37 アールヴ・アルフヘイムは知らない
バベルの塔とは、エルフ国『アルフヘイム』における中枢施設である。人間国の王城に値する場所ともいえよう。
地下層は監獄として、上層はアルフヘイムの主要施設として利用されていた。その中の一層に『宝物殿』というあらゆる希少アイテムが保管されている場所が設置されている。
「【開け】」
宝物殿にて、アールヴ・アルフヘイムは王族の命令権を行使する。その一言によって宝物殿の扉は開き、中へ入ることが可能となった。
バベルの塔もまた、古代エルフ製の魔法アイテムだ。階層によっては王族のみが入れる場所や、王族のみが発動できる仕掛けなどがある。
「トリアよ、ついて参れ」
「仰せのままに」
宝物殿の扉を開けたアールヴは、背後に控えるトリアを引きつれて中へと入る。陳列された数々の魔法アイテムの中から、とある魔法アイテムを探していた。
「確か【プリューナク】と呼ばれる槍があったはずなのじゃが……おお、これじゃこれじゃ。トリアよ、そなたにこれを貸してやろう」
多数の錠がつけられた鎖の巻かれた、黄金色に輝く槍を指差すアールヴ。トリアは頭を下げて感謝の意を示した。
「うむ、心して使うが良い。さて……妾の【鍵】を用いて封印を解くかのう。これが時間かかって厄介なのじゃ」
「……封印、ですか」
「神具というのはどれも厄介でな、封印をせねば込められている魔力が暴走してこのバベルの塔を壊しかねん。古代エルフ製の魔法アイテムではないせいか、使い勝手も悪いのじゃ」
「しかし、数は揃っているようですし……他の者にも与えられてはいかがでしょうか?」
「無理じゃよ。神具を使いこなせるのは、妾の目利きだとそなたしかおらん。下手に与えて敵に奪われるのが一番恐ろしいからな……そなたも気をつけておくのじゃぞ?」
黄金色の槍に巻かれた鎖の錠に鍵を押しあてながら、アールヴは時間もかかるしと言葉を続ける。
「して、言いつけていたことは手はず通りに済ませたかや?」
「はっ。アリエルとエリアルの姉妹を、フレイヤ国の王城へ侵入させました。アルカナ・フレイヤを暗殺するように厳命しております」
話の内容は、人間国との戦争についてである。
「アリエルには、加賀見太陽をエルフ国に引きつれてきたことで処罰を与えました。軽めにすませたのですが、任務を失敗したらもっと重い罰を与えるとも言いつけたので……必ずや、王女を暗殺してくるでしょう」
「エリアルも一緒か。空間移動魔法は暗殺にうってつけの魔法じゃからな、そこは問題なかろう」
そこで、カチリと錠が外れる音が響いた。時間差で次々と錠が外れる音を聞きながら、二人はなおも言葉を続ける。
「そして、闘技場で加賀見太陽に負けたグラキエルという剣闘士にも処罰を与えております。あの者には先遣隊の一員として、フレイヤ王国の人間共を襲うよう厳命しました」
「グラキエル……氷魔法の使い手じゃったか? 性格に難ありと聞くが、実力は確かなようじゃな。ふむ、期待してみようかや」
美しさを求めるエルフにとって、力対力という戦争はあまり好ましくない。それよりも、水面下の対決――いわゆる暗殺や奇襲などが、エルフ族好みの戦闘方法である。アールヴも例に倣って、そちらの路線で責め立てるらしい。
「それで、冒険者ギルドの【超越者】……確かシリウスとかいったかや? あのSSSランクには、きちんと兵士を向かわせておるな?」
「抜かりなく。とある場所におびき出して、集結させた将軍クラスの兵の手で殺害予定です。そちらも計画通りに進んでおります」
「それで良い。あの超越者だけは要注意じゃからのう」
人間族屈指の実力者に、エルフ族はしっかりと目を付けていた。対策も万全らしく、アールヴは心配なさそうだなと笑みをつくっている。
「ヘズと加賀見太陽という二大戦力を監獄に幽閉している今がチャンスなのじゃ……フレイヤ王国を責め立てる口実もきちんとある。長年の悲願が、ようやく果たされよう」
きっかけは、エルフ族に攻撃をしかけた奴隷――加賀見太陽である。人間側がきちんと命令をしていなかった、という口実を手に入れてアールヴは戦争をしかけることを決めたのだ。
「……侮らずとも、驕らずとも、見下さずとも、やはり妾は人間が嫌いじゃ。目ざわりだし、過去に味わされた屈辱は未だ消えぬ。今こそが、雪辱の時じゃ」
傲慢なエルフ族の中で誰よりも冷静で理性的なアールヴだが、彼女もまたエルフ族の一人であることに変わりはないのだ。
アールヴは、人間が嫌いである。見た目の醜悪さも理由の一つだが、何よりエルフより性能的に下等でありながら盾突くところが気に食わなかった。
そして、これはかつての話になるのだが……エルフ国『アルフヘイム』が、こそこそと隠れ住むようになってしまったのもまた、人間のせいなのである。
偉大なエルフ族が隠れ住んでいるという事実。これこそが、アールヴの最も気に入らないことだった。
「人間は、妾の足元に跪くべきなのじゃ……いずれ、奴隷にしてやる」
瞳に仄暗い炎を灯して、アールヴは不気味な笑顔を浮かべるのだった。
そのタイミングで、ひときわ大きい解錠の音が鳴り響いて。
「……トリアよ、そなたの使命は一つじゃ。この槍を用いて、加賀見太陽を殺せ」
封印の解かれた神具【プリューナク】を手渡すアールヴに、トリアは再び深く頭を垂れる。
「仰せのままに」
うやうやしくプリューナクを受け取るトリアの目には、アールヴと違って何も映っていなかった。
だが、彼は王女の側近である。与えられた命令を忠実にこなすべく、トリアはグッとプリューナクを握りしめるのだった――
そうやって、着々と人間を襲う準備を進めるアールヴ王女なのだが、彼女にも一つの落ち度があった。
それは、心の奥底で人間を侮っていること。
口先では警戒している素ぶりを見せているのだが、やはり彼女はエルフ。しかも、純潔で高潔なる、最もエルフの血が濃い王族なのだ。
彼女は、心の奥深くで『たかが』人間に負けるはずないと思っている。現状の戦力を冷静に分析して、導き出した結論に間違いなどないと驕っていたのだ。
彼女は知らない。
人間は、不変ではないことを。
人間は、ちょっとの変化で大きな『成長』をすることを――エルフは、見落としていたのだ。
彼女は知らない。
アルカナ・フレイヤの隣には【騎士王】の称号を持つ、エリスが常に控えていることを。己の身命を投げ打ち、王女を守らんとする最高位の騎士がいることを、彼女は知る必要すらないと思っていた。
彼女は知らない。
シリウスという召喚術師が、とある人間失格の化物との戦いを経て更なる力を手に入れていることを。災厄級クエストすら単独で達成する最大戦力が、より力をつけたことを……彼女は予想することすらできなかった。
彼女は知らない。
結界によって秘匿されているエルフ国『アルフヘイム』の場所が、とある転生者によって特定されていることを。想像創造を持つ彼が、秘密裏にフレイヤ王国と条約を結んでいることを、彼女は思いつくことすらできなかった。
彼女は知らない。
分析の果てに無力化に成功したと確信していたとある化物が、しかし彼女の計算に当てはまらないことを……どこまでもふざけた【チート野郎】が、破天荒で規格外であることを、彼女は知っているつもりなだけで本当は知らなかったのだ。
幾つもの思い違いは、やがて違う結果を生み出すことになる。
そのことに、傲慢で愚かなエルフは……まだ、気付くことはない――




