46 痛みには慣れた。だが、敗北には慣れない。
もともと、ヘズがアルフヘイムに拉致されたのは偶然のことであった。武者修行の道中、たまたまエルフと出会ったのである。
襲いかかってきたそのエルフは、実のところそこまで強くなかった。ヘズであれば返り討ちにすることは可能だったのだが、ふとあることを思い立って彼は自ら拉致されることを選んだのである。
『エルフとの戦いは、対魔法戦のいい修業になる』
そう。ヘズは、対魔法戦の力量を高めたくて修業を続けていたのだ。エルフは魔法の技術に秀でた種族なので、まさにうってつけの相手だと思ったのである。
『……太陽殿に、勝つために』
ヘズは力を求めていた。太陽にまるで歯が立たずに負けてしまったあの時のことを、彼は未だに忘れていない。攻撃範囲が広く、威力の高い爆発の魔法に為す術もなく負けてしまったことを、ヘズはどうにか改善しようとしていたのだ。
『射程が足りん……剣の間合いに頼っていてはダメだ』
アルフヘイムに入る際、奴隷の首輪をつけられたがヘズは簡単に抗うことが出来た。エルフに攻撃するなという命令に背いて、片っぱしからエルフに戦いを挑んでいった。
魔法が発動するよりも早く。剣の射程外だろうと関係なく。遠くでのうのうと魔法を展開する魔法使いを、斬る!
それがヘズの思いついた、太陽を倒すたった一つの手段だった。そのために編み出した技が【空閃】。触れずとも相手を斬るこの技は、磨けば太陽だろうと倒せるかもしれない――と、ヘズは少しだけ自惚れてしまった。
百程のエルフを斬り飛ばした頃合いだっただろうか。いよいよ修業も終わりかというタイミングで……ヘズは、二人と出会ったのである。
エルフ国王女、アールヴ・アルフヘイムの側近。槍という意味を冠する名を与えられたトリアと、盾という意味を冠する名を与えられたシルト。
この二人を前に……ヘズは、負けてしまったのである。
『傲慢! 驕っていたのかっ……やはり、某は未熟』
シルトの空間隔離魔法に、ヘズの編み出した【空閃】は通用せず。
攻撃も、回避も、何もかもが封じられた中で繰り出されたのは……トリアの、空間を超えた一撃だった。
敗北。完膚なき敗北に、ヘズは歯を噛みしめた。
太陽どころではない。ヘズは、トリアとシルトにさえ遅れをとっていた。明らかな実力差にヘズは己の未熟さを憂いた。
『己を、見直さなければ……』
そうして、バベルの地下――永遠の監獄に幽閉されたヘズは、精神統一の修業に明け暮れた。もう驕りはしない。傲慢の心をなくし、慢心を消した。その身を一振りの剣のように鋭く、磨き上げて……そんな時に、ヘズは太陽と出会ったのだ。
監獄内での再会には驚いたものの、これに好機を見たヘズは脱出を決意をする。
それから、運命の巡り合わせだったのか、早々とトリアとの再戦の機会を得ることができた。
「以前の借り、返させてもらう」
不滅の剣を掲げて、ヘズは闘志を燃やす。前のような驕りや慢心はどこにもない。ただ全力で、トリアを倒しにかかった。
「無駄だと思う……僕、強いし」
対するトリアは、前に対戦した時と同じように飄々としていた。前と異なっていたのは、トリアの持っていた槍くらいだろう。
(黄金の槍……これは?)
美しい装飾の施された槍は、何となく不気味な印象があった。警戒の色を強めて、ヘズは勝負に入る。
「――っ!!」
そこからは、ヘズの一方的な一人相撲であった。トリアは身体強化魔法を使ったのみで、それ以外には特に目立った動きを見せない。ヘズの攻撃に合わせて動くだけで、彼自身からは責め立てようとする意思が見えなかった。
だが、それでも勝てない。ヘズの磨いた技はそのことごとくを防がれてしまう。傲慢な己を消そうとも、そこにある実力の壁をヘズは未だ乗り越えられてなかったのだ。
「くっ……」
長くは経たなかったであろう時間帯。攻めあぐねてうめき声を漏らしてヘズを見てなのか、そこでようやくトリアが攻撃に出た。
「行くよ……プリューナク――【神雷】」
5つに別れた穂先から、放たれたのは眩い雷。
神具プリューナクの性質、神雷をトリアはここで発動させたのだ。
「っ!?」
不意を突いた雷の一撃に、ヘズの動きは遅れてしまった。結果、ただでさえ速い雷を斬ることができず、その身に受けることとなる。
瞬間に訪れた雷の衝撃に、ヘズの身体は麻痺してしまった。
「はい、終わり」
そこで、トリアが勝負を決めたのである。
持ち前の瞬間移動じみた動きでヘズに接近し、そのわき腹を穿つ。身体のしびれてしまったヘズは防御することもできずに、直撃してしまった。
「ぐ、ぁ……」
刺されて、ヘズの視界が明滅する。溢れ出る血が道着を濡らし、彼自身の意識を朦朧とさせていた。
「ん? シルト、ここはもう終わった。僕が、勝ったから」
だが、トリアの一言によって……ヘズの意識は一気に覚醒することとなった。
(まだ、負けて……ない!)
二度目の敗北を、彼は許さない。もう負けたくなという執念が、痛みを乗り越えてヘズの意識を繋ぎとめる。
「まだ、だ」
わき腹を抉るトリアへ、ヘズは血を吐きながら剣を振るった。がむしゃらに振るった剣はでたらめな軌道を描いていたが、その一撃に驚いたのかトリアは槍を引き抜いてヘズから距離を置く。
「びっくりした……まだ動けるんだね」
「この程度、造作もないことだ」
無感動な声に、ヘズは荒い息を吐きだしてから言葉を返す。
「痛みには、慣れている」
「慣れの問題じゃないよ? その出血量……死ぬんじゃないかな」
「死んでもいい」
だが、死ぬよりもイヤなのは。
「負けることには、未だに慣れないからな……足掻かせてもらおう」
魔力ゼロの能なし。生まれつきいの落ちこぼれ。そう、蔑まれて生きてきた。
幾千もの敗北を背負い、その度に痛みを負い、だが前を見続けた。
痛みにはもう慣れた。だが、敗北には慣れない。慣れたくもない。
目も見えず、魔力もなく、だからこそヘズは……己が最強であると信じたのだから。
「今度こそ、勝つ」
そしてヘズは剣を構えた。シルトがこの場に居るのは、もう補足している。二対一で不利な状況だ。だからといって、負ける気は毛頭ないが。
「私の存在を忘れてしまっては困るな……【空間隔離】」
シルトが動く。前と同じように、ヘズの周囲の空間を隔離する。以前はこの空間魔法に対処することができずに、やられてしまった。
「トリア、行け」
やはり、シルトとトリアは前回と同じように動くつもりらしい。シルトの空間魔法でヘズを封じ、トリアの空間を超える一撃で留めを刺す。
「――ふぅ」
相手の動きを知覚して、ヘズは息をついた。剣の刀身を鞘に戻して、身体を一気に脱力させる。
「前は、越えることができなかった」
トリアは既に迫っていた。雷を纏う槍を、突き出しているのを感じた。
そこで、ヘズもまた動く。
「だが、今度こそ」
脱力から、一気に抜刀。力を一瞬に込めて、自らの最大限を引き出す。
放った技は、【空閃】。
「空間ごと、斬る一閃を」
触れずとも斬る技ではない。空間ごと相手を斬り払う技を、ヘズは放ったのだ。
刹那――
「……ぐはっ!?」
――空間が、ズレた。
否、それは錯覚。だが空間がズレたと勘違いしてしまうほどの斬撃は、空間隔離の魔法を破り、トリアの一撃を退け……あまつさえ、遠くにいたシルトの胸部に裂傷を刻んだ。
「ようやく、完成だ」
己の技にヘズは笑う。満足のいく一撃に、彼は破顔していたのだ。
この時、ヘズはまたしても己の限界を超えた。生まれてから越え続けていた限界の、更なる向こうへ辿りついたヘズは目前の敵に向かって笑いかける。
「次は、貴君だ」
「…………」
無言のトリアに、不滅の剣を構えて。
ヘズは、再び斬りかかっていく――




