物殿の鍵】――【魔法指輪】」
故に、なるべく痛みはなきよう……【身体硬化】【ダメージ減少】【障壁展開】【物理耐性高】【魔法耐性高】【炎熱耐性高】といった防御系の魔法が発動する指輪を装備する。
「覚悟しろよ、エルフ」
それと同時、加賀見太陽が塔から跳躍。炎を纏う彼の身体能力は魔法によって強化されているため、空を飛ぶアールヴ王女のそばへ簡単に跳んできた。
耳元で囁かれ、アールヴ王女は太陽の方向に盾を構える。
そして――彼の拳が、盾へとぶつかった。
「【極大爆発】」
拳から放たれたのは、上級の爆発魔法。凄まじい威力を有したその一撃は、魔法こそ盾で無力化できたものの……威力までは、殺せなかった。
「ぐ、ぁ……」
吹き飛び、バベルの塔の側面にぶつかるアールヴ王女。衝撃に意識が飛ぶが、それで攻撃は終わってくれない。
「【超新星爆発】」
炎の放出による推進によって再び迫ってきた加賀見太陽が、今度は超極大の爆発魔法を拳に込めた。まだ盾を手放していなかったおかげで、大規模な爆発は免れたものの……威力は、先程の比ではなく。
「…………」
最早声すら出すこともできず。
バベルの塔も、攻撃の威力に耐えることはできずに。
――倒壊、した。
エルフ国アルフヘイムの象徴、バベルの塔が壊れる。アルフヘイムに瓦礫を落としながら、崩れていく。
「っ、……!?」
瓦礫と一緒に地面に落ちたアールヴ王女は、その衝撃によって意識を取り戻した。身体はボロボロだが、王女としての責任感が彼女の意識を繋ぎとめたのである。
すぐに周囲を見渡すも、すでにそこは瓦礫によって破壊されている。
(民衆が……っ)
瓦礫に巻き込まれてしまっただろうか。また死んで、五秒前に戻るべきか。
そう思ったと同時、ふと気付いた。
「鐘楼が……聞こえない?」
鳴り響いていた鐘楼が、いつの間にか聞こえなくなっている。
それはつまり――エルフの避難が、成功したということでもあって。
「やっと、これで」
終わりだ。もう、頑張らなくてもいい。
加賀見太陽と、戦わなくていい……そう分かって、アールヴ王女は思わず涙を流してしまっていた。
理不尽に立ち向かうほど、怖いものはない。痛みも、辛さも、ようやく乗り越えることが出来たのだ……
避難は無事終了。土地こそ失ったが、エルフが生きていればまた再興は可能。頑張った甲斐あって、民衆の被害はゼロだ。
このことを、アールヴ王女は歓喜する。
「……ん? まだ死んでなかったのか?」
遅れて着地した加賀見太陽も、既に見えていなかった。
「【宝物殿の鍵】――【魔法晶】」
取り出したのは、魔法の封じ込められた結晶。
その魔法は――【空間移動魔法】であった。
行き先は……エルフ族に万が一が合った時に取り決めていた、避難地。
そこで再び、みんなと協力して……エルフ族を再興しよう。
加賀見太陽は脅威だが、所詮は人間。寿命が来るのを待って、それから再びエルフの誇りを取り戻せばいい。
「良かった、のじゃ……っ」
まだ、終わっていない。そんな希望を持って、アールヴ王女は空間移動していくのだった――
「初めまして、エルフ族の王女様。わたくしは、アルカナ・フレイヤ。人間族フレイヤ王国の、王女です」
――だが、希望は……すぐに、消え失せる。
「え?」
空間移動した先。
そこには、予想通り多数のエルフが居た。だが、そのエルフ達は……皆、拘束されてしまっていた。
「な、ぜ……?」
理由は、分かり切っている。
エルフを拘束したのは、そこにある玉座に悠々と座っている……アルカナ・フレイヤの仕業だ。そんな簡単なことを、しかしアールヴ王女は理解したくなかった。
「交渉を、しましょうか」
無邪気に微笑むアルカナ・フレイヤを、アールヴ・アルフヘイムは直視できない。
「そちらの言動によっては、エルフの何人かが死にますよ? そこらへん、注意するといいんじゃないでしょうか?」
ニッコリとしたその微笑みは。アールヴ王女にとって悪魔のそれにしか見えなかった。
(終わった……)
まだ終わっていないと、思っていたのに。
頑張ったところで、意味などなかった……その事実に、アールヴ・アルフヘイムは心を折られてしまう。
こうして、エルフ対人間の戦いは幕を下ろした。
結果は、人間側の……圧倒的な勝利であった――